ぼくは昨年、「フレキシタリアン」になった。- 身体の欲求にみちびかれながら。
昨年(2019年)、ぼくは「フレキシタリアン(Flexitarian)」になった。「フレキシタリアン」と聞いて、なんのことかおわかりだろうか?
昨年(2019年)、ぼくは「フレキシタリアン(Flexitarian)」になった。「フレキシタリアン」と聞いて、なんのことかおわかりだろうか?「Flexible + Vegetarian」で「フレキシタリアン(Flexitarian)」。そんなことばがあるなんて、ぼくは知らなかった。「セミ・ベジタリアン」という言い方もされている。つまり「準菜食主義者」というわけだ。(ほかにも、食べるものの範囲によっていろいろな呼称がある。お肉は食べずにお魚は食べる「ペスカタリアン」など。)
どのくらい(例えば一週間にどのくらい)菜食を通すと「フレキシタリアン」と呼ばれるのかの基準はないし、ベジタリアン側から言えば「フレキシタリアンはベジタリアンではない」というスタンスがあるようだけれど、ぼくにとってはとりあえず細かい基準は大切ではない。まずはぼくの身心の「歓び」が大切なのだ。
ぼくを惹きつけたのは「Flexible(柔軟な)」というあり方であった。菜食主義であるベジタリアン(Vegetarian)、さらに徹底したビーガン(Vegan)などにも惹かれるけれど、外食時の都合や便利さなどもあって、なかなかふみきれずにいたところ、菜食を基本としながらときには肉や魚を食べるという「フレキシタリアン」に、ぼくはひとまずおちついた。
アジアの国々においては外食を「ベジタリアン」で通すのはむずかしい。近年だいぶ関心がたかまってきて、お店も増えてきているとはいえ、いつも「同じ店舗・レストラン」に行くのならまだしも、そうでない場合、ビーガンやベジタリアンをつらぬいてゆくことはやはりむずかしい。
でも、ぼくが「フレキシタリアン」に舵をきることができたのは、台湾においてであった。昨年台北に滞在しているときのこと。あるとき、ぼくと妻は、台湾に「(広義の)ベジタリアン」向けビュッフェ式レストランがいたるところにあるのを発見することになる。じっさいに行って食べてみて、すっかり気にいってしまったのであった。メニューの種類は豊富、食べる分だけの料金(手ごろな料金)で、ごはん(orお粥)とスープは好きなだけ食べることもできる。香港や日本にも、こんなレストランがあるとよいのになぁと思いながら、ぼくたちは「ベジタリアン」への道にいよいよふみだした。
けれども、その後、香港や日本を行き来していたなかで「ベジタリアン」を通すことのむずかしさを感じたのであった。また不便さもさることながら、菜食についての知識や経験が少なかったから、ひとまずは「肉や魚はなるべく減らして、食べるにしてもサイドディッシュ程度にする」という地点に軟着陸することを模索していた。そんなおりに「フレキシタリアン(Flexitarian)」ということばとスタイルを知り、ぼくたちの「軟着陸」が、うまい具合にことば化されることになったのであった。
ところで、ぼくは急に「フレキシタリアン(Flexitarian)」に目覚めたわけではない。これまでにマクロバイオティックを本で学んだり、リトリートの旅館ですてきなビーガン料理に出逢ったり、身体が肉をあまり欲しなくなったりという、いくつかの導線が並行するなかで、台湾でのビュッフェ式ベジタリアン(素食)をきっかけに、「フレキシタリアン」に舵をきることができたのだ。そして、その直前に、ぼくが「ミニマリスト(エッセンシャリスト)」へと生きかたのスタイルをぐっと変換させたことも間接的に影響しているのだと、ぼくは思う。
それから、もともと、食べることにおいての「主義」を明確にもっていたというわけでもない。ぼくの身体の要求(非要求)にしたがったと言うほうがより実情にちかい。でも、いつからか、動物のことをかんがえることにはなっていたし、環境への配慮もおおきな関心のひとつであった。
動物や環境の配慮がまずあって、そのために自分の行動を抑制したというわけではなく、ぼくの行動をじぶんの欲求(歓び)を徹底してゆくことで、道がひらかれた。言ってみれば、ぼくの身体がこころよく向かってゆく方向に、動物や環境への負荷が(少なくともいくぶんかは)解き放たれてゆく方向が重なる。そんなふうにぼくはとらえている。
「フレキシタリアン」への舵をきってから半年ちかくが経とうとしているが、いまでは身体が菜食にすっかりとなじんでいる。お魚やお肉をほぼ欲しなくなった。外食時にレストランを選ぶとき、選択肢がぐっと狭まったことは、逆に「選びやすくなった」というふうに感じる。メニューを選ぶときも、たくさんのメニューから「選びやすくなった」とも言える。お魚かお肉を選択するしかないときは通常お魚を選び、いのちをありがたくいただく。そして家で菜食料理をするときは、まだいろいろと実験中である。
