東ティモール, 海外・異文化 Jun Nakajima 東ティモール, 海外・異文化 Jun Nakajima

東ティモールで、「人口統計(国勢)調査」を受けたときに「困ったこと」

2003年から2007年まで東ティモールに住んでいたとき、ぼくは一度、東ティモール政府の「人口統計調査」(国勢調査)を受けたことがある。...Read On.

2003年から2007年まで
東ティモールに住んでいたとき、
ぼくは一度、東ティモール政府の「人口
統計調査」(国勢調査)を受けたことが
ある。
(香港でも調査を受けたことがあります。)

東ティモールで「人口統計調査」を
受けた日本人は、あまりいないと思うけれど。

詳細は覚えていないのだけれど、
ぼくの記憶には、首都ディリの事務所
の風景、それから調査用の小さな用紙
のイメージが今も残っている。

記憶に残っている理由の一つは、
人口統計調査を受けた際に困ったから
である。

この「困ったときの感情」が、まるで
スマートフォンで写真を撮るとき
のように、その風景を、カシャ、と
切り取ったようだ。

でも、「困ったこと」は、ぼくにとって
は大切な学びであった。

「困ったこと」とは、調査用の用紙に
あった設問である。

それは、自身の「宗教」を選択する設問
であった。

ぼくは、特定の宗教をもたないため、
選択に困った。

それまで、東ティモールを含め、海外に
いると、
「あなたの宗教は何ですか?」
と聞かれることがあった。
そのときは、アニミズムとか、
「自然」だとか、で応答していた。

ただし、今回は、用紙の選択肢の中に
そんな選択肢はなかったのだ。
(ちなみに、東ティモールはほとんど
の人たちが「カトリック」である。
ポルトガルの影響である。)

ぼくは、この設問項目と選択肢に
とまどったことを、今でも覚えている。

最終的には、ぼくは、選択肢にあった
「仏教」を選択した。

とまどった本当の理由は、
「宗教がないと人と認められない」と
いう感覚をもったからだった。

日本に住んでいると、「宗教」には
さまざまな「偏見」がともなっている。
でも、西アフリカのシエラレオネでも、
東ティモールでも、宗教は、日々の
生活に根ざしている。

ぼくも、そんな人たちを尊重して、
教会の大切なイベントに参加したりした。
イスラムの祈りの時間を尊重して、
待機したりした。
宗教が、宗教として存在する磁場があった。

だからといって、ぼくは、特定の宗教を
もつことはしない。
でも、世界に暮らしながら、もっと宗教の
ことを理解しようと、学び続けている。

「宗教社会学」という扉からの学びは
知的興奮に満ちたものだ。
社会学者の大澤真幸や橋爪大三郎の著作
から学んでいる。
二人が登場する対談の著作『ふしぎな
キリスト教』だとか、『ゆかいな仏教』は
学びでいっぱいだ。

そして、社会学者の真木悠介(見田宗介)
の名著『自我の起原 愛とエゴイズムの
動物社会学』。
その著作の補論は、宮沢賢治を読み解き
ながら、「自我の地平線」と真木がいう
「性現象と宗教現象」について展開されて
いる。

「宗教」を理解することは、人間や文化、
そして文明までを理解する手がかりとなる。
それは、ぼく自身を理解することでもある。

 

追伸:
東ティモールにいたときに、もうひとつ
戸惑ったことは、
「結婚することで一人前」とみなされる
社会であったことだ。
でも、東ティモールに長くいると、
その感覚が身にしみてわかっていった。
「家族」っていいなと心より感じさせて
くれた。

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香港で、「貧困」のコンセプトを考える - シエラレオネ・東ティモールから香港を経る中で。

香港は、この10年で、物価がとても高くなった。不動産価格はなかなか下がらない。家賃などもこの10年で上がり続けてきた。...Read On.

香港は、この10年で、物価がとても
高くなった。
不動産価格はなかなか下がらない。
家賃などもこの10年で上がり続けて
きた。
海外からくる、いわゆるエクスパット
は、高騰する家賃を避けるために、
外に家を探しもとめているという
ニュースが出ていた。

香港は、貧富の差が大きいところだ。
「ジニ係数」という所得分配の不平等
さを示す係数において、香港はアジア
でもっとも係数が高い。
それだけ、所得格差が開いている。

ぼくは、大学後半から大学院で、
「途上国の開発」や「貧困問題」を
研究してきた。

大学院修了後は、世界で最も寿命が低い
と言われていたシエラレオネ、
それからアジアで最も貧しいと当時言わ
れていた東ティモールに、
国際NGOの職員として駐在した。

「貧困」については、そのカテゴリーは
好きではないけれど、学問としても、
それから実務でも、正面から向き合って
きた。

シエラレオネでは紛争後の緊急支援に
たずさわり、それから、東ティモール
では、コーヒー生産・精製の支援から
「収入改善」のプロジェクトを運営して
きた。
そこから、経済成長を続ける香港に
わたってきた。
香港では、「経済」や「お金」という
ものを、正面から考えさせられてきた。

しかし、途上国(南北問題の「南」の
国)の貧困と、先進国の貧困とを、
理解しておく必要がある。

ぼくは、このことを、社会学者・見田
宗介の「現代社会の理論」から学んだ。
「貧困のコンセプト。二重の剥奪」と
題された文章で、見田はこのように記述
している。

 

…貧困は、金銭をもたないことにある
のではない。金銭を必要とする生活の
形式の中で、金銭をもたないことにある。
貨幣からの疎外の以前に、貨幣への疎外
がある。この二重の疎外が、貧困の概念
である。
 貨幣を媒介としてしか豊かさを手に
入れることのできない生活の形式の中に
人々が投げ込まれる時、つまり人びとの
生がその中に根を下ろしてきた自然を
解体し、共同体を解体し、あるいは自然
から引き離され、共同体から引き離され
る時、貨幣が人びとと自然の果実や他者
の仕事の成果とを媒介する唯一の方法と
なり、「所得」が人びとの豊かさと貧困、
幸福と不幸の尺度として立ち現れる…。

見田宗介『定本 見田宗介著作集 I』
(岩波書店)


途上国の「貧困研究」では、見田宗介が
正しく指摘するように、この「あたり前」
のことを議論の前提として忘れてしまう
ことがある。

 

香港の生活(香港だけでなく、例えば、
東京の生活もそうだけれど)は、まさに、
「金銭を必要とする生活の形式の中」に、
人びとをまきこんでいく。

物価が上がり続けてきた中で、
つまり「金銭を必要とする生活」度合いが
強まる中で、人びとは、「貧困」に陥らな
いように、走り続けなければならない。

香港では「自然」は実際には大規模に広が
っているものの、それは生活の物質的な
豊かさをもたらすものではない。

多くの人は「都会生活」である。つまり、
「貨幣への疎外」を経験している。
だから、通常は「金銭」を増やしていく
ことしか、道はない。

「金銭を必要とする生活」のダイナミクス
と、その切迫感が、香港のスピードの速さ
とエネルギーを生み出しているように、
ぼくには見える。

ただし、香港では「共同体」が、「家族」
という単位で、最後の砦を守っている。
核家族ということもあるけれど、
「拡大家族的な共同体」の砦であったりする。

「家族」が、愛情の共同体であると共に、
ソーシャル・セキュリティ的な役割(物質的
な拠り所)も担っている。

世界で最も「貧しい」と言われていたシエラ
レオネから、アジアで最も「貧しい」と言わ
れていた東ティモールへ。
それから世界でも最も「豊かな」ところで
ある香港へ。

ぼくは、この「格差」の中で、社会や世界を
考えさせられる。
ぼくも、「金銭を必要とする生活」の只中で、
しかし、日々、こうして食事をすることが
できることに感謝する。
感謝しながら、「自分にできること」を考える。

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香港で、市場に併設の食堂で食べた麺の記憶 - よく晴れた朝の静かな市場で。

香港のよく晴れた朝、出来立てのパンと新鮮な果物を手にいれるために、近くのパン屋さんと市場に足を運ぶ。...Read On.

