共有される<物語>のコンセプト。- 村上春樹「物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」。

ある人とある人が対話する。その<あいだ>で、何かが共有され、何かが生まれる(何かが「解体」されることもある)。そんな<対話の時空間>は、ときおり幸福な仕方で、共有された「何か」、生まれた「何か」を、時空間をこえて、他者にとどく。

ある人とある人が対話する。その<あいだ>で、何かが共有され、何かが生まれる(何かが「解体」されることもある)。そんな<対話の時空間>は、ときおり幸福な仕方で、共有された「何か」、生まれた「何か」を、時空間をこえて、他者にとどける。

小説家・村上春樹と心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)のあいだにひろがる<対話の時空間>は、その時空間をこえて、幸福な仕方でぼくたちにとどけられる。「村上春樹と河合隼雄」という組み合わせは、(少なくとも、ぼくにとって)そのような幸福な組み合わせである。

『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング、2015年)という著作の最後の章(回)で、村上春樹は「物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」を書いている(初出は新潮社「考える人」夏号、2013年)。

村上春樹が河合隼雄に初めて会ったのは、プリンストン大学であった。1990年代前半のことだ。それぞれがアメリカに長く滞在していたときである(日本に住んでいたら会っていなかったかもしれない。海外にいるからこそ「会う」人たちがいるものである。ぼくの経験から。)。

「物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」では、そのときのことが語られている。

けれども、そのときに「何を話したかほとんど覚えていない」という。そうでありながら、そのことはどうでもいいことじゃないかとも、村上春樹は書いている。

…そこにあったいちばん大切なものは、話の内容よりはむしろ、我々がそこで何かを共有していたという「物理的な実感」だったという気がするからです。我々は何を共有していたか?ひとことで言えば、おそらく物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂のいちばん深いところにあるからこそ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。僕は小説を書くことによって、日常的にその場所に降りていくことになります。河合先生は臨床家としてクライアントと向き合うことによって、日常的にそこに降りていくことになります。あるいは降りていかなくてはなりません。…

村上春樹『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング、2015年)

<物語というコンセプト>。共有されていたものは、おそらくこのことであったと書かれている。ここでの物語は、「魂のいちばん深いところにあって、人と人とを根元でつなぎ合わせられるもの」である。

おそらく、ここで語られ、共有されていたことが、日本での「対話」に継続され、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮社)として書籍化された。この本をとおして、ぼくたちは、共有されていたものの一端をつかむことができる。

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』は、「内容」もとてもスリリングだけれども、それよりも、語られていることの全体性のようなものによって、どこか、ぼくの深いところが癒されるような、そんな本である。少なくとも、(確か)2000年前後に初めてこの本を読んだとき、ぼくはそのような「実感」を抱いたものである。

今にして言葉にしようとするのであれば、「魂のいちばん深いところにあって、人と人とを根元でつなぎ合わせられるもの」にふれられることで、じぶんの深いところが癒されるような、そんな「実感」が湧いたのだろうと思う。

それとともに、「魂のいちばん深いところにあって、人と人とを根元でつなぎ合わせられるもの」の次元へと降りていって、そこから、人や社会とのかかわりをさぐる先達たちに、生きづらさを感じていたぼくは強く励まされたのだとも、ぼくは思う。

それにしても、誰かとあって話をして、何を話したかはほとんど覚えていないけれど、その場でいちばん大切であったものは、話の内容よりもむしろ、そこで何かを共有していたという「物理的な実感」であった、という経験を、人はするものである。じぶんの経験を憶い起こしながら、そう思う。

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たくさんの「生きる物語」があること、の理解。- 自分の生きている「物語」を自覚してゆくこと。

先日から、「個としての私」が生きる「物語」について、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の語りにも耳を傾け、その声に共感・共振しながら、いくつかのブログを書いている。

先日から、「個としての私」が生きる「物語」について、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の語りにも耳を傾け、その声に共感・共振しながら、いくつかのブログを書いている。

現代という時代を「個」を大切にして生きてゆくかぎり、自分が生きていくための「物語」を自分自身でつくっていくことになる。

たとえば、「よい」大学に入学し、卒業後は一流の企業に勤めたり官僚になったりという「(日本の)スタンダードの物語」は、ひと昔前のように「幸せ」を保証する物語ではない。今ではそれは「スタンダード」ではなく、たくさんの物語のうちのひとつの「物語」である。

自分の幸せを追い求めていくのであれば、「自分の物語」をつくってゆく必要がある。それは「大変」であるかもしれないけれど、自分自身の物語をつくりながら生きていけることはすばらしいことであると、ぼくは思う。

「物語」はスタンダードに集約されるのではなく、多様性に充ちた物語たちがいっぱいに花を咲かせてゆくのである。


この「多様性」ということを理解しておくことは、やはり大切なことである。

「自分の物語」をつくっていく時代が来ているとはいえ、「スダンダードの物語」もいくぶんか内実を変えながらも、物語を「標準する力」を維持しようとしているかのように見える。

「よい」大学に入学し、卒業後は一流の企業に勤めたり官僚になったりという「物語」自体がわるいのではない。ただし、その物語が、たくさんの物語のうちのひとつであることを明確に認知され、共有されているべきだと思う。それは「標準」ではない。

この点について、河合隼雄は、つぎのように書いている。


 たくさんある物語の中のどれを自分は生きようとしているのかを自覚していない人は、しばしば、自分の生きている物語だけが「正しい」と確信しているようである。そうなると、その人の幸福度が高まるにつれ、まわりの者は苦労させられると思う。

河合隼雄『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年)


「幸福度が高まるにつれ」と書かれているように、自分の生きている物語だけが「正しい」と確信している人は、うまくいけばいくほどに(「幸福度が高まる」ということは、いわゆる「成功」することによらず、「安定的な人生を歩むこと」によることもある)、その成功物語を「よかれ」と思いながら他者におしつけてしまうこともあるだろう。


日本の「スタンダードの物語」が崩れはじめていたがまだそれなりに通用していた1990年代半ばから2000年頃、なるべく「スタンダードの物語」を気にしないようにしながらも、それはやはりぼくの内面で、まるでコマーシャルがながれるかのように、ときおりながれていた。

「よい」大学に入って、さて「次」は、という岐路で、ぼくは「自分の物語」をつくってゆくことに苦心していたのだと思う。

大学2年を終えたところで休学してニュージーランドに行ったことは「物語」をつくることの一環であったし、大学を卒業して、途上国における国際協力の道に向けて大学院に進んだこともその一環であった。

大学院を修了したあとに勤務しはじめたNGOで、ぼくはシエラレオネと東ティモールに赴任したのだが、そこでの経験は、この世界には「たくさんの物語」があるのだということを、いっそう、ぼくの身体で実感させるものであった。

ほんとうにいろいろな「物語」を生きている人たちに触発されながら、日本の「スタンダードの物語」がたくさんの物語のうちの「ひとつ」にすぎないことを、より深いところで理解することができたように、ぼくは思う。

そこでも「正しさ」の物語はないとまでは言えないかもしれないけれど、だいぶ薄まって語られていたように思う。


それから香港に移って12年。ぼくは「自分の物語」をつくりつづけている。これからもずっと、つくりつづけてゆくと思う。

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日本, 河合隼雄 Jun Nakajima 日本, 河合隼雄 Jun Nakajima

「現代日本人の意識」について。- 深層の意識に生き続ける「伝統的な日本」。

海外に住んでいると、やはり「現代日本人の意識」のようなことを考えてしまう。

海外に住んでいると、やはり「現代日本人の意識」のようなことを考えてしまう。

さまざまな「異文化」との接触のなかで、異文化を理解し、それらを「鏡」としながら、じぶんを含めた「現代日本人の意識」のようなことを考える。あまり偏見的に見方を固定したくないし、最終的には文化を超えて「個人」ごとに異なるのだとも思いながら、それでも「現代日本人」に焦点をあててゆく。


心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)も、自身の心理療法の経験などから「現代日本人の意識」を論じることはきわめて困難であることを語っている。ただし、その困難さを確認したうえで「ある程度の一般論」を述べている。


…ある程度の一般論を述べるなら、日本人の意識は表層的には欧米化しているとは言えるのだが、少し深くなると、まだまだ日本の古来からの伝統的なものを保持していることになる。
 ここに「表層的」と述べたことは、本人が通常生活において意識していることである。しかし、人間はあんがい自分で意識せずにいろいろ行動をしているし、非日常的な場面においては、通常の意識とまったく異なる意識がはたらくものである。それらの意識を深い層の意識と考える。
 あるいは、意識的には自分は民主的に生きていて、そんな点でアメリカ人と変わらないと思っているが、アメリカ人から見ると、それは彼らの考えとは異質の「日本的民主主義」だったりする。つまり、日本人はアメリカ人と同じと思っていても、それの動因となる深層の意識のはたらきが異なるので、まったく異なる様相になってくる。

河合隼雄『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年)


2000年頃に書かれた文章だけれども、20年近く経った今も、この様相は変わっていないように、ぼくは思う。

つまり、ざっくりとした「現代日本人の意識」を語ると、表層意識はだいぶ「欧米化」されているが、深層意識には「伝統的な日本」が生き続けている、ということができる。


このことを、たとえば、海外における日系企業の「人事」に、コンサルタントとして密接にかかわってきたなかで、ぼくは身にしみて感じてきた。たずさわる人たちが海外・グローバルにおける人事ということを意識し、仕組みも日本とは異なる「欧米的」なものであったとしても、運用の過程でいつしか「伝統的な日本」がさまざまな仕方でまぎれこんでくる。

こんなことが続くと、海外の方々の眼には「日本人」が不可解な存在としてあらわれてしまう。日本人のあいだであれば深層意識の動因は(納得するしないは別として)了解できることであっても、海外の人たちにとっては「わからない」から、ときに「誤解」の幅がひろがり、深化してしまう。

