追悼:見田宗介=真木悠介先生。- <人間の解放>を追いつづけて。
社会学者の見田宗介(筆名:真木悠介)。
「学者」だからといって通りすぎないでほしい、「社会学」だから関係ないやと通りすぎないでほしい、じぶんは「文系」ではないからと通りすぎないでほしい。ぼくはそう願います。
見田宗介の「切実な問題」は、<人間の解放>です。
だから、「学者」や「社会学」や「文系」などという看板をまえにして、立ち去らないでほしいとぼくはおもいます。
🤳 by Jun Nakajima
社会学者の見田宗介(筆名:真木悠介)。
「学者」だからといって通りすぎないでほしい、「社会学」だから関係ないやと通りすぎないでほしい、じぶんは「文系」ではないからと通りすぎないでほしい。ぼくはそう願います。
見田宗介の「切実な問題」は、<人間の解放>です。
だから、「学者」や「社会学」や「文系」などという看板をまえにして、立ち去らないでほしいとぼくはおもいます。
二十歳をすぎたころのぼくが出逢った見田宗介(真木悠介)の著作。学問がいわゆる「学問」ではなく、社会学がいわゆる「社会学」ではなく、文系という境界がぜったい的なものではなく、学ぶということが生きるということとおなじであるというところへひらいてみせてくれたのが、見田宗介でした。それから約25年、この世界のどこにゆくにも、見田宗介(真木悠介)の著作はいつでも、ぼくに横に在ります。
その見田宗介先生(社会学者)が2022年4月1日、お亡くなりになられました。ツイッターの投稿でこの事実を知り、驚きと共に、ぼくの心のなかにぽっかりと穴があいたように感じられました。
驚きであったというのは、見田宗介先生の私塾『樹の塾』のネット掲示板には、「眼」以外はいたって元気である旨、先生のメッセージ(最新の投稿は数年前のもの)が掲載されていたから、そのメッセージとのギャップの間隙にぼくの驚きが現れました。
それから、見田宗介先生の存在と仕事は、ぼくの「自我」、じぶんという経験の大きな一部を成していたこともあり、喪失感がぼくのなかにやってきました。
一報を目にし、いろいろとニュースサイトを検索してそのことの「事実」をたしかめても、そしていずれはこの日が来るんだという(あたりまえの)心の準備があっても、ぼくの実感は、亡くなられた事実に、なかなかおいつこうとはしませんでした。ぼくの手はツイッターの投稿をスクロールし続け、見田宗介先生に少なからず影響を受けてきた方々の投稿を、ぼくはただただ追うだけでした。
「見田宗介先生に影響を受けてきた方がこんなにもいたんだ」と、ツイッターの投稿を追うぼくは、また違った驚きを感じていました。見田宗介先生や先生の仕事(作品)に関するツイッターは普段はほとんど目にしてこなかったこともあって、「見田宗介」の文字がツイッター上に続々と現れてゆく光景に驚いたのです。若い頃に見田宗介先生の著作(例えば『気流の鳴る音』や『時間の比較社会学』など)に心を揺さぶられた方々が結構いらっしゃるようで、「この機会に再読しよう」という声もあがっていました。
でも、ぼくにとっての見田宗介先生の数々の著作はむしろ、いつも、ぼくの傍に寄り添ってくれている存在でした。じっさいに、『気流の鳴る音』や『宮沢賢治』などの著作は、アフリカからアジアへと続く、ぼくの「長い旅」を共にしてくれています。そして、いまも、いつでも手が届く場所で待っていてくれます。だから、見田宗介先生の個人的な「死」は、これら著作群を通して交わされる、ぼくと見田宗介先生との<講義>と<対話>を止めるものでは決してないのだと、ぼくは感じています。
見田宗介先生にとっての「死」
見田宗介先生が亡くなられたことはとてもショックではあったのだけれど、その感覚とは別のところで、ぼくの気持ちは穏やかでもありました。それは、ぼくじしんの「死」への向き合い方によるところでもあり、また、見田宗介先生の「死」に対する考え方・生き方(そして「生」に対する考え方・生き方)を知っていたからでもあります。
まずはじめに触れておくべきことは、見田宗介先生は小さい頃、多くの子供たちがそうであるように、「死」を怖れていたことです。その「死」は、みずからの死にとどまらず、「人類の死」をも含めての「死」です。
…わたしにとっての「ほんとうに切実な問題」は、子どものころから、「人間はどう生きたらいいか」、ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか、という単純な問いでした。この問題は二つに分かれて、第一に、人間は必ず死ぬ。人類の全体もまた、いつか死滅する。その人類がかつて存在したということを記憶する存在さえ残らない。すべては結局「虚しい」のではないかという感覚でした。…
見田宗介『社会学入門』岩波新書
第二の問題は「自我」に関する感覚で<愛とエゴイズムの問題系>と呼んでいるのに対し、「死」というひとつめの問題を、<死とニヒリズムの問題系>と、見田宗介先生は名づけています。これら二つの問題系はまさしく「ぼくにとっての切実な問題」であり、人はどのように生きたらいいのか、という核心的な問いと共に、ぼくの生をつらぬいてきたものです。
<死とニヒリズムの問題系>については、『時間の比較社会学』という仕事を通して、見田宗介先生は「透明に見晴らしのきくような仕方で、わたし自身の展望を手に入れることができた」と書いています。そして、それは見田宗介先生だけでなく、ぼくや、さらには幾多の読者たちにとって「展望を手に入れる」ことができるような触発力をもつ名著です。
この『時間の比較社会学』よりも前に書かれた名著『気流の鳴る音』のなかでは、見田宗介先生は「死」についてつぎのように書いています。
一 われわれの個人的な<生>とは、われわれの実質materiaである宇宙そのものが、一定の仕方で凝集して個体化した形態formaに他ならない。われわれは実質materiaとしては永遠であり、形態formaとしては有限な存在である。
二 したがってわれわれの個人的な<死>とは、われわれの実質が形態をこえて拡散してゆくことである。…
三 ふつうの人間の日常生活においては、生はみずからの形態formaの中にまったく内没し、凝固している。彼らは<死のない人びと>である。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
<死のない人びと>と呼んでいるように、近現代人は日常生活に没頭するなかで「死」の問題(じぶんの死、それから人類の死)を「意識の底に封印している」(『時間の比較社会学』岩波書店)ようなところがあります。このような<死のない人びと>とは異なり、見田宗介先生にとって<死>は身近に感じられるものでした。人は誰しもが「いつ死ぬかわからない」という感覚、この人間という「形態 forma」をとって生きていることを外部からまなざすような感覚のなかで、人間はどのようにしたら歓びに充ちた生を生きることができるのか、という途方もない問題に向かう仕事に「小さな区切り」をつけるような仕方で、見田宗介先生は著作を世に送り(贈り)だしてきたのでした。
見田宗介先生の「講義」(2001年)
ところで、一度だけ、ぼくは見田宗介先生の講義を聴講したことがあります。2001年3月24日、横浜にある朝日カルチャーセンターにおける、「宮沢賢治:存在の祭りの中へ」と「自我という夢」と題された講義でした。当時は、見田宗介先生は東京大学を退官され、共立女子大学で引き続き教壇に立たれていたときで、ぼくはというと、「国際協力」を仕事にしようと、横浜にある大学の大学院で、後進産業地域(発展途上国などとも呼ばれる)の「開発学 development studies」を研究していました。当時から遡ること数年前に、ぼくは見田宗介先生の著作に出逢い、さまざまな仕方で触発されていました。
講義にはまったくもって「圧倒」されました。見田宗介先生の「講義のスタイル」は、後年あるインタビューで語っておられたように、「その時々に自分が熱中している研究を、そのままストレートに講義でもゼミでもぶつけ」るものです(『超高層のバベル』講談社)。その方法が結局のところ、「いちばん深いところから触発する力をもつ」のだと、見田宗介先生は語っています。横浜での講義もまさにそのとおりの「情熱」で充たされ、また、講義から二ヶ月後くらいに書かれた『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』岩波現代文庫版への「あとがき」(2001年5月)では、講義で語っておられた内容が凝縮され、書かれていたのを見ることができます。
宮沢賢治、という作家は、この作家のことを好きな人たちが四人か五人集まると、一晩中でも、楽しい会話をしてつきることがない、と、屋久島に住んでいる詩人、山尾三省さんが言った。わたしもそのとおりだと思う。…
見田宗介『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』岩波現代文庫
横浜での講義に来られている方々もきっと「宮沢賢治」が好きな方々であり、二コマの講義が終わったあとも、そのまま「楽しい会話」がしずかに続くいてゆくのではないかとおもわれるような、そんな講義であったように記憶しています。少なくとも、ぼくはそのままずっと一晩でも尽きないほどの興味と疑問に充たされ、けれども時間の関係から、講義の終盤にたったひとつだけ見田宗介先生に質問をさせていただきました。この小さな「会話」は、いまでもぼくの<記憶の宝物>です。
こうして、最初に触れたように、見田宗介先生との<会話>と<対話>は、ぼくの心と思考のなかで(さらに、見田宗介先生と著作に触発されてきた幾多のひとびとのなかで)、いまでもしずかに、けれども情熱いっぱいにつづいているのだと、ぼくは感じています。
そして、「感性的に柔軟な高校生のようなタイプの人にいちばん読んでほしかった」(『超高層のバベル』講談社)と語られるように、『気流の鳴る音』や『宮沢賢治』などの著作は、感性豊かな青年たちに向けられ書かれており、若い世代たち、さらには未来の他者たちのなかで、そこで語られたことばや思想が交響してゆくとよいと、ぼくはおもっています。そこで語られているのは、「古くなることがない」ような、そんなことばや思想であるのだから。
今、「たった一冊の本」をぼくが無人島にたずさえるとしたら。- 真木悠介の名著『気流の鳴る音』。
村上春樹の短編集『一人称単数』(文芸春秋社、2020年)所収の「謝肉祭(Carnival)」と題された短編において、「無人島に持って行くピアノ音楽」を一曲だけ選ぶ場面がある。「一曲だけのピアノ音楽」とは、なかなかむずかしい選択だ。その選択にはさまざまな「考慮」が投じられることになる。テーマが好きなものであればあるほどに、「考慮」はひろくふかくなってゆかざるをえない。
村上春樹の短編集『一人称単数』(文芸春秋社、2020年)所収の「謝肉祭(Carnival)」と題された短編において、「無人島に持って行くピアノ音楽」を一曲だけ選ぶ場面がある。「一曲だけのピアノ音楽」とは、なかなかむずかしい選択だ。その選択にはさまざまな「考慮」が投じられることになる。テーマが好きなものであればあるほどに、「考慮」はひろくふかくなってゆかざるをえない。
このような、いわゆる「無人島に持って行くとしたら」の質問系は、いろいろな会話のなかで、いろいろなテーマのうちに語られる系だ。とはいっても、いまでは「無人島」物語の世界が若い世代のうちに共有されているのかどうか、ぼくにはわからない。「無人島」というものが若い世代にとって現実感をともなって迎えられるかどうか。いまの時代であれば、「無人島」ではなく、むしろ「宇宙」であろうか。でも宇宙に行くにしても、例えば宇宙飛行士の毛利衛は二度目の宇宙飛行(2000年)のときは全部で24枚のCDを持っていったのだというし(『宇宙から学ぶ ユニバソロジのすすめ』岩波新書)、いまでは音楽はデジタル形式でもあるから、24枚をはるかに超える音楽をデータで持っていける。映画『The Martian』では火星でデジタル音楽を聴くシーンがあったのを、ぼくは憶い起こす。ミニマリストのぼくは今ではCDはいっさい持っていないけれど、もちろんストリーミング(Apple Music)によってありとあらゆる音楽を聴くことができる。「オフライン」であっても、あらかじめスマホにダウンロードしてある音楽を再生すればいいだけだ。いずれにしろ「無人島に持って行くとしたら」の質問系は、無人島(あるいは宇宙)に行くときの「条件」に深入りするのは賢明ではない。スマホは持っていけるのか、スマホのキャパシティはどうかなど、そんなことを言い出したら、せっかくの会話の流れがおかしくなってしまう。あくまでも、とにかく、ひとつを選ぶこと(あるいはふたつなり三つなりと提案された数を選ぶこと)から、この会話ははじまるのである。
