言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

「相手の母語で話すこと」について。- ネルソン・マンデラの言葉を起点に。

外国語を学ぶときの「学び方」について書かれた書籍のひとつに、Gabriel Wyner『Fluent Forever』Harmony Books, 2014(邦訳は、ガブリエル・ワイナー『脳が認める外国語勉強法』ダイヤモンド社、2018年)がある。原著の副題は「How to Learn Any Language Fast and Never Forget It」(速く言語を学び、決して忘れない方法)。

 外国語を学ぶときの「学び方」について書かれた書籍のひとつに、Gabriel Wyner『Fluent Forever』Harmony Books, 2014(邦訳は、ガブリエル・ワイナー『脳が認める外国語勉強法』ダイヤモンド社、2018年)がある。原著の副題は「How to Learn Any Language Fast and Never Forget It」(速く言語を学び、決して忘れない方法)。

 だいぶ前に書籍を購入し、また「CreativeLive」というクリエイティブ系のオンライン教育プラットフォームでの彼のプログラムも同じ頃に手に入れていた。そのときはエッセンスに触れただけであったのだけれど、今回は「学び方のアップデート」ということをテーマのひとつとして取り組んでいるなかで、「外国語の学び方」にもきりこんでいこうとおもい、この本とオンラインのプログラムを再びひらいている。

 そうしてひらかれたこの本の第1章、「Stab, Stab, Stab」(邦訳は「『外国語をマスターする』とはどういうことか」と意訳されてある)と題された第1章のエピグラフのひとつに、次の言葉がおかれている。

 If you talk to a man in a language he understands, that goes to his head. If you talk to him in his language, that goes to his heart. 
 - Nelson Mandela

 「相手が理解できる言語で話せば、相手の頭に届く。相手の母語で話せば、相手の心に届く」ネルソン・マンデラ(前掲の邦訳より)

 このネルソン・マンデラの言葉が、いつ、どこで、どのような文脈で、どのように語られた言葉なのか、ぼくは知らない。この言葉はどこかで聞いたようにもおもうのだけれど、よく覚えていない。ましてや、ネルソン・マンデラが発した言葉であることなんて、まったく記憶にもない。でも、このシンプルな言葉のなかに、他者の言語で話すことの本質が語られているようにおもい、ぼくはこの言葉に心を揺さぶられる。

 この言葉は、とりわけ、文化と文化の<あいだ>で生きてきた人たちの賛同を呼びおこす。南アフリカ出身のコメディアンでTVホストでもあるTrevor Noah(トレバー・ノア)が、ベストセラーとなった彼の著書『Born a Crime』(邦訳『トレバー・ノア 生まれたがことが犯罪?』英知出版、2018年)のなかで、この言葉に触れ、まったくそのとおりなのだと賛同している。「他の人の言語で話そうと努力するとき、たとえそれが基礎的なフレーズであろうとも、あなたはこう言っているのだ。「私を超えたところに存在する文化とアイデンティティをあなたがもっているのだということを私は理解しています。私はあなたを人間として見ているのです」と。」(『Born a Crime』。日本語訳はブログ著者)

 もちろん、ぼくも賛同するところである。だからといって、さまざまな相手の言語をぼくが話すことができてきたわけではない。ある程度まとまった会話ができることもあれば、挨拶や単語しか届けることができないこともある。相手の言語でしゃべりたいという衝動を抱きながらも、他の共通言語(例えば英語)で会話できてしまう便利さについつい頼ってしまうこともある。それでも、たとえわずかな単語だけであっても、相手の「心」に届くことがある。それら単語や言葉の表層ではなく、下層のところで伝わるものがあるからである。その下層で届けられるメッセージを、例えばトレバー・ノアは「私を超えたところに存在する文化とアイデンティティをあなたがもっているのだということを私は理解しています。私はあなたを人間として見ているのです」というように捉えている。

 当たり前のことだけれども、コミュニケーションは双方向性のものである。ネルソン・マンデラの言葉は「話す側から相手の側へ」という方向性のなかで語られているように、なによりも、話す側という主体に向けられた言葉である。話す側の主体の変容をうながしている。けれども、双方向性としてのコミュニケーションという視点をとりいれてみると、ここでの「変容」には、ただ単に相手の母語で話すというだけでなく、また相手の心に届くということだけでなく、相手の母語を話そうとするときには話す側の主体が自身の心をひらいてゆくということ、また相手の心に届けられた言葉はそこで折り返して、相手の言葉や表情や感情を通して自身の心に届けられること(またそれらが繰り返されること)のなかに、じぶんが「変容」してゆくところまでを射程している。相手の母語で話すということの楽しさや歓びはそんな変容のなかにふりそそぐのである。

 ガブリエル・ワイナーのオンラインプログラムの導入部分で、参加者がどの外国語を学びたいのか、またなぜその外国語を学びたいのかを問われ、それらの質問に応答する場面がある。フランス語であったり、日本語や中国語であったりと、参加者は質問に応えてゆく。興味深いのは、参加者の人たちが挙げる「外国語を学ぶ動機」であった。外国語を学ぶ動機としてもっともよく取り挙げられたのは、「現地の人たちとコミュニケーションをとりたい」ということであった。仕事のためだとか、これからの経済の発展が見込まれるだとか(ぼくが外国語大学の専攻を選ぶときに中国語を選んだ理由のひとつ)ではなく、ただ、現地の人たちと会話したいということなのである。旅をしながら出会う人たちと会話したい、カフェで話せたらいい。そうすることで、何かの役に立つわけではないけれど、そうすることに楽しみや歓びを感じるのだ。このオンラインプログラムが撮影されたのは2015年前後のことだとおもうから、翻訳機器や翻訳アプリの性能の飛躍的な向上の直前であったかもしれない。けれども、翻訳機器や翻訳アプリの性能の向上を見せている現在(2020年)の段階であっても、このプログラムの参加者たちは、外国語を学ぶ動機として、同じ動機を挙げただろうと、ぼくは勝手に推測している。現地の人たちと直接に会話を交わしたい、という動機を。

 それにしても、翻訳機器や翻訳アプリといえば、Googleの翻訳機能はすごい精度になりつつあるし(ぼくのブログの英語訳がけっこう読めることに先日びっくりしてしまった)、アップル社は先月(2020年9月)iPhoneのiOSアップデートで「Translateアプリ」を搭載させてきた。いまでは翻訳アプリを使えば、翻訳アプリを介して世界のいろいろな人たちと会話ができてしまう。東京のホテルのロビーで、海外からの旅行者の方がスマホの翻訳アプリを駆使して受付の人と「会話」していた風景をぼくは憶い起こす。そこでの「会話」には手間と時間はかかっていたけれど、意思伝達は順調にうまくいっているようであった。そんな風景を実際に見ていると、翻訳機器や翻訳アプリの性能が向上してゆくことはすごいことだし、とても役に立つものであることをおもう。

 ぼくもその恩恵を受けながら(Google翻訳を使ったりしながら)、他方で、別の方向に気持ちのベクトルがあらわれてくるのを感じる。最近、ぼくが「外国語の学び方」にきりこんでいこうとおもったことの背景のひとつには、翻訳アプリの機能性・便利性の飛躍的な向上があるのだと、ぼくはおもってみたりする。翻訳アプリの機能性・便利性の向上とともに、逆に直接に相手の言語で話すことの楽しさや歓びや大切さがぼくのなかで見直され、再評価されるているようなのだ。このことは、オンラインでの関係性が増えれば増えるほど、直接のフィジカルな体験がみなおされてゆくのと似ているようにもおもう。そのようなわけで、翻訳アプリの性能が上がれば上がるほどに、ぼくの「外国語を学ぶ意欲」はますます上がってゆくようなのだ。でも、「翻訳アプリを使うか、それとも実際に話したり書いたりしてゆくか」という二者択一ではなく、どちらも役に立てながら、そして「役立ち」という次元を越えて、言葉を相手の心に届けること(と同時に、じぶんの心をひらくこと)の<歓びと楽しさ>の方向に、外国語の学びを解き放ちたい。そこには、<じぶんの変容>ということがかけられているのだと、ぼくはおもう。

Read More
言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

「生きること、それがぼくの仕事」(加藤彰彦)。- じぶんの「足元を掘る」こと。

真木悠介(見田宗介)の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)のなかに、野本三吉さんという魅力的な人物がとりあげられている。『気流の鳴る音』が発刊されたときから約40年後、真木悠介というペンネームではなく、本名である見田宗介の名で書かれた『現代社会はどこに向かうか』(岩波新書、2018年)のなかで、ふたたび、野本三吉さんがとりあげられる。

 真木悠介(見田宗介)の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)のなかに、野本三吉さんという魅力的な人物がとりあげられている。『気流の鳴る音』が発刊されたときから約40年後、真木悠介というペンネームではなく、本名である見田宗介の名で書かれた『現代社会はどこに向かうか』(岩波新書、2018年)のなかで、ふたたび、野本三吉さんがとりあげられる。『気流の鳴る音』に出遭い、それから約25年ほどにわたって、『気流の鳴る音』と共に(文字通り)世界を旅し、生きてきたぼくにとって、「野本三吉」という名はもちろん、なじみの深い名であった。

 「野本三吉」という名はペンネームで、本名は加藤彰彦。野本三吉=加藤彰彦は、いわば福祉的な仕事を経て、横浜市立大学に招かれ大学で授業をもつようになり、2002年に沖縄大学に移ったのだという。沖縄大学のホームページには自己紹介のページがあり、そこに目をとおしていると、彼の「モットー」にぼくはひきつけられる。

