成長・成熟, 人生100年時代 Jun Nakajima 成長・成熟, 人生100年時代 Jun Nakajima

「生き方の開拓者 Social Pioneer」と <道に迷うこと>。- リンダ・グラットン、キャンベル、ソルニットからソロー。

「人生100年時代」という認識をひろめてゆくきっかけをつくった経済学者リンダ・グラットンが、その契機となった本を出版したのち、次にとりかかった仕事のなかで使っている用語、「Social Pioneer」(社会的パイオニア、生き方の開拓者)。

🤳 by Jun Nakajima

「人生100年時代」という認識をひろめてゆくきっかけをつくった経済学者リンダ・グラットンが、その契機となった本(『The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity』)を出版したのち、次にとりかかった仕事(『The New Long Life: A Framework for Flourishing in a Changing World』)のなかで使っている用語、「Social Pioneer」(社会的パイオニア、生き方の開拓者)。

 これからは、だれもが、その生き方において「開拓者」でなければならない。これまでのように、過去のだれかが舗装した道をただただ進んでゆくのではなく、荒野のなかで「開拓」してゆかなければならない。定年を見越した、人生の三段階「教育→仕事→定年・定年後」という単線的な道のりは、標準なのではなく、さまざまな生き方のうちのひとつにしかすぎないという方向に、のりこえられてゆかなければならない。ぼくはそうおもいます。

 生き方を開拓してゆくということ。つまり、<じぶんの道>を生きてゆくということをおもうとき、神話学者ジョセフ・キャンベルの「ことば」が憶いおこされます。

Follow your bliss.

The heroic life is living the individual adventure.
There is no security
in following the call to adventure.

Nothing is exciting
if you know what the outcome is going to be.

To refuse the call
means stagnation.

What you don’t experience positively
you will experience negatively.

You enter the forest
at the darkest point,
where there is no path.

Where there is a way or path,
it is someone else’s path.

You are not on your own path.
If you follow someone else’s way,
you are not going to realize
your potential.

Campbell, Joseph. A Joseph Campbell Companion: Reflections on the Art of Living (The Collected Works of Joseph Campbell) . Joseph Campbell Foundation. Kindle Edition.

 森深くにわけいってゆくとき、そこには「道 path」がない。道があるのだとすれば、それはだれか他者の道なのだ。キャンベルはこうして、<道のない道>を歩いてゆくこと、そうすることで、じぶんの可能性をひらいてゆくことの大切さを語っています。

 レベッカ・ソルニットの、美しいエッセイ「Open Door」(『The Field Guide to Getting Lost』所収)では、<道に迷うこと>にむかって、直接的なまなざしが投げかけられています。じっさいの登山中に「道に迷うこと」から、さらには「生きてゆく道のりに迷うこと」まで、ソルニットの詩的な手触りのする文章が、「迷うこと」の森へと分け入っていきます。

 とりあげられている単語に分け入ってみると、そこでは違う景色が見えてきます。ソルニットはここで「lost」という単語の語源にさかのぼります。

The word “lost” comes from the Old Norse los, meaning the disbanding of an army, and this origin suggests soldiers falling out of formation to go home, a truce with the wide world. I worry now that many people never disband their armies, never go beyond what they know.

Solnit, Rebecca. A Field Guide to Getting Lost (pp. 6-7). Penguin Publishing Group. Kindle Edition.

 「lost」という言葉はもともと、「軍隊を解散すること」を意味していたこと、そして、この語源が指し示してくれるのは、「兵士たちが編隊から散り散りになって家に帰り、広い世界と休戦すること」なのだと、ソルニットは書いています。ソルニットはこの言葉を、この「社会」のなかで「戦う」現代人に向かって投影し、現代人たちがただただ戦いつづけているだけで、じぶんたちの知っていることの先へとじぶん自身を投じていかないことを杞憂しています。

「It is a surprising and memorable, as well as valuable, experience to be lost in the woods any time,…」

 『Walden』でソローが書いているこの文章を引用しながら、ソルニットは、「どのように迷うのか」という問いへと向き合っています。

 ニュージーランドの森で、ずいぶんと「迷った」体験を、ぼくはおもいだします。ぼくが二十歳のころのことで、ひとり、ニュージーランドの自然のなかに身を投じていたときのことです。森や山には一応「コース」が設定されていて、地図があり、また道ゆきの樹々には「目印」が打たれていて、それらを頼りに、歩みをすすめていきます。けれども、「コース」といっても、「道」がはっきりしているところもありますが、その「道」が消えて獣道になるところもあります。そのなかでは樹々に打たれている小さな「目印」を探しながら前にすすんでゆくのですが、場所によっては、それら目印が見つかりません。前に前にすすんでも一向に目印が見えないとき、この方向ではないなと気づきます。でもそこからどこまで引き返したらよいのか、あるいはどの方向に引き返したらよいのか、わからなくなるときがあります。

 ひとは「迷い方を知らない」と、ソルニットは書いています。ぼくも、はじめのうちは、迷ったことに気づいて、パニックを起こすことがありました。森深くに分け入り、まわりに誰の姿も見えず、目印も見つからない。コンパスは持っていたけれど、どの方向へ抜けてゆけばよいのかわからない。重いバックパックを背負いながら、ぼくは必死で目印を探しに、もと来たであろう方角へとすすんでいきました。こんなことが幾度かつづくなかで、ぼくは次第にパニックを起こすことなく、森の声たちに耳をすまし、光を投げかける太陽にアドバイスをもとめ、川の流れの気配をかんじながら、すすむ方向をさがすようになりました。森のなかで「迷うこと」の体験が、のちのぼくの生のなかで「貴重な」経験であったのだと、ソローを引用するソルニットの文章を読みながら、ぼくはおもうようになりました。

