身体性 Jun Nakajima 身体性 Jun Nakajima

ぼくは昨年、「フレキシタリアン」になった。- 身体の欲求にみちびかれながら。

昨年(2019年)、ぼくは「フレキシタリアン(Flexitarian)」になった。「フレキシタリアン」と聞いて、なんのことかおわかりだろうか?

 昨年(2019年)、ぼくは「フレキシタリアン(Flexitarian)」になった。「フレキシタリアン」と聞いて、なんのことかおわかりだろうか?「Flexible + Vegetarian」で「フレキシタリアン(Flexitarian)」。そんなことばがあるなんて、ぼくは知らなかった。「セミ・ベジタリアン」という言い方もされている。つまり「準菜食主義者」というわけだ。(ほかにも、食べるものの範囲によっていろいろな呼称がある。お肉は食べずにお魚は食べる「ペスカタリアン」など。)

 どのくらい(例えば一週間にどのくらい)菜食を通すと「フレキシタリアン」と呼ばれるのかの基準はないし、ベジタリアン側から言えば「フレキシタリアンはベジタリアンではない」というスタンスがあるようだけれど、ぼくにとってはとりあえず細かい基準は大切ではない。まずはぼくの身心の「歓び」が大切なのだ。

 ぼくを惹きつけたのは「Flexible(柔軟な)」というあり方であった。菜食主義であるベジタリアン(Vegetarian)、さらに徹底したビーガン(Vegan)などにも惹かれるけれど、外食時の都合や便利さなどもあって、なかなかふみきれずにいたところ、菜食を基本としながらときには肉や魚を食べるという「フレキシタリアン」に、ぼくはひとまずおちついた。

 アジアの国々においては外食を「ベジタリアン」で通すのはむずかしい。近年だいぶ関心がたかまってきて、お店も増えてきているとはいえ、いつも「同じ店舗・レストラン」に行くのならまだしも、そうでない場合、ビーガンやベジタリアンをつらぬいてゆくことはやはりむずかしい。

 でも、ぼくが「フレキシタリアン」に舵をきることができたのは、台湾においてであった。昨年台北に滞在しているときのこと。あるとき、ぼくと妻は、台湾に「(広義の)ベジタリアン」向けビュッフェ式レストランがいたるところにあるのを発見することになる。じっさいに行って食べてみて、すっかり気にいってしまったのであった。メニューの種類は豊富、食べる分だけの料金(手ごろな料金)で、ごはん(orお粥)とスープは好きなだけ食べることもできる。香港や日本にも、こんなレストランがあるとよいのになぁと思いながら、ぼくたちは「ベジタリアン」への道にいよいよふみだした。

 けれども、その後、香港や日本を行き来していたなかで「ベジタリアン」を通すことのむずかしさを感じたのであった。また不便さもさることながら、菜食についての知識や経験が少なかったから、ひとまずは「肉や魚はなるべく減らして、食べるにしてもサイドディッシュ程度にする」という地点に軟着陸することを模索していた。そんなおりに「フレキシタリアン(Flexitarian)」ということばとスタイルを知り、ぼくたちの「軟着陸」が、うまい具合にことば化されることになったのであった。

 ところで、ぼくは急に「フレキシタリアン(Flexitarian)」に目覚めたわけではない。これまでにマクロバイオティックを本で学んだり、リトリートの旅館ですてきなビーガン料理に出逢ったり、身体が肉をあまり欲しなくなったりという、いくつかの導線が並行するなかで、台湾でのビュッフェ式ベジタリアン(素食)をきっかけに、「フレキシタリアン」に舵をきることができたのだ。そして、その直前に、ぼくが「ミニマリスト(エッセンシャリスト)」へと生きかたのスタイルをぐっと変換させたことも間接的に影響しているのだと、ぼくは思う。

 それから、もともと、食べることにおいての「主義」を明確にもっていたというわけでもない。ぼくの身体の要求(非要求)にしたがったと言うほうがより実情にちかい。でも、いつからか、動物のことをかんがえることにはなっていたし、環境への配慮もおおきな関心のひとつであった。

 動物や環境の配慮がまずあって、そのために自分の行動を抑制したというわけではなく、ぼくの行動をじぶんの欲求(歓び)を徹底してゆくことで、道がひらかれた。言ってみれば、ぼくの身体がこころよく向かってゆく方向に、動物や環境への負荷が(少なくともいくぶんかは)解き放たれてゆく方向が重なる。そんなふうにぼくはとらえている。

 「フレキシタリアン」への舵をきってから半年ちかくが経とうとしているが、いまでは身体が菜食にすっかりとなじんでいる。お魚やお肉をほぼ欲しなくなった。外食時にレストランを選ぶとき、選択肢がぐっと狭まったことは、逆に「選びやすくなった」というふうに感じる。メニューを選ぶときも、たくさんのメニューから「選びやすくなった」とも言える。お魚かお肉を選択するしかないときは通常お魚を選び、いのちをありがたくいただく。そして家で菜食料理をするときは、まだいろいろと実験中である。

 こんなふうにして、ぼくは「フレキシタリアン」になり、「フレキシタリアン」のライフスタイルをたのしんでいる。

追記(後日談):

「食」については、このブログを書いたあとも、探究は延々と続いている。いろいろな事情のなかで「食」の世界の深さに、ぼくは足を踏み入れてしまったようだ。いま(2020年9月初頭時点)では、ぼくはある意味で<フレキシタリアン>だけれど、より一般的な意味での「フレキシタリアン」ではなくなっている。つまり、「準菜食主義者」というほど「菜食」をメインにしていないかもしれない。けれども、引き続き、野菜を中心にメニューを組み立てている。大きな理由のひとつに、プロテインの一種に肉類等からしか取れないものがあるからだ。けれども、それ以前にいったんベジタリアンのベクトルにぐいーっと食を変えてみたことは、とてもよかったと思っている。「一度なくしてみる」という体験は、思っている以上に、ぼくたちに「何か」を与えてくれる。なにはともあれ、ぼくの「食の旅」は継続している。大切なことは、食に関する「定説」を疑ってみること。「あたりまえのこと」を「あたりまえではないこと」として見ることである。このあたりの経緯については別途ブログで書く予定である。

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身体性, 宇宙・地球 Jun Nakajima 身体性, 宇宙・地球 Jun Nakajima

生過程の原形と変容。- 三木成夫が採用する「ゲーテの形態学」の方法論。

ここのところ「植物」に惹かれている。ぼく自身の生活において、「フレキシタリアン(flexitarian)」、つまり準菜食主義者となったことも、どこかで関連しているのかもしれないし、生きることの全体性において「動く」ということだけでなく「静」というあり方をとりこもうとしてきたことも、どこかでつながっているかもしれない。

 ここのところ「植物」に惹かれている。ぼく自身の生活において、「フレキシタリアン(flexitarian)」、つまり準菜食主義者となったことも、どこかで関連しているのかもしれないし、生きることの全体性において「動く」ということだけでなく「静」というあり方をとりこもうとしてきたことも、どこかでつながっているかもしれない。さらには、昨年(2019年)に、東京の上野の森美術館で開催されていたゴッホ展で、さいごに展示されていた「糸杉」の絵画にこころを揺さぶられたことも、つながっていると、ぼくはおもっている。

 「植物」ということをかんがえるときに、ぼくは解剖学者の三木成夫(1925-1987)の著作をひらく。植物と動物、人間を比較しながら、三木成夫は、いわば「逆立ちした見方」をぼくに与えてくれるのだ。この点については、もう少しあとでふれたい。

 ところで、解剖学者の三木成夫(1925-1987)は、「人間の生」ということをかんがえるにおいて、「ゲーテの形態学」の考え方をひきついでいる。ゲーテ(1749-1832)は『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』などの著作で知られているから、あまり知られていないかもしれないけれど、自然科学者としての著作もある。

 人間の生の<すがたかたち>をかんがえるにおいて、ゲーテによる「形態学」の根柢をなす方法論として三木成夫がとりだすのは、植物・動物・人間の三者に共通する生過程の「原形」をもとめて、人間における原形の変容(Metamorphose)を抽出するという仕方である。

 生過程とは「成長」と「生殖」の位相交代のはてしなく続く、ひとつの波形として描き出すことができる。…この「食と性」の営みが植物と動物のあいだで著しく異なった形をとって行われることはあらためて言うまでもない。すなわち、合成能力の備わった植物が植わったままで生を営むの対し、この能力の“欠”けた動物は、“動”き廻って草木の実りを求めることになる。この文字通り“欲”動的な生きものの動物に「運動と感覚」という双極の機能が、光合成能の代償として備わったことは、自然のなりゆきと言わねばならないであろう。

三木成夫『三木成夫 いのちの波』平凡社

 三木成夫はこの地点からさらに人間の生命を描きだしてゆくのだけれど、その手前のところで、ぼくは上に引用した「逆立ちした見方」で立ち止まる。「逆立ち」というのは、ふつうの見方と逆さだからである。ふつうであれば、人間を頂点として動物、それから植物とくだってゆく階層がイメージされるのだけれど、ここでは、合成能力を持する植物をまず思考の出発点におき、そこから、この能力を「欠く」存在として動物が描かれる。その「欠如」を代償する仕方で、「動く」という機能があるわけだ。

 ぼくは、この「見方」に教えられる。あるいは、ぼくの「世界の見方」に更新がせまられる。言い過ぎかもしれないけれど、少なくとも、ぼくにとっては、そのように感じられる。

 唐突かもしれないけれど、ひととして生きていくうえで、動物的な「動」に加えて、植物的な「静」をともに、この生の過程にひらいてゆくこと。「じぶんの変容」という、ぼくにとってのライフワークのトピックにおいても、それから<これからの生きかた>をかんがるときにも、このことはとても大切なことだと、ぼくはおもう。