ところで、無人島にしろ宇宙にしろ、それらはひとが「移動すること」の先にひろがっている世界である。この視点でみるとき、新型コロナの経験は、移動が制限され、「移動しないこと」へと戻される経験である。大航海時代を経て、近代から現代へとつづいてゆく文明の拡大と進化を高台にのぼって見晴るかすとき、それは(形態はどうであれ)「移動すること」をその核心に装填することですすめられてきたのだということがみてとれる。無人島も宇宙も、文明の拡大と進化のなかで立ち現れた領域である。そこからベクトルはぐいっと転回して、(できるかぎり)「移動しない」世界へと戻されたのである。移動していった先の「ひとつの選択」ではなく、「移動しない」世界での「ひとつの選択」とはいったい、どうなるのだろうかとかんがえてしまう。
新型コロナの状況下で、いろいろな本をぼくは読んでいる。昨年(2019年)は「移動すること」の多い年だったから、あまり多くの本にふれることをしなかったのだけれど、今年は新型コロナの状況下で、またぼくの生活にもいろいろなことがあって、ぼくはさまざまな本たちとの対話(読書)を重ねてきた。
新型コロナの状況がさしだしてくれたのは、例えば(長めの本を読むという)時間の余裕あるいは時空間の再編成ということだけに限られない。より深いところでは、それは、人や社会のありかたにおける、根本的な価値観に対して「裂け目」をつくったのだということができる。人の生き方や働き方はもちろんのこと、社会のしくみ、経済のありよう、それから人と自然の関係性にいたるまで、ありとあらゆるものの「根源」をまなざすところへと、現代を生きる人たちはおしだされたようである。もちろん新型コロナの状況にいたるまえにも、個人やコミュニティなどが、人の生き方や社会のあり方に対して真摯で根源的なまなざしをそそぎ、行動し、変えようとしてきたのだけれど、新型コロナの状況ではその「おしだされかた」が、同時的で、全世界的なひろがりをみせていることが特異だ。つまり、たくさんのひとたちが共有している「共同幻想」に<裂け目>ができたのだ。それは、これまで「共同幻想」によってあまり省みなかったようなことがらに風穴をあけ、「共同幻想」によって支えられていた人の生き方や社会のあり方、あるいは共同幻想自体をいっそう明るみに出すことになった。
そのおしだされたところで人が手にとる本は、意識的にか無意識的にか、近現代の根本的な価値観の裂け目に向かっているような本の系列がひとつであるかもしれない。少なくとも今年のぼくは「古典」と呼ばれる本を手にとることが多い。それはぼくの個人的な関心によるところが大きいのだろうけれど、その個人的な関心は「近現代のあとに来る世界」、近現代をのりこえてゆく、人の生き方、組織や社会のありようをまっすぐにまなざしているから、根本的な価値観が省みられる現在の状況に接合してゆくのは当然のことである。
いろいろな古典的作品があるけれど、ぼくがやはり立ち戻った本の一冊は、真木悠介(社会学者である見田宗介の筆名)の名著『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)であった。冒頭であげた無人島シリーズのように、今のぼくが「たった一冊の本」だけを手にたずさえるとしたら、真木悠介の『気流の鳴る音 交響するコミューン』を、ぼくは手にとることになる(ちなみに、1977年以後、2003年に「文庫版」がちくま学芸文庫にはいり、この文庫版をもとに2018年に電子書籍化されている。また真木悠介の著作集にも収められている)。今回あらためて精読しているあいだ、ぼくが「たった一冊の本」を選ぶとしたら、やはりこの本だとぼくはおもったのであった。
『気流の鳴る音 交響するコミューン』は、人類学者カルロス・カスタネダの著作を素材としながら、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁として、これらインディオの世界と出会うこと」を目的として書かれている。カスタネダの著作は今ではあまり知られていないかもしれないが、メキシコ北部に住むヤキ族のドン・ファンという老人のもとに弟子入りしてインディアンの生き方を学んでゆく話だ(「メキシコの教え」といえば、ぼくにとってはDon Miguel Ruiz『The Four Agreements』で、それはドン・ファンの「教え」とも重なっている)。カスタネダを通じてこれらのインディオの世界と<出会う>なかで、またそれらの素材に触発される仕方で、真木悠介は「人間の生き方」を論じてゆく。真木悠介が書いているように、素材はカスタネダの著作とインディオの世界だけれども、この本は「ドン・ファンやドン・ヘナロの魅惑的なトリックやヴィジョンやレッスンに仮託した、私自身の表現」である。
この本をぼくの「たった一冊の本」とする理由のひとつは、上で述べたように、「近現代をのりこえてゆく生き方や社会のありよう」をまっすぐに視界におさめていることである。「人間の生き方を発掘したい。とりわけその生き方を充たしている感覚を発掘したい」と、真木悠介は本の冒頭に書きつけている。さらに、『気流の鳴る音』が書かれたときのことを憶い起こしながら、「<近代のあとの時代を構想し、切り開くための比較社会学>という夢の仕事の、荒い最初のモチーフとコンセプトとを伝えるために、カスタネダの最初の四作は魅力的な素材であると思えた」ことを、真木悠介は2003年の「文庫版あとがき」に書いている。<近代のあとの時代の構想>という仕事は、このあと、真木悠介(=見田宗介)の仕事のなかに結実してゆくことになるのだけれど、ここに軸足をおくことは、ほんとうに歓びに充ちた生き方をかんがえてゆくときにはとても大切なことであるとぼくはおもう。
「たった一冊の本」とする理由の二つ目は、<比較社会>という方法である。自然科学とは異なり「社会」というものは研究室での「実験」はできないから、「他の社会」との比較という方法をとらざるを得ない。だから、「社会を比較する」という方法をとることになる。ぼくにとっての「関心」との重なりでいえば、「異文化という経験」だ。1990年半ば、大学に入学後、ぼくは毎年夏休みには「海外」に出ることにしていた。ぼくが入学した大学は外国語を専攻する大学で、大学内にすでに「異文化空間」が生成していたのだけれど、海外に出ることがふつうのこととして日常化していた。もちろん「海外」へのあこがれをもって入学したのでもあるから、ぼくにとって海外に出ることは当然のことであった。1994年の中国本土にはじまり、1995年には香港(返還前)・中国本土・ベトナム、1996年には一年休学してニュージーランドに滞在、1997年にはタイ・ラオス・ミャンマーといった具合に、「異文化」はぼくのなかで経験の地層をつくっていった。そのような経験の地層をつみかさねるなかで、ぼくは新宿の紀伊国屋書店で、『気流の鳴る音』に出逢ったのであった。『気流の鳴る音』との出遭いは、ぼくが見たり感じたりする「風景」を変えてしまうものであり、あるいはぼくが感覚してきたことがらに「言葉」を与えてくれた。その後もぼくの「異文化経験」は地層をつみかさねゆくことになるのだけれど、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港、マレーシアに暮らしてゆくなかで『気流の鳴る音』はいつもぼくと共にあった。シエラレオネに仕事で住むことになったときも、まさに限られた荷物のなかに、ぼくは文庫版の『気流の鳴る音』を入れ、それはぼくの日々を精神面で支えてくれたのである。なお、『気流の鳴る音』はいわゆる「異文化」よりもはるかにひろい射程をもっていることを追記しておきたい(真木悠介の言葉をそのまま使えば「異世界」であり、それは人それぞれの内部の「異世界」をも射程している)。
さらに、『気流の鳴る音』を「たった一冊の本」とする理由の三つ目は、真木悠介がふりかえって書いているように、そこには真木悠介の<荒い最初のモチーフとコンセプト>が「混沌と投げ込まれていること」(「文庫版あとがき」)だ。投げ込まれた「荒いモチーフたち」は、その後の真木悠介=見田宗介の仕事(名著『時間の比較社会学』や『自我の起原』など)のなかで「かたち」をなしていったのだけれど、そのことにふれたあとで、真木悠介はつづけてこう書いている。「これからもなおさまざまなモチーフがこの混沌の内から立ち上がり、わたしの中で、他者たちの中で、そして見知らぬ世代たちの中で、さまざまに呼応しながら、新しくおどろきに充ちた冒険と成熟をくりかえしてゆくことに心を踊らせている」(前掲書)。「荒いモチーフたち」は、人の生き方や社会の変革の「答え」ではなく、『気流の鳴る音』を読む者たちのなかで、「新しくおどろきに充ちた冒険と成熟」を触発してゆく、そのような混沌さが、ぼくには魅力的なのだ。仮に無人島で読むにしても、その混沌のなかから、ぼくは「新しくおどろきに充ちた冒険と成熟」をくりかえしてゆくことができる。20年以上読み続け、いまでも読むたびに触発されているぼくの経験はそのことの証のひとつである。でも、ひとつ加えておかなければいけない。「混沌」といっても、『気流の鳴る音』で展開される「論」それ自体は、きわめて明晰で、みごとというほかない。なんど読んでも、ぼくの心は踊り、心の中では感嘆の声しかでない。
まだまだ「理由」はいっぱいにあげることができるのだけれど、ここでは、「近現代をのりこえてゆく生き方や社会のありよう」への視界、<比較社会>という方法(異文化や異世界へのまなざし)、<荒い最初のモチーフとコンセプト>(答えではなく触発し生成する思想)、という三つのことをあげるにとどめておきたいとおもう。
それにしても、この本との出逢いがなければ、今のじぶんというものはないだろうとおもう。じぶんは存在はしていただろうけれど、今のような仕方でじぶんが生きているということはないだろう。それほど、ぼくにとって大切な書物であり、「生きかた」をほんとうに変えてゆきたいとおもっている人たち、また/あるいは「社会」を変えてゆきたいとおもっている人たちにすすめたい書物である。新型コロナの世界に生きながら、いっそう「生き方」が問われ、「社会のありよう」が問われている。それらの問いに対して、表層だけで応えないこと、この機会に深い地層におりていって、根源的に問い直すこと、そして生きなおすこと。そこに向かって、『気流の鳴る音』はまっすぐなまなざしを届けてくれている。
「コロナ後の後」の見晴らし。- ずーっと先を大きく見晴るかす見田宗介の著作との「対話」から。
今年2020年1月から新型コロナの情況をくぐりぬけてゆくなかで、新型コロナ自体への対応・対策をさまざまに施しながら、やはり「コロナ後」のことを考えてしまう。もちろん「この」新型コロナがおさまったあとの「コロナ後」もそうだけれど、もっとずっと先、数十年後、あるいは100年後といった時間軸のなかで、「コロナ後」の「後」の世界のことを考えてしまう。
今年2020年1月から新型コロナの情況をくぐりぬけてゆくなかで、新型コロナ自体への対応・対策をさまざまに施しながら、やはり「コロナ後」のことを考えてしまう。もちろん「この」新型コロナがおさまったあとの「コロナ後」もそうだけれど、もっとずっと先、数十年後、あるいは100年後といった時間軸のなかで、「コロナ後」の「後」の世界のことを考えてしまう。
思いきって、ずーっと先を見晴るかす。そんな視界のひろさを深い次元で教えてくれたのは、やはり、見田宗介先生(社会学)であったと思う。ぼくは「生き方」の方向性の大きな部分を、見田先生から学んできた。社会「学」という枠組みにはおさまりきらない「思想」が、そこには宿っている。生き方としての思想だ。
コロナ禍をかけぬけてゆくなかで、ぼくの感覚と思考の一部には「見田宗介の感覚と思考」が重なっていることを思う。「見田宗介先生だったら(こう語るだろう)…」というプログラムがぼくの思考にはたらきかけて、ぼくはしばしば沈思することになる。
それでも見田先生の発言に触れたくなって、ついついグーグル検索で見田宗介先生の発言がないかどうかを検索してしまったりするのだけれど、見田先生はこういう情況においてすぐには発言をされないことをぼくはわかっているから(たとえば、アメリカの「911」のときもすぐには発言されなかった)、やはり検索結果に表示されなくても残念には思わない。ぼくは見田宗介先生の著作をひらいて、そこで見田宗介先生と「対話」する。想像の対談。あるいは「創造」の対談である。
ちなみに、ぼくは大学生として見田宗介先生のもとで学んだわけではない。いわゆる私淑だ。見田宗介(ペンネームは真木悠介)の著作群を通じて、かれこれ25年程にわたって学んでいる。それでも、20年ほど前、横浜の朝日カルチャーセンターの見田宗介先生の講義を聴講した「体験」は、いまでもぼくのなかに深く残っている。もちろん、ぼくはその講義のなかで見田先生に直接に質問をしてみた。そのときの<束の間の対話>は、それ以後、ぼくの内面で見田先生と「対話」するときの、身体的感覚のベースとなっているのだろうと、ぼくは思う。
