「触ること・触覚」についてのメモ。<五感をとりもどす>こと。- 「KonMari Method」から、養老孟司、真木悠介まで。

片づけコンサルタントであるMarie Kondo(近藤麻理恵、こんまり)の「KonMari Method」という方法のひとつに、片づけで「残すモノを選ぶ基準」として、<触ったときに、ときめくか>という方法/基準がある。

片づけコンサルタントであるMarie Kondo(近藤麻理恵、こんまり)の「KonMari Method」という方法のひとつに、片づけで「残すモノを選ぶ基準」として、<触ったときに、ときめくか>という方法/基準がある。

そもそも、片づけでは「捨てる」ことにフォーカスしてしまいがちななか、本来、片づけでは「捨てるモノ」よりも「残すモノ」を選ぶことが大切であるという認識をベースに、その基準を、触ったときの「ときめき」におくこと。

モノを触ったときに、じぶんの身体にどのような反応があるか。心が「ときめく」か、どうか。「KonMari Method」の要の部分である。

この方法を知ったときには「なるほど、いい方法であり、いい基準だなぁ」と思った。今回観たNetflixのリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』のシリーズ(シーズン1)でも、アメリカの家庭の人たちがこの部分をどのように捉え、実践しているかは、ぼくが見るポイントのひとつであった。

ぼくの関心のおきどころは、人間のもつ<触覚>ということにある。

触覚はもちろんのこと、<五感をとりもどす>ということは、ぼくが「生きる」ということにおいての中心的な課題のひとつとしてありつづけてきたからである。


リアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』を観ていたころに、ちょうど読んでいた解剖学者の養老孟司と作曲家の久石譲の対談で、養老孟司はつぎのように語っている。


 現代人は全体的に感覚が鈍ってきていますが、五感の中で今一番軽視されているのは「触覚」ですね。都市というのは、触ることを拒絶している傾向があってね。コンクリートの壁、触る気になります?…
 生コンの剥き出しの壁なんて耐えられないでしょう。それから、屋外の手すりを金属製にするなんていうのも、とんでもない話。陽があたっている時に触ったら火傷しそうで、寒い時に触ったら手がくっついてしまう。手すりというのは人間が手で触るためのものなのに、安全性、耐久性だけでものをつくるとそういうことになる。… 
 触ることを拒否している構造物の中にいたら、ますますからだが置き去りにされる。現代文化はそうやってどんどん感覚から離れていく。…

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


養老孟司はこのように<触覚>をとりあげている(なお、触覚をとりもどすことの一環として「木の文化」の復権を、養老孟司は考えている)。

「KonMari Method」の<触ったときに、ときめくか>という方法(基準)は、この<触覚>という感覚にきりこみ、そこから<歓び(joy)>の感覚をとりもどすことを、その核心としている。


<五感をとりもどす>を、ぼく自身が「明確に」関心をもちはじめたのは、18歳のときからアジアを旅し、ニュージーランドに住み、そしてそれらの体験をことば化してゆく過程のなかで、真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年→ちくま学芸文庫、2003年)に出逢ったことがきっかけである。

『気流の鳴る音』のなかで、「われわれの文明はまずなによりも目の文明」であると真木悠介は述べながら、人間における<目の独裁>から感覚を解き放つことで、「世界」は違った仕方でぼくたちに現れることについて、書いている。


…<目の独裁>からすべての感覚を解き放つこと。世界をきく。世界をかぐ。世界を味わう。世界にふれる。これだけのことによっても、世界の奥行きはまるでかわってくるはずだ。
 人間における<目の独裁>の確立は根拠のないことではない。目は独得の卓越性をもった器官だ。

真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫


<目の独裁>の根拠にかかわることとして、真木悠介は「仏教における五根」の序列性を挙げている。仏教では五根を「眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)」というようにならべるが、この「配列」(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)が、とても自然であるように思われる。

そのことを指摘したうえで、五感を通じた「対象との距離」という視点で、上の配列(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)は、「対象を知覚するにあたって主体自身が変わることの最も少なくてよい順」だろうと、とても興味深いことを真木悠介は書いている。

「視覚」は、対象からもっとも距離をおくことができ、対象を認識するうえで主体が身を賭することを最小にすることができる。「触覚」は、主体が身を賭することなしに、対象を知ることができない。

屋外の金属製の手すりは、陽があたっているとき、視覚では「熱そう」であるのにたいし、触覚では「熱い」となる。「熱そう」と「熱い」のあいだには、主体が賭することの程度のひらきが横たわっている。

こうして主体が身を賭することを最小にしながら「危険」を回避しつづけ、いつしか、「目の独裁」が生活のすみずみまでいきわたることになる。「目の独裁」は、ぼくたちの「感覚(センス)」を鈍らせ、ぼくたちが感覚する「世界」を狭めてしまう。

養老孟司のことばを繰り返せば、「ますますからだが置き去りにされる」ことになる。


だから、<触ったときに、ときめくか>という、とてもシンプルな方法は、生きかたを変えてゆく起動装置を、その核心にそなえている。

でも、核心にそなえているだけであって、それを起動してゆくのは、それぞれの個人である。

「目の独裁」はとても強力なので、<触ったときに、ときめくか>という方法を採用して片づけをはじめても、気がつけば、目で判断しているなんてこともおきてくる。

そんな状況にも笑いながら、「世界にふれる」を、もっと日々のなかにとりこんでゆく。そしてまた、「世界をきく」「世界をかぐ」「世界を味わう」ことをひろげてゆくことで、「世界」の奥行きは変わってゆく。ぼくはそう思う。

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他者への「批判」のゆくえ(あるいは、減圧)。- <億の生きかた>に向かって。

メディアやSNSなどで、他者の言動にたいする「批判」がなされる。社会的/公共的な問題や課題においては建設的な批判とそれが展開される場が大切であるけれども、「批判」が個人的/プライベートの領域におよんでゆくことは別のことである。

メディアやSNSなどで、他者の言動にたいする「批判」がなされる。社会的/公共的な問題や課題においては建設的な批判とそれが展開される場が大切であるけれども、「批判」が個人的/プライベートの領域におよんでゆくことは別のことである。

「批判」の背後には、「正しい」と信じたり思ったりすることがあって、そこを本拠地として、批判の矢がはなたれる。しあわせや生きかたについても、このようである・あのようであるという「標準」が前提されていて、その標準からはずれてゆくものにたいして、批判の矢がはなたれるのである(批判の矢は身近な人たちにも向けてもはなたれる)。

このような<標準指向>が時代にあわなくなってきている一方で、根強く残っている。この二つの価値観(標準指向と非標準指向)がいろいろな場面で交錯し、コミュニケーションがかみあわないようにも見える。

個人的/プライベートの領域におよび「批判」(標準を基準にした批判)は、時代を経るごとに減ってゆくとぼくは思うけれど、依然として根強く残っている。


これからの「明るい世界」の公準のひとつとして、社会学者の見田宗介は「diverse(多様性)」を挙げているが、その言葉に、具体的なイメージをつぎのように与えている。


 宮沢賢治の詩稿の断片に、このような一説がある。
  ああたれか来てわたくしに言へ/「億の巨匠が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る」と
 われわれはここで巨匠の項のコンセプトに、幸福をおきかえてみることができる。
  億の幸福が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と
 明るい世界の核心は、億の幸福の相犯さない共存ということにある。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年


「億の幸福の相犯さない共存」ということが語られているが、今はまだ、「億の幸福」が他者を批判し、干渉し、自身の幸福のかたちの「優位」を声高に叫んだりしている。


「億の幸福の相犯さない共存」ということはただの空想的なイメージではなく、見田宗介は「交響圏とルール圏」という論稿(『社会学入門』所収)のなかで、そのようなイメージで語られる「自由な社会」の骨格構成を試みている。「億の幸福の相犯さない共存」この一言のなかには、この論稿(またこの論稿を構成している理論と論考)のぜんたいが、こめられている。

その論稿にここではふかくは入っていかないが、「億の幸福の相犯さない共存」にかんれんして、哲学者ニーチェの生涯を読み解くバタイユにふれながら、見田宗介が書いているところを引いておきたい。


 ニーチェの試みは、魂のことを手放すものと、魂のことを支配しようとするものという、二つの巨大な時代の崖面によって切り出された稜線を、踏み渡る歩行のようなものだった。<「魂の」自由>を擁護することと、<魂の「自由」>を擁護すること。魂ということばを消していうなら、われわれの生の内での<至高なもの>をとりもどすことと、他者に強いられる<至高なもの>の一切の形式を拒否すること。

見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年 ※一部表記方法を変更


ところで、「億の幸福が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る」のなかにおかれる「幸福」は、より広い意味のなかで捉えられるものであって、その広い意味のなかに包括される言葉(あるいはそれを包括する言葉)として、ぼくは「生きかた」におきかえておきたい。

 億の生きかたが並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と

「億の生きかたの相犯さない共存」の世界は、表面的な「明るさ」ではなく、生きるということの核心にこめられた<明るさ>によって照らされる。

このような世界はけっして夢物語などではなく、「人間と社会の未来」は、その<明るさ>の方向にながれこんでいっているのだと、ぼくは思う。

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<人生はみじかく、はかない>という命題。- この命題の「自明性」をほりおこし、くずしてゆく。

ビートルズに「We Can Work It Out」という曲がある。大学生の頃、その曲を聴きながら、いつも「ひっかかる」箇所があった。

ビートルズに「We Can Work It Out」という曲がある。大学生の頃、その曲を聴きながら、いつも「ひっかかる」箇所があった。

少しテンポと調子が変わって、ポール・マッカートニーとジョン・レノンの歌声がひびく、「Life is very short, and there’s no time for fussing and fighting, my friend…」と。「人生はとても短いんだ、くよくよ悩んだり、争っている時間はないんだよ」と、友人に語りかける。

「Life is very short, and there’s no time…」という、わかりやすく、聴き取りやすい英語だったからかもしれないけれど、「人生は短いんだ」というのが、どうも心にひっかかる。

「人生は短いんだ」ということばに、どのように自分の生きかたをつなげてゆくのか、というところで、「人生は短いんだ」からぼくは「後悔しないように…」を選びとり、生きてきている。この「人生は短い」が語られる文脈のなかでは、「だから、はかない」と続くこともあるなかで、その方向にではなく、別の方向を選びとる。


けれども、そもそもの「人生は短い」ということは、どう見たらよいのだろう。

「時間」にかんする名著『時間の比較社会学』において、真木悠介はその冒頭で、<人生はみじかく、はかない>という命題をあげて考察している。

「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」という劉廷芝の詩をとりあげ、客観的でのがれがたい時間の事実をうたっているように見えるが、そうではなく、「人間のみの個別性にたいするわれわれの執着のもたらす感傷にほかならないこと」がわかると、検討を加えている。

自分と花がもし入れ替わったとしたら、花である自分は、花とくらべてほとんど無限の生を享受しているかのような人間のことを、ぜんぜん違った感傷でうたっただろうというのだ。また、じっさいに、人間は動物のなかでももっとも寿命が長いとしながらも、「そうはいっても…」と聞こえてくる声を想定して、つぎのように書いている。


 …しかしこのように数学的に検証してみても、人間の生の「みじかさ」を実感しておののいている人はけっして納得しない。人間の寿命が仮に二百年であり、あるいは二千年であっても、かれらはそのことに納得しないように文化を作っていただろう。「人間ーこの短命なものどもよ」と古代の神話のなかでいうのは神々であり、神々はふつう無限の生命を享受するからだ。人間の寿命が馬や獅子よりも長く、あるいは二百年、二千年であったとしても、永遠のまえには一瞬にすぎないからだ。
 だがそれにしてもなぜ永遠を準拠にとるのか?
 <人生はみじかい>という命題はじつは、なんらの客観的事実でもなく、このように途方もなく拡大された基準のとり方の効果にすぎない。

真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)


なんどもなんども読み返してきた文章であるのだけれど、今回読み返しているなかで、なぜか、ここの箇所にぼくはひきつけられている。とくに、「人間の寿命が仮に二百年であり、あるいは二千年であっても、かれらはそのことに納得しないように文化を作っていただろう」というくだりである。

それは、人類が目指している(だろう)「不死」ということに、重なったからである。

「人類の21世紀プロジェクト」として人類がつぎに見据えている「プロジェクト」は、不死(immortality)、至福、(bliss)、「Homo Deus」へのアップグレードの3つであると、歴史学者Yuval Noah Harariは著書『Homo Deus』で書いている。

人類が「不死」を達成させるかどうかはわからないけれども、仮に人類が「不死」にちかい長寿(二百年だとか、二千年だとか)を達成したとしても、<人生はみじかい>ということばはなくならないのではないか。「基準」を<無限>に設定し、二百年であっても、二千年であっても、「そのことに納得しないような文化」を作ってしまうのではないだろうか。そんなことを、ぼくは考えるのである。


