香港, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で、「静けさ」を確保する3つの方法 - 人混みに疲れたときに。

香港は、活気と躍動感に充ちたところである。どこにいっても人の流れがあり、人混みが香港のエネルギーをつくりだしている。...Read More.

香港は、活気と躍動感に充ちたところ
である。
どこにいっても人の流れがあり、
人混みが香港のエネルギーをつくり
だしている。
そんな空間にいると、
「香港にいるなあ」と香港を感じる。

ちょっとした旅行で香港にくるときは、
このパワーをもらって帰国したりする。
しかし、香港に住むとなると、この
人混みに、時に疲れてしまうときが
ある。

10年前に香港にきた当初は、
この人混みにやられてしまった。

香港にくる前に住んでいた東ティモー
ルは、(当時)信号もない国で、
人混みには程遠い場所であったことも
ある。

ぼくは「静けさ」を確保するための
3つの方法をとってきた。

 

(1)「時間差」を利用する

世界の都会はどこもそうだけれど、
「ラッシュアワー」は混む。
電車にはじまり、レストランも
人にあふれる。

だからシンプルに時間差を利用する。
特に「早めに」何かをする。

朝早く起きる。
週末のお昼は11時にとる。
週末の夕食は18時にとる。

都会は「夜ふかし」である。
だから、早めをこころがける。

 

(2)「中心」を避ける

香港は、都会が中心に向かって
密集しているような空間である。

ビジネスはその店舗などを、
その密集した中心に集結させて
いく。
小売やレストランにとって
場所は致命的なほど重要である。
ショッピングモールに人は集まっ
たりする。

この「中心」を避けていくことで
静かな空間をみつける。

また、香港の人たちの多くは、
便利を好む傾向にあり、「遠く」
の場所はすいている。

 

(3)「自然」にふれる

都会の香港だけれど、
実は自然にかこまれている。

海も山も、近くにひろがっている。
海のスポーツも、トレッキングも、
機会が大きくひらかれている。

だから、自然を活用しない手は
ない。

週日は仕事が忙しい場合でも、
週末にはこれら3つの方法をとる。

また、週日にも、ちょっとした
「静かな時間」をもつ。

その静かな時間と空間の中で、
「ほんとうに大切なこと」を考える。

自分軸の「ぶれ」を見つめて直す
ために、また、生きていくことの
舵を切るための「一人作戦会議」を
するために、ぼくは、そんな時間と
空間を重宝している。

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「天気がいい/悪い」と、言わないように。 - 自分の中に「地球」を描く。

「天気がいい/天気が悪い」と言わないこと。ぼくはこう決めるけれど、個人史の中で、身についた価値観と感覚を入れ替えることは容易ではない。...Read More.

「天気がいい/天気が悪い」と、言わない
こと。
ぼくはこう決めるけれど、個人史の中で、
身についた価値観と感覚を入れ替えること
は容易ではない。
ここ香港で、ついつい、晴天を待ち望んで
しまう。
気象庁に相当する「香港天文台」も、来週
頭から「天気は回復する(improving)」
と天気予報をつげている。週末は天気が
悪くなる。

天気がいい/悪いという分岐線は、
・晴天がよいこと
・雨天は悪いこと
という価値観を前提にしている。

世界の色々な国・地域を旅し、住み、移動
していくと、雲や雨の大切さが身にしみて
くる。

途上国で仕事をしているときは、
雨がもたらす「水」の有り難さにふれる。
日々の生活につかう水から、農作物が
育つための水。
シエラレオネの井戸水は、雨水が地層に
しみこんで濾過された水である。
東ティモールのコーヒーの木たちが、
コーヒーの実をむすぶために雨の役割は
大きい。
雨がふらないと、水不足で、コーヒーの
精製はもとより、生活水にもこまる。
マレーシアのクアラルンプールでは、
雨がふらないため、断水の時期がある。
ぼくは都会での生活にもどると、水の
大切さ、雨の有り難みがうすれてしまう。

人類は「自然から自立すること」で
文明と近代・現代を築いてきた。
そして「都市生活」が全域化してきたのが
近代であり現代である。
人類は、自然から自立し、しかし
同時に自然が疎遠になり、自然から疎外
される。

「水道」というツール・道具は、
自然からの自立を可能にしてくれた。
しかし、水道水を「当たり前」として
享受する人たちは、水は道具でしかなく
水という自然から疎外される。