事態は、これが「深層の意識」でのはたらきであるため、なかなか厄介である。表層の意識では「海外」のやり方(あるいは、異文化に限らず「人として」のアプローチ)にしたがってやっているつもりだから、「深層の意識」をメタ認知することが容易ではない。

欧米がよくて、伝統的な日本がわるいということではない。「表層の意識」だけでなく、「深層の意識」が異なった仕方ではたらくことから、いろいろな事態や誤解などが起こるのであり、まずはそのことを「理解する」ことが大切である。そして理解のうえで、じぶんの深層にうめこまれている「伝統的な日本」(のあり方ややり方)をあぶりだし、認知してゆく。


「現代日本人の意識」を論じるのは、たしかにむずかしい。でも、「ある程度の一般論」という見方において、ぼくの経験をさし挟んだとき、河合隼雄先生が述べていることが、ぼくにはよくわかる。

2002年からずっと海外に住んできても、ぼくの「深層の意識」には、まだ明確に対自化できていない「伝統的な日本」がいろいろな仕方で生き続けているのを感じることも、ぼくの「経験」のひとつである。

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河合隼雄『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』の「主題」。- 「個人の物語」をつくることが要請される時代に向けて。

ここのところ、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年)という著書にふれながら、人が生きるための「物語」について書いている。

ここのところ、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年)という著書にふれながら、人が生きるための「物語」について書いている。

『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』という本のタイトルだけを見ると、この本がメッセージを送る宛先は、「源氏物語」に関心がある方であったり、「日本人」論的なことに関心がある方であるように見える。

けれども、この本は、これからの時代の「生きかた」を正面から論じるものであり、ぼくのライフワーク(のひとつ)である「個人の物語の構築」というテーマに照準をあわせている。ぼくたちがこれからの時代を生きてゆくうえでの大きな課題のひとつ、「個人の物語」をつくる、を主題にして書かれている。


近代は「合理化」の原理を徹底させてゆくところに経済発展を達成してきたが、合理化のもとで「封印」されてきた近代の理念「平等と自由」が、ようやく深化する時代に、ぼくたちは今、立っている。ここにきていよいよ、個人が「個人」として、徹底される。

このような時代にあって、個人それぞれが、どのような物語をつくってゆくのかが決定的に重要になってくる。所属する文化や共同体や集団などの「物語」が、それぞれの個人のしあわせを保証するものではないからである。

もちろん、この課題は「個人主義をとるのなら…」である。河合隼雄はこの「条件」をくりかえし述べている。


河合隼雄自身は、個人の物語をつくることができることの、ありがたさと興味深さについて書いている。ただし、個人主義の「個人」に焦点をいっそう当てながら、この「個人」をどう考えるか、には一歩引いて、冷静な視線をなげかけている。

個人の「能力や欲望」を伸ばすことは大切であることを確認したあとで、少なくとも、下記の「二つの点」を考慮する必要があると注意を喚起する。

● 他人との関係をどう考えるか

● 自分の死をどのように受けとめるか

これらに対し、たとえば、キリスト教は、「隣人愛」と「復活の信仰」という仕方で解決する。では、キリスト教などの宗教なしで、「個人主義」をどのように考えるていくか。河合隼雄は、つぎのように書く。


 キリスト教などは信じられない、近代科学こそ信じられるという人があったとしても、…「他人との関係」と「自分の死」ということに関しては、近代科学は答えをもっていないのだ。これらに答えるためには「物語」が必要である。

『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年


「近代科学」は答えをもっていないということには、その答えの「射程」においてぼくはいったん留保をおくけれども(ここでの「答えをもっていない」をもう少し詳細に聴かなければならない)、「物語」が必要とされるものとして、「他人との関係」と「自分の死」が挙げられていることに、ぼくは関心がある。関心をもつのは、これら二つは、「自分」というものを追求していったときにその臨界にあらわれるものごとであるからである。

こうして、「個人主義をとるのなら」、個人は「自分の物語」をみずからつくりだしてゆくことが要請される。

なお、「つくること」は、まったくゼロからつくるということではないだろう。これまでの「物語」のなかから着想を得たり、それをまねたり応用したり、組み合わせたりと、どこかからヒントを得ることが方法となる。

ヒントは「過去の物語」から、ということもある。これからの時代を豊饒に生きていくうえでは、「近代」をどのようにのりこえていくか、ということがきわめて大きな課題であるけれど、河合隼雄が書くように「近代を超える知恵を古代がもっていたりする」こともある。

そんな知恵が「源氏物語」に宿っている。河合隼雄はそう論じるのだ。

「源氏物語」を「光源氏の物語」ではなく「紫式部の物語」として読み解くことで、『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』は、「個人の物語をつくる」というこの大きな課題を、人それぞれが解決してゆくことのヒントを提示しようとしているのである。

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「個としての私」がつくる「物語」。- 現代に生きる人間の、今もつづく課題。

人生とは「物語」である。別のブログ(「人生とは「物語」である。- <つなげる力>としての「物語」。」)で、そのように書いた。

人生とは「物語」である。別のブログ(「人生とは「物語」である。- <つなげる力>としての「物語」。」)で、そのように書いた。

そして大切なのは、どのような「物語」を語るか、「物語」をどのように語るか、ということである。人生は、そのようにしてつくられてゆくのであり、どのような「物語」をどのように生きてゆくのか、ということが問われる。

そう書きながら、「けれども」という前置詞をおかなければならない。なぜなら、そのような「物語」を見出したり、つくりだしてゆくことが、大きな課題だからである。


「個人の物語」としたときに、課題は、さしあたって、第一に「個」であり、第二に(個人にとっての)「物語」である。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)は、2000年代のはじめに、『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年)の「文庫版まえがき」で、これらの課題について明示している。


第一の「個」について、日本人にとって、「個の確立」ということが大きな課題として、河合隼雄はとりあげている。


「個の確立」ということは、ヨーロッパの近代において生じてきたことで、、それがキリスト教を背景とする父性原理の強調によって成立してきたものである…。
 そこで、日本人はヨーロッパとは異なる背景の中で「個の確立」を考える必要がある。われわれは、いったいどのようなものを支えとして、自分の「個」を確立しようとするのか。天に存在する唯一の神を支えとしない、「個の確立」はあり得るのか。

『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年)


「個」や「個人」ということが中立的な仕方で語られる(傾向にある)が、「異なる背景」は視野にいれておかなければならない。


それから、第二の(個人にとっての)「物語」における大きい課題について、河合隼雄はつぎのように書いている。


 現代に生きる者の大きい課題はもうひとつある。それは「個」を大切にする限り、自分が生きていくためのスタンダードの物語などは、あり得ないということである。
 どの時代にも、どの文化にも、ある程度のスタンダードの物語がある。…最近の日本では、「よい」大学に入学し、卒業後は一流の企業に勤めるとか、官僚になる、などというスタンダード物語があった。しかし、現在では、それほど単純に、そのようなスタンダード物語を生きるのが幸福とは言えないようになってきた。
 したがって、現代に生きる人間としては、「個としての私」は、どのような物語を生きようとしているのか、それを見いだしたり、つくりだしたりしなければならない。

『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』(講談社+α文庫、2003年→電子書籍2013年)


ここで語られる「最近」は、2003年頃の位置に立った「最近」である。もちろん、それから15年ほどがたつ現在の「最近」は、状況は異なる。ただし、ここで語られる課題が解決されてゆく方向にではなく、いっそう、「スタンダード物語」が消えてゆくなかに、ぼくたちは立っている。

「個としての私」がどのような物語を生きようとしているのかが、いっそう切実な課題として個々人にあらわれ、個人はそれぞれにじぶんの物語を見いだしたり、つくりだしたりしなければならない。

それは、「スタンダード物語」が消え去りつつ、他方で「個人の物語」が要請される、という<過渡期(トランジション)>にいて、この過渡期をどのようにのりこえてゆくのか、という課題でもある。

過渡期のむずかしさは、一方で、消え去りつつあるがまだ形が(うっすらと)のこる「スタンダード物語」をどのように手放し、他方で「個人の物語」をつくりだすという、<解体と生成>にある。


ところで、『源氏物語と日本人ー紫マンダラ』という本のタイトルだけを見ると、なぜこの本がここで参照され引用されているか、疑問に思う方もいらっしゃるかもしれない。

河合隼雄は『源氏物語』を、紫式部という女性が「自分の物語を見事につくりだしたもの」として読み解こうとするのが、この本である。ここでは、『源氏物語』は「光源氏の物語」ではなく、「紫式部の物語」としてとらえられる。

千年も以前、「個」をこれほどまでに追求した一人の女性がいたという事実に、しばらく眠ることができないほどに興奮した河合隼雄。

そんな興奮に共振し触発されながら、きっちりと読めていない『源氏物語』にわけいっていこうと、ぼくは思う。

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言葉・言語, 河合隼雄 Jun Nakajima 言葉・言語, 河合隼雄 Jun Nakajima

「無意識」、あるいは「深層意識」という言葉のこと。- 河合隼雄と井筒俊彦に学びながら。

「意識」にたいして、「無意識」という言葉が使われることがある。日常の意識とは異なり、もっと深いところにあって、普段はあらわれないような次元の意識である。ぼくも、普段の会話では、この深い次元の意識のことを「無意識」という言葉で語ったりする。

「意識」にたいして、「無意識」という言葉が使われることがある。日常の意識とは異なり、もっと深いところにあって、普段はあらわれないような次元の意識である。ぼくも、普段の会話では、この深い次元の意識のことを「無意識」という言葉で語ったりする。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)は、著作のなかで、この「無意識」ではなく、「深層意識」という言葉をよく使っている。河合隼雄の著作群を読みながら、そのことに気づいてはいたのだけれど、より具体的に、その「理由」を知ってはいなかった。あくまでも、「おそらく」の推測で、ぼくは考えていただけであった。