 生きること、それがぼくの仕事。君は君の足元を掘れ、ぼくはぼくの足元を掘る。

 「生きること、それがぼくの仕事。」まずは、この言葉に感覚がゆさぶられる。と同時に、「ただ生きる、ということを、したいのよね」という、真木悠介の他の著作(『旅のノートから』岩波書店)に登場する人物の語る言葉がどこかから聞こえてくる。ただ生きるということをすること。それは現代社会においては、とてもむずかしいことである。そこではただ生きるということは背景に押しやられて、なにをしてきたのか、どんな達成をとげてきたのか、どんな地位にあるのかなど、富や栄光や権力などが前景化される。時代は変わろうとしているし、じぶんの「ほんとうのしあわせ」へと軌道修正をくわえているひとたちもたくさんいる。けれども、これまでの近代・現代社会の発展の起動力でもあった富や栄光や権力などに高い価値がおかれる「世界」のなかで、「ただ生きること」は「なにもしていない」ように見られ、無価値の烙印を押されてしまうのだ。そんななかにあって、野本三吉=加藤彰彦は「生きること、それがぼくの仕事。」と言い切っている。明快だ。明快なのだけれど、そこには言葉の深みがたたずんでいる。

 その言葉に続いて、「君は君の足元を掘れ、ぼくはぼくの足元を掘る。」とつづく。ひとによっては、君とぼくのあいだの「つながりの欠如」を見るのかもしれない。それは例えば、「君は君で、ぼくはぼくで」という語感に、狭い意味での個人主義を感覚してしまうからだ。でも、ぼくはこの言葉に、あるいは生き方に共感してしまう。生き方のあり方のひとつが、このシンプルな言葉によって表現されている。

 逆のことを言ってみる。「君はぼくの足元を掘り、ぼくは君の足元を掘る」のだと。そう書いてみると「変な」感じがしてしまうのだけれど、日々の生活のなかで体験したり見たりするのは、けっこう、この言葉が指し示しているようなところであったりするようにも思う。他者があれこれ、こうだ・ああだと「じぶん」に助言したり、コメントしたり、決めつけたりする。でも当の「じぶん」はというと、じぶん自身で「じぶん」を掘り下げてゆくことをせず、他者への助言やコメントや決めつけに忙しい。こんな具合にである。

 そうではなくて、ぼくは、「君は君の足元を掘れ、ぼくはぼくの足元を掘る。」というあり方に惹かれる。君も、ぼくも、彼女も、彼も、だれもが「じぶん」の足元を掘ってゆく。「足元」は、村上春樹の小説であれば「井戸」のイメージであらわれる。足元を掘ってゆくように、井戸の底に降りてゆく。ぼく自身のイメージでは、海底である。ぼくは海の深い底に降り立ってゆく。掘って掘って掘ってゆく。降りて降りて降り立ってゆく。

 文芸評論家の加藤典洋(1948-2019)は、著書『村上春樹の短編を英語で読む 1979-2001 上』(ちくま学芸文庫)にて、そのような村上春樹の小説を読みときながら、「掘って掘って掘ってゆく」思想のかたち、掘ってゆくことを(孤立のなかで)きわめてゆくなかでひととの「つながり」の海へと出てゆく思想のあり方が、戦後日本ではめずらしくないことへと、思考をひろげている。村上春樹の小説の「井戸」はもとより、思想家の吉本隆明の自立思想(「井戸の中の蛙」)、じぶんの無力の底へと落ちてみることを促す森田療法など、この思考のかたちを見ることのできる草原を加藤典洋は横断してゆく。

 このような「掘って掘って掘ってゆく」思想(=生き方)のかたちは、野本三吉=加藤彰彦のモットー「君は君の足元を掘り、ぼくはぼくの足元を掘る」にも見られる。そして、それぞれの思想のかたちが同じように想定しているように、ずーっと掘っていった底のところで、君とぼくは「つながる」ことになる。君にじぶんの足元を掘ってもらうのではなく、じぶんが君の足元を掘るのではなく、じぶんでじぶんの足元を掘ってゆく。それは、自立のことであり、また他者との、深いところでの「つながり」のことである。

Read More

民謡「Row, Row, Row Your Boat」のこと。- 19世記のアメリカの時空間へ。

ぼくのブログのなかでよく読まれているブログに「民謡「Row, Row, Row Your Boat」の人生観・世界観。- シンプルかつ凝縮された歌詞。」があります。2018年の9月に書いた文章ですが、2020年になったいまも、よく読まれているようです。

 ぼくのブログのなかでよく読まれているブログに「民謡「Row, Row, Row Your Boat」の人生観・世界観。- シンプルかつ凝縮された歌詞。」があります。2018年の9月に書いた文章ですが、2020年になったいまも、よく読まれているようです。ありがたいことです。

 この民謡「Row, Row, Row Your Boat」をとりあげた最初のきっかけは、この民謡の歌詞の最後に「life is but a dream」という歌詞が出てくるのですが、そのことばについていろいろとかんがえていたことにあります。

 この歌詞に触発された真木悠介(社会学者)がじぶんの生を表現するものとしてこころのなかでつぶやいてきた「人生という旅のことば」(life is but a dream. dream is, but, a life)。ぼくの好きなことばのひとつですが、このことばの源泉をさがしていて、この「Row, Row, Row Your Boat」に辿りつきました。子どもたちが学校などで歌う歌だというのはあとで知ったのですが、ぼくは小さい頃に学校で歌った覚えはありません。でもたしかに、英語圏などではよく歌われているようでした。

 子どもたちに歌われているとのことですが、はたして「life is but a dream」ということばの「意味」はどのように捉えられているのだろうか。ちなみに、ここでの「but」は、英語の試験でもよく出てくるように「only」の意味合いです。つまり、「人生は夢でしかない」ということ。このことばが歌詞の最後に突如あらわれるのです。子どもたちがいきなり「人生は夢でしかない」と言われても、いったいなんのことかわからないだろう、とおもうわけです。

 でも、小さい子どもは「意味」によってこの「世界」を捉えないのでないか。そのように、ぼくの内なる声が語りかけてきました。子どもたちは「世界」をもっともっと「感覚的」に捉えている。ぼくはそう思います。ぼくが子どものころを憶い出しても、歌を歌いながらはたしてそれらの「意味」を正確に捉えようとしていたかというと、けっしてそんなことはなかった、とおもいます。

 だから「life is but a dream」ということばも、子どもたちにとっては「感覚的」に、とうぜんのことのように捉えられている。そんなふうにおもうわけです。

 ところで、この民謡の成り立ちは明確にはわかっていないようです。Wikipedia(英語版)によると、アメリカのミンストレル・ショー(大衆芸能)から生まれ、現在確認できるところでは、1852年に初期の印刷物(※楽譜)が確認されているといいます。作曲と作詞が誰によってなされたのかもわかっていません。

 「ミンストレル・ショー(Minstrel Shows)」とはアメリカで19世紀半ばに誕生した大衆娯楽の形態であるとのことです。Wikipediaの英語版・日本語版ともに、結構詳細に記載されています。詳細を読んではいなかったのですが、ジェームス・バーダマンと里中哲彦の対談からなる『はじめてのアメリカ音楽史』(ちくま新書)を読んでいたら、「ミンストレル・ショーとは何か」にふれられていました。

 白人の役者が顔を黒く塗って芸(歌や踊り、劇など)を披露するという、黒人の軽蔑があからさまな芸能ではあったものの、アメリカの「ミュージカル」へとつながる力線をもっているなど、歴史的には切り捨てることができないものであったようです。

 話を民謡「Row, Row, Row Your Boat」へ戻すと、この民謡は上述のミンストレル・ショーと呼ばれた大衆芸能において生まれてきた歌曲であったというわけです。

 さらに、『はじめてのアメリカ音楽史』においてバーダマンは、当時は歌がお金になるなんて誰もおもっておらず、著作権といった概念もなかったから、「作者不明」という曲がたくさんあるんだということを、語っています。おそらく、「Row, Row, Row Your Boat」もそのような曲群のなかに生まれた曲だったのでしょう。

 それにしても、19世紀のアメリカで、「Row, Row, Row Your Boat」がいったい、どのようにつくられ、どのように歌われ、どのように捉えられていたのか。どんな心情のなかで「life is but a dream」が歌われたのか。ぼくの想像は19世紀のアメリカのひとびとへと投げかけられます。

Read More
成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima 成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima

治療への拘泥とは病に執着すること。- 森田療法の「ことば」にふれて。

批評家の加藤典洋(1948-2019)の「乱暴な要約」に触発されて、1919年に創始された森田療法(神経症に対する精神療法)を学んでみたくなり、創始者である森田正馬(まさたけ)(1874-1938)の「ことば」にふれる。

 批評家の加藤典洋(1948-2019)の「乱暴な要約」に触発されて、1919年に創始された森田療法(神経症に対する精神療法)を学んでみたくなり、創始者である森田正馬(まさたけ)(1874-1938)の「ことば」にふれる。

 海外から入手できる電子書籍をさぐってみると、『神経質に対する余の対症療法』(1921年)と題される、20頁ほどの文章が入手可能である。さっそくダウンロードして、読んでみる。

 なお、森田療法センターのウェブサイトに掲載されている説明によると、森田療法がもともと対象としていた「神経症」とは、強迫症(強迫性障害)、社交不安症(社交不安障害)、パニック症(パニック障害)、広場恐怖症(広場恐怖)、全般不安症(全般性不安障害)、病気不安症(心気症)、身体症状症(身体表現性障害)などの病態を指すものである。

