雑誌「旅行人」(編集長・蔵前仁一)の宇宙。- 旅の「ディープな世界」への案内。 / by Jun Nakajima

20年以上も前のこと、ぼくが大学生の頃、大学の夏休みにぼくは旅をした。

バックパックを背負っての海外一人旅、いわゆる「バックパッカー」の旅であった。

ぼくの心持ちとして、あるいはささやかなスタンスのようなものとして、「バックパッカー」と言い切れないようなところがあるけれど、第三者から見たら、それは「バックパッカー」以外の何者でもなかったと思う。

初めての海外への旅は横浜からフェリー「鑑真号」に乗って向かった中国の上海で、その旅ではその後、西安から北京、北京から天津、天津から神戸と旅をした。

翌年には、この文章を書いているここ香港から入り、広州そしてベトナムという旅であった。

その次の年はワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに住み、帰ってきた年の夏には、タイ、ミャンマー、ラオスと旅をした。

タイのカオサン通りの小さなレストランでは、テレビのニュースが、アジア通貨危機の到来、それからダイアナ妃がこの世を去ったことを伝えていた。

 

旅をすることの楽しみのひとつは、旅を練り、計画し、想像することにあった。

当時、旅のガイドとしては「地球の歩き方」は一般的な観光旅行のためという認識のもと、バックパッカーにとっては、英語の「Lonely Planet(ロンリー・プラネット)」が世界的に読まれており、また日本語のものとしては雑誌「旅行人」が独特のポジションを獲得していた。

東京の新宿の紀伊国屋書店でも、「旅行人」のコーナーが独特の雰囲気を醸し出していたものだ。

「旅行人」の存在は、旅好きな友人が教えてくれたように記憶している。

雑誌は、インドやアフリカなど、世界のディープな旅を扱い、安宿や出入国の状況(陸路による国境越えなど)の情報、また旅のおもしろい/ありえないような話が紙面に所狭しといっぱいにつまっていた。

雑誌「旅行人」の編集長は蔵前仁一(文書書き、編集者、グラフィック・デザイナー、イラストレーターおよび出版社社長)、著書『ゴーゴー・インド』などで知られていた。

雑誌「旅行人」で情報を得ながら、その不思議な「宇宙」にひたっていると、無性に旅に出たくなるのだった。

 

「旅行人」のことを、ふと思い出し、グーグルで検索をかける。

すると、なんと「旅行人」のホームページがあるではないか。。

「まだ続いているのか」という驚きと嬉しさで、サイトを探索する。

読んでわかったことは、雑誌「旅行人」は、2011年12月に、165号をもって休刊となったということ。

しかし、2017年9月、休刊から5年9ヶ月後、雑誌「旅行人」は1号だけ(つまり166号だけ)が復刊されている。

その名も、「インド、さらにその奥へ《1号だけ復刊号》」。

なにはともあれ、雑誌「旅行人」のホームページがあり、蔵前仁一編集長はご健在で、今も、いわば「異世界への旅」に出る(あるいはその周辺で集う)人たちがいることに、ぼくの心はおどる。

 

前身の「遊星通信」から数えて20年以上もやってきた「旅行人」の休刊の経緯については、蔵前仁一は著書『あの日、僕は旅に出た』(幻冬舎)のなかで、蔵前仁一の半生とともに語られている。

 

…アジア・アフリカを長く旅したときにイメージしたことはだいたい実現した。インターネットも登場し、長い旅をするバックパッカーも減ってきているというし、体力も続かなくなった。そろそろ潮時かな。
 僕はそろそろ「旅行人」を休刊しようと思うようになった。
 …二年ほど、ぐずぐずと迷い、…そして、ようやく休刊すると決めた。
 それはフリーの仕事をいったんやめて、旅に出たときの心境とも似ていた。あのときも、旅から帰国後どうするかなにもわからなかった。だが、それをやめたことで新しい道が開かれたのだ。…また新しいなにかが始まるだろう。

蔵前仁一『あの日、僕は旅に出た』幻冬舎

 

1956年生まれの蔵前仁一も60歳を超えている。

蔵前仁一の人生を変えた、1982年の「インドへの旅」からも30年以上が過ぎている。

その間に時代も変わり、蔵前仁一の言うように、長い旅をするバックパッカーも減ってきているのかもしれない。

インターネットの世界は世界の距離感を極端に短くし、「旅のあり方」のようなものを、その内実において変えてきているように思われる。

けれども、雑誌「旅行人」が体現していたように、「旅」は、旅の仕方によっては、ディープな世界に入っていくことができる。

それはさしあたり「世界のどこ」ということでもあるけれど、より深いところにおいては、じぶんと世界のつながり方や(旅の)経験の仕方にあるように、ぼくは思う。