香港, 日本 Jun Nakajima 香港, 日本 Jun Nakajima

香港で、ポピュラーな「日本食」をかんがえながら。- 「日本食」(例えば、とんかつ)の歴史を学ぶ。

香港で、ポピュラーな「日本食」を思い起こしてみる。

香港で、ポピュラーな「日本食」を思い起こしてみる。

特定の店の特定のメニューのようなものではなく、一般的な市民権を得ているものとしては、(ぼくの限定的な観察と感覚をもとに)挙げるとすれば、以下の日本食が挙げられる。

● 寿司(また刺身)
● ラーメン
● うどん
● とんかつ

この他にも、カレー、しゃぶしゃぶ、牛丼、焼き鳥、抹茶などがあるけれど、例えば牛丼は圧倒的に吉野家であったりして、多様なひろがりなどを考慮していくと、例えば、上記のような日本食が挙げられる。

また、インスタント麺の「出前一丁」は、一般的な市民権ではなく、特別な市民権を獲得している。

さらに、ここでは「お菓子」類は入れていないけれど、どこに行っても、日本のお菓子(ポテトチップスからポッキーまで)であふれている。

ぼくが小さい頃からあった、チロルチョコやアポロ、うまい棒だって、家のすぐ近くで買うことができる。

このようにして、日本食は、香港の至るところで、さまざまな形で見ることができるし、もちろん食べることができる。

 

現在的な香港では、「肉」and/or「揚げ物」という組み合わせは好まれるようで、香港でも好まれる「とんかつ」にぼくは興味をもち、そもそも「とんかつ」って何だろうと疑問がわく。

ぼくは肉と揚げ物は探し求めるほど積極的に食べないけれど、「とんかつ」というものに、ぼくは関心を抱いてきた。

香港に来てからのことである。

 

柳田國男の著作『明治大正史:世相篇』(講談社学術文庫)のなかに、「肉食の新日本式」という項目が立てられ、柳田國男は「肉食率の大激増」などにふれている。

 

…われわれは決してある歴史家の想像したように、宍(しし)を忘れてしまった人民ではなかった。牛だけははなはだ意外であったかもしらぬが、山の獣は引き続いて冬ごとに食っていたのである。家猪(ぶた)も土地によっては食用のために飼っていた。…ただ多数の者は一生の間、これを食わずとも生きられる方法を知っていたというに過ぎぬ。だから初めて新時代に教えられたのは、多く食うべしという一事であったとも言える。…

柳田國男『明治大正史:世相篇』講談社学術文庫、1993年

 

柳田國男の記述は、肉料理の詳細にまでふれているわけではない。

 

そこで手にしたのが、岡田哲『明治洋食事始め:とんかつの誕生』(講談社学術文庫)で、「とんかつ」そのものに焦点を当てながら、しかし「明治の洋食」という大状況を捉えている著作である。

岡田哲は、柳田國男の著作からもいろいろと着想を得ながら、牛肉の料理である牛鍋やすき焼き、それから1887年に牛丼の元祖である牛飯屋の出現などを詳細に追っている。

これらの詳細はそれぞれに興味深い研究と視点を提示しているけれど、ここでは、「とんかつ」がつくられる歴史の結論的流れにだけ、ふれておく。

 

…「とんかつ」がつくられる歴史は、一つのドラマを構成している。1872年(明治五)に、明治天皇の獣肉解禁があり、1929年(昭和四)に、とんかつが出現するまで、六〇年近い歳月が流れている。すなわち、牛鍋がすき焼きにかわる頃から、庶民の肉食への抵抗が揺らぎはじめていた。その後六〇年をかけた先人たちの努力の積みかさねにより、日本人好みのとんかつができあがった。…

岡田哲『明治洋食事始め:とんかつの誕生』(講談社学術文庫)

 