そんな折に、河合隼雄自身が、「フロイトやユングが無意識と言っているのはおかしい」、と語っているところに、著作のなかで出くわすことができた。


…フロイトやユングが無意識と言っているのはほんとうはおかしいと思うのです。なぜかと言えば、無意識と言っても、結局、その話をするわけですから、意識ですね。意識しないと話はできないわけだから。したがって「私は無意識的にこういう癖があるんです」と言ったとたんに意識化されているわけです。だから無意識という言葉を使うのはおかしいと思うんですが、フロイトやユングは西洋人ですから、自分を対象化するときに自分が意識でこう思って、心のなかを対象化したものを無意識と呼んでいると考えると、よくわかります。ですから正確には対象化してみると、自分の深いところにこういう癖があったと、そういう言い方をすべきなのでしょう。それで自分の今の意識と違う言葉を使わなければならないので、無意識と言ったのだと思います。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


ここでの主題は「明恵上人と宮沢賢治の共通点」(※この主題はこの主題で非常に興味深い)で、東洋的なところに焦点をあてていることから、フロイトやユングの「西洋的な見方」が比較対象としてもちだされている。

東洋的なところでは、このあとすぐに語られているように、たとえば東洋の宗教では、「対象化せずに、自分がそのなかに入っていく」ことになる。そこで、意識の「段階」が変わるといった感覚において、「深層意識」という言葉のほうがいいと、河合隼雄は語っている。


ところで、ここ数日ブログでもとりあげている、井筒俊彦(1914-1993)の『意識と本質』(岩波文庫)を読んでいて、このあたりの言葉が、哲学的な色彩をあびながら、しかしとても明晰にふれられ、語られていることに、関心をひかれる。

じぶんに学ぶ準備ができたときに、やはり、「師」はあらわれる。

『意識と本質』では、最初から、「表層意識」と「深層意識」というような言葉が使われている。このような言葉を丁寧に布置しながら、井筒俊彦は「意識」について書いている。言葉の布置が決定的な役目を果たしているのを読んで、まさに、「東洋哲学全体の地図を作成しようとしている」(大澤真幸)書物であることを感じる。

なお、以前のブログでも書いたように、『意識と本質』は、河合隼雄が勧める「この一冊」でもあり、井筒俊彦による言葉の布置に親しんでいたと思われる。

それぞれのものごとをどのように言葉であらわし、それぞれの言葉をどのように位置付けるのか。ただの「言葉の布置」でしかない、と片付けてしまうにはもったいない。井筒俊彦も河合隼雄もそれぞれに、じっさいの「経験」にせまってゆく仕方で、「言葉」を丁寧にとりあげ、位置付けている。

意識と無意識、表層意識と深層意識、といったテーマは、ぼくにとっても決定的に大切なテーマであるから、井筒俊彦や河合隼雄の言葉の使い方や言葉の布置に学ぶところが、ぼくには山ほどある。

さて、これからどう言葉を使おうかと考えてしまうけれど、「無意識」という言葉のほうが日常ではよく使われるから、相手や文脈をたしかめながら、これからも「無意識」という言葉を、ぼくは使っていくだろう。けれども、時と場合によっては、「深層意識」という言葉を使っていこうとも思う。さしあたっては。

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河合隼雄, 書籍 Jun Nakajima 河合隼雄, 書籍 Jun Nakajima

「何」の本を読むかということに加え、「誰に」勧められる本か。- 河合隼雄先生に「この一冊」と勧められる本。

昨日の日付「3月24日」がなんとなく気になって、なんだろうかなぁと思いつつ、結局わからないままであったのだけれど、今日のブログを書こうと思って「下調べ」をしているときに、記憶(あくまでもぼくの記憶)にのこる「3月24日」を、ぼくが以前書いた文章のなかに見つけた。

昨日の日付「3月24日」がなんとなく気になって、なんだろうかなぁと思いつつ、結局わからないままであったのだけれど、今日のブログを書こうと思って「下調べ」をしているときに、記憶(あくまでもぼくの記憶)にのこる「3月24日」を、ぼくが以前書いた文章のなかに見つけた。

2001年3月24日。

その日、ぼくは、社会学者「見田宗介=真木悠介」先生による「講義」を、聴講したのであった。講義は二コマで、題目は、見田宗介『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』、それから真木悠介『自我という夢』であった。

到着した見田宗介先生が「今回のテーマ設定の背景」を語る。「テーマ」の設定の背景でありながら、「『テーマ』(what)ではなく『どういう人たちと関わってみたいか』(with whom)ということ」を考えていらっしゃったとのこと。

あの「圧巻」の講義の日から、人生を歩んでゆくなかで、『どういう人たちと関わってみたいか』(with whom)ということが、ぼくのなかに印象深く残っていた。「what」ではなく、「with whom」ということ。


あれから時間が経過してゆくなかで、またぼくなりに経験を重ねてゆくなかで、このことがいっそう、大切なこととして浮上してきているのを感じる。

今、そしてこれからの時代は、「何(what)」をしていくかということ以上に、「誰と(with whom)」関わってゆくのかということが、中心的な課題となるような時代である。ぼくは、そう考えている。

2001年3月24日のときも、その「予感」を感じながらも、いまほどの確信はもっていなかった。時代がすすむにつれて、いっそう、確信に近いものとなってきている。見田宗介先生は、すでに、あのとき、確信をしておられたのだ。あのときの「種子」が、ようやく、ぼくのなかで芽を出すのだ。


「誰と(with whom)」関わってゆくのか、というときに、本を通して関わりたい方々がいる。見田宗介先生のほかに、たとえば、心理学者・心理療法家の河合隼雄先生(1928ー2007)がいる。

河合隼雄先生の本を読んでいて、河合隼雄先生の勧める「この一冊」を、最近、ぼくは手にとった。

本を選ぶにあたっても、「誰に(by whom)」勧められるのかということが、これからの「本の選び方」であると、ぼくは思う。河合隼雄先生による「この一冊」、河合隼雄先生が「名著」だとする本。タイトルは知っていたし、古典的名著だとも知っていたけれど、ぼくの肩は、「誰に(by whom)」勧められるのかという「誰に」に、ぐっと押されることとなった。

河合隼雄先生の勧める「この一冊」であり名著は、井筒俊彦『意識と本質』(岩波文庫)である。井筒俊彦先生(1914-1993)はイスラム哲学の研究者であり、日本でより海外で活躍され、名が知られてきた方である。

河合隼雄先生は、『意識と本質』にふれながら、つぎのように書いている。


…その後記に先生は次のように書いておられる。
「西と東の間を行きつ戻りつしつつ揺れ動いてきた私だが、齢ようやく七十に間近い今頃になって、自分の実存の『根』は、やっぱり東洋にあったのだと、しみじみ感じるようになった」。
 この本は何度読んでも教えられるところのある名著だが、東洋思想が西洋の知に照らされ、しかも平明な言葉によって述べられている。「この一冊」などという原稿を依頼されて、この書物をよく取りあげたものである。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


井筒俊彦という碩学が「齢ようやく七十に間近い今頃になって、自分の実存の『根』は、やっぱり東洋にあったのだ」と感じようになったと言われて、そして河合隼雄先生に「この一冊」だと言われて、『意識と本質』を読まないわけにはいかない。

でも、本をひらいて、ぼくは「この一冊」ということの深みとひろがりを知ることになった。なにしろ、「すごい」本なのだ。


それにしても、今年は、1910年代から1920年代生まれの先達に、ぼくはなぜかひかれてやまない(※ブログ「1910年代から1920年代生まれの先達に、ぼくはなぜかひかれる。- 串田孫一にふれながら。」

井筒俊彦。「すごい」方に、ぼくは出会うことができた。

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成長・成熟, 日本, 河合隼雄 Jun Nakajima 成長・成熟, 日本, 河合隼雄 Jun Nakajima

「競争」ということ。日本的な「競争」のこと。- <境界線>に生き、考える河合隼雄に教えられて。

ここ数年来、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が書いたもの、語ったものを、ぼくはよく読むようになった。

ここ数年来、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が書いたもの、語ったものを、ぼくはよく読むようになった。

20年以上まえ、大学生のころにも数冊を読んだのだけれども、そのころはたぶん、ぼくの経験の基盤がうすく、また表層で読んでしまっていたところがあったのだろう。

あのときと比べ、ぼくの経験と思考が少しは深まったことを、いま読みながら思うのである。

また、どこの「視点」から読みとっていくのかということも、いくぶん、ぼくのなかではっきりしたこともあって、じぶんの生にひきつけて読むことができているのだということも、ぼくは思う。

河合隼雄はアメリカで心理学を学び、スイスでさらに研究をすすめたことから、「西洋」発出のものを「日本」の文化や文脈でどのように適用してゆくのかについて試行錯誤し、考えてきた。

だから、書かれているものや語られたもののなかには、日本とアメリカ、東洋と西洋などの「境界」で考えられたものが多く見られる。(いまでは言葉としてあまり聞かれなくなったが)「国際化」などについて言及しているところも多い。

このような<境界線>で考えること。このことは、ぼくのライフワークでもあり、ほんとうに多くのことを教えられるのである。


そのようなトピックのひとつに、日本人にとっての「競争」ということが挙げられている。

「競争」のよしあしを、ああだこうだと論じるよりも手前のところで、「競争」というものが日本人にとってどのようなものであるのかを、たとえばアメリカを念頭においたりして、考えている。

精神科医の中井久夫との会話に触発されるかたちで、河合隼雄は、この「競争」ということにふれている。


 私はもともと「競争」は必要と考えている。自分の個性を伸ばし、やりたいことをやろうとすると、何らかの競争が生じてくるし、それによって自分が鍛えられる。ところが、中井さんが指摘しているのは、日本人は、自分のやりたいことをやる、というのではなく、「集団から落ちこぼれない」ように頑張る、極端に言えば、一番になっておけば、まさか落ちこぼれることはあるまい、という「競争」をしている。つまり、競争の基盤が自分自身にあるのではなく、全体のなかにある。「自分はこれで行く」というのではなく、全体のなかで何番か、を問題にする。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


