名曲「Imagine(イマジン)」(ジョン・レノン)の方法論。- 現実の<消去>という仕方で描かれる世界。

名曲「Imagine(イマジン)」。誰もが知る、今も歌い継がれてゆくジョン・レノンの歌が描く世界に一歩ふみこんでみると、またひとつの視界がひらける。...Read On.

 

名曲「Imagine(イマジン)」。

誰もが知る、今も歌い継がれてゆくジョン・レノンの歌が描く世界に一歩ふみこんでみると、またひとつの視界がひらける。

この曲の中で、「想像してごらん」と、ジョン・レノンが描く世界は、3つのことの<消去>により現出する世界である。

想像のなかで消去されたのは、次の3つのことである。

  1. 天国と地獄
  2. 国と宗教
  3. 所有

それらに対置されたもの・ことを、さらに一歩ふみこみ理論としてとりだすと、次のようになることを、別のブログで論じてきた。

(1)  天国と地獄 ⇄ 「今を生きること」➡︎ 時間

(2)  国と宗教 ⇄ 「平和に生きること」➡︎ 共同体

(3)  所有 ⇄ 「分かち合うこと」➡︎ お金

これら3つのこと・ものは、今の時代が「次なる時代」にひらかれてゆく過程で直面する、大きな課題である。

ジョン・レノンの名曲は、この大きな課題に照準をあわせながら、しかし、人びとに「想像」をよびかけながら、その方法として現実の<消去>という方法をとっている。

天国と地獄がない世界、国と宗教がない世界、所有のない世界の想像を喚起するという方法である。

理論として語るのであれば、方法としては、「否定」(~ではない)と「肯定」(~である)という方法がある。

しかし、ジョン・レノンは、そのどちらでもない、<消去>という方法をえらんでいる。

なぜそのような方法をとったのだろうかと、ぼくはかんがえる。

 

 

社会学者の見田宗介は、1986年の論壇時評において、「差別」をのりこえる方途を次のように書いている。

 

 …男女の差別をこえるという時、「女である前に人間です」という言い方で、同質性に還元してゆく仕方がひとつある。もうひとつ「女といっても一人一人違う。男といっても一人一人違う」という言い方で、異質性をきわだたせてゆく仕方がある。最首の言い方をかりれば、<みんなが同じ>という仕方で差別をこえる方向と、<みんなが違う>という仕方で差別をこえる方向とである。
 異質なものの呼応と交響、というあり方に魅かれるわたし自身には、<みんなが違う>という言い方の方が、得心がゆく。異質化は世界をすてきにしてゆく(同質化は世界をたいくつにする!)。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

見田宗介は、最首悟が障害を持つ自分の子供にふれて言った言葉(最首悟は、<みんが同じ>という均質化の力が差別をつくることを語っている)や、加藤典洋が語る「国境」の話などを手がかりに、差別をのりこえる仕方を展開している。

<みんがが同じ>という方向と<みんなが違う>という仕方。

ジョン・レノンが挙げたこと・ものを、「否定」という仕方で展開して言うと、例えば、「国や宗教がない世界」などとなる。

これは、かんがえる仕方としては、<みんなが同じ>という方向へののりこえに向かってしまう。

それは、最首悟の言うように、均質化の力が逆に差別を生み、見田宗介の言うように、同質化は世界をたいくつにする方向であり、今あることの「否定」がかならずしも、よい世界につながるとは、ジョン・レノンはかんがえていなかったのではないかと、ぼくは思う。

そして、否定とは逆に「肯定」という方向性はいまだ積極的にはみえず、その苦悩と狭間のなかで、<消去>という方法を、彼はとらざるを得なかったのではないかと、ぼくは推測している。

名曲「イマジン」が世に放たれたのは1971年のことであり、時代はますます「標準化」という均質化・同質化の力を強めていたときである。

ぼくはもう少し、ジョン・レノンが描いた世界を、異なる地点や視点から見ていく必要があるように思う(でも、断っておけば、あくまでも、ぼくの解釈にすぎないのだけれど)。

その課題のヒントを、次に、ジョン・レノンのもう一つの名曲「Happy Xmas (War Is Over)」を読みときながら、ぼくは探っていくことになるだろう。

 

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ジョン・レノンを思う日。- 「全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界」(見田宗介)への途上に鳴りひびく歌。

毎年12月8日は、ぼくにとって、ジョン・レノンを思う日だ。時代をつくった音楽バンド、ビートルズの中心メンバーであり、ビートルズ解散後も、数々の名曲をつくり、レノンの歌は世界に交響してきた。...Read On.


毎年12月8日は、ぼくにとって、ジョン・レノンを思う日だ。

時代をつくった音楽バンド、ビートルズの中心メンバーであり、ビートルズ解散後も、数々の名曲をつくり、レノンの歌は世界に交響してきた。

そのジョン・レノンが、1980年12月8日にニューヨークの自宅前で、凶弾に倒れた。

ジョン・レノンが40歳のときだ。

それから27年が過ぎた。

気がつけば、ぼくはジョン・レノンの年齢を超えている。

ぼくがジョン・レノンに出会ったのは、たしか中学生のときの英語の教科書のなかであって、ぼくのなかではジョン・レノンは、今でもそのときの立ち位置に存在している。

英語の教科書では、ニューヨークのセントラルパークに、亡くなったジョン・レノンを思いつつ平和をいのる人たちが集ったこと、それから名曲「イマジン」のことが書かれていたように記憶している。

学校で学ぶということの窮屈さのなかにあって、英語の教科書にあらわれたジョン・レノンは、ぼくをひきつけてやまなかった。

大学で東京に出てからは、渋谷東急でビートルズの物品の展示に使われていた、ジョン・レノンモデルの「リッケンバッカー」のギターが売りに出されていたのを、ぼくは手に入れて、ジョン・レノンが鳴らしたであろう響きを、少しでも感じようとした。

12月8日にかぎるわけではないけれど、クリスマスが近づき、ジョン・レノンの名曲「Happy Xmas (War Is Over」が外からも、それからぼくの内からも、その響きを届けるころ、ぼくはジョン・レノンのことを思い、ジョン・レノンが思い描き、目指していた世界のことをかんがえる。

ビートルズとジョン・レノンの歌、それからレノンの生き方は、ぼくの生き方の方向性に交響する仕方で、ぼくのなかに流れている。

 

社会学者の見田宗介は、整体の創始者といわれる野口晴哉にかんする論考のなかで、ジョン・レノンにふれている。

その「節」は、「時代の文脈ーレノンの歌、遥かな呼応」という言葉がおかれている。

見田宗介が1970年代半ばにメキシコの滞在から日本に帰ったおり、野口晴哉の思想に出会ったときの「時代の文脈」を、2008年の地点から振り返って語るところである。

 

 今ふりかえってみて初めて気がつくのだけれども、わたしたちにとって野口晴哉は、ジョン・レノンやボブ・ディランやカルロス・サンタナの歌と遥かに呼応する運動のうねりの中で、全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界を実現するための、方法の夢中の模索と探求という途上で出会われた。
 戦争と憎悪と抑圧のない世界を、暴力的な否定という仕方ではなく、(人間の中の自然の可能な力を肯定するということをとおして)異質なもの多様なものの相補し交響する世界の胚芽を、至るところの今ここに生きられる仕方で実現してゆくのだという方法論の、確実な一角として探り当てられていた。

見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店

 

この時代を生き、「方法の夢中の探索と探求」をつづけてきた人たち。

見田宗介、野口晴哉、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、カルロス・サンタナなど。

学問も、整体も、歌も、反戦運動も、すべてが「遥かに呼応する運動のうねり」の中で、それぞれに、「全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界」の実現をめざしてゆくことの活動としてあった。

時代に流されるのではなく、時代に垂直に立つ仕方で、これらの人たちの生は生きられてきた。

ジョン・レノンの生き方にぼくがあこがれたのも、その音楽的な感性だけでなく、「時代に垂直に立つ仕方」であったように、ぼくは思う。

「全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界」。

時代がうつりかわっていくなかで、しかし、照準はそこに、定められている。

 

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「ほんとう」という言葉からはじまる旅路:「ほんとうの」と「ほんとうに」。- 竹田青嗣、宮沢賢治、そして見田宗介。

ぼくたちは、日々の会話や書くもののなかで、「ほんとう」という言葉を使う。小さい頃から、ぼくは、よくこの言葉を使っていたと思う。...Read On.


ぼくたちは、日々の会話や書くもののなかで、「ほんとう」という言葉を使う。

小さい頃から、ぼくは、よくこの言葉を使っていたと思う。

「ほんとう」の反対は「うそ」というような対置をされると、ぼくたちは他者の言うことを信じていないように聞こえてしまう。

でも、ぼくの感覚では、「ほんとうーうそ」というシンプルな対置だけにおさまらない構図のなかで、その言葉が発せられてきたことを感じていた。

そのことを正面から見つめようとしたのは、やはり、社会学者の見田宗介の著作に触発されてきたところが大きい。

 

見田宗介の仕事のなかで、「ほんとう」ということを論じている対象としては、哲学者である竹田青嗣と、そして宮沢賢治が挙げられる。

音楽家の井上陽水論を展開した竹田青嗣の著作『陽水の快楽』(ちくま文庫)で、見田宗介は鮮烈な「解説」を書いていて、その解説が書かれる前の「前身」的な解説として、論壇時評に次のように書いている。

 

 竹田の文章が要所で放つ「ほんとうに」という副詞は、書くことの外部からくる息づかいのように、彼の論理の展開の、生きられる明証性のようなものを主張している。宮沢賢治は「ほんとうの」しあわせとか考えとか世界を求めた。竹田の断念は、<真実>を方法の場所に、形容詞でなく副詞の場所にまでしずめている。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

見田宗介は、「ほんとう」ということで示されるものを、「ほんとうの」という形容詞、それから「ほんとうに」という副詞というように切断線を引いて、かんがえている。

「ほんとう」という言葉に表象される心象は、ぼくの個人史だけに固有のものではなく、それが時代の困難さをあらわしていることを、ぼくはここにみる。

竹田青嗣の展開する陽水論と見田宗介の鮮烈な読みとりについては、以前にもブログで触れたけれど、またいずれ書きたいと思う。

むしろ、ぼくをひきつけてやまないのは、「ほんとうの」という形容詞である。

 

見田宗介が吉本隆明の著作『宮沢賢治』に応答するように書いた文章、「性現象と宗教現象ー自我の地平線」は、いっそうの深みにおいて、宮沢賢治が追い求めた「ほんとうのもの」をスリリングに論じている。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を素材に、主人公ジョバンニと宮沢賢治を重ね合わせながら、見田宗介(真木悠介)は性と宗教を明晰に論じている。

銀河鉄道に乗るジョバンニは、その旅路で乗客たちに出会うけれど、乗客たちは途中で降りていってしまう。

 

 それでもジョバンニはどこでも降りない。銀河鉄道のそれぞれの乗客たちが、それぞれの「ほんとうの神」「ほんとうの天上」の存在するところで降りてしまうのに、いちばんおしまいまで旅をつづけるジョバンニは、地上におりてくる。
 ひとつの宗教を信じることは、いつか行く旅のどこかに、自分を迎え入れてくれる降車駅をあらかじめ予約しておくことだ。ジョバンニの切符には行く先がない。ただ「どこまでも行ける切符」だ。 

真木悠介『自我の起原』岩波書店

 