こんなふうにして、ぼくは「フレキシタリアン」になり、「フレキシタリアン」のライフスタイルをたのしんでいる。
追記(後日談):
「食」については、このブログを書いたあとも、探究は延々と続いている。いろいろな事情のなかで「食」の世界の深さに、ぼくは足を踏み入れてしまったようだ。いま(2020年9月初頭時点)では、ぼくはある意味で<フレキシタリアン>だけれど、より一般的な意味での「フレキシタリアン」ではなくなっている。つまり、「準菜食主義者」というほど「菜食」をメインにしていないかもしれない。けれども、引き続き、野菜を中心にメニューを組み立てている。大きな理由のひとつに、プロテインの一種に肉類等からしか取れないものがあるからだ。けれども、それ以前にいったんベジタリアンのベクトルにぐいーっと食を変えてみたことは、とてもよかったと思っている。「一度なくしてみる」という体験は、思っている以上に、ぼくたちに「何か」を与えてくれる。なにはともあれ、ぼくの「食の旅」は継続している。大切なことは、食に関する「定説」を疑ってみること。「あたりまえのこと」を「あたりまえではないこと」として見ることである。このあたりの経緯については別途ブログで書く予定である。
<自明性の罠からの解放>(見田宗介)。- 生き方の方法論の一つとして。
「あたりまえのもの」を、<あたりまえではないもの>として見ていくこと。社会学者の見田宗介は、この方法論を、社会学のキーワードとして、<自明性の罠からの解放>という言葉で表現している。
🤳 by Jun Nakajima (Hong Kong)
「あたりまえのもの」を、<あたりまえではないもの>として見ていくこと。
社会学者の見田宗介は、この方法論を、社会学のキーワードとして、<自明性の罠からの解放>という言葉で表現している。
自分自身を知ろうとするとき人間は鏡の前に立ちます。全体としておかしくないか、見ようとするときは、相当に離れたところに立ってみないと、全体は見ることができない。自分の生きている社会を見るときも同じです。いったんは離れた世界に立ってみる。外に出てみる。遠くに出てみる。そのことによって、ぼくたちは空気のように自明(「あたりまえ」)だと思ってきたさまざまなことが、<あたりまえではないもの>として、見えてくる。
社会学における「比較」という方法を語りながらも、見田宗介は「社会学」という学問に閉じ込めるのではなく、ぼくたちの「生き方の方法論の一つ」とする視野で語っている。
ブログのタイトルに付す「世界で生ききる」ということの内実の一つとして、この方法論を、ぼくは明確に意識している。
アジア各地への旅を通じて、ニュージーランドでの生活を通じて、シエラレオネと東ティモールでの支援活動を通じて、それからここ香港での仕事と生活を通じて、ぼくは「あたりまえのもの」だと思ってきたこと・してきたことを、<あたりまえではないもの>として、いわば鏡の前に立ち「鏡の中のじぶん」を見つめ、見直してきたわけである。
最近思うのは、「あたりまえのもの」だと思っていることや「身」についてしまっていることは、幾層にも重なっていることである。
そしてまた、それらはいろいろなものやことに広がっている。
日本的な考え方や動作であったり、家族的な癖や習慣であったり、さまざまだ。
気づいて見直して、変えたと思っていたら、また別の層や別のところで、その「あたりまえ」がふとした機会に現れる。
そんなことを繰り返しながら、<自明性の罠からの解放>を、引き続き現在進行形で生きている。
見田宗介のより強い関心は、「近代と前近代」との比較にあり、そのことを踏まえた上で、次のように語っている。
…異世界を理想化することではなく、<両方を見る>ということ、方法としての異世界を知ることによって、現代社会の<自明性の檻>の外部に出てみるということです。さまざまな社会を知る、ということは、さまざまな生き方を知るということであり、「自分にできることはこれだけ」と決めてしまう前に、人間の可能性を知る、ということ、人間の作る社会の可能性について、想像力の翼を獲得する、ということです。
現代社会における各社会間の比較よりもいっそう深い「異なり」を示す「前近代と近代」を比較することで、いっそう高く飛ぶための<想像力の翼を獲得する>ことが、見田宗介の仕事にかけられてきた。
共同体と市民社会とコミューン、お金、時間、自我・身体といった、根底的な見直しである。
そして、この視野と視点が、「近代(また現代)」の後にくる次なる時代を構想し、向かうために、決定的に大切である。
【後記】
見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)については、下記ブログを書きましたので、あわせてお読みください。