「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「関係の絶対性」という、現代世界の課題。- 見田宗介による「9・11」への応答。

「9・11」、つまり2001年9月11日、ニューヨーク「世界貿易センタービル」の同時多発テロと、それにつづく「報復」戦争への応答として、社会学者の見田宗介は、つぎのように書いた。

「9・11」、つまり2001年9月11日、ニューヨーク「世界貿易センタービル」の同時多発テロと、それにつづく「報復」戦争への応答として、社会学者の見田宗介は、つぎのように書いた。

 「関係の絶対性」という事実が、二千年前も現在も、最も困難な現実問題の基底にありつづけているということを、認識の出発点とするほかはないと思います。

見田宗介「二千年の黙示録」『社会学入門』(岩波新書、2006年)

「9・11」とそれにつづく戦争は、現代世界が最も困難な問題として抱えている「関係の絶対性」という問題を露呈したということある。

「二千年前も現在も」と書かれているのは、この問題が、たとえば、キリスト教の新約聖書のうちにも見出すことができるものであるからである。

見田宗介は宗教の問題を語ろうとしたわけではないし、ましてやキリスト教の問題というように書いたわけでもない。

ただ、「9・11」と一連の出来事を目の当たりにしながら、見田宗介が思い起こしていた2つの文書が、D・H・ロレンス『アポカリプス』と吉本隆明「マチウ書試論」という論考であり、それらが扱っているのが新約聖書であった。

「バビロンの都」(当時の世界帝国ローマ)、その都が倒れるさまを神話的形象で描く新約聖書「ヨハネの黙示録」は、不遇な階級、民族、地位にあるキリスト教徒のあいだで強い共感と支持を得てきたものだという(*より詳細な説明は前述の論考を参照されることをおすすめする)。

そして、この「バビロンの都」を「ニューヨーク」、また文脈を「イスラム原理主義」と置き換えてゆくと、現代にもつづく「問題」がみえてくることになる。

「関係の絶対性」という核心的な言葉を、見田宗介は吉本隆明の上記の論考から取り出している。

吉本隆明は、原始キリスト教の「苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感」を正当化するものとして、この「関係の絶対性」によるしかないと書いている。

「関係の絶対性」とは、簡易に言ってみれば、遠隔的に、媒介的に収奪し支配される関係、絶対的な敵対関係のことである。

圧倒的な軍事力と貨幣経済の力によって、「パビロンの都」の住人たちは、実際にどのような人たちであるかにかかわりなく(どんなに「いい人」であっても)、また見えにくい仕方(幾重にも間接化された関係のなか)で、「都」の外部を収奪し支配してしまう。

それはもちろん、ある意味「バビロンの都」の住人であるぼくの生をも、貫通しているものだ。

見田宗介は、「9・11」によって明るみにでたこの問題を、二千年の文明社会を支えてきた思想が解決できなかったものとして、「二千年の黙示録」として書いている。

2001年からすでに17年が過ぎた現代世界も、いまだ、この「関係の絶対性」の問題を解決できずにいる。

けれども、悲観的になることはない。

解決の糸口や萌芽、解決への情熱や試みは、いたるところに見られるのだと、ぼくは思う。

 

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「未来構想」そのものを学ぶこと。- 真木悠介『人間解放の理論のために』(1971年)という本。

社会学者である見田宗介は、「世に容れられるということを一切期待しないという、古風な熱情を以て記された文章群」を「真木悠介」の筆名でしてきた。

社会学者である見田宗介は、「世に容れられるということを一切期待しないという、古風な熱情を以て記された文章群」を「真木悠介」の筆名でしてきた。

その最初の著作は『人間解放の理論のために』(筑摩書房、1971)というものであった。

見田じしんが「今では読まれないほうがいいですが…」と批評家・思想家の加藤典洋に語っており、また2010年代前半に編まれた見田宗介著作集/真木悠介著作集からも外されている。

その理由は明確に語られていないが、『人間解放の理論のために』を実際に読んでみて推測するのは、抽象度の高い文章群、難解さ、語彙にときおり見られる時代性などである。

けれども、その問題意識と理論それ自体、そしてそれらを支えているにじみでる熱情(これは読み側にとって好き嫌いはあるだろう)は、今読んでも、ほんとうに多くのことを教えてくれる。

 

本のタイトルからはすぐに想像することはできないが、この本で正面から取り上げられているのは、「未来構想の理論」と「人間的欲求の理論」である。

これらのテーマは1960年代から1970年代にかけて切実なものとして書かれたのだけれども、それは「今だからこそ」、とりあげられるべきテーマたちでもあるように、ぼくは思う。

実際、見田宗介がこの本から45年以上経過した2018年に出版した『『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書)は、これらのテーマが継承され、より一般読者向けに書かれている。

そして、ほんとうは、『人間解放の理論のために』というタイトルに含意されているように、見田宗介は、この問題・課題を、数十年や100年単位に限ることなく、その先をも念頭に入れながら、理論を展開している。

 

「人間の解放」という言葉としては硬質なテーマは、見田宗介が17歳のとき(1950年代)、将来の方向性と目的を熟慮しているなかで定められたものであることを、約60年後の2016年の論稿(見田宗介「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号)のなかに書いている。

2日間の熟慮の際、最初に「候補」とされたテーマは、第一に「人類の幸福」、第二に「世界の革命」であったという。

見田じしん、今の時代ではこのようなことを考える人はいないだろうがと前置きをしている。

二つの候補がありながら、「幸福」という言葉のぬくぬく感、また「革命」という言葉の政治的な響きが好きになれずにいたところ、二日目に「人間の解放」という言葉が突然に閃いたという。

そして、1950年代から2016年までの60年間も、そしてこれからもし60年生きるとしても、一貫して「解放論」であると、見田宗介は書いている。

 

その志を真摯に、透明に貫いてきたところに、真木悠介の筆名で最初に書いた著書『人間解放の理論のために』が置かれているのを見ることができる(また、数々の名著も、その一貫性のなかに書かれてきたことを実感できる)。

その『人間解放の理論のために』の最初の章が「未来構想の理論」である。

未来(将来)をどうする/どうなるなどという議論の前に、「未来構想」そのものを、理論のまな板に置いている。

例えば「未来」というものの構造が問われ、明晰に論じられているのだ。

 

「今では読まれないほうがいいですが…」と見田じしんが語るこの本で展開される理論に、ぼくはしばらく深く降りていきたいと思う。

それにしても「今では読まれないほうがいいですが…」と言われると、余計に読みたくなるものである。

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「沈黙の春」(Silent Spring)の戦慄と今。- 見田宗介著『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来ー』を読みつづけて。

8月末ここ香港における大気汚染の中で生活しながら、見田宗介の名著『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来ー』(岩波新書、1996年)を手にとり、本をひらく。

8月末ここ香港における大気汚染の中で生活しながら、見田宗介の名著『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来ー』(岩波新書、1996年)を手にとり、本をひらく。

1996年に発刊された本書は、現代社会の「光の巨大」と「闇の巨大」を<ひとつの理論>の中に収め、20年が経過した今も「古い」ということはなく、今でも、そして今だからこそいっそう大切な議論を展開している(*なお、現在では、見田宗介の著作集Ⅰに一部データ変更の上、収められてもいる)。

 

「闇の巨大」として、あるいは現代社会の「限界問題」として取り上げられ、展開されているのが、以下の問題・課題である。

  1. 環境の臨界/資源の臨界
  2. 南の貧困/北の貧困

 

現代社会の「限界問題1」として取り上げられているのが、環境と資源の問題である。

闇の巨大として語られる「環境・資源」の問題については、今では

この「限界問題1」の章を、見田宗介は、「沈黙の春」という節を出発点として、議論を展開している。

「沈黙の春」(Silent Spring)が学校などでどのように教えられている(あるいは教えられていない)のか、ぼくにはわからない。

その言葉を聞いて、まったくなんのことかわからない、ということもあるだろう。

ぼくが1990年代に大学で学んでいた頃は、レイチェル・カーソンによって書かれたこの『沈黙の春』という書籍は、環境問題・公害問題の「古典」としての位置を占めていた。

「古典」であるということは、見田宗介も書いているとおり、「だれでもその書名をよく知っている割合には、現在ではその内容を必ずしもきちんと読まれていない」(前掲書)という本である。

見田宗介は、この本が提起している問題について、その「基本的な構造」は変わっておらず、「今もなおアクチュアルな問題」であるとしながら、ぼくたちの「感覚のズレ」のようなものについて、教えてくれている。

 

『沈黙の春』で取り上げられている化学薬品の多くは現在ではほとんど使用されていないけれど、カーソンの描くような環境汚染ははるかに巨きな規模と深度で進行してきた。

そのことを指摘しながら、またカーソンの嘆きを引用しながら、それにつづけて、見田宗介はつぎのように書いている。

 

…レイチェル・カーソンのこの新しい戦慄を、いくらか「時代おくれ」のものであるように感じる人は多くなっている。それは書かれていることが、解決され、すでに存在しなくなっているからではない。反対に、それが多くの国々で、ふつうのこととなり、だれもそのことに注目しなくなったからである。気づいても、新しい戦慄の声を挙げるということを、しなくなっているからである。人間たちもまた沈黙してしまったからである。あるいは、われわれの中の感受性も、声を挙げるということをしなくなったからである。

見田宗介『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来ー』岩波新書、1996年

 

レイチェル・カーソンにだけではなく、ぼくは、この文章に、この見方に、教えられた。

ひとつ前の時代であれば新鮮な戦慄であり、声が挙げられたことが、今では「ふつうのこと」となってしまっていて、その状況をただやりすごしてしまう。

このことは「環境問題」に限ったことではない。

いろいろな事象や状況を射る見方として、『沈黙の春』と『現代社会の理論』はぼくの中にある。

 