このドラマの結論的なこととして、岡田哲は、次のようなドラマの筋を挙げている(前傾書)。

① 牛肉から鶏肉、そして豚肉への変遷
② 薄い肉から分厚い肉への変遷
③ ヨーロッパ式のサラサラした細かいパン粉から、日本式の大粒のパン粉への変遷
④ 炒め焼きからディープ・フライへの変遷
⑤ 西洋野菜の生キャベツの千切りを添える
⑥ 予め包丁を入れて皿に盛る
⑦ 日本式の独特なウスターソースをたっぷりかける
⑧ ナイフやフォークではなく箸を使う
⑨ 味噌汁(豚汁・しじみ汁)をすすりながら食べる
⑩ 米飯で楽しむ和食として完成する

この変遷が、前述のように、六十年をかけてなされていく。

こうして、岡田哲はこれらをたんねんに見ながら、日本の食文化の核心にせまっていく。

 

これまで当たり前のように食べてきたもののルーツを辿っていく。

日本にいたときはそれほどその「ルーツ」に興味はわかなかったけれど、海外に住んで、海外でいわゆる「日本食」の受容のされ方を観察したりしているうちに、ぼくは「ルーツ」を知りたくなった。

「とんかつ」はどのようにして、今ここ(香港)にあるのだろうか、と。

じぶんの生きてきた日本文化も説明できないようでは、という思いもある。

そして、柳田國男や岡田哲の著作に目を通しながら、「じぶんは何も知らないじゃないか」と、思ってしまう。

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「原恩」(見田宗介)あるいは「原悲」(河合隼雄)を生の根本にもちながら。- 「日本文化の前提」をかんがえる。

「日本文化の前提と可能性」にかんする論考のなかで、社会学者の見田宗介は(1963年の初期の仕事において)、「汎神論」的世界における<原恩の意識>というものを取り出している。

「日本文化の前提と可能性」にかんする論考のなかで、社会学者の見田宗介は(1963年の初期の仕事において)、「汎神論」的世界における<原恩の意識>というものを取り出している。

方法として「汎神論」と対比しているのは「一神教」である。

仮に「価値=白」「無価値・反価値=黒」とする場合として、見田宗介は、次のように描写している。

 

…一神教とは、黒い画面に白い絵のかいてある世界であろう。「神」によって意味づけられた特定の行為、特定の存在だけが価値をもつので、人がただ生きていること、自然がただ存在することそれ自体は無価値であるか、あるいはむしろ罪深いものである…。「汎神論」では反対に、画面全体がまっ白にかがやいていて、ところどころに黒い陰影がただよっている。日常的な生活や「ありのままの自然」がそのまま価値の彩りをもっていて、罪悪はむしろ局地的・一時的・表面的な「よごれ」にすぎない。…日本文化論のレギュラー・メンバーとなっている俳句や和歌や私小説はつねに、生活における「地の部分」としての、日常性をいとおしみ、「さりげない」ことをよろこび、「なんでもないもの」に価値を見出す。…

見田宗介「死者との対話ー日本文化の前提とその可能性」『現代日本の精神構造』弘文堂、1965年

 

汎神論的な世界をもつ精神構造においては、人間であること自体、生きていること自体に価値をおき、人の生や世界を外側から「意味」を与える超越神を必要としない。

これを、見田宗介は一神教の<原罪の意識>に対比させる形で、<原恩の意識>とよんでいる。

何かの行為や業績や成功などの前に、ただ生きていることそのものに「恩」を感じるような意識である。

 

心理学者・心理療法家の河合隼雄は、西洋的な<原罪>にたいして見田宗介が<原恩>とよんだものを、<原悲>とよんでいる。

キリスト教は「原罪」が基本となることにたいし、日本の宗教は「悲しみ」が根本になることが多いと、河合隼雄は語っている。

ここで河合隼雄のいう「悲しい」は、河合隼雄自身が指摘するように、「悲しい、哀しい、愛しい、美しい」などを包摂するような<かなしい>として捉えておくことが必要である。

その広義の「かなしい」を根本におく<原悲>は、見田宗介のいう<原恩>と重なるものだと、ぼくは思う。

 

河合隼雄はさらに、一神教の宗教を背景としたからこそ、近代科学が出てきたことを語っている。

 

