野口晴哉から見田宗介へ。- 体癖論の「思想」への適用。自由と自立を求める身体の身体価。
整体の創始者である野口晴哉による「体癖論」(体の「偏り運動」の探求と実践)は、「人間の解放」ということを生涯のテーマとして追いつづけている見田宗介(社会学者)の関心を深いところでとらえ、「身体」という拠点から「人と社会を解き放つ」という、見田宗介の視力と方法を豊饒化してきた。...Read On.
整体の創始者である野口晴哉による「体癖論」(体の「偏り運動」の探求と実践)は、「人間の解放」ということを生涯のテーマとして追いつづけている見田宗介(社会学者)の関心を深いところでとらえ、「身体」という拠点から「人と社会を解き放つ」という、見田宗介の視力と方法を豊饒化してきた。
<身体的な現実性に根をはること>は、思想という、ともすれば「観念の操作の罠」(見田宗介)にはまってしまうことを回避する手段のひとつである。
見田宗介は、体癖論の「思想」への適用事例を書きながら、「思想の身体価」という論考を書いている。
この論考が、雑誌『思想』(岩波書店)で発表されたのは、もともと1989年である。
思想の言葉や観念がインフレをおこし、「操作の罠」におちいっていたときに、「思想」のリーディング雑誌のひとつであった『思想』誌に発表している。
「観念の操作の罠」ということは、ふつうに生活をしていた人たちと、決して無縁ではなかったのではないかと、ぼくは今では思う。
言葉や観念が、それらだけで語られ、身体的な現実性からまったくはなれていってしまうような世界である。
ぼくが1990年代において<言葉の身体性>をもとめて、例えばアジアを旅したりしていたことは、まったくの偶然ということではなかったのではないかと、ぼくは思うのだ。
そんなぼくも、2000年代初頭、修士論文を準備しながら、「自由」という言葉と観念の迷路にまよいこんでしまった。
途上国の経済発展や成長、貧困、南北問題、人的資本などを対象としながら「自由」を主題に修士論文を書くなかで、これら現実の圧倒的な問題が、ともすると、抽象的な観念の世界にはいりこみすぎてしまうところであった。
最終的に「論理」としては一貫した論文になったのだけれど、現実問題に即しきれない内容であった。
「自由」ということをさらにつきつけられたのは、ぼくがこの身体で、西アフリカのシエラレオネと東ティモールで、言葉につくせない現実に生きてゆくなかであったのだと、ぼくは思う。
この「自由」という言葉と、もうひとつ「自立」という言葉を事例に挙げながら、見田宗介は「思想の身体価」という文章を書いている。
見田宗介が出会った、ある集団で「スナドリネコさん」と「ぼのぼの」とよばれるようになった二つの身体類型(ここではそれぞれ、SとBと名づけられる)を事例にしている。
Sは、野口晴哉の整体の体癖論では「9種1種」、つまり骨盤がしまっていて性欲旺盛でいつまでも若く、空想と観念の自己増殖力に富む身体であり、Bはほぼこれと対照的に、「10種3種」とよばれるのだが、骨盤が開いていて包容力があり、身体がやわらかく感情が豊富で食べることが好き(引出しの中はちらかっている)という身体である。この両者はたがいに魅かれ合うらしくカップルも多い。…SはBの先天的な「自由さ」に魅かれ、BはSの「自立性」に魅かれるのである。Bは容易に人に共感し、まきこまれて自己を失ってしまうので、「自立」や「自我の確率」や「主体性」という観念に憧れている。ところがSにとっては、「自立」とか「自我」とか「主体性」とかははじめから強すぎてあきあきしていて、Bのように自由に自在に世界にまきこまれ、自分を失ってしまう能力に魅かれてしまう。
見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店
見田宗介は、SとBという身体の二類型において、「自立」と「自由」ということを見ながら、自立と自由の対位を述べたあとに、次のように書いている。
自由のないところに自立はないし自立のないところに自由などない。こういう命題は正しいのだが、このように抽象的に正しい結論を手に入れるみちで、最初の問題の身体的な現実性が、手放されている。漂白されている。観念の操作の罠だ。結論は到達点でなく、結論は出発点だ(結論からあとがたいへんなのだ)。…
自由を求める身体と自立を求める身体は異質のものだ。自由と自立が、抽象的な観念として同義語に帰結するかもしれないとしても、二つの概念は、いわばその身体価を異にしている。…<自由>の身体価は遠心的であり、<自立>の身体価は求心的である。…
見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店
ぼくは「身体性」ということをひとつの手がかりに生きてきたことを、ふりかえりながら、「思想の身体価」のことを考える。
時代の言葉だけにかぎらず、ぼくたちは、ぼくたち個人が魅きつけられてやまない「言葉や観念」をもっていたりする。
それぞれの個人がおかれている環境や状況の影響をうけていることもあるとは思うのだけれど、そのもっと手前のところで、ぼくたちの身体という現実性がある。
世界は「データ」の時代に突入している。
良い悪いという一面性の話ではないが、それは、ある意味において、身体性から離れた「記号」の世界だ。
ぼくたちはこれからの時代、身体的な現実性をいっそう手放していくのか、あるいは身体的な現実性にねざしていくのか、それとも別の次元につきぬけていくのか。
ぼくの身体は、(おそらく見田宗介の身体もそうであるように)<自由>ということにあこがれながら、「人間の解放」という生涯のテーマを追い求めつづけている。
<ことば>とは、<言葉の力>とは。- 「近代的自我」からはなれてみて。
「近代的な自我」というもの(あるいは現象)について、今でこそデフォルトであるけれど、「絶対のもの」ではないことを、考える。...Read On.