香港のよく晴れた朝、
出来立てのパンと新鮮な果物を手に
いれるために、近くのパン屋さんと
市場に足を運ぶ。

都会の香港だが、新鮮な野菜や果物
などを売っている市場(いちば)も
各地でにぎわっている。

きれいな場所とは言えないけれど、
最近は各地で改装が進んでいたりする。

アジアを一人旅していたころは
よく市場に行った。
その土地の生活が垣間見え、
また、自分の五感が開かれる。

現代人は五感の中で、「眼」に
「支配」されている。
アジアの市場の音や匂いなどは
ぼくたちの五感を開いてくれる。

香港に住むようになって、しかし、
スーパーマーケットに頼りきりに
なってしまっていた。
それはそれで便利だけれど、
最近は市場に買い出しにいくこと
が多い。

だから、今回も足を運んだのだ。
朝方で、まだ人はまばらであった。
(香港の「朝」はあまり早くないの
だろう。)

まずは、目当ての果物を手にいれる。
それから、朝の市場を歩く。
野菜や果物などの「新鮮さ」にひか
れる。

その「新鮮さ」にひかれて、
併設の小さい食堂の前で立ち止まる。
家に帰って朝食を食べる予定だった
けれど、ここで牛肉麺を食べてみる
ことにした。

20年以上前のベトナム旅行を思い出す。
市場横でフォーを食べたものだ。

メニューの一番上にある麺(”牛腩河”)
をオーダーした。
2分ほどで麺が運ばれてくる。
見るからに、新鮮だ。

案の定、おいしかった。
ぼくの期待に、期待を超えて、
きっちりと応えてくれる。
お肉も、ネギも、麺も、スープもとても
新鮮だ。

なんでもないお店だけれど、
そこにはやはり食の文化がある。
ガイドブックにものっていないし、
レストランを紹介するアプリにも
でてこない。

でも、作家・辺見庸が『もの食う
人々』の取材で、世界の美味しい
ものを探し求めていきついた境地
を、ぼくは思い出す。

食材や調理ももちろん大切だけれど、
いきつくところ、食べる側の状態に
よってしまうのだ。

香港のよく晴れた朝に、
気持ちよく外を歩いて、市場に足を
運び、そこの店に静かに腰掛ける。
おじさんが、一所懸命に、プライド
をもって麺をつくり、おばさんが
運んできてくれる。
ぼくたちはそれを静かに味わう。

そこに、忘れられないおいしさが
生まれる。
そのおいしさは、繰り返しのきかない、
一回限りのものだったりする。
味を正確には覚えていないけれど。


追伸:
「写真」は麺とスープに少し手をつけた
後にとりました。
運ばれてきて、温かい内にすぐに
食べることが、作り手に対する
礼儀です。
写真なんかとっている場合では
ないけれど、さっとだけ、撮りました。


 

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シエラレオネのダイヤモンド、そして「石と花」

西アフリカのシエラレオネで、2017年3月、706カラット(一部のニュースでは709カラット)のダイヤモンドを、牧師が発見した。...Read On.

西アフリカのシエラレオネで、
2017年3月、706カラット(一部
のニュースでは709カラット)の
ダイヤモンドを、牧師が発見した。

世界で、史上10番目にもなりうる
というダイヤモンドである。
タイム誌の記事によると、
US$5000万相当のダイヤモンド。
競売でまだ買い手がつかないようで
ある。

発見された場所は、シエラレオネ
東部の「コノ地区」である。
ダイヤモンド産地として有名な場所
である。

シエラレオネのダイヤモンドは
内戦や紛争の原因であり、資金源で
あった歴史をもつ。

ぼくは、2002年末頃から2003年
途中にかけて、「コノ地区」に駐在
していた。
ぼくの所属する国際NGOは、
難民・避難民の帰還支援として、
国連難民高等弁務官事務所と
共に、井戸掘削事業を展開して
いた。

コノは、当時電気も水道もなかっ
た。
電気はジェネレーターで発電し
水は井戸からであった。

事務所の周辺にはダイヤモンド
鉱山がひろがっていた。
朝から多くの人たちが、
手作りの竹ザルを手に、泥まみれ
になりながら、ダイヤモンド原石
を探していた。

巨大ダイヤモンド発見のニュース
は、ぼくに、コノを思い出させた。

ダイヤモンドは、ただの「原石」で
あるものが、磨きをかけていくこと
で、まさしく「ダイヤモンド」になる。
そこに「夢」と生活をかけて、
今日も、人々は鉱山で泥をすくう。



そのような記憶と、路上に咲く花が、
イメージとして重なる中で、野口晴哉
(「整体」の創始者として知られる)
の文章が思い起こされる。


花は花と見ることによって花である。
石は石と見ることによって石である。
花も石である。
石も花である。

野口晴哉『碧巌ところどころ』
(全生社)

 

この言葉の存在を教えてくれた
社会学者の見田宗介は、「教育や
福祉や看護の仕事に巣立ってゆく
年々の学生たちに、記して贈る
ことば」として、この言葉を次の
ように説明している。

 

野口晴哉がこのことをいう時、
それは美しい理想でもなく
主観的観念論でもなく、人間は
人間が気を集注する方向に変化し
伸びてゆくものだという、現実的
な人間理解と実践知によって
裏打ちされている。石も花として
花開かせるという仕事は、技法が
技法であることの核心をきちんと
通ってつきぬけてゆく気構えだけ
が、はじめて実現することのでき
る冒険である。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X』
(岩波書店)


「人」にかかわるものとして、
石を花開かせることを身にひき
うけていく気構えと実践ができて
きたか、と、野口晴哉の厳しく
美しい言葉は、ぼくに問いをなげ
かけてくる。

シエラレオネで
原石がダイヤモンドとして成る。
ぼくは、シエラレオネで、
「支援」という仕事の実践で
石を花開かせることができたか。

香港の路上で、
美しい花を見ながら、
また、香港の「Hong Kong
Sevens」の開幕が、香港の
春の訪れをつげるなか、
そんなことを、ぼくは思っている。

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堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である』-「G人材とL人材」論について、香港で考える。

堀江貴文の新著『すべての教育は「洗脳」である』を、ここ香港で読む。副題は「21世紀の脱・学校論」。...Read On.

堀江貴文の新著、
『すべての教育は「洗脳」である』
を、ここ香港で読む。
副題は「21世紀の脱・学校論」。

日本では題名(とくに「洗脳」と
いう言葉)だけで反論を呼ぶのかも
しれないが、語られている内容は、
「まっとうな分析」である。

学校は、メインストリームの制度に
おいては、産業革命に開かれた社会
の枠組みを超えられずにいることは
確かだ。
(ただし、途上国における教育は、
若干の「留保」が必要であると思う。)

さて、本著作において、ぼくの関心事
とつながるところは、
「第2章 G人材とL人材」である。

堀江貴文によると、
今後、人は、生まれた国・地域に関係
なく、「生き方、考え方、働き方」に
おいて、次のように、大きく二つに
分かれていくという。

●G人材:「グローバル」を行動範囲
●L人材:「ローカル」(地元)に根付く人材

G人材は、彼の言葉では、次のような
人材だ。

 

【G人材】
・人物像:合理的・寛容・フラット
・大切なもの:自分のやりたいこと
・フットワーク:軽い・変化を好む
・豊かさの指標:情報
・こだわる場所:なし
・生きている時間:現在
・希少性:高い

堀江貴文
『すべての教育は「洗脳」である』
(光文社)

 