日本的な「競争」にかんする、とても教えられるところの多い考え方である。

日本の多くの子どもたちは「落ちこぼれないための競争をさせられている」ことからキレそうになっているのではないか、とも、河合隼雄は指摘している。

ぼくも「競争」は必要であると考えているが、「競争」ということの、どうもネガティブな意味合いの一端は、言葉にしてみると、中井久夫と河合隼雄が指摘するところであると、ぼくも思う。異文化との<境界線>で考えながら、そう思うのである(だからといって、他の文化圏で「競争」がうまくいっているというわけではかならずしもないところが、「近代・現代」という時代性ともからみながら、むずかしいところである。なお、「近代・現代」のあとの時代の<競争>ということを、考えることができる)。

20年ほどまえに書かれた文章であるけれども、このような状況の核心は、いまでもひろく見られるものではないだろうか。

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成長・成熟, 河合隼雄 Jun Nakajima 成長・成熟, 河合隼雄 Jun Nakajima

「天才」と「秀才」の違い。- 桑原武夫が語る、「天才」鶴見俊輔のこと。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)と、思想家の鶴見俊輔(1922-2015)との「出会い」について、河合隼雄による「回想」を取り上げながら、昨日(2019年3月18日)のブログに書いた。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)と、思想家の鶴見俊輔(1922-2015)との「出会い」について、河合隼雄による「回想」を取り上げながら、昨日(2019年3月18日)のブログに書いた。

思いもよらず河合隼雄が鶴見俊輔を「敬遠」していたこと、鶴見俊輔に会ってすぐに「誤解がとけたこと」、また誤解がとけただけでなく、鶴見俊輔は<天性のアジテーター>であると、河合隼雄が見出したこと。

河合隼雄は鶴見俊輔の「目の輝き」にいくどもふれているのが、ぼくの印象につよくのこっている。


この回想は、「鶴見俊輔さんとの出会い」という、『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)所収の短い回想だけれども、とても印象的な文章である。

今年2019年は「鶴見俊輔を読もう」と思ったぼくの<寄り道>は、しかし、鶴見俊輔という人物を知るうえで、大切なことをぼくに教えてくれたように思う。言ってみれば、「鶴見俊輔を読む」ことが「目的」なのではなく、<鶴見俊輔>を通して、ぼくは「何か」を学ぼうとしているのであり、その意味において、これはふつうの意味での「寄り道」ではない。

また、「鶴見俊輔さんとの出会い」という文章は、ぼくがうすうすと感じとっていたことの「ことば化」を手伝ってくれたところもあるのである。


さらに、この文章の最後のくだりも、とても磁力のつよい言葉が放たれている。

鶴見俊輔との出会いののち、河合隼雄は鶴見俊輔との仕事を共にする機会を多く得てゆくことになり、「ホンモノ」と「ニセモノ」を見抜く眼力に、いつも敬服されることになる。そのことを、河合隼雄は桑原武夫(フランス文学者・評論家)に話したのであった。


…いつか桑原武夫先生に鶴見さんがいかに素晴らしいかを話すと、いかにも当然というように、「ああ、鶴見は天才でっせ」と言われる。そこで、先生は天才と秀才をどうして見分けられますかとお尋ねすると、「天才は面白いと思ったら自分に不利なことでも平気で喋る」、「秀才は自分が損するようなことは上手に隠す」とのことであった。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


「天才は面白いと思ったら自分に不利なことでも平気で喋る」。

桑原武夫の、この「見分け方」もすごいけれど、この話を読みながら、鶴見俊輔という人物、それから、彼を通じて学ぶ「何か」の一端を、ぼくは見てとることができる。

このような事情は、ぼくが尊敬してやまない見田宗介(社会学者)の、つぎのような文章にもあらわれるのである。見田宗介が学生であったころのことである。


…(…「こんど出た吉本隆明の『ナショナリズム』をもう読みましたか?わたしが徹底的に批判されているんです。すばらしい論文です。ぜひ読んでみて下さい」。学生であったわたしに鶴見は目を輝かせて言った。爽快だった。本質的な思想家は、論争での勝敗などには目もくれぬものだ)。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


ここでも、鶴見俊輔は、じぶんの「損得」など気にすることなく、面白いと思ったもの、すばらしいと思ったものを平気で語っている。やはり、目を輝かせながら。

このような振るまいが、あるいは生きかたが、どれだけ多くの人たちをひきつけ、触発してきたことか。

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成長・成熟, 河合隼雄, 書籍 Jun Nakajima 成長・成熟, 河合隼雄, 書籍 Jun Nakajima

河合隼雄が語る「鶴見俊輔」。- 「天性のアジテーター」というちから。

2019年は鶴見俊輔(1922-2015)の作品群を読もうということで、年初に、鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』黒川創編(河出文庫)の本をひらいた。言い訳をするならば、いろいろとほかのことをしているうちに、この本の途中でとまったままに、早いもので3ヶ月近くがすぎた。

2019年は鶴見俊輔(1922-2015)の作品群を読もうということで、年初に、鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』黒川創編(河出文庫)の本をひらいた。言い訳をするならば、いろいろとほかのことをしているうちに、この本の途中でとまったままに、早いもので3ヶ月近くがすぎた。

でも、もうひとつの理由としては、鶴見俊輔の作品を読んでいると、ぼくの関心と思考の輪がひろがってゆくことがあげられる。『思想をつむぐ人たち』でとりあげられる「人たち」を、鶴見俊輔の「眼」を通して語られると、ぼくの関心と思考は、その「人たち」のほうへと、自然と向いていってしまうのである。

そんな「力」が、鶴見俊輔の「語り」のなかには宿っているのかもしれないと思ってしまう。


ところで、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が、鶴見俊輔との出会いについて、『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)という本に書いている。

鶴見俊輔を敬遠していたようなところがあると、河合隼雄は鶴見俊輔についての文章をかきはじめている。

敬遠していた理由は、第一に、河合隼雄は頭のいい人を敬遠しがちであること、それから、第二に、鶴見俊輔を「正義の味方」だと誤解していたことにあった、という。


そんななか、鶴見俊輔・多田道太郎とマンガについての評論をやらないかと編集者に誘われたが、マンガはほとんど見ないし、上述の理由もあって、河合隼雄は最初は断ったという。けれども、両氏を交えて飲む場に誘われて、行ってみることにしたのだという。

そして鶴見俊輔に会ってすぐに、鶴見俊輔を誤解していたのだということを、河合隼雄はさとることになる。とりわけ、鶴見俊輔の「目の輝き」がすばらしく、頭のいい人で頭の悪い人や弱い人の気持ちがこれほどまでにわかる人はいないだろうと思ったのだという。

さらに、鶴見俊輔が語る「マンガの面白さ」に、ひきこまれていく。鶴見はマンガの台詞もおぼえていて、熱演してみせる。シェイクスピアやゲーテの言葉を暗記している学者や偉い人はたくさんいるけれど、マンガの台詞をおぼえている人はあまりいないから、いっそうひかれてしまう。

こんなぐあいに、河合隼雄が鶴見俊輔と初めて会ったときのことが書かれている。


でも、ぼくをいっそうひきこんだのは、つぎのようなところである。


 別れてしまってから、鶴見さんというのは天性のアジテーターである、と思った。鶴見さんは一般の人の言う「アジる」などということは、まったくされなかった。ただただ、自分にとって興味のあることを話しておられた。ところが、鶴見さんの心のなかの動きが、知らぬ間に私の心のなかの動きを誘発してしまうのである。別にマンガを読んでみませんかなどと言われてもいないのに、自分のほうから自発的に「マンガを読んでみましょう」などと言ってしまうのである。おそらく、…あの目の輝きを見ているだけで、たくさんの人が自発的に何かをやり出したくなったりすることは、多くあるのではなかろうか。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


ぼくは、このことがとてもよくわかるような気がしたのだ。

鶴見俊輔の文章を読んでいると、ついつい「自発的に」ほかの著書や人物を読んでみようかな、調べてみようかな、などと思ってしまうのである。

そんなことをしているうちに、「鶴見俊輔を読む」2019年は、3ヶ月近くも瞬く間にすぎてしまったのだ、というと少し大げさかもしれないけれど、じっさいに、ぼくの関心と思考はひろがっていってしまったのである。

鶴見俊輔が語り、書くもののなかに「目の輝き」が感じられ、そこにひきつけられてゆくように。


また、この「天性のアジテーター」ぶりを、ぼくは、じっさいに「体験」したことがあることを、思い出す。

残念ながら、生身の鶴見俊輔さんにお会いする機会はなかったのだけれど、鶴見俊輔の「人物関係図」を描いたとしたらそこにつながる見田宗介先生(社会学者)の講義で、ぼくは「天性のアジテーター」を体験したのだ。

見田宗介先生は、ただただ、自分にとって興味のあることを語っておられた。やはり、目を輝かせながら。

たった二コマの講義だったのだけれど、ぼくは自発的に、いろいろと学んだり、やってみたくなったりしたのであった。

思えば、鶴見俊輔を2019年に読もうと思ったきっかけも、見田宗介先生の著作(『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』)からであった。


天性のアジテーター。

それは、鶴見俊輔の核心をつらぬくものである。そこに魅力をいっぱいに感じながら、ぼくも、そう思う。


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海外・異文化, 河合隼雄 Jun Nakajima 海外・異文化, 河合隼雄 Jun Nakajima

海外にいると、人びとの「生き方」が気になる。- 河合隼雄のエッセイ「幸福の条件」を読みながら。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)は、1990年代の新聞の連載のなかで、つぎのように書いている。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)は、1990年代の新聞の連載のなかで、つぎのように書いている。