「近代的な自我」というもの(あるいは現象)について、今でこそデフォルトであるけれど、「絶対のもの」ではないことを、考える。
「精神」こそが<私>というものであって、「身体」はその<私>の所有物であるというような「近代的な自我」の図式は、今でこそ多くの人たちに信じられているけれど、その歴史はここ数百年ほどのものである。
筑波大学助教でメディアアーティストでもある落合陽一が、以前、テレビ番組(スマホで朝生)における「AI時代の生き方」に関する激論の中で、「近代的自我」の浅い歴史について簡単にふれ、それも将来には変わってゆく可能性を淡々と語っていた姿が印象に残っている。
落合陽一の、そこまで徹底した客観的な認識の土台が、「近代的自我」を(無意識に)絶対視するような人たちと交わされる議論の「すれ違い」のひとつの原因である。
人間は、将来、今とはまったく異なる「自我の認識と感覚」をもちながら生きてゆくのかもしれない。
「言葉」(あるいは「言葉の力」)ということも、「自我の認識と感覚」の立ち位置によって、異なる様相をぼくたちに開示する。
「自我の比較社会学」をきりひらいてきた社会学者の見田宗介は、次のような話を紹介する。
出産直前になっても頭を下にしない胎児(逆子)を直したといわれる、整体の創始者である故野口晴哉の話だ。
その評判を聞いたイスラエルの母親が、野口晴哉のところにやってくる。
ヘブライ語ができない野口は、仕方がないから日本語で、「オイ逆さまだぞ、頭は下が当たり前なんだぞ」と言ったら、翌日には正常に生まれたという。
このエピソードにたいして、見田宗介は次のように書いている。
胎児は、日本語の単語を知っていていうことをきくわけではない。言葉を発するときにこめられた<気>に感応しているのだと、わたしは思う。
「神秘的」なはなしではない。「硬い身体」にとじこめられて他者から孤立した「内面の精神」だけが<私>だという、近代的な身体感・自我感から解放されれば、ごくあたりまえのことである。
わたしたちが言葉を交わしているときに、ほんとうはたがいの身体の全体が感応し合っているのだ。ことばとは、このような間身体の呼応のことのは、事の一端をなすにすぎない。言葉は気の波がしらである。
ただ人間の指先や耳たぶなどに鋭敏な気が集中してゆくように、この波頭には、気が凝縮してこめられている。非近代社会の人びとが呪術のうちに感受していた「言葉の力」とは、このような現象の核に、様々な意匠の神話を分厚くまとったものではなかったか。
見田宗介「近代を馳けぬける身体」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
齋藤孝がどこかで、コミュニケーションとは「意味」と「感情」の二つを伝えるものだ、というような趣旨のことを書いているのを読んだ記憶があるが、「間身体の呼応」はいわば「感情の交流」である。
近代的自我に「憑かれている」ぼくたちは、どうしても「意味」に集中しがちであるけれど、「言葉の力」は意味だけに限定されるものではない。
海外にいると、日本から旅行などできている、外国語を話さない「おばちゃんたち」の力に圧倒されることがある。
買い物にしろ、普通の会話にしろ、現地の人たちに、容赦ない普通の日本語で話しかけている。
驚かされるのは、そのコミュニケーションで、なんとかなってしまうことである。
もちろん「状況・情況」によって、想定はできるのだろうけれど、それを補うような仕方で、「言葉の気の波頭」が伝わってゆくようだ。
だから外国語を学ぶ必要がないということではないけれど、「意味の病」から逃れること、つまりその根底にある「近代的な身体感・自我感」からいったんはなれてみることで、ぼくたちの世界を見る眼は変わったりもする。
歴史家ユバル・ハラリが言うような人間の未来、「Homo Deus」は、「近代的な身体感・自我感」からはなれてゆく人間たちが、(同時に)これまでとはことなる方向に人間をつくってゆく姿を描いている。
「わたくしといふ現象」(©️宮沢賢治)は、未来において、どのようにたちあらわれ、「自我の認識と感覚」を変えてゆくのだろうか。
香港で、「THERE is NO PAUSE in LIFE」の言葉に、つい引きつけられて。- ショッピングモールを歩きながら。
今年2017年の1月中旬から書きはじめたブログ。毎日一歩一歩をあゆみながら、ふとこれまでの歩みをふりかえれば、300ほどの文章を紡いできたことに気づく。...Read On.
