片岡鶴太郎著『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』。- 確かなところに「降り立つ」生き方。
仕事に出かけたり画を描きはじめる時間からさかのぼって6時間前に起きるという片岡鶴太郎の「一日の過ごし方」に興味をもって、片岡鶴太郎の著作を読む。...Read On.
仕事に出かけたり画を描きはじめる時間からさかのぼって6時間前に起きるという片岡鶴太郎の「一日の過ごし方」に興味をもって、片岡鶴太郎の著作を読む。
『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』(SB新書)と題された著作の帯には、次のように書かれている。
・ほんの少しの習慣で「定年後」を謳歌する!
・モノマネ芸人、ボクサー、役者、画家、書家、ヨガ。幾つもの顔をもつ逸楽の達人に学べ!
著作の内容から考えると、タイトルと「定年後」という言葉は(読者層が意識され)若干とってつけた感があるが、著作を通じて片岡鶴太郎の生きてきた軌跡が語られている。
子供のころから、芸人を目指した日々、有名になっていく過程、プロボクサーを目指した経緯、画家になった物語、そして今に至る「片岡鶴太郎」が語られ、そこに通底するエッセンスを取り出してつくられたのが、この著作である。
ぼくがテレビのブラウン管にみていた芸人としての片岡鶴太郎は、その後、役者・プロボクサー・画家としても生きていく。
そんなメディアニュースを耳にしながら興味をおぼえていたけれど、こうして、その経緯とそこに込められた気持ちや生き方を正面から「聞く」のは、この著作においてであった。
目次は次のとおりである。
【目次】
序章:“ものまね”からスタート
1章:62歳、まだまだやりたいことだらけ
2章:画家として立つ
3章:「思い」を「実行」に移す
4章:どうやって身を立てるか
5章:自分の魂を喜ばせるために何をするか
6章:新たなことをはじめる勇気
おわりに
いくつかのエッセンスをひろっておきたい。
1)「ものまね」
「ものまね」を喜びとし芸としてきた片岡鶴太郎は、こんな「提案」をする。
「本気で遊べば人生は愉しくなる」
そのために、まずはものまねをしてみてはいかがでしょうか?
片岡鶴太郎著『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』SB新書
片岡鶴太郎は、よく使われる「守破離」の「守」にふれている。
師弟関係の基本を説く言葉の「守」は、まず師匠の「型をまねる」ということからはじまる。
「自分がほんとうにしたいこと」と「まねるという学び」を追い求める先に、よろこびの花が咲くところを生きてきたのが片岡鶴太郎であった。
「追い求める」は、片岡自身が述べるように、反復の連続である。
そして、「守破離」は、師匠の型を破り、独自性の境地へと「離陸」する思想であり言葉であるけれど、片岡鶴太郎は離陸しながらも、確かなものに「降り立つ」ことを生き方としてきた人であると、ぼくは思う。
2)「魂の歓喜」
確かなものとして、片岡鶴太郎が語っているのは「魂の歓喜」である。
「魂」という言葉は使い方がむずかしい。
それが語られる場や状況によっては、そこに特定の価値観や前提があるように感覚されるからである。
しかし、おそらく、片岡鶴太郎はやはり、そのようにしか語ることができないような「広い海」のただなかで、生きているように見える。
ひとつ気をつけておきたいのは、片岡鶴太郎は、著書のなかで、魂の歓喜は、新しいことにチャレンジした「先」に待っているギフト(贈り物)だと書いている。
それは、自分のなかの(自分を歓喜させる)「芽」が芽吹いてもたらされるとしている。
つまり、「結果」としての贈り物だというふうに書いている。
著作全体を読んだあとに、ぼくが感じた「片岡鶴太郎」は、しかし結果だけに歓びをみているわけではない。
その「過程」も(苦しさとたくさんの悩みとともに)楽しんできたように、ぼくは感じる。
この著作のコアなメッセージは、ここに焦点している。
「おまえは芸人として、役者として成功したから、そんな呑気なことが言えるんだろ」と叱られるかもしれません。それでも私はこう言いたい。
もっと根源的に自分の魂を喜ばせるために何ができるかを追い求めましょうよ、と。私自身が昔も今も追い求めているものは、ただその1点のような気がします。
片岡鶴太郎著『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』SB新書
「ただその1点」と、片岡鶴太郎は語っている。
3)「土台」つくり
「ただ1点」としての「魂の歓喜」の追求を支えるものとしての、生きることのいわば「土台」をつくっていくことにたいして、片岡鶴太郎は敏感だ。
それは「基礎」つくりと呼んでもいい。
例えば、料理にチャレンジしているなかに、「画を描くこと」と「料理を作ること」の共通点をみつけていく。
「このコツ」は「あのコツ」と同じじゃないかという、スキルやマインドの「深い地層」の部分での接続を、つねに意識しながら、活動の反復をくりかえす。
そんなエピソードがちりばめられている。
そして、反復をくりかえす片岡鶴太郎は、(1章の扉に彼の「書」が置かれているように)「無我夢中」である。
「無我」の言葉通り、自分をなくす地平に向かって、圧倒的な集中の状態(フロー状態)の「夢の中」におりてゆくのだ。
さて、冒頭に記した「ぼくの(もともとの)興味」にも触れておきたい。
現在62歳の片岡鶴太郎の一日は、仕事や画を描く前の6時間前の起床(早朝3時や4時)にはじまる。
朝はヨーガ(呼吸法、ヨーガのポーズ、瞑想)にはじまる。
これら一連の活動に3時間近くかかる。
そして、水シャワーを浴びて、朝食にうつる。
「一日一食」の食生活を継続している片岡鶴太郎は、それを朝食にあて、玄米・野菜・フルーツ・豆などの種類も量も多い朝食に2時間をかけるという。
それから身支度で、6時間。
朝9時から画を描いたとして、8~9時間ノンストップで描き、それからシャワーを浴びて、夜7時・8時には寝るという。
「また明日も画が描ける」という気持ちで眠りにつき、朝起きるのが楽しみで仕方がないという。
どのように生きるのかという、その多様性を、片岡鶴太郎はぼくに開示してくれている。
20代後半のあるとき、有名になったけれど「とんでもなく醜い人間を鏡の中に見た」片岡鶴太郎は、自身との対話の末に、こう決める。
「どんなに小さな河でもいい、たとえ獣道でもいい。自分の道を探そう」
片岡鶴太郎著『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』SB新書
役者、プロボクサー、画家として「自分の道」をひらいていくことになる決意が、そのようになされたことを、ぼくは今になって知る。
「あとがき」の最後に置かれる言葉、「汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり」のように、その後、片岡鶴太郎は一層「深く掘る」ことを日々としていく。
必ずある「泉」を信じて、確かなところに「降りてゆく」思想であり生き方である。
香港で、約30年前の「アグネス・チャン」が語る言葉に、ぼくは耳をすます。- 社会の力学と「虚構の時代」の生き方。
社会学者・見田宗介の1985年の「論壇時評」を読み返していて、「アグネス・チャン」について語られる箇所に眼がとまる。...Read On.
社会学者・見田宗介の1985年の「論壇時評」を読み返していて、「アグネス・チャン」について語られる箇所に眼がとまる。
アグネス・チャンが香港に生まれ今は日本にいて、ぼくは日本に生まれ今は香港にいるということも、気になる理由のひとつとしてある。
しかし、焦点は、アグネス・チャンの語る「言葉」であり、そこから見えることである。
アグネス・チャンの言葉でありながら、ぼくは、たくさんの「アグネス・チャン」がいただろうし、今もいるだろう、と思うところで、書きたいと思ったのだ。
「論壇時評」として、その元となったのは、雑誌『広告批評』(1985年3月号)における特集「女はなにを考えているか」であった。
アグネス・チャンは日本に来てスターになって、プロダクションから、きついことは言うな、はっきり意見を言うな、みんなに好かれねば困るからと言われる(同誌)。…
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
アグネス・チャンが日本で活動を始めたのは1970年前半のことである。
「きついことは言うな、はっきり意見を言うな」という指示には、いくつかのことが交差しているように見える。
ひとつには、「スター」という立場に置かれたことからくる、「みんなに好かれねば」という圧力である。
彼女に限らない人たちに向けられた圧力としての言葉であり、圧力としての言葉であった(である)。
このことが一つある。
そして、二つ目には、河合隼雄が「母性社会日本の病理」として日本社会を分析したように、「母性原理」が優位にはたらく日本社会の力学が交差してくる。
それは、母性原理のもとで「みんなが平等」という力学のなか、スターに限らず、社会の内部に身をおく人たちに向けられる。
また、香港を出身とする人物ということが、「日本社会」を逆照射する仕方で、照明をあてる。
「きついこと」「はっきりした意見」を生きることの作法とする「香港」という社会、そしてそこに生きる人たち(たくさんの「アグネス・チャン」)。
コミュニケーションの仕方のすれ違いがいっぱいにあっただろうと、香港に住むぼくは思う。
香港で仕事をすることになった日本の人たちのなかには、日本とは(コミュニケーションの仕方において)「逆転」する社会に生きる困難さにぶつかることがある。
例えば、「きついこと」や「はっきりした意見」を言われることで、戸惑いの気持ちを覚える。
あるいは、「はっきりした意見」や考えを伝えないことから、言いたいことがまったく伝わらない。
日々、このようなすれ違いが、あらゆるところで起きている。
それから、三つ目には、この論壇時評を書く見田宗介の念頭にあった、「虚構の時代」という時代性である。
アグネス・チャンは、(1985年に)このように語っている。
…「でも、いまは全然そうは思わない。百人に一人だって、自分のこと応援してくれるんだったらたいしたものですよね。はっきり言ったほうが応援しやすいと思う。あいまいな時代って、これから消えるような気がするんだけど。」
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
この発言がなされたときから30年以上が経過した現時点においては、「百人に一人の応援」の方向に時代は一方向にて進んできているけれど、「あいまいな時代」も消えずに残っている。
その二つの力線が、コミュニティや社会のあり方として、ときに平行し、ときに拮抗し、ときに相互に相入れずに存在している。
そして、「虚構の時代」は、その時代幅を長くしながら、今も延命している(例えば、「サブプライム」の問題の本質は、虚構の上に虚構をかさねていったものの瓦解である)。
「虚構の時代」への向き合い方ということでは、見田宗介は、つづけて、このように書いている。
…スターだからというのではなく、スターでさえというべきだろう。時代に作られる存在であることから、時代に対してまっすぐに立つ人間であることへの、ひとりの青年の自己解放の軌跡をそこにみることができる。
虚構にたいしてこのように同じく敏感でありながら、「私ね、真剣なんです。イヤぐらい真面目ですよ」というアグネスは、この特集の他の先端的な女たちとは、べつの方向に出口を求めているように思える。「新しい曲も、シンプルで前向きなラブ・ソング。いま、ようやくやろうとしてることが、全部同じ方向に向いてきたんです。」という彼女は、虚構をつきつめて逆手にとって自己を表現するというよりも、虚構のない世界をシンプルに希求している。クラシックなのだ。クラシックということは古いということではなく、時代をこえたものに根づこうとしていることだ。
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
ぼくは、「虚構をみずからの存在の技法」とするのではなく、虚構のかなたにある虚構のない世界を希求している。
時代をこえたものに根づくことを、生きている。
しかし、時代の「力学」の移行期において、また「虚構の時代」がつづくなかで、まだまだ壁にぶつかっては立ち上がることの連続である。
大学進学で「専攻」を決める際に感じていた違和感ととまどい。- 真木悠介著『現代社会の存立構造』で得たヒント。
大学進学において「専攻」を決めなければいけないという、生きることの「岐路」のひとつで、ぼくは違和感を覚えていた。...Read On.
