「見田宗介=真木悠介」
香港で、22年前の「ぼく」に出会う -「夢よりも深い覚醒」(見田宗介)という生き方。 /
香港の重慶大厦(チョンキン・マンション)の前で、ぼくは、22年前の「ぼく」に出会う。...Read On.
Read More「戦争の反対語は『文明』」から考える - 人類の「未解決」の課題。 /
「文明に向かって」(Toward civilization)と題されたSeth Godinのブログ(英語)は、次のような引用ではじまっている。...Read More.
Read Moreひとに「伝える」ことができるとしたら -「伝える技術」の一つ下の地層で。 /
「伝える技術」的な書籍がポピュラーである。
ぼくも、日々の生活のなかで、いろいろと
参考にしている。
佐々木圭一『伝え方が9割』など、実際の
実践につなげていくべきところが多い。
そもそも本を読む人は意外に少なかったり
する。
また、本を読んだとしても、ぼくを含めて
多くの人が、読んで終わりになりがちで
ある。
内容を実践にうつして、試行錯誤のなかで、
じぶんなりの仕方を身につけていくことが
何よりも大切である。
このような書籍がポピュラーである背景
には、コミュニケーションのむずかしさ
がある。
コミュニケーション能力が、さまざまな
場と局面で求められている。
ひとに伝わらない苦々しい経験と
もどかしさが、伝える方法・仕方の学び
を求める人たちをひきつけていく。
「伝える」ということを考えるとき、
ぼくの脳裏には、社会学者・真木悠介
の文章が浮かぶ。
「エローラの像」という文書で、
真木悠介著『旅のノートから』(岩波
書店)に収められている。
真木悠介は、インドにあるエローラ石窟
群にある「teaching Buddha」という
像から、「伝える」が成り立つことの
「秘密」をとりだしてきている。
この「teaching Buddha」は、3つの
像があり、それらは「教える」という
ことに至る3つの姿勢を形づくっている
という。
最初にあるのが ”giving Buddha” -
「与えるブッダ」、あるいは自分を
「明け渡す」という姿勢。自分を
オープンにするという姿勢である。
次にあるのが ”touching Buddha” -
「触れる」ということ。相手に触れる。
ということである。「心に触れる」
「魂に触れる」という日本語がある
ように、そしてtouchという英語も
また、感動させる、心に触れるという
意味があるように、元々は相手の身体
に触れる、じっさいに触れるという
具体性からくるのだろうが、とにかく
相手の存在の核の部分に「触れる」と
いうこと。このことが次にある。
teaching pose - 「教える」という
ことが可能になるのは、この2つの後
ではじめて成り立つことである。
真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)
教える、つまり「伝える」ということは、
与えること、それから触れることがあって
はじめて成り立っていく。
伝えることができない苦々しい経験の
只中で、ぼくは、この「秘密」を思い出す。
「技術」「術」などのハウツーの手前、
一段下の地層において、ぼくは、自問する。
相手に与えることができているか。
オープンになれているか。
相手の心に触れることができているか。
「方法」は「姿勢」がともわないと、
ぼくたちを、伝わらないことの、あの苦々
しい経験のなかに、おきざりにしていく。
だから、今日も、ひとつ下の地層を、
ぼくは掘っていく。
「人間の歴史」を巨視的に視ること - 見田宗介の明晰な理論 /
「人間の歴史」を巨視的に視ること。
日々の生活や明日生きていくことには
関係なくみえる。
でも、そのことは、ぼくたちの
「生き方」をきりひらいていくため
にも、とても大切なことである。
今日のパンをつくってはくれない
けれど、ベネフィットは大きい。
「不確実性の時代」のなかで、
日々のメディア情報の渦のなかで、
巨視的な視野を獲得しておくことは
精神をおちつかせてくれる。
Yuval氏の著作、
『Sapiens』と『Homo Deus』は
そんな効果もあたえてくれる。
巨視的な視野を獲得していく上で、
見田宗介先生の理論は極めて明晰で
ある。
見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