 思想家の吉本隆明(1924-2012)は、三木成夫の思想にもっと早くに出逢っていれば、と、三木成夫について書いているが、それほどに、三木成夫の思想はこの時代にあって、状況を「きりひらく」ちからをもっているのである。

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成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima 成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima

生きづらさの<身体的>感覚。- 「じぶんの変容」への舵きり。

「生きづらさ」ということは、ぼく自身の「生の探究」ともいうべきものの原点でもある。日本社会のなかで感じてきた「生きづらさ」をバネにしながら、1994年から開始する<旅>を起点にして、<ほんとうに歓びに充ちた生>の方向性へ舵をきってきた、というのが、これまでのぼくの生のダイジェスト(一行ダイジェスト)である。

 「生きづらさ」ということは、ぼく自身の「生の探究」ともいうべきものの原点でもある。日本社会のなかで感じてきた「生きづらさ」をバネにしながら、1994年から開始する<旅>を起点にして、<ほんとうに歓びに充ちた生>の方向性へ舵をきってきた、というのが、これまでのぼくの生のダイジェスト(一行ダイジェスト)である。

 その「生きづらさ」を著書タイトルにのせた『生きづらさについて考える』(毎日新聞出版)の著者、思想家であり武道家である内田樹は、週刊金曜日によるインタビューのなかで、つぎのように応えている。

  2016年暮れに、米問題外交評議会発行の『フォーリン・アフェアーズ』が、「日本の大学」特集をしたときに、いまの大学に対してどう思うかを、日本の教員や学生にインタビューしていました。すると、「身動きできない」(trapped)「息苦しい」(suffocating)「釘付けにされている」(stuck)というような、「身体的」な印象を共通してみんなが語っていた。
 僕は制度の問題より、そういう「身体的」な印象を語った言語のほうが、今の日本社会の実相をよく現していると思うのです。
 「生きづらい」とみんなが思っているのは文字通り、「身体的」につらいということなのです。
 若い人たちが特に感じているのは「未来が閉じられている」という実感ではないでしょうか。自分が動ける可動域がどんどん制限されていく、職業であっても、居住地であっても、生き方の自由度が下がってきている。…

内田樹「週刊金曜日インタビュー」、ウェブサイト『内田樹の研究室』

 ぼくには「とてもよくわかる」ことばである。ぼくが1990年代に感覚していた「生きづらさ」は、やはり「身体的」に感じられたものだった。そのことは、あとになって振り返るなかで「ことば化」されたのだけれど、アジアやニュージーランドへの旅はぼくの身体をひらいてゆく契機となった。

 「閉塞感を感じる」。昨年会って話をしていた日本の友人がいまの日本社会について静かに語ったのを思い出す。「閉塞」ということも、『フォーリン・アフェアーズ』のインタビューでみんなが共通して語っていた「身体的」な印象、身動きができない、息苦しい、釘付けにされている、と同じ感覚を表現している。それは、やはり、身体的な印象である。

 ところで、あたりまえのことだけれど、個人と社会はそれぞれが別個にあるわけではない。個人の網の目、個人が関係する仕方が社会である。個人のあり方が社会のあり方をつくり、社会のあり方が個人をつくる。その意味において、社会の実相は個人の生きかたや内面に反映され、逆もしかりである。

 「社会を変える」には、「じぶんの変容」がなによりも出発点であり、方法論でもある。社会は「…あるべきだ」、ひとは「…あるべきだ」という仕方で、じぶんの外部を変えてゆこうとするのではなく、まずは、「じぶん」の生きかたや内面に光をあててゆく。そこに「閉塞の窓」をうがち、変容をうながしてゆく。そのような生のプロセスを、世界いっぱいにひろげてゆく。じぶんの「生きづらさ」、変容にさらしてゆく。

 なお、「じぶん」という存在はそれ自体、<ひとつの共生社会>である。ぼくたちの「意識」は絶えず「わたしはわたし」と言い張ろうとするけれど、この身体も、それからパーソナリティ(意識/無意識)も、きわめて多様性に満ちた<共生社会>である。その共生社会の閉塞性、身体的な閉塞感を解き放つ。そこにぼくは、「閉じられた未来」ではなく、「ひらかれた未来」の可能性を見ています。

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子どもたちはさまざまな仕方で「語りかける」。- <人類誕生のドラマ>を重ねる三木成夫。

子どもたちと接することはそれだけで歓びでもあるけれど、学びと気づきの場でもある。兄弟姉妹や友人の子どもたちと接しながら、ぼくは学ばされ、気づかされる。子どもたちはぼくの「先生」でもある。

 子どもたちと接することはそれだけで歓びでもあるけれど、学びと気づきの場でもある。兄弟姉妹や友人の子どもたちと接しながら、ぼくは学ばされ、気づかされる。子どもたちはぼくの「先生」でもある。子どもたちが直接に何かを教えてくれるのではない。何らかの「情報」を教わるのではなく、ぼくがじぶんやひとや自然や世界と接する、その仕方を根抵から問われる。生きかたが問われるのだ。そのようにして「教え」はやってくる。

 幼児たちにとっての「世界との出逢い」、どこまでもひろがる好奇心にみちびかれてゆく。いや、好奇心ということばが適切なのかどうなのかもわからない。好奇心ということばにおさまらないほどの身体の揺さぶりが子どもたちをとらえているように、ぼくには見える。

 指差しにはじまり、「あれ、なーに?」、それから「どーして?」と続いてゆく。どこまでもひろがる「世界との出逢い」の経験は、「大人」になったぼくにも、かつて訪れていた時空間である。ひとにとって、じぶんの周りにひろがる「世界」は、じぶんの感受性をいっぱいにひらいてみれば、そのようにして「あらわれる」ことのある時空間だ。

 名著『内臓とこころ』では、解剖学者の三木成夫は自身の子ども観察をおりこみながら、子どもの成長のなかに<人類誕生のドラマ>を重ね合わせる視界をひらいてみせてくれている。

 赤ん坊の成長の日々を観察すること…それは、いってみれば自然観察の最後の課題に入るのかもしれません。そのような観察が乳児期から幼児期に及び、やがてあの「三歳児」の世界に参入する時、それは、なにかひとつのクライマックスを迎えるように思われるのです。
 そこには人類誕生のドラマの秘めやかな再現が見られる……!…そこでは数百万年そして数千万年の歳月が、わずか数ヶ月・数年の日々に、ものすごく凝縮される。…

三木成夫『内臓とこころ』(河出文庫)

 ひとそれぞれの誕生に人類誕生のドラマが重ね合わせられる。この本をひらくまで、ぼくが思いもしなかった見方である。子どもたちの指差し、「アレナーニ?」から「ドーシテ?」にいたるまで、三木は人類誕生のドラマをそこに見る。

 三木成夫の視点は鮮烈に、ぼくたちの「視界」を変えてしまうちからをもつ。そして、子どもたちは、さまざまな仕方でぼくに語りかける。

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深海の底の「記憶」。- 高校サッカー選手権の映像で「記憶」が立ち上がる。

「記憶」ということをかんがえる。ぼくは小さいころの記憶があまりない。とは言っても、どのくらい記憶があれば「ある」と言えるのかぼくはよくわからないのだけれど、いろいろなひとたちが小さいころのことを語るのを聞いていると、それに相当する記憶を、ぼくは憶い出すことができない。

 「記憶」ということをかんがえる。ぼくは小さいころの記憶があまりない。とは言っても、どのくらい記憶があれば「ある」と言えるのかぼくはよくわからないのだけれど、いろいろなひとたちが小さいころのことを語るのを聞いていると、それに相当する記憶を、ぼくは憶い出すことができない。

 けれども、憶い出すことができないということは、「記憶にない」ということと必ずしも同じではない。意識と意識下をつなぐ系がほつれていて、系をひっぱることができないことだってある。またそもそも記憶につながるような意識を現時点で意識していないこともある。でも、ふとしたときに、意識下にうもれていた記憶があがってくることがある。

 高校サッカー選手権の決勝戦の映像、それも20年以上まえもの映像をYouTubeで見ていたときに、そんな鮮烈な経験をぼくはした。

 2020年の全国高校サッカー選手権は静岡学園が見事なかたちで優勝を果たした。その映像を見たことで、YouTubeのアルゴリズムが他の「高校サッカー選手権」の映像をひっぱりだしてきたようだ。

 決勝戦のハイライト版。なつかしい映像、なつかしい選手たち(のちにプロになった人たちが多数存在する)を見る。映像は「ハイライト」を映し出し、選手たちが果敢にゴールを目指すところをとりあげる。

 ぼくは静岡県(浜松)に住んでいたから、当然のごとく「静岡代表」を応援していて、そのときは東海第一高校が決勝戦を戦っていた。フォワードのサントス選手がフリーキックを蹴ろうとする映像が映し出される。

 ぼくは「あっ」と思う。このコーナーキックで「ゴールが決まる」と思ったのだ。「あっ」というのは予測ではなく、記憶であった。

 サントス選手がフリーキックを蹴る。ボールは見事な仕方でゴールにすいこまれていった。

 ゴールを決めたサントス選手の喜ぶ映像を見ながら、ぼくはこの場面を確かに覚えているのだと思った。この20年ほど、この場面を憶い出したことなんて一度もなかった。けれども、この「場面」はぼくの記憶のなかに、たしかにあったのである。

 もちろんこの場面は、記憶に残るようなシーンであった。ぼくのそのときの「喜びの感情」が記憶を助けたのかもしれない。また、じっさいにテレビで観戦していたときだけでなく、そのあとに観たニュースでのシーンなども重なって、記憶に残るシーンとなったのかもしれない。それでも、記憶というものの奥深さとすごさを、ぼくは感じてやまない。

 そんな体験もあってか、ぼくの意識下のさまざまな仕方で堆積しているであろう「記憶」を発掘するため、小さいときのことを文章で書き始めている。書き始めて思ったのは、当初思っていた以上に、ぼくの記憶の深海の底に記憶がただよっていることだ。もちろん、「記憶」は大人になるにつれ、さまざまな新しい解釈や変更や削除の光があてられているのではあろうけれど、それでも、深海の暗闇の底にただよっている。

