人生の前半と後半、中年(midlife)の危機/機会。- 最近よく考えていることの「メモ」。
最近よく考えていることのひとつとして、「人生の前半と後半」ということがある。もう少し焦点を当てるとすれば、「中年の危機」(midlife crisis)ということである。
最近よく考えていることのひとつとして、「人生の前半と後半」ということがある。もう少し焦点を当てるとすれば、「中年の危機」(midlife crisis)ということである。
ひとつには、じぶんがそのような「人生の時間/時期」にいるからである。
でも先に述べておけば、ユング派の分析家Robert A. Johnson(1924-2018)が書いているように、「中年の危機」(midlife crisis)というよりも、「中年の機会」(midlife opportunity)というように捉えていきたい。
ところが、じっさいにその中にいるとその中にいることは感じるのだけれど、だからなのか、じぶんの内面の風景がくもってしまって、よく見えない。
だから、ここ数年来、河合隼雄などによる著作で触れてきたこのテーマを、もっと深く理解し、今のじぶんの生きかたにつなげていけたらよいと思っていたところ(テーマの「アンテナ」を張っていたところ)、上述のユング派の分析家、Robert A. Johnsonの著作に出会うことができた。
その出会いに心を揺さぶられ、その「勢い」でこのブログを書いているようなところがある。「勢い」で書いているようなところがあるだけで、このブログはこのテーマの深さにきりこんでゆくものではないけれども、もっと(適切な仕方で)語られてもよいと思うこのテーマへと関心の光をあてておきたい。
あるいは、このブログを読んでくれる人たちのなかに、共通のテーマを切実に(また同時に、楽しく)追っている人がいるかもしれない。心を揺さぶる「こんな本があるよ」と、それだけでも伝わるかもしれない。
そんなことから、よく考えていることの「メモ」として、ぼくはこうして書いている。
まずは「メモ」(「メモ1」程度)として、Robert A. Johnson(Jerry M. Ruhlとの共著)の著作を挙げておこうと思う。
“Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007)
By Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D.
序文は次のように始まっている。
In the first half of life we are busy building careers, finding mates, raising families, fulfilling the cultural tasks demanded of us by society. The cost of modern civilization is that we necessarily become one-sided, increasingly specialised in our education, vocations, and personalities. But when we reach a turning point at midlife, our psyches begin searching for what is authentic, true, and meaningful. It is at this time that our unlived lives rear up inside us, demanding attention.
人生の前半においては、われわれは、キャリアを築いたり、仲間を見つけたり、社会によって要求される文化的な課題を果たすことに忙しい。近代の文明の代償とは、われわれが、教育や仕事や性格においてますます特化していきながら、やむを得ず一面的になることである。けれども、中年(midlife)のターニングポイントに到達したとき、われわれの精神(psyches)は、真の(authentic)、真実の、また意味のあるものを探しはじめる。われわれの生きられなかった生(unlived lives)がわれわれのなかで、注意・注目を要請しながら心をかきみだすのは、このときである。
Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D. “Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007) ※日本語訳はブログ著者
ここで書かれれている「人生の前半/(中年)/後半」は、カール・ユング(Carl Jung、1875-1961)が早くから言っていたことを、ユング派の分析家として継承している。
人生の前半と後半では、それぞれに人間にとっての意味が異なってくる。「中年(midlife)」のターニングポイントでは、そのトランジションの課題に直面してゆく。中年の「危機」でありながら、「機会」である。
Robert A. JohnsonとJerry M. Ruhlは「生きられなかった生(unlived life)」という視点で、「人生の前半/(中年)/後半」をわかりやすく、またセラピストとして読者に投げかける質問を盛りこみながら語っている。
中年の「危機」の現れを、たとえば、つぎのように書いている。
The unchosen thing is what causes the trouble. If you don’t do something with the unchosen, it will set up a minor infection somewhere in the unconscious and later take its revenge on you. Unlived life does not just “go away” through underuse or by tossing it off and thinking that what we have abandoned is no longer useful or relevant. Instead, unlived life goes underground and becomes troublesome - something very trouble some - as we age.
…
When we find ourselves in a midlife depression, suddenly hate our spouse, our job, our life - we can be sure that the unlived life is seeking our attention. When we feel restless, bored, or empty despite an outer life filled with riches, the unlived life is asking for us to engage.選ばれなかったことがトラブルを引き起こす。あなたが選ばれなかったことに何もしないのであれば、それは無意識のどこかに軽度の感染(infection)をつくりだし、のちにあなたに復讐するだろう。生きられなかった生は活用されなかったことで、あるいは振り落とし、われわれが見捨てたものはもう有益ではない/関連しないと考えることによって「消え失せる」ものではない。そうではなく、生きられなかった生は地下に潜伏し、年を重ねるにつれ厄介なものーとても厄介なものーとなる。
…
中年(midlife)において鬱になったり、突然配偶者や仕事や自分の人生が嫌になったりするとき、生きられなかった生が注意・注目を求めているのだと、確実にいうことができる。そわそわしたり、飽きたり、外面の生活が豊かさでいっぱいにもかかわらず空虚さを感じたりするとき、生きられなかった生が、われわれに関わることを求めているのである。Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D. “Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007) ※日本語訳はブログ著者
ところで、「中年の危機」ということを見るときには、つぎの点については、一歩下がって見るようにしたい。
●「中年」(midlife)という時期
●「危機」の現れ方
「中年」(midlife)という時期については、人生100年時代をむかえているなかにあっては、時期の範囲がひろがるのかもしれない。
心理療法家の諸富祥彦は、人生の午前(前半)と午後(後半)を分かつ「人生の正午の時間」は、日本の平均寿命がのびるにつれてだいぶ後ろ(40代から50代、3割くらいは還暦後)にずれてきたことを、実感として語っている(『「本当の大人」になるための心理学』集英社新書)。
「人生100年時代」においては、これまでの「教育→仕事→定年」という人生経路がいろいろに変わってゆくため、その変化とあわせても、中年という時期の範囲には注意をしておきたい。
また、「危機」の現れ方も、もっと多様化してゆくかもしれない。
そんなことに注意しながら、「中年の危機」(midlife crisis)という、ある意味でよく語られてきたけれど、ある意味で語りつくされていない(生きかたにあまり反映されていない)ことを、Robert A. JohnsonとJerry M. Ruhl、またユングや河合隼雄などの知見もまじえながら、ぼくはじぶんの「中年」と照らし合わせながら、考えている。
「メモ」ということで、ひとまずこのあたりで。
<手放す>ことへ。David R. Hawkins著書『Letting Go』と共に。- 「逃避」という方法から、はなれてゆく。
近藤麻理恵の「KonMari Method」による「片づけ」が世界的に注目されているが、やましたひでこが提唱する「断捨離」は、片づけのなかでも<手放す>ということにより重心をおいている(人生ステージにもよるけれど、ぼくはこの二つの方法の統合型がより効果があると思う)。
近藤麻理恵の「KonMari Method」による「片づけ」が世界的に注目されているが、やましたひでこが提唱する「断捨離」は、片づけのなかでも<手放す>ということにより重心をおいている(人生ステージにもよるけれど、ぼくはこの二つの方法の統合型がより効果があると思う)。
さらに、<手放す>ということについて、ぼくが多くを学ぶのは、精神科医のDavid R. Hawkins(~2012)からである。
David R. Hawkinsの著書に、『Letting Go: The Pathway of Surrender』(Hay House, 2012)がある。そのタイトル「Letting Go」のとおり、<手放す>ことにかんする本である。
<手放す>ことについて書かれてきた本で、ぼくがこれまで読んだなかで、もっとも包括的かつ科学的である。ぼくの座右の書のうちの一冊である。
「感情と心的機制」(Feelings and Mental Mechanisms)において、人が「感情に対処する方法」として、抑制(suppression)、表出(expression)、それから逃避(escape)があるとしている。
「抑制」は、感情をおさえつける仕方であり、意識的な押さえつけを「抑制(suppression)」、また無意識的な押さえつけを「抑圧(represssion)」として、David R. Hawkinsは厳密に分けている。
「表出」も、それ自体はわかりやすい。誰かに話したりすることで、感情が発散されたり、言語化されたりする。肝要なことは、誰かに話すことは、内的なプレッシャーが発散されるだけで、そもそもの感情の残留物は抑制されて残ることである。
それから、誰もが知るところの「逃避」である。誰もが経験として知るところだけに、David R. Hawkinsの言葉はつきささってくる。
逃避とは、気晴らしによって、感情を回避することである。この回避ということが、エンターテインメントや酒類業のバックボーンであり、またワーカホリック(仕事中毒)の経路でもある。現実逃避、そして内的な気づきの回避は、社会的に許される機制・メカニズムである。わたしたちは、わたしたち自身の内的な自己を避けることができるし、また、数かぎりない気晴らしによって、感情が湧き上がらないようにすることができる。気晴らしの多くは、それらへの依存度が上がるため、やがて中毒となる。
