本で学ぶことと経験から学ぶこと。- 本だけではないし、経験だけでもない。
ぼくが本をみずから手にとって読むようになったのは、20歳頃のことである。
ぼくが本をみずから手にとって読むようになったのは、20歳頃のことである。
ニュージーランド、とくにオークランドに住んでいたときが、「転機」のひとつであったと、そのときのことを思い起こす。
そのときの記憶のいくつかは、例えば、ニュージーランドに住んでいるとき、日本食レストランでのアルバイトが休みの日に、オークランドの図書館に行って本を手にとってみたこと。
あるいは、オークランドの古本屋で、歴史家エドワード・カーの『The Twenty Year’s Crisis』を購入し、また(確か)シドニー・シェルダンの作品を手に取ったのもこの同じ古本屋であったと思う。
これまで住んでいた日本の環境を離れてみて、空いた時間の「空隙」に、本がそっとあらわれてきたようだ。
手に取ったのが「英語」の作品群であったことも、ぼくが本を好きになったことを後押ししたのだと思う。
英語をきっちりと学びたかったことと共に、英語の本の世界を通じて、ぼくは<いつもとは違う場所>に思考と想像をはばたかせることができたのかもしれない。
本を読むようになる前には、本など読まなくても、日々の経験が大切でまたその経験を通してかんがえていくんだというスタンスであった。
今思えば、勝手な言い分だし、未熟な考え方であったように思う。
今は、それらのどちらかではなく、どちらもが大切であると思う。
経験だけではなかなかじぶんの「殻」を出るのがむずかしいし、また経験を通してかんがえることはもちろん大切だけれども、それをまるで「じぶんだけの発見」のように語るのも、ひどく狭い視野である。
これまでに、そして今も、同じことを思考し、それらをさらに先に進めようとしている人たちが存在している。
20代前半にあまり(ほとんど)理解できなかったミシェル・フーコーの(素敵な装丁の)著書『言葉と物』において、近代の「人間」を定義したのはカントであると、フーコーは書いている。
そのことが、吉川浩満『理不尽な進化』(朝日出版社、2014年)のなかで簡潔にまとめられている。
カントこそ近代の「人間」を定義してみせた人物だと、二十世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコーはいう。フーコーはカントによって定義された人間を「経験的=先験的二重体」と名づけた…。経験的とは文字どおり経験によって、つまり感官を通して知ることができるものをいう。そして先験的とは、論理や数字のように、あらゆる経験から独立に物事を認識する能力である。つまり経験的=先験的二重体である人間とは、世界に存在するモノの一部であると同時に、モノをモノとして認識して世界に位置づけることができる知性的存在ということだ。…近代科学の発展は、このような経験的=先験的二重体によって可能になったといえる。
吉川浩満『理不尽な進化』朝日出版社、2014年
ぼくが漠然と(先験的に)かんがえていたことは、すでにその深度をもって、いろいろな知性たちによって追求され、語られている。
本は、そのようなことを教えてくれる。
そして、それは「何かのため」という効用の次元だけでなく、それ自体で「楽しい」ものである。
こんなことを書きながら、20年ぶりに、ミシェル・フーコー『言葉と物』を読みたくなる。
読んでもまったくわからないものが(少しは)わかるようになる。- 内田樹を経由するレヴィナスの哲学。
2000年前後の頃、中国語を専攻する大学生であったぼくは、ようやく本を読むようになって、その「世界」に次第にひきこまれ、哲学書にまで手をひろげていった。
2000年前後の頃、中国語を専攻する大学生であったぼくは、ようやく本を読むようになって、その「世界」に次第にひきこまれ、哲学書にまで手をひろげていった。
経済発展の著しい中国を見据えて中国語を学び、また「国際関係論」という領域にも踏み込みながら、実務・実践とは離れたところに、ぼくの興味関心はどうしてもひかれてゆくのであった。
だからといって、思想や哲学にどっぷりとつかったわけでもなく、デリダやレヴィナスなどに触れようと試みては、さまざまに書かれている入門書の段階でつまずいていた。
簡易に書かれているはずの入門書を読んでもまったくわからず、入門の門さえもくぐれないような状況であった。
だから、思想や哲学などのぜんたいには惹かれながら、個別にはなかなか入っていけなかった。
そんな折、ぼくはぼくにとっての「師」、見田宗介=真木悠介先生の著作群に出会ったことから、ぼくにとっての学びの風景が一変してゆくことになった。
その後も、見田宗介=真木悠介先生の著作群を導きの糸としながら、そこで言及される思想家や哲学者などに触れてきたのだが、彼ら・彼女たちの文章は、見田宗介=真木悠介を経由する仕方で、ぼくは理解していったのであった。
そのような状況が変化してゆくのを、ここのところ、内田樹『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫、2011年)を読みながら感じることになる。
内田樹の読解を通じてではあるけれども、あの、入門書でさえまったく理解できなかったレヴィナスの哲学を、ぼくなりに理解できるようになったことである。
「ぼくなり」というのは、「今のぼく」が読解できる深度において、という意味である。
リトアニア生まれで、ホロコーストを生き残ったフランス国籍のユダヤ人哲学者であるエマニュエル・レヴィナス。
20年近く前読もうとしたレヴィナスは、ぼくの未熟な経験と浅い読解力からは、はるかに遠くにあるような存在であった。
内田樹という思想家・武道家の「導き」によって、ぼくはそのはるか先に存在した稜線に少しは近づいたようだ。
「導き」によっているとしても、その「導き」でさえ、以前のぼくであればまったくわからなかっただろうと思う。
それでは、このおよそ20年に、ぼくは何を「通過」してきたのだろうか。
理由としては、大きくはつぎのように分けられるものと思う。
- 経験
- 読解力
二つ目の「読解力」は、さらには、論理と語彙のそれぞれの力に分けられる。
実際に生きるという経験のなかで生き方の幅をひろげながら切実な問題をふくらませ、またさまざまな本にふれるという経験のなかで、いろいろな視点にふれ、読み方を学び、語彙を知る。
未熟な経験とうまくいかない状況の経験の重なりのなかで、生きる経験の地層が厚くなってゆく。
今でも未熟さをいっぱいにもちながら、それでも(それだからこそ)、生きる経験の地層ができてゆく。
レヴィナスが読めなかったじぶんと、ようやくその入門の門にさしかかることのできるじぶんとの「あいだ」には、そのような歩みがあったのだろうと、ぼくは考えてみる。
そんなことを考えていたら、この本の「文庫版あとがき」で、内田樹がおもしろいことを書いているのを見つける。
レヴィナスを読む市井の、ふつうの人たちは、レヴィナス翻訳者の内田樹に対して、みんなが、「何が書いてあるのかよくわからないんだけれど、これは私が読まなくちゃいけないものだということは切実にわかった」のだと言ったのだという。
これに対して、内田樹は自身の経験に接続させながら、つぎのように書いている。
でも、そういうことってあると僕は思うんです。僕自身がそうでしたから。
先生の本をはじめて読んだとき、今から30年も前のことですけれど、僕には何が書いてあるかぜんぜん理解できなかった。けれども、「ここには私が早急に理解すべき人間的叡智が書き込まれている。人として理解しなければならないことが書き込まれている。これが理解できないうちは、私はちゃんとした人間にはなれない。」
そう直感的に思ったんです。
内田樹『レヴィナスと愛の現象学』文春文庫、2011年
「ちゃんとした人間」がどのような人間なのかは今でもよくわからないとしながら、他の西洋の思想家、たとえばマルクスやフロイトやニーチェなどを読んだときには、そこまで思ったことはなかったと、内田樹はつづけて書いている。
そして、読み始めてから30年のあいだに、多少なりとも人間的な「成熟」があったのだろうとしながら、その成熟もまた、レヴィナス先生のおかげであったと書いている。
レヴィナスの哲学を学ぶ道筋は、学ぶものが「未熟さ」を知るところから始まることに、他の哲学とは異なる特徴があるのだという。
本文を読んだあとに、このような「あとがき」を読みながら、ぼくはまたうなされてしまったわけである。