 これらの症状の背後に、森田正馬は「神経質性格」と呼ぶことになる共通性を見出す。それは、内向的、自己反省的、小心、過敏、心配性、完全主義、理想主義、負けず嫌いなどの性格特質であり、それを基盤として、「とらわれの機制」という心理メカニズムによって症状が発展してゆく。その「とらわれの機制」から、「あるがまま」の心へと、森田療法は援助してゆく。森田療法センターのウェブサイトはこのように解説している。

 不安や恐怖の感情を排除するのではなく、それらを「あるがまま」に受け入れてゆく。そしていわば心身の根柢に生成するちからを花ひらかせる。加藤典洋は、このような森田療法とは「患者が自分の無力の底まで「落ちて落ちて落ちて」行かせる」セラピーだと、要約している。なるほど、と、ぼくは加藤典洋の要約を思い起こすのである。

 『神経質に対する余の対症療法』で、森田正馬はつぎのように書いている。

 神経質は精神の病的過敏であるから、患者が自ら治さんとあせる事は皆却て有害で、例へば物を忘れようと努力する事は、意識が其の方に執着して、却て忘れる事の出來ぬ關係である。…余は先づ患者の意識する衛生法や治療法を一度び破壊し、治療的ならぬ治療法を行ひ、以て患者をして治療といふ事を忘れしめ、從つて病の観念から離れしめるのである。治療に拘泥するといふ事は、同時に病に執着するといふ事である。

森田正馬『神経質に対する余の対症療法』1921年、青空文庫

 ここでいわれる「衛生法の破壊」とは、例えば、原則一日一度の入浴を習慣とする患者があれば、その習慣(衛生観念)を一度は壊すのだという。「一日一度は入浴しないと気持ち悪い」という地点から、「入浴しなくても別に心にとまらない」という地点へと促してゆく。

 「とらわれの機制」から「あるがまま」へという視点をとりいれれば、森田正馬が意図していることがよくわかる。「~すべき」という<とらわれ>のこころに、窓をうがつことで、<とらわれ>が決壊する。

 別の言い方をすれば、<手放す letting go>である。いままでの観念と行動を手放してゆく。森田正馬が書くように、「執着するといふ事」を手放してゆくのだ。ぼくはここに、深く共感させられる。

 ところで、森田正馬の文章を読んでいると、整体によって身体を知り尽くしていた野口晴哉(1911-1976)のことが思い浮かぶ。「人間」をその<あるがまま>に視る、その徹底したあり方に、森田正馬と野口晴哉に共通のものを感じ、ぼくはいっそう惹かれてゆく。

Read More
言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

「乱暴な要約」にも惹かれることがある。- 加藤典洋による「森田療法」の要約。

「乱暴な要約」にも惹かれることがある。学校などでは適切に要約をすることを学んだりする。でもときには「乱暴な要約」があってもいいし、その要約によって「要約」を超えてその対象にふみこんでいきたいと思ったりするものである。

 「乱暴な要約」にも惹かれることがある。学校などでは適切に要約をすることを学んだりする。でもときには「乱暴な要約」があってもいいし、その要約によって「要約」を超えてその対象にふみこんでいきたいと思ったりするものである。

 ぼくはそんな「要約」に出逢った。批評家の加藤典洋(1948-2019)による「森田療法」の要約だ。「乱暴な要約」といっても、考えられていない「乱暴さ」ではなく、要約の対象の「取り出し方」においてラフなだけだ。

 ここでふれられる森田療法(モリタ・セラピー)は、大正期の精神科医森田正馬が創始した精神療法である。専門家でもない加藤典洋自身が「かなり乱暴な要約かもしれない」と述べているが、ぼくはその要約に惹かれて、これまで学びの一歩を踏み出さなかった森田療法を学びたくなった。

 「デタッチメントからコミットメントへ」という、作品と生きかたのあり方・態度の変容を遂げた小説家の村上春樹にふれながら、じぶんの内面を「掘って掘って掘って」いく仕方の同型性の一例として、加藤典洋は「森田療法」を挙げている。

 …この療法では、簡単に言うと、鬱病の病人に頑張れ、しっかりしろ、と督励する代わりに頑張るな、ただただ寝ていなさい、何もするな、と指示をします。それで患者が自分の無力の底まで「落ちて落ちて落ちて」行きなさい、と言うのです。それで患者が自分の無力の底に降りついて、もう身体がむずむずしてじっとしているのはいやだ、何かしたい、というところに達するとはじめて草むしりとか雑巾がけのような単純な仕事を与える。私は専門家ではないのでかなり乱暴な要約かもしれませんが、これはそういう方向のセラピーであって、日本の大正期という精神療法の創成期に生まれた独創的かつ先駆的なメソッドでした。…

加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む 1979~2011 上』(ちくま学芸文庫)

 「落ちて落ちて落ちて」いく。このスタイルが、村上春樹、吉本隆明、丸山真男などと同列にならべられて語られる。ぼくにとってのライフワークとしてのトピック、「じぶんの変容」に密に関わるところでもあって、ぼくはとても惹かれるのだ。内面の底に向かって、「掘って掘って掘って」、「落ちて落ちて落ちて」いく。その方向性に、「じぶんの変容」へと向かう磁力をぼくは感じるのだ。

 「森田療法」の存在自体は、その文字をいろいろなところ(本屋やインターネット)で見てきたから知っていたのだけれど、どんな療法なのかを知っているわけではなかった。

 そんななかにあって、加藤典洋による要約がことばの海に投じられ、ぼくの好奇心に灯りを灯す。本質的な作家や批評家や学者たちは、そのような、確かな「灯り」を、自身とことばのなかにもっているのだ。

Read More
成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima 成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima

未来が現在に「意味」を与える生。- 作曲家チャイコフスキーのことば。

未来は、生きることの現在に「意味」を与える。いまの勉強や仕事は、将来の「~のため」というように。このような「意味」によってひとの生は支えられ、充実を得ることがある。

 未来は、生きることの現在に「意味」を与える。いまの勉強や仕事は、将来の「~のため」というように。このような「意味」によってひとの生は支えられ、充実を得ることがある。そしてじっさいに「未来/将来」が生に果実を与え、「意味」が現実化する。けれども、いま、この「未来/将来」が必ずしも果実をもたらさない。そんな時代にいる。

 見田宗介先生(社会学者)は、ここに「現代」という時代の「二重の疎外」を明晰に見ている。

 …「近代」の最終のステージとしての「現代」の特質は、人びとが未来を失ったということにあった。…未来へ未来へとリアリティの根拠を先送りしてきた人間は、初めてその生のリアリティの空疎に気付く。…第一に<未来への疎外>が存在し、この上に<未来からの疎外>が重なる。この疎外の二重性として、現代における生のリアリティの解体は把握することができる。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 現代における生のリアリティの解体はさまざまな局面において見られる。そんなときにあって、「これからの<生きかた>」は、この疎外の二重性を乗り越えてゆくことを、その核心においてゆく。

 「未来を失う」(未来からの疎外)ということにおいて、その前提となる<未来への疎外>自体を変容させてゆく生きかた。つまり、この<現在の生>を取り戻してゆくことを核心とするのである。

 作曲家チャイコフスキー(1840-1893)の伝記とレターが収められた本『The Life & Letters of Peter Ilich Tchaikovsky』(Modeste Tchaikovsky, translated by Rosa Newmarch, 1907)のはじめに、チャイコフスキーのレターから抜粋されたことばがおかれている。

 “To regret the past, to hope in the future, and never to be satisfied with the present - this is my life.” - P. Tchaikovsky (Extract from a letter) 

 「過去を悔い、未来に希望をもち、現在に決して満足しない。これがわたしの人生だ。」そう、チャイコフスキーは書く。この焦燥のようなものが作曲へのちからを生みだしたのかもしれないけれど、ここには現在の生に満足せず、未来へ未来へと向かう生が語られている。

 チャイコフスキーは精神の病を患ったが、彼の精神はじっさいにどのような困難を抱えていたのか。そこにはどのような「人生の物語」が流れていたのか。そんな彼の「音楽」はどのように彼とともに在ったのか。ぼくはこの大著を読みながら、<未来へ疎外>された精神と生に寄り添おうとする。

Read More
言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima 言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima

「The Best is Yet to Come」という思想(生きかた)。- <近代>という時代の特質と生。

ドナルド・トランプの「2020年一般教書演説」は、「The Best is Yet to Come」のことばで閉じられた。思い起こしたのは、以前、自己啓発のオーディオ(英語)を聞いていて、コースのひとつのチャプターが、「The Best is Yet to Come」で閉じられていたことだ。

🤳 by Jun Nakajima

 ドナルド・トランプの「2020年一般教書演説」は、「The Best is Yet to Come」のことばで閉じられた。思い起こしたのは、以前、自己啓発のオーディオ(英語)を聞いていて、コースのひとつのチャプターが、「The Best is Yet to Come」で閉じられていたことだ。(フランク・シナトラの歌のなかにもある。)

 以前聞いたときは、とてもよい響きが耳に鳴り響いたものだ。最高はまだこれからやってくる。力強い声でそう語られると、「これからだ。やってやろう」という気持ちがわいてくる。

 けれども、それと同時に、「The Best is Yet to Come」は、疎外された生の形式を語っているように聴こえる。そこで「語られないもの」は、いま現在の生であり、どこまでも満足しない生である。

 もちろん、誰によって、どんなときに、どのように語られるのかは大切である。ことばを、それが語られることばの海からひっぱりあげて、ああだこうだと語ることは、語られることばの本質を脱色してしまうかもしれない。