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「お互いに活かし合おうというところに人間の起原がある」(見田宗介)。- 共生の時代の「足場」のひとつとして。

大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)の「まえがき」で、大澤真幸(社会学者)は、大学に入学した年(1977年)に(その後の師となる)見田宗介先生との出会いを通じて「学んだこと」を書いている。

大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)の「まえがき」で、大澤真幸(社会学者)は、大学に入学した年(1977年)に(その後の師となる)見田宗介先生との出会いを通じて「学んだこと」を書いている。

「生きることと考えることはひとつになりうること、人生と学問を統一できるということ、人が生きる上で直面する諸々の深刻な問題に学知を通じて対することができるということ」という決定的な学びである。

その年(1977年)、真木悠介の筆名で発表された見田宗介の二冊、『気流の鳴る音』と『現代社会の存立構造』(いずれも筑摩書房)。大澤真幸の決定的な学びに影響を与えたこれら二冊に、ぼくはそれからおよそ20年後に出会う。

それは、圧倒的な出会いと学びであった。『現代社会の存立構造』でいわばぼくの<世界>の見方が変わり、『気流の鳴る音』でぼくの<生き方>を方向付けることができた。

「真木悠介」の筆名で書かれる著作は「世に容れられることを一切期待しない」(真木悠介)ものとして書かれる著作であるけれど、ぼくを圧倒的な仕方でとらえた著作群は、真木悠介による著作群であった。

『気流の鳴る音』と『現代社会の存立構造』のあと出された『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)は、ぼくを深いところで<解き放つ>ものであった。

けれども、そもそも「けれども」という言い方が適切かどうかはわからないけれど、ほんとうにぼくを<解き放つ>ものであったのは、『自我の起原』(岩波書店、1993年)であったのだと言うことができる。人としての<自由>というものをまるで手に取るようにしてつかんで見ることができたような、そんな圧倒的な経験であった。

「何度この本を読んだか」という次元ではなく、『自我の起原』はいくどもいくどもひらいてきた書物である。


本を整理整頓している折にふと手にとった『<わたし>と<みんな>の社会学』のページを繰りながら、『自我の起原』という書物の、底知れない深さと圧倒的な触発性を、ぼくは感じている。

『<わたし>と<みんな>の社会学』における大澤真幸と真木悠介との対談は、『自我の起原』のコアにふれてゆく。そんなひとつの話として、地球にはもともと酸素がなかったところにまで視界をひろげてゆくところがある。

当時は酸素は有毒であったところ、有毒である酸素を生かして生きる生物があらわれる。他の生物たちは、酸素を生かすこの生物と<共生する>ことで、有毒物質である酸素にとりこまれている環境を生き延びてきたわけである。ミトコンドリアとして自己の内部にとりこんで<共生のシステム>をつくることによって。そして、「今」を生きる動物も植物も、この<共生のシステム>が展開してきたものであることに、見田宗介はことばの照明をあてる。


見田 …つまり生物進化のいちばん大きな根幹は異なった種の共生によって成し遂げられた。…つまり生物進化のいちばん太い幹は、共生から出てきたことをいま一度確認する必要があります。お互いに殺し合うのではなく、お互いに活かし合おうというところに人間の起原がある。

大澤真幸・見田宗介『<わたし>と<みんな>の社会学』(左右社、2017年)


とても力強いことばである。希望のことばである。しかも、ただのことばではなく、生物学のオーソドックスな理論のなかに足場をおくことばである。

ぼくたちのひとりひとりの身体は、その起原において、<共生>をその根幹にしている。これからの<共生の時代>に向けて、確かな足場のひとつをおくことのできる場所である。

なんどでも繰り返そう。「お互いに活かし合おうというところに人間の起原がある」のだ、と。

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香港の天気予報・警報「通知」が届けられるなかで。- 便利さと喪われた感覚のはざま。

ここ香港の4月は「こんなに暑かっただろうか」と、これまでの10年以上にわたる香港経験の記憶アーカイブを検索してしまうほどに暑い日が続いている。今日は一休みといった感じで曇り空がひろがり、午後から雷が鳴ったり、雨が香港の大地にふりそそいだ。

ここ香港の4月は「こんなに暑かっただろうか」と、これまでの10年以上にわたる香港経験の記憶アーカイブを検索してしまうほどに暑い日が続いている。今日は一休みといった感じで曇り空がひろがり、午後から雷が鳴ったり、雨が香港の大地にふりそそいだ。

午後にさしかかったあたりから大気が不安定になってきて、香港の天気予報・警報の「通知(Notification)」が、スマートフォンを通じてひっきりなしにやってくる。降雨の知らせ、雷警報や豪雨警報の通知など、気象庁にあたる香港天文台(Hong Kong Observatory)のアプリから、通知が届くのだ。もちろん、自分で「設定」しているから、届くわけなのだが。

ずいぶんと便利になったものだ。そんなふうにも思う。

香港に来たころ、10年ほど前には、スマートフォンは普及しておらず、豪雨警報・台風警報を届けてくれる有料サービスが一般の会社が提供していたりしたものだ。それが、今ではスマートフォンのアプリで、香港天文台から直接に、無料で通知が来る。通知の種類も豊富である。


通知を受け取りながら、こんなに便利になったんだと思いつつ、昔はこんな通知がなくてもなにごともなく暮らしていたなぁと思う。

ぼくの記憶は、香港生活を超えて、ぼくが小さい子供だったころにたどりつく。とくに困った記憶もない。困った記憶は忘れられたりするものだから、今のぼくには憶い出せないだけかもしれないけれど、それにしても、大変だった記憶がまったくわいてこないのだ。

ぼくの感覚的な記憶からわいてきたのは、むしろ、そのときの<自然への感度>のようなものだ。空の様子を見て、雲をみやり、空気感を感じる。そんなふうにしてぼくが自分自身で得る「予報」が、あたっていた/あたっていなかったということが大切なのではなく、ぼくなりに<自然に対する感度>を駆使していたことが憶い出されるのである。


原生的な人類は、信じられないほどの視覚や聴覚などの感覚器官を駆使して暮らしていただろう。そのような感覚器は、文明の発展のなかで、テクノロジーにとって代わられてゆく。視覚や聴覚などの感覚器官の、いわば「拡大された感覚器」である。

それら感覚器官の「機能」ということに焦点をしぼれば、テクノロジーがはるかなちからをもって、機能を「拡大」してくれる。テレビやスマートフォンなどを通じて、現代人は、自分たちの感覚器官を退化させても、原生的な人類が想像もしなかったほどの視覚や聴覚を手にしている。

テクノロジーの「光」の大きさを確認しながらも、それらの「闇」へも視界はひらかれなければならない。


真木悠介(社会学者)は、次のような見方を、ぼくたちに提示してくれている。


 …けれどもこのような視野や聴覚の退化ということを、われわれをとりまく自然や宇宙にたいして、あるいは人間相互にたいして、われわれが喪ってきた多くの感覚の、氷山の一角かもしれないと考えてみることもできる。
 たとえばランダムに散乱する星の群れから、天空いっぱいにくっきりと構造化された星座と、その彩なす物語とを展開する古代の人びとの感性と理性は、どのような明晰さの諸次元をもっていたのか。

真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)


真木悠介のことばが、空の様子を見て、雲をみやり、空気感を感じながら自然と生きていたぼくと共振しながら、今を生きるぼくに語りかける。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

食べるときの「おいしさ」について。- 「おいしさ」への感度に向けて。

食事をしながら、ふと、「おいしさ」についてのことがあたまに浮かんでくる。

食事をしながら、ふと、「おいしさ」についてのことがあたまに浮かんでくる。

「おいしさ」とはどのように可能なのか。そんなことかんがえていないで、おいしいものを食べればいいじゃないか、とも思うけれど、世界のいろいろなところでそれなりに年をかさねて生きていると、「おいしさ」ということをかんがえてしまうものである。

「おいしさ」をつきつめてゆくと、そこには食べ物や料理という方向というよりは、この自分の心身にいきつく、と、ぼくは思う(もちろん、食べ物や料理をつきつめてゆく方向にも「おいしさ」を追求していく方向もある。「コーヒー」生産にたずさわってぼくとしても、そのことは重々承知である)。

自分の心身の状態によって、質素な料理もこれ以上ないほどおいしくいただけるし、逆に、どんなに手のこんだ料理も(あまり)おいしくいただけないことがある。

だいぶ前のことだけれど、中国を鉄道で旅していたときに列車のなかで食べたインスタント麺はほんとうにおいしかったし、ニュージーランドの自然のなかで食べるお米もどこまでもおいしかった。

鉄道の旅では寝台で眠り、勝手がよくわからなくて長い時間ほとんど食べずに過ごしていたところ、なにかがきっかけでインスタント麺を手にいれ、中国の人たちにまじって、片言の中国語で会話をしながら、食べたのであった。ニュージーランドでは、一日中歩いたりしたあとに、キャンプ用の小さいガスコンロでお米を炊き、自然に囲まれた環境で食べる。なんでもないものが(というとそれぞれの食べ物に失礼だけれど)、まるで心身にしみいるのだ。

ほんとうに「おいしさ」を感じたときの体験といったとき、ぼくはそんなときのことを憶い出す。


共同通信社の勤務から作家となった辺見庸の作品に、『もの食う人びと』(角川出版、1994年)があるが、『もの食う人びと』の旅で辺見庸が到達した「地点」はそんなところであったと、ぼくは記憶している。「おいしさ」は、最終的には、この「自分」によるのだということ。

通信社では北京特派員やハノイ支局長をつとめ、「現実を直視」してきた辺見庸が、バングラディシュや旧ユーゴやソマリアやチェルノブイリなどで、人びとは今何を食べて、何を考えているかを探っていった『もの食う人びと』の旅での到達点である。

