「コロナ後の後」の見晴らし。- ずーっと先を大きく見晴るかす見田宗介の著作との「対話」から。

今年2020年1月から新型コロナの情況をくぐりぬけてゆくなかで、新型コロナ自体への対応・対策をさまざまに施しながら、やはり「コロナ後」のことを考えてしまう。もちろん「この」新型コロナがおさまったあとの「コロナ後」もそうだけれど、もっとずっと先、数十年後、あるいは100年後といった時間軸のなかで、「コロナ後」の「後」の世界のことを考えてしまう。

 今年2020年1月から新型コロナの情況をくぐりぬけてゆくなかで、新型コロナ自体への対応・対策をさまざまに施しながら、やはり「コロナ後」のことを考えてしまう。もちろん「この」新型コロナがおさまったあとの「コロナ後」もそうだけれど、もっとずっと先、数十年後、あるいは100年後といった時間軸のなかで、「コロナ後」の「後」の世界のことを考えてしまう。

 思いきって、ずーっと先を見晴るかす。そんな視界のひろさを深い次元で教えてくれたのは、やはり、見田宗介先生(社会学)であったと思う。ぼくは「生き方」の方向性の大きな部分を、見田先生から学んできた。社会「学」という枠組みにはおさまりきらない「思想」が、そこには宿っている。生き方としての思想だ。

 コロナ禍をかけぬけてゆくなかで、ぼくの感覚と思考の一部には「見田宗介の感覚と思考」が重なっていることを思う。「見田宗介先生だったら(こう語るだろう)…」というプログラムがぼくの思考にはたらきかけて、ぼくはしばしば沈思することになる。

 それでも見田先生の発言に触れたくなって、ついついグーグル検索で見田宗介先生の発言がないかどうかを検索してしまったりするのだけれど、見田先生はこういう情況においてすぐには発言をされないことをぼくはわかっているから(たとえば、アメリカの「911」のときもすぐには発言されなかった)、やはり検索結果に表示されなくても残念には思わない。ぼくは見田宗介先生の著作をひらいて、そこで見田宗介先生と「対話」する。想像の対談。あるいは「創造」の対談である。

 ちなみに、ぼくは大学生として見田宗介先生のもとで学んだわけではない。いわゆる私淑だ。見田宗介(ペンネームは真木悠介)の著作群を通じて、かれこれ25年程にわたって学んでいる。それでも、20年ほど前、横浜の朝日カルチャーセンターの見田宗介先生の講義を聴講した「体験」は、いまでもぼくのなかに深く残っている。もちろん、ぼくはその講義のなかで見田先生に直接に質問をしてみた。そのときの<束の間の対話>は、それ以後、ぼくの内面で見田先生と「対話」するときの、身体的感覚のベースとなっているのだろうと、ぼくは思う。

 コロナ禍ではいろいろなことが「オンライン」上でなされる。それはとてもいいことだと考える一方、ひととひととの、あるいはひとと自然との、身体的な直接の出逢いや共振といったものの大切さを憶いおこさせる。

 「コロナ後の後」のことに戻ろう。時空間の軸をすーっとひろげてみて、つぎのような「考え方」のことを考えてみる。

 人口が大爆発期を迎えた「近代」の基本的な価値観は「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という考え方である。見田宗介先生は作家の津島裕子との対談のなかで、この価値観にふれている(『超高層のバベル 見田宗介対話集』講談社)。自然をなるべくコントロールし、利用しつくす。競争社会のなかで「サバイバル(生き残ること)」モードへとかりたてられる。

 高度成長期には有効であったこの価値観とその世界はすでに限界をむかえていて、方向転換をしなければ、人間は破綻してしまうところまで来ている。「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という価値観を「無限空間」のなかで羽ばたかせてきたところ、その空間の「有限性」が露出してしまったのである。環境と資源の有限性。「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という価値観は「豊かな社会」をもたらすと同時に、グローバル化の達成という局面において、その限界を提示する。こんな時代にあっても、人間は自然を利用しつくそうとし、「経済成長」の号令は高らかにうたわれるのだけれど。

 この解決の方向性はどこに見出すことができるのか。「新しい価値観が必要になってきている」と語る津島裕子氏に、見田宗介先生は言葉を紡ぐ。「どう転換するのか。何らかの形で『共存するシステム』を考えるということだ」と。「高度成長ができなくなったから仕方なく、ということではなく、本当は自然とも他の人間や社会とも共存するほうが楽しい世界なんだと。人間や動植物も含めて、さまざまな種と共存することは楽しい世界なのだと。そういう方向にしか、未来を信じる道はないと思います。」(『超高層のバベル 見田宗介対話集』講談社)

 共存するシステム。それは誰にでもわかる、凡庸なアイデアに聞こえるかもしれない。しかし、この一語のなかには、この一語にいたるまでには、膨大な思索・思考、科学と論理、それから見田宗介の「生き方」が詰まっている。『時間の比較社会学』『自我の起原』『現代社会の論理』などといった著作で追究された思考がそこには充溢している。官制的に発せられるスローガンなどではなく、考え抜かれた、生き抜かれた言葉なのだ。

 なお「競争」が否定されているわけではないことを付け加えておきたい。「楽しい」競争というものはある。自然との共存のもとに、そして人間の共存社会をベースとしながら(個人の最低限の必要が満たされた上で)、「楽しい」競争というものがある。(ところで、コロナ禍での「買い溜め」は人間社会の競争的価値観の発露である。)

 さらにここで触れられている大切なことに照明をあてておきたい。高度成長ができなくなったから仕方なく「ということではなく」である。自然や他者との共存のほうが「楽しい」のだという方向性である。このことはとても大切なことだと、ぼくは思う。反対するひとはそう多くはないかもしれないけれども、このような方向転換は実際にはむずかしいものだ。ひとは「仕方なく」という転換点まで、なかなか変わることができない。「これまでの生き方」が心身にしみこんでしまっているからだ。「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という価値観、それから経済成長の強迫的・無限的な進行はとどまるところを知らない。

 新型コロナは「仕方なく」という転換点のひとつである。ぼく個人のことで言えば、新型コロナそのものの出現自体についてはあまりおどろくものではなかった。リスクマネジメント的にはすでにおりこみずみのリスクであったからだ。けれども、実際にそれが顕在化して、人間と社会と経済へのインパクトを体験し、見聞きするにつれて、いろいろな「想定外」に、思考も行動も緊張を強いられることになった。移動が制約されることは想定内としても、実質国境が閉じられるなどの想定外にはいろいろと振り回されることになった。なにはともあれ、情況はさまざまな「仕方なく」をつきつけてきたし、今もそれは続いている。

 「現代」という時代を、近代がつぎなるなんらかの時代への最終的な過渡期と見る視点に立つと、そこでは二つの力学がはたらいている。ひとつは「自然を征服し、人間も互いに競い合う」という近代の価値観の延長線上に、強迫的に「経済成長」を続けようとするもの。もうひとつは、その強迫性から離れて「つぎなる時代」へと軟着陸しようとするもの。これらの二つの力学が拮抗しているのが「現代」という見方である。コロナ禍はこの拮抗の最中に訪れたことになる。

 この大きな見方のなかで前述の「仕方なく」を組み入れてみると、「仕方なく」という転換点としてのコロナ禍は、「強迫的な経済成長」を生きるひとたちにとってはやはり「仕方なく」であるのに対して、つぎなる時代(「共存するシステム」)への軟着陸を試みてきたひとたちにとっては意味合いが異なってくるのだと思う。コロナ禍が訪れようと訪れまいと、未来は(そして現在は)この「共存するシステム」にあるのであって、コロナ禍は「仕方なく」の転換点ではない。

 ぼくが「じぶんの変容」ということを、ホームページやブログで書くとき、このような「共存するシステム」への軟着陸を想定している。「本当は自然とも他の人間や社会とも共存するほうが楽しい世界」という共存する世界への変容を、なによりもまず「じぶん」のなかにひらいていく。共存する楽しさ、自然や他の人間や社会との出遭いの楽しさ。「コロナ後の後」の世界は、そんな価値観に下敷きされた世界がひらいてゆく。時間的には「コロナ後の後の後…」といったところかもしれないけれど。

 ちなみに、大澤真幸先生(社会学)は、コロナの危機こそは「世界共和国の最初の一歩」だと言っている(大澤真幸『コロナ時代の哲学』左右社)。「あえて」そう言い切っている。国際的な連帯や協調というのではなく「世界共和国」。たとえば、21世紀の終わりから2020年を眺め返したとき、コロナ危機は「世界共和国」の第一歩であったのだと振り返られるのだというように。

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社会構想 Jun Nakajima 社会構想 Jun Nakajima

「国際女性デー」をきっかけにかんがえたこと。- この「現代社会」を見つめる視野で。

昨日(3月8日)は「国際女性デー」であった。女性の平等な社会参加などがどこまで進展したか、どこに制約や障害があるのか、ということをかんがえる。

 昨日(3月8日)は「国際女性デー」であった。女性の平等な社会参加などがどこまで進展したか、どこに制約や障害があるのか、ということをかんがえる。

 社会における「女性」というテーマは、後進産業地域(発展途上国)の開発協力・国際協力という領域において、ぼくはより身近に接してきた。開発学(development studies)においてそれは重要なテーマであるし、またじっさいにシエラレオネや東ティモールで国際協力のプロジェクトをおしすすめてゆくにあたっては「女性の参加」ということを、とても大切なものとしてあつかってきた。それは欠くことのできない側面として、国際協力のコミュニティ(NGO・NPO、政府機関、国際機関など)では共有されてもいた。

 ところで、ぼくは小さいころ、女性の地位や社会参加などがもとめられている社会状況そのものをよく理解できていなかった。学校の教科書などでは、自由や平等などが説明され、そのような理念があるにもかかわらず、どうもうまくいっていない。教わることと現実の乖離のはざまで、どうにも居心地のわるさを感じざるを得なかったように思う。「男」として生まれてきて、そのことにどこか負い目のようなものを感じたこともあった。

 そんななかで、まずはじぶんからできることをしてゆく、というように、ぼくはじぶんの思考と行動を方向づけていったのだろう。だから、開発協力・国際協力という領域で学び、仕事をしてゆくなかでは「女性の権利や参加」というテーマには、すーっと入ってゆくことができたのかもしれない。

 教わることと現実のギャップに感じていた「どうにも居心地のわるさ」は、歴史などを学ぶなかで「理想と現実」の図式などをとりこんで理解し、なんとなくそのままになっていた。でも、理想と現実のギャップが徐々にではあるけれど現実のなかでその幅をせばめてゆくなかで、見田宗介先生(社会学者)の文章に出逢い、ぼくは目が見開かれる思いをしたのであった。