 人生という道を歩みながら、ひとはじぶんのなかに「軍隊」を編成し、ここかしこで戦闘をつづけていきます。ときに敗れ、ときに戦果をあげながら、ときに傷つき、そしてときに一息つきながら、それでも戦闘はやみません。でも、ときに、どうしようもないほどに、「軍隊」がひどく打撃をうけて、意図しないうちに、戦闘員たちは散れぢれになることがあります。これまでの戦略や戦術を遂行しつづけようとおもっても、うまくいかない。人生の「道」で、立ち止まらざるを得なくなり、「道」は道でなくなり、目印も見えなくなります。道を失いながら、じぶんを失ってしまう。じぶんの内面が空っぽになったようにかんじることもあります。けれども、「lost」の語源に本質が隠されているように、この道を失う体験のなかに、もっともっと広い世界との休戦が存在しています。

 「道」があるところは、他者たちの道です。だれかが通ってきた道であり、あるいは、だれかがじぶんに「教えてくれた道」です。キャンベルのことばのように、そこでは、じぶんの可能性は閉じられたままです(少なくとも完全にはひらかれていないままです)。森深く、道のない道にふみだしてゆくとき、ひとは、だれのものでもない、<じぶんの道>を歩みはじめることになります。

 「生き方の開拓者」であるということは、迷うことでもあります。開拓ということの手前で、あるいは開拓と同時に、「迷う」ということがあります。これまでは、家族や世間や社会が「教えてくれた道」を歩んできていたところ、その道が消えて、迷うことになります。でも、そこから、道ではない道を歩んでゆくことになります。そして、これからは、だれもが、「生き方の開拓者」となってゆく時代、あるいはそのような道のない道に投げ出されてしまう時代となっていきます。ひとは喪失感を抱えるかもしれませんが、「道のない道」を、心をもって歩んでゆくことで、気がつけば<じぶんの道>が現れ、キャンベルのいう「じぶんの可能性の世界」がひらかれてゆくのだということです。

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総論, 成長・成熟 Jun Nakajima 総論, 成長・成熟 Jun Nakajima

「これからの生きかた」とはどんな生きかたか?- シンプルに応えてみると。

これからの生きかた」とはどんな生きかたなのか?そう尋ねられるとすれば、ぼくはこう応える(「答える」ではない)。<自由な生きかた>である、と。生き型にしろ、生き方にしろ、<自由な生きかた>であると、ぼくはおもう。

🎨 by EN


 「これからの生きかた」とはどんな生きかたなのか?そう尋ねられるとすれば、ぼくはこう応える(「答える」ではない)。<自由な生きかた>である、と。生き型にしろ、生き方にしろ、<自由な生きかた>であると、ぼくはおもう。この応答ではそもそもの問いに「答えて」いないように聞こえてしまうかもしれない。「これからの生きかた」を問う人たちは、もっと限定的な「回答」を期待するかもしれない。けれども、シンプルに言ってしまえば、やはり<自由な生きかた>である。抽象的な言い方ではあるのだけれど、具体的にすればするほど、生きかたの「自由度」が下がってしまうから、<自由な生きかた>という抽象度を保っておきたい。

 ちなみに、書名に「生き方」がもりこまれている本はさまざまにある。検索をかけてみたときの個人的な印象では、おもっている以上にあった。遠慮しない生き方、迷わない生き方、ブレない生き方、がんばらない生き方、我慢しない生き方、簡素な生き方、ゆるい生き方、等々。これらの書名をざっくりとカテゴリー化すると、以下のように、3つのカテゴリーに分けられる。

(1)アンチテーゼの生き方
(2)テーゼの生き方
(3)その他

 (1)のアンチテーゼは「~しない生き方」である。つまり「これまでの」生き方の否定・反対の姿勢である。これまで遠慮ばかりしてきた人生に対して「遠慮しない生き方」で生き直す。これまで迷ってばかりいた生き方に嫌気がさして「迷わない生き方」を掲げる。このアンチテーゼ型に対して(2)はテーゼ型の生き方である。簡素な生き方も、ゆるい生き方も、テーゼとして提示されている。もちろん、(1)と(2)は表裏一体であることもある。迷わない生き方は、決断する生き方というようにテーゼ式に提示することもできる。ただ、書名という観点から言えば、アンチテーゼ型は人の関心を呼び起こしやすい。日々の生活のなかで「生き方」を見直すときというのは「これまでの」生き方に対する疑いや否定などを感じているときだから、その気持ちに直截に届きやすいのは「アンチテーゼ」である。さらに、(3)その他としては、60歳からの生き方、人生100年時代の生き方のような、アンチテーゼでもテーゼでもない「テーマ型」の生き方の本が見受けられる。これら3つのカテゴリーは、重点にこそ違いはあるのだけれど、「これまで→これから」というようなベクトルを共通点として持っている。つまり、<生き方の変容>である。そしてそこには、<社会の変容>が連動している。

 そのようななかで「これからの生きかた」は、<自由な生きかた>である。上述のカテゴリーで言えば、(2)のテーゼ型に含まれるところだけれど、実質的には、すべてのカテゴリーを包括するものでもある。アンチテーゼであろうが、テーゼであろうが、あるいはその他の特定のテーマであろうが、それらすべてへの<可能性>がひらかれている生きかたである。

 見田宗介(社会学者)は名著『社会学入門』(岩波新書、2006年)のなかで、哲学者ニーチェの生涯を「ある困難な稜線を踏み渡ろうとする孤独な試み」であったとしながら、ニーチェのこの困難な「二正面闘争」についての、思想家バタイユの思考(バタイユ『至高性』)にふれている。