「おいしさ」のことがあたまに浮かびながら、この『もの食う人びと』の旅の到達点のことも憶い起こされる。


最後は自分の心身だからといって、食べ物や料理のおいしさ追求を蔑むわけでは決してない。むしろ、逆である。自分の心身へといきつくことが、同時に、自分の外部のことへの感度を獲得してゆくことである。そんなふうにかんがえる。

問題なのは、自分の心身を忘れて、ただただ、この外部(高価な食べ物、高価な料理など)へと傾倒してゆくことである。そんなことは(ほんとうは)わかっていながら、いつのまにか、このような「外部のもの」へと依存してしまったりするものである。

不思議なもので、自分自身を忘れてしまいがちなのだ。そうして、自分の「外部」にあるものが問題なのだと信じて疑わなくなる。「外部」にあらわれるものは、見えるし、聞こえるし、「明らか」であるからである。

「おいしさ」を感じなくなったとき、ぼくたちは、食べ物や料理ではなく、まずは、自分自身を疑ってみることができる。自分自身の「おいしさ」への感度のことを。

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成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima 成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima

「私」という存在。- 池上六郎がリスペクトする「最新ヴァージョン」としての「私」。

思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎の著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。お二人の対話をもとにつくられ、2005年に刊行、それから、14年の歳月を経て文庫版が出された。

思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎の著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。お二人の対話をもとにつくられ、2005年に刊行、それから、14年の歳月を経て文庫版が出された。

大学の頃から興味をもちつづけてきた「身体論」、さらには内田樹先生の「文庫版まえがき」に触発されて、この本を手にとった。ページをひらいたら止まらなくなって、一気に読んでしまった。

「一気に読んだ」からといって、すべてを理解したわけでもないし、あるいは内容が薄かったわけでもない(まったく逆である)。むしろ、「身体」を通して共感し、一気に読んだ、というのが、より正確だろう。


とにかく、この電子書籍のいろいろな箇所に、ハイライトをいれた。

いろいろとハイライトした箇所のひとつに、池上六郎先生がいくどか繰り返したことがある。それは、「私という存在」は祖先が創り出した「最新ヴァージョン」である、ということだ。

池上六郎はつぎのように書いている。


 私たちは両親から生れ、その両親もふた親から生れと、一代、二代と遡って行くと膨大な数の祖先が現れて来ます。例えば自分の両親にも両親が居て……と遡れば十代で1024人、二十代遡れば、52万4288人。わずか二十代遡っただけで50万人を超え、二十一代では100万人をはるかにこえる祖先が居たことになります。昔の一代の間隔は現代のそれより、かなり短いはずですから、二十代と言ってもわずか400年にも満たない程の間に私たちの祖先は100万人も居たことになります。…それ程の多くの祖先が居て今の私が存在しているのです。まさしく私たちは数えることすら出来ない祖先が創り出した最新ヴァージョンなわけです。…

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


一代も途切れることなく、今の「私」につながっている。このすごさをリスペクトすることを、池上六郎はすすめている。ぼくもそう思う。

この「事実」はしかし、「頭」で考えれば誰もがわかることであるし、別に新しい発見ではない(でも、ほんとうに、ほんとうに「驚くべき」ことである)。学校などで、同じような思考実験をやってみたりして、この「事実」を知っている人も結構いるかもしれない。

けれども、「最新ヴァージョン」なんだと池上六郎が語るとき、そこには、生命体としての「私」へのゆるぎない信頼がよこたわっている。頭で知り、語っているだけではない。その信頼のなかで、池上六郎の施術がおこなわれ、なによりも、池上六郎自身の生が生きられている。

机上の「事実」だけでなく、あるいは思考実験による「事実」だけでなく、現実に、今この文章を書いている「ぼく」も、この文章を読んでくださっている「あなた」も、数えることすら出来ないほどの祖先が創り出した<最新ヴァージョンとしての存在>なのだ。

池上六郎の、このような「踏み込みの仕方」に、ぼくはひかれるのである。


ところで、現代社会において、ぼくたちは「個人」として生きている。「個」として、空間的にまた時間的に、(祖先を含めた)他者から切り離されている。それは、ひとつの「解放」でありながら、ときとして、存在の不安をひきおこすことがある。

<最新ヴァージョンの存在>であるということ自体は「個人」としての生きかたを妨げるものではないし、また、むしろ、「私」という存在を支えるものである。

<最新ヴァージョン>としての「私」という存在は、数えることすら出来ないほどの祖先たちと、想像すらおよばないほどの「縁」が重ねられてきた、生命のギフトである。

経験と年齢を重ねれば重なるほどに、ぼくは、そのようにしてここにいる「自分」という存在の奇跡を感じるようになってきている。

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海外・異文化, 身体性 Jun Nakajima 海外・異文化, 身体性 Jun Nakajima

人生の5分の2以上を「海外」で暮らしてきて感覚すること。- 身体にきざまれる<日常の風景>。

ニュージーランド、シエラレオネ、東ティモール、それから、ここ香港。日本の外(「海外」)で暮らしてきた時間がつみかさなり、あわせて17年ほどになる。つまり、人生の5分の2ほどの時間を、海外ですごしてきたことになる。

ニュージーランド、シエラレオネ、東ティモール、それから、ここ香港。日本の外(「海外」)で暮らしてきた時間がつみかさなり、あわせて17年ほどになる。つまり、人生の5分の2ほどの時間を、海外ですごしてきたことになる。

時間の「量」が重要であるわけではないけれど、かといって、「量」がまったく意味がないということもない。

海外の旅もいろいろと印象に残っているけれど、それなりの時間をすごしてきたところは、どこか少し異なった仕方で、ぼくのイメージのなかに居場所をみつけているようである。


「海外で暮らす」ということによってより鮮明に記憶にやきつけられたことのひとつは、<日常の風景>である。

「暮らす」ということは、旅における非日常的なかかわりとは異なり、その場における「日常」を生きることである。

気候はどんな感じで、どんな空気感があり、どんなふうに時間がながれ、どんな人たちがどんなふうに歩き、会話しているか。そんな<日常の風景>が、ぼくの記憶のなかに、より鮮明にやきつけられている。

ニュージーランドの、シエラレオネの、東ティモールの<日常の風景>。そのような<日常の風景>が、たとえば、ここ香港の街を歩いているときにも、ときおり、ぼくのなかで<再生>される。

記憶にやきつけられた<日常の風景>が、あたかも、現在進行形で動いているように<再生>される。

そんなとき、今も、ニュージーランドの、シエラレオネの、東ティモールの<日常>がつづいていることを、ぼくはたしかに感じるのである。

そこに、日本の<日常の風景>が加わり、ぼくのなかで、いろいろな<日常>が同時に動いてゆく。


それは、ぼくにとっては、すてきな感覚だ。この世界には、あたりまえのことだけれど、いろいろな場所があって、そこに住む人たちによって、それぞれに<日常>が営まれている。

じぶんが今生きている、この「日常」だけが「世界」ではない。

今こうしているあいだにも、この世界のいろいろなところで、いろいろな仕方で、<日常>が生きられている。

このような感覚が、ぼくの「知識」としてではなく、身体という記憶にきざまれている。この身体的な記憶が、ぼくにたしかなリアリティを与えてくれているようだ。

ぼくにとっては、このことは、とても大切なことである。

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香港, 身体性 Jun Nakajima 香港, 身体性 Jun Nakajima

香港で、「感冒茶」を飲んで、体をやすめる。- その土地の「対処法」を活用すること。

旧正月(2月5日)以降、20度前後の、暖かく、過ごしやすい日がつづいていた香港。

旧正月(2月5日)以降、20度前後の、暖かく、過ごしやすい日がつづいていた香港。

ここ2日ほど、少し気温がさがっている。それでも15度から19度くらいで、「これくらいはなんでもない」と思っていたら、体の節々がいたくなって、これは「風邪のひきはじめ」かもと、初期段階における「対応モード」にはいる。

風邪は「敵」ではなく、身体の「祝祭」である、というような意味合いのことを、整体の野口晴哉は語っていたと思うけれど、ぼくの身体は「祝祭」を奏でているのだと、つまり、祭りのようにいったん秩序をこわし、新たな息吹をいれながら秩序を再構成しているのだと解釈する。

そんなわけで、「祝祭」が粛々ととりおこなわれるようにと、体を休ませようと思い、今回は、「感冒茶」を買って、飲むことにする。

「感冒茶」は、その名のとおり、「感冒」(風邪)の症状に効果を発揮する漢方茶・ハーブ茶である。


香港の街角では、このような飲み物を売っているお店にときどきでくわすのだけれど、飲みたいと思うときにはお店が近くになかったり、どこにあるか覚えていなかったりする。

このような昔からつづいているようなお店の店頭では、その場でお椀や紙コップで飲むこともできたり、あるいはテイクアウト用にペットボトルのものを購入することもできる。

そんな粋なお店とはべつに、モダンでおしゃれなお店もあり、駅の改札近くにならぶ売店のひとつとして出店している。

今回は、駅の改札近くにならんでいる「Hung Fook Tong」で感冒茶を買うことにする。以前、すでに試しているから、大丈夫だ。

感冒茶はさまざまなハーブなどからつくられているから、他のお茶や飲み物に比べ、少し高めである(Hung Fook Tongでは46香港ドル≒約650円)。500mlのペットボトルにはいっていて、購入時に温めてもらう。

「2回に分けて飲むのよ。あいだに4時間空けること。飲む前には何か食べるのよ」と、店員さんが、代わる代わる伝えてくれる。


お昼ご飯を食べ終わっていたから、ぼくは家に帰って、1回目の一杯を飲む。苦いのだけれど、ぼくは、このような漢方茶の苦さが好きなので、とくに苦にならない。さらに、このお店の感冒茶は少し砂糖が入っていて、飲みやすくしてあるようだ。

