「コンティンジェントな自由」(加藤典洋)という自由の範型。- <有限な生と世界を肯定する力を持つような思想>をささえるもの。
加藤典洋が、社会学者である見田宗介に触発されて<有限な生と世界を肯定する力を持つような思想>を追い求めるなかで、現代において現れてきている「自由」の範型を、「コンティンジェントな自由」の範型として拾い上げている。
加藤典洋が、社会学者である見田宗介に触発されて<有限な生と世界を肯定する力を持つような思想>を追い求めるなかで、現代において現れてきている「自由」の範型を、「コンティンジェントな自由」の範型として拾い上げている。
これまで人は欲望に突き動かされ、そこに浮かびあがる目標を達成すべく生きてきた。そしてそこにえられる感覚を自由の感覚と呼んできた。でも、いま現れてきているのは、欲望に自分自身動かされながらも、同時に、その欲望による駆動、あるいは承認願望による動機づけを、うっとうしく、不自由に感じるーひらたくいえば「マッチョ」に感じるー、重層的な生の自由の感覚ともいうべきものである。
わたしはそれをしたい。それをする。でもそれはけっして自分がそれを欲望しているからというのではない。少し違う。またこれを承認されたいからだといわれてしまうと、これも違う。違和感が残る。
それを何と呼べばよいか。
私は、これをこそ、コンティンジェントな自由な範型と呼んでみたい。そこに働いているのは、解放や大義に抗うように、欲望や承認願望に対しても抗う、これらの人を動かす力にコンティンジェントであろうとする意思であり、力である。
加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』新潮社、2014年
「コンティンジェント」とは、他の箇所で漢字で表されているとおり、「偶発的契機」「偶発性」である。
ふつう、人が自由を感じるのは「欲望をかなえる」ことによってであるが、加藤典洋はこの本で丁寧に取り出してきた「することも、しないこともできる」力能を導きにしながら、欲望との関係において「することも、しないこともできる」というコンティンジェントな関係性を、ここで見出している。
この「コンティンジェントな自由」ということは、確かに、今現れてきている自由の範型のように、ぼくには見える。
この自由の範型とは異なる範型として、加藤典洋は、束縛「からの自由」、また目標「への自由」ということを、時代の流れのなかに見ている。
- 束縛「からの自由」
- 目標「への自由」
- コンディンジェントな自由
身分制度や家制度などの束縛「からの自由」が切実に立ち上がる時代から、竹田青嗣が言うような「制限と努力と可能性との相関的意識」(制限と可能性のさなかで、努力と工夫によって達成する感覚)とあらわすことのできる目標「への自由」の時代へとうつってゆく。
もちろんそれらがそれぞれの時代におけるただひとつの自由などというわけではなく、時代を駆動する主旋律のようなものだ。
近代・現代の成長は、これらの自由を基礎として、あるいはそれら自由への欲望のもとに、駆動されてきたのだとも言える。
しかし、加藤典洋が目標「への自由」の違和感のさなかに今現れている自由として丁寧に取り出すのは、「コンティンジェントな自由」である。
それは、「することも、しないこともできる」力である。
この「コンティンジェントな自由」は、観念の問題ではなく、実際に他者のうちに、そしてぼくのうちに、現れてきているように、ぼくは思う。
この抽出はとても鋭いとぼくは思うし、また、これはこれからの<有限な生と世界を肯定する力を持つような思想>をささえうるもの(あるいは基幹となるもの)だと思う。
ところで、「することも、しないこともできる」力ということは、ノーベル経済学者アマルティア・センが提唱してきた「潜在能力(ケイパビリティ)アプローチ」につながるものであると、ぼくは見て取っている。
センが、経済成長に代わる評価指標としてこのアプローチを提唱し、実際に国連開発計画の報告書などで適用されてきたものである。
この「潜在能力アプローチ」の本質は<生き方の幅>ともいわれるように、ひろい視野で言えば「することも、しないこともできる」というスペクトラムにおける<幅>だ。
つまり、経済学で言われてきたような「効用」ではなく、<自由>ということを、評価指標としている。
<有限な生と世界を肯定する力を持つような思想>は、これらの思考と実践が、より自由な仕方でつながってゆくところに現れてくるだろうと、ぼくはかんがえている。
「自由(liberty)」とは何であるか?。- 自由の二つの前提(見田宗介)と歴史的な範例。
社会学者の見田宗介は、「自由(liberty)」ということを理論的に考えるための「歴史的な範例」として、1945年の日本の敗戦直前の沖縄戦を奇跡的に生き残った一人の女性の証言を挙げている(「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号)。
社会学者の見田宗介は、「自由(liberty)」ということを理論的に考えるための「歴史的な範例」として、1945年の日本の敗戦直前の沖縄戦を奇跡的に生き残った一人の女性の証言を挙げている(「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号)。
よく知られているように、当時は「ひめゆり」隊などとして、防衛の最前線に動員されていた女子学生たちがいた。
その中で奇跡的に生き残った一人の女性の2015年90才近くになっての証言によると、米軍の猛攻により敗走するほかのなくなった日本軍から足手まといとなった彼女たちは、「各自判断で行動せよ」と、突然に「自由」を言い渡されたのだという。
外は米軍の砲弾が降り注ぐ状況下で、「どこに行けばいいのか、ご指示下さい」と再度聞こうとする女子学生たちに対し、「何度言ったら分かるんだ。おまえたちは自由なんだ」と言って、日本軍はどこかに立ち去ったという。
この「歴史的な範例」を挙げながら、見田宗介は、はたして女子学生たちは自由であったのだろうか、また自由とは何だろうかと、考えている。
…自由であるということはどこに行ってもよいということである。けれどもこれだけでは現実的に自由であるということにはならない。どこかに行けば幸福の可能性があるということ。「希望」があるということでなければ、現実的、実際的に自由であるということにはならない。自由には二つの前提がある。第一に、「どこにでも行ける」ということ。第二に、どこかに行けば、幸福の可能性がある。「希望」があるということである。第一は自由の、抽象的、形式的な条件である。第二は自由の、現実的、実質的な条件である。…
見田宗介「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号
この「自由の二つの前提」は、「自由」ということにかんする、とても大切なことを教えてくれている。
「自由」というと、西洋的な個人主義の思考の枠組みでは、「自由と責任」として、「個人」のことが語られる。
しかし、見田宗介の挙げる、現実的、実質的な「自由の条件」は、幸福の可能性や希望がある<どこか>を前提としなければならないとしている。
それは、「個人のこと」を超えた条件である。
見田宗介のこの文章、また写真家である亀山亮の文章(「沖縄戦「集団自決」慟哭の新証言」『文藝春秋』2018年9月号)を読み、当時の沖縄戦のことを想像し、その内実に圧倒されながら、「自由」ということを考える。
現実は、言葉や観念などまったくふっとばしてしまうほどのものであったことを承知で、それでも、歴史が獲得してきた、人間の/個人の「自由」ということは、この世界/これからの世界において、より明確に捉えておくべきことであると、ぼくは思う。
「はたらき方」の語られ方で、見逃されているもの。- 糸井重里が光をあてる「よく見たらおもしろい例」。
このブログでもときおり取り上げている、コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)の「今日のダーリン」。
このブログでもときおり取り上げている、コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)の「今日のダーリン」。
「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」であり、ぼくも「ほぼ毎日」ブログを書いていることから、ぼくは(勝手に)一緒にマラソンを走っているような気持ちになることがある。
その「今日のダーリン」の、2018年7月25日号では、「はたらき方」の語られ方について、書かれている。
より厳密には、「語られ方」として、<見逃してしまっている語り>のことである。
見逃されているのは、「よく見たらおもしろい例なんか」である。
こうして、糸井重里は、「事業として農業をやっている人」へと、視野を広げてゆくことで、「はたらき方」の語られ方について、面白い視点を投じている。
挙げられているのは、「ほぼ日刊イトイ新聞」のショップでも売られているトマト(ジュース)をつくっている、北海道余市の中野さん一家の「よく見たらおもしろい例」。
「並大抵でない工夫と手間をかけている」トマトづくりについて、糸井重里ら一行が取材に行ったときに、トマトづくりに加え、糸井重里はつぎのような問答を展開したという。
…ふと、余計なこととは思いながら、「トマトって、冬の間は雪で仕事になりませんよね?」と、当然といえば当然すぎるようなことを訊きました。「はい。なんにもやることはないですが、わたしたちは、冬がたのしみなんですよ」と思わぬ答え。「あ、そうですか。別の仕事が待ってるとか?」「いやぁ、ほら、冬はスキーですよ。あちこち行きます。あとは、温泉めぐりです。たのしいんです、冬は」つまり、遊んでいるということです。
…だれに文句を言われる筋合いもないですよね。会社員には、そういうことは無理だとか言われても、みんながみんな会社員じゃないんだし、みんながみんが一年中、毎日のように平均的に仕事をしているという義務もいらないんですよね。…はたらくということは、食える分ほしい分だけ稼いだら、あとは休もうが遊ぼうが自由に決められるはすですよね。中野さんとの会話、ずっと忘れてないんですよ、ぼくは。
糸井重里「今日のダーリン」2018年7月25日『ほぼ日刊イトイ新聞』
確かに、忘れられないような会話だし、「よく見たらおもしろい例」である。
「はたらき方」の議論は、往々にしてその議論の視野と前提を狭めてなされていることを、このような例を鏡とすることで、逆に見せてくれるようなところがある。
もちろん、見田宗介の言うように、貨幣経済と都市の原理の、社会への全面化を<近代>とする見方においては、「都市」における企業の会社員の「はたらき方」が「問題」として浮上し、中心的なこととして語られることは、けっして根拠のないことではない。
忘れられない、中野さんとの会話が示してくれるのは、「はたらく」ということにおいても、あるいは「生きる」ということにおいても、もっと自由に決めることのできる可能性の空間があることの予感である。
このような可能性の空間は、「事業として農業をやっている人」だけでなく、それは、たとえば、日本の外に視野をひろげてゆくことで見えることもある。
バックパッカーでアジアを旅していたとき、ニュージーランドに住んでいたとき、西アフリカのシエラレオネや東ティモールで支援活動をしていたときにぼくが出会った人たちは、生きてきた個人史のぜんたいが「ふつう」ではなく、はたらくことの経歴や仕方も「おもしろい例」であった。