…西洋の宗教では、神と人は明確に違います。姿形でも、人は神に似せて作られているから、人と他の被造物とも明確に違う。だからそこにピシャッと線が入る。「私がー花を観察する」とか、「私がー落下する石を観察する」という明確な区別があるから、近代科学が生まれたんですね。「観る」という漢字がありますね。外界を「みる」のも、内界を「みる」のもあの「観」です。…ところが「観る」の英語observeは「外」だけを「観察」してるんです。そういう態度は、おそらくキリスト教以外からは出て来ないんじゃないか。

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫

 

確かに、人と自然とが融合しているような文明・文化においては、近代科学は出てこなかったかもしれない。

しかし、見田宗介は前述の論考の最後に、次のように「論理」を深くしながら、このことについて書いている。

 

 ヒューマニズムと内面的主体性の確立が歴史的には、超越神への信仰を媒介としてはじめて可能であったということは、数多くの学者の指摘するとおりであろう。しかしそれは、あくまでも歴史的な必然性であって論理的な必然性ではない。一神教の伝統は、ヒューマニズムと内面的主体性の確立のための、いわば触媒であって、その内的な構成要素ではないことを忘れてはならないだろう。…

見田宗介「死者との対話ー日本文化の前提とその可能性」『現代日本の精神構造』弘文堂、1965年

 

「宗教」というものが社会においてかつてのような力をもった時代がすぎさった今も、そこの根底に息づいているようなものが、日常のふとしたところに見られたり、現象したりする。

現代の多くの人たちが信じる<資本主義>も、そこに深く流れるものにプロテスタンティズムの精神があったことをかつてマックス・ウェーバーは分析し、また、社会学者の大澤真幸が現代の文脈のなかで透徹した論理で描いていたりする。

この世界で、原罪を胸に生きている人たちがいること、あるいは<原恩・原悲の意識>で生きている人たちがいることを知っておくことは、いろいろな人と付き合っていくなかで「ものすごく強いこと」(河合隼雄)である。

「そういう意味で僕らは、いろいろ勉強する必要がある」と、西洋と東洋双方に真摯に向き合ってきた河合隼雄は、ぼくたちに語りかけている。
 

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日本, 野口晴哉, 成長・成熟 Jun Nakajima 日本, 野口晴哉, 成長・成熟 Jun Nakajima

「日本人の創造性」についての、野口晴哉の考察。- 「正確・記憶・形式」から「空想」へ。

整体の創始者といわれる野口晴哉の、地に足のついた考察を読めば読むほどに、その広がりと深さに圧倒される。...Read On.

整体の創始者といわれる野口晴哉の、地に足のついた考察を読めば読むほどに、その広がりと深さに圧倒される。

「子供の教育」(したがって、親や大人の言動)にかんする野口晴哉の考察の中に、「日本・日本人」についての考察がある。

「日本人には本当に独創性がないのだろうか」と、野口晴哉は自身に問いながら、簡潔かつ直球の考察をなげかえしている。

1960年代に書かれた考察で、日本の教育が「模倣の才能」を育て、独創性を壊してしまうような方向に行われていることを、野口晴哉は語っている。

 

…日本の教育に於て、一番大切にされているものは何かといえば、正確ということである。自分で思いついたことより、何かの標準に正確に合っていることの方が貴ばれている。思いつきより標準に正確な方が信頼される。正確というものは物差しがいる。物差しは自分以外のものである。正確が要求されればされるほど、思いつきは価値を失う。…思いつきが育たなければ創造ということはない。…

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年

 

野口晴哉は、日本の教育で大切にされているものとしての「正確」に加え、「形式」と「記憶」が日本では大切にされているとする。

「形式」を厳重に守ることで、個人の自由な思いつきは脇にやられる。

そこで、「記憶」ということが大切にされる。

正確、記憶、形式というものをつきやぶることのない教育が、日本人の独創性を奪ったものとして、野口晴哉は考えていた。

およそ1960年代のことである。

このことは、50年ほどが経過してもなお、日本・日本人、また日本の教育につきまとうことであるように、ぼくは思う。

野口晴哉の文章を、「今の時代」のこととして読んでも、まったく違和感がない。

今も、日本は、正確・記憶・形式ということの中に、からめとられているようなところがある。

もちろん、日本の経済発展を支えてきたのも、これらである。

一様にきりすてるものではないけれど、あまりにも、これらに偏重してきたように思う。

 