では、どの方向性に出口を見出してゆくのか、ということが問われる。

整体の創始者といわれる野口晴哉(のぐちはるちか)は、自身の哲学のようなものである「全生」ということにふれて、かつて、つぎのように書いた(生きた)。


…象の百年生くるも全生なら、蝉の一夏の生涯も又全生なのだ。大と小と対立させてその価値に拘泥するのは、人間的な有限感覚に基づいているに他ならぬ。人間の五十年は蚊の一夏に比して長いとは言えぬ。欅の三千年の寿命も猫の十年に等しい。全は、全だ。
 この如く、人間が人間感覚からのみ推して ものを対立させているなかに宇宙的無限感を得たものがいたなら、こう言うだろう。

野口晴哉『碧巌ところどころ』(全生社、1981年)


そして、真木悠介自身は、上記に引用した文章につづけて、つぎのように書いている。


 …「みじかさ」が、たんに相対的不満ではなく絶対的なむなしさの意識となるのは、このばあいもまた、生存する時がそれじたいとして充足しているという感覚が失われ、時間が過去をつぎつぎと虚無化してゆくものとして感覚されるからである。

真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)


真木悠介は著書『時間の比較社会学』のぜんたいを通して、「生存する時がそれじたいとして充足しているという感覚」が失われてきたことの社会的な構造などをおいながら、その感覚を豊饒に享受する道を照らしている。

もちろん、これらの「道」を生きるのは、ぼくたちひとりひとりである。その助走として、<人生はみじかい>ということ自体が問われなくてはならない。

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「三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景は一変する」(見田宗介)。- 富の分配、資本主義の未来、人間像。

「現代社会はどこに向かうか」という問いを立てて自ら応答してゆくなかで、社会学者の見田宗介は、「資本主義」の行く末について、その大枠をつぎのように書いている。

「現代社会はどこに向かうか」という問いを立てて自ら応答してゆくなかで、社会学者の見田宗介は、「資本主義」の行く末について、その大枠をつぎのように書いている。


 必要な以上の富を追求し、所有し、誇示する人間がふつうにけいべつされるだけ、というふうに時代の潮目が変われば、三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景は一変する。必要な以上の富を際限なく追求しつづけようとするばかげた強迫観念から資本家が解放されれば、悪しき意味での「資本主義」はその内側から空洞化して解体する(人間の幸福のためのツールとしての資本主義だけが残る)。ホモ・エコノミクスという人間像を前提とする経済学の理論は少しずつ、しかし根底的に、その現実妥当性を失う。人間の欲望の全体性に立脚する経済学の全体系が立ち現れる。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年


「…時代の潮目が変われば、三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景は一変する」と、見田宗介は、人間の三千年の歴史を視界にいれながら、でも、それはやがてやってくる未来として明晰に語っている。

それにしても、たったこれだけの文章だけでも、ほんとうにとても多くのことが語られている。

それぞれをかんたんに見ておきたい。


(1)富の分配

「必要な以上の富」ということが触れられているが、上記の文章の直前で、「富の分配」と「競争」について、見田宗介は書いている。

日本を含む先進産業諸社会では、「すべての人びと」に、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」したとしても、そこには富の余裕がある。富の余裕は、未来にではなく、すでにここに存在している。

だから、「三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景が一変する」ことは、「if you want it」(@ジョン・レノン)であれば、いつだって可能な世界に、ぼくたちはすでにして、いることになる。よく言われるが、世界の軍事費を貧困対策にまわせば、いつでも現在あるような形と内実の貧困をなくすことができる時代なのだ。

見田宗介自身が書いているように、経済的不平等や格差を「なくす」ということではなく、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」というところをまず確保することである。「余裕な部分」は、いくらだって経済ゲームで自由な競争をしたらよいと、見田宗介は指摘している。

なお、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」ということは、ベーシックインカムにつながるポイントとなるところだけれど、少なくとも認識しておくべきことは、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」をしても、「多大な富の余裕」が存在しているという現在についてである。


(2)「資本主義」の未来

社会学者の大澤真幸が、世界の終わりは想像できたとしても、資本主義の終わりは想像できない、というようなことをどこかで語っていたが、それほどに「資本主義」は、現在の世界を根底から形づくっているということである。

そのような「資本主義」の弊害はいろいろと語られてきたし、ここで議論を繰り返すことは目的ではない。

見田宗介が言及していることで肝要なことは、「人間の幸福のためのツールとしての資本主義」ということ。概念というほどまでここでは精緻化されていないし、具体的なところも描かれてはいないけれど、「資本主義」は資本主義であるままで、<人間の幸福のためのツールとしての資本主義>として機能させてゆくことができる見通しを、見田宗介はもっている。

それは願望という見通しではなく、現実に、<人間の幸福のためのツールとしての資本主義>の試みが見られ始めていることを含めての見通しである(見田は、アメリカで法制化されてきた「ベネフィット・コーポレーション」の動きに言及している)。


(3)経済学などが前提とする「人間像」のこと

さらに、さらっと書かれているようにも見えるけれど、<人間の欲望の全体性に立脚する経済学>ということが述べられている。

経済学などの専門家学は特定の条件のもとに理論を発達させ精緻化させてきたとはいえ、「ホモ・エコノミクス」という人間像のみを土台とする経済学に対して、これまでにもさまざまな批判とのりこえが提示されてきた。

たとえば、経学者アマルティア・センは、「合理的な愚か者」という言い方で「ホモ・エコノミクス」という人間像を批判し、経済合理性だけでなく「倫理」を動機として行動する人間像をもちこんで、理論をアップデートしようとした。「経済学」という体系の内部からののりこえである。

見田宗介は「社会学」を基盤としているけれど、ひろく「社会科学」また「人文科学」、さらには自然科学にまで視界をひろげながら、<人間の欲望の全体性に立脚する経済学>ということがひらかれることを見通している。

その見通しが拠って立つのは「理論」そのものということだけではなく、現実に、「ホモ・エコノミクス」という人間像のように行動する人間と社会が変わってゆくことを見据えている。理論と現実とはそのあいだにいろいろなギャップや齟齬がありながらも、それでも相互連関しているものであるからだと、ぼくは考えている。「光景が一変する」ところでは、現実も、理論も、変わってゆく。


時代の潮目が変われば、「三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光みたいに、世界の光景は一変する」。「三千年の悪夢から目覚めた朝の陽光」は、どれほど鮮烈かと、ぼくは想像する。

でも、この想像が現実化されることははるか彼方ではなく、この現代社会のなかにすでに、さまざまな仕方で生成しつつあること。そして、まずは、じぶんが悪夢から目覚めた朝の陽光を経験するところから、はじまってゆくのだと、ぼくは2019年のはじまりに、あらためて思う。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「果肉を一層鮮烈にかじること」(見田宗介=真木悠介)。- 「世界」の味わいかた。

真木悠介(社会学者の見田宗介の筆名)の、とてもうつくしい著書『旅のノートから』(岩波書店、1994年)に、つぎのようなエピソードがおかれている。

真木悠介(社会学者の見田宗介の筆名)の、とてもうつくしい著書『旅のノートから』(岩波書店、1994年)に、つぎのようなエピソードがおかれている。


 金の卵を生むニワトリがいました。そのニワトリのもち主は、こんなにたくさんの金の卵を生みつづけるのだから、その「本体」はどんなに巨きな金の塊だろうと思ってそのニワトリをしめてみると、ふつうのニワトリの肉の塊があるだけでした。

真木悠介『旅のノートから』(岩波書店、1994年)


「合理的精神」のもち主である現代人であるぼくたちは、金の卵を生むニワトリなんていないこと、あるいはそんなニワトリがいてもその「本体」が金の塊などではないことを「知って」いる。

この話の表層をすくいとるだけであるのならば、読み手は、このニワトリのもち主の「非合理的な愚かさ」を読みとるだけだ。でも、ぼくたちは生きていくなかで、このニワトリのもち主と同様の「過ち」を、いろいろな状況でおかしてしまっているかもしれない。

ニワトリのもち主は、ここで、どのような「過ち」をおかしてしまったのだろうか。


べつの名著『宮沢賢治ー存在の祭りの中へ』(岩波書店、1984年)の「あとがき」のなかで、見田宗介は、この本を、どのように書き、どのように読んでもらいたいか、について触れている。


 この本の中で、論理を追うということだけのためにはいくらか充分すぎる引用をあえてしたのは、宮沢賢治の作品を、おいしいりんごをかじるようにかじりたいと思っているからである。賢治の作品の芯や種よりも、果肉にこそ思想はみちてあるのだ。…
 …この書物を踏み石として、読者がそれぞれ、直接に宮沢賢治の作品自体の、そしてまた世界自体の、果肉を一層鮮烈にかじることへの契機となることができれば、それでいいと思う。

見田宗介『宮沢賢治ー存在の祭りの中へ』(岩波書店、1984年)


宮沢賢治と宮沢賢治の作品をとおして「自我」という問題、<わたくし>という現象を考察した著書は、その考察の論理とともに、宮沢賢治の作品を充分すぎるほどに引用して、賢治の作品という「果肉」をかじるように仕上げられている。

でも、ともすると、ぼくたちは「宮沢賢治の作品の芯や種」にどこまでも近接しようとする。あれだけの作品を書き上げる「宮沢賢治」を、宮沢賢治の作品と思想の深さときらめきにおののく者たちは、解き明かしてみたくなる。

宮沢賢治の「金の卵」のような作品に心をまったくうばわれて、金の卵のような作品を生む「宮沢賢治」の「本体」はどんなに巨きな秘密をひめているのか。まるで、「ニワトリのもち主」のように、人は、その本体の「中心」に向かって、本体を解体しようとし、また解体してしまう。

でも、どこまで中心をほりおこそうとしても、そこには、ただ「芯と種」があるだけで、おいしいりんごの「果肉」のようなものは見つからない。

だから、「果肉」にこそ思想はみちているのである。

そして、そのことは、宮沢賢治などの作家の作品だけでなく、「世界自体」の構造でもある。「あらゆる中心的なものの構造」(真木悠介)の機制である。

世界自体の「果肉を一層鮮烈にかじること」。それは、この「世界」の味わいかたである。

ぼくはこのことを、ぼくの経験にもとづく深い納得感を感じながら、真木悠介先生から学んだ。

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「書物の現在」(真木悠介)。- 真木悠介にとっての「書物」。『気流の鳴る音』の電子書籍化の折に。

1977年に世界に放たれた、真木悠介(社会学者である見田宗介の筆名)の名著『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)。

1977年に世界に放たれた、真木悠介(社会学者である見田宗介の筆名)の名著『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)。

この本の「ちくま学芸文庫」版の背表紙には、この本の紹介として、つぎのように書かれている。


「知者は<心のある道>を選ぶ。どんな道にせよ、知者は心のある道を旅する。」アメリカ原住民と諸大陸の民衆たちの、呼応する知の明晰と感性の豊饒と出会うことを通して、「近代」のあとの世界と生き方を構想する翼としての、<比較社会学>のモチーフとコンセプトを確立する。

真木悠介『気流の鳴る音』≪ちくま学芸文庫版、2003年≫


『気流の鳴る音』については、ぼくもこれまでにいろいろなブログで書いてきた。主題的に書いたブログとしては、たとえば、つぎのようなブログがある。


「「分類不能の書」との出会い。- 真木悠介『気流の鳴る音』のどこまでもひろがる魅力。」(2018年11月21日)

「生きかたにかんする「必読書」の一冊。- 真木悠介『気流の鳴る音』という必読書。」(2018年10月25日)

「「若い人に贈る一冊」を選ぶとしたら。- 真木悠介『気流の鳴る音ー交響するコミューン』。」(2017年11月4日)


『気流の鳴る音』は、ぼくの深いところにまで、影響を与えつづけてきた本である。影響されたのは、きっと、ぼくだけではないと思う(影響された本として『気流の鳴る音』がとりあげられているのをときどき読む)。

この『気流の鳴る音』は『真木悠介著作集第Ⅰ巻』(岩波書店)としても出版されているが、その「ちくま学芸文庫」版が、電子書籍として、世に放たれる(BookWalkerでは2018年12月7日)。

この名著が、いよいよ「電子書籍」となる。時代の変遷を感じるとともに、真木悠介先生はどのように思っておられるのか、と想像してしまう。というのも、真木悠介は「書物」に特別な思いをよせているからだ。

ちなみに、見田宗介の著作の電子書籍は、ぼくの知るかぎり、現在(2018年12月6日現在)のところ、『現代社会の理論』『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(いずれも、岩波新書)、『まなざしの地獄』(河出書房新社)、大澤真幸との共著『二千年紀の社会と思想』(atプラス叢書)がある。このうち、『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)は、2018年に電子書籍化され、内容の一部が更新されている。