…外国に行くと、そこの国の人びとの生き方が気になる。私の職業が人間の生きることに密接に関連しているので、他の文化の人がどんな生き方をしているか知りたくなる。…

河合隼雄『河合隼雄の幸福論』(PHP研究所、2014年)※『しあわせ眼鏡』(海鳴社、1998年)の復刊


ちょうど中国に行ってきたという時期に、当時の中国の人たちの生き方にふれながら、この文章が書かれている。

1990年代半ばに、ぼくもはじめて中国を旅した。大学に入学してから迎えるはじめての夏休みに、ぼくは中国を旅したのであった。はじめての外国でもあった。

ぼくの「海外」は、ここからはじまった。

フェリー(鑑真号)で横浜を発ち、三泊四日かけて上海にはいった旅は、今から振り返れば、その後のぼくの人生をあきらかに変えるものであった。

河合隼雄のように心理学を学んでいたわけではなく、大学では中国語・中国文化を学んでいたぼくであったのだけれど、ぼくも、訪れた国の人たちの「生き方」が気になった。ぼくは、当時から、「人間が生きる」ということに、深い関心をもっていた。

生き方を見つめるということにおいて、短い旅のなかでは限度があるにはあるのだけれど、旅だからこそ見えるところもある。ぼくはそう思っていたし、いまでもそう思う。

それから、旅にかぎらず、ニュージーランドに住み、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、そしてここ香港で暮らしながら、やはり、人びとの「生き方」に、ぼくは関心をもってきた。

だから、ときにしげしげと人を観察してしまうこともあるし、また、友人や知り合いについダイレクトに聞いてしまうこともある。


生き方ということと関連して気になるのは、「しあわせ」ということである。

もちろん、国や場所にかかわらず、人間としてのしあわせということであるのだけれど、それが、じっさいに、具体的に、どのように生きられているのか、そんなことに、ぼくの関心は向けられてきた。

より正確には、普遍的なしあわせがどのように生きられているかということとともに、その逆に、じっさいにじぶんの眼でいろいろな生き方を見つめながら、普遍的なしあわせを確かめることでもあった。


ところで、河合隼雄は冒頭の文章のまえに、つぎのように、この短いエッセイを書き始めている。エッセイは「幸福の条件」と題されている。


 人間が幸福であると感じるための条件としてはいろいろあるだろうが、私は最近、▷将来に対して希望がもてる ▷自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じることができるーーという二点が実に重要であると思うようになった。
 物がないとか、親しい人を亡くしたとか、いろいろと不幸なことがあっても、前記の二点が充たされていると幸福と言えるし、この逆に物がたくさんあったり、地位があったりしても、前述の幸福の条件がそろっていないときは、幸福と言えないようである。

河合隼雄『河合隼雄の幸福論』(PHP研究所、2014年)


「最近」というのは前述のように1990年代のことであり、この本のエッセイが連載されていた時期は、1995年の阪神大震災と地下鉄サリン事件が起こった時期でもあった。ぼくのなかにもたくさんの「疑問・問い」が生まれていた時期であった。河合隼雄はそんな時期に、この「幸福の条件」を書いた。

この時期から20年以上が過ぎたが、「幸福の条件」というトピックは色あせるどころか、いっそう問われるべき時代にいるように、ぼくは思う。

そんな時代に、「幸福の条件」として挙げられた二点をひきうけながら、じぶんなりに考えてみるのもひとつだと思う。


● 将来に対して希望がもてること 
● 自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じること



これら二点を見つていると、ぼくのなかにも、いろいろと「考え」が浮かんでくるのである。

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職場での「ほめることと叱ること」。- 河合隼雄のアドバイスに耳を傾けてみる。

人事マネジメントにおいて、「ほめることと叱ること」というテーマはよく語られ、聞かれ、悩まれるテーマである。

人事マネジメントにおいて、「ほめることと叱ること」というテーマはよく語られ、聞かれ、悩まれるテーマである。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の著作『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)のなかに、「ほめることと叱(しか)ること」について書かれているところがある。

部下に対してほめる方がいいのか、叱った方がいいのか、心理学的な効果などを、河合隼雄は質問されることがあったという。

河合隼雄は、心理学者によって行われた「実験」を導きとして、このテーマについて書いている。

 

実験はとてもシンプルである。

グループを三つに分け、どのグループにも同じような単純な仕事を与える。

仕事が終わったあとに、グループごとに対応をかえ、第一のグループには「ほめる」、第二のグループには「叱る」、第三のグループには「ほめも叱りもしない」とする。

翌日も同じように進め、前日からの進歩度合いをはかる。

二日目は、進歩の大きかった順に、「叱った」グループ、「ほめた」グループ、「何も言わなかった」グループとくる。

しかし、これを続けてゆくと、「ほめた」グループが「叱った」グループの進歩の上昇率の方がより高くなっていくという。

このような実験と実験結果である。

 

河合隼雄は、この結果から、ほめるのが良いというのは性急すぎるし、出される課題によっても変わるだろうと留保したうえで、つぎのように意見を加えている。

 

…この実験には、ほめたり叱ったり、というグループは含まれていない。おそらく、正解は「適切にほめ、適切に叱る」のが一番良いということになろうが、この適切にというところが、実際にどうするのか誰しも解らないのが困るところである。それではどうすればいいのだろうか。

河合隼雄『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)

 

この「適切に」ということを、ほめる/叱ることの割合をおくことによって、ある程度の指針をもつことができる。

もちろん、ほめる/叱るということのうちには、主体と客体のそれぞれの状況と関係性があるから、あくまでも指針ということである。

河合隼雄は「それではどうすればいいのだろうか」ということについて、まず、つぎのことをつづけて書いている。

 

 ほめるにしろ、叱るにしろ、そこに自分の個性が生きているとどちらでも良いようである。部下をほめることに一所懸命になりながら、嫌われている人もあるし、叱ってばかりいるのに、結構、部下に愛されている人もある。といっても、個性を生かすということも難しいことなので、思い切って、ハウ・ツー式に言うと、やっぱり…ほめることを心がけることであろう。

河合隼雄『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)

 

基本的なところにおいて「正しい」とぼくは思う。

くりかえし強調しておきたいのは、「個性を生かす」ということである。

難しいことであるけれども、ほめるにしろ、叱るにしろ、そこに自分の個性が生きてくるかどうか。

それはやはり、仕事を超えた人間的な魅力性、つまり生き方ということにある。

「すばらしい人間になる」ということではなく、個性、つまり自分の生き方が生きるがどうかである。

 

また、実験結果における第三グループ、「ほめも叱りもしない」グループは、進歩度が低いままであったことを忘れてはならない。

対話・会話もないままであることは、人事評価での思ってもみない評価の「ズレ」、さらには日々の誤解をいくつもいくつもつくりだしてゆく。

海外での人事マネジメントでは、「言葉」も制約要因としてあるかもしれない。

しかし、それは「言葉」だけの問題ではけっしてないし、また文化的な制約要因などはふだん「当たり前」としていることを「当たり前ではない」ものとして、より注意深く考えさせてくれるものでもある。

こんなことも含めて、「ほめることと叱ること」は、尽きることのないテーマである。

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「星の国から」という極意伝授。- 河合隼雄著『働きざかりの心理学』を今読む。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の著作群のなかに、『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)という著作がある。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)の著作群のなかに、『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)という著作がある。

元の本は1981年に出版され、文庫化されたのが1995年。

2000年頃に一度手にとり、2018年の今、再び、この本を読んでみる。

出版から文庫化された月日(1981年から1995年)にも日本的な社会と組織と人の変遷があり、また、ぼく自身の月日(2000年頃から2018年)にも、経験の山と谷がきざまれている。

ぼく自身の経験には「働く」ということがあったし、また「人と組織」に傾注してきたところでもある。

 

そのような眼で読んでゆくとき、河合隼雄の本質的な議論は、今でも、たくさんのことを教えてくれる。

「人と組織」の現在的なあり様とは少し異なる雰囲気がある箇所もあるけれども、そのような箇所は読者が差し引いて読めばよいだけで、むしろ、河合隼雄の本質的な議論に、ぼくは惹かれる。

 

本のなかに、「星の国から」という、興味深い文章がある。

「行きつけの飲み屋で飲んでいたら、横に座っていた会社の上司と部下らしい人の会話が聞こえてきた。」(前掲書)という文章ではじまる。

この「話」が、ほんとうに飲み屋で河合隼雄が聞いたものなのか、あるいはある程度の創作が入っているのかは定かではないけれども、河合隼雄が書くように、確かに「なかなか面白い会話」である。

 

登場人物は、上司の部長と部下の2人である。

飲み屋の席で、部下は、「今日の会議」がうまくいったこと、それが上司である部長の「思いどおりの結果」であっただろうこと、会議の司会であった部長があまり努力もしていないように見えたけれども最後は「うまくまとまってしまう」こと、そもそも仕事全体でも部長のやり方はそのような感じであることを、上司に伝える。

「馬鹿なこと言うなよ、不熱心では部長はつとまらない」という部長に、食い下がる部下は秘術でもあるのかどうか、そして秘術があればぜひ伝授してほしい旨を話す。

秘術なんてものはないと前置きながら、部長は部下につぎのように応答していく。

 

上司「…確かに、会議も会社も大切だけどね、世界全体のなかで見れば、世界といっても宇宙のなかで見れば、そのなかの小さい星である太陽のまわりをまわっている衛星のひとつ、地球のなかでの、小さい小さい出来ごとだし、たとえ地球にだけかぎってもみても、地球の歴史のなかのごく僅かな部分をわれわれは生きているのだから。…だから仕事をしてゆくうえでも、地球外の星の国から見ているようなつもりで見ていると、皆がやいやい言っていることでも、それほど大きいことでもないように思えてくる。まあ、どちらでもいいことではないか、と思っていると、うまく収まってくる」

河合隼雄『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)

 

上司による「極意伝授」に対して、部下は、「どちらでもいい」としながらそれでも部長の思う方向にものごとが決まってゆくのはなぜかと、よい質問を投げ返す。

質問がなければそこで放っておこうと考えていた上司の部長は、さらに対話をつづけてゆき、つぎのようにしめくくっている。

 

上司「…だから両方のところのバランスが大切なのさ、人間に目が二つあるのは意味が大きいと思うな。ひとつは自分中心にものごとを見るし、ひとつは星の国からの視点でものをみる。そのバランスを保っていると、自然にうまくゆくのだよ」