野口晴哉は、この状況を打開していく方途として、子供たちの「空想」を育ててゆく方向を定めている。

 

 私達はこれからの子供達に、正確だとか記憶だとかいうような、過去の残骸を押しつけることを止めたい。正確も記憶も、みんな過去のものであって未来のものではない。その過去のものから出発させるという教育を止めて、思いついたこと、思い浮かべたことを育てて創造に直結できるように、日本人の持っている空想性というものを育ててゆきたい。…

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年

 

野口晴哉はこの文章に続き、「空想」ということを、あらゆる角度から論じている。

これらの考察は、人間にかんする深い洞察に充ちている。

ぼくの関心(「ストーリー・物語」論)にひきつけると、この「空想」は、「物語」を人の中に生成させるプロセスであるように、ぼくは見ている。

思いついたこと、思い浮かべたことが「他者の物差し(物語)」により抑制されるのではなく、じぶんの中に生成していく物語の芽となる。

そのように、ぼくは野口晴哉の「空想論」の中に、可能性を見出していきたい。

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日本型資本主義を駆動してきた「内面的な動力」(見田宗介)。- 現代のぼくの内面に聞こえる残響。

西欧近代の原動力となった「プロテスタンティズムの倫理」(マックス・ウェーバー)との対比の中で、日本近代の原動力となった精神を「立身出世主義」に見る、社会学者の見田宗介。...Read On.

西欧近代の原動力となった「プロテスタンティズムの倫理」(マックス・ウェーバー)との対比の中で、日本近代の原動力となった精神を「立身出世主義」に見る、社会学者の見田宗介。

その論考「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」(『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店に所収)は、発表から50年を経過した今でも、ぼくたちの思考や議論に光を与えてくれる。

日本の外で、日本・日本人なるものを考えながら、そしてだからこそじぶん自身の底流をまなざす中で、この論考は一層、ぼくの内面にひびいてくる。

 

明治という時代は、人を家柄等ではなく「能力と業績」によって位置づけるという、斬新な考え方を素地にスタートした。

それは「噴出する上昇欲求」となって秩序をおどろかす恐れがある中で、支配層は「秩序とエネルギーを両立させる方途」を探ったと、見田宗介は論を展開していく。

そして、噴出する上昇欲求の体制秩序への「誘導水路の根幹」となったものとして、「学校制度」とそれを基盤とする「官員登用のルート」であったという。

しかし、「官員登用のルート」は、上層にいる人たちをすくうのみであり、小学校だけしかいけない層をすくいとることはできない。

このような民衆のエネルギーを開発しつつ、同時に、秩序の中におさめておく企てにおいて、準拠とされたのが、「二宮金次郎」であったと、見田は指摘している。

 

このように、上層と下層にいたって形成されてきた「立身出世主義の性質」として、見田宗介は3つのことを挙げているが、その最初におかれたのが、「プロセスにおける倫理化」である。

それは、プロセスにおける「心構え」の重視による倫理化という性質を帯びる。

当時の雑誌などの丹念な読み込みの内に、見田宗介は、この性質を丁寧に論じている。

「成功」のオピニオンリーダーたちは、少年たちの志がいたずらに高くなることを戒め、「ステップ・バイ・ステップ」を伝える。

「心構え」が強調されていく。

 

 底辺から頂点にいたる現実の上昇ルートが限定されればされるほど、能動的な民衆の意欲の開発による社会的エネルギーの調達は、現実認識ときりはなされた抽象的な精神主義にますます依存せざるをえない。

見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店

 

上層においては、現実に「上昇ルート」を登っていくことの原動力となる「心構え」としての精神。

他方で、それは、下層においては、異なる機能を発揮していく。

 