「二正面闘争」とは、次の通りである。

(1)<失われた至高性を回復すること>
(2)<他者に強いられる至高性の一切の形式を否定すること>

 これら「二正面闘争」が、ほんとうに<自由な社会>の条件を構想する課題の遂行において引き受けなければならないものだと、見田宗介は「<自由な社会>の骨格形成」という論考をすすめているのだけれど、これらはそのまま<自由な生きかた>を考え、生き、ひろげてゆくうえでも引き受けていかなければならない「二正面闘争」であるように、ぼくはかんがえている。

 見田宗介は上述の二正面闘争について、理解のために言い方を変えて提示してくれている。

(1’)<魂の自由>を擁護すること
(2’)<魂の自由>を擁護すること

 見田宗介はここから<自由な社会>のモデル構成へと社会理論を発展させている。ぼくはここではその(同じシステム内の)別の一面である<生きかた>という側面に光をあて、「これからの生きかた」へと拡張させてみたい。

 つまり、「これからの生きかた」は、つぎのように簡潔に述べておくことができる。

(1”)<生きかたの自由>
(2”)<生きかたの自由

 再度ニーチェの二正面闘争にバタイユが見たことに則して言えば、第一に、それぞれの人たちにとってほんとうに歓びに充ちた<生きかた>を取り戻すこと、の課題であり、また第二に、他者に強いられる<生きかた>の一切の形式を否定すること、の課題である。ニーチェ、バタイユ、見田宗介という系譜のなかで鮮烈に提示され追究されてきた課題の延長線上に<生きかた>の課題をあてはめてみたい。ぼくはそんなふうにかんがえる。

 ひとつ目の、<生きかた>を取り戻すこと。「生きかたを取り戻す」ということを言い換えれば、ほんとうに<生きる>ということ、<生きる>ということの全体を引き受けてゆくことあるいは享受してゆくこと、さらに、じぶんが<生きる>ということに自ら責任をもつこと、などである。

 二つ目の、他者に強いられる<生きかた>の一切の形式を否定すること、というのは比較的わかりやすい。じぶんの<生きかた>を生きること。もちろん、じぶんの<生きかた>のほうが良い・正しいなどというように、じぶんの<生きかた>を他者に強要しないことである。互いの生きかたを尊重すること。つまり、互いに自由に生きるということ。

 「これからの生きかたはどんな生きかたか?」という問いへの応答、<自由な生きかた>というシンプルな応答には、これら二つの要素がもりこまれている。なお、ひとつ目のことは<じぶん>という存在のあり方を捉え直してゆくことであり、二つ目のことは、じぶんと他者との自由な関係性をきりひらいてゆくことである。<じぶん>という存在を捉え直したうえで、<じぶんの変容>を生きてゆくということである。

 外の環境に眼を転じれば、コロナ禍があったり、情報通信技術に牽引される産業革命があったり、また環境破壊があったりする。そのような環境変化や社会変化の諸々が、ホモ・サピエンスがこれまでに経験したことのないことであり、「時代の変化」や「景気がよい・わるい」という言葉で集約・縮尺されがちな現在の変化をはるかに超える<変化・変容>のなかに、ぼくたちはいる。

 このような<変化・変容>のなかで、<じぶん>という存在のこと、<じぶんの変容>ということ、そこに土台を置いた組織や集団やコミュニティのあり方、さらに<自由な社会>ということをかんがえ、構想し、共有し、企図し、動き、試してゆくことに、ぼくの心は所在し、ぼくの身体と頭脳のエネルギーは注がれている。

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言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

「相手の母語で話すこと」について。- ネルソン・マンデラの言葉を起点に。

外国語を学ぶときの「学び方」について書かれた書籍のひとつに、Gabriel Wyner『Fluent Forever』Harmony Books, 2014(邦訳は、ガブリエル・ワイナー『脳が認める外国語勉強法』ダイヤモンド社、2018年)がある。原著の副題は「How to Learn Any Language Fast and Never Forget It」(速く言語を学び、決して忘れない方法)。

 外国語を学ぶときの「学び方」について書かれた書籍のひとつに、Gabriel Wyner『Fluent Forever』Harmony Books, 2014(邦訳は、ガブリエル・ワイナー『脳が認める外国語勉強法』ダイヤモンド社、2018年)がある。原著の副題は「How to Learn Any Language Fast and Never Forget It」(速く言語を学び、決して忘れない方法)。

 だいぶ前に書籍を購入し、また「CreativeLive」というクリエイティブ系のオンライン教育プラットフォームでの彼のプログラムも同じ頃に手に入れていた。そのときはエッセンスに触れただけであったのだけれど、今回は「学び方のアップデート」ということをテーマのひとつとして取り組んでいるなかで、「外国語の学び方」にもきりこんでいこうとおもい、この本とオンラインのプログラムを再びひらいている。

 そうしてひらかれたこの本の第1章、「Stab, Stab, Stab」(邦訳は「『外国語をマスターする』とはどういうことか」と意訳されてある)と題された第1章のエピグラフのひとつに、次の言葉がおかれている。

 If you talk to a man in a language he understands, that goes to his head. If you talk to him in his language, that goes to his heart. 
 - Nelson Mandela

 「相手が理解できる言語で話せば、相手の頭に届く。相手の母語で話せば、相手の心に届く」ネルソン・マンデラ(前掲の邦訳より)

 このネルソン・マンデラの言葉が、いつ、どこで、どのような文脈で、どのように語られた言葉なのか、ぼくは知らない。この言葉はどこかで聞いたようにもおもうのだけれど、よく覚えていない。ましてや、ネルソン・マンデラが発した言葉であることなんて、まったく記憶にもない。でも、このシンプルな言葉のなかに、他者の言語で話すことの本質が語られているようにおもい、ぼくはこの言葉に心を揺さぶられる。