それにしても、この本の副題にある「情報化社会・消費化社会」という言葉も、「古く」感じられてしまうことがある。

しかし、この本を読み、実際の社会に目をやり、じぶんの生活を振り返ると、これらの言葉が指摘することは、今もそのひろがりと深度を増しているようにも思う。

そして、この現代社会の乗り越えも、この「情報」と「消費」の意味合いを転回し、徹底させてゆくところにあるということも、この本が書かれてから20年以上が経過した今、さらに切実さと可能性を大きくしている。

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「見田宗介=真木悠介」, 香港 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」, 香港 Jun Nakajima

香港で、子供たちに向けられた「早く」の言葉を耳にしながら。- 「早く、早く」の生活速度にかんする真木悠介の考察。

香港でぼくの住んでいるところの界隈は家族が多く、子供たちに向けられた「早くしなさい」という意味の言葉を耳にすることがある。

香港でぼくの住んでいるところの界隈は家族が多く、子供たちに向けられた「早くしなさい」という意味の言葉を耳にすることがある。

そのような言葉におされるように動く子供たちの身体を、ぼくは目にする。

「速さ」「早い」という行動形式に、社会のぜんたいがかけられている香港。

そのすごさに圧倒される一方で、複雑な気持ちもぼくの中では湧いてくる。

 

今ではよく覚えていないけれども、ぼくが小さい頃(1980代頃)も「早く」という言葉が、家庭や学校などの生活空間に満ちていたのかもしれないと思う。

「時間」についてそれを正面から見据えた名著『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)において、真木悠介は、現代社会における「早く」の時間衝迫に関連して、つぎのように書いている。

 

 ある音楽家の文章によると、下手でも早く弾いた曲と、上手にゆっくり弾いた曲とを聞かせると、母親の「早く、早く」のシャワーの中で育てあげられた現代の日本の子供は、一様に早く弾いた演奏の方を「上手」と言うという。時間衝迫が芸術のスタイルをも規定せずにはおかないことを、われわれはたとえば映画の表現史にみることができる。…

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店、1981年

 

ここで語られる「現代の日本の子供」は、さしあたり著書が書かれた1970代から1980年代の頃を指しているようだけれども、それは「ゆとり世代」などの表層的な区分を超える仕方で、「現代」という時代の子供たちであるとみることができる。

真木悠介は1990年前半に行われた対談においても、「日本の母親が自分の子どもに一日のうちにいちばんたくさん言うことば」として「早く」という言葉があると指摘し、それが、言うほうにも言われるほうにも、「呼吸が浅くなる」という影響をおよぼすだろうことを語っている(真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること 身体のドラマトゥルギー』太郎次郎社)。

真木悠介が「時間」について比較社会学的な考察をしていた当時、ぼくはそこで語られる「現代の日本の子供」のうちのひとりであった。

 

「一定の生活速度は一定の生活の型を要求する」(真木悠介)ように、現代の日本における生活速度の中で「一定の生活の型」を体得していったのだろう。

その「生活の型」を身体に刻みながら、ぼくは、この現代の社会での「速さ」に対して、その流れを泳ぐための「型」を手にしてきた。

けれども、それと同時に、何か大切なものを、いくぶんか忘れてしまったようにも思う。

だから、そのようなことに気づきを得たときから、呼吸をととのえながら、生きるという時間の経験のぜんたいを取り戻そうとしてきたのであり、まだいろいろに試しているところである。

 

こんなことだから、「早く」という言葉のシャワーを聞くと、いろいろとかんがえさせられるのである。

それにしても、「速さ」「早い」にかけられた香港の行動形式・様式には、いつもいつも、おどろかされる。

香港に来る前、西アフリカのシエラレオネ、それから東ティモールに住んでいたことも、そこと香港との「ギャップ」をいっそう体感させた理由であったかもしれない。

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「表現」について。真木悠介の表現論。- <あらわす>ことを、そぎ落とすこと。

作家のダニエル・ピンクは誰もが「セールス」をしているのだとして『To Sell is Human』という本を書いたけれど、その意味の次元と同じところで語れば、人は誰もが「表現」していると言える。

作家のダニエル・ピンクは誰もが「セールス」をしているのだとして『To Sell is Human』という本を書いたけれど、その意味の次元と同じところで語れば、人は誰もが「表現」していると言える。

毎日、至るところで、人は言葉を語り、書き、また言葉とは違う形式で表現する。

表現を手段とし、あるいは表現を作品や形あるものにおとしてゆくこともある。

 

じぶんが語り、書く言葉はどこか「ほんとう」ではないものと感じられることもある。

なにかを表現しようと思えば思うほどに、表現する言葉に違和感を感じてしまうこともある。

 

表現と<生きること>とのあいだには、緊張がある。
(語ることは、いくぶんか、裏切りである。)

真木悠介「伝言」『旅のノートから』岩波書店、1994年

 

詩人である山尾三省の著書の序文に、真木悠介はこのように書いている。

ことあるごとに、ぼくが立ち戻ってくる文章である。

詩人であり百姓であった山尾三省の「生」とその詩に向かいながら、「語ることが裏切りでないような言葉。生を裏切らない表現というものがあるか?」と、真木悠介は問いながら、つぎのように書いている。

 

 表現とは、あらわす、ということである。このように理解されている。そして表現が、あらわす、ということであるかぎり、それはいつでも、いくぶんか、生を裏切る。しかし表現は、あらわれる、ということであることもできる。表現が<あらわす>ということでなく、<あらわれる>ということであるかぎりにおいて、表現は、生を裏切ることのないものであることができる。…
 創ることでなく、創られること。
 <あらわす>ことを、そぎ落とすこと。<あらわれる>ことに向かって、純化すること。洗われるように現れることばに向かって、降りてゆくこと。降りそそぐことばの海に立ちつくすこと。

真木悠介「伝言」『旅のノートから』岩波書店、1994年

 

「創られながら、創ること」は、真木悠介の思想(生き方)における、大切な軸のひとつである。

それは、近代的自我や近代芸術における「表現」や「創造」における「あらわすこと」や「つくること」という主体のあり方に対して、根源的な視点の転換である。

じぶん(「自分」という確固としたモノ)の中にあるものを外側に向けて「あらわす」、というふうに捉えられる仕方を転回させているのだ。

 

「表現が<あらわす>ということでなく、<あらわれる>ということであるかぎりにおいて、表現は、生を裏切ることのないものであることができる」と、真木悠介が書くとき、それはけっして言葉遊びなどではない。

ここでの対象人物である山尾三省はもとより、宮沢賢治などが降り立ってゆく<降り注ぐことばの海>に、真木悠介は実際に深く触れてきている(※また、真木悠介の言葉自体も<あらわれる>ところに向かって純化されてきている)。

真木悠介は別のところで「詩人とは、ある現代の詩人のいうように、<自分と世界との境目がはっきりしない人間>として定義される…」(『自我の起原』岩波書店)と書いている。

<自我と世界との境目がはっきりしない>場所は、そこから言葉を<あらわす>ような場所ではなく、そこから言葉が<あらわれる>ような場所である。

 

このような言葉たちに触れながら、ぼくは「表現」ということをかんがえる。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

人間が個として「自由」であることの根拠。- <テレオノミーの開放系>(真木悠介)。

「自由」ということを語ることは、なかなか難しい。

「自由」ということを語ることは、なかなか難しい。

その難しさは、さしあたり、二つの方向からくるように思う。

ひとつは、その「抽象性」からくるもので、もうひとつは、その「具体性」からくるものである。

抽象的に語られるときにも、いろいろな仕方で語られる。

よく知られるルソーでさえ、ルソーという人物から一般的に想像されるであろう「自由」とは異なる仕方、語っている。

 

…人間の自由は、自分の欲することをなすことにあるなどと、僕は一度も思ったことはない。ただ、自分の欲しないことをなさないことにあると思っている。

ルソー『孤独な散歩者の夢想』青柳瑞穂訳(新潮文庫)

 

また「自由」を抽象的な議論で追いつめてゆくと、あまりにも観念的なものになってしまう。

逆に、具体的に語ればよいかというとそう簡単ではなく、具体性は、言葉を語る人たち、あるいは受けとる人たちの経験の多様性のなかで、あまりにも多様に(ときに深い感情をともなって)語られる/受け取られるため、議論がなかなかかみあわない。

そんなわけで、「自由」を語ることは、実は難しかったりする。

 

そのようななかで、人間の個としての「自由」ということを、人間の「自我の起原」において明晰に論じる真木悠介(見田宗介)の論考に、ぼくは魅かれる。

『自我の起原』(岩波書店、1993年)において最終章で提示される「テレオノミーの開放系」ということについて、真木悠介(見田宗介)は別のところで、その主旨をつぎのように書いている。

 

…<テレオノミーの開放系>とは…、人間の<自我>の脱目的性ということである。…生命世界の中で唯一人間の<自我>だけが、最初はこの個体(「自分」)自身を自己=目的化することをとおして、生成子の再生産という鉄の目的性から解放され、しかしそうなると個体は無目的のものとなるから、自己自身の絶対化(エゴイズム)からさえも自由な、どのような生きる目的をももつことができる存在となる。…

見田宗介「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』青土社、2016年9月号

 

ここで「生成子」とは「遺伝子」のことであり、人間が「自分」をもつということは、生命の再生産から「自由」になり、個体としては「どのような目的も」もつことができるようになる。

どのような他者たちもぼくたち個人が生きることの目的を決定しないし、どのような他者たちもぼくたち個人の生きることの目的を決定するということ、つまり人は個として<自由>である。