やがて身体に心地よさがやってきて(やってきたようで)、ぼくは横になって、眠ることにする。

だいぶ眠って起きて、夕食をとり、2回目の一杯を飲んでから、ぼくはこの文章を書いている。体の節々のいたみが残りながらも、だいぶ、体が楽になったように感じる。


書きながら、思い出す。海外で旅したり、暮らしているときに、体の不調が起きたら、その土地の「対処法」を活用すること。

アジアを旅していたときにお腹をこわして、ぼくは日本から持っていった薬ではなく、その土地で購入した薬を試したことを思い出す。西アフリカのシエラレオネに赴任し、最初のほうにしたことのひとつも、マラリアの治療薬を調達することであったことを思い出す。

その土地での「対処法」、その土地で手にすることのできる薬、それから漢方茶など、それらがそこに存在しているという存在理由が、やはりあるのだ。


なにはともあれ、朝からお昼にかけて、「今日のブログ書けるかな」と思ったのだけれど、感冒茶を飲んで、寝て起きたら、ブログを書くことができた。店員さんの「指示」にしたがい、2回に分けて感冒茶を飲み干したぼくは、そんなことを思いながら、ふたたび体を横にして、休もうと思う。


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身体性 Jun Nakajima 身体性 Jun Nakajima

「脳と心」、心身論のこと。- 「唯脳論」(養老孟司)の立場からの、シンプルで、きわめてスリリングな見方。

ここのところ、養老孟司の二つの著作、それら著作の「あいだ」に20年ほどの時間が介している二つの著作、『唯脳論』(ちくま学芸文庫、1998年)と『遺言。』(新潮新書、2017年)を導きとしながら、「意識と感覚(の段差)」、「脳の世界」の浸潤としてみる歴史、「不死」ということについてブログに書いた。

ここのところ、養老孟司の二つの著作、それら著作の「あいだ」に20年ほどの時間が介している二つの著作、『唯脳論』(ちくま学芸文庫、1998年)と『遺言。』(新潮新書、2017年)を導きとしながら、「意識と感覚(の段差)」「脳の世界」の浸潤としてみる歴史「不死」ということについてブログに書いた。

これまで読んできたこれらの本(養老孟司のほかの本を含め)、読み返せば読み返すほどに、養老孟司の言わんとすることがわかっていなかったことを思う。でも、なによりも、養老孟司という先達の視点・視野・視界、あるいはその試みと提案に触発され、スリリングな気持ちのままに、その気持ちの一部をブログにのせている。


「ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場」である「唯脳論」(「唯脳論」は養老孟司が思いついた言葉ではなく、編集者が思いついた言葉だが、養老孟司の書くように、絶妙の言い方でありながら誤解をまねく言い方でもある。参照:『唯脳論』ちくま学芸文庫、1998年)。

この著書『唯脳論』は、本のはじめから、一般的に考えられている「難問」をとりあげ、「唯脳論」の立場から明晰に論じている。

その「難問」とは、心身論・心身問題である。つまり、「心は脳から生じるか」という問題である。

ある人たち(以前の「ぼく」も含め)は、脳(という物質)から心が出てくる、と考えたうえで、たとえば、「そんなことはない」と思ったりする。

「心」はそのように語るだけでは語りつくせないものであると思ったりする。

「唯脳論」は、このように語られることもある心身論に、つぎのように明晰な説明を加える。


 唯脳論は、この素朴な問題点について、それなりの解答を与える。脳と心の関係の問題、すなわち心身論とは、じつは構造と機能の関係の問題に帰着する、ということである。

養老孟司『唯脳論』(ちくま学芸文庫、1998年)


心身論は、「脳と心の関係=構造と機能の関係」であると、養老孟司は唯脳論の立場から語る。

とても明快だが、養老孟司が挙げる例にしたがい、もう少し見ておこう。「脳という物質を分解していっても、どこにも「心」などは見つからないではないか」と感じている人にとっては、「構造と機能の関係」と言われただけでは、その感覚と思考は氷解しないだろうから。

養老孟司は「心臓」の例を挙げている。心臓が止まると、循環は止まる。これはだれでもわかる。

けれども、心臓血管系を分解してゆくと、どこに「循環」が出てくるのか。どこにも「循環」というものは出てこない。心臓は「物」であり、循環は「機能」だからである。

脳と心の関係は、この例のように心臓と循環、あるいは腎臓と排泄、肺と呼吸といった関係と似たものであると、養老孟司は指摘している。

「脳から心は出てこない」という考え方は、唯脳論の立場からすれば、「機能は構造から出てこない」という考え方となってしまうのである。


「でも、心は…」と、口をはさみたくなるかもしれない。心臓と循環の関係はわかるけれど、「心はちがうんじゃないか」、と。

養老孟司は、そこに(まさに、そこに)、<心の特別あつかい>という、偏った考え方を見て取っている。

 心が脳の機能ではないと思うのは、心を特別扱いするからである。つまり、心というのは、なにか特殊なものである。そういう考えがあるからである。たしかに、心には、ある特殊性がある。それを、われわれは「意識」と呼ぶ。意識には、「自分で自分のことを考える」というおかしさがある。これは、もちろん、他の臓器ではあり得ない機能である。この機能的特性のために、ヒトは、意識つまり心をいつでも特別扱いしてきたのである。…

養老孟司『唯脳論』(ちくま学芸文庫、1998年)


なお、ヒトが、なぜ、「構造」と「機能」(たとえば、脳と心)というように「分けて考える」のかについて、それは脳がそのように構築されているからだと、養老孟司は指摘している(『唯脳論』ではその詳細も書かれている)。


それにしても、「唯脳論」の立場から語られる心身論は、きわめて明快である。もちろん、「心」そのものが明快であるというわけではない。「意識」というものの特殊性から、ヒトは、心という機能の「多様性」を知っている。

なお、心身論は「脳と身体の関係」だけでなく、「脳以外の身体と脳の関係」があることも、養老孟司は明示的に書いている。「脳と身体」は明瞭に分離できないのだ、と。身体には末梢神経が張りめぐらされ、かつ、脳と神経は連続する構造であるからである。この意味において、唯脳論は<身体一元論>であるという。


この心身論(あるいは、身体一元論としての唯脳論)を踏まえたうえで、『唯脳論』は「死」の問題にはいってゆくのだが、その冒頭の言葉をとりあげるだけで、ここでとめておこうと思う。

養老孟司は語る。「…死体があるからこそ、ヒトは素朴に、身体と魂の分離を信じたのであろう」、と。

きわめて、スリリングである。

「正しい/正しくない」というような意見や判断はさておき(そんな判断はぼくにはまったくできないが)、とにもかくにも、思考の深いところから触発される、スリリングな論考である。

以前も「読んだ」のだろうけれども、それほど「理解」できていなくて(言葉や論の表面だけをおっていて)、でも、いまのぼくは、言葉や論の深いところに降りてゆくことができるようだ。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

「不死」のテーマをおいつづけて。- 養老孟司の「不死へのあこがれ」という文章を導きとして。

著書『Homo Deus』で、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は、人類が「飢饉、伝染病、戦争」を管理可能な課題にまでもってきたことを指摘しながら、人類が次に直面する課題は、次の3つとしている。

著書『Homo Deus』で、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は、人類が「飢饉、伝染病、戦争」を管理可能な課題にまでもってきたことを指摘しながら、人類が次に直面する課題は、次の3つとしている。


● 不死
● 幸せ/至福
●「神的な領域」に入ること

このうちの「不死」ということについて、とりあげたい。

最近読み返している養老孟司の本のなかに、「不死へのあこがれ」と題される、興味深い一節があったからである。それに、触発されたからである。


「不死」ということを、ぼくはときおり、思い、考える。

「不死」を痛切にねがうわけではないけれど、ぼくの内奥のどこかに「不死」をねがう気持ちがないとはいえない。以前は、死をおそれて「不死」を思うこともあった。

あるいは、これまでの人間の歴史をひもとくと、「不死」が語られ、希求され、それがなんらかの形となって残されているのを目にする。

「不死」のこれまでとこれから。

これから、テクノロジーの進展とともに、「不死」が追求されてゆく(いまも、追求されている)。

それにしても、「不死」への衝動を、根源的なところでひきおこしているのは、なんであろうか、どのようなメカニズムであろうか。

養老孟司の著書『遺言。』(新潮新書、2017年)のなかの一節「不死へのあこがれ」は、このような問いに応える。「意識」が考えることではなく、「意識」そのものにわけいることで、「不死」へと向かう(向かわざるをえない)「意識」について書いているのである。


「不死」を語るさいに、ヒトが必死に「デジタルの世界」を作ろうとするのはなぜか、という問いを、養老孟司は話の導入としている。

このような問いに、コンピュータのようなデジタル世界は、便利・合理的・経済的だからと、多くの局面では応える。この説明の仕方を「機能的な説明」と養老孟司は読んでいる。

人体でいえば、「心臓は血液を送り出すポンプである」という言い方であり、それで人は納得するし、この言明はわかりやすいから、「人工臓器」として心臓が最初につくられることになる。

この「裏にある暗黙の意図」をおう。

人工臓器は具合が悪くなれば変換する。この論理を延長してゆくと、この意図がわかるというのだ。

それが、「不死」である。

「不死」と「デジタル」の関係性が、ここで語られることになる。


…デジタル・パタンとは、永久に変わらないコピーだと述べた。なんとコンピュータの中には、すでに不死が実現されている。デジタル・パタンが死にそうになったら、つまり消えそうになったら、どんどんコピーを作ればいい。だからクラウドなのである。どこにコピーが存在しているのか、よくわからないけど、ともかくどこかにコピーが存在している。これをいたるところに置けば、実際的には死にようがなくなるではないか。だから自分の記憶、感情のすべてをコンピュータに入れたらどうなるんでしょうね、という質問がなされる。その暗黙の裏は「俺は死なない」ということであろう。

養老孟司『遺言。』(新潮新書、2017年)