現代とこれからの「いまだ名づけられない
時代」は、この自然からの疎外という
関係性を変えていく時代である。

宇宙を舞台にする数々の映画がつくられて
いる。
クリストファー・ノーラン監督の映画
『Interstellar』、マット・デーモン主演
の映画『The Martian』などなど。
それらの映像がぼくたちに感じさせてくれ
るのは、宇宙や他の惑星という視点から
折り返される「地球の美しさ」である。

地球の美しさには、晴天も雨天も、すべて
が内包されている。

宇宙という視点から折り返される「地球」。
世界の様々な国・地域に、様々な仕方で
住む人たちが織りなす「地球」。
ぼくは、そのような風景と感覚を、
自分の経験を媒介にして、自分の中に
とりこんでいく。
イマジネーションを働かせ、自分の内奥に
美しい地球を描いていく。

そのようにして
「天気がいい/悪い」という言い方、
そしてその言い方を支える前提と価値観を
少しずつだけれど解体し、新たな「何か」
を自分の中で生成させていく。

人間の「外部の自然」との関係は、
人間の「内部の自然」(人間の心やマイ
ンド)と、確かにつながっているのだから。

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香港で、「コーヒーの定点観測」をしてきて - 香港の「コーヒー事情」雑記。

香港に移ってきた2007年。当時、美味しいコーヒーが見つからなかった。...Read More.

香港に移ってきた2007年。
当時、美味しいコーヒーが見つから
なかった。

2007年香港に居住を移す前、
ぼくは東ティモールでコーヒー事業
に従事していた。
コーヒーの苗木つくり、コーヒーの
精製、コーヒーの輸出、それから
コーヒー生産者組合の組織化にわたる
まで、字義通り、日々奮闘した。

東ティモールでそれまでつくってきた
「スペシャリティ・コーヒー」の世界
から、「インスタントコーヒー」が
デフォルトの香港に、ぼくは移ってきた。
その落差は、個人的には大きかった。

それ以来、香港で美味しいコーヒーを
追い求めて「コーヒーの定点観測」を
してきた。

香港のコーヒー事情について、
雑記として、ここに書いておきたい。

 

(1)香港におけるコーヒー事情

ここ5年程で、香港のコーヒー事情が
一気に変わってきた。

次の3つの点からコーヒー事情を考えて
みたい。

  1. コーヒーの品質
  2. カフェ文化
  3. 物語としてのコーヒー

10年前、コーヒーといえばインスタント
コーヒーであった。
そして、ミルクコーヒーである。
もちろん、そうでないコーヒーもあった
が、品質(豆・焙煎など)が相当に
低かった。

ここ5年ほどで、そのコーヒー事情が
一気に変わってきている。

ぼくの経験としては「Holly Brown
Coffee」が香港のセントラルに店を
出したあたりから、事情が変わってきた。
Holly Brownは、店舗内に焙煎機をかまえ
良質なコーヒーをとりいれていた。
開店当時はヨーロッパから専門家を
招いていた。

この時期と同時期に、香港でカフェ文化
が根づいていく。
どこにいっても、新しいカフェができて
いく時期にはいる。

カフェがふえていくと同時に、
コーヒーの品質も全体的にレベルがあが
ってきた。
コーヒーの品質がカフェ文化と併走して
きたのだ。

カフェ文化は「かっこよさ」を装い、
ファッショナブルに浸透していく。
カフェで働くバリスタも、かっこいい
仕事として物語を形成していく。

テレビドラマではカフェとそこで働く
人が描かれる。
書店では、コーヒーやバリスタの
書籍がフロントにおかれる。

コーヒーやカフェ文化は、人々の
人生の「物語」にとりこまれていく。

 

(2)香港とコーヒー

香港とコーヒーの関わりについて、
次の3つの点を記しておきたい。

  1. 異文化許容度の高い香港
  2. コーヒービジネス
  3. 空間活用としてのカフェ

コーヒー文化およびカフェ文化の浸透
は、香港の「異文化の許容度」が寄与
している。

許容度をささえる軸のひとつは、
ビジネスである。
「儲かるビジネス」は、香港では
一気に浸透していく。
香港でのコーヒーの「値段」は、
世界でもかなり高い。
香港での「Start-Upビジネス」も
この流れに加わることで、文化が
形成されてきた。