個人としてどんな目的をもつこともできるし、どんな目的ももたないこともできる。

よく「人生に目的はあるのか?」ということが、生きることの目的性を論じるなかで、問いとして立てられたりするけれども、この問いにたいしては、上で見たように、人間の自我の「脱目的性」ということを最初の土台として応えることができる。

つまり、人生に目的をもつこともできるし、人生に目的をもたないこともできる。

また、人生の目的をもつ際にも、どんな目的をももつこともできる。

人間の自我の、この<テレオノミーの開放系>という、きわめて明晰な視点をはじめて知り、理解したとき、ぼくはじぶんの心が解き放たれるように感じたものだ。

そして、「自由」ということをかんがえるときに、やはり、そこを出発点として、かんがえることにしている。

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「自由(liberty)」とは何であるか?。- 自由の二つの前提(見田宗介)と歴史的な範例。

社会学者の見田宗介は、「自由(liberty)」ということを理論的に考えるための「歴史的な範例」として、1945年の日本の敗戦直前の沖縄戦を奇跡的に生き残った一人の女性の証言を挙げている(「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号)。

社会学者の見田宗介は、「自由(liberty)」ということを理論的に考えるための「歴史的な範例」として、1945年の日本の敗戦直前の沖縄戦を奇跡的に生き残った一人の女性の証言を挙げている(「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号)。

よく知られているように、当時は「ひめゆり」隊などとして、防衛の最前線に動員されていた女子学生たちがいた。

その中で奇跡的に生き残った一人の女性の2015年90才近くになっての証言によると、米軍の猛攻により敗走するほかのなくなった日本軍から足手まといとなった彼女たちは、「各自判断で行動せよ」と、突然に「自由」を言い渡されたのだという。

外は米軍の砲弾が降り注ぐ状況下で、「どこに行けばいいのか、ご指示下さい」と再度聞こうとする女子学生たちに対し、「何度言ったら分かるんだ。おまえたちは自由なんだ」と言って、日本軍はどこかに立ち去ったという。

この「歴史的な範例」を挙げながら、見田宗介は、はたして女子学生たちは自由であったのだろうか、また自由とは何だろうかと、考えている。

 

…自由であるということはどこに行ってもよいということである。けれどもこれだけでは現実的に自由であるということにはならない。どこかに行けば幸福の可能性があるということ。「希望」があるということでなければ、現実的、実際的に自由であるということにはならない。自由には二つの前提がある。第一に、「どこにでも行ける」ということ。第二に、どこかに行けば、幸福の可能性がある。「希望」があるということである。第一は自由の、抽象的、形式的な条件である。第二は自由の、現実的、実質的な条件である。…

見田宗介「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号

 

この「自由の二つの前提」は、「自由」ということにかんする、とても大切なことを教えてくれている。

「自由」というと、西洋的な個人主義の思考の枠組みでは、「自由と責任」として、「個人」のことが語られる。

しかし、見田宗介の挙げる、現実的、実質的な「自由の条件」は、幸福の可能性や希望がある<どこか>を前提としなければならないとしている。

それは、「個人のこと」を超えた条件である。

 

見田宗介のこの文章、また写真家である亀山亮の文章(「沖縄戦「集団自決」慟哭の新証言」『文藝春秋』2018年9月号)を読み、当時の沖縄戦のことを想像し、その内実に圧倒されながら、「自由」ということを考える。

現実は、言葉や観念などまったくふっとばしてしまうほどのものであったことを承知で、それでも、歴史が獲得してきた、人間の/個人の「自由」ということは、この世界/これからの世界において、より明確に捉えておくべきことであると、ぼくは思う。

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香港, 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 香港, 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

香港で、人類の「歴史の曲がり角」をかんがえる。- 香港歴史博物館の特別展示「An Age of Luxury」。

香港歴史博物館の特別展示である「An Age of Luxury: the Assyrians to Alexander(豪奢・贅沢の時代:アッシリア人からアレキサンダーへ)」(2018年5月9日~9月3日)が展示する豪華なもの・贅沢品の数々は、紀元前900年から紀元前300年の時代にわたるものである。

香港歴史博物館の特別展示である「An Age of Luxury: the Assyrians to Alexander(豪奢・贅沢の時代:アッシリア人からアレキサンダーへ)」(2018年5月9日~9月3日)が展示する豪奢なもの・贅沢品の数々は、紀元前900年から紀元前300年の時代にわたるものである。

この「時代」は、かつて、歴史家カール・ヤスパースが、つぎのように「特定した時代」と重なっている。

 

…この世界史の軸は、はっきりいって紀元前500年頃、800年から200年の間に発生した精神的過程にあると思われる。そこに最も深い歴史の切れ目がある。われわれが今日に至るまで、そのような人間として生きてきたところのその人間が発生したのである。…

カール・ヤスパース「歴史の起原と目標」重田英世訳『ヤスパース』河出書房新社

 

ヤスパースが「軸の時代」(※上記の本では「枢軸時代」の訳)と呼んだ、この時代に着目しながら、社会学者の見田宗介は、「人間の歴史の第一の曲がり角」であったとしている(『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年)。

歴史の第一の曲がり角を特徴づけた背景は、<貨幣経済>と<都市の勃興>であり、とくに貨幣経済による人間世界の「無限化」であったと、見田宗介は語る。

ギリシアの哲学が生まれ、宗教がひらかれた「軸の時代」は、そのような開放と不安と恐怖に彩られる時代であったという。

そして、無限化された人間世界は、現代に至り、グローバル化の果てに、その地球の「有限」を見る。

「人間の歴史の第二の曲がり角」に、ぼくたちはいる。

このような問題意識において、「軸の時代」、つまり「人間の歴史の第一の曲がり角」であった時代を、ぼくは展示品を通して思い描くのであった。

 

特別展示「An Age of Luxury: the Assyrians to Alexander」は、大英博物館に収められている、歴史の語り手でもある「贅沢品」を展示しているが、この展示物のなかに、世界における、初期の「硬貨」がある。

貨幣経済が発祥したとされるリュディア(Lydia)で製造された硬貨である。

エレクトラム(琥珀金)から作られ、金と銀が混合されているという。

このリュディアでの貨幣経済の発祥にふれて、見田宗介は、前述の本で「現代社会はどこに向かうか」を問いにしながら、つぎのように書いている。

 

…ミダス王はこのリュディアの東方フリュギアの王である。知られているとおり、ミダス王は黄金を何よりも愛し、手に触れるものすべてを黄金にへんずるという力を獲得するのだが、水を飲もうとしても水が黄金に変わってしまうので、のどが渇いて死んでしまうというものである。貨幣経済のあらあらしい発生期にミダス王の神話を生み出した人びとが直感したのは、貨幣の欲望の本質は世界の等質化ということにあること。つまり抽象化することにあること。この故に貨幣の欲望には限度がないこと。具体の事物への幸福感受性を枯渇すること。この故に人は現代の人間のように、死ぬまで渇きつづけるということである。三千年の射程をもつ予感であった。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 

「An Age of Luxury」とは、世界が、等質化され、抽象化され、「無限」として感じられはじめた時代であり、開放と不安と恐怖のなかで、たとえばミダス王の神話に託された「予感」のように、人びとが戸惑った時代でもあったのである。

 

香港歴史博物館の特別展示「An Age of Luxury」はもちろん大英博物館のほんの一部の展示品(210の展示品)を見せるだけである。

けれども、大英博物館であったなら、展示品があまりにも多すぎることから、ついつい通り過ぎていってしまいそうな展示品の前に立ち止まって、じっくりと鑑賞し、人間の歴史に想いを馳せることができる。

リュディアの、ほんとうに小さい硬貨の前で、ぼくは当時の人たちの「三千年の射程をもつ予感」に想いを馳せる。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「詩人」とは?「詩という現象」とは?。- 真木悠介による定義の明晰さと根柢的な思考。

「詩人」とは、どのような存在なのだろうか?

「詩人」とは、どのような存在なのだろうか?

「詩人」は、どのように定義されるだろうか?

その言葉を、表層においてすくいとれば、単純に、「詩をつくる人」などと、いったんは書いてみることができる。

でも、これでは、「詩人」のことを、なにも語っていないようにも聞こえる。

 

真木悠介(社会学者である見田宗介)は、つぎのように、定義をしている。

 

…詩人とは、ある現代の詩人のいうように、<自分と世界との境目がはっきりしない人間>として定義される…。

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

詩人とは、詩をつくり、詩を発表し、詩を朗読し、詩を売る人であるけれども、詩人とは根元的にどのような人間であるかということに対して、真木悠介の書く、<自分と世界との境目がはっきりしない人間>という定義は、とても明晰であるように、ぼくはかんがえる。

 

この真木悠介による定義は、『自我の起原』という本の「補論1<自我の比較社会学ノート>」の最後の方で、「補論2 性現象と宗教現象ー自我の地平線」の導入部分として、書かれている。

この本のタイトルにあるように、本論は、<自分と世界との境目がはっきりしない人間>とは逆に、ある意味で「自分と世界との境目をはっきりさせる」自我や意識などを問うものに対して、この「補論2」が対極に置かれている。

 

 補論2は、自我の起原を問う本論の主題の対極に、自我の地平線、あるいはその消失点 vanishing pointを問うモノグラフである。…

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

「自我の地平線」あるいは「自我の消失点」とは、言ってみれば、「自我」が(一時的に)消失し、<自分と世界との境目がはっきりしなくなる>ような経験である。

 

真木悠介は、この視点において、「詩という現象」をつぎのように位置づけている。

 

…つまり詩という現象は、性現象/宗教現象がそうであることとおなじに、<自我>という現象の vanishing point、あるいは地平線に立つ現象と考えられるからである。そして、M.K. は、少なくともこの定義における<詩人>の、極限的に直截な存在のかたちと考えられる…。