そのような人たちに、そのような「おもしろい例」にいつも触れることは、「はたらく」ことにおいても、「生きる」ことにおいても、もっと可能性の空間はひらかれているのだとかんがえる経験的な根拠をぼくに与えてくれた。
75億とおりの「はたらき方」や「生き方」があってもよいのだということ。
画一化される時代は面白くないし、それはすでに崩れはじめている。
<億の幸福>という「明るい世界」の核心(見田宗介)。- <多様性>ということのメモ。
社会学者である見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)の最後には、補章として、「世界を変える二つの方法」という文章が置かれている。
社会学者である見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)の最後には、補章として、「世界を変える二つの方法」という文章が置かれている。
短い文章であるけれども、ここへの「到達」までには、見田宗介(=真木悠介)のこれまでの研究と実践が、幾重にも折り重なっている。
この魅力的な補章のなかで、見田宗介は、20世紀の歴史の「悲惨な成行」を振り返りながら、「世界を創造する時のわれわれの実践的な公準」として、つぎの3つを取り出している。
● 「positive」肯定的であること。
● 「diverse」多様であること。
● 「consummatory」現在を楽しむこと。
英語の頭文字が「小文字」であることには意味が付されていて、それ自体ひとつのテーマでもあるのだけれど、さしあたって、社会の全域を目指す公準ということではなく、いたるところの「小さな、自由なコミューン」の公準としてかんがえられていることだけを、ここでは指摘しておく。
見田宗介は、これらが取り出された背景としてある「20世紀の歴史の悲惨な成行」、それからこれら3つのことに、簡潔に説明を加えている。
ぼくが惹かれたのは、「diverse 多様であること」に関する、見田宗介のつぎの「言葉の書き換え」である。
宮沢賢治の詩稿の断片に、このような一説がある。
ああたれか来てわたくしに言へ/「億の巨匠が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る」と
われわれはここで巨匠の項のコンセプトに、幸福をおきかえてみることができる。
億の幸福が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と
明るい世界の核心は、億の幸福の相犯さない共存ということにある。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年
「多様性」という、さまざまな場や局面で触れられる抽象的な言葉に、より具体的なイメージを重ね合わせてゆくように、<億の幸福の相犯さない共存>ということが書かれている。
ここでの「幸福」は、広い意味のなかで捉えられるものであり、そこに包括される言葉(あるいはそれを包括する言葉)として、ぼくは「生き方」におきかえてみたい。
億の生き方が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と
ところで、「虹」のイメージは、「多様性」の象徴として使われることがある。
そのイメージは、6色として使われたり、7色として使われたりしているから、「億」の色には到底程遠いという見方もある。
けれども、6色として見るのも、7色としても見るのも、あるいはその前後の数で色を見るのも、「特定の見方」に規定された色たちである。
実際の虹の連続体は、そこに「グラデーション」が連なっているから、見方を変えれば、数えきれない「虹の色」をもっていると見ることもできる。
たとえば「黄色」をとってみても、「いろいろの黄色」がある。
人は、その「人生においてそれぞれに違った色を生きてゆくことができる」という多様性に、「明るい世界」の核心がある。
「億の幸福」「億の生き方」が並んで生まれ、互いに相犯さない、明るい世界の方へと、人と社会は舵をとることができるところに、現在ある。
<n個の性>にひらかれた世界へ。- <みんなが違う>という方向性へののりこえ。
男女の「差別」をのりこえるとき、論理的に、二つの方向性があることを、社会学者の見田宗介は書いている。
男女の「差別」をのりこえるとき、論理的に、二つの方向性があることを、社会学者の見田宗介は書いている(見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫)。
ひとつは、「女(男)である前に、わたしは人間です」というように、<みんなが同じ>という方向性。
ひとつは、「女といっても一人一人違う、男も一人一人違う」というように、<みんなが違う>という方向性。
日本の社会は、ひとつめの方向性、つまり<みんなが同じ>という「同質化」の方向性を、社会を駆動する原理のひとつとして握りしめているようなところがあるけれど、時代の変遷のなかで、<みんなが違う>という方向性に、個人も社会も向かっている局面を、ぼくたちは見ることができる。
見田宗介自身は「異質なものの呼応と交響、というあり方」に惹かれるとし、<みんなが違う>ということに得心がいくという。
ぼくも、<みんなが違う>という方向に共鳴する。
見田宗介(真木悠介)は別の著書で、「自我の起原」を人間という形態をとる以前の地層にまで遡って探求するなかで、「性の起原」を扱っている。
進化生物学者のマーグリス(1938-2011)たちによると、「性」とは「二つ以上の源からの遺伝子が組み変わること」であること、また、脊椎動物の世界では性といえば自分たちの生殖に伴う性を考えがちだけれど「生きものの五つの大グループのうち四つまでは性と生殖は関係がない」ということに、見田宗介(真木悠介)は焦点をあわせながら、つぎのように書いている。
男/女という2つの性しかないということが特異な形で、<n個の性>が一般型だと、マーグリス/セーガンはいう。
真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年
<n個の性>ということは、性ということが無限にひらかれているということである。
もちろん、ぼくは、ここでいう一般型としての<n個の性>を、上述した<みんなが違う>ということの直接の根拠とするわけではない。
ただし、人間中心主義ではなく、ひろい眼(また、深い眼)で世界を見渡すと、生物学的な「男/女という2つの性」という見方は「あたりまえではない」こととして、立ち上がってくるのである。
見田宗介(真木悠介)の「自我の起原」の探求は、(その明晰で、緻密な論理展開をここでは一気に飛ばしてしまうけれど)その最後に、ぼくたちの<個体>の「非決定=脱根拠性」を見ている。
ぼくたちの<個体>は、その起原から見てくると、生成子(遺伝子)の再生産の機構として決定されてはいないし、それ自体自己目的化するようにも決定されてはいない。
…<個体>のテレオノミーは非一義的であり、重層的に非決定である。<私は何のために生きるか>という問いへの答えは、<個体>のこのような起原に由来する非決定=脱根拠性、あるいは重層・交錯根拠性のために、やがて人間の<文化>をとおしての選択が、ほとんど際限もないまでに多様であるように開かれている。…
真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年
この際限もないままの多様性のなかに、<みんなが違う>という方向性が、無限にひらかれてもいると、ぼくはかんがえる。
ところで、見田宗介は、「一人一人が違う」(<みんなが違う>)という言い方は依然として近代主義者的であるとし、「その都度に違う」という方向を指し示している。
見田宗介は「差異化は…個体のアイデンティティをも脱解する」(『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫)と書くにとどめ、議論が面白くなりすぎるからと、これ以上はこのポイントには触れていない。
しかし、別著『宮沢賢治』で、<わたくしといふ現象>としての自我の探求から、つぎのようにかんがえることができる。
<近代的自我>をそれがあたかも確固たる「モノ」のように、凝固した実体としてとらえるのではなく、「わたくしといふ現象」(宮沢賢治)として、つまり「その都度に違う」ように現象するものとして「自我」や「自己」をとらえると、脱解された個体のアイデンティティは<その都度に違う>である。
なお、作家である平野啓一郎が提唱する「分人主義」という見方も、<その都度に違う>という方向性に呼応している。
マズロー「欲求の5段階」理論を呼びよせる「力学」。- なぜ、マズローが一般的によく語られ、根拠とされるのか。
心理学者マズローの「欲求の5段階」理論、つまり、「生理的欲求→安全の欲求→所属と愛情の欲求→尊敬の欲求→自己実現の欲求」というように低次の欲求から高次の欲求へと段階づける理論は、いろいろな著書や記事やコメントなどを見ていると、今でもよく引用され、またときに展開される議論や論理の根拠とされたりするのを見つけたりする。
心理学者マズローの「欲求の5段階」理論、つまり、「生理的欲求→安全の欲求→所属と愛情の欲求→尊敬の欲求→自己実現の欲求」というように低次の欲求から高次の欲求へと段階づける理論は、いろいろな著書や記事やコメントなどを見ていると、今でもよく引用され、またときに展開される議論や論理の根拠とされたりするのを見つけたりする。
心理学者の理論のなかで、これだけよく参照される理論と心理学者も、それほど多くないのではないかとも、思う。
マズローの理論は、「なんとなくわかったような気がしてしまう」ものであるけれど、いろいろと批判にさらされてきた理論でもある。
ぼくの立てる問いは、さまざまな批判などにもかかわらず、それでも、なぜマズローの理論(厳密にはマズローの「通俗化」された理論)が一般的によく語られ、「信じ」られ、あるいは根拠とされるのか、ということである。
社会学者の見田宗介は、『価値意識の理論』(弘文堂、1966年)において、人間の行為を規定するような「価値判断の<底>にあるもの」として、「欲求性向の構造と起源」を探求している。
心理学や隣接科学の歴史から、ただ一つの「基本的欲求」からすべてを説明しようとするものと、ときには40ないし100もの項目からなる欲求リストを提示するものを見ながら、これらのアプローチから一歩すすんでいく試みとして、マズローなどの欲求の分類が出てきたことを、見田宗介はまず振り返る。
そのうえで、マズローなどの発想の共通点として、欲求を「生理的ないし生得的な欲求」と「文化的ないし習得的な欲求」とに二分する考え方であるとして、位置づけている。
このように、「生理的欲求と文化的欲求」というように二分する考え方には、つぎのような二つの基本的な仮説(前提)をもつと、見田宗介は書いている。
(1)生理的欲求は、歴史的(系統発生的)にも発達史的(個体発生的)にも、原初的ないし第一次的な欲求であり、文化的欲求は派生的ないし第二次的な欲求である。
(2)生理的欲求はまた、その動因としてのつよさ、切実性あるいは優先性の点においても、基本的ないし第一次的な欲求であり、文化的欲求は派生的ないし第二次的な欲求である。
このような考え方は、「衣食足って礼節を知る」あるいは、「花よりダンゴ」という俗説に支持されており、…マスロウの仮説も同様である。
見田宗介『価値意識の理論』弘文堂、1966年
このように「欲求論における二分法」という考え方を括りだしながら、この二分法がつぎのように大別して三つの点から多くの批判にさらされていることを、整理している。
(1)「基本的仮説」の第二にたいする反証…すなわち、いわゆる「二次的」欲求の方がかあえって強力かつ切実な動因となるばあいも多いということ。
