学びに「新鮮な空気」を入れてみる。- たとえば「物理学」の空気を。 / by Jun Nakajima

本の「まえがき」に惹かれて、読んでみたくなる本がある。

「WALKING ALONG THE SHORE」(海岸に沿って歩く)と題された「まえがき」を読みはじめたら、読みたくなった。

本のタイトルは、『REALITY IS NOT WHAT IT SEEMS: THE JOURNEY TO QUANTUM GRAVITY』(Riverhead Books, 2017)。著者は、イタリアの理論物理学者であるCarlo Rovelli。

タイトルにも惹かれるけれど、「the next Stephen Hawking」(Time誌)とも呼ばれる人物にも興味がわく。

でも、決め手は、「Introduction(まえがき)」であった。

「まえがき」は、こんなふうに書き始められている。


We are obsessed with ourselves.  We study our history, our psychology, our philosophy, our gods.  Much of our knowledge revolves around ourselves, as if we were the most important thing in the universe.  I think I like physics because it opens a window through which we can see further.  It gives me the sense of fresh air entering the house.

われわれはわれわれ自身のことで頭がいっぱいである。われわれは、われわれの歴史を学び、われわれの心理学を学び、われわれの哲学を学び、われわれの神々を学ぶ。われわれの知識のおおくは、われわれ自身のまわりを旋回している。まるで、われわれが宇宙でもっとも重要であるかのように。私は物理学が好きである。物理学はそれを通じてわれわれがさらに見ることのできる窓を開けひろげてくれるからだと思う。それは、家に入ってくる新鮮な空気の感覚を、私に与えてくれるのだ。

Carlo Rovelli『REALITY IS NOT WHAT IT SEEMS: THE JOURNEY TO QUANTUM GRAVITY』(Riverhead Books, 2017) ※日本語訳はブログ著者


たしかに、人類はじぶんたちのことで頭がいっぱいなようだ。ぼくも、歴史を学び、心理学を学び、哲学を学び、宗教を学んでいる。「物理学」も、見方によっては、「われわれ」のことである。「われわれ」を知る方法のひとつでもある。(また、「人間」を知るためには、「人間だけ」の視点をこえることが大切であると、ぼくは思う。)

でも、Carlo氏が書くように、それは「家に入ってくる新鮮な空気の感覚」を与えてくれる。その「新鮮な空気」の感覚を、ぼくも身に覚えながら、この本を読みたくなるのだ。


それから、本を読みすすめていけばわかるように、Carlo氏は歴史や哲学などにも広い関心と知識を有している。そんなCarlo氏は、つぎのようにも書いている。


… The more we learn about the world, the more we are amazed by its variety, beauty, and simplicity.
 But the more we discover, the more we understand that what we don’t yet know is greater than what we know. …

…世界について学べば学ぶほど、その種類や美やシンプルさにますますおどろかされる。
 けれども、われわれが発見すればするほど、われわれはいっそう理解することになる。われわれがまだ知らないことは知っていることよりもずっと大きいのだということを。

Carlo Rovelli『REALITY IS NOT WHAT IT SEEMS: THE JOURNEY TO QUANTUM GRAVITY』(Riverhead Books, 2017) ※日本語訳はブログ著者


われわれがまだ知らないことは知っていることよりもずっと大きいのだ、と彼は書いている。

ぼくもおなじように感じる。日々学べば学ぶほどに、知らないことの大きさに圧倒されてくるように感じるのだ。


「まえがき」はこんな具合に書かれている。もちろん、どのような本か、それから対象とする読者に言及されている(ぼくのように、物理学をほとんど知らないか、まったく知らない読者が対象とされている)。

本に「何」が書かれているのか、ということは大切なことだけれども、最近ぼくは、「誰が」書いているのか、ということを大切にしている。

初めて読む著者の本であっても、「まえがき」を読みながら、そこでは<誰>が書いているのかということを、ぼくは知ろうとする。

その<誰>ということに関心と信頼を寄せながら、ぼくは、読む本を手にとる。その本が物理学の本であったとしても。

こんなふうにして、ぼくは、Carlo Rovelliの著作『REALITY IS NOT WHAT IT SEEMS: THE JOURNEY TO QUANTUM GRAVITY』を手にとった。

読みはじめたところだけれども、「新鮮な空気」が流れいるのを、ぼくはすでに感じている。