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

「M.K.』とは、想像がつくように、「宮沢賢治」のことであり、「補論2」は、宮沢賢治がモノグラフの素材としてとりあげられている。

「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです」(宮沢賢治『注文の多い料理店』序、青空文庫)という、宮沢賢治のよく知られる文章は、「わたくし」(自分)と「林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたもの」(世界)との<境目>が、はっきりしなくなる「地平線」において、「おはなし」として、書かれたものである。

 

そして思うのは、<自分と世界との境目がはっきりしない人間>としての詩人という定義のなかで、あるいは自我の地平線である「詩という現象」の視点において、人は、だれしもが<詩人>でありうるのだ、ということでもある。

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<生ききる>ということについて。- 生きる、生ききる、ただ生きる、生きつくす。

<生ききる>ということを、かんがえる。

<生ききる>ということを、かんがえる。

つぎのような、ぼくの「ライフ・ミッション」に書いた言葉である。

 

「子供も大人も、どんな人たちも、目を輝かせて、生をカラフルに、そして感動的に生ききることのできる世界(関係性)をクリエイティブにつくっていくこと。」

 

この「ライフ・ミッション」の最初のドラフトをつくっているときには、「生ききる」ではなく、「生きる」としていた。

「生きる」から「生ききる」になった背景と経緯について、以前のブログでつぎのように書いた。

 

ーーーーー

「生きる」から「生ききる」へ。

自分の「ライフ・ミッション」を書き直しているとき、その中のことばの一つとして、「生きる」、とはじめに書いた。

それから、「生きる」に「き」の一文字を加えて「生ききる」とした。この加えた「き」は、英語で言えば、「fully」の意味を宿す。

Liveだけでなく、Live fully。生ききること。

人によっては「重く」聞こえるかもしれないけれど、今のぼくには、しっくりくる。

<ただ生きること>の奇跡を土台としてもちながら、この生を<生ききること>。

「一文字」に、気持ち・感覚(と、さらには生き方)を込める仕方を、ぼくは、宮沢賢治に学んだ。

宮沢賢治が、1931年11月3日に、手帳に書き込んだ、有名なことば。

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダをモチ…

宮沢賢治

 

宮沢賢治が書き付けた「直筆」を見ると、ことばの間隙から、宮沢賢治の「声」が聞こえてくる。

直筆から見ると、最初の「原型」はこのような、ことばであった。

 

雨ニマケズ
風ニマケズ
雪ニモ夏ニモ…

 

宮沢賢治は、「雨ニ」と「風ニ」のそれぞれの後ろの横に、若干小さい文字で「モ」を加えている。

このこと(と直筆を見る面白さ)を、名著『宮沢賢治』(岩波書店)の著者、見田宗介から学んだ。

見田宗介は宮沢賢治生誕100年を迎えた1996年に、宮沢賢治研究者である天沢退二郎などとの座談会で、このことに触れている(「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店)。

宮沢賢治が、この「一文字」に込めたものに、ぼくは心が動かされた。

その記憶をたよりに、自分の「ライフ・ミッション」を手書きで書きつけながら、ぼくは「生きる」に「き」を加える。

「生ききる」

ことばを、ぼくの身体に重ねてみて感覚を確かめる。

そうして、ぼくの身体とそのリズムがことばに「Yes」と言う。

たったの「一文字」が、世界の見方や生き方を変えることがあることに、気づかされた。

ーーーーー

 

このように生成してきた言葉とライフ・ミッションであるが、<生ききる>は、上述のように、人によって、あるいは文脈によって、「重く」感じられることもある。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」の語感がどこか重さを背負ってしまっているように感じるのと同様である。

それは、人類の歴史において、<近代>という時代を駆動してきた精神、例えば、「時間を無駄にしてはならない、時間は金なり」というようなイメージがすりこまれているように、聞こえるからである。

どんな些細な時間も、将来の「何かのため」に、すみからすみまで活用されねければならない、というようにかんがえる人もいる。

でも、ぼくの「生ききる」は、別に、ゆっくりするのもいいし、またとことん行動してもよい。

 

<生ききる>ことにおいて、ぼくにとって、肝要なことは、

  1. <現在を生きる>ということ、
  2. <じぶんの生>を実現してゆくということ、

である。

これらを基礎としながら、<生ききる>と<ただ生きる>は対立していない。

「生ききる」は行動に充ちた生、<ただ生きる>は行動に欠ける生といったように、逆に聞こえるけれども、それは、前述のような、近代の精神における「思考の癖」のようなものだ。

 

そんなことが、シャワーに浴びる直前に、ぼくの脳裡に、ふと現れ、少しかんがえさせられた。

また、「生ききる」の代わりとして、<生きつくす>という言葉もよいなと、真木悠介(=見田宗介)の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)の「最後の一文」を思い出す。

「生のあり方」を考察する最後の節で、真木悠介はつぎのように書いて、この本(の本文)を書き終えている。

 

 人類の歴史はたとえみじかいとはいえ、一億や二億の年月はおそらく生きつづけるであろうし、その最初の百分の一ほどの歴史のなかに解答を見出せなかったからといって、われわれの想像力をその貧寒なカタログのうちにとじこめてしまってはならないだろう。
 われわれとしてはただ綽々と、過程のいっさいの苦悩を豊饒に享受しながら、つかのまの陽光のようにきらめくわれわれの「時」を生きつくすのみである。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

そう、ぼくたちは、「つかのまの陽光のようにきらめく」生を、<生きつくす>のみである。

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<億の幸福>という「明るい世界」の核心(見田宗介)。- <多様性>ということのメモ。

社会学者である見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)の最後には、補章として、「世界を変える二つの方法」という文章が置かれている。

社会学者である見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)の最後には、補章として、「世界を変える二つの方法」という文章が置かれている。

短い文章であるけれども、ここへの「到達」までには、見田宗介(=真木悠介)のこれまでの研究と実践が、幾重にも折り重なっている。

この魅力的な補章のなかで、見田宗介は、20世紀の歴史の「悲惨な成行」を振り返りながら、「世界を創造する時のわれわれの実践的な公準」として、つぎの3つを取り出している。

 

● 「positive」肯定的であること。
● 「diverse」多様であること。
● 「consummatory」現在を楽しむこと。

 

英語の頭文字が「小文字」であることには意味が付されていて、それ自体ひとつのテーマでもあるのだけれど、さしあたって、社会の全域を目指す公準ということではなく、いたるところの「小さな、自由なコミューン」の公準としてかんがえられていることだけを、ここでは指摘しておく。

 

見田宗介は、これらが取り出された背景としてある「20世紀の歴史の悲惨な成行」、それからこれら3つのことに、簡潔に説明を加えている。

ぼくが惹かれたのは、「diverse 多様であること」に関する、見田宗介のつぎの「言葉の書き換え」である。

 

 宮沢賢治の詩稿の断片に、このような一説がある。
  ああたれか来てわたくしに言へ/「億の巨匠が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る」と
 われわれはここで巨匠の項のコンセプトに、幸福をおきかえてみることができる。
  億の幸福が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と
 明るい世界の核心は、億の幸福の相犯さない共存ということにある。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 

「多様性」という、さまざまな場や局面で触れられる抽象的な言葉に、より具体的なイメージを重ね合わせてゆくように、<億の幸福の相犯さない共存>ということが書かれている。

 

ここでの「幸福」は、広い意味のなかで捉えられるものであり、そこに包括される言葉(あるいはそれを包括する言葉)として、ぼくは「生き方」におきかえてみたい。

 億の生き方が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と

 

ところで、「虹」のイメージは、「多様性」の象徴として使われることがある。

そのイメージは、6色として使われたり、7色として使われたりしているから、「億」の色には到底程遠いという見方もある。

けれども、6色として見るのも、7色としても見るのも、あるいはその前後の数で色を見るのも、「特定の見方」に規定された色たちである。

実際の虹の連続体は、そこに「グラデーション」が連なっているから、見方を変えれば、数えきれない「虹の色」をもっていると見ることもできる。

たとえば「黄色」をとってみても、「いろいろの黄色」がある。

人は、その「人生においてそれぞれに違った色を生きてゆくことができる」という多様性に、「明るい世界」の核心がある。

「億の幸福」「億の生き方」が並んで生まれ、互いに相犯さない、明るい世界の方へと、人と社会は舵をとることができるところに、現在ある。

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テクノロジーによる「環境容量」の拡大の方向性について。- 見田宗介による「環境容量の拡大と人間の幸せ・不幸せ」の考察。

これからの人と社会をかんがえているなかで、社会学者の見田宗介先生と「議論を交わしたい」と思っていたことがあって、将来いつかお会いできるときにお伺いできたらと、準備していた「テーマ」がある。

これからの人と社会をかんがえているなかで、社会学者の見田宗介先生と「議論を交わしたい」と思っていたことがあって、将来いつかお会いできたら、ぜひお伺いしたいと、準備していた「テーマ」がある。

それは、現代社会が直面する「巨大な闇」である環境問題・資源問題をのりこえてゆく方途としての「宇宙開拓」についてである。

想像以上に宇宙ビジネスが進展してきているなかで、それでもすぐにとは言わずとも、「宇宙開拓」による資源採掘などが、グローバル化の果ての地球(無限でありながらの有限な球体)を救う手立てとなるかどうかである。

 

そのような「テーマ」を準備していたから、新著である見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)に、このテーマに正面から応答する文章があるのを見つけたときは、嬉しさと共に、そこで展開される論理の明晰さに感嘆の声を心の中であげてしまった。