法華経の人であった宮沢賢治を読みときながら、見田宗介は宮沢賢治が<歩きつづけた方向性>を、次のように書いている。

 

 性が何度も人を裏切るものであることと同じに、宗教もまた、何度でも人を裏切る。宗教に裏切られる毎に、賢治の資質は、宗教を否定する方向にでなく、<ほんとうの>宗教を求めるという方向に賢治を向かわせた。
 人が<ほんとうのもの>を求めるということをどこかでやめてしまう仕方は、二つある。宗教の駅と、反宗教の駅だ。宗教の駅は、<ほんとうのもの>はここにあるのだ、これ以上求めることはないのだという仕方で人をその場所に降ろす。反宗教の駅は、<ほんとうのもの>はどこにもないのだ、そんなものを求めることはないのだという仕方で降ろす。賢治が択んだのは、そのどちらでもないような仕方で歩き続けることだったと思う。

真木悠介『自我の起原』岩波書店

 

宮沢賢治が択んだ「第三の道」のように、見田宗介もまた「どこまでも行ける切符」を手に、<ほんとうのもの>を求めつづけ、「反時代の精神たち」に言葉を届けてきた。

見田宗介が措定してきた「虚構の時代」のなか、「時代の商品としての言説の様々な意匠の向こう」(真木悠介)めがけて、「ほんとうに切実な問いと、根柢をめざす思考と、地についた方法とだけを求める反時代の精神たち」に、上記の論考を含む、「分類の仕様のない書物」の言葉たちは放たれる。

「ほんとう」という言葉からはじまったぼくの旅路は、こうして、新たな旅路が目の前に、どこまでもどこまでも、ひろがっている。
 

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「自然からの人間の自立と疎外」と「共同態からの個の自立と疎外」(真木悠介)。- 月あかりに照らされる「近代文明の存立」。

香港の夜空で月あかりがさらにあかりを増していくなかで、「自然」という大きな視野はぼくの視界をひろげてくれることを思う。...Read On.


香港の夜空で月あかりがさらにあかりを増していくなかで、「自然」という大きな視野はぼくの視界をひろげてくれることを思う。

じぶんという存在を、一気に相対化してくれる。

その大きな視界から、人間の社会をみつめる。

 

社会学者である真木悠介のどこまでもひろがり、どこまでも深い視界・視野と、展開される論理は、人間社会、その近代文明を「大きく太い線」でとらえている。

「自然からの人間の自立と疎外」と「共同態からの個の自立と疎外」という、大きく太い線である。

真木悠介の著作のなかで、この太い線がより明確な形で提示されたのは、名著『時間の比較社会学』においてである。

 

…われわれの<時間の比較社会学>の問題意識と主導的な仮説を整理しておくと、つぎのようになる。
 第一に、虚無化してゆく不可逆性としての時間の観念は、萌芽的にはオリエント、とりわけヘブライズムといった、最古の反自然主義的な文化と社会の中で発生し、展開してきたものではないか。
 第二に、抽象的に無限化されうる等質的な量としての時間の観念は、萌芽的にはインダスその他の、高度にはヘレニズムのような、都市化された(集合態的な)社会形態の中で発生し、展開してきたものではないか。
 そして西欧にその起源を有する近代文明は、この二つの文明史的な展開の統合の帰結として存立するのではないか。
 理論的に抽象化していえば、第一の契機は、自然からの人間の自立と疎外、それによる自然との<生きられる共時性>の解体にかかわる要因ではないか。第二の契機は、共同態からの個の自立と疎外、それによる共同態の<生きられる共時性>の解体にかかわる要因ではないか。…

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店

 

途上国の発展・開発の現代的課題(よって先進国の発展・開発の歴史)を学び、疑問を抱きつつ、「発展・開発とは何か」という原的な問題を追い求めていた20年程前に、ぼくは、真木悠介の、この「大きく太い線」で引かれた視界・視野を手に入れた。

そして、この太い線は、ぼくたちが生きる世界の巨視的な把握のためにも、とても大切で、かつ有効なものであると、ぼくは思う。

今も「自然からの」あるいは「共同態からの」<自立>のたたかいはまだつづき、そしてそれらからの<疎外>がもたらす人と社会における問題に、ぼくたちは日々直面し、あるいはそれらを目にする。

ただし、自然からの、あるいは共同態からの自立は、人びとの生活とその社会を解き放ってきたものでもある。

太い線による巨視的な「近代文明の存立」の把握は、正の面と負の面双方をみはるかしながら、現代をよりよく生き、これからの未来を構想しひらいていくための、基礎・基盤である。

 

自然の限りない大きさにさらされると、ぼくの視界は一気に拡大し、たとえば「近代文明」を視野におさめようとしたりする。

ぼくが今立っている「地点」は、人や社会が、自然から、また共同態から自立してきたことの帰結なのだ。

異常なほどに光をはなつ月あかりに、古代の人たちは畏れ・恐れを感じ、その中に埋没してしまっていただろう。

現代のぼくたちは、自然から「自立」し、そんな月に不気味なものは感じない。

しかし「自立」でありながら、自然からの「疎外」として、うしなってきたものもある。

自立と疎外の行きつく果てに、ぼくたちは今さしかかっているのだと、ぼくは思う。

自立と疎外の行きつく果てに、ぼくたちは、どのような世界をつくりだしていくのか、月あかりのなかで、そんなことをかんがえる。
 

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月あかりからもらってきた「おはなし」。- 香港で、満月の月あかりに照らされて考える、「非意識」からやって来た宮沢賢治作品の普遍性。

宮沢賢治のことをかんがえながら、ちょうど月が満月になるタイミングが重なって、ぼくの中では、だれもが知るところの『注文の多い料理店』の序に書かれた文章が浮かんでくる。...Read On.


宮沢賢治のことをかんがえながら、ちょうど月が満月になるタイミングが重なって、ぼくの中では、だれもが知るところの『注文の多い料理店』の序に書かれた文章が浮かんでくる

 

 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたがないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。

宮沢賢治『注文の多い料理店』序、青空文庫

 

今から20年程前に行われた、宮沢賢治をめぐる座談会(「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店)で、見田宗介はとても面白い問題を提起している。

近代的自我という視点において、「近代的自我の表現としての文学、という方向を原的に批判する思想としての賢治作品」として、見田宗介は宮沢賢治の作品をとらえている。

 

見田 自我の問題でいうと、宮澤賢治の作品というのはフロイトが言うような無意識と同じものではなくて、ユングの言う無意識とも違う。だから精神分析学で言う無意識というより、もう少し非意識みたいな、<意識でないもの>というような感じのところから来るものがあるようにみえる。…作品がどこから来るかというのは、作者の意識から来るというのが一つの典型的な形としてある。もう一つは作者の非意識から来るというのがある。それともう一つは作者以外のところから来る、作者の外部から来るみたいなところがある。…

「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店、1996年

 

見田宗介は、谷川俊太郎から聞いた、大江健三郎の発言も紹介している。

大江健三郎は谷川俊太郎との会話のなかで、「最初の二つの作品で無意識は全部使い果たした」ということを語ったという。

それ以降の作品は意識で書いている、と。

無意識を使って書かれた作品と文学作品における「普遍性」ともからめながら、宮沢賢治の作品の「普遍性」も、賢治作品が非意識から来ているということと関係しているのではないかと、見田宗介は語っている。

賢治作品は、よく知られているように、アメリカの原住民の人たちが深い共振を示したと言われている。

月あかりからもらってきた「おはなし」は、人と人との境界を、超えてゆく。

 

宮沢賢治は、冒頭の「序」のなかで、「ほんたうに」という言葉をくりかえしつかっている。

虹や月あかりからもらったとしか言いようがない仕方で、非意識から届けられた「おはなし」は、宮沢賢治が自身にたいしても「ほんたうに」と言うしかないような作品が立ち上がってきたのだろうと、思われる。

『注文の多い料理店』だけでなく、例えば『鹿踊りのはじまり』は「すきとおつた秋の風」から聞いた「おはなし」である。

月あかりは、西アフリカのシエラレオネにいても、東ティモールにいても、それからここ香港にいても、ぼくに光をそそいでくれる。

ぼくたちが心を「ほんたうに」すきとおらせていけば、「おはなし」は聞こえてくるはずだ。

「近代的自我の表現としての文学」に見られるように、近代や都市という「脳化社会」(養老孟司)において意識や意味などにだけ水路づけられた生においては、「おはなし」は容易には聞こえてこないかもしれない。

 

この文章の最初に置いた「序」は、宮沢賢治の次のような言葉で終わっている。

 

…わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

宮沢賢治『注文の多い料理店』序、青空文庫

 

「すきとほつたほんたうのたべもの」が、生をひらく水路をひらいていくための「たべもの」となるかどうかは、宮沢賢治の「ちいさなものがたりの幾きれ」にではなく、ぼくたち自身に賭けられている。

 

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「リーダーはむつかしいぞ」(野口三千三)。- 見田宗介の「リーダー」論。

人間と社会を透徹した深さとどこまでもひろがる視界でよみとき、「人間はどう生きたらいいか、ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか」を生きることのテーマとして追い求めてきた社会学者の見田宗介が「リーダー」をどのように考えるか。...Read On.


人間と社会を透徹した深さとどこまでもひろがる視界でよみとき、「人間はどう生きたらいいか、ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか」を生きることのテーマとして追い求めてきた社会学者の見田宗介が「リーダー」をどのように考えるか。

ぼくが知るところ、それほどは、直接的に語られていない。

見田宗介がどのように「リーダー」を語るのかは興味深いところだ。

個人的に「リーダー」というものを見直しているなかで、そんなことを思う。

そのような折に、一息ついて見田宗介の著作集(『見田宗介著作集X』岩波書店)を手にとり、「春風万里ー野口晴哉ノート」という論考(講演)の文章を、ぼくは読む。

どんなにつかれているときでも、見田宗介(真木悠介)の文章を読んでいると、心身がときほぐされていく。

 

論考の最初の章は「春風万里ー技を修めて技を用いず」と題され、整体の創始者と言われる野口晴哉の『治療の書』という、「分類不能の書」にふれている。

その中で、見田宗介はエピソードのひとつを語っている。

東演という劇団の演出家が亡くなり、若い俳優の相沢治夫が劇団をひきつぐことになったときの、激励のパーティーでの話である。

パーティに出席していた野口三千三(「野口体操」の創始者。野口晴哉・野口整体とは別である)が、相沢治夫をそばに呼んで、次のようにささやくのを、見田宗介は隣席で耳にする。

 

「リーダーはむつかしいぞ。利口でだめ。馬鹿でだめ。中途半端はもっとだめ」

 

見田宗介は、「指導者となるべき人間の器を問う観察として、鋭く的確な表現」と、この論考(講演)の時点でも考えていることを伝えている。

見田宗介の「リーダー」論があるとすれば、とりあげられる言葉だ。

 

野口三千三の言葉は、見田宗介が言うように、的確でありながら、人を迷わせる。

利口はだめ、馬鹿はだめ、その中間もだめであるならば、リーダーはどのようであるのがよいのか、と。

見田宗介は、ここで論考のテーマである野口晴哉にもどる。

 

 『治療の書』の冒頭に近い所に、このような一節がある。

 技は振うべく修むるに非ず。用いざる為也。

 技を修めて、技を技として振うのが利口の道である。技をはじめから修めないのが馬鹿の道である。技を修めて技を用いずという道は利口でも馬鹿でもないが、その中間ということでもない。人はこのような仕方で、利口とか馬鹿とかいう地平を越えて出ることができる。

見田宗介『見田宗介著作集X』岩波書店

 

野口三千三の言葉、野口晴哉の「技」にかんする到達点(通過点)、見田宗介による読み解きは、ぼくの中に思考の芽を点火する。

「技は振うべく修むるに非ず。用いざる為也。」

ぼくの中の思考の大海に、ぼくは言葉を投ずる。

しかし、観念だけの大海ではなく、体験や経験と重ね合う思考の大海だ。

野口晴哉や野口三千三や見田宗介といった「身体」から人や社会を考える、ほんとうの思想家たちと(ぼくの中で)議論を交わしながら。

 

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野口晴哉から見田宗介へ。- 体癖論の「思想」への適用。自由と自立を求める身体の身体価。

整体の創始者である野口晴哉による「体癖論」(体の「偏り運動」の探求と実践)は、「人間の解放」ということを生涯のテーマとして追いつづけている見田宗介(社会学者)の関心を深いところでとらえ、「身体」という拠点から「人と社会を解き放つ」という、見田宗介の視力と方法を豊饒化してきた。...Read On.