これにつづけて、さらに、とても興味深い「考え方」が書かれている。

骨子は「空間の支配から時間の超越」。ヒトは、空間を支配しようとし、空間の支配が達成されると時間の超越という課題ぶつかり、その課題を解決しようとしてきたということである。

「空間の支配」の衝動につきうごかされながら、たとえば、かつてのローマ帝国や大英帝国ができた。空間を支配したところに、「時間の超越」という課題があらわれる。そこで、たとえば、秦の始皇帝は万里の長城を作り、エジプトの王たちはピラミッドを作る。石で作った巨大な建造物は、時間を超えて、いまでも残っている。

さらに、時間の超越のためにつかわれたのが「文字」である。養老孟司はそう指摘する。書かれたものは永久に変わらない。巨大な建造物をつくる必要もない。そうして、巨大な建造物に変わって、文字が「永久」をつくりだしてゆく。

そして、その延長線上にデジタル・データがあり、そこで時間の超越は終止符を打つ。


「時間と空間」というテーマは、ぼくにとって大きなテーマである。これからの「生きかた」をふりかえり、考え、その未来を構想するときにも、この二つの軸が「人生マッピング」のうえでも役に立つ。でも、そのような功利的な思考をとらなくても、このテーマそのものはぼくの好奇心がうずまくところだ。

それにしても、この「意識」そのもののメカニズムから、歴史をきりとり、現代社会をきりとり、また生きかたをきりとると、いろいろなものごとが「違って」見えてくる。

なお、「耳が時間、目が空間」をとらえるものであり、この二つを統合するのが「言葉」であるということを、養老孟司はべつのところで書いている。が、ここではそこには立ち入らないことにする。

ともあれ、「意識」そのものが、空間を支配し、時間を(ある意味)超越しようとし、不死を希求する。デジタル・データがある意味で時間の超越に終止符を打つようなものであるものとして、しかし、ヒトは、徹底的に、ほんとうに徹底的に、この「不死」をデジタル・データを駆使しながらさらに追求している。

ユヴァル・ノア・ハラリが書くように、「不死」は、残された人類の課題のひとつとして、徹底的に追求され、これからも追求されてゆく。


「意識」は、ヒトの身体に左右されるからべつに偉くないのだけれども、意識はそれが気にくわず、意識が偉いのだと主張しながら、不死を希求する。世界を支配しようとする。養老孟司はそう書く。


 ヒトの生活から意識を外すことはできない。できることは、意識がいかなるものか、それを理解することである。それを理解すれば、ああしてはまずい、こうすればいいということが、ひとりでにわかってくるはずである。それはそんなに難しいことではない。

養老孟司『遺言。』(新潮新書、2017年)


知性。これも(ある意味)「意識」の産物とも言えるけれど、その知性のもっともすぐれたところのひとつは、「いかなるものかを理解する」ことである。

「意識」そのものを意識する、理解する。そこに<出口>がある。「意識」は意識そのものの性質と機能のなかに、みずからの<出口>を装填している。

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身体性 Jun Nakajima 身体性 Jun Nakajima

ヒトの歴史は「自然の世界」に対する「脳の世界」の浸潤の歴史(養老孟司)。- 『唯脳論』とぼくの出逢い。

「意識」そのものを考える。「意識」によって考えられたことを議論するのではなく、「意識」自体を議論の俎上にのせる。このタブーとされてきたことを解き放つ試みとしての『遺言。』(新潮新書、2017年)にふれながら、ブログ(「「意識と感覚」の<段差>を意識する。- 養老孟司の提案。」)を書いた。

「意識」そのものを考える。「意識」によって考えられたことを議論するのではなく、「意識」自体を議論の俎上にのせる。このタブーとされてきたことを解き放つ試みとしての『遺言。』(新潮新書、2017年)にふれながら、ブログ(「「意識と感覚」の<段差>を意識する。- 養老孟司の提案。」)を書いた。

ちょうど、養老孟司『唯脳論』(ちくま学芸文庫、1998年)も読み返していたところであった。『唯脳論』は、あいかわらず、スリリングな本である。まったく古くなることのない本だ。


『唯脳論』との出逢いは、もう20年以上まえのことになる。20年以上まえに、「発展途上国の開発・発展」を研究していたぼくは、『開発とは何か』という主題で修士論文を準備していた。開発・発展の「方法」を学ぶなかで、「そもそも論」として「開発とは何か」をきっちりと見定めておきたくなったのである。

開発・発展にたずさわる人たちそれぞれが、それぞれの考えを暗黙の前提にして、つまり明確に明示することなく「方法」を語っているように思えたのだ。だから、ときに議論がかみあっていないように見える。「何」や目的を間違ってしまうと方法をいくら変えても、目指すところからそれていってしまう。だから、きっちりと見定めておこうと、ぼくは思ったのである。

「発展途上国の開発・発展」と「唯脳論」(ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場)が、どのようにつながってくるのか。

唯脳論の定義にあるように、ぼくは視界を思いっきりひろげながら、「ヒト」というところまでひきのばして、「人間社会の発展」のなかに、発展途上国を含めた現代社会を位置づけたのだ。

大雑把に言ってしまえば、「自然からの解放・離陸」ということである。

「ヒトの歴史は、「自然の世界」に対する、「脳の世界」の浸潤の歴史だった」と、養老孟司は『唯脳論』のはじめに書いている。そのことを、人は「進歩」と呼んだのだと。こうして、いまあるような社会を「脳化=社会」と呼び、養老孟司は議論をすすめている(管理社会化も、身体性も、ダーウィンも、哲学も、三島由紀夫の生と死も)。

このように、現在ある社会を歴史の大きな流れのなかに描いておくことで、ぼくは「開発とは何か」ということ、そしてこの「何か」の未来の方向性を確認したのである。


明示しておきたいのは、このことは、「発展途上国の開発・発展」ということとともに、先進産業国に住むぼくたち自身の問題・課題である。

人間や人間社会が何を求め、どのように「進歩」し、そして「どこに」行こうとしているのか。

20年ほどまえの当時、人間は、そしてもちろんぼく自身は、「何のために」勉強をし、仕事をし、生きているのだろう、という問いが、ぼくのなかで切迫していた。

そんななかで出逢った本の一冊が、養老孟司の『唯脳論』であった。

『唯脳論』は、すぐに何かを解決してくれるものではないけれど、ぼくが「世界」を見る見方を変えてくれるものであった。そのようなものとして、「脳化=社会」というコンセプトを、ぼくは修士論文で引用した。

そして、いま『唯脳論』を読み返しながら思うのは、それは、いっそう、「ぼく自身」(あるいは、ヒト自身)を見る見方を変えてくれるものであることである。

もちろん、すぐに何かの問題を解決してくれるものではないけれど、ぼくたちの脳、あるいは「意識」がどのようであるのか、その法則性を知っておくことで、そもそもの問題・課題のありかを見定めておくことができる。

それは、とても重要なことである。ぼくはそう思う。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

「意識と感覚」の<段差>を意識する。- 養老孟司の提案。

養老孟司の視点とことばは切れ味するどく、スリリングだ。

🤳 by Jun Nakajima

 

養老孟司の視点とことばは切れ味するどく、スリリングだ。

20年以上まえに読んでいた『唯脳論』(ちくま学芸文庫)を読み返しながら、最近の著書『遺言。』(新潮新書、2017年)をふたたびひらいたら、養老孟司の視点とことばが、よりせまってくるように、ぼくは感じたのである。

これらで語られていることの核心は、「意識」と「感覚(感覚所与)」のことである。


養老孟司の書くものは、それを一文字一文字おっているときは、一般向けにわかりやすく語られてもいるから「わかりやすい」と感じるし、「わかったよう」にも感じるのである。

たとえば、少子化についても、その深いところ(意識と感覚という次元)で問題をとらえているが、とてもわかりやすい。


…子供が増えないのは、根本的には都市化と関連している。都市は意識の世界であり、意識は自然を排除する。つまり人工的な世界は、まさに不自然なのである。ところが子供は自然である。なぜなら設計図がなく、先行きがどうなるか、育ててみなければ、結果は不明である。そういう存在を意識は嫌う。意識的にはすべては「ああすれば、こうなる」でなければならない。…

養老孟司『遺言。』(新潮新書、2017年)


とてもわかりやすい視点だ。このように理解したそれぞれのトピックやエピソードはその通りであろう。

でも、そこで終わりにせず、養老孟司が<きりひらこうとしていること>にとどまって、さらに、じぶんの理解を深めてゆく方向に一歩一歩進んでみると、それまでに理解してきたことの核心が見えて、ぱっーと、視界がひらけてくる。少なくとも、ぼくにっとてはそうであったのである。

その語られていることの<革命的視点・視座>がほんとうに「わかる」とき、ぼくたちが見ている「世界」がまるでちがったものに見えてくる。


このような<革命性>は、「意識」そのものにきりこんでゆくことで、これまで光があてられてこなかったことに光をあてて、「意識」そのものをきりひらいてゆくことにある。

人は何かをかんがえたり言葉にするときに「意識」を使うのだけれど、その「意識」自体を問うことは(あまり)されず、不動の「前提」とされてきたようなところがある。

養老孟司は『遺言。』のなかで、「意識について考えること」がタブーとされてきたのだと書いている。すべての学問は「意識の上」に成り立っていて、「意識」自体を考えることはその「足元を掘り起こす」ことになるから、タブーとされてきたのだと指摘する。『遺言。』は、明示されているように、このタブーを解き放とうとするものでもある。


「意識」は<同じ>にしようとし、「感覚」は<違う>という。

養老孟司はこのことを、いろいろな知見と事例をまじえながら、説いている。いろいろな問題が、「意識」と「感覚」の対立や矛盾などとして(そのように「見える」ものとして)、現実には立ち現れる。環境問題も、少子化も。