もちろん、例外を排除し、理解を
目的として簡素化された人材像である。

彼が本書で何度もくりかえすように、
どちらがよい・悪いということではなく
「生き方」の問題である。


大切なのは、GとLの二つから、
うまみのありそうな方を選ぶ
ことではない。自分のやりたい
こと、大切にしたいものを理解
することなのである。その結果
どちらを選ぶことになろうと、
あなたの”本音”と合致している
限り、幸せな生き方は追求でき
るはずだ。

堀江貴文
『すべての教育は「洗脳」である』
(光文社)

 

上述したように、堀江の「G人材・
L人材」論は、理解のために簡素化
された参照のようなものである。

なお、どちらでもない人は、
「N人材」として説明されている。
Nはnationの頭文字である。

それぞれの特徴の詳細はともあれ、
人材の「二極化」自体は、これから
さらにすすんでいくと思われる。

産業革命が牽引してきた「近代」と
いう時代の慣性、その解体という
力学のなかで、ぼくたちは、価値観
と生き方において、違う極に引き裂
かれている。

それら両極への力学のなかで、
大切なことは、自分の「生き方」で
ある。
世界の編成が目まぐるしく変遷する
なかで、どのように生きていきたいのか
が、いつもぼくたちに、問われている。



ところで、本書で触れられる、
G人材の豊かさの指標に記載された、
「情報」の考え方がおもしろい。

背景として押さえておくことは、
インターネットがもたらしたのは、
情報を、
「所有すべきもの」から
「アクセス」するものに、
変貌させたこと。
つまり、情報革命は、
「所有」の価値を落としたこと。

G人材は、このような、
「アクセスするもの」としての
「情報」に価値をおく、と語られる。

この方向性が内包する「可能性」は、
<消費/情報化社会>の弊害
を解決する•低減する道へと続いて
いるように、ぼくは直感する。

それにしても、
ぼくは、堀江貴文の「口癖」が好きだ。

 

「やればいいじゃん!」
 

何かに迷ったときに、ぼくの脳裡に
この言葉が聞こえる。

本書のメッセージは、冒頭に置かれ
た、この「口癖」にもどってくる。


行動は、いつしか、自分が「あたり
まえ」だと思っていることに疑問を
さす。

その裂け目から、「洗脳」をほどく
糸口がひらく。

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「良い人」と「悪い人」を考える冒険 - シエラレオネ・東ティモールで考えたことを、香港の晴れた日に考える。

世界のいろいろな国・地域で、いろいろな国・地域の出身の人たちと話をしていて、「良い人」と「悪い人」の話になることがある。...Read On.

世界のいろいろな国・地域で、いろいろ
な国・地域の出身の人たちと話をして
いて、「良い人」と「悪い人」の話に
なることがある。

国境を越えての会話というコンテクスト
も作用し、
「良い人」と「悪い人」は世界どこにも
いる、という話になっていく。
だから、「悪い人」には気をつけよう、
という地点に会話が落ちついていく。

この視点は、一面では「正しい」けれど
ぼくはいつも気持ちがさわぐ。

より正確には、
人は誰しも(「例外」はどこでもあるが)
良い人にもなるし、悪い人にもなりうる
と、ぼくは思う。

映画「Star Wars」のダース・ベイダー
は「悪い人」だけれど、暗黒面のフォー
スに屈っする前は「良い人」であった。
また、悪い人でありながら、内奥には
「良い人」を抑えこんでいたりする。

ぼくは、2003年、内戦終結直後の
シエラレオネに、難民(国内避難民)の
緊急支援のため派遣された。

戦争の「傷跡」が、なまなましく、
ひろがっていた。
人の身体の傷はもちろんのこと、
人の心の傷は、心の原型をくずすところ
まで深いものであった。

落ち着きとある程度の秩序を取り戻して
いたシエラレオネだが、
いつ何が起こるかはわからない。
万全の安全対策で、気が張る生活が
つづいた。

そんな環境に身をおきながら、
ぼくは、時々、自分の内奥にひろがる
「暗い湖」を見ていた。
もし、この地で、秩序が壊れ、内戦に
突入したら。
戦いの只中におかれ、戦闘員として
生きのびていかなければならないと
したら。
ぼくは正気ではいられない
だろうという感覚がわきあがる。
「良い人」でいられる自信が「暗い湖」
の底にきえてしまった。

今(当時)は、国連の元で活動する
部隊のもとで、ひとまず「安全な環境・
秩序」が、つくられている。
だから、緊急支援を担う「良い人」で
いられる。

東ティモールにいたとき、
2006年、この「安全な環境・秩序」
が、くずれかかった。
首相は事態を収取できず、他国の軍隊
の出動を要請した。

オーストラリア軍がすぐに出動となり
空港に軍隊が配備されたりと、
秩序の回復が早急になされた。

東ティモールでは、独立以前の、
独立闘争の残酷で過酷な話を、
聞いていた。

そんな話を聞くたびに、ぼくは、
ぼくがその状況に置かれたら、どの
ように振るまうだろう、と考えずには
いられなかった。

このような経験を経て、ぼくは、
人は誰しもが良い人にもなるし、
悪い人にもなることを、実感値として
つみあげてきた。

だから、人として、また社会として
できることは、すくなくとも、
人が「悪い人」にならないような
環境をつくりだしていくことだ。

大川正彦が著書『正義』のなかで、
ジューディス・シュクラーの「恐怖
の自由主義」(<恐怖からの自由>
を軸にすえる自由主義)をとりあげ
ている。

この言葉と議論を、シエラレオネで、
東ティモールで、ぼくは、自問して
いた。

歴史学者ユバル・ノア・ハラリは
人間(サピエンス)が乗り越えて
きた問題・課題のひとつとして、
「戦争」を挙げている。

<恐怖からの自由>を用意する素地
が、社会にはできたのだ。

世界で、今も続いている「恐怖」の
現実の中で、しかし、希望は開かれて
いるはずだ。

ぼくたちは、誰しもが「悪い人」に
なりえてしまうことを身に引き受け、
そこから希望を開いていくという、
人それぞれの「責任」(response - 
ability=応答可能性)を、この時代の
「過渡期」で担っている。

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香港で考える「香港なるもの」の、3つのこと - 「黄大仙」寺院を訪れて。

香港の観光スポットである「黄大仙」の寺院(道教・仏教・儒教)に行ってきた。...Read On.

香港の観光スポットである「黄大仙」
の寺院(道教・仏教・儒教)に行って
きた。

*黄大仙寺院「Wikipedia」ページ
 

近くにあるためか、寺院の前を何度も
通り過ぎながら、10年間、一度も
行ったことがなかった。

混むことを予想し、朝9時30分頃には
到着した。
しかし、すでにツアー客(中国大陸と
韓国からのツアーが多い)でごった返
していた。

「黄大仙」の寺院を通じて、
ぼくは「香港なるもの」の3つのこと
を考えた。

 

(1)小さいけれど何でもある香港

イメージでは黄大仙寺院は、とても
大きいと勝手に思っていた。
でも、実際に行ってみて、非常に
コンパクトにまとまっていた。
庭園などもあるけれど、全体的に
小さい。

香港は、その中に、何でもある。
香港のすごいところだ。
けれども、小さい。

黄大仙のような寺院も、香港には
ある。
黄大仙寺院は立派な建築であり、
それはそれで素晴らしい。
けれど、規模は小さい。
(ただし、「占い館」の店舗数は
圧巻であった。)

 

(2)ビジネスへのコミットメント

ビジネスへのコミットメントは
熱いものがある。
その熱意には、いつもながら、感心
してしまう。

占い師たちは、通りがかるぼくたち
に声をかけてくる。
一所懸命な占いへの誘いである。

黄大仙の駅から寺院につながる道
では、ご年配の方々が、一所懸命に
お線香を売っている。
ご年配の方々は独自のルールで
一列に並び、順番で、声がけをして
くる。
(ぼくもかなり迫られた。)

「香港なるもの」を感じるひと時
である。

 

(3)喧騒の中の「修行」

寺院は喧騒につつまれていた。

寺院の脇も、寺院の中も、人が行き
交い、声がとぶ。

香港の喧騒の中での「祈り」は
相当にむずかしいことを感じる。

ぼくは特定の宗教をもたない。

でもマインドを落ちつかせる
メディテーションはする。

喧騒の中でも、喧騒をものとも
しない心と精神をもつことは、
ある意味「修行」である。

香港はそんな機会を与えてくれる。

10年で相当鍛えられてきた
ぼくも、まだまだであることを
感じたひと時であった。


それにしても、
やはり「体験」は大切であること
を感じさせてくれた、黄大仙。

「書を捨てよ、街に出よう」
(寺山修司)の実感値が上がった、
「黄大仙」であった。

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香港で、22年前の「旅」を振り返る - 「人との出会い」を考える。

1995年7月、初めて、香港に来た。飛行機でする旅としても、初めてであった。...Read On.