整体の創始者である野口晴哉による「体癖論」(体の「偏り運動」の探求と実践)は、「人間の解放」ということを生涯のテーマとして追いつづけている見田宗介(社会学者)の関心を深いところでとらえ、「身体」という拠点から「人と社会を解き放つ」という、見田宗介の視力と方法を豊饒化してきた。

<身体的な現実性に根をはること>は、思想という、ともすれば「観念の操作の罠」(見田宗介)にはまってしまうことを回避する手段のひとつである。

見田宗介は、体癖論の「思想」への適用事例を書きながら、「思想の身体価」という論考を書いている。

この論考が、雑誌『思想』(岩波書店)で発表されたのは、もともと1989年である。

思想の言葉や観念がインフレをおこし、「操作の罠」におちいっていたときに、「思想」のリーディング雑誌のひとつであった『思想』誌に発表している。

 

「観念の操作の罠」ということは、ふつうに生活をしていた人たちと、決して無縁ではなかったのではないかと、ぼくは今では思う。

言葉や観念が、それらだけで語られ、身体的な現実性からまったくはなれていってしまうような世界である。

ぼくが1990年代において<言葉の身体性>をもとめて、例えばアジアを旅したりしていたことは、まったくの偶然ということではなかったのではないかと、ぼくは思うのだ。

そんなぼくも、2000年代初頭、修士論文を準備しながら、「自由」という言葉と観念の迷路にまよいこんでしまった。

途上国の経済発展や成長、貧困、南北問題、人的資本などを対象としながら「自由」を主題に修士論文を書くなかで、これら現実の圧倒的な問題が、ともすると、抽象的な観念の世界にはいりこみすぎてしまうところであった。

最終的に「論理」としては一貫した論文になったのだけれど、現実問題に即しきれない内容であった。

「自由」ということをさらにつきつけられたのは、ぼくがこの身体で、西アフリカのシエラレオネと東ティモールで、言葉につくせない現実に生きてゆくなかであったのだと、ぼくは思う。

 

この「自由」という言葉と、もうひとつ「自立」という言葉を事例に挙げながら、見田宗介は「思想の身体価」という文章を書いている。

見田宗介が出会った、ある集団で「スナドリネコさん」と「ぼのぼの」とよばれるようになった二つの身体類型(ここではそれぞれ、SとBと名づけられる)を事例にしている。

 

 Sは、野口晴哉の整体の体癖論では「9種1種」、つまり骨盤がしまっていて性欲旺盛でいつまでも若く、空想と観念の自己増殖力に富む身体であり、Bはほぼこれと対照的に、「10種3種」とよばれるのだが、骨盤が開いていて包容力があり、身体がやわらかく感情が豊富で食べることが好き(引出しの中はちらかっている)という身体である。この両者はたがいに魅かれ合うらしくカップルも多い。…SはBの先天的な「自由さ」に魅かれ、BはSの「自立性」に魅かれるのである。Bは容易に人に共感し、まきこまれて自己を失ってしまうので、「自立」や「自我の確率」や「主体性」という観念に憧れている。ところがSにとっては、「自立」とか「自我」とか「主体性」とかははじめから強すぎてあきあきしていて、Bのように自由に自在に世界にまきこまれ、自分を失ってしまう能力に魅かれてしまう。

見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店

 

見田宗介は、SとBという身体の二類型において、「自立」と「自由」ということを見ながら、自立と自由の対位を述べたあとに、次のように書いている。

 

 自由のないところに自立はないし自立のないところに自由などない。こういう命題は正しいのだが、このように抽象的に正しい結論を手に入れるみちで、最初の問題の身体的な現実性が、手放されている。漂白されている。観念の操作の罠だ。結論は到達点でなく、結論は出発点だ(結論からあとがたいへんなのだ)。…
 自由を求める身体と自立を求める身体は異質のものだ。自由と自立が、抽象的な観念として同義語に帰結するかもしれないとしても、二つの概念は、いわばその身体価を異にしている。…<自由>の身体価は遠心的であり、<自立>の身体価は求心的である。…

見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店

 

ぼくは「身体性」ということをひとつの手がかりに生きてきたことを、ふりかえりながら、「思想の身体価」のことを考える。

時代の言葉だけにかぎらず、ぼくたちは、ぼくたち個人が魅きつけられてやまない「言葉や観念」をもっていたりする。

それぞれの個人がおかれている環境や状況の影響をうけていることもあるとは思うのだけれど、そのもっと手前のところで、ぼくたちの身体という現実性がある。

世界は「データ」の時代に突入している。

良い悪いという一面性の話ではないが、それは、ある意味において、身体性から離れた「記号」の世界だ。

ぼくたちはこれからの時代、身体的な現実性をいっそう手放していくのか、あるいは身体的な現実性にねざしていくのか、それとも別の次元につきぬけていくのか。

ぼくの身体は、(おそらく見田宗介の身体もそうであるように)<自由>ということにあこがれながら、「人間の解放」という生涯のテーマを追い求めつづけている。
 

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<ことば>とは、<言葉の力>とは。- 「近代的自我」からはなれてみて。

「近代的な自我」というもの(あるいは現象)について、今でこそデフォルトであるけれど、「絶対のもの」ではないことを、考える。...Read On.


「近代的な自我」というもの(あるいは現象)について、今でこそデフォルトであるけれど、「絶対のもの」ではないことを、考える。

「精神」こそが<私>というものであって、「身体」はその<私>の所有物であるというような「近代的な自我」の図式は、今でこそ多くの人たちに信じられているけれど、その歴史はここ数百年ほどのものである。

筑波大学助教でメディアアーティストでもある落合陽一が、以前、テレビ番組(スマホで朝生)における「AI時代の生き方」に関する激論の中で、「近代的自我」の浅い歴史について簡単にふれ、それも将来には変わってゆく可能性を淡々と語っていた姿が印象に残っている。

落合陽一の、そこまで徹底した客観的な認識の土台が、「近代的自我」を(無意識に)絶対視するような人たちと交わされる議論の「すれ違い」のひとつの原因である。

人間は、将来、今とはまったく異なる「自我の認識と感覚」をもちながら生きてゆくのかもしれない。

 

「言葉」(あるいは「言葉の力」)ということも、「自我の認識と感覚」の立ち位置によって、異なる様相をぼくたちに開示する。

「自我の比較社会学」をきりひらいてきた社会学者の見田宗介は、次のような話を紹介する。

出産直前になっても頭を下にしない胎児(逆子)を直したといわれる、整体の創始者である故野口晴哉の話だ。

その評判を聞いたイスラエルの母親が、野口晴哉のところにやってくる。

ヘブライ語ができない野口は、仕方がないから日本語で、「オイ逆さまだぞ、頭は下が当たり前なんだぞ」と言ったら、翌日には正常に生まれたという。

このエピソードにたいして、見田宗介は次のように書いている。

 

 胎児は、日本語の単語を知っていていうことをきくわけではない。言葉を発するときにこめられた<気>に感応しているのだと、わたしは思う。
 「神秘的」なはなしではない。「硬い身体」にとじこめられて他者から孤立した「内面の精神」だけが<私>だという、近代的な身体感・自我感から解放されれば、ごくあたりまえのことである。
 わたしたちが言葉を交わしているときに、ほんとうはたがいの身体の全体が感応し合っているのだ。ことばとは、このような間身体の呼応のことのは、事の一端をなすにすぎない。言葉は気の波がしらである。
 ただ人間の指先や耳たぶなどに鋭敏な気が集中してゆくように、この波頭には、気が凝縮してこめられている。非近代社会の人びとが呪術のうちに感受していた「言葉の力」とは、このような現象の核に、様々な意匠の神話を分厚くまとったものではなかったか。

見田宗介「近代を馳けぬける身体」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

齋藤孝がどこかで、コミュニケーションとは「意味」と「感情」の二つを伝えるものだ、というような趣旨のことを書いているのを読んだ記憶があるが、「間身体の呼応」はいわば「感情の交流」である。

近代的自我に「憑かれている」ぼくたちは、どうしても「意味」に集中しがちであるけれど、「言葉の力」は意味だけに限定されるものではない。

 

海外にいると、日本から旅行などできている、外国語を話さない「おばちゃんたち」の力に圧倒されることがある。

買い物にしろ、普通の会話にしろ、現地の人たちに、容赦ない普通の日本語で話しかけている。

驚かされるのは、そのコミュニケーションで、なんとかなってしまうことである。

もちろん「状況・情況」によって、想定はできるのだろうけれど、それを補うような仕方で、「言葉の気の波頭」が伝わってゆくようだ。

だから外国語を学ぶ必要がないということではないけれど、「意味の病」から逃れること、つまりその根底にある「近代的な身体感・自我感」からいったんはなれてみることで、ぼくたちの世界を見る眼は変わったりもする。

歴史家ユバル・ハラリが言うような人間の未来、「Homo Deus」は、「近代的な身体感・自我感」からはなれてゆく人間たちが、(同時に)これまでとはことなる方向に人間をつくってゆく姿を描いている。

「わたくしといふ現象」(©️宮沢賢治)は、未来において、どのようにたちあらわれ、「自我の認識と感覚」を変えてゆくのだろうか。
 

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<言説の鮮度>(見田宗介)ということ。- 「足が早い」言葉たちを生きる。

ここのところ「言葉というもの」を見てきているけれど、<言説/言葉の鮮度>ということにもふれておきたい。...Read On.