でも、そこにさらに大切なポイントとして、意識と感覚は「階層が違う」ことを指摘している。意識と感覚の<段差>である。

さらに注記されるのは、「階層」においては、意識(「同じ」)が「上」だと考えてしまう問題である。この暗黙の了解(意識は感覚より階層が上)のもとに、「意識中心の都市型社会」は、個々の具体的な社会問題などで、「意識」が「感覚」に勝利することが多くなる。

このことを知ったからといって、個々の問題がすぐさま「解決」するわけではない。

でも、それらの対立や矛盾(に見える)ことの根源的な理由を、ぼくたちの「意識」自体のありかたのなかに、しっかりと措定しておくこと。根源的な「問題」(対立や矛盾)を抱えているのは、ぼくたち自身にあること。


養老孟司は、「おわりに」で、山口真由『リベラルという病』(新潮新書)にふれながら、つぎのように書いている。


…たとえば、強いフェミニズムは、感覚で捉えられる男女の「違い」を無視し、なにがなんでも男女を「同じ」にしようとする。「病」というしかない。「同じにする」がどんどん強くなって、信仰の域に達する。それがアメリカの「リベラルという病」だ、ということになる。
 「同じにする」ことが間違っているのではない。ただし感覚は「違う」という。その二つが対立するのは、そう「見える」だけで、そこには段差があるのだから、両者を並べることはできない。まずそのこと自体を「意識」したらどうですか。それがいわば私の拙い提案である。

養老孟司『遺言。』(新潮新書、2017年)


なるほど、と思う。

ぼくたち自身(「意識と感覚」)を理解すること(「意識」すること)。そしてその地点から出発するだけで、「問題」のとらえかたも、議論の仕方も、そして(おそらく)解決の仕方も、だいぶ変わってくるのではないかと、ぼくは思う。

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「香港の音」のこと。-「静けさ」と「にぎやかさ」と。

静けさということ。現代人にとっての「静けさ」ということを。ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の体験をもとに、じぶんの体験もかさねあわせながら、少しのことを書いた。

静けさということ。現代人にとっての「静けさ」ということを。ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の体験をもとに、じぶんの体験もかさねあわせながら、少しのことを書いた(ブログ「「静けさ・静寂・沈黙(silence)」を味方につける。- Robert A. Johnsonの体験に耳をかたむけて。」)。

静けさ「だけ」がいいとか悪いとかということではなく、しかし、「静けさ」が生活の片隅においやられているようなところはあるように思ったりする。

「にぎやかさ」ということで言えば、ここ香港は、にぎやかなところだ。


作曲家の久石譲は、解剖学者の養老孟司との対談(養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』角川oneテーマ21、2009年)のなかで、この「香港のにぎやかさ」にふれている。久石譲は興味深いエピソードを紹介している。それは、香港からカナダに移住した人たちに「もっとも売れたテープ」の話である。

香港からカナダに移住した人たちにもっとも売れたテープは、香港のにぎやかな音であったというのだ。食べ物屋の音、街中の音、人々の話し声など、香港の音が収録されたテープが飛ぶように売れたのだという。

大自然に囲まれたカナダの異常な静けさが、逆に落ちつかなかったのではないかという話だ。

実際にこの話がどのように伝わってきたのか、そのようなテープがどのくらい売れたのかなど、ぼくは知らない。けれども、ここ香港に住んでいると、わからなくもない。ある程度の「にぎやかさ」に心身がなれて、突然のようにやってくる「にぎやかさの欠如」は、心身を不安定にさせるかもしれない。

「静けさ」と「にぎやかさ・ノイズ」。このエピソードに対して、養老孟司はつぎのように応答している。


養老 そういうこともある。だから、物事はどっちがいいとか悪いとか一概に言えないんです。だいたいどっちであっても人生は損得なしだ、というのが僕のいけんですけどね。

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


このエピソードが紹介される直前に、一般的に、「うるさい環境の方が落ちつくなあということもあるんじゃないですかね」と語る文脈で、養老孟司はこのように語っている。

「静けさ」と「にぎやかさ」の双方を享受できるようになるとよいと、ぼくは思ったりする。また、人それぞれに、それぞれの「とき」に応じて、求められるものも変わってくるのだと、ぼくは思う。


ところで、「香港の音」のテープということを聞いて、ぼくもいくらか、<音の採取>をしておこうかと思っている。

だいぶ以前、東ティモールに住んでいたときに、<音の採取>をしようと思っていたのだけれど、レコーダーの音質の問題などから、途中であきらめていた。

でも、今はスマートフォンの気軽な録音で、それなりの音質を確保できる。将来、香港を離れたとき、ぼくは「香港の音」、食べ物屋のにぎやかさや街中の喧騒などを聞きたくなるかもしれない。

と思いつつ、いや、心の中で記憶していたほうがいいんじゃないか、と、ぼくの内面の別の声がぼくに語りかける。

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野口晴哉, 身体性 Jun Nakajima 野口晴哉, 身体性 Jun Nakajima

「空には音楽が満ちている」(野口晴哉)。- <感ずる者の心>のほうへ。

整体の創始者といわれ、体を知り尽くしていた野口晴哉(1911-1976)が感じていた「世界」。

整体の創始者といわれ、体を知り尽くしていた野口晴哉(1911-1976)が感じていた「世界」。


感ずる者の心には、感じない者の見る死んだ石でも、お月さまとして映る。
太陽も花も自分も、一つの息に生きている。
道端の石も匂い、鳥も唱っている。
感ずることによって在る世界は、いつも活き活き生きている。
見えないものも見える。動けないものも動いている。
そしてみんな元気だ。空には音楽が満ちている。

野口晴哉『大絋小絋』(全生社、1996年)


エッセイ集『大絋小絋』のなかに、無題で、収められている。エッセイというより、詩である。

ここにはとくに解説もいらない。

空には音楽が満ちている。

こんな<感ずる者の心>へと、じぶんの感覚を研ぎ澄ましてゆきたい。


テクノロジーは、人間の「感覚器官の拡張」だ。かつて、マクルーハンが書いたことであり、今でも、メディアなどでその表現を見ることがある。

スマートフォンも、インターネットも、望遠鏡も、飛行機も。さまざまなテクノロジーは、人間の感覚器官を、古代の人たちが思ってもみなかった仕方で拡張してきた。

ほとんどの人たちがテクノロジーの恩恵を受けて生きている。

けれども、はたして、テクノロジーによって、「空には音楽が満ちている」と感ずることができるようになるだろうか。

と、考えてみる。


テクノロジーは、空に音楽が満ちている「ような」映像を編集して見せてくれるかもしれない。

編集された映像は、「空には音楽が満ちている」というイメージを、たとえば空を見る見方として、教えてくれるかもしれない。

けれども、野口晴哉が書くような「太陽も花も自分も、一つの息に生きている」という深い感覚と一体感を、それは約束してくれない。

それは、テクノロジーによって「外部へと拡張」していく仕方ではなく、いわば、じぶんの「内部への拡張」という仕方で、感官を研ぎ澄ましてゆくことによってであると思う。

じぶんの「内部への拡張」とは、内部へと閉じこもることではない。

そうではなく、それは外部に向かってひらかれるための方法。空に満ちている音楽を聴くための方法である。

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身体性 Jun Nakajima 身体性 Jun Nakajima

<聴覚>と論理性。- ひきつづき、養老孟司先生の「興味深い話」でたちどまる。

生ききること、よりよく生きること、生きる「世界」の奥行きがひろがってゆくこと。そのために、<五感をとりもどす>こと。

生ききること、よりよく生きること、生きる「世界」の奥行きがひろがってゆくこと。そのために、<五感をとりもどす>こと。

そのことのについて、<触覚>をたよりに、片づけコンサルタントであるMarie Kondo(近藤麻理恵、こんまり)の「KonMari Method」という方法のひとつ、片づけで「残すモノを選ぶ基準」として、<触ったときに、ときめくか>という方法(基準)をとることにもふれながら、別のブログで書いた(ブログ「「触ること・触覚」についてのメモ。<五感をとりもどす>こと。- 「KonMari Method」から、養老孟司、真木悠介まで。」)。

そのブログでは、ちょうど読んでいた、養老孟司・久石譲の『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)での対談にもふれたが、ひきつづき、養老孟司先生の「興味深い話」に耳を傾けるために、たちどまりたい。

興味深い話とは、「聴覚と論理性」という話である。<聴覚>というものは、つまり<耳>は、論理的である、という話である。

論理の時代ではないと言われるけれども、ぼくは「論理」はさまざまな場面でひきつづき(あるいは、ある意味ではこれまで以上に)大切であると思っているので、この「興味深い話」でたちどまっておきたい。


養老孟司は、「聴覚と論理性」について、つぎのように語っている。


 …たとえば諄々と理屈を説いて聞かせる時は、証明が順繰りになりますね。それが論理ですから。論理というのは耳そのものです。目は耳とまったく違う性質を持っていまして、こちらは一目でわかる。だから、「百聞は一見に如かず」というんです。百聞の方は筋道立ててきちんと言う。対して目の方は「そんなの一目見たらわかるだろ?」と。
 …聴覚系が本来持っている性質が論理性です。目はそういう論理性を持っていません。だって、あるものがみんな目に入ってしまいますからね。…

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)

「百聞は一見に如かず」という諺がつかわれる文脈は、「見てわかること」が大切であることを語るようなところである。けれども、物事を理解するために、物事の「因果関係」(つながりかた)が重要であることへと、養老孟司は注意を向けている。

実際に、耳の聴こえない人は、因果関係の把握がむずかしいのだという。「疑問形」がわからないというのだ。

生まれつき耳が聴こえない子どもに「疑問文」を教えるためには、文章を「穴あけ問題」にして、<ブランクを埋める>ようにしてゆく。文章の「穴あき」は見えるから、それによって、「疑問」ということを教えてゆくようだ。

