「平成」の半分ほどを海外ですごしてきて。- 「日本」との<距離>のなかで。 / by Jun Nakajima

「昭和の終わり」の記憶を、ぼくはかすかに自分のなかに残している。中学生だったぼくは、その日、体育館に集められ(ここは記憶が定かではないのだけれど、もしかしたら、体育館に集まっているときに)、天皇崩御が伝えられた。それから「平成」がはじまった。

そののち、ぼくは平成の時代の半分ほどを、日本の外(海外)で過ごすことになった。海外で暮らすようになって、ときおり、今が「平成」の何年なのかわからなくなったものだ。だからといって、「平成の時代」から無縁であったわけではない。海外に出てからも、さまざまな回路をつうじて、ぼくはやはり「平成」を生きたのだとも言える。

海外で暮らすようになって、ぼくは、物理的に「日本」と距離をとることになった。物理的に距離をとりながら、精神的にも「距離」をおくことができたのだけれど、他方で、ある種の距離をおくことが、むしろ、ぼくを「日本」や「日本人」という対象に近づけることにもなったのだと、振りかえりながらぼくは思う。

日本や日本人という対象に近づくということは、いわば、ぼくの心身に刻印された「日本なるもの」へ近づくということでもある。物理的な「日本」から距離をおくときに、内面の「日本なるもの」がより鮮明になってくる。これまで「あたりまえ」だと思っていたことが<あたりまえではないもの>として現れてくるのである。

そのプロセスにおいては、心身に刻印されている「あたりまえ」がある意味で「正しい」ものだとして感じられたり、考えられたりすることもあるのだけれど、「何か」をきっかけに、あるいはオープンマインドによって、その「正しさ」の窓に穴がうがたれてゆくことがある。あたりまえに「~すべきである」だと思っていたことが、「~することもできる」というような選択肢のひとつになる。

たとえばそんなふうにして、より客観的に「日本なるもの」を視ることができるのである。


「元号」のこともそうだけれども、「天皇制」にしてもそうである。

以前は正面から見ようとしてこなかったことがらを、正面から見てみようと思ったりする。ある程度の「距離感」が、ぼくにそんな気持ちをおこさせるのである。これまでにいろいろな国に住んだり、旅したりするなかで、それぞれの土地における共同体として暮らしていく「感覚」のようなものをほんの少しは感覚してきて、「比較」するための拠点がぼくの内面にできたということもある。さらには、異文化の人たちに尋ねられることもあるから、自分なりの説明ができるようにしておこう、という気持ちもある。

そんなふうにいろいろな状況や条件がかさなり、自分の気持ちがあって、これまで見てこなかったことがらに分けいってみたくなったのだ。

そんなときに、その思想と感覚を信頼する内田樹の著書『街場の天皇論』を読みはじめて、教えられ、また考えさせられた。ぼくの静かな「対話相手」にもなってくれた。


2016年の天皇の「おことば」に触れながら、内田樹はつぎのように語っている。


 日本国憲法下における立憲民主制と天皇制の併存という制度が将来的にどういうかたちのものになるのか、1947年時点では想像もつかなかった。その制度が今こうしてはっきりとした輪郭を持ち、日本の社会的な安定の土台になるに至ったのには、皇室のご努力が与って大きかったと私は思います。天皇制がどうあるべきかについての踏み込んだ議論をわれわれ国民は怠ってきたわけですから。
 しかし、国民が議論を怠っている間も、陛下は天皇制がどういうものであるべきかについて熟考されてきた。「おことば」にある「即位以来、私は国事行為を行うとともに、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」というのは、陛下の偽らざる実感だと思います。そして、その模索の結論が「象徴的行為を果たすのが象徴天皇である」という新しい天皇制解釈でした。…

内田樹『街場の天皇論』(東洋経済新報社、2017年)


「象徴的行為」と言われるのは鎮魂慰霊の旅で、これが最重要の仕事だと言外に宣明したのだと、内田樹は語っている。そのうえで、高齢によりその最重要の務めが十分に果たせないことが退位の理由だということである。

この他にも、さまざまなポイントと論点が提示されている。

もうひとつだけふれておくと、「立憲民主制と天皇制の併存・両立」ということについて、昔はこの二つが「両立しない」と思っていた内田樹は、今は「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が政体として安定しており、暮らしやすいのだ」と考えているという。一枚岩よりは、中心が二つある「楕円的」な仕組みの方が生命力も復元力も強く、天皇制はその焦点のひとつだというのだ。

興味深い指摘であるし、いろいろな他の国などを経験してみると、感覚としてわかるような気もする。


こんなふうにして得た「視点」で、海外のメディアがどのように報じているのかを、ここ香港でニュース記事を読んだりしながら、平成から令和への「とき」をすごしている。