 ウェーバーの見るように「近代」の原理は「合理性」であり、近代とはこの「合理性」が、社会のあらゆる領域に貫徹する社会であった。他方、近代の「理念」は自由と平等である。現実の近代社会をその基底において支えた「近代家父長制家族」とは、この近代の現実の原則であった生産主義的な生の手段化=「合理化」によって、近代の「理念」であった自由と平等を封印する形態であった…。
 「高度経済成長」の成就とこの生産主義的な「生の手段化」=「合理化」の圧力の解除とともにこの「封印」は解凍し、「平等」を求める女性たちの声、「自由」を求める青年たちの声の前に、<近代家父長制家族>とこれに連動するモラルとシステムの全体が音を立てての解体を開始している。

見田宗介「現代社会はどこに向かうか」『定本 見田宗介著作集 I』岩波書店

 この箇所は、見田宗介著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)でもとりあげられている(一般の読者が手に取りやすい岩波新書である)。

 そこで書かれている図式で言えば、「<自由><平等>対<合理性>」である。近代は経済成長のために<合理性>を最優先にし、「近代家父長制」を敷いたのであった。そこで、<自由>と<平等>は封印される。けれども、経済成長が達成され、合理化の圧力が減圧されてゆくなかで、近代の理念でありつづけてきた<自由>と<平等>がちからづよく現れてくる。

 小さいころ、ぼくが感じていた違和感のようなものも、この論理によって音を立てての解体を経験したようであった。なるほど、合理化の圧力の解除とともに現れてきたのは、「いまを生きる」ということである。「合理化」=生産主義的な「生の手段化」とは、「いま」を押し殺し「将来」のために「いま」を手段化することである(将来のための勉強など)。「いまを生きる」ということが、さまざまな仕方で試されているのが「現代」であり、そのような試みを、ぼくたちはいろいろなところで見聞きすることができる。

 ところで、「女性」という問題の立て方は、「男性」を前提する。この社会のなかで女性が解き放たれるには、男性が解き放たれることも双対のものとして並行しなければならない。さらには、LGBTの方々も加わる。女性も、男性も、LGBTの方々もひととして平等で、<みんな同じ>という言い方もできる。けれども、見田宗介先生が語るように、<みんなが違う>という方向性にぼくは惹かれる。差別をのりこえる方向として、<みんなが違う>という方向に、ぼくたちはゆくことができる。

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言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima 言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima

「The Best is Yet to Come」という思想(生きかた)。- <近代>という時代の特質と生。

ドナルド・トランプの「2020年一般教書演説」は、「The Best is Yet to Come」のことばで閉じられた。思い起こしたのは、以前、自己啓発のオーディオ(英語)を聞いていて、コースのひとつのチャプターが、「The Best is Yet to Come」で閉じられていたことだ。

🤳 by Jun Nakajima

 ドナルド・トランプの「2020年一般教書演説」は、「The Best is Yet to Come」のことばで閉じられた。思い起こしたのは、以前、自己啓発のオーディオ(英語)を聞いていて、コースのひとつのチャプターが、「The Best is Yet to Come」で閉じられていたことだ。(フランク・シナトラの歌のなかにもある。)

 以前聞いたときは、とてもよい響きが耳に鳴り響いたものだ。最高はまだこれからやってくる。力強い声でそう語られると、「これからだ。やってやろう」という気持ちがわいてくる。

 けれども、それと同時に、「The Best is Yet to Come」は、疎外された生の形式を語っているように聴こえる。そこで「語られないもの」は、いま現在の生であり、どこまでも満足しない生である。

 もちろん、誰によって、どんなときに、どのように語られるのかは大切である。ことばを、それが語られることばの海からひっぱりあげて、ああだこうだと語ることは、語られることばの本質を脱色してしまうかもしれない。

 そのことを認識したうえで、けれども、「The Best is Yet to Come」の響きをただ「かっこいい」だけで終わらせるのは、<これからの生きかた>を生きるという視界において、危険だと思う。

 「The Best is Yet to Come」が真実のことばとして現れることもあるし、ひとを救うことばともなることはあるだろうけれど、そこで立ち止まって、「じぶん」の内面に光をあてたいものだ。「いま」に満足しない生は、いったいいつになったら満足がやってくるのか、と問いかけながら。

 「The Best is Yet to Come」の思想が疎外された生の形であるとするならば、あるいはその思想が生を疎外するものであるとするならば、それは、「Best」を永遠に先送り思想となるときだ。「Best」がやってくることはない。

 生の「意味」を未来へ未来へとおくりだしてゆく。社会学者の見田宗介先生は、このような生のあり方を明晰に捉えている。

 …「近代」という時代の特質は人間の生のあらゆる領域における<合理化>の貫徹ということ。未来におかれた「目的」のために生を手段化するということ。現在の生をそれ自体として楽しむことを禁圧することにあった。先へ先へと急ぐ人間に道ばたの咲き乱れている花の色が見えないように、子どもたちの歓声も笑い声も耳には入らないように、現在の生のそれ自体としてのリアリティは空疎化するのだけれども、その生のリアリティは、未来にある「目的」を考えることで、充たされている。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 「The Best is Yet to Come」は、<近代>という時代の特質、生を(目的でなく)絶えず手段化してゆく生のあり方に共振することばだ。生のリアリティを、未来にある「目的」に向けて投じてゆく。

 フランク・シナトラが1960年代、「The Best is Yet to Come」という(恋愛の)歌を歌ったときには、生のリアリティが空疎化してゆくような響きは鳴り響いていない。アメリカも、日本も、他の先進産業地域も、たしかな「未来」を夢見ることができた時代だ。

 いまは果たしてどうだろうか。そんな問いと共に、「The Best is Yet to Come」ということばと共に、じぶんの内面に光をあてなければいけない地点に、ひとも社会も立たされている時代にいる。

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「<共存することの祝福>ともいうべきものを基軸とする世界」(見田宗介)。- 「共生」ということばへの(ぼくの)違和感。

「共生」ということばがある。共に生きる。一緒に生活する。その意味合いにおいて間違いがあるわけではないけれど、ぼくはどこかこのことばが苦手であった。「教育くさい」もの、おさえつけられるような倫理的抑制を感じたのだ。

 「共生」ということばがある。共に生きる。一緒に生活する。その意味合いにおいて間違いがあるわけではないけれど、ぼくはどこかこのことばが苦手であった。「教育くさい」もの、おさえつけられるような倫理的抑制を感じたのだ。

 「きょうせい」という響きがいけないのかもしれないと思ったりもする。それは「強制」にもなるし、「矯正」にもなる。「きょうせい」と発音した途端に、「共生/強制/矯正」が一緒くたになってぼくのイメージに想起される。

 「共生」が語られる場、だれによって、どのように語られるのかにもよってくる。でも、ぼくが見聞きするとき、それはどこか、「抑えつける」ように、ぼくは感受してしまったのだと思う。

 「共生」ということばの語られない前提として、「共に生きる」ことの困難、があるように感じてしまうことも理由のひとつだ。共生の困難性。共に生きることが難しいから「共生」しなければいけない。そんなふうに、語られない前提を瞬時にして聞き取りながら、「共生」をとらえてしまうのだ。

 共に生きることが難しい。たしかに、難しい。ひとであろうと、動物であろうと、自然であろうと、共に生きることが難しいと思ってしまう事象に、ニュースは満ち溢れている。社会は「競争」に満ちている。人間関係がくずれ、自然は圧倒的な規模で破壊されつづけている。

 あるいは、じっさいにじぶんが生きてゆくなかで「難しい」状況に幾度となく直面してしまう。

 でも、ぼくは思う。共に生きることは第一義的に「難しい」のだろうか。生きることは生を賭すほどの競争を前提にしているのだろうか。ひととひとの「相剋」が世界のありようなのだろうか。そうではない、と思う。

 社会学者の見田宗介先生は、相剋だけでなく「相乗」に光をあてる。この世界にいっぱいに充ちている「相乗」の契機。ひととひと、それから異種の動植物たちのあいだにたしかに存在する相乗性。たとえば、顕花植物と昆虫のあいだには「競争」ではなく相乗的な生が生きられている。

 見田宗介先生は、これからの社会における原則を、<共存>ということばで表現している。共に在る・存すること。そこには、おそらく、「ただ他者と共に在ること」の奇跡と本源的なニーズが織りこめられている。

 「これからの」生きかたを生きてゆく方向性に描かれる「社会」は、見田宗介先生のことばを借りれば、「永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)」としての社会である。物質的(マテリアル)な「成長」の強迫から解き放たれた社会であり、個人の生きかたである。

 「グローバリゼーション」という空間的なひろがり(また限界)と「人生100年」という個人の生の時間的な可能性がひらかれる社会では、空間的な拡大と時間的可能性の拡大にかかわらず、(物質的な)「経済成長」という上昇ではなく安定平衡という高原がつくられる。

 もちろん、高原(プラトー)が自然のなりゆきとしてつくられるのではなく、現在の物質的な成長による環境破壊と資源の枯渇、さらには後進産業地域の貧困などをのりこえながら、人間(ひとりひとり)がつくってゆくものとしての「永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)」である。

 そこでは、「<共存することの祝福>ともいうべきものを基軸とする世界」がひらかれてゆく。個人ひとりひとりの生きかたも、この<共存することの祝福>を基軸とする生きかたである。ただ家族や友人たちと在ること、共に在る自然と交感すること。それらは、だれもが「経験している」なんでもないことだけれど、それらはひとを収奪するのでもなく、自然を現在のような仕方で破壊するものでもない世界であり、生きかたである。

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歓びに充ちた生きかたへ転回する<折り返し地点>。- 「グローバル化」と「人生100年時代」の時空間。

このウェブサイトの「Concept」ページを書いた。このサイトを展開していくための基軸となってゆく「考えかた」である。それらの「考えかた」に無理に固執してゆくつもりはないけれど、目的ではなく、方法としてのフレームワーク的な意味合いをこめて「考えかた」を書いた。

 このウェブサイトの「Concept」ページを書いた。このサイトを展開していくための基軸となってゆく「考えかた」である。それらの「考えかた」に無理に固執してゆくつもりはないけれど、目的ではなく、方法としてのフレームワーク的な意味合いをこめて「考えかた」を書いた。

 テーマは「これからの<生きかた>を生きる」ということのなかで、サブテーマの中心点として「<じぶん>の変容」を据えた。「生きかた」であるから、個人を中心に据えるのはあたりまえと言えばあたりまえである。けれども、個人の生きかた、ということにおいて、「じぶん」ということ、またそのじぶんが「変容」してゆく仕方に、もっともっと光をあてたい。これからの<生きかた>をひらいてゆくためには、「じぶんの変容」ということを深く生き、そしていま一度、徹底的にとらえかえしていくことが必要である。そう思って、ぼくは「<じぶん>の変容」を中心に据えた。

 「じぶんの変容」を中心におきながら、時空間にY軸/X軸を描くようにして、それぞれに空間軸「グローバル化/異文化」と時間軸「人生100年時代」を設定する。じぶんという個人から直面する社会(の一側面)は、グローバル化と人生100年時代である、というように。簡略化した図式であり、方法論としての図式である。

