集中して通っているうちに。- 香港で、レストランに「通う」。
香港のレストランや大衆食堂はほんとうにさまざまにあり、その探索は尽きることがない。
香港のレストランや大衆食堂はほんとうにさまざまにあり、その探索は尽きることがない。
ところが、尽きることがないほどありながら、じぶんにとっての好みや基準に合うところでいつも行きたいようなところは尽きるほどあるわけではない。なお、ここでいう好みや基準というのは、メニューやおいしさに加え、サービスレベルや価格の手頃さ、また場所の便利さなども含まれる。
だから、いったん好みや基準に合うレストランや大衆食堂を見つけると、結構集中して足を運ぶことになる。週のスケジュールに組み込まれたり、ときには週に数回行くこともある。まさに「通う」というほどである。
こんなときは、なにか好きなメニューがあったりして、それを集中的に注文したりするのだけれど、ときには他のメニューを試してみたりする。けれども、やはりもともとそのメニューがあるから通うようになったというものに戻ってくることになる。
もちろん、他のメニューを「試す」なかで、定番になるものもある。あるレストランのランチセットで試した「蒸し魚定食」はあまりにもおいしくて、いつのまにか定番になった。
なにはともあれ、こんな具合に「通う」ことをつづけていると、お店の方々との距離が近づくことになる。
この「距離」は、実際の距離も、またその距離のあり方も、店員さんごとに異なったりする。ある店員さんは話しかけてくれるようになったり、また、ある店員さんはオーダーやお願い事を覚えていたりしてくれる。売り切れになりやすい「蒸し魚」がまだあることを伝えてくれたり、あるいは「いつもの取り皿」が必要かどうかを尋ねてくれる。といった具合だ。そうではなくても、何らかの仕方で気にかけてくれるような店員さんもいる。
べつにそうしてもらいたくて通っているわけではないのだけれど、集中して通っているうちにそうなってゆき、さらには店員さんとの距離が通いたくなるような親密さを形成して、ますますぼくは足を運ぶことになる。
こんな状況にあって途中で何らかの事情があって行かないようになり、でも久しぶりに行くと、「どうかしたの」とでもいうような言葉や表情を投げかけてくれる、ということにもなる。逆に、ぼくも、店員さんの元気な姿にうれしくなる。
こんなさまざまな具合の、色合いの関係性が、ぼくの香港の「日常」をかたちづくっている。
香港で、ぼくは、そんな関係性も楽しんでいる。
香港で、「Buy One, Get One Free」(=BOGOF)の威力のまえで。- ピザも、「BOGOF」。
香港のフードコートで食事をしていたら、ピザを売っている店舗のまえに、いつにもなく人が並んでいるのを目にする。ピザを一切れごとに販売しているお店だ。
金曜日の夕方ということもあってこんなにも多くの人たちがピザにひきつけられるのかなぁとなんとなく思っていたら、お店のうえにかかげられているバナーがぼくの目にはいってくる。
「…Buy One, Get One Free …」
どうやら創業記念の企画のようで、「Buy One, Get One Free」(BOGOF)、文字どおり、「ひとつお買い上げでひとつ無料」である。「BOGOF」の威力は圧倒的だなぁと、絶えることのない行列を見ながら、ぼくは納得する。
行列に並ぶのは好きではないから、購入することは考えず、お店の様子や行列の人びとの様子をそれとなく眺めていた。ところが、ふと、行列が短くなる「とき」が訪れて、購入意欲がわきあがってくる。結局のところ、それほど待たずに、「BOGOF」でピザふた切れをオーダーした。
ここのピザは以前食べたときの記憶に反して、おいしかった。これだけ人が並んでいると、ピザのまわりも速く、「出来立て」を食べることができるのが理由のひとつであった。
他に考えられる理由としては、もちろん具材があり、つくる人たちの技がある。最近ときおり感じるのは、香港の人たち(もちろんここではかなり「一般化」している)のパワーが十全に発揮されるのは、「ある水準の忙しさ」が条件としてあるのではないかということである。「速さ」が社会に内蔵されている香港では、この「適度の忙しさ」がないと、リズムが出てこない(ある意味、べつに香港にかぎったことではないけれど、香港の「速さ」の側面においてこれはいっそう重みをもつように見える)。そんなふうに思ったりするのだけれど、あくまでも仮説のひとつである。
と、脇道にそれたけれど、要は、ぼくも「BOGOF」の威力にひきこまれてしまったのである。
香港における「価格への敏感性」にはときどき疲れてしまうこともありながら、ぼくも「価格への敏感性」をいっそう身につけてきたようなところもある。香港の店舗などで店員さんにすすめられ、教えられてきたところだ。店員さんはときおり、「じぶんごと」として、本気でマネーセービング(お金の節約)の仕方を教示してくれるのである(「ビジネス」としてのプロモーションの仕方も、客観的に楽しく聞くことができる。ときに、やはり疲れてしまうけれど)。
こんな状況を客観性をもって「楽しく」眺め、生活している。アドバイスにしたがうこともあれば、きっぱりと断ることもある。どちらにしても楽しさと好奇心でするのである。
でも、そんな客観性をつきやぶって、プロモーションやディスカウントの「威力」はやってくることがある(「お金の魅力」はやはりあなどれない)。こうして「…Buy One, Get One Free …」の威力に圧倒されながら、ピザを購入する。
香港ではどこでも、そんなふうに「誘惑の磁場」にはいりこんでしまう。
「靴」に新たな命を吹きこむ。- 靴磨き職人に導かれながら。
革靴用のクリームをきらしてしまい、香港の街中で探していたのだけれど、探していた品が品切れなどのため見つからない(ちなみに、香港で売られている革靴用クリームには日本製がよく見られる)。
革靴用のクリームをきらしてしまい、香港の街中で探していたのだけれど、探していた品が品切れなどのため見つからない(ちなみに、香港で売られている革靴用クリームには日本製がよく見られる)。
どうしようかと思っていたところ、しばらくのあいだをしのぐために、靴磨き職人の方に磨いてもらうことにする。
そこで、革靴を持って、靴のケアや修理などを専門にしているお店に立ち寄って、靴磨きのサービスを確認する。所要時間を確認したところ、思っていた以上に時間がかかるようで、そのときのぼくにはそんな長い時間の余裕がなく、またお店の雰囲気もあまりぱっとしないので、このお店のサービスを利用しないことに決める。
どうしようかなと思っていたところ、香港の中心部に位置するセントラル地区のショッピングモールの一角で、靴磨き職人の方が靴を磨いている風景を思い出す。その場所を通るたびに、気になっていたのだ。
靴磨き職人の方にじぶんの靴を磨いてもらったことがないのでよい体験にもなる。こうして、この靴磨き職人の方に、ぼくは靴磨きを依頼することにした。お昼時ということもあって、すでに先客がいる。ぼくは、靴磨きを依頼し、番を待つことになった。
ふつうは椅子に座って靴をはいたまま足を台にのせるのだけれども、ぼくはシューキーパーを入れたままの靴を手にもってきていたので、そのまま靴を渡した。ぼくは、椅子に座って、どのように磨かれるのかを間近で見ることにした。どのように磨くのかを間近で学ぶことができるチャンスでもある。
靴が磨かれる最中にいろいろと尋ねたくなったのだけれど、がまんして、靴磨きの動作に目を集中させる。
靴は徐々に色と輝きをとりもどしてゆく。10分から15分くらいだろうか。靴磨き職人の方は大きなそぶりで終了を伝えてくれる。
靴は新たな<命>を吹き込まれれたように、そこで存在感を放っている。「It’s beautiful.(美しい)」。ぼくは、職人さんに応答する。
ここに来て、そして依頼してよかったなと深く思う。
靴磨きにについては、これまでにYouTube動画などでも学んでいたのだけれど、こうして目の前でじっくり見ていると、やはり動画では伝わらないものごとがぼくに伝わってくるように、ぼくは感じたのであった。
家で「埋もれていた」海外のコインや紙幣に新たな命を吹き込み、また、こうしてぼくは、ぼくの靴に命を吹き込む。
ものごとに新たな<命を吹き込む>ときが、ぼくたちが生きているなかではあるものだ。
それらのものごとは、さしあたり「外部」のものごとでありながら、同時に、じぶんの<内部・内面>にそのまま反映するものごとだ。
少しの、「感覚」のメモ。- 「揺れる」香港で生活しながら。