(2)人間においてはいわゆる「生理的欲求」でさえ、社会的・文化的要因によって深く浸透されており、この意味で純粋に「生理的」欲求を区分してとりだすことが、ほとんど不可能であるということ。
(3)そして最後に、このような二分法図式自体が、方法論的に「役に立たない」あるいは「無意味だ」とする主張である。
見田宗介『価値意識の理論』弘文堂、1966年
さまざまな研究と参照文献を縦横無尽に分析しながら、見田宗介は、欲求における二分法的な考え方(生理的要因と文化的要因)は、上述のような難点にもかかわらず、「欲求性向の構造と起源」ということの探求において、また「構造論的・発生論的な諸仮説の源泉」として、一定の役割を果たす、というところにとどめている。
これは社会学者である見田宗介の整理であるけれども、論理的に見ていくと、マズローの理論はやはりそのままでは根拠となるものではなく、ひとつの参照としての位置づけであるように思われる。
そこで、最初に挙げた問いが、ふたたびやってくる。
さまざまな批判などにもかかわらず、それでも、なぜマズローの理論(厳密にはマズローの「通俗化」された理論)が一般的によく語られ、「信じ」られ、あるいは根拠とされるのか。
考えられることとしては、第1に、欲求の二分法的な考え方が前提とする仮説が、俗説として、受け入れられやすいということがある。
見田宗介が挙げたように、「衣食足って礼節を知る」あるいは「花よりダンゴ」という俗説、そしてそれらの考え方を支える<感覚>が、日々、この世界で生きられているからである。
この意味において、マズローの理論は一般的に「わかりやすい」のである。
それは「理解」としても「わかりやすい」ものであり、また「感覚」としても「わかりやすい」ものである。
それから、第2に、最も高い次元として「自己実現」が掲げられていることである。
「自己実現」ということが言われるようになった/なってきた時代が、そこに合致しそうな論理と理論を呼び寄せたようなところがあると、ぼくは思う。
心理学者の河合隼雄はかつて、「自己実現」ということが一般化されるなかで、負の側面や誤解が生まれてきていた状況を指摘していたが、「自己実現」ということの一般化された見方が、マズローの一見すると「わかりやすい」理論と合わさるような仕方で、一般に受け入れられるようなところがあるのではないかと、ぼくは推測する。
そのような時代の背景には、「個人主義」が行き着いた社会と人のあり様が重なっている。
第3に、第1と第2の理由をベースとして、書く側・語る側としても「使いやすい」理論であろうことである。
「使いやすい」ということは、「わかりやすい」ということと共に、「受け取られやすい」ということでもある。
このような社会と人の「力学」のうちに、マズローの「欲求の5段階」理論(「自己実現理論」)が呼び寄せられてきたように、ぼくには見える。
とはいえ、すべてが否定されるべきものではないし、思考のプロセスのうえで視点を与えてくれるものでもある。
そしてなによりも、上で見てきたように、多くの人たちが「呼び寄せたくなる」理論という側面に、人と社会を逆照射する視点があぶりだされる。
このような「力学」のうちに、ぼくたちが生きている世界を<視る>ことができる。
「大きな流れの中における個人主義」(河合隼雄)。- 河合隼雄が真剣に考えようとしていたこと。
心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が、晩年に真剣に考えようとしていたこと。
心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が、晩年に真剣に考えようとしていたこと。
「大きな流れの中における個人主義」。
この言葉は、小説家の小川洋子との対話のなかで、ふれられている。
「個」ということ、「個」への執着という話の流れにのって、言葉が生成している。
小川 あまりにも「個」に執着してると、何か行き詰まってしまうんですね。
河合 そう。「個」というものは、実は無限な広がりを持ってるのに、人間は自分の知ってる範囲内で個に執着するからね。私はこういう人間やからこうだとか、あれが欲しいとか。「個」というのは、本当はそんな単純なものじゃないのに、そんなところを基にして、限定された中で合理的に考えるからろくなことがないです。前提が間違っているんですから(笑)。
河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫
「個」ということ、「個」への執着にふれながら、小川洋子が「大きな流れ」の視点を導入し、河合隼雄はそれに応答している。
小川 何か大きな流れの中の一部として、自分を捉えるような見方が足りないんですね。
河合 「個」を大きな流れの中で考える、そういうふうに「個」を見るいうことはものすごく大事なんじゃないですかね。…僕はだから、これからそういうことを真剣に考えようと思っているんです。大きな流れの中における個人主義。現代の日本人が考えている個人主義というのは、ものすごく小さいんですよ。ムチャクチャに小さい。
河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫
「大きな流れの中における個人主義」。
それだけを見ると特記するような言葉ではないけれども、とても深いものが含まれている。
第1に、「大きな流れ」を、ぼくたち個人の「生きるという物語」にふたたび(でもこれまでとは異なる仕方で)取り戻そうとしていること。
河合隼雄はここで明示的に「大きな流れ」を説明していない。
しかし、カウンセリングにくる人が、河合隼雄との対話のなかで「その人の力で物語を作っていこう」とすることにふれており、外部的なお仕着せの物語ではないことを示唆している。
20世紀の歴史をふりかえっても、「大きな物語」がたくさんの不幸をつくりだしてきたことを河合隼雄は深いところで認識していると、ぼくは思う。
その意味でも、じぶんの人生の道ゆきで、じぶんで感じとり、選びとり、つくりだしてゆくような「大きな流れ」だと思われる。
このことは簡単ではないし、楽でもないことは河合隼雄は承知で、みんなが「自分で仕事せないかん」(つまり、じぶんで物語をつくらなければいけない)と語っている。
そして第2に、「個人主義」を手放すことなく、しかし、河合隼雄が語るように、「個」というものを捉え返すことを意図している。
個人「主義」という言い方はともあれ、また負の側面の存在もいったん横におくと、人類の歴史が「個人」を発見し、その方向にすすみ、それを獲得してきたことは、やはりとても大きなことであった。
ほんとうの「個人主義」への動きは、この世界で、現在進行形で、進行中である。
いまだ、さまざまな「偏見」のなかに、個人がおかれている。
そのようななかで、個人主義を手放すことなく、「個」を軸に考えられていることは、やはり大切なことだと、ぼくは思う。
しかし、「個」を軸にしながらも、「個」を探求し、捉え返し、前提を変えていかなければならない。
「大きな流れの中における個人主義」。
ぼくも、そこの方向に共鳴する仕方で、いろいろと考え、いろいろと書いているようなところがある。
ぼくのブログ「世界で生ききる知恵」の「世界で生ききる」ということのコンセプトは、晩年の河合隼雄が真剣に考えようとしていたことに重なっている。
だから、この簡潔に語られる言葉にぼくは惹かれている。
登山家の栗城史多が目指した世界。- 「あ、あなたも出る杭ですか」(栗城史多)と、「出る杭」の祝福される社会に向けて登る山。
登山家の栗城史多が、エベレストでの下山途中に、帰らぬ人となった。
登山家の栗城史多が、エベレストでの下山途中に、帰らぬ人となった。
「目を疑う」とはこういうことかと思い知らされるほど、ニュースの見出しを見ながら、ぼくはじぶんの目を疑った。
一部だけの報道であったのが、時間が経過していくなかで、ここ香港の各メディアやBBCなどのニュースでも報じられるようになっていく。
そして、その事実をうけいれながら、ぼくの心のどこかに、やはり穴があいてしまったように感じることになる。
このニュースを知る前日の夜のこと、ぼくは、なぜか、写真家であった星野道夫について、本を読みたくなる。
ドキュメンタリー映画『地球交響曲』の龍村仁が、その「第三番」の制作を終えたあとに書いた著作『魂の旅 地球交響曲第三番』(角川文庫)で、このドキュメンタリーに登場するはずであった「星野道夫」のことを書いている。
「登場するはずであった」というのは、「地球交響曲第三番」の撮影開始を10日後に控えた1996年8月8日の深夜、龍村仁はこの撮影でもっとも重要な出演者となるはずであった星野道夫の「死の報せ」を友人から受けたのだ。
星野道夫は、ロシアのテレビ番組の取材中に、熊に襲われて亡くなった。
深夜に、野外テントで就寝中に熊に襲われたという。
取材チームが山小屋で過ごしたのとは異なり、星野道夫は、野外テントを自ら選んでいた。
そして龍村仁は、星野道夫にインタビューしたときに、星野道夫が語っていたことを思い出すことになる。
「どこか近くに熊がいて、いつか自分が殺られるかも知れない、と感じながら行動している時の、あの、全身の神経が張りつめ、敏感になり切っている感覚がボクは好きです。あるインディアンの友人が言っていたんだけど、人類が生き延びてゆくために最も大切なのは“畏れ”だって。ボクもそう思います。我々人類が自然の営みに対する“畏れ”を失った時滅びてゆくんだと思うんです。今ボクたちは、その最後の期末試験を受けているような気がするんです」
龍村仁『魂の旅 地球交響曲第三番』(角川文庫)
星野道夫の「死」についてはぼくはあまり読んだことがなかったのだけれど、龍村仁の眼と心を通して、ぼくは星野道夫の「死」を思い、感じ、かんがえていた。
それから一晩明けた翌日に、ぼくは栗城史多の「死」を知り、ぼくの心のなかで、栗城史多の「死」が、なぜか、写真家の星野道夫の「死」と重なったのだ。
ぼくの心のなかで、星野道夫の「死」がその居場所を見つけられていないままに、栗城史多の「死」がぼくの心のなかにはいってくる。
星野道夫にとっての「熊」が、栗城史多にとっての「山」であるように、人と自然との関係性のあり様が、ぼくのなかで二人の死を重ねたのかもしれない。
ところで、栗城は、著書『弱者の勇気』のなかで、「下山」の難しさを次のように書いている。
登りのときはモチベーションも高く、体と心のスイッチも入るが、下山となるとそのスイッチがオフになってしまう。下山時にどれだけスイッチをオンの状態に保てるか。下山こそ、本当の強さを求められるのだ。
栗城史多『弱者の勇気』学研、2014年
この「下山」の難しさのなかで、栗城史多は山の懐に抱かれることになる。
各メディアニュースの見出しにも記されているように、栗城史多は以前、凍傷で最終的に9本の指を失っている。
その経緯と学びと気づきは、著書『弱者の勇気』のなかに詳細に書かれている。
「大きな事故のあとに、いい山登りができるようになる。その経験を糧にして、自分をコントロールできるようにならないと」という先輩の言葉を導きの糸にして、これまでの山登りとじぶんを見つめ直すなかで、栗城史多は、自分をコントロールする力を完全に失っていたじぶん、弱いじぶんを否定して強くなろうとしていたじぶんを見つける。
栗城は、これらの経験と学びと気づきを軸に、それまでに背負ってきた「とてつもなく重たい荷物」を少しずつ降ろし始める。
「楽しくなかったら下山しろ」という別の先輩の言葉を思い出しながら。
2012年、秋季エベレストで凍傷となって帰国した栗城は、東京の病院に入院しながら、札幌の父親になかなか電話できずにいたという。