に収められている論考、
「人間と社会の未来 - 名づけられない
革命 -」は、とてもパワフルである。
そのなかで展開される論の内の二つは
次の通りである。
●人間の歴史の五つの局面。現代の意味
●現代人間の五層構造
「人間の歴史」は、五つの局面から
なっている。
- 原始社会(定常期)
- 文明社会(過渡期)
- 近代社会(爆発期)
- 現代社会(過渡期)
- 未来社会(定常期)
見田先生は「現代」をこのように
明晰にとらえている。
…「現代」と呼ばれる社会は、この
「近代」の爆発の最終の位相である
という力線と、新しい安定平衡系に
向かう力線との拮抗する局面として、
未知の未来の社会の形態へと向かう、
巨大な過渡の時代としてとらえておく
ことができる。
見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
見田宗介先生はこれに照応する
ように、「現代人間の5層構造」を
図示している。
④現代性
③近代性
②文明性
①人間性
⓪生命性
その上で、大切なものに焦点をあて
るように、ていねいに説明を加えて
いる。
人間をその切り離された先端部分
のみにおいて見ることをやめること、
現代の人間の中にこの五つの層が、
さまざまに異なる比重や、顕勢/
潜勢の組み合わせをもって、
<共時的>に生きつづけている
ということを把握しておくことが、
具体的な現代人間のさまざまな事実
を分析し、理解するということの
上でも、また、望ましい未来の方向
を構想するということの上でも、
決定的である。
見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
見田先生は、このことばを、
言い方をかえながら、繰り返すよう
な仕方で、ていねいに添えている。
ぼくたちは、日々、「人間をその
切り離された先端部分のみ」で
みてしまう。
この警鐘を、この書が出版される
数年前に、ぼくは見田先生の講座
で耳にしていた。
そのときは「素描」のような仕方
で論を展開されていた。
ぼくは、その後、西アフリカの
シエラレオネ、東ティモール、
そして香港と移住していくことに
なる。
世界のさまざまな人たちに出会い、
一緒に喜び、一緒に苦闘し、
一緒に悲しみ、ときには互いの
フラストレーションをぶつけあう。
そのなかで、自分の感情から、
一歩距離をおくとき、ぼくは
この「現代人間の五層」を
思い出してきたのだ。
見田先生は、この文章につづき、
「名づけられない革命」の
素描的な記述をしている。
Yuval氏の新著『Homo Deus』
の副題「A Brief History of
Tomorrow」にある「明日の
歴史」を、この「名づけられない
革命」に接続することを、
ぼくなりに思い巡らしている。
「名づけられない革命」が
「明日の歴史」を形づくる、
ひらかれた未来を想像しながら。
ひどく疲れた日にそっとひらく本 - 言葉の身体性とリズム /
ひどく疲れた日に、
ぼくには、そこに帰っていく
ような本がある。
本をそっとひらき、そこで語られる
言葉の海にはいっていく。
1. 村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)
新作が本日発売された村上春樹氏。
小説だけでなく、「紀行文」も
ぼくたちの奥底に染みいる。
この本は、スコットランドと
アイルランドへのウィスキーの
旅を綴った美しい本である。
スコットランドとアイルランド
の美しい風景、それからウィスキー
の深い香りが漂ってくる。
スコットランドのアイラ島。
村上氏は、現地式をまねて、
生牡蠣にシングルモルトを
とくとくと垂らして、口に運ぶ。
…至福である。
人生とはかくも単純なことで、
かくも美しく輝くものなのだ。
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)
これを知って、試さずには
いられない。
ぼくも幾度となく、この至福の
時を楽しむ。
この本は、文章だけでなく
村上氏の奥様、陽子さんの
写真が、心の深いところに
響いてくる。
これらの美しい写真が
言葉に表しようのない感情を、
静かに呼び覚ますのである。
ひどく疲れた日に、ぼくは
村上春樹氏のこの本を
そっと開く。
スコットランドを綴る最後に、
ボウモア蒸溜所のマッキュエン氏が
口にする「アイラ的哲学」が
置かれている。