そして、このような内田樹に導かれることで、レヴィナスの入門の門に触れることができたのかもしれないと、やはり思ってしまうのである。
それにしても、20年ほど前にレヴィナスにはじめてふれたとき、なぜだか、ぼくも「ここに大切なことが書き込まれている」ように思ったことだけは、今でも覚えている。
書かれていることは、さっぱりわからなかったのだけれども。
香港で、本と知の「力学の地図」をかんがえる。- 香港の書店の店頭の風景のなかで。
香港の書店にときおり訪れて、「最近の動向」を追う。
香港の書店にときおり訪れて、「最近の動向」を追う。
どんな本が読まれて、どんな本が関心を集めているのか。
日本の書籍の「中国語訳」は、ここ香港の書店でも、あらゆるジャンルのものが並んでいる。
大きな書店ではなく、小さな書店でも、日本の書籍の中国語訳を結構見ることができる。
また、ここ1、2年のことだろうか、日本の書籍の「英語訳」も、心なしか増えたように感じる。
正確に調査をしたわけではないけれども、香港の書店の店頭に、日本の書籍の英語訳を見つけることができる。
これまで、店頭で目にする日本の書籍の英語訳と言えば、古典的な文学作品や村上春樹の作品であったのだけれども、そのジャンルの幅を少しづつ広げているようだ。
近藤麻理恵の片付けの著作はもちろんのこと、「片付け」や「ミニマリズム・ミニマリスト」系の他の著作も並ぶ。
また、岸見一郎・古賀史健の『嫌われる勇気』の英語版(『Courage to be Disliked』)なども目にすることができるのだ。
英語などの著作の日本語訳はつぎからつぎへと出版されているなかで、その逆(日本語の書籍の英語訳)を見たときに、その少なさということがある。
本と知の「力学の地図」のようなものを描くとしたら、そこにはアンバランスがある。
ちょうど読み終えた、加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)のような作品が英語に訳されて、日本の外でも読まれるといいなと思ったりする。
けれども、このような著作が英語になるのは、まだいくつものハードルを飛び越えていかないといけなさそうだ。
出版社としては「売れる・売れない」の軸があるし、英語訳(のコストと労力)の問題もある。
さらに視野をひろげると、例えば、アジアの著作の日本語訳が多いというわけではなく、そこにもアンバランスがある。
ぼくもアジア圏の著作群を読むことができているかというと、あまり読めていない。
本と知の「力学の地図」が、ある意味で、ゆがんでいる。
飛躍するようだけれども、この「ゆがみ」と、この世界で起きていることの、さまざまな<ゆがみ>は、いろいろな回路を通じてつながっているように、ぼくは思う。
それらは、ぼくのなかの<ゆがみ>でもある。
香港の書店の店頭の風景のなかで、ぼくはそんなことを感じ、かんがえる。
「半分」までで読めなくなってしまっていた本を読みすすめて。- 加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』。
「本の読み方」は自由であってよいと思う。
「本の読み方」は自由であってよいと思う。
昔からそう思っていたわけではない。
「本は最初から読み始め、最後まできっちりと読まなければいけない」という考えが、いつ、どのように、誰の影響のもとで獲得してきたものか、ぼくにはまったく見当がつかない。
そもそもが、学校の夏の課題図書を除いて、本を読むことをしなかったから、「本の読み方」の教えの起源などわからない。
20歳頃から本を読み始め、そこから一気に本の世界に魅了され、それが過剰になった30代の半ば頃だっただろうか、ぼくは「本の読み方」の自由を手に入れた。
本をぜんぶ読む必要はないし、どこから読んでもどこで読み終わってもよい、そんな自由だ。
何年も前に手にした本を今になってひらくこともある。
そのようなぼくの蔵書の中に、「半分」まで読んで、そこから進まなくなってしまった本もある。
ぼくのワイフワークのひとつともいえるトピックに正面から向かってくれている、加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)。
社会学者である見田宗介の名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)で提起されていることを軸としながら、「震災後」の日本で、<有限な生と世界を肯定する力を持つような思想>を追求している。
けっして、さっと読める本ではないけれども、今を生き、<未来>を構想し、よりよい世界をひらいてゆく精神たちにとって、どこまでも、とことんつきあってくれる思考の連続である。
そんな本の前半を読んだあと、なぜか後半の半分が読めずにいたのだ。
幾度も幾度も読もうとして、数頁や数節を読むのだが、そこで止まってしまう。
つぎに読もうとするとき、思考のロジックを丁寧に追うために、前読んだところから再度読み始めるのだけれども、やはり止まってしまう。
そんなことを繰り返したのち、数日前、ぼくはその「閉ざされた門」をくぐりぬけることができた。
本はいつでも開かれているから「閉ざされた門」というより、ぼく自身が「閉ざしていた門」である。
なぜくぐりぬけることができたのか、ぼくはわからない。
ただ言えることは、後半部分は、この数年来、ちょうどぼくが(意識的にまた無意識的に)かんがえつづけていたトピックを正面から論じていることである。
論がすすむにつれて、やがてそれは、ぼくがこの20年ほどかんがえつづけてきた概念である「自由」ということへとつながってゆくという偶然性つきであった。
提示されている<コンティンジェントな自由>というコンセプトは、ぼくが言葉にすることのできなかったことを、言葉にしてくれている。
作家の高橋源一郎による書評は、この本の帯に、つぎのように綴られている。
「することができる」から、
「することも、しないこともできる」へ。
*
最後に著者がたどり着いた結論は、みなさんが自分で確かめてほしい。それは、脆く、弱く、繊細だが、それこそが、「有限性」の時代の「信憑」の徴なのである。
高橋源一郎氏評(「波」)
「最後に著者がたどり着いた結論は、みなさんが自分で確かめてほしい」という望みの意味合いと意図を、ぼくはようやく「たどり着いた」ところで、しずかな感動を感じながら理解する。
読書に疲れたとき、ぼくは読書する。- たとえば、村上春樹『村上さんのところ』であったり。
読書に疲れたとき、ぼくは読書をする。
読書に疲れたとき、ぼくは読書をする。
と書いてみて、こんなフレーズも悪くないと思いながら、これでは何を言っているのかわからないじゃないか、と思う。
たとえば、資本主義にかんする本を読んでいて疲れたら、ここ香港でも人気の村上春樹の『村上さんのところ』(新潮社)をひらく。
『村上さんのところ』は、何年かに一度期間限定で行われる、村上春樹と読者との「公開されたメールのやりとり」の「2015年」開催の記録である。
質問メールは、17日間のうちに「3万7456通」が寄せられ、それらすべてを読んだ村上春樹が「3716通」を選び、返事のメールを書く。
『村上さんのところ【コンプリート版】』(電子書籍)には、その「3716通のすべて」(400字詰め原稿用紙で約6000枚)が収録されている。
「まるで降っても降っても降り止まぬ大雪の中、一人でシャベルを持って雪かきしているみたいな感じで、最後のほうはかなりふらふら」であったというほどの「大作」であり、それだけを聞くと、読む側も疲れそうである。
けれども、一通一通のメールはさらっと読めるし、村上春樹による返事のメールは、どんな質問にも軽快に、ユーモアをふくめながら書かれていて、「質問への応答の仕方」を学ぶことだって、その気になれば、楽しみながらできる。
なによりも、あの、村上春樹の「リズム」は健在で、その場で即興で曲のちょっとしたフレーズを作って、リズムをつけて演奏するような「返信」だ。
そんなわけで、たとえば資本主義の本に疲れたら、ぼくはこの「リズム」にひたりながら、『村上さんのところ』を読む。
気がつけば、『村上さんのところ』の「3716通のすべて」は、はるか先である。
ときおり本をひらいて読むのだけれど、いっこうに、すすんでいかない。
読了を意識してしまうと、「まるで降っても降っても降り止まぬ大雪の中、一人でシャベルを持って雪かきしているみたいな感じ」になってしまうから、読み方は、読了を目指さないことである。
それにしても、いろいろな質問が投げかけられる。
こんなことを(こんなことまで)村上さんに聞くことの意味を、ついかんがえてしまったりするほどだ。