 そのことを認識したうえで、けれども、「The Best is Yet to Come」の響きをただ「かっこいい」だけで終わらせるのは、<これからの生きかた>を生きるという視界において、危険だと思う。

 「The Best is Yet to Come」が真実のことばとして現れることもあるし、ひとを救うことばともなることはあるだろうけれど、そこで立ち止まって、「じぶん」の内面に光をあてたいものだ。「いま」に満足しない生は、いったいいつになったら満足がやってくるのか、と問いかけながら。

 「The Best is Yet to Come」の思想が疎外された生の形であるとするならば、あるいはその思想が生を疎外するものであるとするならば、それは、「Best」を永遠に先送り思想となるときだ。「Best」がやってくることはない。

 生の「意味」を未来へ未来へとおくりだしてゆく。社会学者の見田宗介先生は、このような生のあり方を明晰に捉えている。

 …「近代」という時代の特質は人間の生のあらゆる領域における<合理化>の貫徹ということ。未来におかれた「目的」のために生を手段化するということ。現在の生をそれ自体として楽しむことを禁圧することにあった。先へ先へと急ぐ人間に道ばたの咲き乱れている花の色が見えないように、子どもたちの歓声も笑い声も耳には入らないように、現在の生のそれ自体としてのリアリティは空疎化するのだけれども、その生のリアリティは、未来にある「目的」を考えることで、充たされている。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 「The Best is Yet to Come」は、<近代>という時代の特質、生を(目的でなく)絶えず手段化してゆく生のあり方に共振することばだ。生のリアリティを、未来にある「目的」に向けて投じてゆく。

 フランク・シナトラが1960年代、「The Best is Yet to Come」という(恋愛の)歌を歌ったときには、生のリアリティが空疎化してゆくような響きは鳴り響いていない。アメリカも、日本も、他の先進産業地域も、たしかな「未来」を夢見ることができた時代だ。

 いまは果たしてどうだろうか。そんな問いと共に、「The Best is Yet to Come」ということばと共に、じぶんの内面に光をあてなければいけない地点に、ひとも社会も立たされている時代にいる。

Read More
総論, 言葉・言語 Jun Nakajima 総論, 言葉・言語 Jun Nakajima

「Most Popular Blogs 2020」のキーワードをひろう。ー 「少し長めの文章」への橋渡し。

じぶんで以前に書いた短い文章(ブログ)に触発されながら、もう少し長い文章を書いていく。これからそんなふうにして、これまでのブログよりも少し長めの文章を書いていこうと、ぼくは思っています。

 じぶんで以前に書いた短い文章(ブログ)に触発されながら、もう少し長い文章を書いていく。これからそんなふうにして、これまでのブログよりも少し長めの文章を書いていこうと、ぼくは思っています。

 サイトの「HOME」のページに、「Most Popular Blogs」を掲載しました。今年2020年のはじめからいままでの間に、多くの皆さまに読んでいただいているブログです。どんなふうにして、ぼくのそれぞれのブログに到達されたかは、ブログを書いてアップロードしているぼく自身にはわかりませんが、とてもありがたいことです。

 どのブログのトピックもぼくにとっては大切なトピックですが、「Most Popular Blogs」のブログを眺め、もう一度読み返してみると、先日かかげたこのサイトのテーマ、「これからの<生きかた>を生きる」ということにおいて、本質的なトピックであることを感じます。

 じぶんで書いておきながら、まるで他のひとが書いた文章を前にしているような感覚をどこか覚えながら、ぼくはそう思います。なお、このサイトのサブテーマ(中心的なサブテーマ)である「じぶんの変容」という観点においては、「じぶん」という存在のあり方は、いつもいつも「同じひとりの存在」ということでは必ずしもないのだということを加えておきたいと思います。このことは、例えば、ぼくと同世代の小説家・平野啓一郎が「分人主義」という視点で「私とは何か?」にきりこんでいるのを参考にすることができます。このことは、また別のブログなり、これから展開していく「少し長めの文章」なりで取り扱いたいと思います。

 「Most Popular Blogs 2020」のブログは、そこからキーワードを拾い出せば、アートと自然、「Life is but a dream」人生観、虚構の時代、物語、自明性の罠からの解放、海外での「unlearning」(体育座りをやめる)。それらを見ていて、それぞれについて書いたブログをインスピレーションに、もう少し長めの文章を書きたいと思ったわけです。

 小説家の村上春樹は、自身の主戦場である「長編小説」に向かうことができるかを、短編や冒頭の書き出しを書くことによって得る感覚に依拠しています。「これはいけそうだぞ」というのが、短い文章を書くことでわかる。そこに大きくひらかれてゆく世界を感じるわけです。同じように、ぼくも短いブログを書いてみて、それを読み返してみるなかで、「これはいけそうだぞ」と感じたのです。

 そんな気持ちになったのは、「もう少し長めの文章」を書こうと思っていたことも理由のひとつです。それから、ブログを再度書き始めてゆくなかで、これまでのやり方をドラマのように「シーズン1」だとすると、「シーズン2」はどんな展開になるのかな、と、じぶんのなかからわきあがる衝動を待っていたところでもありました。

 なにはともあれ、「もう少し長めの文章」を、「Most Popular Blogs 2020」のキーワードをひろいながら書いてみようと思います。「いまある流れ」に逆らわずに、民謡「Row, Row, Row Your Boat」の漕ぎ歌に吹かれながら、下流に向かって、ゆっくりと、漕ぎ続けてゆくように。

Read More
総論, 言葉・言語 Jun Nakajima 総論, 言葉・言語 Jun Nakajima

ぼくの内面からとりだされた「原石」。ー 外出をひかえて「Concept」ページを書く。

しばらくブログに文章をアップしていなかったのだけれど、いまこうして、ブログの文章を書き始めています。前回アップしたのは、2019年6月末のことだから、すでに半年以上が経ちました。

 しばらくブログに文章をアップしていなかったのだけれど、いまこうして、ブログの文章を書き始めています。前回アップしたのは、2019年6月末のことだから、すでに半年以上が経ちました。

 じぶんのサイトでありながら、ひさしぶりに登場するとなると、いったいどのようなことを、どのように書こうかと、迷ってしまうものです。小学生のころ学校を休んで、休み明けにどのように教室に現れるか気にかけた記憶がありますが、ある意味、それと似たところがあります。(どうにも自意識過剰なだけでもありますが、この半年ほどの間に、ぼくの「自意識」は決定的に変容してきたことを付け加えておきます。そのことは別の機会に書きますね)。

 当たりまえですが、この半年ほどの間に、世界ではいろいろなことがありました。ぼくが12年以上住んできた香港も、ご存知のように、いろいろなことがあり、決定的な「変容」を経験せざるをえない状況に直面してきました。

 この間、ぼくもじぶん自身の「変容」のなかに身心をすっぽりと投じていました。ある友人はそんな時期のぼくの写真を見て「憑物がとれた」と表現しましたが、まさにぼくの内なる「ゴースト」が取り除かれたような感覚(映画「ゴーストバスターズ」でゴーストが退治されたっときのような感覚)を、ぼく自身も感じていました。

 外面的な変化をのべておくと、この「変容」の旅路の間に、ぼくは「ミニマリスト」になり、それから「フレキシタリアン(Flexitarian)」(=準菜食主義者)になりました。ぼくの個人的な「持ちもの」はスーツケースほどになり、また、可能な限り「菜食」を楽しむ。そんな変容がぼくにおとずれました。もちろん、突然変異のようにそうなったわけではなく、それまでの小さな試みや思考や願いがずーっとあって、それがかたちとなって結実したわけです。

 そんなふうにして「じぶんの変容」を生きているときに、新型コロナウィルスが現れ、そのとき香港にいたぼくは、刻一刻と変わってゆく社会状況のなかにおかれました。そのときのことはいずれどこかで書こうと思いますが、とにもかくにも、ぼくたち(ぼくと妻)は外出をなるべくひかえ、ぼくはじぶんのホームページの「Concept」ページ(サイト全体をつらぬくコンセプト)の文章を書きました。

 まずはホームページの「Home」の写真をとりかえることからはじめました。「生きる」ということのイメージとして<樹>があったから、この半年の間に撮影した樹のなかから選び、アップロードしました。それから、その樹を見ながら思いついた、<生きる。解き放つ。>ということばをのせてみる。全体テーマとして「これからの<生きかた>を生きる」と書いてみる。そこにこれまでずっと考えてきた「サブテーマ」の三つ、「じぶん」の変容、「異文化」の経験、「人生100年時代」の地平、をおく。そんなふうにして、ホームページ全体をつらぬく、テーマとサブテーマを設定していきました。

 そして、新型コロナウイルス(当時の呼称)の状況を追い、そのための対策をうち、外出をひかえながら、ぼくは「Concept」ページを書いていきました。「これからの<生きかた>を生きる」について、それから、「じぶん」の変容、「異文化」の経験、「人生100年時代」の地平、それぞれについて。

 「Concept」ページのそれぞれを読み返してみて、いまのぼくにとっては納得のいくように書けたように思います。「納得のいく」というのは、うまく書けたとか、過不足なく書けたとか、そういうことではありません。そうではなくて、ぼくが内面で感じ思っていることがらを、ピュアなかたちでとりだすことができた、ということです。とりだした原石はこれから磨いていかなければならないし、磨いた原石にさらにアレンジを加えていかなけれななりませんが、原石をとりだすことができたことで、その先に進めるように、ぼくは感じています。