ここ香港での、「逃亡犯罪人条例等改正案」に反対する抗議活動。その背景と刻一刻と動いてゆく情況はさまざまなメディアでとりあげられているので、それらに目を通してほしい。
ここ香港での、「逃亡犯罪人条例等改正案」に反対する抗議活動。その背景と刻一刻と動いてゆく情況はさまざまなメディアでとりあげられているので、それらに目を通してほしい。
メディアで報道されている情況とはべつに、もちろん、人びとの生活はつづいている。あたりまえといえばあたりまえのことではある。ぼくも、生活をつづけている。そして、メディアを通して報道されている情況と、そんなふうにつづく生活のはざまで、情況を注視する。
生活はいつもどおりつづいているように見えるのだけれども、なんとなく、あるいは何かがズレてしまったような感覚をぼくは覚える。香港に住んでいる人たちは、いつもどおり、買い物をし、外食をし、学校や仕事に通っているのだけれど、なにかが「いつもと違う」感じなのだ。どこかそわそわして落ち着かない感じもあれば、どこか静かな雰囲気もただよっている。強い雨がときおりふりそそぎ、天気が落ち着かないことも影響しているのだろうか。
そんな「感覚」は、ぼくのまったく勝手な感覚ではあるのだけれど、12年以上にわたって香港に住み、それなりにいろいろと経験してきたことをふまえての感覚である。ぼくの内面が外部に投影されているようなところもないとはいえない。だからその場所の「内部」にいるとわかりづらいこともあるけれど、でも「内部」にいるから感じる感覚もある。
香港という場所の特徴のひとつは、その場所の凝集性ともいうべきところにある。香港自体は、その中心部だけでなく隅から隅までを見晴るかすと思っている以上に大きいと感じるのだけれども、それでも、やはり地理的には小さい。経済社会活動の中心がぎゅっと中心にあつまっていて、いつでもどこにでも行ける距離感である。そんな具合に活動空間がひろがっていて、その空間のなかで日々活動し、暮らしている。
だから、「何か」が香港内で起こると、その物理的かつ心理的な影響が波及しやすい。ぼくは、体験・経験もふまえ、そんなふうに考えている。もちろん、メディアやSNSの「空間」がそこにはいりこんでくる。それらの「空間」が重なりながら、しかし、凝集性による他者や出来事とのかかわりの物理的な近さが場の雰囲気をつくりだす。この物理的な近さが香港の特徴のひとつである。
そんな香港に、強い雨がいくどもふりそそぐ。豪雨警報が発令されるほどの雨である。強い雨は雨雲とともに、香港を薄暗く映す。ときおり雲のあいだから射す陽光のような光が、どんな仕方で香港に射すのだろうかと思う。
以上、少しの、「感覚」のメモである。
「食器トレーの返却」がきざまれた心身。- 日本と海外の「あいだ」で。
ファーストフードや大衆食堂などで、食べたあとに食器トレーを返却口に返却する、という動作が身体にしみついていると、同じような状況において「返却しない」ということに引け目のような気持ちを感じる(ことがある)。
ファーストフードや大衆食堂などで、食べたあとに食器トレーを返却口に返却する、という動作が身体にしみついていると、同じような状況において「返却しない」ということに引け目のような気持ちを感じる(ことがある)。
たとえば、マクドナルドを想像してみるとわかりやすい。日本のマクドナルドで「返却する」ことを「あたりまえ」のようにしてきた身体が、海外のマクドナルドに立ち寄って「返却しない」ことが「あたりまえ」の状況におかれる。返却せずに、食べたあとのトレーをテーブルに残したままに席を立つ。
それらを片付けてくれる店員さんがいて、トレーを片付けてくれるのはわかっているのだけれども(そしてその「仕事」があるから店員さんはそこでの仕事を確保できるのだということもわかっているのだけれども)、じぶんの心身は「じぶんで返却する」意思が働く。でも、その意思をおさえて、その場その場の仕方にあわせて、テーブルのうえにトレーを残したままにするのだ。
そんな経験を海外に出るようになった最初のころだけでなく、ぼくは今でもする。「じぶんで返却する」意思がじぶんのなかで作動しはじめるのを感じることがあるのである。
「返却口」がまったくないようなところであれば返却はできないので、まったく気にはしないのだけれど、マクドナルドのように、トレーを返却する場(でも返却を求められているわけではない場)が設置されていると、頭ではわかっていても、「じぶんで返却する」モードが作動しはじめることがある。
返却がもとめられていれば、わかりやすい。そして、わかりやすいだけでなく、ぼくのなかで作動しはじめる「じぶんで返却する」モードは、それが作動する機会を得ることで落ちつくのでだ。
ここ香港でも日系のファーストフード(たとえばモスバーガー)や大衆食堂などでは「返却口」が設けられ、テーブルなどに「返却をもとめる」表示がされていたりする。でも、このシステムは「一般的」ではないから、なかなか浸透していかない。よい・わるいではなく、仕組みの違いである。
こんな具合であるのだけれど、面白い体験をした。ある大衆食堂のようなところ(日本の料理を提供する「日式」の大衆食堂)で食事を終えて、トレーを返却口に戻すように表示があるから、ぼくはトレーを返却口に戻した。返却口付近の店員さんが、笑顔で、そのトレーを受け取ってくれる。「ありがとうございます」と、ぼくに広東語で伝えながら。
ぼくも「ありがとうございます」と応答して、席にもどる。荷物をとってお店を去ろうしたところ、先ほどトレーを手渡した店員さんがやってきて、笑顔で話しながら、ぼくに「クーポン」を手渡してくれたのだ。
どうやら、「トレーを返却した」ことに対する御礼として、返却御礼としての「クーポン」である。クーポンにはそのように記載されている。「多謝您支持自助回収…/THANK YOU FOR RETURNING YOUR TRAY」というように。トレー返却への感謝としての「クーポン」を受け取ったのは、はじめてであったし、その発想にびっくりしてしまった。
再度笑顔で応答し、面白い体験の余韻を感じながら、ぼくはお店をあとにした。
そんなこんなで、ぼくはトレーの返却について考えさせられ、書いている。日本にいたときは「あたりまえ」であったことが、こうして「あたりまえ」ではないものとして日々体験される。
「新しさ」ということ。- 香港の「新しい」店舗に日々出会いながら。
ここ香港では、店舗の移り変わりが圧倒的に速い。新しい店舗がオープンする。店の前に花がならび、「新しさ」の爽快さと開放性が人びとの足をとめる。
ここ香港では、店舗の移り変わりが圧倒的に速い。新しい店舗がオープンする。店の前に花がならび、「新しさ」の爽快さと開放性が人びとの足をとめる。
同じ場所に長く店をかまえていることももちろんあるけれど、その場合はその場合で、ある程度の期間ののちに「改装」され、心機一転のオープンとなる。新店舗や改装の回転速度が圧倒的なのである。この速さは、これまで住んできた東京、ニュージーランド、シエラレオネ、東ティモールでは見ることも、感じることもなかったものである。この「速さ」のなかに、香港の経済社会の本質がある。
それにしても、新しい店舗を至るところに目にし、やはり気になって立ち寄ったりしながら、「新しさ」ということを考えさせられる。
新しい店舗には、上述したように爽快さと開放性があり、お店の人たちも行き交う人たちも、どこかエネルギーに満ちているように感じる。エキサイトメントがある。でも、「新しさ」ということのなかに、「新しさ」の経験のなかに、ぼくたちは、ほんとうは何を求めているのだろうか。
見田宗介(社会学者)は、1980年代の日本の「現代社会」に身をおきながら、つぎのように書いていた。
…前近代の文明の洗練されたゆきづまりである封建社会が、「古さ」の神話で共同体の人びとを窒息させてきたこととおなじに、近代文明の洗練されたゆきづまりである現代社会は、「新しさ」の神話によって市民社会の人びとを窒息させる。…
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
「新しさ」の神話につかれてきた社会ということは、よくわかる。1980年代から1990年代にかけて日本の社会に生きながら、そのときのことを振りかえってみると、確かに「新しさ」への衝動につかれているように感じるのである。
見田宗介は、この文章、「「新しさ」からの解放」と題された論壇時評を、つぎのように書き終えている。
<伝統>という名の衣装を脱ぎすてたときに人間は、ひとつの解放を手に入れたはずだ。<前衛>という名のモード、つねにより「新しいもの」でありつづけなければならぬという強迫観念を脱ぎすてるときに、わたしたちは、もうひとつの巨大な自由を手にいれるだろう。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