この期間限定のサイトを見ながら、ある人は、村上春樹のことが大好きな人がたくさんいることを感じ、「春樹さんはこのように言われて、『本当の俺のことも知らないくせに、よく言うぜ、けっ。』て思うことがありますか?」と質問を投げかけられる。
村上春樹は、この問いに、つぎのように応えている。
本当の自分とは何か?って、よくわからないですよね。人間というのは場合場合によって、ごく自然に自分の役割を果たしているわけで、じゃあタマネギの皮むきみたいにどんどん役割を剥いでいって、そのあとに何が残るかというと、自分でもよくわかりません。だから「本当の俺のことも知らないくせに、よく言うぜ、けっ。」みたいなことは、まったく思いません。せつせつと自分の役割を果たしているだけです。たぶん本当の僕というのは、いろんな役割の集合としてあるのだろうという気はします。…
村上春樹『村上さんのところ【コンプリート版】』新潮社
「本当の自分とは何か?」について、これだけ簡潔に、これだけ軽快に、でも本質の一面をつく仕方で書くのは、けっこう(というか、かなり)むずかしいものだ。
こんな「メールのやりとり」に、つい、立ち止まってしまって、『村上さんのところ【コンプリート版】』の世界でふりつづく大雪のなかで、ぼくの雪かきはまだまだつづく。
こんなふうにして、読書に疲れたとき、ぼくは読書をする。
追伸:
実のところ、香港の建築現場に組まれた竹の足場が、なぜか、ぼくに『村上さんのところ【コンプリート版】』
を連想させたのであったことを、ここにメモ。
だから、竹の足場の「芸術」の写真を、ともに、ここにアップロードしておきたいと思うところです。
榎本英剛著『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』。- <問いを生きる>こと。
日本でのコーチングの第一人者である榎本英剛氏の著作『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』(春秋社、2017年)を読む。
日本でのコーチングの第一人者である榎本英剛氏の著作『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』(春秋社、2017年)を読む。
本書は、表紙カバーの袖に書かれるように「コーチングの第一人者が伝える、よりよく生きるための指針」である。
著者の「生きるという経験」からしぼりだされてきた/浮かび上がってきた<8つのメッセージ>を骨格として、著者自身の「小説より奇なり」の半生の物語を協奏させながら、書かれている。
下記は「目次」であるけれど、それぞれの「章」が、<8つのメッセージ>のひとつひとつにあてられている。
【目次】
はじめに
第一章 理由なく自分の中から湧いてくる「内なる声」は天からの贈りもの
第二章 シンクロニシティはその人が進むべき道を指し示す道しるべ
第三章 流れに乗ると、思いがけない形で人生の扉が開かれる
第四章 人生で起こることには、すべて意味がある
第五章 正しい答えを求めるより、正しい問いを持つことが人生を豊かにする
第六章 人は誰しも、何らかの目的を持って生まれてくる
第七章 理由があるから行動するのではなく、行動するから理由がわかる
第八章 これまでやってきたことは、すべてこれからやることの準備である
おわりに
それぞれの「章」は、上述の<キーメッセージ>が冒頭に付され、「エピソード」と「キーメッセージの解説」から構成されている。
本の表紙に描かれた「円」、8つの方向性(指針)を包摂する円は、ぼくに「曼荼羅(マンダラ)」を思い起こさせる。
ちょうど、心理学者カール・ユングについて読んでいて、カール・ユングが、自身の精神的な危機を乗り越えようとするときに(歴史上の東洋の曼荼羅の存在を知らないままに)描いた「曼荼羅」を見ていたから、そのイメージと重なったのであった。
とはいえ、それはぼくの勝手なイメージである。
「あとがき」で記されているように、<8つのキーメッセージ>は「一つのシステム」であることが、「円」が示すイメージとつながっている。
「一つのシステム」におけるそれぞれの要素が相互に交響し、補強し、展開させることをとおして、円の中心に「本当の自分」を現出させる。
そして、「本当の自分」は、円がどの方向にも開かれているように、どこまでも外部にもひらかれてあるのだ。
「円環」ということでは、時系列的に並べられている<8つのメッセージ>とその背後にあるエピソードは、生きるということの、なんどもなんども繰り返す「行路」のようでもある。
じぶんの「内なる声」にひかれながら、「シンクロニシティ、流れ、人生で起こること」と書かれるような事象に出会い、「問い、目的、行動と理由」などの<じぶんの内面>に往還し、そうして、「これまでやってきたことは、すべてこれからやることの準備である」と書かれるように、生きることの行路にふたたびやってくる。
メッセージを実践するにあたっては「順番」はないと書かれているけれども、そのような「円環」のイメージをぼくは思う。
それは一回限りの円環ではなく、ぼくたちの人生のなかで、いくどもいくども円環する、そのような道ゆきである。
ところで、ぼく自身にひきつけて読むときに面白かったのは、コーチングという仕事から入った榎本英剛の人生は、「個人」と向き合うことから、やがて「組織」、「地域」、「一般市民」という仕方で開かれていったこと、そしてぼくの仕事と関心は、それとは逆の仕方で、「一般市民」と「地域」、やがて「組織」、それから関心としの「個人」というように焦点をしぼってきていることである。
そうして、榎本英剛の仕事が「よく生きる研究所」に行き着いたのと同様に、ぼくの関心も「生きる」ということに行き着いたことを、この本を読みながら興味深く感じたのである(ブログ「「一般市民→地域→組織→個人」への関心。- 「テーマ」をとことん追い求めていると、つぎのテーマが現れる。」)。
そのような「生きる」ということについて、いろいろと大切なことが書かれている本書のなかで、<問いを生きる>ということが挙げられている。
コーチングのエッセンスは「問い」であり、「問いのパワー」をだれよりも知る榎本英剛は、会社を辞めて留学したとき、コーチとして独立したとき、会社を立ち上げてその後経営から身をひくとき、さらにスコットランドに移住するときなどの転機において、「人生のステージが変わる時、そこには必ず問いがあった」と書いている。
そして、<大きな問い>をもつことを恐れず、「答え重視の生き方」から「問い重視の生き方」をすすめている。
…たとえば、「自分は何者か」、あるいは「自分は何のために生きるのか」といった、自分にとって大事だけれどもすぐには答えが出ないような問いを問い続けることこそ、生きることにほかならない。そんなふうに思うのです。
榎本英剛『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』春秋社、2017年
ぼくも、そう思う。
だから、この本自体も生き方の「答え」なのではなく、ぼくたち一人一人が、<問いを生きる>ということのなかに「本当の自分」を実現させてゆくことの方向へと、ぼくたちを押し出してしまうところに、この本の凛としたたたずまいがある。
見田宗介著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』。- <肯定性>に充ちた「100年の革命」を描く。
見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)は、肯定性に充ちた書である。
見田宗介の新著『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)は、肯定性に充ちた書である。
ぼくたちの生きる「現代社会」の立ち位置を、人間の歴史のなかで明晰に太い線でマッピングし、また「どこに向かうか」ということを、すでにこの世界で見て取れる現実にも光をあてながら、しかし「歴史の曲がり角」としての視野を提示する。
ここではそれぞれの「内容」には入っていかないけれども(ブログで随時、ふれてゆくことになると思う)、このすてきな本のぜんたいを感覚しながら、まずはじめの所感のようなものとして、ここに書いておきたいと思う。
見田宗介による「岩波新書」としては、これで三冊目となり、ほぼ10年に一冊で出されてきたこれら三冊は、この三冊目をもってして、いわば「三部作」のようなものとして完結したようにも見ることができる。