見田宗介は、「テクノロジーによる環境容量の変更。弾力帯。「リスク社会」化。不可能生と不必要性」(第5章第3節)と題しながら、「テクノロジーの環境容量の変更(拡大)」という方向性を、実際に進んでいる分野として、「二つの方向性」に見ている。

 

  1. 外延的(extensive)に環境容量を変更(拡大)する方向:地球外天体への移住植民や資源探索・採取など
  2. 内包的(intensive)に環境容量を微視の方向に変更(拡大)する方向:遺伝子の組み替えや素粒子の操作など

 

この内の2番目についても、ぼくは「テーマ」を持ってかんがえているけれど、さしあたって、冒頭で問題としたテーマはこの1番目に該当するところである。

グローバリゼーションにおいて、この「地球」という球体の環境・資源を使い尽くす方向に走ってきた人間は、その地点において、論理的に、この外延的(extensive)/内包的(intensive)な方向性に、テクノロジーの舵をきってゆくことは当然であるようにも思われる。

ぼく自身も「外延的(extensive)」な方向への、つまり地球外天体への方向への、研究や試みやビジネスなどの動きに「関心のアンテナ」を張ってきた。

そんな「関心のアンテナ」もあったから、つぎのように書かれているのを読んだとき、ぼくはハッとしたのであった。

 

 環境容量をむりやりにでも拡大しつづけるという強迫観念は、経済成長を無限につづけなければならないというシステムの強迫観念から来るものである。あるいは、人間の物質的な欲望は限りなく増長するものであるという固定観念によるものである。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 

「テクノロジーによる環境容量の変更(拡大)」の方向性は(ひとまずは)続いてゆくだろうし、ぼくは「関心のアンテナ」も引き続き立てておくところだけれども、「考え方の前提」を明るみに出すことを通して、ぼくたちの「思考の癖」を一気に指摘する箇所である。

「経済成長を無限につづける」という強迫観念、「物質的な欲望は限りなく増長する」という固定観念は、現代社会を生きてきたものたちの多くの心身に刻まれているであろう。

どこか疑問や無理を感じながら、しかしどこか離れられないような、そんな観念たちである。

そうして、見田宗介は、つぎのように、つづけて書いている。

 

…もしそのようなものであるならば、たとえ宇宙の果てまでも探索と征服の版図を拡大しつづけたとしても、たとえ生命と物質の最小の単位までをも解体し再編し加工する手を探り続けたとしても、人間は、満足するということがないだろう。奇跡のように恵まれた小さい、そして大きい惑星の環境容量の中で幸福に生きる仕方を見出さないなら、人間は永久に不幸であるほかはないだろう。それは人間自身の欲望の構造について、明晰に知ることがないからである。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 

上述の強迫観念と固定観念にうながされるのであれば、、どこまで拡大をつづけても、どこまでも探りつづけても、人間は「満足するということがない」だろうと、見田宗介は書いている。

なお、外延的な環境容量の拡大そのものについては、「コスト・パフォーマンスやカバーしうる資源アイテムの限定性等々からほとんど現実的ではないと思われる」と見田宗介は書いていて、ぼくは「現実的か否か」の議論には、いったんの「留保」をつけておきたい。

それにもかかわらず、「奇跡のように恵まれた小さい、そして大きい惑星の環境容量の中で幸福に生きる仕方を見出さないなら、人間は永久に不幸であるほかはないだろう」という言葉は、外延的な環境容量の拡大が「現実的か否か」の議論をまるでとびこえてしまうように、ぼくの心を、正面から射る。

ほんとうに、ぐさっと、ぼくの心を射る。

宇宙にとんだ視線は、こうして、この「奇跡のように恵まれた小さい、そして大きい惑星」に、また「人間自身の欲望の構造」に、さらには、じぶん自身の「幸福に生きる仕方」に、反転される。

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「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima

見田宗介著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』。- <肯定性>に充ちた「100年の革命」を描く。

見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)は、肯定性に充ちた書である。

見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)は、肯定性に充ちた書である。

ぼくたちの生きる「現代社会」の立ち位置を、人間の歴史のなかで明晰に太い線でマッピングし、また「どこに向かうか」ということを、すでにこの世界で見て取れる現実にも光をあてながら、しかし「歴史の曲がり角」としての視野を提示する。

ここではそれぞれの「内容」には入っていかないけれども(ブログで随時、ふれてゆくことになると思う)、このすてきな本のぜんたいを感覚しながら、まずはじめの所感のようなものとして、ここに書いておきたいと思う。

 

見田宗介による「岩波新書」としては、これで三冊目となり、ほぼ10年に一冊で出されてきたこれら三冊は、この三冊目をもってして、いわば「三部作」のようなものとして完結したようにも見ることができる。

三冊目を含め、これまでの「新書」は、つぎのとおりである。

●『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』岩波新書、1996年

●『社会学入門ー人間と社会の未来』2006年

●『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』2018年

 

『現代社会の理論』で「現代社会」の光の巨大と闇の巨大をひとつの理論としておさめ、『社会学入門』ではさらに広い歴史的な視野のなかに「現代社会」とその未来を位置付け、それから『現代社会はどこに向かうか』で「軸の時代」(カール・ヤスパース)の概念を援用しながら、未来にひろがる<永続する幸福な安定平衡の高原>としての社会を見据える。

見田宗介は、かつてカール・ヤスパースが書いた、上述の「軸の時代」という概念を念頭に、人間の社会における「歴史の二つの曲がり角」を太い線として描き出す。

ここは、見田宗介自身の言葉で、「歴史の二つの曲がり角」の「課題」をおさえておきたい。

 

 第一の曲がり角において人間は、生きる世界の無限という真実の前に戦慄し、この世界の無限性を生きる思想を追求し、600年をかけてこの思想を確立して来た。現代の人間が直面するのは、環境的にも資源的にも、人間の生きる世界の有限性という真実であり、この世界の有限性を生きる思想を確立するという課題である。
 この第二の曲がり角に立つ現代社会は、どのような方向に向かうのだろうか。そして人間の精神は、どのような方向に向かうのだろうか。わたしたちはこの曲がり角と、そのあとの時代の見晴らしを、どのように積極的に開くことができるだろうか。本書はこの問いに対する、正面からの応答の骨格である。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 

この「第一の曲がり角」とは、紀元前古代ギリシャで哲学が生まれ、仏教やキリスト教の基となる古代ユダヤ教が展開された時代の「曲がり角」である。

見田宗介が書いているように、いろいろな思想が一気に開かれた背景には、「貨幣経済」と「都市の勃興」ということがある。

そのような社会で、それまで「共同体」という有限な世界に生きていた人たちが、歴史のなかではじめて、<無限>の世界を目の当たりにすることになる。

そのときから今日におけるまでの二千数百年、これら「貨幣経済」と「都市の原理」が徹底的に浸透し、<近代>という時代がつくりだされてきた、という認識に見田宗介は立っている。

そして、現代社会は、グローバリゼーションの果てに、世界・地球の<有限>という、「第二の曲がり角」に立っているというわけだ。

この「第二の曲がり角」において、社会の向かう方向性、それからこのあとにくる時代の見晴らしをどのように開くのかという問いに対する応答が、この本である。

「あとがき」で、この本は「一つの新しい時代を告げるアンソロジー」と見田宗介は書いているけれど、「目次」を読んでいるだけで楽しくなってくる「アンソロジー」だ。

 

【目次】

序章 現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと
一章 脱高度成長期の精神変容ー近代の「矛盾」の解凍
二章 ヨーロッパとアメリカの青年の変化
三章 ダニエルの問いの円環ー歴史の二つの曲がり角
四章 生きるリアリティの解体と再生
五章 ロジスティック曲線について
六章 高原の見晴らしを切り開くこと
補章 世界を変える二つの方法

 

なお、序章から四章はこれまで発表されてきた論考に手がくわえられたもので、五章から補章がこの新書のための書き下ろしである。

社会学者「見田宗介」の著作群ぜんたいを、世間に受け容れられなくてもよいとして書かれてきた「真木悠介」名での著作群ともあわせて見渡すなかでは、この本は、見田宗介=真木悠介の著作群のなかでもユニークなもののように見える。

それは、これまで書かれてきたことが、この本において、いろいろな音が交響するように混じり合っていることである。

たとえば、近代社会・現代社会の矛盾や相克をあつかう社会学的な分析と論考において、人の幸福や欲望の相乗性などの論考が正面からとりいれられ、融合され、論じられている。

もちろん、これまでの著作群も、このような社会の「ハードな側面」と人の「ソフトな側面」がともに視野に入れられながら、書かれてきてはいたのだけれど、この本においては、<高原の見晴らしを切り開く>ということのなかで、ともに正面から論じられ、美しい仕方で交響し、人と社会の肯定性が鳴り響いている。

このことを支えているのは、いつにも増して加えられている「補」や「補章」(一章・二章・六章に「補」の文章が書き添えられ、また「補章」が加えられている)である。

 

そのうちの「補章」、「世界を変える二つの方法」は、補章でありながら、ぼくたちの思考、そして心をうつ。

その最後の節は「連鎖反応という力。一華開いて世界起こる」と題され、新しい時代の見晴らしを切り開くための<解放の連鎖反応>の「一つの純粋に論理的な思考実験」について、書かれている。

 

 一人の人間が、1年間をかけて一人だけ、ほんとうに深く共感する友人を得ることができたとしよう。次の一年をかけて、また一人だけ、生き方において深く共感し、共歓する友人を得たとする。このようにして10年をかけて、10だけの、小さいすてきな集団か関係のネットワークがつくられる。新しい時代の「胚芽」のようなものである。次の10年にはこの10人の一人一人が、同じようにして、10人ずつの友人を得る。20年をかけてやっと100人の、解放された生き方のネットワークがつくられる。ずいぶんゆっくりとした、しかし着実な変革である。同じような<触発的解放の連鎖>がつづくとすれば、30年で1000人、40年で一万人、50年で10万人、…100年で100億人となり、世界の人類の総数を超えることになる。
 …肝要なことは速さではなく、一人が一人をという、変革の深さであり、あともどりすることのない、変革の真実性である。自由と魅力性による解放だけが、あともどりすることのない変革であるからである。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 