「みんなはアイラ・ウィスキーの
とくべつな味について、あれこれと
分析をする。大麦の質がどうこう、
水の味がどうこう…。でもそれだけ
じゃ、…魅力は解明できない。
いちばん大事なのはね、ムラカミ
さん、…人間なんだ。…人々の
パーソナリティと暮らしぶりが
この味を造りあげている。…
だからどうか、日本に帰ってそう
書いてくれ。…」
というわけで、僕はそのとおり
に書いている。神妙な巫女みたいに。
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)
ぼくも、その御宣託を受けるように
この言葉を心にしずめて、
この小さな美しい本を閉じる。
2. 見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波書店)
この本も、美しい本である。
社会学者の見田宗介先生が
宮沢賢治を通じて、自我という問題、
<わたくし>という現象を考える。
宮沢賢治の文章(と生)と見田宗介
の文章(と生)が織りなす、まさに
<存在の祭り>というべき本である。
この本を読んでいると、ぼくの
精神がおちつきを取り戻していく。
村上春樹氏の文章と同じように、
見田宗介先生の文章は、
言葉が生きている。
リズムがあり身体性を感じるのだ。
この『宮沢賢治』は、
宮崎駿の映画のように、
「主人公」が異世界を通過して
肯定的に現実世界に戻ってくる
構成ですすんでいく。
見田先生は宮沢賢治の詩篇「屈折率」
から、宮沢賢治の生涯に思いを
馳せる。
<わたくしはでこぼこ凍ったみち
をふみ/このでこぼこの雪をふみ>
と、くりかえしたしかめている。…
あれから賢治はその生涯を歩きつづ
けて、…このでこぼこの道のほか
には彼方などありはしないのだと
いうことをあきらかに知る。
それは同時に、このでこぼこの道
だけが彼方なのであり、この意地
悪い大きな彫刻の表面に沿って
歩きつづけることではじめて、その
道程の刻みいちめんにマグノリアの
花は咲くのだということでもある。
見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波書店)
宮沢賢治の美しい詩篇と、
見田宗介の美しい文章に触れ、
ぼくも「このでこぼこの道」が
彼方であることを確かめる。
3. 真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)
真木悠介先生の life work(生の
ワーク)である『旅のノートから』。
次のような扉の詞が置かれている。
life is but a dream.
dream is, but, a life.
真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)
この扉の詞にはじまり、
「18葉だけの写真と30片くらいの
ノート」である。
真木悠介著作集ではなく、原本の
「表紙の写真」は、インドの
コモリン岬で、真木悠介先生が
撮った写真である。
この「コモリン岬」での話については、
後年、見田宗介の名前で出版された
『社会学入門』の中に収められた
「コラム コモリン岬」にてつづられて
いる。
とるに足らない話と言いながら、
とても感動的な話である。
この「ノート」は、真木悠介先生に
とっては、「わたしが生きたという
ことの全体に思い残す何ものもないと、
感じられているもの」であるという。
一葉一葉の写真が、
ひとつひとつの文章が、
一言一言の言葉が、
ぼくの内奥に深く響いていく。
「言葉に癒される経験」である。
繰り返しになるが、
言葉が身体的である。
言葉が生きているのだ。
ひどく疲れた日。
ぼくは、そっと腰をおろし、
これらの本をそっとひらく。
本の世界に、
静かな言葉の海のなかに、
そっとはいっていく。
いつしか、
言葉が言葉ではない世界に
ひきこまれていることを
感じるのだ。
「創られながら創ること」(真木悠介) - 「創ること」の本質 /
IT技術とインターネットの普及により
時代は多くの「クリエイター」を
生み出している。
アート(芸術)、作家、ブロガー、
YouTuberに至るまで、これまでに
ない勢いで、自分の「作品」を世に
出す機会が開かれている。
「作品」は、自分を表現するもの
などと言われる。
ぼくは、このような言説が語られる
たびに、立ち止まって、考える。
脳裏にうかぶのは、真木悠介先生の