人びとは、無意識でいつづけることに必死だ。部屋に入るやいなやテレビのスイッチを入れ、絶えず自身に注がれるデータによってプログラムされながら夢遊状態で歩きまわる人びとを、どれほどよく観ることができることか。人びとは自身に向きあうことにおびえている。孤独である瞬間でさえ、ひどく怖れるのだ。こうして、終わりのない付き合い、おしゃべり、テキストメッセージの送受信、読書、音楽演奏、仕事、旅行、観光、ショッピング、過食、ギャンブル、映画鑑賞、薬の摂取、薬物使用、それからカクテルパーティーなど、絶えず熱狂させる活動にひたることになる。David R. Hawkins『Letting Go: The Pathway of Surrender』(Hay House, 2012) ※日本語訳はブログ著者
終わりのない付き合い、おしゃべり、テキストメッセージの送受信、読書、音楽演奏、仕事、旅行、観光、ショッピング、過食、ギャンブル、映画鑑賞などと、逃避の例はつづく。もちろん、これらがすべて、「逃避」を目的としているわけではない。歓びに充ちた読書や仕事もある。
けれども、ここで挙げられるような活動は「逃避となりうる」のだ。じぶん自身をふりかえると、やはり「逃避」だと思うことが多々ある。
さらには、逃避という、内的な気づきの回避は「社会的に許される機制・メカニズム」である。「読書」はダメだと言う人は、まずいないだろう。
上の文章につづく部分を、もう少し見ておこう。
前述の逃避の機制・メカニズムの多くは、欠陥があり、ストレスが多く、また効果がない。それぞれが、それ自体の中で、またそれ自体において、ますます多くのエネルギー量を必要とする。抑制され抑圧された気持ち(feelings)のますます増大するプレッシャーを押さえこむために、多大なエネルギー量が必要とされるのである。意識・気づきを漸進的に失い、また成長が停止する。創造性、エネルギー、それから他者に対する関心を喪失してしまう。精神的な成長が止まり、また最終的に、身体的また感情の病、病気、老化、それから早死にへと進展してゆく。これらの抑圧された気持ち(feelings)の投影は、やがて、社会的な問題、混乱、また今日の社会の自己中心的で冷淡な特性を増大させる。なにより、その効果は、他者をほんとうに愛したり信頼したりすることをできなくさせ、感情的な孤独と自己嫌悪をもたらすのである。
David R. Hawkins『Letting Go: The Pathway of Surrender』(Hay House, 2012) ※日本語訳はブログ著者
David R. Hawkinsは明確な記述で、逃避が悪いことだ、とまでは書いていない。そのメカニズムを語り、いわば「逃避活動の行く末」を書いているだけだ。そのようであるからか、David R. Hawkinsの説明は、じぶんをふりかえるときに、とてもするどい言葉となって、じぶんの内面に向かってくる。
このような「感情(feelings)」への3つの対処方法に代わる策は、とてもシンプルだ。抑圧された感情を<手放す>ことである。
方法は、これひとつである。
自己啓発的な方法やアドバイスは世の中にいっぱいにあるけれど、David R. Hawkinsが提示するのは、<Letting Go 手放す>こと、これひとつである。
ただし、シンプルだからといって、簡単というわけではない。抑圧された感情は手強く、幾層にもわたって積層している。ひとつはがれたと思ったら、また違う層があらわれることもある。
でも、じぶんを「変える」ことをいろいろに試みてきて、成果が出ないようなときには、この方法にかけてみるのはありだと、ぼくは思う。
ぼくも、少しずつ、手放している途上だ。その旅の同伴者として、David R. Hawkinsの著作『Letting Go: The Pathway of Surrender』は、ぼくにとって、ある。
他者への「批判」のゆくえ(あるいは、減圧)。- <億の生きかた>に向かって。
メディアやSNSなどで、他者の言動にたいする「批判」がなされる。社会的/公共的な問題や課題においては建設的な批判とそれが展開される場が大切であるけれども、「批判」が個人的/プライベートの領域におよんでゆくことは別のことである。
メディアやSNSなどで、他者の言動にたいする「批判」がなされる。社会的/公共的な問題や課題においては建設的な批判とそれが展開される場が大切であるけれども、「批判」が個人的/プライベートの領域におよんでゆくことは別のことである。
「批判」の背後には、「正しい」と信じたり思ったりすることがあって、そこを本拠地として、批判の矢がはなたれる。しあわせや生きかたについても、このようである・あのようであるという「標準」が前提されていて、その標準からはずれてゆくものにたいして、批判の矢がはなたれるのである(批判の矢は身近な人たちにも向けてもはなたれる)。
このような<標準指向>が時代にあわなくなってきている一方で、根強く残っている。この二つの価値観(標準指向と非標準指向)がいろいろな場面で交錯し、コミュニケーションがかみあわないようにも見える。
個人的/プライベートの領域におよび「批判」(標準を基準にした批判)は、時代を経るごとに減ってゆくとぼくは思うけれど、依然として根強く残っている。
これからの「明るい世界」の公準のひとつとして、社会学者の見田宗介は「diverse(多様性)」を挙げているが、その言葉に、具体的なイメージをつぎのように与えている。
宮沢賢治の詩稿の断片に、このような一説がある。
ああたれか来てわたくしに言へ/「億の巨匠が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る」と
われわれはここで巨匠の項のコンセプトに、幸福をおきかえてみることができる。
億の幸福が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と
明るい世界の核心は、億の幸福の相犯さない共存ということにある。見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年
「億の幸福の相犯さない共存」ということが語られているが、今はまだ、「億の幸福」が他者を批判し、干渉し、自身の幸福のかたちの「優位」を声高に叫んだりしている。
「億の幸福の相犯さない共存」ということはただの空想的なイメージではなく、見田宗介は「交響圏とルール圏」という論稿(『社会学入門』所収)のなかで、そのようなイメージで語られる「自由な社会」の骨格構成を試みている。「億の幸福の相犯さない共存」この一言のなかには、この論稿(またこの論稿を構成している理論と論考)のぜんたいが、こめられている。
その論稿にここではふかくは入っていかないが、「億の幸福の相犯さない共存」にかんれんして、哲学者ニーチェの生涯を読み解くバタイユにふれながら、見田宗介が書いているところを引いておきたい。
ニーチェの試みは、魂のことを手放すものと、魂のことを支配しようとするものという、二つの巨大な時代の崖面によって切り出された稜線を、踏み渡る歩行のようなものだった。<「魂の」自由>を擁護することと、<魂の「自由」>を擁護すること。魂ということばを消していうなら、われわれの生の内での<至高なもの>をとりもどすことと、他者に強いられる<至高なもの>の一切の形式を拒否すること。
見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年 ※一部表記方法を変更
ところで、「億の幸福が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る」のなかにおかれる「幸福」は、より広い意味のなかで捉えられるものであって、その広い意味のなかに包括される言葉(あるいはそれを包括する言葉)として、ぼくは「生きかた」におきかえておきたい。
億の生きかたが並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。と
「億の生きかたの相犯さない共存」の世界は、表面的な「明るさ」ではなく、生きるということの核心にこめられた<明るさ>によって照らされる。
このような世界はけっして夢物語などではなく、「人間と社会の未来」は、その<明るさ>の方向にながれこんでいっているのだと、ぼくは思う。
観点・視点/思考の奥ゆきの生成。- 思えば、ぼくは、いろいろな「世界」にいた。
思えば、これまで、いろいろな「世界」のなかにいたことを思う。
思えば、これまで、いろいろな「世界」のなかにいたことを思う。
とてもあたりまえのことだけれど、たとえば、どこに住み、どのような生活をし、どのような仕事をし、どのような人たちと日々をおくるかで、世界観とか人生観が異なってくる。まったくといっていいほどに違うこともある。
住む場所でいえば、ぼくは、生まれ故郷の静岡県浜松市、東京・埼玉、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、ここ香港で暮らしてきた。また、住むまでではないけれどマレーシアにも総計で長く滞在してきたし、旅という形で、中国本土、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インドネシア、台湾などにも滞在した。
場所だけで世界観と人生観がつくられるわけではないが、たとえば、東京とシエラレオネでは、まったく「世界」が異なる。そこまで極端にせず、もっと生活水準が近いところを並べてみても、やはり、場所による差異は、世界観や人生観に大きく作用するものだ。そこで生活をともにする人たち、文化、社会システムなどのいろいろが、作用してくる。
仕事でいえば、たとえば、東京ではレストランバーでパートタイムの仕事をし、三重県で短期間のあいだ自動車工場でも働いた。ニュージーランドにいたときは3ヶ月ほど日本食レストランで働き、また、大学を出てからは、NPO職員として(東京、シエラレオネと東ティモールで)勤務、さらには香港で、人事労務コンサルタントとして企業で働いた。
パートタイムからフルタイム、サービス業から工場労働、非営利から営利など、いろいろな「世界」のなかで働いてきた。
仕事の本質的なところにおいては共通するもの・ことを感じながら、しかしそれぞれの役割のなかで、それぞれに感覚し、かんがえることがある。
上に書いた「場所」や「仕事」は、ぼくが<直接的に身を投じる>ところであった。ある場所に、ある役割で身を投じているとき、それぞれに、かかわる人たちや組織やシステムがある。じぶんが直接的にその人たちの仕事をするわけではないし、その組織に所属するのではないけれど、一緒に仕事をしたりするなかで、ぼくたちは<間接的にかかわる>。
ぼくは、NPO職員として国際協力・国際支援にたずさわっているときは、いろいろな立場の方々とお会いし、あるいは一緒に仕事をさせていただいた。NPO/NGOで一緒に働く方々、寄付してくださる方々、ボランティアの方々、国際機関で勤務している方々、日本や他国の政府・政府系組織の方々、専門家の方々、ジャーナリストや写真家の方々、企業のCSR担当の方々、政治家の方々、学校の方々など、挙げていったらきりがない。
支援の受け手側(「受動的」ということではない)に視界をひろげれば、難民の方々、村々の人たち(大人も子供も)、村のリーダーの方々などの姿と表情が思い浮かぶ。
そのあとに、ここ香港では人事労務コンサルタントとして、主に、香港の日系企業で働く駐在員の方々やマネジメントにたずさわっている方々と、日々かかわってきた。「企業の業種」はいろいろで、業種の窓枠がかわると、そこにひろがる「世界」も変容する。
「他者」は、向かい合う他者であるだけでなく、じぶんの「眼」ともなる他者ともなりうる。かかわる人たちや組織やシステムの観点・視点から、ぼくたちは「世界」を見ることができる。
そうであるから、かかわる人たちや組織やシステムも、いろいろな濃度はありながらも、ぼくたちの世界観や人生観に影響してくることになる。
これらの場所や仕事の経験のおかげで、あるいは、出逢った方々のおかげで、ぼくの世界観や人生観はゆたかになってきたのだと思う。
「ゆたか」になることは、それによってすぐさま「利益」をもたらすようなものではない。そうではなく、たとえば、ぼくの観点・視点がそれなりの奥ゆきをもつことである。でも、奥ゆきをもつことは、楽になることでもない。そうではなく、ぼくの思考が、たくさんの<他者たち>を内にもつことである。そのような思考のなかで、矛盾にひたされることもある。
でも、それらをすべてふくめて、「生きる」ということの深さや充実を感じさせてくれるものである。
片づけへの衝動。- 近藤麻理恵/KonMariのリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』。
2019年1月1日からNetflixで配信されているリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』。