1995年7月、初めて、香港に来た。
飛行機でする旅としても、初めて

あった。

成田空港から、香港の(今はなき)
啓徳空港へのフライトであった。
今でもいつもそうなのだけれど、
「飛行機」が空を飛ぶという不思議さ
に、当時も思考の迷宮に陥っていた。

前年の1994年の夏は、
横浜港から上海への3泊4日のフェ
リーの旅であったこともあり、
たった3時間半ほどで日本から香港
へ着いてしまうことに、ぼくは
驚くばかりであった。

機内に乗り込む人たちを見ながら、
この人たちは、どんな思いで、飛行機
に乗って香港に向かうのだろうと、
ぼくは物思いにふけてしまう。

その機内で、ぼくの隣の席は、
若い日本人夫婦(のよう)であった。
夫である彼の方が、ぼくに話しかけて
きた。

彼らは中国生まれであった。
小学生くらいまでの人生を中国で
過ごし、それから日本に移った。
ご家族が在留孤児であったようだ。

彼は自衛隊に入隊し、
ひとまずの任期が終わり時間が
できたところで、旅に出たとのこと
であった。

機内ではいろいろな話をした。

自衛隊で、サリン事件で出動した
こと。
また、関西大震災でのことなど。

1995年は、1月に関西大震災、
そして3月には東京でサリン事件
が発生していた。

1995年3月20日、昼近くに、
ぼくは起床。
電車に乗って大学に向かうとき、
ぼくは、その路線のすぐ先で、
朝方にサリン事件が起きたことを
知った。

香港への旅は、同じ年の夏のこと
であった。

彼らに出会えて、いい人たちに
出会えたことを感謝した。

一人旅を通じて、ぼくは、
ほんとうに多くの人たちに出会
えた。
返還前の香港で、中国で、タイで
ベトナムで、ラオスで、ミャンマー
で。

その後も、シエラレオネ、東ティ
モール、香港で暮らしていく中で
いろいろな人たちに出会ってきた。

 

ぼくは「人との出会い」を考える。

第一に、出会ってきた人たちが、
ぼくの「内的な世界」を豊饒に
してくれた。

東京の部屋を出て、世界に飛び出
してみて、ぼくの「内的な世界」
は、いろいろな人たちと出会う中
で書き換えられていった。

「内的な世界」が、砂漠のようで
あるとしたら、
そこに木が植えられ、オアシスが
でき、街ができ、人が行き交い、
そのようにして「世界」ができて
いくようであった。

「自分(という現象)」は、
他者の集積でもある。
他者の「声」が、内化されて、
「自分」という現象が形成されて
いく。

「自分」は、その本質にして、
一人ではなく、他者の集まりで
ある。

出会いが与えてくれたことの
二つ目は、
「いろいろな生き方」や「いろ
いろな人生」があってもよいのだ
という感覚であった。

それまでは、人生は大別すると
二つしかないと思っていた。
レールにのる人生と
レールにのらない人生。
今思うとバカバカしいけれど、
当時のぼくは真剣に悩んでいた。

世界のいろいろなところで
世界のいろいろな国・地域の
人たちに出会う中で、この感覚と
考え方が崩れた。

人生は、カテゴリー化を許さない
のだと。
人の数だけ、人生はあるのだと。

だから、ぼくも、
魅力的な人生をつくっていきたい。
他者の「内的な世界」を豊饒化
するような生き方であり、
人生の数は人の数だけあるという
生き方である。

ぼくの(そして、ぼくと人生の
パートナーの)人生の旅は、まだ
始まったばかりだ。

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香港で、22年前の「ぼく」に出会う -「夢よりも深い覚醒」(見田宗介)という生き方。

香港の重慶大厦(チョンキン・マンション)の前で、ぼくは、22年前の「ぼく」に出会う。...Read On.

香港の重慶大厦(チョンキン・マンシ
ョン)の前で、ぼくは、22年前の
「ぼく」に出会う。

ぼくは、1995年7月15日、はじめて
訪れた香港
の街をさまよった挙句に、
やっとの思いで重慶大厦に到着した。

2017年のぼくは、重慶大厦の前で、
バックパックを背負い、一人で、香港
や海外を歩いていた「ぼく」を見たのだ。

1995年のぼくは、このめくるめく香港
という「大きな世界」で、不安と興奮の
内におかれていた。

2017年のぼくは、1995年、どのように
このエリアを「さまよった」のか、
わからない。

ぼくには、ふたつの気持ちが湧き上が
った。
ひとつは、ドライに、こんな小さな空間
で、どうして迷ったんだ、という気持ち。
もうひとつは、1995年に感じた「大きな
世界」に今更ながら入りこみ、そこで
不安と興奮をかかえこむ気持ちである。

ふと、社会学者・見田宗介(=真木悠介)
の、鮮やかな文章が脳裏によみがえる。

その文章は、竹田青嗣の著書『陽水の
快楽』によせられた、見田の「解説」
であった。

見田宗介は、音楽家の井上陽水が
竹田青嗣にとってどのような存在で
あるのかを、こんな風に表現している。

 

『招待状のないショー』(1976年)
の絶唱「結詞」に至る陽水の仕事の
うちに竹田が聴くのは、つぎのような
ことだ。
 青春の夢を必ず訪れる挫折をとお
して、「ひとは、憧憬や感傷や理想
を奥歯で咬み殺すリアリストになる。
陽水にもその痛恨が滲みなかった
はずがないが、彼は自分の中の
リアリストの方を噛み殺したのだ。」
 夢から醒める、ということが、
感動の解体であるばかりでなく、
いっそう深い感動の獲得でもある、
というところにつきぬけていく力
として、陽水は竹田にとってある
ようにぼくにはみえる。

見田宗介「夢よりも深い覚醒へ
ー竹田青嗣『陽水の快楽』」
『定本 見田宗介著作集X』所収



この「解説」は、「人生の生き方」
を変える力をもつ文章である。
少なくとも、ぼくは、この文章に
心から共感し、励まされてもきた。

2017年のぼくは、1995年の
「ぼく」に向かって、したり顔で
「香港の街は知っているよ」と、
声をかけたくなる。

けれどもぼくは、「心の深い地層」
では、あの「大きな世界」で、
不安と興奮が呼び覚まされている。

「夢よりも深い覚醒」へ。

2017年に「重慶大厦」の前で
出会った1995年の「ぼく」は、
2017年のぼくを、夢よりも深い
覚醒に、いざなってくれたように
ぼくは感じている。

ぼくは、リアリストの方を
噛み殺したのだ。

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香港, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で、香港の記憶をめぐる - 「重慶大厦」に「1995年の記憶」をみる。

香港は、ビクトリア湾を境に、香港島と九龍・新界側にわかれている。Tsim Sha Tsuiは九龍側の先端に位置し、香港島の美しい風景に面している。...Read On.