コロナ禍ではいろいろなことが「オンライン」上でなされる。それはとてもいいことだと考える一方、ひととひととの、あるいはひとと自然との、身体的な直接の出逢いや共振といったものの大切さを憶いおこさせる。
「コロナ後の後」のことに戻ろう。時空間の軸をすーっとひろげてみて、つぎのような「考え方」のことを考えてみる。
人口が大爆発期を迎えた「近代」の基本的な価値観は「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という考え方である。見田宗介先生は作家の津島裕子との対談のなかで、この価値観にふれている(『超高層のバベル 見田宗介対話集』講談社)。自然をなるべくコントロールし、利用しつくす。競争社会のなかで「サバイバル(生き残ること)」モードへとかりたてられる。
高度成長期には有効であったこの価値観とその世界はすでに限界をむかえていて、方向転換をしなければ、人間は破綻してしまうところまで来ている。「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という価値観を「無限空間」のなかで羽ばたかせてきたところ、その空間の「有限性」が露出してしまったのである。環境と資源の有限性。「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という価値観は「豊かな社会」をもたらすと同時に、グローバル化の達成という局面において、その限界を提示する。こんな時代にあっても、人間は自然を利用しつくそうとし、「経済成長」の号令は高らかにうたわれるのだけれど。
この解決の方向性はどこに見出すことができるのか。「新しい価値観が必要になってきている」と語る津島裕子氏に、見田宗介先生は言葉を紡ぐ。「どう転換するのか。何らかの形で『共存するシステム』を考えるということだ」と。「高度成長ができなくなったから仕方なく、ということではなく、本当は自然とも他の人間や社会とも共存するほうが楽しい世界なんだと。人間や動植物も含めて、さまざまな種と共存することは楽しい世界なのだと。そういう方向にしか、未来を信じる道はないと思います。」(『超高層のバベル 見田宗介対話集』講談社)
共存するシステム。それは誰にでもわかる、凡庸なアイデアに聞こえるかもしれない。しかし、この一語のなかには、この一語にいたるまでには、膨大な思索・思考、科学と論理、それから見田宗介の「生き方」が詰まっている。『時間の比較社会学』『自我の起原』『現代社会の論理』などといった著作で追究された思考がそこには充溢している。官制的に発せられるスローガンなどではなく、考え抜かれた、生き抜かれた言葉なのだ。
なお「競争」が否定されているわけではないことを付け加えておきたい。「楽しい」競争というものはある。自然との共存のもとに、そして人間の共存社会をベースとしながら(個人の最低限の必要が満たされた上で)、「楽しい」競争というものがある。(ところで、コロナ禍での「買い溜め」は人間社会の競争的価値観の発露である。)
さらにここで触れられている大切なことに照明をあてておきたい。高度成長ができなくなったから仕方なく「ということではなく」である。自然や他者との共存のほうが「楽しい」のだという方向性である。このことはとても大切なことだと、ぼくは思う。反対するひとはそう多くはないかもしれないけれども、このような方向転換は実際にはむずかしいものだ。ひとは「仕方なく」という転換点まで、なかなか変わることができない。「これまでの生き方」が心身にしみこんでしまっているからだ。「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という価値観、それから経済成長の強迫的・無限的な進行はとどまるところを知らない。
新型コロナは「仕方なく」という転換点のひとつである。ぼく個人のことで言えば、新型コロナそのものの出現自体についてはあまりおどろくものではなかった。リスクマネジメント的にはすでにおりこみずみのリスクであったからだ。けれども、実際にそれが顕在化して、人間と社会と経済へのインパクトを体験し、見聞きするにつれて、いろいろな「想定外」に、思考も行動も緊張を強いられることになった。移動が制約されることは想定内としても、実質国境が閉じられるなどの想定外にはいろいろと振り回されることになった。なにはともあれ、情況はさまざまな「仕方なく」をつきつけてきたし、今もそれは続いている。
「現代」という時代を、近代がつぎなるなんらかの時代への最終的な過渡期と見る視点に立つと、そこでは二つの力学がはたらいている。ひとつは「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という近代の価値観の延長線上に、強迫的に「経済成長」を続けようとするもの。もうひとつは、その強迫性から離れて「つぎなる時代」へと軟着陸しようとするもの。これらの二つの力学が拮抗しているのが「現代」という見方である。コロナ禍はこの拮抗の最中に訪れたことになる。
この大きな見方のなかで前述の「仕方なく」を組み入れてみると、「仕方なく」という転換点としてのコロナ禍は、「強迫的な経済成長」を生きるひとたちにとってはやはり「仕方なく」であるのに対して、つぎなる時代(「共存するシステム」)への軟着陸を試みてきたひとたちにとっては意味合いが異なってくるのだと思う。コロナ禍が訪れようと訪れまいと、未来は(そして現在は)この「共存するシステム」にあるのであって、コロナ禍は「仕方なく」の転換点ではない。
ぼくが「じぶんの変容」ということを、ホームページやブログで書くとき、このような「共存するシステム」への軟着陸を想定している。「本当は自然とも他の人間や社会とも共存するほうが楽しい世界」という共存する世界への変容を、なによりもまず「じぶん」のなかにひらいていく。共存する楽しさ、自然や他の人間や社会との出遭いの楽しさ。「コロナ後の後」の世界は、そんな価値観に下敷きされた世界がひらいてゆく。時間的には「コロナ後の後の後…」といったところかもしれないけれど。
ちなみに、大澤真幸先生(社会学)は、コロナの危機こそは「世界共和国の最初の一歩」だと言っている(大澤真幸『コロナ時代の哲学』左右社)。「あえて」そう言い切っている。国際的な連帯や協調というのではなく「世界共和国」。たとえば、21世紀の終わりから2020年を眺め返したとき、コロナ危機は「世界共和国」の第一歩であったのだと振り返られるのだというように。
「じぶんが変わる」という主題。- 25年にわたる、ぼくの課題。
20歳のころから、ぼくにとっての大きな主題は「人が変わる」ということであった。「人が変わる」ということにまつわる、その方法をぼくは探っていた。ぼくがそのときに得た具体的な方法は「異文化」であった。
20歳のころから、ぼくにとっての大きな主題は「人が変わる」ということであった。「人が変わる」ということにまつわる、その方法をぼくは探っていた。ぼくがそのときに得た具体的な方法は「異文化」であった。
大学時代、ぼくは異国を旅し、それを<方法>とした。つまり、「旅」のなかで、あるいは「旅」の経験をジャンプ台として、「じぶんが変わる」ことを追い求めた。そのとき日本社会は、阪神大震災やオウム事件を通過し、21世紀の変わり目に直面していた。
とはいっても、夢中になって旅しているときに、明確に認識していたわけではない。旅の経験がぼくのなかでつみかさなり、それらをことば化してゆくなかで、ぼくは「旅」を方法のひとつとして認識したのであった。
旅の経験をことばに変えてゆく。その動機は意図的というよりも、衝動的といったほうがより正確である。「書かずにはいられない」という気持ちが、ぼくをかりたてていた。こうして、「断片集」というかたちで、ぼくは旅の経験を書いた。
文章を書いたのは、大学を卒業し、すぐには就職せず、大学院にすすむための準備をしているときであった。泳いでいるときの「息つぎ」のような時間に、ぼくは書いたのであった。「断片集」は、幾人かの友人たちに、送らせて(贈らせて)いただいた。
それにしても、「じぶんが変わる」という主題の立て方について、ぼくはいまになってかんがえる。そこに流れている気持ちはどのようなものであったのか。あるいは、その主題は、何を<前提>としていたのだろうか。断片集を書いたときから20年以上がたって、いっそう距離をおいてじぶんをみつめなおすなかで、ぼくはかんがえてみる。
この主題にあるのは、「じぶんが変わりたい」という渇望である。からだとこころの奥底からわきあがってくるような欲望である。こういうのもなんだか変ではあるのだけれど、ぼくは「じぶん」から抜け出したいと思っていた。
いま思うと、「じぶんが変わる」という主題の立て方は、問題の本質をつくものではなかった。ぼくの渇望がぼくを急かしているかのような、主題の立て方であった。
そんな折だったと思う。渇望が先行してしまうような主題だったけれど、その渇望の道ゆきに、ひとつの著作がぼくの前に現れる。
真木悠介の名著『自我の起原』(岩波書店、1993年)であった。
社会学者の見田宗介が真木悠介名で書いてきた著作の、いわば最後に位置する著作である(時系列的には、現在のところ『旅のノートから』が真木悠介名の最後の著作になるがこれは主軸とされる著作ではない)。
自我の起原を、生物社会・動物社会にまでさかのぼり探究される著作であるが、そこでは「じぶん」を超えでてしまう契機が描かれている。「じぶんが変わる」ということを直接の主題としているわけではないが、その「じぶん」という現象が、標準的な生物社会学の糸をたぐりよせながら、その根抵において探究されている。
ぼくにとっての「じぶんが変わる」というつたない主題が、その根柢においてひらかれてしまう、という経験を、ぼくは感じることになる。それも、思ってもみなかった仕方で。どのようにひらかれたかについては、また別の機会に書きたい。
「<共存することの祝福>ともいうべきものを基軸とする世界」(見田宗介)。- 「共生」ということばへの(ぼくの)違和感。
「共生」ということばがある。共に生きる。一緒に生活する。その意味合いにおいて間違いがあるわけではないけれど、ぼくはどこかこのことばが苦手であった。「教育くさい」もの、おさえつけられるような倫理的抑制を感じたのだ。
「共生」ということばがある。共に生きる。一緒に生活する。その意味合いにおいて間違いがあるわけではないけれど、ぼくはどこかこのことばが苦手であった。「教育くさい」もの、おさえつけられるような倫理的抑制を感じたのだ。
「きょうせい」という響きがいけないのかもしれないと思ったりもする。それは「強制」にもなるし、「矯正」にもなる。「きょうせい」と発音した途端に、「共生/強制/矯正」が一緒くたになってぼくのイメージに想起される。
「共生」が語られる場、だれによって、どのように語られるのかにもよってくる。でも、ぼくが見聞きするとき、それはどこか、「抑えつける」ように、ぼくは感受してしまったのだと思う。
「共生」ということばの語られない前提として、「共に生きる」ことの困難、があるように感じてしまうことも理由のひとつだ。共生の困難性。共に生きることが難しいから「共生」しなければいけない。そんなふうに、語られない前提を瞬時にして聞き取りながら、「共生」をとらえてしまうのだ。
共に生きることが難しい。たしかに、難しい。ひとであろうと、動物であろうと、自然であろうと、共に生きることが難しいと思ってしまう事象に、ニュースは満ち溢れている。社会は「競争」に満ちている。人間関係がくずれ、自然は圧倒的な規模で破壊されつづけている。
あるいは、じっさいにじぶんが生きてゆくなかで「難しい」状況に幾度となく直面してしまう。
でも、ぼくは思う。共に生きることは第一義的に「難しい」のだろうか。生きることは生を賭すほどの競争を前提にしているのだろうか。ひととひとの「相剋」が世界のありようなのだろうか。そうではない、と思う。
社会学者の見田宗介先生は、相剋だけでなく「相乗」に光をあてる。この世界にいっぱいに充ちている「相乗」の契機。ひととひと、それから異種の動植物たちのあいだにたしかに存在する相乗性。たとえば、顕花植物と昆虫のあいだには「競争」ではなく相乗的な生が生きられている。
見田宗介先生は、これからの社会における原則を、<共存>ということばで表現している。共に在る・存すること。そこには、おそらく、「ただ他者と共に在ること」の奇跡と本源的なニーズが織りこめられている。
「これからの」生きかたを生きてゆく方向性に描かれる「社会」は、見田宗介先生のことばを借りれば、「永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)」としての社会である。物質的(マテリアル)な「成長」の強迫から解き放たれた社会であり、個人の生きかたである。