ここのところ「言葉というもの」を見てきているけれど、<言説/言葉の鮮度>ということにもふれておきたい。

2000年前後に、ぼくが「言葉というもの」を取り戻そうともがいていたときに、見田宗介(社会学者)の書く言葉たちと向き合いながら、ぼくが学んだことのひとつである。

 

見田宗介は、1986年の論壇時評で、「教育のことばの困難」に向き合いながら、「言説の鮮度について」という、ぼくたちの目を見開かせるような文章を書いている。

雑誌に掲載されている「教育」に関する記事や特集における、教育の記録や報告にふれながら、見田宗介は次のように、言葉や関係性の本質にきりこんでゆく。

 

「子どもってほんとにすばらしい」「先生ありがとう!」といった、ことばだけをとりだしてみると「気恥ずかしくなる」ようなことばも、このような記録の中では生きている。これらのことばは、それが思わず生みおとされるその固有の場所の中では、それぞれに一回かぎりの、真実のことばなのである(そうでないことももちろんあるが、そうであることも一生に一度はあるのだ)。同時にこのような鮮度の高いことばは、言葉がその中で生きている<関係の海>の中から言葉として釣り上げられるとき、たとえば「子どもはすばらしいのです」という観念の一般性として抽出され、流通するとき、それは「教育くさい」言説として、あのわたしたちをへきえきさせる特有のにおいを発散しはじめる。魚が魚でなくなる時に「魚くさく」なることとおなじに。

見田宗介「言説の鮮度について」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

副題を「教育のことばの困難」とし、見田宗介自身が語るように、教育では子どもたちのためによかれと思って、「命」とか「輝く」とか「信じる」という言葉を説教としてならべながら、しかし逆に「シラケルことしかできない世代」をふやしてきたように、当時、ぼくは感じたのである。

 

 教育にかぎったことではないが、教育の現場でことばが輝いたり踊ったりするというとき、その輝きや躍動は、その時その場に立ち会った子どもたち、大人たちの中でだけ新鮮に生きつづけられる。それが他人に伝えられ、後世に残されようとするとき、苛酷な変質を開始するのだ。大事なことばだからしまっておいた方がいいのだよ、とでもいうように。
 子どもをめぐることばは愛のことばとおなじに、とりわけ足が早いのだ。

見田宗介「言説の鮮度について」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

ぼくは、見田宗介のこの言葉たちに出会ってから、<言葉の鮮度>というものへの視点を獲得し、それから<関係の海>そのものへの関心をふかめていった。

言葉が生きてこないのは、<関係の海>そのものが「死海」となってしまっていることもあるからだ。

関係の実質がない<海>からは生きる言葉は生みおとされないし、また<関係の海>が豊饒であればあるほどに、言葉さえも超えてしまうような「more than words」の世界が現出することもある。

 

「生きる」という言葉は、西アフリカのシエラレオネや東ティモールにおける<関係の海>の中では、ほんとうに切実な言葉として立ち上がってくるような言葉であった。

紛争を生きぬいてきた人たち、紛争をのがれてきた人たち、身近な人たちをうしなってきた人たち、日々を精いっぱいに今も生きる人たち、きびしいなかでも笑顔でいる人たち。

そのような<関係の海>の中で、思わずにはいられなかった。

「生きる」ことだけでも奇跡であること、を。

でも、それだけではなくて、「生ききる」ということの重力に引かれながら、ぼくは一歩でも前に足をすすめる。
 

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<彩色の言葉>で彩る個人の生と世界の物語。- 「彩色の精神」(真木悠介)に触発されてきて。

言葉には、よく言われるように、「ポジティブ/ネガティブ」な言葉がある。「ポジティブな言葉を使っていこう」というのはひとまずその通りなのだけれど、ついついネガティブな言葉も出てしまったりする。...Read On.


言葉には、よく言われるように、「ポジティブ/ネガティブ」な言葉がある。

「ポジティブな言葉を使っていこう」というのはひとまずその通りなのだけれど、ついついネガティブな言葉も出てしまったりする。

ネガティブな言葉を発することは、それが人のことであれ、世界のことであれ、「自分と人/世界との関係」をネガティブに規定し、そのような物語としてつくりだしてしまう。

それはただの言葉だけにとどまらず、自分の描く対象の人や世界との「現実の関係性」において、言葉で描いたような物語として現実につくりだしていってしまう。

だから、ポジティブな言葉を使っていこう、ということはひとまずその通りではある。

 

その通りではあるのだけれども、他方で、ぼくは「物語の全体性」への視点を大切にしたい。

それは、人の「生きる物語」の基底をなすような、態度・姿勢であり、大きな物語である。

その基底となるようなものとして、ぼくは、<彩色の言葉>ということを考えている。

このコンセプトは、社会学者の真木悠介が言うところの<彩色の精神>から、「言葉」の視点で切り取ったものだ。

 

…フロイトは夢を、この変哲もない現実の日常性の延長として分析し、解明してみせる。ところが『更級日記』では逆に、この日常の現実が夢の延長として語られる。フロイトは現実によって夢を解釈し、『更級日記』は夢によって現実を解釈する。
 この二つの対照的な精神態度を、ここではかりに、<彩色の精神>と<脱色の精神>というふうに名づけたい。

真木悠介「彩色の精神と脱色の精神ー近代合理主義の逆説」『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫

 

『更級日記』から真木悠介がとりあげているのは、作者と姉が迷いこんできた猫を大切に飼っていたところ、姉の夢まくらにその猫がでてきて、自分が侍従の大納言どのの皇女であり、因縁があってしばらくここにいることを告げる、という話だ。

姉妹はいっそう猫を大切にあつかい、猫にむかって「大納言どのの姫君なので」などと話しかけると、心が通じているように思われる。

真木悠介は、夢により現実を解釈するという精神態度を、「彩色の精神」と呼んだ。

 

 われわれのまわりには、こういうタイプの人間がいる。世の中にたいていのことはクラダライ、ツマラナイ、オレハチットモ面白クナイ、という顔をしていて、いつも冷静で、理性的で、たえず分析し、還元し、君たちは面白がっているけれどこんなものショセンXX二スギナイノダといった調子で、世界を脱色してしまう。そのような人たちにとって、世界と人生はつまるところは退屈で無意味な灰色の荒野にすぎない。
 また反対に、こういうタイプの人間もいる。なんにでも旺盛な興味を示し、すぐに面白がり、人間や思想や事物に惚れっぽく、まわりの人がなんでもないと思っている物事の一つ一つに独創的な意味を見出し、どんなつまらぬ材料からでも豊饒な夢をくりひろげていく。そのような人たちにとって、世界と人生は目もあやな彩りにみちた幻想のうずまく饗宴である。

真木悠介「彩色の精神と脱色の精神ー近代合理主義の逆説」『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫

 

<脱色の精神>は、真木悠介がこの文章につづけて書いているとおり、近代の科学と産業を生みだし、人びとの心をとらえて、生きる世界を脱色していったのである。

しかし、「科学」そのものが<脱色の精神>ということでは必ずしもない。

伝記作家Water Isaacsonが追いもとめてきた人物たちーレオナルド・ダ・ヴィンチ、ベンジャミン・フランクリン、アインシュタイン、スティーブ・ジョブズーは、「科学 science」と「人間性 humanity」をつなげてきた人たちである。

かれらにとっては、世界は「目もあやな彩りにみちた幻想のうずまく饗宴」であったはずである。

かれらにとっては脱色の精神でさえも、<彩色の精神>に彩られてゆくような精神の磁場がつくられていたように、ぼくは思う。

 

このような<彩色の精神>を基礎に、<彩色の言葉>ということが、ぼくが考えていることである。

そこでは、脱色の言葉でさえ、(彩色の精神による)<彩色の言葉>で、彩り鮮やかな物語を語ってしまうような言葉たちである。

<彩色の言葉>は、世界や人生を「目もあやな彩りにみちた幻想のうずまく饗宴」の物語として語る言葉たちだ。

歴史家のYuval Harariが焦点をあてるように、人間(サピエンス)のユニークな強さを与えるものは「フィクションとしての物語」である。

<彩色の言葉>は、個人の生だけでなく、それは人間たちが共有する「フィクションとしての物語」をも彩色してゆく。

脱色の精神と脱色の言葉により「何もないところ」まで来てしまったぼくたちが、個人の生と世界の物語を彩色してゆくこと。

そのような祝福された言葉として、<彩色の言葉>はある。

 

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人は「(世界どこでも)みんな同じ」か「文化によって違う」か、という、問いと思考。- 普遍性と異文化について。

人は「みんな同じ」か「文化によって違う」か、という、問いを、ぼくたちはじぶんに投げかけたり、あるいは友人や同僚などとの会話の中でたずねたりする。...Read On.


人は「(世界どこでも)みんな同じ」か「文化によって違う」か、という、問いを、ぼくたちはじぶんに投げかけたり、あるいは友人や同僚などとの会話の中でたずねたりする。

「人はどこでも、やっぱり人だよ」という意見もあれば、「◯◯人は…だよ」というように文化による違いを強調するような意見もある。

言葉を変えれば、普遍性なのか、異文化的なのか。

さて、どうだろうか。

このような意見が交錯する会話を聞いていたもう一人は、もしかしたら、次のように言うことで、この問いを「解決」しようとするかかもしれない。

「人は、だれもがひとりひとり異なると思う」

人は誰もが同じという普遍性でもなく、文化によって異なるというカテゴリーをあてはめるのでもなく、「個人」に焦点をあてて「みんなが違う」という方向性に解決の方向性を見つけてゆく。

この意見を聞いて考え直して、さて、どうだろうか。

 

上記のような問いはいろいろな文脈において、ぼくたちがそれら問いを発したり、議論したり、意見したりしている。

日々のちょっとした会話から、仕事から、学術的なところに至るまで、いろいろにである。

それら問いにたいして、大抵は「漠然とした考え・思考」をもっていたりするのだけれど、それはあくまでも「漠然としたもの」である。

問いを発したり、あるいは答えたりする人それぞれの信念や論理、またそれぞれの経験にもとづき、問いや回答はいろいろである。

 

ぼくからは「視点」だけにしぼって、そのいくつかを提示しておきたい。

 

(1)「平面」だけで考えないこと

ぼくたちの思考は、平面的にまた往々にして二分法的(…か…か)に考えてしまうようなところがある。

世界の人たちはみんなやっぱり人として同じなのか、文化ごとに違うのか、というように。

でも、この二つは、平面的に考えるものではなくて、「重層的」なものである。

どちらも、人それぞれに、重層的に存在しているものである。

 

「現代の人間」ということを見ていくときに、社会学者の見田宗介は、「現代人間の5層構造」ということを書いている(参照:見田宗介『社会学入門』岩波新書)。

【現代人間の5層構造】

④ 現代性
③ 近代性
② 文明性
① 人間性
⓪ 生命性

これら「5層構造」にふれて、見田宗介は読者に次のように語りかけてくる。

 

…人間をその切り離された先端部分のみにおいて見ることをやめること、現代の人間の中にこの五つの層が、さまざまに異なる比重や、顕勢/潜勢の組み合わせをもって、<共時的>に生きつづけているということを把握しておくことが、具体的な現代人間のさまざまな事実を分析し、理解するということの上でも、また、望ましい未来の方向を構想するということの上でも、決定的である。

見田宗介『社会学入門』岩波新書

 

この理解が次の点につながってくる。

 

(2)「みんなが違う」という見方

「現代人間の5層構造」だけを見ても、見田宗介が教えてくれるように、これら五つの層が「さまざまに異なる比重や、顕勢/潜勢の組み合わせをもって、<共時的>に生きつづけている」ことからくる、無限の発現のされ方がありうる。

比重や組み合わせは無限的であるからだ。

ちなみに、「みんなが違う」という見方と「みんなが同じ」という見方は、「平等」ということを考えるときの二つの考え方である。

「平等」をおいもとめてゆくときに、わかりやすいところでは「みんなが同じ」という仕方でおいもとめてゆくことができる。

それは、ある意味とある文脈において、日本的な仕方であった。

しかし、魅力的なのは、「みんなが違う」という方向につきぬけてゆく仕方である。

最近使われる言葉で言えば、「多様性 diversity」の方向につきぬけてゆく仕方である。

ただし、今現在の「多様性 diversity」は、「カテゴリー」を増やしていくところにとどまっているのだけれど。

 

(3)異文化を視る視点

「みんなが違う」という見方をしながらも、「異文化」が人それぞれに顕勢/潜勢する<層>はある。

社会や法やモラルや宗教などの文化の構造とコードが、そこにいる人たちをある「型」へと導いてゆくようなところがある。

それらの比重や、顕勢/潜勢の組み合わせは、人さまざまだけれど、やはり文化的な現れは、場面場面でおきてくるのだ。

さらには、時代や時代の価値観などの異なる「層」も組み合わさるため、より複雑にみえたり、実際に複雑だったりする。

海外に長くいながら、やはり「日本的な文化の層」がぼくにはあることを感じてきた。

でも、それは、あくまでもひとつの層である。

 

いくつかの視点を提示したけれど、まずは、普遍か文化かというように「平面的に見ること」から、<重層的に見ること>へ移行すること。

現在は、Virtual RealityやAugumented Realityなどの技術と視界がひらけてきている一方で、<重層的に見ること>は、世界が<ほんとうのグローバル社会>になっていく上で、ぼくたちが<Reality>を見るために身につけておく大切な<視力>であるように、ぼくは思う。
 

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「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima

「若い人に贈る一冊」を選ぶとしたら。- 真木悠介『気流の鳴る音ー交響するコミューン』。

10代から20代にかけての「若い人に贈る一冊」を選ぶとしたら。「若い人に贈る一冊」(日本語)を、ぼくが選ぶとしたら、ぼくは迷わず、真木悠介の名著『気流の鳴る音』を手にとる。...Read On.