このように、見田宗介の著作はすでに「電子書籍」があり、その意味で『気流の鳴る音』の電子書籍化は「初めて」のことではないけれど、第一に、真木悠介名での著作(世に容れられることを一切期待しない著作)の電子書籍化は「初めて」であり、また第二に、この、1977年の名著の電子書籍化には、よろこばしい気持ちとふくざつな気持ちが、ぼくのなかで混合しているのだ。


「書物」のことについて、真木悠介は、他の名著『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)が1997年に「岩波同時代ライブラリー」に入ったときの「同時代ライブラリー版への後記」で、つぎのように書いている。


…わたしは初版の本としての装幀を強く愛しているので、この形で読者の手にされたいという願望もあった。けれども書物は、刊行された以上、ある種公共の存在としての規格を与えられてしまうものだから、著者の個人の思い入れのようなものは禁じて、実際上の読者の好便ということを優先することとした。このような著者の心意を感受して下さったライブラリー版の編集者、加賀谷祥子さんの尽力とセンスのおかげで、新しい版はまた、別の美しいものとすることができた。

真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年→岩波同時代ライブラリー版、1997年)


『気流の鳴る音』も、「初版の本としての装幀」を、真木悠介は強く愛していたかもしれない。2003年に「ちくま学芸文庫」版になったときも、おなじようなことを考えていたのかもしれない。けれども「公共の存在」としての刊行された書物の規格から「個人の思い入れ」を禁じている側面も、おなじように、あった/あるのかもしれない。

でも、電子書籍化は「装幀が変わる」ということとは異なる面を有し(表紙は画像としておなじであるが、形式がそもそも異なる)、真木悠介がどのように考えているのか、直接、先生に尋ねてみたくなる。

『現代社会の理論』で、「情報化・消費化社会」ということの「情報」と「消費」のコンセプトを徹底的に考察してきたことから、それらの考察からも一貫した論理で、「おもしろい」視点を伺うことができるのではないかと、ぼくは勝手に想像している(なお、『現代社会の理論』ではつぎのように書かれている。「…<情報>のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方にあるものに向かって解き放ってくれる。」)。


ぼくにとっては、『気流の鳴る音』は、「筑摩書房」版の最初の版のかたち(この版で、ぼくの「世界」の見え方がほんとうに変わった)、あるいは「ちくま学芸文庫」版のかたち(この版とともに、ぼくは現実の世界、アフリカもアジアも生きてきた)として、これまでの20年ほどをともに生きてきたから、さらにそこには個人の思い入れがある。だから、そのようなかたちで、これからも、この生をともにしたいと思う。

けれども、電子書籍はこれからますます主流になってゆくとぼくは思うし、また環境・資源問題をまえに、本を含め「ペーパーレス化」は大切なことだとも思う。さらに、見田宗介の書くように、「…<情報>のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方にあるものに向かって解き放ってくれる。」という地平をいっそう見定めていきたいと思う。


ところで、上述の文章のすぐあとに、括弧をして、真木悠介はつぎのように書きたしている。


…(書物は、その存在自体によって、手にする者に直接的な幸福をあたえるものでなければならないとわたしは考えている。それが書物の現在である。)

真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年→岩波同時代ライブラリー版、1997年)


「書物の現在」。「時間」を徹底的に考察してきたこの著書とも共振する仕方で、真木悠介は「書物」を語っている。それは、書物がなにか将来の「利益」になるとか以前に、この<今、ここ>において「直接的な幸福」をあたえるものであること。ぼくも、心から、そう思う。それは、電子書籍であっても、おなじである。

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「2018年の一冊」を選ぶ。- 2018年に「世界に放たれた」書物。

2018年も12月に入って、ここ香港もそろそろ冷えこんでくると思いきや、ここ数日は日中25度くらいまで気温が上がり、汗ばむような気候だ。来週はだいぶ気温が下がるようで、「香港の冬」の雰囲気がよりいっそう感じられるかもしれない。

2018年も12月に入って、ここ香港もそろそろ冷えこんでくると思いきや、ここ数日は日中25度くらいまで気温が上がり、汗ばむような気候だ。来週はだいぶ気温が下がるようで、「香港の冬」の雰囲気がよりいっそう感じられるかもしれない。

ところで、年の瀬が近くなって、「2018年の本」というような切り口で、読んでおきたい本などが取り上げられるようになってきた。

だから、ぼくも「2018年の本」といった切り口でブログを書こうと思っていたら、密接に関連する二つの問題にぶつかることになってしまった。

一つ目の問題は、「2018年」のように年の取り扱い方であり、もう一つの問題は、「2018年に……本」の「…」に入れる言葉である。

「2018年」としぼったとき、2018年に「出版された」本を対象とするのか、2018年という時勢に「読んでおきたい」本であれば古典を持ち出してもよいのか、という問題である。

それと同時にぶつかった問題は、「おすすめの本」のようなものとして、たとえば「2018年に読んでおきたい本」とテーマをしぼるとすると、それほど時間的に「喫緊な本」というものがあるだろうか、と考えてしまったことである。

「2018年」とはどのような年であったのか、ということをつきつめて把握しなければ、「2018年」において「喫緊な本」は明確に見えないのかもしれないと思いつつも、他方で、2018年にぼくが読んできた本の多くは、これまで以上に「古典的な本」であったことを、ぼくは思い起こすのである。

ぼくの個人史的な流れのなかでそのような本が「必要」とされたときだったことと共に、やはり「今」は、過去から未来への時間軸をよりながく描くことで、現在と未来が見えてくるのだと考えているのでもあり、「古典」や時間軸をながくとった書物が、生きてゆくうえで大きな力となってくれるのだ。

そんな時代だからこそ、現在、本の置かれている状況も、世界の現在と未来を反映するように、今読むべき「喫緊な本」と、世界の大きな転換期だからこその「古典的な本」や「時間的な視界の広い本」とに、大きく分かれているようにも見える(もちろん、本によっては、あるいは読み手によっては、これら二つの流れがひとつになるように交差してくる本もあるだろうが、ひとまずここでは分けて考えておく)。

そんなことをかんがえながら、ひとまず「2018年に出版された本で、ぼくのおすすめの本」としようと思う。「2018年」を残しながら、この年に出版された本とし、そして「2018年に出版された本で、ぼくのおすすめの本」に、ここでは「一冊」という限定を加えることにする。

「2018年に出版された本で、ぼくのおすすめの一冊」は、見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)。

「現代社会」(そして未来の社会)を捉えるこの書物は、2018年に出版された本でありながら、これからもながいあいだ読み継がれてゆく書物であるだろう。「現代社会」を三千年の流れのなかにおさめ、これからの少なくとも100年かかるだろう変革を視界におさめているからだ。

ブログ「見田宗介著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』。- <肯定性>に充ちた「100年の革命」を描く。」(2018年7月11日)で、そのあたりの一端をつぎのように書いた。

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見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)は、肯定性に充ちた書である。

ぼくたちの生きる「現代社会」の立ち位置を、人間の歴史のなかで明晰に太い線でマッピングし、また「どこに向かうか」ということを、すでにこの世界で見て取れる現実にも光をあてながら、しかし「歴史の曲がり角」としての視野を提示する。

ここではそれぞれの「内容」には入っていかないけれども(ブログで随時、ふれてゆくことになると思う)、このすてきな本のぜんたいを感覚しながら、まずはじめの所感のようなものとして、ここに書いておきたいと思う。

見田宗介による「岩波新書」としては、これで三冊目となり、ほぼ10年に一冊で出されてきたこれら三冊は、この三冊目をもってして、いわば「三部作」のようなものとして完結したようにも見ることができる。

三冊目を含め、これまでの「新書」は、つぎのとおりである。

●『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』岩波新書、1996年

●『社会学入門ー人間と社会の未来』2006年

●『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』2018年

『現代社会の理論』で「現代社会」の光の巨大と闇の巨大をひとつの理論としておさめ、『社会学入門』ではさらに広い歴史的な視野のなかに「現代社会」とその未来を位置付け、それから『現代社会はどこに向かうか』で「軸の時代」(カール・ヤスパース)の概念を援用しながら、未来にひろがる<永続する幸福な安定平衡の高原>としての社会を見据える。

見田宗介は、かつてカール・ヤスパースが書いた、上述の「軸の時代」という概念を念頭に、人間の社会における「歴史の二つの曲がり角」を太い線として描き出す。

ここは、見田宗介自身の言葉で、「歴史の二つの曲がり角」の「課題」をおさえておきたい。

 第一の曲がり角において人間は、生きる世界の無限という真実の前に戦慄し、この世界の無限性を生きる思想を追求し、600年をかけてこの思想を確立して来た。現代の人間が直面するのは、環境的にも資源的にも、人間の生きる世界の有限性という真実であり、この世界の有限性を生きる思想を確立するという課題である。
 この第二の曲がり角に立つ現代社会は、どのような方向に向かうのだろうか。そして人間の精神は、どのような方向に向かうのだろうか。わたしたちはこの曲がり角と、そのあとの時代の見晴らしを、どのように積極的に開くことができるだろうか。本書はこの問いに対する、正面からの応答の骨格である。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

この「第一の曲がり角」とは、紀元前古代ギリシャで哲学が生まれ、仏教やキリスト教の基となる古代ユダヤ教が展開された時代の「曲がり角」である。

見田宗介が書いているように、いろいろな思想が一気に開かれた背景には、「貨幣経済」と「都市の勃興」ということがある。

そのような社会で、それまで「共同体」という有限な世界に生きていた人たちが、歴史のなかではじめて、<無限>の世界を目の当たりにすることになる。

そのときから今日におけるまでの二千数百年、これら「貨幣経済」と「都市の原理」が徹底的に浸透し、<近代>という時代がつくりだされてきた、という認識に見田宗介は立っている。

そして、現代社会は、グローバリゼーションの果てに、世界・地球の<有限>という、「第二の曲がり角」に立っているというわけだ。

この「第二の曲がり角」において、社会の向かう方向性、それからこのあとにくる時代の見晴らしをどのように開くのかという問いに対する応答が、この本である。

「あとがき」で、この本は「一つの新しい時代を告げるアンソロジー」と見田宗介は書いているけれど、「目次」を読んでいるだけで楽しくなってくる「アンソロジー」だ。

【目次】

序章 現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと
一章 脱高度成長期の精神変容ー近代の「矛盾」の解凍
二章 ヨーロッパとアメリカの青年の変化
三章 ダニエルの問いの円環ー歴史の二つの曲がり角
四章 生きるリアリティの解体と再生
五章 ロジスティック曲線について
六章 高原の見晴らしを切り開くこと
補章 世界を変える二つの方法

なお、序章から四章はこれまで発表されてきた論考に手がくわえられたもので、五章から補章がこの新書のための書き下ろしである。

社会学者「見田宗介」の著作群ぜんたいを、世間に受け容れられなくてもよいとして書かれてきた「真木悠介」名での著作群ともあわせて見渡すなかでは、この本は、見田宗介=真木悠介の著作群のなかでもユニークなもののように見える。

それは、これまで書かれてきたことが、この本において、いろいろな音が交響するように混じり合っていることである。

たとえば、近代社会・現代社会の矛盾や相克をあつかう社会学的な分析と論考において、人の幸福や欲望の相乗性などの論考が正面からとりいれられ、融合され、論じられている。

もちろん、これまでの著作群も、このような社会の「ハードな側面」と人の「ソフトな側面」がともに視野に入れられながら、書かれてきてはいたのだけれど、この本においては、<高原の見晴らしを切り開く>ということのなかで、ともに正面から論じられ、美しい仕方で交響し、人と社会の肯定性が鳴り響いている。

このことを支えているのは、いつにも増して加えられている「補」や「補章」(一章・二章・六章に「補」の文章が書き添えられ、また「補章」が加えられている)である。

そのうちの「補章」、「世界を変える二つの方法」は、補章でありながら、ぼくたちの思考、そして心をうつ。

その最後の節は「連鎖反応という力。一華開いて世界起こる」と題され、新しい時代の見晴らしを切り開くための<解放の連鎖反応>の「一つの純粋に論理的な思考実験」について、書かれている。

 一人の人間が、1年間をかけて一人だけ、ほんとうに深く共感する友人を得ることができたとしよう。次の一年をかけて、また一人だけ、生き方において深く共感し、共歓する友人を得たとする。このようにして10年をかけて、10だけの、小さいすてきな集団か関係のネットワークがつくられる。新しい時代の「胚芽」のようなものである。次の10年にはこの10人の一人一人が、同じようにして、10人ずつの友人を得る。20年をかけてやっと100人の、解放された生き方のネットワークがつくられる。ずいぶんゆっくりとした、しかし着実な変革である。同じような<触発的解放の連鎖>がつづくとすれば、30年で1000人、40年で一万人、50年で10万人、…100年で100億人となり、世界の人類の総数を超えることになる。
 …肝要なことは速さではなく、一人が一人をという、変革の深さであり、あともどりすることのない、変革の真実性である。自由と魅力性による解放だけが、あともどりすることのない変革であるからである。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