大学進学において「専攻」を決めなければいけないという、生きることの「岐路」のひとつで、ぼくは違和感ととまどいを覚えていた。
ひとつには、多くの人たちがそうであるように、やはり「将来やりたいことがつかめない」ということ。
実際の「経験」という土壌が不足していたことが原因のひとつであろうけれど、このことは、大学進学においてだけでなく、その後の人生においても幾度も立ち止まるときがやってくる問題である。
違和感ととまどいのもうひとつは、文系における専攻の選択において、「社会の科学」か「人間の哲学」か、という大きな分かれ目を前に感じるものであった。
当時、この「大きな分かれ目」で感じたのは、このどちらかに引き裂かれるような思いであった。
シンプルに言えば、前者は「将来お金になる」学問であり、後者は「将来お金にならない」学問という認識を原因とする、引き裂かれる思いであった。
社会の科学は、経済や経営、社会や法律などの、客観的にみられる法則などを学ぶ学問で、「将来ビジネスとして使える」学問である。
他方、文学やアートなどの「人間の哲学」は、大人たちの「眼」からは、「お金にならない」学問だ。
文学やアートなどの「人間の哲学」は、ぼくにとっても「生きられる問題系」であった。
しかし、ぼくという自己」は大人たちの「眼」を内側に強く引き込み、その「眼」は、ぼくに「将来お金になる」学問を強くすすめるような強い視線を、意識のなかで投げかけていた。
ぼくの解決は、この引き裂かれる思いのなかで、外国語という言語の選択であった。
それは、使い方によっては、「将来(ビジネスに)役にたつ」学問であり、他方では文学などの「人間の哲学」のための学問でもあった。
このように、ぼくのなかでは、「社会の科学」と「人間の哲学」は、二つの大きく異なる学問という認識であった。
そして、「役に立つ・役に立たない」という次元だけで語ることのできない違和感ととまどいが、ぼくのなかに残っていた。
大学に入ってのち、「社会の科学」と「人間の哲学」という二つの視点を統合するような見方(パースペクティブ)を与えてくれたのは、社会学者・真木悠介の著作『現代社会の存立構造』(1977年)という、硬質な著作であった。
真木自身が語るように、難しい議論で、誰にも読まれないような著作だから、見田宗介=真木悠介の「著作集」からは外された仕事である(2014年、大澤真幸の解題がつけられ復刻版が朝日出版社から出された)。
社会学者である見田宗介=真木悠介の著作群に出会うなかで、過去の著作を片っ端から読み返している内に、ぼくはこの『現代社会の存立構造』に出会った。
この著作の全体は、確かに一筋縄では太刀打ちできず、「格闘」が必要であったが、その「序」の部分だけでも、ぼくの「見方」を変えてしまうのに充分であった。
「社会科学へのプロレゴーメナ」と副題がつけられた「序 存立構造論の問題」において、「人間の哲学」と「社会の科学」の二つの視点の「相互疎外」、それから「問題のたて方」自体の問題ということを述べている。
まず、「社会」は、日常の意識において、対象的=客観的に、そこに確実にある「もの」のように、「私=個人」からは感覚されることが語られる。
「社会」には客観的な法則があって、「個人」は法則を理解し利用することで利益を得たりあるいは失ったりする。
ぼくたちには、日常で、このように感覚する。
しかし、この「自明性」自体を問題としながら、「近代社会諸科学」が何を問い、何を答えてきたかと、真木悠介は考察する。
出発点は「近代理性(分析理性)」である。
…分析理性こそはまさしく、近代社会における諸個人の存在形態に直接的に適合する理性の形式であるから、分析理性的な諸科学は「近代社会の自己意識」として、必然的に市民社会の支配的な社会諸科学である。
…近代社会諸科学の主題の骨格をなしているのは、対象的=客観的に存立する社会諸形象(商品・貨幣・資本・利子率・国家・官僚制・法・道徳、等々)と、その運動として成立する対象的=客観的な諸法則である。そしてこれらの法則をその「運命」または「利益」として身にこうむる主体の生の現実性は、「文学」あるいは<実存>の哲学等々の主題としてその体系から疎外される。このことは根拠のないことではない。なぜならば近代社会は、まさしく対象的=客観的な物象として存立し完徹する社会的諸形象および社会的諸法則を、現実にその構造の骨格となすからであり、個々の主体はこれをただ身にこうむりつつ、せいぜいこれを「利用」し「操作」することを試みる偶然性として、そして同時に「内面的には」自己絶対化された「私」の個別性として、したがって挫折する「実存」の悲劇性として、現実に存立するからである。
真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房)
「社会の科学」と「人間の哲学」との分裂の把握と乗り越えの方途について、真木悠介は、マルクスの仕事から取り出している。
「マルクス」という名前には、すでにそこにさまざまな「主義」や偏見や感情がぬりこめられているけれど、それらを取り除き、真木悠介は、マルクスの仕事を土台に『現代社会の存立構造』を展開している。
マルクスの仕事にも依拠しながら、「社会の科学」と「人間の哲学」との分裂という、凝固した「客体−主体」図式を、問題化する。
例えば、「国民経済学」は、私有財産がたどる物質的な過程を一般的・抽象的な公式で「法則」として語るけれど、このような「法則」がどのように私有財産の本質から形成されるかは語らない。
真木悠介は、この例をあげながら、次のように述べている。
ここでは既成体としての事実に内在し、物象化された事実を立脚点とする分析理性の方法にたいし、これらの「物質的な」諸形象・諸法則をその生成の論理において解明し把握する、弁証法的理性の方法が端的に対置されている。
真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房)
「物象化」とは、「事物・のように・なること」である。
事物と(感じられるように)なった「社会」ではなく、事物のようになる過程そのものに焦点をあてることが、方法として取り出されるわけである。
物象化された対象性としての「法則」の客観的な認識としての「社会の科学」と、疎外された主体性としての「実存」の主観的な表出としての「人間の哲学」を相互に疎外し、それぞれの内部をさらに、部分的な函数関係や部分的な意味連関へと分解する分析理性の問題のたて方(プロブレマティーク)とは逆に、弁証法的な理性は、このような双対性の地平そのものの存立の構造の問いへ、具体的には、対象的な社会諸形象の「法則的」な存立の機制、したがってまた、主体的な精神諸現象の「実存的」な存立の機制そのものを対自化する問いへ、問題機制(プロブレマティーク)そのものをまず転回する。
真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房)
ぼくが大学の「専攻」を選択するということに感じていた違和感ととまどいは、近代理性・分析理性とそれに支えられた近代社会諸科学、それから近代社会の現実に存立する仕方に、根拠をもつものであったということである。
ぼくは、あらかじめ、違和感ととまどいを感じるように仕掛けられていたともいえる。
ぼくの違和感ととまどいは、マルクスや真木悠介が正面から主題化し、その問いを「社会の存立構造」にまでひろげていった問題意識とつながっていたわけだ。
その展開は、マルクスの『資本論』であり、真木悠介の『現代社会の存立構造』という著作になる。
ここではこれ以上ふみこまないけれど、「もの」のように見える「社会」と「個人」の二元論を、端的に超える見方を最後にみておきたい。
マルクスは、人間の本質は「社会的諸関係の複合的総体(アンサンブル)」と述べている。
真木悠介は、その人間=社会把握に触れて、こう書いている。
歴史の主体=実体は、「個人」でも「社会」でもなく、「つながりあう諸個人」の「相互につくり合う」関係そのものである。ここには原子論と全体論、方法的「個人」主義と方法的「社会」主義との同位対立の地平を端的に止揚する、あるがままの事態の実相に定位する人間=社会了解の境位が示されている。
真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房)
ぼくは、見田宗介=真木悠介に出会い、勇気付けられてきた。
ぼくが感じていた違和感やとまどい、問題意識などが、「あってもよいもの」だということ、それを透明に追い求めてもよいのだということに、肩をおされる。
見田宗介=真木悠介は、『現代社会の存立構造』後も、主体ー客体、個人ー社会、そして「社会の科学」と「人間の哲学」という分裂と相互疎外をこえる視点と視野で、人と社会を論じてきた。
「現代社会」という「ハードな問題系」を書きながら、その裏にはいつも人の内部問題である「ソフトな問題系」を意識している。
逆も然りである。
そのような問題意識と方法、そして人と社会に向けられる「冷静な頭脳」と「温かい心」が、ぼく個人はもとより、人と社会の未来の道ゆきに照明を照らしてくれている。
Don Miguel Ruiz著『The Four Agreements』。- 言葉でつくられる世界にたいし、言葉で世界をひらく。
Don Miguel Ruiz著『The Four Agreements - A Practical Guide to Personal Freedom』(Amber-Allen Publishing)は、美しく、そして洞察の深い本だ。...Read On.
Don Miguel Ruiz著『The Four Agreements - A Practical Guide to Personal Freedom』(Amber-Allen Publishing)は、美しく、そして洞察の深い本だ。
日本語訳は『四つの約束』と題されて出版されていて、あまり多くの読者を得ていないようだけれど、英語の書籍は今でも多くの人にとって「大切な書」として手に取られている。
ドン・ミゲル・ルイスが、古代メキシコの「トルテック」の教えを、「Four Agreements」(四つの約束)としてまとめた本だ。
古代メキシコの「トルテック」という響きやその装丁のデザインからは想像しにくいほど、そのコンテンツは、生きるということの深いロジックと共に、大切な教えをぼくたちに伝えてくれる。
古代メキシコの教えというと、人類学者カルロス・カスタネダの仕事が思い起こされる。
真木悠介が名著『気流の鳴る音』で、カスタネダが得たメキシコのヤキ族の老人ドン・ファンの教えを明晰に論じている。
そのドン・ファンの教えとも一部視点が重なりながら、しかし、「Four Agreements」(四つの約束)というポイントに照準し、ドン・ミゲルは副題のとおり、自由になるための実用的なガイドをぼくたちに提示してくれる。
「Agreements」(約束・契約)とは、ここでは、ぼくたちが生きていく上で自身と結ぶ幾千もの約束・契約である。
それは、情報選別の「言葉のフィルター」のようなものである。
養老孟司は、「意識」というものは、人間の脳が世界をシミュレートするのをシミュレートするものというような言い方をしたけれど、そのシミュレートの「フィルター」のようなものが、「Agreements」(約束・契約)であろう。
それはレゴのブロックのようなもので、「約束のブロック」で、ぼくたちはぼくたちが見て生きる「世界」を脳の中に構築していく。
ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもある。
「醜い」と言われた子供は、「醜くあること」という約束を自分自身としてしまい、そのように生きてしまう。
「Four Agreements」(四つの約束)は、そのような幾千もの約束・契約をうちやぶっていくような、自分自身との約束・契約である。
「Four Agreements」(四つの約束)とは、次のとおりである。
- 「Be impeccable with your word」(あなたの言葉を正しく使うこと、申し分のない言葉の使い方をすること)
- 「Don’t take anything personally」(なにごとも個人的に受けとらないこと)
- 「Don’t make assumptions」(憶測を立てないこと)
- 「Always do your best」(いつもベストをつくすこと)
「Four Agreements」(四つの約束)がよくまとめられているのは、そのコンパニオン・ブックである。
1 Be impeccable with your word(あなたの言葉を正しく使うこと、申し分のない言葉の使い方をすること)
一貫性(integrity)をもって話すこと。自分の言いたいことのみを言うこと。自分に反する言葉を使うことを避けること、あるいは他者のゴシップをしないこと。真実と愛の方向に言葉の力を利用すること。
2 Don’t take anything personally(なにごとも個人的に受けとらないこと)
他者のすることの何ものも、あなたが理由ではない。他者が言うことやすることは、彼(女)ら自身の現実や夢の投影であること。他者の意見や行動にたいしてあなたが免疫があるとき、あなたは必要のない苦痛の被害者とはならない。
3 Don’t make assumptions(憶測を立てないこと)
質問をしたり、あなたがほんとうに欲しいものを伝える勇気をみつけること。誤解や悲しさやドラマを避けるため、できるかぎり明確に他者とコミュニケーションをとること。この約束だけで、あなたは人生を完全に変容させることができる。
4 Always do your best(いつもベストをつくすこと)
あなたのベストはときどきにおいて変化する。病気であるときにたいし、健康であるときはそれは異なる。どんな状況でも、シンプルにベストをつくすこと。そうすれば、自己判断や自虐や後悔を避けることができる。
Don Miguel Ruiz “The Four Agreements Companion Book” (Amber-Allen Publishing)*日本語訳は筆者。
「Four Agreements」(四つの約束)は、とてもシンプルであり、それだけを見ると、通りすぎてしまうような内容にも見えてしまう。
しかし、ひとつひとつが、深い洞察に裏打ちされ、これだけで日々のいろいろなことが変わっていく力を、確かにもっていると、ぼくは思う。
ぼくがこの本に「ひきこまれた」のは、その最初の導入部分である。
人が、子供時代を通じてどのように「社会的な人間」として、自分自身をつくっていき、その果てに自分自身を「牢獄」に閉じ込めてしまうのかという語りの部分だ。
彼は、このプロセスを「domestication of humans」(人間の家畜化)と呼んでいる。
それは、別の言い方をすれば、「洗脳」にも近い。
ドン・ミゲルの「語り」に耳をすませていると(ぼくはオーディオブックで聞く)、ぼくが子供のころからの出来事を追体験しているような、そんな錯覚におちいってしまう。
この「語り」は、ドン・ミゲルの「言葉」というものへのナイーブさに支えられてもいる。
ドン・ミゲルは、この本を通じて、「言葉」というものを中心軸にそえている。
ぼくたちは、「言葉」でものごとを概念化することにより「世界」をつくっている。
ぼくたちは、日常において、自分自身とのさまざまな約束・契約を結びながら、世界をつくってしまっている。
ネガティブな言葉を(言葉にして、あるいは心の中で)発することで、そこに「世界とのネガティブな関係性」をつくってしまう。
言葉の「力」をみくびってはいけない。
ドン・ミゲルは、この閉じられた「世界」の存立の機制、構築のプロセス、そして「Four Agreements」による世界の裂開を、この本で展開している。
「言葉と世界」の関係性を丹念にひもときながら。
そのような「語り」に、ぼくはひきこまれていく。
ところで、ぼくは、ドン・ミゲルの教えを生きてきたというより、これまでの生きることの経験をふりかえりながらドン・ミゲルの教えの大切さを再度認識する、という仕方で、この本に教えられている。
だからか、この「Four Agreements」(四つの約束)の大切さを、心身の深いところで、感じる。
しかし、これらたった4つのことを続けていくことは容易ではない。
ぼくたちは、生きるという道ゆきで、幾千もの約束・契約を自分自身と結び、その「結びつき」が日常の経験により強化されてしまっているからだ。
だから、ドン・ミゲルは、四つ目に「いつもベストをつくすこと」をわざわざ置いている。
そのときそのときのベストをつくすこと。
もっと大きなベストはあるけれど、そのときの状況でベストをつくすこと。
そこに日々をかけていくしかないと、ぼくは自分に「約束」をする。
日本人や日本社会を客観視していくために。- 河合隼雄著『母性社会日本の病理』に学ぶこと。
ぼくの信頼する心理学者である(今は亡き)河合隼雄の仕事のひとつ、『母性社会日本の病理』(講談社学術文庫)は、その最初の形は1976年に執筆され、20年ほどの年月を経て文庫版となった。...Read On.