 この言葉は、とりわけ、文化と文化の<あいだ>で生きてきた人たちの賛同を呼びおこす。南アフリカ出身のコメディアンでTVホストでもあるTrevor Noah(トレバー・ノア)が、ベストセラーとなった彼の著書『Born a Crime』(邦訳『トレバー・ノア 生まれたがことが犯罪?』英知出版、2018年)のなかで、この言葉に触れ、まったくそのとおりなのだと賛同している。「他の人の言語で話そうと努力するとき、たとえそれが基礎的なフレーズであろうとも、あなたはこう言っているのだ。「私を超えたところに存在する文化とアイデンティティをあなたがもっているのだということを私は理解しています。私はあなたを人間として見ているのです」と。」(『Born a Crime』。日本語訳はブログ著者)

 もちろん、ぼくも賛同するところである。だからといって、さまざまな相手の言語をぼくが話すことができてきたわけではない。ある程度まとまった会話ができることもあれば、挨拶や単語しか届けることができないこともある。相手の言語でしゃべりたいという衝動を抱きながらも、他の共通言語(例えば英語)で会話できてしまう便利さについつい頼ってしまうこともある。それでも、たとえわずかな単語だけであっても、相手の「心」に届くことがある。それら単語や言葉の表層ではなく、下層のところで伝わるものがあるからである。その下層で届けられるメッセージを、例えばトレバー・ノアは「私を超えたところに存在する文化とアイデンティティをあなたがもっているのだということを私は理解しています。私はあなたを人間として見ているのです」というように捉えている。

 当たり前のことだけれども、コミュニケーションは双方向性のものである。ネルソン・マンデラの言葉は「話す側から相手の側へ」という方向性のなかで語られているように、なによりも、話す側という主体に向けられた言葉である。話す側の主体の変容をうながしている。けれども、双方向性としてのコミュニケーションという視点をとりいれてみると、ここでの「変容」には、ただ単に相手の母語で話すというだけでなく、また相手の心に届くということだけでなく、相手の母語を話そうとするときには話す側の主体が自身の心をひらいてゆくということ、また相手の心に届けられた言葉はそこで折り返して、相手の言葉や表情や感情を通して自身の心に届けられること(またそれらが繰り返されること)のなかに、じぶんが「変容」してゆくところまでを射程している。相手の母語で話すということの楽しさや歓びはそんな変容のなかにふりそそぐのである。

 ガブリエル・ワイナーのオンラインプログラムの導入部分で、参加者がどの外国語を学びたいのか、またなぜその外国語を学びたいのかを問われ、それらの質問に応答する場面がある。フランス語であったり、日本語や中国語であったりと、参加者は質問に応えてゆく。興味深いのは、参加者の人たちが挙げる「外国語を学ぶ動機」であった。外国語を学ぶ動機としてもっともよく取り挙げられたのは、「現地の人たちとコミュニケーションをとりたい」ということであった。仕事のためだとか、これからの経済の発展が見込まれるだとか(ぼくが外国語大学の専攻を選ぶときに中国語を選んだ理由のひとつ)ではなく、ただ、現地の人たちと会話したいということなのである。旅をしながら出会う人たちと会話したい、カフェで話せたらいい。そうすることで、何かの役に立つわけではないけれど、そうすることに楽しみや歓びを感じるのだ。このオンラインプログラムが撮影されたのは2015年前後のことだとおもうから、翻訳機器や翻訳アプリの性能の飛躍的な向上の直前であったかもしれない。けれども、翻訳機器や翻訳アプリの性能の向上を見せている現在(2020年)の段階であっても、このプログラムの参加者たちは、外国語を学ぶ動機として、同じ動機を挙げただろうと、ぼくは勝手に推測している。現地の人たちと直接に会話を交わしたい、という動機を。

 それにしても、翻訳機器や翻訳アプリといえば、Googleの翻訳機能はすごい精度になりつつあるし(ぼくのブログの英語訳がけっこう読めることに先日びっくりしてしまった)、アップル社は先月(2020年9月)iPhoneのiOSアップデートで「Translateアプリ」を搭載させてきた。いまでは翻訳アプリを使えば、翻訳アプリを介して世界のいろいろな人たちと会話ができてしまう。東京のホテルのロビーで、海外からの旅行者の方がスマホの翻訳アプリを駆使して受付の人と「会話」していた風景をぼくは憶い起こす。そこでの「会話」には手間と時間はかかっていたけれど、意思伝達は順調にうまくいっているようであった。そんな風景を実際に見ていると、翻訳機器や翻訳アプリの性能が向上してゆくことはすごいことだし、とても役に立つものであることをおもう。

 ぼくもその恩恵を受けながら(Google翻訳を使ったりしながら)、他方で、別の方向に気持ちのベクトルがあらわれてくるのを感じる。最近、ぼくが「外国語の学び方」にきりこんでいこうとおもったことの背景のひとつには、翻訳アプリの機能性・便利性の飛躍的な向上があるのだと、ぼくはおもってみたりする。翻訳アプリの機能性・便利性の向上とともに、逆に直接に相手の言語で話すことの楽しさや歓びや大切さがぼくのなかで見直され、再評価されるているようなのだ。このことは、オンラインでの関係性が増えれば増えるほど、直接のフィジカルな体験がみなおされてゆくのと似ているようにもおもう。そのようなわけで、翻訳アプリの性能が上がれば上がるほどに、ぼくの「外国語を学ぶ意欲」はますます上がってゆくようなのだ。でも、「翻訳アプリを使うか、それとも実際に話したり書いたりしてゆくか」という二者択一ではなく、どちらも役に立てながら、そして「役立ち」という次元を越えて、言葉を相手の心に届けること(と同時に、じぶんの心をひらくこと)の<歓びと楽しさ>の方向に、外国語の学びを解き放ちたい。そこには、<じぶんの変容>ということがかけられているのだと、ぼくはおもう。

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今、「たった一冊の本」をぼくが無人島にたずさえるとしたら。- 真木悠介の名著『気流の鳴る音』。

