「コンステレーション」から物語へ。- 河合隼雄がユングを読み解きながら(ユングと生きながら)。 / by Jun Nakajima

🤳 by Jun Nakajima


心理学者の河合隼雄は、京都大学の最終講義(河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫)で、ユングがよく使ってきた「コンステレーション」(constellation)という言葉を手がかりに、こころのこと、心理療法のこと、生きることを語っている。

「コンステレーション」という単語は、そのものでは「星座」を意味する言葉である。

「コン」(con-)は「ともに」(with)にあたり、ステレーションの「ステラ」は「星」を意味し、「星座」という意味をもっている。

ユングがたよりにしてきた「コンステレーション」は、星座のことではなく、心の問題を扱う上で、はじめは「コンプレックスがコンステレートしている」というように使っていたという。

河合隼雄は、ユングが使ってきた「コンステーション」の使われ方と意味合いの変遷を追いながら、「コンステレーション」の言葉の重要性と可能性を聴き手に伝えている。

また、それらを語ることで、河合隼雄が辿ってきた道の「物語」を語っている。

 

ユングが精神医学の世界にデビューした契機は、「言語連想のテスト」とそこでの気づきであったという。

言語連想テストでは、「山」という言葉にたいして、連想する言葉をすぐに言ってもらう。

川という人もいれば、名詞ではなく、動詞で答える人もいる。

あるいは、黙ってしまう人もいる。

ユングの「気づき」は、連想において「時間がおくれる」ということにあったという。

「山」ということで連想されるのが、恐ろしいものであったりして、人によっては言葉が出てこなくなってしまう。

心の中に「かたまり」ができている。

それは、心理学で言われる「コンプレックス」ということであり、ユングは、前述のように、「コンプレックスがコンステレートしている」と表現していたようだ。

 

その後のユングの研究の道ゆきにおいて、1940年頃からユングは、「元型(アーキタイプ)がコンステレートしている」というような表現を多用していく。

元型(アーキタイプ)は、人間の心の深くにそのような元型があり、それがいろいろにあらわれるというように、ユングが考えようとしていたときの、キーワードである。

 

河合隼雄がユング研究所での資格をとった1965年。

ユングの流れをくむC.A.マイヤーの60歳の誕生日祝いに、弟子たちが論文を書いてマイヤーのお祝いをしたという。

その論文のなかに、マイヤーに関する面白い論文を、河合隼雄は見つけることになる。

 

…われわれが心理療法をするということは、いろんな仕事をしているんだ。時には忠告を与えるときもあるし、時には来られた人の気持ちをちゃんと、こちらがそれを反射してあげる。…けれども、マイヤーは特別なことをやっている。マイヤーは何をしているかというと、「コンステレートしている」という言葉がそこで出てくるんですね。
 …クライエントが来られたら、その内容に対して何か答えを言ってあげるとか、解釈してあげるんじゃなくて、その人のセルフリアライゼーション、自己実現の過程をコンステレートするんだ、と書いてあるんですね。そして、その人が自己実現の過程をコンステレートして自己実現の道を歩む限りにおいて、その人にともについていくのだ、と書いてあるわけです。これは私にとって非常に衝撃だった。

河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫

 

河合隼雄に衝撃を与えた「コンステーション」は、その後も、河合隼雄の実践と研究を方向付けていく。

河合隼雄に学ぶところのひとつは、河合隼雄はユングを読み解きながら(ユングの研究と生きながら)、研究や研究成果に埋没するのではなく、現実や実際の生や状況などとの間で、きわめて冷静に物事を見て、実践につなげているところである。

安易に理論に傾倒するのではない。

地に足をつけながら、しかし空高く飛翔していくという二面性をともにひきうけているのである。

そうしてひらかれてきた実践と研究は、「物語」という軸において、河合隼雄の深い関心を呼び起こしていく。

講義のなかでも、終わり近くで、「コンステレーションと物語」ということを簡潔に語っている。

 

…人間の心というものは、このコンステレーションを表現するときに物語ろうとする傾向を持っているということだと私は思います。

河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫

 

そうして、河合隼雄は日本の神話などへの関心を、その後の残りの生のなかで形にし、ぼくたちにとってほんとうに「大きなもの」を残してくれている。

ぼくの大きな関心のひとつも、「物語」という軸に収斂してきている。

個人が生きることにおける「物語」、家族が一緒に生きていく「物語」、チームや組織が一緒に生きる「物語」、そして社会が共につくっていく「物語」。

そこに、ぼくは、「煮詰まった時代」(養老孟司)をひらく大きな可能性を見ている。