…無限の上昇への幻影の供与によって、底辺の上昇欲求を体制秩序の内部において燃焼せしめ、障害の意識と不満はこれを内攻して自罰化せしめ、支配層によって好ましい方向にのみエネルギーを流しこむメカニズムとして、いっそう虚偽性のつよいイデオロギーとしてあった。
 そしてこのように、体制の上下において相呼応しつつ、それぞれの地位に応じて機能する「精神」(心構え!)をバネとする、立身出世主義の全構造こそ、日本型資本主義の急速な発展をその方向に推進してきた内面的な動力であった。

見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店

 

明治時代という特定の時代のことであり、それがそのままの形で現代を特色づけるものではないけれど、日本型資本主義を駆動してきた「内面的な動力」はそれでも、現代の日本の社会と人に、今でも、その性質をいくぶんか残しつつ、残響をひびかせているように、ぼくには感じられる。

また、明治という時代は、実は、それほど遠くない過去であったとも、ぼくは最近よく思う。

日本の外で、来たる時代との接続・トランジションにある中で、ぼくはそんなことを考えている。

 

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日本近代化の<精神>を今考えること。- 近代化を駆動した「立身出世主義」(見田宗介)。

海外(日本の外)にいながら、「日本人・日本」ということをよく考える。「海外で仕事をする」ということにおいては、日本人の仕事の仕方のことをよく考える。...Read On.


海外(日本の外)にいながら、「日本人・日本」ということをよく考える。

「海外で仕事をする」ということにおいては、日本人の仕事の仕方のことをよく考える。

今現在という日々の現象の中でいろいろと考えるのだけれど、他方で「歴史」をひもとくことで見えてくることもある。

 

社会学者・見田宗介の初期論考(1960年代から1970年前半に書かれた論考)に、「日本の近代化」をテーマとしながら、「明治時代」にまでさかのぼる論考がある。

「見田宗介著作集」の刊行により、これらの論考を手にしやすくなった。

見田宗介の著作は、見田宗介がメキシコにある大学にいく1970年代半ば以降、内容と文体に大きな変化をみせる。

初期論考は、この変化よりも前に書かれた論考だけれど、今でも、多くの示唆に富む内容である。

日本人・日本を見つめ直していく上で、「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」という見田の論考に、ぼくはひきつけられる。

 

この論考で、見田宗介は「日本近代の主導精神」として、「立身出世主義」を挙げている。

マックス・ウェーバーが、西欧近代の主導精神として「プロテスタンティズム」にあったことを論じたが、それでは、日本ではどうだろうかと問い、「立身出世主義」であると、見田宗介は考える。

そして、「立身出世主義」の特質と、それによって形成された日本の「近代」社会がはらんだ矛盾を、明晰に論じている。

 

導入部分で、見田宗介は、日本の小学校・中学校・高等学校の卒業式でうたわれる「あおげば尊し」の歌詞に注目している。

歌の一節に、「身を立て名を挙げやよはげめよ」という句がある。

この「身を立て名を挙げ」という思想は、江戸時代の農民や町民には教えられることはなく、江戸における封建の世においては農民は農民というように分をわきまえるものであったという。

 

「天性同体ノ人民賢愚其処ヲ得」ベシとする明治元年の伊藤博文の理想が、当時どんなに革新的でありえたことか、すなわち人をその門地家柄によってではなく、能力と業績によって位置づけるという考え方が、当時どんなに斬新でありえたことか。…

見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店

 

「身を立て名を挙げ」は、それまでの身分的な固定感をうちやぶっていく思想であったと、見田宗介はみている。

「あおげば尊し」の歌は、明治憲法や教育勅語が発布される前の明治17年に、文部省の歌集に現れており、当時急速に発展していく「小学校」という制度(だれもが参加できる!)において、「身を立て名を挙げ」は子供たちのなかに焼きつけられていくことになる。

ちなみに、当時出版された、サミュエル・スマイルズの著作『Self Help』の日本語訳は、「西国立志論」というように「立志」と訳されていることにも、見田は「身を立て名を挙げ」の思想を見ている。

 