「新しさ」が良い・悪いということではない。それは「ひとつの解放」である(あった)のだけれど、「つねにより「新しいもの」でありつづけなければならぬという強迫観念」は、逆に人を不自由にさせる。ぼくもそう思う。
時代はその時間の針をすすめながら、<伝統>からも、また<新しいもの>への強迫観念からも自由であろうとする動きが起きはじめている。
冒頭に挙げた香港の店舗の「新しさ」については、別の観点も含めて見てゆく必要があると思うけれど、日々いろいろなところで「新しさ」に出会いながら、ぼくは考えてしまうのである。「新しさ」に何を、ぼく(たち)はほんとうに求めているのだろうか、と。
レストランのメニューの「英語訳」。- 香港で出会う「可笑しさ」。
レストランのメニューの「英語訳」が結構むつかしいことを実感したのは、大学時代にアルバイトをしていたレストランバーであったと記憶している。
レストランのメニューの「英語訳」が結構むつかしいことを実感したのは、大学時代にアルバイトをしていたレストランバーであったと記憶している。
新宿駅のすぐ近くにあったそのレストランバーでアルバイトをしていたのだけれど、ときおり、英語スピーカーのお客様に料理の説明を英語でするように頼まれたりすることがあった。英語(だけ)はそれなりに勉強し、外国語の大学に通っていたぼくだったのだけれど、思うように説明できなかった。
そののちに、ニュージーランドに住みながら日本食レストランでアルバイトしていたときも、日本食とその料理の仕方を上手く説明できた記憶がない。
英語以前の問題(料理の知識不足など)もあるのだけれども、メニューや料理の仕方を「英語」にするのは、ぼくにとって、それほど容易ではなかったし、今もときおり困ることがあるものだ。
だから、人のことを笑うことができる立場でもない。でも、レストランで「可笑しい(おもしろい)」英語訳(ときには明らかに「間違っている」英語訳)に出会うと、笑ってしまうことがある。
ここ香港で出会った、レストランメニューの「可笑しい(おもしろい)英語訳」に、「fired」がある。中国語をみると、焼くとか炒めるといった意味だから、「fried」じゃないかと思って、同じメニューの他の英語訳を確認すると、やはり「fried」となっている。
「fired」の名詞は「fire(火)」であるし、動詞に一応「焼く」という意味もあるから(異なる文脈で)、100%間違っているとは言いきれないなぁ、意図的ということもありうるなぁと思いながら、しかし、やはり英訳ソフトの問題か、あるいは「fried」への変換ミスじゃないかとも思うのである。
それも一度だけの経験ではなく、異なるレストランで、いくどか「fired」に出会うのだから、考えさせられてしまうのである(また、「fired」には「解雇される」という意味合いもあるから、マネジメントや人事にかかわってきた身としても、複雑な思いもまじってくるのである)。
これはひとつの例であるけれど、レストランのメニューの英語訳をながめながらおもしろい訳に出会うのは、ぼくにとって、楽しみのひとつである。
こんな楽しみをもつことができるのは、漢字も英語も一応読むことができるからだろうと思う。漢字が読めず英語しかわからない人が、おかしい英語訳に直面したとき、なにがなんだかわからないだろう(それはそれで楽しいかもしれない)。
このような「楽しみ」も、翻訳ソフトや機能の向上などに伴い、いつかはなくなってしまうものかもしれない。
香港で、急に「暑さ」がやってきて。- 「トランジション(移行期)」には心身を落ち着かせること。
5月の香港はこんなに暑かっただろうかと思うほどに、ここのところ香港は暑い。日中は33度ほどまで気温が上がり、夜も28度ほどである。湿気もあって、すでに「夏」を過ごしているかのようである。
5月の香港はこんなに暑かっただろうかと思うほどに、ここのところ香港は暑い。日中は33度ほどまで気温が上がり、夜も28度ほどである。湿気もあって、すでに「夏」を過ごしているかのようである。
今日はそんな暑さに自然が反応してか、雨がときおり降りそそいで、夜は暑さがやわらいでいる。
香港では、「暑さ」も、冬の「寒さ」も、突然にやってくることがある。ようやく冬が過ぎたかなと思っていると急に暑くなったり、あるいはまだ暑いなぁと思っていると急に寒くなったりするのである。
香港に来て12年にもなるので、そんな「急な季節の変わり目」に向けて気持ちの準備はしているのだけれど、それでも身体はやはり少しびっくりしてしまうようだ。今回もこの「暑さ」で、夜中に目が醒めてしまった。
エアコンはここ5年以上も家では使っていないから、扇風機をつけたりしてなんとかやりくりしてきた。それでも暑かったりするのだけれど、そんなこんなで過ごしていると、心身ともに、暑さに慣れてきたようだ。
季節の変わり目はこんなふうに急な「移行」をもたらしたりすることがある。そんなとき、過剰に反応して、暑さ対策や寒さ対策をとったりしてしまうことがある。けれども、いつも思うのだけど、その「ある程度の期間」を越えると、心身の調整が効いてきてふつうになるときが、やがてやってくる。過剰反応する必要はなかったりするのだ。
これは「季節の変わり目」だけに言えることではない。
ぼくたちの「人生の変わり目」、住む場所が変わったり、学びや仕事が変わったりするときも、いろいろなことが変わることから、人は心身ともに過剰反応してしまうことがある。いろいろなもの・ごとの「トランジション(移行期)」にである。
生きることの経験を重ねてきたなかでぼくが思うのは、季節の変わり目と同じように、「ある程度の期間」を越えると、やがてふつうになるときがやってくるものだ。ここでいう「ふつう」とは、日常化して、慣れることである。
もちろん、そうなったからといって、個人それぞれに特有の問題・課題が解決するというわけではない。でも、はじまりには「すごく大変だ」と思っていたことが、やがてそこまでは思わなくなるものだ。
だから、ぼくたちが「トランジション(移行期)」を迎えるとき、「ある程度の期間」をはじめから見据えて、時間を味方につけること。ぼくたち自身の「心身の調整機能」を信じること。そうして、心身を落ち着かせること。
香港の暑い日々を迎えながら、そんなことを、ぼくは思う。
香港の<音の風景>。- 日常における、香港の音たち。
世界のそれぞれの場所に、それぞれに特有の<音の風景>がある。目で見る風景でありながら、日常をかたちづくるような音たち。ここ香港であれば、香港の独特の喧騒の音たちのひとつとして、「建設」の音が挙げられるであろう。
世界のそれぞれの場所に、それぞれに特有の<音の風景>がある。目で見る風景でありながら、日常をかたちづくるような音たち。ここ香港であれば、香港の独特の喧騒の音たちのひとつとして、「建設」の音が挙げられるであろう。
だいたいどこに行っても、香港のどこかで、建設がすすめられている。
道路や橋や鉄道、ビルなどはもとより、ショッピングモール内での店舗づくりや改装、さらにはマンションの部屋のリフォームまで。香港はどこに行っても、建設の音に満ちている。そんな音たちが、休むことなく「転がる香港」(@星野博美)の背景となり、あるいはそんな香港を音として支えている。
ぼくの住まいの周りも、いつだって、なんらかの「建設」がすすんでいる。建設マシーンが作動する音、大きなハンマーで打ち叩く音、ときに建設現場にひびく人々のかけ声。そんな音たちが、いつだって、鳴り響いている。
これだけ、いろいろなところで建設が間断なくつづく風景も、なかなか珍しいものかもしれない。
日本にいるときも、ニュージーランドにいるときも、このような<音の風景>にはひたされなかった。アジアを旅しているときは、建設ラッシュなどにも遭遇し、アジアの発展を体感することもあったけれど、香港のような先進産業地域において、いたるところに建設の音の風景がひろがっていることに、ときおり圧倒されるのである。さらに、そこに香港の「速さ」がつけ加わるから、躍動感と喧騒がいっそう生まれてゆく。
旅で香港に来る時にも、街中のビル群に竹竿で組まれた建設現場に遭遇することはある。けれども、建設のひろがりと持続度においては、やはり、香港でそれなりの期間を過ごさないとわからないかもしれないと、ぼくは思う。
香港で過ごすなかで、通りを歩くとき、交通機関を利用するとき、ショッピングモールを利用するとき、家に住んでいるときそれぞれに、建設の風景と現実が住む人たちの生活に影響してくるからである。それはもちろん、香港の<音の風景>として、住む人たちの心身に登録されるだろう。