ぼくの信頼する心理学者である(今は亡き)河合隼雄の仕事のひとつ、『母性社会日本の病理』(講談社学術文庫)は、その最初の形は1976年に執筆され、20年ほどの年月を経て文庫版となった。
そして、それからさらに20年ほどの年月を経て、ぼくはこの著作を手に取る。
文庫本用の序文を河合は書いているが、その後の河合隼雄の「考えの発展の基礎」となったという、数々のエッセイがまとめられている。
1965年にスイスのユング研究所から帰国してから、心理療法の臨床経験のなかで、河合隼雄は日本人の特性について考えをめぐらし、ようやく形となるまでに10年ほどを要したという。
その「成果」として書かれた文章たちが、この『母性社会日本の病理』には収められており、今の時代にも(あるいは今の時代だからこそ)、ぼくたちのなかに、限りないほどの思考の芽を点火してくれる。
ぼく個人のことで言えば、海外で仕事をしてきながら、「日本人の特性」ということについて考えざるをえない状況に置かれてきた。
だから、少しまとめておきたいと思う。
タイトルにあるように、思考の手がかりとして、河合隼雄は「父性原理」と「母性原理」という考え方、その二つの原理の相克を立てている。
父性原理と母性原理のバランスの取り方により、社会や文化の特性がつくりだされていくという考え方の上に、河合は分析をくわえている。
父性原理と母性原理は、前掲書における河合隼雄の記述をもとにまとめると、次のようなものだ。
●父性原理:「切断する」機能。すべてのものを切断し分割する(例:主体と客体、善と悪、上と下)。(子供をその)能力や個性に応じて類別(「よい子だけがわが子」)。
●母性原理:「包含する」機能。良きにつけ悪しきにつけ包む込み、そこではすべてのものが絶対的な平等をもつ。(子供をその)個性や能力とは関係なく、「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いとする(「わが子はすべてよい子」)。
それぞれにおいて、「肯定的な面」と「否定的な面」があり、例えば、次のようなこととされている。
●父性原理:肯定的な面は、強いものをつくりあげてゆく建設的なところ。否定的な面は、切断の力が強すぎて破壊に至る。
●母性原理:肯定的な面は、生み育てるもの。否定的な面は、呑みこみ、しがみつき、死に至らしめるもの。
この二つの対立原理が、道徳や宗教、法律などの根本において、融合しながら、どちらかが優位に立ち、どちらかが抑圧されていると、河合は語っている。
その上で、日本社会は、「母性優位の心性」をもつとされる。
河合隼雄は、さらに思考の軸として、「場の倫理」(母性原理に基づく倫理観)と「個の倫理」(父性原理に基づく倫理観)を、論考のなかにひきいれている。
前者は、「場」の平衡状態の維持に高い倫理性を与え、後者は、個人の欲求の充足、個人の成長に高い価値をおく。
河合は、その上で、「現代日本の社会情勢の多くの混乱」の原因を、これらの倫理観の相克のなかの状況に見定めている。
現代日本の社会情勢の多くの混乱は、…父性的な倫理観と母性的な倫理観の相克の中で、一般の人々がそのいずれに準拠してよいか判断が下せぬこと、また、混乱の原因を他に求めるために問題の本質が見失われることによるところが大きいと考えられる。
…現在の日本は「長」と名のつくものの受難の時代であるとさえいうことができる。つまり、長たるものが自信をもって準拠すべき枠組みをもたぬために、「下からのツキアゲ」に対して対処する方法が分からず、困惑してしまうのである。
河合隼雄『母性社会日本の病理』(講談社学術文庫)
さらに「組織」の視点において、「場の平衡状態を保つ方策」としての「成員の順序づけ」をとりあげ、文化人類学者である中根千枝の有名な「タテ社会」の人間関係と関連づける。
河合隼雄は、ここで大切な指摘をしている。
…「タテ社会」という用語を、権力による上からの支配構造のような意味で用いる…これはまったく誤解である。
タテ社会においては、下位のものは上位のものの意見に従わなければならない。しかも、それは下位の成員の個人的欲求や、合理的判断を抑える形でなされるので、下位のものはそれを権力者による抑圧と取りがちである。ところが、上位のものは場全体の平衡状態の維持という責任上、そのような決定を下していることが多く、彼自身でさえ自分の欲求を抑えなければならぬことが多いのである。
このため…日本では全員が被害者意識に苦しむことになる。…実のところは、日本ではすべてのものが場の力の被害者なのである。
河合隼雄『母性社会日本の病理』(講談社学術文庫)
「場の倫理」をのりこえようとして飛び出す人たちも、そこに「日本的な場」をつくってしまうことから、「場」は集団の凝集性を強めてしまい、さらに「場の倫理」がつよくなる。
このような状況のなかで、日本人は母性原理からなかなか抜け出せず、父性原理に基づく自我を確立することを困難としているという。
なお、河合隼雄は、父性原理が優位であるのがよいとか、母性原理が優位であるのがよいとかを述べているわけではない。
スティーブン・コヴィーの最後の著書(『The 3rd Alternative』)のように、「第三の道」を開く方途を、河合隼雄はまなざしている。
河合隼雄の分析と視線、そして明晰な記述は、海外の日系企業が直面する問題や課題とも交差してくる。
例えば、こんなふうに、語る。
グレートマザー的な絶対平等感を基礎として、それに「永遠の少年」の上昇傾向が加わるとき、日本人のすべてが能力差の存在を無視し、無限の可能性を信じて上にあがろうとする。ここに日本のタテ社会の構造ができあがってくるのである。
…父性原理に基づく社会は、西洋の近代社会のように、上昇を許すけれど、そこには「資格」に対する強い制度をもち、能力差、個人差の存在を前提としている。このため、欧米の社会においては、各人は自分の能力の程度を知り、自らの責任においてその地位を獲得してゆかなければならない。この厳しさは日本人にはおそらく、なかなか理解できないものであろう。
河合隼雄『母性社会日本の病理』(講談社学術文庫)
河合隼雄がこの文章を書いたのは、冒頭で述べたとおり、1976年のことであるが、問題や課題の現象面で言えば、それから40年後の今も、同様の状況を至るところに見ることができる。
日本社会の「外」に身をおき、そして「外」における日本社会をみつめて考えながら、河合隼雄の生きられた問い(留学、ユング研究所などの海外を生きてきた河合隼雄が切実に抱いた「問い」)とその探索の過程で得たこれらの文章は、グローバル化した今の時代だからこそ、丁寧に読まれる必要があると、ぼくは思う。
そうすることで、今すぐここに「解決」をもたらすものではないけれど、文化や社会の間の「差異のロジック」を深いところで理解し、自身を客観視し、そこから自身の「生きられた問い」を発していくための堅固な土台つくりとなる。
その堅固な土台は、いっときの「解決」をもたらす以上に、より豊饒な「人と人との関係」をつくるための思考と実践の源泉となるような足場である。
生きることの「両義性」を生きること。- 「自分をのりこえることはできるか」(見田宗介)の論考から。
人の成長、ということを、生きていく上での大きなテーマのひとつとしながら、見田宗介の論考「自分をのりこえることができるか」に目が留まる。...Read On.
人の成長、ということを、生きていく上での大きなテーマのひとつとしながら、見田宗介の論考「自分をのりこえることができるか」に目が留まる。
『定本 見田宗介著作集X:春風万理ー短編集』に所収の論考で、もともとは『教育の森』(毎日新聞社)という雑誌に掲載された文章である。
論考の「軸」としては、ふたつの論・立場が取り上げられている。
●エリク・エリクソン:「漸成的発達段階論(epigenesis)」
●実存主義:根本テーゼは<実存は本質に先立つ>
エリクソンの「発達段階論」は、大学の「心理学」の入門的な講義で習った記憶が、ぼくにはある。
日本でもよく知られた理論であろう。
エリクソンは、人間の誕生以後の人間形成という心理・社会的な関係のプロセスについて、乳児期・初期児童期・遊戯期・学齢期・青春期・若い成人期・成人期・成熟期という「八つの発達段階」を設定している。
それぞれの段階に、「達成されるべき発達課題」や「達成にとって重要な人間関係の範囲」が設定されている。
見田宗介は、エリクソンのこの発達段階論から「教えられるところが多いことはいうまでもない」としながらも、客観的に、こう書いている。
…けれども同時に、考えてみると、これはおそろしい思想でもある。それが真実であるかぎりでは、それはおそろしい真実である。なぜならば、それは人間は自分で自分を自由にのりこえて進むことができない存在だ、ということを意味しているからである。
見田宗介「自分をのりこえることができるか」『定本 見田宗介著作集X:春風万理ー短編集』
このエリクソンが、「実存主義」に反発を感じ、見田宗介は論考のもうひとつの軸として並べる。
実存主義によれば、(見田の簡潔なまとめによると)人間にはのりこえ不可能な本質などなく、自由に、自分という人間を選んでいくことができ、だからこそ、そのことにたいして責任をもたなければならないという考え方である。
実存主義による「自分をのりこえることができる」という考え方と、エリクソンによる「自分をのりこえられない」資質といった考え方が対峙する。
この対峙に間隙を丁寧にさぐりながら、見田宗介は、両者の「微妙なすれちがい」は、実存主義は人間を自分のこととして内側からみていること、他方エリクソンは、人間を愛情と責任をもって外側からみていることにあると、述べている。
見田宗介は、そうして、次のように、論考の最後の段落を書いている。
エリクソンと実存主義という、それぞれに真摯な生き方の二つの思想の反発し合う構図から、われわれにとってみえてくるのは、<つくられるもの>としての人間と<自分をつくるもの>としての人間という問題、事実性としての人間と自由としての人間との両義性であり…。
見田宗介「自分をのりこえることができるか」『定本 見田宗介著作集X:春風万理ー短編集』
人間は、<つくられるもの>と<自分をつくるもの>の二つを、また事実性と自由を、それらのどちらかではなく、同時に生きている。
このことは、敷衍して言えば、「人の育成」ということとも関連する。
人を育成できるか否か、という議論は、その構図だけで見れば、ここに見られる構図と同型である。
育成できるかという問いのナイーブさは、<自分をつくるもの>としての人間への畏れのようなものを胚胎している。
生きていくことの「両義性」を、そのままでひきうけることを、見田宗介という真摯で孤高の社会学者はあらゆるところで語っている。
この論考の最後は、人を育てるという「教育」という現場の「教師」に向けられ(だからこそ、見田宗介自身に向けられ)、次のように書かれる。
…<教育>という問題に即していえば、責任をもって対しなければならない幼い他者たち、若い他者たち、という人間と、みずからの親や教師に責任を転嫁してはならない自由な主体性、としての教師である<わたし自身>との、生きられるべき両義性である。
見田宗介「自分をのりこえることができるか」『定本 見田宗介著作集X:春風万理ー短編集』
原的な「両義性」をみつめながら、それらの「生きられるべき両義性」を生きていくことに、ぼくたちの生はかけられている。
見田宗介(真木悠介)が、フランスの思想家バタイユに依拠しながら、別のところで語っている<創られながら創ること>という言葉は、生きられるべき両義性を生きることで、自分をのりこえていく精神を、シンプルに、しかし深いところで照らし出している。
香港で、台風上陸のなか、「リスク管理」を考える。- 不安と(何事もない)安堵のメンタリティ。
香港の東の端に、台風が上陸した。ちょうどこの文章を書き始めた頃に、台風は、香港の北の上空を移動している。...Read On.