凍傷で指を失う可能性があることなど、心配させたくないからであったと、栗城史多は書いている。
ようやく退院する直前に電話をかけることができ、怒られると思っていた栗城は、まったく違う状況に遭遇する。
…電話に出た父は、大きな声で開口一番こう言ったのだ。
「おめでとう」
その明るい声に僕は戸惑い、聞き返す。
「何がおめでとうなの?」
「生きて帰ってきたことに、おめでとう。そしてもう一つ、お前はその苦しみを背負ってまた、山に向かうことができる。それは、素晴らしいことなんだよ」
栗城史多『弱者の勇気』学研、2014年
この瞬間に、栗城は、苦しくても、山へ復帰することを選んだのだ。
栗城史多の挑戦は「無謀」であったのだと、ある人はいう。
栗城史多の生涯は「挫折」であったのだと、ある人はいうかもしれない。
挑戦し続けた「秋季エベレスト無酸素・単独登山」を達成すれば、それでよかったのだろうか。
栗城史多は次のように書いている。
僕が常に目指しているのは、山の頂ではなく、多くの人が夢を共有できる世界。…夢を「叶う・叶わない」で判断し、叶わない夢なら持たないほうがよいと考える人もいるけれど、僕はそうは思わない。
夢は、その人が生きていくための源だと思っている。…
人が人らしく生きるために大切なものなのだ。
僕は、「冒険の共有」というテーマに、10年、20年先の未来を見据えた可能性を感じていた。
栗城史多『弱者の勇気』学研、2014年
そんな栗城史多だからこそ、指を失ったときに「一番怖かったこと」は、「夢を失うこと」であった。
しかし、彼は、彼にとってとても大きな存在であり続けてきた父親の言葉にも生かされるようにして、夢を失うことなく、挑戦と冒険の共有をし続けてきたのだ。
そして、著書『弱者の勇気』は「見えない山を登る全ての人達」に向けられて、「あとがき」には「最終的に目指している山」の輪郭が書かれている。
…
僕はその出る杭を増やしたい。一人ひとりが様々な形をした出る杭になり、「あ、あなたも出る杭ですか」と街や会社で認め合える社会ができたら良いなと思っています。
今こうして山を登りながら、最終的に目指している山は、そこなのかもしれません。…
皆さん、ぜひ「出る杭」になってやりましょう!
栗城史多『弱者の勇気』学研、2014年
批判や反対や否定などに晒されながら、しかし栗城史多は「出る杭」を生き、そして山の頂を超えた世界を描いていた。
そして、そんな世界に向けて、栗城史多は、最後まで、歩き尽くしたのだ。
栗城史多の直近のブログ、そして著書『弱者の勇気』をふたたび読んでいると、ぼくは、星野道夫が’亡くなったときに龍村仁が感じた「体感」が、少しは、わかるような気がしてくる。
星野道夫の死の報せを受け、深夜の新宿御苑にうねる森を見ながら、龍村仁は、からだの奥底から渾々と湧き続ける「星野道夫は生きている」という体感を得る。
「栗城史多は生きている」という感覚をぼくはどこかで感じながら、今はただ、感謝を伝えたいと、ぼくは思う。
「人間の生き方における究極の三次元」(C.W. モリス)にかんする真木悠介の考察。- 「生のあり方」をかんがえる視点。
社会学者である真木悠介の考察に、「プロメテウスとディオニソスーわれわれの「時」のきらめき」と題されたものがある。
社会学者である真木悠介の考察に、「プロメテウスとディオニソスーわれわれの「時」のきらめき」と題されたものがある。
そのタイトルだけではその内容が定かではないけれど、「交響するコミューン」というシリーズにおいて、1973年に誌上で連載され、そのシリーズの最後に書かれた文章である。
文章は名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)に収められ、この著書の最後におかれている。
ぼくたちの「生のあり方」を、ひとまず、全体像のなかにおさめる試みで、(短いけれど)深い考察に充ちた内容となっている。
文章は次のように書き始められている。
われわれの日々の生活は、未来にある目標によって充実することもできるし、現在における交感によって充実することもできる。すなわちわれわれの<今、ここにある自分>の生は、その内に未来を抱くことで充たされることもできるし、他者(人びとや自然)を抱くことで充たされることもできる。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
こう書き出してから、真木悠介は次のようにひとまず呼んでいる。
●「未来によって充たされる生のあり方」=「プロメテウス的な生」
●「他者によって充たされる生のあり方」=「ディオニソス的な生」
「プロメテウス」は文明の英雄(文明を構築する人類の、労働・生産・創造・前進の英雄)であり、「ディオニソス」は反文明の英雄(人間と神・自然、人間と人間を和解させるイメージ)である。
ここで真木悠介は、C.W.モリスによる比較研究(キリスト、ブッダ、マホメッド、孔子、老・荘、エピクロス、ストア派、アポロン・ディオニソス・プロメテウスの神話等々の比較研究)をとおして導きだされた「人間の生き方における究極の三次元」にふれ、次の3つの要因について書いている(※前掲書より)。
(1)プロメテウス要因(創造・生産・克服・支配・変革・活動・努力・労働など)
(2)ディオニソス要因(交感・融合・共感・愛・連帯・集団的享受・感受性など)
(3)ブッダ要因(解脱・超越・瞑想・自己認識・自己統一性など)
これらの3つの要因が「円」をつくるようにして描かれ、互いに影響し、均衡をとっている(本書ではさらにその他の「原理」も複合的に描かれているけれど、ここでは省略する)。
私自身の志向するところはもちろん、一つの社会の内部においても、一つの集団の内においても、一人の生涯のうちにおいても、プロメテウス的、ディオニソス的、ブッダ的な生を、相互に増幅し徹底化する交響性として実現することにある。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
真木悠介はそのように「生のあり方」のイメージを語ったうえで、具体的な形態については、あらかじめプログラムされるべきものではなく、そのつどに創出するものとしている。
『気流の鳴る音』の本編とは別の章で展開される文書ということもあって、ぼくはあまり深くは読んでこなかった文章でもあるけれど、よく読んでみると、「生のあり方」の本質にするどくきりこんでいる考察でもあることに気づく。
「ではどうすればいいの?」と方法ばかりを他者に依存する人たちにとっては、上述のとおり「具体的な形態」は語られていないから、物足りなさが残るかもしれない。
しかし、「具体的な形態」は、ぼくたちひとりひとりに託されていることである。
「プログラム化された方法」は、ぼくたちを狭い方法と生のあり方に閉じ込めてしまうだろう。
20世紀は「プロメテウス要因」が、社会や集団や個人の生を牽引してきた時代であった。
ディオニソス要因とブッダ要因に照らされた活動や人びとの生が、あらゆるところに現出しながら、これからの時代の方向性をつくろうとしているように、ぼくには見える。
これからの開かれてゆく社会とひとりひとりの生のなかで、3つの要因が「相互に増幅し徹底化する交響性」として実現される方向に、「生のあり方」をかんがえてみることができる。
「虚構の時代」の深まっていく時代に。- 「次にくる時代」をいま生きる方向へ舵をとる。
社会学者の見田宗介は、今ではよく知られる論考において、1945年以降における日本の現代社会史を、「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)にふれながら、また日本の「高度成長期」とも絡めながら、3つの時期の特徴を語った。
🤳 by Jun Nakajima
社会学者の見田宗介は、今ではよく知られる論考において、1945年以降における日本の現代社会史を、「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)にふれながら、また日本の「高度成長期」とも絡めながら、3つの時期の特徴を語った(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。
「理想」の時代:人びとが<理想>に生きようとした時代(1945年~1960年頃:プレ高度成長期)
「夢」の時代:人びとが<夢>に生きようとした時代(1960年~1970年前半:高度成長期)
「虚構」の時代:人びとが<虚構>に生きようとした時代(1970年後半:ポスト高度成長期)
この区分と特徴をぼくが知ったのは2000年頃のことであったけれど、それは「眼」を見開かせるような経験であった。
どのような時代を超え、そしてぼくはどのような時代に生きているのかを知るだけでも、ぼくにとっての「世界の見え方」はおどろくほどに変わり、「世界の出来事」を視る眼も変わった。
見田宗介は、この論文を書いた1991年以後、「虚構の時代」の後にくる時代についてよく聞かれることになる。
「バーチャルの時代」というふうに僕も言ったことがありますが、それは結局、虚構の時代の延長なのです。虚構の時代がもっと深まって居直っただけであって、結局、高度成長期の前と真ん中と後ということだと思います。…
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
2010年に行われた講演会の質疑応答で、見田宗介はこのように、「虚構の時代の後」を語っている。
そうすると、この「虚構の時代」の深まっていく形は、どこまで続いてゆくのだろう、という疑問が、おそらく次に立てられるかもしれない。
ここで、見田宗介が別に展開する太い線、つまり、人類の人口増加率と社会の推移を視野にいれることになる。
見田宗介は、人口増加率の観点から、人類は「第II期:高度成長」から「第Ⅲ期:安定平衡」の時期に入らなければいけない時代にきていることにふれながら、上述の講演での質疑応答で、続けて次のように語っている。
…人類の全体の人口の増加率を見ると、もうすでに第Ⅲの時期に入らなければいけない時代にきているけれど、第Ⅱ期の高度成長をいつまでも続けよう、また高度成長を復活させようなんていう政治家とかまだいますからね。そうすると人気が出たりする。そういうメンタリティーとか社会システムが非常に力強くまだ働き続けているものだから、環境限界に達した後、実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ないのです。欲望を作り出すとか、フィクションの世界で無限に商品を売るとかね。
そうすると、本当に第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむという時代が来るまでは虚構の時代であらざるを得ないと思うんです。…第Ⅱ期が終わった後の第Ⅲ期がはじまるまでのいわば中間であって、無理やりに第Ⅱ期的な高度成長を続けようと思えば、虚構の時代にならざるを得ない。…
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
2010年に語られた内容だけれど、ますます、現代の社会の状況を照らし出す明晰な分析と理解を、ここに見てとることができる。
無理やりに高度成長を続けていこうとする/復活させるような時代において、「虚構の時代」が要請されてしまうなかに、ぼくたちはいる。
「実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ない」と見田宗介が語るように、そのような現実の現象が、社会のあらゆるところで見られる。
情報通信技術がそこに重なりながら、「フィクション」はますますフィクション性を強め、巧妙になってきているなかで、「虚構の時代」はますます深まっている。