 空間的には、経済社会はグローバリゼーションのもとに「発展」をすすめ、情報通信技術の発展と共振してゆくことで、世界はいままでになかったほどに「つながっている」。空間という視点においては、人間はこのグローバル(地球)の先に宇宙を見据え、すでに競争がすすんでいることを付記しておきたい。

 時間的には、個人(じぶん)は、人生100年時代の可能性のなかに、その人生の道ゆきを描くことになる。もちろん、現実的には「人生100年」ではない場合もある。病などどうしようもない場合があったり、あるいは、後進産業地域では人生50年という状況もある(ぼくが住んでいたシエラレオネはデータ上は「人生50年」である)。でも、「人生100年」という可能性と考えかたが、個人の生きかたや社会のありかたを変容させてゆく。そんな状況におかれている。なお、時間という視点においては、人間はこの「人生100年」の先に「不死」(ユヴァル・ノア・ハラリ)を希求している。

 このようにフレームワークを立ててみる。

 「これからの」に対して「これまで」は、空間的には「ナショナル」であり、時間的には「人生80年」というようにとらえてみることができる。そこでの、政治経済社会の主軸は「経済成長」である。「経済成長」が最優先であり、経済成長のもとにさまざまなものごとがアレンジされてゆく。そして、この「経済成長」の物語は、いまでも、(さまざまに綻びを見せながら)続いている。

 では、「これからの」という未来において、政治経済社会の主軸はなにがくるのか。「くる」と書くのは正確ではない。「つくる」という創造・想像が大切な役割を果たしてゆくことになるから(現代は、未来を「予測」する思考に慣れてしまっている)。

 結論をさきにのべてしまえば、これから創ってゆくのは「永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)」(見田宗介)としての社会である。物質的(マテリアル)な「成長」はその役目を終えてゆく(後進産業地域の課題は当面残る)。現在の地球環境・資源の状況を考慮すれば、終えざるをえない。物質的に「無限に成長」してゆくという幻想の軌道から、解き放たれなくてはならない。

 だから、ぼくがかかげる時空間の図式、「グローバル化」と「人生100年時代」は、いわば生きかたの折り返し地点である。過去に戻るという意味での「折り返し地点」ではなく、ほんとうに歓びに充ちた<生きかた>へと転回する<折り返し地点>である。

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社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima 社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima

しあわせのかたちを他者におしつけない。- 他者に強いられるしあわせのかたちを否定する。

しあわせのかたちをおしつけない。

しあわせのかたちをおしつけない。

このことは「わかっている」ようでいて、実はそれほどすんなりとできているわけではなかったりする。

他者(たとえば子ども)がしたいことを好きなようにやらせる。このことは「したいこと」(しあわせ)をおしつけていない、とも言えるけれど、「したいこと」が日々のなんでもないことならまだしも、それが社会的に見て大それたことなどであると、「ちょっと待った」の言葉や視線やプレッシャーを放ってしまうことがある。

つまり、生きかたの「大枠」のかたち(こう生きてゆけば「しあわせ」になる)をおしつけてしまっているわけだ。その大枠のなかであれば、言動は「自由」でいられるのだけれども、この大枠それ自体にふれるような、べつのしあわせのかたちがあらわれると、つい、「(それはよくないと)言いたくなる」のである。

この「言いたくなる」は、他者にたいするアドバイスのときにも、気をつけなければならない。ひとに「人生相談」をもちかけられたときなど、ついつい「言いたくなる」ことがあるものである。

他者の生きかたの「大枠」のかたちを理解しないままにアドバイスをするとき、じぶんがよしとする「しあわせのかたち」を(知らないままに)前提としてしまうのだ。


また、逆に、じぶんにとってのしあわせのかたちを生きることも、すんなりとできるものではなかったりする。そうしたいと思いつつ、一歩足を引いてしまうこともあるものである。

ニーチェの生涯を「ある困難な稜線を踏み渡ろうとする孤独な試み」であったとしながら、見田宗介(社会学者)は名著『社会学入門』(岩波新書、2006年)のなかで、ニーチェのこの困難な「二正面闘争」についてのバタイユの思考(バタイユ『至高性』)にふれている。

「二正面闘争」とは、第一に<失われた至高性を回復すること>、それから第二に<他者に強いられる至高性の一切の形式を否定すること>である。バタイユはそのように、ニーチェを捉える。

この二つ目の闘争、<他者に強いられる至高性の一切の形式を否定すること>が、しあわせ(至高のものごと)のかたちをおしつけられたときの戦線である。


じぶんのしあわせ(ほんとうのしあわせ)のかたちを生きながら、また、他者にたいしてそれを強いないこと、おしつけないこと。

「標準」の時代から、「多様性」の時代への移りかわりということは、このような生きかたやありかたと整合しやすいということである。

整合しやすいところでありながら、しかし、まだ「標準」の時代、生きかたやありかたの標準、さらには「人生という物語」の標準が強い引力をもっていた時代の思考や感覚や価値観がひきつづき「尾」をひいている。

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言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima 言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima

<内破する>ということば。- 「卵を内側から破る」方法へ。

<内破する>ということばは、ぼくが好きなことばのひとつである。内側から破ること。

<内破する>ということばは、ぼくが好きなことばのひとつである。内側から破ること。

「内破」ということばをはじめて耳にしたのは、2000年に出版された書物『内破する知 身体・言葉・権力を編みなおす』(東京大学出版会)であったと思う。近代知を<内破>し、新たな知の地平をひらくものとして企画された『越境する知』というシリーズの「プレリュード」として出版された書物であった(※表紙に、画家・彫刻家の奈良美智による独特な「女の子」の絵がかかげられている。それがぼくを惹きつけた)。

ちょうどこの本のシンポジウムが新宿の紀伊国屋でひらかれ、当時ぼくはこのシンポジウムを聴きに足をはこんだ。この書物とシリーズの編集者であり著者の栗原彬が、シンポジウムの冒頭で「内破(implosion)」ということばについて、モチーフと説明を加えていたことを覚えている。

細かい説明を覚えているわけではないけれど、このときから、ぼくのなかに<内破する>ということばが棲みつきはじめたのである。


<内破する>ということは、ことばのとおり、外側から力を加えて破るのではなく、内側からの力によって破ってゆくことである。

いろいろなものを「外部」から変革しようとしてきた時代や社会や組織・集団や人などを見て、あるいは経験しながら、「内側」の充溢した力によって内側から破ってゆくこと、突破してゆくこと、変革してゆくことが、いっそう大切であると、ぼくは思う。

これからの社会が変わってゆくうえでも、コミュニティが変わってゆくうえでも、組織・集団が変わってゆくうえでも、そして、個人が変わってゆくうえでも、それぞれに、<内破する>ことが決定的に重要である。


<内破>ということばがぼくのなかに棲みつきはじめてからだいぶ経って、ぼくは、見田宗介(社会学者)が、「卵は内側から破られなければならない」というダグラス・ラミスのことばをとりあげて、「世界を変える方法」について書いているところに出会った(『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年)。

外側から卵を割るのではなく、内側の生命みずからが、育ってゆくことを阻害するものがあるのであれば、卵を内側から破っていかなければならない。見田宗介はこれからの世界の「変革」の方法について、この点を強調している。

<内破する>という仕方は、ぼくが生きてきた実感としても、とても大切な方法であることを、ぼくは感じる。


さて、水俣病の場に身をおきながら実践し考えてきた栗原彬は、冒頭に挙げたシンポジウムのなかで、市民社会の「行き詰まり」は必ずしも「悪い」ものではないということを語っていた。「行き詰まり」を感じることの重要性に焦点をあてたからである。栗原彬は、「行き詰まり」は<内破への契機>になるのだと、指摘したのであった。

ぼくたちが経験する、さまざまな「行き詰まり」を<内破への契機>として生ききること。「行き詰まり」自体を豊饒に生きつくすこと。そして、<内破する>こと。じぶんの「内側」から破ってゆくこと。

「世界」はそんなふうにして、今までと違った風景をみせてゆくことになる。

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香港, 社会構想 Jun Nakajima 香港, 社会構想 Jun Nakajima

「新しさ」ということ。- 香港の「新しい」店舗に日々出会いながら。

ここ香港では、店舗の移り変わりが圧倒的に速い。新しい店舗がオープンする。店の前に花がならび、「新しさ」の爽快さと開放性が人びとの足をとめる。

ここ香港では、店舗の移り変わりが圧倒的に速い。新しい店舗がオープンする。店の前に花がならび、「新しさ」の爽快さと開放性が人びとの足をとめる。

同じ場所に長く店をかまえていることももちろんあるけれど、その場合はその場合で、ある程度の期間ののちに「改装」され、心機一転のオープンとなる。新店舗や改装の回転速度が圧倒的なのである。この速さは、これまで住んできた東京、ニュージーランド、シエラレオネ、東ティモールでは見ることも、感じることもなかったものである。この「速さ」のなかに、香港の経済社会の本質がある。

それにしても、新しい店舗を至るところに目にし、やはり気になって立ち寄ったりしながら、「新しさ」ということを考えさせられる。

新しい店舗には、上述したように爽快さと開放性があり、お店の人たちも行き交う人たちも、どこかエネルギーに満ちているように感じる。エキサイトメントがある。でも、「新しさ」ということのなかに、「新しさ」の経験のなかに、ぼくたちは、ほんとうは何を求めているのだろうか。


見田宗介(社会学者)は、1980年代の日本の「現代社会」に身をおきながら、つぎのように書いていた。


…前近代の文明の洗練されたゆきづまりである封建社会が、「古さ」の神話で共同体の人びとを窒息させてきたこととおなじに、近代文明の洗練されたゆきづまりである現代社会は、「新しさ」の神話によって市民社会の人びとを窒息させる。…

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫


「新しさ」の神話につかれてきた社会ということは、よくわかる。1980年代から1990年代にかけて日本の社会に生きながら、そのときのことを振りかえってみると、確かに「新しさ」への衝動につかれているように感じるのである。

見田宗介は、この文章、「「新しさ」からの解放」と題された論壇時評を、つぎのように書き終えている。


 <伝統>という名の衣装を脱ぎすてたときに人間は、ひとつの解放を手に入れたはずだ。<前衛>という名のモード、つねにより「新しいもの」でありつづけなければならぬという強迫観念を脱ぎすてるときに、わたしたちは、もうひとつの巨大な自由を手にいれるだろう。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫


「新しさ」が良い・悪いということではない。それは「ひとつの解放」である(あった)のだけれど、「つねにより「新しいもの」でありつづけなければならぬという強迫観念」は、逆に人を不自由にさせる。ぼくもそう思う。