「グローバリゼーション」という空間的なひろがり(また限界)と「人生100年」という個人の生の時間的な可能性がひらかれる社会では、空間的な拡大と時間的可能性の拡大にかかわらず、(物質的な)「経済成長」という上昇ではなく安定平衡という高原がつくられる。
もちろん、高原(プラトー)が自然のなりゆきとしてつくられるのではなく、現在の物質的な成長による環境破壊と資源の枯渇、さらには後進産業地域の貧困などをのりこえながら、人間(ひとりひとり)がつくってゆくものとしての「永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)」である。
そこでは、「<共存することの祝福>ともいうべきものを基軸とする世界」がひらかれてゆく。個人ひとりひとりの生きかたも、この<共存することの祝福>を基軸とする生きかたである。ただ家族や友人たちと在ること、共に在る自然と交感すること。それらは、だれもが「経験している」なんでもないことだけれど、それらはひとを収奪するのでもなく、自然を現在のような仕方で破壊するものでもない世界であり、生きかたである。
歓びに充ちた生きかたへ転回する<折り返し地点>。- 「グローバル化」と「人生100年時代」の時空間。
このウェブサイトの「Concept」ページを書いた。このサイトを展開していくための基軸となってゆく「考えかた」である。それらの「考えかた」に無理に固執してゆくつもりはないけれど、目的ではなく、方法としてのフレームワーク的な意味合いをこめて「考えかた」を書いた。
このウェブサイトの「Concept」ページを書いた。このサイトを展開していくための基軸となってゆく「考えかた」である。それらの「考えかた」に無理に固執してゆくつもりはないけれど、目的ではなく、方法としてのフレームワーク的な意味合いをこめて「考えかた」を書いた。
テーマは「これからの<生きかた>を生きる」ということのなかで、サブテーマの中心点として「<じぶん>の変容」を据えた。「生きかた」であるから、個人を中心に据えるのはあたりまえと言えばあたりまえである。けれども、個人の生きかた、ということにおいて、「じぶん」ということ、またそのじぶんが「変容」してゆく仕方に、もっともっと光をあてたい。これからの<生きかた>をひらいてゆくためには、「じぶんの変容」ということを深く生き、そしていま一度、徹底的にとらえかえしていくことが必要である。そう思って、ぼくは「<じぶん>の変容」を中心に据えた。
「じぶんの変容」を中心におきながら、時空間にY軸/X軸を描くようにして、それぞれに空間軸「グローバル化/異文化」と時間軸「人生100年時代」を設定する。じぶんという個人から直面する社会(の一側面)は、グローバル化と人生100年時代である、というように。簡略化した図式であり、方法論としての図式である。
空間的には、経済社会はグローバリゼーションのもとに「発展」をすすめ、情報通信技術の発展と共振してゆくことで、世界はいままでになかったほどに「つながっている」。空間という視点においては、人間はこのグローバル(地球)の先に宇宙を見据え、すでに競争がすすんでいることを付記しておきたい。
時間的には、個人(じぶん)は、人生100年時代の可能性のなかに、その人生の道ゆきを描くことになる。もちろん、現実的には「人生100年」ではない場合もある。病などどうしようもない場合があったり、あるいは、後進産業地域では人生50年という状況もある(ぼくが住んでいたシエラレオネはデータ上は「人生50年」である)。でも、「人生100年」という可能性と考えかたが、個人の生きかたや社会のありかたを変容させてゆく。そんな状況におかれている。なお、時間という視点においては、人間はこの「人生100年」の先に「不死」(ユヴァル・ノア・ハラリ)を希求している。
このようにフレームワークを立ててみる。
「これからの」に対して「これまで」は、空間的には「ナショナル」であり、時間的には「人生80年」というようにとらえてみることができる。そこでの、政治経済社会の主軸は「経済成長」である。「経済成長」が最優先であり、経済成長のもとにさまざまなものごとがアレンジされてゆく。そして、この「経済成長」の物語は、いまでも、(さまざまに綻びを見せながら)続いている。
では、「これからの」という未来において、政治経済社会の主軸はなにがくるのか。「くる」と書くのは正確ではない。「つくる」という創造・想像が大切な役割を果たしてゆくことになるから(現代は、未来を「予測」する思考に慣れてしまっている)。
結論をさきにのべてしまえば、これから創ってゆくのは「永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)」(見田宗介)としての社会である。物質的(マテリアル)な「成長」はその役目を終えてゆく(後進産業地域の課題は当面残る)。現在の地球環境・資源の状況を考慮すれば、終えざるをえない。物質的に「無限に成長」してゆくという幻想の軌道から、解き放たれなくてはならない。
だから、ぼくがかかげる時空間の図式、「グローバル化」と「人生100年時代」は、いわば生きかたの折り返し地点である。過去に戻るという意味での「折り返し地点」ではなく、ほんとうに歓びに充ちた<生きかた>へと転回する<折り返し地点>である。
一生にすくなくとも一度は<人間の網の目の外へ出る>文化。- 真木悠介が引用するゲーリー・スナイダー。
社会学者の見田宗介先生が、1970年代に真木悠介名で書いた著作に『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房)がある。カルロス・カスタネダの著作を素材にしながら、(現代を含む)近代をのりこえてゆく方向性に、<人間の生きかた>を発掘してゆくことを企図して書かれた本である。
社会学者の見田宗介先生が、1970年代に真木悠介名で書いた著作に『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房)がある。カルロス・カスタネダの著作を素材にしながら、(現代を含む)近代をのりこえてゆく方向性に、<人間の生きかた>を発掘してゆくことを企図して書かれた本である。
ミニマリストとなって、ぼくは基本的に書籍は「電子書籍」で読むようになった。けれども、見田宗介=真木悠介の主要な著作群はいまでも紙の書籍を手放さないでいる。ちなみに『気流の鳴る音 交響するコミューン』は電子書籍化されて、いつでも、どこにいても手にいれることができる。でも、ぼくの人生をたしかに導いてくれた本であり、また「導いてくれた」というように、ぼくにとっての「過去」になったわけではなく、いまも引き続き、さまざまな仕方でぼくを触発してくれる本であるから、どの国・地域にいこうとも、ぼくと共に在る本だ。
『気流の鳴る音』をひらいて、いつものようにページを繰りながら、そのときそのときに「引っかかる」箇所に、ぼくの眼は降りたってゆく。今回のブログでは、そのなかで改めて考えさせられた箇所を挙げたい。
真木悠介は、アメリカの詩人ゲーリー・スナイダー(Gary Snyder)のエッセイから、つぎの箇所を引用している。
「多くのアメリカ・インディアンの文化においては、その社会の一員は、かならずいちどは、その社会の外へ出なくてはならないことになっている。ーーー人間の網の目の外へ、『自分の頭』の外へ、一生にすくなくとも一度は。彼がこの幻をもとめる孤独な旅からかえってくるとき、秘密の名まえと守護してくれる動物の霊と、秘密の歌をもっている。それが彼の『力』なのだ。文化は他界をおとずれてきたこの男に名誉をあたえる。」
* Gary Snyder, Earth House Hold, 1957. 片桐ユズル訳『地球の家を保つには』社会思想社、1975年、190ページ。
なお、「引用」については、引用の引用はなるべくなら避けたい。原典にもどることが原則だけれど、ここでは引用の引用で挙げさせていただくことにする。それにしても、「引用」は実は奥の深い方法である。引用は読む側としては容易に見えて、書く側としてはけっこう難しい。引用の仕方・方法や効用だけでも、大きなトピックである。
なにはともあれ、ゲーリー・スナイダーが他の著作でピューリッツァー賞を受賞した年(1975年)に発刊された翻訳版『地球の家を保つには』から、上に挙げた箇所を引用している。もちろん、これまでも幾度となく読んできた箇所だけれど、今回読み返していて、いっそう、ぼくを揺さぶったところである。
社会の一員が、生きているうちにすくなくとも一度は<社会の外へ出る>という方法をそのうちに装填してきた文化を、ただただすごいと思う。それぞれに孤独な旅からかえっきたときに、その旅で手に入れた『力』を、その内的な力としてゆく文化。
そのことを考えながら、はたして、日本の文化はどうだろうかと思う。すくなくとも現代の日本ではそうはなっていないように感じられる。ここでは歴史社会的な観点を含めての考察は「課題」として残しておいて、いずれ「少し長めの文章」で書こうと思う。
でも、ぼく自身の経験からひとつ言えるのは、ひとつの文化にあっては、ぼくはそうあって欲しいと思う。一度はすくなくとも<社会の外へ出る>ことを触発しあい、それぞれの孤独な旅で得たそれぞれの「力」を、内的な力としてゆく文化。
養老孟司先生の「参勤交代」(半年ごとに都会と田舎を行き来するアイデア)もおもしろいし、ぼくも望むところだけれど、一度は「人間の網の目の外へ、『自分の頭』の外へ」出ることを装填する文化をつくりあげてゆくことは、またおもしろいものだと思う。
「歴史」の実体について。- 立ち戻ってくる「見方」。
近代理性の「凝固した「主体-客体」図式」の問題にふれながら、真木悠介(社会学者)は、「歴史」というものの実体について、つぎのように書いている。
近代理性の「凝固した「主体-客体」図式」の問題にふれながら、真木悠介(社会学者)は、「歴史」というものの実体について、つぎのように書いている。
歴史の主体=実体は、「個人」でも「社会」でもなく、「つながりあう諸個人」の「相互につくり合う」関係そのものである。…
真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房、1977年)
真木悠介の名著『現代社会の存立構造』における「個人と社会ー原子論と全体論の止揚」という節で出会う文章である。
歴史にかぎらず、いろいろと学んでいると、「個人」か「社会」か、という議論になることがある。冒頭でふれたように、「凝固した「主体-客体」図式」にはまってしまうと、その見方や考え方からなかなか離れることができなくなる。
そのような「原子論か全体論か」を端的にのりこえる見方が、ここで提示されているのである。
言われてみれば「あたりまえ」のようにもきこえる見方であるのだけれど、実際に日々の生活のなかでは、これまた、なかなかそのように考えることが容易でなかったりする。どうしても、「個人」から考えたり、あるいは「社会」から考えてしまったりするわけだ。
私だけが主体性をもつのではなく、他人もまた主体性をもつこと…。だからこそ歴史は、個人が作るのでもないし、またぎゃくに個人とは無関係に外在する実体としての「社会」の自動運動でもない。たくさんの「私」たちの相互作用の総体としてそれはおりなされていく。社会とは、その実相は、私、あなた、彼、そういった無数の人びとの実践的な相互関係の総体である。
真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房、1977年)
時代がつくられ、時代がかわってゆく。歴史がつくられ、歴史がかわってゆく。等々。
「時代」や「歴史」や「社会」がいろいろと語られるときに、ぼくは、この見方に立ちもどってくる。そうして、「凝固した「主体-客体」図式」にはまらないようにしながら、歴史に視線をなげかける。
自然と他者との「存在」だけを必要としている。- マテリアルな消費に依存している幸福の彼方へ。
じぶんと<モノとの関係性>を見直しているなかで、歓びに充ちた生を生きているためには、それほどモノを必要としてはいないのだということを感じる。
じぶんと<モノとの関係性>を見直しているなかで、歓びに充ちた生を生きているためには、それほどモノを必要としてはいないのだということを感じる。
もちろん、情報テクノロジーの発展によるところも大きい。本もCDもDVDも、つまり書物も音楽も映画・ドラマもデジタルになったことは大きい。でも、それでも、生きることのぜんたいを見渡しながら、歓びに充ちた生のためにはそれほど(この何十年かのあいだに、ぼくも含めた人びとが消費してきたほど)「モノ」は必要ないと、ぼくは思う。
見田宗介(社会学者)が現代の「情報化・消費化社会」をひらいてゆく論理と思想を根源的(ラディカル)に展開した名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)。その終わりのほうに、つぎのように書かれている。
