「虚構の時代」の深まっていく時代に。- 「次にくる時代」をいま生きる方向へ舵をとる。 / by Jun Nakajima

🤳 by Jun Nakajima

 

社会学者の見田宗介は、今ではよく知られる論考において、1945年以降における日本の現代社会史を、「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)にふれながら、また日本の「高度成長期」とも絡めながら、3つの時期の特徴を語った(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。

 

  1. 「理想」の時代:人びとが<理想>に生きようとした時代(1945年~1960年頃:プレ高度成長期)

  2. 「夢」の時代:人びとが<夢>に生きようとした時代(1960年~1970年前半:高度成長期)

  3. 「虚構」の時代:人びとが<虚構>に生きようとした時代(1970年後半:ポスト高度成長期)

 

この区分と特徴をぼくが知ったのは2000年頃のことであったけれど、それは「眼」を見開かせるような経験であった。

どのような時代を超え、そしてぼくはどのような時代に生きているのかを知るだけでも、ぼくにとっての「世界の見え方」はおどろくほどに変わり、「世界の出来事」を視る眼も変わった。

 

見田宗介は、この論文を書いた1991年以後、「虚構の時代」の後にくる時代についてよく聞かれることになる。

 

「バーチャルの時代」というふうに僕も言ったことがありますが、それは結局、虚構の時代の延長なのです。虚構の時代がもっと深まって居直っただけであって、結局、高度成長期の前と真ん中と後ということだと思います。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年

 

2010年に行われた講演会の質疑応答で、見田宗介はこのように、「虚構の時代の後」を語っている。

 

そうすると、この「虚構の時代」の深まっていく形は、どこまで続いてゆくのだろう、という疑問が、おそらく次に立てられるかもしれない。

ここで、見田宗介が別に展開する太い線、つまり、人類の人口増加率と社会の推移を視野にいれることになる。

見田宗介は、人口増加率の観点から、人類は「第II期:高度成長」から「第Ⅲ期:安定平衡」の時期に入らなければいけない時代にきていることにふれながら、上述の講演での質疑応答で、続けて次のように語っている。

 

…人類の全体の人口の増加率を見ると、もうすでに第Ⅲの時期に入らなければいけない時代にきているけれど、第Ⅱ期の高度成長をいつまでも続けよう、また高度成長を復活させようなんていう政治家とかまだいますからね。そうすると人気が出たりする。そういうメンタリティーとか社会システムが非常に力強くまだ働き続けているものだから、環境限界に達した後、実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ないのです。欲望を作り出すとか、フィクションの世界で無限に商品を売るとかね。
 そうすると、本当に第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむという時代が来るまでは虚構の時代であらざるを得ないと思うんです。…第Ⅱ期が終わった後の第Ⅲ期がはじまるまでのいわば中間であって、無理やりに第Ⅱ期的な高度成長を続けようと思えば、虚構の時代にならざるを得ない。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年

 

2010年に語られた内容だけれど、ますます、現代の社会の状況を照らし出す明晰な分析と理解を、ここに見てとることができる。

無理やりに高度成長を続けていこうとする/復活させるような時代において、「虚構の時代」が要請されてしまうなかに、ぼくたちはいる。

「実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ない」と見田宗介が語るように、そのような現実の現象が、社会のあらゆるところで見られる。

情報通信技術がそこに重なりながら、「フィクション」はますますフィクション性を強め、巧妙になってきているなかで、「虚構の時代」はますます深まっている。

 

そのような時代にあって、時代を見晴るかす視点をもち、時代に垂直に立ち、そして「第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむ時代」を現実に生きながら、きりひらいてゆくところに、ぼくは照準を定めている。