香港は、ビクトリア湾を境に、
香港島と九龍・新界側にわかれて
いる。
Tsim Sha Tsuiは九龍側の先端に
位置し、香港島の美しい風景に
面している。

そのTsim Sha Tsuiに、「重慶大厦」
(チョンキン・マンション)が佇ん
でいる。
重慶大厦は、安宿が集合している
建物である。
主要道路であるネーザンロードで、
その存在感を放っている。

1995年7月15日。
ぼくは、はじめて、香港の地に降り
立った。
香港はまだ、イギリス統治下であっ
た。
ぼくにとっては、はじめての飛行機
による旅でもあった。
前年1994年の中国旅行は、
日本から/へフェリーを利用した
ため、はじめての飛行機による旅
であった。

バックパッカーたちの情報からは
重慶大厦は安宿として有名であった。
だから、ぼくも、重慶大厦を目指し
た。
もちろん、予約などせずに、飛び
込みでいくつもりであった。

香港空港は今とは場所が異なり、
住宅街に突如とあらわれる啓徳空港
であった。
その位置から着地が難しいなど、
当時はまったく知らず、スリリング
な着地は、機内で拍手を巻き起こした。

夜10時にさしかかるところであった。
香港は雨が降っていた。

入国審査に時間がかかる。
バスの路線がまったく理解できない。
不安だけがつのっていく。

外国人バックパッカー群が、
乗り降りするところで、ぼくも
乗り降りをする。

バスを降りると、
そこには「香港の街」が広がっていた。
雑多で喧騒の通りが、ぼくを迎えた。

コンビニや東急などの都会に様相に、
ぼくは安堵とともにがっかりした。

ぼくは、その香港の街を、バック
パックを背負って、さまよった。
2時間以上もさまよい、時計は
夜中の12時をすでに超えていた。

飛行機で隣りに座っていた日本人
夫婦は、すでにホテルに着いている
だろうかと、気にかかった。

宿探しに途方に暮れ、
マクドナルドで休憩することにした。
マクドナルドで座りながら、考える。
宿をあきらめ街をふらつくか、
もう一度探すか。
考えた末、ぼくはもう一度トライ
することに決めた。

新たな決心のもとに5分ほど歩くと
ぼくは、安宿があるエリアに戻って
きていることに気づいた。
「よし」と、力がわいてくる。

歩きに力が入る。ぼくは、そうして
「重慶大厦」の文字を見つけたのだ。

夜中の1時になろうとしているとこ
ろであった。

こんな時間に宿を見つけられるか
わからなかったけれど、
適当な安宿の前で、入り口のベルを
ならす。

誰もでてくる気配がなく、
ぼくは、あきらめと共に、引き返す。

それと同時に、ドアが開く音が響く。

宿の管理人と思われる、ヨーロッパ
系の女性が、ぼくを招き入れてくれた。
ぼくは拙い英語で、しかし興奮気味に
泊まりたい旨を伝えていた。
こうして、ぼくは、宿のドミトリーに
泊まることができた。


あれから、22年の歳月が流れようと
している。

こうして、香港に住み、重慶大厦を
眺める。

改装された重慶大厦は、今も、
そこに存在感を放っている。

そこに、ぼくは、香港の記憶を
めぐる。
香港にいながら、香港の記憶を
めぐる。

今となっては、はじめて香港に到着
した夜、どこの道をどうやって、
さまよっていたのか、わからない。
あのマクドナルドが、どこのマクド
ナルドだったのかもわからない。

ただ、ぼくは、確かに、この地に
降り立ち、さまよい、重慶大厦に
辿りついた。

それは、子供のとき、不安と興奮で、
裏山を「探検」したときと似ている。
大人になったとき、その裏山を
訪れると、探検という言葉には
似合わない程の場所であった。
でも、子供のときには、そこが、
ひとつの「大きな世界」であった。

そして、あの旅で、
ぼくは、香港に将来仕事で来る
ような「予感」を抱き、
ぼくは、今こうして香港にいる。

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海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

聴いて「一石十鳥」のPodcast - Tim Ferris Show & James Altucher Show

「小さなステップ」を踏み出し、歩み続け、切り開いていく道のりで、聴いて「一石十鳥」のPodcastに、ぼくはインスピレーションを受けている。...Read On.

「小さなステップ」を踏み出し、
歩み続け、切り開いていく道のりで、
聴いて「一石十鳥」のPodcastに
ぼくはインスピレーションを受けて
いる。

この二つのPodcast(英語)である。


- The Tim Ferris Show

- The James Altucher Show
 

どちらも、世界のトップパフォーマー
にインタビューを行うPodcast。
作家や大学教授、デザイナーやアー
ティスト、起業家など様々なゲストが
呼ばれる。

週1ほどで定期的にアップロードされ
一話は1時間から2時間である。

一石「十鳥」は、この通りである。
 

1. 「英語」のブラッシュアップ

英語の聞き取りの練習になる。
世界のトップパフォーマーたちの
話を聞きながら英語を学べる。

 

2. 1週間のリズムをつくる

週ごとにアップロードされるので
これを聞くことで、週のリズムを
つくっていくことができる。

 

3. トップパフォーマーの仕事

トップパフォーマーたちの、
それぞれの仕事を知ることができる。
その業界でどのようなことが起きて
今後どのようになっていくのかなど、
最新の「声」を聞くことができる。

 

4. トップパフォーマーの知恵

どちらのShowも、トップパフォー
マーたちの「知恵」を探りだして
いく。
生活習慣から、生きていくことの
アドバイスまで。
ゲストそれぞれの「伝記」的な
話を聞くこともできる。
ぼくもそこから学び、実践して
きている。

 

5. Recommended Booksの充実

ゲストたちは、推薦書籍を挙げて
いく。
このリストはとても充実している。
ぼくも気になるものがあれば、すぐ
に購入して読む。


6. インタビューの仕方の学び

Tim FerrisとJames Altucherの
インタビューの仕方を学ぶことが
できる。
どのようにして、ゲストの話を
聞き出していくか。
うまくいくときもあれば、
噛み合わないときもある。
しかし、質問自体を含め、学び
の多いインタビューである。

 

7. Tim Ferris & Jamesの知恵

インタビューアーである
Tim FerrisとJames Altucherから
も学ぶことができる。

 

8. Podcastの作り方

Podcastがどのように作られて
いくのかを学ぶこともできる。
構成から内容、ゲストの選択や
呼び方まで。
James Altucherは、ブログで
Podcastの作り方・改善の仕方を
共有している。

 

9. Podcastの発展形式

Podcastが、例えば書籍になって
いく過程などがわかる。
Tim FerrisもJamesも、
Podcastの学びをベースに
ベストセラーの書籍をつくり
だしている。

 

10. よりよく生きる「仲間」

Tim FerrisもJamesも、
それから様々なゲストも、
よりよく生きていけるよう、
それぞれに力を尽くしている。
よりよく生きる「仲間」の
ような感覚をもつことができる。

 

「一石十鳥」のPodcastである。
それにしても、Podcastは相当に
パワフルな媒体である。
これが無料である。

今週もたくさんの学びと気づきを
得た。
聞きながら感じたこと。それは
将来、ぼくも、このような
Podcastをつくりたい。

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香港, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で、「静けさ」を確保する3つの方法 - 人混みに疲れたときに。

香港は、活気と躍動感に充ちたところである。どこにいっても人の流れがあり、人混みが香港のエネルギーをつくりだしている。...Read More.