絶妙な言葉である。
真木悠介先生は、このことを
フランスの思想家バタイユの芸術論
からインスピレーションを得る。
創造するということは、
「超えられながら超えるという精神
の運動なんだ」と。
つまり、ほんとうの創造ということ
は、創るということよりまえに、
創られながら創ることだと。
…ぼくらは、近代的な芸術を批判
するものとして、バタイユを読み
返すことができると思う。
近代的な芸術というのは、個性の
表現とか主体の表現ということが
あって、…バタイユは、そういうの
は、いわば貧しい創造に過ぎないの
であって、ほんとうの創造は、
自分自身が創られるという体験から
出てくるのがほんとうの創造なんだ
ということを、半分、無意識に
言っていると思うんです。…
真木悠介・鳥山敏子
『創られながら創ること』
(太郎次郎社)
この言葉、「創られながら創ること」
は、鮮烈である。
ぼくは「ほんとうに大切な問題」を
追求していくなかで、大学時代、
「人は旅で変われるか?」という
テーマに没頭した。
そのことを考えていくなかで、
この言葉は、ぼくが感じていたこと
に「言葉」を与えてくれたのだ。
真木悠介先生も、この言葉を
自身のインドへの旅を素材に語る。
ふつうの旅行というのは、
創る旅行であるわけだけれど、
途方に暮れるとか、そういう
ところから、いわば最初の設計
がだめになるということから
インドの旅が始まるという。…
真木悠介・鳥山敏子
『創られながら創ること』
(太郎次郎社)
中国本土を旅したときも、
返還前の香港を旅したときも、
ベトナムを旅したときも、
そしてニュージーランドで
徒歩縦断に挑んだときも、
ぼくは、常に、超えられる
という経験のうち、創って
いくということがあった。
旅に限らず、日常においても、
こうして文章を書くプロセスに
おいてそれは、常に超えられる
経験がある。創られながら創る
という経験がある。
そうして生まれた文章は、
創られるという経験が深ければ
深いほど、自分でも驚きと感動
の気持ちがわく。
それから、人との出会いも、
それが「ほんとうの出会い」で
あれば、関係の構築は、
超えられる経験のうちに
深まっていくものでもある。
真木悠介先生は、
この書の「あとがき」で
「創られながら創ること」という
絶妙の言葉を、「解体と生成」と
して表現している。
ぼくたちは、旅のなかで、
世界で生きていくなかで、
作品をつくりだしていくなかで、
それから人との出会いのなかで、
この「解体と生成」の契機に
置かれる。
「解体と生成」は、
人間の成長の本質である。
「解体」という経験は、
怖いものでもあり、でも同時に
恍惚の経験でもある。
人が変わることができるとしたら、
人が生まれかわれるとしたら、
人が成長することができるとしたら、
この「解体と生成」という経験の
内に、自分を乗り越えていく精神に
よってではないかと、ぼくは思う。
「見田宗介=真木悠介」の方法 -「ほんとうに大切な問題」 /
見田宗介『社会学入門 - 人間と社会の
未来』(岩波書店)の「序」は
感動的な文章である。
「社会学とは」について書かれている。
専門科学(経済学、法学、政治学等)
の「領域」をまたいで、「領域横断的」
な学問として、社会問題に向き合う。
社会学は<越境する知>…とよばれて
きたように、その学の初心において、
社会現象の…さまざまな側面を、
横断的に踏破し統合する学問として
成立しました。…
けれども重要なことは、「領域横断
的」であるということではないのです。
「越境する知」ということは結果で
あって、目的とすることではありません。
何の結果であるかというと、自分にとって
ほんとうに大切な問題に、どこまでも
誠実である、という態度の結果なのです。
それから「自分自身のこと」として
見田宗介先生の社会学との関係が
つづられている。
わたしにとっての「ほんとうに切実な
問題」は、子どものころから、
「人間はどう生きたらいいか」、
ほんとうに楽しく充実した生涯を
すごすにはどうしたらいいか、という
単純な問題でした。
見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
「ぼくのこと」で言えば、
(今振り返ると、ということだけれど)
小さいころから、次のような問題系が
ぼくという人間を駆動してきた。
- 生きる目的や人間の本質といった「人間」の問題系