それにしても、このような<音の風景>は、ぼくの心身にどのように登録され、どのように影響を与えているのだろうか。
そんな建設の<音の風景>も、公休日(日曜日、祝日)には束の間の空白を得る(※香港では重機による建設仕事は19時から7時まで、また公休日については禁止されている)。
明日は、そんな束の間の静寂の日曜日である。でも、街の中は、いっそう人びとの声であふれる日でもある。
かつて「使われなかった紙幣と硬貨」を使う。- 時空を超える香港の紙幣と硬貨。
海外のいろいろな場所を行き来してきて、いろいろな紙幣と硬貨がたまってしまっている。そんな紙幣と硬貨を整頓していたら、香港の紙幣と硬貨が出てきた。まさかそこに香港の紙幣と硬貨があるとは思っていなかったから、少しびっくりする。
海外のいろいろな場所を行き来してきて、いろいろな紙幣と硬貨がたまってしまっている。そんな紙幣と硬貨を整頓していたら、香港の紙幣と硬貨が出てきた。まさかそこに香港の紙幣と硬貨があるとは思っていなかったから、少しびっくりする。
びっくりしたと言っても、これまで行ったこともないところの、使ったこともない紙幣や硬貨がおさめられていたわけではない。そうではもちろんないけれど、それらは、ぼくが初めて香港を旅したときに使われなかった紙幣と硬貨である。
初めての香港の旅は1995年で、24年まえのことである。ぼくはそのとき、大学2年生であった。
1995年の旅で使われなかった紙幣と硬貨は、それからそのとき住んでいた日本(東京)へと行き、そこでだいぶ長い時間を過ごしたあと、2007年以降、ぼくが香港に移り住むようになってから、ここ香港に戻ってきたことになる。
ずいぶんと、長い時間と広い空間をこえて、ふたたびその生地に戻ってきたわけだ。そのあいだに、時代も、香港も、ずいぶんと変わったものだ。
それにしても、そんなふうに「旅」してきた紙幣と硬貨を手にしてみると、なんだか不思議な感じがするものだ(でも、こんなことを不思議に感じるのは人間だけだろう)。思い出のモノに触れるとタイムスリップしてしまうような話を映画やドラマで観ることがあるけれど、そのような話を創ってきた人たちが「素材」としたであろう体験と同じような体験であるかもしれない。
自分の体験の記憶はときにあやふやに感じられる。思い出のモノは、そんな記憶に対して確証を与える(かのようだ)。使われなかった香港の紙幣と硬貨は、ぼくが確かに、ここ香港に来たことを確証してくれる。でも、そんな確証はなんのために、とも思う。大切なことは、「今」をどのように生きているのか、ということ。
使われなかった紙幣と硬貨は、当初、「いつかまたきたい」という希望や予測のもとに残されていたものだろう。その場所を去るまで、もしかしたら必要になるかもしれない、と思って、少し残されていたものだろう。でも、その「いつか」や「万が一」はやってこない。それらがやってきたときは、そのときはそのときでやりくりすればいい、ということ。
モノへの執着を減らしてゆくこと(他方でモノを大切にしてゆくこと)をこの数年で試みてきて、うまくいった部分もあれば、うまくいかない部分もまだある。けれども、大切なのは「今」をどう生きるかということ。このことに光をあてながら、少しずつだけれど、シフトしてきている。「過去」を大切にしないわけではない。「今」を大切にすることで、「過去」に光があてられるということ。
こんなことを思っていると、ぼくのなかで、「何か」の流れをストップさせていたのかもしれない、という想念が浮かぶ。「お金」は社会の血液のようなもので、流れをとめてはいけない。「お金」がその役割を十分に果たせるようにしてあげなければいけない。
すぐさま、ぼくは、これらの紙幣と硬貨を財布に入れて、使うことにした。そして、そのうちのいくらかは、翌日、実際に使われたのであった。
香港のスーパーマーケットで「セルフチェックアウト」を活用しながら。- 「気楽さ」のなかに垣間見える世界。
ここ香港のスーパーマーケットなどにおける「Self-service Checkout」(セルフチェックアウト)の支払い、またはファーストフードなどにおけるセルフオーダーなどが浸透しはじめ、それなりに日常化している。
ここ香港のスーパーマーケットなどにおける「Self-service Checkout」(セルフチェックアウト)の支払い、またはファーストフードなどにおけるセルフオーダーなどが浸透しはじめ、それなりに日常化している。
「それなりに」と書いたのは、とは言いつつも、店員さんがいるキャッシャーを選ぶ人たちが結構多いように見受けられるからだ。
香港のキャッシャーは圧倒的にスピードが速いからからもしれないし、これまでの仕方に慣れていて慣れているのを好むのかもしれないし、あるいは、セルフチェックアウトやセルフオーダーの「使い方を覚える」ための一歩を踏み出さないということかもしれない。
ぼくはやはり試してみたくなるので、早々に使ってみて、使い方を覚え、それなりに利用している。慣れてしまうと便利だし、キャッシャーの列に並ばなくてもよくなる。
誰も並んでいない店員さんのとこと、(誰も並んでいない)セルフチェックアウトとがあるとして、ぼくはどっちへ行くだろうかと考えると、購入する品物が少なくて、バーコードが付いている商品だけであれば、セルフチェックアウトを選ぶように思う。
どこかで「気楽さ」があるのだろう。香港のサービスは「速さ」を最優先にするところがあって、それは圧倒的にすばらしいのだけれど、他の側面において自分が求めているようなサービスを受けられないことがある(香港に限ったことではないのだけれど)。だから、自分でやるほうが「気楽さ」を感じる、ということだろうか。
そんな「気楽さ」のことを考えたり、感じたりするとき、真木悠介(社会学者)のつぎのことばが、ぼくのなかで灯りをともす。
自動販売機の買い物がいちばん気楽でいい、という世代が日本にもあらわれはじめたという。時間がコストにすぎない世界はプロセスの意味(センス)を脱色し、出会いの能力を退縮させてゆくだろう。
時間の意識が他者感覚に干渉するのだ。…真木悠介「狂気としての近代」『旅のノートから』(岩波書店、1994年)
メキシコでの生活を体験した真木悠介が、メキシコと日本の「時間」に照明をあてて書いた「時間の比較社会学」である。ぼくがこの本を読んだのは2000年前後のことだけれども、この文章が発表されたのは1978年のことだ。
ぼくが生まれたころに、「自動販売機の買い物がいちばん気楽でいい」という世代がすでに日本にあらわれていたのだという。
それはそのあとの世代を生きてきたぼくのなかにも埋め込まれているという地点から、自分が感じる「気楽さ」のなかにその一端を垣間見せる現代世界のありかたを、ぼくは見ようとしてきたのである。
西アフリカのシエラレオネ、東ティモールに住んでいたときは「自動販売機」はなかったから(少なくともぼくの生活圏にはなかった)、何かを購入する際にはいつだって「誰か」とコミュニケーションを取っていた。そこに人がいるからといって、自動的にコミュニケーション力や「出会いの能力」が上がるわけでは必ずしもないのだけれど、ぼくが出会う人たちの存在感に助けられて、そこには、「人と人」のコミュニケーション/出会いがあったように思う。
香港では「自動販売機」の利用は一般的ではないけれど、時代が経過するなかで、セルフチェックアウトなどのシステムが導入され、それが「気楽でいい」と思うところもある。便利になればいいなぁとも思ったりする。
けれども、すべてのやりとりが「セルフ」になってしまったら、それは「つまらない」だろうと思う。人とのあいだに起こる不快さもなくなるだろうけれど、そのプロセスで起こるかもしれない楽しさや歓びなどもなくしてしまうだろう。
今日も笑顔と絶妙のセールストークで話しかけてくれ、それから帰り際にも笑顔とサンキューを伝えてくれる店員さんに出会うことができた。日々のなんでもないことだけれど、楽しいひとときであった。出会いは、そんなひとときをつくってくれることがある。
ところで、香港のスーパーマーケットのセルフチェックアウトは、実際はとても賑やかだったりする。使い慣れていない人たちはスタンバイしている店員さんとやりとりするし、近くのセキュリティガードの方が使い方を教えてくれたり、声をかけてくれたりするのだ。
ことばのリズムと会話のやりとりからエネルギーが生成される香港ならではかもしれない。
香港の天気予報・警報「通知」が届けられるなかで。- 便利さと喪われた感覚のはざま。
