洋書による「英語の学び」の地平線。- シドニー・シェルダンの作品。
ぼくが、日常で洋書を手にするになったきっかけのひとつは、シドニー・シェルダン(Sidney Sheldon)の作品である。...Read On.
ぼくが、日常で洋書を手にするになったきっかけのひとつは、シドニー・シェルダン(Sidney Sheldon)の作品である。
シドニー・シェルダンは、アメリカの脚本家・小説家。
今の10代・20代の若い世代には馴染みがない名前だろう。
1980年代から1990年代にかけて多くの作品を世におくりだし、2007年に他界した。
サスペンス的なプロットに読者をひきこみ、日本でも翻訳がベストセラーとなり、当時は書店のすぐ目につくところに並べられていた。
だから、「シドニー・シェルダン」の名前は知っていた。
新聞紙面でも、シドニー・シェルダンが「英語教材」として扱われている広告を、よく目にしていた。
大学に入り、英語をもっと勉強しないとという焦燥感を抱きながら、シドニー・シェルダンの名前は、ぼくの頭の片隅に置かれていた。
でも、当時は特に本を読むことを常としていなかったし、サスペンス的な小説には関心をもっていなかった。
そんな状況に変化があったのは、大学2年終了後に休学届けを大学に出して、ニュージーランドにいったときのことであった。
ワーキングホリデー制度を利用しての滞在であった。
オークランドの日本食レストランでウェイターとして働きながら、休日はオークランド図書館や古本屋に足を運ぶようになった。
ぼくは、古本屋で、ビートルズの伝記などと共に、シドニー・シェルダンの作品のペーパーバック版を手にした。
「ペーパーバック」の本には、少なからず、あこがれを抱いていたこともある。
バックパッカーとして海外を旅するようになってから、バックパックとペーパーバックがある風景に、かっこよさを感じたのだ。
旅先で会う、世界からのバックパッカーたちは、背中に大きなバックパックを背負い、その中には必ずと言っていいほど、ペーパーバックの本が数冊詰められていた。
まだ、電子書籍がない時代だ。
旅先の宿で、旅先のカフェで、ペーパーバックが風景のなかで欠かすことのできない一部を成していた。
母国語を英語としない人たちも、英語のペーパーバックを読み、読み終わっては宿に寄贈していく。
ぼくは、そんな旅の風景が好きだった。
ニュージーランドに住むという経験のなかで、英語を修得するという目標のためにも、英語の原書にチャレンジする。
しかし、そこには、「あこがれ」のイメージを重ねて、「かっこよさ」の風景をつくりあげていく。
そのようにして、ぼくは、英語の本たちと仲良くなりはじめた。
でも、「英語を学ぶ」ということで読み始めたシドニー・シェルダンは、最初の導入部分さえ超えてしまうと、ページを繰る手がとまらなくなってしまった。
英語は比較的容易な語彙が使われ、物語のリズムとプロットが幸福な調和をつくることで、読者を物語の世界にひきこんでしまう。
こうして、「英語の学び」ということは、いつしか地平線の彼方にきえてしまい、そこには「楽しさ」が現れることになった。
楽しさは、本の最後まで、ぼくたちを届けてくれる。
途中、わからない単語はあまり気にしない。
本の楽しさとリズムという「波」が、地平線をこえて、ぼくたちを「沖」までつれていってくれる。
英語の本を一冊読みきる、という経験がつみあがる。
そして、また、古本屋で、シドニー・シェルダンの一冊を手にとる。
シドニー・シェルダンは、だいたい、どこででも、手にいれられるのだ。
そんな経験の積み重ねのなかで、ぼくは、日常のことのように、洋書を読むようになった。
洋書を日常として読めるということは、ベネフィットも大きい。
- 著者独特の語りのリズムや語彙を楽しむことができる。
- 英語を学ぶことができる。
- 翻訳を待つ必要がない。
- 翻訳されない良書に触れることができる。
- 翻訳では意味がとれない場合(翻訳がまちがっている場合)を避けることができる。
- 世界で出会う人たちと内容等について語ることができる。
まだ、ベネフィットはあるだろう。
しかし、そんなベネフィットをひっくるめて、ぼくは何よりも楽しんでいる。
シドニー・シェルダンがまだ生きていたら、とぼくは思わずにはいられない。
もっとたくさんの作品を、ぼくたちは楽しむことができたはずだ。
とても残念だ。
しかし、シドニー・シェルダンは、ぼくにもっと大きなものを残してくれたようにも思う。
それは、本を読むという楽しさであり、洋書(原書)を読むという楽しさである。
シドニー・シェルダンの作品は有限だけれど、楽しむ仕方は無限だ。
この「楽しむ」という無限を、彼は、肩肘はることなく、ぼくに魅せてくれた。
「世界は…情熱を投げいれることによってしか、意味をなげかえしてくれない」(鶴見俊輔)。- 「価値の無意味性」を超える仕方。
哲学者の鶴見俊輔は、かつて、「結局のところ世界は、自分が自分の情熱を投げいれること(行動)によってしか、意味をながかえしてくれない」と語った。...Read On.
哲学者の鶴見俊輔は、かつて、「結局のところ世界は、自分が自分の情熱を投げいれること(行動)によってしか、意味をながかえしてくれない」と語った(鶴見俊輔・久野収『現代日本の思想』岩波新書)。
鶴見俊輔の中から、しぼりだされてきたような言葉である。
鶴見俊輔がこう語るとき、念頭にあるのは、「戦後派」という1919年から1933年生まれの者(日本人)たちが体験した、「価値の無意味性」である。
…戦後派はもっとも深く敗戦の影響をうけている。それまで深く信じていたもろもろの価値が、あっという間に色あせ、何でもないしらじらしい理念になってしまうのを体験した。心の底のほうで、あらゆる価値の無意味性を信じている。両親も、兄弟も、天皇も、国家も、恋愛も、教養も、金も、神も。…
鶴見俊輔・久野収『現代日本の思想』岩波新書
このような圧倒的な無意味性を感覚させる「現実」ではないけれど、ぼくも、その片鱗を、世界の紛争地域で感覚してきた。
2002年、ぼくは、長年の紛争が終結したばかりの西アフリカのシエラレオネに降り立ち、難民支援と帰還民支援に奔走する。
電気がないから、ろうそくを灯して、夜中まで仕事を続けるような日々のなかに、ふと、空洞が生まれる。
そんなときに、「価値の無意味性」の深淵をのぞく。
2006年、東ティモールの騒乱で、銃弾がとびかう音を耳にし、日常生活が停止してしまったようななかに、ふと、同じような空洞が訪れる。
一時退避した日本で、ぼくは、この「価値の無意味性」の深淵を前に、生きることの物語を、なんとか支えようとする。
そして「東ティモールの騒乱を乗り越えて輸出されるコーヒー」という物語を一生懸命に紡ぎながら、コーヒーの輸出に向けて、奔走する。
日本における戦争の焼け野原という仕方ではないけれど、ぼくは、そんな深淵に、投げこまれることになった。
「現実」ではなくても、すぐれた小説や映像は、その深淵とそこからの帰還という旅路を、疑似体験させてくれる。
トム・ハンクス主演の映画『プライベート・ライアン』は、このような「価値の無意味性」の只中に置かれながら、その中に「1人の兵士の救出」という情熱を投げいれることの物語である。
井伏鱒二は、著書『黒い雨』のなかで、登場人物に、語らせる。
…今までして来たことが飯事であったように思われて、今までの自分の生活も玩具の生活であったような気がした。…
井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫
今の現代社会は、このような生死を分ける体験を紛争という日常で生きざるをえない人たちと、また他方で対極に「虚構の現実」を生きている人たちを見ている。
「虚構の現実」に生きる人たちが、往々にして取る方法は、「どうせ何もかも飯事だから」という「投げやり」だ。
「情熱を追う」や「好きなことを追う」という方向性を見ながら、しかし、情熱も好きなことも、「投げやり」の延長線上に描かれてしまう。
『黒い雨』の登場人物は、「どうせ何もかも飯事だ」という地点から、「投げやり」にいくのではなく、生きるということの本質をみつける。
「飯事」という価値の無意味性の地点から、「どうせ何もかも飯事だ。だからこそ、却って熱意を籠めなくちゃいかんのだ」という情熱への反転を、生き方として得ていく。
鶴見俊輔も、あらゆる価値の無意味性を信じる「戦後派」が、体験の深さから得た、生きることの本質へと転回する仕方を語っている。
それが、冒頭の文章だ。
…心の底のほうで、あらゆる価値の無意味性を信じている。両親も、兄弟も、天皇も、国家も、恋愛も、教養も、金も、神も。結局のところ世界は、自分が自分の情熱を投げいれること(行動)によってしか、意味をなげかえしてくれない。かくて情熱のたえざる燃焼、熱烈な行動のつみかさねが必要となる。
鶴見俊輔・久野収『現代日本の思想』岩波新書
鶴見俊輔は、「情熱を投げいれること」を、深いところで、方法として取り出している。
無意味性が「投げやり」をつくるとは必ずしも言えない。
無意味性という「井戸の底」から、逆に、生きることの彩りを感覚し、見ることができるかどうかである。
生きることの彩りは、一色ではない。
苦悩から歓喜まで、何色にも彩色された、あるいは彩色することのできる、ひとつの<夢>である。
健康を考えながら、「塩」が気になったこと。- ぼくたちの内なる「海の水」。
ここのところ、健康を見直していくなかで、「塩」が気になっている。...Read On.
ここのところ、健康を見直していくなかで、「塩」が気になっている。
現代人の「体温低下」の原因として「塩分摂取の極端な制限」を挙げながら、医師の石原結實は、こんなことを書いている。
…すべての生命の源は、約30億年前に海水中に誕生したアメーバ様の単細胞生物である。約3億年前のデボン紀に、一部の脊椎動物が陸に上がってきたが、そのまま上陸すると干からびてしまう。よって、海水と同じものを体内に携えて上がってきた。それが血液である。
文字どおり、「血潮」なのである。血液や羊水の浸透圧と海水の浸透圧は酷似しているとされているし、鼻水も涙も塩辛い。我々人間の60兆個の細胞は、今でも血液という海の中に浮いて生活しているのである。
石原結實『お腹を温めれば病気にならない』(廣済堂出版)
さらに、石原は、「塩」を意味するラテン語「Sal」を取り上げている。
ラテン語「Sal」から、さまざまな「大切な言葉」が生まれてきたことに、目をつけている。
例えば、こんな感じだ。
●ラテン語の「Salus(健康、安全など)」:塩が一番おいしく健康に良かったから。
●「Salad(サラダ)」:生野菜に塩をかけたことから。
●「Salary(給料)」:古代ローマ時代の兵士の給料の一部は塩で支払われた(※いくつかの説がある)
語源はいろいろな気づきをもたらしてくれる。
気になったのは、塩や給料が大切だということだけではなく、そこに「人間と社会の歴史と未来」のことが語られているように、感じたからである。
もちろん、それが、ぼく自身の生においても、大切であることは言うまでもない。
「塩」というものは、それ自体、ぼくたちの人間の身体と、人間の社会のなかで、なくてはならないものであり続けてきた。
しかし、「塩」は、この二千年紀の人間社会の発展のなかで、例えば「Salary」(給料としてのお金)という、人間が共同幻想する「貨幣」へとつながってきたわけだ。
「塩」は、派生形態のひとつとして、それ自体で価値のあるものから、紙切れである「紙幣」などへと変遷しー「自然」から離陸することでー、人間社会の発展を無限にきりひらいてきた。
無限にひらかれたと思われた、その人間社会が、今、いろいろな壁にぶつかっている。
人間は、貨幣経済や都市化などを軸に発展をしてきたなかで、いつしか、生命の源であった「海の水」を汚し、人間の「血潮」(血液)を汚してきた。
「塩」そのものは、過剰摂取がさまざまな病気を引き起こすとも言われる存在になっている(石原は、極端な制限は体温低下を招くと警鐘している)。
とても唐突だけれど、そのような状況のなかで、「塩」が、人間と人間社会の転回のキーであるように、感じたのだ。
D.H.ロレンスの最後の著書『アポカリプス』は、ロレンスによるラディカルな文明批判と未来のビジョンの書である。
2001年9月11日の事件に際し、社会学者・見田宗介は、この書物を思い起こしていた。
見田宗介は、人間社会の「未解決の課題」である、「関係の絶対性」(人間の良心や思想に関係なく、軍事力や貨幣経済を媒介に客観として存立してしまう敵対的関係)を乗り越える方途のイメージを、ロレンスのこの書物に見たという。
…D・H・ロレンスが、関係の絶対性の思考に対置して依拠するヴィジョンは、一見思い切りとうとつであり、なんの説得力もないもののようにみえるものです。
ロレンスが、その死の床で力をしぼるようにして書き記したという最終章は、書きなぐるように飛躍する文体で、ぼくたちは太陽系の一部である。地球の生命の一部分であり、ぼくたちの血管を流れているのは海の水である。というようなことが語られている。
いきなりこういうことをいわれても、納得する人はいないと思います。けれどもわたしは自分自身としては、このロレンスが言おうとしたことに、深く納得しました。
見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
この文章を読み、ロレンスの『アポカリプス』を読みながら、ぼくも「感覚」として納得していたけれども、ぼくの目の前に広がる「海」、ぼくの内なる「海の水」(血潮)、それから「塩」が、論理として、より明確に見え始めてきた。
冒頭の文章とラテン語「Sal」は、その明確さに、言葉を別の角度から与えてくれたのだ。
人間も人間社会も、その発展の末に、「海の水」を汚し続けてしまった。
また、「海の水」からはるかな果てに離陸し、干からびてきてしまっている。
だからといって反近代のような地点に戻るのではなく、「発展」の恩恵とポジティブなエッセンスを取り出し、無数の課題を超えながら、未来を見据えていく地点に入っていくことだ。
そのときに、「塩」は、それ自体においても、また象徴やメタファーのようなものとしても、鍵となるものであると、ぼくは感じている。
だから、ロレンスにならって、ぼくも自分に言い聞かせる。
ぼくたちの血管を流れているのは海の水である、と。
「トラブルは、映画のように片付ける」(キングコング西野)。- 言葉、映画、人のつながり。
キングコング西野が、「大停電の夜」のトラブルを見事に反転させて、人とのつながりを創出した。ぼくはシンプルに、感動し、教えられ、考えさせられた。...Read On.