そのような時代にあって、時代を見晴るかす視点をもち、時代に垂直に立ち、そして「第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむ時代」を現実に生きながら、きりひらいてゆくところに、ぼくは照準を定めている。
<話合い>と<感覚>という「共同性の存立の二つの様式」(真木悠介)。- 「交響するコミューン」というモチーフ。
社会学者である真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)は、生きていく過程で、じぶんのなかで問い、じぶんの経験に問われ、そうして生成していくような「根本的な問題」に充ちている。
社会学者である真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)は、生きていく過程で、じぶんのなかで問い、じぶんの経験に問われ、そうして生成していくような「根本的な問題」に充ちている。
そのような根本的な問題を明晰に提示し、ぼくたちの「生きる」ことのなかに種をまくように言葉を届けてくれることが、この「分類の仕様のない本」を名著にしている。
そのような根本的な問題として、<集団のあり方>の二つの様式・契機ということが、提起されている。
真木悠介は、「人間の個体性と共同性の弁証法の問題」として、問題を提起している。
現代において、時代の大きな過渡期のなかで、いろいろな集団や組織などがつくられ、運営され、試みられているなかで、この根本的な問題を認識しておくことは、とても大切なことであるように、ぼくは思う。
真木悠介が当時、実際に訪れたりして体験した集団として、「山岸会」と「紫陽花邑」という、二つの集団が取り上げられている。
山岸会の仕事をしていた野本三吉さんという方に、東京の若い施設員の方が、ある身心に問題を抱えた人を山岸会で生かしてもらえないかと依頼したところ、野本さんは、山岸会ではなく奈良の紫陽花邑をすすめたという。
野本さんは、「山岸会は話合いだからだめだと思った」と後日語ったという。
エゴの強い人は山岸会にいくとほぐれるけれど、弱い人や病気の人は紫陽花邑の方が幸福になるという、野本さんの考え方であったという。
真木悠介は、ここに、根本的な問題をきりとる。
「話合いだからだめだ」という野本さんの直感は、本質的な問題を提起していると思う。
紫陽花邑のばあい、「感覚でスッと通じてしまう」と野本さんはいう。…この<話合い>と<感覚>という、共同性の存立の二つの様式、二つの契機の問題は、われわれのコミューン構想にとって、最も深い地層にまでその根を達する困難な問題をつきつけてくる。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
これら二つの集団の「自己規定」は、対照的であるという。
山岸会は、<ニギリメシとモチ>ということが取り上げられ、ニギリメシのように一粒一粒のお米のように一人一人のエゴが残って相克や矛盾が起きないように、モチのような「一体社会」を目指すという。
それに対して、紫陽花邑は、紫陽花の花のように、ひとりひとりが花開かせることをとおして、自然と、集団としてのかがやきを発揮しようとするという。
二つの集団の自己規定は対照的だ。すなわち集団としてのあり方を性格づけるにあたって、山岸会では一体性を、紫陽花邑では多様性をまずみずからの心として置く。
しかもこのことは、…<話合い>ー<感覚>という、共同性の存立方式における対比と、逆立しているようにみえる。<感覚でスッと通じる>ということの方が、個我相互間の、ある直接的な通底を前提するのにたいして、<話合い>による「公意」への参画という、媒介された共同性の形式の仕方においては、より多く個々の成員の「多様性」を前提もし、またこれを再生産するように考えられる。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
共同性の存立方式における対比と、「逆立している」と、真木悠介は鋭く見て取っている。
大切なところなので、もう一度、まとめておくと、次のようになる。
●<話合い>の集団:「一体性」をめざす。→ 【成員の前提】個々の成員の「多様性」
●<感覚でスッと通じてしまう>集団:「多様性」をめざす。→ 【成員の前提】個我相互間の、ある直接的な通底
こうして、真木悠介は次のように文章を続けている。
極限的な共同性(モチ!)をその理念とする集団が、まさにそれ故に、その現実の運動において、諸個体の個体性をより敏感に前提する方式をえらび、多様に開花する個体性(あじさい!)をその心とする集団が、まさにそのことにおいてある共同性を直接に存立せしめてしまう。あらゆるコミューンの実践にとって最も根本的な問題ー人間の個体性と共同性の弁証法の問題が、この逆説のうちに鋭く提起されている。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
どちらの集団が良い悪いということではなく、「人間の個体性と共同性」をかんがえていくとき、また実際にコミューンや集団や組織をつくっていくときの「根本的な問題」として、だれもが、直面していくような、深い地層の問題である。
「多様性」ということがよく言われ、あるいは多様性に彩られた集団・組織(あじさい!)をつくることをめざす人たちが多い現代において、鋭い問題を提起してもいる。
『気流の鳴る音』の副題にある「交響するコミューン」を追い続けてきた真木悠介が、現代という時代のなかに「交響するコミューン」をうちたてようとするぼくたちの思考と実践に点火する「モチーフ」である。
時代の感性たちの交差。-「キンコン西野からのお願い」(西野亮廣)と「幸福への軟禁」(見田宗介)の交差するところ。
キンコン西野亮廣は、じしんのブログで、「キンコン西野からのお願い」(2018年4月5日)という文章を書いている。
キンコン西野亮廣は、じしんのブログで、「キンコン西野からのお願い」(2018年4月5日)という文章を書いている。
一応、連続ベストセラー作家なので、皆様ご存知の「印税」なるもものをいただいているのですが、貯蓄などはせず、税金をお支払いした上で、残りは全額投資しています。
「さすがに全額は嘘だろ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、嘘ではなく(マジで全額)投資しています。
西野亮廣「キンコン西野からのお願い」『西野亮廣ブログ』2018年4月5日
「投資」とは、いわゆる金銭的投資ではなく、スナックを作る、分業制で絵本を作る、Webサービスをたくさん作る、学校を作るなどのことで、「皆が楽しめる『場』」を作ること。
「お願い」とは、「食いっぱぐれた際は夜ご飯に連れてってください。高いお店は緊張するので苦手です。お蕎麦か、ガード下の焼き鳥屋とかでいいです」というお願いである。
西野亮廣のかんがえる「お金」はいわゆる貯金通帳の数字ではなく、<信用>ということであるから、そもそもの考え方が異なっており、表層的な貯蓄論で議論しても行き場のない議論になるだけである。
西野亮廣は次のように書いている。
…現代(貯信時代)における「貧乏」は貯金の有無ではないので、貯金がつくことはあまり大きな問題ではありません。
そんなことより、面白い方が重要です。
西野亮廣「キンコン西野からのお願い」『西野亮廣ブログ』2018年4月5日
このような考え方がすんなりわかる人とわからない人では、生き方の方向性は大きく異なってくる。
貯蓄・貯金はもちろん、人それぞれのライフサイクルにおける出費をまかなうものでもあったりするから、貯蓄・貯金が良い悪いということではないけれども、生き方の方向性として、あるいは生き方のスタイルとして、西野亮廣のような思考と行動が、現代において生き方の可能性をひらいてくれていることは確かだ。
貯蓄・貯金そのものよりも、そこに埋め込まれた「心性」や「生き方」に光が照らし出されると、養老孟司が言うような「煮詰まった時代」という時代の閉塞性を突破するような思考と行動が増殖していくようにも思う。
今から50年程前の1969年、社会学者の見田宗介は新聞の連載で、「貯蓄する人生の心性」について、「幸福への軟禁」という短い文章を書いている。
この貯蓄する人生はどのような心性を生み出すだろうか。一口でいえば、戦争と革命への恐怖である。なぜならそれらは、過去の労苦の凝結であると同時に未来の幸福の基盤でもある「貯蓄」を台無しにするからである。だから彼らは、いらいらしながらしかもぬけ出せないような、すわりのわるい幸福に軟禁されている。そしてこの進歩主義的保守感覚こそ、今日の日本社会の秩序を支える心の安定勢力である。
見田宗介「鶴とバリケード」『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年
見田宗介はその後の仕事で、一夜において革るような「革命」ではなく、<生き方の魅力性>という方法によって、ひとりひとりの生が歓びとともに解き放たれていく方向性を描き出してきた。
見田宗介は当時の時代状況のなかで「戦争と革命への恐怖」というように一口で表現しているけれど、西野亮廣の2017年の著作は『革命のファンファーレ』(幻冬舎)と題され、「革命」をつげる本である。
西野亮廣のいう「革命「は、「幸福への軟禁」をする者たちの(「恐れ」を土台とした)安定志向をこえて、信頼を基軸にしながら、ひたすら<面白い事・面白い場>に向けて突き抜けていくものである。
時代の感性たちが交差するところだ。
「喪われた全体性」への渇きと希求。- <近代・現代>社会を乗り越える地平からの、真木悠介の眼差し。
日本の神道の神社に行くと、そこは「清浄感」で満たされ、箒(ほうき)で玉砂利を掃き清められた、塵(ちり)一つ落ちていない空間に入っていくことができる。
日本の神道の神社に行くと、そこは「清浄感」で満たされ、箒(ほうき)で玉砂利を掃き清められた、塵(ちり)一つ落ちていない空間に入っていくことができる。
しかし、本来の神社は、そうではなかったということが民俗学の研究によりわかってきたことを、民俗学者であった谷川健一の論考(「祭場と葬所」)にも触れながら、社会学者の真木悠介は語っている。
1977年に行われた花崎皐平との対談(「<心のある道>は勝ちうるか」)においてである。
…元々はお宮の中にお墓があったわけですね。祭り事をする部分と死者を葬る部分というのが抱き合わさって、その全体性がいわば聖なる場所だった。それは本来の土着信仰としての神道ですね。その土着の神道が次第にきたないもの、否定的なものー死んだ人間とかそういうものの処理を疎外して、仏教にゆだねるわけでしょう。そこで神道と仏教の二重信仰という、世界でも珍しい日本人の信仰が生れてくるわけですね。だから今でも葬式は仏教、お宮参りとか結婚式は神道、というのが普通ですね。
花崎皐平・真木悠介「【対談】<心のある道>は勝ちうるか」『展望』第225号、1977年9月
日本人の信仰において「神道と仏教の二重信仰」につながってゆく力線を、<きたないもの、否定的なものの疎外>という視点において、真木悠介は明晰にとらえている。
<きたないもの、否定的なものの疎外>の帰結としてある「二重信仰」を、(宗教を信仰していても、していなくても)生活の一部として生きている。
また、<きたないもの、否定的なものの疎外>という力学は、他人事ではない。
真木悠介は、じしんの中心的な問題関心でもある<近代の乗り越え>という地平から、このような「排除の構造」を現代社会のうちにみてとっているが、ここでも「神道と仏教の二重信仰」という事象のなかに、同じ構造を読み取っている。