村上春樹の短編集『一人称単数』(文芸春秋社、2020年)所収の「謝肉祭(Carnival)」と題された短編において、「無人島に持って行くピアノ音楽」を一曲だけ選ぶ場面がある。「一曲だけのピアノ音楽」とは、なかなかむずかしい選択だ。その選択にはさまざまな「考慮」が投じられることになる。テーマが好きなものであればあるほどに、「考慮」はひろくふかくなってゆかざるをえない。

 村上春樹の短編集『一人称単数』(文芸春秋社、2020年)所収の「謝肉祭(Carnival)」と題された短編において、「無人島に持って行くピアノ音楽」を一曲だけ選ぶ場面がある。「一曲だけのピアノ音楽」とは、なかなかむずかしい選択だ。その選択にはさまざまな「考慮」が投じられることになる。テーマが好きなものであればあるほどに、「考慮」はひろくふかくなってゆかざるをえない。

 このような、いわゆる「無人島に持って行くとしたら」の質問系は、いろいろな会話のなかで、いろいろなテーマのうちに語られる系だ。とはいっても、いまでは「無人島」物語の世界が若い世代のうちに共有されているのかどうか、ぼくにはわからない。「無人島」というものが若い世代にとって現実感をともなって迎えられるかどうか。いまの時代であれば、「無人島」ではなく、むしろ「宇宙」であろうか。でも宇宙に行くにしても、例えば宇宙飛行士の毛利衛は二度目の宇宙飛行(2000年)のときは全部で24枚のCDを持っていったのだというし(『宇宙から学ぶ ユニバソロジのすすめ』岩波新書)、いまでは音楽はデジタル形式でもあるから、24枚をはるかに超える音楽をデータで持っていける。映画『The Martian』では火星でデジタル音楽を聴くシーンがあったのを、ぼくは憶い起こす。ミニマリストのぼくは今ではCDはいっさい持っていないけれど、もちろんストリーミング(Apple Music)によってありとあらゆる音楽を聴くことができる。「オフライン」であっても、あらかじめスマホにダウンロードしてある音楽を再生すればいいだけだ。いずれにしろ「無人島に持って行くとしたら」の質問系は、無人島(あるいは宇宙)に行くときの「条件」に深入りするのは賢明ではない。スマホは持っていけるのか、スマホのキャパシティはどうかなど、そんなことを言い出したら、せっかくの会話の流れがおかしくなってしまう。あくまでも、とにかく、ひとつを選ぶこと(あるいはふたつなり三つなりと提案された数を選ぶこと)から、この会話ははじまるのである。

 ところで、無人島にしろ宇宙にしろ、それらはひとが「移動すること」の先にひろがっている世界である。この視点でみるとき、新型コロナの経験は、移動が制限され、「移動しないこと」へと戻される経験である。大航海時代を経て、近代から現代へとつづいてゆく文明の拡大と進化を高台にのぼって見晴るかすとき、それは(形態はどうであれ)「移動すること」をその核心に装填することですすめられてきたのだということがみてとれる。無人島も宇宙も、文明の拡大と進化のなかで立ち現れた領域である。そこからベクトルはぐいっと転回して、(できるかぎり)「移動しない」世界へと戻されたのである。移動していった先の「ひとつの選択」ではなく、「移動しない」世界での「ひとつの選択」とはいったい、どうなるのだろうかとかんがえてしまう。


 新型コロナの状況下で、いろいろな本をぼくは読んでいる。昨年(2019年)は「移動すること」の多い年だったから、あまり多くの本にふれることをしなかったのだけれど、今年は新型コロナの状況下で、またぼくの生活にもいろいろなことがあって、ぼくはさまざまな本たちとの対話(読書)を重ねてきた。

 新型コロナの状況がさしだしてくれたのは、例えば(長めの本を読むという)時間の余裕あるいは時空間の再編成ということだけに限られない。より深いところでは、それは、人や社会のありかたにおける、根本的な価値観に対して「裂け目」をつくったのだということができる。人の生き方や働き方はもちろんのこと、社会のしくみ、経済のありよう、それから人と自然の関係性にいたるまで、ありとあらゆるものの「根源」をまなざすところへと、現代を生きる人たちはおしだされたようである。もちろん新型コロナの状況にいたるまえにも、個人やコミュニティなどが、人の生き方や社会のあり方に対して真摯で根源的なまなざしをそそぎ、行動し、変えようとしてきたのだけれど、新型コロナの状況ではその「おしだされかた」が、同時的で、全世界的なひろがりをみせていることが特異だ。つまり、たくさんのひとたちが共有している「共同幻想」に<裂け目>ができたのだ。それは、これまで「共同幻想」によってあまり省みなかったようなことがらに風穴をあけ、「共同幻想」によって支えられていた人の生き方や社会のあり方、あるいは共同幻想自体をいっそう明るみに出すことになった。

 そのおしだされたところで人が手にとる本は、意識的にか無意識的にか、近現代の根本的な価値観の裂け目に向かっているような本の系列がひとつであるかもしれない。少なくとも今年のぼくは「古典」と呼ばれる本を手にとることが多い。それはぼくの個人的な関心によるところが大きいのだろうけれど、その個人的な関心は「近現代のあとに来る世界」、近現代をのりこえてゆく、人の生き方、組織や社会のありようをまっすぐにまなざしているから、根本的な価値観が省みられる現在の状況に接合してゆくのは当然のことである。

 いろいろな古典的作品があるけれど、ぼくがやはり立ち戻った本の一冊は、真木悠介(社会学者である見田宗介の筆名)の名著『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)であった。冒頭であげた無人島シリーズのように、今のぼくが「たった一冊の本」だけを手にたずさえるとしたら、真木悠介の『気流の鳴る音 交響するコミューン』を、ぼくは手にとることになる(ちなみに、1977年以後、2003年に「文庫版」がちくま学芸文庫にはいり、この文庫版をもとに2018年に電子書籍化されている。また真木悠介の著作集にも収められている)。今回あらためて精読しているあいだ、ぼくが「たった一冊の本」を選ぶとしたら、やはりこの本だとぼくはおもったのであった。