お笑い芸人であり絵本作家のキングコング西野が、「大停電の夜」のトラブルを見事に反転させて、人とのつながりを創出した。
ぼくはシンプルに、感動し、教えられ、考えさせられた。
2017年6月21日、日本の関西地方で、記録的な大雨が降った。
断線による停電のため新幹線が止まってしまい、乗客は、真っ暗で、冷房もトイレの水も止まってしまった車内に閉じ込められてしまったという。
不平不満、ため息やボヤキが聞こえる。
車掌は対応に追われている。
この殺伐な状況に出くわしたキングコング西野。
「トラブルは、映画のように片付ける」をモットーとする西野は、最初、ギターを探すことにした。
彼は、彼のブログで、こう書いている。
不平不満を漏らすのではなく、「停電をくらった人達が、その環境を楽しんだ」という決着が一番映画的だと思ったので、車内をウロウロ歩きまわりギターを探したが、結局、見当たらなかった。
キングコング西野「大停電の夜に」『オフィシャルダイアリー』
(※リンクはこちら。)
ギターを見つけることができなかった西野は、「何か面白い未来に繋がるネタはないものか」と目を凝らし、「車内販売」を見つける。
酒やツマミがいっぱいである。
そうして、西野は、「そこら辺に座っている乗客に声をかけ、皆で大宴会を決行」するのだ。
そのタイミングで電気は戻りつつも、東京まで、宴会を続けたという。
ぼくは、このニュースと西野のブログを見ながら、感動してしまった。
こんなポイントからである。
- 生きられる「言葉」:「トラブルは、映画のように片付ける」のモットーを自分の「道具箱」に収め、さっと取り出したこと。
- 「映画」という方法:「映画のように」という、未来の光景を、方法として使ったこと。
- 「人とのつながり」の創出:困難な状況を反転させ、知らない者同士のつながりをつくったこと。
1) 「トラブルは、映画のように片付ける」のモットー
自分の言葉・モットーを、きっちりと「道具箱」に収めている。
それは、ただの言葉ではなく、状況(トラブル)に応じて、常に取り出せるものだ。
取り出して、そのように、思考を働かせ、実際に動いていく。
生きられる言葉なのだ。
言葉「を」生きる、というよりは、言葉「をヒントに」生きている。
生きることありきである。
ぼくたちは、そのようにして言葉・モットーをもち、生きていくことができる。
2)「映画」という方法
「トラブルは、片付ける」ではなく、「映画のように」と付け加えている。
この「副詞」(「映画のように」)は、二つの点で、インパクトをもつ。
一つ目は、視野・視点を、変えてしまうこと。
西野が述べているように、「面白い未来」を呼び寄せる仕掛けだ。
二つ目は、映画の本質である「物語性」を、トラブル解決の方途にひきいれること。
西野は、その未来を、「『停電をくらった人達が、その環境を楽しんだ』という決着」として、想像する。
この「物語としての想像」が、ギター探索、そして「大宴会」へと道をひらくことになる。
「映画」は、Joseph Campbellが言う「Hero’s Journey」のように、その内に、困難と乗り越えとエンディングをもつ。
困難は「物語」を始動させる。
このように、西野は、トラブルを「映画のように」乗り越えていくというとき、そこに「物語」をひきいれている。
このことは、絵本作家である彼の資質と無縁ではない。
3)「人とのつながり」の創出
電気がついた後の車内で宴会はつづく。
東京までの道のりで、宴会に参加した人たちは、西野のところに戻ってきては「お礼」を伝えている。
西野は、前掲のブログで、最後にこんな感想を書いている。
なんだよ、チクショウ。人はこんなに温かい。
それもこれも、この大停電がなければ知ることができなかった。
困難を共有し、「この時間を良い思い出にしよう」と思ったから生まれた縁だ。
トラブルは捨てたもんじゃない。
文句で終わるなんてもったいない。
本来、繋がるハズがなかった人と繋がることができるチャンスだ。
キングコング西野「大停電の夜に」『オフィシャルダイアリー』
(※リンクはこちら。)
トラブルは人と人を「離してしまう」こともあるけれど、トラブルは「人と人を繋げる」契機とすることもできる。
大停電の困難を、映画のような物語を通じて、人のつながりをつくりだした西野に、そこにいた人たちはもちろんだと思うけれど、ぼくもたくさんのことを学んだ。
「映画の登場人物」は、決して、一人ではない。
そして、より本質的には、西野は、トラブルだけを映画のように乗り越えているのではない。
「生き方」そのものが「映画のよう」であるところに、西野の力はあると、ぼくは思う。
ぼくたちの生は、それぞれに「物語」なのだ。
「どのように生きる」かの、<「どのように」という副詞>に、生という物語の彩りが、賭けられている。
この状況の反転は、有名人であるキングコング西野だからできたのではないか、と言う人もいるだろう。
それは、正しくもあるし、まちがってもいる。
有名人という、「誰もが知っている人」を拠点として、知らない人たちが集うのは、知らない人たち同士が集うよりも容易である。
しかし、有名人全員が、このようにできるわけではない。
さらには、「トラブルは、映画のように片付ける」をモットーに、その場ですぐ実行するような西野だからこそ、実は今の(有名な)西野がある。
ところで、そもそもぼくは、「大停電の夜に」のニュースを、たまたま眼にした。
ぼくは、井伏鱒二の著作『黒い雨』に出てくる言葉を、見返していたところで、このニュースが眼に入った。
広島に原子爆弾が投下された後の人々の生活を描く『黒い雨』の一節に、ぼくは惹かれてきた。
…今までして来たことが飯事であったように思われて、今までの自分の生活も玩具の生活であったような気がした。
「どうせ何もかも飯事だ。だからこそ、却って熱意を籠めなくちゃいかんのだ。よく心得て置くことだ。決して投げだしてはいかんぞ。」
井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫
大停電の新幹線で、多くの人たちは「投げだして」しまい、文句と苦情で「世界」を脱色してしまっていた。
西野は、決して投げださず、「どうしようもない」状況を、脱色ではなく「彩色の精神」によって、見事に反転させたのだ。
(飯事に)「熱意を籠める」ように、西野は、最悪な状況に「燃える」ことで、<停電>に、色を添えたのだ。
記録的大雨が降ったなかでの「大停電」をのりこえる西野は、たとえ「黒い雨」が降ったなかでの「最悪の状況」も、投げ出さずに、映画のようにのりこえるだろうと、ぼくは思う。
<身の丈>に向きあうなかで、見つけたもの。- 海外・途上国・自然のなかで「テクノロジー」から切りはなされて。
「身の丈」を、文字通りの「原義的」に読み替えること、そしてそうすることで体験のひとつを伝えることが、この文章の意図するところである。...Read On.
「身の丈」を、文字通りの「原義的」に読み替えること、そしてそうすることで体験のひとつを伝えることが、この文章の意図するところである。
「身の丈」という言葉の意味は、辞書的には、次のようである。
- せいの高さ。身長。背丈。…
- (多く「身の丈に合った」の形で)無理をせず、力相応に対処すること。分相応。…
(出典)「デジタル大辞泉」
「原義的な読み替え」は、言って見れば「1と2の間」に、開かれる。
ぼくたちは、現代という時代のなかで、「自分・自我という幻想」を、幾重にも「拡大・拡張」している。
例えば、経済力(があること)は、「自分・自我という幻想」を拡大・拡張しがちだ。
また、経済力は往々にして社会ステータスのようなところと密接につながっている。
「身の丈に合った…」と言うとき、身の丈に合った生活、身の丈に合った出費などと使われる。
往々にして経済力(また経済力を上げるための能力)において、「分相応」であるべきことが語られる文脈だ。
経済のグローバル化が進展した現代において、「経済力」は、世界のどこでも威力をもち、ぼくたちの「自分という経験」を形成する、大きな要素である。
他方、社会的ステータス(会社や学校など含む)は、世界どこでも通用するものから、国内やローカルでしか通用しないものまで、幅がある。
「海外」に出ると、国内やローカルでしか通用しないものは、意味をなさなくなる。
ぼくたちは、ぼくたちの「自分・自我」にとりついた「幻想」から(幾分かは)切り離され、より「身の丈」を意識する。
ぼくは、大学時代にニュージーランドに行った際には、「学歴」という幻想を、いったんとりはずしたかった。
「幻想の殻」を一枚でも二枚でも脱ぎさって、残るものを感覚し、見てみたかったのだ。
「途上国」で、国際協力・支援に現場でかかわっていたときは、支援する組織の一員・代表という社会的ステータスがあった。
しかし、ひとたび、西アフリカのシエラレオネの、はるか奥地にある村などに降り立つと、自分の「存在」が、不安定になるのを感じることになった。
それは、ある意味、「文明の機器」に拡張・拡大された「自分という存在」が、文明の機器の力を失い、幻想の殻がはがされたような感覚である。
東ティモールのコーヒー生産者たちが活動をする、山奥のコーヒー農園に行ったときも、同じように感じたものだ。
ぼくは、日々、パソコンで仕事をし、携帯電話(当時は時に衛星電話)を使い連絡をとり、車両で移動する。
それが、ひとたび、パソコンも、携帯電話も、車両も意味をなさないような、山奥のコーヒー農園に降りたつと、<自分という存在の身の丈>に向き合わされる。
ぼくから、パソコンや電話やカメラなどが取られてしまったら、ぼくにはいったい何ができるのだろう。
ぼくは、「生身の身体」として、そこに投げ出されてしまう。
目の前のコーヒー生産者の人たちは、コーヒー農園という自然の只中で、圧倒的な存在感を放っている。
現代のテクノロジーがなくても、人間としてのサバイバル能力、食べるものを栽培する能力、山をかけぬけていく力などに照らされ、人間としての存在の深さをたたえている。
メディア研究で有名なマーシャル・マクルーハンは、かつて、「テクノロジーやメディアは人間の身体の拡張である」ということを述べた。
近代は、そして現代は、この「拡張」を、絶えず推し進めている。
そして、この「拡張」は、自分という存在を、誇大視させる。
その誇大視された「自分」は、テクノロジーを(一時的に)奪われる体験のなかで、「誇大」を脱ぎ去りあるいははがされ、<身の丈>に向き合うことを余儀なくされる。
ぼくにとって、このような<身の丈>に向き合う体験は、とても貴重なことであったと思う。
ぼくは、ニュージーランドの山奥で、西アフリカのシエラレオネの奥地の村で、東ティモールのコーヒー農園で、そのような体験に出会い、体験を積み重ねてきた。
もちろん、テクノロジーから切り離されるのは一時的である。
シエラレオネや東ティモールの事務所に戻り、関係者と協議をして、ぼくはぼくのできることに最善を尽くし、ぼくの役割を果たす。
しかし、そのような「一時的な体験」(とその積み重ね)によって、ぼくは、経済力や社会的ステータスという表層の次元だけではなく、もっと深い次元において、いわば<自分という存在の身の丈>と向き合うことができたように、思う。
ぼくは、当時、テクノロジーを取られたら、何が自分に残るだろうかと考えさせられることになる。
そこで、ぼくが想起したのは、「考える力」であった。
ぼくは、この手からテクノロジーが取り去られても、シエラレオネの村で、東ティモールのコーヒー農園で、「考えること」ができる。
完璧な知識も情報も持ち合わせているわけではないけれど、今この状況を変えていくために状況を分析し、方策を考えることはできる。
「それって、やっぱり大切なことじゃないか」と、ぼくは自分自身に言い聞かせる。
海外、途上国、自然という環境において、ぼくたちの身体・身体感覚を拡張させる「テクノロジー」から切り離され、<身の丈>と向き合う経験のなかで、ぼくは「考える力」をあらためて発見する。
東ティモールを出て、香港に移り10年ほどが経過する。
そこで、ヘッセ著『シッダルタ』という古典作品を再度読みながら、この作品に触発されてやまない世界のトップパフォーマーたちに、ぼくは教えられる。
物語のなかで、物乞い同然の格好をした僧である主人公シッダルタは、道ゆきで出会う商人に「(何も所有しない)あなたが、私に何を与えてくれるのですか?」と尋ねられて、応える。
「私は考えることができる、待つことができる、そして断食ができる。」
所有という、自分を拡張するモノを失ったシッダルタが、自分の<身の丈>と向き合ってきたからこそ、生まれでた言葉である。
(※ヘッセ『シッダルタ』については、別のブログで書いた。)
ぼくは、20年以上前に読んだこの箇所を覚えていないけれど、生きてきた歳月のなかで、ようやく「体験」として、ぼくのなかを通過したのだと思う。
「私は考えることができる…」
テクノロジーがこれまでの歴史にないほどに進化を続ける現代において、新しいテクノロジーを活用しながらも、ぼくは、この基点に戻ってくる。
世界のトップパフォーマーを触発してやまない著作。- 古典としてのヘッセ著『シッダルタ』。
Tim Ferrissは、トップパフォーマーたちに、彼(女)らに影響を与えた本、薦める本を尋ねる。たくさんの本があるが、多くのトップパフォーマーたちが挙げるのが、この一冊である。...Read On.