- 戦争などの争いのない「社会」の問題系
高度成長期後の日本において、ぼくは
生きにくさを感じ、疑問をもっていく。
(後年、この危機状況は「社会問題」で
あったことも書籍から知る。ぼくだけ
ではなかったということ。「ぼく」の
問題であると共に「社会」の問題でも
ある。)
人生は、ぼくに「道」を開いてくれる。
それは、
「世界を旅する道」であった。
大学に入り、世界を旅するようになる。
中国、(返還前の)香港、ベトナム、
タイ、ラオス、ミャンマー、ニュージー
ランドと、ぼくは世界を旅する。
その内に、ぼくの「ほんとうに大切な
問題」は、このように「具体性」を
帯びていった。
- 日本を出て世界を旅する日本人
- 「途上国問題・南北問題」
「生きづらさ」の感覚は、「旅で人は
変われるか?」という探索につながった。
「人が変わる」ということを、旅という
場を素材に、追求していくことになった。
そして「途上国問題・南北問題」は、
ぼくの人生をかたちづくっていく。
大学卒業後の進路はうまく決まらず、
また「学びの欲求」が益々強くなり、
ぼくは二つ目の「途上国問題・南北問題」と
いった問題系を大学院で学ぶことに決めた。
大学院で、ぼくは途上国「開発・発展」を
学ぶ。
途上国のことを学べば学ぶほど、それは
結果として、既存の専門科学を「越境」
せざるをえないことになった。
「人が変わること」と「社会が発展すること」
の問題系は、次第にひとつのキーワードを
結実させていくことになる。
それは、
「自由」(freedom)ということである。
この言葉を頼りに、この言葉をタイトルに
ぼくは修士論文(「開発と自由」)を書く。
見田宗介と経済学者アマルティア・センを
導きの糸として、ぼくは「自由」をとことん
考えたのだ。
修士論文「開発と自由」は、ぼくにとっては
とても大切な作業であった。
それは、ぼくのなかで、納得いくまで、
いろいろなこと・ものが繋がったからである。
でも、ある教授に言われた。
「よく書けているけれど、ある意味誰でも
書ける内容ですね。『経験』が見えない。」
理論に終始した結果、ぼくの経験に根ざした
文章にはなっていなかったのだ。
大学院の修士課程を終え、ぼくは、
「実践」にうつっていく。
国際協力NGOに就職し、途上国の現場に
出ていくことになったのだ。
こうして、ぼくは、西アフリカのシエラレオネ
の地に、踏み出すことになった。
ぼくの「ほんとうに大切な問題」を手放すこと
なく、追求していく仕方で。
シエラレオネと東ティモールで、ぼくは、
それぞれ、難民支援とコーヒー生産者支援で
「実践」していく。
そのなかで、ぼくの「原問題」は、次のように
表層を変える。
- 「人が変わること、人の成長」の問題系
- 「いい『組織』をつくること、組織のマネジメント」の問題系
実践の中で、ぼくは、数々のプロジェクトを
動かしていく。その中で、「組織」という
問題にぶつかったのだ。
その後、人生は、ぼくに次の「道」を開く。
そうして、ぼくは「香港」に移ったのだ。
香港で、ぼくは、人事労務コンサルタントの
仕事につく。
「人と組織の成長・発展」を、
人事の視点からサポートする仕事である。
それから10年。
ぼくは、次のステージに立っている。
そして、やはり「ぼくの原問題」に立ち戻る。
それは、見田宗介先生の「ほんとうに大切な
問題」と交錯する。
「どのようにしたら、この世界で、よりよく
生きていくことができるのか」
時代は、大きく変わろうとしている。
すでに、変わってきているし、変わって
しまってもいる。
だからこそ、原問題から、ぼくは新たに
スタートする。
見田宗介先生は、『社会学入門』の「序」の
最後に、このような文章を書いている。
インドには古代バラモンの奥義書以来、
エソテリカ(秘密の教え)という伝統がある。
そのエソテリカの内の一つに、
<初めの炎を保ちなさい>という項目がある。
直接には愛についての教えだけれども、
インドの思想では万象の存在自体への愛
(マハームードラ Cosmic Orgasm)こそが
究極のものであり、知への愛である学問に
ついてもそれはいえる。
見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
旅も、世界で生きていくことも、そして
人生も、同じであるとぼくは思う。
<初めの炎>をぼくは、心の内に、灯し
続ける。