そして、香港でのコーヒーショップは
何よりも「場所の提供」である。
空間の余裕がない香港では、コーヒー
ショップは活動の場である。
一人で勉強する場であり、家庭教師が
勉強を教える場であり、保険の契約を
する場である。

 

(3)香港経済社会的発展とコーヒー

香港のコーヒー文化(そしてカフェ文化)
の浸透は、香港の経済社会の発展に相応
している。

リーマンショックの影響を、人々の生活
レベルでは
あまり受けなかった香港。
2010年代は中国大陸の発展と相伴って
経済社会が発展してきた。

面白いことに、コーヒーの浸透は、ワイン
の浸透とも併走してきたように見える。
香港は5年ほど前から、中華料理の食卓に
赤ワインが日常化してきた。

また、カフェ文化の浸透は、
ケーキ類の品質向上にも影響してきた。

以上、香港の「コーヒー事情」を、
雑記として、書いてきた。

個人的には、コーヒーの品質はもっと
高くなってほしい。
ブラックコーヒーを好む人は少ないため
そこのブレークスルーはむずかしい。
ハンドドリップコーヒーを提供する
ショップもでてきているが、需要は
少ない。

ハンドドリップ技術も高くない。

それにしても、世界どこにいても、
文化の「定点観測」は、ぼくたちの生を
豊饒にしてくれる。

追伸:
香港で、東ティモールのコーヒーを
提供しているカフェを見つけた。
日本人経営で、コーヒーは日本からで
あった。
香港人の店員さんに、その東ティモール
コーヒーが日本のどこからきているか
聞いてみたが、わからないとのことで
あった。
ぼくはハンドドリップでオーダー。
そこには、東ティモールの香りと味が
確かに感じられた。

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香港で、麺にさそわれて - 「車仔麺」にみる文化。

香港の陽光にさそわれると、今度は、香港の麺がぼくをさそった。知る人ぞ知る「車仔麺」の有名店に足を運ぶ。...Read More.

香港の陽光にさそわれると、
今度は、香港の麺がぼくをさそった。

知る人ぞ知る「車仔麺」の有名店に足を運ぶ。
「車仔麺」の歴史は1950年代に遡ると言われ
昔の屋台麺である。
今でこそ、屋台ではないが、香港のいたる
ところで食すことができる。

広東語が話せない場合、「少し困難」なのは、
オーダーのプロセスである。
麺、スープ、具を、細かくオーダーするため
である。
「セット」のメニューもあるが、やはり細かく
選びたい。

ぼくは「単語発音+ジェスチャー」勝負の
広東語で、麺と具材をオーダーしていく。

具材は、肉のあらゆる部分、野菜、卵、
ソーセージなど多種多様である。

ぼくは、野菜を中心にまとめ、
卵焼きを添え、香港式のホットミルクティー
を頼んだ。

自分で頼みながら、香港の食文化の多様性に
改めて感心してしまう。

「車仔麺」は具材はありとあらゆるものが
取り入れられる。
ミルクティーと麺の取り合わせも、日本に
いたらしないだろうなと、客観的に考える。

張競氏の「中華料理の文化史」の一節が
その背景を語ってくれているようであった。


…まずいものが淘汰され、おいしいものだけ
が残る。食材も、調味料も、料理法も、
出自はどうであれ、料理をおいしくすること
ができれば、たえず取り入れられてきている。
この意味では中華料理は多くの異民族の料理
文化を取り入れた、いわば雑種の食文化である。

張競『中華料理の文化史』(ちくま新書)
 

ソーセージが入っても、麺がおいしくなれば
喜んで取り入れられていくわけである。
そして、この仮説にもうなってしまう。

 

現在、地球上のどこの国にも必ず中華料理が
あると言われている。世界のほとんどの国で
受け入れられ、誰が食べてもそれほど違和感
を感じさせないのは、やはりその雑種性の
ゆえであろう。

張競『中華料理の文化史』(ちくま新書)
 

日本はもちろんのこと、
東ティモールでも中華料理に助けられた。
ニュージーランドでも、そして西アフリカ
のシエラレオネ(最近歴史に
残る大きさの
ダイヤモンドが発掘されたコノ地区)でも、
中華料理はぼくとともにあった。

そして香港の多種多様なものを許容する文化
は、さらに雑種性をとりこんできているよう
にみえる。

グローバル化を考える文脈の中で、
食文化の接触と受容と変容は、話題に尽き
ないトピックである。

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香港で、陽光にさそわれて - 海はつながっている。

香港で、陽光にさそわれて、ぼくはふと、海を近くに感じる、あの場所にむけて外へ飛び出した。...Read more.