Tim Ferrissの著書『Tools of Titans: The Tactics, Routines, and Habits of Billionaires, Icons, and World-Class Performers』。
本書は、Tim FerrissのPodcast番組をベースに書かれている(編まれている)。
Podcastは、世界のトップパフォーマーたちを脱構築し、方法、ルーティン、習慣、読書などを紐解いていく番組である。
毎回(毎週)、1時間から2時間半もの、内容の濃いインタビューが繰り広げられる。
その内容の濃さを、さらにエスプレッソのように濃縮されたのが、この本である。
濃縮されて、700頁ほどに収められている。
世界のトップパフォーマーには、起業家、著者、スポーツ選手、コーチ、アメリカ海軍特殊部隊、エンターテイナー、コメディアンなどが含まれる。
本書の序文を書いているArnold Schwarzeneggerも、その一人だ。
インタビューの中で(また本書の中で)、Tim Ferrissは、トップパフォーマーたちに、彼(女)らに影響を与えた本、薦める本を尋ねる。
たくさんの本があるが、多くのトップパフォーマーたちが挙げるのが、この一冊である。
● Hermann Hesse『Siddhartha』(ヘルマン・ヘッセ『シッダルタ』)
Tim Ferrissは、この書『Tools of Titans』の方向性が、ヘッセ著『シッダルタ』に触発されていることを書いている。
彼が、とりわけ挙げている場面は、物乞いのような僧である主人公シッダルタが、ある商人に「(何も所有しない)あなたが、私に何を与えてくれるのですか?」と聞かれて、応答するところである。
MERCHANT: “Very well, and what can you give? What have you learned that you can give?”
SIDDHARTHA: “I can think, I can wait, I can fast.”
Hermann Hesse『Siddhartha』
シッダルタは、「私は考えることができる。待つことができる。断食をすることができる」と応答する。
それを聞いた商人は、功利主義的に「それが何の役に立つのか?」と聞き返し、シッダルタはさらに応答するといった場面だ。
Tim Ferrissは、これら「I can think, I can wait, I can fast.」の3つの点で、『Tools of Titans』が読者に役立つだろうと、書いている。
彼は、これら3つを、次のように、自身のために読み替えている。
“I can think” -> Having good rules for decision-making, and having good questions you can ask yourself and others.
“I can wait” -> Being able to plan long-term, play the long game, and not misallocate your resources.
“I can fast” -> Being able to withstand difficulties and disaster. Training yourself to be uncommonly resilient and have high pain tolerance.
Tim Ferriss “Tools of Titans” (Houghton Mifflin Harcourt, 2016)
「古典」は、読む人たちそれぞれに、読む人たちそれぞれの人生のテーマと深さに応じて、異なった角度と深度で、語りかける。
だから、何度読んでも、語り尽くすことがない。
ヘッセ『シッダルタ』は、その意味で、「古典作品」である。
ぼく自身のことでは、ヘッセの作品は、高校時代から今に至るまで、ぼくを触発しつづけている。
いつも横に置いているわけではないけれど、生きることの岐路などで、ぼくの内面に「言葉の種」をまいてくれる。
ぼくの記憶やメモには、「I can think, I can wait, I can fast.」は残っていない。
ぼくのなかでは、とりわけ「自我」の問題、生きることの「経験」ということなどにおいて、ヘッセ『シッダルタ』はぼくに語りかけてきた。
Tim Ferrissが出会うトップパフォーマーたちのインタビューを聞き、この書『Tools of Titans』を読みながら、ぼくは思う。
彼(女)たちは、まるで、ヘッセ『シッダルタ』の主人公シッダルタのように、生きているのだと。
その「生き方」は、例えば、こんな場面で語られる生き方だ。
シッダルタは語る。
「たいていの人間は、…風に吹かれ、くるくる舞い、さまよいよろめいて地に落ちる木の葉に似ている。しかし、少ないながら、星に似た人間がいる。彼らは断固とした軌道を歩み、どんな強風も彼らには届かない。彼ら自身のなかに、自己の法則と自己の軌道をもっているのだ。…」
ヘッセ『シッダルタ』新潮文庫
世界のトップパフォーマーたちとは、「自己の法則と自己の軌道」を自分たちのなかにもっている人たちのことだ。
シッダルタが言うように(またヘッセが言うように)、「星に似た人間」たちである。
そして、星がそうであるのと同じように、輝きつづけるために、<内なる炎>を燃やしつづけながら、軌道を描いている。
ぼくが「自動車工場」(日本)のラインで働いた理由と経験。- 開発学、近代・現代社会、そして人。
開発学(「途上国の発展」の学問)と、途上国の現場での仕事を志し、日本の大学院進学を決めたぼくは、入学までの間の数ヶ月の内1ヶ月を、「自動車工場」で働くことにした。1999年の末のことであった。...Read On.
開発学(「途上国の発展」の学問)と、途上国の現場での仕事を志し、日本の大学院進学を決めたぼくは、入学までの間の数ヶ月の内1ヶ月を、「自動車工場」で働くことにした。
1999年の末のことであった。
大学院では学ぶことに専心したかったことから、「今のうちに資金を貯めておくこと」が目的の一つではあった。短期間集中で、それなりの賃金を得ようと思ったとき、工場での派遣勤務が選択肢の一つであった。
しかし、「お金をかせぐこと」だけであれば、他の仕事もいろいろとある。
ぼくは、「お金をかせぐこと」だけに、生きることの時間をあてることはしたくなかった。
また、「一石二鳥」にとどまらず、「一石三鳥・一石四鳥…」といった具合に、学びと体験という「鳥」をたくさん捕まえたかった。
「自動車工場での派遣勤務」に最終的に落ち着いた理由は、大きくは、次のようなことであった。
- 短期集中で資金を貯めること。
- これから開発学・開発経済学を学ぶうえで、工場での仕事、とくに工場の労働者としての仕事は大切な体験になると思ったこと。
- 産業革命を発端につくられてきた近代・現代社会の、その生産の原動力であった工場と工場での生産を体験しておきたかったこと。
1) 短期集中で資金を貯めること
上述のように、大学院では学ぶことに専心したかったことがひとつの理由である。
大学の日々は、アルバイトに相当の時間とエネルギーを費やしていたことから、大学院では学ぶことに専心したかった。
実際に工場で働くために現地へ行き、ぼくは、工場に短期集中で資金を貯めにくる人たちと出会うことになる。
それなりに「わけあり」の人たちである(ぼくも、いくつもの「わけあり」である)。
ぼくはそのような出会いによって、自分の「内面世界」が広がっていったと思う。
2) 開発学・開発経済学を学ぶ「土台」つくり
数ヶ月先に大学院に入学を控えていたぼくは、社会の「発展」ということの内実を、現場で、体験として得ておきたかった。
途上国の発展は、工業化が駆動してきていること/駆動していくことのなかで、見ておきたかったのだ。
「学」だけにはしたくなかった。
発展の実践を身をもって知っておきたかったし、国家などマクロ的観点での「上からの視点」だけに偏りたくなかった。
実際に、大学院で、日本の工業化や途上国の工業化の経験と実践を学ぶうえで、工場で働いた経験は、自分のなかでの、言葉の「上すべり」を防いでいたと思う。
テキストなどを読みながら、そこに体験を重ねて、頭だけでなく身体で理解していくようなところがあった。
3) 近代・現代社会の存立を考える
自動車工場で働く前に、ぼくは、社会学者・真木悠介の著書『現代社会の存立構造』(筑摩書房)を読んでいた。
そのなかで、「工場の労働者」と「工場の労務管理」の箇所があり、ぼくの関心を捉えていたこともあげられる。
ひとつは、「工場の労働者」の働くという経験について、真木悠介は哲学者サルトルの著書『弁証法的理性批判』から抽出して、考察を加えている箇所である。
…機械ー内ー実践としての労働の両義性について、サルトルはある工場の労働者意識の調査を分析している。…「…機械は機械を完成するところの逆転された半自動性を人間において要求し創造する。」
女工は完全な自動性であってはならない。しかし同時に、完全な精神性であってもならない。完全な自動性であるとき、彼女は可変資本としての固有の存在意義を失う。しかし完全な精神性であるとき、彼女は機械のリズムに適合することはできない。「半自動性」としての半精神性。モノでなく人間でなければならないと同時に、人間であってはならないもの。機械はそのあらがいようのない律動をもって、それに従事する人間たちを、このような両義性として成形する。
人間は純然たる受動性であることを要求されるのではなく、能動性でありながら受動性であることを要求される。…
真木悠介『現代社会の存立構造』筑摩書房
ぼくは、この文章に興味をもち、この「両義性」を体験してみたくなったのだ。
そして、もうひとつは、「工場の労務管理」に触れられている箇所である。
「現代資本主義における労働者管理理論の形成の発端」(真木悠介)となった、「ホーソーン実験」である。
ホーソーン実験は、アメリカで1920年代半ばから1930年代初頭にかけて行われた、生産能率・労働生産性を上げることの実験である。
実験は、物理的条件の変更による生産能率の向上を見ようとしたが、幾多もの失敗の内に、労働者の感情・心理、集団・社会といった生産能率の要因を確認することに導かれていく。
ぼくは、ホーソーン実験の果てに現出してきた、さまざまな「人間中心」の管理を見ておきたかったのだ。
こうして、ぼくは、いくつかの理由と目的をもち、1999年末、鈴鹿の本田工場の自動車生産のラインで働くことになった。
人材派遣会社の方に、ぼくは説明を受け、工場近くのアパートに案内される。
ぼくと同じように、短期間働くために来た人たちと、同居しながら、工場に働きにでる。
シフトは2交代制であったと思う。
ぼくは、自動車の排気パイプの担当であった。
流れてくる組み立て途中の(数種の)自動車に合わせて、排気パイプを準備する。
排気パイプは重く、慣れるまでは、結構大変であった。
この作業が、ひたすら続く。
食事の時間をはさみ、またラインが動いていく。
数種の自動車があることで、完全に「受動的」にならないような工夫があったりする。
いろいろの「初めてのこと」に、ぼくは学び実践することで精一杯であった。
でも、ぼくの印象に強く残っているのは、「人」である。
現場では、社員の方々も、「わけあり」で派遣として働きにきた人たちも、皆、一生懸命に働いていた。
派遣ではない社員の方々は、表面的にはクールさや厳しさに包まれながらも、暖かく、気をつかってくれた。
きっちりと教えてくれ、声をかけてくれ、飲みにつれていってくれ、そして送別会までしてくれた。
ぼくの、工場で働く理由と目的をすりぬけ、のりこえていくように、ぼくの印象には「人」が残っている。
あるとき、中国語を勉強してきたぼくのことを知って、同じチーム(「課」)の方がぼくに話しかけてくれた。
苗字は中国名であったから、中国に何らかのつながりがある方だろうと察した。
今は補助的な仕事をしているけれど、昔は班長や係長などの管理系の仕事をしてきたという。
ぼくは会話のなかで、「どんな仕事が面白かったですか?」と、そっと聞いてみた。
彼は、温和な声で、ぼくに応える。
「「長」として、下で働くものたちの潜在力を引き出せたときだよ。」
そして、ぼくは、その後に歩む20年ほどの人生で、この言葉の<真実>を、体験として、理解することになる。
香港にふりそそぐ雨に触発されて思うこと。- 「雨の楽しみ方」への想像力の獲得。
香港では、夏至にむかって、雨が降ってはやみ、やんでは降る。今年初の台風を迎えた後も、雨が香港に、ふりそそいでいる。...Read On.