「見田宗介=真木悠介」の方法 - 本質への/からの視点 /
社会学者「見田宗介=真木悠介」の文章が
ぼくにとって魅力的な理由のひとつは、
本質的な問いに降りていくことにある。
常に「本質」への視線を投げかけていて、
本質的で、根源的な視点が地下の水脈に
流れている。
著書『気流の鳴る音』では、
「根をもつことと翼をもつこと」という
人間の根源的な欲求を展開していく。
同著には、また、
「彩色の精神と脱色の精神」と題される
文章が記されている。
われわれのまわりには、こういうタイプ
の人間がいる。世の中にたいていのこと
はクダラナイ、ツマラナイ…という顔を
していて、…理性的で、たえず分析し、
還元し、…世界を脱色してしまう。…
また反対に、…なんにでも旺盛な興味を
示し、すぐに面白がり、…どんなつまらぬ
材料からでも豊穣な夢をくりひろげていく。
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)
真木悠介先生は、この「二つの対照的な
精神態度」を、
<脱色の精神>と<彩色の精神>と呼ぶ。
この対照的な精神態度は、
ぼくたちの日々の生活への「見直し」を
せまる。
ぼくは、10代のきりきりとした時期に、
「脱色の精神」にとりつかれていた。
そんなぼくは、海外への旅をきっかけに
「彩色の精神」を取り戻していくことに
なった。
また、次のような根源的な視点も
ぼくをとらえて離さない。
見田宗介先生は『社会学入門』(岩波
書店)の中で、「自由な社会」の
骨格構成を試みる。
この社会構想は、発想の二つの様式を
もとに展開される。
それは「他者の両義性」である。
他者は第一に、人間にとって、生きる
ということの意味の感覚と、あらゆる
歓びと感動の源泉である。…
他者は第二に、人間にとって生きる
ということの不幸と制約の、ほとんど
の形態の源泉である。…
見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
この他者の両義性をもとに、
「交響圏とルール圏」という社会構想
の骨格を、この「入門」の書で展開
している。
(「入門」はある意味で「到達地点」
でもある)
このように、「見田宗介=真木悠介」
の方法のひとつは、
本質的な問いに降りていくこと、
根源的な地点から思考することである。
日々の生活のなかで、表面的な現実に
疲れたとき、ぼくは、本質的で
根源的な地点に、思考を降ろしていく。
「頭の中の辞書」を見直す -「世界」を書き換える方法 /
ぼくたちの頭脳にある言葉や物事の
「定義」は、驚くほどに、思い込みと
間違いに充ちている。
何かの都合で、何かを読んだり聞いたり
していて、自分が思っていたことの
間違いに気づく。
ぼくたちの「世界」は、言葉と言葉の
解釈で構成されるものでもある。
言葉が間違っていると、「世界」は
間違ったパーツでつくられてしまう。
人と人のコミュニケーションは、
ひとつの「世界」とひとつの「世界」
の間のコミュニケーションでもある。
だから、すれ違いや誤解が常である。
だから、時に、「世界」のパーツを
見直すことは、とても大切である。
「自分の頭の中の辞書」の定義を
見直すことである。
見田宗介・栗原彬・田中義久編の
『社会学事典』(弘文堂)は、
「引く事典」だけでなく「読む事典」
でもある。
ひとつひとつの項目に惹かれ、
言葉の世界に引き込まれてしまう。
事典の最初の項目は「愛」である。
これほど、人によって、定義や解釈
が異なる言葉もない。
ぼくの「頭の中の辞書」では
「愛」の項目はこう書かれている。
「愛とは、自分と相手の境界が
ないこと、なくなること」
『社会学事典』ではこのように
定義されている。
愛とは、主体が対象と融合すること、
一体化することであり、またそこに
成り立つ関係でもある。愛の対象は
一つの宇宙である。主体は対象に
ひきつけられることによって己れを
消尽しつつ、自らを宇宙へと開き、
直接、無媒介的に宇宙の中にいる。
主体と対象との間にはもはや
隔てるものがなく、愛は「消尽の
共同体」(バタイユ)として
存立する。・・・
『社会学事典』(弘文堂)より
これを読みながら、身体の震えと
共に、一人うなってしまう。
また、たった一つの言葉の、その
拡がりに驚かされる。
「頭の中の辞書」の見直し、つまり
「自分の世界を書き換える方法」は
二つある。
- 「辞書」や「事典」で学び、書き換える。