 そのような「感覚」に導かれながら、ホームページの更新とブログとメルマガのほうを進めていこうと思う地点に、ぼくは到達できたようです。その「到達」は、ぼくを触発し、励まし、支えてくれた、たくさんのひとたちと本の存在に依るところがほとんどです。

Read More
言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

<具体的に>動く。- 「ともかく」ときりだされる、相田みつをの「助言」。

香港の街のあちこちに、それぞれの用事で行ったりしているところで、詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)のことばが思い出される。

香港の街のあちこちに、それぞれの用事で行ったりしているところで、詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)のことばが思い出される。


ともかく
具体的に
動いてごらん
具体的に動けば
具体的な
答が出る
から

みつを


相田みつをのことばのなかで、他のことばと少し印象の異なることばである。他のことばと少し印象の異なるのは、ひとつに、「~してごらん」という仕方で他者に直接に向けられたことばであるからである。

たとえば、少しまえにとりあげたみつをのことばでは、「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」ということばがある。表現的には、直接に他者に向けられたことばというものではない。

もちろん、だからといって他者に向けられていない、ということではないのだけれど、「~してごらん」という表現のような直接性はない。

また逆から見れば、「~してごらん」という表現の直接性は、そのまま相田みつを自身に向けられた(向けられてきた)ことばである。みつをの経験のなかに深く根をはることばであることが、「~してごらん」というように書かれることで、いっそう感じられるのでもある。


それにしても、日々あたまでいろいろと考えすぎて動くことができないひとなどにとって、とてもストレートな「助言」である。こころのどこかで「行動できていないなぁ」などと思っているときなどにこのことばに出会うと、すとーんと、ことばがおちてくる。

あるいは、なにかものごとの流れがとまってしまっているようなときに、生きることの<具体性>へと光があてられる。

あたまであれこれと思い、悩み、ああでもないこうでもないとじぶんの生(とその可能性)を逆にせばめてしまうようなとき、具体的に動くことで、「具体的な答」が出る。

ちなみに、「答」は、べつに「正しい答」というものではない。試験の正解ではない。そうではなくて、具体的に動いたときに生という豊饒性がなげかえしてくる、豊饒な<経験>である。そんな経験に向けて、ことばが放たれてある。


なお、他の文字に比べて少し小さい文字で冒頭に書かれたことば、「ともかく」が、この書ぜんたいのリズムをつくっているのも興味深い。この「ともかく」の文字の小ささが、思い悩む「あなた」へと、耳をじっくりと傾けている相田みつをを想像させる。

「あなた」の思い悩みを聴いているみつをが、小さな仕方で「ともかく」ときりだしてくる。

生きるということの、豊饒で具体的な経験へと向かう扉をひらきながら。

Read More
言葉・言語, シエラレオネ Jun Nakajima 言葉・言語, シエラレオネ Jun Nakajima

書こうと思っても書くことができないとき。- 西アフリカでの「日々」を憶い出しながら。

書こうと思っても文章が書けないときがあるものである。言葉にならないときがある。

書こうと思っても文章が書けないときがあるものである。言葉にならないときがある。

たとえば、心身がほんとうに疲れているときに書けなくなったり、あるいは旅にどっぶりとつかっているときに書けなくなったりする。また、一日だけなど、ある短い時間・期間書けなくなることもあれば、比較的長い時間・期間にわたって書けなくなることもある。

ある程度長い期間にわたって「文章が書けなくなった」ときが、ぼくにはある。ただ書けなくなった(あるいは書かなくなった)のではなく、書こうと思っても書けなかったときである。

それは、2002年から2003年にわたって、西アフリカのシエラレオネに住んでいたときである。紛争が終結したばかりのシエラレオネに緊急支援を展開するNGOの一職員として活動していたときであった。

現地情勢はおちつきを取りもどしはじめているときではあったのだけれど、それでもそこでの現実と情況にぼくは圧倒され、また緊急支援の仕事に没頭しさまざまな問題・課題に直面していたこともあって、ぼくは「書くこと」ができなくなっていた。

もちろん仕事において書く仕事はこなしてはいた。報告書など、日本語と英語で書く仕事はたくさんあった。けれども、ぼくが「体験・経験していること」をその深みにおいてとらえ、言葉に表出してゆくことができなかった。

時間も、心身の状態も、「余裕がない」ということはあった。それほどに忙しかったし、支援の現場をとびまわりながら何役もこなし、マラリヤとも闘いながら、体力勝負のところもあった。さらには異文化のとまどいもついてまわる。

こんななかで、ぼくは書くことができなかった。

そのことを後悔をしているわけではない。とにかく「支援」に注力したことに、後悔はない。

また、書けないことが「悪い」ということでもない。仕事で書かなければいけないことは遂行していかなければいけないけれど、仕事を離れて書くことにおいて書けないことについて、良い・悪いということを言っているのでもない。

ただ、生きているなかではそんなときもある、ということ。それほどに、現実や体験・経験が圧倒するときがあるのだということ。でも、そんななかでも、深いところでは何かを感じているのだということ。それらは、いつか言葉になることもあれば、ならないこともあるということ。言葉になる「いつか」は、ある程度すぐであることもあれば、何年も先であることもあること。

そんなふうにして、体験・経験は、ぼくたちそれぞれの<土壌>となっていること。


ここ香港で、書こうと思っても言葉にならないなぁ、と思っていたら、シエラレオネの「あのとき」の感覚を憶い出したのであった。

Read More
言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima 言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima

<内破する>ということば。- 「卵を内側から破る」方法へ。

<内破する>ということばは、ぼくが好きなことばのひとつである。内側から破ること。

<内破する>ということばは、ぼくが好きなことばのひとつである。内側から破ること。

「内破」ということばをはじめて耳にしたのは、2000年に出版された書物『内破する知 身体・言葉・権力を編みなおす』(東京大学出版会)であったと思う。近代知を<内破>し、新たな知の地平をひらくものとして企画された『越境する知』というシリーズの「プレリュード」として出版された書物であった(※表紙に、画家・彫刻家の奈良美智による独特な「女の子」の絵がかかげられている。それがぼくを惹きつけた)。

ちょうどこの本のシンポジウムが新宿の紀伊国屋でひらかれ、当時ぼくはこのシンポジウムを聴きに足をはこんだ。この書物とシリーズの編集者であり著者の栗原彬が、シンポジウムの冒頭で「内破(implosion)」ということばについて、モチーフと説明を加えていたことを覚えている。

細かい説明を覚えているわけではないけれど、このときから、ぼくのなかに<内破する>ということばが棲みつきはじめたのである。


<内破する>ということは、ことばのとおり、外側から力を加えて破るのではなく、内側からの力によって破ってゆくことである。

いろいろなものを「外部」から変革しようとしてきた時代や社会や組織・集団や人などを見て、あるいは経験しながら、「内側」の充溢した力によって内側から破ってゆくこと、突破してゆくこと、変革してゆくことが、いっそう大切であると、ぼくは思う。

これからの社会が変わってゆくうえでも、コミュニティが変わってゆくうえでも、組織・集団が変わってゆくうえでも、そして、個人が変わってゆくうえでも、それぞれに、<内破する>ことが決定的に重要である。


<内破>ということばがぼくのなかに棲みつきはじめてからだいぶ経って、ぼくは、見田宗介(社会学者)が、「卵は内側から破られなければならない」というダグラス・ラミスのことばをとりあげて、「世界を変える方法」について書いているところに出会った(『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年)。

外側から卵を割るのではなく、内側の生命みずからが、育ってゆくことを阻害するものがあるのであれば、卵を内側から破っていかなければならない。見田宗介はこれからの世界の「変革」の方法について、この点を強調している。

<内破する>という仕方は、ぼくが生きてきた実感としても、とても大切な方法であることを、ぼくは感じる。


さて、水俣病の場に身をおきながら実践し考えてきた栗原彬は、冒頭に挙げたシンポジウムのなかで、市民社会の「行き詰まり」は必ずしも「悪い」ものではないということを語っていた。「行き詰まり」を感じることの重要性に焦点をあてたからである。栗原彬は、「行き詰まり」は<内破への契機>になるのだと、指摘したのであった。

ぼくたちが経験する、さまざまな「行き詰まり」を<内破への契機>として生ききること。「行き詰まり」自体を豊饒に生きつくすこと。そして、<内破する>こと。じぶんの「内側」から破ってゆくこと。

「世界」はそんなふうにして、今までと違った風景をみせてゆくことになる。

Read More
言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima

「しあわせは…」( 相田みつを)。- 香港の小道を歩きながら。

詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)のことばに、よくとりあげられる、次のことばがある。

詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)のことばに、よくとりあげられる、次のことばがある。


しあわせは
いつも
じぶんの
こころが
きめる

みつを


ここでは「ことば」だけをひろったけれど、ぜひ、相田みつをの「書」を見てほしい。「書」のなかに、その一文字一文字、あるいは余白に、書を見る人それぞれに「何か」を感じるだろう。


ここ香港のレストラン(というより大衆食堂)で遅めのお昼をとった帰り道に、木漏れ日が射すなかを歩きながら、ふと、相田みつをのこのことばが思い浮かんだのであった。

このことばにはじめて触れたのはいつだったか。20年以上まえ、相田みつをの存在とことばをはじめて知り、読んだときにも、このことばに出会っていたような気もするけれど、定かではない。確かなのは、2010年に、東京フォーラムの相田みつを美術館での出会い(あるいは再会)である。

母が亡くなった喪失感のなかで、たまたま東京国際フォーラムの近くを歩いていたとき、なぜか、ぼくは相田みつを美術館にひきつけられたのだ。そして、そこで出会った相田みつをのことばたちに、ぼくは、ほんとうに支えられたのである。