これまで、「世界を変える」という言葉が、どれだけ多くの人たちを魅了し、触発し、行動に向かわせ、そして一定の範囲での成功をおさめさせ、あるいは失敗させてきたことだろうか。

それはひとつの「衝動」でもある。

かつて、「言葉で世界は変わらない、暴力で世界は変わらない」と書いた見田宗介は、そのような「時代」を生き、その歴史を丹念に冷静に見つめ、方法を真摯に求めるなかで、この「変革の真実性」に至る。

書かれているように、これはあくまでも「思考実験」であり、現実はさまざまな阻害要因と加速要因が作用してくる。

また、「第一の曲がり角」では600年の時間を要して、かずかずの思想が確立されてきたのに対し、もし100年かかるとしても早いものだと、見田宗介は書いている。

でも、繰り返しになるけれども、肝要なことは、その「速さ」ではなく、変革の深さであり、自由と魅力性による解放であり、したがって「あともどりすることのない」真実性である。

ぼくが書くブログも、そのような変革の真実性に向けて、投げ放たれてある。

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こんな一冊である。

まぎれもなく「2018年に出版された本で、ぼくのおすすめの一冊」でありながら、2018年を起点として、これからも読み継がれる書物である。2018年に「世界に放たれた」書物であり、世界のあちらこちらに、未来を準備する世代たちのうちに<思考の芽を点火する>一冊である。

ちなみに、この本の「あとがき」にあるように、この本は今は亡き鶴見俊輔氏に捧げられている。この本のなかで鶴見俊輔やその思想に触れられたわけではないが、見田宗介は「鶴見さんの、素朴なポジティヴなラディカリズムは、一番大切なことをわたしに教えてくれた」と書きながら、本書を鶴見俊輔に捧げている。

その箇所を読みながら、加藤典洋が『戦後入門』(ちくま新書、2015年)を、鶴見俊輔氏に読んでいただきたかったのだ、と書いていたことを、ぼくは思い出す。加藤典洋はだから執筆を急ぎながらも、最後の最後で鶴見俊輔の逝去に遭ったのであった。加藤典洋にとって鶴見俊輔は「私という書き手をつくってくれた人」だという。

これまでに数冊しか読んできていない、鶴見俊輔の著作。

こうして、ぼくの「2019年の読書」のひとつの方向性・目標・楽しみがみつかる。

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「先にはもう宇宙しかない」断崖の<折り返し>の場所(見田宗介)。- 地球からの視線と宇宙からの視線。

NASA「InSight」による見事な火星着陸のトピックを起点として、「宇宙」にかんれんすることを書いてきた。

NASA「InSight」による見事な火星着陸のトピックを起点として、「宇宙」にかんれんすることを書いてきた。


●ブログ(11月27日): 「火星」を起点に、現実として宇宙を視野に。- Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』。

●ブログ(11月28日):記憶に鮮烈にのこっている「星空」。- 東ティモールの山間部で見た「星空」。

●ブログ(11月29日):三木成夫「生命とリズム」のことばから。- 人間の原形と地球・宇宙のリズムの共振。


「宇宙」そのものにぼくは惹かれるのだけれど、宇宙に思いを馳せ、宇宙のことを考え書きながら、ぼくは同時に、「人間」のこと、この「地球」のことを考えている。

さしあたって「火星」は、SpaceXやNASA「InSight」の果敢な挑戦とともに、将来の「人間の移住」先としての興味もつきない。さらには、火星の「先」にひろがる宇宙空間、たとえば火星と木星の間にある小惑星帯には、鉱石資源があると言われ、宇宙ビジネスも本格化してきているという。人間が、「宇宙」を開拓してゆくことへの、まなざしである。

それから、「星空」のことについて書いた。いつも夜空を観ていたりするのだけれど、記憶に鮮烈にしるされた「星空」(記憶の表層にあらわれる「星空」)は、少なくともぼくにとっては、それほどあるものではなく、そんな鮮烈な記憶のひとつ、「東ティモール」の山間部レテフォホで観た「星空」の体験について、少しのことを書いた。人間が、天空にまなざす視線である。

さらに、解剖学者である三木成夫の研究と美しいことばによりながら、地球の生命たちが、その生命の原形において、宇宙のリズムと共振していることについて、かんたんに概観した。人間を含む生命たちと宇宙/太陽系とが<つながっている>ことへの、まなざしである。


「宇宙」について、人間は、まだほとんど何も知らないという状態であるのだと言うこともできるだろし、火星やその先を見据えながら、人間の「開拓」は進んでゆくのだけれど(それはワクワクすることでもあるのだけれど)、それと同時に、火星の状況などを知るようになって「つくづく感じる」のは、「地球」という惑星の美しさと、水があり森があり山がある(人間を含む生命たちにとっての)すばらしい環境である。

クリストファー・ノーラン監督の映画『Interstellar』、マット・デーモン主演の映画『The Martian』などを観たあとに感じる安堵感と心地よさは、宇宙や火星などを舞台にしながら、それらの状況や映像に反射するように映し出される「地球」の美しさと環境からくるものである。少なくとも、ぼくはそう思う。宇宙や他の惑星という視点から折り返される「地球」へのまなざしである。

現実的に、人間が「音を聴く」ということでさえ、いわゆる宇宙空間のただなかではかなわない。

このことについて、社会学者の見田宗介は、古代インドのコンセプトであり、ジャズの大御所ベーレント(Joachim-Ernst Berent)の著作『世界は音ーナーダ・ブラフマー』(人文書院)に触れながら、つぎのように書いている。


…わたしたちが、じっさいに音を聴くことができるのは、空気や水、大地などという、濃密で敏感な分子たちのひしめきの中だけである。<宇宙は音>というイメージは、わたしたちの意識を宇宙に解き放つとともに、また幾層もの<音>の呼び交わす、奇跡のように祝福された小さな惑星の、限定された空間と時間の内部に呼び戻しもする。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


宇宙に解き放たれながら、小さな惑星の内部に折り返してくるイメージ。この、いわば「宇宙から折り返す視線」を、見田宗介は人類の課題として、提示している。


 ダンテの時代に人びとの目はひたすら<天上>へと向けられていた。それは人類が、じっさいに天に昇ったことがなかったからである。今人類はじっさいに天に昇って、そこに天国はないことを見た。このとき人間を虚無から救うのは、宇宙飛行士が視線を折り返したときに見た<青い惑星>の美しさということだけである。
 地上こそ美しいのだと。
 「先にはもう宇宙しかない」断崖にまで来てしまった人類は、<折り返し>の場所に立っている。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


「人類はじっさいに天に昇って、そこに天国はないことを見た」あとに、それでも、「宇宙」という謎や夢に魅せられる人たちもいる(ぼくもひきつづき、魅せられれている)。宇宙の「開拓」へとつきすすんでゆく人たちもいる。

けれども、ぼくたちは、やはり「知っている」のだと思う。宇宙飛行士が視線を折り返したときに見た<青い惑星>のイメージを胸にしながら、「地上こそ美しい」のだということを。

宇宙へと解き放たれたのちに、宇宙から折り返す、まなざしである。

ここ香港で、窓の外にひろがる海と、海の表面をたわむれる陽射したちを見ながら、「先にはもう宇宙しかない」断崖の<折り返し>の場所のことを、ぼくは考えている。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「この世界の中にただ生きることの、<幸福感受性>」(見田宗介)。-「ダニエルの問いの円環」という美しい文章と論理から。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)という美しい本の三章は「ダニエルの問いの円環ー歴史の二つの曲がり角ー」と題され、「二人のダニエル」の物語を題材に、歴史の大きな曲がり角を見ている。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)という美しい本の三章は「ダニエルの問いの円環ー歴史の二つの曲がり角ー」と題され、「二人のダニエル」の物語を題材に、歴史の大きな曲がり角を見ている。見田宗介の文章は、ビートルズの曲たちのどれもが「すばらしい」曲であるように、いずれもが「すごい」文章なのだけれど、この第三章は、とりわけぼくの好きな章(のひとつ)である。

この、わずかに8ページほどの章のなかに、歴史と現代社会そして未来の社会を踏まえたうえで、ぼくたちの「生きかた」の問題のありかと、その生きかたを解き放つ方向性が、明晰な論理と美しい文章で書かれている。

一人の「ダニエル」は、宣教師/言語学者としてアマゾンの小さな部族ピダハンの人たちと生活をともにし、その記録を著書『ピダハン』(原著”Don’t Sleep, There Are Snakes: Life and Language in the Amazonian Jungle”)にまとめた、ダニエル・エヴェレット(Daniel L. Everett)である。


この本の「おどろき」と、それが照らすものについて、見田宗介はつぎのように触れている。


 この本が現代人をおどろかせるのは、長年の布教の試みの末に、宣教師自身の方がキリスト教から離脱してしまうということである。ピーダハーンの「精神生活はとても充実していて、幸福で満ち足りた生活を送っていることを見れば、彼らの価値観が非常にすぐれていることの一つの例証足りうるだろう。」「魚をとること。カヌーを漕ぐこと。子どもたちと笑い合うこと。兄弟を愛すること。」
 このような<現在>の一つひとつを楽しんで笑い興じているので、「天国」への期待も「神」による救済の約束も少しも必要としないのである。
 …
 けれどもこの時ダニエルの中で溶解したのは、キリスト教という一つの偉大な宗教の全体よりも、さらに巨大な何かの一角であったように思う。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)


見田宗介がこのような書物をとりあげることは、真木悠介の筆名で書かれた『気流の鳴る音』(1977年)のなかで、カルロス・カスタネダの作品を素材にして、ヤキ・インディアンの世界に出会ったことを想起させる。

ただし、その出会いの目的は、あくまでも、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」として、明確にうちたてられていたように、ダニエル・エヴァレットを通してピーダハーンの世界と出会うことも、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」のひとつとして位置づけられている。

『気流の鳴る音』のときと異なるのは、その時から40年ほどが経過した世界のなかにおいて、「巨大な何かの一角」が溶解したことであるということだ。


このように、溶解した「巨大な何かの一角」をさぐりながら、見田宗介がとりあげる、もう一人の「ダニエル」は、「ダニエル書」で知られる、預言者ダニエルである。このダニエル書において、<生きることの「意味」をひたすら「未来」の救済の内に求めるという発想>が、全思想の核心として明確に確立したのだ(歴史的な背景としては、ユダヤ民族の極限的に不条理な苦難の歴史がある)と、見田宗介は指摘し、ピーダハーンの充実した<現在>の生との対比のなかに、ピーダハーンが「教えてくれるもの」をとりだしている。

とりだされたピーダハーンの教えは、「この世界の中にただ生きていることの、<幸福感受性>」である。それは、「意味」をひたすら「未来」の救済のうちに求めるのではなく、今の、この世界の中にしあわせを感受する力である。

見田宗介はピーダハーンを理想化しているのではない。「近代化」はピーダハーンにもいずれやってくることを思い、また文明のテクノロジーの成果をふまえながらも、これからの時代にとりもどすべきわずかな基底のありかとして、<幸福感受性>をとりだしているのだ。

ここでは「歴史の曲がり角」の詳細には立ち入らないけれども、たしかにここに、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく」核心がある。ぼくは、心身の底から、そう思う。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「メタ明晰」(真木悠介)。- 真木悠介の思想・思考の道具箱から。

少しまえに、人間の知性の次元をあげてゆくプロセスをとりあげ、ブログ「どこまでもつづく「メタ認知」の永久運動から。- 人間の知性の次元をくりあげる。」を書きました。

少しまえに、人間の知性の次元をあげてゆくプロセスをとりあげ、ブログ「どこまでもつづく「メタ認知」の永久運動から。- 人間の知性の次元をくりあげる。」を書きました。

きっかけのひとつは、思想家の内田樹の明晰さに惹かれたからでした。

 人間の脳や知性の構造について考察するときには、どこかで「自分の脳の活動を自分の脳の活動が追い越す」というアクロバシーが必要になる。
「私はこのように思う」という判断を下した瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか?この言明が真であるという根拠を私はどこに見出すのか?」という反省がむくむくと頭をもたげ、ただちに「というような自分の思考そのものに対する問いが有効であるということを予断してよろしいのか?」という「反省の適法性についての反省」がむくむくと頭をもたげ……(以下無限)。
…「いや、これでいいんだ」と、この無限後退(池谷さんはこれを「リカージョン」<recursion>と呼んでいる)を不毛な繰り返しではなく、生産的なものと感知できる人がいる。
 真に科学的な知性とはそのような人のことである。

