「信頼できる専門家」の発言を追っておくこと。ー COVID-19の感染のひろがりのなかで。 / by Jun Nakajima

 COVID-19(新型コロナウイルス肺炎)の感染のひろがりのなかで、自身で対策を打ちつつ、いろいろなことを考えさせられる。

 「危機」のときの対応・対策というのは、あとから振り返ってみると、当然だけれど「全貌」がよりよく見えるから、ああだこうだというのは容易である。けれども、危機の「最中」というのは、まだその全貌も実際の状況もつかみづらいところがあるから、情報を入手しながら、対応・対策をどのタイミングでどのように「判断」するのか、難しい(ときに、きわめて難しい)。そんななかで、じぶんなりに(あるいは、じぶんの担う役割のもとに)判断してゆかなければならない。今回のCOVID-19についても、とても難しいところがある。

 中国本土の武漢がロックダウンされたとき、ぼくは香港にいた。いつもなら旧正月時で旧正月の雰囲気が漂うところ、街は静かで、マスクを着けるひとたちが視界を覆いつくしていた。2003年のSARSの経験が刻み込まれている香港。さすが初動も早かった。事態は刻一刻と動いてゆく。ぼくも、ニュースや他の情報を追いながら、できるかぎりの対策(マスク、手洗い、消毒、外出控えなど)を打っていった。

 2003年のSARSのときは、ぼくは西アフリカのシエラレオネにいた。内戦が終わったばかりのシエラレオネで、ぼくは違った状況と違った仕方で「リスクマネジメント」を日々実行していたのだけれど、たとえば同僚が持ってきてくれた雑誌「AERA」の記事などで、はるか遠いアジアで猛威をふるうSARSの状況を知った。記事には香港のことも書かれていた。今回、ぼくはその香港にいて、2003年のときの記憶がぼくの脳理をよぎったのであった。

 危機といえば、ぼくは2006年に東ティモールにいて「ディリ騒乱」に直面し、市街での銃撃戦の最中をかいくぐり、翌日にはインドネシアのジャカルタに国外退避した。2009年の新型インフルエンザ(H1N1)のときは香港にいて、香港の日系企業の「リスクマネジメント」を支援した。

 そのような経験を通過してきて思うのは、あたりまえだけれど、「情報」は大切であるということだ。じぶん自身・家族のためであれ組織のためであれ、リスクマネジメントにおいては「情報」が大切である。公的な情報もあれば、噂に近い情報まである。専門家の意見も、専門家によってさまざまになりうる。

 そのようななかで、とりわけ「信頼のおける情報」をおさえておかなければならない。COVID-19で言えば、例えば、日本における感染症の専門家として、ぼくは岩田健太郎教授・医師の発言をずっと追ってきていた。『感染症パニックを防げ!~リスク・コミュニケーション入門~』(光文社新書)や『インフルエンザ なぜ毎年流行するのか』(ベスト新書)などの岩田健太郎教授の著作を読みながら、「信頼のおける情報」の発信者としての岩田健太郎教授を追ってきている。日本のクルーズ船の発言が大きく取り上げられたけれど、それに限らず、これからも岩田教授の発言をぼくは追ってゆく。

 もちろん、全貌が見えないあいだは噂や仮説のような情報も含めて視野にいれて、じぶんなりの判断をしていかなければならないけれど、じぶんは感染症の専門家ではないから、じぶんの判断のための「仮想チーム」をもっておくのである。ありとあらゆる情報の渦に飲み込まれないように。