これまで、「世界を変える」という言葉が、どれだけ多くの人たちを魅了し、触発し、行動に向かわせ、そして一定の範囲での成功をおさめさせ、あるいは失敗させてきたことだろうか。

それはひとつの「衝動」でもある。

かつて、「言葉で世界は変わらない、暴力で世界は変わらない」と書いた見田宗介は、そのような「時代」を生き、その歴史を丹念に冷静に見つめ、方法を真摯に求めるなかで、この「変革の真実性」に至る。

書かれているように、これはあくまでも「思考実験」であり、現実はさまざまな阻害要因と加速要因が作用してくる。

また、「第一の曲がり角」では600年の時間を要して、かずかずの思想が確立されてきたのに対し、もし100年かかるとしても早いものだと、見田宗介は書いている。

でも、繰り返しになるけれども、肝要なことは、その「速さ」ではなく、変革の深さであり、自由と魅力性による解放であり、したがって「あともどりすることのない」真実性である。

ぼくが書くブログも、そのような変革の真実性に向けて、投げ放たれてある。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「人によろこばれる仕事をすること」という根源的な欲望。- 「欲望の相乗性」(見田宗介)。

「人によろこばれる仕事をすることは、人間の根源的な欲望である」と、社会学者の見田宗介は書いている。

「人によろこばれる仕事をすることは、人間の根源的な欲望である」と、社会学者の見田宗介は書いている。

ぼくもその通りだと思う。

社会学者である見田宗介は、新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)の最終章である第六章の「補」に、「欲望の相乗性」という文章をおいて、そこで、この人間の根源的な欲望について書いている。

「欲望の相乗性」は、見田宗介が追い続けてきたテーマである。

 

社会における関係の原理としては、二つの側面、「欲望の相克性」と「欲望の相乗性」がある。

現代社会・近代社会の競争のなかで、人と人の欲望は「相克性」として拮抗する。

現代社会・近代社会の矛盾と相克を「情報化/消費化社会」として鮮やかに描いた見田宗介は、それらの問題とともに、人間社会の現在と未来をひらく拠点としての<欲望の相乗性>ということを、人間以前の生命史全域にまで遡りながら、明晰に理論を展開してきた。

 

新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』では、現在と未来をひらく<欲望の相乗性>という人間・人間社会の諸相を、現代社会の「先」にくる時代のなかに降り立って眺める視点で、その諸相をストレートに伝えている。

「現代社会はどこに向かうか」という問いに応答しながら、これから時間をかけて、やがて到来すると見田宗介が描く、人間社会の「第三局面」(経済成長の完了した社会、安定平衡の高原・プラトー)。

そこでは、人びとが経済成長また経済競争の強迫から解き放たれ、アートと愛と自然との交歓を楽しみ、それからまた「社会的な<生きがい>としての仕事」が、幸福のリストとして付け加わると、見田宗介は書いている。

「社会的な<生きがい>としての仕事」は、人によろこばれる仕事であり、その射程は「仕事」の全領域にわたっている。

小さい頃の見田宗介は、席がいちばんよく揺れるバスの一番後ろが好きで、大きくなったらバスの運転手になってバスをゆらすことで、みんなをよろこばせることを夢見ていた時期があったという。

その記憶をとりだしながら、つぎのように書いている。

 

 バスをゆらせればみんながよろこぶと思ったことは、わたしのあさはかな、まちがいだった。方法はまちがっていたのだけれども、ばかな子供が考えていたのは、なんとかして、みんながよろこぶ仕事がしたい、ということであったと思う。お菓子屋さんになりたい子どもと同じ思考の回路であった。よい先生に恵まれた人は、教師となることを志望することがある。大切な人の命を医術で救われた人は、医師となることを欲望することがある。人によろこばれる仕事をすることは、人間の根源的な欲望である。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 

ぼくも、この、「人間の根源的な欲望」に導かれるようにして、仕事を選び、それらの仕事をしてきたと思う。

 

この短い文章「補 欲望の相乗性」は、つぎのように書かれ、筆がおかれている。

 

 経済競争の強迫から解放された人びとは、それぞれの個性と資質と志向に応じて、農業や漁業や林業やもの作りや建築や製造や運転や通信や報道や医療や福祉や介護や保育や教育や研究の仕事を欲望し、感受して楽しむだろう。あらゆる種類の、国内、国外のボランティア活動を楽しむだろう。
 依拠されるべき核心は、解き放たれるべき本質は、人間という存在の核に充填されている、<欲望の相乗性>である。人によろこばれることが人のよろこびであるという、人間の欲望の構造である。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 

この「人によろこばれることが人のよろこびである」という人間の欲望の構造に、実際に生きることの側面を考慮して書き加えるとすれば、文章の前に、「ほんとうに好きなことをすること」を加えたい。

ほんとうに好きなことをすることで人によろこばれ、その人によろこばれることが人のよろこびであること。

その無限にひろがる連鎖のなかに、見田宗介の描く人間社会の「第三局面」、経済成長の完了した<永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)>で、そこに住む人たちと社会はみずからをひらいてゆくと、思う。

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文章の「短さ/長さ」と呼吸。- 「呼吸の浅さ/深さ」という切り口。

ずっと昔のこと、まだ学生の頃だったと思うけれど、文章を書く際に、文章を「句読点」で短く切ってゆくことを指導/勧められたことがあって、そのことが「理解できる部分」と「納得できない部分」が混在しているような感覚を、ぼくはその後もつことになった。

ずっと昔のこと、まだ学生の頃だったと思うけれど、文章を書く際に、文章を「句読点」で短く切ってゆくことを指導/勧められたことがあって、そのことが「理解できる部分」と「納得できない部分」が混在しているような感覚を、ぼくはその後もつことになった。

そのような、どこか納得しない気持ちが晴れたのは、真木悠介のことばにおいてであった。

 

真木悠介は、鳥山敏子との対談(1993年頃の対談)において、「メディアのことば」に触れて、つぎのように話をしている。

 

 句読点という話でいうなら、いまのメディアのことばというのは、句読点をとにかく要求されるんだ。新聞の文体というのは短くないとだめなんだ。…切れるところで切らなきゃだめだと。そういう圧力があるんだ。現代の、社会のなかにね。
 …ぶつぶつ無差別に切ってしまう。わかりやすくなるように見えて、だいじなことは伝わらないんだ。ひっかからないから。……ひっかかることがだいじなんだ。…ほんとにいい悪文というのがありますよね。マスコミは一律に悪文を拒否してしまう。マスコミの文章は、呼吸の浅い読者に合わせてあるんだ。急いでいる人に。

真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社、1993年

 

この対談の会話を読みながら、ぼくのなかで、すーっと、あの、どこか納得できない気持ちが晴れたことの感覚を、今でも覚えている。

 

「短い文章」が悪いということではなく、さまざまな文章たちを一様/一律に(無差別に)区切ってしまう仕方に問題があり、またその背後にながれる「社会の圧力」は問われるべきところである。

そして、ぼくが気にかかったのは、「呼吸の浅さ」ということであった。

文章の「短い/長い」が、「呼吸の浅い/深い」ということと連関している面が少なからずあるだろうということに、ぼくの感覚は「納得」をしたのであった。

(経済成長を最優先とする)「社会」のあらゆる局面において求められるのは、分単位で動く世界のリズムに合う「短い文章」であり、それぞれの個人の「だいじなこと」ではない。

そのような「圧力」のなかで、(教育の場を含めた)社会のすみずみまでに、短い文章が求められてきたことが、ぼくはわかるような気がしたのだ。

 

だからといって、「長い文章」が必ずしもよいということではなく、「短い文章/長い文章」を時と場合によって<自由自在>に行き来できることが大切である。

あるいは、もう少し先をいけば、「短い/長い」という長さによらずに、個人がそれぞれに、<じぶんの文体>を生きていけるようなところがくるとよいと、ぼくは思う。

論理の飛躍だと思われるかもしれないけれど、社会における<多様性・ダイバーシティ>は、そのようなところとも関わってくるだろう。

また、それは、「呼吸の深い」生き方や働き方「も」、とくべつなこととしてではなく、ひとつのあり方とされることでもあると思う。

 

この対談が行われた1990年代前半と比較してみると、現代の人たちと社会は、日々の「呼吸の浅さ」にたいして、いろいろな仕方で対処しようとしてきている。

近年(ふたたび)注目されてきた「メディテーション」や「ヨガ」などは、その本質において、「呼吸をととのえる」「呼吸をゆっくりと意識しながらする」ということでもある。

このブログを「文章の短さ」ということから書き始めたけれども、それは呼吸の浅さ/深さということであり、それは生き方や働き方とも密接につながってくるものである。

そのような「ぜんたい」が、太い線としては、あらゆる変遷を遂げてきているのが「現在」であり、ぼくたちは、そこにさまざまな気づきを見つけ、さまざまな方法とあり方をインストールしてゆくことができる。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「右」の優越と「左」の空間。- 「空間の比較社会学」(見田宗介)。