ここ香港の4月は「こんなに暑かっただろうか」と、これまでの10年以上にわたる香港経験の記憶アーカイブを検索してしまうほどに暑い日が続いている。今日は一休みといった感じで曇り空がひろがり、午後から雷が鳴ったり、雨が香港の大地にふりそそいだ。
ここ香港の4月は「こんなに暑かっただろうか」と、これまでの10年以上にわたる香港経験の記憶アーカイブを検索してしまうほどに暑い日が続いている。今日は一休みといった感じで曇り空がひろがり、午後から雷が鳴ったり、雨が香港の大地にふりそそいだ。
午後にさしかかったあたりから大気が不安定になってきて、香港の天気予報・警報の「通知(Notification)」が、スマートフォンを通じてひっきりなしにやってくる。降雨の知らせ、雷警報や豪雨警報の通知など、気象庁にあたる香港天文台(Hong Kong Observatory)のアプリから、通知が届くのだ。もちろん、自分で「設定」しているから、届くわけなのだが。
ずいぶんと便利になったものだ。そんなふうにも思う。
香港に来たころ、10年ほど前には、スマートフォンは普及しておらず、豪雨警報・台風警報を届けてくれる有料サービスが一般の会社が提供していたりしたものだ。それが、今ではスマートフォンのアプリで、香港天文台から直接に、無料で通知が来る。通知の種類も豊富である。
通知を受け取りながら、こんなに便利になったんだと思いつつ、昔はこんな通知がなくてもなにごともなく暮らしていたなぁと思う。
ぼくの記憶は、香港生活を超えて、ぼくが小さい子供だったころにたどりつく。とくに困った記憶もない。困った記憶は忘れられたりするものだから、今のぼくには憶い出せないだけかもしれないけれど、それにしても、大変だった記憶がまったくわいてこないのだ。
ぼくの感覚的な記憶からわいてきたのは、むしろ、そのときの<自然への感度>のようなものだ。空の様子を見て、雲をみやり、空気感を感じる。そんなふうにしてぼくが自分自身で得る「予報」が、あたっていた/あたっていなかったということが大切なのではなく、ぼくなりに<自然に対する感度>を駆使していたことが憶い出されるのである。
原生的な人類は、信じられないほどの視覚や聴覚などの感覚器官を駆使して暮らしていただろう。そのような感覚器は、文明の発展のなかで、テクノロジーにとって代わられてゆく。視覚や聴覚などの感覚器官の、いわば「拡大された感覚器」である。
それら感覚器官の「機能」ということに焦点をしぼれば、テクノロジーがはるかなちからをもって、機能を「拡大」してくれる。テレビやスマートフォンなどを通じて、現代人は、自分たちの感覚器官を退化させても、原生的な人類が想像もしなかったほどの視覚や聴覚を手にしている。
テクノロジーの「光」の大きさを確認しながらも、それらの「闇」へも視界はひらかれなければならない。
真木悠介(社会学者)は、次のような見方を、ぼくたちに提示してくれている。
…けれどもこのような視野や聴覚の退化ということを、われわれをとりまく自然や宇宙にたいして、あるいは人間相互にたいして、われわれが喪ってきた多くの感覚の、氷山の一角かもしれないと考えてみることもできる。
たとえばランダムに散乱する星の群れから、天空いっぱいにくっきりと構造化された星座と、その彩なす物語とを展開する古代の人びとの感性と理性は、どのような明晰さの諸次元をもっていたのか。真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)
真木悠介のことばが、空の様子を見て、雲をみやり、空気感を感じながら自然と生きていたぼくと共振しながら、今を生きるぼくに語りかける。
4月の、雨上がりの「香港公園」を歩く。- 香港生活に埋めこまれている香港公園。
ここ香港の「Hong Kong Island(香港島)」側。オフィスビルやホテル、それからマンションなどが立ち並ぶなかに「Hong Kong Park(香港公園)」がある。
ここ香港の「Hong Kong Island(香港島)」側。オフィスビルやホテル、それからマンションなどが立ち並ぶなかに「Hong Kong Park(香港公園)」がある。
より正確には香港公園は高台に位置していて、下方にビクトリア湾やオフィスビルがひろがり、逆にさらに高台のほうを見渡すと住宅やマンションを見やることができる。そんな場所であることもあって、都会の只中にありながら、いくぶんか、香港の喧騒をはなれることができる。
遠方から来た友人家族と共に、喧騒をはなれ、雨上がりの香港公園を歩く。4月に入ってから、香港は夏日のような日が続いていたけれど、ここ数日は「小休止」のように曇り空がひろがり、ときおり小雨がふりそそいでいる。そんな小雨が止んだばかりの、雨上がりの香港公園。いつもに増して、緑がいきいきとしているように感じられる。
すごく大きな公園ではないのだけれど(香港の空間を考えると十分に「大きい/広い」)、都会の只中にたたずむ、この香港公園の中に、「植物園」や「鳥舎」が設置されている(いずれも、無料で入園/入舎できる)。小さくても、「なんでもある」香港。そんなことを感じさせる場所でもある。
バードウォッチングができる鳥舎は、改修が進められている。それでも、新しい鳥舎も含め中に入り、木々のなかで身体を解き放ちながら、バードウォッチングを楽しむことができる。
目をこらすと、鳥たちが木の枝のうえで身体を休めている姿を見つけることができる。あるいは、目の前を一瞬の閃光のように鳥が飛行していったりする。なかなかスリリングなのだ。
今日は雨上がりによる演出であったかもしれないけれど、鳥舎であることを忘れるほどに、木々や鳥たちの存在感が深く感じられる、そんな体験であった。
それにしても、香港に香港公園が存在してくれていることに対して、ぼくは有り難さを感じてやまない。
とくに頻繁に行くわけでもないのだけれど、「もし香港公園がなかったら」と仮に考えると、ぼくの香港生活はいくぶんか(もしかしたらだいぶ)色あせたものになっていたかもしれないと思ってしまう。
たとえば、新宿に新宿御苑がなかったら、あるいはニューヨークにセントラルパーク(実際に行ったことはないのですが)がなかったら、と考えてみるのと、規模は違うかもしれないけれど、似たようなところがある。
そんな具合に、香港公園は、ぼくの香港生活の風景として、ぼくのなかに埋めこまれている(河合隼雄先生の言い方を借りるのであれば、香港公園が「ぼく」をやってくれている)。4月の、雨上がりの香港公園を歩いて、ぼくはそんなことを思う。
10年ぶりの「味の記憶」。- 香港の「家庭料理の味」が身体にしみる。
「この味だよなぁ」。10年ほどまえの記憶なのに、ぼくの身体は「味の記憶」をきっちりとどこかに収納してくれている。その味にふたたびふれるとき、収納されていた記憶はまちがうことなく、ひきだされてくる。
「この味だよなぁ」。10年ほどまえの記憶なのに、ぼくの身体は「味の記憶」をきっちりとどこかに収納してくれている。その味にふたたびふれるとき、収納されていた記憶はまちがうことなく、ひきだされてくる。
ここ香港の繁華街、Causeway Bay(銅鑼灣)にある、いわゆる大衆食堂。そこの「ランチセット」は何種類かあって、毎日替わる。それら日替わりのメニューは、1週間分が事前に発表されることになる(「発表」というとおおげさだけれど、常連さんたちにとってはとても大切な情報である。ぼくでさえ、以前は事前に目を通していたくらいだ)。
「1週間分のメニュー」は、近辺のオフィスなどに配布され、デリバリーを注文することができる。
2007年から2009年の半ばまでCauseway Bayに位置するオフィスで働いていたとき、このデリバリーサービスを利用して、ぼくはこの大衆食堂のランチを食べていた。覚えているかぎり、結構な頻度で注文していたのだと思う。
なにがよかったかといえば、「家庭料理」であったこと。化学調味料が使われることなく、塩も他に比べて控えめであった。食べることにはそれほどこだわりがなくても、できるだけ「健康的な食事」を望んでいたぼくを、香港の同僚が気遣ってくれて、ここのランチをすすめてくれたのが、そもそもの始まりであった(と記憶している。なにしろ、10年以上もまえのことなので定かではない)。
日替わりのメニューは5種類ほどの「おかず」を表示していて、注文するときは、それらからひとつを選ぶことになる。鶏肉系、豚肉系、魚系など、素材はだいたい決まっていて、料理の仕方を変えることで「日替わり」となる。
この「おかず」に、ごはん、スープ、それから糖水(デザートの甘いスープ)がついてくる(なお、飲み物は中国茶が提供される)。香港ではやはり「スープ」が醍醐味であるとぼくは思うけれど、ここのスープは化学調味料が使われておらず、塩分もひかえめである。