三冊目を含め、これまでの「新書」は、つぎのとおりである。
●『現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来』岩波新書、1996年
●『社会学入門ー人間と社会の未来』2006年
●『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』2018年
『現代社会の理論』で「現代社会」の光の巨大と闇の巨大をひとつの理論としておさめ、『社会学入門』ではさらに広い歴史的な視野のなかに「現代社会」とその未来を位置付け、それから『現代社会はどこに向かうか』で「軸の時代」(カール・ヤスパース)の概念を援用しながら、未来にひろがる<永続する幸福な安定平衡の高原>としての社会を見据える。
見田宗介は、かつてカール・ヤスパースが書いた、上述の「軸の時代」という概念を念頭に、人間の社会における「歴史の二つの曲がり角」を太い線として描き出す。
ここは、見田宗介自身の言葉で、「歴史の二つの曲がり角」の「課題」をおさえておきたい。
第一の曲がり角において人間は、生きる世界の無限という真実の前に戦慄し、この世界の無限性を生きる思想を追求し、600年をかけてこの思想を確立して来た。現代の人間が直面するのは、環境的にも資源的にも、人間の生きる世界の有限性という真実であり、この世界の有限性を生きる思想を確立するという課題である。
この第二の曲がり角に立つ現代社会は、どのような方向に向かうのだろうか。そして人間の精神は、どのような方向に向かうのだろうか。わたしたちはこの曲がり角と、そのあとの時代の見晴らしを、どのように積極的に開くことができるだろうか。本書はこの問いに対する、正面からの応答の骨格である。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年
この「第一の曲がり角」とは、紀元前古代ギリシャで哲学が生まれ、仏教やキリスト教の基となる古代ユダヤ教が展開された時代の「曲がり角」である。
見田宗介が書いているように、いろいろな思想が一気に開かれた背景には、「貨幣経済」と「都市の勃興」ということがある。
そのような社会で、それまで「共同体」という有限な世界に生きていた人たちが、歴史のなかではじめて、<無限>の世界を目の当たりにすることになる。
そのときから今日におけるまでの二千数百年、これら「貨幣経済」と「都市の原理」が徹底的に浸透し、<近代>という時代がつくりだされてきた、という認識に見田宗介は立っている。
そして、現代社会は、グローバリゼーションの果てに、世界・地球の<有限>という、「第二の曲がり角」に立っているというわけだ。
この「第二の曲がり角」において、社会の向かう方向性、それからこのあとにくる時代の見晴らしをどのように開くのかという問いに対する応答が、この本である。
「あとがき」で、この本は「一つの新しい時代を告げるアンソロジー」と見田宗介は書いているけれど、「目次」を読んでいるだけで楽しくなってくる「アンソロジー」だ。
【目次】
序章 現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと
一章 脱高度成長期の精神変容ー近代の「矛盾」の解凍
二章 ヨーロッパとアメリカの青年の変化
三章 ダニエルの問いの円環ー歴史の二つの曲がり角
四章 生きるリアリティの解体と再生
五章 ロジスティック曲線について
六章 高原の見晴らしを切り開くこと
補章 世界を変える二つの方法
なお、序章から四章はこれまで発表されてきた論考に手がくわえられたもので、五章から補章がこの新書のための書き下ろしである。
社会学者「見田宗介」の著作群ぜんたいを、世間に受け容れられなくてもよいとして書かれてきた「真木悠介」名での著作群ともあわせて見渡すなかでは、この本は、見田宗介=真木悠介の著作群のなかでもユニークなもののように見える。
それは、これまで書かれてきたことが、この本において、いろいろな音が交響するように混じり合っていることである。
たとえば、近代社会・現代社会の矛盾や相克をあつかう社会学的な分析と論考において、人の幸福や欲望の相乗性などの論考が正面からとりいれられ、融合され、論じられている。
もちろん、これまでの著作群も、このような社会の「ハードな側面」と人の「ソフトな側面」がともに視野に入れられながら、書かれてきてはいたのだけれど、この本においては、<高原の見晴らしを切り開く>ということのなかで、ともに正面から論じられ、美しい仕方で交響し、人と社会の肯定性が鳴り響いている。
このことを支えているのは、いつにも増して加えられている「補」や「補章」(一章・二章・六章に「補」の文章が書き添えられ、また「補章」が加えられている)である。
そのうちの「補章」、「世界を変える二つの方法」は、補章でありながら、ぼくたちの思考、そして心をうつ。
その最後の節は「連鎖反応という力。一華開いて世界起こる」と題され、新しい時代の見晴らしを切り開くための<解放の連鎖反応>の「一つの純粋に論理的な思考実験」について、書かれている。
一人の人間が、1年間をかけて一人だけ、ほんとうに深く共感する友人を得ることができたとしよう。次の一年をかけて、また一人だけ、生き方において深く共感し、共歓する友人を得たとする。このようにして10年をかけて、10だけの、小さいすてきな集団か関係のネットワークがつくられる。新しい時代の「胚芽」のようなものである。次の10年にはこの10人の一人一人が、同じようにして、10人ずつの友人を得る。20年をかけてやっと100人の、解放された生き方のネットワークがつくられる。ずいぶんゆっくりとした、しかし着実な変革である。同じような<触発的解放の連鎖>がつづくとすれば、30年で1000人、40年で一万人、50年で10万人、…100年で100億人となり、世界の人類の総数を超えることになる。
…肝要なことは速さではなく、一人が一人をという、変革の深さであり、あともどりすることのない、変革の真実性である。自由と魅力性による解放だけが、あともどりすることのない変革であるからである。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年
これまで、「世界を変える」という言葉が、どれだけ多くの人たちを魅了し、触発し、行動に向かわせ、そして一定の範囲での成功をおさめさせ、あるいは失敗させてきたことだろうか。
それはひとつの「衝動」でもある。
かつて、「言葉で世界は変わらない、暴力で世界は変わらない」と書いた見田宗介は、そのような「時代」を生き、その歴史を丹念に冷静に見つめ、方法を真摯に求めるなかで、この「変革の真実性」に至る。
書かれているように、これはあくまでも「思考実験」であり、現実はさまざまな阻害要因と加速要因が作用してくる。
また、「第一の曲がり角」では600年の時間を要して、かずかずの思想が確立されてきたのに対し、もし100年かかるとしても早いものだと、見田宗介は書いている。
でも、繰り返しになるけれども、肝要なことは、その「速さ」ではなく、変革の深さであり、自由と魅力性による解放であり、したがって「あともどりすることのない」真実性である。
ぼくが書くブログも、そのような変革の真実性に向けて、投げ放たれてある。
宇宙論の「最前線」にふれる。- 野村泰紀『マルチバース宇宙論入門』。
香港の夜空にのぼってゆく満月をときおり見ながら、宇宙論の最前線、「マルチバース理論」にふれる。
香港の夜空にのぼってゆく満月をときおり見ながら、宇宙論の最前線、「マルチバース理論」にふれる。
本は、野村泰紀『マルチバース宇宙論入門』(星海社新書、2017年)。
野村泰紀氏は理論物理学者で、現在は、カリフォルニア大学バークレー校教授、バークレー理論物理学センター所長である。
ぼくたちが住む宇宙のほかに、物理法則や次元が異なる無数の「宇宙たち」が存在するとする「マルチバース宇宙論」。
そもそもぼくが、野村泰紀と「マルチバース理論」を知って、そこに魅かれたのは、雑誌『現代思想』2018年1月号(青土社)における、野村泰紀へのインタビュー記事であった。
インタビュー記事は「量子的マルチバースと時空間概念の変容」と題され、それによってぼくの好奇心は点火された。
もう少し基礎的な理論や実証や議論などに触れたく思い、やがて、野村泰紀『マルチバース宇宙論入門』にたどりついたのだ。
『マルチバース宇宙論入門』はつぎのように構成されている。
【目次】
まえがき
第1章 「宇宙」って何?