香港で、陽光にさそわれて、
ぼくはふと、海を近くに感じる、
あの場所にむけて外へ飛び出した。

「どこにいくんだ?」

バス乗り場で、バスを探していると
整理係のおじちゃんが、ぼくに向かって
叫ぶような声で聞いてくる。

「西貢!」

ぼくも負けじと言い返す。
おじちゃんが「こっちだ」というバスに
とびのる。

やがて、バスは、海のある風景にたどりつく。

やや霞みがかった空気のなかを、
陽光が差し込んでいる。

歩きながら、携帯電話を取り出し、
ぼくはきづく。

陽光のもとでは、携帯電話の画面は
役に立たない。
陽光のもとでは、携帯電話の画面は
みえなくなるのだ。
陽光は、ぼくに、顔をあげるように、
つげる。
陽光は、ぼくに、顔をあげて、
風景の美をつかむように、つげる。

そして、海の風景は、ぼくが訪れた
美しい風景を思い起こさせる。

ニュージーランドの90マイルビーチ。
西アフリカのシエラレオネ、
首都フリータウンにたたずむビーチ。
東ティモールの首都ディリから続く海岸線。

世界は海でつながっている。
陽光のなかで、ぼくは、<世界>を旅する。

「翼」をもって世界を移動しながら、
「根」は地球にむかってのびている。

「根をもつことと翼をもつこと」
地球いっぱいにひろがる「海」は、
その矛盾を端的に超えさせてくれる。

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「香港」にたどりつくまで - 願いと予感が導くところ。

2007年に、ぼくは「香港」にうつった。
10年前のことである。

どのようにして「香港」にたどりついたのだろう
と考える。
成田空港から飛行機にのってやってきたし、
香港を住む場所として「選択」をしたことも
確かだ。
しかし、表層ではなく、すこし深い「心の地層」
において、ぼくはどのようにして「香港」に
たどりつくことになったのだろうか。

 

(1)香港への「予感」

香港にはじめてきたのは、さらに時間をさか
のぼる1994年。
大学の夏休みに、飛行機にはじめてのって、
ぼくは香港におりたった。
香港から広州、広州からベトナム、そしてその
ルートから香港へもどってくる一人旅であった。

香港のTsim Sha Tsuiのヴィクトリア湾に面す
プロムナードから香港島のビル群を見渡した。
そのときに、ぼくは、香港に仕事でくるような
そんな「予感」を感じたのだ。

香港はまだ中国への返還前であった。

それから、ぼくは香港とはまったく関係のない
「途上国」での仕事にかかわっていく。
香港からは程遠い世界だ。
2006年、ぼくは、東ティモールで、銃撃戦の
なかにいた。

翌年2007年、仕事がおちついたところで、
ぼくは香港に拠点をうつすことになった。

 

(2)海外への「願い」

「香港への予感」をさかのぼり、大学時代の
一人旅からもさらにさかのぼっていく。

ぼくは、中学生か高校生のときだったか、
卒業文集に「将来の自分」をイメージして
書いていた。

手元には、そのときの文集はないけれど、
ぼくは、「世界をとびまわっている」と
書いていたことを覚えている。

将来にたくした「願い」だ。

文集に書いたことを思い出したのは、
NGO職員として、アフリカやアジアを
行き来していたときだったかと思う。

ぼくの願いに「詳細」はなかったけれど、
願いは現実になっていくものだ。

「願い」と「予感」。

ぼくのなかで、これらが化学反応をおこし
ぼくを香港へとおくりだしていった。

あるいは、ぼくが、自分の人生という
「物語」のなかで、勝手にストーリーを
つくっている。

だから、ぼくは、願いと予感を丁寧に、
これからの未来をえがく。
キーボードをタイプし、字を書くこの
手を大切にしている。

香港の街を一人歩きながら、
ぼくは、ふと、そんなことを考える。

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「香港」を視て考える - トラベルガイドでもなく、学術書でもない1冊(英語)