香港は、活気と躍動感に充ちたところ
である。
どこにいっても人の流れがあり、
人混みが香港のエネルギーをつくり
だしている。
そんな空間にいると、
「香港にいるなあ」と香港を感じる。

ちょっとした旅行で香港にくるときは、
このパワーをもらって帰国したりする。
しかし、香港に住むとなると、この
人混みに、時に疲れてしまうときが
ある。

10年前に香港にきた当初は、
この人混みにやられてしまった。

香港にくる前に住んでいた東ティモー
ルは、(当時)信号もない国で、
人混みには程遠い場所であったことも
ある。

ぼくは「静けさ」を確保するための
3つの方法をとってきた。

 

(1)「時間差」を利用する

世界の都会はどこもそうだけれど、
「ラッシュアワー」は混む。
電車にはじまり、レストランも
人にあふれる。

だからシンプルに時間差を利用する。
特に「早めに」何かをする。

朝早く起きる。
週末のお昼は11時にとる。
週末の夕食は18時にとる。

都会は「夜ふかし」である。
だから、早めをこころがける。

 

(2)「中心」を避ける

香港は、都会が中心に向かって
密集しているような空間である。

ビジネスはその店舗などを、
その密集した中心に集結させて
いく。
小売やレストランにとって
場所は致命的なほど重要である。
ショッピングモールに人は集まっ
たりする。

この「中心」を避けていくことで
静かな空間をみつける。

また、香港の人たちの多くは、
便利を好む傾向にあり、「遠く」
の場所はすいている。

 

(3)「自然」にふれる

都会の香港だけれど、
実は自然にかこまれている。

海も山も、近くにひろがっている。
海のスポーツも、トレッキングも、
機会が大きくひらかれている。

だから、自然を活用しない手は
ない。

週日は仕事が忙しい場合でも、
週末にはこれら3つの方法をとる。

また、週日にも、ちょっとした
「静かな時間」をもつ。

その静かな時間と空間の中で、
「ほんとうに大切なこと」を考える。

自分軸の「ぶれ」を見つめて直す
ために、また、生きていくことの
舵を切るための「一人作戦会議」を
するために、ぼくは、そんな時間と
空間を重宝している。

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香港, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

「天気がいい/悪い」と、言わないように。 - 自分の中に「地球」を描く。

「天気がいい/天気が悪い」と言わないこと。ぼくはこう決めるけれど、個人史の中で、身についた価値観と感覚を入れ替えることは容易ではない。...Read More.

「天気がいい/天気が悪い」と、言わない
こと。
ぼくはこう決めるけれど、個人史の中で、
身についた価値観と感覚を入れ替えること
は容易ではない。
ここ香港で、ついつい、晴天を待ち望んで
しまう。
気象庁に相当する「香港天文台」も、来週
頭から「天気は回復する(improving)」
と天気予報をつげている。週末は天気が
悪くなる。

天気がいい/悪いという分岐線は、
・晴天がよいこと
・雨天は悪いこと
という価値観を前提にしている。

世界の色々な国・地域を旅し、住み、移動
していくと、雲や雨の大切さが身にしみて
くる。

途上国で仕事をしているときは、
雨がもたらす「水」の有り難さにふれる。
日々の生活につかう水から、農作物が
育つための水。
シエラレオネの井戸水は、雨水が地層に
しみこんで濾過された水である。
東ティモールのコーヒーの木たちが、
コーヒーの実をむすぶために雨の役割は
大きい。
雨がふらないと、水不足で、コーヒーの
精製はもとより、生活水にもこまる。
マレーシアのクアラルンプールでは、
雨がふらないため、断水の時期がある。
ぼくは都会での生活にもどると、水の
大切さ、雨の有り難みがうすれてしまう。

人類は「自然から自立すること」で
文明と近代・現代を築いてきた。
そして「都市生活」が全域化してきたのが
近代であり現代である。
人類は、自然から自立し、しかし
同時に自然が疎遠になり、自然から疎外
される。

「水道」というツール・道具は、
自然からの自立を可能にしてくれた。
しかし、水道水を「当たり前」として
享受する人たちは、水は道具でしかなく
水という自然から疎外される。

現代とこれからの「いまだ名づけられない
時代」は、この自然からの疎外という
関係性を変えていく時代である。

宇宙を舞台にする数々の映画がつくられて
いる。
クリストファー・ノーラン監督の映画
『Interstellar』、マット・デーモン主演
の映画『The Martian』などなど。
それらの映像がぼくたちに感じさせてくれ
るのは、宇宙や他の惑星という視点から
折り返される「地球の美しさ」である。

地球の美しさには、晴天も雨天も、すべて
が内包されている。

宇宙という視点から折り返される「地球」。
世界の様々な国・地域に、様々な仕方で
住む人たちが織りなす「地球」。
ぼくは、そのような風景と感覚を、
自分の経験を媒介にして、自分の中に
とりこんでいく。
イマジネーションを働かせ、自分の内奥に
美しい地球を描いていく。

そのようにして
「天気がいい/悪い」という言い方、
そしてその言い方を支える前提と価値観を
少しずつだけれど解体し、新たな「何か」
を自分の中で生成させていく。

人間の「外部の自然」との関係は、
人間の「内部の自然」(人間の心やマイ
ンド)と、確かにつながっているのだから。

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香港で、「コーヒーの定点観測」をしてきて - 香港の「コーヒー事情」雑記。

香港に移ってきた2007年。当時、美味しいコーヒーが見つからなかった。...Read More.

香港に移ってきた2007年。
当時、美味しいコーヒーが見つから
なかった。

2007年香港に居住を移す前、
ぼくは東ティモールでコーヒー事業
に従事していた。
コーヒーの苗木つくり、コーヒーの
精製、コーヒーの輸出、それから
コーヒー生産者組合の組織化にわたる
まで、字義通り、日々奮闘した。

東ティモールでそれまでつくってきた
「スペシャリティ・コーヒー」の世界
から、「インスタントコーヒー」が
デフォルトの香港に、ぼくは移ってきた。
その落差は、個人的には大きかった。

それ以来、香港で美味しいコーヒーを
追い求めて「コーヒーの定点観測」を
してきた。

香港のコーヒー事情について、
雑記として、ここに書いておきたい。

 

(1)香港におけるコーヒー事情

ここ5年程で、香港のコーヒー事情が
一気に変わってきた。

次の3つの点からコーヒー事情を考えて
みたい。

  1. コーヒーの品質
  2. カフェ文化
  3. 物語としてのコーヒー

10年前、コーヒーといえばインスタント
コーヒーであった。
そして、ミルクコーヒーである。
もちろん、そうでないコーヒーもあった
が、品質(豆・焙煎など)が相当に
低かった。

ここ5年ほどで、そのコーヒー事情が
一気に変わってきている。

ぼくの経験としては「Holly Brown
Coffee」が香港のセントラルに店を
出したあたりから、事情が変わってきた。
Holly Brownは、店舗内に焙煎機をかまえ
良質なコーヒーをとりいれていた。
開店当時はヨーロッパから専門家を
招いていた。

この時期と同時期に、香港でカフェ文化
が根づいていく。
どこにいっても、新しいカフェができて
いく時期にはいる。

カフェがふえていくと同時に、
コーヒーの品質も全体的にレベルがあが
ってきた。
コーヒーの品質がカフェ文化と併走して
きたのだ。

カフェ文化は「かっこよさ」を装い、
ファッショナブルに浸透していく。
カフェで働くバリスタも、かっこいい
仕事として物語を形成していく。

テレビドラマではカフェとそこで働く
人が描かれる。
書店では、コーヒーやバリスタの
書籍がフロントにおかれる。

コーヒーやカフェ文化は、人々の
人生の「物語」にとりこまれていく。

 

(2)香港とコーヒー

香港とコーヒーの関わりについて、
次の3つの点を記しておきたい。

  1. 異文化許容度の高い香港
  2. コーヒービジネス
  3. 空間活用としてのカフェ

コーヒー文化およびカフェ文化の浸透
は、香港の「異文化の許容度」が寄与
している。

許容度をささえる軸のひとつは、
ビジネスである。
「儲かるビジネス」は、香港では
一気に浸透していく。
香港でのコーヒーの「値段」は、
世界でもかなり高い。
香港での「Start-Upビジネス」も
この流れに加わることで、文化が
形成されてきた。