第2章 よくできすぎた宇宙
第3章 「マルチバース」ー無数の異なる宇宙たち
第4章 これは科学?ー観測との関係
第5章 さらなる発展ー時空の概念を超えて
あとがき
参考文献
著作を通じて、ぼくを惹きつけるのは、さまざまな理論のその前提、出発点を問い返す視点と姿勢である。
例えば、これまでの宇宙論の「行き詰まり」の地点において、つぎのように書いている。
…我々の宇宙の全て(標準模型の構造や真空のエネルギーの値を含む)を物理学の基本理論から直接導出しようとする試みはほぼ完全に行き詰まったように見える。そしてそれは、この試み自体に何か決定的な誤りがあることを示唆しているように思える。それは前にも述べたように宇宙が唯一無二であると仮定したことと関係しているのだろうか?だとすれば標準模型やそれを単純に拡張した理論を超える「真の基本理論」から導かれる本当の自然界の姿とはどのようなものなのであろうか?
野村泰紀『マルチバース宇宙論入門』星海社新書、2017年
「試み自体」への疑問が、この文章の後に展開されるマルチバース理論への導線となってゆく。
無数の「宇宙たち」があるとするマルチバース理論については、論点をひとつずつ丁寧に追いながら、ひもといてゆく野村泰紀の説明を読むのがよいだろう。
ただ単に「無数の宇宙がある」ということに限らない、(ユニバースではない)マルチバースの描像、その理論へ寄せられる疑問や批判への応答など、ひと通りのことが、この本では展開されている。
「あとがき」で野村泰紀が書くように、『入門』の割には内容が難しく「式のない教科書」(野村泰紀)になっているようなところが、この本にはある。
理論物理学、量子力学、素粒子、標準模型、一般相対性理論(アインシュタイン)、超弦理論、インフレーション宇宙など、はじめて触れる人たちにとっては、なかなかとっつきにくい用語と論が次から次へと出てくる。
しかし、「本当に興味のある人はゆっくり読んでもらえれば…内容が分かるように書いた」(前掲書)と野村が言うように、その野村自身の研究を駆動してきた<知的好奇心の火>を灯すかぎりにおいては、宇宙論のこれまでのポイントと「最前線」を、この小さな本を通じて、知ることができる。
野村泰紀は、宇宙論もやがて、音楽のコンサートやアートの個展のような仕方で、講演や展示が文化活動のひとつとして定着していくとよいと、理想を描いている。
そのような理想に、ぼくも魅かれる。
「学問」などに閉じ込めておくのではなく、音楽やアートのように、宇宙論が自由に、そして楽しく会話が交わされる風景である。
そのような風景が遠くない未来に現実化することを、ぼくは明瞭にイメージしている。
文系と理系の境界を自由に越境して。- 真木悠介の<分類の仕様のない書物>に導かれて。
「分析理性」のもとに、そして社会の要請のもとに、専門性を細分化しつづけてきた科学がもたらした「光」はとても大きいものでありながら、極度に細分化された科学がもたらした「闇」も大きい。
「分析理性」のもとに、そして社会の要請のもとに、専門性を細分化しつづけてきた科学がもたらした「光」はとても大きいものでありながら、極度に細分化された科学がもたらした「闇」も大きい。
文系/理系という「境界線」も、学校教育制度のなかで学ぶものたちにとっては「あたりまえ」のこととして、受け入れ、選択し、文系/理系という「枠」に合わせてじぶんを成形し、そこに「将来」の道をつくりながらすすんでいく。
社会のさまざまな状況のなかで、今でも、「文系/理系」ということが議論の前線にもちだされる。
そのような「議論の前線」にふみこむことはしないけれど、文系/理系の境界線を超える経験のひとつを書きたい。
「文系」の大学に入って外国語(中国語)を学びながら、実践としてぼくは「旅」を方法としていた。
旅の豊饒さにひらかれると同時に、ぼくの「好奇心」もひらかれ、ぼくは社会学者である「見田宗介=真木悠介」の著作に出会うことになる。
大学生活における折り返し地点を折り返してからのことである。
見田宗介=真木悠介の著作を一冊一冊読んでいくなかで、なかなか手が出せない一冊があった。
『自我の起原』(岩波書店、1993年)である。
なかなか手が出せない理由のひとつに、その副題「愛とエゴイズムの動物社会学」に付された「動物社会学」という言葉があった。
その言葉は、動物「社会学」というよりも、「動物」社会学のように聞こえ、生物学の領域の「境界線」がぼくの前に引かれたのだ。
生物学という理系の響きに、ぼくは躊躇してしまったのである。
紀伊国屋書店の新宿店で、ぼくは本を手にとって、目次や構成などを目にすると、やはり生物学の記載が見られ、なおさら躊躇してしまうことになる。
それでも、ぼくを突き動かしたのは、著者が見田宗介=真木悠介という人であったことであり、そしてまた、副題の「愛とエゴイズム」であった。
小さい頃から、ぼくの思考の中を旋回し続けてきた「愛とエゴイズム」という問題を、ぼくはやはり追求してみたくなったのだ。
見田宗介は、社会学の特徴として「越境する知」であること(つまり領域横断的であること)を別のところで書いているけれど、それは「越境」が目的なのではなく、問題を追求してゆくうえで、やむにやまれず、専門領域を<越境>せざるを得ないということである。
「愛とエゴイズム」という問題を追求してゆくうえで、真木悠介=見田宗介は「生物社会学」などの知見も取り入れていかざるを得なかった。
…生物社会学的な水準の自我の探求は、この重層する自我の規定の、1つの基底的な位相を明確にしておこうとするものにすぎない。
けれども<自我>という現象のさまざまな契機ー個体であること.「主体」であること.自己意識.「かけがえのなさ」の感覚.等々ーの原初の起原を、生命の形態展開 evolutionの系譜の内に明確に同定しておくことは、現在に至るわれわれの「自己」という現象の本質と存立の機制を明晰に掌握する上で、不可欠の理論的予備作業である。
真木悠介「補論1<自我の比較社会学>ノート」『自我の起原』岩波書店、1993年
こうして、真木悠介自身も書いているとおり、著書『自我の起原』は<分類の仕様のない書物>として、世に放たれることになった。
この書物では、カルロス・サンタナも、進化生物学者リチャード・ドーキンスも、宮沢賢治も、<自我の起原>を探求する旅程に、ぼくたちの前に現れることになる。
「愛とエゴイズム」という問題の探求の内に、文系/理系という「境界」はもとより、さまざまな「境界」となる「分類」も、消失しながら、この名著はつくられたのだ。
この書物と学びの経験は、当時のぼくにとっても、そして今のぼくにとっても、圧倒的なものである。
文系/理系ということの内にじぶんなりに引いてしまっていた「/」という境界線を、じぶんの意識としては乗り越えたときでもあった。
専門領域を尊重しないわけではない。
けれども、この書物で真木悠介の言葉や理論や論理に導かれるようにして、「自我」や「愛とエゴイズム」などにかんする思考の旅をしながら、ぼくは、圧倒的な「自由さ」を感じることになった。
なぜなら、この書物を読んだ世紀の変わり目の頃も、そして今世紀も、ぼくたちの前には、専門領域を超えるようにしてしか(おそらく)探求できない問題・課題がいっぱいだからである。
「積読本」はいつでも、ぼくたちのために<スタンバイ>している。- 積読本の効用。
「積読本」については、それ自体を否定的に語る人たちもいるけれど、最近ではそのメリットを語る人たちも多いように見受けられる。
「積読本」については、それ自体を否定的に語る人たちもいるけれど、最近ではそのメリットを語る人たちも多いように見受けられる。
そのように見受けられるのは、ただ単に、じぶんが「メリット」を見たいだけなのかもしれない。
「買っても読まない」という声がどこからか聞こえて、これまでにも「積読・積読本」に罪悪感を感じることもあったけれども、根本的には、ぼくは「積読・積読本」のメリットを信じている。