 『気流の鳴る音 交響するコミューン』は、人類学者カルロス・カスタネダの著作を素材としながら、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁として、これらインディオの世界と出会うこと」を目的として書かれている。カスタネダの著作は今ではあまり知られていないかもしれないが、メキシコ北部に住むヤキ族のドン・ファンという老人のもとに弟子入りしてインディアンの生き方を学んでゆく話だ(「メキシコの教え」といえば、ぼくにとってはDon Miguel Ruiz『The Four Agreements』で、それはドン・ファンの「教え」とも重なっている)。カスタネダを通じてこれらのインディオの世界と<出会う>なかで、またそれらの素材に触発される仕方で、真木悠介は「人間の生き方」を論じてゆく。真木悠介が書いているように、素材はカスタネダの著作とインディオの世界だけれども、この本は「ドン・ファンやドン・ヘナロの魅惑的なトリックやヴィジョンやレッスンに仮託した、私自身の表現」である。

 この本をぼくの「たった一冊の本」とする理由のひとつは、上で述べたように、「近現代をのりこえてゆく生き方や社会のありよう」をまっすぐに視界におさめていることである。「人間の生き方を発掘したい。とりわけその生き方を充たしている感覚を発掘したい」と、真木悠介は本の冒頭に書きつけている。さらに、『気流の鳴る音』が書かれたときのことを憶い起こしながら、「<近代のあとの時代を構想し、切り開くための比較社会学>という夢の仕事の、荒い最初のモチーフとコンセプトとを伝えるために、カスタネダの最初の四作は魅力的な素材であると思えた」ことを、真木悠介は2003年の「文庫版あとがき」に書いている。<近代のあとの時代の構想>という仕事は、このあと、真木悠介(=見田宗介)の仕事のなかに結実してゆくことになるのだけれど、ここに軸足をおくことは、ほんとうに歓びに充ちた生き方をかんがえてゆくときにはとても大切なことであるとぼくはおもう。

 「たった一冊の本」とする理由の二つ目は、<比較社会>という方法である。自然科学とは異なり「社会」というものは研究室での「実験」はできないから、「他の社会」との比較という方法をとらざるを得ない。だから、「社会を比較する」という方法をとることになる。ぼくにとっての「関心」との重なりでいえば、「異文化という経験」だ。1990年半ば、大学に入学後、ぼくは毎年夏休みには「海外」に出ることにしていた。ぼくが入学した大学は外国語を専攻する大学で、大学内にすでに「異文化空間」が生成していたのだけれど、海外に出ることがふつうのこととして日常化していた。もちろん「海外」へのあこがれをもって入学したのでもあるから、ぼくにとって海外に出ることは当然のことであった。1994年の中国本土にはじまり、1995年には香港(返還前)・中国本土・ベトナム、1996年には一年休学してニュージーランドに滞在、1997年にはタイ・ラオス・ミャンマーといった具合に、「異文化」はぼくのなかで経験の地層をつくっていった。そのような経験の地層をつみかさねるなかで、ぼくは新宿の紀伊国屋書店で、『気流の鳴る音』に出逢ったのであった。『気流の鳴る音』との出遭いは、ぼくが見たり感じたりする「風景」を変えてしまうものであり、あるいはぼくが感覚してきたことがらに「言葉」を与えてくれた。その後もぼくの「異文化経験」は地層をつみかさねゆくことになるのだけれど、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港、マレーシアに暮らしてゆくなかで『気流の鳴る音』はいつもぼくと共にあった。シエラレオネに仕事で住むことになったときも、まさに限られた荷物のなかに、ぼくは文庫版の『気流の鳴る音』を入れ、それはぼくの日々を精神面で支えてくれたのである。なお、『気流の鳴る音』はいわゆる「異文化」よりもはるかにひろい射程をもっていることを追記しておきたい(真木悠介の言葉をそのまま使えば「異世界」であり、それは人それぞれの内部の「異世界」をも射程している)。

 さらに、『気流の鳴る音』を「たった一冊の本」とする理由の三つ目は、真木悠介がふりかえって書いているように、そこには真木悠介の<荒い最初のモチーフとコンセプト>が「混沌と投げ込まれていること」(「文庫版あとがき」)だ。投げ込まれた「荒いモチーフたち」は、その後の真木悠介=見田宗介の仕事(名著『時間の比較社会学』や『自我の起原』など)のなかで「かたち」をなしていったのだけれど、そのことにふれたあとで、真木悠介はつづけてこう書いている。「これからもなおさまざまなモチーフがこの混沌の内から立ち上がり、わたしの中で、他者たちの中で、そして見知らぬ世代たちの中で、さまざまに呼応しながら、新しくおどろきに充ちた冒険と成熟をくりかえしてゆくことに心を踊らせている」(前掲書)。「荒いモチーフたち」は、人の生き方や社会の変革の「答え」ではなく、『気流の鳴る音』を読む者たちのなかで、「新しくおどろきに充ちた冒険と成熟」を触発してゆく、そのような混沌さが、ぼくには魅力的なのだ。仮に無人島で読むにしても、その混沌のなかから、ぼくは「新しくおどろきに充ちた冒険と成熟」をくりかえしてゆくことができる。20年以上読み続け、いまでも読むたびに触発されているぼくの経験はそのことの証のひとつである。でも、ひとつ加えておかなければいけない。「混沌」といっても、『気流の鳴る音』で展開される「論」それ自体は、きわめて明晰で、みごとというほかない。なんど読んでも、ぼくの心は踊り、心の中では感嘆の声しかでない。