今年2017年の1月中旬から書きはじめたブログ。
毎日一歩一歩をあゆみながら、ふとこれまでの歩みをふりかえれば、300ほどの文章を紡いできたことに気づく。
ブログとは別に少しずつ書き溜めている文章と異なり、ブログは、なるべくその日に思いついたことを書くようにしている。
最初から「枠」の中にはめずに、自由にひろがっていくトピックについて書いている。
いろいろなトピックが雑多にならんでいるのは、そうした理由からである。
けれども、雑多に見えても、ふりかえってみれば、そこに「思考の流れ」や「生きることの焦点」が見えてくる。
ここ香港に、すでに10年以上暮らしながら、「テーマ」として追ってきたことのひとつに、「生活のスピード」がある。
以前ふれた『No City for Slow Men』(Jason Y. Ng著, Blacksmith Books刊)という本のタイトルにもあるように、香港は「Slow Men」の都市ではない。
圧倒的なスピードでうごきつづけることで、生きることのリズムをつくっている。
そのような香港も、ぼくの身体感覚と観察において、この10年は、スピードにおいてけっして一様ではなかったように、思う。
そのような「テーマ」を追っていると、ショッピングモールで、たまたま出会う、次のような言葉が目に自然とはいってくる。
「THERE is NO PAUSE in LIFE」
ショッピングモールの「改装中の敷地の壁」に、店舗の広告と共に、書かれている。
あらゆる場所ですすんでいる「改装」自体が、香港のスピードの象徴のひとつのようなところがあるが、「改装にもかかわらず、店舗は休むことなく営業中」ということのメッセージのようだ。
あるいは、人生は「NO PAUSE」だから店舗は営業している、というようなメッセージなのかもしれない。
言葉を受けとる側の関心のおきどころによって、受けとられ方が異なる言葉だ。
いずれにしろ、香港では、「休む間もなく」ということが生活のすみずみにまで浸透しているから、「NO PAUSE in LIFE」を「普通のこと」として読んでしまう。
「THERE is NO PAUSE in LIFE」という言葉とは逆に、「PAUSE in LIFE」が極めて大切になっていると、ぼくは思う。
「PAUSE」で思い起こすのは、リーダーシップ論の著作として、前にすすむための「Pause」を提示している、『The Pause Principles: Step Back to Lead Forward』(Kevin Cashman著、Berrett-Koehler刊)という興味深い本である。
「立ち止まって考えること」の大切さを感じながら、しかし「香港という場」がぼくに語りかけてくるのは、「動きながら考えること」である。
香港はその意味で「THERE is NO PAUSE」なのだけれど、実際にそこで暮らす人たちは、近年ますます、「PAUSE」を生活の中に組み込もうとしているように、ぼくには見える。
その「方法」はひとそれぞれにいろいろである。
仕事で「考える場と時間」をつくることもそうであるし、マラソンやヨガなどもある意味そうであるだろうし、海外の「田舎」(例えば、ぼくも行ったことのないような日本の田舎)への旅もその一形態であるかもしれない。
「No City for Slow Men」(Jason Y. Ng)の香港は、全体としては「NO PAUSE」でありながら、その周辺に「PAUSE」をする人たちを生みだしてきている。
とはいえ、「PAUSE」をどのようにとり、その機会をどのように使い、Kevin Cashmanが言うように「Step Back to Lead Forward」できるかどうかは、それぞれの個人にかかっている。
<言説の鮮度>(見田宗介)ということ。- 「足が早い」言葉たちを生きる。
ここのところ「言葉というもの」を見てきているけれど、<言説/言葉の鮮度>ということにもふれておきたい。...Read On.