論考の、この導入部分だけでも、さまざまに考えさせられる。

ぼくたちが歌ってきた「あおげば尊し」、「能力と業績」の萌芽、「小学校」という制度、「Self Help」の捉えられ方など、今の日本や日本人を考えていく上でもさまざまな示唆に充ちている。

この導入部につづき、明治の体制への取り込み、日本の「根性」論、「ステップ・バイ・ステップ」の考え方などが、論じられていく。

それらは決して明治の時代のことに限ることではなく、今も、日本や日本文化や日本人の(したがって、ぼくの)底流に流れるものたちだ。

これらを知ったからといってすぐに何かが変わるものではないけれど、なんらかの「道」に光をあててくれるはずだ。
 

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言葉・言語, 身体性, 日本 Jun Nakajima 言葉・言語, 身体性, 日本 Jun Nakajima

心と身体にせまってくる、相田みつをの言葉たち。- 一時帰国したときに立ち寄った「相田みつを美術館」で。

2010年のとき、ぼくは香港に暮らしていて(今も香港だけれど)、日本に一時帰国することになった。...Read On.


2010年のとき、ぼくは香港に暮らしていて(今も香港だけれど)、日本に一時帰国することになった。

その頃は日本に行く機会は、年に1回ほどであった。

人が生きていく上で直面しなければならないことに、ぼくは相当にまいっていて、「世界の風景」が違ってみえるほどであった。

そんな折に、たまたま東京国際フォーラムの近くを通って、「相田みつを美術館」がひらかれているのを見つけた。

美術館のオープンは2003年11月。

ちょうどぼくが西アフリカのシエラレオネから東ティモールに移って、最初のコーヒー輸出を終えたころということで、ぼくはあまり東京に帰ってくる機会がなく、美術館のオープンは知らなかった。

 

それまでも「相田みつを」のことは知っていたし、数点の作品を見ただけで魅かれてもいたけれど、通常であれば美術館の行くほどの気持ちは起きなかっただろう。

しかし、2010年のその時は、なぜか、「相田みつを」に魅かれ、空白の時間ができたこともあり、ぼくはひとり、「相田みつを美術館」の空間に入っていった。

ぼくは、そこで出逢う、相田みつをの言葉たち、言葉とその筆使いに圧倒されることになる。

原作の数々の言葉たちが、心と身体にせまってくる。

「詩」という、言葉の地平線にむかって放たれて書かれる言葉たち。

書かれた言葉たちが、深く、身体的なのだ。

ぼくは、言葉ひとつひとつの「筆づかい、筆致」に、心身をかさねあわせていく。

ぐーーっと、言葉たちがちかづいてきては、じぶんのなかで、何かが解凍される。

当時のぼくを、深いところでささえてくれるような、言葉たちであった。

 

しあわせは
いつも
じぶんの
こころが
きめる

相田みつを(相田みつを美術館)*写真はブログ筆者(美術館で手に入れたもの)

 

このシンプルな言葉だけでも、ぼくたちに伝わってくるものがあるけれど、筆づかいは「相田みつを」という人をとおして、ぼくたちをさらなる深いところに導いてくれる。

「しあわせ」ということを、相田みつをは、どのように考え、感じていたのだろう。

ここでは「じぶんのこころがきめる」としている。

「じぶん」と「こころが」の筆致が、「しあわせ」に増して、圧倒的にちからづよく書かれ、せまってくる。

相田みつをにとって、「しあわせ」は、二の次だったのではないかと、ぼくには見える。

「しあわせ」を大切にしていないわけではない。

「じぶん」と「こころ」に、徹底的にむきあってきたからこそ、変幻自在の「しあわせ」はこの筆致で書かれたように、思う。

 

相田みつをの言葉たちと筆づかいを心身で感じながら、ぼくが見ているのは、ぼく自身の「じぶん」と「こころ」でもある。

相田みつをのまなざしは、この言葉たちをみている人たちの「じぶん」と「こころ」にも、向けられている。

相田みつをはそこに立ちながら、ぼくたちに問う。

あなたの「じぶん」と「こころ」はいかがか、と。
 

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「能率」か「情緒」か?「むずかしい仕事」と「地域の問題」において。- 「日本人の意識」調査の結果から。

「『能率』か『情緒』か?」などのような問いに対する日本人の考え方と考え方の変容について、統計学的に、客観的な数字で見ることのできる資料として、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査がある。...Read On.


