「香港の音」のこと。-「静けさ」と「にぎやかさ」と。 / by Jun Nakajima

静けさということ。現代人にとっての「静けさ」ということを。ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の体験をもとに、じぶんの体験もかさねあわせながら、少しのことを書いた(ブログ「「静けさ・静寂・沈黙(silence)」を味方につける。- Robert A. Johnsonの体験に耳をかたむけて。」)。

静けさ「だけ」がいいとか悪いとかということではなく、しかし、「静けさ」が生活の片隅においやられているようなところはあるように思ったりする。

「にぎやかさ」ということで言えば、ここ香港は、にぎやかなところだ。


作曲家の久石譲は、解剖学者の養老孟司との対談(養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』角川oneテーマ21、2009年)のなかで、この「香港のにぎやかさ」にふれている。久石譲は興味深いエピソードを紹介している。それは、香港からカナダに移住した人たちに「もっとも売れたテープ」の話である。

香港からカナダに移住した人たちにもっとも売れたテープは、香港のにぎやかな音であったというのだ。食べ物屋の音、街中の音、人々の話し声など、香港の音が収録されたテープが飛ぶように売れたのだという。

大自然に囲まれたカナダの異常な静けさが、逆に落ちつかなかったのではないかという話だ。

実際にこの話がどのように伝わってきたのか、そのようなテープがどのくらい売れたのかなど、ぼくは知らない。けれども、ここ香港に住んでいると、わからなくもない。ある程度の「にぎやかさ」に心身がなれて、突然のようにやってくる「にぎやかさの欠如」は、心身を不安定にさせるかもしれない。

「静けさ」と「にぎやかさ・ノイズ」。このエピソードに対して、養老孟司はつぎのように応答している。


養老 そういうこともある。だから、物事はどっちがいいとか悪いとか一概に言えないんです。だいたいどっちであっても人生は損得なしだ、というのが僕のいけんですけどね。

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


このエピソードが紹介される直前に、一般的に、「うるさい環境の方が落ちつくなあということもあるんじゃないですかね」と語る文脈で、養老孟司はこのように語っている。

「静けさ」と「にぎやかさ」の双方を享受できるようになるとよいと、ぼくは思ったりする。また、人それぞれに、それぞれの「とき」に応じて、求められるものも変わってくるのだと、ぼくは思う。


ところで、「香港の音」のテープということを聞いて、ぼくもいくらか、<音の採取>をしておこうかと思っている。

だいぶ以前、東ティモールに住んでいたときに、<音の採取>をしようと思っていたのだけれど、レコーダーの音質の問題などから、途中であきらめていた。

でも、今はスマートフォンの気軽な録音で、それなりの音質を確保できる。将来、香港を離れたとき、ぼくは「香港の音」、食べ物屋のにぎやかさや街中の喧騒などを聞きたくなるかもしれない。

と思いつつ、いや、心の中で記憶していたほうがいいんじゃないか、と、ぼくの内面の別の声がぼくに語りかける。