われわれの情報と消費の社会は、ほんとうに生産の彼方にあるもの、マテリアルな消費に依存する幸福の彼方にあるものを、不羈の仕方で追求するなら、それはこれほどに多くの外部を(他者と自然とを)、収奪し解体することを必要としてはいないのだということを見出すはずである。
見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)
ここでの「外部」の収奪と解体、つまり他者と自然の収奪と解体ということは、貧困の問題、それから環境・資源問題などを視野におさめている。これら「情報化・消費化社会」の<闇>を克服してゆくことの方向性と根拠を、説得力のある仕方で、また肯定的な仕方で、見田宗介は論じている。
ただ<闇>をこえてゆくためには、「ほんとうに生産の彼方にあるもの、マテリアルな消費に依存する幸福の彼方にあるものを、不羈の仕方で追求するなら」という条件がつけられている。でも、その方向性には必ず道がひらかれる。
これらの論点だけでなく、これまで生きてきた経験、またマテリアルな<モノとの関係性>を問いなおしてきた経験から、ぼくたちは「それほどに多くの外部を、収奪し解体することを必要としてはいない」のだということを、ぼくは実感している。
うえの文章につづけて、見田宗介は書いている。
…ほんとうはこのような自然と他者との、存在だけを不可欠のものとして必要としていることを、他者が他者であり、自然が自然であるという仕方で存在することだけを必要としているのだということを、見出すはずである。
見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)
<自然と他者の存在>だけを必要としていること。「必要」ということでふつう考えてしまうように、なにかの「ため」の、自然や他者ではない。そうではなく、自然や他者が<存在>していることだけを、ほんとうは必要としていること。
ひとの歓びや欲望などを追求してゆくと、ぼくたちはそのような実感につつまれる場におしだされるように思う。あるいは、あるとき、突如の出来事が、これまでと違った仕方で「世界」を見せるなかで、そんなことを深い実感で感じるかもしれない。
「ほんとうはこのような自然と他者との、存在だけを不可欠のものとして必要としていることを、他者が他者であり、自然が自然であるという仕方で存在することだけを必要としているのだということ」。
それにしても、すきとおるようなことばである。
<自由><平等>対<合理性>という鮮烈な視点。- 見田宗介による「現代社会」の明晰な見方。
ぼくたちの生きかたを考えていくうえで、現在(現代社会)を含む「近代」という時代を理解しておくことが、ほんとうに大切なことだと、ぼくは思う。
ぼくたちの生きかたを考えていくうえで、現在(現代社会)を含む「近代」という時代を理解しておくことが、ほんとうに大切なことだと、ぼくは思う。
現在はなにごとにおいても「個人」ということに焦点があてられる時代であり、いろいろな言説や商品やサービスが「個人」へと向けられていて、生きかたにおいても<自分を生きる>ということに光があてられる。
それはひとまず「正しい」ところではあると思うのだけれど、ただ「自分」だけをまなざすのではなく、どのような「社会」なのか、どのような時代なのか、どのような歴史的経緯のなかに自分は生きているのかなどを理解しておくことが、「自分」という存在を深いところで知り、よりよい生きかたへひらいてゆくために大切なことである。
たとえば、「<自由><平等>対<合理性>」という視点をあげてみよう。
見田宗介(社会学者)は、あるところで、日本における「近代家父長制家族」の考察に続けて、次のように書いている。
ウェーバーの見るように「近代」の原理は「合理性」であり、近代とはこの「合理性」が、社会のあらゆる領域に貫徹する社会であった。他方、近代の「理念」は自由と平等である。現実の近代社会をその基底において支えた「近代家父長制家族」とは、この近代の現実の原則であった生産主義的な生の手段化=「合理化」によって、近代の「理念」であった自由と平等を封印する形態であった…。
「高度経済成長」の成就とこの生産主義的な「生の手段化」=「合理化」の圧力の解除とともにこの「封印」は解凍し、「平等」を求める女性たちの声、「自由」を求める青年たちの声の前に、<近代家父長制家族>とこれに連動するモラルとシステムの全体が音を立てての解体を開始している。見田宗介「現代社会はどこに向かうか」『定本 見田宗介著作集 I』岩波書店
この文章は少し手を加えられ、別の著書『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)にも収められている。
ここで書かれていることの主旨は、この本の第1章のある「節」のタイトルとして書かれているけれど、「<自由><平等>対<合理性>。合理化圧力の解除、あるいは減圧」ということである。
教科書的な理解では、「近代」という時代は「自由」と「平等」を理念としてきた時代であったということであるのだけれど、実際の「現実原則」は「合理性」であったということ。「近代家父長制家族」というシステムに支えられる「合理性」によって、実は「自由」と「平等」は封印されていた/封印されてきたということである。
この視点をとりいれてみるだけで、世界のあり様が<視える>ようになる。
「生産主義的な生の手段化=合理化」ということが社会のあらゆる領域、その社会に生きる人たちの内奥にまで貫徹してきたことは、いろいろに語ることができる。
ところが、経済成長による物質的な豊かさが獲得されるなかで、この「合理化」の圧力が解除、あるいは減圧してきたところに、高度産業社会を生きている人たちはおかれている。合理化の圧力の解除・減圧に伴い、「<自由><平等>対<合理性>」という図式における<自由>と<平等>が、「封印」を解除されてくるのだ。
こんなふうにして<自由>と<平等>の声たちが、社会のあらゆる領域にひろがっていきつつある。見田宗介が明晰に書いているとおり、「「平等」を求める女性たちの声、「自由」を求める青年たちの声の前に、<近代家父長制家族>とこれに連動するモラルとシステムの全体が音を立てての解体を開始」している情況を、ぼくたちは日々、目にしたり、耳にしたりしている。
また「個人」ということがこれほどに前景化してきたことも、合理化の圧力が解除・減圧してきたことと関連しているのだと思う。
「豊かな社会になって、今の若者たちは…」というように世代論的に言われることもあるけれど、今ぼくたちが直面しているのは、はるかに深いところで動いている社会の地殻変動である。「<自由><平等>対<合理性>」という図式は、そんな地殻変動を見るための、鮮烈な視点である。
「お互いに活かし合おうというところに人間の起原がある」(見田宗介)。- 共生の時代の「足場」のひとつとして。
大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)の「まえがき」で、大澤真幸(社会学者)は、大学に入学した年(1977年)に(その後の師となる)見田宗介先生との出会いを通じて「学んだこと」を書いている。
大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)の「まえがき」で、大澤真幸(社会学者)は、大学に入学した年(1977年)に(その後の師となる)見田宗介先生との出会いを通じて「学んだこと」を書いている。
「生きることと考えることはひとつになりうること、人生と学問を統一できるということ、人が生きる上で直面する諸々の深刻な問題に学知を通じて対することができるということ」という決定的な学びである。
その年(1977年)、真木悠介の筆名で発表された見田宗介の二冊、『気流の鳴る音』と『現代社会の存立構造』(いずれも筑摩書房)。大澤真幸の決定的な学びに影響を与えたこれら二冊に、ぼくはそれからおよそ20年後に出会う。
それは、圧倒的な出会いと学びであった。『現代社会の存立構造』でいわばぼくの<世界>の見方が変わり、『気流の鳴る音』でぼくの<生き方>を方向付けることができた。
「真木悠介」の筆名で書かれる著作は「世に容れられることを一切期待しない」(真木悠介)ものとして書かれる著作であるけれど、ぼくを圧倒的な仕方でとらえた著作群は、真木悠介による著作群であった。
『気流の鳴る音』と『現代社会の存立構造』のあと出された『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)は、ぼくを深いところで<解き放つ>ものであった。
けれども、そもそも「けれども」という言い方が適切かどうかはわからないけれど、ほんとうにぼくを<解き放つ>ものであったのは、『自我の起原』(岩波書店、1993年)であったのだと言うことができる。人としての<自由>というものをまるで手に取るようにしてつかんで見ることができたような、そんな圧倒的な経験であった。
「何度この本を読んだか」という次元ではなく、『自我の起原』はいくどもいくどもひらいてきた書物である。
本を整理整頓している折にふと手にとった『<わたし>と<みんな>の社会学』のページを繰りながら、『自我の起原』という書物の、底知れない深さと圧倒的な触発性を、ぼくは感じている。
『<わたし>と<みんな>の社会学』における大澤真幸と真木悠介との対談は、『自我の起原』のコアにふれてゆく。そんなひとつの話として、地球にはもともと酸素がなかったところにまで視界をひろげてゆくところがある。
当時は酸素は有毒であったところ、有毒である酸素を生かして生きる生物があらわれる。他の生物たちは、酸素を生かすこの生物と<共生する>ことで、有毒物質である酸素にとりこまれている環境を生き延びてきたわけである。ミトコンドリアとして自己の内部にとりこんで<共生のシステム>をつくることによって。そして、「今」を生きる動物も植物も、この<共生のシステム>が展開してきたものであることに、見田宗介はことばの照明をあてる。
見田 …つまり生物進化のいちばん大きな根幹は異なった種の共生によって成し遂げられた。…つまり生物進化のいちばん太い幹は、共生から出てきたことをいま一度確認する必要があります。お互いに殺し合うのではなく、お互いに活かし合おうというところに人間の起原がある。
大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)
とても力強いことばである。希望のことばである。しかも、ただのことばではなく、生物学のオーソドックスな理論のなかに足場をおくことばである。
ぼくたちのひとりひとりの身体は、その起原において、<共生>をその根幹にしている。これからの<共生の時代>に向けて、確かな足場のひとつをおくことのできる場所である。
なんどでも繰り返そう。「お互いに活かし合おうというところに人間の起原がある」のだ、と。
「知」がひらく地平。- 大澤真幸が見田宗介から「学んだこと」。
本を整理整頓するとき、ある本を手にとって、つい読んでしまうことがある。本来は「整理整頓」なのだから、効率的に動こうと思うのであれば、途中で立ち止まって読んでしまうことは避けたい。
本を整理整頓するとき、ある本を手にとって、つい読んでしまうことがある。本来は「整理整頓」なのだから、効率的に動こうと思うのであれば、途中で立ち止まって読んでしまうことは避けたい。でも、ついぱらぱらとページを繰り、ふと目がとまる。以前に読んだことを覚えている文章もあれば、ほとんど記憶にない文章もある。いずれにしろ、ふととまるところというのは、今のじぶんにとって「何か」を語っているところであるかもしれない。
そんな本の一冊に、大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)がある。社会学者である大澤真幸によるシリーズ本(『THINKING「O」』)の一冊で、大澤真幸の師、社会学者の見田宗介がゲストである。
ぱらぱらとページを繰りながら、ふと立ち止まった箇所のひとつが「まえがき」であった。「まえがき」で、大学に入学した18歳の大澤真幸が見田宗介先生との出会いを通じて「学んだこと」が書かれている。
ぼくは見田宗介先生に私淑しているから、ぼくはぼくが見田宗介先生との出会いを通じて「学んだこと」という視点を重ね合わせながら読む。
ちなみに、大澤真幸が大学に入学した1977年、見田宗介は、真木悠介の筆名で二冊の書物、今では名著となっている二冊(『気流の鳴る音』『現代社会の存立構造』)を世に放っている。それらを読みながら、また見田宗介の「比較社会学」の演習に出席しながら、大澤真幸は「驚き」とともに決定的な「学び」を得る。
18歳の私が驚きとともに学んだことは、生きることと考えることはひとつになりうること、人生と学問を統一できるということ、人が生きる上で直面する諸々の深刻な問題に学知を通じて対することができるということである。