「『能率』か『情緒』か?」などのような問いに対する日本人の考え方と考え方の変容について、統計学的に、客観的な数字で見ることのできる資料として、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査がある。

調査は1973年から5年ごとに行われ、日本人の生活や社会についての意見の動きを捉えることを目的としている。

最新の調査は、2013年に行われている。

日本の国外(海外)で15年にわたり生活をし、働いてきた中で、「日本人の意識」や考え方と、異国・異文化における人々の意識や考え方との<間>におかれながら、いろいろと問題に直面し、考えさせられてもきた。

そのような問題意識で、「日本人の意識」調査のデータを見ていると、とても興味深いことばかりだ。

海外で(もちろん日本国内でも)よりよく生きて、よりよく働くためにも、「気づき」を得て、日々に生かしていくことが大切だ。

その「気づき」のためにも、調査結果のデータはたくさんのことを、客観的な数値で見せてくれる。

 

「能率・情緒」という意識と考え方について、「仕事」と「隣近所」という場に関する設問を見ることにする。

 

能率・情緒(仕事の相手)
第16問 
かりにあなたが、リストにあげた甲、乙いずれかの人と組んで仕事をするとします。
その仕事がかなりむずかしく、しかも長期間にわたる場合、あなたはどちらの人を選びたいと思いますか。
甲:多少つきあいにくいが、能力のすぐれた人
乙:多少能力は劣るが、人柄のよい人

NHK放送文化研究所「日本人の意識」調査(2013年)結果の概要

 

これまで行われた9回の調査の内、ここでは1973年・1993年・2013年のデータを共有しておくと次のようになる。

  1. 甲の人を選ぶ(能率):26.9%(1973), 24.6%(1993), 27.0%(2013)
  2. 乙の人を選ぶ(情緒):68.0%(1973), 70.8%(1993), 70.3%(2013)
  3. わからない、無回答等:5.0%(1973), 4.6%(1993), 2.7%(2013)

むずかしい問題に向かい中長期にわたって一緒に仕事をする相手を選ぶ際に、能率よりも「情緒」を選ぶ人が多いことは、推測の域を超えるところではない。

ただし、それでもおどろくのは、第一に、情緒を選ぶ人が70%という高い数値であり、それから第二に、この40年間の推移において、ほとんど数値が動かないことである。

一貫して高い数値を維持し、2013年という最近においても、その数値の水準が維持され続けていることである。

むずかしい仕事の乗り越えを、仕事そのものの解決というより、「人間関係」にたくしているように(あるいは人間関係に解消してしまうように)みえる。

例えば、香港という「能率」を重視する社会の中で、香港的な能率と日本的な情緒という仕事の仕方のようなところで、異文化のズレがさまざまな事象の中に見られる。

このトピックはここから深く分析していくことも可能だけれど、ここでは立ち入らず、次の「地域・隣近所」における「能率・情緒」を見てみる。

 

能率・情緒(会合)
第32問 
かりに、この地域に起きた問題を話し合うために、隣近所の人が10人程度集まったとします。
その場合、会合の進め方としては、リストにある甲、乙どちらがよいと思いますか。
甲:世間話などをまじえながら、時間がかかってもなごやかに話をすすめる
乙:むだな話を抜きにして、てきぱきと手ぎわよくみんなの意見をまとめる     

NHK放送文化研究所「日本人の意識」調査(2013年)結果の概要

 

ここでも、前の設問と同じように、1973年・1993年・2013年のデータを共有しておくと次のようになる。

  1. 甲の人を選ぶ(情緒):44.5%(1973), 50.9%(1993), 54.8%(2013)
  2. 乙の人を選ぶ(能率):51.7%(1973), 44.6%(1993), 42.5%(2013)
  3. わからない、無回答等:3.8%(1973), 4.5%(1993), 2.7%(2013)