時代はその時間の針をすすめながら、<伝統>からも、また<新しいもの>への強迫観念からも自由であろうとする動きが起きはじめている。


冒頭に挙げた香港の店舗の「新しさ」については、別の観点も含めて見てゆく必要があると思うけれど、日々いろいろなところで「新しさ」に出会いながら、ぼくは考えてしまうのである。「新しさ」に何を、ぼく(たち)はほんとうに求めているのだろうか、と。

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「ポスト真実」という事象を生みだす「社会的地殻変動」。- 「虚構の時代」(見田宗介)の「フィクション」。

「ポスト真実の政治」(post-truth politics)などと言われることがある。「政策の詳細や客観的な事実より個人的心情や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化」というように、Wikepedia(日本語)には書かれている。

「ポスト真実の政治」(post-truth politics)などと言われることがある。「政策の詳細や客観的な事実より個人的心情や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化」というように、Wikepedia(日本語)には書かれている。

これは、Oxford English Dictionaryにおける「post-truth」の定義が採用されるかたちでの説明である。ちなみに、Oxford English Dictionaryの「post-truth」の定義は、「relating to or denoting circumstances in which objective facts are less influential in shaping public opinion than appeals to emotion and personal belief」とある(※Apple社のmacOSに搭載の辞書より)。

つまり、すでに辞書に掲載されるほどに、「ポスト真実」の事象が見られ、語られ、論が展開されてきている。

たとえば、ハーバード大学で教えるために10ヶ月ほどアメリカに滞在した吉見俊哉(メディア論)が、アメリカに住みながら「アメリカと世界」を捉え返そうとした著書『トランプのアメリカに住む』(岩波新書、2018年)の第一章は、「ポスト真実の地政学」と題して、この「ポスト真実」に焦点をあてている。


それにしても、「ポスト真実」ということばで語られる事象を「政治文化」に限定せず、より巨視的な視点で、ぼくたちが生きる社会のありようから見渡すと、どのように見えるだろうか。いったい、「ポスト真実」のように語られる「世界」とは、どのような世界なのだろうか。

「ポスト真実」がことばになるよりもずっとまえから、見田宗介(社会学者)が語ってきた視点が、この社会の地殻変動を的確につかんでいるように、ぼくは思う。

見田宗介は1945年以降における日本の現代社会史を「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)と「高度成長」を組み合わせながら、つぎのような「三つの時代」に切り分けている(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。


  1. 「理想」の時代:人びとが<理想>に生きようとした時代(1945年~1960年頃:プレ高度成長期)

  2. 「夢」の時代:人びとが<夢>に生きようとした時代(1960年~1970年前半:高度成長期)

  3. 「虚構」の時代:人びとが<虚構>に生きようとした時代(1970年後半:ポスト高度成長期)


現在は、引き続き「虚構の時代」が続いている。このことは「日本」に限られたものではなく、国々の高度産業化のタイミングによって時期の違いはあれ、虚構の時代に入り、虚構が深まってゆく時代にいるのだということである(と、ぼくは解釈している。「グローバル化」も合わせて考慮しながら。)。

さらに、巨視的な「人類の人口増加率」の観点も導入しながら、人類は「第II期:高度成長」から、次なる「第Ⅲ期:安定平衡」の時期に入らなければいけない時代にきていることにふれながら、2010年に行われた講演の質疑応答に応える仕方で、見田宗介は次のように語った。


…人類の全体の人口の増加率を見ると、もうすでに第Ⅲの時期に入らなければいけない時代にきているけれど、第Ⅱ期の高度成長をいつまでも続けよう、また高度成長を復活させようなんていう政治家とかまだいますからね。そうすると人気が出たりする。そういうメンタリティーとか社会システムが非常に力強くまだ働き続けているものだから、環境限界に達した後、実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ないのです。欲望を作り出すとか、フィクションの世界で無限に商品を売るとかね。
 そうすると、本当に第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむという時代が来るまでは虚構の時代であらざるを得ないと思うんです。…第Ⅱ期が終わった後の第Ⅲ期がはじまるまでのいわば中間であって、無理やりに第Ⅱ期的な高度成長を続けようと思えば、虚構の時代にならざるを得ない。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年


「実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ない」のだと、見田宗介は社会の状況をとらえている。社会が「安定平衡」に向かう過渡期である現在において、無理やりに「高度成長」を続けようとしてゆくと、そこでは「虚構の時代」にならざるを得ない。

見田宗介のこの視点はきわめて明晰である。

このようにして巨視的に眺めてみると、虚構の時代における構えのひとつが「ポスト真実」であることが見えてくる。「高度成長」を目標として掲げるのであれば、「フィクション」が登場せざるを得ないのだから。「フィクション」は感情にアピールするものである。

人類は、「第II期:高度成長」から「第Ⅲ期:安定平衡」へと至る、大きな社会的地殻変動を経験している。その過渡期を、どのように経験してゆくのか、生きていくのか。社会的地殻変動という過渡期に対応するかたちで、ぼくたち自身がどのように「生きかたのトランジション(移行)」を生きるのか。「ポスト真実」の時代の生きかたは、そこの根底にまで降り立ってゆくことで、いっそう深い問いを、ぼくたちひとりひとりに投げ返してくるのである。

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成長・成熟, 社会構想 Jun Nakajima 成長・成熟, 社会構想 Jun Nakajima

「資本主義の精神」について。- マックス・ヴェーバーが注目する<ベルーフ>としての職業。

じぶんの生きかたをまなざし、考えるとき、ただ「じぶん」だけをまなざすのではなく、「じぶん」を歴史(時間)と地理(空間)のなかに位置づけることが必要である。どんな時代に、どんな場所に生きているのか。

じぶんの生きかたをまなざし、考えるとき、ただ「じぶん」だけをまなざすのではなく、「じぶん」を歴史(時間)と地理(空間)のなかに位置づけることが必要である。どんな時代に、どんな場所に生きているのか。

歴史と地理を視野にいれてゆくとき、いろいろなキーワードがあるけれど、なかでも「資本主義」はとても大きなキーワードだ。

今日(5月1日)は「Labour Day」でここ香港も祝日であるが、そんな日に、資本主義とのかかわりのなかで「仕事」ということについて少しふれておきたい。ここのところ、大澤真幸(社会学者)の著書『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川出版、2018年)を読んでいて、「仕事に宗教的な意味合いが入ってくる」という興味深い文章に触発されたことも、ここで書く理由のひとつである。

「資本主義」と聞くと、経済合理性の極みのような響きを聞き取ることになるが、実際の事情はけっしてそれほど単純ではない。

大澤真幸は、古典中の古典といわれる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』における、マックス・ヴェーバーの説にふれながら、「仕事に宗教的な意味合いが入ってくる」ことについて語っている。ヴェーバーの説は、書名にあるように、プロテスタントの倫理のなかに資本主義の精神のベースがあるというものである。この説の「正しさ」は別としても、かんがえさせられる内容だ。


大澤真幸がヴェーバーの説のなかで焦点をあてたのが、ドイツ語の「ベルーフ」という言葉である。

この言葉は聖書に出てくる概念だという。世界史を学んだ人は知っているとおり、昔のヨーロッパでは、ラテン語の聖書しか使われていなかったところに、ルター(たち)がドイツ語に訳して、聖書をひろく一般に読めるようなものにする。そこで出てくるのが、「ベルーフ」という概念である。


 このベルーフのもととなるのは、ギリシャ語の、クレーシスという概念でした。このクレーシスは「神から呼びかけられる」という意味です。難しい言葉ですが、日本語では「召命」と訳されます。
 この「神からの呼びかけ」とは、具体的には各人の仕事、職業のことを指します。日本語の感覚ですと、「これは俺の天職だ」と言う時の「天職」に近い。何か自分に運命的に定められている、このために生まれてきたのだという仕事です。
 …
 この召命、ベルーフという言葉を、ドイツ語の聖書では職業という意味で使った。このことは非常に重要な意味合いを持った、というのがマックス・ヴェーバーの説です。

大澤真幸『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川出版、2018年)


「靴職人」の例を、大澤真幸は挙げている。

靴職人である場合、靴をつくることには、さまざまな意味がある。靴がない人につくってあげるといった利他的な行為、あるいは、自分が生きていく糧として靴をつくる、など。けれども、そこに「ベルーフ」の概念がはいってくると、それらの意味をこえて、神が「おまえは靴職人として定められている」と呼びかける感覚を得ることになる。つまり、こうして、「仕事に宗教的な意味合いが入ってくる」ことになる。

資本主義には、この感覚が非常に重要だったというのがマックス・ヴェーバーの説だというわけだ。

これらにふれて、資本主義の世界で「成功」するには仕事に<ベルーフ感>がないと難しい、と大澤真幸は語っているが、確かに「お金を儲けよう」だけでは到達できないところに、<ベルーフ感>のある仕事をしている人たちをつれてゆくだろう。

なお、現在でも、自己啓発系の本などでは「宗教の信仰」にふれられることなく(「神」としてふれられることもあるけれど)、この「召命」が語られているのを目にすることがある。たとえば、それは神からでなくとも、じぶんの内側から聴こえる「calling」というような仕方で語られるのである(資本主義の「アメリカ」について、思っている以上に「宗教」の理解が肝要であることを思う)。

ぼく自身は特定の宗教を信仰はしないけれども、「仕事に宗教的な意味合いが入ってくる」というときの、この「宗教的な意味合い」をより一般化されたかたちで理解することで、ヴェーバーの説を読み取ることができる。

なお、大澤真幸はこれにつづく次の節で、「資本主義になると、すべての日が聖日になる」と、ヴァルター・ベンヤミンの説(「宗教としての資本主義」)をひきあいにだしながら展開している。

ふつう、信仰がある人にとっては「日曜日」が大切で、日曜日には日常の仕事をしてはいけないところ、資本主義になると日常の仕事こそが宗教的行為のひとつになるというのが、ベンヤミンの語るところだというのだ。

つまり、すべての日が聖なる日であり、神から与えられたものとして労働するというように、資本主義のなかではなってゆくのだという。「職業」(ベルーフ)が、神から呼びかけられたものとしての行為であるというヴェーバーの説に重ねられることになる。

このような視点をふまえたうえで、「資本主義」を見つめなおしたり、人にとっての「職業」や働きかたを考えてゆくと、視点を得るまえとでは異なった仕方で対象が現れてくる。

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社会構想 Jun Nakajima 社会構想 Jun Nakajima

『TIME』誌に寄せられた近藤麻理恵の「2019年予測」。-「Greater shift toward mindfulness in the culture」(Marie Kondo)。

雑誌『TIME』(January 14, 2019)の記事(「The Brief: Year Ahead」)のなかで、影響力のある人たちが、2019年におこるだろうと予測する「大きな変動・変化」について語っている。

雑誌『TIME』(January 14, 2019)の記事(「The Brief: Year Ahead」)のなかで、影響力のある人たちが、2019年におこるだろうと予測する「大きな変動・変化」について語っている。