河合隼雄『働きざかりの心理学』(新潮文庫、1995年)

 

この「面白い会話」の心を動かされたのは、第一に、世界や宇宙という空間軸、また歴史という時間軸の「とり方」、第二に、こんな会話を飲みの席とはいえ、とても自然に語る上司であること、そして第三に、これらを含め「どっしり感」の存在によってである。

もちろん、上司の考え方(そして生き方)に異を唱える人はいるだろうし、もう少し突っ込んで聞かなければいけない部分も会話のなかにはあるだろう。

それでも、やはり眼にとまるのは、このような個性あふれる人の存在であるようにも思う。

 

ぼくは、「世界で生ききる」うえで大切なこととして、<地球や宇宙>という視点をもつことがあるとかんがえている。

ぼくはそこにいろいろな「理由」を含めているけれど、一番端的な「効用」は、上司である部長が語ったようなところにある。

少なくとも、ぼくたちは<視点をかえる>という力をだれもがもち、この地球に、日々生きている。

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河合隼雄 Jun Nakajima 河合隼雄 Jun Nakajima

凝り固まる「理論・思想」ではなく、生成する<理論・思想>。- ユング、河合隼雄、真木悠介。

心理学者・心理療法家の河合隼雄は、心理学者カール・ユングの生涯を語る本(『ユングの生涯』)のなかで、弟子によって提唱された「ユング研究所」の設立に、ユング自身が当初反対であったことについて、書いている。

心理学者・心理療法家の河合隼雄は、心理学者カール・ユングの生涯を語る本(『ユングの生涯』)のなかで、弟子によって提唱された「ユング研究所」の設立に、ユング自身が当初反対であったことについて、書いている。

 

…彼はユング研究所をつくることに反対だったのである。ユングは、「個性化」ということを強調するように、個々人は自らの個性化の道を歩むべきであると考えていたので、研究所ができたりして、ユングの心理学が画一化されたり、マス・プロ化されることを極端に嫌っていたのである。

河合隼雄『ユングの生涯』第三文明社

 

のちに、ユング心理学を学びたい人たちの増加などの状況のなかで、いずれ研究所ができるのであれば自分が生きている間に自分の意見もいれて設立したいと、ユング自身が研究所設立を提案することになるが、当初は「個性化」ということを大切にして、その設立に反対していたことは注目しておきたいところだ。

 

この「個性化」というユングの言葉と概念について、河合隼雄は本の最後に、「完全性と全体性」という節のなかで、興味深いことを書いている。

「人格の全体性」という、人間の心の光と影を全体として包含することを、ユングは思い至ることになるが、この「全体性」ということにたいして「完全性」というものを対置させながら、「個性化」について、河合隼雄は書いている。

 

 完全性は欠点を排除することによって達成されると考えられるが、全体性はむしろ欠点を受け容れることによって、そこに生じる統合を目標としようとする。この際、完全性は多くの人にとって共通の目標を提供するが、全体性の方は、ある個人がその影の部分を受け容れることによって達成されるものであるために、そこには各人の個性が強く関係してきて、万人共通の目標やモデルを与えてくれない。ユングが個性化という言葉を用いるのもこのためである。

河合隼雄『ユングの生涯』第三文明社

 

こうして、「単純なモデルとしてのユングの否定」が、本来的な意味でユングの考えに従うことになると、河合隼雄は指摘している。

 

「ユング心理学」ということは、「学としての体系」としてあるように見えるけれども、その本質において、体系として凝固させる力をほどいてゆく力学をそのうちに内包している。

それは、個性化の過程で、つまり「個人が生きる」ということのなかで、生成していく<理論>のようなものだ。

そして、このように語る「河合隼雄」自身の教えるところも、個人の生のなかで生成してゆくところへ、開け放たれてある。

だから、ユングも河合隼雄も、彼らが書くもの/語るもののなかにに人生の「答え」があるように読もうとしたときに、すでにして方向性を間違うことになる。

 

このように開け放たれてあるスタイルとして思い起こすのは、人間の生き方の発掘をめざした、真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房)である。

「あとがき」に記されるように、この本が追求したのは、「生活のうちに内化し、しかしけっして溶解してしまうのではなく、生き方にたえずあらたな霊感を与えつづけるような具体的な生成力をもった骨髄としての思想、生きられたイメージをとおして論理を展開する思想」であった。

 

人はときとして、生き方の「答え」を求めようとする。

そして、納得のできる「答え」がないときに失望し、あるいは、それは間違っているのではないかと批判する。

逆に、生き方を伝える側も、「こうあるべきだ」と語ろうとすることがある。

これらは、いずれも、「完全性」の思考である。

「共通」の目標であるものが、「万人の」目標として置き換えられてしまい、個性化を阻害する思考であり、行動だ。

 

このような完全性のなかに凝り固まる「思想・理論」ではなく、「具体的な生成力をもった骨髄としての思想・理論」が、ぼくたちそれぞれの個性化の過程で、生きてくる。

ユングも、河合隼雄も、そして真木悠介も、ぼくにそのようなことを教えてくれながら、またぼく自身の「個性化」を絶えず問いつづけてくるのだ。

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「夢を見ない」村上春樹と谷川俊太郎。- 現実生活と創作のパラレルな存在。

「ぼくは夢というのもぜんぜん見ないのですが…」と、小説家の村上春樹は、心理学者・心理療法家の河合隼雄に向けて語っている。

「ぼくは夢というのもぜんぜん見ないのですが…」と、小説家の村上春樹は、心理学者・心理療法家の河合隼雄に向けて語っている(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫)。

河合隼雄は、つぎのように、村上春樹にことばを返している。

 

河合 それは小説を書いておられるからですよ。谷川俊太郎さんも言っておられました、ほとんど見ないって。そりゃあたりまえだ、あなた詩を書いているもんって、ぼくは言ったんです。…とくに『ねじまき鳥クロニクル』のような物語を書かれているときは、もう現実生活と物語を書くことが完全にパラレルにあるのでしょうからね。だから、見る必要がないのだと思います。書いておられるうえにもう無理に夢なんか見たりしていたら大変ですよ。

河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫

 

「夢を見ない」村上春樹と谷川俊太郎。

ぼくは、なぜか、この箇所に、とてもひかれる。

詩や(『ねじまき鳥クロニクル』のような)小説などの創作と作品の本質ということ。

村上春樹や谷川俊太郎の作品が<意識と無意識の境目を往還すること>でつくられること(なお、村上春樹のインタビュー集のひとつは『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』と題されている)。

そのようなことが、「夢」という文脈において、ぼくの強い関心をひらかせるようだ。

 

ちなみに、ここでふれられている、詩人の谷川俊太郎との「対話」が、どこのものかは定かではないけれど、「ユング心理学」をめぐる河合隼雄と谷川俊太郎の間の「対話」のなかで、「ぼくなんかも夢は見るんだけれども、ほとんど覚えてないんです。…」と、谷川俊太郎は河合隼雄に語っている(『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫)。

「夢をぜんぜん見ない」ということは「夢をほとんど覚えていない」ということと同質のこととして、ここでは捉えてもよいのだろう(※ 河合隼雄は「みんな夢は見ているんですよ。」と、上記の「対話」で谷川俊太郎に解説している)。

 

ところで、「夢をぜんぜん見ない」村上春樹も、(『ねじまき鳥クロニクル』が書かれたいた頃)ただひとつだけ見る夢があると、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』の「対話」で語っている。

その夢は、<空中浮遊の夢>である。

高いところに飛翔する空中浮遊ではなく、地面からちょっとだけ浮く<空中浮遊の夢>である。

この<空中浮遊>ということは「物語づくり」であると、河合隼雄は解釈をしている。

その対話を読みながら、ぼくもある時期、空中浮遊の夢、それも村上春樹と同じように、「地面からちょっとだけ浮く空中浮遊」の夢を見る時期があったことを、思い起こす。

ぼくもあまり「夢を見ない(覚えていない)」ほうなのだけれど。

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河合隼雄, 成長・成熟 Jun Nakajima 河合隼雄, 成長・成熟 Jun Nakajima

「人間の成熟」ということ。- 谷川俊太郎と河合隼雄の「対話」が生みだす<ことば>。

詩人の谷川俊太郎は、1970年代後半、心理学者・心理療法家である河合隼雄との「対話」のなかで、<人間の成熟>ということの考え方をつぎのように語り、河合隼雄に聞いている。

詩人の谷川俊太郎は、1970年代後半、心理学者・心理療法家である河合隼雄との「対話」のなかで、<人間の成熟>ということの考え方をつぎのように語り、河合隼雄に聞いている。

 

…たとえば人間が成熟していくということは、無限に本来の自己に接近していくと考えたほうがいいということですね。
 しかし、昔ながらの一種の精神修養や修身的な発想でいくと、人間というのは人格をつくり上げていくものだというふうにとらえることがありますね。ぼくはそういうふうに人格がつくり上げることのできるものかどうかというとやや疑問で、むしろ自分をラッキョウの皮をむくみたいにむいていって見えてくるもののほうが、成熟という言葉には近いんじゃないかと思うんですけれども、そういうふうに考えてもいいんでしょうか。

河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫、1993年。もとの作品は1979年に刊行

 

河合隼雄と谷川俊太郎との、この「対話」が収められた本『魂にメスはいらない ユング心理学講義』。

20年ほど前に、河合隼雄と谷川俊太郎という、ぼくの好きなお二方の対話ということで、文庫版を手に入れて読んだのだけれど、ぼくの側に、対話で交わされている言葉とそれらの余白の<ことば>を受け入れる素地ができていなかったからか、おそらく途中で読むのをやめてしまっていた本であった。

この「20年ほど」のなかで、西アフリカのシエラレオネ・東ティモール・香港で生きてきた経験と、また(たとえば)「自我・自己」ということをかんがえてきたこととが、ぼくの心と思考の素地に雨を降らし、陽光をあて、そこに芽を生成させてきたからか、ふたたびこの本の対話にふれると、ことばがぼくの深いところで共鳴するように感じる。