2019年1月1日からNetflixで配信されているリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』。
「Marie Kondo」はもちろん、『人生がときめく片づけの魔法』の著書で知られる近藤麻理恵(こんまり、KonMari)。Marie Kondoがアメリカ(カリフォルニア)の家庭を訪れ、「KonMari Method」を伝授しながら、彼ら/彼女たちの片づけをサポートする番組である。
「シーズン1」は全8話で構成され、1話ごとに、ひとつの家庭の片づけ模様が展開される。
「リアリティ番組」を観て視聴者が楽しむということだけにかぎらず、各家庭の片づけの様子が「事例」となり、視聴者向けに「レッスン」が語られることで、いわば「片づけのレッスンと事例」によるオンラインコースを受けているような内容だ。
つまり、各エピソードを楽しむことに加え、エピソードを観た人たちが、実際に「KonMari Method」を活用しながら「片づけ」をし、新しい生きかたをひらいてゆくことの起動装置が内臓されている。起動装置を発動させるかどうかは、視聴者ひとりひとりによることは言うまでもないが。
もちろん「KonMari Method」をさらにひろげ、ビジネスがひろがることも目的のひとつであるだろうけれど(実際に、英語訳著書が再度ベストセラーリストに入ったようだ)、そんなことはまったく感じさせない仕方で、全8話の「物語」がすすんでゆく。
各メディアもとりあげていて、ここ香港の英語媒体であるSCMP(South China Morning Post)も、レヴューを挙げていた。
1月1日という一年のはじめという時機、あるいは旧正月がおとずれる前という時機、さらには「近代から脱近代」という歴史的な局面において、「KonMari Method」の方法は、世界中の多くの人たちを捉えているように見える。
番組『Tidying Up with Marie Kondo』が、ほんとうによくできている。ぼくはそう思う。
内容も形式も、よくかんがえられている。
「片づけのレッスンと事例」によるオンラインコース的な内容であることを述べたけれど、視聴者が飽きないよう各エピソードにおいて片づけのどこを見せるかなど、編集がよくなされている。
そもそものぜんたいにおいて、家庭の多様性を考慮して家庭が選ばれ、家族構成やライフステージの異なりを確保することで、多様な視聴者がいずれかのエピソード(物語)を身近に感じることができるように配慮されている。
配慮された「舞台」のなかで、実際に登場する人たちは片づけを通して「ドラマ」を展開し、片づけの「達成」に加え、じぶんたち自身の「変化」をつくりだし、感じとってゆく。人生という「物語」の新しいチャプターがひらいてゆくのだ。
こまかいところでの発見やぼく自身の気づきなどはほんとうにたくさんあるのだけれども、ぼくの好きなシーンは、「greeting the house」、家に挨拶をするシーンだ。
片づけにはいるまえに、近藤麻理恵/KonMariが、家の適切な場所をみつけ、そこに正座し、目を閉じて、家に挨拶をする。「家に挨拶」ということのなかには、未来のありかたをイメージしたり、メディテーション的な要素が含められている。
物語がはじまる、この「はじまり」の気配がとてもいい。家族それぞれによって、このプロセスへの参加の仕方はさまざまで、そのことも興味深いのだ。
そしてなによりも、エピソードを見ると、片づけをしたくなる。実際にじぶんの片づけをしながら、並行的にエピソードを見ると、さらに効果的である(少なくとも、ぼくにとっては効果的であった/効果的である)。
それにしても、「KonMari Method」の魅力ということをかんがえる。
「一気に、短期に、完璧に」という、この時代にあう、スピード感あふれる方法であり、だれもが実践できるシンプルさで、かつ「spark joy(ときめき)」という、これまた時代にあった核心をついている。などなど。
そうやって、いろいろと書いてみることもできるのだけれど、言い尽くしていないように感じてしまう。
ふと、つぎのことを、ぼくは思う。
小説家の村上春樹は、じぶんの書く小説について、じぶんよりも優れた長編小説を書く人はいるけれど、じぶんが書くような長編小説を書ける作家はほかに一人としていないはずだと、あるところで(『若い読者のための短編小説案内』の冒頭に)書いている。
おなじことが、近藤麻理恵/KonMariの「片づけ(また片づけコンサルテーション)」にも言えるのではないか、と。
世界には「KonMari Method」以外にもほんとうにたくさんの「片づけ」の方法(また片づけを教える方法)があるし(ぼくは「断捨離」が好きである)、「KonMari Method」よりも洗練されているものもたくさんあるだろうけれど、近藤麻理恵/KonMariがするような「片づけ(また片づけコンサルテーション)」をすることのできる人はほかに一人としていないはずだ、と。ぼくはそう思う。
「脳の働きをさまたげない音楽」のこと。- 音楽を聞き「ながら」の仕事。
ビル・ゲイツは20代のころ、一時期、音楽を聴くこととテレビを見ることをやめた。ソフトウェアについて考えることから、音楽やテレビが気を散らすと思っていたからだという。そんな時期が5年つづいたという。集中力を保つためには今ではメディテーションを行い、音楽もU2やWillie Nelsonやビートルズをよく聴くのだという。
ビル・ゲイツは20代のころ、一時期、音楽を聴くこととテレビを見ることをやめた。ソフトウェアについて考えることから、音楽やテレビが気を散らすと思っていたからだという。そんな時期が5年つづいたという。集中力を保つためには今ではメディテーションを行い、音楽もU2やWillie Nelsonやビートルズをよく聴くのだという。
ビル・ゲイツはこの話を、2018年の本のうちの一冊として選んだメディテーションの本(『The Headspace Guide to Meditation & Mindfulness』)について書いている文章の冒頭でもちだしているが、ぼくはここでは、「音楽」ということにフォーカスをあてたい。
ビル・ゲイツ自身が書いているように、音楽を聴くことをまったくやめてしまうことは極端である。「ながら族」をやめるのではなく、生活の一切において、じぶんから音楽を聴くことをやめてしまう。ソフトウェアに集中するために。
このようなことが「ビル・ゲイツ」をつくったのかもしれないが、当時のビル・ゲイツにとっては、音楽が「気を散らす」ものであった。
テレビにかぎらず、「音楽」は、人の「気を散らす」ものである。テレビはまだしも音楽は違う(気を散らさない)、と言う人もいるかもしれないけれど、「音楽」は人の気を(程度の差こそあれ)散らすものである。じぶんが「自己」に正面から向き合うことなどから、じぶんの気持ちを散らして/逸らしてしまう(「気を散らす」はわるいことのように語られるけれども、ここでは必ずしもわるいこととしては書いていない)。
けれども、ここでいう「音楽」は、さまざまな音楽をひとくくりにしすぎでもある。「音楽」はさまざまである。ロックもあればクラシックもある。日本語で歌われるものもあれば、英語で歌われるものもある。
そして、「音楽と人の関係性」も、さまざまである。それは、多様な音楽が人にあたえる影響はいろいろだし、その音楽を聞いている人がどのような状況でなにをしているのかもいろいろである、ということである。
「ながら族」である解剖学者の養老孟司は、つぎのように書いている。
考えてみると、いまでは仕事中はほとんど音楽を聴きっぱなし、典型的な「ながら族」である。とくに虫の標本を作ったり、観察しているときには、耳が完全に空いている。だから、音楽でそこを埋める。原稿を書いているときも、同じである。いまはファン・ダリエンソが演奏するタンゴを聴いている。それが原稿とどういう関係があるというなら、まったくわからない。ただし歯切れの悪いことは書けないだろうと思う。ダリエンソをご存知なら、おわかりだろう。…
養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川onerテーマ21、2009年)
それから、対談相手である久石譲に応え、曲の選び方は、好きとかではなく、<仕事の邪魔にならないもの>だと、養老孟司は語っている。タンゴなど、スペイン語であれば言葉の「意味」へとひっぱられず、<声を感じる>だけというようにである。
また、集中しているときには聞こえない。思考の途中でふっと気持ちがよそへいくとき、聞こえてくる音楽が<気持ちのいいもの>を選ぶ。
ちなみに、宮崎駿も絵コンテを切っているときなどに音楽をかけているのだと付けくわえながら、久石譲は作曲家として、つぎのように語っている。
久石 脳の働きを邪魔しない音楽というのは、僕も非常によくわかります。作曲家として、ある種、目指しているところでもありますから。…
養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川onerテーマ21、2009年)
映画の音楽を担ってきた久石譲がめざす<脳の働きを邪魔しない音楽>。
ぼくはこのブログなどを書くときはだいたいにおいて「音楽」をかけないけれど、養老孟司と久石譲の対談を読みながら、<脳の働きを邪魔しない音楽>、また意識ではないレベルでなんらかの影響を与えるような音楽のことに(ふたたび)興味をもちはじめる。
「ふたたび」と書くのは、「歯切れの悪いことは書けないだろう」と、ファン・ダリエンソの音楽が養老孟司の心持ちをいくぶんかつくるように、ぼくにとっては、カザルスの音楽が、そのような影響をぼくに与えていたことがあったからである(カザルスの音楽の力を、ぼくは整体の創始者と言われる野口晴哉の本で知り、その力はぼくにも作用した)。
この機会に、ファン・ダリエンソを聴いてみよう(聴きながら、書くことをしてみよう)と思っている。
最近「実用的・実際に役立つ(practical)」ということを考える。- 肯定的に、のりこえてゆくために。
最近、「practical(プラクティカル・実用的・実際に役立つ…)」ということを考える。どれほどその精神が「近代(現代を含む)」を「ゆたかさ」へと推進し、あるいは人を戒めることばとして機能し、そして生活のすみずみにまでその領域をひろげてきたか、ということ。
最近、「practical(プラクティカル・実用的・実際に役立つ…)」ということを考える。どれほどその精神が「近代(現代を含む)」を「ゆたかさ」へと推進し、あるいは人を戒めることばとして機能し、そして生活のすみずみにまでその領域をひろげてきたか、ということ。
けれども、その精神に「支配される」のではなく、味方にしながらも、ある意味、のりこえてゆくときであること。
「practical(プラクティカル・実用的・実際に役立つ…)」、つまり何かの役に立つ、将来に役立つ、という「考え方」や「生きかた」は、個人や集団の生活、社会を「目的」に向かって、合理的に編成してゆく。「役立たない」ものやことは、切り捨てられてゆく。
とても強力な考え方であり、生きかたである。たとえば(ある側面において見ると)、社会においては「経済成長」、企業においては「企業の成長・拡大」、家族や個人においては「収入の増大」ということを目的として、「役に立つ/役に立たない」という基準で、ものごとが編成されてゆく。
マックス・ウェーバーにふれながら、この「近代社会の原理」について、社会学者の見田宗介は書いている。
マックス・ウェーバーが正しく言うように、生のすみずみの領域までもの「合理化」、生産主義的、手段主義的な合理化(目的合理性)ということが近代社会の原理であるのは、近代社会が個人と個人、集団と集団、人間と自然との相克性(戦い)をその原理とする社会であるからである。
たとえば受験生は受験戦争に勝つために現在の生きる時間を、未来の目的のための「手段」と考えて、生活のすみずみまでも合理化し、自分で自分の自由を抑圧することがある。戦争が終結すれば、この「合理化圧力」は解除され、自由に<現在>の生を楽しむこともできる。これは近代から脱近代に至る歴史の局面の、分かりやすい理論モデルである。見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)
この「近代社会の原理」が、どれほど人間と社会を経済的にゆたかにしてきたのかは多く語る必要はないだろう。現在すでに、先進産業諸社会では、「すべての人びと」に、「幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分」したとしても、そこには「富の余裕」がある。