香港の東の端に、台風が上陸した。
ちょうどこの文章を書き始めた頃に、台風は、香港の北の上空を移動している。
昨日から最も低いレベルの警報(シグナル1)が出ていたが、当初その上の警報(シグナル3)にはならないだろうという状況であった。
それが、夜半にシグナル3が発令され、今朝方の9時20分には警報がシグナル8へと、さらに一段階あがった。
シグナル8になると、例えば、交通機関が乱れたり、店舗が閉まったりと社会的な影響が出る。
今日は日曜日だけれど、平日ともなると、シグナル8号発令により、ビジネスが止まったりして大きな影響がある。
だから、「台風シグナル8」というリスクは、香港に住んでいる人たちの心身を動かす。
ひとつに、社会機能が一時的に止まるかもしれないという状況は、(程度の差はあれ)パニックを人の内面に起動する。
スーパーマーケットやパン屋などには、人が殺到したりする。
台風のシグナル8がでている時間は、1日未満である。
半日ほどで通常はシグナル3へとダウングレードされる。
それでも、食材などがスーパーマーケットの棚からなくなっていく。
もちろん、新鮮な食材への影響は、配送などの関係から2日ほど続いたりする。
そのようなことを「差し引いた」としても、人は、必要以上に食材をかいためているように見られる。
ぼくが、予備の食料品として買いためた経験は、2006年の東ティモールでの騒乱の「前夜」からである。
実際に、お米が一時期、スーパーマーケットからなくなるなどの事象が起きた。
東ティモールの「難しさ」は、輸入経路が非常に限定されていること。
だから、万が一のために、スタッフたちの分も含めて、一定期間やっていけるだけのお米を貯蔵したりした。
それは、実際に、後に、役立つことになる。
人の個体の維持という、「生物」としての人間の諸相が起動され、ぼくたちは万が一に備える。
今でも、この諸相はいつでも「起動」できる状態だけれど、台風というリスクにたいしては、ぼくは一歩距離をおいて、冷静に対処する。
ふたつめに、(何事もなかったときに感じる)安堵のメンタリティは、ときに、批判へと転回されることがある。
シグナル8が発令されても、ほとんど台風の影響が見られないようなときもある。
今日も、台風が上陸して(でも北に逸れながら)、風は静止したかのようで、雨だけが時折ふりそそいだ。
そして、(ぼくのいるところでは)何事もなく、シグナル8の台風警報は、発令から4時間後の13時20分に解除された。
ビジネスなどの「大切なこと」にもかかわるから、何事もなかったときは、途端に天気予報への批判になる。
「何事もなかったこと」への視線は、冷たい。
人間の「生物」としての諸相ではなく、自然から離陸した「現代」という人間の諸相が現れるのだろうか。
大事が起こらなかったことへの感謝ではなく、起こらなかったことによる時間・機会喪失のようなものを感覚する。
批判の矛先は、天気予報を管轄する政府機関であったりする。
しかし、実際には、「その地点」にいるぼくたちにはわからなかったりする。
政府機関の「判断」は、香港全体を視野にしていて、香港の一部ではない。
実際には、ぼくのいる「地点」からは見えず、他の場所や地域では被害が出ているかもしれない。
あるいは、少しの「差」が、甚大な被害につながるような状況であったかもしれない。
ぼくたちは、そのような「かもしれない」というリスクを、何事もなかったという時間と地理的な地点で、忘れてしまう。
不安と安堵のメンタリティの「揺らぎ」のなかで思うのは、やはり、リスクへの向き合い方は最終的に「自分自身」次第であるということ。
気象情報はあくまでも「外部情報」として、自分自身の内部にある「リスク管理の管制塔」にインプットをし、そこでリスクにどのように対処・対応するかを自ら決める。
また、日頃から、「リスク管理の管制塔」は、事前準備として予備訓練をし、いつでも起動されるために整備されていないといけない。
とくに、自分が生まれ育ったような「ホーム」ではなく、海外のような「アウェー」の場合はなおさらである。
そして、「不安と安堵のメンタリティの揺らぎ」は、生きてあることへの深い感謝に支えられながら、「予防対策」と「冷静な対応」という人間の知恵として、その形態と内実を変容させていくことで、ぼくたちは、この世界で、よりよく生きていくことができる。
「台風」という言葉がにつかないほどに、木々たちが緑色をたたえながら静かにそびえたち、雲たちが静かに流れ、コンドルが飛んでいる香港の風景を眺めながら、ぼくはそんなことを思う。
人生のぜんたいは「論じるよりも、するものだ」(見田宗介)。- 生きるための「道具の手入れ」。
社会学者の見田宗介(=真木悠介)の仕事と生き方から、ぼくは、数え切れないほど多くのことを学んできた。...Read On.
社会学者の見田宗介(=真木悠介)の仕事と生き方から、ぼくは、数え切れないほど多くのことを学んできた。
今だって、見田宗介=真木悠介の本をひらかない日はない。
ひらくたびに、学びがある。
「明晰の罠」を超える「対自化する明晰」(メタ明晰)は、そんなことのひとつであった。
より正確には、教えられたことも数え切れないほどあるけれど、ぼくがこの身体で漠然と感じていたことに、言葉と論理を与えてくれた。
「学問」という領域を超えて、生きるという経験において。
明晰さということにおいては、これほど明晰な論理・理論を統合的に展開する人を、ぼくは他に知らない。
そのような見田宗介は、しかし、「論」ということについて、こんなことを書いている。
…わたし(見田宗介)は…人生のぜんたいが「論じるよりも、するものだ」と考えている。論を大切にしないということではない。千倍もさらに大切なものがあるだけだ。…「思想を実践する」といった倒錯した生き方をしたくないと思う。存在することのしずかな感動をわかち合うだけでいいのだ。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
日常において学問や思想や批評などにかかわっていない人にとっては、「人生のぜんたいは『論じるよりも、するものだ』」ということは、当たり前のことだと思われるだろう。
人は、学者や思想家、評論家・批評家やジャーナリストなどにたいして、「論じてばかりいて」と、思ったりする。
だから、「思想を実践する」という倒錯した生き方にたいする「距離の置き方」を述べることは、見田宗介自身に向けての「しないことリスト」であると共に、人生のぜんたいを「するよりも、論じるものだ」という生き方になってしまっている人たちへのメッセージでもある。
また、見田宗介は、一連の仕事を通じて、生と理論・論、知性にできることとその限界、理想と現実などにたいして敏感な姿勢をとりつづけてきた。
それにしても、人生は「論じるよりも、するものだ」は、例えば、見田のような学者などだけが、気をつけなければならないことだろうか。
ぼくは、そうは思わない。
誰もが、そのことを生き方にインストールしたほうがいいものだ。
思想や理論という体系的な言葉に限らず、人は、日々、会話のなかで、人を批判し、悪口をいい、意見をあれこれと述べる。
そうして、人生ぜんたいが、「論じる」もので終始してしまう。
さらには「する」にも到達しなくなったりする。
このように「論じるよりも、するものだ」という言葉は、さまざまに異なる角度と深度で、ぼくに現れる。
見田宗介は、前掲書の同じところで、こんなことも述べている。
…<実感>を手放した身体が<観念>という病を呼ぶのだ。<実感>を疑うのでなく、<実感>を信じつつ相対化するということ…。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
こうして、ぼくの「生き方の道具箱」には、さまざまな道具が並べられていく。
もちろん、それらは使われなければ、錆びてしまう。
ぼくは日々これらを使いながら、でも、ときに、見田宗介=真木悠介の文章を読み起こしながら、「道具の手入れ」を、せっせせっせとしている。
「明晰の罠」(真木悠介)を超えて。- 無知と明知を超える方法。
社会学者の真木悠介(=見田宗介)は、「明晰の罠」ということを、名著『気流の鳴る音』で書いている。「明晰」について、真木悠介は、次のように述べている。...Read On.
社会学者の真木悠介(=見田宗介)は、「明晰の罠」ということを、名著『気流の鳴る音』で書いている。
「明晰」について、真木悠介は、次のように述べている。
…「明晰」とはひとつの盲信である。それは自分の現在もっている特定の説明体系(近代合理主義、等々)の普遍性への盲信である。それはたとえば、デモクリトス、ニュートン的、アインシュタイン的等々の特定の歴史的、文化的世界像への自己呪縛である。
人間は、<統合された意味づけ、位置づけの体系への要求>という固有の欲求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられる。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
ぼくたちは、この「明晰の罠」を意識し、ほんとうの<明晰>を、生きていくことの方法として、あるいは生き方そのものとしていくことができる。
「明晰の罠」にふれて、真木悠介は、古代インドの哲学書である『ウパニッシャッド』の一節を引用している。
無知に耽溺するものは
あやめもわかぬ闇をゆく
明知に自足するものは、しかし
いっそうふかき闇をゆく
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
『気流の鳴る音』(1977年)で、(おそらくはじめて)取り上げられたこの一節は、およそ30年後に書かれた著作『社会学入門ー人間と社会の未来』のなかでも、取り上げられている。
真木悠介自身の生き方の核心に装填されていた方法である。
『気流の鳴る音』が「具体的な生成力」を持った思想スタイルの確立をめざしたように、「明晰の罠」を超えていく方法は、真木悠介の生に「具体的な生成力」を付与してきたものだ。
「明知に自足するものは、いっそうふかき闇をゆく」ということを、他に類をみないほどに「明晰さ」をもつ真木悠介=見田宗介は、自分に言い聞かせている。
もちろん、無知の方が明知よりもよいなどとは、言っていない。
それでは、「明晰の罠」は、どのように超えていくことができるのか?