🤳 by Jun Nakajima


10代から20代にかけての「若い人に贈る一冊」を選ぶとしたら。

「若い人に贈る一冊」(日本語)を、ぼくが選ぶとしたら、ぼくは迷わず、真木悠介の名著『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫、あるいは、岩波書店『真木悠介著作集 I』)を手にとる。

ぼくの生きる空間にはいつも手に届くところに、真木悠介の名著『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)がある。

20年以上前に、東京の大学に通っていたときに、ぼくはこの本に出会った。

「世界の見え方」が、言葉通り、まさに入れ替わってゆくような感覚を覚えたことを、ぼくは今でも覚えている。

ぼくは新宿駅の埼京線乗り場へと続く階段を昇りながら、目の前の見晴らしがまったく変わっていくような感覚を得たのだ。

もともとの本は、今から40年も前の1977年に出版されたものだ。

その思想は40年を経た今でもまったく古くならず、むしろ、今だからこそ活きてくるような本質に溢れている。

 

ぼくはいつものように『気流の鳴る音』を手に取る。

東京にいたときはもちろんのこと、西アフリカのシエラレオネにいたときも、東ティモールにいたときも、それからここ香港でも、いつもそうしてきたように、ぼくは『気流の鳴る音』を手に取る。

そうして、普段とは違う頁をひらき、気に導かれるように、今回は第一章の最初の導入部を読む。

真木悠介が、序章でふれたカルロス・カスタネダの一連の著作を読み取る作業を開始していく導入部である。

 

 序章でふれたカルロス・カスタネダの四部作は、ドン・ファンとドン・ヘナロという二人のメキシコ・インディオをとおして、おどろくべき明晰さと目もくらむような美しさの世界にわれわれをみちびいてゆく。つぎにこのシリーズをよもう。しかし目的はあくまでも、これらのフィールド・ノートから文化人類学上の知識をえたりすることではなく、われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁として、これらインディオの世界と出会うことにある。

真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫

 

この導入につづく主題の説明は、はじめて読んだときには、まったくわからなかったところだ。

 

…くりかえしいっそうの高みにおいておなじ主題にたちもどってくる本書の文体は、翼をひろげて悠然と天空を旋回する印象を私に与える。その旋回する主題の空間の子午線と卯酉線(ぼうゆうせん)とは、私のイメージの中でつぎの二つの軸から成っている。一つはいわば、「世界」からの超越と内在、あるいは彼岸化と此岸化の軸。一つはいわば<世界>からの超越と内在、あるいは主体化と融即化の軸。…
 「世界」と<世界>のちがいについては、それ自体本文の全体を前提するので、あらかじめ正確に記述することはできない。とりあえずこうのべておこう。われわれは「世界」の中に生きている。けれども「世界」は一つではなく、無数の「世界」が存在している。「世界」はいわば、<世界>そのものの中にうかぶ島のようなものだ。けれどもこの島の中には、<世界>の中のあらゆる項目をとりこむことができる。夜露が満天の星を宿すように、「世界」は<世界>のすべてを映す。球面のどこまでいっても涯がなく、しかもとじられているように、「世界」も涯がない。それは「世界」が唯一の<世界>だからではなく、「世界」が日常生活の中で、自己完結しているからである。

真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫

 

真木悠介は、「くりかえしいっそうの高みにおいておなじ主題にたちもどってくる」と書いている。

ここではそれは、カルロス・カスタネダの文体のことなのだけれど、それはまた「生きるという旅路」において、いくどもたちもどってくるような主題である。

ぼくは、「翼をひろげて悠然と天空を旋回」しながら、いくどもいくども、この主題にたちもどっては『気流の鳴る音』の本をひらく。

あるいは、『気流の鳴る音』をひらいて、読んでいる内に、この主題にたちもどっていることに気づくという具合だ。

 

この「いくどもいくどもたちもどる」思想ということは、真木悠介が本書で目指していることそのものであることを、ぼくたちは「あとがき」で知ることになる。

 

 ここで追求しようとしたことは、思想のひとつのスタイルを確立することだった。生活のうちに内化し、しかしけっして溶解してしまうのではなく、生き方にたえずあらたな霊感を与えつづけるような具体的な生成力をもった骨髄としての思想、生きられたイメージをとおして論理を展開する思想。それは解放のためのたたかいは必ずそれ自体として解放でなければならない、という、以前の仕事の結論と呼応するものだ。…

真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫

 

ぼくが言えることは、『気流の鳴る音』に出会ってから20年以上が経過してゆく中で、それは確かに、ぼくの「生活のうちに内化」し、また「生き方にたえずあらたな霊感を与えつづけ」てきたこと。

まさに「具体的な生成力をもった骨髄の思想」である。

思想とは、生き方のことだ。

 

『気流の鳴る音』を手に取り、ぼくは第一章の導入を読み始める。

「くりかえしいっそうの高みにおいておなじ主題にたちもどってくる…」という文章の流れに心身をかさねながら、ぼくはいつになく、納得してしまう。

ぼくはまたおなじ主題にもどってきている。

でもまったくおなじ戻り方ではなく、きっと、いっそうの高みにおいて。

ぼくの生き方の中で、なにかが生成しながら。

 

そのことを考えていたときに、ぼくは思ったのだ。

「若い人に贈る一冊」として選ぶのなら、ぼくはやはり真木悠介の名著『気流の鳴る音』を選ぶ、と。

『気流の鳴る音』は、決して、若い人たちに「有効な方法」を伝えるのでもないし、生き方の「回答」を与えるものでもない。

それは、世界の感性たちの中で生成してゆく力の源泉となる<種子としての言葉たち>だ。

だから今も決して古びることのない、この本が、ぼくが選ぶ一冊である。

 

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短編動画『Why 'Happiness' is a useless word - and an alternative』(The School of Life)。- 幸福論の「二つの系譜」。

「Eudaimonia」。古代ギリシアの言葉で、「Happiness」に代わるものとして、「The School of Life」の短編の動画作品『Why 'Happiness' is a useless word - and an alternative』で提示されている言葉だ。...Read On.

「Eudaimonia」

これは古代ギリシアの言葉であり、いわゆる「Happiness」に代わるものとして、「The School of Life」の短編(3分28秒)の動画作品『Why 'Happiness' is a useless word - and an alternative』で提示されている言葉だ。

この言葉は古代ギリシアにおいて、特にプラトンとアリストテレスが語っていたものとされる。

一般的に使われる人生の目的や様々な論の前提には「Happiness(幸福)」や「幸福の追求」があるのだけれど、その欠点を補うもの・代替されるものとして、「Eudaimonia」があるという。

この「翻訳語」としては、何があてられるか?

この言葉にはいろいろな「訳」があてられてきたけれど、The School of LifeのAlain de Bottonは、ベストな訳として「fulfilment」(充実)をあてている。

そして、HappinessとFulfilmentを区別するのは「痛み(pain)」だと語る。

前者がむずかしいのは、ぼくたちの生きることの日々は、ハッピーであったり、ハッピーでなかったりと上下がはげしいのだ。

ただし、後者の「Eudaimonia (fulfilment、充実)」は、そのような「上下」をひっくるめて語ることができる。

仕事でプロフェッショナルな才能を適切に模索してゆくこと、家事をこなしてゆくこと、人間関係を維持してゆくこと、新しいビジネスを起こすことなど、これらのどれも、日々においてぼくたちをいつも陽気にしてくれるようなものではないことを、Alain de Bottonは語る。

むしろ、それらはチャレンジであり、ぼくたちはときに疲労困憊し、ぼくたちをきずつけることだってある。

でも、それでも、終わりから振り返ってみれば、それらひとつひとつに価値があったことを思うのが、人というものである。

 

Eudaimoniaを心にしまうことで、痛みのない存在を目標にするということ、それから機嫌が悪いことにたいして私たち自身を不公平に非難するということを想像することを、私たちはやめることができるのです。

The School of Life『Why 'Happiness' is a useless word - and an alternative』(YouTube)(※日本語訳はブログ著者)

 

社会学者の見田宗介は、初期の著作(修士論文)である『価値意識の理論』(弘文堂)において、「幸福論の二つの系譜」を記している。

幸福論の二つの系譜とは、次の二つである。

  1. 欲求の満足としての幸福
  2. 活動にともなう充実感としての幸福

The School of LifeのAlain de Bottonが語る用語にあわせていけば、次のように記しておくことができる。

  1. 欲求の満足としての幸福:Happiness
  2. 活動にともなう充実感としての幸福:Eudaimonia (fulfilment)

現在の社会科学の理論や評価や指標の多くは、いまだに前者の「欲求の満足」をその前提としている。

経済学の諸流派もそうであるのだけれど、しかし経済学者アマルティア・センの「潜在能力アプローチ」という評価指標(「生き方の幅」を評価)は、経済成長指標を捕捉・代替するものとして提示され、実際に国連開発計画(UNDP)で使用されてきたのである。

センの理論は、実は、前述のアリストテレスに源流をもっている。

アリストテレスは、『二コマコス倫理学』の中で、「幸福は活動である」と述べており、センはその思想をひきつぎながら「潜在能力アプローチ」という強力な理論をつくりだしたのだ。

見田宗介も、アリストテレスを筆頭に、思想家たちの言葉を引用している。

 

 アリストテレスは「幸福は活動である」といい、モンテーニュは「われわれが知っているすべての快楽はそれを追求すること自身が快楽である」とのべ、またパスカルは「なぜ人は、獲物よりも狩を好むか?」と問いかけている。スピノザもまた、「幸福は目標そのものなのでなく、能力の増大という経験に付随するもの」であるとしている。ラッセルやデューイをはじめ、幸福や人生の目的について考えた多くの哲学者や作家や詩人は、それが行為のかなたにではなく、行為の過程それじたいのうちに内在することを指摘している。

見田宗介『価値意識の理論』(弘文堂、1966年)

 

それでも、歴史は、人びとの多くが「欲求としての満足=Happiness」を目的としてきたことを語る。

それはなぜだろうかという問いが当然のことながらわきあがる。

説明や仮説や理由はいろいろに考えられるけれど、「欲求としての満足」の中毒性と共に、近代という時代の「合理化」という原理に接合しやすいものであったのだと、ぼくは思う。

その近代という時代が次の時代に向かう大きな転換点において、幸福の二つの系譜の内の「充実感としての幸福」に再び光があたりはじめている。

この「充実感としての幸福」の中に、ぼくの目指すところの、人びとの目の輝きに彩られる生が現出する。
 

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「退屈さ」というぼくたちの内面の最大の敵(のひとつ)に向かって。- 「人に伝わらない」という経験が退屈さに立ち向かう。

走りながら、ぼくは思考を紡いでゆく。ひとつに、ぼくたちが避けるべきは、あるいはいずれ(何らかの形で)避けることになるのは「退屈さ」ではないかと。...Read On.