このような「家庭の味」が、どうにも、やさしく身体にしみるのである。
この「味」に、10年ほどあとになって、ふたたび再会する。今度は、デリバリーではなく、大衆食堂(レストラン)に実際に出向いて、できたての料理を楽しむ。
「この味だよなぁ」。10年ほど経っても、ぼくの身体に、この「味」がきっちりと記憶されている。それにしても、料理をできたてで食べるのは、やはりいいものである。
そして、プルーストの作品における「紅茶にひたされたマドレーヌ菓子」の味が過去の記憶をよびもどすように、この「味」が、Causeway Bayで働いていたときの記憶をよびもどしてくる。身体の知性というものは、ほんとにすごいものだ。
この10年。この10年はぼくにとって、どんなものであったのだろう。「変わらない味」に心あたためられながら、変わらない自分/変わった自分のことを思う。
夏の足音が聞こえる、香港の「清明節」に。- 「生命」のリレーのなかに存在すること。
本日(2019年4月5日)、ここ香港は「清明節」の休日である。
本日(2019年4月5日)、ここ香港は「清明節」の休日である。
朝から陽射しがふりそそぎ、空はうっすらと雲がかかり、空気のよごれが少し気になるけれど、よく晴れた一日となった。日中は29度ほどまで気温が上昇し、外に出たときには、セミたちが鳴いているのを、耳にした。
「清明節」は、日本の「お盆」にあたるもので、祖先を敬い、家族で墓地にお参りにいく。
お墓参りをするには暑いなぁと勝手に気になってしまったのだけれど、清明節には雨がふりそそぐより、陽射しがふりそそいでいるのがよいと、ぼくは思ったりする。
昨年のブログでぼくは何を書いたのか気になって、ぼくは昨年の清明節(2018年4月5日)のブログをひらいてみた。
昨年の清明節も、よく晴れた香港であったことを、ブログを読み返しながら思い出した。
そして、「よく晴れていたこと」だけでなく、「生命」という次元にまで降りていって書いていたことを、一年前のじぶんに思い出させられた。「清明節」(Ching Ming Festival)の「清明」を日本語読みすると「せいめい」となるけれど、ぼくは(思考が飛んで)「生命」ということを考えていた。
「生命」を考えることは、大それたことかもしれない。しかし、「祖先」ということをつきつめて考えると、誰もが、はるか太古の昔からの「生命たちのリレー」のうちに存在していることを知る。現代の時代を特色づける「個人主義」を履き違えると、それは人を周りの他者たちから切り離すだけでなく、この「生命たちのリレー」から自分の存在を切り離してしまうこともある。
ぼくたちは、今この時代に生きる人たちと共に生きる「生きかた」を見いだしてゆくだけでなく、「生命たちのリレー」というひとつの奇跡のなかで、過去から未来へとつながる「生きかた」を見いだしてゆくときにいる。
そんなことを書いた昨年の清明節(2018年4月5日)のブログをここに再掲しておきたい。
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ここ香港は、本日(2018年4月5日)は「清明節」を迎えている。
「清明節」は、いわゆる日本の「お盆」にあたる行事である。清明節は旧暦の3月に到来し、香港の人たちはこの機会に墓地におとずれ、「清明」という漢字に表されているように、祖先の墓を掃除する。
清明節の当日はもとより、その前後の日に、お供え物などを入れた赤いプラスチック袋を手に提げながら、家族一緒に、墓地に歩いてゆく人たちを目にする。香港の、清く、よく晴れた日に。
香港政府観光局のホームページには、「清明節」は以下のように記載されている。
…この時期、中国の人は祖先の墓を掃除します。でも掃除だけで終わりません。清明節は祖先を敬う重要な儀式なので、家族全員で墓地の草むしりをしたり、暮石の碑文を塗りなおしたり、食べ物をお供えしたり、お香をたいたりします。
清明節の時期は伝統的に、先祖があの世で使うとされているものの紙のお供え物を多くの人が墓地で燃やします。…「清明節」、香港政府観光局ホームページ『香港 Best of All It’s In Hong Kong』(日本語)
「紙のお供え物」は、お金を模したものであったものが、最近では時代を反映して、携帯電話・タブレット、車、冷蔵庫などの紙のレプリカがある。時代の反映のされ方は興味深いものだけれど、このような伝統的な行事が今も大切にされていることに、ぼくは目を惹かれる。
そしてそこには「家族」が、現代という時代の荒波にありながらも、きっちりと土台をなしていることに感銘をうける。日本のお盆とは異なる時期だけれど、清明節の、香港の人たちの行き交う姿に触発されて、ぼくも祖先や家族に思いをはせる。
そのような思いはいつしか、このぼくの身心に受け継がれているものへと向けられる。
リチャード・ドーキンスの言うような「利己的遺伝子」の視点から見れば、人は遺伝子にとっての「乗り物」である。遺伝子は過去から現在に至るまで、長い旅を続け、ぼくという身体に至っている。その意味において、祖先は、ぼくのなかに息づいている。
そしてまた、人の身体は、真木悠介の書くように、さまざまな生物たちの<共生のエコ・システム>である。
…今日われわれを形成している真核細胞は、それ以前に繁栄の極に達した生命の形態による地球環境「汚染」の危機をのりこえるための、全く異質の生命たちの共生のエコ・システムである。…
われわれ自身がそれである多細胞「個体」の形成の決定的な一歩は、みずから招いた地球環境の危機に対処する原始の微生物たちの共生連合であり、つまりまったく異質の原核生物たちの相乗態としての<真核細胞>の形成である。この<真核細胞>が、相互の2次的な共生態としての多細胞生物「個体」の、複雑化してゆく組織や器官の進化を可能とする遺伝子情報の集合体となる。個体という共生系の形成ののちも、その進化的時間の中で、それは数知れぬ漂泊民や異個体からの移住民たちを包容しつつ変形し、多様化し豊饒化しつづけてきた。「私」という現象は、これら一切の不可視の生成子たちの相乗しまた相剋する力の複合体である。真木悠介『自我の起原』岩波書店
ぼくたちを構成する細胞もまた、太古の昔から進化的時間の中をぬけながら、今のぼくたちに引き継がれてきているものである。地球のいろいろな生命たちのリレーのうちに、今のぼくがいる。地球のいろいろな生命たちも、ぼくにとっての祖先である。
そう書きながら、「生命」が、「清明」という言葉と同じ響きであることに気づく。「生命」は、清明節の字と同じように、<清く明るい>ものである。
いろいろな生命たち、そして祖先に深謝しつつ、いろいろな生命や祖先から受けつがれているこの身体に、ぼくは深く感謝をする。
香港の、清く、よく晴れた日に。
「根をもつこと」の欲求と安心感。- 香港で「Apple Store」を利用しながら感じること。
ここ香港で、アップル社の「Apple Store」(香港には現在のところ6箇所ある)を利用しながら、「Apple Store」のすごさを実感する。「外部」から見ているだけではなかなかわからないけれど、実際にあらゆる仕方で利用してゆくと、そのすごさをしみじみと感じることになる。
ここ香港で、アップル社の「Apple Store」(香港には現在のところ6箇所ある)を利用しながら、「Apple Store」のすごさを実感する。「外部」から見ているだけではなかなかわからないけれど、実際にあらゆる仕方で利用してゆくと、そのすごさをしみじみと感じることになる。
シンプルでデザイン性にすぐれた全体的な空間(ミニマリスト的な空間)のなかに、いろいろな「サブ空間」があり、デバイスの購入から設定、アドバイスや修理、リサイクル、さまざまなセッションなど、これらが相互にからみあいながら立体的な空間をつくっている。
「Apple Store」は世界各地にあるけれど、この香港という場所で、これほどの空間とサービスを展開していることに、いろいろと考えさせられるところがある。
でも、ここではそれらをひとつひとつ考えてゆくのではなく、「Apple Store」のような空間の、物理的な存在そのもののことに光をあてておきたい。
劇場的な空間であること(またその楽しさ)をひとまず横に置いておくと、ひとことでその「物理的な存在」にたいする感覚を述べるとすれば、やはり、「安心」ということであるように、ぼくは思う。
アップル製品の良し悪しを語っているのでもなく、そして、「安心」はべつに「Apple Store」に限ることではない。