大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)
大澤真幸が注記しているように、それは、恋愛や就職などの個別の悩みに人生相談的な回答を与えるものではない。そうではなく、はるかに、ファンダメンタルな次元におけるものだ。学問はときに、「<世界>の見え方を変え、人生を生き直すことを可能にする」のだと、大澤は書いている。
<世界>の見え方を圧倒的な仕方で変えることができること。これは、見田宗介(真木悠介)先生の著作との出会いを通じて、そしてとことんそれらで語られていることに降り立っていくことで、ぼくが経験し、実感したことでもある。
これらを学び得たということは、ひとつの幸福である。
そして、そのような「学び」に対してじぶんを閉じてしまうのではなく、ひらかれてあるのであれば、誰もがそのような経験をつかむことができるのである。
「ただ生きる」ということ。- 生きるために生きること。
「ただ生きる」、ということ、そのむつかしさについて、真木悠介(社会学者)が書いている。
「ただ生きる」、ということ、そのむつかしさについて、真木悠介(社会学者)が書いている。
なんのために生きているんだろう、という問いは、じぶんが生きるという「物語」のどこかで、ひとそれぞれに違った仕方でおとずれる。そんな問いをふつふつと内面で燃やしていたころに、ぼくはこの文章に出会った。
詩人の山尾三省(1938-2001)の本、『自己への旅』(聖文社、1988年)の「序」として書かれた文章(「伝言」)で、その後、真木悠介のとても美しい著作『旅のノートから』(岩波書店、1994年)に収録された。
真木悠介がはじめて屋久島にわたり、山尾三省の仕事場に泊まったときのことが書かれている。
ある晩に、『自己への旅』の本にも登場する神宮君がやってきて、「オキナワに絶対に行く、そこで漁師をするんだ」とくりかえし語っていたことにふれながら、翌朝、山尾三省と向き合っているとき、「神宮君はどうしてオキナワに行くのかな」と半分ひとりごとのように真木悠介が言ったところで、こんな応答があったのだという。真木悠介はつぎのように書いている。
「神宮君は、ふつうに生きる、ことをしたいのね。ただ生きる、ということを、したいのよね」
水屋の方から、順子さんの声がした。
わたしはどこかで、よくわかった、という気がした。ただ生きる、ということをしたい。
するともういちど、わからなくなった。ただ生きる、とは、どう生きることか? ふつうに生きる、とは、じっさいに、どういうことか? 三省も順子さんも、神宮君も、ただ生きること、ふつうに生きる、ということを求めて、屋久島に来たのだと思う。
ふつうに生きる、ことのむつかしさ。今の世の中で、ただ生きる、ということの、むつかしさ。
…真木悠介『旅のノートから』(岩波書店、1994年)
「ただ生きる」ということをする。確かに「わかる」ようで、わからない。
「ただ生きる」ということは、なんとなく生きていくというのではなく、<生きる>ということの経験のひとつひとつを味わい、経験しつくしてゆく生きかたである。呼吸をすること、食べること、家族や友人と話をすること、身体を動かすこと、このようななんでもないことを味わいながら生きること。
映画やドラマで「人間ではない存在」(たとえばエンジェル)が<人間になる>というストーリーが描かれることがある。それは、<人として生きる>ということはどういう経験であるかを逆照射させる視点だ。人間ではない存在が人として「ただ生きる」ことのひとつひとつのなかに、人でなければ経験できないものごとを鮮烈に体験してゆく。ひとつひとつの出来事がまるで奇跡のように体験される。
ところで、「なんのために生きているのか」という問いは、生きることの「意味」への渇望である。生きていることに「意味」を与えてくれる「目的」への指向性である。ぼくたちは、目標や目的、意義や意味によって、日々の生を賦活することができる。
けれども、より思考を深めてゆくと、人は「生きるために生きている」のだということへといきつく。ぼくはそう思う。
「なんのために生きているのか」という切実な問いは、<生きる>という経験が(そのひとつが、それらのいくつかが、あるいはほとんどが)、なんらかの事情で、損なわれていることからくるものでもある。
真木悠介がふれている、今の世の中で「ただ生きる」ということのむつかしさは、こんなところとも関連していると思う。それにしても、今の世の中、「ただ生きる」ということは、確かにむつかしい。
ただ生きること。生きるために生きること。そんな地点から、じぶんの「生きる」を眺め返してみると、異なった風景が見えてくる。
倫理主義ではなく、<楽しみながら生活水準を下げる>という方法。- 見田宗介の文章「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」に触発されて。
ここ数日のブログでは、宇宙と地球の<はざま>で想像力をはたらかせながら、「地球環境」のことにもふれてきた。そのことに関連して、「環境保護」のようなことを考える。「環境保護」の仕方について考えるとき、見田宗介先生(社会学者)による「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」という素敵な文章のことを、ぼくはときおり憶い出す。
ここ数日のブログでは、宇宙と地球の<はざま>で想像力をはたらかせながら、「地球環境」のことにもふれてきた。そのことに関連して、「環境保護」のようなことを考える。「環境保護」の仕方について考えるとき、見田宗介先生(社会学者)による「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」という素敵な文章のことを、ぼくはときおり憶い出す。
1980年代半ばの論壇時評として書かれ、その後『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)という本のなかに収められ、さらに1995年に出版された『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫)にも収録された文章である。どちらの本も今では絶版になっており、またこの文章は論壇時評という性格もあってか見田宗介著作集にも収められていない。
新聞紙上に掲載された文章で短い文章であるけれど、ひとりひとりの生き方と未来を見据えた、美しい文章である。
以前(2017年の夏)、月明かりがまぶしい夜に、やはりぼくはこの美しい文章のことを憶い起こし、ブログに取り上げたことがあるので、(一部変更して)それを再掲しておきたい。
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「月明かり」に照らされながら、そしてそのことを文章で描きながら、見田宗介の「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」という素敵な文章のことを思い出していた。この文章は、社会学者の見田宗介が1985年に新聞で連載していた論壇時評のなかの一回として書かれ、その後書籍に所収されている。
この文章の中で、雑誌編集をしていたAという人が、アメリカ・インディアンと一緒に幾年かを生きてきたKと結婚して、日本の田舎に移りすむ「記録」が取り上げられている。その「記録」は「わが家に電気がついた日」と題されている。
…東京で生活してきたAにとっては、田舎で暮らしたいと思っていた時も、電気はあって当然に近いものだった。けれどもKは、せっかく電気が来ていない家に住めるのにという。Aも原発には反対だしと、当面は電気なしでいくことにした。案外不便は感じないし、何よりも<夜が夜らしく存在する>。
唯一めげたのは洗濯で、…結局電気は引くことにする。冷蔵庫やテレビはいらないが、洗濯機だけはおくだろう。けれどこれからも満月の夜だけは電気を消して、<闇について、この明るすぎる文明について語り合います>と書いている。
かれらは何もよびかけたりしてはいないし、自分たちの限界点を記録しているだけだけれども、この記事をよんだかれらの友人たちは、満月の夜をそれぞれの場所で、みえない全国の友人たちと呼応して<闇>を共有するという、しずかな祭りの夜としてゆくかもしれない。見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
「311」を契機とした原発にかんする議論はまだ思考にこだましているけれど、それよりも30年ほど前にも原発問題ということが、生きられる問題として語られ、その「出口」をさぐる人たちが無数にいたことは、これからの「出口」をさぐるうえでもヒントを与えてくれる。
この文章を読みながら、これが「現代」として読んでもまったく違和感がないほどに、問題と課題はひきつづき、人と社会の根底によこたわっている。
上の「記録」は、しかし、見田宗介がわざわざ指摘しているように、「何もよびかけたりしてはいない」。声高なよびかけのかわりにあるのは、みずからの「生活の仕方を変える」ことと、その生活の記録の共有である。
見田宗介はさらにこう記している。
…このこと(*生活の仕方を変えること)を倫理主義的にではなく、<生活水準を楽しみながら下げてゆく>という仕方でやっている。それは失われたよろこびたちを(快楽から至福にいたるその一切のスペクトルにおいて)取り戻してゆくというかたちをとるだろう。ひとりの生が解き放たれてゆく方向と、地球生命圏がその破滅に至る軌道から解き放たれてゆく方向とが、コンパスと地軸のように合致している。
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
ぼくはここに語られていることに深く共鳴する。
地球環境のための「消灯キャンペーン」はその試みをぼくは否定しないし、もともとの「情熱」とそこから出てくる行動力には頭がさがる思いだ。しかし、地球環境のために、という罪悪感と倫理主義におされながら「消灯」を実行するとすれば、ぼくはそこに居心地の悪さを感じてしまう。そうではなく、楽しみながら消灯をすること。
そして、それは、罪悪感でも倫理主義でもなく、人の生のよろこびと共振してゆくということ。
このようなことを書くとすぐに寄せられるであろう「批判」を想定して、見田宗介は最後にこう付け足している(「想定される批判」にあらかじめ答えておくことを、見田宗介は書くことの方法のひとつとしている)。
電力の総需要といった計算からすれば、さしあたり一兆分の一ほどの効果しかもたないだろう。けれども一兆分の一だけの自己解放をいたるところで開始すること、それらがたがいに呼応し、連合していつか地表をおおうこと、このことを基礎とすることなしにどのような浮足立った「変革」も、もうひとつの抑圧的な制度を出現させるだけだということを、二十世紀のすべての歴史の経験が書き残している。
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
見田宗介の「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」という文章に出会ってから、20年ほどが経過した。「ひとりの生が解き放たれてゆく方向と、地球生命圏がその破滅に至る軌道から解き放たれてゆく方向」というコンパスと地軸を、ときおり確かめながら、ぼくは生きてきた。
それでも、現代あるいは都会の生活圏は、「消費社会」への居直りへという磁場(マグネティック・フィールド)を形成していて、コンパスと地軸がゆらぐ。その磁場の中で、ここ4~5年ほどは、家では夏に「クーラー」を使わず、扇風機たちと共に暮らしている。
楽しみながらというと変だけど、ぼくの身体がよろこびながら、クーラーを使わない方向へ生活水準を落としている(それでも電気は消費しているし、生活のなかにクーラーがなくなるわけではないけれど)。そう、<夏が夏らしく存在する>。
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倫理主義的ではなく、<生活水準を楽しみながら下げてゆく>という仕方を、ぼくは強調しておきたい。
倫理主義は「我慢」をいたるところにつくり、反抗する者たちを創出してゆく。そうではなくて、プロセスそのものに<歓び>が充ちていること。このような仕方が、時間はかかるかもしれないけれど、楽しく受け入れられ、確かな方法として根をはってゆくだろう。
こんなふうな見方をすると、たとえば「環境保護」という言い方自体が、おかしく聞こえてくる。環境を保護「しなければならない」という言い方は、倫理主義的である。そのような言い方が必要な文脈があることを理解しつつ、ひとりひとりの生き方としては、<楽しみながら>生活の仕方を変えてゆくほうへと舵を向けること。ぼくはそんな方向性がいいなぁと、思っている。