- 意識的に「自分なりの言葉」に書き換える。
1の作業だけでも、深い娯しみを
得ることができる。
関心と感心、驚きの連続である。
「インターネット時代」における
「ネット言葉」だけの世界に陥らない
ための方法でもある。
2は、既成の概念を超えていくこと
でもある。
自分の「世界」を積極的につくり
だしていくことである。
「世界を止める」(真木悠介)のは、
最初は「言語性の水準」である。
ただし、それは、身体性、行動、
それから生きること総体(生き方、
人生)に影響を与えていく。
ぼくは、ここ数年、「自立」という
言葉の書き換えをしてきた。
ぼくの「自立」は、狭い定義で、
それが日常の様々なところに
弊害を生んできていたからだ。
だから、「自立とは…」を書き換える。
自立は自分だけで立つのではない。
周りの応援や支えも、自立に含まれる
というふうに。
「世界を止める」(真木悠介)- 生き方を構想するために。 /
真木悠介先生の名著『気流の鳴る音』の
「概要と内容」を手短に述べることは
なかなか難しい。
理由は3つある。
- 要約を拒否する文体であること(ユニークな美しい文体)
- 削ぎ落とされた文体であること(徹底した論理)
- 一文一文がインスピレーションに充ちていること
真木悠介先生の言葉を拾えば、
『気流の鳴る音』とは、このようなことを
追求していく書である。
異世界の素材から、われわれの
未来のための構想力の翼を獲得すること…
われわれの生き方を構想し、
解き放ってゆく機縁として、これら
インディオの世界と出会うこと…
思想のひとつのスタイルの確立…
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)
『気流の鳴る音』には、
「世界を止める」という章がある。
人が新しい生き方を獲得していく方法
である。
下記の水準において、「世界を止めて
いく」ことである。
- 言語性の水準
- 身体性の水準
- 行動の水準
- 「生き方」の総体
これまでの言語や身体の「すること」を
「しないこと」である。
言語であれば、これまでの思考を
やめてみる。
身体であれば、「目」に頼りすぎず、
五感で世界を感覚する。
ドイツ発祥の「ダイアログ・イン・
ザ・ダーク」の本質はここにある。
暗闇で食事を楽しむレストランなど
も、同様である。
『気流の鳴る音』では、インディオの
世界から、これらを追求していく。
ぼくたちは、世界への旅を、
世界の様々な異文化との出会いを、
「世界を止める」契機としていく
ことができる。
ぼくは、アジアへの旅のなかで、
シエラレオネで、東ティモールで、
香港で、幾度も幾度も、「世界を
止めること」を日常で繰り返す。
「生き方の発掘」(真木悠介)という
真木悠介先生の志に呼応するように。
「根をもつことと翼をもつこと」(真木悠介) /
真木悠介先生の分類の仕様のない
名著『気流の鳴る音 交響するコミューン』。
美しい本である。
その「結」にあたる章は、
「根をもつことと翼をもつこと」
と題されている。
人間の根源的な欲求は、
・根をもつことの欲求
・翼をもつことの欲求
であるという。
「翼」をひろげ、グローバルに、世界で
生きていきながら、
ぼくも「根」をもちたい欲求にかられる
こともある。
人は、家族やふるさとやコミュニティに
「根」をもとめる。
ぼくは「根なし草」になってしまうのでは
ないかという恐れも、以前はもっていた。
そんなときに出会った思想である。
<根をもつことと翼をもつこと>を
ひとつのものとする道はある。
それは全世界をふるさととすることだ。
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)
この美しい文章は、20代のぼくから、
悩みと葛藤と不安と恐怖を、シンプルに
解き放ってくれたのだ。
東京で、西アフリカのシエラレオネで、
それから東ティモールと香港と続く
「人生の旅」において、『気流の鳴る音』
は、ぼくの旅の同伴者である。
1977年に発刊された『気流の鳴る音』
(初稿は1976年)は、今でも、そして
今だからこそ、尽きることのない
インスピレーションを、ぼくに与えて
くれる。
「life is but a dream. dream is, but, a life.」(真木悠介) /
life is but a dream.
dream is, but, a life.