「受験戦争」が終わると、受験生の「合理化圧力」が解除されるように、「経済戦争」が終わり(少なくとも様相を変質させ)、個人や集団や社会の「合理化圧力」は減じてくる。「脱近代」への歴史的局面、そのトランジションのなかに、現在ぼくたちは生きている。
「practical(プラクティカル・実用的・実際に役立つ…)」を「考える」ということは、近代社会の原理(目的合理性)が、「近代から脱近代に至る歴史の局面」にあって、見田宗介の指摘するように、「合理化圧力」が解除され、あるいは減圧してきている状況におかれているからでもある。
ジム・キャリーは、大学の卒業性に向けて、かつて、次のような言葉を贈った。
…Now fear is going to be a player in your life. You get to decide how much you could spend your whole life imagining ghosts, worrying about the pathway to the future but all there will ever be is what’s happening here in the decisions we make in this moment which are based in either love or fear. So many of us choose our path out of fear disguised as practicality. …
「さて、怖れはあなたの人生のプレイヤーになるでしょう。あなたは決めなければいけない。自分の人生のどのくらいを、ゴーストを想像し、未来につづく道を心配しながら過ごすのかということを。けれども、これから起きることのすべては、この瞬間におけるわたしたちの決断の中に起きていることなのである。つまり、愛に基礎をおく決断なのか、あるいは怖れに基礎をおく決断なのか。わたしたちの多くは、実用・実際(practicality)という姿に粉飾した怖れから、自分たちの道を選んでいるのです。」Jim Carrey “Full Speech: Jim Carrey’s Commencement Address at the 2014 MUM Graduation” ※日本語訳はブログ著者
わたしたちの多くは、実用・実際(practicality)という姿に粉飾した怖れから、自分たちの道を選んでいると、ジム・キャリーは語る。「怖れ」が「実用・実際(practicality)という姿に粉飾している」という視点は興味深い。
そのことは、マックス・ウェーバーにつなげるならば、「近代社会が個人と個人、集団と集団、人間と自然との相克性(戦い)をその原理とする社会」であり、相克性(戦い)のなかで、「怖れ」が発動されてゆくのだということである。
「実用・実際(practicality)という姿に粉飾した怖れ」をいだき、「将来役に立つ」からと、やりたいことを抑えて、お金になりそうな進学先や仕事を選ぶ。「文学なんかやっても、将来稼げないでしょ」といった「practicalityの声」をひたすら内面化してゆくなかで、<楽しさ>の感覚をうしなってゆく。
けれども、現在の近代から脱近代への歴史の局面、移行期(トランジション)において、「practicalityが主導する生きかた」と「楽しさが主導する生きかた」が、人それぞれによって、異なる濃度をもちながら拮抗している。
ぼくは、「楽しさが主導する生きかた」を選びたい。
「夢」をもつこと。- <現在>を豊饒にするかぎりにおいて。「consummatory」の観点から。
将来に実現・達成したい「夢」をもつこと。そのような「夢」をもつことがよいのかわるいのか、必要なのか必要ではないのか。あるいは、夢をもつとしたら夢は大きいほうがいい、夢は小さくてもいい/小さいほうがいい。等々。「夢」をめぐって、人はいろいろに語ってきたし、語られている。
将来に実現・達成したい「夢」をもつこと。そのような「夢」をもつことがよいのかわるいのか、必要なのか必要ではないのか。あるいは、夢をもつとしたら夢は大きいほうがいい、夢は小さくてもいい/小さいほうがいい。等々。「夢」をめぐって、人はいろいろに語ってきたし、語られている。
「夢」はシンプルなようでありながら、夢をめぐる議論はシンプルではないようだ。
また、じぶんの夢に向かって邁進する人もいれば、夢がなくて欠如感をいだく人もいる。夢を実現させた人がいれば、夢にやぶれる人もいる。夢をめぐる議論だけでなく、夢をめぐる現実も、多様だ。
「夢」をめぐる多様な見方や側面があることから、夢について「他者と語る」ことも、複雑になることもある。
たとえば、いわゆる発展途上国とよばれる場所を訪れた人たちが、現地で目を輝かせる子供たちに「将来の夢は何なの?」と尋ねることはどうなのか。先進産業地域の子供たちと異なり、将来の「機会」が限定されているなかで、そのような質問は酷ではないか、という見方がある。でも、そのような限定された機会を見事につかみ、道をひらいてゆく人たちもいる(「限定された機会」として現実を見ること自体が偏っている見方であるかもしれない)。
ぼくが思うに、「夢」はもってもいいし、もたなくてもいい。夢は大きくてもいいし、小さくてもいい。夢は実現できることもあれば、夢は実現できないこともあるけれど、いずれであってもいい。
でも、夢が語られたりする場面で敏感に察知したいのは、「夢」に託される「将来」ということ、また「将来」の功罪ということである。
「夢」という「将来」は、<現在>を豊饒にすることにおいて、活用され、楽しまれるものである。「将来のために…」という論理のなかで、この<現在>の生を抑圧し、犠牲にするものとして、使われてはならないと思う。
「結果オーライ」「終わりよければすべてよし」という論理は会話のなかで有効であるときもあるだろうけれど、その論理が語っていないのは「プロセス」である。「終わりよければすべてよし」は、プロセスを(「生きる」ということで言えば<現在の生>を)、問わないのだ。
社会学者の見田宗介は、著書『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)の補章「世界を変える二つの方法」のなかで、「二十世紀型革命の破綻」をふりかえったうえで、「新しい世界を創造する時の実践的な公準」として「positive、diverse、consummatory」を挙げている。
この3つ目の「consummatory」は、適切な日本語におきかえられないとして、見田宗介はことばの説明を加えている。
…consummatoryはinstrumental(手段的)の反対語である。手段の反対だから目的かというと、それはちがう。…<わたしの心は虹を見ると踊る>という時この虹は何かある未来の目的のために役に立つわけではない。つまり手段としての価値があるわけではない。かといって「目的」でもない。それはただ現在において、直接に「心が踊る」ものである。…コンサマトリーという公準は、「手段主義」という感覚に対置される。新しい世界をつくるための活動は、それ自体心が踊るものでなければならない。楽しいものでなければならない。その活動を生きたということが、それ自体として充実した、悔いのないものでなければならない。解放のための実践はそれ自体が解放でなければならない。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)
ここでは「夢」を語っているわけではないけれども、「将来のために…」という手段主義に対置するものとして「コンサマトリー」がおかれている。「その活動を生きたということが、それ自体として充実した、悔いのないもの」となる、<現在を生きる>ことが語られている。
3つの公準のどれもにぼくは全面的に賛同と共感をいだきながら、この「consummatory」の公準は、ぼくを捉えてやまない。それは、コンサマトリーと対置される「手段主義」ということが、20世紀に、社会という大きなコンテクストだけでなく、社会のすみずみ、個人の生にまでつらぬいてきたからである(もちろん、ぼく自身の生にもふりかかってきたものであった)。
こうして見てきて、「夢」ということに戻ると、もう一度、問うことができる。
夢に向かう活動自体が心踊るものでないような夢は、ほんとうにじぶんにとっての「夢」なのだろうか、と。
「風景」が変わるとき。- <幸福感受性>をとぎすましてゆくこと。
養老孟司先生は、久石譲との対談のなかで、つぎのように語っている。
養老孟司先生は、久石譲との対談のなかで、つぎのように語っている。
養老 …小川のせせらぎというのは、実は周囲の林が音を増幅しているんです。ただ水が流れているから聞こえるんじゃなくて、森林のさまざまな樹木なんかと共鳴することで強く聞こえてくる。…
養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川onerテーマ21、2009年)
「小川のせせらぎ」は、それが単一にひびくのではなく、<森林のさまざまな樹木と共鳴している>という音の風景は、まるで、目に見えるようでもあるし、共鳴し交響する音が聞こえてくるかのようでもある。
いつか、小川のせせらぎを耳にするときがきたら、ぼくは、そこに森林のさまざまな樹木たちとともに音を奏でている<音の風景>を感じることだろう。
これだけのことばでも、風景はいつもと違ってみえてくる。ことばという<情報>のもつ機能のひとつは、見えないものを見えるようにしてくれることである。
小川や樹木たちが森林という舞台で奏でる音を感じることは、それだけで人を充たしてくれるものがある。
これからの時代をささえ、基礎づけ、ひらいてゆくものとしての<幸福感受性>(見田宗介)をとぎすまし、もっとひろく感じ、もっとふかいところへ降り立っていきたい。じぶんが生きてゆくことの核心のところにとりもどしてゆきたい。
上に引用した箇所では、養老孟司は<幸福感受性>のことを語っているのではなく、<耳で聞く>ことと<目で見る>ことがズレることを、久石譲に語っている。「川が流れているから、音がする」のではなく、逆に、「音がするから、川があるんだな、とわかる」というように。
さらに、「目と耳の情報を統合する機能」ということを養老孟司は語っている。このことは、他の著作でもふれられていたりするが、言葉の基本には「時空」(時間と空間)があるということである。目が耳を理解するために「時間」という概念が必要であり、耳が目を理解するために「空間」という概念が必要という、興味深い観点だ。
そのことはさておき、このようなことが述べられているなかに、「小川のせせらぎというのは…」という話が、さっと入ってくる。
その、さっと、あるいはさらっとさしこまれた話のほうに、ぼくは惹かれたのであるが、このような話が日常に生きられているところに、養老孟司先生の感覚と思考の「確かさ」を、ぼくは感じることになる。
今回とりあげたトピックは、人にとってはなんでもないものだけれど、そのようななんでもないことを、とぎすまされてゆく<幸福感受性>が、まったく違った「風景」をぼくたちにさしだしてくれるのだと思う。
じぶんの人生物語の「ジャンル」は? - じぶんがじぶんに語る「ナラティブ」の色調 。
じぶんの人生物語の「ジャンル」ということを、ふと、思う。
じぶんの人生物語の「ジャンル」ということを、ふと、思う。
ちょうど、ゴールデン・グローブ賞(Golden Globes)のニュースを目にしていた日であったからかもしれない。
なにはともあれ、ふと、思ったのだ。
「ジャンル」(日本的発音になれたぼくにとって「genre」の発音はむずかしい)の定義は幅広いので、ここでは、ひとまず、創作作品の「カテゴリー」という程度にとどめておきたい。
とはいっても、「カテゴリー」も、最近は基準のとりかたがいろいろではある。ぼくが、ふと思って、イメージしていたのは、「アドベンチャー」とか、「コメディー」とか、「スリラー」とか、「ホラー」とか、「ドラマ」とか、といった、映画のジャンル(カテゴリー)である。
<じぶんの人生という物語>のジャンルを考えたときに、どのジャンルがもっともしっくりくるか。
もう少しことばにしてみると、じぶんが日々、じぶんに語る「ナラティブ」は、どのジャンルの調子・仕方で、(じぶん自身に)語っているか、語ってきたか。
最近のアメリカの映画やテレビシリーズなどのジャンルを見ていると、スリラーやホラーなどの系列が相対的に多いようにぼくには感じられ、時代の色調のようなものを反映しているにも思われる。
スティーブン・キングの描く世界は、アメリカの田舎に住む人たちが抱く恐怖の投影であるようなことを、村上春樹がだいぶ前にどこかで書いていたが、その延長線上において、スリラーやホラーなどが射程範囲を拡大してきているようにも見える。
そんな色調に、ぼくの<じぶんの人生という物語>のジャンルがずれている。