「空間の思想/時間の思想」(初出:1969年)というタイトルの興味深いエッセイを、寺山修司との「短い会話」に触発されて、社会学者の見田宗介は書いている。

「空間の思想/時間の思想」(初出:1969年)というタイトルの興味深いエッセイを、寺山修司との「短い会話」に触発されて、社会学者の見田宗介は書いている。

寺山との会話で「歴史が好きか、地理が好きか」ということで、好みが分かれたことによる。

生きる人を主体とする立場からは、「歴史=時間」であり、また「地理=空間」である。

「歴史」ということに魅かれてき見田宗介は、やがて「時間」を素材に、名著『時間の比較社会学』(岩波書店)を真木悠介名で書くことになる。

「時間」という、哲学や宗教や文学、あるいは物理学の範疇にあった素材を、「比較社会」という視点で明晰に論じた書物である。

 

その見田宗介が、1996年に『現代詩手帖』に「火の空間」という文章を寄稿し、それが「見田宗介著作集」に収められる際には、「火の空間ー空間の比較社会学」というように、「空間の比較社会学」という副題が付された。

その副題には、「時間の比較社会学」にたいしての、「空間の比較社会学」という問題意識が明示されている。

数ページの短い文章だけれど、それは、ぼくの好奇心をそそってやまない文章だ。

そこでは、空間における、「左右」という非対称の「意味」が、比較社会の視点でさぐられている。

 

まずは、人類学・民族学・言語学で、よく語られ、よく知られている、「右の優越」ということをふりかえるところから、はじまっている。

例えば、英語の「right」は「正しい」ということにかぎらず、「left」は「弱い」という意味の古語が変形したものだという。

あるいは、ドイツ語における「左(link)」は明確に「不正」の観念にむすびつき、またラテン語の「右(dexter)」は「幸運」であり「左(sinister)」は「不吉」を意味する、等々。

これらの例は、インド・ヨーロッパ語系だけでなく、アフリカの諸族にも多くみられるという。

さらには、ロベール・エルツは、宗教社会学的な視点で、「右手の優越」(ちくま学芸文庫)という論文(『右手の優越』ちくま学芸文庫)を書いている。

 

それにしても、ぼくも日常において英語を話すときに、「right」(正しい)という言葉には、ときおり違和感を感じる。

「right」が「正しい」という意味をもつ一方で、非対称としての「左」は「正しくない」ということではないのだけれど、と思ってしまう。

その違和感は、「右利き」が標準とされてきたことにたいする違和感とかさなっているようにも、思う。

世界は、「右利き」を標準として、「左利き」を例外として、構築されている。

楽器のギターも、「右利き」を標準としてつくられている。

そんな「違和感」をもっていたぼくは、見田宗介の「空間の比較社会学」で展開される「右の優越」、そしてその逆転の「左の優越」の事例を興味深く、なんども読む。

 

見田宗介は、上述のような「右の優越」ということにたいして、逆転の事例が少なくないこと、つまり「左の優越」があることを示し、そこに彩られた意味をとりだす。

例えば、ケニアの諸族においては、日常の俗的な領域で「右」が優越するのにたいして、祭祀や聖的な領域では「左」が優越する。

日本語の「ひだり」については、つぎのように光があてられる。

 

 日本語の「ひだり」という語は、南面すると東が左にあるので「日(ひ)の出(だ)る方(り)」であるという大野晋氏の仮説がよく知られているが、民間の言い伝えでは、左は「火垂り=霊垂り(ヒダリ)」であるという。火は霊であった。それは「実気=身気(ミギ)」、「実のある方」としての右と、対照されている。

見田宗介「火の空間ー空間の比較社会学」『定本 見田宗介著作集X』岩波書店 
※上記の一部表記(ルビ)は都合上、原文と異なります

 

その他、「左の優越」を語る事例を挙げながら、見田宗介は、「左」を不吉なもの、悪しきものなどとする一方で、天のもの、聖のものなどとする感覚の矛盾について、どう解けるだろうかと、この論考の最後でかんがえている。

ぼくにとっては、右の優越と左の優越という事例と、そこにみられる意味論だけでも面白く、ぼくの思考を触発してやまない。

けれど、この論考の最後に提示されるものに、ぼくは深い感動を得るのだけれども、そこはぜひ、興味のある方は直接に、この論考ぜんたいを含めて読んでいただくのがよいかと思う。

あるいは、右の優越と左の優越ということに触発される思考で、独自に、かんがえてみるのも楽しい。

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「仁義」ということを「大道」(老荘思想)の水面にうつしてみる。- 見田宗介が読みとる人間の歴史と仁義。

見田宗介著作集を読み返していたら、以前はさっと読み進めていたのだろうけれど、今読むと、ぼくに「せまってくる」エッセイがある。

見田宗介著作集を読み返していたら、以前はさっと読み進めていたのだろうけれど、今読むと、ぼくに「せまってくる」エッセイがある。

「仁義について」というエッセイで、初出は1972年となっている(見田宗介『定本 見田宗介著作集X』)。

当時の若者たちのあいだで、「義理人情」があらたに人気になっている状況で書かれ、しかし、ミクロとマクロ(超マクロ)を自由自在に行き来する見田宗介の視野は、「人間の歴史」にひろがりをみせながら、この「義理人情」ということに独特の光をあてている。

 

「義」という観念について、古代中国、とくに儒教における「仁・義・礼・智・信」という、日本でもよく知られている徳目から、見田宗介はまずふれている。

この教えに対して、儒教を批判する老荘思想においては、「大道すたれて仁義あり」ということが対置される。

「大道」とは、「人間と自然、人間と人間との原初的な融合・調和の世界」(※前掲書)であるという。

つまり、融合・調和の世界がうしなわれたとき、「仁・義」というものがもちだされてくる。

仁・義がもちだされてくる状況は、すでにして、原初としての「大道」がすたれている状況であるというのである。

 

日本における「義」の観念の展開について、見田宗介はつぎのようにまとめている。

 

 義という観念は日本にきて「義理」として具体化される。それは日本の古代世界が解体し、実力と実力とが相争う武士の時代になって、しかもその武士がたがいに固く結束しなければ生きぬいてゆけないところで、そういう主従や同輩の結合をひきしめるきずなとして発展してきた。「義理」のおきてのきびしさは、暗黙の共同性のいまや解体するときに、実力競争の原理というあたらしい遠心力に対抗するための、集団の求心力のきびしさであった。「義理」が強調されるとき、じつはそこには、謀反へのひそかなおそれがすでに伏在しているのである。

見田宗介「仁義について」『定本 見田宗介著作集X』

 

日本における「義理」ということの展開と本質が、ここに見事にまとめられているように、ぼくは思う。

 

見田宗介は、さらに、「仁義すたれて…」と言葉を紡ぎ、近代社会のシステムを具体的につくりあげてきた「合理と契約」の世界を「…」にもってきている。

このことは、近代・現代社会を生きる人たちにとっても、日常の体験としているところであったりする。

ビジネスや組織を生き、そして語るときに、「仁義の世界」と「合理と契約の世界」を軸にすることがある。

そこからさらに、「合理すたれて…」と、「暴力」が代入される。

こうして、見田宗介は、つぎのように太い線で、人間の歴史をみている。

 

 大道すたれて仁義あり、仁義すたれて合理あり、合理すたれて暴力あり、というふうに人間の歴史はたどった。

見田宗介「仁義について」『定本 見田宗介著作集X』

 

「仁義」ということを手がかりに、この太い線で把握する「人間の歴史」を見晴るかす視野は、鮮烈である。

 

なお、この流れは「太い幹」なようなものであり、仁義や合理や暴力だけがそれぞれの時代を完全に彩っているものではない。

他者たちの言葉にふれながら見田宗介が語るように、いつの時代にも「大道」は生きつづけている。

しかしながら、見田宗介は、「暴力すたれて大道あり」と、流れが円環するかどうかは「よくわからない」と、書いている。

よくわからないけれど、「思う」ところは、若者たちが幻想しているのは、この「大道」であるとしている。

この文章が書かれたときから40年以上経過し、この「思う」ところは、ますます目にみえるようになってきているように見える。

「大道」、つまり人間と自然、また人間と人間の融合・調和の世界をもとめる人たちが、ますます増えてきているのだ。

 

「義理人情」が描かれる世界に、ときおり、ぼくは魅かれてもきた。

昔の時代の日本を描く小説にあらわれる、義理人情の世界に、あこがれのようなものを抱いたりするのだ。

しかし、そのような「義理人情」「義理」「義」などは、ぼくのなかに、拘束されるような息苦しさを感じさせもする。

老荘思想の提示する<大道あり>の視点は、仁義よりも原初のものとして、仁義というものの、この<両義性>をうつしだす水面のようでもある。

ぼくがもとめる、仁義というものの肯定的な側面は、おそらく、「大道」ということのなかにある、人間と自然、人間と人間の融合・調和の世界なのではないかと、ぼくは思ったりもしている。

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「歴史が好きか、地理が好きか」。- 見田宗介に深い影響を与えた寺山修司との短い会話。

社会学者の見田宗介にとって、劇作家である寺山修司(1935~1983)と喫茶店で交わした「短い会話」が、その後の見田宗介に「ずいぶん深い影響」を与えてきたという。

社会学者の見田宗介にとって、劇作家である寺山修司(1935~1983)と喫茶店で交わした「短い会話」が、その後の見田宗介に「ずいぶん深い影響」を与えてきたという(※参照 討議:見田宗介 X 加藤典洋「現代社会論/比較社会学を再照射する」『現代思想』2015 vol.43-19、青土社)。

見田宗介は気の合った寺山修司との会話について、討議の相手である加藤典洋に向けて、つぎのように語っている。

 

…一つだけ対立したことがあって、「僕は歴史が好きで地理は興味がない」と言ったら、寺山は「僕は歴史に興味がなくて、地理が好きだ」と言ったことです。「歴史は待たなきゃいけないからきらいだ。ぼくは走って行く人だから」と。…ぼくはそれまでは時間の思想でしたが、寺山の話を聞いていて、空間の思想もいいものだと思いました。今思うと、この短い会話は、ぼくにずいぶん深い影響を与えたように思います。