そうではなくて、その感覚は、ぼくたちの内奥に向かって深く降りていったときに、<根をもつことの欲求>に重なることであるように、ぼくは思ったのであった。
「人間の根源的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根をもつことの欲求だ」。名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)で、真木悠介はこのように書いた。
「翼をもつこと」だけでなく、「根をもつこと」の欲求。「根をもつこと」だけでなく、「翼をもつこと」の欲求。いずれもが<人間の根源的な欲求>であると、人間の欲望・欲求の構造を徹底的に探求してきた真木悠介は書く。
真木悠介は、この矛盾の解き方として、ふるさとを「局所」に求めようとするとするのではなく、「地球ぜんたい」に求めることを提示している。
その論理的な正しさ、それからぼくが求めてきた方向性もそこにあることを確認したうえで、それでも、「根をもつこと」の欲求はぼくの内面の回路を経由して、どこか「局所」的なものや場所に向かうこともある。
実際に住む場所があること、通う場所があること、働く場所があること、「知っている」場所があること、帰る場所があること、などなど。このようにして、(違った形ではあるけれど)「根をもつこと」の安心感を、ぼくたち(少なくともぼく)は、感じたりすることがある。
正確には「根」ではないけれど、たとえば、テント(テント内の空間)も、どこか安心感を与えてくれるものである。ニュージーランド徒歩縦断に挑戦していたとき、道ばたにテントを設営し、テントにもぐりこんだときの安心感をぼくは憶い出す。
「根をもつことの欲求」から派生してくる安心感を、そのような広い幅において考えていると、「Apple Store」も、ある意味で、「根をもつことの欲求」からわきあがってくるような安心感を与えてくれるのかもしれないと、思ったりするのである。
世界をいろいろと移動したり、移り住んだりするときに、「Apple Store」があるのは、やはり、安心である(もちろん、便利でもあり、デザインを楽しむことができる)。
いずれぼくの考え方や感覚が変わるかもしれないけれど、実際に、海外を含め、生活スタイルを試みているなかで、そんなことを考えたり、感じたりしている。
1995年、香港で撮影した写真を見て。- あのときの心象風景を感覚しながら。
先日、写真の整理整頓をしているときに、どこかにまぎれて所在がわからなくなっていた写真が出てきた。
先日、写真の整理整頓をしているときに、どこかにまぎれて所在がわからなくなっていた写真が出てきた。
「夜のマクドナルド」の写真。1995年、香港で撮影した写真である。
1995年、ぼくは大学の夏休みに、香港にいた。
成田空港からユナイテッド航空で香港に飛び、そこから中国の広州に行き、そこからベトナムに飛んだ。2週間ほどの一人旅で、ベトナムからふたたび広州、そして香港に戻る、というルートであった。
「夜のマクドナルド」の写真は、この旅の、初日の夜に撮影したものだ。
「撮影した」と言っても、当時はデジタルカメラなどはなく、使い捨てカメラを片手に撮影したもので、またじっさいの風景をきりとるというよりも、じぶんの心象風景をきりとろうとしたものであった。
初めての飛行機での旅は、この1995年の香港であった。
夜遅くに、以前の国際空港であった啓徳空港に到着したぼくは、バックパッカーたちが泊まる「重慶大厦」を目指し、あまりよくわからないままに、バスに乗車した。数人のバックパッカーたちが乗車するバスに乗り、彼(女)らが降りるところで、ぼくも降りた。
今であれば、行き先や行き方を適切に知ろうとするだろうし、あるいは声をかけていろいろと聞いたりするだろう。でも、そのときのぼくは、そのように振る舞うことをしなかったし(できなかったし)、なんとなく、ひとりで、じぶんのアンテナのゆくままに行ってみたかったのかもしれない。
そんなわけで、数人のバックパッカーたちが降りる場所で、ぼくもバスを降りて、夏の蒸し暑い香港の街のなか、「重慶大厦」を探すために歩くことにした。
しかし、一向に見つからず、時間だけが過ぎてゆき、時刻は夜中の12時を回っていた。途方に暮れながらも、ぼくは「対策」を練ることにし、そのとき、ぼくは、マクドナルドを見つけたのであった。
普段、東京ではマクドナルドはほとんど行かなかったのだけれど、香港のマクドナルドを見つけ、「知っている場」としての安心感を得ることができた。今ではなんでもないことのように思ってしまう出来事も、そのときは、ほんとうに安堵したことを感覚として覚えている。そして、そこで場所の目処をつけ、ぼくはふたたび、夜中の香港の街にくりだしてゆく「力」を得たのであった。
こうして内からわきあがる「力」を得て、マクドナルドをあとにし、その「心象風景」を写そうと、ぼくは、「夜のマクドナルド」にカメラを向けたのである。
「夜のマクドナルド」の写真は、そんな写真である。
なお、その夜は、そのあと、ほんとうに不思議な力にみちびかれてゆくように、ぼくは「重慶大厦」にたどりつき、そのなかの宿のひとつに、泊まることができた。
1995年から12年後の2007年から、ぼくは香港に住むことになる。
「夜のマクドナルド」で途方に暮れていたときは、そんなことはまったく思いもしなかったことである。
「重慶大厦」は、香港のチム・サー・チョイというところに、今も健在だ。そのチム・サー・チョイは以前の仕事場があったところでもあり、ほんとうに多くの時間を過ごしてきたところである。
でも、あの「マクドナルド」は、存在していないようだ。
じっさいに、あの「マクドナルド」がどこにあったのかは、ぼくは大体の感覚しかもっていないのだけれど、香港に住むようになってからチム・サー・チョイ界隈を探してみても、あの「マクドナルド」を見つけることはできなかった。
そんな香港も、住むようになってからほぼ12年が経つところである。
あの「マクドナルド」を現実には見つけることができなかったけれども、そのあいだに、ぼくはじぶんのなかに<別のもの>を見つけることができたように思う。
続、やはり「速さ」の香港。- 香港に12年住んできたからこそ感じるそのすごさ。
続、やはり、「速さ」の香港。ここで「続」と言うのは、昨日、ブログ「やはり、「速さ」の香港。- レストランで、あれよあれよの「速さ」にふれて。」を書き、その「続き」ということで、さらに「速さ」について書いているからである。
続、やはり、「速さ」の香港。ここで「続」と言うのは、昨日、ブログ「やはり、「速さ」の香港。- レストランで、あれよあれよの「速さ」にふれて。」を書き、その「続き」ということで、さらに「速さ」について書いているからである。
昨日ブログを書いていたときには、「続」を書くことはとくに考えていなかった。もちろん、その可能性を明確に排除していたわけでもないけれど、先日ここ香港での大衆的なレストランで体感した「速さ」のことを書いているときには、「続」を書くことは予定になかった。
では、なぜ、翌日になってふたたび書こうかと思ったのか。
「速さ」に遭遇したからである。
それも、一度きりではない。立て続けに、遭遇したからである。
なお、ある種の「認知バイアス」がかかったようなこともあるかもしれない。つまり、昨日「速さ」のことを書いたことで、ぼくの「意識」に<速さの香港>ということがこびりついていて、ぼくの意識が、<速さの香港>を確証するような出来事を、さまざまな出来事から切り取ったのかもしれない。
この「認知バイアス」の可能性をぼくは否定しない。否定しないけれど、それでも、そんな「認知バイアス」がどうであれ、やはり<速さの香港>が否応なく存在している。12年香港に住んできたぼくは、そう思う。
「速さ」のなかでも印象にのこった「速さ」は、まずは、コンピューターなどの機器やアクセサリーを販売する店舗が集合的に連なっているコンピューター・センターでのことであった。
ある店舗に入って、抱えている問題と必要としているデジタル関連アクセサリーの特色を伝えると、これまた、あれよあれよと、ものごとがすすんでゆく。会話のやりとりがすすみ、実際に試すためにアクセサリーが開封され、電源につないで試し、購入の意思を伝え、支払いをし、お礼を交わす、という一連の流れが、10分ほどの出来事であった(ちなみに、要件は2件あり、ともに完了してしまった)。
前日にはいろいろと、ああでもない、こうでもないと対処法をさぐっていたのだけれど、それが物の見事に10分ほどで終わってしまったのである。1時間ほどを予定していたのが、あっという間に完了したのであった。