「香港」を視て考える。
語りにくい香港を、日々の体験から、
その「世相」から、すくいあげていく。

香港の人や街路や食などから
手がかりをすくっていく。

そして手がかりを文章におとしていく。
ぼくは、文章を書きためているところだ。

文章が書きたまったところで、
他者がどのように香港を「書いて」いるか
気になりグーグル検索する。

検索していて気づいたのは、「香港」に
関連する書籍は、

  1. トラベルガイド
  2. 学術書

の二つが主流である。

この主流に加わる形で、
香港を舞台にした小説などがある。

1と2の「中間」が見つからない。
英語でもグーグル検索するが、やはり
この二つのカテゴリーに収まってしまう。

その間隙から見つけたのが、この書籍で
ある。

『Reading Hong Kong, Reading Ourselves』
Edited by Janel Curry, Paul Hanstedt
(CityU Press, 2014)

香港の大学に来ていたアメリカの研究者
たちが、それぞれの専門分野の視点で、
でもカジュアルな文体と構成で書いた
文章群から成っている。

トラベルガイドでもないし、
がちがちの学術書・研究書でもない。
しかし、学術的な「客観性の姿勢」がある。

トピックは多岐にわたっている。
食、社会、街路、言語、歴史、教育など。
これらを日々の「体験」からすくいあげる。

視点は、西洋人が視る「香港」。
日本人が視る「香港」だけではみえない
視点もはいってくる。

文化と文化の「間」からみえてくる視点が
面白い。

そこの「間」から、
ぼくたちは、どのように、よりよい生き方
を構想できるだろうか。

そんなぼくの思考にお構いなく、
香港の街は、今日も、忙しなく、活気を
装っている。

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世界で人々の生活を観る「メガネ」: 柳田國男『明治大正史-世相編』のちから。

世界のいろいろなところで
いろいろな人たちの生活をみることは
楽しみのひとつである。

着るもの・着方、食べるもの・食べ方、
住むところ・住み方など、興味と関心
はつきない。

香港に10年住んできたなかで、
それら変遷を観ることは、ぼくの
楽しみであった。

例えば、日本の「おにぎり」。
香港の食に最初は浸透せず、
でもそれが徐々に受け入れられていく
移り変わりは興味深いものであった。
香港では主食に「冷たい食べ物」は
好まれないと思われていたから、
なおさら興味深いものであった。

柳田國男の著作『明治大正史 - 世相編』
は、このような「世相」を観る視点や
洞察の宝庫である。

見田宗介の仕事(「<魔のない世界>
ー「近代社会」の比較社会学ー」
『社会学入門』所収)に導かれて、
ぼくは、柳田國男のこの著作に
たどりついた。

第1章「眼に映ずる世相」の冒頭は
こうはじまる。

 

以前も世の中の変わり目という
ことに、だれでも気が付くような
時代は何度かあった。歴史は遠く
過ぎ去った昔の跡を、尋ね求めて
記憶するというだけでなく、
それと眼の前の新しい現象との、
繋がる線路を見きわめる任務が
あることを、考えていた人は
多かったようである。ところが
その仕事は、実際は容易なもので
なかった。この世相の渦巻きの
全き姿を知るということは、
同じ流れに浮かぶ者にとって、
そう簡単なる努力ではなかった
のである。

柳田國男『明治大正史-世相編』
(講談社学術文庫)

 

今の時代も「世の中の変わり目」
である。誰もが気づいている。
しかし、「同じ流れに浮かぶ者」
として、世相を知ることは容易
ではない。

柳田國男がこれを書いたのは、
1930年であったという。
この時間の隔たりに関係なく、
本書はほんとうに多くのことを
まなばせてくれる。

ぼくたちの日本での「衣食住」を
ふりかえるだけでなく、
柳田の視点や洞察は、時間と
空間を超えるものがある。

ぼくは多少なりとも、
そんな視点と洞察の「メガネ」
をかけて、ここ香港の「世相」
を眺めてみたいと思う。

日本以外の国・地域(海外)に
いることのいいところは、
「同じ流れに浮かぶ」ことから、
多少なりとも、流れの外にでる
ことができることである。

それを寂しいという人もある
かもしれないけれど、興味の
つきない<立ち位置>であると、
ぼくは思ってやまない。

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「ミニマリスト x クオリティ = ○○○○○○○」- 香港で学んだこと。