ぼくは、じぶんの「ナラティブ」は、「ドラマ」であると思っている。
「ドラマ」といっても、いろいろにサブカテゴリー化されるだろうけれど、ぼくは感動的なドラマが好きである。また、好き嫌いは別として、昔は、そこに悲劇的な要素が少し入っていた。
そんなじぶんの「ナラティブ」を反映してか、ぼくの人生の出来事は、「ドラマ」的に継起してきたように、ぼくは思う。
どのようにして、じぶんの「ナラティブ」の色調、ジャンルがつくられるかは、子供の頃からの周囲の影響もあるだろうし、じぶんに内在的な要因もあるだろう。生きていくなかで、ジャンルも変わってくることもあるだろう。
でも大切なのは、じぶんの「外の世界」にあらかじめジャンルが所与のものとしてあるのではなくて、外の世界にジャンルを与えるのはじぶん自身であるということ。じぶんのナラティブとその色調(ジャンル)にしたがって、じぶんに起きる出来事はじぶんに現れること。
そう考えたとき、ぼくは、もっと「コメディ」と「ミュージカル」のジャンルを、じぶんの人生物語のジャンルとして、じぶんの日々のナラティブに入れたい。「コメディ&ドラマ」の、ミュージカル仕立てになったらよいと思ったりする。
ものごとを<望遠鏡で見る>こと。- 常備しておきたい「顕微鏡と望遠鏡」の視点。
原住アメリカ人の小部族であったヤヒ族の「最後の人」となったイシ(1860/1862~1916)、イシと親しくしてきた文化人類学者アルフレッド・クローバー、アルフレッド・クローバーの死後にアルフレッドの考え方を受け継いで「イシ」にかんする著作を書いたシオドーラ・クローバー夫人、それから娘にあたり、著書『ゲド戦記』で知られているアーシュラ・K・ル=グルヴィン。
原住アメリカ人の小部族であったヤヒ族の「最後の人」となったイシ(1860/1862~1916)、イシと親しくしてきた文化人類学者アルフレッド・クローバー、アルフレッド・クローバーの死後にアルフレッドの考え方を受け継いで「イシ」にかんする著作を書いたシオドーラ・クローバー夫人、それから娘にあたり、著書『ゲド戦記』で知られているアーシュラ・K・ル=グルヴィン。
思想家の鶴見俊輔(1922-2015)は、『思想をつむぐ人たち』黒川創編(河出文庫)に所収の「イシが伝えてくれたこと」のなかで、上に挙げた人物たちを登場させながら、さまざまな話と視点をおりこんで、ぼくたちに語りかけている。
ことばとして、ぼくのなかに残ったことのひとつに、<望遠鏡で見る>ということがある。
つぎのような文脈で、語られる。
アルフレッド・クローバーは思想を習慣としてとらえる。クローバーの著作には、個人が出てこない。クローバーの遺著の序文を書いたレッドフィールドは、大きな人類学の会議の中で、「ソーシャル・アントロポロジー(社会人類学)の方法が、クローバーの考え方に全然入ってこないのはどういうわけか」と言う。そうすると、クローバーは「社会人類学というのは、今このときに結びつけられすぎている。自分は、顕微鏡ではなくて、望遠鏡で見たい」とこたえた。
鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』黒川創編(河出文庫)
原住アメリカ人の場合には、アジア大陸からベーリング海峡を通ってアメリカに到達してゆくというように、そのあいだも消えることのない「習慣」があり、クローバーは、そのように伝えられるものを<望遠鏡で見る>ことを方法としていた。
一方、シオドーラ夫人は、「個人の生」に焦点をあて(<顕微鏡で見る>ことで)、たとえば、イシの伝記を書いた。
クローバーにとっては、習慣=ハビットが重要だという、ハビットの思想なのだが、シオドーラ夫人の場合には、ハビット・チェンジが重要なのだ。習慣をどういうふうにして変えるか。思想というのは無意識の層につめこまれている習慣ではなく、習慣をどういうふうに変えていくかだというのが、パースの定義だ。
鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』黒川創編(河出文庫)
これはとてもおもしろい視点だけれど、さらにおもしろいのは、娘であるアーシュラは、父親であるアルフレッド・クローバーと同じように、文明を<望遠鏡で見る>視点で、SFの作品を書いていったことだ(こんな系譜のなかで『ゲド戦記』を読むといっそう深みが増すだろう)。
鶴見俊輔はこのようなつらなりの諸相にきりこんでゆき、興味深い視点を提示している。「ハビットの思想」と「ハビット・チェンジの思想」というのは、興味深い視点のひとつだ。
ぼくはこのような考え方や見方において欲張りだから、<顕微鏡で見る>ことも、<望遠鏡で見る>ことも、同じように大切にしていきたいと思う。けれども、今この時代にあってよりいっそう大切なのは、<望遠鏡で見る>という視点であると考えている。
もちろん、顕微鏡にしろ、望遠鏡にしろ、それによって、「何をどのように」見るのかにもよってくるけれども、視点がどうしても、短期的かつ微視的になりやすい時代に生きているように思えるのだ。意識していないと、<望遠鏡で見る>ことがどうしてもおそろかになってしまう。
2019年のはじまりに、「1年」ということを考える。メディアの記事でも、この1年が語られる。それはそれでよいのだけれど、そのときに、<望遠鏡で見る>こともしたい。
人間の歴史において、ぼくたちがどのような時代に生きているのか。未来を望遠鏡で見たときに、どのような光景を見ることができるだろうか、あるいは見たいだろうか。そんな問いを奏でることのできる<望遠鏡>をいつも備えておきたい。
なお、2019年は、「顕微鏡で見る」と「望遠鏡と見る」という言い方が直接に指し示すような、実際の「人間(の内側)」と「宇宙」それぞれの方向に、テクノロジーや探索が進展していくものと思われる。NASAの探査機が太陽系の最果てにとどき、中国の探査機が月の裏側に着陸するというニュースが、2019年のはじまりにとどいたように。
<人生はみじかく、はかない>という命題。- この命題の「自明性」をほりおこし、くずしてゆく。
ビートルズに「We Can Work It Out」という曲がある。大学生の頃、その曲を聴きながら、いつも「ひっかかる」箇所があった。
ビートルズに「We Can Work It Out」という曲がある。大学生の頃、その曲を聴きながら、いつも「ひっかかる」箇所があった。
少しテンポと調子が変わって、ポール・マッカートニーとジョン・レノンの歌声がひびく、「Life is very short, and there’s no time for fussing and fighting, my friend…」と。「人生はとても短いんだ、くよくよ悩んだり、争っている時間はないんだよ」と、友人に語りかける。
「Life is very short, and there’s no time…」という、わかりやすく、聴き取りやすい英語だったからかもしれないけれど、「人生は短いんだ」というのが、どうも心にひっかかる。
「人生は短いんだ」ということばに、どのように自分の生きかたをつなげてゆくのか、というところで、「人生は短いんだ」からぼくは「後悔しないように…」を選びとり、生きてきている。この「人生は短い」が語られる文脈のなかでは、「だから、はかない」と続くこともあるなかで、その方向にではなく、別の方向を選びとる。
けれども、そもそもの「人生は短い」ということは、どう見たらよいのだろう。
「時間」にかんする名著『時間の比較社会学』において、真木悠介はその冒頭で、<人生はみじかく、はかない>という命題をあげて考察している。
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」という劉廷芝の詩をとりあげ、客観的でのがれがたい時間の事実をうたっているように見えるが、そうではなく、「人間のみの個別性にたいするわれわれの執着のもたらす感傷にほかならないこと」がわかると、検討を加えている。
自分と花がもし入れ替わったとしたら、花である自分は、花とくらべてほとんど無限の生を享受しているかのような人間のことを、ぜんぜん違った感傷でうたっただろうというのだ。また、じっさいに、人間は動物のなかでももっとも寿命が長いとしながらも、「そうはいっても…」と聞こえてくる声を想定して、つぎのように書いている。
…しかしこのように数学的に検証してみても、人間の生の「みじかさ」を実感しておののいている人はけっして納得しない。人間の寿命が仮に二百年であり、あるいは二千年であっても、かれらはそのことに納得しないように文化を作っていただろう。「人間ーこの短命なものどもよ」と古代の神話のなかでいうのは神々であり、神々はふつう無限の生命を享受するからだ。人間の寿命が馬や獅子よりも長く、あるいは二百年、二千年であったとしても、永遠のまえには一瞬にすぎないからだ。
だがそれにしてもなぜ永遠を準拠にとるのか?
<人生はみじかい>という命題はじつは、なんらの客観的事実でもなく、このように途方もなく拡大された基準のとり方の効果にすぎない。真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)
なんどもなんども読み返してきた文章であるのだけれど、今回読み返しているなかで、なぜか、ここの箇所にぼくはひきつけられている。とくに、「人間の寿命が仮に二百年であり、あるいは二千年であっても、かれらはそのことに納得しないように文化を作っていただろう」というくだりである。
それは、人類が目指している(だろう)「不死」ということに、重なったからである。
「人類の21世紀プロジェクト」として人類がつぎに見据えている「プロジェクト」は、不死(immortality)、至福、(bliss)、「Homo Deus」へのアップグレードの3つであると、歴史学者Yuval Noah Harariは著書『Homo Deus』で書いている。
人類が「不死」を達成させるかどうかはわからないけれども、仮に人類が「不死」にちかい長寿(二百年だとか、二千年だとか)を達成したとしても、<人生はみじかい>ということばはなくならないのではないか。「基準」を<無限>に設定し、二百年であっても、二千年であっても、「そのことに納得しないような文化」を作ってしまうのではないだろうか。そんなことを、ぼくは考えるのである。
では、どの方向性に出口を見出してゆくのか、ということが問われる。
整体の創始者といわれる野口晴哉(のぐちはるちか)は、自身の哲学のようなものである「全生」ということにふれて、かつて、つぎのように書いた(生きた)。
…象の百年生くるも全生なら、蝉の一夏の生涯も又全生なのだ。大と小と対立させてその価値に拘泥するのは、人間的な有限感覚に基づいているに他ならぬ。人間の五十年は蚊の一夏に比して長いとは言えぬ。欅の三千年の寿命も猫の十年に等しい。全は、全だ。
この如く、人間が人間感覚からのみ推して ものを対立させているなかに宇宙的無限感を得たものがいたなら、こう言うだろう。野口晴哉『碧巌ところどころ』(全生社、1981年)
そして、真木悠介自身は、上記に引用した文章につづけて、つぎのように書いている。
…「みじかさ」が、たんに相対的不満ではなく絶対的なむなしさの意識となるのは、このばあいもまた、生存する時がそれじたいとして充足しているという感覚が失われ、時間が過去をつぎつぎと虚無化してゆくものとして感覚されるからである。
真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)
真木悠介は著書『時間の比較社会学』のぜんたいを通して、「生存する時がそれじたいとして充足しているという感覚」が失われてきたことの社会的な構造などをおいながら、その感覚を豊饒に享受する道を照らしている。
もちろん、これらの「道」を生きるのは、ぼくたちひとりひとりである。その助走として、<人生はみじかい>ということ自体が問われなくてはならない。
人間の知の究極の主題について。- 人の探求の「最終的な目標」。
大澤真幸にとっての、ライフワーク的な仕事である著書『動物的/人間的:1. 社会の起原』(弘文堂、2012年)。大澤真幸にとっての師である見田宗介(真木悠介)の論文『自我の起原』(のちに同タイトルで書籍化。岩波書店、1993年)のスリリングな論考に触発された著書である。
大澤真幸にとっての、ライフワーク的な仕事である著書『動物的/人間的:1. 社会の起原』(弘文堂、2012年)。大澤真幸にとっての師である見田宗介(真木悠介)の論文『自我の起原』(のちに同タイトルで書籍化。岩波書店、1993年)のスリリングな論考に触発された著書である。
この著書の最初には「知の究極の主題」と題された節がおかれていて、つぎのように文章がはじまっている。
人は知ろうとして、探求する。しかし何を知りたいのか?何が探求の目標なのか?