ここのところ「言葉というもの」を見てきているけれど、<言説/言葉の鮮度>ということにもふれておきたい。
2000年前後に、ぼくが「言葉というもの」を取り戻そうともがいていたときに、見田宗介(社会学者)の書く言葉たちと向き合いながら、ぼくが学んだことのひとつである。
見田宗介は、1986年の論壇時評で、「教育のことばの困難」に向き合いながら、「言説の鮮度について」という、ぼくたちの目を見開かせるような文章を書いている。
雑誌に掲載されている「教育」に関する記事や特集における、教育の記録や報告にふれながら、見田宗介は次のように、言葉や関係性の本質にきりこんでゆく。
「子どもってほんとにすばらしい」「先生ありがとう!」といった、ことばだけをとりだしてみると「気恥ずかしくなる」ようなことばも、このような記録の中では生きている。これらのことばは、それが思わず生みおとされるその固有の場所の中では、それぞれに一回かぎりの、真実のことばなのである(そうでないことももちろんあるが、そうであることも一生に一度はあるのだ)。同時にこのような鮮度の高いことばは、言葉がその中で生きている<関係の海>の中から言葉として釣り上げられるとき、たとえば「子どもはすばらしいのです」という観念の一般性として抽出され、流通するとき、それは「教育くさい」言説として、あのわたしたちをへきえきさせる特有のにおいを発散しはじめる。魚が魚でなくなる時に「魚くさく」なることとおなじに。
見田宗介「言説の鮮度について」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
副題を「教育のことばの困難」とし、見田宗介自身が語るように、教育では子どもたちのためによかれと思って、「命」とか「輝く」とか「信じる」という言葉を説教としてならべながら、しかし逆に「シラケルことしかできない世代」をふやしてきたように、当時、ぼくは感じたのである。
教育にかぎったことではないが、教育の現場でことばが輝いたり踊ったりするというとき、その輝きや躍動は、その時その場に立ち会った子どもたち、大人たちの中でだけ新鮮に生きつづけられる。それが他人に伝えられ、後世に残されようとするとき、苛酷な変質を開始するのだ。大事なことばだからしまっておいた方がいいのだよ、とでもいうように。
子どもをめぐることばは愛のことばとおなじに、とりわけ足が早いのだ。
見田宗介「言説の鮮度について」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
ぼくは、見田宗介のこの言葉たちに出会ってから、<言葉の鮮度>というものへの視点を獲得し、それから<関係の海>そのものへの関心をふかめていった。
言葉が生きてこないのは、<関係の海>そのものが「死海」となってしまっていることもあるからだ。
関係の実質がない<海>からは生きる言葉は生みおとされないし、また<関係の海>が豊饒であればあるほどに、言葉さえも超えてしまうような「more than words」の世界が現出することもある。
「生きる」という言葉は、西アフリカのシエラレオネや東ティモールにおける<関係の海>の中では、ほんとうに切実な言葉として立ち上がってくるような言葉であった。
紛争を生きぬいてきた人たち、紛争をのがれてきた人たち、身近な人たちをうしなってきた人たち、日々を精いっぱいに今も生きる人たち、きびしいなかでも笑顔でいる人たち。
そのような<関係の海>の中で、思わずにはいられなかった。
「生きる」ことだけでも奇跡であること、を。
でも、それだけではなくて、「生ききる」ということの重力に引かれながら、ぼくは一歩でも前に足をすすめる。
<彩色の言葉>で彩る個人の生と世界の物語。- 「彩色の精神」(真木悠介)に触発されてきて。
言葉には、よく言われるように、「ポジティブ/ネガティブ」な言葉がある。「ポジティブな言葉を使っていこう」というのはひとまずその通りなのだけれど、ついついネガティブな言葉も出てしまったりする。...Read On.