真木悠介は、「対自化された明晰さ」という方法を提示している。
先回りして言ってしまえば、真木が書くように、<明晰さについての明晰さ>として「メタ明晰」ともいうことができるものである。
真木悠介は、カッコの使い分け(「」と<>)を活用しながら、次のように、「明晰の罠」を超える方向性を書いている。
「明晰」を克服したものがゆくべきところは、「不明晰」でなく、「世界を止め」て見る力をもった真の<明晰>である。
「明晰」は「世界」に内没し、<明晰>は、「世界」を超える。
「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、<明晰>はひとつの<意志>である。
<明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。
<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
このような<明晰>(「メタ明晰」)を、ぼくたちは、生きることの方法としていくことができる。
最近、メタ明晰の重要性を深く感じたのは、「スマホで朝生!~激論!AI時代の幸せな生き方とは?」(進行役:田原総一朗)に見た、参加者たちの「議論のすれちがい」であった。
「議論のすれちがい」の要因のひとつが、「明晰の罠」であったのではないか、ということだ。
発言者たちが、自身の「明晰」のなかに自分を呪縛していることから起きるすれちがいのように、ぼくには聞こえた。
「AI時代」という、「明晰」を対自化させないと語ることのできない時代と事象が、議論のすれちがいを、いっそう先鋭化させる。
ぼくにとって、非常に学びの多い議論(特に、この「議論のすれちがい」の位相)であった。
また、日本の社会の「外」にいることは、常に自己充足するような「明晰さ」をゆさぶる。
「教育」や「しつけ」のような仕方で身につけてきた「明晰さ」は、疑問に呈されることになる。
しかしまた、その「外」の社会で身につけていく「明晰さ」は、ぼくたちを、またもうひとつの「明晰さ」へと罠をしかける。
ぼくたちは、メタ明晰の方法を、生き方の核心に装填し、起動させておくことで、「明晰の罠」からのがれる。
まさしく、真木悠介がめざした「具体的な生成力」のある思想だ。
この具体的な生成力のあるメタ明晰という方法は、人類が過去から未来へとつらなる歴史のなかで、(おそらく)一度しか遭遇しえないような「転換点」である現代においてこそ、さらにいっそう求められる方法である。
「居心地の悪い場所」に身をおくこと。- 「問い」の生まれる場所。
ぼくは、西野亮廣の著作『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』を読みながら、さまざまに触発される。...Read On.
ぼくは、西野亮廣の著作『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』を読みながら、さまざまに触発される。
西野は、日常に「問い」をすくいあげ、問いを裂開し、「答え」を実践的に生きる。
そんなことを、ぼくは抽出して、「存在そのものが『質問』になっている人」(西野亮廣)ということを書いた。
「問題解決」にまつわる大切なことが、いろいろに語られているからである。
「問い」に関して、もうひとつ書いておきたい。
西野亮廣は、「問い」を見つける方法を、次のように書いている。
…人生を賭けるほどの「問い」を見つけるには、居心地の悪い場所に立つ必要がある、というか居心地の悪い場所に立ったほうが「問い」が見つかりやすい。
西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活社
「居心地の悪い場所」に身をおくこと。
人は往々にして「居心地の悪い場所」を避けようとするけれど、実はそこに「問い」という財宝がねむっている。
西野は、「やりたいことが見つからない」という相談には、次のように応答する。
僕は、「やりたいことが見つからない」という相談を受けた時には必ず、「僕なら、3キロのダイエットをして、その体重を維持してみるよ」と返すようにしている。…
西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活社
「居心地のいい場所」について、西野は、すでに誰かが解決してくれた場所だという。
ぼくも、「居心地の悪い場所」に身を置き続けてきた。
そして、そんな「場所」から、「問い」をひろいつづけ、考えては行動して、うまくいくこともあれば、うまくいかなかったこともある。
ぼくは、「やりたいこと」や「行きたいところ」を透明においつづけていたら、「居心地の悪い場所」に身をおいていた。
東京に住むことを望んで東京にある大学に行き、はては、東京におけるぼくの生活の「居心地の悪さ」になげこまれた。
アジアへの旅を望み、アジアに出てみたら、そこは決して居心地のいい場所とは言い切れないところで、ぼくはたくさんの「問い」を持ち帰った。
そんな「問い」のひとつを透明に追い、途上国への国際支援を仕事として望み、飛び込んだ世界は「居心地の悪さ」でいっぱいであった。
例えば、西アフリカのシエラレオネでは、内戦が終了してまもなく、内戦に翻弄されてきた人たち/内戦に翻弄されている難民の人たち、戦争の傷を身体や精神に負う人たちに囲まれながら、そして社会の不安定さのなかで、ぼくは「問い」の嵐にまきこまれていた。
独立後、平和を保っていた東ティモールでは、2006年、不満が騒乱となり、首都ディリの街中で銃弾が飛ぶ状況に、ぼくは置かれた。
未だに、当時の「問い」に(自分なりに)答えられていない。
こうして、文章にしながら、「問い」のなかに、問いを裂開するような「解決」をさがしている。
西野亮廣なら、そんなぼくにたいして、「天然でボーナスステージに立ってんじゃん」(前掲書)と言うだろう。
ゲームで言えば、「問い」に囲まれるぼくは、確かに「ボーナスステージ」に来ている。
さらに、ぼくは、生きることの次なるステージの最初の迷路のなかで、「居心地の悪い場所」だらけだ。
これが「ボーナスステージ」でないわけがない。
この「ボーナスステージ」で、ぼくはたくさんの「問い」を得ている。
そして、それらの「問い」にひそむ、問いを裂開する拠点に足場を置いて、現代という時代を次の「名づけられない革命」(真木悠介)の時代につなぐという仕事に、ぼくの人生は賭けられている。
西野亮廣著『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』。- 存在そのものが「質問」になっている人。
…存在そのものが「質問」になっている人を僕は芸人と定義している。西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活社...Read On.
…存在そのものが「質問」になっている人を僕は芸人と定義している。
西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活社
「道なき道の歩き方」という副題にひかれ、ずっと読みたかったけれど、電子書籍版が出ていないため「先送り」にしていた本。
「芸人」であるキングコング西野のベストセラー著作。
読むことを先送りしていたけれど、「大停電の夜に」という逆転劇を、停電した新幹線の中で、「トラブルは、映画のように片付ける」というモットーで成し遂げた西野の行動力に触発されて、ぼくはハードコピーを手にした。
本書は4章から構成され、合計で43項目のトピックが展開されている。
【目次】
はじめに
第1章:向かい風はボーナスチャンス!
第2章:お金の話をしよう
第3章:革命の起こし方
第4章:未来の話をしよう
おわりに
冒頭の言葉は、この本の「はじめに」で語っている「芸人の定義」だ。
西野は、ナインティナイン岡村の考え方(“ひな壇に出る芸人”)を引きながら、それに反論する仕方で、自身の芸人の定義を語る。
…ひな壇に出る芸人がいていいし、ひな壇に出ない芸人がいてもいいんじゃないかな。
…「それもいいけど、こういう“オモシロイ”があってもよくない?」と提案したり、時に「アイツのやっていることは、はたして正解なのかなぁ」という議論のネタになったり、そういった、存在そのものが「質問」になっている人を僕は芸人と定義している。
…僕は芸人で、とにかく面白いことをしたい。それだけ。
西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活社
これが、この本の導入部分でありながら、ある意味、言いたいことの核心が尽くされていると、ぼくは思う。
西野は、世間の「当たり前」や「前提」を深いところで問うことを生きる。
…僕は、ある時、「お笑い芸人が、ひな壇に参加せずに生きていくためにはどうすればいいだろう?」という「問い」を持ち、その「問い」に人生を賭けてみることにした。
西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活者
西野の生き方は、「問いを持つ」生き方だ。
大切なことは「問い」を持つことだ、ということを、いくどもいくども書いている。
「問い」が、道なき道を照らし出すコンパスなのだ。
ぼくが、好きなトピックは、「20 戦争はなくならない」というところだ。
ここでは、それまで「戦争が無くならない理由」など考えたことがなかったところ、タモリに、その質問を投げかけられ、そしてタモリの考え方に、西野は深く揺さぶられる。
これを契機に、西野は「戦争」と真剣に向き合うようになる。
「戦争は無くならない」というところから考え始めたら、無くし方が見つかるかもしれない、という谷川俊太郎(とタモリ)の考え方を導きに、この「問い」に「答え」を見出そうとする。
西野は、そうして、こう考えるようになる。
…「僕らは戦争を無くすることはできないのかもしれないけど、止めることはできる」
答えは僕が子供の頃から信じているエンターテイメイン。
…エンターテイメントが世界中の人間を感動させている瞬間だけは平和で、「だったら、その時間を長くすればいいじゃん」というのが僕の結論。
西野亮廣『魔法のコンパスー道なき道の歩き方』主婦と生活社
これは、「問題を裂開すること」(真木悠介)を方法とした肯定性への着地である。
「否定の否定」は「否定」にしか行き着かない。
だから、いったん、「戦争を無くす」という問題の立て方をせず、谷川やタモリのように、「戦争はなくならない」というところで「問い」を立てる。
そして、そこから、問題を裂開していく。
西野は、「問い」に「答え」が埋まっていると言う。
それは正しくもあるけれど、より正確には、「問い」を裂開して、答えを見出している。
世間のいろいろな事象・対象にたいしても、自身の活動においても、「問い」をひろいつづけ、道なき道で、問題を裂開し、「答え」を実践的に生きている。
そして、西野亮廣は、対象にたいしてだけでなく、自身の存在そのものが「質問」であるような生き方を実践している。
「否定の否定をくりかえしても、肯定的なものに到達することはできない」(真木悠介)。- 問題自体を「問う」という転回。
「幸せな社会」あるいは「幸せな人生」という未来の立て方は、その「幸福・幸せ」の定義にもよってくるが、ぼくは一歩引いて考えるようにしている。...Read On.
「幸せな社会」あるいは「幸せな人生」という未来の立て方は、その「幸福・幸せ」の定義にもよってくるが、ぼくは一歩引いて考えるようにしている。
ユバル・ハラリが著書『Homo Deus』の中で挙げる、人類のこれからの三大プロジェクトのひとつは「至福」(happiness, bliss)である。
「至福への工学的アプローチ」が進められる中で、幸福・幸せの定義も、一般的な捉えられ方は今後は変わってくるかもしれない。
そのことは一旦保留したままで、しかし、「不幸をなくする」という仕方にたいして、ぼくはしっくりこないものをもってきた。
「幸せ」ということを立てることは、その反対の「不幸」から出発し、それを「なくする」という思考になりやすい。
さまざまな文化の神話に通底している、Joseph Campbellが言うところの「Hero’s Journey」という物語は、幸せだけを物語としていない。
同様に、ぼくたちの生きる道ゆきも、幸せだけで彩られているわけではない。
社会学者の真木悠介は、名著『自我の起原』にたいする質疑応答のなかで、次のような応答を書いている。
不幸とか苦痛をなくすことが問題なら、…世界にたいして不感症になってしまえば、不幸もなく苦痛もない。それよりも人は、苦痛も大きいが歓喜も大きい生の方を選ぶ。人は退屈な幸福よりは絢爛たる不幸をさえ選ぶ。人が結局<自由な社会>を選ぶというのも、こういうことと関わっているように思う。…
真木悠介「竃の中の火ー『自我の起原』補註」『思想』1994年8月号、岩波書店
ぼくも、そう思う。
しかし、世の中では、苦痛をなくすとか、心配をなくすとか、不幸をなくすとかの言葉が、例えば本のタイトルなどでうたわれたりする。
真木悠介は、「エゴイズムの相剋」などに触れて、このような「思考の方法」を転回することを、ぼくたちに提示している。
…今ある不幸の否定の延長線上に未来を構想する、という思考の方法を転回しなければならない。
…「不幸をなくする」「相剋を解決する」というこれまでの社会構想の欠点がよく分かる。消去法で考えてはいけない。否定的なものから出発する限り、どこまでその否定の否定をくりかえしても、肯定的なものに到達することはできない。問題を裂開すること。
真木悠介「竃の中の火ー『自我の起原』補註」『思想』1994年8月号、岩波書店
「否定の否定」はどこまでも「否定」であること。
だから、問題を裂開すること。
言い方を変えれば、問題自体を「問う」ということでもある。
真木悠介はこの転回を方法とし、徹底的に問いを問うなかで、「自我」や「時間」などの問題を裂開し、肯定性へ到達してきたことは、一連の仕事のなかで見られる。
ここでは歴史の事例を持ち出し、ここでは「社会構想」という文脈で語られているけれど、真木悠介の思考の深度は常に「人と社会」を貫くものである。
ぼくは、このような透徹した方法(「問題を裂開すること」)を、いつもうまくいくわけではないけれど、問題の解決を考えるときの、道具のひとつとしてきた。
ぼくたちは、日々、問題に直面する。
そんなとき、ぼくは、立ち止まって、一歩引いて考えたい。
個人や組織の「未来の立て方」が、否定の否定という「否定の連鎖」に陥らないように。
「自分の存在全部を支える"好み"」をもつこと(鶴見俊輔)。- この世界で、垂直に立つために。
思想家の鶴見俊輔は、「好み」ということに触れて、「自分の存在全部を支える”好み”を自分が持っているか」ということが大切だと言う。...Read On.