人が知ろうとしているもの、人の探求の最終的な目標、あらゆる学問の蓄積が最終的にそこへと向かって収斂していく場所、それは何か? 自分自身である。大澤真幸『動物的/人間的:1. 社会の起原』(弘文堂、2012年)
人の探求の「最終的な目標」は、<自分自身>であること。この文章は、読む人によっては、唐突に聴こえるかもしれない。知の形態も、知の内実も、さまざまであるからである。とりわけ、知の対象が、「自分自身」に直截に向かうのではなく、外部のものに向かうようなときには、違和感がのこる。
だから、大澤真幸はつぎのように説明を加えている。
とするならば、人間のすべての知を規定している究極の問いとは、<人間とは何か?>にほかなるまい。一見したところでは、この問いには関係していないような知的探求の領域もある。素粒子の構造についての研究とか、金融政策の効果についての研究とか、特殊な素材の電気の伝導率についての実験等々と、われわれは、何でもかんでも、すべてを知ろうとしているように思われる。だが、こうした多様でばらばらな主題や諸分野も、畢竟、<われわれは何者なのか?><人間とは何か?>という謎へと迫るための多様な迂回路なのだ。
大澤真幸『動物的/人間的:1. 社会の起原』(弘文堂、2012年)
多様でばらばらな主題や諸分野も、たとえそれが素粒子であっても、金融政策であっても、電気であっても、それらは、<人間とは何か?>という究極の問いにつながっている。大澤真幸は、そう定めている。
そうはいっても、まだ首をかしげる人もいるかもしれない。「〇〇は何か?」という「what」の問いもあれば、「どのように…するか?」という「how」の問いもある。問いの向けられる先が、「当面の解決方法」であったり、「表面上の知識」であったり、また「損得にかかわるもの」であったりするかもしれない。。試験に受かるためだとか、お金がもうかる方法だとか。
ただ、「知」をどのように利用するのか、ということを取り除いて考えてゆくと、たしかに、究極の問いは<人間とは何か?>というところに収斂していく。
そして、探求がやがて収斂してゆくところが「自分自身」であるということ(<人間とは何か?>という問いであること)を見定めておくことは、知の探求における「軸」とすることもできると、ぼくは思う。どんな多様な迂回路を通過していようとも、「軸」を定めておくことで得るものがあるということである。
20代を通して、研究においても実践においても「Development Studies(途上国の開発・発展、また国際協力)」という分野につかっていたぼくは、その諸相と方法を学ぶなかで、やがて探求の次元を「開発・発展とは何か?」というところに押し上げざるを得なくなった。そしてそれは、今思えば当然のことながら、「人間とは何か?」という問い(あるいは、この問いにつらなる、人間の生きる目的や人間のしあわせとは、などという問い)を発せざるを得なくなるところに、ぼくの思考を押し出していったのであった。
ぼくはその延長線上に、香港で人事労務という領域、つまり「人」を中心主題とする仕事へとつなげていき、そこから、今こうして、「生きかた」というところへと幅をひろげている。その根柢には、ずっと「自分自身」に向けられた問いがあり、<人間とは何か?>という問いが、「知の究極の主題」として横たわっている。
はじめから明確に意識していたわけではないけれど、表面的な意識よりももっと深いところでは、この「知の究極の主題」をぼくはいつも追ってきたのだと、今の時点からふりかえりながら、ぼくはそう思うのである。
神経回路の「絶望的な混線」(三木成夫)。- 「内臓感覚のいちばん麻痺しているのが、ホモ・サピエンス」ということ。
ぼくたちの「身体」はぼくたちに日々、瞬間瞬間に、さまざまな「シグナル」を送りつづけている。
ぼくたちの「身体」はぼくたちに日々、瞬間瞬間に、さまざまな「シグナル」を送りつづけている。
そうして送られる「シグナル」を、いわば「レシーバー」でキャッチし、じぶんは「何が必要だ」「何がしたい」ということへに変換する。
でも、むずかしいのは、この「変換」である。
人間の「内臓系」(からだの内側に蔵されている“はらわた”の部分。これに対し「体壁系」は手足や脳、目や耳などの感覚器官など、からだの外側の壁を造っている部分)についての講演会で、解剖学者の三木成夫が挙げた事例が、そのことを端的に教えてくれる。内臓の感覚として、最初に挙げられたのは「膀胱感覚」で、三木自身の子どもの観察を交えた事例である。
少し長くなるけれど、この「観察された事例」、それはだれもが(自身として、あるいは子どもに対応する者として)体験し、その体験をいくぶんか記憶しているであろう事例を共有しておくことで、内臓系のシグナルを感受することの「複雑さ」を理解していただけるだろう。少なくともぼくの理解は、一気にすすんだ。
ちょうど、あのオシメが取れた頃のことです……。子どもが一人で遊んでいる。その遊んでいる時ーたとえば積み木をしたり、絵本を観たりしているその一連の動作のなかで、なにか異質な動きが、ふっと入る……。腰のあたりが……(笑声)。これを見た時ありゃいったいなんだ……(笑声)。
ところが、しばらくしたら隣の部屋から、母親の声が聞こえてくる……「オシッコでしょう?」という、まだのんびりした声です。子どもはしかし見向きもしない……。私はその時、あれがサインかと初めて知った(笑声)。
そこでなんとなく見てますと、それは、ある一定の間隔を置いてやってくる。明らかに異質な動きです。…ちょうど“陣痛”と同じで、だんだん間隔が狭まってくる(笑声)。そのうちに、今度は母親の声が少し大きくなって「早く行ってらっしゃい」とやるわけです。子どもは、いぜんとして見向きもしない。
…そうこうしているうちに…動きがかなり激しくなってくる(笑声)。…そのうちに、だんだんむずかるんですね……。ヤレおんぶしろとか、肩ぐるましろとか……。こりゃうるさいことになるゾと思って考えてますと、案の定、隣の声も「ハヤク行きなさイっ」ってグッと切迫度が加わってくる(笑声)。『内臓とこころ』(河出書房新社、2014年)
母親にしてみれば「それなりに切実な問題」であろうとしながら、子どもにとってみれば、これは「まったく関係ない」こと、つまり「トイレという感覚が浮かばない」のだと、三木成夫は冷静に観察をしている。
三木成夫はさらっと述べているけれど、「トイレという感覚が浮かばない」ということは、ここで語られていることの核心である。ぼくは、単純に、子どもは「遊び」などに夢中なのだと思っていたのだけれど、その見方は「トイレに行くこと」がほぼ無意識的に日常に組み込まれた者たちが投影している見方のようだ。
「トイレという感覚が浮かばない」子どもは、トイレに行こうとする気配を見せず、拒否を継続してゆく。じぶんの体験か、あるいは他者(子ども)の様子なのか、どこか既視感のわく状況描写である。
私は子どもを横で見てまして、いろんなことを教わりましたが、これだけは、ほんとうになるほどなあ……と思った。そこで、今度はいよいよ「それオシッコが出るョー」といって、膀胱の真上あたりをギュッと押さえてやる。そしたら、なるほどそれは感覚として、かなり強く響くのでしょうが、本人は、それが自分の内部から出たものだとは思わないから「イヤダ」といって手を払って、行こうとはしない。…
…しまいにうるさいから「……もっと向こうで遊んでおいで、お父さん、お仕事すんだら一緒に遊んであげる」。すると、いちおうは向こうへ行きかけるのですが、もうその頃は地だんだ踏んで、とうとう部屋をあっちこっち走り回る……(笑声)。こうなったら母親も真剣です「ハヤクシナサイッ!」さすがに迫力がある。「イヤ、イカナイ」。もうまるで真剣勝負です。…
…それで、最後のとどめは、もうギリギリの瞬間、あの天の啓示のように「オシッコー!」(笑声)、それはもう心の底から叫んで一目散に駆って行ったーその早かったこと……(笑声)。ともかくも皆さん、人間の内臓感覚とはいかなるものか、全部ここに尽くされている、と私は思います。…『内臓とこころ』(河出書房新社、2014年)
「人間の内臓感覚とはいかなるものか、全部ここに尽くされている」と、三木成夫は語っている。すべてが、ここに尽くされている、と。
ここに「すべてが…?」と思いながら、人は、実際には、身体の(ここでは内臓系の)シグナルを正確に受けて行動するということは、思っている以上にできていないのではないか、という考えが、ぼくのなかに浮かぶのである。
三木成夫の言い方を借りれば、「麻痺している」のである。
三木成夫は、少し極端な言い方で、講演会の徴収に問いかけている。じぶんの体のなかにタンパク質がどれだけ足りないのか、動物タンパクか植物タンパクか、さらには脂肪がどれだけ不足しているか、といったようなことを、「ほんとうに素直に感受できる人間」がいたら、挙手してください、と。
そんな人はおそらく一人もいないはずであり、なぜなら「麻痺している」のだから、と三木成夫は語る。そのことが、三木の結論のひとつである。つまり、内臓感覚のいちばん麻痺しているのが、ホモ・サピエンスであるということである。
なお、三木は講演がすすんだところで、このことを、現代の神経学の用語を借りて、「神経回路を、どこかで取り違える」のだと述べている。「なにしろ、私どもの脳のなかには、それこそ天文学的な数の回路が、乱麻のごとく張りめぐらされているのですから……。絶望的な混線が起きる」のだと。
そして、上述の例をふたたびとりあげながら、膀胱の不快な感覚がひとつの回線をつたって、大脳皮質にたどりつくまでに、これが引き金で、いろいろな雑音(親のヒステリー声やお尻ピンや諸々の「不快」)が割り込んできては「正規の回路」をふさぎ、混戦がきわまってゆくのだと、三木成夫はつづける。これは「ほんとうに深刻な問題」であるのだと。
「膀胱感覚」は内臓感覚のうちのあくまでもひとつであり、胃袋の感覚などへのひろがりを考えると、「内臓感覚のいちばん麻痺している、ホモ・サピエンス」にとって、ほんとうに深刻な問題である。
このような「麻痺」、つまり神経回路の「絶望的な混線」から生じている問題は、じぶんの日々の「よき生(well-being)」をはじめ、他者とのかかわりを含めて、多岐にわたっているのではないかと、ぼくは見ている。でも、それが、人間の生に「ドラマ」を投げ込むものでもあるのだと、ぼくは思う。
ここから「どこへ」行くのか、と問う人がいるかもしれない。まずは認識からだと、ぼくは思う。生命を知ること。ホモ・サピエンスを知ること。「じぶん」を知ること。完全に知ることは無理でも、可能な地平まで。
ところで、ここで取りあげた箇所は、著書『内臓とこころ』(河出書房新社、2014年)の「最初」の章に収められており、またその元となった講演会の「最初」に触れられた話でもある。「最初」から、こんな調子である。
それは、まるで、ビートルズ(The Beatles)の名盤『A Hard Day’s Night』が、最初の曲「A Hard Day’s Night」の、あの短く高らかに鳴り響くギター音で幕が開けられるように、はじまっている。最初から聴く者(読む者)の頭のなかに、「革新(あるいは、核心)」を打ちこむのだ。
年を重ねることで得るもの。- ビリー・ホリデイの歌声に、村上春樹が<聴きとる>もの。
村上春樹・和田誠による著書『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)を道案内としながら、Apple Musicで、村上春樹と和田誠がとりあげるJAZZアーティストたちひとりずつを訪れ、また村上春樹が選ぶ「この一枚」(元はLP)を探す。「この一枚」があるときは迷いなくその作品を、またなくてもアーティストの作品たちを、ぼくはじぶんの「ライブラリー」に収める。
村上春樹・和田誠による著書『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)を道案内としながら、Apple Musicで、村上春樹と和田誠がとりあげるJAZZアーティストたちひとりずつを訪れ、また村上春樹が選ぶ「この一枚」(元はLP)を探す。「この一枚」があるときは迷いなくその作品を、またなくてもアーティストの作品たちを、ぼくはじぶんの「ライブラリー」に収める。
ここ香港の空に夕闇がおとずれるころ、ライブラリーから、意識的に、あるいは無意識的にアーティストや作品や曲を選びとって、再生する。音楽の響きに、耳を、それから心身を傾け、また村上春樹のことばをゆっくりと追う。ときおり、和田誠の描くアーティストの肖像をながめる。それだけで、しあわせなひとときだ。
でも、しあわせな感覚は、高揚するような感覚(そのようなときもあるけれど)というよりは、ぼくの心の地層に静かにそそぐ雨がゆっくりとしみこんでゆくような、そのような感覚だったりする。
多少なりとも年を重ねてきたことで感じるものがある。
「ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)」(1915-1959)を、若い頃の村上春樹はよく聴いたのだという。でも、ビリー・ホリデイの素晴らしさを「ほんとうに知った」のは、もっと年をとってからであったと、村上春樹は書いている。
でも、ビリー・ホリデイの晩年の録音は、若い頃は熱心に聴かず、むしろ避けていたという。とりわけ1950年代に入ってからのビリー・ホリデイの録音は、「痛々しく、重苦しく、パセティックに」聴こえたからだ。それが、30代に入り、40代に進むにつれて、逆に、晩年のビリー・ホリデイを好んで聴くようになる。
「ビリー・ホリデイの晩年の、ある意味では崩れた歌唱の中」に聴きとることができるようになったもの、あるいはそれほどまでに村上春樹を惹きつけたものは何かと、自らずいぶん考えたのだと、村上春樹は記している。
ひょっとしてはそれは「赦し」のようなものではあるまいかー最近になってそう感じるようになった。ビリー・ホリデイの晩年の歌を聴いていると、僕が生きることをとおして、あるいは書くことをとおして、これまでにおかしてきた数多くの過ちや、これまでに傷つけてきた数多くの人々の心を、彼女がそっくりと静かに引き受けて、それをぜんぶひっくるめて赦してくれているような気が、僕にはするのだ。もういいから忘れなさいと。それは「癒し」ではない。僕は決して癒されたりはしない。なにものによっても、それは癒されるものではない。ただ赦されるだけだ。…
村上春樹・和田誠『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)
村上春樹のことばをゆっくりとおいながら、ぼくは、それこそ、ずいぶんと考えさせられてしまった。「癒し(いやし)」ではなく、「赦し(ゆるし)」ということを。
ところで、ビリーホリデイの優れたレコードとして、村上春樹が選ぶのは、コロンビア盤。さらに、その中の一曲として、村上春樹は迷うことなく、「君微笑めば」(When You’re Smiling (The Whole World Smiles With You))を選んでいる。
…彼女は歌う、
「あなたが微笑めば、世界そのものが微笑む」
When you are smiling, the whole world smiles with you.