香港では、夏至にむかって、雨が降ってはやみ、やんでは降る。
今年初の台風を迎えた後も、雨が香港に、ふりそそいでいる。
香港での過ごし方においては、住む場所と行く場所にとっては、雨も台風も、「避けること」ができる。
香港は、多くの建物が「屋根」でつながっているからである。
例えば、住んでいるマンション、フラットなどから、電車(MTR)の駅までつながっている。
駅の真上にマンションが位置していると、エレベーターで下におりると、すぐに駅だ。
それから、電車に乗って、目的地の駅でおりる。
その駅から、そのまま通路でつながっている仕事場やショッピングモールなどに向かう。
さらに、ショッピングモールから他のショッピングモールが、通路でつながっていたりする。
便利さと効率さが追求されている。
香港ならではの都市開発のかたちである。
養老孟司の言葉を借りれば、「脳化=社会」の徹底されたかたちでもあるように、ぼくには見える。
都市とは、「脳」がつくりあげた人工物である。
その本質は「人間のコントロール」をすみずみまで徹底させることにある。
だから、雨などの自然を含め、コントロールできないものを排除し、あるいはコントロール下におけるようなかたちをつくる。
香港の都市は、その中心部を「屋内通路」でつなげることで、自然をコントロール下におく。
脳化=社会では、自然は疎外される。
雨は、「悪い天気」である。
しかし、子供たちは、そんなことお構いなしに、「悪い天気」をのりこえてしまう。
ぼくは、繰り返し、子供たちの、この「のりこえ」に遭遇する。
(「脳化=社会」と「子供たちによる乗り越え」については、別のブログにも同じ視点で書いた。)
雨がふりそそぐなか、ぼくは、マンションを出て、他の棟の前を駅に向かって歩いていく。
アーケードや屋根があるから、傘をささなくても、雨をしのぐことができる。
そのうち、香港の3歳から5歳くらいの子供たちが、ぼくの視界にはいってくる。
子供たちは、レインコートを身にまとい、レインブーツをはいて、みずから、雨のなかにのりだしていく。
その眼は、雨をふらす空を見上げ、きらきらとした輝きをともしている。
雨に濡れないように、という大人たちの言葉と制止をはねのけて、雨のなかに幸せのかたちをつかむ。
子供たちは「脳化=社会」からはみでていく「自然」である。
ぼくたちは、大人になるにつれて、理性のなかで雨を疎外し、楽しみのひとつをなくしていく。
ぼくは子供に「負けたな」という思いがあるものの、やはり、極力、雨を避けようとする。
村上春樹の旅行記のなかで書かれる「悪い季節」の過ごし方が、ぼくの心象風景に、しずかに横たわっている。
村上春樹は「ウィスキーの匂いのする小さな旅の本」をつくるために、スコットランドのアイラ島におりたつ(旅自体は2000年よりも前のことだ)。
アイラ島はシングルモルト・ウィスキーの聖地である。
ただし、アイラ島は、夏の数ヶ月をのぞくと、気候は魅力的ではないという。
冬はとにかく雨がふり、風は強く、とにかく寒い。
それでも、この「悪い季節」にわざわざ辺鄙なアイラ島に来る人たちは少なくないという。
…彼らはひとりで島にやってきて、何週間か小さなコテージを借り、誰に邪魔されることもなくしずかに本を読む。暖炉によい香りのする泥炭(ピート)をくべ、小さな音でヴィヴァルディーのテープをかける。上等なウィスキーとグラスをひとつテーブルの上に載せ、電話の線を抜いてしまう。文字を追うのに疲れると、ときおり本を閉じて膝に起き、顔をあげて、暗い窓の外の、波や雨や風の音に耳を澄ませる。つまり悪い季節をそのまま受け入れて楽しんでしまう。こういうのはいかにも英国人的な人生の楽しみ方なのかもしれない。…
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮文庫
雨がふりそそぐと、(天気が悪いなあという内なる声のひとつを制止して)ぼくはまず「感謝」をする。
香港の海に、香港の大地にふりそそいでいる雨に感謝する。
それから、世界のいろいろなところのことを思う。
東ティモールのコーヒーの木々にふりそそぐ雨を想像し、コーヒーの花が見事に咲くとよいと思う。
西アフリカのシエラレオネの井戸に、雨の水が、長い時間をかけて、地層に濾過されながらたまっていくとよいと思う。
感謝をしてから、ときに、「英国人的な人生の楽しみ方」にならう。
コテージも暖炉もないけれど、本をしずかに読む。
文字を追うのに疲れると、顔をあげて、窓の外にひろがる海と小さな森に目をやり、雨や風の音、鳥の声に耳を澄ませる。
子供たちのように雨のなかにとびだしていくことはしないけれど、ぼくにも「想像力」はある。
楽しみ方のかたちは、想像の彼方にまで、ひろがっていくはずだ。
そして、この想像の彼方に、「近代・現代」のあとにくる時代を準備する<萌芽>があるのだということ。
雨をふらす地球の有限性のなかに、想像力という無限の力が、いっぱいに解き放たれるのだということ。
香港にふりそそぐ雨にのって、ぼくの想像は、さまざまなイメージと思考を、ぼくの<内面の地層>にふりそそいでいる。
ことばの限界・限定性を前にして。- 「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」(村上春樹)という願い。
言語・ことばを伝えること、そしてそれが相手に届くこと。ぼくたちはつくづく願う、「ことばが届きますように」と。...Read On.
言語・ことばを伝えること、そしてそれが相手に届くこと。
ぼくたちはつくづく願う、「ことばが届きますように」と。
歴史は、人類が言語・ことばによって、「人間社会」をつくり、「文明社会」を拓いてきたことを語る。
しかし、歴史はまた、言語・ことばの信頼性を崩してきた時代の存在を、ぼくたちに伝える。
日々、ぼくたちは、言語・ことばを、相手に伝えても伝えても届かないことのフラストレーションと悔恨を、なんどもなんども飲み下す。
このような生のなかで、ぼくたちのとることのできる「道」は、二つである。
- フラストレーションと悔恨のなかに身をうずめ、ことばへの信頼をなくし、ことばの限界の内だけに生きていくこと。
- ことばの限界を理解しつつ、それでもことばの力を信じ、相手にことばが届くように工夫を重ねていくこと。(「メタ言語性=言語性の限界を知る言語性」ということを、別のブログで書いた。)
二つ目の道をとるためには、「ことばの力を信じること」の、経験の土台が必要である。
そして、経験の濃度の違いこそあれ、だれもが、ことばがほんとうに届く経験、あるいはことばを超えて届くような経験をもっているはずである。
村上春樹は、旅のなかで出会ったウィスキーの味と、その味を支えている人たちの姿を見聞きした感動を、ことばにうつしかえていく。
その「ウィスキーの匂いのする小さな旅の本」を書きながら、村上春樹はしみじみと思う。
「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と。
もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。…
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮文庫
素敵な写真で彩られた、このとても美しい本は、ウィスキーの味と人びととの交歓という「感動」が、写真と文章からにじみでている。
しかし、村上春樹は、「ことばの限定性」を前にして、次のように語る。
…残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らはー少なくとも僕はということだけれどーいつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮文庫
村上春樹は、このようにして、「ことばの限定性」を前に、それはそれとして、しかしそれを乗り越えていく。
第一に、「ことばの限定性」を理解すること。
第二に、「僕らのことばがウィスキーであったなら」と、願うこと。
第三に、願いを「ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある」という自分の経験にかえること。
そして、この経験たちを「ことばの力」を灯す炎として、絶えず燃やしつづけていくこと。
ぼくたちは、ことばの限定性のなかで、しかし「ことばの力」を信じ、ことばがウィスキーになることを夢見、工夫を重ねていく。そうして、ときに夢は現実化される。
それにしても、もし、ことばがいつも完全に、完璧に、相手に伝わり、届いたら、と考えてしまう。
仕事や家庭や社会における、日々のミスコミュニケーション・誤解の連続のなかで、ついつい、そのような「願い」が頭をもたげる。
でも、そのような世界は、やはり「つまらない」のではないかと、思い直す。
そのような世界は、争いもないけれど、また感動もない世界である。
不完全性のなかに、完璧ではないなかに、アートがうまれ、詩がうまれ、恋文がうまれる。
そのようなことばや、ことばにならないことばの伝達の繰り返しの中で、ぼくらの「ことばがウィスキーになること」がある。
だから、ぼくは、「ことばの力」を信じ、こうして日々、せっせと、時間という名の「ぼくの命」を文章にそそぎこんでいる。
「Extreme」という形容詞の戦略と戦術。- “Extreme Ownership”, “Extreme You”, “Extreme Self-Care”など。
「Extreme Ownership」。元Navy SEALs(アメリカ海軍の特殊部隊)の少佐である、Jocko Willinkの書いた本のタイトルである。...Read On.