信じているから、そのような仕方で、現実が現れてくる。
「積読・積読本」のメリットを挙げるとすれば、次のようになる。
(1)本との<関係性>の構築
本を購入するということで、ぼくたちは、その本と<関係性>を構築することになる。
世界を旅していてある人に出会い、声をかけようか迷ったときに、声を掛けそびれてしまうと、ぼくたちはそこに関係を築くことができないように、購入することでぼくたちは<関係性>を構築できる。
もちろん、今の時代、ネット検索で本は見つけることができるのだけれど、ある本に出会ってから後年になると、そのタイトルや著者名がなかなか思い出せなかったりする。
これだけ「情報」であふれる世界において、出会いの記憶は遠のきがちだ。
購入の「Wishリスト」に入れておくというのもひとつだけれど、Wishリストもたまりはじめると、昔のリストが遠のいていく。
また、読み放題で読むことも手のひとつであるけれど、条件や個々の嗜好もある。
さらに、アマゾンKindleなどでは「サンプル」をダウンロードしておくこともひとつであり、ぼくも利用するけれど、ぼくと本との<関係性>ということで言えば、質的な違いがそこには感じられる。
だから、「この本こそは…」と思った本は、やはり手に入れておきたい。
(2)本の<存在感>に導かれる
「この本こそは…」と思った「積読本」は、そこに<存在感>をたたえている。
本の詳細を読まず、その<存在感>(タイトルや著者名や装丁などのつくりだす存在感)だけでも、日々の思考やアイデアや感情を刺激してくれる。
その刺激は、本の内容にはあまり関係ないこともあるかもしれないけれど、なんらかの方向に、ぼくたちの生を導いていったりする。
(3)本はいつでも<スタンバイ>している
「積読本」は、いつでも、ぼくたちのために<スタンバイ>している。
準備を整えてくれている。
そうして、ぼくたちが必要とするようなタイミングにおいて、ぼくたちの前に現れ、やはり、何かを差し出してくれるように思う。
例えば5年以上も「積読本」として存在していた本を、あるとき、ふと、ぼくは読みたくなる。
本をひらくと、そこにはやはり、ぼくがそのときに必要としていることが書かれていて、ぼくを助けてくれる。
準備ができたときに師は現れるように、準備ができたときにスタンバイしていた積読本はぼくたちに必要なものをとどけてくれる。
本を手にしたとき、いずれ必要になることを、ぼくの無意識は「知っていた」のだと言うこともできる。
ぼくはそのようにして、今日も、積読本の一冊を、ひらく。
購入してから何年も経過していた本だけれど、その本は、ぼくのために<スタンバイ>してくれている。
野球やサッカーのベンチ控え選手のように、身体を暖めながら、スタンバイしていてくれる。
そうして、代打や交代の選手がゲームをひっくり返すこともあるように、そのときの「じぶん」の内面の流れを大きく変えてくれることもあるのだ。
そんな日がくることを、積読本はあたかも知っていたかのように。
名作『アルケミスト』(パウロ・コエーリョ)の世界。- ユングの読み解く「錬金術」を重ねながら。
ブラジル人作家パウロ・コエーリョの作品『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳)。
ブラジル人作家パウロ・コエーリョの作品『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳)。
原作は1988年にブラジルで発刊され、その後、空間を時空を超えて、今でも世界中で読み継がれている。
ぼくがこの本に出会ったのは、この角川文庫ソフィア版が出たころだと思う。
山川夫妻の名訳に支えられたこの日本語版を読んで、ぼくは深く心を動かされ、その「物語」は、ぼくの生きるということの物語にとけこんでいるようにさえ、感じることがある。
今でもときおり、ぼくはこの本をひらく。
羊飼いの少年サンチャゴが、宝物が隠されているという夢を信じて、アンダルシアの平原から、エジプトのピラミッドに向けて旅をするという仕方で、展開されてゆく。
本のタイトルにあるように、「アルケミスト=錬金術師」が物語において大切な役を担い、少年の旅は導かれていく。
旅をつづける少年は、ようやく、この錬金術師に出会うことができる。
その出会いの「理由」を、錬金術師は、尋ねる少年に対して、遠回しに告げる。
「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」と錬金術師は言った。…少年は理解した。自分の運命に向かうために、もう一人の人物が助けに現れたのだった。
「それで、あなたは僕に何か教えてくださるのですね」
「いや、おまえはすでに必要なことはすべて知っている。わしはおまえをおまえの宝物の方向に向けさせようとするだけだ」
パウロ・コエーリョ『アルケミスト』角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳
「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」は、この作品のなかで現れる名言のなかの名言である。
「錬金術師」の響きは魅惑的である。
これまでの歴史のなかで、それはさまざまな人たちにとって、「人生の万能薬」の幻惑を与えてきた。
それさえ知れば、幸せになれるという幻想である。
少年もいくぶんかそのような幻想にとりつかれながら、錬金術師と旅をつづけていたところ、錬金術師は突如「旅の終わり」を示唆し、少年は次のように言葉を返す。
「でも、この度であなたは僕に何も教えてくれまでんでしたね」と少年は言った。「僕は、あなたが知っていることを僕に教えてくれるものだと思っていました。少し前、僕は錬金術のことを書いた本を持っている人と一緒に、砂漠を渡ってきました。でも、僕は本から何も学ぶことができませんでした」
「学ぶ方法は一つしかない」と錬金術師は答えた。「それは行動を通してだ。おまえは必要なことはすべて、おまえの旅を通して学んでしまった。おまえはあと一つだけ、学べばいいのだ」
パウロ・コエーリョ『アルケミスト』角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳
その「あと一つだけ」が何かを少年は知りたかったのだけれど(読者も知りたいのだけれど)、錬金術師はすぐには答えない。
「金」をつくりだすと言われる錬金術師が、まるで何も教えない(と思われる)状況は、少年も(読者も)をいただたせるものであるけれど、このような全体が、ぼくたちを、<錬金>ということの本質へと導いていく。
心理学者・心理療法家であった河合隼雄は、ユングが「錬金術」の本に読み取ったものを、あるところで紹介している。
…錬金術は、鉛のような金属がだんだん金になるというので、そんなバカなことがあるかと思うけれど、ユングはそれは「化学の本ではないのだ」と考えました。人間がだんだん鍛えられて最後は個性が完成されてゆく、自己実現していくという、自己実現の過程を鉛が金になる過程に置き換えて描いているんだと、そういう考えで錬金術の本を読むわけです。
河合隼雄『こころの読書教室』新潮文庫
河合隼雄は、「錬金術の絵」と「十牛図」を比較しながら読み解くという、興味のつきない仕方で、「自己実現」のことを語り、その流れでこのユングの解釈も紹介している。
錬金術を「化学の本」ではなく、ユングの解釈で読む方が、圧倒的に、論理的である。
今でこそ「錬金術」を信じる人はほとんどいないと思われるけれど、その「心情」はあらゆる形で、さまざまな人たちのなかに住んでいる。
それを信じる・信じない、あるいはどのように信じる・信じないということは、人それぞれのことである。
それは、ぼくにとっては、錬金術は、例えばユングが語るようなものであり、パウロ・コエーリョが描いたようなものである。