そして世界は微笑む。信じてもらえないかもしれないけれど、ほんとうににっこりと微笑むのだ。村上春樹・和田誠『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)
アップテンポで、心が楽しくなるようでいて、深い哀愁がただよう響きのなかで、「When you are smiling, the whole world smiles with you.…」と、ビリー・ホリデイの深い歌声が見事なまでに歌い上げている。レスター・ヤングのソロの響きも、心の深いところを揺さぶる。とてもすてきで、心をうつ曲だ。
昔どこかで聴いた曲であるけれど、そのときぼくは聴き流していたようなところがあったと思う。あれから、ひとこと、ふたことでは話せないほどの時間がすぎてゆき、今こうして聴くと、年を重ねてきたことで聴きとるものがたしかにあるように、ぼくは感じる。
このことは、たとえば、文学の古典的作品を「読めるようになった」ことに関する、思想家・内田樹のことばを、ぼくに思い起こさせる。
…夏目漱石を少年期に読んだときと、中年になってから読んだときとでは、テクストの表情は一変する。私たちは同じテクストにまったく別の相貌があることを知る。そして、もし私たちが「大人」になったせいで漱石のテクストを読めるようになったのだとしたら、その成熟には、少年期に漱石を読んだ経験がすでに関与しているのである。
内田樹『他者と死者ーラカンによるレヴィナス』(文春文庫)
はたして、「音楽」という経験も同じなのだろうかと、ぼくは考えてしまう。
内田樹の書く文章を、「夏目漱石」を「ビリー・ホリデイ」に、「テクスト」を「曲」に、そして「少年期」を「青年期」に書き換えて、読んでみる。
「ビリー・ホリデイを青年期に聴いたときと、中年になってから聴いたときとでは、曲の表情は一変する。私たちは同じ曲にまったく別の相貌があることを知る。そして、もし私たちが「大人」になったせいでビリー・ホリデイの曲を聴くことができるようになったのだとしたら、その成熟には、青年期にビリー・ホリデイを聴いた経験がすでに関与しているのである。」
うん、これはこれで成り立つように、ぼくは思う。
でも、成熟に「青年期にビリー・ホリデイを聴いた経験がすでに関与している」のだとしたら、どのような風に「関与」しているのだろうか。曲の響き、メッセージあるいはステートメント、世界観などが、<聴く>という行為のなかで、じぶんに「関与」してくるのだろうか。……
なにはともあれ、ビリー・ホリデイの曲と歌声を、少しは正面から<聴く>ことができるようになったことは、たしかなようだ。
じぶんにとって「適切」な方法をみつけること。-「すべき」「あらねばならない」を「方法のひとつ」として捉える。
年末年始ともなると、いろいろな「…すべき」「…あらねばならない」「…したほうがよい」などの言説が、周りやメディアなどで語られ、伝えられる。
年末年始ともなると、いろいろな「…すべき」「…あらねばならない」「…したほうがよい」などの言説が、周りやメディアなどで語られ、伝えられる。
年末には掃除をしなければならない、年末には一年を振り返らなければならない、年始には先一年の抱負や計画を持たなければならない、最後が肝心(だから…すべき)あるいは最初が肝心(だから…すべき)、などなど。
もちろん、集団(家族や組織やコミュニティなど)で生きているなかでは、年末に掃除をしたり、一年を一緒に振り返ったり、あるいは計画を立てたりする。それは大事なことであったりする。このような所作は、ある種の「共同体の知恵」として機能してきたような部分があると、ぼくは思う。
けれども、個人ということにおいては、自由に、じぶんにとって「適切な」やりかた・ありかたに開かれてよいのだと思う。
これだって「…のほうがよい」という言い方だけれども、AとBのどちらかがよい、というのではなく、AもBもよい、という言い方である。選択を迫る言い方ではなく、選択をひろげる言い方である。
年末に掃除をしてもよいし、しなくてもよい。年末に一年を振り返ってもよいし、振り返らなくてもよい。年始に抱負や計画を立ててもよいし、立てなくてもよい。
これらの「言葉」だけをひろってみると、ここで問われているのは、「時間・タイミング」と「行動」である。
「時間・タイミング」ということでは、ぼくは「いつだっていい」と思う。「年末年始にする」ということは、「年末年始以外ではしない」ともなりかねない。
掃除であれば、「いつも」である。じぶんにあったタイミングで、掃除(整理整頓)をする。じぶんとの対話のなかで、あるいは実感のなかで、なにか行き詰まってしまっているようなとき、なにかうまくいかないとき、なにかやる気がおきないときなど、周りを整理整頓してみる。といった具合に。
「行動」ということでは、じぶんの「うごきかた」でいい。たとえば、計画を立てるのが合う人もいれば、逆にその場・その時に物事をきりひらいてゆくのが合う人もいる。このように「人によって」という見方もあるし、同じ人であっても、時期によって、計画を立てるのがいいときもあれば、物事をその場・その時できりひらくのがいいときもある。
大切なのは、「じぶんの方法」を、試行錯誤しながら、見つけてゆくことである。試行錯誤なしで、すぐに見つかるかもしれない。でも、方法は変わらなくても、じぶんが変わってゆくこともある。「じぶん」も、「方法」も変わってゆく。絶対的な方法なんてことも、ない。「じぶん」という存在とありかた、じぶんの内面と外面で起きていること(と双方の連関)、これらへのまなざしが肝要なのだ。
だから、「すべき」「あらねばならない」という言葉で語られることは、「方法のひとつ」のオプションとして捉える。それが「いい・わるい」という反射的反応、あるいは「じぶんもそうすべき」という盲目の順応やプレッシャーで捉えるのではなく、あくまでも、方法のひとつとして、距離をおいて捉える。
そのうえで、方法のひとつとして、試行錯誤してみる。「それはないでしょ」という方法のなかに、じぶんにとって「最適」な方法が眠っているかもしれない。ぼくも、ひきつづき(これからもずっと)、試行錯誤と楽しい「気づき」のプロセスのなかにいる。
勝手に立てていた「見切り」の看板をはずす。- 電子書籍の「脚注(footnote)」の操作性の体験から。
たとえば『古事記」のような作品を電子書籍で読むことを、ずいぶんと長いあいだ、じぶんの「オプション」から外していた。
たとえば『古事記」のような作品を電子書籍で読むことを、ずいぶんと長いあいだ、じぶんの「オプション」から外していた。
古典作品だから紙の書籍でじっくり読みたいと思っていたのではなく、「脚注」が読みにくいのではないかと思っていたからだ。
はじめて読むときは脚注のついている箇所を読み飛ばしてゆくというのもひとつの方法だけれども、やはりいろいろと知らないことがあるし、また脚注に大切なこと(核心的なこと)が書かれていることもあるから、脚注は、いつも見るわけでなくとも、いつでも見れるようにしておきたいと、ぼくは思っている。
なかには、脚注に飛ぶ必要のないようにつくられている本もある。たとえば岩波文庫版の『論語』は、それぞれの言行録ごとに、原文・読み下し・現代語訳・簡単な注が記載されていて、わざわざ本のうしろの脚注に飛ぶ必要はないように工夫がほどこされている。とはいえ、言行録のそれぞれが「短い文章」だからできる工夫でもあるので、すべての本をそうするわけにはいかない。
でも、『古事記』をきっちりと読みたくなって、岩波文庫版の『古事記』を電子書籍で購入したら、ずいぶん長いあいだ、オプションではないと思っていた「見切り」は、ぼくの勝手な「見切り」であったことがわかる。
本文を読んでいて、脚注に飛びたいときは脚注をクリックすると脚注に飛ぶ。そうして脚注をふたたびクリックすると、その脚注が付されている本文の場所に戻ってくるのだ。
紙の本で読んでいるときよりも、容易だ。紙の本で読んでいるときは、脚注のページにしおりなどをさして、脚注のたびにそのページを開いていたけれど、そのプロセスがクリックで済んでしまう。
これは便利で、脚注の多い本も電子書籍でまったく問題ないというか、電子書籍のほうがよい部分もあるなと思っていたら、ふと、脚注に飛ぶのではなく、脚注をクリックするとページ下かどこかに脚注が現れるとさらによいなあと感じる。
そう感じながら、「あれ、アマゾンの電子書籍はどうだったかな」と思い、たしか脚注の多かったEdward Saidの著作『Orientalism』を開いて、脚注をたしかめる。そうしたら、なんと、脚注(Footnote)の番号をクリックすると、脚注がそのページの下に、くりだすようにして現れるのであった。さらに、そこから、巻末の脚注に飛ぶこともできる。
だいぶ前から、このような機能に変わっていたのだろうけれど、ぼくの理解と利用は、この「だいぶ前」で止まってしまっていたのだ。
電子書籍の「脚注」にかぎらず、ぼくたちは、生きているなかで、ものごとを、なんらかのタイミングで「見切る」ということをしてしまうことがある。これはこんなものかと見切って、そこに「見切り」の看板をじぶんで立ててしまう。
でも、あたりまえのことだけれど、人や社会は、時間とともに変わってゆく。「見切り」の看板を勝手に立てて、その後、その看板の背後の景色も内実もずいぶんと変わったのにもかかわらず、そこに立ち入ろうとしないのは、じぶんの思い込みのせいだったりする。
とりわけ、情報技術関連においては、「これはだめだな」という機能なりが、月や年が変わったら、だめではなくなったりする。
だから、ぼくたちが生きているあいだには「見切る」こともあるし、それが個人の生において大切なことであることもあるけれど、ひとまず「暫定的見切り」くらいにして、オープンな姿勢を保持しておきたい。
3D的な視線を超えて、4D、つまり3Dに時間軸を加える視線を身に付けたい。
「人はなぜ塔をたてるのか」(辺見庸)。- 塔・タワーやピラミッドや巨大な遺跡の「表現」。
人はなぜ塔をたてるのか。辺見庸が2008年から2011年に書いた連載をひとつの本にした著書『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)のなかに収められている短い文章のタイトル(「人はなぜ塔をたてるのか その身、低くあれ」)だ。
人はなぜ塔をたてるのか。
辺見庸が2008年から2011年に書いた連載をひとつの本にした著書『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)のなかに収められている短い文章のタイトル(「人はなぜ塔をたてるのか その身、低くあれ」)だ。
もちろん、文章のタイトルでなくとも、だれもが問うことのできる、あるいはだれもが問うかもしれない問いだ。
実際に、この文章のなかでは、いくつかの病を経て身体を不自由にしつつある辺見庸にマッサージをほどこす中年のマッサージ師が、施術の途中に、この問いを辺見庸に問いかけるともなく、発した問いである。
マッサージ師の彼の話題は、いつもだしぬけだという。
「人ってどうしてばかたかい塔をたてがるんでしょうかね……」…「たかい塔を見ると、人はみんなのぼりたがるんですよね。わたしもそう。なんでですかね……」
辺見庸『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)
彼の「問い」と彼がのぼった塔の名前(エッフェル塔、東京タワー、台北101、ドバイの塔など)を耳にしながら、辺見庸は返事をせず、しかし、これまでにのぼった塔の数を、じぶんでもかぞえてみる。
読みながら、ぼくもこれまでにのぼった塔を思いだしてみる。東京タワー、マカオのタワー、それからクアラルンプールのツイン・タワー……。そう思いだしながら、ぼくはあまりのぼっていないことに気づく。
ここ香港の「Sky100」も行ったことはない。台北101はその下まで行って、結局上に上がらなかった。と思いながら、香港の高層ビルは、どこも、まるで「塔」のようだとも思う。「塔」にのぼらなくても、そうとは明確に意識しないまでも、ぼくは、いつも「塔」にのぼっているのかもしれないと思ったりもする。