言葉には、よく言われるように、「ポジティブ/ネガティブ」な言葉がある。
「ポジティブな言葉を使っていこう」というのはひとまずその通りなのだけれど、ついついネガティブな言葉も出てしまったりする。
ネガティブな言葉を発することは、それが人のことであれ、世界のことであれ、「自分と人/世界との関係」をネガティブに規定し、そのような物語としてつくりだしてしまう。
それはただの言葉だけにとどまらず、自分の描く対象の人や世界との「現実の関係性」において、言葉で描いたような物語として現実につくりだしていってしまう。
だから、ポジティブな言葉を使っていこう、ということはひとまずその通りではある。
その通りではあるのだけれども、他方で、ぼくは「物語の全体性」への視点を大切にしたい。
それは、人の「生きる物語」の基底をなすような、態度・姿勢であり、大きな物語である。
その基底となるようなものとして、ぼくは、<彩色の言葉>ということを考えている。
このコンセプトは、社会学者の真木悠介が言うところの<彩色の精神>から、「言葉」の視点で切り取ったものだ。
…フロイトは夢を、この変哲もない現実の日常性の延長として分析し、解明してみせる。ところが『更級日記』では逆に、この日常の現実が夢の延長として語られる。フロイトは現実によって夢を解釈し、『更級日記』は夢によって現実を解釈する。
この二つの対照的な精神態度を、ここではかりに、<彩色の精神>と<脱色の精神>というふうに名づけたい。
真木悠介「彩色の精神と脱色の精神ー近代合理主義の逆説」『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
『更級日記』から真木悠介がとりあげているのは、作者と姉が迷いこんできた猫を大切に飼っていたところ、姉の夢まくらにその猫がでてきて、自分が侍従の大納言どのの皇女であり、因縁があってしばらくここにいることを告げる、という話だ。
姉妹はいっそう猫を大切にあつかい、猫にむかって「大納言どのの姫君なので」などと話しかけると、心が通じているように思われる。
真木悠介は、夢により現実を解釈するという精神態度を、「彩色の精神」と呼んだ。
われわれのまわりには、こういうタイプの人間がいる。世の中にたいていのことはクラダライ、ツマラナイ、オレハチットモ面白クナイ、という顔をしていて、いつも冷静で、理性的で、たえず分析し、還元し、君たちは面白がっているけれどこんなものショセンXX二スギナイノダといった調子で、世界を脱色してしまう。そのような人たちにとって、世界と人生はつまるところは退屈で無意味な灰色の荒野にすぎない。
また反対に、こういうタイプの人間もいる。なんにでも旺盛な興味を示し、すぐに面白がり、人間や思想や事物に惚れっぽく、まわりの人がなんでもないと思っている物事の一つ一つに独創的な意味を見出し、どんなつまらぬ材料からでも豊饒な夢をくりひろげていく。そのような人たちにとって、世界と人生は目もあやな彩りにみちた幻想のうずまく饗宴である。
真木悠介「彩色の精神と脱色の精神ー近代合理主義の逆説」『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
<脱色の精神>は、真木悠介がこの文章につづけて書いているとおり、近代の科学と産業を生みだし、人びとの心をとらえて、生きる世界を脱色していったのである。
しかし、「科学」そのものが<脱色の精神>ということでは必ずしもない。
伝記作家Water Isaacsonが追いもとめてきた人物たちーレオナルド・ダ・ヴィンチ、ベンジャミン・フランクリン、アインシュタイン、スティーブ・ジョブズーは、「科学 science」と「人間性 humanity」をつなげてきた人たちである。
かれらにとっては、世界は「目もあやな彩りにみちた幻想のうずまく饗宴」であったはずである。
かれらにとっては脱色の精神でさえも、<彩色の精神>に彩られてゆくような精神の磁場がつくられていたように、ぼくは思う。
このような<彩色の精神>を基礎に、<彩色の言葉>ということが、ぼくが考えていることである。
そこでは、脱色の言葉でさえ、(彩色の精神による)<彩色の言葉>で、彩り鮮やかな物語を語ってしまうような言葉たちである。
<彩色の言葉>は、世界や人生を「目もあやな彩りにみちた幻想のうずまく饗宴」の物語として語る言葉たちだ。
歴史家のYuval Harariが焦点をあてるように、人間(サピエンス)のユニークな強さを与えるものは「フィクションとしての物語」である。
<彩色の言葉>は、個人の生だけでなく、それは人間たちが共有する「フィクションとしての物語」をも彩色してゆく。
脱色の精神と脱色の言葉により「何もないところ」まで来てしまったぼくたちが、個人の生と世界の物語を彩色してゆくこと。
そのような祝福された言葉として、<彩色の言葉>はある。