そういうふうに、土着の神道というものが次第にきたないもの、否定的なものを疎外していく過程と、神道が国家神道として民衆から疎外されて、あるいはみずからを疎外して民衆の上にそびえ立つという過程とが同じであるわけです。このことはじつは<近代>世界の、土着性からの自己疎外の過程、つまり、上昇の裏面としての自己抽象化ということと同じ構造をもつように思う。だから、喪われた全体性への渇きのようなものが、外見上は下降欲求として現れる。花崎さんが表層的には「ヒッピーになった」とうわさされたというようなことも、ぼくたちの時代の<自己解放>のとらざるをえないかたちとつながっているように思えます。…
花崎皐平・真木悠介「【対談】<心のある道>は勝ちうるか」『展望』第225号、1977年9月
<近代>世界は、このように、<きたないもの、否定的なものの排除>の上に、それらを別の仕方で抑え込みながら、成り立っている。
「排除の構造」について、真木悠介は見田宗介名で、日本の「都市」に、そのような排除の構造があることを指摘している。
1983年に日本に開園した東京ディズニーランドに関する、社会学者・吉見俊哉の分析を引きながら、ディズニーランドにおける「人口の空間の、徹底して外部を排除する自己完結性」が、現代の都市の凝縮されたモデルであることに触れている(見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、および『社会学入門』岩波新書)。
例えば「渋谷」は、1970年以降の資本の展開において、「巨大な遊園地空間」として創られ、そこでは、かわいくないもの・きたいないもの・ダサいものが「排除される構造」をもってきたと分析されている。
おしゃれで、キレイな空間において排除されるような、土や汗や「きたない」仕事などは、消費という一連の流れにおける始点と末端でどうしても発生するものであるけれど、それらは、移民労働者やいわゆる発展途上国などの「見えにくい世界」に託されることになる。
見田宗介は、このような社会の構造について、後年(1996年)、『現代社会の理論 情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書)という名著に結実させてゆくことになる。
そこで目指されていたことのひとつは、この著書の刊行よりも20年前に行われた(上述の)対談にてふれられていた「喪われた全体性」への渇きをもつ世界というものを、「情報化・消費化社会」の闇の巨大と光の巨大をともに見晴るかしながら、いわば<全体性>のなかにおさめてゆくことであった。
そして「喪われた全体性」への渇きと希求は、社会のことであるばかりでなく、社会という関係の網の目をつくる個々人ひとりひとりの「内面における喪われた全体性」に照応する仕方で、真木悠介=見田宗介は語り続けている。
そこに、<近代・現代>という時代を乗り越えてゆくための、「ピボット(旋回軸)」の支点ともいうべきものが、打たれてある。
「April Fool's Day(エイプリル・フール)」を支えてきたもの。- 時代の変容のなかで、この特別な日をまなざす。
2018年4月1日「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」は、「Easter(イースター)」と重なる日となった。
2018年4月1日「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」は、「Easter(イースター)」と重なる日となった。
「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」という、この起源の不明瞭な風習は、時代の変遷とともに扱われ方も変わってきている。
昨今のフェイクニュースなどの状況は、「April Fool’s Day」の言葉と内実を彩っていた<暖かさ>の感覚をふきとばしてしまい、「April Fool’s Day」はすでに過去形で語られるようなところもある。
情報技術の発展・進展にともない、いわゆる「情報の氾濫」の諸相が、「現実」というもののあり方を変えていく。
「情報」という視点から見渡してみて、「April Fool’s Day」という風習を支えていたものは何であるのか/何であったのか、という問いを立ててみる。
別の言い方では、「April Fool’s Day」という日が、楽しく過ごされることの条件である。
文化の壁を越えるようにして、世界の各地で過ごされてきた「April Fool’s Day」を支えてきたもの。
個人的な体験をもとにそのことをかんがえていくと、「April Fool’s Day」を支えてきたものは、そこに参加する人たちの個々の「身体」であるように、ぼくは思う。
学校や職場などで、まさに、身体をはって、嘘をつく。
時にはみんなで知恵を出し合う。
嘘をつく相手に対峙し、相手の反応も確かめながら、そして相手の反応を期待しながら、嘘を投げかける。
身体をはって嘘をつくとは、身体を使った嘘ということではなく、このように、じぶんの存在をさらしながらつく嘘である。
しかし、情報の氾濫の時代において、そこでは「身体」が不確かになっていく。
情報の背後に「身体」はあるのだけれど、情報空間のなかで、それは抽象化されていってしまう。
ぼくは、「April Fool’s Day」を健全なものとして支えていたのは、個々の生きる、具体的な「身体」であったと思う。
これまでは、メディア媒体などを通じた「April Fool’s Day」の嘘もよく行われてきたのだけれど、もちろん、フェイクニュースの時代は状況を変えてしまった。
では、なぜ、以前はメディア媒体などを通じた「April Fool’s Day」の嘘は、それなりに特別な日の嘘として迎えられていたのか(問題が起きたことはさまざまにあったであろうけれども)。
そのようにも問うことができる。
ここでも、個々の「身体」が生きていたのだと言うこともできる。
そこに加えるとすれば、「社会というものが(おおよそ)このようにある」という日常にかんする共通の了解があったうえで、「April Fool’s Day」の嘘という非日常がもちこまれるという共通の了解があったからではないかと、ぼくは思う。
「社会というものが(おおよそ)このようにある」という日常にかんする共通の了解が、よくもわるくも解体されてゆくなかで、共通の了解という、ある意味での信頼がぬけおちていく。
このようにして、身体と共通了解(=信頼)がぬけおちていくような時代のなかで、「April Fool’s Day」の様相も変容をとげていると、ぼくには見える。
そしてまた、このような時代において、「April Fool’s Day」のもっていたような社会秩序における<遊び>を、どこに向けて突き抜けていかせるのかが、その先に問われているようにも、ぼくはかんがえる。
じぶんの「前提とする人間像・個人像」に気づくこと。- 「理論」に深く深くわけいって学んだこと。
経済学でも政治学でもなんでもよいのだけれど、「理論」というものに深く深く入ってゆくときに、ぶつかる課題は、理論構築において「前提にしている人間像・個人像」である。
経済学でも政治学でもなんでもよいのだけれど、「理論」というものに深く深く入ってゆくときに、ぶつかる課題は、理論構築において「前提にしている人間像・個人像」である。
学問に限らず、個人や組織などでの人と人とのコミュニケーションにおいて「ズレ」が生じてくることの原因のひとつに、語る個人たちそれぞれが「前提にしている人間像・個人像」がある。
ぼくは、かつて、経済学者アマルティア・センの「理論」に深くわけいりながら、そのことを学んだ。
ひとつには、「経済学」が想定してきた人(行為者)である。
経済学は、自己の帰結状態から得られる私的利益の最大化を目標として合理的に行動する人間を前提にして、理論構築される。
近代の学問では、このような想定のうえで理論は積み上げられていくことから、いったん人間をそのように前提にして理論構築することは決して間違いではない。
けれど、いつしか、その「前提としている個人」が所与のものとなり、見えなくなり、構築された理論が「当たり前のこと」のように語られていってしまう。
アマルティア・センは、「合理的な愚か者」という論考において、経済学が前提とするこの「前提」に目を向け、人が、経済活動において、倫理観や道徳的な価値における選択をすることもある視点を導入して、内在的に経済学をひらいていくことになる。
また、アマルティア・センの理論が想定している「個人」は、自律・自律した「強い個人」であるという批判が寄せられていたことも、理論が「前提としている人間像・個人像」をかんがえさせられる。
理論が前提とし得る、「弱い個人」と「強い個人」という視点である。
詳細には入らないけれど、AさんとBさんがコミュニケーションをとるときに、Aさんは「弱い個人」を前提に話をすすめ、Bさんは「強い個人」を前提に話をすすめているのであれば、そこに会話のズレが出ることは、容易に想定できる。
このような、そもそもの「前提」としている人間像・個人像は、構築される理論や世界像などの全体を、違ったものにしていってしまう。
繰り返しになるけれど、このことは学問の世界だけにかかわることではなく、ぼくたちの日々の生活の隅々にまでかかわってくる。
そして、世界はますます多様化しており、「個人」を狭く捉えることはますます実態とそぐわなくなってきている。
このような世界において、まずできることは、じぶんが「前提」にしている人間像・個人像に気づくことであるように、ぼくは思う。
日々のいろいろな体験を通して、気づいていくことからである。
現代世界における「ハーモニー」という希望。- 「アイデンティティの複数性」(アマルティア・セン)をキーワードに。
「経済発展」ということを、経済成長率だけではなく、もっと広く捉える視点と実践を提供しつづけてきた経済学者アマルティア・セン。
「経済発展」ということを、経済成長率だけではなく、もっと広く捉える視点と実践を提供しつづけてきた経済学者アマルティア・セン。
「冷静な頭脳と暖かい心」をもつ経済学者と語られ、彼の影響は経済学・厚生経済学にかぎらず、哲学や思想にまでおよぶ。
インドに生まれたアマルティア・センは、数々の理論を、その内側に立って論理を徹底することで、新たな地平をひらいてきた。
アマルティア・センはノーベル経済学賞を受賞した後にも、しずかな筆致だけれども、論理の透徹した著作を書き続けている。
その一つに『Identity and Violence: The Illusion of Destiny』(W.W. Norton & Company, 2006)という著作がある。
「アイデンティティと暴力」と題され、暴力が広がる世界における「アイデンティ」の狭窄化ともいうべき状況に焦点をあて、人が本来住んでいる世界における「複数のアイデンティティ」へとひらいていくところに、現代世界のハーモニー(調和)の希望を見出している。
The hope of harmony in the contemporary world lies to a great extent in a clearer understanding of the pluralities of human identity, and in the appreciation that they cut across each other and work against a sharp separation along one single hardened line of impenetrable division.