内田樹『街場の読書論』潮新書

この箇所を読みながら、「そうだよなぁ、そうだよなぁ」と心のなかでつぶやいていたのでした。

そして、この文章に触発されて、いわゆる「メタ認知」(対自化された認知)ということの、永久運動ということを思ったのでした。

この「永久運動」(あるいは、内田樹の名づける「無限後退」)を不毛だと思うのではなく、生産的なものと感知できる人を「真に科学的な知性」だと内田樹は書いているわけですが、ぼくが、このことを、方法として、あるいはより深いところで「生きかた」として<意識的に>獲得したのは、真木悠介(見田宗介)の『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)からでした(内田樹の文章とは、表面上の文脈やニュアンスはもちろん異なっていますが)。

ふたたび(と言っても、いくどもいくどもの「ふたたび」ですが)『気流の鳴る音』をひらいて、「明晰さ」に関する文章群、とりわけ「対自化された明晰さ」という文章を読んでいるときに、そのことを思い出したのでした。

『気流の鳴る音』は、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」としてインディオの世界に出会うことを目的とした本(冒険)で、1960年代から1970年代によく読まれていたカルロス・カスタネダの作品を素材としながら、カスタネダの作品群に登場するヤキ族のドン・ファンによる教えを軸に展開されてゆくものです。

ドン・ファンの「教え」で描かれる、到達すべき理想の人間像は「知者」と呼ばれ、その旅の途上で、「四つの自然の敵」があるといいます。

恐怖、明晰、力、老い、の四つです。

このなかで「明晰」ということがあり、ふつうに考えれば「明晰」は敵ではなく、とりわけ「知者」にとってはむしろ味方ではないかと思うところですが、「明晰」が敵として想定されているわけです。

ドン・ファンの「教え」の言葉を丹念にひろいながら、真木悠介は、つぎのように書いています。

 ドン・ファンは知者の「第二の敵」としての明晰について、こうのべている。
「心の明晰さ、それは得にくく、(第一の敵である)恐怖を追い払う。しかし同時に自分を盲目にしてしまう。それは自分自身を疑うことをけっしてさせなくしてしまう。」(「教え」九九)
「明晰」とはひとつの盲信である。それは自分の現在もっている特定の説明体系(近代合理主義、等々)の普遍性への盲信である。…
 人間は<統合された意味づけ、位置づけの体系への要求>という固有の要求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられる。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)

この認識のうえに、真木悠介は、「それでは「明晰さ」からどこへゆくのか?」と問いながら、<対自化された明晰さ>という地点に着地(固定的な着地ではなく、いったんの着地)することになります。

「明晰さ」の地点から、「不明晰さ」にゆくのでもなく、また「非合理性」にゆくのでもない。

<対自化された明晰さ>については、真木悠介の(うつくしい)ことばを、やはりひろっておきたい(読むうえでは、「 」と< >の違いに注意されたい)。

「明晰」を克服したものがゆくべきところは、「不明晰」でなく、「世界を止め」て見る力をもった真の<明晰>である。
「明晰」は「世界」に内没し、<明晰>は、「世界」を超える。
「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、<明晰>はひとつの<意志>である。
 <明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである*。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)

この<対自化された明晰さ>の注記として、真木悠介は、メタ数学論とメタ言語論との類比から、<明晰さについての明晰さ>、あるいは「メタ明晰」とよぶことができるとしています。

20年ほどまえに、ぼくが、なんどもなんども、読んだところです。

そうすることで、この「メタ明晰」は、ぼくが、考えることの、あるいは生きることの「道具箱」に収められることになったわけです。

発展途上国や開発のことを学んでいるときも、あるいは実際に発展途上国や紛争国の「現場」で考えているときも、さらには、異文化におけるマネジメントの課題に対峙しているときも、どこかで「メタ明晰」の次元が作動しつづけていたのだというふうに、ぼくは振りかえりながら思います。

それぞれのフィールドで、いったんは「明晰さ」を手にしながら、でもそれに耽溺するのではなく、そこにはいつもなんらかの「疑問」がさしはさまれることになったわけです。

この疑問を起点として、あの「永久運動」がやってきては、さらなる「学び」への衝動が絶えず発動されるのです。

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「分類不能の書」との出会い。- 真木悠介『気流の鳴る音』のどこまでもひろがる魅力。

小説家・詩人のD・H・ロレンス(1885-1930)は、著作『アポカリプス』の最初のほうで、つぎのように書いている。


小説家・詩人のD・H・ロレンス(1885-1930)は、著作『アポカリプス』の最初のほうで、つぎのように書いている。


…6冊そこらの本を読むよりも、あいだをあけて、一冊の本を6回読むほうが、はるかに、はるかによい。ある特定の本がそれを6回も読むようにあなたを呼びとめるのであるのなら、それはそのたびにより深くより深くすすむ経験となり、また魂の、感情的な、精神的なぜんたいを豊饒にするだろう。

『The Complete Works of D.H. Lawrence』Delphi Classics 2012  ※日本語訳はブログ著者


6回どころか、「ある特定の本」は、20年以上のあいだに、いくどもいくども、ぼくを「呼びとめる」存在でありつづけてきた。

今も再度、深く読んでいるところだ。

D・H・ロレンスの語るように、読むたびに、ぼくにとって「より深くより深くすすむ経験となり、また魂の、感情的な、精神的なぜんたいを豊饒にする」ような本だ。

このブログではいくどかとりあげているけれど、それは、真木悠介の著作『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)である(なお現在は、真木悠介著作集にも収められている)。

この本については、これまでにも、たとえば、以下のタイトルを付したブログで書いた。


「「若い人に贈る一冊」を選ぶとしたら。- 真木悠介『気流の鳴る音ー交響するコミューン』。」

「生きかたにかんする「必読書」の一冊。- 真木悠介『気流の鳴る音』という必読書。」


ここ数日、再度深く読みすすみながら、この『気流の鳴る音』を捉える言葉として、「分類不能の書」であるということを、やはり深く深く感じながら読んでいて、この本のことをブログになんどでも書こうと思ったのであった。

「分類不能の書」とは、その呼び方のとおり、カテゴリー化を拒絶するような本である。

真木悠介は、じしんの他著作『自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学』(岩波書店、1993年)について、「分類の仕様のない書物」を世界の内に放ちたいと、その「あとがき」で書いているが、真木悠介の書く著作群は、『自我の起原』も、『時間の比較社会学』も、そして『気流の鳴る音』も、いずれもが、「分類の仕様のない書物」(分類不能の書)である。

べつのところで真木悠介は、野口晴哉の名著『治療の書』(全生社、1969年)が「分類不能の書」であることに触れながら、じしんにとって「最も大切な書物」の一冊であることを書いている。


…『治療の書」はその書名からしても、野口晴哉が「整体」という、身体活動=身体相互活動の創始者として知られるということからしても、何か実用的な健康書か医療技術の専門書か、そうでなければ反対に宗教書の類のごとくに受け取られかねないからである。それはいくつかのわたしにとって最も大切な書物と同じに、「分類不能の書」、野口晴哉の『治療の書』としかいいようのない孤峰の書である。

見田宗介「春風万里ー野口晴哉ノート」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店


真木悠介(見田宗介)にとって「いくつかの最も大切な書物」は「分類不能の書」であるということとおなじに、ぼくにとっても最も大切な書物は「分類不能の書」であり、そのような書物は、挙げるとすれば、真木悠介の著作群である。

『気流の鳴る音』は、その筆頭である。

そして、今回この本を再読しながら(何回読んでいるかカウントできない)、そのことを、再度深く感じたのであった。


「分類不能の書」という提示のされ方は、はじめて『気流の鳴る音』に出会った20歳頃のぼくにとって、圧倒的な影響をもつものであった。

当時、大学で「学問」を学んでいたわけだけれど、社会学者である真木悠介(見田宗介)によって書かれた『気流の鳴る音』は、専門科学の垣根だけでなく、「生きかた」と「学問」という垣根をさえも解体してしまうものであったからだ。

大した数の本を読んでいたわけではなかったけれど、なにはともあれ、そのような本はそれまでに読んだことがなかった。

じぶんが「生きる」という経験が、そこでは語られており、学問や科学もとりあげられているけれど特定の科学に偏るのでもなく(一応「比較社会学」がコアとしては立てられている)、真木悠介の『気流の鳴る音』(孤峰の書!)がそこには圧倒的な存在感をもってたたずんでいるのであった。

そんな本をこの20年ほどのあいだ、いくどもいくども読んできたのだけれど、「どんな本か?」と単純に聞かれれば、この「分類不能の書」を前にしながら、ぼくは今だってとまどってしまうことがあるだろう。

本を「要約」しようとする力から、どこまでものがれてゆくような、そんな本なのだ。

でも、ここでは、『気流の鳴る音』≪ちくま学芸文庫版≫の背表紙に記された「本の紹介」文を引いておこう。


「知者は<心のある道>を選ぶ。どんな道にせよ、知者は心のある道を旅する。」アメリカ原住民と諸大陸の民衆たちの、呼応する知の明晰と感性の豊饒と出会うことを通して、「近代」のあとの世界と生き方を構想する翼としての、<比較社会学>のモチーフとコンセプトを確立する。

真木悠介『気流の鳴る音』≪ちくま学芸文庫版≫



ところで、今回読みながら思ったことのひとつは、『気流の鳴る音』でとりあげられる素材として、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」として出会うインディオの世界があるのだけれど、このインディオの世界を描いたカルロス・カスタネダの著作シリーズはまだ直接読んだことがないことであり、きっちりと正面から読んでみたい、ということである。

20年ほど前には、カルロス・カスタネダの作品を直接に読もうとは思わなかったのは、ただその気にならなかっただけとも言えるけれども、『気流の鳴る音』において真木悠介の「心身」を通して読み解かれた仕方にあまりにも影響されていたから、カルロス・カスタネダの作品を読むときに、その影響が大きすぎるのではないかと思ったこともあると、今では思う。

でも、あのときから20年ほどの歳月が経過して、ぼくが生きてきたことの「経験」を重ねることで、カルロス・カスタネダの作品を、少しは「ぼくなり」にも読めるのではないかと思うのだ。

ぼくの手元には、カルロス・カスタネダの最初の3つの作品が、Audibleによる「英語音声」としてある(だいぶ前に手に入れていたもので、きっちりと「聴こう」というよりは、いつか聴くことになるだろうくらいの気持ちで手に入れたものである)。

今回『気流の鳴る音』に「呼びとめられた」ことを機会に、これらを聴いていこうと、ぼくは思う。

「近代(そして現代)」のあとの世界と生きかたの構想のなかで、カルロス・カスタネダの作品がどのようにぼくにひびくのか、今から楽しみである。

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「差別語を問題にすること」の重要性のありか。- <関係の実質>に切り込むための糸口(真木悠介)。

「差別語」に焦点があてられて、差別語はいけない、という議論がくりひろげられる。

「差別語」に焦点があてられて、差別語はいけない、という議論がくりひろげられる。

あれもこれもが差別語としてあげられていて、文章を書くときにも、気をつけなければいけない。

でも「差別語」を考えるときに、もっともっと焦点をあてなければいけないことがある。

そのことを真正面からぼくに教えてくれたのは、真木悠介(社会学者)のことばからであった。


肯定性に充ちた真木悠介のことばは、<「差別語」が本人を決して傷つけない関係>からの視線で、「差別語」ということばの実質を流動させる。


「障害者」ということば自体が、差別語でありけしからん、という議論がなされる。紫陽花邑の人は、「この人は重度の身障者です」というようなことを、そこにホクロがあるというようにさらりと言ってしまう。そのことがそこにいっしょに立っている本人を決して傷つけないだけの、関係の実質をもっているからだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


奈良の紫陽花邑(あじさいむら)というコミューンでは、たとえば、身体障害者が片手で食事をしていて、ごはんをこぼしたり、奇妙な身の動かし方をしたりするのを見て、それを見ている者も、本人も、「いっしょになって笑う」のだという。

一般的な「差別反対運動の精神」においては笑うことは許されないものだが、紫陽花邑では、おかしいものはおかしいと、本人もいっしょになって笑う。

笑いが、本人を傷つけないだけの<関係の実質>に支えられている。


この<関係の実質>という視点で、真木悠介は「差別」や「差別語」という根柢的な問題への<通路>をきりひらいてゆく。


 差別語を問題にすることは、差別語においてたまたま露出してくる関係の実質に切り込むための糸口としてのみ重要だ。ひとつひとつの差別語が差別語として流通することを支える、この関係の総体性に切りこむことなしに、差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえることは矛盾のいんぺいにすぎず、「新平民」とか”handicapped”とか「目の不自由な方」というような、新しい差別語を増殖させるだけだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