思想家の鶴見俊輔は、「好み」ということに触れて、「自分の存在全部を支える”好み”を自分が持っているか」ということが大切だと言う。
最近は「好き・嫌い」ということが、よく(しばしば過剰に)言われているなかで、鶴見俊輔の言葉は、重みをもって、表層的な「好み」に疑問をなげかける。
先日、鶴見俊輔の言葉をひろいだしている中で、「自分を分割して、今自分のいるところを別の人間の視点から見る」という言葉に再会した。
この言葉と、「自分の存在全部を支える”好み”を持つこと」は、一見すると関係ないようで、実は深く関係している。
鶴見俊輔は、こんな風に語っている。
…”好み”を持っていない人は、重心がなくて、世の中にふりまわされてしまいます。”超自我”に対抗して、自分で考える場を作っておくために、”好み”をもつことが必要です。
鶴見俊輔『日常生活の思想』筑摩書房
「超自我」という精神分析用語は「心的装置の下位構造の一つ」のことで、本能的欲求に対する禁止や脅しを行い、自我に罪悪感を生じさせる機能(良心)などを意味する(『社会学事典』弘文堂)。
鶴見は「世の中」と言っているが、それは、ある意味、日本の情況で言えば「世間の目」である。
鶴見俊輔の仕事は、いわゆる「権力」(広い意味での権力)にたいする「抵抗」をひとつのモチーフとしていたから、「考えることの拠点」について敏感な思想家であった。
人は、「大人」になるにつれて、「好み」が脱色され、うすれていく。
正邪、善悪や利害などに身を浸していくことで、いつのまにか、「好み」をなくしてしまう。
ただし、それらは、そのときどきで「変わりやすい」運命にある。
だから、それらの「変わりやすい」基準をもつ世の中に、垂直に立つために、存在全部を支える「好み」をもつことが、大切になる。
「自分を分割して、今自分のいるところを別の人間の視点から見る」ことも、「存在全部を支える好みをもつこと」も、考えることの拠点としてある。
ぼくにとっては、「世の中」の二つの解釈において、この言葉が大切である。
ひとつ目は、「世の中」は、グローバルに生きていくときの「世界」という文脈におきかえることである。
グローバルな世界を旅し、生活し、働き、そして生きていくことにおいて、存在全部を支えるような「好み」が大切だと、ぼくは思う。
日本で生活しているときは、「好み」があいまいであっても、あるいはほとんどなくても、それでもなんとかなってしまうようなところがあった。
日本の国外に出て、海外で生活していくなかで、ぼくは「日本的な感覚」をひきずってしまっていたようなところがある。
それは、「重心」を欠いたような生だ。
ふたつ目としては、「世の中」は、今と、これからの「時代」という文脈におきかえることである。
「時代」は、「存在全部を支える好み」を支えてくれるような時代に突入している。
しかし、時代の激しい変わり目・接ぎ目のなかで、表層的な「好き・嫌い」はあふれているけれど、「存在全部を支える好み」を拠点として次の時代に踏み出している人たちは、相対的には、まだ多くはない。
だから、鶴見俊輔の言葉は、ぼくにつきささってくる。
表層的な「好き・嫌い」があふれることに違和感を覚えながら、「自分の存在全部を支える好み」は、ぼくに言葉を与えてくれる。
「存在全部を支える好み」。
いい言葉である。
そして、ぼくは自分自身にたずねる。
ぼくは、自分の存在全部を支えるような好みを持っているだろうか、と。
香港で、「酷暑警報」(Very Hot Weather Warning)に学んだこと。- 日本の「熱帯夜」との間(はざま)で。
日本のニュースを見ていて、「熱帯夜」という言葉を見つける。東京や関東地方の暑い夏の夜を思い出す。...Read On.
日本のニュースを見ていて、「熱帯夜」という言葉を見つける。
東京や関東地方の暑い夏の夜を思い出す。
「熱帯夜」というのは、気象庁の気象用語では「夜間の最低気温が25度以上のこと」とある。
ただし、統計種目ではないようで、インフォーマル的なものでもある。
「25度以上」というのは、海外に出て連続15年ほどになるぼくの記憶の中にも残っている。
「25度」は、海外に出てから最初の内は、意識的な基準のようなものとして、ぼくの中にあったことは確かだ。
だから、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それから香港と、熱帯や亜熱帯のところに住みながら、最初は、なぜか「25度」と比較してしまうようなところがあった。
でも、そんな「25度」という意識的な基準も、海外に長く住んでいると、うすれていく。
ぼくの身体が、それぞれの環境の場に順応しながら、それなりの完結性を、その場その場でつくっていく。
香港は、今この時期、最低気温が26度とか27度である。
日本の数値基準でいけば、香港では、毎日が熱帯夜になってしまう。
ぼくの身体は恐らく、摂氏でいけば、5度くらい上の幅で、完結性をつくっている。
人間の身体の順応性には、やはり感銘を受ける。
「熱帯夜」という表現は香港には(もちろん)なく、代わりのものではないけれど、香港の気象庁ともいうべき香港天文台からの「天気の警報」がある。
警報により、活動や予防の注意をよびかけるわけだ。
暑さについては、英語で「Very Hot Weather Warning」、中国語で「酷熱天気警告」という警告が発出される。
「Very Hot Weather」とはそのままの表現だけれど、文字を見るととても暑そうだ。
日本語に訳すとすると「酷暑警報」だろうか。
香港天文台のホームページを見ていると、警報には明確な気温は決められていないようだ。
今朝は、早朝7時前に警報が発出され、そのときで27度くらいで、日中は33度くらいまで上がった。
また、暑さとは逆に、寒いときには、「Cold Weather Warning/酷寒天気警告」が発出されるが、それは10度を下がるあたりだ。
大切なことは、海外で生活していくことを、ぼくたちはこのようにして、これまでの(狭い)「世界」を相対化していくことの方法とすることができる。
日本にいるときは、本気では信じていなかったのだろうけれど、「25度」は意識的な基準として、ぼくのなかにずっしりと住んでいたのだ。
これは一例だけれど、そんなことが山ほどある。
海外で15年以上生活しながら、いまだに発見することがあるほどで、ぼくたちのマインドと身体に積み重なる「生活の地層」ともいうべきものは、何層にもわたっている。
「新しい価値観や生き方」と「古い価値観や生き方」が、これまで(の人間の歴史)に類を見ないほどに、重なって並存し、そして相克と相乗を繰り返していく時代にいる中で、ぼくたちはどれだけ順応性と柔軟性を高くもつことができるのかが問われてくる。
それは日本と海外という相対性だけではもちろんないけれど、「生き方の相対化」を生きていく経験は、ぼくたちの強い味方だ。
一度さまよいでた者は、どこまでもさまよいでることができる。
Very Hot Weather Warningが発出されている暑い香港で、そんなことを、ぼくは思う。
「自分を分割して、今自分のいるところを別の人間の視点から見る」(鶴見俊輔)。- 「考える」ということ。
「自分を分割して、今自分のいるところを別の人間の視点から見る」。思想家の鶴見俊輔は、かつて、こんなことを書いた。...Read On.
「自分を分割して、今自分のいるところを別の人間の視点から見る」。
思想家の鶴見俊輔は、かつて、こんなことを書いた。
「自分」という問題系を正面から考え始めたぼくが、出会った文章だ。
出会ったのは、もう20年ほど前のことだ。
鶴見は、このことをこんな文脈で書いた。
…能率的に先生の言うことをなるべく早く真似してやるという、機械に似せて自分を作りかえるということが、小学校から大学までの一貫した日本の教育の理想なんです。…だが、機械でできないことがあるんです。それは、自分を分割して、今自分のいるところを別の人間の視点から見るということなんです。
鶴見俊輔『日常生活の思想』筑摩書房
ここでは「他者との関係」において、二層あることに注意したい。
- 「教育」という他者
- 「別の人間の視点」という他者
「教育」は、この社会のシステムで「よくやっていく・問題なくやっていく」ために、ぼくたちにインストールされる「他者」だ。
堀江貴文の著書『すべての教育は「洗脳」である』(光文社)では、そのことを「洗脳」と呼んでいる。
子供たちの身体はときに悲鳴をあげながら、しかし、インストールされた「他者」を「自分」として生きていく。
「自分を分割して…」と鶴見が言うとき、それは、もう一段上の「他者」である。
鶴見は、自分を分割しなければ、ほんとうは考えるということができない、という。
自分を分割して、「別の人間の視点」を組み込んでいく。
それは現代では、例えば、一段上の視点から見るという「メタ思考」などとも呼ばれる方法とも呼応する。
千葉雅也著『勉強の哲学-来たるべきバカのために』も、この「自分」ということにセンシティブな本である。
千葉は、「自分は環境のノリに乗っ取られている」や「自分とは、他者によって構築されたものである」という節で、「自分とは?」ということを書いている。
「来たるべきバカのための(深い)勉強」は、言ってみれば「教育などの他者」につくられた自分をこわし、「別の視点の人間」を組み込み、自分で「考えていくこと」である。
「別の人間の視点」は、日本の文化から離れたところでは、さらに鮮烈に組み込まれていくことになると、ぼくは考える。
ぼくは、海外で生活していくなかで、自分を分割しつづけ、別の人間の視点から見ることを、日々行ってきた。
文化などの差異が先鋭化し、「今自分のいるところ」と「別の人間の視点」の距離や角度が、さらに遠く、深く、鋭くなる。
例えば最近日本でよくとりあげられる「日本的な働き方」については、海外で生活し仕事をしてきたぼくにとっては、いつも「別の人間の視点」がぼくをまなざしてきた。
だから、「考えること」が多くなり、そして深くなる。
鶴見の文章と出会ってから、ぼくは、そんな自身の経験を通じて、鶴見が言おうとしていたことを理解している。
社会学者の見田宗介は、「鶴見俊輔」について書くなかで、鶴見と芹沢俊介との対談の発言から、こんなポイントを抽出している。
…鶴見は、「イノセント」からの出発ということで、一人一人が、自分の思想の、世界の見方の、生成してくる根にある経験を、けっして手放してはいけないということを、くり返し強調している。この経験の根のところから、人はだれでも、読むものを自分で選び、自分の「正解」を編み上げてゆくことが出来る…。
見田宗介『定本 見田宗介著作集X』
ぼくも、そう思う。
だから、ぼくは「経験の根」に自覚的に、そこから文章を編み上げていっている。
勉強により「変身すること」へとつきぬけていく。- 千葉雅也著『勉強の哲学-来たるべきバカのために』を読む。
千葉雅也の著作『勉強の哲学』という本を、たまたまネットで目にして、さっそく手に入れて読む。...Read On.