 

冒頭のように谷川俊太郎が語る「節」のタイトルは、<人は自分をハダカにしながら成熟していく>とつけられていて、そのことは今のぼくであるから、見えてくるようなところがある。

「人間が成熟していくということは、無限に本来の自己に接近していくと考えたほうがいいということですね」と再確認する谷川俊太郎の語りの前に、河合隼雄は、「私」というもの/ことについて、ユング心理学を土台にして説明を加えている。

 

…「私」というのを普通の意味の私と本来的な私とに分けているんです。ユングはそれを「エゴ」と「セルフ」と呼んでいるんです。ぼくはほかに適当な訳語が見つからないんで「自我」と「自己」と訳しているんですが、自我というのは“説明可能な私”で、それは本来的な私とちょっとずれている。特にソーシャルな場面に入っていくほど、お世辞も言わんといかんことがあったりしますが、その底のほうに本来的な自己というのがあるとぼくらは思っているんです。

河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫、1993年

 

この「本来的な自己」を、河合隼雄は、「字では書けないもの」という絶妙な定義を加え、せっかくそういう本来的な自己(=字では書けないもの)を持って生まれてきたのだから、できる限り生かそうじゃないかと、自分の考え方を提示している。

谷川俊太郎の「質問」は、この「字では書けないもの」により接近してゆくように、「自分自身を変革するということも可能なような自己なんですか」という表現になって、河合隼雄に投げかけられてゆく。

河合隼雄も、その質問に導かれながら、つぎのように絶妙な仕方で応答する。

 

自我というのは変革できるが、自己というのは変革もくそもないわけで、何も名前のつかないようなもの、いわば無限の可能性みたいなものです。

河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫、1993年

 

こうして、「対話」は、冒頭の谷川俊太郎の言葉、「人間が成熟していくということは、無限に本来の自己に接近していくと考えたほうがいいということですね」に、つながってゆくことになる。

そこから繰り出される谷川俊太郎の質問、「むしろ自分をラッキョウの皮をむくみたいにむいていって見えてくるもののほうが、成熟という言葉には近いんじゃないかと思うんですけれども、そういうふうに考えてもいいんでしょうか」に対して、河合隼雄はつぎのように応えることになる。

 

ぼくもそういうふうに思います。ただその場合、むくのも自分ですので、それができるだけの力も蓄えねばいけない。

河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫、1993年

 

「自我・自己」ということが、追求され、展開され、深められてゆくこの「対話」が、ぼくは好きである。

そう、河合隼雄が言うように、ラッキョウの皮をむくために、それが<できるだけの力を蓄える>ことが必要である。

 

真木悠介は、「詩人」とは<自分と世界との境目がはっきりしない人間>だと定義している(『自我の起原』岩波書店)(*ブログ:「詩人」とは?「詩という現象」とは?。- 真木悠介による定義の明晰さ。)。

谷川俊太郎という詩人も、その「詩人」の定義に適合するように、ぼくには見える。

この本の最後には、そんな谷川俊太郎の詩のいくつかを、河合隼雄が「解釈」を加えるという試みがなされている。

<自我と自己との境目を行き来する人間>ともいうことのできる河合隼雄ならではの試みである。

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「物語のあり方をもう一回考え直す」(村上春樹・河合隼雄)。- 物語、素朴さ、ただ生きること。

「オウム真理教」の刑執行のニュースは、ここ香港を含む海外メディアでも、取り上げられた。

「オウム真理教」の刑執行のニュースは、ここ香港を含む海外メディアでも、取り上げられた。

ニュースを読みながら、ぼくは「あの日」を思い出していた。

「あの日」、ぼくは、大学の授業があって、午前の少し遅めの時間に家を出た。

東京の(当時の)東横線沿線に住んでいて、東横線で渋谷に出て、渋谷から大学のある巣鴨に向かうのが、ぼくの通学路であった。

遅めに家を出て、いつもと変わらず東横線に乗って、渋谷に出たのだけれど、東横線の渋谷構内がいつもとは異なる雰囲気につつまれている。

東横線は日比谷線につながってゆく線もあり、東横線構内の掲示板のオレンジ色の文字が、日比谷線のダイヤの乱れを伝えていたのだ。

その雰囲気が、ときおり起こるダイヤの乱れとは異なっていて、緊迫感が伝わってくる。

ぼくは掲示板を見ながら、緊迫した雰囲気の中、山手線に乗り換えて、巣鴨に向かった。

やがて「事件」を知り、それが、東横線からつながる「日比谷線」で起きたことに、人ごとではない、なんとも言い難い気持ちを、ぼくは抱いていた。

 

「あの日」から20年以上が経過し、時代と状況の変遷を感じながら、しかし、人と社会における「問題の本質」はあまり語られず、いまだに大きな問題として残っているように感じる。

心理学者の河合隼雄と小説家の村上春樹の「対談」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫)は、「あの日」と同じ年、1995年の末に行われ、「問題の本質」に、直接に、またその他の一見すると関係のないような角度から触れたものであった。

何度読んでも、学ぶことがあり、また考えさせられる。

 

村上春樹は、「オウム」のつくりだした「物語」のなかに、「稚拙なものの力」を見て取りながら、「稚拙」だから無意味だと切り捨てることはできないと、この問題に正面から対峙している。

 

村上 …ある意味では「物語」というもの(小説的物語にせよ、個人的物語にせよ、社会的物語にせよ)が僕らのまわりで、ーつまりこの高度資本主義社会の中でーあまりにも専門化し、複雑化しすてしまったのかもしれない。人々は根本ではもっと稚拙な物語を求めていたのかもしれない。僕らはそのような物語のあり方をもう一回考え直してみなくてはならないのではないかとも思います。…

河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫

 

対談の内容に付された、このフットノートに対して、河合隼雄は、「稚拙な物語」というよりは「素朴な物語」と言う方がよいだろうとしながらも、基本路線において大賛成している。

 

河合 …「素朴」というのも、素朴であるほどいい、と言うわけでもありません。素朴な話を評価する規準は何なのかが問題なのだと思います。…私は「オウムの物語」の問題点は、素朴な物語に、現代のテクノロジーという、まったく異質なものを組み込んで物語を作ろうとしたことだと思っています。
 「物語のあり方をもう一回考え直す」ために、私としてはこれまで「昔話」や「児童文学」を取り上げてきました。大人どもから見れば、まさに「稚拙」に見える物語が、どれほど深い意味を持っているかを示そうとしたつもりです。

河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫

 

あの頃を思い出して、ぼくは、ぼくの内面を問う。

「あの日」、あの頃、ぼくの内面では、いろいろと闘っていたのだと、あとで振り返ってみて、思う。

河合隼雄は、村上春樹と「コミットメント」について触れながら、「…コミットしなくちゃならない、ということに気がついた青年たちを、オウムが引き込んだのですね、『ここにコミットしなさい』『答えはありますよ』と」、語っている。

ぼくは、「コミットしなくちゃならない」という気持ちをひとまず<海外>に向け、翌年にはニュージーランドで過ごし、そこから国際関係を学ぶことを契機として「途上国の開発・発展研究」へと、コミットメントの対象を定めていった。

そこに「答え」があるとは思わなかったけれど、そこから多くの「問い」、そして学びと行動が生まれた。

それは、ぼくにとっての「物語」であった。

 

そうしてまた、「物語のあり方をもう一回考え直す」というところに戻ってくる。

「『物語』というもの(小説的物語にせよ、個人的物語にせよ、社会的物語にせよ)」の、「素朴」な原層とは、を考える。

そこでぼくの中で立ち上がるのは、「ただ生きることの歓び」という幸せの原層である。

それは、だれしもがもつ<幸福感受性>(見田宗介『現代社会はどこに向かうか』岩波新書)に支えられる、幸せの原層である。

<ただ生きることの物語>とは、どのようなものだろうか。

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河合隼雄, 成長・成熟 Jun Nakajima 河合隼雄, 成長・成熟 Jun Nakajima

「ふたつの歴史」の結合としての夫婦の絆。- 河合隼雄とともにかんがえる「家族関係」。

世界のいろいろなところに住んでいて、いろいろな「家族」と接し、あるいは見ていると、「家族」ということをかんがえさせられる。

世界のいろいろなところに住んでいて、いろいろな「家族」と接し、あるいは見ていると、「家族」ということをかんがえさせられる。

ニュージーランドで、西アフリカのシエラレオネで、東ティモールで、そしてここ香港で、ぼくはいろいろな仕方で、いろいろな家族と接してきた。

家族のしあわせな姿があり、あるいは家族の葛藤がある。

 

心理学者・心理療法家であった河合隼雄の著作では、いろいろなところで「家族」にふれられているけれど、そのなかに「家族関係を考える」という、正面から家族をかんがえる著作がある。

「家族」というものを、とくに日本の1970年代に変わりつつある家族、親子という関係、夫婦、父と息子、母と娘、父と娘、きょうだい、老人と家族など、さまざまな諸相から論じられている。

「西洋と日本」の差異をつねに意識していた河合隼雄は、ここでも、その差異を丁寧に見極めながら、家族について書いている。

 

「夫婦の絆」に触れた章で、河合隼雄は、夫婦の絆は親子関係の絆を切断していき、新しい絆の再生をしてゆくことであり、この「分かち合い」を「愛」と呼べることではないかと、提起している。

 

…夫婦の絆は親子の絆と十字に切り結ぶものである。新しい結合は、古いものの切断を要請する。若い二人が結ばれるとき、それは当然ながら、それぞれの親子関係の絆を斬り離そうとするものである。一度切り離された絆は、各人の努力によって新しい絆へとつくりかえて行かねばならない。この切断の痛みに耐え、新しい絆の再生への努力をわかち合うことこそ、愛と呼べることではないだろうか。それは多くの人の苦しみと痛みの体験を必要とするものである。

河合隼雄『家族関係を考える』講談社現代新書、1980年

 