そんなことばたちのひとつに、このことばがあった。


このことばは「あたりまえ」のことだと言われれば、そうかもしれない、とぼくは応える。

ぼくにとっては、ひとことひとこと、「しあわせ」も、「いつも」も、「じぶん」も、「こころ」も、そして「きめる」も、自明のことではないのだけれど、まずはそう応えるだろう。けれども、これらひとことひとことをいったん置いたとしても(日常意識でふつうにとらえたとしても)、この「あたりまえ」が実際にはすんなりと日常にはいっていかないところに、いろいろと考えさせられるのである。

「あたりまえ」のことであっても、頭ではわかっていても、あるいは心の奥深くにおいてわかっていても、いつのまにか、じぶんではない他者やモノに、じぶんの「しあわせ」が依存してしまっていたりすることがある。

相田みつをの「書」を見てみると、最後の「きめる」の文字が相対的に細めで、字がかすれている。わかっていても、「きめる」という動詞を日常に展開させることのむつかしさが、この文字の揺らぎにあらわれているように、ぼくには見える。


木々がゆれ、その先に海の存在を感じながら、ふと、相田みつをのこのことばがぼくの心に浮かんだのは、ようやく、このことばが語る経験をぼくが日常のなかで感覚し、生きはじめたからかもしれない。

それは、相田みつをの細く少しかすれた「きめる」の文字のように、決して力強いものではない。でも、生きる経験を積み重ねてゆくなかで、より深く感じるようになってきていることを、ぼくは思う。

Read More
香港, 言葉・言語 Jun Nakajima 香港, 言葉・言語 Jun Nakajima

レストランのメニューの「英語訳」。- 香港で出会う「可笑しさ」。

レストランのメニューの「英語訳」が結構むつかしいことを実感したのは、大学時代にアルバイトをしていたレストランバーであったと記憶している。

レストランのメニューの「英語訳」が結構むつかしいことを実感したのは、大学時代にアルバイトをしていたレストランバーであったと記憶している。

新宿駅のすぐ近くにあったそのレストランバーでアルバイトをしていたのだけれど、ときおり、英語スピーカーのお客様に料理の説明を英語でするように頼まれたりすることがあった。英語(だけ)はそれなりに勉強し、外国語の大学に通っていたぼくだったのだけれど、思うように説明できなかった。

そののちに、ニュージーランドに住みながら日本食レストランでアルバイトしていたときも、日本食とその料理の仕方を上手く説明できた記憶がない。

英語以前の問題(料理の知識不足など)もあるのだけれども、メニューや料理の仕方を「英語」にするのは、ぼくにとって、それほど容易ではなかったし、今もときおり困ることがあるものだ。


だから、人のことを笑うことができる立場でもない。でも、レストランで「可笑しい(おもしろい)」英語訳(ときには明らかに「間違っている」英語訳)に出会うと、笑ってしまうことがある。

ここ香港で出会った、レストランメニューの「可笑しい(おもしろい)英語訳」に、「fired」がある。中国語をみると、焼くとか炒めるといった意味だから、「fried」じゃないかと思って、同じメニューの他の英語訳を確認すると、やはり「fried」となっている。

「fired」の名詞は「fire(火)」であるし、動詞に一応「焼く」という意味もあるから(異なる文脈で)、100%間違っているとは言いきれないなぁ、意図的ということもありうるなぁと思いながら、しかし、やはり英訳ソフトの問題か、あるいは「fried」への変換ミスじゃないかとも思うのである。

それも一度だけの経験ではなく、異なるレストランで、いくどか「fired」に出会うのだから、考えさせられてしまうのである(また、「fired」には「解雇される」という意味合いもあるから、マネジメントや人事にかかわってきた身としても、複雑な思いもまじってくるのである)。

これはひとつの例であるけれど、レストランのメニューの英語訳をながめながらおもしろい訳に出会うのは、ぼくにとって、楽しみのひとつである。

こんな楽しみをもつことができるのは、漢字も英語も一応読むことができるからだろうと思う。漢字が読めず英語しかわからない人が、おかしい英語訳に直面したとき、なにがなんだかわからないだろう(それはそれで楽しいかもしれない)。

このような「楽しみ」も、翻訳ソフトや機能の向上などに伴い、いつかはなくなってしまうものかもしれない。

Read More

「人生はかくも単純で、かくも美しく輝く」(村上春樹)。- アイラ島独特の生牡蠣の食べ方を一例に。

シングル・モルト・ウィスキーの「聖地」である、スコットランドのアイラ島での旅をつづった、村上春樹のエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)。この本のなかで、ボウモア蒸溜所のマネージャーであるジムが、島でとれる生牡蠣の食べ方(あるいは、シングル・モルトの飲み方、とも言える方法)を村上春樹に教えるところがある。

シングル・モルト・ウィスキーの「聖地」である、スコットランドのアイラ島での旅をつづった、村上春樹のエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)。この本のなかで、ボウモア蒸溜所のマネージャーであるジムが、島でとれる生牡蠣の食べ方(あるいは、シングル・モルトの飲み方、とも言える方法)を村上春樹に教えるところがある。

島独特の食べ方とは、生牡蠣にシングル・モルトをかけて食べる、という仕方である。「一回やると、忘れられない」という、この食べ方を、村上春樹は実際にレストランで試してみることにする。


 レストランで生牡蠣の皿といっしょにダブルのシングル・モルトを注文し、殻の中の牡蠣にとくとくと垂らし、そのまま口に運ぶ。…それから僕は、殻の中に残った汁とウィスキーの混じったものを、ぐいと飲む。それを儀式のように、六回繰り返す。至福である。
 人生とはかくも単純で、かくも美しく輝くものなのだ。

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)


この箇所に触発されて、アイラ島ではないけれども(ぼくはまだアイラ島に行ったことがないがいずれ訪れてみたい)、生牡蠣にウィスキーをかけて食べる、という仕方を、これまでに幾度か、実際にやってみた。

確かに、一回やってみると忘れられない。なんともいえない風味と味わいが口のなかに残るのである。これが、アイラ島で、しかもそこでつくられるシングル・モルトであったらと想像すると、「至福の時」が思い浮かぶのである。


でも、このエッセイのこの箇所がぼくの記憶に残った理由は、この食べ方に加えて、村上春樹の言明にあった。「人生とはかくも単純で、かくも美しく輝くものなのだ」という、言明である。「生牡蠣にシングル・モルトをかける食べ方」はひとつの例として、ぼくのなかに根をはったのは、「人生とはかくも単純で、かくも美しく輝くもの」ということであった。

そのような見方で人生を見渡してみると、「かくも単純で、かくも美しく輝くもの」に充ちていることに気づくことがある。もちろん、人の生はそんな気づきがあったり、気づきから遠ざかったり、また深く気づいたりと、なかなかシンプルにいかないものだったりする。あるいは、頭ではそうとわかっていても、実感がわかなかったりする。さらには、「単純」ではない方向に生きていって、思っていたものが見つからないと嘆いたりする。

それでも、やはり気づくときがある。「人生とはかくも単純で、かくも美しく輝くものなのだ」ということを。

「生牡蠣にシングル・モルトをかける食べ方」よりもいっそう単純なこと、たとえば、朝の凜とした空気に身体をさらすこと、好きな人(たち)とことばを交わすこと、水をのむこと、などなどの、いっそうシンプルなことのなかに、ぼくたちは、人生が「かくも単純で、かくも美しく輝くもの」である実体を見出すのである。


最近はじぶんのまわりの整理整頓をすすめ、モノを減らしていっているのだけれど、そのプロセスのなかで、いっそうシンプルなものごとのなかに「かくも単純で、かくも美しく輝くもの」を見つけ出すようになってきていることを、ぼくは感じる。あるいは、逆に見れば、シンプルなものごとのなかに「かくも単純で、かくも美しく輝くもの」を見つけ出すなかで、整理整頓がすすみ、モノを減らすことができているのかもしれない。

Read More
言葉・言語, Jun Nakajima 言葉・言語, Jun Nakajima

「ことば」がむつかしい時代に。- 「ことば」を取り戻すために採用する「二段階の方法」+「もう一段階」。

「ことば」がむつかしい時代である。1990年代、10代から20代をかけぬけたぼくは、地に足のついた「ことば」を求めていたけれど、それから時代が変遷してゆくなかで、「ことば」がほんとうにむつかしい時代になっていると思う。

「ことば」がむつかしい時代である。1990年代、10代から20代をかけぬけたぼくは、地に足のついた「ことば」を求めていたけれど、それから時代が変遷してゆくなかで、「ことば」がほんとうにむつかしい時代になっていると思う。

「ことば」はもともと生を裏切るものだという根底的な「ことば」のむつかしさもあるけれど、それよりももっと日々の「ことば」の次元において、「ことば」は<虚構性>をそのうちに増殖させながら、それらを聞く人や語る人のなかにひろがり、浮遊してゆく。

そんな浮遊する「ことば」がいつしか(内的であろうが外的であろうが)「自分が語ることば」となる。虚構性を増殖させた「ことば」は、それを吸収し培養させた個人たちのなかで、彼・彼女を混乱させ、矛盾のなかに投げ込み、なにがほんとうなのかをわからなくさせる。

「ことば」がむつかしい時代である。


1990年代のぼくを振り返ると(結果的に見ると、ということだけれど)、「ことば」を取り戻してゆくために、ぼくは「二段階の方法」を採用していたようだ。この方法を支えていたのは、海外(日本の外)への一人旅であった。