差別語やその語られる状況に見られる傾向は、真木悠介の書くように、「差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえること」であり、そのことが矛盾を覆いかくしてしまうのである。

「差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえること」は、差別語に露見される<関係の実質>に切り込むための<糸口>として差別語の問題に向き合うのではなく、むしろ<関係の実質>への入り口をふさいでしまうことで、現実の人と人との関係性を「現状維持」としてしまうのだ。

そうして、「新しい差別語」は絶えず増殖してゆき、「差別語リスト」がどんどんと長くなってゆく。

「差別語」という言葉だが、なにか、それ自体が確かな「もの」であるかのように見えてしまい、人は、その「もの」をいかにしたらよいかという方向に視線を向けていってしまう。

けれども、そのような言葉が生成してきた「関係性」が社会のなかにあり、その関係性そのものへと視線をうつしていかなければならない。

なお、真木悠介の「方法」として、「社会学」というものがあり、「社会学」というものは「関係の学」だと、彼は明確に述べている(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。

「社会」というものは、なにか「もの」のようにあるものではなく、その実質は、人と人との「関係」にある。

この「関係」という視点を入れることで、「もの」のように思われるものごとが流動化されて、そこにぬりこめられている矛盾などが顕現してくる。

このことは、たとえば、つぎのようなことばにも見られる。


 唖者のことばをきく耳を周囲がもたないかぎりにおいて唖者である。唖者とはひとつの関係性だ。唖者解放の問題は、「健康者」のつんぼ性からの解放の問題だ。奴隷の解放と主人の解放、第三世界の解放と帝国主義本国の解放、女の解放と男の解放、子どもの解放と親の解放、すべての解放が根源的な双対性をもつことと同じに。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


このことばは、ぼくの生きることのさまざまな局面で生きてきたことばである。

すべての解放が根源的な双対性をもつこと。

ぼくたちは、つい、どちらか「一方」を解き放とうと考え、行動してゆくのだけれど、その行動はいずれ、行き所のない「行き止まり」にたどりついてしまう。

ぼくが20代を通して(国際支援という仕方で)直接的に関わっていた「第三世界の解放」(発展途上国の解放)ということにしても、そのことは「帝国主義本国の解放」(先進国の解放)なくしては、根底的な解放にいたることはないのである。


なお、グローバリゼーションのなかで、「言葉」がグローバルに流通するようになってくるときの差別語の問題もある。

ただ、ひとつ言えることは、ローカルの小さい関係性のなかにおいても、<「差別語」が本人を決して傷つけない関係>という関係性をもつことがとても難しくなっている状況があるように、ぼくには見える。

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「○○の冒険に一生を賭けてみる人間が、一人くらいいたっていいじゃないか」。- 見田宗介先生の「生きかた・ありかた」に勇気づけられる。

ぼくにとっての「見田宗介先生」はとても特別であって、ぼくが見田宗介先生や著作などについて書くときにじぶんがとるポジションも、「完全な師」の「完全記号」を一生懸命に読みとくような立ち位置に、ぼくはいることになります。

ぼくにとっての「見田宗介先生」はとても特別であって、ぼくが見田宗介先生や著作などについて書くときにじぶんがとるポジションも、「完全な師」の「完全記号」を一生懸命に読みとくような立ち位置に、ぼくはいることになります(※11月11日のブログ「ぼくにとっての「見田宗介先生」と著作群。- どのような立ち位置で、ぼくは書くか。」)。

見田宗介先生の「生き方」においても、「自称弟子」としてのぼくは、その師のふるまいに圧倒的な影響や励ましを得ることになるのです。

たとえば、社会学者としての「生きかた」や「ありかた」においては、つぎのような語りに、ぼくはじぶんの心身のふかくにおいて共感・共振することになります。


見田 ぼくがほんとうにやりたかったことは、…「ほんとうに歓びに充ちた人生を送るにはどうしたらいいか」、そして「すべての人が歓びに充ちた人生を送るにはどのような社会をつくればいいか」ということ、その中でもとくに二つの焦点として、<死とニヒリズムの問題系>、<愛とエゴイズムの問題系>ということでしたが、それは基本的には文学や思想の問題なのです。けれどもぼくは、これらの問題を、現実的な事実の実証と、透徹した理論という方法で追求したかった。つまり文学や思想の主題を、科学という方法で追求したかったのです。

討議:見田宗介 X 加藤典洋「現代社会論/比較社会学を再照射する」『現代思想』2015 vol.43-19、青土社


追求される<死とニヒリズムの問題系>と<愛とエゴイズムの問題系>という主題と内容をとっても、ぼくの生きられる切実な問題と重なってくるものだけれど、生きかたやありかたということにおいて、つぎの点にぼくは惹かれてやまないのです。

第一に、見田宗介先生が「ほんとうにやりたかったこと」をどこまでも、真摯に追求してゆくという姿勢と継続です。

第二に、「ほんとうにやりたいこと」というのが、ほんとうに歓びに充ちた人生を送るにはどうしたらいいか」という個人の生きかた、そして「すべての人が歓びに充ちた人生を送るにはどのような社会をつくればいいか」という社会のありかたという、とても根源的・根柢的な問題意識につらぬかれていることです。

それから第三に、これらの姿勢と継続と問題意識を、社会学という領域のなかで、孤高的に追求し続けてこられたこと。

見田宗介先生は、別の著書(『社会学入門』岩波新書)のなかで、社会学というものが<越境する知>(※専門領域を越えてゆく領域横断的な知)と呼ばれることにふれ、学問の問題意識においてだけは禁欲してはいけないのだと書いています(※なお、この箇所の文章は、新書に収められるだいぶ前に、AERAムックに掲載され、ぼくはその文章を読んでいました)。

専門領域を横断すること自体を「目的」にしてはいけないとしながら、しかし、じぶんにとってほんとうに切実な問題を追求することの「結果」として領域を横断せざるをえないということ、そこで「禁欲」してはいけないのだと。

ぼくがかかわってきた「発展途上国の問題」とフィールドでの実践は、それらを切実に追求してゆくうえでは「結果」として専門性の領域を超えていかざるをえないというぼくの経験に、見田宗介先生のことばは、直截的に励ましと勇気を与えてくれるものでした。

ぼくにとって、ほんとうに勇気づけることばでした。

なお、「文学や思想の問題」を「現実的な事実の実証と、透徹した理論という方法で追求」ということも、ぼくにとってとても大切なことであって、まさにぼくが求めるものでもあったところに、ぼくにとっての「完全な師」としての見田宗介先生がおられることになります。


さて、勇気づけられることばは、上で引用したことばのあとに、さらに継続してゆきます。


見田 そんなこと(<死とニヒリズムの問題系>と<愛とエゴイズムの問題系>という基本的には文学や思想の問題を、現実的な事実の実証と、透徹した理論という方法で追求することー引用者)がどこまでできるか、できないのかはわかりません。けれどもそういう統合の冒険に一生を賭けてみる人間が、一人くらいいたっていいじゃないかと(笑)。

討議:見田宗介 X 加藤典洋「現代社会論/比較社会学を再照射する」『現代思想』2015 vol.43-19、青土社


「…の冒険に一生を賭けてみる人間が、一人くらいいたっていいじゃないか」。

「…の冒険に一生を賭ける」ことを見つけることは、だれでもができるものではないかもしれないけれど、「一人くらいいたっていいじゃないか」というように、みずからの生を定め、ひらいてゆく仕方に、ぼくはとても勇気づけられるのです。

「生きかた」を書いたり、「世界で生ききる」ことを書いたり、「未来の社会」を書いたり、ぼくにとって切実な問題は、他者にとっては「とても大きなトピック」だったりするものです(実際に、そのように言われたりすることもあります)。

あるいは「発展途上国の問題」を追求しつづけてきたなかで、ぼくは「発展とは?開発とは?」ということを問わずにはいられず、その後に修士論文でも書いたのですが、そもそも「発展とは?開発とは?」という問題自体が、「とても大きなトピック」です(実践的な問いではないかもしれませんが、ぼくは、問わずにはいられなかったのです)。

そのような「とても大きなトピック」を追求してゆくなかで、ある人は、「トピックが大きいねぇ」などと言われるかもしれません。

そんなとき、若干でも怯(ひる)んでしまう声がぼくのなかに現れることもありますが、ぼくは、やはり思うわけです。

かつていろいろな旅に生き、それからいろいろな場所で住んできた人間が、とても大きなトピックを切実に追求してゆく、そんな人が一人くらいいてもいいですよね、と。

見田宗介先生の<背中>を見ながら、ぼくは、勇気づけられるのです。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

ぼくにとっての「見田宗介先生」と著作群。- どのような立ち位置で、ぼくは書くか。

ブログでもいくどか書いてきたけれど、見田宗介先生(社会学者)は、ぼくにとって、とても特別な先生である。

ブログでもいくどか書いてきたけれど、見田宗介先生(社会学者)は、ぼくにとって、とても特別な先生である。

とはいっても、2002年に一度朝日カルチャーセンターでの講義を受講した以外は、見田宗介先生(あるいは、筆名の真木悠介)によって書かれた文章テクストを通して、見田宗介先生に対面するだけである。

著作群を通してだけなのだけれど、この「特別さ」は、なにはともあれとても特別なんだと繰り返すしかないほどに、特別なのである。

見田先生の書物に出会って、もう20年以上が経っても、その特別さはより深く、またよりひろがりをもつものとして、ぼくの生と伴走・伴奏している。


ぼくにとっての見田先生の存在は圧倒的であって、膨大な著作群のなかに、ぼくは「批評」するようなものをまったくもたない。

ほんとうに、まったくないのである。

現代社会のことであっても、自我のことであっても、時間のことであっても、ぼくはただただ、「師」のことばの世界に降り立っていって、できるかぎりの論理と知見と経験を駆使して、いっしょうけんめいに読むだけである。

読むたびに「学び」があり、またじぶんを透明にすきとおらせてゆけばゆくほどに、ことばが「現れてくる」ような感覚をおぼえるのである。

そんなふうにして、ぼくが住んできた、東京でも、西アフリカのシエラレオネでも、東ティモールでも、そしてここ香港でも、ぼくの生の「同行者」である。


だから、ブログなどで見田先生について書くときは、ただただ、ぼくの「感動」を伝えるだけのようなものである。

そこには研究者的な態度であるような建設的批判性などというものはなくて、見田先生のうつくしい文章に、じぶんの精神をかさねてゆくような書き方しか、ぼくはしていないのである。

だいぶ前に書いた修士論文では(経済学者アマルティア・センとともに)見田先生の『現代社会の理論』を大きくとりあげたりもしたこともあるのだけれど、ぼくはいわゆる「研究者」ではなく、見田先生にあこがれ、著作で展開される生き方や世界観にふかいところで共感し共振しながら、その方向にみずから「生きよう」としているものとして、書いているだけである。


このような「書き方」については、少し迷ったこともあるのだけれど、思想家の内田樹先生の著作に、これまたふかく教えられ、さらには励まされたようにも思う。

ぼくにとっての「見田宗介先生」が、内田樹にとっての「哲学者レヴィナス」である。

レヴィナスの翻訳もしている内田樹は、しかし、レヴィナスの「研究者」ではなく、レヴィナスの「自称弟子」として、レヴィナスにかんする著作を書いている。

その本の冒頭で、内田樹はこの「立ち位置」についてきわめて自明的に、つぎのように書いている。


…この本(『レヴィナスと愛の現象学』ー引用者)は一人の思想家について、その崇拝者である「自称弟子」が書いているわけである。当然、そこに客観的評価とか学術中立性を望むのは、「ないものねだり」というものである。哲学史を一望概観して、その中におけるレヴィナスの位置をクールかつリアルに定位するというような仕事はもとより私の任ではない。なぜなら、私にとってレヴィナスは哲学史に卓絶した「完璧な師」であり、そのテクストは「完全記号」だからである。私にできるのは、私の貧しい器を以て師の計り知れぬ叡智を掬いとることだけである。

内田樹『レヴィナスと愛の現象学』文春文庫


このあとにつづけて、このスタンス自体をレヴィナスから学んだことが書かれているが、なによりも、ぼくはこのような立ち位置で、つまりじぶんにとっての「完全な師」であり、「完全記号」としてのテクストをまえにして「自称弟子」として書いてゆくスタンスに、ぼくは励まされるとともに、共感したのであった。

そのような「書き方」があったっていいじゃないかと、ぼくも思うのである。

内田樹にとってのレヴィナスが、ぼくにとっての見田宗介先生である。

ちなみに、内田樹は、似たような仕方で、「村上春樹」について書いている。

そこでは「評論家」ではなく、あくまでも「ファン」であり「崇拝者」であるというポジションから村上春樹を論じているのだ(『もういちど村上春樹にご用心』文春文庫)。


それにしても、人生において、「完全な師」、それからいわば「完全記号」であるテクストに出会えたのは、ひとつの奇跡としか言いようのないことであり、また、ほんとうにしあわせなことであると、ぼくは思う。