「仕事の相手」の設問とは、場(関わり方)の設定、時間(短期、長期)の設定などが異なるが、それでも興味深いデータを見ることができる。

第一に、「能率」を選ぶ人が多いこと、第二に、1973年時点では「能率」を選択する人の方が多かったこと、さらに第三に、1973年以後徐々に「情緒」の数値の方が大きくなっていることである。

1973年の数値の背景としては、「隣近所」というコミュニティの「つながり」が醸成されていたこと、あるいは逆に「つながり」がなかったけれど見えない信頼感のようなものが形成されやすい場であったのかもしれない。

「情緒」が醸成されている/醸成されやすい環境で、むしろ「能率」に目が向けられる。

あるいは、日本社会の「合理化」という近代化の動力におされる形で、社会のすみずみまで、「能率」が貫徹されていく過程であったのかもしれない。

1973年以降は、今度は、日本社会における共同体と家族の変容(あるいは解体)の中で、「つながり」の細い糸を巻いては強くするように、「情緒」を大切にしているように見える。

あるいは、社会における合理化の貫徹の中で、また311などを契機としていく中で、違うところに価値を見出す人たちの出現を表しているのかもしれない。

 

調査では、甲・乙という設問のあり方だけれど、現実はそれほど単純ではない。

能率も大切だし、情緒も大切だ。

能率か情緒かに関する抽象的な議論にはあまり意味がない。

日々の仕事やコミュニティにおける問題・課題の解決では、双方が求められ、日々の具体性の中で双方を駆使していく必要がある。

そのことを認識しながらも、しかし、意識の底辺における考え方や感じ方が、問題・課題解決から人や組織を遠ざけることもある。

異文化の中では、それが「先鋭化」しがちだ。

その一歩引いた視点の中で、「気づき」を土台に、仕事やコミュニティでの人との関わり方を考え、生きていくことが、ぼくたちをより広い世界に解き放ってくれる。
 

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外国の友人の眼と体験を通じた「日本」。- 小さい子供たちが楽しめる日本。

外国の友人と話をしていて、興味深いことを聞いた。いろいろと海外旅行をしてきた中で、日本がいちばん、小さい子供たちが楽しめるところだと言う。...Read On.


外国の友人と話をしていて、興味深いことを聞いた。

いろいろと海外旅行をしてきた中で、日本がいちばん、小さい子供たちが楽しめるところだと言う。

ヨーロッパに行くと、例えば、美術館や博物館などは、小さい子供たちがすーっと入っていけるものではない。

日本は、小さい子供たちが遊べるようなものが豊富だというのだ。

外国の友人の眼と体験を通じて見る「日本」というのは、日本人のぼくにとって「ブラインド・スポット」となっているところに光をあててくれる。

 

日本に住んでいたり、観光で行った海外の人たちからよく聞くことのいくつかは、次のことである。

● 人が親切であること(道をたずねるととても親切に案内してくれること、など)

● モノ(携帯電話やコンピューターなどの高価なものを含む)をなくしても戻ってきたり見つかったりすること

● 街などがきれいであること

これらのことは、直接の友人や知り合いからも聞き、また日本について語るPodcastのような番組などでも聞く。

「小さい子供たちが楽しめる場所」であるということは、今回、はじめて耳にしたと思う。

他で聞いた覚えはない。

もちろん、「体験」には限度があるから、その限度内でのことであるけれど、それでも一面の「真実」を伝えている。

アトラクションや会場に行って、小さい子供たちが楽しめるようなものが用意され、提供されている。

確かに「言われてみれば…」というところがないわけではないが、実体験として、実感としてはまだぼくの中で熟成されていない。

 

それでも、他者の眼と体験を通じて見える「世界」は、ひとつの視点として、ぼくの中に住みつく。

そのような視点やパースペクティブの集積が、ぼくの「世界」の豊かさを醸成してくれる。

視点やパースペクティブが、相互に矛盾し、相互に対立したりすることもあるけれど、それらを含めて「世界」は豊饒になってゆく。

「日本」の情景をみる視点がまたひとつ付け加えられ、情景は異なる様相を見せ始める。

 

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