そして、香港でのコーヒーショップは
何よりも「場所の提供」である。
空間の余裕がない香港では、コーヒー
ショップは活動の場である。
一人で勉強する場であり、家庭教師が
勉強を教える場であり、保険の契約を
する場である。

 

(3)香港経済社会的発展とコーヒー

香港のコーヒー文化(そしてカフェ文化)
の浸透は、香港の経済社会の発展に相応
している。

リーマンショックの影響を、人々の生活
レベルでは
あまり受けなかった香港。
2010年代は中国大陸の発展と相伴って
経済社会が発展してきた。

面白いことに、コーヒーの浸透は、ワイン
の浸透とも併走してきたように見える。
香港は5年ほど前から、中華料理の食卓に
赤ワインが日常化してきた。

また、カフェ文化の浸透は、
ケーキ類の品質向上にも影響してきた。

以上、香港の「コーヒー事情」を、
雑記として、書いてきた。

個人的には、コーヒーの品質はもっと
高くなってほしい。
ブラックコーヒーを好む人は少ないため
そこのブレークスルーはむずかしい。
ハンドドリップコーヒーを提供する
ショップもでてきているが、需要は
少ない。

ハンドドリップ技術も高くない。

それにしても、世界どこにいても、
文化の「定点観測」は、ぼくたちの生を
豊饒にしてくれる。

追伸:
香港で、東ティモールのコーヒーを
提供しているカフェを見つけた。
日本人経営で、コーヒーは日本からで
あった。
香港人の店員さんに、その東ティモール
コーヒーが日本のどこからきているか
聞いてみたが、わからないとのことで
あった。
ぼくはハンドドリップでオーダー。
そこには、東ティモールの香りと味が
確かに感じられた。

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香港, 書籍, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 書籍, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で、麺にさそわれて - 「車仔麺」にみる文化。

香港の陽光にさそわれると、今度は、香港の麺がぼくをさそった。知る人ぞ知る「車仔麺」の有名店に足を運ぶ。...Read More.

香港の陽光にさそわれると、
今度は、香港の麺がぼくをさそった。

知る人ぞ知る「車仔麺」の有名店に足を運ぶ。
「車仔麺」の歴史は1950年代に遡ると言われ
昔の屋台麺である。
今でこそ、屋台ではないが、香港のいたる
ところで食すことができる。

広東語が話せない場合、「少し困難」なのは、
オーダーのプロセスである。
麺、スープ、具を、細かくオーダーするため
である。
「セット」のメニューもあるが、やはり細かく
選びたい。

ぼくは「単語発音+ジェスチャー」勝負の
広東語で、麺と具材をオーダーしていく。

具材は、肉のあらゆる部分、野菜、卵、
ソーセージなど多種多様である。

ぼくは、野菜を中心にまとめ、
卵焼きを添え、香港式のホットミルクティー
を頼んだ。

自分で頼みながら、香港の食文化の多様性に
改めて感心してしまう。

「車仔麺」は具材はありとあらゆるものが
取り入れられる。
ミルクティーと麺の取り合わせも、日本に
いたらしないだろうなと、客観的に考える。

張競氏の「中華料理の文化史」の一節が
その背景を語ってくれているようであった。


…まずいものが淘汰され、おいしいものだけ
が残る。食材も、調味料も、料理法も、
出自はどうであれ、料理をおいしくすること
ができれば、たえず取り入れられてきている。
この意味では中華料理は多くの異民族の料理
文化を取り入れた、いわば雑種の食文化である。

張競『中華料理の文化史』(ちくま新書)
 

ソーセージが入っても、麺がおいしくなれば
喜んで取り入れられていくわけである。
そして、この仮説にもうなってしまう。

 

現在、地球上のどこの国にも必ず中華料理が
あると言われている。世界のほとんどの国で
受け入れられ、誰が食べてもそれほど違和感
を感じさせないのは、やはりその雑種性の
ゆえであろう。

張競『中華料理の文化史』(ちくま新書)
 

日本はもちろんのこと、
東ティモールでも中華料理に助けられた。
ニュージーランドでも、そして西アフリカ
のシエラレオネ(最近歴史に
残る大きさの
ダイヤモンドが発掘されたコノ地区)でも、
中華料理はぼくとともにあった。

そして香港の多種多様なものを許容する文化
は、さらに雑種性をとりこんできているよう
にみえる。

グローバル化を考える文脈の中で、
食文化の接触と受容と変容は、話題に尽き
ないトピックである。

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香港で、陽光にさそわれて - 海はつながっている。

香港で、陽光にさそわれて、ぼくはふと、海を近くに感じる、あの場所にむけて外へ飛び出した。...Read more.

香港で、陽光にさそわれて、
ぼくはふと、海を近くに感じる、
あの場所にむけて外へ飛び出した。

「どこにいくんだ?」

バス乗り場で、バスを探していると
整理係のおじちゃんが、ぼくに向かって
叫ぶような声で聞いてくる。

「西貢!」

ぼくも負けじと言い返す。
おじちゃんが「こっちだ」というバスに
とびのる。

やがて、バスは、海のある風景にたどりつく。

やや霞みがかった空気のなかを、
陽光が差し込んでいる。

歩きながら、携帯電話を取り出し、
ぼくはきづく。

陽光のもとでは、携帯電話の画面は
役に立たない。
陽光のもとでは、携帯電話の画面は
みえなくなるのだ。
陽光は、ぼくに、顔をあげるように、
つげる。
陽光は、ぼくに、顔をあげて、
風景の美をつかむように、つげる。

そして、海の風景は、ぼくが訪れた
美しい風景を思い起こさせる。

ニュージーランドの90マイルビーチ。
西アフリカのシエラレオネ、
首都フリータウンにたたずむビーチ。
東ティモールの首都ディリから続く海岸線。

世界は海でつながっている。
陽光のなかで、ぼくは、<世界>を旅する。

「翼」をもって世界を移動しながら、
「根」は地球にむかってのびている。

「根をもつことと翼をもつこと」
地球いっぱいにひろがる「海」は、
その矛盾を端的に超えさせてくれる。

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「香港」にたどりつくまで - 願いと予感が導くところ。

2007年に、ぼくは「香港」にうつった。
10年前のことである。

どのようにして「香港」にたどりついたのだろう
と考える。
成田空港から飛行機にのってやってきたし、
香港を住む場所として「選択」をしたことも
確かだ。
しかし、表層ではなく、すこし深い「心の地層」
において、ぼくはどのようにして「香港」に
たどりつくことになったのだろうか。

 

(1)香港への「予感」

香港にはじめてきたのは、さらに時間をさか
のぼる1994年。
大学の夏休みに、飛行機にはじめてのって、
ぼくは香港におりたった。
香港から広州、広州からベトナム、そしてその
ルートから香港へもどってくる一人旅であった。

香港のTsim Sha Tsuiのヴィクトリア湾に面す
プロムナードから香港島のビル群を見渡した。
そのときに、ぼくは、香港に仕事でくるような
そんな「予感」を感じたのだ。

香港はまだ中国への返還前であった。

それから、ぼくは香港とはまったく関係のない
「途上国」での仕事にかかわっていく。
香港からは程遠い世界だ。
2006年、ぼくは、東ティモールで、銃撃戦の
なかにいた。

翌年2007年、仕事がおちついたところで、
ぼくは香港に拠点をうつすことになった。

 