<疑問文というのは論理の基本>と、養老孟司は語る。

なお、対談相手である、作曲家の久石譲は、音楽は情動的なものだと思われているが、むしろ「音楽は論理性がたかいものなんだ」という考えをもっていると語ることについても、養老孟司は、音楽は論理的であると応答している。耳は、時間のなかを単線的に動いてゆくからである。

ほんとうに「興味深い話」である。(「音楽は論理的である」ということは、音楽のなかに組み込まれている「定量音符」という「標準化された時間」とも関連させてゆくことで、さらに興味深くなっていきそうだ。)


「興味深いけれど、だから?」と思うひともいるかもしれない。

ひとつ言えることは、聴くこと、<聴覚>ということを、生活のなかでもっと生かしていくことはできるだろうと思う(「世界をきく」。それだけで「世界」の奥行きが変わる。真木悠介はそう書いている。ぼくもそう思う)。

「オーディオブックや音声インタビューを聴く」ということをぼくが好きで、かつ有効利用してきたことには、聴くということの論理性があるのかもしれないと思ったりする。

そしてまた、<疑問文というのは論理の基本>と語られているように、「疑問文」を生かして論理をきたえる方法もいろいろにかんがえることができそうだ。

「方法」はいろいろにやってくる。まずは、「世界をきく」に、<穴をうがつ>のだ。

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「触ること・触覚」についてのメモ。<五感をとりもどす>こと。- 「KonMari Method」から、養老孟司、真木悠介まで。

片づけコンサルタントであるMarie Kondo(近藤麻理恵、こんまり)の「KonMari Method」という方法のひとつに、片づけで「残すモノを選ぶ基準」として、<触ったときに、ときめくか>という方法/基準がある。

片づけコンサルタントであるMarie Kondo(近藤麻理恵、こんまり)の「KonMari Method」という方法のひとつに、片づけで「残すモノを選ぶ基準」として、<触ったときに、ときめくか>という方法/基準がある。

そもそも、片づけでは「捨てる」ことにフォーカスしてしまいがちななか、本来、片づけでは「捨てるモノ」よりも「残すモノ」を選ぶことが大切であるという認識をベースに、その基準を、触ったときの「ときめき」におくこと。

モノを触ったときに、じぶんの身体にどのような反応があるか。心が「ときめく」か、どうか。「KonMari Method」の要の部分である。

この方法を知ったときには「なるほど、いい方法であり、いい基準だなぁ」と思った。今回観たNetflixのリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』のシリーズ(シーズン1)でも、アメリカの家庭の人たちがこの部分をどのように捉え、実践しているかは、ぼくが見るポイントのひとつであった。

ぼくの関心のおきどころは、人間のもつ<触覚>ということにある。

触覚はもちろんのこと、<五感をとりもどす>ということは、ぼくが「生きる」ということにおいての中心的な課題のひとつとしてありつづけてきたからである。


リアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』を観ていたころに、ちょうど読んでいた解剖学者の養老孟司と作曲家の久石譲の対談で、養老孟司はつぎのように語っている。


 現代人は全体的に感覚が鈍ってきていますが、五感の中で今一番軽視されているのは「触覚」ですね。都市というのは、触ることを拒絶している傾向があってね。コンクリートの壁、触る気になります?…
 生コンの剥き出しの壁なんて耐えられないでしょう。それから、屋外の手すりを金属製にするなんていうのも、とんでもない話。陽があたっている時に触ったら火傷しそうで、寒い時に触ったら手がくっついてしまう。手すりというのは人間が手で触るためのものなのに、安全性、耐久性だけでものをつくるとそういうことになる。… 
 触ることを拒否している構造物の中にいたら、ますますからだが置き去りにされる。現代文化はそうやってどんどん感覚から離れていく。…

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


養老孟司はこのように<触覚>をとりあげている(なお、触覚をとりもどすことの一環として「木の文化」の復権を、養老孟司は考えている)。

「KonMari Method」の<触ったときに、ときめくか>という方法(基準)は、この<触覚>という感覚にきりこみ、そこから<歓び(joy)>の感覚をとりもどすことを、その核心としている。


<五感をとりもどす>を、ぼく自身が「明確に」関心をもちはじめたのは、18歳のときからアジアを旅し、ニュージーランドに住み、そしてそれらの体験をことば化してゆく過程のなかで、真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年→ちくま学芸文庫、2003年)に出逢ったことがきっかけである。

『気流の鳴る音』のなかで、「われわれの文明はまずなによりも目の文明」であると真木悠介は述べながら、人間における<目の独裁>から感覚を解き放つことで、「世界」は違った仕方でぼくたちに現れることについて、書いている。


…<目の独裁>からすべての感覚を解き放つこと。世界をきく。世界をかぐ。世界を味わう。世界にふれる。これだけのことによっても、世界の奥行きはまるでかわってくるはずだ。
 人間における<目の独裁>の確立は根拠のないことではない。目は独得の卓越性をもった器官だ。

真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫


<目の独裁>の根拠にかかわることとして、真木悠介は「仏教における五根」の序列性を挙げている。仏教では五根を「眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)」というようにならべるが、この「配列」(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)が、とても自然であるように思われる。

そのことを指摘したうえで、五感を通じた「対象との距離」という視点で、上の配列(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)は、「対象を知覚するにあたって主体自身が変わることの最も少なくてよい順」だろうと、とても興味深いことを真木悠介は書いている。

「視覚」は、対象からもっとも距離をおくことができ、対象を認識するうえで主体が身を賭することを最小にすることができる。「触覚」は、主体が身を賭することなしに、対象を知ることができない。

屋外の金属製の手すりは、陽があたっているとき、視覚では「熱そう」であるのにたいし、触覚では「熱い」となる。「熱そう」と「熱い」のあいだには、主体が賭することの程度のひらきが横たわっている。

こうして主体が身を賭することを最小にしながら「危険」を回避しつづけ、いつしか、「目の独裁」が生活のすみずみまでいきわたることになる。「目の独裁」は、ぼくたちの「感覚(センス)」を鈍らせ、ぼくたちが感覚する「世界」を狭めてしまう。

養老孟司のことばを繰り返せば、「ますますからだが置き去りにされる」ことになる。


だから、<触ったときに、ときめくか>という、とてもシンプルな方法は、生きかたを変えてゆく起動装置を、その核心にそなえている。

でも、核心にそなえているだけであって、それを起動してゆくのは、それぞれの個人である。

「目の独裁」はとても強力なので、<触ったときに、ときめくか>という方法を採用して片づけをはじめても、気がつけば、目で判断しているなんてこともおきてくる。

そんな状況にも笑いながら、「世界にふれる」を、もっと日々のなかにとりこんでゆく。そしてまた、「世界をきく」「世界をかぐ」「世界を味わう」ことをひろげてゆくことで、「世界」の奥行きは変わってゆく。ぼくはそう思う。

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身体性 Jun Nakajima 身体性 Jun Nakajima

「動物に脳がつくられた理由」について。- 養老孟司先生に「耳」を傾ける。

「脳がつくられた理由」。なんだろう。そう聞くと、さらにその先を聴きたくなる。

「脳がつくられた理由」。なんだろう。そう聞くと、さらにその先を聴きたくなる。

養老孟司は、つぎのように、持論を語っている。


…動物に脳がつくられた理由というのは、遺伝子レベルでは間に合わないことをするためなんじゃないかと思います。…つまり、環境に適応するために。昆虫を見ているとよくわかりますよ、あいつら、ものすごく頭が固い……。

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


時間があればいつも虫取りをしていて、虫を知り尽くしている養老孟司は、虫の行動が「段階的」であることを説明している。虫たちは、前の「行動が完了した」という情報が入力されると、次の行動が誘発されるというようになっていて、行動の途中で想定外のことがあっても行動を変えることはない(変えることができない)。むろん、一切反省もしない。


 生物というのは、最初はそうやって、段階的な行動をするようにできているんですね。おそらく遺伝子的なもので決められていた、いわゆる「本能」というやつはそういう行動しかできなかった。
 それを人間は脳を大きくしたことで、人間だけでなく哺乳類なんかそうですけど、「学習」ということをする。学習というのは、その時の状況に合わせて行動を変化させる。
 それをどんどん進化させていったのが人間です。脳がものすごくフレキシブルな行動ができるようになったことで、逆に何でもありみたいになってきた。…

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


「何でもあり」の世界が脳によってつくられることで、社会は「脳のルール」で規定され、いわゆる<脳化社会>になる。都市のように、自然(身体)を排除しながら、頭だけで構築される。そのような「都市」が隆盛しているのが、この近代・現代社会という、ぼくたちが住んでいるところである(実際に「都市」に住んでいなくても、そのような社会構造のなかにいることに変わりはない)。

最初に戻ると、そのような「脳がつくられた理由」が、環境適応のために、遺伝子に任せておくことができないから、ということである。遺伝子に任せておけないから、別につくられたもの、それが「脳」である。こう、養老孟司は考えている。

「面白いですね」と、この話を聴いている作曲家の久石譲が言葉を発出しているが、やはり面白い。


この対談を読んでいたとき、ぼくは、ちょうど、似たようなことを考えていた時期であった。

人間におこる恐怖や心配などの感情シグナルは、じぶんを守るためでもあるけれど、それはほんとうに「危険」にかこまれていた、はるか昔のものであって、今を生きている人たちの多くにとっては「過剰シグナル」である、と。でも、過剰シグナルをそのままに受け取って、恐怖や心配であることにつきうごかされて、人は行動してしまったりする。

身心の適応スピードと環境変化のスピードとのあいだの乖離がますます大きくなってきていることを、ぼくは考えていたところであった。

この文脈で語るのがよいかはわからないけれど、この「乖離」をうめるものとして「脳」がある。養老孟司の語りを読みながら、ぼくは、いったん、そのように置いてみることにしたのだ。いろいろと細かいところはもっと考えないといけないと思いつつ。

それにしても、ますます大きくなる身心の適応スピードと環境変化のスピードとのあいだの乖離を、どのように生きていくのか、ということが、この先にある問いである。

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