そのなかのひとりに、近藤麻理恵がいる。

『人生がときめく片づけの魔法』の著書で知られる近藤麻理恵。Netflixのリアリティ番組『Tidying Up With Marie Kondo』が配信されはじめ、またアメリカを中心に活動がさらにひろがりを見せているが、その近藤麻理恵が、上記の記事で、「We’ll take a mindful approach to our phones」(By Marie Kondo)という短い文章を寄せている。


In 2019, I believe that there will be a greater shift toward mindfulness in the culture. …People are starting to realize that happiness isn’t something that you achieve from the outside - through technology or the newest fad - but, rather, from within. I predict people will tune in to their inner voices and identify what sparks joy in all aspects of their lives, from their homes to their work and relationships. …

「We’ll take a mindful approach to our phones」(By Marie Kondo)『TIME』(January 14, 2019)


「2019年、この文化のなかで、マインドフルネスに向けて大きなシフトがおこると、私は信じています。…ハッピネスが、テクノロジーや新しい流行モノなど自分の外側から達成されるものではなく、むしろ、自分の内側から達成するものであることを、人びとは理解しはじめるのです。人びとは自分の内面の声に耳をかたむけ、家から仕事や人間関係にいたる、生活のあらゆる側面において、ときめきを与えてくれるものを判断するようになると、私は予測しています。…」

このようなメッセージを、近藤麻理恵は『TIME』誌に寄せている。


その他寄せられている文章のタイトルを拾うと、「The divided U.S. government will unite」「More companies will combine - or vanish」「Non-Russia scandals will grab our attention」「Genetic science will face greater control」「Behind-the-scenes diversity will bloom」と続いている。

こんななかにあって、近藤麻理恵のメッセージは、文章のタイトルこそ「We’ll take a mindful approach to our phones」というように「携帯電話」の使用の仕方にふれる形で他の記事とバランスを取ろうとしているが、「マインドフルネス」や「ハッピネス(幸せ)」に焦点をあてながら、異彩を放っているように見える。

もちろん、近藤麻理恵は「片づけ」のスペシャリストでありコンサルタントであるから、彼女の周りの人びとが取り組んでいる「片づけ」の経験(片づけだけでなく、片づけを通じた内面の変化)をベースに語っている。

それにしても、その「異彩」な文章とそこに託されたメッセージに、ぼくは惹かれる。語られていることが「新しい」わけでもないし、すごく「特異」ということもないのだけれども、実際に目にしている周りの人びとの「変容」を念頭に、しかし、それと同時に、「未来がこうなってほしい」というコミットメントがこめられているからであり、さらに、このような文章とメッセージを、上に見たような他のタイトルが並ぶ「場」で開示しているからである。


近藤麻理恵が「予測する」(正確には、いろいろな人たちと一緒につくりだしている)世界については、ぼくも同じイメージをもっている。

留意しておくこととしては、日々ふつうに暮らし、メディア上のいろいろなニュースに圧倒されていたりすると、世界が「暗く」見えてしまったりして、「Greater shift toward mindfulness in the culture」がほんとうにおこるのかどうか、疑いの目を向けてしまうことである。

でも、この世界のいたるところで、外部のモノやコトに支配されるような価値感から<解き放たれる>人たちが出てきている(番組『Tidying Up With Marie Kondo』で、見事に家の片づけを成し遂げてゆく人たちからも、その一端を見ることができる)。

ただ家族と話をしたり、ただ友人と談笑したり、ただ陽光の中を歩くことに、なににも変えられない歓びを見出して、<幸福感受性>(見田宗介)を取り戻している人たちがいる。

2019年だけ、ということではないが、これから、このような<解放の連鎖反応>(見田宗介)が、時間をかけながら、この世界にひろがってゆく。

ぼくには、そのイメージがくっきりと見えている。

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「三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景は一変する」(見田宗介)。- 富の分配、資本主義の未来、人間像。

「現代社会はどこに向かうか」という問いを立てて自ら応答してゆくなかで、社会学者の見田宗介は、「資本主義」の行く末について、その大枠をつぎのように書いている。

「現代社会はどこに向かうか」という問いを立てて自ら応答してゆくなかで、社会学者の見田宗介は、「資本主義」の行く末について、その大枠をつぎのように書いている。


 必要な以上の富を追求し、所有し、誇示する人間がふつうにけいべつされるだけ、というふうに時代の潮目が変われば、三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景は一変する。必要な以上の富を際限なく追求しつづけようとするばかげた強迫観念から資本家が解放されれば、悪しき意味での「資本主義」はその内側から空洞化して解体する(人間の幸福のためのツールとしての資本主義だけが残る)。ホモ・エコノミクスという人間像を前提とする経済学の理論は少しずつ、しかし根底的に、その現実妥当性を失う。人間の欲望の全体性に立脚する経済学の全体系が立ち現れる。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年


「…時代の潮目が変われば、三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景は一変する」と、見田宗介は、人間の三千年の歴史を視界にいれながら、でも、それはやがてやってくる未来として明晰に語っている。

それにしても、たったこれだけの文章だけでも、ほんとうにとても多くのことが語られている。

それぞれをかんたんに見ておきたい。


(1)富の分配

「必要な以上の富」ということが触れられているが、上記の文章の直前で、「富の分配」と「競争」について、見田宗介は書いている。

日本を含む先進産業諸社会では、「すべての人びと」に、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」したとしても、そこには富の余裕がある。富の余裕は、未来にではなく、すでにここに存在している。

だから、「三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景が一変する」ことは、「if you want it」(@ジョン・レノン)であれば、いつだって可能な世界に、ぼくたちはすでにして、いることになる。よく言われるが、世界の軍事費を貧困対策にまわせば、いつでも現在あるような形と内実の貧困をなくすことができる時代なのだ。

見田宗介自身が書いているように、経済的不平等や格差を「なくす」ということではなく、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」というところをまず確保することである。「余裕な部分」は、いくらだって経済ゲームで自由な競争をしたらよいと、見田宗介は指摘している。

なお、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」ということは、ベーシックインカムにつながるポイントとなるところだけれど、少なくとも認識しておくべきことは、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」をしても、「多大な富の余裕」が存在しているという現在についてである。


(2)「資本主義」の未来

社会学者の大澤真幸が、世界の終わりは想像できたとしても、資本主義の終わりは想像できない、というようなことをどこかで語っていたが、それほどに「資本主義」は、現在の世界を根底から形づくっているということである。

そのような「資本主義」の弊害はいろいろと語られてきたし、ここで議論を繰り返すことは目的ではない。

見田宗介が言及していることで肝要なことは、「人間の幸福のためのツールとしての資本主義」ということ。概念というほどまでここでは精緻化されていないし、具体的なところも描かれてはいないけれど、「資本主義」は資本主義であるままで、<人間の幸福のためのツールとしての資本主義>として機能させてゆくことができる見通しを、見田宗介はもっている。

それは願望という見通しではなく、現実に、<人間の幸福のためのツールとしての資本主義>の試みが見られ始めていることを含めての見通しである(見田は、アメリカで法制化されてきた「ベネフィット・コーポレーション」の動きに言及している)。


(3)経済学などが前提とする「人間像」のこと

さらに、さらっと書かれているようにも見えるけれど、<人間の欲望の全体性に立脚する経済学>ということが述べられている。

経済学などの専門家学は特定の条件のもとに理論を発達させ精緻化させてきたとはいえ、「ホモ・エコノミクス」という人間像のみを土台とする経済学に対して、これまでにもさまざまな批判とのりこえが提示されてきた。

たとえば、経学者アマルティア・センは、「合理的な愚か者」という言い方で「ホモ・エコノミクス」という人間像を批判し、経済合理性だけでなく「倫理」を動機として行動する人間像をもちこんで、理論をアップデートしようとした。「経済学」という体系の内部からののりこえである。

見田宗介は「社会学」を基盤としているけれど、ひろく「社会科学」また「人文科学」、さらには自然科学にまで視界をひろげながら、<人間の欲望の全体性に立脚する経済学>ということがひらかれることを見通している。

その見通しが拠って立つのは「理論」そのものということだけではなく、現実に、「ホモ・エコノミクス」という人間像のように行動する人間と社会が変わってゆくことを見据えている。理論と現実とはそのあいだにいろいろなギャップや齟齬がありながらも、それでも相互連関しているものであるからだと、ぼくは考えている。「光景が一変する」ところでは、現実も、理論も、変わってゆく。


時代の潮目が変われば、「三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景は一変する」。「三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光」は、どれほど鮮烈かと、ぼくは想像する。

でも、この想像が現実化されることははるか彼方ではなく、この現代社会のなかにすでに、さまざまな仕方で生成しつつあること。そして、まずは、じぶんが悪夢から目覚めた朝の陽光を経験するところから、はじまってゆくのだと、ぼくは2019年のはじまりに、あらためて思う。

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社会構想, 物語・ストーリー Jun Nakajima 社会構想, 物語・ストーリー Jun Nakajima

「クリスマス休戦」(1914年)のこと。- ぼくの「経験」と重ねあわせながら考えること。

クリスマス休戦(Christmas Truce)。第一次世界大戦(1914-1918)中の1914年12月24日から12月25日、西部戦線でみられた一時的停戦。なんらかの休戦協定などによる停戦ではなく、各地の最前線で、自然発生的に生まれた停戦である。停戦中、敵対していたドイツとイギリスの兵士たちが、共に歌を歌ったり、食べ物などをシェアしたりして、クリスマスを祝ったといわれている。

クリスマス休戦(Christmas Truce)。第一次世界大戦(1914-1918)中の1914年12月24日から12月25日、西部戦線でみられた一時的停戦。なんらかの休戦協定などによる停戦ではなく、各地の最前線で、自然発生的に生まれた停戦である。停戦中、敵対していたドイツとイギリスの兵士たちが、共に歌を歌ったり、食べ物などをシェアしたりして、クリスマスを祝ったといわれている。

もちろん、実際には場所によっていろいろな状況ーよい状況も、悪い状況もーが生まれていたし、また1914年以降は上層部の命令によって「クリスマス休戦」は禁止されたようだが、それにしても、このようなことが戦争という極限の状況において起こったという事実に、ぼくたちは心を動かされ、また考えさせられることになる。

どのようにして、どのような条件で、このような「休戦」が可能であったのか?