走りながら、ぼくは思考を紡いでゆく。

ひとつに、ぼくたちが避けるべきは、あるいはいずれ(何らかの形で)避けることになるのは「退屈さ」ではないかと。

一人という生においても、組織というものであっても、社会というものであっても、人あるいはその集団は、意識していようがいまいが、「退屈さ」を嫌うのではないかと。

「退屈さ」をこわすためであれば、人や集団は、苦痛や不幸さえつくりだしていってしまうように、ぼくは思う。

「苦痛や不幸さえつくりだす」ということは、語弊があるかもしれないけれど、意識せずともあるいは意図せずとも、そのような状況に自分を追い込んでいってしまうということ。

生きていくということは、時間により「右肩上がりの直線」が引かれるのではない。

それは、Joseph Campbellが言うような「Hero’s Journey」のように、あるいはその原型を適用する映画のように、アップ&ダウンの連続なのだ。

直線的な退屈さをこわすために、人は「ダウン」さえ、生きる物語につくっていくということである。

 

逆に「面白さ」ということをかんがえるときには、面白さをつくりだす条件として「自由」ということがあると、ぼくは思う。

ここで言う「自由」は、日々の生活における自由ではなく、根源的な「自由」である。

例えば、コミュニケーションということにおいて、次のような図式でかんがえてみる。

 

「伝わらない」<ーーーーーーーーーー>「伝わる」

 

一方に「伝わらない」ということがあり、他方に「伝わる」ということがある。

人と人とのコミュニケーションにおいて、「いつも、完全に伝わる」(つまり線分の一番右)ということであったらどうだろうか、とかんがえる。

コミュニケーションがうまくいかないという、誰もが悩み苦痛とフラストレーションを感じる中に、ぼくたちは「いつも、完全に伝わったら…」という願望を抱く。

しかし、はたして、「いつも、完全に伝わったら」ぼくたちの世界はどうなるのか。

ぼくは思うのだけれど、そこには「退屈さ」の影が侵入してくるのではないだろうか、と。

伝わらないことと伝わることの「間」は、ぼくたちが自由であることの条件なのだと、ぼくはかんがえる。

自由は、コミュニケーションがよくできることも、あるいはできないことも、何も保証してはくれないけれど、ぼくたちが「アップ&ダウン」を楽しむことのできる可能性をつくってくれる。

ぼくたちが楽しむテレビドラマや映画、恋愛映画であったり家族の物語であったりは、この「伝わらないー伝わる」ということがつくりだす自由空間でくりひろげられるドラマである。

その意味において、自由は「面白さ」の可能性をつくりだしていく。

それは「退屈さ」という敵にくりだす武器なのだ。

 

見田宗介が語る「自由の前提」が、ぼくの頭から離れない。

 

…自由には二つの前提がある。第一に、「どこにでも行ける」ということ。第二に、どこかに行けば、幸福の可能性がある。「希望」があるということである。第一は自由の、抽象的、形式的な条件である。第二は自由の、現実的、実質的な条件である。…

見田宗介「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号

 

コミュニケーションにおいて、「伝わらないー伝わる」という可能空間で、ぼくたちは「どこにでも行ける」。

伝わらないことも伝わることも、あるいはその中間のどこかであることもできる。

そこには「どこにでも行ける」だけでなく、ぼくたちにはコミュニケーションの「希望」がある。

村上春樹が「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」(新潮文庫の同タイトルの著作より)と願うように、ほんとうに伝わるということが極めてむずかしいのがコミュニケーションである。

それでも「きっと伝わる/伝える」という「希望」が、ぼくたちをつきうごかしていく。

その「希望」につきうごかされながら、アップ&ダウンの「面白い」ドラマの中で、ぼくたちは日々を生きる。

「伝わらないー伝わる」という両極の事例に限らず、生きることのさまざまな同じ形式のことは、「自由」ということの条件である。

それは、ぼくたちの内面の最大の敵のひとつである「退屈さ」をこわしていく空間を、ぼくたちに与えてくれている。
 

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「私の体は私だけのものではない」(養老孟司)。- 共生系としての個体/身体。

ぼくたちは、普通、自分の身体は「自分の所有物」であることに疑いを持たない。英語では、自分の身体の全部あるいは一部を呼ぶ際には、やはり「my(私の)」をつける。...Read On.

ぼくたちは、普通、自分の身体は「自分の所有物」であることに疑いを持たない。

英語では、自分の身体の全部あるいは一部を呼ぶ際には、やはり「my(私の)」をつける。

ぼくもかつて明確にそのように思っていたわけではないけれど、やはり疑いをもたなかったと思う。

「疑いをもたない」ことに風穴を開けてくれたのは、真木悠介の名著『自我の起原』(岩波書店、1993年)であった。

 

真木悠介の著作の前に、養老孟司の語りをひろっておきたい。

著作『「自分」の壁』で、養老孟司は「私の体は私だけのものではない」ということを書いている。

養老孟司は、人間の身体の中にある「ミトコンドリア」について説明を加えている。

人体は約60兆の細胞から成っていて、その中にミトコンドリアがある。

ミトコンドリアは、酸素を吸い、糖を分解してエネルギーを生むという重要な仕事をしている。

 

 ミトコンドリアを調べると、細胞本体とは別に、自前の遺伝子を持っている、ということがわかってきました。…
 ミトコンドリアに限らず、細胞の繊毛や鞭毛のもとになる中心体も自前の遺伝子を持っています。… 
 遺伝子は生物の設計図だといいます。しかし、体内にいる細胞が別の設計図を持っている。これをどう考えればいいのか。

養老孟司『「自分」の壁』新潮新書

 

養老孟司は、1970年代に提出された、リン・マーグリスという生物学者による仮説を紹介している。

それによると、「自前の遺伝子を持つものは、全部、外部から生物の体内に住みついた生物である」というものだ。

かつては否定されつづけたと言われるマーグリスのこの仮説は今ではある程度受け入れられるようになったという。

 

このマーグリスによる主著『細胞の共生進化』を丁寧に読み解きながら、真木悠介は『自我の起原』の「共生系としての個体」という章で議論を展開している。

真木悠介は、生成子(遺伝子)から人間のような多細胞「個体」が生成される過程を問題とするときの問題設定として、二つの階層の創発があることを最初に指摘している。

  1. 原核細胞(単純な細胞形態)からの真核細胞システムの創発
  2. 多細胞「個体」システムの創発

個体中心的な「日常の思考」はこの内の2番目を重大視するけれど、専門家たちの主流的な認識はこの1番目における創発が「決定的」であったということであるという。

この1番目の理論展開において、前出のマーグリスが登場する。

マーグリスの理論展開を概観した後に、真木悠介は次のように書いている。

 

 今日われわれを形成している真核細胞は、それ以前に繁栄の極に達した生命の形態による地球環境「汚染」の危機をのりこえるための、全く異質の生命たちの共生のエコ・システムである。…
 われわれ自身がそれである多細胞「個体」の形成の決定的な一歩は、みずから招いた地球環境の危機に対処する原始の微生物たちの共生連合であり、つまりまったく異質の原核生物たちの相乗態としての<真核細胞>の形成である。この<真核細胞>が、相互の2次的な共生態としての多細胞生物「個体」の、複雑化してゆく組織や器官の進化を可能とする遺伝子情報の集合体となる。個体という共生系の形成ののちも、その進化的時間の中で、それは数知れぬ漂泊民や異個体からの移住民たちを包容しつつ変形し、多様化し豊饒化しつづけてきた。「私」という現象は、これら一切の不可視の生成子たちの相乗しまた相剋する力の複合体である。

真木悠介『自我の起原』岩波書店

 

ぼくたちの身体は生命の<共生のシステム>である。

「私の体は私だけのものではない」と養老孟司が言うとき、そこにはこの<共生のシステム>という事実と畏れのようなものがある。

真木悠介(見田宗介)は、別の著作で、この事実に触れて、尽きない好奇心を文章に載せている。

 

…この「身体」自体が、多くの生命の共生のシステムなのです。これはほんとうに驚くべき、目を開かせるような事実なのですが、長くなるから省きます…。われわれの身体がそれ自体多くの生命の共生のシステムであるという事実が、「意識」や「精神」といわれるものの究極の方向性とか、われわれが何にほんとうに歓びを感じるかということにも、じつに豊饒な可能性を開いているのです。

見田宗介『社会学入門』岩波新書

 

ほんとうに驚くべき、目を開かせる事実であると、ぼくも思う。

じぶんの身体を、事実を知る前と同じようには見ることができなくなってしまうような事実である。

真木悠介は、「私」ということを「現象」であると述べているように、それは確実なものではなく、立ち現れるものである。

身体はその意味で「私」ではなく、また養老孟司の言うように私だけのものでもなく、それはひとつの<共生のシステム>だ。

このようにして、「健康」とはこの共生のシステムの「環境問題」であると、ぼくは考える。

そして、ぼくは、ぼくの身体に共生する多くの生命たちにたいして、感謝すると共に、畏れのようなものを感じてやまないのだ。

 

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<生き方の魅力性>によって変えてゆくこと。- 西野亮廣、「革命」、人びとを解き放つ方法。

西野亮廣著『革命のファンファーレ』(幻冬舎)を読みながら、<生き方としての芸人>を生きる西野の生き方と、そこに「可能性」を見る人たちについて考えている中で、次の言葉がぼくの中に湧き上がってきた。...Read On.