「Extreme Ownership」。
元Navy SEALs(アメリカ海軍の特殊部隊)の少佐である、Jocko Willinkの書いた本のタイトルである。
このように、「extreme」(極度・極端)を形容詞に冠する言葉が、ときおり、見受けられる。
そうせざるをえない現代、そしてその戦略と戦術について書こうと思う。
Jacko Willinkの著作『Extreme Ownership』(ST Martin’s Press, 2015)は、長年にわたってNavy SEALsのチームを戦場を含め率いてきた経験と学び、「リーダーシップ」に落とした作品である。
リーダーは、自分たちの世界のすべてにオーナーシップをもつべきだという、原則・マインドセットについて書かれている。
「Discipline equals freedom.」という名言を、Navy SEALsと戦場の厳しい経験から得たJockoの、骨太のリーダーシップ論である。
彼のPodcast(Jocko Podcast)で聞く彼の「骨太の声」を聴いていると、この名言の真実さを感じる。
もちろん、彼の導き出す原則・マインドセットは、戦場だけでなく、企業組織などにも適用可能なものである。
現に、彼は、企業のコンサルテーションやリーダーシップ研修などを手がけている。
それにしても、ownershipに冠せられた、この「extreme」が、今の世界のあり方のようなものを、逆に照らし出しているように見える。
「extreme」は、Jockoなどにとっては、イラクなどの戦場での厳しい現実から抽出された、生きた言葉である。
ただし、この言葉を使うことの戦略と戦術を考えるなかで、二つの、差し迫った衝迫があると、ぼくは思う。
それは、第一に、世にあふれる言葉やキーワードたちとの関連性のなかで、差別化をはかり、言葉がそびえたつための衝迫である。
この「現代」という時代の転換期のなかで、現在直面する「問題と課題」を解決するものとして、さまざまな言葉・キーワードが叫ばれる。
オーナーシップ、責任、イノベーション、改善、デザインなどなど。
いわば、「水平的な(言葉の・実践の)世界」のなかで、「メッセージ」として、そびえたつための言葉として、選ばれたものである。
第二に、「ownership」だけでは、原則・マインドセットとして力不足であることの焦燥感のなかに、「extreme」が置かれる。
組織論やその実践においても、「オーナーシップ」はよく使われる。
ただし、それでは、言葉として、また実践として、不足がちな現状のフラストレーションがある。
いわば、「垂直的な(言葉の・実践の)世界」のなかで、おもいっきり(極度に)、垂直に立つことの要請が、この言葉に託されている。
このように、言葉とその実践の「水平的かつ垂直的な立ち位置」のなかでとる戦略として、あるいは日々の戦術として、この「extreme」という言葉はある。
同じように、「extreme」は、他の著作などでも、使われている。
Sarah Robb O’haganの著作『Extreme You』(Harper Collins Publishers, 2017)がある。
「Extreme You」を成長させていくこと、つまり自分にしかなれないようなベストな自分になることのステップを、Sarahは自身の経験をモデル化して、この本で説いている。
この本も、水平的、かつ垂直的な言葉の立ち位置のなかでとる戦略と戦術であるように、ぼくは思う。
端的には、やはり、多くの人たちが「自分自身になれていない」フラストレーションのなかに、投じられた言葉と処方箋である。
また、その背景には、このような「自分自身(You!!)であろう」「ほんとうの自分になろう」という、真実でありながらもしばしば間違って解釈され実践される現実へのフラストレーションがあるかもしれない。
その他、ぼくの「蔵書」のなかには、Cheryl Richardson著『The Art of Extreme Self-Care』がある。
これも、「自分をケアしよう・大切にしよう」という言葉と実践の現実のなかで、そこに「extreme」性を付すことで、現状の問題を打開するメッセージが込められている。
ところで、ぼくが10年ほど前に読んだ著作、Jack Canfield著『The Success Principles』の67原則の一番最初には、「自分の人生に責任を持つこと」が置かれている。
そこには、次のように「100%」が付け加えられている。
「Principle 1: TAKE 100% RESPONSIBILITY FOR YOUR LIFE」
「100%の責任」は、それはそれでわかりやすい。
ぼくも、この言葉を「導きのひとつ」として、自分を指差し、他者や経済や外部環境に文句をいわないように心がけてきた。
しかし、今の時代の激しい変遷は、「100%」ではなく、「extreme」を、ぼくたちに要請しているのかもしれないと、ぼくは思ったりする。
100%では足りない、という感覚。
200%や300%が必要とされる状況。
それは、マインドセットもそうだし、実際に問題や課題を解決し乗り越えていく仕方もそうである。
100%を超えるものとしての「extreme」。
そんな焦燥感のなかで、中長期的なシナリオ書きという「戦略」と日々の方法という「戦術」に、「extreme」な原則・マインドセット、それからビジョンと手段が求められている。
もちろん、「extreme」の原則と方法自体は、暴力的なものや抑圧的なものであってはならない。
ぼくたちの「ほんとうの歓喜」を目指し、それ自体「魅力ある方法」とすることで、「extreme」な戦略と戦術は、ときとして、中途半端な立ち位置で立ち往生しているぼくたちを、切り拓いていく力となっていくのだ。
「美しい姿勢」への憧れ。- 「ZYPRESSEN」のように、世界に立つために。
ほんとうに「美しい姿勢」に、ぼくは憧れる。人の美しい姿勢と歩く姿は、ぼくの記憶のなかで、アフリカの人たちのイメージと重なる。...Read On.
ほんとうに「美しい姿勢」に、ぼくは憧れる。
人の美しい姿勢と歩く姿は、ぼくの記憶のなかで、アフリカの人たちのイメージと重なる。
西アフリカのシエラレオネ。
朝靄の中を、大地に垂直に立ち、凛とした姿勢で歩を進める人たち。
夕暮れ時には、人のシルエットたちが、同じように、存在の根を大地にはるように、歩んでいく。
とりわけ、頭の上に籠を載せて歩いていく女性たちの、その姿勢と歩みの美しさに、畏れに近い感情を抱く。
「存在」の重み。存在感。
大地に、確かな仕方で立つ姿勢は、とても美しい。
美しい姿勢に対する憧れは、ぼく自身の姿勢の悪さとよくならないもどかしさの裏返しである。
小学生の頃、日本の学校で「姿勢の矯正」の教育があった記憶が、ぼくのなかにはある。
ぼくの姿勢は、中学生の頃には、「前のめり」になっていく。
高校生の頃には、それに、「猫背」が加わる。
そして、いつしか、ぼくは姿勢のことを、意識しなくなっていく。
一般的に、義務教育を終えてから後には、「姿勢」について、きっちりと教えてもらう機会はあまりないかもしれない。
時に、姿勢を仕事とするような場合や、接客やサービスの仕事などにおいて必要な場合、幸運にも、上司などの注意を受けることはある。
また、自分から「学ぶ」という人の話も、あまり聞かない。
なにはともあれ、自分で、切り拓いていくしかない。
ぼくの場合は、美しい姿勢への憧れ、そして他者たちの寛容な「サポート」により、少しづつ、姿勢を変えてきている。
人生のパートナーが、ぼくの横で、いつも指摘してくれる。ぼくも指摘する「指摘協定」だ。
職場で、プレゼンのリハーサルで上司が指導してくれたこともある。
メンターに指導を受ける。
本に学ぶ。
作家の中谷彰宏は、「生まれ変わりたい」と願う人たちへの指導で、姿勢をひとつの契機とする。
生まれ変わりたい人に対して一番目に直すのは、服装です。
二番目は、姿勢を直します。
これは身体的な姿勢と物事の考え方の姿勢です。
三番目に、新しい知識や工夫を入れます。
中谷彰宏『服を変えると、人生が変わる。』
秀和システム
中谷彰宏が書いていることを逆転させて、習う側から読むと、服装や姿勢を変えるということは「生まれ変わる」気持ちがあるということでもある。
ぼくの「根底」における「生まれ変わりたい」という焦燥が、ぼくの心に、絶えず火をくべてきたことは確かだ。
それから、「姿勢の専門家」たちの本にも助けられた。
とりわけ、猫背にはいくつか種類があり、ぼくは「腰猫背」であったことの理解は、目を見開かせるものであった。
「猫背」は、シンプルに背中の問題だと思っていたからだ。
そんな風に、自分の姿勢を気にしながら、香港の街で、行き交う人たち、とくに若者たちの姿勢が気にかかってしまう。
若者たちの姿勢が、ぼくが同じくらいの年齢であったころの自分の姿勢と重なる。
ぼくがそうであったように、時代や社会に対する「姿勢」のあらわれのように、ぼくには見える。
「姿勢」は、ぼくたちがこの「世界」に対峙する仕方を表現する。
そして、それはそうであるままで、他者、それから何よりも自分自身に対する態度・あり方でもある。
社会学者の見田宗介は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』に出てくる、「ZYPRESSEN」という言葉に眼を留める。
ひらがなと漢字のなかで、突如とあらわれる「ZYPRESSEN」。
「ZYPRESSEN」…は、糸杉である。詩の冒頭の陰湿な<諂曲模様>と鮮明な対照をなすものとして、ZYPRESSENは立ち並んでいる。ー曲線にたいする直線。水平にたいする直線。からまり合うものらにたいして、一本一本、いさぎよくそそり立つもの。…
ZYPRESSENとは、地平をつきぬけるものである。…
見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
宮沢賢治は、若い頃、ゴッホの描く「糸杉」に惹かれていたという。
ゴッホの「炎」のイメージの糸杉が、宮沢賢治の詩に重なりながら、世界に垂直にそそり立つ賢治の意志をそこに結晶させている。
そして、ぼくも、ゴッホの糸杉に小さい頃から惹かれ、宮沢賢治、そして見田宗介の、「世界にたいして垂直にそそり立つ」あり方に、憧れてきた。
ぼくの、意志も、身体も、生それ自体も、垂直にそそり立っているか。
ゴッホの糸杉、宮沢賢治の『春と修羅』、見田宗介の文章、そしてアフリカの道を行き来するシルエットたちが、ぼくにそう問いかけてやまない。
押しつけるのでもなく、責めるのでもなく、ただ静かに、そこに垂直に「存在」しながら。
「学ぶこと」と「学ぶことの楽しさ」。- もっと広い世界に、帆をあげて、舟をこぎだすことのメモ。
「学ぶこと」と「学ぶことの楽しさ」のメモである。もっと広い世界に、帆をあげて、舟をこぎだすことのメモである。...Read On.
「学ぶこと」と「学ぶことの楽しさ」のメモである。
もっと広い世界に、帆をあげて、舟をこぎだすことのメモである。
ぼくたちは、産業革命につづく「近代」の教育制度の中で、「何かのために」学ぶこと、が、身体にしみついている。
その「何か」は、言う主体や文脈によって、様々に変化していく。
その「何か」に疑いを持ち始めた「現代」の若者達は、シンプル化すると、二つの仕方で対処していく。
①「何か」を(意識的に・無意識的に)忘却し、例えば、試験勉強で学び、大学に入学し、社会に出ていく。
②「何か」を自分なりに定め、例えば、試験勉強で学び、大学に入学し、社会に出ていく。
中には、自分なりに「何か」を定めた上で、大学を飛び越したり中退して、社会に出ていくものもいる。
しかし、マジョリティではない。
①も②も、いずれにしても、「何かのために」学ぶことに終始する。
「何か」は、当面は、大学に合格することであったり、入社するためであったりする。
だから、大学に合格すると、あるいは入社すると、「学ぶこと」をやめてしまう。
入社後も、仕事に関連することは学んだりする。
ただ、やはり、そこで止まってしまう。
「何かのため」の学びに、ぼくたちは成型されている。
それではダメだと、「生涯学習」や「教養」の必要性が語られたりする。
しかし、それらもまた仕事のためにという範疇で、狭められてしまう。
つまり、いわば、「功利的思考への装置」が、ぼくたちには仕組まれている。
「功利的思考」は、生きていく上で役立つものではあるけれども、それだけになると苦しくなってしまう。
だから、「学ぶこと」をもっと広い空間に放ち、「学ぶことの楽しさ」を取り戻すことが大切だと、ぼくは思う。
「学ぶこと」あるいは「学ぶことの楽しさ」には、大きく二つある。
1)新しい学び
2)感じていたことを「言葉化」する学び
そのなかで、時に、「世界の見え方」が変わるような学びに出会うことができる。
しかし、さらに、「学ぶことの楽しさ」は、考えていたことが「つながること」にあると思う。
学んでいるなかで、これまで学んできたことの「断片」が、見事につながるときがある。
それは、別に「何かのための」学びであるわけではない。
しかし、断片がつながることで、そこに「世界」が立ち上がってくる。
ぼくは、そのような「学び」が好きだ。
深い歓びを、ぼくは感じる。
ところで、スティーブ・ジョブズは、かつて「connecting the dots」ということを語った。
生きていく上で、その時には「点」であったものが、後々に見ると「つながる」ということである。
人は、時に、先に「つながり」を知りたくなる。
つまり、物事の「意味・意義」を先に知ることで、「点」の行動へのモチベーションをつかもうとする。
しかし、意味・意義は「後からわかる」ことでもある。
最初から「わかって」いたら、とても「つまらなく」なってしまう。
それは、まるで、映画のエンディングを観てから、映画をはじめから観るようなものだ。
「学ぶこと」もいろいろな「点」をつくっていくことで、どこかで「つながる」瞬間に出会う。
点がつながる。
点と点をつなぐ線が見えてくる。
それは、後付けの「何かのため」という見方もあるけれど、それ自体、とても素敵な瞬間だ。
学ぶことも、生きることも、その本質においては同じなのだ。
だから今日も、ぼくは、学びの、そして生きることの「点」を、「今、ここ」に、せっせとうつ。
「自我」の牢獄が溶解するとき。- 社会学者・真木悠介の「生の歓喜という経験」をめぐる冒険。
社会学者・真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく「主題」として、「生の歓喜」ということがある。世界の誰もが、意識的にあるいは無意識的に、追い求めてやまないものである。...Read On.