「クリスマス休戦」に直接的に焦点をあてながら研究もなされてきたようだが、ここではその詳細に入ってゆくほどの知識をぼくは持たないし、思考を深めてもいない。けれども、100年以上前のこの「クリスマス休戦」と、もしかしたらどこか通底しているような状況に、ぼくはかつて東ティモールで遭遇した経験を重ねながら考えている。


2002年にようやく独立をはたした東ティモール。国連をはじめ、国際的な支援のもと、独立後平和な状況にあった東ティモールは、2006年半ば、ディリ騒乱を発端に、国内情勢が不安定化し、国内避難民を生じる事態へと至った。

銃撃戦を逃れ、騒乱発生翌日にインドネシアを経由して日本に戻ったぼくは、治安が若干安定した段階で、ふたたび東ティモールに戻った。2006年9月頃のことであった。東ティモールに戻り、関わっていたコーヒー事業をふたたび軌道にのせ、2006年末、ようやく一息つけるところとなった。

東ティモールに戻って事業をすすめているあいだ、情勢はひきつづき不安定で、ディリ市内では住民の一部が国内避難民として家に帰ることができず、あちらこちらで争いが起きていた。事業は一息ついたところであったけれど、その意味では、緊張を解くことができないままに、ぼくは日々を過ごしていた。

年末はいつもであれば所用で日本に戻っている時期だが、その年はクリスマスから年末年始にかけて、ぼくはディリに滞在することになっていた。

そのようにして迎えたクリスマス。ディリ市内の争いが一時的に沈静化し、「しずかな夜」が訪れる。

東ティモールはカトリック教徒が大半であり、そんな人たちにとっては、クリスマスは大切なときだ。たぶん、そのような事情もあったのだろう。ディリ市内に「しずかな夜」が訪れたのであった。

今でもぼくの記憶のなかには、そのときに感じた安堵感(「争いは止まる(止めることができる)」)とともに、「しずかな夜」の空気感がのこっている。

このような記憶のなかで、「クリスマス休戦」という歴史的出来事は、ぼくのこの経験に重ねられるのである。


「クリスマス休戦」には、「humanity(ヒューマニティ)」という言葉が添えられることもある。想像でしかないけれど、たしかにそのように語られるような状況もあったのだろう(あるいは、少なくとも、そこに「希望」を見出したいのだということもある)。

でも、「人間性」ということでぼくを捉えるのは、「クリスマス」という、いわば「物語・ストーリー」を持ちつづけている「人間」という存在についてである。

人間は、「物語・ストーリー」(あるいは、幻想)という仕方で、いろいろなことを「信じて」いる。そのような、人間の固有性が、戦争や争いのなかでも、生きている。もちろん、そのような「物語・ストーリー」が極端な仕方で信じられて、いろいろと非人間的な行為がなされたりすることがあるのだけれど、肝要なことは、それでも、共通する「物語・ストーリー」を持っていることである。さらには、「物語・ストーリー」は変えてゆくことができることである。

「物語・ストーリー」については、「ホモ・サピエンス」を論じてきた歴史学者のYuval Noah Harariも、キー概念として語っている。あるいは、これまでにも「共同幻想」などとして、いろいろと語られてきた事象である。

人間は、「物語・ストーリー」の外部に出ることはできない。「物語・ストーリー」なしでは生きていけない。でも、共通する「物語・ストーリー」をもって共生し、協力することができる。

それは「希望(hope)」であると、ぼくは思う。

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成長・成熟, 社会構想 Jun Nakajima 成長・成熟, 社会構想 Jun Nakajima

「ルービックキューブ」を解く挑戦の「最前線」と<最前線>。- 雑誌『TIME』の記事から。

だいぶ前のことになるけれど、ブログ「「ルービックキューブ」の完成を体験してみる。- <できる>という身体感覚。」を書いた。

だいぶ前のことになるけれど、ブログ「「ルービックキューブ」の完成を体験してみる。- <できる>という身体感覚。」を書いた。

「ルービックキューブ」を知らない人たちももしかしたらいるだろうし、また世界レベルでは現在「どのくらいの速さ」でルービックキューブを完成させるのか知らない人たち(ぼくもその一人だった)もいるだろうからと、そのときに「とても簡易なイントロダクション」を書いたので、ここでもイントロダクションとして載せておくことにしよう。


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「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。

ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである(※参照:Rubik’s Brand社のホームページより)。

1980年に世界で販売されるようになってから、推定4億個ものルービックキューブが販売されたようだ。

ルービックキューブは、一面は3x3=9個のキューブ、6面から成る(※現在は様々なバージョンがある)。

それぞれのキューブには色がつけられ、色がバラバラの面を、面ごとに同じ色にしてゆく。

生徒たちに3Dの問題を理解してもらいたく創られたもので、ルービック教授も最初にルービックキューブを創った際には、このパズルを解くのに1ヶ月を要したという。

年を重ねるごとに、パズルを解くスピードが上がり、2017年の大会では、優勝者は「4.59秒」という(ぼくはまったく予測もしなかった)秒数で、完成させている。

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ぼくが突如、今となって「ルービックキューブ」を取り上げたのは、海外旅行時の娯楽として購入していた「携帯用ルービックキューブ」を部屋で見つけ、そしてインターネット上に掲載されている「パズルの解き方の手引き」を参考にしながら、生まれてはじめて、ルービックキューブを解いたことについて書こうと思ったからである。

「手引き」に忠実にしたがって解いたって、なにも「すごく」ないじゃないか、とある人は思うかもしれない。

もちろん、その通りで「すごく」なんかないし、もともと「すごさ」を誇示するためにブログを書いたのではない。

「手引き」通りに解いてみて嬉しかったことではあるものの、ぼくが書きたかったのは、なによりも、<できることを体感すること>という、身体感覚のことであった。

これまで「無理」だと思っていたことが<できる>ことで、その体験を通じて、この身体にその感覚をのこすことである。

そのようにして<できることを体感すること>は、ぼくに大切な感覚を与えてくれたようにぼくは感じたし、また、このことは「ルービックキューブ」だけでなく、人生のなかでいろいろと汎用性があることだと思ったのだ。


さて、ぼくのルービックキューブ体験はそのくらいにして、今回はルービックキューブを解く挑戦の「最前線」についてである。

雑誌『TIME』(Nov. 26/Dec. 3, 2018)を読んでいたら、「For the Record」の記事ページで、「1 min., 36.39 sec.」という数字、その上に描かれている青年の挿絵と共にぼくの関心をひいたのだ。

簡易説明文には、こう書いてある。


「New world-record time for solving three Rubik’s Cubes simultaneously with both hands and feet, set by 13-year-old Que Jianyu of China on Nov. 8, Guinness World Records Day」

雑誌『TIME』(Nov. 26/Dec. 3, 2018)


つまり、訳すと、「両手と足を使って3つのルービックキューブを同時に解くのにかかる時間の新世界記録。11月8日世界ギネスレコードデーに中国のQue Jianyu(13歳)が記録を樹立」である。

2017年の大会での優勝者は「4.59秒」でルービックキューブを解くことでさえも、ぼくが予測していなかったことだけれど、さらに、両手と足を同時に使い、3つのルービックキューブを解くなど、まったく思いつきもしなかったので、ぼくはほんの一瞬、なにがなんやらわからなくなった。

そうして、YouTubeをひらき、実際の映像で確認してみて、ぼくは再度びっくりしてしまったのだ。

これだけでなく、Que Jianyuくんは、「目隠し」をしても、ルービックキューブを解くことができる。

もちろん、はじめに、手もとのルービックキューブのそれぞれの並びを確認し、解いてゆく経路を頭のなかに描いてから目を隠すのだが、それにしても、驚かないわけにはいかない。


こうして、ぼくは、ルービックキューブの「最前線」のひらかれ方に興味をおぼえながら、またその最前線を果敢に切りひらいてゆく人たちの挑戦と才能に感心してしまうのだ。

それは、<できることを体感すること>がじぶんの身体にも登録されていたからでもある(と、ぼくは思う。もちろん、ふつうに見てみるだけでも、圧巻なのだけれど)。

また、時代はいろいろな分野・領域で「テクノロジー」の時代に突入しているのだけれども、手元のルービックキューブを相手に、パズルを解くことを(いろいろな仕方で)追求してゆくことへと「最前線」をきりひらいてゆくことに、どこか、微笑ましい気持ちもわいてくるのである。

その光景は、ぼくたちが「楽しむ」には多くの資源の収奪を必要としないのだ、ということともつながってくるようにさえ見えるのであり、そのことは、幸せということにおいて、(資源収奪的ではない)「時代の可能性」の<最前線>が見えるのだということでもある。

ぼくは、ルービックキューブの「最前線」に通底するような、「時代の可能性」の<最前線>(「新しさ」から自由な<新しさ>)を追っている。

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「差別語を問題にすること」の重要性のありか。- <関係の実質>に切り込むための糸口(真木悠介)。

「差別語」に焦点があてられて、差別語はいけない、という議論がくりひろげられる。

「差別語」に焦点があてられて、差別語はいけない、という議論がくりひろげられる。

あれもこれもが差別語としてあげられていて、文章を書くときにも、気をつけなければいけない。

でも「差別語」を考えるときに、もっともっと焦点をあてなければいけないことがある。

そのことを真正面からぼくに教えてくれたのは、真木悠介(社会学者)のことばからであった。


肯定性に充ちた真木悠介のことばは、<「差別語」が本人を決して傷つけない関係>からの視線で、「差別語」ということばの実質を流動させる。


「障害者」ということば自体が、差別語でありけしからん、という議論がなされる。紫陽花邑の人は、「この人は重度の身障者です」というようなことを、そこにホクロがあるというようにさらりと言ってしまう。そのことがそこにいっしょに立っている本人を決して傷つけないだけの、関係の実質をもっているからだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


奈良の紫陽花邑(あじさいむら)というコミューンでは、たとえば、身体障害者が片手で食事をしていて、ごはんをこぼしたり、奇妙な身の動かし方をしたりするのを見て、それを見ている者も、本人も、「いっしょになって笑う」のだという。

一般的な「差別反対運動の精神」においては笑うことは許されないものだが、紫陽花邑では、おかしいものはおかしいと、本人もいっしょになって笑う。

笑いが、本人を傷つけないだけの<関係の実質>に支えられている。


この<関係の実質>という視点で、真木悠介は「差別」や「差別語」という根柢的な問題への<通路>をきりひらいてゆく。


 差別語を問題にすることは、差別語においてたまたま露出してくる関係の実質に切り込むための糸口としてのみ重要だ。ひとつひとつの差別語が差別語として流通することを支える、この関係の総体性に切りこむことなしに、差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえることは矛盾のいんぺいにすぎず、「新平民」とか”handicapped”とか「目の不自由な方」というような、新しい差別語を増殖させるだけだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


差別語やその語られる状況に見られる傾向は、真木悠介の書くように、「差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえること」であり、そのことが矛盾を覆いかくしてしまうのである。

「差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえること」は、差別語に露見される<関係の実質>に切り込むための<糸口>として差別語の問題に向き合うのではなく、むしろ<関係の実質>への入り口をふさいでしまうことで、現実の人と人との関係性を「現状維持」としてしまうのだ。

そうして、「新しい差別語」は絶えず増殖してゆき、「差別語リスト」がどんどんと長くなってゆく。

「差別語」という言葉だが、なにか、それ自体が確かな「もの」であるかのように見えてしまい、人は、その「もの」をいかにしたらよいかという方向に視線を向けていってしまう。

