ぼくにとっての「見田宗介先生」と著作群。- どのような立ち位置で、ぼくは書くか。

ブログでもいくどか書いてきたけれど、見田宗介先生(社会学者)は、ぼくにとって、とても特別な先生である。

とはいっても、2002年に一度朝日カルチャーセンターでの講義を受講した以外は、見田宗介先生(あるいは、筆名の真木悠介)によって書かれた文章テクストを通して、見田宗介先生に対面するだけである。

著作群を通してだけなのだけれど、この「特別さ」は、なにはともあれとても特別なんだと繰り返すしかないほどに、特別なのである。

見田先生の書物に出会って、もう20年以上が経っても、その特別さはより深く、またよりひろがりをもつものとして、ぼくの生と伴走・伴奏している。


ぼくにとっての見田先生の存在は圧倒的であって、膨大な著作群のなかに、ぼくは「批評」するようなものをまったくもたない。

ほんとうに、まったくないのである。

現代社会のことであっても、自我のことであっても、時間のことであっても、ぼくはただただ、「師」のことばの世界に降り立っていって、できるかぎりの論理と知見と経験を駆使して、いっしょうけんめいに読むだけである。

読むたびに「学び」があり、またじぶんを透明にすきとおらせてゆけばゆくほどに、ことばが「現れてくる」ような感覚をおぼえるのである。

そんなふうにして、ぼくが住んできた、東京でも、西アフリカのシエラレオネでも、東ティモールでも、そしてここ香港でも、ぼくの生の「同行者」である。


だから、ブログなどで見田先生について書くときは、ただただ、ぼくの「感動」を伝えるだけのようなものである。

そこには研究者的な態度であるような建設的批判性などというものはなくて、見田先生のうつくしい文章に、じぶんの精神をかさねてゆくような書き方しか、ぼくはしていないのである。

だいぶ前に書いた修士論文では(経済学者アマルティア・センとともに)見田先生の『現代社会の理論』を大きくとりあげたりもしたこともあるのだけれど、ぼくはいわゆる「研究者」ではなく、見田先生にあこがれ、著作で展開される生き方や世界観にふかいところで共感し共振しながら、その方向にみずから「生きよう」としているものとして、書いているだけである。


このような「書き方」については、少し迷ったこともあるのだけれど、思想家の内田樹先生の著作に、これまたふかく教えられ、さらには励まされたようにも思う。

ぼくにとっての「見田宗介先生」が、内田樹にとっての「哲学者レヴィナス」である。

レヴィナスの翻訳もしている内田樹は、しかし、レヴィナスの「研究者」ではなく、レヴィナスの「自称弟子」として、レヴィナスにかんする著作を書いている。

その本の冒頭で、内田樹はこの「立ち位置」についてきわめて自明的に、つぎのように書いている。


…この本(『レヴィナスと愛の現象学』ー引用者)は一人の思想家について、その崇拝者である「自称弟子」が書いているわけである。当然、そこに客観的評価とか学術中立性を望むのは、「ないものねだり」というものである。哲学史を一望概観して、その中におけるレヴィナスの位置をクールかつリアルに定位するというような仕事はもとより私の任ではない。なぜなら、私にとってレヴィナスは哲学史に卓絶した「完璧な師」であり、そのテクストは「完全記号」だからである。私にできるのは、私の貧しい器を以て師の計り知れぬ叡智を掬いとることだけである。

内田樹『レヴィナスと愛の現象学』文春文庫


このあとにつづけて、このスタンス自体をレヴィナスから学んだことが書かれているが、なによりも、ぼくはこのような立ち位置で、つまりじぶんにとっての「完全な師」であり、「完全記号」としてのテクストをまえにして「自称弟子」として書いてゆくスタンスに、ぼくは励まされるとともに、共感したのであった。

そのような「書き方」があったっていいじゃないかと、ぼくも思うのである。

内田樹にとってのレヴィナスが、ぼくにとっての見田宗介先生である。

ちなみに、内田樹は、似たような仕方で、「村上春樹」について書いている。

そこでは「評論家」ではなく、あくまでも「ファン」であり「崇拝者」であるというポジションから村上春樹を論じているのだ(『もういちど村上春樹にご用心』文春文庫)。


それにしても、人生において、「完全な師」、それからいわば「完全記号」であるテクストに出会えたのは、ひとつの奇跡としか言いようのないことであり、また、ほんとうにしあわせなことであると、ぼくは思う。

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「○○の冒険に一生を賭けてみる人間が、一人くらいいたっていいじゃないか」。- 見田宗介先生の「生きかた・ありかた」に勇気づけられる。

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香港と日本の「距離」について。- 普段の日常における「日本の事物」の<溶けこみ具合>から。