社会学者・真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく「主題」として、「生の歓喜」ということがある。
世界の誰もが、意識的にあるいは無意識的に、追い求めてやまないものである。
この短い文章は、この「生の歓喜」という経験についてのメモである。
ところで、人は「何が」歓喜をもたらすのか、と考える。
あるいは、「どのようなことをすることで」歓喜を得られるか、と考える。
つまり、好きなもの、好きなことを考え、見つけようとする。
しかし他方で、「生の歓喜」とは、「どのような経験」なのであろうか、と問うことができる。
真木悠介の仕事は、ここに「照準」を合わせ、あるいは「起点」として、人と社会を考察している。
社会学者の見田宗介が、ペンネームの「真木悠介」名で書いた作品群は「3+1」である。
3作品は、真木悠介の「トリオロジー」的作品である。
●『気流の鳴る音』(1977年)
●『時間の比較社会学』(1981年)
●『自我の起原』(1993年)
いずれもが、名著である。
この3作品に先立つものとして、真木悠介自身の「メモ」として書かれた作品、『現代社会の存立構造』(1977年)がある。
これで、「3+1」である。
真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく問いは、「生の歓喜」ということである。
そして、その問いをつらぬいていく主題は「自我」の問題である。
「自我の問題」が、トリオロジーの作品群を、例えば、次のようにつらぬいていく。
1)「トナール」と「ナワール」
名著『気流の鳴る音』。
この著作で、真木悠介は、カルロス・カスタネダの仕事を「導きの糸」に、「生き方の構想」を目指す。
その中で出てくるキーワードとして、「トナール」と「ナワール」がある。
メキシコのインディオの教えに出てくる考え方だ。
著書の中で記述される点を並べてみると、下記のようになる。
(以下、真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房)
●「トナール」:社会的人間。言葉でつくられた「わたし」。間主体的(言語的・社会的)な「世界」の存立の機制(※前掲書)。
●「ナワール」:「トナール」という島をとりかこむ大海であり、他者や自然や宇宙と直接に通底し「まじり合う」われわれ自身の本源性(※前掲書)。
つまり、「トナール」は、ざっくりと言えば、人間の「意識」や「マインド」である。
それは、いわゆる「自己」(自我)である。
「トナール」は、自分を守るものでありがながら、いつか、自分を「牢獄」にとじこめる看守(ガード)になってしまう。
カスタネダは、「ナワール」を解き放ち、トナールも含んだ「自己の全体性」を取り戻す教えを、インディオのドン・ファンから得ていく。
しかし、ナワールを解き放つ過程では、薬品など神経を麻痺させるような「対症療法」的な手段は選ばない。
「心のある道」を歩むことで、ナワールを解き放ち、「ほんとうの自分」を取り戻す。
そこでは、自分は「牢獄」から出て、人や自然の他者たちに開かれた「存在」となるのだ。
2)「コンサマトリー」な時の充実
「自我」という牢獄は、真木悠介の次の仕事でも、「時間」を主題に、追求されていく。
名著『時間の比較社会学』では、「終章 ニヒリズムからの解放」で、真木悠介はこのように書いている。
…われわれが、コンサマトリー(現時充足的)な時の充実を生きているときをふりかえってみると、それは必ず、具体的な他者や自然との交響のなかで、絶対化された「自我」の牢獄が溶解しているときだということがわかる。…
真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
真木悠介は、社会における「時間」の生成を徹底した論理で語りながら、「絶対化された『自我』が溶解しているとき」という記述をたよりに、充実した時をさぐる。
そして、この「主題」は次の仕事にひきつがれ、『自我の起原』という、「世界の見方」を変えてしまう作品につながっていく。
3)「エクスタシー」論
著書『自我の起原』では、「人間的自我」が正面から取り上げられる。
科学的な生物学の議論を丹念に読み解きながら、そのオーソドックスな議論を、それ自体の論理から裂開してしまう「地点」へと誘う仕事である。
生物学的な「自我の起原」の読解から、それは「生の歓喜」の経験にかんする主題へと展開していく。
「7.誘惑の磁場」という章の中で、真木悠介は「Ecstacy」について次のように書いている。
…われわれの経験することのできる生の歓喜は、性であれ、子供の「かわいさ」であれ、花の彩色、森の喧騒に包囲されてあることであれ、いつも他者から<作用されてあること>の歓びである。つまり何ほどかは主体でなくなり、何ほどかは自己でなくなることである。
Ecstacyは、個の「魂」が、〔あるいは「自己」とよばれる経験の核の部分が、〕このように個の身体の外部にさまよい出るということ、脱・個体化されてあるということである。…
真木悠介『自我の起原』岩波書店
「生の歓喜という経験」にかんする、おどろくべき明晰な文章である。
(なお、終章においては、さらに一段階先に理解を進ませる「Ecstacy」の記述がなされる。)
これらのように、真木悠介は、「トリオロジー」の仕事を通じて、そして生涯を通じて、「生の歓喜」に照準をあわせ、問い続けてきた。
『時間の比較社会学』の中で、次のような文章がある。
「月が出るとアフリカが踊る」といわれている。…
アフリカが踊っている夜を、ヨーロッパやアジアの「真空地帯」の勤勉な農民や牧畜民たちは、労働の明日にそなえて眠りながら<近代>をはぐくんでいた。
(略)
「月が出るとアフリカが踊る」あいだは、アフリカの近代化は完成しないだろう。「虹を見ると踊る」心をいつももちつづけていれば、近代社会のビジネスマンやビュロクラットはつとまらないのだ。…
真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
アフリカにも、近代化は浸透している。
しかし、ぼくの経験上、それでも「自然と共同体」が強いところである。
「自然と共同体」が、近代化の大波と、いたるところで拮抗している。
「月が出ていても踊らない」ことで切り拓かれてきた「明るい世界」。
「月が出ると踊る」ことが素敵でもある「交響する世界」。
これら二つの世界が交わっていくところに、未来を構想することができる。
今日2017年6月9日は満月。
まさしく、月が出るとき。
月の光が、ここ香港の海面で、きらきらと煌めくだろう。
そのひと時を、束の間でも楽しみたい、とぼくは思う。
月の光のもとで、いくぶんか、「自我」が溶解する経験に向かって。
方法としての「実験的生き方」。- 『TIME』誌の特集「The Truth About Weight Loss」を読みながら考えたこと。
『TIME』誌(June 5, 2017)の特集「The Truth About Weight Loss」。「ダイエット(減量)の真実」と題された特集を読みながら、ぼくが考えていたこと。...Read On.
『TIME』誌(June 5, 2017)の特集「The Truth About Weight Loss」。
「ダイエット(減量)の真実」と題された特集を読みながら、ぼくが考えていたこと。
それは「方法としての『実験的生き方』」ということ。
減量などに限らず、何事においても、「実験的な生き方」が、道をひらいてくれる。
特集「The Truth About Weight Loss」は読みごたえのある文章である。
アメリカでは「肥満」が大きな問題・課題でありつづけている。
なお、このことは、Yuval Noah Harari著『Homo Deus』の一節を、ぼくに思い出させる。
人類が「飢饉・栄養失調」の問題を解決してきた事実として、「肥満」が悪化する現状が対置される。
Yuval氏は、2010年に飢饉・栄養失調で亡くなった人が世界で100万人に対し、肥満で亡くなった人が300万人というデータをピックアップしている。
さて、特集において、ぼくの関心にしたがって思いっきり要点を絞ると、次のポイントが挙げられる。
● ダイエット(減量)は科学的に解明されていないこと。
(ただし、進んできてはいる。)
● 上手くいく方法は「highly personalized」(極めて個人的)であること。
● ダイエット(減量)で成功してきている人たちの「共通点」は、毎日の行動で変化を加えていっていること (方法を自分なりに修正していくこと)
科学的には、昔のパラダイム(食べ物と運動によるカロリー管理)も、新しい分野である遺伝的な分野も、ダイエット(減量)については確実にはわかっていない。
ぼくが「面白く」読んでいたポイントは、このことの次にある二つのポイントである。
上手くいく秘訣は、「極めて個人的な方法」を、毎日修正を加えながら自分で見つけだすこと。
つまり、自分自身で「実験」をしながら、日々改良を加えていく仕方だ。
「あたりまえ」と言えば「あまりまえ」である。
しかし、実際には、多くの人ができていないのではないかという想念が、ぼくの頭をよぎる。
このことは、ダイエット(減量)だけにかかわらない。
自己成長・自己啓発でも、同じであるように、ぼくは思う。
極めて個人的な方法を、日々、自分を素材に実験して、改良していく。
方法としての「実験的生き方」だ。
その生き方において、往々にして、人はつまずいてしまう。
上手くいかないと、そこで立ち止まってしまったり、採用した方法に非があるとしてしまう。
あるいは、周りの情報だけに流されて方法だけを焦点とし、自分自身をまなざしていない。
逆に、実験的生き方を楽しみながらやっている人がいる。
何らかの「極めて個人的方法」をつかんでいたりする。
作家のA.J. Jacobsは、自分を素材に、実験を繰り返す。
その様子を、書籍(例えば、『Drop Dead Healthy: One Man’s Humble Quest for Bodily Perfection』邦訳は『健康男 体にいいこと、全部試しました!』)として出版している。
その名の通り、『My Life as an Experiment』という書籍もある。
ただ、今日上手くいったからと言って、明日も上手くいくかはわからない。
例えば、「時間」といった要素が入ってくる。
その中で、自分自身が変わっていく。
方法も変わっていくところがでてくる。
つまり、実験的生き方は、このように、生涯つづいていく。
それ自体を、自分が楽しめるかどうか、にかかってくる。
その意味において、特集のタイトルは、こう置き換えられるのだ。
「The Truth About Yourself」
追伸:
『TIME』誌を読み始めたのは、大学の頃でした。
もう20年以上も前のことです。
英語を勉強する「教材」として読み始めました。
でも、英語力のなさから、特に最初は読むのが苦痛でした。
最近になってようやく、気分的には普通に読めるようにはなりました。
しかし、週刊の雑誌で、すべての記事を読むところまではいまだに行っていません。
気になる記事をじっくりと読むようにしています。
Apple社イベントの「Keynote(基調講演)」は、学びとインスピレーションの宝庫。- プレゼン、プロダクト、ブランド、「楽しさ」。
Apple社の例年のイベントである、WWDCが、2017年6月5日から開催されている。…ぼくは、イベントごとに「Keynote Address」を必ず見るようにしている。...Read On.
Apple社の例年のイベントである、WWDC(Worldwide Developers Conference)が、2017年6月5日から開催されている。
イベント初日の「Keynote Address」(基調講演)では、各メディアでも取り上げられているように、Apple社の新製品やOSアップデートなどが発表される。
Apple社のCEOであるTim Cook氏を筆頭に、担当チームの代表者たちが代わる代わる壇上で、プレゼンテーションを行う場となっている。
WWDCはアプリなどの開発者向けで毎年通常は6月に開催される。
その他、Apple社は「Special Event」と称し、新製品などの発表を年に数回(3月や9月)行っている。
MacやiPhoneやiPadなどの新製品の発表、OSのアップデートの発表など、ファンを魅了してやまない。
しかし、このイベントは、これだけではない。
Webでストリーミング発信される「Keynote Address」そのものが、学びとインスピレーションの宝庫なのである。
だから、ぼくは、イベントごとに「Keynote Address」を必ず見るようにしている。
(Apple社ホームページ「Keynote 2017年6月5日」)
1) プレゼンテーションに学ぶ
新製品などの発表だけでなく、プレゼンテーションそのものを学ぶことができる。
例えば、こんな具合だ。
・プレゼンの構成
・プレゼンでの話し方
・プレゼンボードのデザインや内容
・プレゼンでの「数値」の効果的な利用
・使われる「ビデオ」の内容と質
など。
また、日本語字幕はないから、「英語」を学ぶことにも適している。
プレゼンテーションは「わかりやすく」話されるから、英語を学ぶのにもよい。
プレゼンテーションを学ぶ「絶好の教材」としては「TED」があるけれど、「Apple Event」も加えることができる。
2)プロダクトから見えるもの・こと
プロダクト=製品を、じっくりと学ぶことができる。
製品を使う使わないかは別として、世界のリーディングカンパニーであるApple社から学ぶべきことは多い。
プロダクトの説明からの学びは、キーワードであげると、こんな具合である。
・「ユーザー」視点、つまりお客様視点の徹底
・「デザイン」というもの・こと
・製品やOSの開発やアップグレード/アップデートのビジネス的方法
・イノベーション
・開発者たちのマインドセット
・市場の動向
・人々が求めているもの・こと
など。
プロダクトに込められている気持ち・願い・意志といったものが、伝わってくるのだ。
その伝わってきたものから、ぼくは、自分の仕事を見直し、反省し、インスピレーションを得、励まされる。
3)「ブランド」を学ぶ
Apple社の、このイベントを通じて、その「ブランド」を考えざるを得ない。
「ブランド」とは、「信頼」であり、そして何よりも「物語」である。
Seth Godinは、こう述べている。
The brand is a story. But it’s a story about you, not about the brand.