香港で学んだこと。

香港に住んで、
・香港という空間
・香港社会
・時代背景
という条件の組み合わせの中で、
ぼくは、あることを学んだ。

それは、次のことである。

  1. 「ミニマリスト」の地平
  2. 「クオリティ」の追求

「ミニマリスト」の地平は、
ぼくが香港に住んでいるときに
みえてきた風景である。

大枠としての問題系は、
ミニマリスト、エッセンシャル、
断捨離、クラッター、コンマリ
などと語られる問題系である。
いわゆる「片付け」から開かれて
いく地平である。

香港の住居環境や都市環境は
物質的な「空間が狭いこと」が
特徴である。
その中で、ぼくたちは、
よりよく生きていく術を考え、
実践していく。
「ミニマリスト」的生き方を
実践する喫緊性がある。

香港の書店でも、
「片付け」の本が並べられている。

そして、香港だけでなく、
いわゆる「先進国・地域」では
近年、このような思考と実践を
後押しする社会ムーブメントがある。

そのような中、ぼくも、
香港で暮らしながら、徐々に
「ミニマリスト」的な生き方に
移行している。

ただ物事を少なくしていくのでは
なく、「エッセンシャル」な物事
にフォーカスしていく。

それは、「クオリティ(質)」の
追求につながる。
ひとつひとつのことを大切にする
生き方だ。
物もそうだし、行動もそうである。

香港の過去10年は、経済社会の
急速な発展の中で、「物」に溢れた。
「もっと、もっと」の世界である。
ぼくたちも、香港社会の中で、
気がつけば、エッセンシャルでは
ない「物」に囲まれる生活を送って
いたわけだ。

でも、徐々にギアをシフトしてきた。
「ミニマリスト」的生き方と
「クオリティ」を足し算する。
そして、いつしか、足し算が掛け算に
変わるような経験をしてきた。

「ミニマリスト x クオリティ」
=「生き方が変わる」

「生き方が変わる」だけでなく、
そこには、さまざまなもの・ことが
あてはまる。

ぼくは、このことを
ここ香港で、学んできた。
実践してきた。

生きることの内実の隅々が
入れ替わっていく経験である。

日本の外で生きていく上で
ほんとうに大切なもの・こと。
そして、人生で生きていく上で
ほんとうに大切なもの・こと。

そんなことを最近は、
ここ香港で考えている。

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「香港」は、語りにくい - 香港を知るための2冊

香港に住んで10年になる。
香港とともに成長してきた。
日々「香港」である。
日々「フィールドワーク」である。
でも「香港」は語りにくい。

その「香港」を知るために、
この2冊は読んでおきたい。

・倉田徹・張彧暋『香港』(岩波新書, 2015年)
・吉川雅之・倉田徹『香港を知るための60章』(明石書店、2016年)

人により、香港を知る「目的」は
さまざまである。

それは、香港で住むため、
香港を研究するため、
香港や香港文化に興味があるため、
であるかもしれない。

いずれにしろ、この2冊は読んで
おきたい。

ぼくは、これら2冊には、
香港で10年ほど生活してから
出会った。

『香港』(岩波新書)の冒頭は、
ぼくの「感覚」を共有する出だしである。

 

「香港は一冊の難解な書だ…。」
この言葉は、…中国政府の香港出先機関
である中央政府駐香港連絡弁公室(中連
弁)の初代主任を務めた姜恩柱が残した
名言である。…
…この台詞は、香港研究を生業とし、
「香港とは何か」を捕捉することを
職業とする筆者(倉田)の頭の中にも、
毎日のように去来する。

倉田徹・張彧暋『香港』(岩波新書)
 

大学で中国語を学んでいた
ときに香港に授業で触れ、
大学在学中に、香港に初めて足を
踏み入れ、
そしてこの10年住んでみて、
それでも、ぼくも感じる。
香港は語りにくい。

そして、その語りにくい香港は、
常に変わっている。
スピードも圧倒的に速い。

いつまで香港にいるかはわからない。
でも、しばらくは、この変動の香港を、
ぼくは見続けていく。

そして、香港を知るためのもう一冊を、
近日中に、世に放ちたい。

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香港に住んで、まもなく10年 - 香港で/から学んだこと。