真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)
扉の詞より
ぼくの人生のメンターである真木悠介先生が
「インドの舟人ゴータマ・シッダルタの
歌う歌を、イギリスの古い漕ぎ歌にのせて
勝手に訳したもの」である。
ぼくの座右の銘でもある。
東京、西アフリカのシエラレオネ、
東ティモール、そして香港と生きていく
日々の中で、この詞がぼくを支えてくれた。
英語文法的なポイントは
“but”の二つの意味合いである。
前者の文章の“but”は「ただ(only)」の意味
である。
後者の文章の“but”は「しかし」の意味である。
これを念頭に日本語訳すると、こうなる。
「人生はただの夢でしかない。
しかし、夢こそが人生である。」
この詞にはたくさんの真実が詰まっている。
まず一つ目に、ぼくたちが「人生」だと
思っていることは、すべて「夢」である
ということである。
夢は、違う言葉では、「物語」とも言える。
いわゆる「現実」も、ぼくたちが脳で
つくりだしている「夢」でしかない。
いわゆる「人生の目的」もない。
でも、だからと言って、悲観することでは
ない。
「夢でしかないなら、意味がない」と
シニカルになることでもない。
夢こそが人生であるなら、この「夢」を
楽しんでいくことである。
素敵な「物語」をつくっていくことである。
そして、どんな夢も、どんな物語も
ぼくたちはつくり、生きていくことが
できる。
生ききることができる。
世界を変える?(理論編) /
「世界を変える」ではなく、世界が変わっていく。
「~すべき」「~あるべき」という肩肘張った説法ではなく、また様々な形で発現する「暴力」という仕方でもなく、世界が変わっていく。
「生き方の魅力性」(見田宗介)という魅力的な仕方で、世界が拓かれていく。
魅力的な生き方に、人が変わっていく。
ある人が変わることで、人と人との「関係性」も変わっていく。
人と人との「関係性」は、「社会」である。
「社会」の連鎖が、「世界」である。
「生き方の魅力性」と「生き方の魅力性」が、相乗的に、拡がっていく。
そんな生き方ができる時代にぼくたちはいる。
シエラレオネと言葉 /
2002年から2003年にかけて、ぼくは、西アフリカのシエラレオネで仕事をしていた。
シエラレオネで仕事をしているとき、ぼくは、感じていること・思っていること・考えていることを「言葉化」することが、ひどくつらくなってしまった。
仕事をこなしていくこと、現実に対応していくことで精一杯であったこともある。
ひどく混乱してしまったこともある。
仕事が終わると、ぼくは事務所(兼住居)の前に椅子を持ち出し、考え事にふける日々が続いた。
「現実」の中で、言葉を失ってしまった。
「現実」に圧倒されてしまった。
シエラレオネには延べ1年近く滞在することになったのだけれども、ぼくは、言葉を紡ぎ出すことができなかった。
人は、時として、自分の言葉を凌駕するような現実に出会う。
自分の言語空間がつくりかえられていく経験をする。
破壊と創造。
社会学者の見田宗介が、バタイユの言葉を転換して述べるように、「創られながら創ること」。
何かを創ってきたというよりは、創られてきたという感覚の方が大きい。
シエラレオネでの仕事から、10年以上が経過して、ぼくはようやく「自分の言葉」をつむぎだしていく素地ができた。
ぼくは、今こうして、言葉をつむいでいる。
ぼくと「見田宗介=真木悠介」 /
人生を変えた書籍は?と聞かれるならば、ぼくは迷わず「見田宗介=真木悠介」(社会学者)の著作を挙げる。
時代と社会と人生に対してキリキリとし冷めた感情を抱いていた大学生のとき、ぼくは、真木悠介『気流の鳴る音』に出会う。今となっては、どの著作が最初の出会いであったかは定かではない。だけれど、『気流の鳴る音』を読みながら、ぼくの視界に(字義通り)光がさしていくのを、新宿駅の埼京線プラットフォームに向けて階段を上がりながら感じていたことを、ぼくは20年経った今でも覚えている。
『気流の鳴る音』との出会いからは、「見田宗介=真木悠介」の著作を、片っ端から探して、買い求め、何度も何度も読み返してきた。彼の文章は「難解」である。それは複雑さから「難解」なのではない。思考の深さに初めて降りていくときの「難解さ」である。だから、ぼくは、身体に染み込むまで、著作を読み返した。そこに、きっと、「何か」があると、確信していたから。
大学を卒業し、大学院で「途上国の開発学」を学んでいたときも、そして開発学の実践として紛争地でNGO職員として仕事をしていたときも、ぼくの横には、いつも「見田宗介=真木悠介」の著作があった。
くたくたになって帰宅する日、「見田宗介=真木悠介」の文章は、ぼくの身体を癒してくれる。どんなに疲れている日でも、「見田宗介=真木悠介」の文章世界に、ぼくはそっと入っていくことができる。