方法の一段階目は、日々の「ことば」の洪水から、いったん<外>に抜け出ることである。海外への一人旅は、この<外>へ、ということにおいてきわめて効果的であった。毎日当たり前のように聞いて、読んで、話している「日本語の世界」から抜け出ることで、いったん洪水をせきとめるのである。

方法の二段階目は、「身体」を使うなかで(身体性を取り戻しながら)「ことば」を取り戻してゆくこと。もちろん、誰だって「身体」は毎日使っているのだけれど、ここでは、実際に行動しながら、世界を歩きながら、自分の「身体」で体験しながら、自分の「ことば」を取り戻してゆくことを指している。

アジアを旅しながら、ニュージーランドに住み、ニュージーランドをじぶんの身体で歩きながら、ぼくは地に足のついた「ことば」を取り戻そうとしていた。振り返って見てみると、そんな側面が見えてくる。

採用した「二段階の方法」によって、うまくいったところもあれば、うまくいかなかったところもある。でも、少しでもうまくいったこと、つまり「ことば」を取り戻したという感覚を少しでも得た経験は、ぼくにとってはとても貴重であった。

ぼくの心身に、迷ったときの道しるべとなるような杭が打たれたように思う。


あれから時代がすすみ、経済的なグローバル化が完遂し、情報技術テクノロジーの発展のなかでSNSなどが現れ、どこに行っても、虚構性に満ちた「ことば」の洪水にさらされる。「ことば」がずいぶんとむつかしい時代だ。

だからかもしれない、と、ぼくは思いつく。

1910年代から1920年代に生まれた著者たちの「ことば」に最近惹かれてやまないのは、彼ら・彼女たちが「ほんとうのことば」を求めてきた世代であったから/あるからかもしれない、と。浮遊する「ことば」ではなく、地に足をつけながら、同時に飛翔しようとする<ことば>を紡ごうとする世代。

「方法の三段階目」として、このような方法を付け加えることができるかもしれない。

Read More

「アイデンティティ」について。- いきものがかりの曲「アイデンティティ」から。

音楽グループ「いきものがかり」に、「アイデンティティ」という曲がある。CM用に作られた曲であるが、その曲名、「アイデンティティ」に目がひかれる。

音楽グループ「いきものがかり」に、「アイデンティティ」という曲がある。CM用に作られた曲であるが、その曲名、「アイデンティティ」に目がひかれる。

「わたしは今 わたしは今 夢中で生きていくんだ こころよ自由になれ」と歌われるなかに、しかし、「アイデンティティ」という言葉は出てこない。曲名だけに「アイデンティティ」という言葉があてられている。


それにしても、「Identity(アイデンティティ)」という言葉は、わかったようでいて、なかなか説明しづらい言葉でもある。日本語に訳すとなると、ぼくのあたまのなかには、辞書的に「自己同一性」が思い浮かぶ。しかし、この日本語訳は、原語のニュアンスからずれているようにも感じる。

「自己同一性」以外にも、「主体性」や「存在証明」といった日本語訳がこころみられたようなのだが、やはりニュアンスを伝えきれずに「アイデンティティ」というカタカナ語が定着したようだ(見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫)。


見田宗介(社会学者)は、「アイデンティティ」とは結局、「『私とは何か』という問いに答える『自分らしさ』のようなもの」であると、書いている(前掲書)。

この説明はより本質をついたものである。

ところが、「アイデンティティ」という言葉が一般的に使われる文脈では、「私はどこに属するか」というほうに問いが向けられてしまうようなところがある。1970年代に日本の若い世代を深く捉えたこの主題は、1980年代になって全国民的にひろがり、「日本のアイデンティティ」や「日本人のアイデンティティ」などと使われるようになったようだ。「アイデンティティ」ということで、1970年代の青年たちは「個」としての生きかたに焦点をあてたのに対し、「国家」や「民族」というところ(つまり、「私はどこに属するか」)に向けられた力学がはたらいていく。

「Identity(アイデンティティ)」という言葉の困難さは、その日本語訳のむずかしさだけにかぎらず、「アイデンティティ」をめぐる状況の複雑さがからんでいるようだ。


ところで、「アイデンティティ」を「『私とは何か』という問いに答える『自分らしさ』のようなもの」という見方をもう少しひろげて見る人たちもいる。


 わたしたちは誰しもが、わたしはこういう人間だという、じぶんで納得できるストーリーでみずからを組み立てています。精神科医のR・D・レインが言ったように、アイデンティティとは、じぶんがじぶんに語って聞かせるストーリーのことです。
 人生というのは、ストーリーとしてのアイデンティティをじぶんに向けてたえず語りつづけ、語りなおしていくプロセスだと言える。

鷲田清一『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)


本質的には「『私とは何か』という問いに答える『自分らしさ』のようなもの」とおなじだけれど、それを「ストーリー(物語)」という角度から照射している。


冒頭にあげた、いきものがかりの曲「アイデンティティ」には、「わたしは今 わたしは今 夢中で生きていくんだ」と歌われたあとに、つぎのようにつづくところがある。「闘って闘って かわりのない ものがたりを この手でつくりつづける こころよ自由になれ」。

この歌の「わたし」は、「ものがたり」をつくりづける主体として生きている。「個」としての生きかたを探求しつづける「わたし」である。

河合隼雄(1928ー2007)がかつて語っていたように、標準的な物語をおいかけるのではなく、「個人の物語」を構築していかなければいけない時代に、ぼくたちはいる。歌の「わたし」は、どの方向にだとか、どのようにものがたりをつくるかは語らない。でも、「こころよ自由になれ」と、自由になりきれていないこころをひらこうとしている。

1970年代の青年たちを捉えた主題(「アイデンティティ」)が、今も、青年たちを捉えている。そこにはかわりない切望があるのだろうか、あるいはどこか違ったかたちで青年たちをとらえているのだろうか。

Read More
成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima 成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima

「受け売り」の効用。- 思想家・武道家の内田樹の「話し方」。

「自分の意見」を持て、などと言われる。でも、かんがえてみれば、「自分の」意見って、特定がむずかしい。「むずかしい」という言い方も正確ではないとさえ思える。「自分の意見」、さらには「自分」をつきつめてゆくと、そこにはさまざまな「他者」が現れるからだ。

「自分の意見」を持て、などと言われる。でも、かんがえてみれば、「自分の」意見って、特定がむずかしい。「むずかしい」という言い方も正確ではないとさえ思える。「自分の意見」、さらには「自分」をつきつめてゆくと、そこにはさまざまな「他者」が現れるからだ。

「良心の声は両親の声」と言われるように、自分が「良心」とかんがえていることは、親から言われつづけて(また親子のコミュニケーションのダイナミズムを通じて)、「自分の声」となるほどまでに内面化されたことであったりする。


思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎は、そのことを承知のうえで対話をしている(『身体の言い分』毎日新聞文庫、2019年)。

内田樹は、自身を「受け売り業者」みたいなものだとみなしている。「受け売り」ということばは、日常では否定的なニュアンスで語られるけれども、「受け売り」で話す仕方を、方法論として深めている。


内田 …自分の意見はもうとっくに聴き飽きてるし。受け売りはね、同じ話を何度しても飽きないんです。受け売りで何度も繰り返す話って、ちょっと変な味わいの話が多いんですよ。何かね、どこか噛み砕きにくいところが残っているんです。だから同じ話を二度話すと、「ああ、この話はこういうことだったのか」と腑に落ちるということがあるわけです。三度目に話すと、また「ああ、そういうことだったのか」と。他人の話というのは味わい深いですよ。

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


「自分の意見はもうとっくに聴き飽きてる」というように、内田樹が「受け売り」を方法論とするうえで、「自分の意見」は考えつくされ、また、話つくされていることは確かだ。「自分の意見」がないままに、ただ「受け売り」を繰り返しているのではない。

そのことをおさえたうえで、内田樹がつづけて語ることばに耳をすませてみる。


内田 …だから、自分で全部きちんと理屈を通せる話というのはかえって自信がもてないんです。ぼくごときの人間が「全部わかってしまう話」というのは、あんまりたいした話じゃないだろうなと思うから、テンションも上がらない。
 でも、この辺はよくわかるけれどもこの辺はなんだかよくわからない話ってあるでしょう。そういう話って、どうやったら辻褄が合うんだろうと一生懸命考えながら、時々「あ、そうか!」と一人で頷いたりしゃべっているから、結果的にはけっこう感動的なパフォーマンスになったりするんです。

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


なるほど。「けっこう感動的なパフォーマンスになったりする」ことのからくりがわかるような気がする。「自分→他者」に伝えるという、一方向的な仕方ではなく、「自分と他者」が共に「あ、そうか!」を分かち合うような時がおとずれる。その場において、感動が、生成する。双方に、あるいは双方向的に。それからもちろん、感動的なパフォーマンスは、「結果的に」、であるけれど。

このように、「受け売り」で話す仕方が、自ら楽しむこととして、また「自分の意見」あるいは「自分」を乗り越えてゆく方法として、意識的にとりこまれている。

集団のなかに自分が埋没してしまうのでもなく、あるいは「自分」が他者から切り離されたものとして徹底されるのでもなく、自分と他者との相互的な関係を捉える仕方で、ある意味、集団主義も、個人主義も乗り越えられている。「受け売り」を、肯定的に活用することによって、である。


それにしても、「自分の意見」だと思っていることも、あるいは「自分」だと思っている自分も、「他者の意見」や「他者」のありかたによって構築されたものであったりするのである。