(現代世界における調和の希望は、かなりの程度、人間のアイデンティティの複数性に関するより明確な理解と、またそれらが相互に横断し、頑強な分断をつくる硬化したひとつの線に沿って存在するくっきりとした分離に立ち向かうことを認識することの内にある。)
Amartya Sen 『Identity and Violence: The Illusion of Destiny』(W.W. Norton & Company, 2006)(※和訳はブログ著者)
特定の、文化、文明、国、宗教などに狭窄されたアイデンティティをたずさえて、人間は争いを繰り返してきた一方で、だれもが、複数のアイデンティティをもちながら生きている。
人はさまざまなグループなどに属している。
センが例としてあげているように、一人の人が、まったく矛盾なく、アメリカ国籍、カリブ人、アフリカに先祖、キリスト教者、リベラル、女性、ベジタリアン、長距離ランナー、歴史学者、教師、小説家、フェミニストなどなどでありうる。
これらのそれぞれがその人にアイデンティティを与えるものであり、特定のどれかひとつがその人のアイデンティティとなるのではない。
実際に世界はますます、多様性を増している。
人びとのそれぞれのアイデンティティということにおいて、それらをある特定の方向性に「統一」していくのではなく、逆に、その多様性・複数性をひらいていくところに「ハーモニー」が生まれるということは、チームや組織やコミュニティをかんがえていくときの、深い問いを提示してもいる。
メディア・アーティストなど多彩な顔をもつ落合陽一は、人間の「重層的な生」という視点から、「西洋的な個人」の、(日本における)乗り越えを提案している。
「選挙の投票」ということにおける、西洋個人主義の限界点をみつめつつ、「一番シンプルな答え」として、次のように語っている。
「個人」として判断することをやめればいいと僕は考えています。「僕個人にとって誰に投票するのがいいか」ではなく、重層的に「僕らにとって誰に投票すればいいのだろう」「僕の会社にとって、誰に投票するのが得なんだろう」「僕の学校にとって、誰に投票するのが得なんだろう」と考えたらいいのです。個人のためではなく、自らの属する複数のコミュニティの利益を考えて意思決定すればいいのです。これを技術的に解決する余地が、人工知能による統計的判断や最適化にはあると考えています。…
落合陽一『日本再興戦略』幻冬舎、2018年
落合陽一は、西洋個人主義に合わない日本の状況を考えながら、(個人のアイデンティティの複数性ではなく)「自らの属するコミュニティの複数性」という言い方を採用しているけれど、人間の生の重層性とアイデンティの複数性への視点については、アマルティア・センと同型である。
ぼくたちは、このような「多様性・複数性」を日々生きているし、そこを起点としながら、いろいろと始めることができる。
精神科医のR・D・レインは「アイデンティティとは、じぶんがじぶんに語って聞かせるストーリーのこと」と言ったが、はたしてじぶんの物語・ストーリーは多様性・複数性に充たされているかと、かんがえてみることができる。
じぶんのアイデンティティの複数性に気づき、ひろげ、複数性のそれぞれの生を生きてゆくこと。
それだけでも、じぶんの生も、そして世界のあり方も、「景色」が変わっていくだろうと、ぼくは思う。
欲望論からとらえる<市民社会>。- 「社会」に生き、総体的/相対的に理解し、構想していくために。
「近現代」という時代に生きながら、日々生きていくなかでいろいろなことに直面し、いろいろなことをかんがえる。
「近現代」という時代に生きながら、日々生きていくなかでいろいろなことに直面し、いろいろなことをかんがえる。
日々の人間関係から社会の出来事に至るまで、なぜこうなんだろうかという疑問をかたちづくるような体験・経験を積み重ねながら、自問しては「迷宮」のなかにもぐりこんでしまう。
そのような疑問を抱くことなく、ただ生きるということができればとも思ったりするのだけれど、現代社会とそこで起こることは「ただ生きる」ということをむずかしくしてしまうような、そのような磁場をつくっている。
だから、「迷宮」を脱して、人間や社会というものを論理として把握しておきたいとと、20歳を超えた頃に思い始めた。
「知識」として得たからといってすぐにどうこうなるものではないとわかりつつ、しかし、どうしても知りたいと思うようになった。
「社会に埋め込まれたじぶん」ではなく、「かんがえる」ということを始めたことの一歩のようなものであったかもしれない。
見田宗介の名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)を読んだときの興奮は、とても大きなものであった。
ぼくの「世界の見え方」が変わってしまうほどであった。
新書という形の小さい本ではあるけれど、深い洞察と明晰な理論で、現代社会を総体として描いている。
一度読んだだけでは理解できないことだらけであったにもかかわらず、知の深さと広さの体感にひかれるように、ぼくは幾度も幾度も、読み返した。
そこから時を経て、見田宗介が真木悠介名で書いた『現代社会の存立構造』(筑摩書房、1977年)を手にとり、この本も最初読んだときは一部しか理解できなかったけれど、そこで展開されていることの深さと広さの予感をたずさえて、ぼくは幾度も幾度も、まるで辞書を引くように読み返し、理解を深めるたびに、その理論の明晰さにただただ圧倒されるばかりであった。
そのエッセンスの一部が、1980年代に行われた、見田宗介と小阪修平の対談のなかで、<市民社会>の原理として語られている。
「対談」という形式は、複雑な理論が凝縮されて語られることから入門として入りやすい。
しかし、それだけで「わかった」というふうにはしてはならないけれど、「対談⇆理論の本」の双方向の読みをすることで見えてくるものがある。
「市民社会」という多義的な事象を、見田宗介は「欲望論」からとらえる視点を提示している。
…社会的な抑圧というものの根拠は、人間たちの欲望の相互関係にあると思うし、逆に言うと社会的な解放というものの、究極的な根拠というものも、やっぱり人間たちの欲望、欲望の相互関係にあると思います。
見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年
このことを、もう少し展開して、見田宗介は次のように論理をすすませる。
● 抑圧というものの究極的な根拠:「欲望の相剋性」
● 解放の究極的な根拠:「欲望の相乗性」
「欲望の相剋性」については、例えば、「悪」というものは世の中に存在はせず、その正体は人間たちの「欲望の相剋性」にすぎないと語られている。
また、「道徳、理念、倫理」などという言葉で語られるものも、複雑なメカニズムを通して形成される、「欲望の相互関係の反射」(特に他者に対する欲望の相互反射)としている。
「規範」も、「欲望の逆立した影」と見田宗介は明晰に捉えている。
そのように把握しながら、「共同体」に比して「市民社会」をとらえていく。
…共同体とはなにかというと、人間たちの欲望の相剋性というものが、相互に規制しあう規範によって束縛されている状態である。…
それにたいして、<市民社会>というものはなにかというと、人間たちの欲望の相剋性というものがいったん解放された状態であろう。…
見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年
欲望論の視点から社会を透徹する仕方でとらえ、欲望の相剋性/欲望の相乗性という見方で、共同体と市民社会を定義する見田宗介の理論はとても明晰だ。
この見方は、ぼくたちが日々直面しかんがえていることに、次のように接続される。
市民社会というものは、解き放たれた欲望の集列的なせめぎあいが基本にあって、それが積分形態として、たとえば市場法則とかその他の経済法則のように、さまざまな物象化された社会法則であるとか、あるいは貨幣というもの、資本というもの、物象化された法のシステム、近代的な国家権力というようなもの、あるいは物象化された時間、空間の観念とかを存立せしめる、そういう社会形態である。…
結論から言えば、解き放たれた欲望の相剋性が、物象化されたさまざまな制度というものを幾重にも産み出してゆくシステム(メタシステム)であるというふうに市民社会をとらえるわけです。
見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年
例えば、大学ではぼくたちは、政治は政治、経済は経済、法は法、国家論は国家論、貨幣論は貨幣論(経済)、時間論は時間論(哲学など)といったように、境界が区切られたままで学ぶことになるけれど、見田宗介の「市民社会の原理」は、それらを統合かつ一貫した論理で把握するものである。
この「市民社会の原理」が、「どういうメカニズム」で、貨幣、資本、法体系、国家、時間・空間の観念などを存立していくのかが書かれたのが、前述した名著『現代社会の存立構造』であった。
この理論の中心となる「欲望」の論は、その後、「欲望を抑える」という仕方ではなく、逆に「欲望をひらく」方向において、見田宗介=真木悠介の仕事のなかで徹底して追い求められていく。
つまり「欲望は欲望によってしか超えられない」ということの深い認識のもとで、<欲望の相乗性>の理論の展開へとつながっていくことになる。
現代は、貨幣、資本、法体系、国家などの、これまで基幹をなしてきたと思われるものが、変動(激動)にさらされてきている。
そのようなときだからこそ、社会や人びとの生を読み解き、社会のあり方や人びとの生き方を構想していく際に、見田宗介=真木悠介の展開してきた理論は、ますます、ぼくたちにとってよい対話相手となってくれる。
かつて、ぼくの悩みをもとに対話してきた見田宗介=真木悠介の理論群は、今のぼくにとっては、未来をひらくための対話相手のようなものとして、ぼくの生を支えてくれている。
「孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界」(見田宗介)。- 市民社会の社会性の水準。
小さい頃からぼくが感じていた「生きづらさ」の感覚の根拠のひとつのようなものとして、社会学者の見田宗介の次の言葉は示唆に富んでいる。
小さい頃からぼくが感じていた「生きづらさ」の感覚の根拠のひとつのようなものとして、社会学者の見田宗介の次の言葉は示唆に富んでいる。
本源的に孤独なものたちがそのあかるい表層のつながりのうちにみずからの孤独をしらず、孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界に、たぶんわたしたちは生きているのだ。…
見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年
「孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界」にわたしたちは生きていると、石牟礼道子の文学を語るモチーフとして、そのような「奇妙な世界」を見田宗介は描いている。
奇妙な世界の「あかるい表層」のうちにじぶんを引き出すのだけれど、ぼくはそのようなところに居心地の悪さを感じてきた。
幸いにも、ぼくの周りにはこの奇妙な世界のなかであっても「まっすぐに語る」人たちが現れて、その「まっすぐさ」に支えられながら生きてきたようなところがあると、ぼくは思う。
そのような人たちは直接的な関係性にかぎられず、見田宗介、石牟礼道子、河合隼雄などの本を通じて、ぼくは「孤立」せずに、奇妙な世界で生きてきた。
見田宗介は、この「奇妙な世界」を、<市民社会>という視角において書き足している。
「市民社会」という言葉は多義的であり捉えられ方や定義のされ方はさまざまであるため、一歩も二歩も引いて見る必要があるけれど、その「原的な」ところにおいて、見田宗介は<市民社会>を次のようにも見ている。
…<市民社会>とは、原的に孤独なものたちが孤独ではないもののように互いに社交することをとおして、原的に孤独ではないものを孤独なものとして排斥する、そのような社会性の水準である。…
見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年
この記述は『著作集』における「定本解題」に載せられている(このような角度から見田宗介が<市民社会>を語っているところは、今のぼくの記憶のなかにはない)。
<市民社会>をこのような「社会性の水準」として捉える見方は興味深いものである。
ちなみに、見田宗介は、<市民社会>を、人間たちの欲望の相剋性がいったん解き放たれた状態(※「共同態」は欲望の相剋性を規制し合う状態)というように捉えており、その解き放たれた欲望の相剋性が物象化されたさまざまな制度を幾重にも産み出してゆくシステムであると捉えている(『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、『現代社会の存立構造』筑摩書房)。
<市民社会>はその意味で両義的であり、解放の側面と抑圧の側面をともにもっている。
この社会性の水準においては、その力学において、「あかるい表層」における社交のなかに排除の力をもってしまうというのである。
このような「奇妙な世界」でどのように生き、また「奇妙な世界」をどのようにきりひらいていくことができるのかを、見田宗介は「欲望の相乗性」の論理を透徹することで示していくのだけれど、ぼくたち一人一人の生と現実の社会には、幾重にも幾重にも、生きることの経験のうちにのりこえていかなければならない問題と課題が、はるか彼方までひろがる濃霧のようによこたわっている。
子どもが大人に常に教えてくれる3つのこと。- 「wonder」にみちびかれる世界へ。
著書『アルケミスト』で有名な、ブラジル生まれの作家パウロ・コエーリョの別の作品『第五の山』(角川文庫)のなかで、子どもが大人に教えてくれることについて、次のように書かれているところがある。
著書『アルケミスト』で有名な、ブラジル生まれの作家パウロ・コエーリョの別の作品『第五の山』(角川文庫)のなかで、子どもが大人に教えてくれることについて、次のように書かれているところがある。
…子供は常に三つのことを大人に教えることができます。理由なしに幸せでいること。何かでいつも忙しいこと。自分の望むことを、全力で要求する方法を知っていることの三つです。
パウロ・コエーリョ『第五の山』角川文庫
これらの3つのことは、「大人」という時期をくぐりぬけていく人間をからめとってしまう「罠」の存在を、ぼくたちに教えてくれる。
第一に、大人は、なかなか「理由なしで」幸せになることができない。
何かを得ることで、あるいは何かを達成することなどで、人は「幸せ」を感じる。
しかし、やがて、その「幸せ」はフェードアウトし、他の物事を永遠と追い求めていきがちである。
第二に、大人も常に「忙しさ」のなかにあるけれど、子どもの生きる忙しさとは異なっている。
子どもは「wonder(驚き、知りたいと思うこと)」に駆動されながら、忙しい。
20世紀後半に「Mister Rogers’ Neighborhood」というアメリカ教育番組のホストであった故Fred Rogersは、かつてインタビューで、現代社会が、「wonder」ではなく、あまりにも「information(情報)」にばかり関心をもってしまっていることへの警鐘をならした。
子どもに正面から向き合ってきたRogersは、「wonder」に充ちた番組をつくってきた。
第三に、大人は、「自分の望むこと」をいくぶんかあきらめ、「望むこと」がわからなくなり、あるいは「望むこと」をじぶんの底におしこめる。
また、「望むこと」が明確であっても、いろいろにブロックをかけて、全力で要求(あるいは助けを求めること)をしない。
子どもたちは、それらをすりぬけるようにして、全力で要求をぶつけてくる。
これら三つの「教え」は、大人の生き方の様相を相対的に照射するだけでなく、大人が子どもをまなざす際の「視線」のあり方のようなものを教えてくれている。
これら三つの見方・視点をもって子どもに真摯に接するだけでも、子どもに接する仕方の質的な差がでてくるようにも、思われる。
しかし、現代社会は、「子ども」という時期をすでに解体してきているような様相を呈して、現れている。
養老孟司は、80年生きてきたなかで、都市化(脳化=社会化)のなかで「なくなったもの」として、次のものを挙げている。
私が八〇年生きてきて、その間になくなったものは確かにあります。例えば子どもの遊び場がそうです。もう「子どもの遊び場」という表現がなくなりました。なくなり始めた頃には異議申し立てが絶えずあったのですが、「子どもの遊び場がなくなる」なんて今は言いません。なくて当たり前になりました。子どもが子どもとして生きる権利は完全に奪われましたね。
現在の都市化はそうしたことをほとんど無視するかたちで進んでいます。…
養老孟司「煮詰まった時代をひらく」『現代思想』2018年1月号
子どもたち自身に目を転じても、早くの時期から、「何かを達成・獲得」することのループになげこまれ、「wonder」を解き放つ学びよりも「情報」の海を泳ぐことを余儀なくされ、また、自分の望むこともあるいはそれを全力で要求する力もただ頭ごなしに「抑制」されるような生活に生きているようにも思われる。
大人がこれらを子どもの内にだけでなく、自身の内に解き放つことを通して、「世界」はwonderにみちびかれるひとつの奇跡として現れてくるところに、ただ今と、これからの時代をひらいていくことができる。
石牟礼道子の文章と「視線」。- 見田宗介=真木悠介の思想と交響する唄。
小さい山に周りを囲まれた海が空からの光をきらめきで映し、遠くにかすれるように大海がひろがっている。
小さい山に周りを囲まれた海が空からの光をきらめきで映しかえし、その遠くにはかすれるように大海がひろがっている。
このような風景を見るとき、日本の九州の「不知火の海」が風景に重なって、ぼくには見える。
不知火海を、ぼくは実際に自分の眼で見たわけではないけれど、作家の石牟礼道子の作品にあらわれるものとして、ぼくの「眼」をつくっている。
ぼくの眼に「石牟礼道子の眼」が重ねられるのだ。
不知火の海は「水俣病」が発生したところである。
ぼくが「不知火の海」を視界に見るとき、人間社会の矛盾が凝縮されながらも、この世界の美の表出を見ているようだ。
2018年2月10日、作家の石牟礼道子は亡くなられた。
ぼくがどこでどのように石牟礼道子のことを知ったかは、よく覚えていない。
水俣病を扱った著書『苦海浄土ーわが水俣病』(講談社文庫)の書名はどこかで知っていたかもしれない。
直接的に石牟礼道子のことを知るようになったのは、社会学者の見田宗介(=真木悠介)の仕事を通じてであった。
見田宗介=真木悠介の仕事における問題意識、そして人を解き放つことの方向性をしめすものとして、石牟礼道子の存在と作品は、見田宗介=真木悠介の存在とその仕事と、深いところで交響するものである。
見田宗介=真木悠介の著作において、たとえば、次のような著作で、石牟礼道子がとりあげられる。
●『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)
●『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)
●『白いお城と花咲く野原ー現代日本の思想の全景』(1987年、朝日新聞社)
●『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)
●『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)
●『社会学入門』(岩波新書、2006年)
また、見田宗介は石牟礼道子の作品の「解説」や書評的なものも書いている。
●見田宗介「孤独の地層学」(『定本 見田宗介著作集Ⅱ』所収)、石牟礼道子『天の魚ー続・苦海浄土』(講談社文庫版)の「解説」
●見田宗介「石牟礼道子『流民の都』」『朝日新聞』朝刊、1973年(『定本 見田宗介著作集Ⅹ』所収)
見田宗介をはじめ、水俣の問題にかかわってきた人たちは、水俣病を「水俣の病」とするのではなく、「わたしたちの病」としてとらえている。
ひとつの社会を生きるひとびとの「人と人とのつながり方」の問題である(『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、1995年)。
石牟礼道子が言うように、「わたしたち自身の中枢神経の病」である。
この「病」を、人はどのようにのりこえていくことができるだろうか。
「よりよく生きる」という、ぼくがじぶんに問うてきた問いは、こののりこえを考るための問いでもある。
石牟礼道子の文章について、見田宗介は次のように書いている。
石牟礼道子の文章は、失語の海の淵からのことづてのようだ。みえないものたちの影をみる視力のように、語られないものたちを語ることばをよびさます。<区切られないもの>の矛盾と多義性をじぶんの中に幾層にも響かせながら、それでも石牟礼は、あえて言い切ることもする。<おかしくならずにいられるだろうか>、こういう断念の一切を澄ませたうえで、そしてまた、人間の上を流れる時間の一切が砂に埋もれ<地質学の時間のように眺められる日>からの視線をもうひとりの自分の視線としながら、<人間はなお荘厳である>と、石牟礼は言う。海はまだ光っていると。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、1995年
石牟礼道子の作品『椿の海の記』のふしぎな世界にひたっていると、この「海の光」が浮かび上がってくるように、見えてくる。
石牟礼道子の視線は、ぼくの視線にかさなって、生きている。