童話風の物語『アルケミスト』は、ぼくたちにさまざまな言葉と視点と夢を届けてくれている。
「何せうぞ くすんで 一期は夢よ たゞ狂へ」(『閑吟集』)。- ひろさちやと大岡信の注釈を重ねながら。
日本の室町時代後期に編纂された歌謡集(編者は未詳)『閑吟集』のなかに、次のような歌が収められている。
日本の室町時代後期に編纂された歌謡集(編者は未詳)『閑吟集』のなかに、次のような歌が収められている。
何せうぞ
くすんで
一期は夢よ
たゞ狂へ
この歌の存在を、ぼくは、ひろさちや著『「狂い」のすすめ』(集英社e新書、2010年)で知った。
この本でひろさちやが現代語訳的に書くと、「何になろうか、まじめくさって、人間の一生なんて夢でしかない。ひたすら遊び狂へ」となる。
「くすむ」とは「まじめくさる」ということであるようだ。
ひろさちやが注釈をつけているように、室町時代の庶民たちが遊び狂っていたわけではなく、「現実には牛馬のごとく働かざるを得ない」状況であったのであり、その現実のなかで、《一期は夢よ ただ狂へ》と、願望をいだきながら歌ったということであったのであろう。
ひろさちやは、願望よりもそこにさらなる意味合いを付与し、「むしろ現実と闘うための思想的根拠であり、武器であった」と書いている(※前掲書)。
ひろさちやにとって、「思想・哲学」とは、<俺は世間を信用しないぞ>という意識のようなものである。
『閑吟集』のこの歌は、ひろさちやが現代を生きていくうえで、このような思想・哲学であり、武器となっている。
いいですね。わたしはこの歌が大好きです。そして、わたしはこれを
ーー「ただ狂え」の哲学ーー
と名づけています。この哲学でもって世間と闘ってみよう。そうすると、きっと視界が開けてくるだろうと思っています。
ひろさちや『「狂い」のすすめ』集英社e新書、2010年
ぼくも、この歌が好きである。
この歌は、ぼくの生き方の光源となっている、真木悠介のつくる言葉、「life is but a dream. dream is, but, a life.」と交差してくる。
「構造」としてみれば、同じ構造を共有している。
前半の部分で、「人生とはただの夢でしかない」と真木悠介は書いているけれど、これは「一期は夢よ」ということである。
その深い認識をもとに、真木悠介は「しかし、この夢こそが人生だ」という反転のなかに生きることの豊饒さをつかみとり、『閑吟集』のこの歌の作り手とそれを歌った庶民たちは「ひたすら遊び狂へ」という方向に思想・哲学をつかんでいる。
「ひたすら遊び狂へ」という方向につきぬけてゆくエネルギーの豊饒さに魅かれながら、意味合いとしてしっくりこないところがあったのだけれど、大岡信(大岡信ことば館)の注釈は、少し違う角度から、この歌の本質をついているように見える。
…中世以降の歌謡には無常観という太い底流があることはたびたび書いた通りだが、この小歌はそれを端的に吐き出していて忘れがたい。なんだかんだ、まじめくさって。人生なんぞ夢まぼろしよ。狂え狂えと。「狂う」は、とりつかれたように我を忘れて何かに(仕事であれ享楽であれ)没頭すること。無常観が反転して、虚無的な享楽主義となる。そのふしぎなエネルギーの発散。
「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」閑吟集、大岡信ことば館
大岡信は「狂う」をほりさげて、「我を忘れて何かに没頭すること」としている。
この解釈は、その後に書かれる「虚無的な享楽主義」ということを超えるようにして、生きるということの、いっそう深い歓びを表現している。
歓びを感じるときというのは、ぼくたちが(短絡的な手段によらない仕方で)「我を忘れて」いるときである。
最近では、「フロー体験」などとも呼ばれ、ビジネスの現場においてもよく議論にのぼってくる。
大岡信は「虚無的な享楽主義」という書き方をしているけれど、むしろ、その後に書かれている「そのふしぎなエネルギーの発散」というほうが、この歌の本質をついているように、ぼくには見える。
大岡信のこのような注釈を、ひろさちやの注釈に重ねていく仕方で、この歌のもつ光がよりいっそう強くなるのだ。
それにしても、室町時代の人たちの見晴るかしていた「世界」の深さと、そこに切り開こうとした生き方に、ぼくは心を打たれる。
真木悠介の言葉の反転は、虚無に陥るのではなく、ぼくたちが生きているこの生の愛おしさを照らし出す光を、その言葉のうちにもっている。
「しかし、この夢こそが人生なんだ」というところに、虚無ではなく、いっそうの夢が、豊饒に重ね合わせられる。
ぼくたちは、この一期の夢を、この世に生きる間に、ただ生きつくすのみである。
「心を込める」という教えにひらかれてゆく道。- 新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』。
NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で「清掃のプロ」として取り上げられ、著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版、2015年)の著者でもある、「清掃の職人」新津春子。
NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で「清掃のプロ」として取り上げられ、著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版、2015年)の著者でもある、「清掃の職人」新津春子。
日本空港テクノ株式会社社員として、羽田空港における清掃の実技指導者である。
上記番組のディレクター築山卓観に「仕事の流儀」をたずねられて、新津春子は次のように応えている。
「心を込める、ということです。心とは、自分の優しい気持ちですね。清掃をするものや、それを使う人を思いやる気持ちです。心を込めないと本当の意味で、きれいにできないんですね。そのものや使う人のためにどこまでできるかを、常に考えて清掃しています。心を込めればいろんなことも思いつくし、自分の気持ちのやすらぎができると、人にも幸せを与えられると思うのね」
新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』毎日新聞出版、2015年
仕事の流儀として、「心を込める」と応える清掃職人の新津春子だが、そこにはドラマがある。
新津春子は、17歳のとき、生まれ育った中国の瀋陽から、両親と姉と弟とともに日本に渡る。
父は中国残留日本人孤児、母が中国人。
1987年にようやく日本に渡ったのちも、生活の厳しさのなか、日本語ができなくてもできる清掃の仕事に就く。
若いときは清掃の技術を身につけることに一生懸命で、仕事も技術の勉強も熱心であった新津春子。
そんな新津春子の仕事を技術だけではないレベルに引き上げたのは、上司の鈴木優常務との出会いであった。
鈴木常務は、新津春子を褒めることはせず、「もっと心を込めなさい」と言うばかりであったという。
仕事熱心でがんばっている新津春子は、何が足りないのかわからず、また「認められない」苦しさがのしかかる。
あるとき、その鈴木常務にすすめられて、新津春子は「全国ビルクリーニング技能競技会」に出場することになる。
そこで絶対に一位で予選会を突破できると思っていたところ、全国大会への切符を手にしたが、一位ではなく、二位で終わってしまう。
自分に何が足りないのかわからないままに、しかし、そんな折、鈴木常務の言葉に導かれながら、新津春子は気づきと変化を見つけてゆくことになる。
あるとき、鈴木常務に、「心に余裕がなければいい清掃はできませんよ」と言われました。自分に余裕がないと、他人にも優しくなれないでしょう、と。
そんなころ、空港のロビーで、親の手をすり抜けて床をハイハイする赤ちゃんを見かけたときに、はっとしたのです。今手にしているモップで清掃していいのだろうか?