けれども、そこでの「他者たち」の組み合わせや交響の仕方、あるいは生きられ方・経験のされ方は、それでも個々人によって異なるものである。内田樹にとっては、いつも、フランスの哲学者レヴィナスと武道家の多田宏の「意見」や「考え方」が響いているのだけれど、レヴィナスと多田宏の組み合わせと交響がかなうのは「内田樹」を通してであるし、また「内田樹」という人の生を通してである、ということだ。

その意味において、意見や考え方、さらには生きかたの「多様性」に、人はひらかれている。

Read More
言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

外国語を、せいいっぱい聴き、伝える。- 中浜万次郎たちの「英語」。

日本の外(海外)で暮らしていると、ときおり、昔の日本人たちがどのように異国にわたり、そこで生きていたのかに関心が湧くことがある。あるいは、そのような「物語」に出くわすと、深い好奇心に火が灯るのを感じる。


日本の外(海外)で暮らしていると、ときおり、昔の日本人たちがどのように異国にわたり、そこで生きていたのかに関心が湧くことがある。あるいは、そのような「物語」に出くわすと、深い好奇心に火が灯るのを感じる。

2019年、ぼくは思想家の鶴見俊輔(1922-2015)のいくつかの著作を読もうと思って、鶴見俊輔『旅と移動』黒川創編(河出文庫)のページをひらく。「旅と移動」というタイトルにあるように、そこには海外にかんすることが書かれていたりする。

鶴見俊輔自身の経験をつづった「わたしが外人だったころ」という文章もあれば、たとえば、「中浜万次郎」が描かれていたりする。

この、中浜万次郎(ジョン・マン、ジョン万次郎)を描いた文章「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」は、鶴見俊輔による<成長的な見方>(ある人が生き、失敗し、その体験をもとに成長していく、その過程を思想としてつかむこと)によって、この人物の「思想」にせまってゆく。心が揺さぶられる文章である。

19世紀半ば、万次郎(14歳)は土佐出身の他の四名(漁師たち。筆之丞など)と共に離島に漂流し、そこで143日を生きのび、アメリカの捕鯨船(ハラウンド号)に救出される。日本は鎖国の時代である。

この救出の場面、万次郎たちにも、捕鯨船の船員たちにも、「相手を同じ人間と見る心があったのがしあわせだった」と、鶴見俊輔は書いている。「相手を同じ人間と見る心」が、人間にとって、「あたりまえ」のことではないからだ。とりわけ、当時の状況や無人島生活の心理のなかにあってである。

ともあれ、この「しあわせ」によって出会うことができ、万次郎たちは救出され、捕鯨船での旅に加わってゆく。

「言葉」は、どうしたのだろうかと思わずにはいられない。万次郎たちにとってははじめての「外国人」との出会いであり、捕鯨船の船員たちも、万次郎たちがどこから来たのか、最初のうちはわからない。

万次郎たちは救出されてのち、少しずつ事情をつかみ、船が捕鯨船であることを知り、「マサツーツ」という国の船で、船頭の名が「ウリヨン・フィチセル」ということを知ることができた。

ここでいう「マサツーツ」はアメリカのマサチューセッツ州、「ウリヨン・フィチセル」はウィリアム・ホイットフィールドである。

自身、アメリカにも滞在していたことのある鶴見俊輔は、つづけて、つぎのように書く。

…日本語しか知らない耳で英語の発音をきくと、このように聞きとれた。この発音は…英語が義務教育の一部として教えられている今日の日本から見ると、変にきこえるが、こんな発音でもともかくも、万次郎たち五人は日本人全体に先んじて英語をききわけたり話したりすることができるようになり、その後の数年間、日常生活をこの流儀でおしとおしたのだ。

鶴見俊輔「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」、『旅と移動』黒川創編(河出文庫)所収

この「流儀」については、筆之丞たちが日本に帰ってから日本人に教えた英単語を見てみると、さらに理解できるように思われる。

こんな具合である。

地  ガラヲン
木  ウーリ
火  サヤ
水  ワタ
暑  ハアン
寒  コヲル
春  シブレン

鶴見俊輔は「もとのつづり」を推定して書いてみている。

地  ガラヲン  ground
木  ウーリ     tree
火  サヤ        fire
水  ワタ        water
暑  ハアン     hot
寒  コヲル     cold
春  シブレン   spring

これらを見やりながら、「こういう発音でも、必要に応じてせいいっぱい使えば、アメリカの暮らしに不自由はなかったということが、わかる」と、鶴見俊輔は書いている。

ぼくの経験からも、「必要に応じてせいいっぱい使えば」という流儀が、よくわかるような気がする。また、下手に「カタカナ」で発音するよりも、「ききわけたままに」発音してみたほうが伝わることがあるものだ。筆之丞たちの単語表のカタカナ表記を見ていると、そんなことも思ったりするのだ。

でも、「必要に応じてせいいっぱい使う」機会がなかったり(自らなくしてしまったり)、そんな機会を逃してしまったりしてしまうのも、今の時代かもしれない。他の方法が「便利」にも、見つかるからである。ぼくも「便利さ」にながれてしまったりする。

それでも、ぼくのなかにも、「せいいっぱい」聴き、「せいいっぱい」伝えるという経験が、生きている。そんな経験をしているとき、言葉が「言葉」になっていなかったかもしれないと思う。でも、それはある意味、言葉でありながら、「言葉」を超えてゆくときでもあった、と、ぼくは思う。

Read More
言葉・言語, 河合隼雄 Jun Nakajima 言葉・言語, 河合隼雄 Jun Nakajima

「無意識」、あるいは「深層意識」という言葉のこと。- 河合隼雄と井筒俊彦に学びながら。

「意識」にたいして、「無意識」という言葉が使われることがある。日常の意識とは異なり、もっと深いところにあって、普段はあらわれないような次元の意識である。ぼくも、普段の会話では、この深い次元の意識のことを「無意識」という言葉で語ったりする。

「意識」にたいして、「無意識」という言葉が使われることがある。日常の意識とは異なり、もっと深いところにあって、普段はあらわれないような次元の意識である。ぼくも、普段の会話では、この深い次元の意識のことを「無意識」という言葉で語ったりする。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)は、著作のなかで、この「無意識」ではなく、「深層意識」という言葉をよく使っている。河合隼雄の著作群を読みながら、そのことに気づいてはいたのだけれど、より具体的に、その「理由」を知ってはいなかった。あくまでも、「おそらく」の推測で、ぼくは考えていただけであった。

そんな折に、河合隼雄自身が、「フロイトやユングが無意識と言っているのはおかしい」、と語っているところに、著作のなかで出くわすことができた。


…フロイトやユングが無意識と言っているのはほんとうはおかしいと思うのです。なぜかと言えば、無意識と言っても、結局、その話をするわけですから、意識ですね。意識しないと話はできないわけだから。したがって「私は無意識的にこういう癖があるんです」と言ったとたんに意識化されているわけです。だから無意識という言葉を使うのはおかしいと思うんですが、フロイトやユングは西洋人ですから、自分を対象化するときに自分が意識でこう思って、心のなかを対象化したものを無意識と呼んでいると考えると、よくわかります。ですから正確には対象化してみると、自分の深いところにこういう癖があったと、そういう言い方をすべきなのでしょう。それで自分の今の意識と違う言葉を使わなければならないので、無意識と言ったのだと思います。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


ここでの主題は「明恵上人と宮沢賢治の共通点」(※この主題はこの主題で非常に興味深い)で、東洋的なところに焦点をあてていることから、フロイトやユングの「西洋的な見方」が比較対象としてもちだされている。

東洋的なところでは、このあとすぐに語られているように、たとえば東洋の宗教では、「対象化せずに、自分がそのなかに入っていく」ことになる。そこで、意識の「段階」が変わるといった感覚において、「深層意識」という言葉のほうがいいと、河合隼雄は語っている。


ところで、ここ数日ブログでもとりあげている、井筒俊彦(1914-1993)の『意識と本質』(岩波文庫)を読んでいて、このあたりの言葉が、哲学的な色彩をあびながら、しかしとても明晰にふれられ、語られていることに、関心をひかれる。

じぶんに学ぶ準備ができたときに、やはり、「師」はあらわれる。

『意識と本質』では、最初から、「表層意識」と「深層意識」というような言葉が使われている。このような言葉を丁寧に布置しながら、井筒俊彦は「意識」について書いている。言葉の布置が決定的な役目を果たしているのを読んで、まさに、「東洋哲学全体の地図を作成しようとしている」(大澤真幸)書物であることを感じる。

なお、以前のブログでも書いたように、『意識と本質』は、河合隼雄が勧める「この一冊」でもあり、井筒俊彦による言葉の布置に親しんでいたと思われる。

それぞれのものごとをどのように言葉であらわし、それぞれの言葉をどのように位置付けるのか。ただの「言葉の布置」でしかない、と片付けてしまうにはもったいない。井筒俊彦も河合隼雄もそれぞれに、じっさいの「経験」にせまってゆく仕方で、「言葉」を丁寧にとりあげ、位置付けている。

意識と無意識、表層意識と深層意識、といったテーマは、ぼくにとっても決定的に大切なテーマであるから、井筒俊彦や河合隼雄の言葉の使い方や言葉の布置に学ぶところが、ぼくには山ほどある。

さて、これからどう言葉を使おうかと考えてしまうけれど、「無意識」という言葉のほうが日常ではよく使われるから、相手や文脈をたしかめながら、これからも「無意識」という言葉を、ぼくは使っていくだろう。けれども、時と場合によっては、「深層意識」という言葉を使っていこうとも思う。さしあたっては。

Read More