地球の環境・資源問題の解決の方向性。- 宇宙と地球の<はざま>で。
最近の「宇宙」にまつわることがらの盛り上がりを見ながら、「宇宙開拓」という方向性が、たとえば地球の環境容量の限界性(環境・資源問題)を解決するための、ひとつの方向性であることは確かである。資源採掘も、移住先としての地球外惑星も、さらには観光資源(宇宙旅行!)としても、その方向に沿った仕方で追求されている。
最近の「宇宙」にまつわることがらの盛り上がりを見ながら、「宇宙開拓」という方向性が、たとえば地球の環境容量の限界性(環境・資源問題)を解決するための、ひとつの方向性であることは確かである。資源採掘も、移住先としての地球外惑星も、さらには観光資源(宇宙旅行!)としても、その方向に沿った仕方で追求されている。
ブルーオリジン社の月着陸船「Blue Moon」が発表されたところだが、すでにその方向にビジネスを構築してゆくことを想定したうえでの発表である。
ところで、この方向に地球の環境・資源問題を解決してゆくことは「正しい」ように見える。
グローバル化のプロセスは、ある側面において、環境・資源問題を地球内の「他の地域」に外部化することで解決してきたプロセスであるけれど、グローバル化の完成は、そこにどこまで行っても「地球」という球体であることをいっそう目に見える仕方で見せることになった。
その地点から見ると「外部」は「宇宙」となる。環境・資源問題を解決してゆく方向性として、こうして「宇宙」は必然的に現れることになる。
なお、「テクノロジーによる環境容量の変更(拡大)」の方向性としては、多くの識者たちが語っているように、この外部の方向性に加え、人間の内側(遺伝子など)に向かっていく方向性もあるのだけれど、ここではそこには立ち入らない。
環境・資源問題を解決してゆく方向性として「宇宙」へと目が向けられる。だから、その方向性は「正しい」ように見える。
でも、そこで「正しい」としてしまうと、思考が止まってしまう。そのことを、ぼくは、見田宗介先生(社会学者)のことばに学んだ。
…もしそのようなものであるならば、たとえ宇宙の果てまでも探索と征服の版図を拡大しつづけたとしても、たとえ生命と物質の最小の単位までをも解体し再編し加工する手を探り続けたとしても、人間は、満足するということがないだろう。奇跡のように恵まれた小さい、そして大きい惑星の環境容量の中で幸福に生きる仕方を見出さないなら、人間は永久に不幸であるほかはないだろう。それは人間自身の欲望の構造について、明晰に知ることがないからである。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)
ここで「もしそのようなものであるならば」として指摘されているのは、「経済成長を無限につづける」という強迫観念、あるいは「物質的な欲望は限りなく増長する」という固定観念のことである。「環境容量をむりやりにでも拡大しつづけるという強迫観念」は、これらの強迫観念や固定観念から来ていると、見田宗介先生は書いている。
この指摘は、宇宙開拓の方向性の「正しさ」に対して、もう一段深い合理性の視点を加えている。
つまり、現代人の「考え方の前提」を明るみに出してしまうのである。どこか疑問や無理を感じながら、しかしどこか離れられないような、そんな観念たちである。
宇宙に向かうのが「悪い」ということではない。ただし、「環境容量をむりやりにでも拡大しつづけるという強迫観念」に支えられた、あるいは「経済成長を無限につづけるという強迫観念」に支えられた行動は、どこまでつづけたとしても、人間は幸福を見出すことはないのだということである。
宇宙に向かうにしろ向かわないにしろ、「奇跡のように恵まれた小さい、そして大きい惑星の環境容量の中で幸福に生きる仕方」が求められている。ぼくも、今ではそう思う。そして、それは「人間自身の欲望の構造について明晰に知ること」で可能なのだということを、人は知る。
ブルーオリジン社の月着陸船「Blue Moon」。- 「Blue Moon」のイメージ動画を観て。
「宇宙」が注目され、そこにたくさんの夢がつめられている。今月前半だけ見ても、日本のインターステラテクノロジズ社のロケットが打ち上げに成功し、それから、米アマゾンのジェフ・ベゾス率いるブルーオリジン社の月着陸船「ブルームーン(Blue Moon)」が発表された。
「宇宙」が注目され、そこにたくさんの夢がつめられている。今月前半だけ見ても、日本のインターステラテクノロジズ社のロケットが打ち上げに成功し、それから、米アマゾンのジェフ・ベゾス率いるブルーオリジン社の月着陸船「ブルームーン(Blue Moon)」が発表された。
ぼくも小さい頃から「宇宙」が好きであるから、このような出来事にワクワクしてしまう。そんな気持ちや感情がどうして、どのように湧いてくるのかはよくわからないのだけれど。
「It’s time to go back to the Moon, this time to stay」(月に戻るときがきた。今回は滞在するんだ)と、ベゾスは発表イベントで語った。
月着陸船「ブルームーン」は、月の表面に相当量の装置や器具を届けることができる。月面への着陸はソフトで、人がいても可能だという。もちろん、「宇宙ビジネス」が視野に入れられていて、ブルーオリジン社のサイトの「Blue Moon」ページの下には、連絡先(Email address)が記載されている。
ブルーオリジン社は「Introducing Blue Moon」と題されたイメージ動画(1分46秒)を公開し、そのイメージ動画はぼくたちをワクワクさせてくれる。とてつもなく「新しいこと」をするときには、ビジョンを映像の形で創りだし、共有する仕方は、効果的でもあるだろう。実際にプロジェクトに関わっている人たちはもちろんのこと、そこに期待をよせる人たちまでを含めて、そこに「共同幻想」ができあがるのだ。
月着陸船「ブルームーン」の月着陸イメージの動画を観てワクワクしながら、それと同時に、ぼくのまなざしは、月の表面からはるか先に見える「地球」に向けられたのであった。岩や石やクレーターに囲まれた月の表面を鏡としながら映し出される、美しい青い惑星。水があり、木があり、生き物たちが暮らす地上。
宇宙に解き放たれながら、この小さな惑星、地球の内部に折り返すという「宇宙から折り返す視線」を、見田宗介(社会学者)は人類の課題として提示している。
ダンテの時代に人びとの目はひたすら<天上>へと向けられていた。それは人類が、じっさいに天に昇ったことがなかったからである。今人類はじっさいに天に昇って、そこに天国はないことを見た。このとき人間を虚無から救うのは、宇宙飛行士が視線を折り返したときに見た<青い惑星>の美しさということだけである。
地上こそ美しいのだと。
「先にはもう宇宙しかない」断崖にまで来てしまった人類は、<折り返し>の場所に立っている。見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)
人類はじっさいに天に行って、そこに「天国」がないことを見たけれども、そこに「宇宙ビジネス」の可能性を見出している。「資源」という名の天国である。環境・資源問題に直面する地球を見据えながら、それを乗り越えてゆくためのさまざまな「資源」の可能性をいわば<救世主>として見ている。
現在の地球の抱える問題の解決には、この「方向性」は確かにひとつの方向性である。
けれども、見田宗介のもうひとつのことばに、耳を傾けておきたい。
環境容量をむりやりにでも拡大しつづけるという強迫観念は、経済成長を無限につづけなければならないというシステムの強迫観念から来るものである。あるいは、人間の物質的な欲望は限りなく増長するものであるという固定観念によるものである。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)
「宇宙」は夢をひろげるフィールドである。それは、人びとをワクワクさせてくれる。けれども、そこにわきあがる「欲望」については、立ち止まって、一歩二歩さがってから、じっくりと見なおすこと。そこから見えるもの、感覚されるものに降り立って、さらにじっくりと考えてみること。
「月面」への着陸船はとても魅力的だけれども、ぼくたちの「内面」への着陸船、またこの地球への今一度の<着陸船>も、今現在必要とされているものだと、ぼくは思う。
「ポスト真実」という事象を生みだす「社会的地殻変動」。- 「虚構の時代」(見田宗介)の「フィクション」。
「ポスト真実の政治」(post-truth politics)などと言われることがある。「政策の詳細や客観的な事実より個人的心情や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化」というように、Wikepedia(日本語)には書かれている。
「ポスト真実の政治」(post-truth politics)などと言われることがある。「政策の詳細や客観的な事実より個人的心情や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化」というように、Wikepedia(日本語)には書かれている。
これは、Oxford English Dictionaryにおける「post-truth」の定義が採用されるかたちでの説明である。ちなみに、Oxford English Dictionaryの「post-truth」の定義は、「relating to or denoting circumstances in which objective facts are less influential in shaping public opinion than appeals to emotion and personal belief」とある(※Apple社のmacOSに搭載の辞書より)。
つまり、すでに辞書に掲載されるほどに、「ポスト真実」の事象が見られ、語られ、論が展開されてきている。
たとえば、ハーバード大学で教えるために10ヶ月ほどアメリカに滞在した吉見俊哉(メディア論)が、アメリカに住みながら「アメリカと世界」を捉え返そうとした著書『トランプのアメリカに住む』(岩波新書、2018年)の第一章は、「ポスト真実の地政学」と題して、この「ポスト真実」に焦点をあてている。
それにしても、「ポスト真実」ということばで語られる事象を「政治文化」に限定せず、より巨視的な視点で、ぼくたちが生きる社会のありようから見渡すと、どのように見えるだろうか。いったい、「ポスト真実」のように語られる「世界」とは、どのような世界なのだろうか。
「ポスト真実」がことばになるよりもずっとまえから、見田宗介(社会学者)が語ってきた視点が、この社会の地殻変動を的確につかんでいるように、ぼくは思う。
見田宗介は1945年以降における日本の現代社会史を「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)と「高度成長」を組み合わせながら、つぎのような「三つの時代」に切り分けている(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。
「理想」の時代:人びとが<理想>に生きようとした時代(1945年~1960年頃:プレ高度成長期)
「夢」の時代:人びとが<夢>に生きようとした時代(1960年~1970年前半:高度成長期)
「虚構」の時代:人びとが<虚構>に生きようとした時代(1970年後半:ポスト高度成長期)
現在は、引き続き「虚構の時代」が続いている。このことは「日本」に限られたものではなく、国々の高度産業化のタイミングによって時期の違いはあれ、虚構の時代に入り、虚構が深まってゆく時代にいるのだということである(と、ぼくは解釈している。「グローバル化」も合わせて考慮しながら。)。
さらに、巨視的な「人類の人口増加率」の観点も導入しながら、人類は「第II期:高度成長」から、次なる「第Ⅲ期:安定平衡」の時期に入らなければいけない時代にきていることにふれながら、2010年に行われた講演の質疑応答に応える仕方で、見田宗介は次のように語った。
…人類の全体の人口の増加率を見ると、もうすでに第Ⅲの時期に入らなければいけない時代にきているけれど、第Ⅱ期の高度成長をいつまでも続けよう、また高度成長を復活させようなんていう政治家とかまだいますからね。そうすると人気が出たりする。そういうメンタリティーとか社会システムが非常に力強くまだ働き続けているものだから、環境限界に達した後、実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ないのです。欲望を作り出すとか、フィクションの世界で無限に商品を売るとかね。