西野亮廣著『革命のファンファーレ』(幻冬舎)を読みながら、<生き方としての芸人>を生きる西野の生き方と、そこに「可能性」を見る人たちについて考えている中で、次の言葉がぼくの中に湧き上がってきた。

<生き方の魅力性>によって解き放つこと。

社会学者である真木悠介の言葉だ。

真木悠介は、演出家・竹内敏晴の著作『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)の「解説」として、「人間は変わることができるか」というこの本をつらぬく主題をとりだして、文章を書いている。

竹内敏晴の本書の初版は1975年で、文庫本の「解説」は1988年に掲載された。

人間は変わることができるか、人間はどこから変われるか。

1990年代から2000年代前半にかかる大学時代に、ぼくはこの主題にとりつかれるように、アジアを旅し、ニュージーランドに住み、徒歩で歩き、そして、真木悠介や竹内敏晴の本に向き合ってきた。

真木悠介が「解説」で述べているように、竹内のこの本は、変わることに向かう方法の「具体性」を提示している。

ぼくは当時、その「具体性」のある実質的な方法を、「旅」の中に見出そうとしていた。

そのような中で、真木悠介の言葉は、ぼくの中に「翼と根」として存在することになる。

真木悠介は、「人間は変わることができるか」という問いにたいして、1970年代に「つかんでいたこと」を次のように書いている。

 

…そのころまでに、わたしたちのつかんでいた方向は、こういうことだった。言葉ではない、暴力ではない、<生き方の魅力性>によって、人びとを解き放つこと、世界を解き放ってゆくのだということだった。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X』岩波書店

 

<生き方の魅力性>で、人びとや世界を解き放ってゆくこと。

概念(言葉)はいつだって行動に遅れると、見田宗介(=真木悠介)の生徒であった社会学者・大澤真幸は言う。

身体で感じていたものに言葉がすーっと重なってゆく体験だ。

それからというもの、<生き方の魅力性>という言葉が、ぼくの生の方向性を照らし出していくことになる。

 

「解き放つ」という言葉を、真木悠介=見田宗介は著作の中でよく使う。

見田宗介は、17歳の頃(1950年代半ば)に「解放論」をめざしたときのことを、それから60年ほど経過した後に、ある小論(「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号)の中で書いている。

だれでも17歳の頃に人生の目的や方向性について思い悩む時期に、見田も、仕事や勉強を「何のためにするのか」という究極の目的や方向性についてイメージを描いては消して、描いては消してを繰り返す中で、二つの「候補」が残ったという。

第1候補:「人類の幸福」
第2候補:「世界の革命」

ただし、これらは双方とも、候補から抜け落ちてしまう。

理由は次のことだったという。

第1候補「人類の幸福」:「幸福」という言葉の「ぬくぬく感」に違和感、パンチ力に欠けること
第2候補「世界の革命」:「やるぞ!」感はあるが、「革命」という言葉の政治的なニュアンスが好きでなかったこと

そして、二日目に、突如、言葉がまいおりる。

それは、「人間の解放」であったという。

見田宗介は、これから60年生きるとしても、ここに変わりはないと書いている。

その「人間の解放」という目的と方向性にたいして、1970年代、30代の見田宗介は、<生き方の魅力性>を方法の方向性として見定めるところに来ていた。

 

それから40年ほどがすぎ、「革命のファンファーレを鳴らそう」と、芸人であり作家の西野亮廣はよびかける。

「革命」という言葉は、20世紀までの歴史における革命や政治的な色彩は感じられず(芸人であり、絵本作家であり、「おとぎ町」主催の西野亮廣のイメージもある)、共同体が解体され、個人主義の貫徹してゆく社会の「個人の生き方」に向けられている。

そこでは、「革命」は、ゲーム的な世界における、楽しさの衣をまとったものとして現れている。

「よびかけ」は、クラウドファンディングであり、著作であり、ツイッターでありと、現代の「情報メディア」が駆使されている。

これらの仕組みや情報メディアは、個人たちがテクノロジーでつくりだす<共同体>だ。

活動や行動、それから未来へとひっぱる重力は、そのコアに<生き方の魅力性>を宿している。

西野亮廣が「芸人」という定義にもこだわることのひとつは、それは「職業」ではなく<生き方>であり、その<生き方の魅力性>に生がかけられているからだと、ぼくは思う。

見田宗介は、上述の小論で、「人間の幸福」や「世界の革命」などについて、「今時こんなことを考える人はいないと思うが…」、と綴っている。

そのようなことを直接的に、直球で考える人たちは昔に比べてすくないかもしれないけれど、人びとや世界を解き放つことにおいて、<生き方の魅力性>を方向性として定めて生を生ききる人たちがいる。
 

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「人間はひとつの無償の情熱である」(見田宗介)。- 走るメロスの無償の情熱に見るもの。

「走れメロスー思考の方法論について」と題される、社会学者の見田宗介の小論は、「小論」という言葉に似合わずに、「思考の深さ」へとどこまでも誘う言葉たちで紡がれている。...Read On.

「走れメロスー思考の方法論について」と題される、社会学者の見田宗介の小論は、「小論」という言葉に似合わずに、「思考の深さ」へとどこまでも誘う言葉たちで紡がれている。

この小論は、『現代思想』の「見田宗介=真木悠介特集」(2016年1月臨時増刊号)における論考のいくつかへの「応答」として書かれたものである。

応答は、思考の方法論を主軸として、三つのことがらに絞って展開されている。

一 南端までー往還について
二 不器用な磁石ー刃物について
三 ナワトルの歌ー無償化について

これらの内、「三 ナワトルの歌ー無償化について」は、何度読んでも、思考と心をゆさぶられる、美しい文章である。

その中に、人間の<自我>の基底となる「個体」に関する、明晰を極める文章がある。

 

 人間の<自我>の基底となる「個体」は、元々は生命世界のあらゆる「個体」と同様に、生成子(遺伝子)の再生産の方法とし、装置として形成されたものであったが、ひとり人間の個体のみが、大脳皮質の極度の発達という進化のランナウェイ(cf 孔雀の羽根!)をとおして自己=目的化し、生成子の鉄の目的合理性(効用性)から自立し、解放される。どんな目的にも仕えることのないものとして無償化し、それゆえにどんな目的をもつことのできるものとして主体化する。人間はひとつの無償の情熱 passion inutileである。無償とは禅の根本義<無功徳> inutile である。走るメロスの無償の情熱は、人間存在の凝縮である。…

見田宗介「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号

 

真木悠介(=見田宗介)の名著『自我の起原』をベースにした言葉たちである。

「進化のランナウェイ」とは、進化生物学の理論の一つで、文字通りで読めば、進化の「暴走」である。

進化生物学では、「孔雀の羽根」を題材に語られたりする。

人間の自我は、孔雀の羽根の進化プロセスのように、進化の「暴走」ではないかと、見田宗介は論理を展開している。

本来は、生命世界では種の「再生産」の中で生命はプログラムされているが、人間は「進化の暴走」によって再生産という目的とプログラムから、自立してしまう。

つまり「自由」となる。

この自由を得た者は、どんな目的にも仕えることのないものとなることができるし(=無償化)、どんな目的をももつことができる(=主体化)。

そのようにして、人間は、その起原において、(すでに)自由である。

人は、経済や社会や文化などのはるか手前のところ、その<自我>という存在の起原において、生命世界でただひとり自己=目的化し、生きてゆくことのできる自由を得ている。

見田宗介は、ここで、「人間はひとつの無償の情熱である」と語る。

生成子(遺伝子)の再生産から解き放たれた人間は、「無償の情熱」として、生きてゆく(ことのできる)存在である。

『走れメロス』の走るメロスは、「無償の情熱」としての友情に導かれて、生きる。

人間存在の凝縮された形が在る。

 

上記で述べられる「自由」は、一言で言えば「人間の自我の脱目的性」である。

「一度さまよい出た者はどこにもで行くことができる」という、自由であることの根拠である。

再生産のループから解放された人間は、どんな目的をもつこともできるし、もたないこともできる。

 

見田宗介は、この小論の最後で、この「自由」について、さらに明晰を極める論理を提示している。

現実的・実際的に自由であることには「二つの前提」があるということである。

第一に、「どこにでも行ける」ということ。

これは上述の通りであるが、現実的に自由であるためにはもうひとつの前提が必要である。

それが第二の前提として、どこかに行けば、幸福の可能性(=「希望」)があるということである。

この第二の「希望」の根拠のひとつが、例えば、無償の情熱として注がれる、走るメロスの「友情」である。

市民社会や生命世界などにおける相克性の世界の中で、派生的かつ部分的かもしれないけれども、走るメロスの無償の情熱は、確かな「希望」のひとつである。

 

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生き方の方向性や行動を選ぶ「基準」( 快楽、利得、正邪、善悪…)について。- <気流の鳴る音>が聞こえるか。

生き方の方向性や行動を選ぶ「基準」というものは、人それぞれが、それぞれの生の中で、意識的にあるいは無意識的にもっている。...Read On.


生き方の方向性や行動を選ぶ「基準」というものは、人それぞれが、それぞれの生の中で、意識的にあるいは無意識的にもっている。

ぼくが勝手に師とする社会学者の見田宗介は、著作集(『定本 見田宗介著作集X』)の中で、自身の「基準」に触れている。

社会学における社会理論や価値意識などの精緻な研究を続けてきた見田宗介は、「じぶんはどうか?」と問われたりする中で、しっくりとこない経験をする。

基準となりうるような、快楽、利害、善悪、正義/不正(正邪)等のどの基準も、自分に合わない。

そのうちに、現実を生きていく中で、ある時期から、非常に明確に感知できるようになる。

しかし、「簡潔な二字熟語」では表現できず、長くなってもよいからということで表現をしようとして、次のようなところに行き着く。

●<気が充ちる/気が涸れる>

●<気が澄む/気が濁る>

●<気が晴れる/気が曇る>

見田宗介は、次のように言葉を届けている。

 

…気が涸れること、気が濁ること、気が曇ることはやらない。「わがまま」と言われても拒否する。気が充ちわたるような方向、気が澄みわたるような方向、気が晴れわたるような方向を必ず選ぶ。「気」というものがどういうものか、現在の科学は正確に定義することができない。精神か身体かといえば、精神であり、身体である。利己か利他かといえば、利己であり、利他である。また、どちらでもないものでもある。けれども、<気が充ちる/気が涸れる>、<気が澄む/気が濁る>、<気が晴れる/気が曇る>という現象は明確に存在している。そして、気が充ちわたるような方向、気が澄みわたるような方向、気が晴れわたるような方向を選択すれば、大きい方向性としてまちがえることはないとわたしは考えている。…

見田宗介『定本 見田宗介著作集X 春風万里』岩波書店

 

この挿話を聞きながら、ぼくたちは、じぶん自身に問うことができる。

じぶんの「生き方の方向性や行動を選ぶ基準」は、どのようなものであるだろうか?