けれども、そのような言葉が生成してきた「関係性」が社会のなかにあり、その関係性そのものへと視線をうつしていかなければならない。

なお、真木悠介の「方法」として、「社会学」というものがあり、「社会学」というものは「関係の学」だと、彼は明確に述べている(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。

「社会」というものは、なにか「もの」のようにあるものではなく、その実質は、人と人との「関係」にある。

この「関係」という視点を入れることで、「もの」のように思われるものごとが流動化されて、そこにぬりこめられている矛盾などが顕現してくる。

このことは、たとえば、つぎのようなことばにも見られる。


 唖者のことばをきく耳を周囲がもたないかぎりにおいて唖者である。唖者とはひとつの関係性だ。唖者解放の問題は、「健康者」のつんぼ性からの解放の問題だ。奴隷の解放と主人の解放、第三世界の解放と帝国主義本国の解放、女の解放と男の解放、子どもの解放と親の解放、すべての解放が根源的な双対性をもつことと同じに。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


このことばは、ぼくの生きることのさまざまな局面で生きてきたことばである。

すべての解放が根源的な双対性をもつこと。

ぼくたちは、つい、どちらか「一方」を解き放とうと考え、行動してゆくのだけれど、その行動はいずれ、行き所のない「行き止まり」にたどりついてしまう。

ぼくが20代を通して(国際支援という仕方で)直接的に関わっていた「第三世界の解放」(発展途上国の解放)ということにしても、そのことは「帝国主義本国の解放」(先進国の解放)なくしては、根底的な解放にいたることはないのである。


なお、グローバリゼーションのなかで、「言葉」がグローバルに流通するようになってくるときの差別語の問題もある。

ただ、ひとつ言えることは、ローカルの小さい関係性のなかにおいても、<「差別語」が本人を決して傷つけない関係>という関係性をもつことがとても難しくなっている状況があるように、ぼくには見える。

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社会構想 Jun Nakajima 社会構想 Jun Nakajima

グローバル化による価値観の変動。- たとえば、「社会的流動性」による人々の格付け。

「グローバル化」や「グローバリゼーション」という言葉は、時を経るにつれて、そのものとしてはあまり使われなくなってきているようなところがあるように見える。

「グローバル化」や「グローバリゼーション」という言葉は、時を経るにつれて、そのものとしてはあまり使われなくなってきているようなところがあるように見える。

それは、もちろん、それらが「なくなった」ということではなく、そのような事象がその表層において完徹し、また人びとにとって「自明のこと」となり、改めて言及するほどのものではないと思われているからである。

だから、グローバル化をすでに自明のこととして、そこで起きていることが語られる。


とはいえ、「グローバル化」や「グローバリゼーション」は、どこから、どのように語るかによっても、いろいろに光を放つから、議論は結構むずかしかったりする。

また、「グローバリゼーション」に対して「反グローバリゼーション」という二元論的思考によって議論を絡めとってしまうことで、出口のない議論が展開されてしまうこともある。

そんなわけだから、そんな事象をここで簡潔にまとめて、なんらかの解決策を提示しようとも思わない。


ただメモとして、あるいは思考や生きることを紡ぐ際に「引き受けておく」こととして、思想家である内田樹の提起しているポイントを書いておきたいと、ぼくは思う。

内田樹は、グローバル世界に「社会的流動性」(また機動性の高い/低い)という視点を投じながら、社会の「差別性」に光をあてている。


…グローバル化した世界は、一見すると、社会的流動性が極限まで高まった社会のように思われますけれど、実際にはそうではありません。「社会的流動性が高い人々」が世界中の権力・財貨・情報・文化資本を独占し、「社会的流動性の低い人々」は「グローバル化の時代に適応できない滅び行く種族である」とみなされ、どれほど愚弄されようと、収奪されようと「それは自然過程だからやむを得ない」と人々が信じてしまった社会、つまり「社会的流動性」という新しい指標による差別が固定化した社会なのです。

内田樹『内田樹による内田樹』文春文庫


何かしらのことがよいと標榜されるとき、そこには排除されているもの、捨てられているもの、無視されているものがある。

「語られないもの」をまなざすこと、を、ぼくは経済学者アマルティア・センから学んだのだけれど、それと同じように、高らかに語られること(グローバル時代の「社会的流動性」)の背後にあるものに、内田樹をまなざし、書いている。

内田樹のいう「新しい指標による差別」を、内田樹の言葉でもう少し見ておこう。


「私はどこでも生きていける。だから、自分の祖国が地上から消えても、自分の祖国の言語や宗教や食文化や生活習慣が失われても、別に困らない」と言い切れる人間が「最強」に格付けされ、その反対に、農林水産業に従事したり、伝統的な技術や芸能を継承したり、共同体の次世代の担い手を育てたりする仕事をする人は、身動きができないがゆえに「最弱」と評価される。それがグローバル化がもたらした決定的な価値観の変動です。

内田樹『内田樹による内田樹』文春文庫


機動性を軸にして急速な階層化がすすんでいる社会を内田樹は見ている。

「どこでも生きていける」ようになりたいという気持ちを持ったことがある者として、しかし、最強格付けの方向には走らなかった者として(いろいろな意味でできなかっただけだけれど)、ぼくは、ここで語られることを、じぶんの経験に落としながら、考える。


世界をただ均一化してゆくものとしてのグローバリゼーションは、やはり乗り越えられるべきものである。

でも、それは反グローバリゼーションに傾くのではなく、またグローバリゼーションそのものを否定することでもない。

ぼくにとって「英語」は、世界のなかで機動性を高めることのためだけにあるわけではない。

英語それ自体の面白さがあり、じぶんという人間自体を相対化するものであり、そうすることで日本や日本語を(つまりじぶんを)知ってゆくことでもある。

「機動性」は高まるけれど、それよりも、英語を「共通のことば」として、世界のいろいろな人たちと話すことができること、そのつながりを、ぼくは楽しむものである。


「問題」は、このような「共通のことば」が「標準化」し、世界を均一化してゆくことである。

このことを、ぼくは社会学者の見田宗介から学んだ。


 近代をこえるということは、文化と文化との間であれ、個人と個人との間であれ、人間と他の存在の形たちとの間であれ、各々に特異なものを決して還元し漂白することのない仕方で、きわだたせ交響するという仕方で、共通の<ことば>を見いだすことができるかという課題に絞られてゆくように思う。

見田宗介「差異の銀河へ」(1986年5月30日)『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫


グローバル化ということを「近代」ということの最終形として見るのであれば、これはグローバル化を含めた文脈として読むことができるのであり、現在ある形での「グローバリゼーション」を越えることの方向性が書かれている。

共通の<ことば>、それは、いわば「共生の作法」である。

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「情報化社会」における「情報」のコンセプトを徹底してゆく。- 「情報」の3つの種類・作用(見田宗介)。

見田宗介の名著『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)で展開される理論の魅力は、いろいろに語ることができる。

見田宗介の名著『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)で展開される理論の魅力は、いろいろに語ることができる。

とりわけ、「情報化・消費化社会」で語られる社会の光と闇をともに見晴るかしながら、それらの「情報」と「消費」というコンセプトを、根源的に、徹底して「転回」してゆく論理と肯定性に、ぼくたちは「現在と未来」の希望と方向性をもつことができる。

20世紀末に、東京で暮らしながら、「情報化・消費化社会」の闇にうんざりし思い悩んでいたぼくにとって、考え方と気持ちの双方が解き放たれるような体験を、この名著はぼくにもたらしたのであった。


「情報化社会」ということについて、見田宗介は、この著作の最後のところで、つぎのように書いている。


「情報化社会」というシステムと思想に正しさの根拠があるのは、それがわれわれを、マテリアルな消費に依存する価値と幸福のイメージから自由にしてくれる限りにおいてであった。<情報>のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方にあるものに向かって解き放ってくれる。
 けれども…情報の観念は未だ、現在のところ、消費というコンセプトの透徹がわれわれを解き放ってくれる以前の、効用的、手段主義的な「情報」のイメージに拘束されている。

見田宗介『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)


ここで、「情報」の効用的、手段主義的なイメージということについては、「情報」というコンセプトの諸相のぜんたいを見ておく必要がある。

見田宗介は、「情報」はつぎのように、基本的に三つの種類、あるいは作用(機能)をもつとしている。


1.認識情報(認知情報。知識としての情報)

2.行動情報(指令情報。プログラムとしての情報)

3.美としての情報(充足情報。歓びとしての情報)


「情報」ということを考えるにあたって、これだけでもとても興味深い切り分けである。

これらのうち、1と2が共に、手段として・効用としての情報である。

つまり、「何かのための」情報である。

これらに対し、「情報」のコンセプトの第三の様相は、「効用としての情報の彼方の様相、美としての情報、直接にそれ自体としての歓びであるような非物質的なものの様相を含むコンセプト」である。


ゼネラル・ミルズ社の「ココア・パフ」の事例を挙げながら、見田宗介がそこに「論理の可能性」を見たのも、この第三の様相である。

ぼくは、その視点をじぶんの「メガネ」としながら、「一個のジャガイモ→ベークドポテト」に、その「論理の可能性」を見たのであった(ブログ「「ジャガイモ」について。- 主食としてのジャガイモ、ベークドポテト、情報化・消費化社会。」)。

この「ベークドポテト」から連想して「ココア・パフ」に思考が向かい、「情報」というコンセプトについて書こうと思い、今こうして書いている。


この本が出版されてから20年以上が経過した今、そのような「論理の可能性」を見ながらも、「情報の観念は未だ、現在のところ、効用的、手段主義的な「情報」のイメージに拘束されている」という言葉をくりかえす状況にある。

最近(2018年8月)、この『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』の増補版(2018年)が出たけれども、一部の「データ」のアップデートを中心とした増補であり、「情報の観念は未だ、効用的、手段主義的な「情報」のイメージに拘束されている」という記述は変わってはいない。

効用的、手段主義的な「情報」は、いっそう、よりいっそう、その効用性と手段主義を追求してゆくところ(ビックデータ!)につきぬけていっているようにも見て取れる。

しかし、だからといって、「情報」のコンセプトの第三の様相がきりひらいてくれる世界の、その可能性がなくなったわけではないし、むしろ、その可能性が「きりひらかれてきている」と捉えることのできる側面も、ぼくたちはこの世界で見ることができる。

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「現代」という「特異な時代」に生きているということ。- ぼくにとっての「音楽・書物・映画」との関わりから。