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見田宗介の読み解く「村上春樹」の小説。- 「週末のような終末」とあたらしい強い思想の方へ。

ぼくが個人的に「師」と仰ぐ、見田宗介先生(社会学者)。

ぼくが個人的に「師」と仰ぐ、見田宗介先生(社会学者)。

見田宗介先生の著作などから、ぼくは「人や社会や世界」の見方を学び、その見方をぼくなりに日々採用して、人や社会や世界を見て、いろいろと考えるわけですが、ときに、ある特定の人や事象などについて「見田宗介先生ご自身の見方」を聴きたくなることがあります。

そのような「人」のひとりとして、小説家の村上春樹氏がいます(ぼくにとっては、作品が出ればかならず読み、尊敬してやまない小説家です)。

見田宗介先生が村上春樹あるいは村上春樹作品をどのように読み解くだろうかと、とても気になるわけです。


ぼくが見田宗介の(ほぼ)全著作を読んできたなかでは、1985年~1986年にかけて朝日新聞「論壇時評」として書かれた文章群のなかに、「週末のような終末ー軽やかな幸福と不幸」と題された文章を見つけることができます。

その文章で、見田宗介は、村上春樹の小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社、1985年)を取り上げています。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、村上春樹の一連の小説の流れにあって「画期」的な作品であり、見田宗介が論壇時評を書いていた年(1985年)に「日本文学の最大の収穫」と考えられていた作品です(ちなみに、『ノルウェイの森』で村上春樹から遠ざかっていたぼくが、村上春樹に回帰する契機となった作品でもあります)。


1986年に書かれた論壇時評(「週末のような終末ー軽やかな幸福と不幸」)で、見田宗介は、つぎのように村上春樹に触れてゆきます。


 昨年の日本文学の最大の収穫とされているのは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(村上春樹、新潮社)と題された小説である。…村上はこの小説で、世界が限定されたものであるという断念の上にひとつの肯定をさぐりあてている。
<私は死ぬのだーと私は便宜的に考えることにした。……そう考えると私の気分はいくぶん楽になった。>

見田宗介『現代の日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


この作品への他の批評のことばなどを取り上げながら、見田宗介はさらにつぎのように「見て取る」ことになる。


「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」の意識の死を前にしての、<限定された人生には、限定された祝福が与えられるのだ>という述懐は、わたしたちの心にしみとおる。
 けれどそれは、何という老人風の知恵だろう。「世界の終り」を、いわば二重の物のように、はじめから伴走させている青年たちの世代の生の物語。
 村上春樹は「世界の終り」を自同律の快ともいうべき都市として描く。…

見田宗介『現代の日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


こうして、文庫のページ数としては6頁(うち村上春樹に直接に触れるのは4頁ほど)のなかに、見田宗介は濃密に凝縮された文章を織り込んでいきます。


ここではすべては取り上げませんが、のちに論壇時評の「最終回」においてこれまでの論壇時評を振り返るなかで、「世界の終り」を「週末のような終末」として感覚する世代たちをみながら、見田宗介は、1980年代なかばから21世紀前半にかけての本質的な課題をより明確な形で提示してゆくことになります。


 …<週末のような終末>の中で、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を素材に、現在の若い世代の、明るい終末の感覚のようなものを見てきた…
 …この世紀末は次の世紀が来るかという問いを、思想の内部に抱いた世紀末である。
 前世紀末の思想の極北が見ていたものが<神の死>ということだったように、今世紀末の思想の極北が見ているものは、<人間の死>ということだ。
 それはさしあたり具象的には、核や環境破壊の問題として現れているが、そうでない様々な仕方でも感受されていて、若い世代はこのことを日常の中で呼吸している。核や環境破壊の危機を人類がのりこえて生きるときにも、たかだか数億年ののちには、人間はあとかたもなくなくなっているはずだ。未来へ未来へと意味を求める思想は、終極、虚無におちるしかない。
 二十世紀の状況はこのことを目にみえるかたちで裸出してしまっただけだ。…

見田宗介『現代の日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


小説の世界に看取される、若い世代たちの感覚を出発点として、その感覚が人類ぜんたいの課題である<あたらしく強い思想>の要請につなげられ、語られています。

あるいは、このあたらしい思想の要請が、見田宗介の眼を通して、「週末のような終末」を感覚する世代たちを看取するのだということもできます。

この双方向性の(徹底的な)まなざしは、見田宗介の見方であり、あるいはいっそう、その視点の行き来が「生きかた」そのものであるところに、つきない魅力がひそんでもいるわけです。


ここで語られていることは、この文章が書かれてから30年を経過しても、けっして古くなることのない、人類の課題たちのひとつ(もっとも大きなもののひとつ)を指し示しているように、ぼくは思います。

今も、具象的には、核や環境破壊の問題が「日常の問題」として立ち現れ、ぼくたちは、<人間の死>という極北のイメージを日々呼吸しています。

それでも、「未来へ未来へと意味を求める思想」の体現としての社会システムと人々の生きかたは、それをのりこえることができず、自転車操業的に作動しつづけている状況にあります。

これらをのりこえる契機としては、やはり、「物語」ということの力がとても大きいだろう、とぼくは思うのです。

「物語」は、村上春樹の小説のような「物語」だけでなく、人間たちが<共に生きる物語>ということを共同幻想するところまでを射程とする<物語>を含みます。


村上春樹の小説から、話題はずいぶんとひろがってしまいましたが、この「ひろがり」のなかに、見田宗介先生の「本質的な問い」が見えるわけです。

ところで、ぼくの知る限り、見田宗介先生は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』以降の作品に、他の著作等では触れていません(とはいえ、やはり『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に触れたことがあるだけ、嬉しさの混じる「びっくり」ではあったのですが)。

それ以降の作品を読んでいらっしゃるとしたら、どのように「読んで」いらっしゃるのか、お伺いしてみたいものです。

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生きかたにかんする「必読書」の一冊。- 真木悠介『気流の鳴る音』という必読書。

「海外に出てゆくさいの『必読書』の一冊」として、以前、内田樹の著作『日本辺境論』(文春文庫)を挙げました。


「海外に出てゆくさいの『必読書』の一冊」として、以前、内田樹の著作『日本辺境論』(文春文庫)を挙げました。

今回は、枠をおしひろげて、「生きかた」にかんする「必読書」を挙げてみたいと思います。

「必読書」と書くからには、誰にとって、何のために必須とされる書物なのか、ということが明らかにされなければなりませんが、「生きかた」を探求する人たちにとって、よりよい生きかたを考え/実践するためと、ひとまずは書いておきたいと思います。

ぼくの想像のなかで「生きかた」というクラスをたとえば持つとしたら、必読書として、最初に挙げる本です。

書名は、ブログのタイトルにすでに記しましたが、真木悠介の著作『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)です。

40年前の著作ですが、この40年のあいだに「文庫版」(ちくま学芸文庫、2003年)の形になり、また真木悠介の著作集にも収められました。

『気流の鳴る音』には、本編「気流の鳴る音」のほかにも、本編と共振する文章が収められていますが、本編は、「生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」として、カルロス・カスタネダが描くインディオの世界に出会ってゆくことが、目的とされています。

真木悠介は、社会学者である見田宗介の筆名ですが、この本が書かれた当時、<近代のあとの時代を構想し、切り開くための比較社会学>が思い描かれていたように、「生きかたの構想」には、「近代のあとの時代」が重ねられています。

そのようにして、今の時代の生きかたではなく、それをのりこえてゆくところに生きかたが構想されており、そのために近代(および現代)の「外」に一度出るという「方法」(つまり「比較」という方法)が採用されています。

でも、この本を読むことで、しあわせになれるだとか、仕事ができるようになるとかいう「間違った期待」をしてはいけません。

もちろん、そのようになれることも「結果として」はあるのかもしれませんが、読んですぐになんらかの「効果」が生活にあらわれるようなものではありません。

ぼくにとっては20年以上も「読み続けている」本であり、ページをひらくたびに、「生きかた」、あるいは(さらに)存在そのものが問われるような本なのです。

真木悠介は「このように(あるいは、あのように)生きなさい」などと生きかたマニュアルを語るのではなく、その逆に、ぼくたちのなかに、じぶんたちの生きかたを照射する光の粒(あるいは生きかたに影を生む闇の粒)をいっぱいに投げこんでゆくのです。

だから、生きかたの「ハウツー」ではなく、ハウツーが語られる土台そのものを、解体し生成する機縁を与えてくれます。

とはいえ、ぼくにとって、あくまでもぼくにとってはということですが、この本は、読むだけで、ぼくの狭い視界をいっきにひろげてくれたのは確かなことです。

20代はじめのころ、東京新宿の埼京線プラットフォームに向かって歩きながら、この本のことばに導かれ、視界が光をうけるようにひらかれてゆくのを感じたことが、今でも実感として思いおこされます。

それから、西アフリカのシエラレオネに赴くときも、東ティモールに住むことになったときも、ぼくは、ちくま学芸文庫版の『気流の鳴る音』を携え、これら紛争が終結したばかりの国々の「世界」で生きてきたのでもあります。

日々のきりきりとする出来事のなかにあって、ときどきこの本を取り出しては、「日々」のはるか彼方を視野に収める『気流の鳴る音』の射程に支えられたことを、今でも思い出します。

またあるときは、この本に書かれている、ものごとの「見方」(たとえば「焦点をあわせない見方」)を意識して、シエラレオネや東ティモールでの支援活動に生かしたこともありました。

そしてここ香港でも、ぼくはたびたび、この本を手にとることになるわけです。

この本のよいところ(数限りなく、ページページにありますが)のひとつは、「明晰の罠」ということが、明確に意識され、仕込まれていることです。

この本に引用され、また真木悠介(見田宗介)の書くものを通じてときおり出てくる『ウパニシャッド』のつぎの一節が、「明晰の罠」ということを語ってくれていますので、ここで挙げておきたいと思います。

 無知に耽溺するものは
 あやめもわかぬ闇をゆく
 明知に自足するものは、しかし
 いっそうふかき闇をゆく

という『ウパニシャッド』の一節が思いおこされる。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

明知に自足することの危険性をインディオの教えにも観つつ充全に認識しながら、このことが、この本ぜんたいに埋め込まれ、さらには生きかたの思想のなかに装填されることで、あらかじめ、明知の自足によって闇になげこまれるという「明晰の罠」への牽制がなされているのです。

だから、生きかたの構想とそれを解き放ってゆくことは、いつまでも続く旅となることでもあるのですが、だからといって不毛に陥るのではなく、むしろ、この「過程」そのもののなかに、「心のある道」(ドン・ファン)を観る思想が、この本の中心テーマのひとつでもあります。

そんな本を、ぼくは、「生きかたにかんする『必読書』の一冊」として挙げたいと思うところです。

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「情報化社会」における「情報」のコンセプトを徹底してゆく。- 「情報」の3つの種類・作用(見田宗介)。

見田宗介の名著『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)で展開される理論の魅力は、いろいろに語ることができる。

見田宗介の名著『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)で展開される理論の魅力は、いろいろに語ることができる。

とりわけ、「情報化・消費化社会」で語られる社会の光と闇をともに見晴るかしながら、それらの「情報」と「消費」というコンセプトを、根源的に、徹底して「転回」してゆく論理と肯定性に、ぼくたちは「現在と未来」の希望と方向性をもつことができる。

20世紀末に、東京で暮らしながら、「情報化・消費化社会」の闇にうんざりし思い悩んでいたぼくにとって、考え方と気持ちの双方が解き放たれるような体験を、この名著はぼくにもたらしたのであった。


「情報化社会」ということについて、見田宗介は、この著作の最後のところで、つぎのように書いている。


「情報化社会」というシステムと思想に正しさの根拠があるのは、それがわれわれを、マテリアルな消費に依存する価値と幸福のイメージから自由にしてくれる限りにおいてであった。<情報>のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方にあるものに向かって解き放ってくれる。
 けれども…情報の観念は未だ、現在のところ、消費というコンセプトの透徹がわれわれを解き放ってくれる以前の、効用的、手段主義的な「情報」のイメージに拘束されている。

見田宗介『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)


ここで、「情報」の効用的、手段主義的なイメージということについては、「情報」というコンセプトの諸相のぜんたいを見ておく必要がある。

見田宗介は、「情報」はつぎのように、基本的に三つの種類、あるいは作用(機能)をもつとしている。


1.認識情報(認知情報。知識としての情報)

2.行動情報(指令情報。プログラムとしての情報)

3.美としての情報(充足情報。歓びとしての情報)