香港に住みはじめて、まもなく10年になる。

10年前は、ぼくは、東ティモールに住んで
いた。
ぼくの20代の後半は、東ティモールの
コーヒー生産者とともにあった。
30代になり、香港に移り住むことになった。
ぼくは、ぼくの30代を、香港で、香港と
ともに、成長していった。

香港で学んだことは、数限りなくある。
香港から学んだことも、数限りなくなる。
「学んだこと」を、今、文章としてまとめて
いるところである。

次のようなことが「学んだこと」のいくつか
である。

  1. 生きていく力
  2. お金というもの
  3. 多様性というもの

香港は、活気・熱気があり、混沌があり、
エネルギーに満ちている。
そこには「生きていく力」がある。
強さと言ってもよいし、サバイバル力でも
ある。

「生きていく力」を駆動していく源泉の
ひとつは、「スピード」である。
香港のスピードは、世界屈指である。
社会も、ビジネスも、人も、そこには
スピードが感じられる。

香港国際空港の「荷物」受け取りスピード
は、世界でも最強の部類である。
飛行機を降り、イミグレーションを通過し
すでにそこに荷物が到着している。

スピードが社会のDNAに刷り込まれている。
その背景のひとつには、お金がある。
ここでは時間はお金である。

お金というものの価値が最重要で重視される。
人によってはこの価値に抵抗感があるが、
それはシンプルでもある。

郵便局のサービス方針として、
「Value for Money」がうたわれている。
お金に見合う価値の提供。
シンプルである。

お金の価値軸が社会の芯となっている。
歴史的な不安定さに対応するには、
お金は「安心」の拠りどころである。

このような社会だから、ぼくは「お金」に
ついて、よく考えることができた。

そこの芯があるからか、
香港は多様性のある社会である。

多様なもの・多元的なものを受容する力は、
強い。
日本では「グローバル、グローバル」の
掛け声があるが、香港では、日常がすでに
「グローバル」である。

人の多様性もそうであるし、
話される言語も多様である。
多様性が社会にとけこんでいる。

この環境に身を置きながら、
肌感覚として生活してきたことは、
ぼくにとっては、とても大切なことであった。

香港に住んで、まもなく10年。

よかったことも、うんざりすることもあった
けれど、ぼくは香港とともに成長してきた。

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香港, 東ティモール, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 東ティモール, 海外・異文化 Jun Nakajima

「旧正月」を生きる

香港や中国、その他中華圏では、毎年1月あるいは2月には、旧正月を迎える。
旧暦による正月で、時期は毎年変わる。
2017年は1月28日が旧正月にあたる。

海外に出て、旧正月が生活や仕事の中に入り込んできたのは、
東ティモールでのことであった。

東ティモールでは、中国系インドネシア人がビジネスを展開していた。
例えば、建設用の資材などを扱う店などである。
ぼくたちも、プロジェクト用の資材を調達する必要があり、
しばしば店に足を運んだ。
ただし、旧正月前後は、資材の入荷がストップした。
店の「ボス」である中国系インドネシア人も、休暇を過ごすため
国外に出てしまい、交渉ごとなどが滞ってしまう。

だから、旧正月を見越し、プランを立てる必要があった。
2007年に香港に移住してからは、旧正月は完全に生活の一部となった。
香港では、旧正月に始まる3日間は、法定の休日である。

今でも、香港の方や華人の方から、聞かれる。

「日本は、旧正月は祝うのですか?」

「日本は旧正月は祝いません。1月1日です」と回答をしながら、
時折、ぼくは考え込んでしまう。
日本も明治維新の前は旧正月を祝っていたという。
旧正月を祝っていた日本人は、どのような感覚を持っていたのだろう。

旧正月を祝うことには、すっかり慣れてしまった。
旧正月が明けると、新年が完全に明けたことを感じる。

春の訪れを微かに感じながら、自分の1年プランをレビューし、
ぼくは1年の一歩を進む。

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香港における「安心」

香港は「お金」だと言われる。
企業と人との関わりも「お金」が中心である、と言われる。

お金を「汚いもの」と見がちな日本人は、お金での繋がりは「企業に対してロイヤリティがない」と感じる。

香港という「不安定な都市」では、お金は「安心」である。
頼るのは、家族とお金である。
人生の「根」が、そこに在る。

でも、だからこそ、家族とお金だけではない「根」を探し求める人たちもいる。
新しい「コミュニティ」が、どう形成され、どこに向かうのか。

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