(2)海外への「願い」

「香港への予感」をさかのぼり、大学時代の
一人旅からもさらにさかのぼっていく。

ぼくは、中学生か高校生のときだったか、
卒業文集に「将来の自分」をイメージして
書いていた。

手元には、そのときの文集はないけれど、
ぼくは、「世界をとびまわっている」と
書いていたことを覚えている。

将来にたくした「願い」だ。

文集に書いたことを思い出したのは、
NGO職員として、アフリカやアジアを
行き来していたときだったかと思う。

ぼくの願いに「詳細」はなかったけれど、
願いは現実になっていくものだ。

「願い」と「予感」。

ぼくのなかで、これらが化学反応をおこし
ぼくを香港へとおくりだしていった。

あるいは、ぼくが、自分の人生という
「物語」のなかで、勝手にストーリーを
つくっている。

だから、ぼくは、願いと予感を丁寧に、
これからの未来をえがく。
キーボードをタイプし、字を書くこの
手を大切にしている。

香港の街を一人歩きながら、
ぼくは、ふと、そんなことを考える。

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海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

「歳だから...」の言い訳を乗り越えるための、3つの方法

「歳だから…」という言い訳を、
ぼくたちは、例えば30代の若い時期から
口にするようになる。

この「歳だから…」は、他者に向けられた
言い訳であると同時に、それは自分自信に
向けられた言い訳である。

この言い訳を乗り越える方法は、いく通り
もある。

 

(1)日本以外の社会で「実感」する

年齢にぬりこめられた意味や物語は、相対
的なものである。
つまり、社会によって異なる。

日本では、30代後半になると、転職は
難しいといわれる。
香港では、40代でも転職する。できる。
人材流動性が高いからである。

年齢と結婚時期の関係も、社会によって
差がある。

だから、日本以外の国や社会で、年齢に
ぬりこめられた意味や物語を一旦はがして
相対化することである。

 

(2)マラソン大会に出てみる

マラソン大会に参加してみることである。

ぼくがフルマラソンを完走したのは、
「香港マラソン」であった。
タイムはぎりぎりだったけれど、2度目の
挑戦で完走できた。

マラソン大会に参加するなかで、実感として
びっくりしたのは、ぼくよりもはるかに
高齢の方々が走っていることである。

そして、その方々が、ぼくよりもはるかに
速いスピードでかけぬけていくことである。

ハーフやフルマラソンの折り返し地点よりも
手前のところで、ぼくがまだ折り返し地点
を通過する前に、反対方向から、すでに
折り返したランナーたちが、コースをかけ
ぬけていく。

そのなかには、かなりの高齢の方もいる。
ぼくよりも体格的に小さい方々もいる。
盲目の方たちも、伴奏者を伴い、しかし
ぼくよりも速いスピードで走っていく。

「歳だから…」という気持ちが一気に
消え失せていく瞬間だ。

 

(3)成功事例や体験記を読む

有名なのは、ケンタッキーフライドチキン
の「カーネル・サンダース」である。
カーネル65歳からの挑戦であった。

その他、世界でも日本でも、年齢に関係の
ない挑戦・成功劇にあふれている。


時代は「100年時代」を迎えている。
「歳だから…」の言い訳は、100年時代
の生き方にそぐわない。

ぼくたちのマインドは、80年時代の
物語に閉じ込められている。

また「歳だから…」が、自分に対する
言い訳であるのは、「自分」というマインド
がつくりだした「檻」が即座にくりだす
言葉だからである。

自分のつくりだす「檻」からぬけでること。
そのために、他の社会やランナーやカーネル
といった「他者の存在」は大きい。

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「香港」を視て考える - トラベルガイドでもなく、学術書でもない1冊(英語)

「香港」を視て考える。
語りにくい香港を、日々の体験から、
その「世相」から、すくいあげていく。

香港の人や街路や食などから
手がかりをすくっていく。

そして手がかりを文章におとしていく。
ぼくは、文章を書きためているところだ。

文章が書きたまったところで、
他者がどのように香港を「書いて」いるか
気になりグーグル検索する。

検索していて気づいたのは、「香港」に
関連する書籍は、

  1. トラベルガイド
  2. 学術書

の二つが主流である。

この主流に加わる形で、
香港を舞台にした小説などがある。

1と2の「中間」が見つからない。
英語でもグーグル検索するが、やはり
この二つのカテゴリーに収まってしまう。

その間隙から見つけたのが、この書籍で
ある。

『Reading Hong Kong, Reading Ourselves』
Edited by Janel Curry, Paul Hanstedt
(CityU Press, 2014)

香港の大学に来ていたアメリカの研究者
たちが、それぞれの専門分野の視点で、
でもカジュアルな文体と構成で書いた
文章群から成っている。

トラベルガイドでもないし、
がちがちの学術書・研究書でもない。
しかし、学術的な「客観性の姿勢」がある。

トピックは多岐にわたっている。
食、社会、街路、言語、歴史、教育など。
これらを日々の「体験」からすくいあげる。

視点は、西洋人が視る「香港」。
日本人が視る「香港」だけではみえない
視点もはいってくる。

文化と文化の「間」からみえてくる視点が
面白い。

そこの「間」から、
ぼくたちは、どのように、よりよい生き方
を構想できるだろうか。

そんなぼくの思考にお構いなく、
香港の街は、今日も、忙しなく、活気を
装っている。

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こんな書籍もある。グローバルに生きていくために。- John Marcarian著『Expatland』

グローバルに動くようになり
なかなかのチャレンジングな課題は
「税金」である。

少なくとも、ぼくは、税務や会計の専門家
ではない。

日本を拠点にして、ある期間の間、海外で
仕事をしていくのは、まだ比較的わかりやすい。
あくまでも「軸足」は日本であるからである。

ただし、グローバルな時代においては、
日本生まれであったとしても、様々な仕方で
海外にうつっていくことになる。

大別すると、下記のようなカテゴリーがある。

  1. 「日本を拠点」に海外で生活をする
  2. 「海外を拠点」に海外で生活をする

海外を拠点とする場合は、生活形態は、
さらにバラエティに富む。

「海外Aを拠点」に、「海外A」で生活を
することもあれば、
「海外Aを拠点」に、「海外B」で生活を
していくこともある。

さらに、IT技術の発展による「もう一つの
世界」、つまりインターネットの世界に
おけるビジネスは、状況をさらに複雑にして
いく。

「グローバルなリアルの世界」と
「インターネットのバーチャルな世界」が
重層的に重なりあい、制度が状況においつ
いていない。

そんな「チャレンジ」を前に、
グーグル検索を重ねていたら、標題の書籍を
見つけたのだ。

John Marcarian氏による『Expatland』。
(英語の書籍で、邦訳はない)

著者は、税金のアドバイザーである。
グローバルな国外居住者(expat)の税金
に関する専門家で、自身で会社を設立している。

本書は「設定」が面白い。
「Expatland」という架空の世界を設定し
国外居住者にまつわることを説明している。
各国の国外居住者を「ひとつ」にまとめて
いる。

扱っているトピックは次の通りである。
税務まわりを中心に、幅を少し広げている。

・「Expatland」の家族生活
・「Expatland」の教育
・「Expatland」の銀行
・「Expatland」のファイナンス
・「Expatland」のファイナンシャル・プランニング
・「Expatland」のエステート・プランニング
・「Expatland」の保険
・「Expatland」の法務
・「Expatland」のセキュリティ
・「Expatland」の構造
・「Expatland」の税務
・「Expatland」の定年

書籍紹介の動画もよくできている。

これらの「導きの系」を頼りに、
ぼくは「Expatland」の税務にわけいって
いく。

英語でのグーグル検索が、ぼくに
幾千もある導きの系のひとつを手渡して
くれた。

「インターネットのバーチャルな世界」は、
ひとつではない。
そこでは、言語により、異なる世界が
広がっている。
ひとつの世界の裏に・横に、別の世界が
ひろがっている。

「英語」は、字義通り、もうひとつの
「世界」にわけいる入り口である。

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