「情報」ということを考えるにあたって、これだけでもとても興味深い切り分けである。

これらのうち、1と2が共に、手段として・効用としての情報である。

つまり、「何かのための」情報である。

これらに対し、「情報」のコンセプトの第三の様相は、「効用としての情報の彼方の様相、美としての情報、直接にそれ自体としての歓びであるような非物質的なものの様相を含むコンセプト」である。


ゼネラル・ミルズ社の「ココア・パフ」の事例を挙げながら、見田宗介がそこに「論理の可能性」を見たのも、この第三の様相である。

ぼくは、その視点をじぶんの「メガネ」としながら、「一個のジャガイモ→ベークドポテト」に、その「論理の可能性」を見たのであった(ブログ「「ジャガイモ」について。- 主食としてのジャガイモ、ベークドポテト、情報化・消費化社会。」)。

この「ベークドポテト」から連想して「ココア・パフ」に思考が向かい、「情報」というコンセプトについて書こうと思い、今こうして書いている。


この本が出版されてから20年以上が経過した今、そのような「論理の可能性」を見ながらも、「情報の観念は未だ、現在のところ、効用的、手段主義的な「情報」のイメージに拘束されている」という言葉をくりかえす状況にある。

最近(2018年8月)、この『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』の増補版(2018年)が出たけれども、一部の「データ」のアップデートを中心とした増補であり、「情報の観念は未だ、効用的、手段主義的な「情報」のイメージに拘束されている」という記述は変わってはいない。

効用的、手段主義的な「情報」は、いっそう、よりいっそう、その効用性と手段主義を追求してゆくところ(ビックデータ!)につきぬけていっているようにも見て取れる。

しかし、だからといって、「情報」のコンセプトの第三の様相がきりひらいてくれる世界の、その可能性がなくなったわけではないし、むしろ、その可能性が「きりひらかれてきている」と捉えることのできる側面も、ぼくたちはこの世界で見ることができる。

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「現代」という「特異な時代」に生きているということ。- ぼくにとっての「音楽・書物・映画」との関わりから。

『シネマと書店とスタジアム』(新潮社)という著書のタイトルにあるように、作家の沢木耕太郎にとって、「映画・書物・スポーツ観戦」が歓びである。

『シネマと書店とスタジアム』(新潮社)という著書のタイトルにあるように、作家の沢木耕太郎にとって、「映画・書物・スポーツ観戦」が歓びである。

それらは、ぼくにとっては、「音楽・書物・映画/ドラマ」というように言い換えることができる。

これらがあれば、時を忘れてどこまでもそれらの世界にひたることができる、というものだ。


部屋の「片付け」をしていて、これらの「メディア」(媒体)に相当する、「音楽CD、紙の本、映画・ドラマのDVD」のコレクションに圧倒される。

いつのまに、これほどに堆積していたのかと。

近年、ぼくは「ミニマリズム/エッセンシャリズム」に触発されて、「物質的なモノ」を減らす方向に、舵をきっている。

現代社会における「情報化」および「情報通信技術の発展」が、この方向への流れをつくり、また追い風ともなっている。

音楽CDは音楽配信サービスに、紙の本は電子書籍に、DVDも映画・ドラマ等配信サービスに。

配信サービスで提供されていない作品、電子書籍化されていない作品あるいは紙の本として残したいものを除いて、基本的に作品のほとんどが「物質的なモノ」という形状を解き放たれ、「データ」として、つまり「情報」として、アクセスできる。

部屋がきれいに片付くだけでなく、便利でもあるし、なによりも、これまでのような「大量生産ー大量消費」という「自然収奪」的な構造を変えることができる。


そのようにかんがえながら、ぼくは、人類の歴史における、相当に「特異な時代」に生きてきたことを思う。

「音楽」ということを見ても、ぼくが生きている間に、レコード、カセットテープ、MD、CDなどの各種媒体の使用という歴史を一気に通過し、今は「音楽配信サービス」というところに辿りついている。

この通過の底辺には、個人(また家族)という単位におけるエンターテイメント享受という流れがあって、ぼくが生きてきた時代は、個人がCDなどの媒体を所有するという傾向が加速した時代でもある。

「配信サービス」は、そのような「個人による享受」を保持したままで、しかし、物質(CDなど)をデータに変えることで、自然収奪性を減少させている。

ふつうに生きている間は不思議にも思わないのだけれども(むしろ、このような世界が「ふつう」だと思ってしまうのだけれども)、距離をとって眺めてみると、どれだけ「特異な時代」に生きているのかということを感じざるをえない。


社会学者の見田宗介は、人間の歴史における、「近代」という時代に起こった「人口爆発」が、「一回限りの過渡的な」状況であったことを、分析的に述べている。


…この時点からふりかえってみると、「近代」という壮大な人類の爆発期はS字曲線の第Ⅱ期という、一回限りの過渡的な「大増殖期」であったことがわかる。そして「現代」とはこの「近代」から、未来の安定平衡期に至る変曲ゾーンとみることができる…。「現代社会」の種々の矛盾に満ちた現象は…「高度成長」をなお追求しつづける慣性の力線と、安定平衡期に軟着陸しようとする力線との、拮抗するダイナミズムの種々層として統一的に把握することができる。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

「大量生産ー大量消費」ということも、たとえば100年後の世界からふりかえったならば、「一回限りの過渡的な」生産・生活様式であったと見られるにちがいない。

「音楽CDは音楽配信サービスに、紙の本は電子書籍に、DVDも映画・ドラマ等配信サービスに」ということも、このダイナミズムのなかに位置づけてみることもできると、ぼくはかんがえる。

そして、ぼくは、「安定平衡期に軟着陸しようとする力線」の方へと、できるかぎり、考え方も感じ方も、また生活の仕方も移行していきたいと思う。

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D・H・ロレンスの「本の読み方」。- 読むことによる経験を、深く、深く。

『チャタレイ夫人の恋人』などで知られる、小説家・詩人のD・H・ロレンス(1885-1930)。

『チャタレイ夫人の恋人』などで知られる、小説家・詩人のD・H・ロレンス(1885-1930)。

ロレンスの最後の作品、死の直前、1929年の冬に書かれ、1931年に発刊された『アポカリプス』という評論がある。

全集(『The Complete Works of D.H. Lawrence』Delphi Classics 2012)の編者による付記には、文明へのラディカルな批判、また「新しい天国と新しい地球」を創る人類の力へのロレンスの揺るぎない信念の宣言の書であると紹介されている。

社会学者の見田宗介が「9・11」とそれに続く出来事に応答する仕方で、当時発表していた文章のなかに、この『アポカリプス』が出てくる。

この一連の出来事のなかで、想起されたのが、ロレンスによる、この『アポカリプス』という作品であったという。

そのことについては、別のブログ(「「関係の絶対性」という、現代世界の課題。- 見田宗介による「9・11」への応答。」)で書いた。

(なお、ロレンスの生まれた日が1885年の「9・11」であったということはただの偶然でありながら、目にとまる。)

このことをきっかけに、これまで全編をとおしてきっちりと向き合っていなかった『アポカリプス』を読もうと、ロレンスの全集(英語)をひらき、ロレンスの世界に足を踏み入れることにした。

第一章のはじめのほうに、「ロレンスの本の読み方」が書かれているところがある。

本は「理解される」(意味が固定され確立される)とともに、その生命を失うのだと、<本の生命>ということについてロレンスは言及している。

ロレンスにとっての驚きは、たとえば、『戦争と平和』をふたたび読んだとき、それがあまりにもじぶんの心を揺り動かさなかったのかということであったという。

逆に、読むたびに異なる何かが見つかるような本、あるいは異なる仕方で心を揺り動かすときに、本は<生きている>のだと、ロレンスは書く。

また、この時代(20世紀初頭)においてもすでに「浅い本」がつぎからつぎへと出ていたようだが、そのような「1回読んで終わる」本に対峙するように、ロレンスは、本という経験の「ほんとうの歓び(joy)」について、つぎのように書いている。

…一冊の本のほんとうの歓びというものは、それを幾度も幾度も読み返すこと、そしていつもそこに異なるものを見つけ、別の意味、別のレベルの意味に出くわすことにあるのだ。それは、いつもどおり、価値の問いである。われわれは書物の量に圧倒されていて、ある本が貴重でありうること、宝石や、深く深く見てゆくといつもより深淵な経験を得ることのできる素敵な絵画のように貴重でありうることに、ほとんどもう気づかないのだ。6冊そこらの本を読むよりも、あいだをあけて、一冊の本を6回読むほうが、はるかに、はるかによい。ある特定の本がそれを6回も読むようにあなたを呼びとめるのであるのなら、それはそのたびにより深くより深くすすむ経験となり、また魂の、感情的な、精神的なぜんたいを豊饒にするだろう。

『The Complete Works of D.H. Lawrence』Delphi Classics 2012  ※日本語訳はブログ著者

ロレンスが教えてくれる「本の読み方」である。

1929年という時代に書かれた文章であり、現代社会とは異なる社会的状況にあるけれども、この言葉は今だからこそいっそう、書物の状況の一面を言い当てているように思う。

もちろん、「1回読んで終わる」本も、新しい知識や視点を与えてくれるものであったりするし、ときに大きな「気づき」への糸口となることもあるだろうだから、それ自体否定されるものとは思わない。

しかし、やはり、ぼくたちの生きることの深い経験に問いをなげかけ、「世界の見え方」を変え、そうすることで、ぼくたちの精神の土壌を豊饒にするような書物は、ロレンスの書くように、幾度も幾度も「ぼくたちに呼びかけてくる(call you to read it)」ような本であるように、ぼくは思う。

そのような本に一冊でも出会うことができるのであれば、それは幸福なことである。

見田宗介=真木悠介の書く本は、ぼくにとって、そのような<本>である。

そのなかの一冊、真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房、1977年 → 復刻版:朝日新聞社、2014年)を、ぼくはひらく。

もう20年以上、この人生を共にしている。

読むたびに、新しい意味や気づきがひらかれ、視界がひろがり、理解が深まる。

そのように深く、深くすすむ経験のなかで、晩年の(当時ほぼ今のぼくと同年齢の)ロレンスの言葉が、ぼくのなかに響いてくる。

 

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

議論の「不毛なすれちがい」の原因のひとつ。- 「いかなる未来への変革を志しているのか…」(真木悠介)。

先のブログにも書いたように、真木悠介(見田宗介)の『人間解放の理論のために』(筑摩書房、1971年)を読んでいて、17年ほど前に読んでいたときに「棒線をつけた文章」に行きあたる。

先のブログ(「「未来構想」そのものを学ぶこと。- 真木悠介『人間解放の理論のために』(1971年)という本。」)にも書いたように、真木悠介(見田宗介)の『人間解放の理論のために』(筑摩書房、1971年)を読んでいて、17年ほど前に読んでいたときに「棒線をつけた文章」に行きあたる。

 運動論、組織論、変革主体論等に関する論争が、しばしば不毛にすれちがうのは、じつは論争の当事者たちが、そもそもいかなる未来への変革を志しているのか、その暗黙の価値がそもそも異なっており、あるいは(より多くのばあい)、それぞれの当事者自身の内部であやふやなままにおかれているからである。

真木悠介『人間解放の理論のために』(筑摩書房、1971年)

「いかなる未来をめざすのかー<目的の理論>」と題される節のなかで、このことが書かれている。

この文章自体はむずかしいことを言っていないし、読んでいて「納得」できるものである。

けれども、論争や議論のただなかの「当事者たち」にとって、このことを明瞭に理解することは、経験上、むずかしかったりする。


この箇所に棒線をふった当時、ぼくは「途上国の開発・発展」と「開発協力」を専門として研究していた。

ぼくの関心と思考は強い遠心力がはたらいていて、それらの領域におさまらなくなるのだけれども、そのことは、この膨大な研究領域においても同じであった。

しかし、真木悠介のこの言葉はぼくのなかに印象的に残り、「途上国の開発・発展」という領域の論争や議論においても「適用すること」ができるのではとかんがえたのであった。

「開発・発展」ということに託しながら、<いかなる未来への変革を志しているのか>という価値が、論者によって異なっていたり、あるいはあやふやなままにおかれているのではないか、ということ。

そもそも「開発・発展」とは何か、という価値の異なり、あるいは不明瞭さ。

このような問題意識を総体的にすすめることで、ぼくは修士論文「開発と自由~アマルティア・センを導きの糸に~」を書いたのであった。


その後も、論争や議論、また不毛な論争・議論のすれちがいのただなかで、<いかなる未来への変革を志しているのか>ということを見定めようとしたり、尋ねたりすることで、この視点はぼくのなかで生きつづけている。

個人の生も、組織も、また「人類」も、<いかなる未来への変革を志しているのか>という価値が、今ほど問われるときはそれほど訪れることはないという「時」におかれている。

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