ブルーオリジン社の月着陸船「Blue Moon」。- 「Blue Moon」のイメージ動画を観て。 / by Jun Nakajima

「宇宙」が注目され、そこにたくさんの夢がつめられている。今月前半だけ見ても、日本のインターステラテクノロジズ社のロケットが打ち上げに成功し、それから、米アマゾンのジェフ・ベゾス率いるブルーオリジン社の月着陸船「ブルームーン(Blue Moon)」が発表された。

ぼくも小さい頃から「宇宙」が好きであるから、このような出来事にワクワクしてしまう。そんな気持ちや感情がどうして、どのように湧いてくるのかはよくわからないのだけれど。


「It’s time to go back to the Moon, this time to stay」(月に戻るときがきた。今回は滞在するんだ)と、ベゾスは発表イベントで語った。

月着陸船「ブルームーン」は、月の表面に相当量の装置や器具を届けることができる。月面への着陸はソフトで、人がいても可能だという。もちろん、「宇宙ビジネス」が視野に入れられていて、ブルーオリジン社のサイトの「Blue Moon」ページの下には、連絡先(Email address)が記載されている。

ブルーオリジン社は「Introducing Blue Moon」と題されたイメージ動画(1分46秒)を公開し、そのイメージ動画はぼくたちをワクワクさせてくれる。とてつもなく「新しいこと」をするときには、ビジョンを映像の形で創りだし、共有する仕方は、効果的でもあるだろう。実際にプロジェクトに関わっている人たちはもちろんのこと、そこに期待をよせる人たちまでを含めて、そこに「共同幻想」ができあがるのだ。


月着陸船「ブルームーン」の月着陸イメージの動画を観てワクワクしながら、それと同時に、ぼくのまなざしは、月の表面からはるか先に見える「地球」に向けられたのであった。岩や石やクレーターに囲まれた月の表面を鏡としながら映し出される、美しい青い惑星。水があり、木があり、生き物たちが暮らす地上。


宇宙に解き放たれながら、この小さな惑星、地球の内部に折り返すという「宇宙から折り返す視線」を、見田宗介(社会学者)は人類の課題として提示している。


 ダンテの時代に人びとの目はひたすら<天上>へと向けられていた。それは人類が、じっさいに天に昇ったことがなかったからである。今人類はじっさいに天に昇って、そこに天国はないことを見た。このとき人間を虚無から救うのは、宇宙飛行士が視線を折り返したときに見た<青い惑星>の美しさということだけである。
 地上こそ美しいのだと。
 「先にはもう宇宙しかない」断崖にまで来てしまった人類は、<折り返し>の場所に立っている。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


人類はじっさいに天に行って、そこに「天国」がないことを見たけれども、そこに「宇宙ビジネス」の可能性を見出している。「資源」という名の天国である。環境・資源問題に直面する地球を見据えながら、それを乗り越えてゆくためのさまざまな「資源」の可能性をいわば<救世主>として見ている。

現在の地球の抱える問題の解決には、この「方向性」は確かにひとつの方向性である。

けれども、見田宗介のもうひとつのことばに、耳を傾けておきたい。


 環境容量をむりやりにでも拡大しつづけるという強迫観念は、経済成長を無限につづけなければならないというシステムの強迫観念から来るものである。あるいは、人間の物質的な欲望は限りなく増長するものであるという固定観念によるものである。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)


「宇宙」は夢をひろげるフィールドである。それは、人びとをワクワクさせてくれる。けれども、そこにわきあがる「欲望」については、立ち止まって、一歩二歩さがってから、じっくりと見なおすこと。そこから見えるもの、感覚されるものに降り立って、さらにじっくりと考えてみること。

「月面」への着陸船はとても魅力的だけれども、ぼくたちの「内面」への着陸船、またこの地球への今一度の<着陸船>も、今現在必要とされているものだと、ぼくは思う。