討議:見田宗介 X 加藤典洋「現代社会論/比較社会学を再照射する」『現代思想』2015 vol.43-19、青土社

 

この短い会話をもとに、その後に見田宗介は「空間の思想/時間の思想」(初出:1969年)という、興味深いエッセイを書いている。

今では、見田宗介著作集(『定本X』)に収められたこのエッセイであるけれど、ぼく自身がこのエッセイに初めて出会ったのは、とても意外なところであった。

 

見田宗介の著作に魅かれ、手に入る著作群を徹底的に読み始めていたころ(20年も前のころ)、古本屋で購入した見田宗介の著作のなかに、このエッセイが掲載された新聞の切り抜きがはさまれていたのだ。

予想もしていなかったその「幸運」にひかれてゆくように、ぼくはこのエッセイを読み、そして一読して、その「世界」に深くひきずりこまれたのだ。

「歴史」と「地理」をそのものとしてみれば、「歴史」は動き、「地理」は動かないものだけれども、行動する<じぶん>から見る視点において、「歴史」は<待つ>思想であり、「地理」は<走る>思想であることに見田宗介はふれながら、エッセイは生きることの本質へと降りてゆく。

寺山修司との「短い会話」に触発された「短いエッセイ」は、しかし、見田宗介自身の生や思想に影響を与え、そしてこの新聞の切り抜きを著作のなかにはさんでいた人にも、さらにはそれを読んだぼくにも、大きな影響を与えたのだと思う。

 

ぼくが生きるということでは、ぼくも「走る」思想において、「地理」をかけぬけてきたようなところがある。

日本の外へと/日本の外を「走る」なかで、ぼくも生きてきた。

ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、そしてここ香港…。

ところが、ここのところは、ぼくは「歴史」(時間)に強くひかれている。

いろいろな「空間」(地理)のなかに、ぼくは「歴史」を見たくなる/見るのだ。

「歴史/地理」あるいは「時間/空間」という視点は、ぼくにとって、世界を見る「見方」を、いっそう面白くしてくれている。

 

ところで、ここ「香港」はどうなのだろうか、とかんがえる。

寺山修司が「ぼくは走って行く人だから」と聞いて、ぼくは香港も「走って行く」のだと思う。

何かをゆっくり<待つ>のではなく、空間に向けて、ひたすらに全速力で、走って行く。

そんなことを、雨が降りそそぐなか「夏至」を迎えた香港で、かんがえる。

「夏至」は「時間」のことだけれど、ある見方において「空間」とも言えるのかなと、時空に関するじぶんのかんがえかたが歪みはじめる。

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「天才」であることの本質。- 見田宗介(真木悠介)の語る<天才>と狂気。

ぼくが心から尊敬している社会学者の見田宗介(真木悠介)氏の著作は、<どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか>(真木悠介)という問いに導かれながら、「学問」がほんとうの<知>であるところへとつきぬけてゆく仕方で、ことばをぼくたちに届けている。

ぼくが心から尊敬している社会学者の見田宗介(真木悠介)氏の著作は、<どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか>(真木悠介)という問いに導かれながら、「学問」がほんとうの<知>であるところへとつきぬけてゆく仕方で、ことばをぼくたちに届けている。

それぞれの著作における根柢的な問いと明晰な論理、そして生きられた美しい文体は、読む者の思考と心、そして「生きること」の全体を揺さぶる。

また、それぞれの著作のなかには、ぼくたちの「視点・見方」を変えてしまうようなことばが、いっぱいにつまっている。

 

人が日常においてかんがえている「天才」という言葉ひとつ取ってみても、認識を一段も二段も深めるような視点・見方を、ぼくたちに見せてくれる。

「時間」の問題を、比較社会学の観点から明晰に論じた『時間の比較社会学』(岩波書店、1983年)のなかで、「天才」について、つぎのように書いている。

 

 天才はしばしばひとつの狂気であるということばによって、ひとはこの問題を片付けようとする。天才はただ、時代の狂気をより深く身にこうむり、より妥協なく対面するのだ。

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店、1983年

 

ここで指摘される「この問題」とは、「天才」と呼ばれる思想家や芸術家などの手記等のなかに、いわゆる「精神病者」に見られるような状況が見られることである。

「時間」や「じぶん」(自我)といったものが崩れさるような感覚などが記され、また作品となっていたりする。

そのことに対し、「天才はひとつの狂気だ」ということばで、人はわかったような気になる。

そのことばを語る側も、また聞く側も、ともに、ある種の納得感を共有するのである。

 

見田宗介(真木悠介)は、そのようなことばを掘り下げてゆく。

あるいは、そのようなことばの内実をつかむことで、「問題のありか」を明晰に布置してゆく。

 

 <時間の解体>と<自我の解体>というノエマ的=ノエシス的な崩壊感覚の鋭く生きられる「精神疾患」群についての諸研究が明らかにしていることは、それらがその根柢において関係の病いであるということだ。そしてその関係の質は、<近代社会>がまさしくその原理とする関係の質の極限に他ならなかった。

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店、1983年

 

「天才」は、<近代社会>が原理とする関係の質の極限という状況に、正面から妥協することなく対面し、「時代の狂気」をみずからの身にこうむる。

このように、見田宗介は、「問題のありか」そのものを、じぶんと他者、そして社会という全体のなかで、捉え返してゆくのだ。

 

そのようなことばが、見田宗介(真木悠介)の著作群には、いっぱいにつまっている。

だから、ぼくは、そのようなことばそれぞれの前で、立ち止まっては、つぶさに読みとく。

そのようなことばは、ぼくの視点・見方の「道具箱」に収められては、道具が使われる出番を待つことになる。

どこかで「天才」が語られたり、また天才の作品や文章の断片などを見たりして、それらを読みとくとき、ぼくは、見田宗介のことばを「道具箱」からそっと取り出し、それら対象を見る「メガネ」として活用する。

「世界」は異なる側面を開示して、どこまでもつづく興味を、ぼくの内に点火する。

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「幻想の都」へ、そして<幻想の都>から。- <ドリームランド>の設営される空間について。

日本の地方に住んでいる者にとって、例えば「東京」は、「幻想の都」である。

日本の地方に住んでいる者にとって、例えば「東京」は、「幻想の都」である。

それは「あこがれの都会」である。

ぼくもかつて、高校までを静岡県浜松市で過ごした後、大学は東京にある大学に行くことを切望していた。

「東京」という都市が装う色彩は、とても魅力的であったのだ。

当時感じていた閉塞性をひらいてくれる空間が、「東京」にあるものだと、ぼくは思っていたのである。

しかし、東京に実際に住むようになって、楽しさを感じる側面もありながら、他方で東京という都市がまとっている「幻想」が、ぼくのなかではがれてくるのを感じる。

ぼくは、地方から「東京」へ上京し、そこに生きながら、そこから生きることの<軌道>を、アジアを旅しながら、またいろいろな現実の重力にひっぱられながら、見極めていくことになる。

 

もちろん、ぼくに限らず、数かぎりない青年たちが、東京やその他の大都市へと向かってきた。

さらには、<東京>という大都市と並ぶように語られる、パリやロンドンなどにもひろがりをもつ、近代化の「物語」でもある。

このような大都市へのあこがれは、とても大きいものである。

 

作家の宮沢賢治も、同じようなあこがれをもった一人として、幾度か、東京へと上京を試みていたという。

そんな宮沢賢治の生をおいながら、社会学者の見田宗介は、宮沢賢治のすすんだ軌条を、つぎのように書いている。

 

…賢治の資質は、結局東京やその水平の延長上の都、パリやロンドンに終着する幻想に住することえを許さず、むしろ垂直に折り返して岩手自体の心象の気圏のうちに、<イーハトーヴォ>の夢を設営する。

見田宗介「補章 風景が離陸するとき」『宮沢賢治』岩波現代文庫

 

「イーハトーヴォ」について、宮沢賢治は『注文の多い料理店』の広告文に、つぎのように書いている。

 

イーハトブは一つの地名である。…実にこれは著者の心象中にこの様な状景をもつて実在したドリームランドとしての日本岩手県である。そこでは、あらゆる事が可能である。…

宮沢賢治『注文の多い料理店』広告文、青空文庫

 

見田宗介は、さらに高度経済成長以降の日本にふれながら、そこにみられる対欧米コンプレックスの消失などに、「ふるさとから<東京>→<世界の首都>」へと向かっていくような幻想の水平性の基礎が解体されてきたことを読みとっている。

そのうえで、つぎのように文章をつづけている。

 

…成熟しつくした近代としての現代の少年や青年たちの夢を設営する空間は、幻想のすすむ軌条をどこかで透明に離陸するはずの、あの異次元の空間にしか残されていない。

見田宗介「補章 風景が離陸するとき」『宮沢賢治』岩波現代文庫

 

ふるさとの地も、<東京>も、世界の都市たちも、魅力に充ちた空間である。

しかし、そこは<ドリームランド>を保証する空間ではない。

ぼくたちはぼくたちの「外部」をどこまで行ったとしても、ほんとうの<ドリームランド>を設営することはできない。

 

ふるさとから東京に上京したぼくは、そのようなことを「感覚」のなかで感じつつ、しかし実際の空間を移りながら生きてきた。

アジアの旅、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それからここ香港。

それぞれの地に生きることを楽しみながら、しかし<ドリームランド>は、ぼく(あるいはぼくたち)自身の心象中に実在するドリームランドとしての「地球」であると、ぼくは心象の気圏に想像・創造している。

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