そうすると、本当に第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむという時代が来るまでは虚構の時代であらざるを得ないと思うんです。…第Ⅱ期が終わった後の第Ⅲ期がはじまるまでのいわば中間であって、無理やりに第Ⅱ期的な高度成長を続けようと思えば、虚構の時代にならざるを得ない。…見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
「実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ない」のだと、見田宗介は社会の状況をとらえている。社会が「安定平衡」に向かう過渡期である現在において、無理やりに「高度成長」を続けようとしてゆくと、そこでは「虚構の時代」にならざるを得ない。
見田宗介のこの視点はきわめて明晰である。
このようにして巨視的に眺めてみると、虚構の時代における構えのひとつが「ポスト真実」であることが見えてくる。「高度成長」を目標として掲げるのであれば、「フィクション」が登場せざるを得ないのだから。「フィクション」は感情にアピールするものである。
人類は、「第II期:高度成長」から「第Ⅲ期:安定平衡」へと至る、大きな社会的地殻変動を経験している。その過渡期を、どのように経験してゆくのか、生きていくのか。社会的地殻変動という過渡期に対応するかたちで、ぼくたち自身がどのように「生きかたのトランジション(移行)」を生きるのか。「ポスト真実」の時代の生きかたは、そこの根底にまで降り立ってゆくことで、いっそう深い問いを、ぼくたちひとりひとりに投げ返してくるのである。
<欲求を解放する>ということ。- 節制や抑制ではなく、「解放する欲求」を生きること。
現在あるかたちの「消費化社会」が、地球の環境問題をふくめて、大きな「負の影響」をおよぼしている。
現在あるかたちの「消費化社会」が、地球の環境問題をふくめて、大きな「負の影響」をおよぼしている。
という状況において、この「消費化社会」をどうしていったらよいか、という解決の方向性として、その物質主義的なありかたを抑制してゆくことを考えてみることができる。今の「消費」のありかたが異常で過剰だから、節制と抑制でもって「消費」をおさえてゆこう、という解決の仕方である。「消費」への欲求はとめどないから、抑えこまなければいけない、というわけだ。
これは解決の方向性のひとつであるし、実際に「有効」でもあったりする。「もっとも」な意見であるように聞こえる。
見田宗介(社会学者)が、名著『現代社会の理論ー情報・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)で提示した方向性は、しかし「消費への欲求」そのものを、「消費」というコンセプトをつきつめることで、解き放ってゆくというものであった。「禁欲」という道ではなく、不羈の仕方で「歓びを追求する」道である。
この方向性と方法にぼくは惹かれる。
節制や抑制や禁欲という道よりも、欲求そのものを解放するという道は魅力的である。
<欲求を解放する>という方法については、上述の本が書かれるよりも20年ほど前に、真木悠介のペンネームで発刊された名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)に、「混沌と投げ込まれているモチーフたち」(真木悠介)のひとつとして書かれているのを見つけることができる。
「欲求の解放」とはなによりも、欲求そのものの解放である。欲求を解放するとは、解放する欲求を生きること、対象を解放し、他者を解放し、自己自身をたえず解放してゆこうとする欲求を生きることである。
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年→ちくま学芸文庫、2003年)
なお、<欲求を解放する>ということに対して、「野放図なエゴの相克」をまねくという反論がなされるだろうことを、真木悠介はあらかじめ視野にいれている。そのような反論をする人たちは、「人間が人間にたいして狼であるというホッブス的な幻想を、アプリオリに前提している」というように。(それにしても、ホッブスの著書『リヴァイアサン』に描かれるような、ホッブス的な世界観(「万人の万人に対する闘争」)は相当に根強く、人びとの内面にひそんでいるのだということを、ぼくは感じる。)
「節制や抑制や禁欲」が必要なことも生きているなかではあるけれど、それらには限界があるし、なによりも抑圧された欲求はどこかで別の抑圧に転化したり、爆発を起こすことにもなる。「サステイナブル(持続可能的)」ではない、とぼくは思う。
ぼくは、<欲求の解放>の道をえらぶ。
これは、個人としての生きかたでもある。「解放する欲求を生きること、対象を解放し、他者を解放し、自己自身をたえず解放してゆこうとする欲求を生きること」である。不羈の仕方で、<欲求の解放>を生きることである。
<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。- 見田宗介先生による、インドの哲学書『秘密の書』の解釈。
4月に入って、ここ香港ではぐっと暑さが増してきていて、今日は日中の気温が30度ほどであった。また、香港の、「あの」じっとりくる湿気も、じわじわとやってきているようだ。
4月に入って、ここ香港ではぐっと暑さが増してきていて、今日は日中の気温が30度ほどであった。また、香港の、「あの」じっとりくる湿気も、じわじわとやってきているようだ。
日本の「4月」とは異なるけれども、季節の変わり目というところでは「始まり」のときでもある(ほんとうは、いつだって「始める」ことはできる)。
そんな「始まり」において、見田宗介先生(社会学者)の次の文章を、ここに紹介しておきたい。
『秘密の書』というインドの哲学書によれば、愛の格律は究極のところ二つしかない。
一.初めの炎を保ちなさい。
一.残り火は捨てよ。これは直接には性の技術の書であるともいわれているが、また愛の真実であり、生きることの真実でもあるとぼくは考えている。たとえばひとつの哲学を愛する時に、それともひとつの仕事を愛する時にさえ、<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。それだけが哲学や仕事を鮮烈に愛する仕方だ。
見田宗介「解説 夢よりも深い覚醒へ」、竹田青嗣『陽水の快楽』(ちくま学芸文庫、1999年)
ここで「哲学」が出てくるのは唐突かもしれないが、この文章は、哲学者である竹田青嗣の「井上陽水論」に付された解説であるからである(「夢よりも深い覚醒へ」と題された、この解説文はほんとうに美しい解説である。ぼくはこれほど美しい解説文をこれまでほかに読んだことがない)。
この文章は、ぼくが、とても好きな文章である。
初めてこの文章に出会ったときから、ぼくはこの「真実」に共感し、ぼくの生を支えてくれる「真実」として心のうちに収めておき、事あるごとに取り出しては、ぼくの生に照らし合わせてきた。
じぶんがやっていることにどこかもやもやとしたものを感じるときなどに、このページをひらいては、究極の二つである「愛の格律」に戻って、じぶんの生きかたに光をあててみるのだ。
<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。
これ以上、ここで追加で語るところはひとまずないのだけれど、「ちなみに」を加えておきたい。
ちなみに、見田宗介先生は、うえで紹介した文章のなかで、『秘密の書』の「真実」がつらぬくことがらとして、「性」のこと、「愛」のこと、それから「生きる」ことを挙げられているが、これは決して恣意的な並列ではない(と、ぼくは考えている)。
見田宗介先生のペンネーム(真木悠介)で書かれた名著『自我の起原』(岩波書店、1993年)では、性のこと、愛のこと、生きることが、書名のとおり「自我の起原」にまで射程をひろげながら、一貫性をもった視点で追求されている。
興味のある方は、ぜひ『自我の起原』の本をひらいてほしい。
『自我の起原』は、まさに、<初めの炎>を保つこと、そして<残り火>は捨てることにつらぬかれた書物である。
「大量生産→大量消費」のこと。- 片づけをしながら考える「歴史的な大量消費社会」。
家の片づけをしながら、現代という時代の「大量消費」のことを思う。
家の片づけをしながら、現代という時代の「大量消費」のことを思う。
「モノ」への執着はあまりないと思ってきたにもかかわらず、それでも、いろいろな「モノ」が、いろいろな形で、いろいろなところにあるのを見つける。生きることの「豊かさ」をつくってくれる「モノ」が、かならずしもそのように機能せず、また、ぼくも大切にあつかうことができていない。
少し論理が飛躍するけれど、このことは「モノ」だけの話ではなく、「大切にあつかうことができていない」ことが、じぶんの生のどこかに、なんらかの仕方でつながっていたりする。
ともあれ、できるだけ、じぶんなりに「大切にしよう」などと思うのだけれど、現代社会の「構造」のなかに生きていると、「構造」にとりこまれてしまうようなところがある。
「大量消費」のことを思うと、いつも、見田宗介先生(社会学者)の名著『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来ー』で展開された、明晰な論理が憶い起こされる。
「大量生産/大量消費」のシステムとしてふつう語られているものは、一つの無限幻想の形式である。事実は「大量採取/大量生産/大量消費/大量廃棄」という限界づけられたシステムである。
つまり生産の最初の始点と、消費の最後の末端で、この惑星とその気圏との、「自然」の資源と環境の与件に依存し、その許容する範囲に限定されてしか存立しえない。見田宗介『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来ー』(岩波新書、1996年)
先進産業地域の都市などに暮らしていると、「大量生産→大量消費」のなかで(忙しく)生きてゆく。街に出ていけば、あるいはインターネットに接続すれば(大量生産でつくられた)「モノ」がいつでも、どこでも手に入り、そして、それらを(大量消費的に)購入し、利用し、楽しむ。使いおわれば、ゴミとして廃棄する。
見田宗介先生が明晰に論じているように、これは「一つの無限幻想の形式」であり、実際には「大量採取→(大量生産→大量消費)→大量廃棄」という限界づけられたシステムである。
日々の生活のなかでこの「限界づけられたシステム」(の両端)を感じることはあまりなく、「モノを購入して消費し、そして廃棄する」ことを、ただふつうの日常として生きる。でもときに、テレビやインターネットの写真や映像で、「大量採取」と「大量廃棄」を知識として知る。遠くの出来事のように感じたり、心を傷めたりしながら。
前出の著書で、見田宗介先生がさらに論じているように、歴史的な大量消費社会は、この限界づけられたシステムの両端、つまり「大量採取」と「大量廃棄」を、「外部」の諸社会や諸地域に転嫁することで存立してきたのである。
いろいろな物事は、このような「間接化」され、視えなくされることで存立している。
もちろん、これらのことを「知って」いるだけでは、この限界づけられたシステムから解き放たれることはできないし、また、個々それぞれにゴミを少なくしたり(なくしたり)、リサイクルをすすめたりするだけでは、(それらはとても大切なことであるけれども)なかなか「解放の道」が見えないものでもある。
でも、人びとが、このような社会を理解し、そこから解き放たれてゆくことの「物語」を共有することなしに、道はひらけていかない。だから、知ることと、個々にできることをすることは出発点でもある。
見田宗介先生は、21世紀の人間にとって切実な課題を、ポジティブに定式化して、つぎのように書いている。
…<自由な社会>という理念を手放すことなしに、現在あるような形の「成長」依存的な経済構造=社会構造=精神構造からの解放の道を見出すということが、二十一世紀の人間にとって切実に現実的な課題として立ち現れる。
見田宗介『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来ー』(岩波新書、1996年)※2018年増補版
ハイライトをつけておきたいのは、「経済構造=社会構造=精神構造」からの解放の道であるということ。経済/社会/精神が相互に連関する構造として、描かれていることである。
経済/社会/精神のそれぞれが「同時に」すすんでゆくこともあれば、それぞれのあいだに時間的/空間的なギャップ(あるいは緊張)をつくりながら動いてゆくこともある。「現代」は、まさにそのような<過渡期>であるとも言える。
「じぶん」がいる立ち位置を確認しながら、じぶんの生を抑圧するのではなく、ひらいてゆく方向に(ほんとうの「歓び」を深めてゆく方向に)、「解放の道」をそれぞれに見つけたい。そのために、「じぶん」という経験の内奥に、降りてゆくこと。