辺見庸のマッサージをつづける彼は、言葉をつづける。「人って見上げたり見おろしたりが好きなんですかね……」と。そして、「低くちゃあどうしていけないんですかね」というつぶやきを、辺見庸はなぜか<低くあれ>と、じぶんの耳では聞いたように感じる。さらに、「人はなぜ塔をたてるのか」というタイトルを見た時にぼくがどこかで想像していたように、辺見庸も「バベルの塔」を思い浮かべる。
「人はなぜ塔をたてるのか」の「なぜ」には直接的に応答することなく、施術も、それから、この短い文章も閉じられる。辺見庸がなぜか聞いた<低くあれ>のこたえをのこして。
「人はなぜ塔をたてるのか」という問いから、<低くあれ>のこたえのあいだは大きな断絶のように見えるけれども、バベルの塔の寓意の深さとも共振する、辺見庸の思念と思想と想像が、問いと(一見すると飛躍した)こたえを架橋している。
ところで「塔」ではないけれども、真木悠介はマヤ族の残した「ピラミッド」にのぼり、どこまでもひろがる樹海と、樹海から突出する他のピラミッドを目にしながら、「ピラミッド」について、つぎのように記している。
…視界のつづくかぎり、ほぼ同じ高さの緑のジャングルの地をおおう中を、ピラミッドだけが突出している。それが人間に視界を与える。ピラミッドとはある種の疎外の表現ではなかったかという想念が頭をかすめる。幸福な部族はピラミッドなど作らなかったのではないか。テキーラの作られないときにマゲイの花は咲くように、巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれないと思う。
ピラミッドでなく、容赦のない文明の土砂のかなたに埋もれた感性や理性の次元を、発掘することができるだろうか。真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)
ピラミッドを、ある種の「達成」のように見るのではなく、反対に「疎外の表現」であったのではないかと、真木悠介の想念がとらえる。
辺見庸の上記の文章がぼくをとらえたのは、ぼくの心のなかに、真木悠介の、この「想念」が刻まれていたからだ。
辺見庸の<低くあれ>のこたえと、真木悠介の<巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれない>という想念は、文体も色調もまったく異なるけれど、二つの視線は重なるものだ。
真木悠介の想念はあくまでも想念であり、それが「正しい」という確証はどこにも示されていない。けれども、この箇所を読みながら、そしていろいろな遺跡をこれまで見てきたぼくの記憶をほりおこしながら、ぼくも同じように感じはじめるのであった。
ピラミッドや塔、また巨大な遺跡はある種の疎外の表現ではなかったか。幸福な部族はピラミッドのようなものは作らなかったのではないか。巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれない、と。
「あたりまえのことというのが曲者なんだよ」(コペル君の叔父さん)。- 縮減された感性をとりもどす。
『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)の主人公コペル君(本田潤一)の精神的成長を支えた叔父さん(お母さんの弟)は、コペル君と彼の友人たち(水谷君と北見君)に、つぎのように語りかける。
『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)の主人公コペル君(本田潤一)の精神的成長を支えた叔父さん(お母さんの弟)は、コペル君と彼の友人たち(水谷君と北見君)に、つぎのように語りかける。
だからねえ、コペル君、あたりまえのことというのが曲者(くせもの)なんだよ。わかり切ったことのように考え、それで通っていることを、どこまでも追っかけて考えてゆくと、もうわかり切ったことだなんて、言っていられないようなことにぶつかるんだね。こいつは、物理学に限ったことじゃあないけど……
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982年)
「物理学」が出てくるのは、ちょうど「ニュートン」の話の文脈のなかで、叔父さんが語っているからである。ニュートンが、林檎が落ちるのを見て万有引力を思いついたのは「どうしてか」という、実のところ深い問いをめぐる会話である。
「林檎が落ちるのを見て万有引力を思いついた」ということは誰もが知るところでありながら、林檎が落ちることが、どうやって、「思いつき」に展開していったのかは、あまり考えられていないところだ。「林檎が落ちる」というあたりまえのことを、あたりまえで終わらせず、「どこまでも追っかけて考えてゆく」ことを通して大きなアイデアにぶつかったんだと、叔父さんはニュートンのことを語りながら、上のようなことばを、コペル君たちに伝えている。
「あたりまえのこと」を、「あたりまえでないもの」として視る視線。演劇の分野では、かつて、ブレヒトが「異化効果」と呼んだ方法。見田宗介が比較社会学の方法の核心としてとりだす「自明性の罠からの解放」。などなど。
それにしても、「あたりまえのこと」は、叔父さんが語るように、確かに「曲者(くせもの)」である。
時代につくられる「土俵」のうえでは「あたりまえのこと」は所与のものとしてあり、その「土俵」(ゲーム盤)で繰り広げられる「ゲーム」に、ぼくたちは投げ込まれている。
ぼくたちは、その「ゲーム」の仕方に集中する。たとえば、「情報」をどれだけ効率よく「処理」するのか(学校の試験で効率よく間違いなく「正解」を導き出す)、というように。
まれに「あたりまえのこと」を問うことをしようとすると、たとえば、「意味のないこと・無駄なこと」とか、「(将来やお金をかせぐことには)役に立たないこと」という注意書きの書かれた「看板」を、目の前につきつけられる。
「あたりまえのこと」をそれ以上問わず、あらかじめつくられた「土俵」のうえで生きてくるなかで、あたりまえを問う感性を縮減し、土俵のうえでのゲームに満足しない者たちは、いつしかこの世界のいろいろな色合いを捨てながら「なにもかもつまらない」という地点にたどりついたりする。
このようにして、人は、「あたりまえのこと」を問うことをしなくなってゆく。
「Mister Rogers’ Neighborhood」というアメリカ教育番組のホストであった故Fred Rogers(フレッド・ロジャース)は、現代社会が(狭義での)「information(情報)」ばかりに気をとられ、「wonder(おどろき」、つまりなんでもないことを不思議に思う感性を失ってしまっているのだと、警鐘を鳴らした。
「だからねえ、あたりまえのことというのが曲者(くせもの)なんだよ」と語る、コペル君の叔父さんの声が聞こえてくる。
叔父さんは、つづける。「わかり切ったことのように考え、それで通っていることを、どこまでも追っかけて考えてゆくと、もうわかり切ったことだなんて、言っていられないようなことにぶつかるんだね」、と。
「もうわかり切ったことだなんて、言っていられないようなこと」の地点は、ぼくたちの「成功」を保証するものではない。ニュートンのように(ニュートンほどまでとはいかなくても)「大きなアイデア」にぶつかれば、激動の現代社会のなかで、なんらかの「成功」を手にいれることができるかもしれない。
けれども、「わかり切ったことのように考え、それで通っていることを、どこまでも追っかけて考えてゆく」感性には、この「世界」が異なった仕方で開示される。そこから、はてしない「想像と思考」が生成し、あたりまえのこと・なんでもないことのなかに、不思議と楽しさと奇蹟を見出す。
香港で、「香港のもの」と「香港ではないもの」を求めて。- 「ここというところへ」と「ここではないどこかへ」。
香港にいるのだから「香港のもの」を楽しみたい。どこにいても見たり聞いたりできるものではなく、香港だからこそ、見ることができるもの。
香港にいるのだから「香港のもの」を楽しみたい。どこにいても見たり聞いたりできるものではなく、香港だからこそ、見ることができるもの。
香港の繁華街、Causeway Bay(銅鑼灣)にあるTimes Square(時代廣場)で開催されている2018年クリスマス企画「Exquisite Christmas at Times Square(時代廣場 微妙聖誕)」では、1980年代におけるクリスマスシーズンの香港の風景が、ミニチュアで再現されている。香港で「消えゆく記憶」を、香港の二人のミニチュア・アーティスト(Tony Lai氏とMaggie Chan氏)が、ミニチュア作品というメディアにのせる。
展示されている6つの作品は、とても精巧にできていて、とても親密だ。そんなことを、ブログ「香港で、香港の風景の「ミニチュア作品」を見ながら。-「1980年代+クリスマス+香港」の世界へ。」に書いた。
<クリスマス+香港>の組み合わせに「香港」をより親密に見ることができる。クリスマスという「時間」を先にしてそのように書いたけれど、それは、むしろ、<香港+クリスマス>と言ったほうが正確である。「香港」という空間のなかに、クリスマスシーズンという時間の風景が加味されている。
いずれにしろ、「香港の風景」を前面に出しながら、ぼくは「香港のもの」を楽しむことができる。
けれども、「香港のもの」を楽しみたいという欲求とともに、「香港ではないもの」を楽しみたいという欲求も、ぼくのなかにはある。せっかく香港にいるのだから「香港のもの」を楽しむ、ということとともに、香港にいるけれど、あるいは香港にいるからこそ、「香港ではないもの」へと気持ちが向かう。
香港は「国際都市」と言われてきたように、そこには世界のものが何でもある。「日本のもの」もあらゆるところにある。そのような環境のなかで、香港式の食事を提供するレストランは、たとえば、「香港の」という形容詞を、店舗名やメニューに入れなければならなかったりする(※なお、「香港式」とはなんぞや、という議論が別途ではいろいろありうるのだけれど)。
このことは別に香港だけに限ることではなく、東京にいても、そこは世界のいろいろなものであふれている。
そのような場所で、「ここというところへ」向かう欲求と「ここではないどこかへ」向かう欲求が、ともに、じぶんのなかに存在することになる。東京にいたときは「ここではないどこかへ」という欲求がぼくのなかで強かったのだけれど、そののちに住むことになった、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、そして香港と、どこにいても、これら二つの方向に向かう欲求が、ぼくのなかで共存してきたのだということができる。
それはやはり「人間の根源的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根をもつことの欲求だ」(真木悠介)ということだろうかと、これら二つの欲求を感じるとき、ぼくはじぶんの感覚を確かめるのであった。
また、こんな見方もある。
社会学者の見田宗介(見田宗介)がとりあげている、ドイツの劇作家・詩人・演出家であったベルトルト・ブレヒトの反民話(あるいはメタ・メルヘン)はつぎのように語る。
<むかしはるかなメルヘンの国にひとりの王子様がいました。王子様はいつも花咲く野原に寝ころんで、輝く露台のあるまっ白なお城を夢見ていました。やがて王子様は王位について白いお城に住むようになり、こんどは花咲く野原を夢見るようになりました>
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)※その後『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)に所収
「幻想の相互投射性」。そう、見田宗介は読みとる。「白いお城」か「花咲く野原」の、いずれかが魅力的なのではなく、いずれもが魅力的であり、人に幻想を抱かせるほどにメルヘン的である。「<白いお城>と<花咲く野原>の、相対性原理」(見田宗介)。世界の「あり方」のことである。
あるところに住みながら、ぼくたちは「ここではないどこか」を夢見る。でも、やがて、そこへ住むことになり、今度は「あるところ」を夢見る。
生まれ故郷の浜松を離れ、東京・埼玉、ニュージーランド、シエラレオネ(西アフリカ)、東ティモール、香港に住んできた過程で、ぼくは「根をもつことと翼をもつこと」の根源的な欲求を感じ、そして、「<白いお城>と<花咲く野原>の、相対性原理」を実感する。