英語を話すこと -「英語は3語で伝わる」ことについて。

英語を日常で話すようになってからは
15年ほどが経過した。

海外に住みながら、意識としては日本と
海外の「間」に置かれているぼくとしては
「英語を話すこと」を通じて、
その「間」のことを考えさせられる。

「ツール」としての英語、
また「楽しみ」としての英語ということ
以上に、日本人である「私」という人間を
形づくるものとしての英語のことである。

電子書籍を検索している折に、
中山裕木子『英語は3語で伝わります』
(ダイヤモンド社)という書籍を目にする。

「3語」というのは、ここでは、
主語-動詞-目的語(SVO)のことである。

英語は、この文型にあわせて、語を
組み合わせていくことで、文章ができる。
言葉を伝えることができる。

日本語との相違は、まずは、
「動詞-目的語」という順序である。
日本語は「目的語-動詞」というようになる。

「speak English」は「英語を話す」と
いうように順序が逆転する。
この焦点の合わせ方、
つまり「動詞」を先にすることも
「私」という人物のあり方に
影響する。対象との距離感が変わる。

しかし、より大きなことは、
「主語」である。
日本語では「主語」は、往々にして
会話で取り除かれる。
その「場」や「グループ」という
磁場に溶解する。よくも悪くも。

英語を15年以上にわたって話して
きた中で思うのは、
「主語」を明確にすること、
つまり、「私」を明確化して
伝えていくことの大切さや、自分
という人間への影響である。
「個人」がより前面に出る言葉
なのだ。

主語の次にくる「動詞」は、
「何をしたいのか」を明確にする。
日本語では、ときに、動詞さえもが
曖昧になる。
目的語を伝えることで、相手が察知
する関係で動いたりする。
「日本語は1語で伝わる」ことが
あるということである。

「英語は3語で伝わる」ということ
は、英語のシンプルさについてだけ
れども、それは、もう一段深い次元
での議論へ誘うメッセージでもある。

日本と海外の「間」という場所で、
ぼくは、言葉や文化、そして人に
ついて考えるのである。

「グローバル」ということは、
ひとつには、ぼくたちが「主語」を
きっちりと持つということでもある。

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Yuval氏の新著『Homo Deus』を読みながら、ふと気づく。

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