夫婦関係をつくってゆくことには、このように、古いものが壊され、新しいものが創られるという、創造の本質がおりこまれている。

この「再生」への努力をわかち合うことこそ「愛」と呼べることではないかと語るところに、河合隼雄の慧眼と生き方がにじみでているのだけれど、さらに面白い言い方として、河合隼雄は、「ふたつの歴史」が結合してゆくのだとして、その「大変さ」を書いている。

 

 夫婦は結婚に至るまで、それぞれの歴史を背負っている。それが結合されるのだから、これは考えてみると大変なことである。各人の古い歴史からの呼びかけは、どうしても新しい結合をゆさぶるものとして感じとられやすい。このような危険性を防ぐため、人間はいろいろな結婚制度や、結婚に伴う倫理をつくりあげてきた。

河合隼雄『家族関係を考える』講談社現代新書、1980年

 

結婚に伴う制度や倫理は、日本では「家」が大切にされ、女性はこの「家」に嫁入りすることであったりした。

河合隼雄が言うように、「ふたつの歴史」の相克を、制度や倫理が回避させてきた側面がある。

しかし、現代は、そのような制度や倫理は「新しい結婚観」にとってかわられ、「家」ではなく、「個人」を大切にするところとなっている。

そのことは必然のことであるし、またよいことでもある。

けれども、「ふたつの歴史」の相克を身にひきうけて、みずから結合させてゆく「個人」にはなっていないのではないかと、1980年の河合隼雄は書いている。

河合隼雄がこのことを書いたときから、ほぼ40年がすぎたけれど、「個人」ということの確立については、いまだに「途上」であるように、ぼくには感じられる。

 

ぼくたちの日々の生活の「前線」でもあることからして、「家族」について、ぼくたちはいつもかんがえている。

「かんがえている」のだけれど、家族だからこそ、あまりに近いことだからこそ、よく見えなかったりする。

だから、ときに、「家族」について書かれた著作を読むことは、「家族関係を考える」ことに、より客観的になれる距離をつくってくれる。

河合隼雄は、そんなときの、よき相談者であり、よき伴走者である。

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河合隼雄, 社会構想 Jun Nakajima 河合隼雄, 社会構想 Jun Nakajima

「大きな流れの中における個人主義」(河合隼雄)。- 河合隼雄が真剣に考えようとしていたこと。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が、晩年に真剣に考えようとしていたこと。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が、晩年に真剣に考えようとしていたこと。

「大きな流れの中における個人主義」。

この言葉は、小説家の小川洋子との対話のなかで、ふれられている。

「個」ということ、「個」への執着という話の流れにのって、言葉が生成している。

 

小川 あまりにも「個」に執着してると、何か行き詰まってしまうんですね。
河合 そう。「個」というものは、実は無限な広がりを持ってるのに、人間は自分の知ってる範囲内で個に執着するからね。私はこういう人間やからこうだとか、あれが欲しいとか。「個」というのは、本当はそんな単純なものじゃないのに、そんなところを基にして、限定された中で合理的に考えるからろくなことがないです。前提が間違っているんですから(笑)。

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫

 

「個」ということ、「個」への執着にふれながら、小川洋子が「大きな流れ」の視点を導入し、河合隼雄はそれに応答している。

 

小川 何か大きな流れの中の一部として、自分を捉えるような見方が足りないんですね。
河合 「個」を大きな流れの中で考える、そういうふうに「個」を見るいうことはものすごく大事なんじゃないですかね。…僕はだから、これからそういうことを真剣に考えようと思っているんです。大きな流れの中における個人主義。現代の日本人が考えている個人主義というのは、ものすごく小さいんですよ。ムチャクチャに小さい。

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫

 

「大きな流れの中における個人主義」。

それだけを見ると特記するような言葉ではないけれども、とても深いものが含まれている。

 

第1に、「大きな流れ」を、ぼくたち個人の「生きるという物語」にふたたび(でもこれまでとは異なる仕方で)取り戻そうとしていること。

河合隼雄はここで明示的に「大きな流れ」を説明していない。

しかし、カウンセリングにくる人が、河合隼雄との対話のなかで「その人の力で物語を作っていこう」とすることにふれており、外部的なお仕着せの物語ではないことを示唆している。

20世紀の歴史をふりかえっても、「大きな物語」がたくさんの不幸をつくりだしてきたことを河合隼雄は深いところで認識していると、ぼくは思う。

その意味でも、じぶんの人生の道ゆきで、じぶんで感じとり、選びとり、つくりだしてゆくような「大きな流れ」だと思われる。

このことは簡単ではないし、楽でもないことは河合隼雄は承知で、みんなが「自分で仕事せないかん」(つまり、じぶんで物語をつくらなければいけない)と語っている。

 

そして第2に、「個人主義」を手放すことなく、しかし、河合隼雄が語るように、「個」というものを捉え返すことを意図している。

個人「主義」という言い方はともあれ、また負の側面の存在もいったん横におくと、人類の歴史が「個人」を発見し、その方向にすすみ、それを獲得してきたことは、やはりとても大きなことであった。

ほんとうの「個人主義」への動きは、この世界で、現在進行形で、進行中である。

いまだ、さまざまな「偏見」のなかに、個人がおかれている。

そのようななかで、個人主義を手放すことなく、「個」を軸に考えられていることは、やはり大切なことだと、ぼくは思う。

しかし、「個」を軸にしながらも、「個」を探求し、捉え返し、前提を変えていかなければならない。

 

「大きな流れの中における個人主義」。

ぼくも、そこの方向に共鳴する仕方で、いろいろと考え、いろいろと書いているようなところがある。

ぼくのブログ「世界で生ききる知恵」の「世界で生ききる」ということのコンセプトは、晩年の河合隼雄が真剣に考えようとしていたことに重なっている。

だから、この簡潔に語られる言葉にぼくは惹かれている。

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河合隼雄, 成長・成熟 Jun Nakajima 河合隼雄, 成長・成熟 Jun Nakajima

「自己実現」ということについて。- 河合隼雄による「自己実現再考」。

河合隼雄の著書『おはなし おはなし』(朝日文庫、2008年)は、1992年から1年にかけて新聞紙上で連載されたエッセイをとりまとめられたものである。

河合隼雄の著書『おはなし おはなし』(朝日文庫、2008年)は、1992年から1年にかけて新聞紙上で連載されたエッセイをとりまとめられたものである。

心理学者・心理療法家である河合隼雄の書くものは時代を超えるようなものでありながら、新聞紙上ということもあり、時代を反映させた内容もあり、ぼくは当時の日本や世界を思い出しながら、またそこに生きていたじぶんを思いながら、読んだ。

 

このエッセイのなかに、「自己実現」ということが置かれている。

1990年代初頭に行われた日本臨床心理士会の全国大会の公開公演で、東京大学教授(当時)の村上陽一郎が「本当の私」という話をし、そして河合隼雄自身は「自己実現再考」という話をしたことの、ダイジェスト版である。

臨床家たちが悩みなどの相談を受けているうちに、ただ悩みを解決するだけでなく、「自己実現」ということが大切であると考え始め、「自己実現」という言葉も一般化してきていたなかでの、「自己実現再考」である。

河合隼雄も指摘するように、言葉が一般化することの負の側面として、そこに誤解がつきまとうこと、またそれにまどわされる人も出てくることがあり、「自己実現」もこの言葉の一般化の罠にはまっている。

言葉の一般化には、そのように特定の仕方で解釈したり、言葉が方向づけたりする欲求・欲望をもつ身体たちが存在している。

そのような言葉の一般化の罠をときほぐし、「自己実現」を、もう一度捉え直すことを目的とした講演である。

 

「自己」を実現する、というと、ともかく「自分のやりたいこと」をできる限りすること、そして、それは幸福感に満ちたものなどと思う人がいる。「自己実現を目標にして努力している」とか、「自己実現を達成した」などと言う人さえ出てくる。しかし、「自己実現」というのはそんななまやさしいことではない。
 実現しようとする「自己」とはいったい何なのだろうか。奥底に存在して「実現」を迫ってくるものは、混沌そのものと言っていいほどつかみどころのないものなのだ。…

河合隼雄『おはなし おはなし』朝日文庫、2008年

 

このつかみどころのないものは、じぶんの意識で簡単にはコントロールできるものではないし、この社会で生きていくなかで出世やお金もうけなどの一般の評価に寄り添いすぎると、賞賛は得ても、「自己実現」の道筋からははずれてくるかもしれないと、河合隼雄は書いている。

河合隼雄が素材として挙げているのは、夏目漱石の著作『道草』。

主人公である中年の健三は、大学教授という「本職」をやろうとしつつ、ごたごたにもまきこまれ、「道草」ばかりさせられているように思っているが、この「道草」こそが、高い次元から見ると、自己実現の道となっている。

そのように河合隼雄はこの作品を読んでいる。

 

 明確な目標があってそれに到達するなんてものではなく、生きていることそのままが自己実現の過程であり、その過程にこそ意味があるのだ。従って、よそ目には「道草」に見えるかも知れないが、それが自己実現の過程になっている、と考えられる。…

河合隼雄『おはなし おはなし』朝日文庫、2008年

 

ここで河合隼雄は、大切なことにふれている。

第1に、明確な目標を超えてゆくようなところに「自己実現」があること、第2に、生きていることの過程そのものが「自己実現」の過程であり、そこに意味が凝縮されてあること、さらに第3に、よそ目には「道草」に見えるかもしれないこと、である。

そして、「自己実現の過程になっている」という表現をしている。

自己実現を「する」のではなく、そのような過程に「なっている」というように、言葉を丁寧においている。

 

生きていることの過程を生きつくしながら、自己実現の過程に「なっている」ということに、自己実現の本質があると、ぼくは思う。

そんなことを思いつつ、きっちりと読んだことがない夏目漱石『道草』を読んでみようと思う。

それにしても、夏目漱石『道草』のなかに「自己実現」のテーマを見出す河合隼雄の慧眼に、ぼくは心を動かされる。

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