それから、スーパーマーケットで遭遇した、レジの店員さんの「速さ」。これも圧巻であった。
いくつかの品の入ったカゴをレジに置き、メンバーカードがある・ないのやりとりをしながらエコバッグをとりだし、バーコードが読み取られて表示される金額を目でおう暇もなく、バーコードの読み込みが終わっってしまう。ぼくはすぐさま、電子マネーで支払いをし、領収書をうけとってパスケースのなかに入れようとしていると、店員さんのほうはすでになにもかもが終わっている。
時間の流れでこのように書いたが、実際にはそれぞれの作業が重なっているから、「一気に」終わってしまうような体感であっったのだ。
「いや~、あいかわらず速いなぁ」と思いながら、ぼくは数日前のことを思い出していた。
パン屋さんでパンを購入してレジにならんでいるときのことであった。ぼくのまえに購入していた人がお財布にお金をしまっていて、そのうしろに、ぼくはつぎの番でならんでいた。
ぼくの番がやってきて、トレイにのせたパンを台にのせる。でも、店員さんはパンを袋に入れるのだけれど、レジ打ちをしない。瞬間、ぼくは気づく。すでにレジ打ちが終わっっていることを。
ぼくのまえにいた方がお財布にお金をしまっているあいだに、ぼくのトレイにのせられたいくつかのパンの料金は、すでに打ち込まれていたのだ。
こんな具合だから、「続」、速さの香港を書くことにしたのだ。
香港の人それぞれの身体に、それから社会のリズムのなかに刻印されている「速さ」。
12年も香港に住まなくても、いつでもどこでも体感できる<速さの香港>だけれど、12年住んできても感じるそのすごさ、さらには12年住んできたからこそ感じるそのすごさ、というのもあるように、最近思うのだ。
やはり、「速さ」の香港。- レストランで、あれよあれよの「速さ」にふれて。
先日、ここ香港の大衆的なレストランで、遅めのランチをとっていたところ、なにやら店内が急に混みだして、ふりかえって見ると、普段見られないような行列が店内にできていた。
先日、ここ香港の大衆的なレストランで、遅めのランチをとっていたところ、なにやら店内が急に混みだして、ふりかえって見ると、普段見られないような行列が店内にできていた。
普段、叉焼(チャーシュー)などをテイクアウトするために、ときおり人が店内にやってきて、カウンターごしに好みを伝えたりするのを見ることはあるのだけれど、こんなに多くの人が店内に行列をなして並んでいるのを見るのははじめてであった。
ふと思ったのは、ツアーグループのような集団がやってきたのだろうか、ということであった。でも、広東語を話しているし、「ツアー」ではない。
そんなことを思いながら目をやると、行列は、すでに、ぼくが座って食事をしていたテーブルの横までできている。
食事をすすめながら(叉焼飯を食べていたのだと記憶している)、次第に状況がつかめてくる。どうやら、16時に、テイクアウト用の特別メニュー(鴨の料理)が売り出される、ということのようだ。値段も手頃である。
その特別メニューを目当てに、16時直前に、急に人が並びはじめたのである。20人から30人くらいだろうか。
店員さんたちはいつもどおりに対応しているようだけれど、並んでいる人たちはなにやら要領がうまくつかめないままに、店員さんや前後の人たちと言葉を交わしている。
それから、行列が急に大移動をはじめる。どうやら、整理券をもらってから、レジに行き支払いをすませ、それから戻ってきて品を受け取る、という手順のようだ。並んでいる人たちは少し不満げにつぶやきながら、大移動をしている。
そんな様子に気を取られ、これはちょっと大変だぞと思いながら、ぼくは食事をつづけたのであった。
ところが、そんな状況は、あれよあれよと、あっというまに消え去ってしまった。10分くらいの出来事だったろうか。食事を終えたころには、あの行列はあとかたもなく消え去っていたのである。だから、食事を終えて、レジに行ったときには、だれもレジに並んでいなかったのである。
「いや~、すごいなぁ」と、ぼくは感心してしまう。
行列から聞こえた不満のつぶやきはどこへやら。この速さでは不満はいっきに消えただろう、という速さである。
支払いを終えると、年配の方がレジにやってきて、あの特別メニューを注文したいという。どうやら、特別メニュー目当てにやってこられたようだ。しかし、店員さんは「売り切れよ」と伝えている。
この段階でわかったことだけれど、特別メニューは限定量での販売である。16時前に来て並ばないと、購入できないほどの人気のようだ。
こうして、帰り際になって、ぼくは「あの行列」の全貌を理解したのであった。
そして、いつものことでもあるのだけれど、やはり、香港の「速さ」に圧倒されてしまう。
もちろん、なんでも速ければいいというものでもない。けれど、この「速さ」には、おどろかされるし、圧倒されるし、また、<香港なるもの>がそこにあるのである。
香港で「食事」が運ばれるのを待っていたら。- 「しきり越し」のトレイと笑顔。
ここ香港で、ファーストフード店で、数字の書かれた立て札をテーブルにおいて、注文した食事が運ばれるのを席について待っている。午前の時間ということもあって、食事時であれば人でいっぱいになるであろう店内も、人はまばらである。
ここ香港で、ファーストフード店で、数字の書かれた立て札をテーブルにおいて、注文した食事が運ばれるのを席について待っている。午前の時間ということもあって、食事時であれば人でいっぱいになるであろう店内も、人はまばらである。
やがて、カウンターごしに、食事が準備されたのが見え、店員さんがトレイをもってきてくれる。けれども、トレイには注文したすべての品がのせられているのではなく、残りの注文のものは待ってくれとのことである。
なにごともとてつもなく「速い」香港であるけれど、残りの注文のものは少し時間がかかっているようだ。
すると、少し距離をおいて、店員のおばさんがトレイを手に、声をかけてくる。どうやら、しきりを超えてこちらに来てくれるのではなく、しきり越しにトレイを手渡ししたいようで、ぼくはトレイに手を伸ばして、残りの注文のものを受け取る。おばさんは満面の笑顔である。トレイを受け取りながら、「ありがとうございます」の言葉が自然に出てくる。
なんでもないようなやりとりだけれど、以前であれば、「こちらのテーブルにまでやってくるのが面倒くさくて、しきり越しに渡してくるとはなんぞや」と、絶対にあってはならないという気持ちが、どこかでわいてきていた。日本であれば「失礼」と思われるかもしれないことである。
ところが、香港の環境のなかに身をおき、観察し、そこのシステムを駆動する「原理」のようなものを<理解する>なかで、「これはこれ」というように見るようになり、また「おっ、そうきたか」と、面白さを感じるようになった。
「これはこれ」という見方では、しきり越しのほうが、速いし、効率的である。また、社会的視点でみれば、エネルギー使用量は少ない。そんなふうにぼくには見える。また、今回は予期していなかったけれど、「おっ、そうきたか」と、ぼくはトレイを受け取ったのであった。
そんな出来事があった翌日。今度は、香港の食堂的なレストランで、少し遅めの時間のお昼ご飯を注文したら、やはり、「しきり越し」に、注文が運ばれてきた。
この店では、以前も、「しきり越し」に注文がやってきたのだけれど、そんなことは忘れていて、注文が来るだろう通路側に近いテーブルのうえを広めに空けておいたから、「しきり越し」に料理がテーブルにやってきたときは不意をうたれてしまった。また、注文してから5分もしない高速でやってきたから、さらにびっくりしてしまった。
注文した二品目も、「しきり越し」にやってきたときは、心の準備はできていたのだけれど、やはり通路側に近いテーブルのうえを空けておいたから、その逆から料理がやってきたときは、店員のおばさんがテーブルにのせるスペースがなくて、とっさにぼくは手をのばし、麺類を受け取ることになった。
やはり、一連の動作のなかで、速さと効率は抜群であった。「待った」という感覚が残らないのだ。
そんなわけで、二日連続で「しきり越し」の出来事があって印象に残っていたから(一回の単発であれば、その場だけで忘れてしまっていたかもしれない)、ブログに書いたわけである。
それぞれの文化、それぞれの場所には、それぞれの社会システムを駆動するコアなものがある。じぶんのデフォルトの文化の視点だけで見ると、「ありえない」こともあるかもしれないけれども、そこにはそこなりの「原理」があって、いろいろなことやものが動いている。そこには「論理」がある。
だから、一歩立ち止まって、目をこらし、耳をすましてみる。あるとき、「あっ」と、<風景>が見えてくる。