(※ブランドはひとつの物語だ。けれども、それはブランドについての物語ではなく、あなたについての物語だ。)
By Seth Godin
ぼくも、そう思う。
「Apple Event: Keynote Address」を見ながら、ぼくはまるで手にとるように見てとることができる。
世界の人たちがiPhoneやiPadやMacから「自分の物語」を紡いでいく様子を。
そして、ぼく自身が、ぼく自身についての「物語」の中に取り込まれていることを。
プレゼンテーション、プロダクト、ブランドを見てきたけれど、学びや気づき、そしてインスピレーションはまだまだ尽きない。
それにしても、プロダクトのプレゼンテーションを見ながら、ぼくはいつも感心してしまうのである。
Apple社の人たち(少なくともKeynote Addressで話す人たち)は、ほんとうに楽しんでいるんだ、ということに。
仕事とライフワークと遊びといった「境界」が消失した世界を、ぼくに感じさせてくれる。
彼(女)たちは「ほんとうの楽しさ」を味方につけたのだ。
それが「リーダー」ということでもあり、世界で「リーダー」であり続けていることの要因のひとつを見せて/魅せてくれている。
追伸:
今回のプレゼンテーションの中で、「香港の写真」が使われました。
使われたのは、「ポケモンGO」を楽しむ人たちの写真。
公園いっぱいに人がひしめく写真でした。
公園はどこか定かではありませんが、九龍公園でしょうか。
昨年の九龍公園で、ぼくは確かに、ポケモンGOを楽しむ人たちにたくさん遭遇したのでした。
堀江貴文著『多動力』。- シンプルで、本質的で、ストレートなメッセージと生き方。
堀江貴文の新著『多動力』(幻冬舎)。堀江貴文が「渾身の力で書いた」という本書に、ぼくは惹かれた。そのエッセンスを少しだけ取り出して、書いておこうと思う。...Read On.
堀江貴文の新著『多動力』(幻冬舎)。
堀江貴文が「渾身の力で書いた」という本書に、ぼくは惹かれた。
そのエッセンスを少しだけ取り出して、書いておこうと思う。
1)『多動力』について
「多動力」とは「いくつもの異なることを同時にこなす力」のこと。
技術や方法論が書かれているが、この書籍の「総体」はそれ以上のものである。
堀江貴文は「あとがき」にこう書いている。
「多動力」は大量の仕事をこなすための、技術ではない。
命が果てるまで、1秒残らず人生を楽しみきるための、生き方である。
堀江貴文『多動力』(幻冬舎)
本書は多動という生き方の本である。
なお、本書は、出版社(幻冬舎)とNewsPicksの共同プロジェクト(「NewsPicksアカデミア」)の作品。
この書籍自体が「多動力」の成果でもある。
本書の「目次」は、次の通りである。
【目次】
第1章:一つの仕事をコツコツとやる時代は終わった
第2章:バカ真面目の洗脳を解け
第3章:サルのようにハマり、鳩のように飽きよ
第4章:「自分の時間」を取り戻そう
第5章:自分の分身に働かせる裏技
第6章:世界最速仕事術
第7章:最強メンタルの育て方
第8章:人生に目的なんていらない
それぞれの章に「項目」が立てられ、総数31項目が語られる。
各項目の最後のページには、「やってみよう!JUST DO IT リスト」が掲載されている。
本書が書かれた「背景」については、本の表紙にも簡潔に記されている。
「全産業の“タテの壁”が溶けたこの時代」に必須のスキルとして、「多動力」が提唱される。
「タテの壁」は、「垂直統合型モデル」としてここでは述べられる。
例として挙げられているのは、テレビ業界。
番組製作から電波送信まで、業務が垂直に統合されている。
そのモデルに対するのが、「水平分業型モデル」。
水平分業型モデルとしては、インターネットである。
そこでは、電話もSNSもゲームも電子書籍も、すべてがスマートフォンのアプリという「一つのレイヤー」に並べられる。
IoT(Internet of Things)の普及が重なり、すべての産業が「水平産業型モデル」となっていく。
このように「タテの壁」が崩れているのが今の時代である。
そこで求められるのが、産業の壁を越える「越境者」として述べられる。
越境者に必要な能力が「多動力」というわけだ。
2)堀江貴文のエッセンス
堀江貴文にとって、「越境者」とはそうなること自体が目的ではなく、「多動力」もそれ自体が目的化されるものではないと、ぼくは思う。
堀江貴文は、「ほんとうに歓びに充ちた人生」を不羈に追い求めてきただけだ。
だから、堀江貴文が本書で「人生に目的なんてない」と言いきるとき、それは「ほんとうの歓び」という「目的」に賭けられた人生であり、生き方であるように思う。
堀江貴文のエッセンスは、次の3つに集約されてくるように、ぼくには見える。
●「洗脳」(思い込みや既存の価値観)から解き放たれること
●「本音」で生きること
●「行動」すること
堀江貴文の他の著作に重なるエッセンスである。
本書でも「多動」ということを軸に、これらのエッセンスが経験をもとに語られている。
それらは、シンプルで、本質的で、ストレートなメッセージである。
だからこそ、それらの言葉(の表層)だけが抽出され、異なる文脈と異なる目的の中で、「間違って」使われてしまったりする。
堀江貴文のメッセージは、読者を「通過」して、行動(多動!)にまで貫かれている。
その「通過」のプロセスで、メッセージを「間違って」捉えないことだ。
堀江貴文の思考は、本書の項目(例えば、「15. 教養なき者は奴隷になる」「16. 知らないことは「恥」ではない」)に見られるように、学びに開かれ、「本質」を基盤にしているのだ。
「シンプルで、本質的で、ストレートなメッセージ」を送ることが、難しい時代でもある。
堀江貴文は、多動力とそこにある「生き方」を土台に、難しいけれど楽しい時代を「行動」で一気に突破している。
3)「Just Do It」
「やればいいじゃん」
堀江貴文の著作『すべての教育は「洗脳」である』(光文社)に付された言葉である。
これと同じように、本書のメッセージも、タイトル通り、「たくさん行動せよ」にある。
しかし、ここも「間違って」はいけない。
繰り返しになるが、堀江が書くように、「多動力」は人生を楽しみきるための生き方、である。
その生き方を、堀江貴文は実践し、他者を巻き込みながら、見せ/魅せ続けている。
ところが、堀江本人は、そんな気はなく、ただ「夢中で日々を過ごしている」だけである。
生きる「指針」(また「目的」)を、この「夢中さ」に完全にゆだねることに、彼の多動力は賭けられている。
「あとがき」で、堀江貴文は、次のように、呼びかける。
重要なことは、Just do it. Just do it.
ただ実践することだ。失敗して転んでも、また実践する。膝がすり傷だらけになっても、子供のように毎日を夢中で過ごす。
堀江貴文『多動力』(幻冬舎)
堀江は「子供のように毎日を夢中で過ごす」と、繰り返し、書いている。
そして、Nikeのスローガンでもある「Just do it」。
堀江貴文が意味するところは、Seth GodinがNikeのスローガンを解釈して書き直したように、こう解釈して書き換えられるはずだ。
「Only Do It.」(Seth Godin, “What To Do When It’s Your Turn”)
「子供」には、「Only」の選択肢が、ただ開かれているだけなのだ。
社会学者「見田宗介=真木悠介」先生の講義で学んだこと。- 交響圏、夢中・熱中の連鎖、書きながら話し考えるスタイル。
社会学者「見田宗介=真木悠介」先生による「講義」を、これまで一度だけ聴講したことがある。正確には、二コマの講義である。...Read On.
社会学者「見田宗介=真木悠介」先生
による「講義」を、これまで一度だけ
聴講したことがある。
正確には、二コマの講義である。
2001年3月24日、朝日カルチャー
センターでの、連続する二コマの講義を、
ぼくは聴講したのだ。
当時講義を聴きながらとった自分のメモ
を、ぼくは、今でもとってある。
題目は、それぞれ、次のようであった。
・見田宗介『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』
・真木悠介『自我という夢』
ぼくが「見田宗介=真木悠介」の著作に
出会ったのが、香港が中国に返還された
1997年から1998年あたりであったから、
ぼくが講義を聴講したときは、
本との出会いから数年が経っていた。
2001年、ぼくは、大学院で、「途上国の
開発・発展」と「国際協力」を学んでいた
ころだ。
見田宗介=真木悠介の仕事としては、
当時は、『現代社会の理論』(岩波新書)
が1996年に出版された後の時期にあたる。
見田宗介=真木悠介が、自身にとって
「ほんとうに切実な問題」であった、
・死とニヒリズムの問題系
・愛とエゴイズムの問題系
に、展望を手にいれた後の時期で、
ようやく「現代社会」に照準していた
時期である。
二コマの講義は、ぼくにとって、
「圧巻」としか言いようのないもので
あった。
講義の後も、「熱」のようなものが、
ぼくの中に残るような、圧倒的な講義で
あった。
講義の「内容」から、もちろん、
多くのことを学んだ。
「多く」という言葉では語りきれない
ほど、学んだ。
ぼくが自分でとったメモを見ている
だけでも、そこには今でも考えさせら
れることが、いっぱいにつまっている。
「学ぶこと」は、内容だけではない。
ぼくは、「見田宗介=真木悠介」先生の
講義の作法を、「体験」として身体的に
学ぶことができたことを、今になって
思い、考えている。
1)「交響圏」
講義の聴講者の数は、学校の一クラス
程度であったかと思う。
驚いたのは、
見田宗介先生は、講義の始まりの時間
に到着しなかったことである。
スタッフの方は、こうアナウンスする。
「知っている方もいらっしゃると思い
ますが…」と前置きしながら、
「見田先生は30分以内には来られると
思いますので。」と。
それと同時に、「知っている方」で
あろう方の幾人かが、小さく笑い声を
あげる。
なお、会場には、「賢治の学校」という
自由学校を始めた今は亡き鳥山敏子先生
もおられた記憶がある。
メキシコの(時間に)緩やかな生活から
「時計化された身体」といった「狂気と
しての近代」を考察し、後に『時間の比較
社会学』を著した見田宗介=真木悠介先生
は、身をもって実践し、何かを伝えようと
しているように、ぼくには感じられた。
会場にすでに座っている聴講者の人たち
も、特に気にするわけではない様子で
あった。
見田宗介先生が到着し、
「今回のテーマ設定の背景」を話す。
「『テーマ』(what)ではなく
『どういう人たちと関わってみたいか』
(with whom)ということ。」
見田宗介先生が講義に遅れても、
それを気にしない「集まり」に、
「今回のテーマ」が賭けられていたのだ
ということを、ぼくは感じる。
それは見田宗介の理論のひとつ、
「交響圏」のひとつの形態のような
ものである。
会場から湧き上がった「小さな笑い声」
は、見田宗介が「関わってみたい人たち」
の象徴のように、ぼくの中で響いている。
2)「夢中・熱中」の連鎖
「見田宗介=真木悠介」先生の講義は、
内容も展開も圧巻であった。
言葉は、深い。
一語一語が、濃く、深い。
そして、それら、立ち止まって考えたい
一語一語の言葉が、とめどなく発せられる。
とめどなく発せられながら、どんどんと
展開していく。
そして何よりも、
「見田宗介=真木悠介」先生ご自身が
熱中している。
夢中になって、黒板に書き話し、それを
見ながら考え話している。
ぼくはその「姿」に圧倒され、感動した。
昨年2016年に発刊された『現代思想』
(青土社)の総特集「見田宗介=真木
悠介」のインタビューで、そのことを
思い出した。
聞き手から「見田ゼミ」のスタイルに
ついて聞かれる中で、見田宗介は、
こう応えている。
…ぼくは「教育」ということをほとんど
考えないで、その時々に自分が熱中して
いる研究を、そのままストレートに講義
でもゼミでもぶつけていました。
…教える側が自分自身の全身のノリで
ノリノリに乗っていることをそのまま
ストレートにぶつけることが、結局一番
深いところから触発する力をもつのだと、
ぼくは思っています。
『現代思想』2016年1月臨時増刊号
(青土社)
見田宗介は、このスタイルを、自身の
学生時代の経験(金子武蔵の精神史の
講義)から学んでいる。
見田宗介が経験から取り出したのは、
大学の授業というのは、
「技術」ではなく「内容」である、
ということだけれど、
ぼくが学んだのは、内容から生まれ
内容を貫いていく、夢中さ・熱中さで
あった。
夢中と熱中は、連鎖していく力をもつ
のだ。
3)書きながら話し考えるスタイル
講義は、上述のように、
黒板に、言葉がどんどんと書き出されて
いく。
そのスタイルは、
「書くこと、話すこと、考えること」が
一体になったようなものであった。
そして、「書くこと、話すこと、考える
こと」が、「夢中・熱中」に串刺しに
されている。
ぼくは後年、香港で人事労務のコンサル
タントとしてコンサルテーションをする
際に、このようなスタイルを身につけて
いっていることを感じた。
今思えば、そのスタイルの「種」のよう
なものが、「見田宗介=真木悠介」先生
の講義で、ぼくの中に蒔かれたのだと、
ぼくは思う。
どんな髭剃りにも「生き方」が詰まっている。- 「どんな髭剃りにも哲学がある」(モーム)に倣って。
「どんな髭剃りにも哲学がある」。と、サマセット・モームが書いているのを、村上春樹の著作でだいぶ前に知った。...Read On.