千葉雅也の著作『勉強の哲学』という本を、たまたまネットで目にして、さっそく手に入れて読む。
千葉雅也は哲学者。
彼は哲学者ドゥルーズに深く影響を受け、前著はドゥルーズについて書いた博士課程論文がベースになっているという。
この本をはじめに見たときに、気になったのは、3つのこと。
- 副題:「来たるべきバカのために」
- 本の帯:「東大・京大でいま1番読まれている本」
- 本の導入:「勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである」
これらにふれながら、この本(とそのメッセージ)について、書こうと思う。
1)「来たるべきバカのために」
堀江貴文は「バカになれ」と、TEDのプレゼンテーションなどでメッセージを送っている。
もちろん、ここでいう「バカ」は、括弧付きの「バカ」である。
感情で読んではいけない言葉だ。
中途半端な利口さは、人から行動力を奪ってしまうことへの警鐘である。
そのことと呼応するように、千葉雅也は、3段階プロセスでの「変身」を、本書で展開している。
●第一段階:単純にバカなノリ。みんなでワイワイやれる。
●第二段階:いったん、昔の自分がいなくなるという試練を通過。
●第三段階:来るべきバカに変身。
第一段階は、いわば、周りの「ノリ」に同調していく生き方である。
千葉雅也はこう述べている。
…「深く」勉強することは、流れのなかで立ち止まることであり、それは言ってみれば、「ノリが悪くなる」ことなのです。
深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである。…
…これから説明するのは、いままでに比べてノリが悪くなってしまう段階を通って、「新しいノリ」に変身するという、時間がかかる「深い」勉強の方法です。
千葉雅也『勉強の哲学-来たるべきバカのために』(文藝春秋刊)
千葉は、そうして、第一章を「勉強とは、自己破壊である」という文章で書き始めている。
2)「東大・京大でいま1番読まれている本」
「勉強すること」を、今の大学生たちは、例えば、この本から学んでいるということ。
大学時代のことを、ぼくは思い起こす。
大学時代、勉強の仕方のようなところで、ぼくが感銘を受けた本は、例えば、経済学者である内田義彦の『読書と社会科学』や『社会認識の歩み』などであった。
岩波新書というコンパクトな本でありながら、深い言葉に、なんども立ち止まりながら考える。
学ぶということは、世界をみる見方を変えることということを、ぼくは内田義彦から学んだ。
現代という時代、ぼくたちは「私は私なんだ」と、自分に言い聞かせたりする。
「自分」というものを確かめながら。
でも、ぼくは、この「私」という現象自体に疑問をもち、その疑問と居心地の悪さに導かれながら、自我やエゴイズムの問題系を追求してきた。
社会学者の見田宗介=真木悠介は、この問題を追求していく際の、ぼくの「師」である。
千葉雅也も、この本で、「自分」ということにふれて、こんな風に書いている。
●「自分は環境のノリに乗っ取られている」
●「自分とは、他者によって構築されたものである」
これらが節のタイトルとしてつけられ、展開されている。
この本は、読みやすい言葉で語られている一方で、千葉雅也が言うように「深い勉強」の深い言葉が散りばめられている。
だから、この本自体を、どれだけ「深く」読むことができるのかが、かけられてもいる。
3)「勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである」
「変身」という言葉が、ぼくは好きだ。
人が成長するなかで、人は「変身すること」がある。
勉強ということの本質のひとつを、千葉雅也は、わかりやすい言葉で伝えている。
「勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである」
また、最近よく言われている「人生100年時代」のなかで、「変身」は確かにキーになってくる。
『The 100-Year Life』の著者リンダ・グラットン(Lynda Gratton)は、変身の大切さを、「Transformational Assets(変身資産)」という言葉で語っている。
3段階人生(学校ー>仕事ー>定年)が崩れてきているなかで、また世の中がさらにスピードを加速させながら変化を遂げているなかで、「変身できること」は、それ自体「資産」である。
NewsPicksは特集「人生100年時代の40歳サバイバル」という企画で、リンダ・グラットンにインタビューしたときの内容を振り返りながら、この「変身資産」に焦点をあてている。
千葉雅也が言うように、現代は「勉強のユートピア」である。
学ぶ環境が整っている。
映画『美女と野獣』の主人公ベルは、野獣が住む城で、書籍がいっぱいに並ぶ広大な部屋に、驚きと感動をおぼえる。
現代は、誰もが、この「広大な部屋」をもっている時代だ。
美女ベルと野獣は、本を一緒に読むことで、「自分」を壊し、心の距離を近づけ、それが最終的な「変身」を準備したのだとも言える。
なお、千葉雅也は「変身すべきだ」とは語っていない。
しかし、時代は、ぼくたちに「変身」を要請しているし、また人生は「深く」生きようとする過程で、自分をいったんなくし、変身をしていくのだと、ぼくは思う。
困った相手が気になってしょうがないときに。- 真木悠介・鳥山敏子著『創られながら創ること』で、「鳥山敏子の気づき」に気づきを得る。
教師であり、後に「賢治の学校」を創設した、今は亡き鳥山敏子は、社会学者・真木悠介との対談の中で、「困った子供」との関係の経験を共有している。...Read On.
教師であり、後に「賢治の学校」を創設した、今は亡き鳥山敏子は、社会学者・真木悠介との対談の中で、「困った子供」との関係の経験を共有している。
「困った子供」は、万引きなどを繰り返す子供だ。
鳥山敏子は、この「困った子供」が夢中になれるような「授業」をつくることを企図する。
これまでの授業をこわし、新しい授業をつくる。
鳥山敏子が手にいれた方法のひとつは、「ものをつくりながら考える授業」であった。
彼女は、「社会科の授業を創る会」の実践から着想を得ていく。
「産業革命」を学ぶことにおいて、教科書的に学ぶのではなく、例えば機織りを実際にすること(機織り機の仕組みを考え、実際に機織り機をつくり、布を織る)を通じて学んでいく。
「人間の歴史」を学ぶことでは、実際に米をつくりながら、土や虫や肥料や水や気象、道具、稲刈り・脱穀・精米、生産力、濃厚、用水路などを考える。
それは、身体をつかって具体的に考えるという方法だ。
対談の文章からも、授業をつくっていく過程の鮮烈さが、伝わってくる。
…で、これがすごくおもしろかったわけ。授業はもう発見の連続で、おもしろくておもしろくてたまらないわけ。…つくったり、やってみたり、なってみるなかで、それなりにからだが感じたり考えたりしていることがあるでしょ。どの子もさ、実際にものをつくると、どのからだもその過程でいっぱい考えるんだよね。…
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』(太郎次郎社、1993年)
自分の考えを述べることが苦手な子供たちも、元気を得て、いきいきとしてくる。
そして、そのうちに、そのような子供たちも、「ことばだけの思考」(抽象的な思考)も楽しむようになる。
ぼくが学校に通っていた時期(1980年代)は、鳥山敏子が苦悩を乗り越えていた時期と重なる。
子供たちの「身体」が崩れてきていた時代だ。
ぼくは、鳥山敏子と真木悠介の対談を読みながら、また関連する書籍を読みながら、自分の子供時代をふりかえる。
ぼくにとっての「方法」は、大学時代に海外に出ていくことであった。
アジアを旅するなかで、ニュージランドで歩くなかで、ぼくは「身体」を取り戻しながら、「身体」で具体的に考えていった。
それが、後年「抽象的に考えること」を楽しむ土台にもなったのだと、ぼくは考える。
さて、鳥山敏子は、「ものをつくりながら考える授業」を展開するプロセスのなかで、次のような出来事に出会う。
そうやって夢中になって授業にとりくんでいたとき、はっと気がついたら、あの女の子が私の横でいっしょになって鉄を溶かすことにとりくんでいたのね。私が、この子困ったな、どうしようかな、と思っているときはさ、ぜんぜん関係がつくれなかったのに、すっかりそんなこと忘れて授業づくりに夢中になってたらさ、ふっと気がついたらその子が私のとなりにいて、一生懸命やっていた…。
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
あの「困った子」が、すーっと、(先生ではなく)人間としての鳥山敏子との距離をちぢめる瞬間だ。
鳥山敏子は、この経験から、こんな「気づき」を見つける。
…ああ、なんだ、人間っていうのは、気になって気になってしょうがないときってのはうまくいかないもんなんだなっていうかね。自分の世界があって、自分も楽しんでやっているときに、相手にも相手の世界をつくる余裕っていうか、安心して自分自身でいられる時間がもてて、おたがいがふっといっしょに歩めるっていうか、そんなもんだったんだなっていうふうに思ったの。…
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
ぼくは、この出来事に流れる「物語」と、そのエッセンスがとても好きだ。
それは、「自分の世界があって、自分も楽しんでやっているときに、相手にも相手の世界をつくる余裕…がもてて、おたがいがふっといっしょに歩める」という経験を、ぼくの心身で感じてきたからである。
学校だけでなく、仕事場でもそうであるし、家族もそうだったりする。
自分が生きられていないと、相手がふっといっしょに歩む余裕とリズムが持てない。
そんな「自分が生きられていないなかで、相手が気になって気になってしょうがない」ということを、ぼくは、いくどもいくどもしてきてしまったのだ。
インスピレーションに充ちた対談の終わりのところで、真木悠介は、鳥山敏子の「やっていることはなにか」と考え、語っている。
世間的な分類での「教育」や「授業」にそぐわないこと、「授業」からはみ出している部分があることを語りながら、そのような「できごとを、どういうことばで表したらいいか」を、鳥山敏子に尋ねる。
鳥山敏子は、こう応えている。
…なんか、さっきの真木さんが言っていた、ことばになっていくというか。…ことばとして言うとしたらね。創造することは、超えられながら超えることだって。
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
真木悠介が、対談のなかで、フランスの思想家であるバタイユの思想からひきだした「創られながら創ること」という創造の本質を語るとき、鳥山敏子は「あ、毎日、やっていることだな」と思ったという。
「自分の個性を表現する」という狭い創造ではなく、「創られながら」という、<自分>が壊れていく解体の契機を生きながら、ほんとうに創造していくことができる。
それは、映画監督・黒澤明の「作るっていうか、生まれるんですね」という言葉と、呼応している。
黒澤明も、作る過程で、この「創られながら」という、自分自身が創られるという深い体験をしていたはずである。
この体験は、バタイユや黒澤が語るような芸術作品に限らず、鳥山敏子が語るように「毎日のこと」として、生きていくことができる。
そして、<創られながら創ること>という、(解体されながら)「生まれる」という体験のうちに、ぼくたちの<感動>ということの本質もあると、ぼくは思う。
人生はひとつの(あるいは無数の)プロジェクト。- 国際協力プロジェクトで学んだこと。
人生はプロジェクトである。東ティモールのことを思い出していたら、そんな言葉が、ふと、浮かび上がった。...Read On.
人生はプロジェクトである。
東ティモールのことを思い出していたら、そんな言葉が、ふと、浮かび上がった。
ぼくは、東ティモールでは、NGO職員としてコーヒー生産者支援のプロジェクトに携わっていた。
2003年から2007年のことだ。
国際協力などのプロジェクト(比較的中長期的なプロジェクト)においては、ビジネスと同じように、綿密なプロジェクト計画をつくっていく。
実施可能性をさぐるフィージビリティ調査などの調査から、予算を含むプロジェクト原案をつくり、なんどもチェックと書き直しを繰り返して、ようやく完成させる。
プロジェクト計画は、詳細につくる。
時間という横軸(過去ー現在ー将来)と、社会という縦軸(個人・家族ーコミュニティー地方・地域ー国)の総体を論理的に考慮しながら、今ここのプロジェクトに集約させる。
自分の頭も、あるいはチームなどのリソースも、字義通り、総動員でのプロジェクト計画となる。
それから、例えば資金供与先である公的機関の厳しい審査を通し、プロジェクトがはじまる。
プロジェクトがはじまっても、進捗管理に追われたりする。
人やコミュニティ、また自然という「現実」は、思ったとおりにはなかなかいかないから、実施管理もシビアだ。
そして、プロジェクト期間終了時には、プロジェクトの成果を確認し、レビューし、報告書を作成する。
このようにして、「プロジェクト・サイクル」をきっちりとまわしていく。
国連や欧米系の国際NGOは、プロジェクトを戦略的・戦術的に計画し、また成果を報告することに長けている(実施過程はいろいろだし、自分の目で綿密には見ていないからなんとも言えない)。
「戦略」が弱いと言われる日本の組織としては、学ばされることが多い。
プロジェクトの目的・目標を定め、活動計画に落とし、時間軸を立てながら、予定を立てる。
「森と木」をみる目、戦略思考、論理力、数値、文章力、政治的配慮、文化的な繊細さなど、あらゆるものが求められるプロセスだ。
ぼくも、自分のもっているものを最大限駆使しながら、しかし途方にくれる経験を超え出るという「創られながら創る」(真木悠介)ことのプロセスをなんどもくぐりぬけてきた。
そのような仕事が、少しでも、現地の人たちの「力」になれればと。
プロジェクトは一定の成果を生みだし、現地の人たちに役立つとともに、このプロセスの総体は、ぼく自身の「生き方」にも影響をおよぼすようになった。
プロジェクトも軌道にのり一段落しているときだったと記憶しているが、ぼくは、人生もひとつの(あるいは無数の)プロジェクトではないかと、東ティモールの(おそらく)首都ディリの市内を移動中に思ったのだ。
ぼくたちは仕事では、プロジェクト計画から進捗管理、そして報告書作成までの一連の「プロジェクト・サイクル」をまわすけれど、「果たして自分自身の人生は…」、と思ったのだ。
自分の人生となると、例えば「大枠」だけを目標としてイメージし、仕事に集注した将来を想像することにとどまる。
そして、そんな「大枠」の目標は、大枠として達成される。
ぼくは、「人生はひとつの(あるいは無数の)プロジェクト」という気づきを頼りに、自分の人生というプロジェクトをつくることに着手するようになった。
個人のミッションを立て、そこから分野ごとに目標を立て、活動計画を立てる。
そうやって、試行錯誤で、ここまできた。
当たり前だけれど、うまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともある。
人生(のあらゆる分野)に目標を立て、活動計画をつくり、きっちりと遂行して達成する人たちもいる。
人生はいきあたりばったりでチャンスが開かれていく、という人たちもいる。
どちらがいい、というよりは、やはり、どちらも「人生の道具箱」には入れておきたい。
いつでも使えるように。
でも、ぼくとしてはーあくまでも、ぼく個人ということではー、どちらかというよりは、統合するような形で、活用したい。
目標を立て、活動計画をつくりながらも、「いきあたりばったり」的なオープンさは持っていたい。
「いきあたりばったり」でチャンスをつかむ人たちも、実は、無意識の次元では論理的に考えていたりするものだ。
また、一方で、「いきあたりばったり」で遭遇するチャンスをつかみつつも、時間という横軸と社会という縦軸を総合的に把握しながら、小さい無数のプロジェクトを論理的につくりたい。
人生の段階において、どちらの「度合い」を高くするか、どのようなプロジェクト(大きさや期間)をつくるかは、柔軟に変えていく。
ぼくは、いまだに試行錯誤の毎日だけれど、統合的かつ柔軟性をもって、どちらも大切にしたいと思う。
でも思うのだけれど、人生というのは、このような意図も、ときに、するするとすりぬけていってしまう。
それが、生きることの面白さである。
リアリティへの着地と、生ききることへの離陸。- アジアへの旅、鳥山敏子、宮沢賢治、見田宗介に教えられて。
海外に出て、そのはじめの道ゆきで、ぼくは、生のリアリティが裸出している風景に出会った。...Read On.