 まだまだ「理由」はいっぱいにあげることができるのだけれど、ここでは、「近現代をのりこえてゆく生き方や社会のありよう」への視界、<比較社会>という方法(異文化や異世界へのまなざし)、<荒い最初のモチーフとコンセプト>(答えではなく触発し生成する思想)、という三つのことをあげるにとどめておきたいとおもう。

 それにしても、この本との出逢いがなければ、今のじぶんというものはないだろうとおもう。じぶんは存在はしていただろうけれど、今のような仕方でじぶんが生きているということはないだろう。それほど、ぼくにとって大切な書物であり、「生きかた」をほんとうに変えてゆきたいとおもっている人たち、また/あるいは「社会」を変えてゆきたいとおもっている人たちにすすめたい書物である。新型コロナの世界に生きながら、いっそう「生き方」が問われ、「社会のありよう」が問われている。それらの問いに対して、表層だけで応えないこと、この機会に深い地層におりていって、根源的に問い直すこと、そして生きなおすこと。そこに向かって、『気流の鳴る音』はまっすぐなまなざしを届けてくれている。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

子どもたちはさまざまな仕方で「語りかける」。- <人類誕生のドラマ>を重ねる三木成夫。

子どもたちと接することはそれだけで歓びでもあるけれど、学びと気づきの場でもある。兄弟姉妹や友人の子どもたちと接しながら、ぼくは学ばされ、気づかされる。子どもたちはぼくの「先生」でもある。

 子どもたちと接することはそれだけで歓びでもあるけれど、学びと気づきの場でもある。兄弟姉妹や友人の子どもたちと接しながら、ぼくは学ばされ、気づかされる。子どもたちはぼくの「先生」でもある。子どもたちが直接に何かを教えてくれるのではない。何らかの「情報」を教わるのではなく、ぼくがじぶんやひとや自然や世界と接する、その仕方を根抵から問われる。生きかたが問われるのだ。そのようにして「教え」はやってくる。

 幼児たちにとっての「世界との出逢い」、どこまでもひろがる好奇心にみちびかれてゆく。いや、好奇心ということばが適切なのかどうなのかもわからない。好奇心ということばにおさまらないほどの身体の揺さぶりが子どもたちをとらえているように、ぼくには見える。

 指差しにはじまり、「あれ、なーに?」、それから「どーして?」と続いてゆく。どこまでもひろがる「世界との出逢い」の経験は、「大人」になったぼくにも、かつて訪れていた時空間である。ひとにとって、じぶんの周りにひろがる「世界」は、じぶんの感受性をいっぱいにひらいてみれば、そのようにして「あらわれる」ことのある時空間だ。

 名著『内臓とこころ』では、解剖学者の三木成夫は自身の子ども観察をおりこみながら、子どもの成長のなかに<人類誕生のドラマ>を重ね合わせる視界をひらいてみせてくれている。

 赤ん坊の成長の日々を観察すること…それは、いってみれば自然観察の最後の課題に入るのかもしれません。そのような観察が乳児期から幼児期に及び、やがてあの「三歳児」の世界に参入する時、それは、なにかひとつのクライマックスを迎えるように思われるのです。
 そこには人類誕生のドラマの秘めやかな再現が見られる……!…そこでは数百万年そして数千万年の歳月が、わずか数ヶ月・数年の日々に、ものすごく凝縮される。…

三木成夫『内臓とこころ』(河出文庫)

 ひとそれぞれの誕生に人類誕生のドラマが重ね合わせられる。この本をひらくまで、ぼくが思いもしなかった見方である。子どもたちの指差し、「アレナーニ?」から「ドーシテ?」にいたるまで、三木は人類誕生のドラマをそこに見る。

 三木成夫の視点は鮮烈に、ぼくたちの「視界」を変えてしまうちからをもつ。そして、子どもたちは、さまざまな仕方でぼくに語りかける。

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言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima 言葉・言語, 社会構想 Jun Nakajima

「The Best is Yet to Come」という思想(生きかた)。- <近代>という時代の特質と生。

ドナルド・トランプの「2020年一般教書演説」は、「The Best is Yet to Come」のことばで閉じられた。思い起こしたのは、以前、自己啓発のオーディオ(英語)を聞いていて、コースのひとつのチャプターが、「The Best is Yet to Come」で閉じられていたことだ。

🤳 by Jun Nakajima

 ドナルド・トランプの「2020年一般教書演説」は、「The Best is Yet to Come」のことばで閉じられた。思い起こしたのは、以前、自己啓発のオーディオ(英語)を聞いていて、コースのひとつのチャプターが、「The Best is Yet to Come」で閉じられていたことだ。(フランク・シナトラの歌のなかにもある。)

 以前聞いたときは、とてもよい響きが耳に鳴り響いたものだ。最高はまだこれからやってくる。力強い声でそう語られると、「これからだ。やってやろう」という気持ちがわいてくる。

 けれども、それと同時に、「The Best is Yet to Come」は、疎外された生の形式を語っているように聴こえる。そこで「語られないもの」は、いま現在の生であり、どこまでも満足しない生である。

 もちろん、誰によって、どんなときに、どのように語られるのかは大切である。ことばを、それが語られることばの海からひっぱりあげて、ああだこうだと語ることは、語られることばの本質を脱色してしまうかもしれない。

 そのことを認識したうえで、けれども、「The Best is Yet to Come」の響きをただ「かっこいい」だけで終わらせるのは、<これからの生きかた>を生きるという視界において、危険だと思う。

 「The Best is Yet to Come」が真実のことばとして現れることもあるし、ひとを救うことばともなることはあるだろうけれど、そこで立ち止まって、「じぶん」の内面に光をあてたいものだ。「いま」に満足しない生は、いったいいつになったら満足がやってくるのか、と問いかけながら。