『シネマと書店とスタジアム』(新潮社)という著書のタイトルにあるように、作家の沢木耕太郎にとって、「映画・書物・スポーツ観戦」が歓びである。

『シネマと書店とスタジアム』(新潮社)という著書のタイトルにあるように、作家の沢木耕太郎にとって、「映画・書物・スポーツ観戦」が歓びである。

それらは、ぼくにとっては、「音楽・書物・映画/ドラマ」というように言い換えることができる。

これらがあれば、時を忘れてどこまでもそれらの世界にひたることができる、というものだ。


部屋の「片付け」をしていて、これらの「メディア」(媒体)に相当する、「音楽CD、紙の本、映画・ドラマのDVD」のコレクションに圧倒される。

いつのまに、これほどに堆積していたのかと。

近年、ぼくは「ミニマリズム/エッセンシャリズム」に触発されて、「物質的なモノ」を減らす方向に、舵をきっている。

現代社会における「情報化」および「情報通信技術の発展」が、この方向への流れをつくり、また追い風ともなっている。

音楽CDは音楽配信サービスに、紙の本は電子書籍に、DVDも映画・ドラマ等配信サービスに。

配信サービスで提供されていない作品、電子書籍化されていない作品あるいは紙の本として残したいものを除いて、基本的に作品のほとんどが「物質的なモノ」という形状を解き放たれ、「データ」として、つまり「情報」として、アクセスできる。

部屋がきれいに片付くだけでなく、便利でもあるし、なによりも、これまでのような「大量生産ー大量消費」という「自然収奪」的な構造を変えることができる。


そのようにかんがえながら、ぼくは、人類の歴史における、相当に「特異な時代」に生きてきたことを思う。

「音楽」ということを見ても、ぼくが生きている間に、レコード、カセットテープ、MD、CDなどの各種媒体の使用という歴史を一気に通過し、今は「音楽配信サービス」というところに辿りついている。

この通過の底辺には、個人(また家族)という単位におけるエンターテイメント享受という流れがあって、ぼくが生きてきた時代は、個人がCDなどの媒体を所有するという傾向が加速した時代でもある。

「配信サービス」は、そのような「個人による享受」を保持したままで、しかし、物質(CDなど)をデータに変えることで、自然収奪性を減少させている。

ふつうに生きている間は不思議にも思わないのだけれども(むしろ、このような世界が「ふつう」だと思ってしまうのだけれども)、距離をとって眺めてみると、どれだけ「特異な時代」に生きているのかということを感じざるをえない。


社会学者の見田宗介は、人間の歴史における、「近代」という時代に起こった「人口爆発」が、「一回限りの過渡的な」状況であったことを、分析的に述べている。


…この時点からふりかえってみると、「近代」という壮大な人類の爆発期はS字曲線の第Ⅱ期という、一回限りの過渡的な「大増殖期」であったことがわかる。そして「現代」とはこの「近代」から、未来の安定平衡期に至る変曲ゾーンとみることができる…。「現代社会」の種々の矛盾に満ちた現象は…「高度成長」をなお追求しつづける慣性の力線と、安定平衡期に軟着陸しようとする力線との、拮抗するダイナミズムの種々層として統一的に把握することができる。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

「大量生産ー大量消費」ということも、たとえば100年後の世界からふりかえったならば、「一回限りの過渡的な」生産・生活様式であったと見られるにちがいない。

「音楽CDは音楽配信サービスに、紙の本は電子書籍に、DVDも映画・ドラマ等配信サービスに」ということも、このダイナミズムのなかに位置づけてみることもできると、ぼくはかんがえる。

そして、ぼくは、「安定平衡期に軟着陸しようとする力線」の方へと、できるかぎり、考え方も感じ方も、また生活の仕方も移行していきたいと思う。

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「未来構想」そのものを学ぶこと。- 真木悠介『人間解放の理論のために』(1971年)という本。

社会学者である見田宗介は、「世に容れられるということを一切期待しないという、古風な熱情を以て記された文章群」を「真木悠介」の筆名でしてきた。

社会学者である見田宗介は、「世に容れられるということを一切期待しないという、古風な熱情を以て記された文章群」を「真木悠介」の筆名でしてきた。

その最初の著作は『人間解放の理論のために』(筑摩書房、1971)というものであった。

見田じしんが「今では読まれないほうがいいですが…」と批評家・思想家の加藤典洋に語っており、また2010年代前半に編まれた見田宗介著作集/真木悠介著作集からも外されている。

その理由は明確に語られていないが、『人間解放の理論のために』を実際に読んでみて推測するのは、抽象度の高い文章群、難解さ、語彙にときおり見られる時代性などである。

けれども、その問題意識と理論それ自体、そしてそれらを支えているにじみでる熱情(これは読み側にとって好き嫌いはあるだろう)は、今読んでも、ほんとうに多くのことを教えてくれる。

 

本のタイトルからはすぐに想像することはできないが、この本で正面から取り上げられているのは、「未来構想の理論」と「人間的欲求の理論」である。

これらのテーマは1960年代から1970年代にかけて切実なものとして書かれたのだけれども、それは「今だからこそ」、とりあげられるべきテーマたちでもあるように、ぼくは思う。

実際、見田宗介がこの本から45年以上経過した2018年に出版した『『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書)は、これらのテーマが継承され、より一般読者向けに書かれている。

そして、ほんとうは、『人間解放の理論のために』というタイトルに含意されているように、見田宗介は、この問題・課題を、数十年や100年単位に限ることなく、その先をも念頭に入れながら、理論を展開している。

 

「人間の解放」という言葉としては硬質なテーマは、見田宗介が17歳のとき(1950年代)、将来の方向性と目的を熟慮しているなかで定められたものであることを、約60年後の2016年の論稿(見田宗介「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号)のなかに書いている。

2日間の熟慮の際、最初に「候補」とされたテーマは、第一に「人類の幸福」、第二に「世界の革命」であったという。

見田じしん、今の時代ではこのようなことを考える人はいないだろうがと前置きをしている。

二つの候補がありながら、「幸福」という言葉のぬくぬく感、また「革命」という言葉の政治的な響きが好きになれずにいたところ、二日目に「人間の解放」という言葉が突然に閃いたという。

そして、1950年代から2016年までの60年間も、そしてこれからもし60年生きるとしても、一貫して「解放論」であると、見田宗介は書いている。

 

その志を真摯に、透明に貫いてきたところに、真木悠介の筆名で最初に書いた著書『人間解放の理論のために』が置かれているのを見ることができる(また、数々の名著も、その一貫性のなかに書かれてきたことを実感できる)。

その『人間解放の理論のために』の最初の章が「未来構想の理論」である。

未来(将来)をどうする/どうなるなどという議論の前に、「未来構想」そのものを、理論のまな板に置いている。

例えば「未来」というものの構造が問われ、明晰に論じられているのだ。

 

「今では読まれないほうがいいですが…」と見田じしんが語るこの本で展開される理論に、ぼくはしばらく深く降りていきたいと思う。

それにしても「今では読まれないほうがいいですが…」と言われると、余計に読みたくなるものである。

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社会構想 Jun Nakajima 社会構想 Jun Nakajima

地球や人類や社会の「全体像」の議論について。- ずいぶんと「忘れられてきた」見方のこと。

『Sapiens』『Homo Deus』の著者、歴史学者Yuval Noah Harari(ユバル・ノア・ハラリ)は、新著『21 Lessons for the 21st Century』(Spiegel & Garu, 2018)の冒頭を、「人類(humanity)の未来」に関する議論には理論的には誰もが参加できること、しかし明確なビジョンを維持することは極めてむずかしいこと、また議論が行われていることに気づくことさえしなかったり、しなければいけないことがたくさんあるなかで調査することが「贅沢」となっていることなどを指摘することから、書き始めている。

『Sapiens』『Homo Deus』の著者、歴史学者Yuval Noah Harari(ユバル・ノア・ハラリ)は、新著『21 Lessons for the 21st Century』(Spiegel & Garu, 2018)の冒頭を、「人類(humanity)の未来」に関する議論には理論的には誰もが参加できること、しかし明確なビジョンを維持することは極めてむずかしいこと、また議論が行われていることに気づくことさえしなかったり、しなければいけないことがたくさんあるなかで調査することが「贅沢」となっていることなどを指摘することから、書き始めている。

確かに、人は日々、他にしなければならないことでいっぱいであったりする。

ユバルが冒頭でくりかえしていうように、「全体像・大局について考えること(thinking about the big picture)」は、相対的に贅沢なものとなっているようだ。

 

そしてそのことは、「近代」を駆動してきた<分業制>の行きついた地点であるかのようにも、ぼくはかんがえる。

近代・現代は、人それぞれがある特定の仕事や作業に特化することによって、つまりシステムの合理化と効率化によって、その全体の社会を発展させてゆくところに、その発展の力を発揮してきたのである。

この視点で見たとき、「全体像・大局について考えること(thinking about the big picture)」は、余分なことであるだろうし、それよりも、ある特定の仕事や作業(だけ)に特化することが奨励されるであろう。

けれども、「食べてゆくのに困らない」時代(分配の問題は依然として大きな問題・課題として残る時代)が到来し、また、環境・資源収奪的なこれまでの発展の「仕方」の問題に直面するなかで、さらには個人という視点において「個人主義」が徹底されてゆくなかで、情報通信技術やバイオテクノロジーなどの新しい時代の鐘が「不確実性」の音色をならすとともに、そこに<全体像>への希求と議論が生まれてくる。

 

ぼく個人のことでいえば、<全体像>を好きで求めてきたし、それがとても大切なことであると思う。

「そんな大きなテーマを…」という眼差しで見られることがあっても、この点においては、ぼくは誰がなんと言おうと、テーマとして追い続けてきた。

見田宗介やアマルティア・センやユバル・ノア・ハラリなどの知性たちに寄り添っていることも、そのことと関係しているようにも思う。

 

修士論文で経済学者アマルティア・センの思想を追いながら、ぼくは専門としていた発展途上国の「開発学」と「開発協力」の土台そのものを問うようにして、「開発・発展とは何か」という<全体像>の地平に、いつしか躍り出ていた。

専門性の高いテーマを嫌っているわけではなく、専門性の高いテーマを追っていると、どうしても<全体像>の視点が入ってきて、いろいろと疑問に思ってしまうのである。

そのような疑問は、ぼくの周りにひろがる「社会」だけでなく、ぼくの「生き方」にも、透徹された眼を向けてゆくのだ。

そのときから15年以上が経過し、その間に、ますます<全体像>が大切になってきている。

 

ユバルは、冒頭で取り上げた箇所につづいて、つぎのように書いている。

 

…不幸なことに、歴史は割引(discounts)をしないのだ。もし人類の未来が、あなたが子供たちに食事をさせたり服を着させたりすることに忙しすぎて、あなたのいない間に決められたとしたら、あなたと彼(女)らはその帰結から免除されることはない。これは不公平だが、しかし、誰が歴史は公平だと言ったのか?

Yuval Noah Harari『21 Lessons for the 21st Century』(Spiegel & Garu, 2018) ※日本語訳はブログ著者

 

人類の未来に関する議論までも「分業制」にするのは(誰かに託すのは)、もう、やめにするときである。

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