 

見田宗介の経験から、ぼくたちは、いくつかのヒントを拾い出しておくことができる。

第1に、人は、「基準」を最初からもっているわけでは必ずしもなく、生きていく過程で、感知し、言葉化していくことができる。

最初から明確に「基準」をもつような人もいるけれど、生きていく過程で、しぼりだされ、浮かび上がってくるようなものでもある。

第2に、しっくりくるまで「じぶんの言葉」で表現をこころみること。

言葉を、じぶんの精神と身体の「土壌」にひたしてみることである。

第3に、「基準」でじぶんをしばるわけではないが、方向性を確認するものであること。

基準がほんとうに「じぶんの言葉」であれば、それはきっと、大きな方向性へと導いてくれることである。

 

ぼく個人のことはというと、やはり関心を持ち続けてきて、生きてゆく過程のその時どきで、基準(=言葉)と行動を常に行き来しながら、「じぶんに合うか」を確かめてきた。

いっときには、例えば、「チャレンジングか/チャレンジングではないか」などを、ぼくは採用してきた。

しかし、基準と行動の行き来(=フィードバック)の中で、しっくりこないものを感じつつ、一生懸命に、精神と身体双方に合うような言葉をさがしてきた。

そのうち、ぼくは「長くなってしまう形」で、<個人ミッション>へと昇華させてきた。

<個人ミッション>
子供も大人も、どんな人たちも、
目を輝かせて、生をカラフルに、そして感動的に
生ききることのできる世界(関係性)を
クリエイティブにつくっていくこと。

<個人ミッション>に沿うかどうかを、ぼくは「生き方の方向性や行動の基準」としている。

 

そう考えた後で、しかし、より簡潔な言葉をさがしてみる。

ぼくはじぶんの記憶をさぐり、何を「基準」としてきたのかと、さらに思考を重ねる。

<個人ミッション>に通底するようなものとして、ぼくは、ひとつ思い当たる。

それは、<気流の鳴る音>だ。

見田宗介が真木悠介名で書いた著作のタイトルである。

20歳を超えたところで、ぼくはこの名著に出会い、ぼくの内側が開かれていくのを感じた。

生き方や行動を選ぶにおいて、「気流の鳴る音」が聞こえるかどうか。

「気流の鳴る音」は、<はじまりの音・気配>である。

「気流の鳴る音」は、<新しい風をかんじさせる音・気配>である。

「気流の鳴る音」は、<生きるリズムがきこえる音・気配>である。

ぼくは、耳をすます。

そこに、「気流の鳴る音」が聞こえるかどうか。

気流の音が聞こえるとき、そこに、はじまりがあり、新しい風がふきぬけ、生の躍動がこだまするのだ。
 

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「近代・現代の社会はどのような社会であったか/あるか」を説明せよとの設問が出されたら。- 見田宗介の文章に倣う。

「近代・現代の社会はどのような社会であったか」を300字程度で説明せよと、試験の設問に出されたら、どのように書くことができるだろうか。...Read On.


「近代・現代の社会はどのような社会であったか」を300字程度で説明せよと、試験の設問に出されたら、どのように書くことができるだろうか。

なお、設問は追記で、「合理性」および「自由と平等」というキーワードを必ず文章に入れること、とされているとしたら。

社会学者の見田宗介が書く文章の一部を見ていたら、この質問への徹底的に考えつくされた「魅力的な解答例」であるように思えて仕方なく、ぼくは、何度も何度もその箇所を読み返す。

それは、「世界の見方」を、ぼくたちに与えてくれる。

 

見田宗介は、この文章を、日本における「近代家父長制家族」の考察に続けて、次のように書いている。

 

 ウェーバーの見るように「近代」の原理は「合理性」であり、近代とはこの「合理性」が、社会のあらゆる領域に貫徹する社会であった。他方、近代の「理念」は自由と平等である。現実の近代社会をその基底において支えた「近代家父長制家族」とは、この近代の現実の原則であった生産主義的な生の手段化=「合理化」によって、近代の「理念」であった自由と平等を封印する形態であった…。
 「高度経済成長」の成就とこの生産主義的な「生の手段化」=「合理化」の圧力の解除とともにこの「封印」は解凍し、「平等」を求める女性たちの声、「自由」を求める青年たちの声の前に、<近代家父長制家族>とこれに連動するモラルとシステムの全体が音を立てての解体を開始している。

見田宗介「現代社会はどこに向かうか」『定本 見田宗介著作集 I』岩波書店

 

繰り返しになるが、ポイントを分けて再掲すると、次のようになる。

●「近代の原理」は、「合理性」であること

●「合理性」が、社会のすみずみまで浸透する社会が近代であること。それは「生きること」を生産のために手段化すること

●この「合理化」を支えたのが、実際には「近代家父長制家族」(父親が外で仕事をし、母親が家庭を守る「内外分担」の家族像)であったこと

●「近代の理念」は、「自由と平等」であること

●「自由と平等」は、実際には、社会の合理化優先の中で、「封印」されたこと(理念は一旦後回しにされたこと)

●合理化が社会に貫徹し、高度に経済成長した(日本)社会において、理念である「自由と平等」が(封印をとかれ)姿を現してきたこと

●「自由と平等」は、例えば、平等を求める女性であったり、自由を求める青年であったりすること

●「自由と平等」の理念のもとで、「近代家父長制度」とそれに連動し関連する道徳や制度などがくずれてきていること

ぼくは、見田宗介の文章を読みながら、頭の中で、上記のように、ひとつひとつに分解し、読み直し、ダイジェストしていく。

それぞれの文章に、深い考察が凝縮されている。

これらは「近代」という時代の全体像を簡潔にしかし深いところで理解させてくれるだけでなく、凝縮された文章の中に、現代の状況を語りあるいは分析するための思考のヒントがいくつも開示されている。

これらは、今現在、日々起きている事象、日本に限らず、世界で起きている事象を考えていく際に、その「骨格」を用意してくれる。

 

「合理化」=生産主義的な生の手段化、ということひとつをとってみても、それは、ぼくが小さい頃から感じてきた「生き難さ」の感覚の源泉のひとつである。

「将来役に立つから…」という社会の声の前で、現在の豊饒な生が脇に追いやられ、自分の生を生産主義的に手段化し成形していく。


また、「近代家父長制」に疑問をもちつつも、実は、現実にそれが合理化を支える制度であったことに、現実をつきつけられる。

「自由と平等」という理念の大切さにひかれながらも、現実の社会では、「合理化」と「自由と平等」の並行的な両立は容易ではないことを考えさせられる。

ぼくが携わってきた途上国などの状況と国際支援という文脈においてみると、考えさせられることばかりだ。

 

経済成長を果たし、つまり「合理化」を貫徹させてきたところで、「自由と平等」の「封印」が解かれる事象を、ぼくは現実にもメディアにもさまざまに見ることができる。

「人事」という領域ひとつとっても、話題に尽きない。

「働き方改革」は、誰もが知るところである。

日本における「近代家父長制度」の崩壊とともに、「自由と平等」の理念が開花し、例えば「多様性」が仕事・職場に一気に流入してゆく。

 

日々の事象やメディア情報に流されるのではなく、それらを大きな軸・骨格をもって見ること。

そのことの大切さと見方、思考の展開の仕方(生成力のある思考の方法)などを、ぼくは上記の文章を何度も読み直しながら学ぶ。

「大きな軸・骨格」をもったからといって、すぐに人生が好転するわけではないけれど、それは生きていく航路で、必ず、ぼくたちの生を支えてくれるのだと、ぼくは思っている。

 

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「生きるリアリティの崩壊と再生」(見田宗介)。- <生きるリアリティ>という、現代の若者たちが求める共通の<地層>から。

社会学者の見田宗介が、2010年8月に福岡のユネスコ協会で行った講演「現代社会はどこに向かうかー生きるリアリティの崩壊と再生ー」の最後を、次のように終えている。...Read On.


社会学者の見田宗介が、2010年8月に福岡のユネスコ協会で行った講演「現代社会はどこに向かうかー生きるリアリティの崩壊と再生ー」の最後を、次のように終えている。

 

…ボランティアに限らなくてもいいですけれども、実際に自分が役に立つようなことならばやりたいと思っている青年と、リストカットをする、あるいは無差別殺人をする青年というのは同じものを求めているわけです。つまり、それは生きることのリアリティを求めている。そこが大事だと思います。今の日本の若い人たちはいわば同じものを求めているわけですが、求め方が違っているのです。日本の若い人たちが自分の体を傷つける、あるいは人を傷つける、あるいは人を殺そうとする、そういうものとは違った仕方で、生きるリアリティを求める方法を見つけ出すことができれば、そこでもう一つ新しい時代が開けてくる可能性があるだろうと、そういうふうに思うわけです。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年

 

ここで並列されている若者たちは、例えば、次のような若者たちである。

● ボランティア的・支援的な活動を入れた海外ツアーに意欲的に参加する若者たち

● リストカット、つまり手首を切る自傷者(例えば、卒業するまで死なないとして自死した「南条あや」)

● 無差別殺人をする青年(例えば、秋葉原事件の加藤智大)

「冷静な頭脳と暖かい心」で、1960年から日本の若者たちをみてきた見田宗介は、一般的にまた表層的にはまったく「別」として語られる若者たちが求めていることの「深い地層」を、ぼくたちに示してくれている。

別の著作で、見田宗介は、「南条あや」と「加藤智大」について、より詳細に見ている。

南条あやのように、少女たちの孤独が「自分に向かって」内攻するときにリストカットといった「自傷者」になり、リストカットをする少女たちの孤独が「外に向かって」爆発するときに「無差別殺傷」にはしった青年がいる。

南条あやが書き残した文章からは「生きていることのリアリティの確認儀式」のような感覚が語られ、また加藤智大は自分が「誰からも必要とされない存在」の中で犯行にでる。

そのような「感覚」の<深い地層>は、ボランティアなどで海外ツアーに赴く若者たちと、<求めるもの>において通底している。

 

1990年代に、アジアへの旅行にいわば「リアリティ」を求めていたぼくも、この<深い地層>において、これらの若者たちと同じものを求めてきたのだと思う。

南条あやとぼくは、ほぼ同時代人である。

ぼくは、「違った仕方」で、生きることのリアリティを求める方法を見つけただけだ。

その「方法」の鮮烈さに惹かれ、ぼくは当時、「旅によって人は変われるか?」という問題意識を手にし、見田宗介の理論と言葉に助けられながら、生きてきた。

一歩の歩みを間違っていれば、リストカットや殺人あるいは他の形で「リアリティの不在」が爆発したかもしれないという想像力を起点にすることで、現代の若者や現代という時代を考えてゆくことができる。

他者の問題ではなく、ぼく(たち)の問題である。

 

質疑応答で、やはりこの「リアリティの崩壊」の問題に触れられる中で、「なぜ昔はリアリティを求めようとしなかったのか」という質問に、見田宗介は次のように応答している。

 

…周囲との関係がリアルであればそれでいいわけで、もともと人間というのは昔からずっとそういう存在なのですから。現代だけがちょっと変わった状況で、人との関係が非常に薄いというか、情報を媒介にした関係というのがでてきた。…ケータイなどでメル友が何百人もいるという形で、いま友達をつくることも簡単になっていますが、おそらくそこで出来た友達というのはやはりリアリティがないんですね。…ケータイだけでつきあった人というのはものすごく友達を欲しがりますよ。ちょうどお腹すいた人が、本当は胃袋にたんぱく質が入らないとお腹は満たされないのだけれども、清涼飲料水とかコーラとかを飲むと一時ちょっと気が休まる。でもやっぱり飲んでも飲んでも空腹は収まらないですね。そんな感じが今の若い人にある。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年

 

リアリティの「再生」の方法のひとつとして、見田宗介は「人から必要とされること」を、アメリカの心理学者であったエリクソンの言葉を引用しながら、提示している。

エリクソンの言葉に、「mature man need to be needed」という言葉がある。

「成熟した人間は必要とされることを必要とする」ということである。

そこに、周囲との関係のリアリティが再生されていく「解決の出口」を、見田宗介はみている。

 

冒頭の「ボランティア的・支援的な活動を入れた海外ツアーに意欲的に参加する若者たち」ではないけれど、ぼくは東ティモールにいるとき、日本の「悩める」若者たちには東ティモールに来ることで、何らかの「解決の糸口」が見つかるのではないかと、本気で思っていた。

そんな東ティモールと西アフリカのシエラレオネという「生きるリアリティ」を強烈に押し出してしまうような社会(しかし、生きるための「ニーズ」の問題などに悩まされる社会)、それから、東京や香港という最先端の「先進」社会を生きてきた、ぼくのこの15年。

「新しい時代が開ける」ために、ぼくにできることをしようと思う。

「生きることのリアリティ」に、本気で立ち向かってきた一人として。

 

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