 「The Best is Yet to Come」の思想が疎外された生の形であるとするならば、あるいはその思想が生を疎外するものであるとするならば、それは、「Best」を永遠に先送り思想となるときだ。「Best」がやってくることはない。

 生の「意味」を未来へ未来へとおくりだしてゆく。社会学者の見田宗介先生は、このような生のあり方を明晰に捉えている。

 …「近代」という時代の特質は人間の生のあらゆる領域における<合理化>の貫徹ということ。未来におかれた「目的」のために生を手段化するということ。現在の生をそれ自体として楽しむことを禁圧することにあった。先へ先へと急ぐ人間に道ばたの咲き乱れている花の色が見えないように、子どもたちの歓声も笑い声も耳には入らないように、現在の生のそれ自体としてのリアリティは空疎化するのだけれども、その生のリアリティは、未来にある「目的」を考えることで、充たされている。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年

 「The Best is Yet to Come」は、<近代>という時代の特質、生を(目的でなく)絶えず手段化してゆく生のあり方に共振することばだ。生のリアリティを、未来にある「目的」に向けて投じてゆく。

 フランク・シナトラが1960年代、「The Best is Yet to Come」という(恋愛の)歌を歌ったときには、生のリアリティが空疎化してゆくような響きは鳴り響いていない。アメリカも、日本も、他の先進産業地域も、たしかな「未来」を夢見ることができた時代だ。

 いまは果たしてどうだろうか。そんな問いと共に、「The Best is Yet to Come」ということばと共に、じぶんの内面に光をあてなければいけない地点に、ひとも社会も立たされている時代にいる。

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成長・成熟, 海外・異文化 Jun Nakajima 成長・成熟, 海外・異文化 Jun Nakajima

自身の「西洋的」な素養の起源。- 解剖学者・養老孟司の推測。

解剖学者の養老孟司に学ぶのは、20年以上まえに「唯脳論」というパースペクティブに視界がひらかれたとき以来、ぼくにとって心躍る経験である。その養老孟司が「本」の読み方について語るのを読むことも、また楽しいものだ。

 解剖学者の養老孟司に学ぶのは、20年以上まえに「唯脳論」というパースペクティブに視界がひらかれたとき以来、ぼくにとって心躍る経験である。その養老孟司が「本」の読み方について語るのを読むことも、また楽しいものだ。

 著書『世につまらない本はない』では、養老孟司の生の道ゆきで影響を与えた本として、哲学者デカルトの『方法序説』、それから精神医学者R.D.レインの『ひき裂かれた自己』が挙げられていたのは興味深かった。とりわけ、レインの著作を読んで、自身の心の問題が治ってしまった経験、また当時心理学に興味をもっていた養老孟司が、レインの著作を通じて、そこに心理学ではなく「論理学」を見出した経験は、ぼくの関心をひく。

 ところで、養老孟司が言うように、レインのよってたつ精神分析は「ある種、西洋的」である。つまり、「個人」が自己という世界を精神として打ち立てている。西洋=個人主義という見方は表層的だけれど、それでも、やはり「個人」という世界がつくられるのは「西洋的」な側面がある。西洋的自我である。

 レインの著作にこのようにふれながら、養老孟司はじぶん自身について、「個人的な考え方では非常に西洋的」だと語っている。そして、そこにはカトリックの学校に通っていたことが影響しているかもしれないと推測している。とはいえ、カトリックの影響が「信仰」として取り込まれたのではなく、「神学」という形ではいってきたのだと、養老孟司は語る。

 さらに、「世間」を探究し、「世間」というものを<外から見ること>のできた阿部謹也の境遇にも、思考をひろげている。

 …日本の世間の中にずっぽり浸かっている人はどうしても客観的になれない。逆に言えば、客観的になる必要がない。しかし、塀の上から見ると、中がある程度わかるのです。
 『「世間」とは何か』を書いた阿部謹也さんもそうだっと思う。
 彼も修道院か何かで育っている。やっぱりある年代にああいう西洋的なもの、特にカトリック的な、ああいう世界に触れると、社会に対する妙な客観性ができるのでしょうか。

 養老孟司・池田清彦・吉岡忍『世につまらない本はない』朝日文庫

 だいぶ以前に読んだ阿部謹也の著作を思いながら、なるほどとぼくは思う。また、「日本社会」への客観的かつ透徹した視野を同じように獲得したであろう人物として、やはり、山本七平(主著『空気の研究』など)を思わずにはいられない。

 養老孟司の語りに耳を傾けながら、ぼくは「じぶん」を対話におく。思えば、ぼくも、幼稚園でキリスト教にふれていた。べつにぼくの家族がクリスチャンであったわけではないし(じっさいには仏教であったけれど、そもそも信仰というほどには程遠いところだったと記憶している)、クリスチャンになろうとしたわけでもない。たまたま家からもっとも近い、徒歩5分ほどの幼稚園(創立は大正時代)が、キリスト教主義を掲げて幼児教育にとりくんでいただけである(インターネットで調べると、その歴史の深さを感じさせられます)。

 養老孟司と同じように、ぼくにも「信仰」が取り込まれたわけではなく(ぼくはいわゆる「信仰」をもたない)、やがて20年からそれ以上の歳月をかけて「社会学(宗教社会学)」のような仕方で、ぼくの学びの対象となっている。ただ、当時の断片的なイメージは記憶に残っているし、幼稚園に通っていたときにいただいた誕生日カードには聖書からのことばが記されているのを見ることができる。

 もしかしたら、ぼくも当時、まだ「自己」というかたちがその輪郭をあやふやにしていたときに、この「異文化」に何かの影響を受けたのかもしれないと考えてみることができる。「個人」として、日本社会にある距離をおいて客観的に見ようとする。そんな素養は、40年前のあのときに、種がまかれたのかもしれない。

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