海外に出て、そのはじめの道ゆきで、ぼくは、生のリアリティが裸出している風景に出会った。
例えば、アジアの食品市場を訪れると、生きている鶏や豚が売られていたり、さばかれたばかりの肉が裸出している。
残酷だという人もいる。
見るに耐えない人もいる。
都会における普段の生活のなかで、ぼくたちは、それらを見ることなく、人工空間に生きているからだ。
スーパーマーケットでは、きれいに包装された肉や魚が、「商品」としてならべられている。
ちなみに、香港は、都会のなかでも、アジアの食品市場の風景を残しており、リアリティが裸出している。
そんなリアリティが裸出する「風景」を、自分たちの経験とするために、教師の鳥山敏子は、かつて、<いのち>に触れ、考える授業を展開した。
具体的には、鶏を殺して食べるという授業である(鳥山敏子『いのちに触れる 生と性と死の授業』太郎次郎社、に書かれている)。
批判もたくさんあっただろうけれど、ぼくには、このような経験の大切さがよくわかる。
そのような風景を非日常とする、多感な日本の子供たちと同じように、ぼくも「食べること」を罪のごとく感じていた時期がある。
アジアを旅するようになり、裸出するリアリティにぼくの身体がさらされながら、ぼくは言葉にならない「感覚」を得ていた。
言葉にはならないけれど、それがとても大切であることはわかっていた。
それから年月を重ねた後、ぼくは、西アフリカのシエラレオネ、東ティモールに暮らしてきたなかで、そのような風景を日常として生きてるようになった。
その経験のなかで、一方で言葉にならない「感覚」をそのまま言葉にせずに持ち続け、他方で一部を言葉化してきた。
罪のごとく心の奥底では感じながら、普段の生活ではそれらを「見ない」でやりすごしていたなかで、ぼくは社会学者・見田宗介の文章に出会った。
見田宗介は、著書『宮沢賢治』で宮沢賢治の生涯を追いながら、賢治が「いのち」ということを追い求めた軌跡を、例えば『よだかの星』などの作品からすくいあげている。
みにくい鳥であるよだかは、「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される」と、生物界の「食物連鎖」を思い、「つらい、つらい」となげく。
見田宗介は、考え方としての「解決」を、このように書いている。
生命世界が<殺し合い>の連鎖であるという見え方は、ホッブス風の近代市民社会の原像を生物界に投影したものだけれども、人間社会の諸個人の生活の相互依存の連鎖(だれでも他の多くの人々の労働に支えられて生きている)は、個のエゴイズムを絶対化する立場に立つかぎり相互収奪の連鎖であるが、エゴイズムの絶対化をはなれることができるかぎりは、人間たち相互の生の<支え合い>の連鎖でもあり、そしてまたこの他者たちのための<支え>のひとつであるということこそは、ひとが<生きがい>と呼んでみずからの生の支えとしているものの核心でもある。
…植物、動物がみずからの生命によってたがいに他の生命を養い合っている<生かし合い>の連鎖としてみることもできる。
見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
<生かし合い>の連鎖という考え方は、ぼくの視点に、ひとつの救いを与えてくれる。
ぼくは、今日こうして「食べる」という行為のなかに、生かされているということである。
しかし、考え方(言葉)の解決は、そこだけにとどまらず、身体レベルまた生き方総体の解決へと、ぼくたちを押し出していく。
ぼくの「解決」の仕方は、生ききる(live fully)、ということである。
苦悩と歓びに充ちた生を生ききること。
生かし合いの連鎖のなかで、自分の生を生ききること、そしてそうすることで他者たちの生の支えにもなること。
かつてぼくは、見田宗介が読みとる宮沢賢治の「(生かし合いの連鎖における)問題解決のつきつめ方」、つまり他者の生命のために自己の生命をなげだしていくような方向に生きていこうとしてしまった。
そのような方向の道ゆきで無数の失敗を重ねながら、ぼくのなかで、いろいろな物事が反転した。
自分が生ききること。
(なお、「自己」という身体も、ほんとうは共生のシステムであることは、見田宗介が別著で明晰に展開している。自分を生ききることは、その意味で、すでに「他者」の支えである。)
生ききれていれば、それは必ずどこかで、他者の<支え>となるというところに、ぼくは舵をきった。
「Lose myself」に「肯定性の道しるべ」をみる。- レディオヘッド、チクセントミハイ、真木悠介、宮沢賢治。
ロックバンドのレディオヘッド(Radiohead)のアルバム『OK Computer』が名盤として時代をつくった1997年から20年が経過した。...Read On.
ロックバンドのレディオヘッド(Radiohead)のアルバム『OK Computer』が名盤として時代をつくった1997年から20年が経過した。
レディオヘッドは20周年を迎えた2017年、『OK Computer OKNOTOK』というアルバムを世におくりだした。
1997年の『OK Computer』のリマスター版、曲のシングル盤に収められた曲、それから未発表曲と、23曲を収録している。
未発表曲の「I Promise」は素敵な曲だ。
ボーカルのトム・ヨークは、この曲を、オリジナルの『OK Computer』に収録しなかった理由は、「われわれはその曲が十分によいとは思わなかったから…」と語っている。
ぼくは、個人的には、アルバム『OK Computer』はそれ自体でひとつの完結性・完全性をつくっていたから、他の曲が十分によくても、その完全性をくずしてしまうことが理由ではなかったかと、勝手に思っている。
少なくとも、ぼくは『OK Computer』というアルバムのひとつの宇宙が好きだし、それと同時に、未発表曲の「I Promise」も好きだ。
それはそれとして、「lose myself」ということを、レディオヘッドを出発点にして、その可能性を書こうと思う。
1)レディオヘッドの曲「Karma Police」における「lose myself」
レディオヘッドの名盤『OK Computer』には、「Karma Police」(カーマ・ポリス)という変わった名前の曲が収められている。
「カーマ・ポリス、この男を逮捕してくれ」と始まる歌詞は、少し気だるい曲調と共に、決して明るいものではない。
歌詞の意味も、語られる以上のことは、不明瞭だ。
そのような曲「Karma Police」は、最後の方で転調し、トム・ヨークはこんな風に叫ぶ。
For a minute there
I lost myself, I lost myself
For a minute there
I lost myself, I lost myself
Radiohead “Karma Police” 『OK Computer』
オリジナル版が出た1990年代後半、ぼくは、この「lost myself」が気になっていた。
「lost oneself」は、辞書(※下記は英辞郎)で引くと、概ね3つの日本語訳となる。
- 自分を見失う
- 道に迷う
- 夢中になる、没頭する
トム・ヨークが「Karma Police」を歌うとき、それは1の意味と感情で歌われているのだろうけれど、ぼくには少し違うように聞こえたのだ。
先取りしておけば、第一に、「自分を見失う」ことの先に開かれる可能性ということ、そして第二に、「夢中になる」という意味合いである。
日本語訳の1と2は否定的な意味合いであるのに対して、3は反対に肯定的な意味合いをもっている。
2)「夢中になる」ー フロー状態(チクセントミハイ)
昨今、創造性やピークパフォーマンスが注目されるなか、心理学で「フロー」と言われる精神状態とその条件が見直されている。
もともと、心理学者のミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi)が提唱した概念である。
簡潔に言えば、人が完全に集中し、活動にのめりこんでいるような状態のことを言う。
まさに、「夢中になる」状態のことである。
自分というものを忘れて(失って)、集中する体験である。
チクセントミハイは、1990年に、フローを体系的にまとめて著作を出した。
それが、最近の創造性・クリエイティビティなどが注目されるなかで、よく言及されるようになっている。
Steven Kotlerの著作『The Rise of Superman: Decoding the science of Ultimate Human Performance』や『Stealing Fire: How Silicon Valley, the Navy SEALs, and Maverick Scientists Are Revolutionizing the Way We Live and Work』などは、チクセントミハイの「フロー」を現在的な文脈で追っている。
いずれにしても、「自分を見失う」という経験が、ここでは、肯定性に転回されている。
3)エクスタシー論(見田宗介=真木悠介)
社会学者の見田宗介=真木悠介は、著書『自我の起原』の「7.誘惑の磁場」という章の中で、「Ecstacy」について次のように書いている。
…われわれの経験することのできる生の歓喜は、性であれ、子供の「かわいさ」であれ、花の彩色、森の喧騒に包囲されてあることであれ、いつも他者から<作用されてあること>の歓びである。つまり何ほどかは主体でなくなり、何ほどかは自己でなくなることである。
Ecstacyは、個の「魂」が、〔あるいは「自己」とよばれる経験の核の部分が、〕このように個の身体の外部にさまよい出るということ、脱・個体化されてあるということである。…
真木悠介『自我の起原』岩波書店
「生の歓喜」は、「自己」とよばれる経験の核の部分が、個の身体の外部にさまよい出るという経験である。
つまり、いかほどか、自分が自分でなくなるような経験である。
見田宗介=真木悠介は、このことに、生物学という地点から、辿りついている。
4)<にんげんがこわれるとき>(宮沢賢治)
見田宗介は、このような「自我の解体」ということを、宮沢賢治の詩にみている。
宮沢賢治『小岩井農場』のなかに、ふしぎな言葉がでてくる。
幻想が向ふから迫ってくるときは
もうにんげんの壊れるときだ。
宮沢賢治『小岩井農場』
「にんげんのこわれるとき」という経験は、自分をなくす経験である。
しかし、その「自我の解体」は、肯定性により転回されている。
見田宗介は、宮沢賢治の『青森挽歌』の詩に、この詩人の「肯定的な転回」をひろいだしている。
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつまでもまもつてばかりゐてはいけない
宮沢賢治『青森挽歌』
「いつまでもまもってばかりいてはいけない」と、宮沢賢治は書いている。
自衛のために「自己」を保つぼくたちだけれど、いつでも、そうであっては広い<世界>にでていくことはできない。
「lose myself」は、ひとつの方法である。
体験のなかに、夢中になって没入していくことで、体験を体験として感じとることができる。
このように、「lose myself」は、「夢中になる」という仕方で、肯定性を身に帯びることができる。
他方、ぼくたちは、生きるという経験のなかで、「lose myself」という痛い経験にさらされることもある。
自分を見失い、道に迷い、ぼくたちは途方にくれる。
自分が自分ではないように感じ、心を痛め、脱力感にみまわれ、身体に異常をみる。
しかし、それは、必ずしも、ぼくたちを否定性の世界に導くものではなく、それは「肯定性の道しるべ」でもある。
「lose myself」の行く末に、これまでとは異なる「myself」をつくりだすこともできる。
その地点から振り返ってみると、これまでの「myself」がとても小さい檻に閉じ込められていたことを知ることになる。
宮沢賢治の声がきこえる。
…いつまでもまもってばかりいてはいけない。