「どんな髭剃りにも哲学がある」。
と、サマセット・モームが書いている
のを、村上春樹の著作でだいぶ前に
知った。
村上春樹は、
著作『走ることについて語るときに
僕の語ること』の「前書き」で、
モームのこの言葉に触れている。
サマセット・モームは「どんな髭剃り
にも哲学がある」と書いている。
どんなにつまらないことでも、
日々続けていれば、そこには何かしら
の觀照のようなものが生まれるという
ことなのだろう。僕もモーム氏の説に
心から賛同したい。だから…
村上春樹『走ることについて語るとき
に僕の語ること』(文藝春秋)
「だから…」と、村上春樹は、
作家として、またランナーとして、
「走ることについて書くこと」は
道にはずれた行為ではないと、
文章をつむいでいく。
サマセット・モームの作品を読んだ
覚えは、確か『月と六ペンス』である。
友人にすすめられて(確か海外にいる
ときに、東ティモールかどこかで)
読んで、ひどく感心してしまった記憶が
ある。
だからかどうかはよくわからないけれど、
村上春樹のこの文章は、
香港に来た2007年頃に読んでから10年
経った今も、ぼくの記憶に残っている。
この言葉の「原文」が、どのようなもの
で、どのような状況で述べられたかは
まだ目にしてはいない。
モームの著作『The Razor’s Edge』に
出てくるとの情報が検索で出てくるが
ぼくの眼で確認はできていない。
でも、この言葉は、ぼくの「内面」で、
次のように「変奏」が加えられる形で、
ぼくの生きていく道の「道しるべ」の
ようなものとして在る。
「どんな髭剃りにも『生き方』が
詰まっている」
「髭剃り」という行為には、実に、
いろいろなもの・ことが詰まっている。
例えば、
髭剃りの道具はT字カミソリか電動か。
髭剃りのプロセスはどうか。
髭剃りはどうやって学んだのか
髭剃りにかける時間はどのくらいか。
髭剃りをしながら、何を考えているか。
髭剃りのシェービングクリームは、
どんなものを、どのように使っているか。
などなど。
リストはまだまだ続いていく。
そして、ぼくはここ数年で、気づき、
心底納得するのである。
どんな髭剃りにも「生き方」が詰まって
いるということを。
そして、ぼくは反省することになる。
これまでの髭剃りを。
でも、それは、もう一段掘り起こすと、
反省すべきは「髭剃り」という行為の
仕方に加えて、そこに込められた、
生きる姿勢であったりする。
そこの次元では、「髭剃り」を超えて、
ぼくの他の行為に込められた「生き方」
と「生きる姿勢」のようなものが見えて
きて、反省することになる。
モームが言うように、
それは「哲学」でもよいのだけれど、
ぼくにとっては、やはり「生き方」が
詰まっていると言う方が、しっくりくる。
こうして、ぼくは、
毎朝の「髭剃り」に、気持ちを込め、
プロセスを組み替え、「新しい姿勢」に
入れ替えていく。
野球選手のイチローが、
打順を待ちながら、次のバッター・ボッ
クスで「儀式」を通過していくように、
ぼくも一日の「バッター・ボックス」に
立つために、髭剃りの「儀式」を通過し
ていく。
そこに、すべてが詰まっていると信じる
かのように。
モームに倣って、「髭剃り」の言葉を
持ち出したけれど、
そこには、日々暮らしていく中での、
些細なことがすべて代入できる。
どんな「◯◯◯」にも生き方が
詰まっている。
そして、それらは忙しい日々の中で、
「習慣」のベールのもとに、ぼくたち
からは見えにくくなっている。
だから「習慣のベール」を少しずつ
剥がす中で見えてきたりするのだ。
追伸:
Charles Duhigg著
『The Power of Habit』
のペーパーバック版を頂戴した。
Audibleのオーディオで持っていた
けれど、しっかりと聞けていなかっ
たので、最初から読み直しです。
シンプルに、習慣の力は相当に
強力であることを感じる、一行一行
です。
「生きる」から「生ききる」に、<ことば>を変える。- 宮沢賢治がこめた「一文字」に心を動かされて。
「生きる」から「生ききる」へ。自分の「ライフ・ミッション」を書き直しているとき、その中のことばの一つとして、「生きる」、とはじめに書いた。...Read On.
「生きる」から「生ききる」へ。
自分の「ライフ・ミッション」
を書き直しているとき、
その中のことばの一つとして、
「生きる」、とはじめに書いた。
それから、
「生きる」に「き」の一文字を加えて
「生ききる」とした。
この加えた「き」は、英語で言えば、
「fully」の意味を宿す。
Liveだけでなく、Live fully。
生ききること。
人によっては「重く」聞こえるかも
しれないけれど、
今のぼくには、しっくりくる。
<ただ生きること>の奇跡を
土台としてもちながら、
この生を<生ききること>。
「一文字」に、気持ち・感覚(と、
さらには生き方)を込める仕方を、
ぼくは、宮沢賢治に学んだ。
宮沢賢治が、1931年11月3日に、
手帳に書き込んだ、有名なことば。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ…
宮沢賢治
宮沢賢治が書き付けた「直筆」を
見ると、ことばの間隙から、
宮沢賢治の「声」が聞こえてくる。
直筆から見ると、最初の「原型」は
このようなことばであった。
雨ニマケズ
風ニマケズ
雪ニモ夏ニモ…
宮沢賢治は、「雨ニ」と「風ニ」
のそれぞれの後ろの横に、
若干小さい文字で「モ」を加えて
いる。
「雨ニ」ではなく「雨ニモ…」、
「風二」ではなく「風ニモ…」、
である。
「モ」にこめられた、宮沢賢治の
気持ちと感覚が伝わってくる。
このこと(と直筆を見る面白さ)を、
名著『宮沢賢治』(岩波書店)の
著者、見田宗介から学んだ。
見田宗介は宮沢賢治生誕100年を
迎えた1996年に、宮沢賢治研究者で
ある天沢退二郎などとの座談会で、
このことに触れている。
(「可能態としての宮澤賢治」
雑誌『文学』岩波書店)
宮沢賢治が、この「一文字」に
込めたものに、ぼくは心が動かされた。
その記憶をたよりに、
自分の「ライフ・ミッション」を
手書きで書きつけながら、
ぼくは「生きる」に「き」を加える。
「生ききる」
ことばを、ぼくの身体に重ねてみて
ぼくは確かめる。
そうして、ぼくの身体とそのリズムが
ことばに「Yes」と言う。
たったの「一文字」が、
世界の見方や生き方を変えることが
あることに、気づかされた。
世界で、「笑顔・笑い」を届ける。- 紛争地で。ビジネスで。世界で。
作家・起業家のJames Altucherは、彼のブログ記事、「笑いにいったい何が起こったのか?」の中で、「1日に笑う回数」の統計に触れている。...Read On.
作家・起業家のJames Altucherは、
彼のブログ記事、
「What Happened to All the
Laughter?」(「笑いにいったい
何が起こったのか?」)
の中で、「1日に笑う回数」の統計
に触れている。
その箇所を日本語訳すると、
こんな具合だ。
子供は1日に平均で300回笑う。
大人が笑う回数は、平均で…、
1日5回なんだ。
なんてことだ。
どのようにして、我々は、
300回から5回に行ったんだ?
いったい全体、我々に、
何が起こったと言うんだ?
だから、我々は1日の途中で、
パニックになりはじめたり
するんだ。…
James Altucher
Blog「What Happened to
All the Laughter?」
Jamesは、このブログ記事の
中で、この「どのようにして」
を列挙していく。
「遊び」がなくなったこと、
「ばか」になることを恐れる
こと、などなど。
この統計数値の出所は述べら
れていないけれど、
肝心なのは、数値の「正確さ」
ではない。
肝心なのは、
「笑うこと」は日々やはり
少ないこと、
である。
300回から5回というギャップ
を聞いたときに、驚きもある
が、他方で、納得する部分も
あるのだ。
心のどこかで、ぼくたちは、
やはり「知って」いるのだ。
笑うことが減ったことを。
というぼくはと言うと、
笑いや笑顔が得意ではない。
大人になってからというより
子供の頃から「まじめ」が
顔に出てしまうのである。
世界を旅し、世界に住むよう
になってからは、ある程度の
「緊張感」をもってきたこと
もある。
それでも、(というより、
だからこそ)ぼくは、
笑いや笑顔に努めてきた。
あるいは、笑いのでるような
場をつくってきた。
もちろん、友人や同僚など
から、たくさんの笑いと笑顔
をもらってきた。
西アフリカのシエラレオネ
の難民キャンプや村で、
大変な状況に置かれてきた
であろう見知らぬ人たちに
笑顔を届ける。
東ティモールのコーヒー生産
者たちとの会議前に、皆と
談笑する。
笑顔で、村をまわっていく。
これらのプロジェクトを率い
るスタッフに、冗談を投げか
ける。
ぼくのシンプルすぎる冗談だ
けれど笑いのきっかけになる。
香港における人事労務のコン
サルテーションでも、
大変な問題を議論するときも、
最後には笑顔が出るような
対話と施策をつくっていく。
世界で、笑いや笑顔を届ける。
紛争後のシエラレオネや
東ティモールで。
香港のビジネス環境で。
そして、世界を旅し、暮らし
ていく中で。
とは言っても、
ぼくはついつい、
真剣な顔になってしまう。
Ron Gutman(ロン・ガット
マン)は、著書『Smile』の
中で、こう述べている。
幼児が示してくれるのは、
笑うこと(smiling)は
生まれつきのもの(innate)
であり、状況的なもの
(circumstantial)ではない
ということです。
私たちは、周りのものに
たた反応して笑うのでは
ありません。…
Ron Gutman
『Smile』(TED)
笑うことは、
ぼくたちが、すでに、
生まれながらにして持って
いるものである。
そして、それは、
「ただ生きることの奇跡」
とでも言うほかのない、
ぼくたちの生の本質に、
その起原をもっている
ように、ぼくには感じられる。
追伸:
上記のRon Gutmanの著作は
彼のTEDでのトークを元に
しています。
下記はリンクです。