それまでは、私は自分のために仕事をしていました。なにしろたたかう相手が自分でしたから。それが、使う人のためにもっときれいな場所にしたいという気持ちに変わったのです。一見きれいになったように見えても、モップ自体に雑菌が残っていたかもしれない。見えないところに汚れが残っているかもしれない。「かもしれない」「本当に大丈夫?」と、使う人の気持ちになってもう一度見直すようになったのです。
新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』毎日新聞出版、2015年
その後、鈴木常務との猛特訓を受けて参加した全国競技会では、見事に「優勝」を勝ち取ることになる。
優勝を鈴木常務に報告した際の、鈴木常務の言葉に、新津春子は、今でも当時を思い出しながら、心を深く動かされるようだ。
鈴木常務は、新津春子に次のように語る。
「優勝するのはわかっていましたよ。…それだけがんばっていることは知っていましたから」、と(前掲書)。
この言葉に、「やっと認められた」という思いを新津春子は覚える。
鈴木常務の言葉に「認められた」と感じたのだけれども、それは、ほんとうは(心の深いところでは)、新津春子の<自分による自分に対する承認>であったように、ぼくには感じられる。
それからというもの、「周り」が変化しはじめてくる。
空港を清掃する新津春子に、お客様が「ありがとう」とか「ご苦労様」という声をかけることが増えていったという。
このプロセスのうちに、新津春子は「心を込める」という、手にとってみることのできないことの本質をつかんでゆく。
こうして、冒頭の新津春子の「仕事の流儀」は、語られる。
新津春子の著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版)は、「仕事」から「生き方」にいたるまで、さまざまなヒントでいっぱいである。
それらを読んでいると、なぜ「新津春子」という清掃職人が生まれたのかが、文章から、そしてその行間からも、伝わってくるようだ。
そんな新津春子にとって、空港の清掃のなかで「いちばん楽しい仕事のひとつ」は、子供たちが窓ガラスにづけていった小さな手の跡を拭き取ることであるかもしれないと、彼女は言う。
空港に来た子供たちははしゃいでいて、ロビーの床に尻もちをついたり、展望デッキの窓ガラスにぺたぺたと手をついたりする。
子供たちが楽しんでいる姿だけでなく、母親が「その場所が清潔だと感じて」子供たちを自由にさせていることを感じて、嬉しくなるという。
そのように感じる心が、窓ガラスにつけられた「小さな手の跡」にいらだつのではなく、そこに「いちばん楽しい仕事のひとつ」を新津春子に感じさせている。
そしてさらに、大人には見えない手すりの下側やソファの脚などにも、お構いなしにさわる子供たちを「どこを清掃すべきかを教えてくれる」存在であると新津春子が語るとき、そこには、「心を込める」という目に見えないことが、まるで、目に見えるような仕方で目の前に現れているように、ぼくは感じてしまうのである。
いつか、羽田空港で新津春子氏にばったりとお会いすることがあれば、ぼくは、迷わず、声をかけさせてもらうと思う。
そして、迷わずに、御礼の言葉を伝えさせていただくと思う。
さらには、ここ香港でも(そして他のところでも)、清掃をしてくれている人たちには、これからも、できる範囲で、御礼を伝えたいと、ぼくは思う。
「新入生に贈る一冊」を選ぶとしたら。- 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』。
日本では4月から「新年度」が始まったばかりである。
日本では4月から「新年度」が始まったばかりである。
海外に住んでいると、そこにはまた異なる社会の流れがあるから、ぼくは、ここ香港で、感覚としては文化の狭間に置かれる。
日本のニュースなどを通じて、この「新年度」の雰囲気を垣間見ることができるのと同時に、ぼくは日本に住んでいたころの記憶に「新年度」を感じる。
新しく高校や大学に入る「新入生」たちにとっては、ありふれた言い方だけれど、期待と不安の入り混じったスタートであるかもしれない。
そんな新入生たちに出会ったとしたら、ぼくは、どうするだろうか。
ぼくは、やはり、本を手渡すように、思う。
本は、見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)である。
もちろん、新入生の方々は多様であり、ひとりひとりにおいて、問題意識も関心も異なっている。
それでも、ぼくは、この本をやはり選ぶだろう。
理由をあえて挙げるとすれば、次のような理由を挙げる。
- 「社会学」という枠を超えて「学問する」ことの<初めの炎>に触れられている
- 「学問」を超えて、「生きること」の本質と方法論が書かれている
- 「生きること」において、「現在」と「未来」が深く、そして太い線で描かれている
文系・理系にかかわらず、この「現代社会」に生きる人たちすべてにとって切実な<人間と社会>の問題と課題に本書は照準しているのである。
本書のカバーの見開きには、次のように、本書が紹介されている。
「人間のつくる社会は、千年という単位の、巨きな曲り角にさしかかっている」ー転換の時代にあって、世界の果て、歴史の果てから「現代社会」の絶望の深さと希望の巨大さとを共に見晴るかす視界は、透徹した理論によって一気にひらかれる。初めて関心をもつ若い人にむけて、、社会学の<魂>と理論の骨格を語る、基本テキスト。
見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年
本書の「目次」は下記の通りである。
【目次】
序 越境する知ー社会学の門
一 鏡の中の現代社会ー旅のノートから
[コラム]「社会」のコンセプトと基本のタイプ
二 <魔のない世界>ー「近代社会」の比較社会学
[コラム]コモリン岬
三 夢の時代と虚構の時代
四 愛の変容/自我の変容ー現代日本の感覚変容
[コラム]愛の散開/自我の散開
五 二千年の黙示録ー現代世界の困難と課題
六 人間と社会の未来ー名づけられない革命
補 交響圏とルール圏ー<自由な社会>の骨格構成
本書のタイトル『社会学入門 人間と社会の未来』から、ぼくなりの「解題」をするとすれば、次のようになる。
(1)「社会学」
「社会学」ということについては、いわゆる専門領域としての「社会学」はもとより、見田宗介の「社会学」は<社会の学>というべきほどに、その問題意識と論理は「社会」の全域を貫いている。
(2)「入門」
「入門」とあるように、本書の一部は、見田宗介の「社会学概論」のような講義を圧縮して収録されている。
しかし、「入門」はある意味において、入門であるからこそ、問題や課題のコアに一気に直進してゆくところがある。
その意味において、ぼくは、(この本に出会って10年近く経った)今でも、なんどもなんども、この本に立ち戻っている。
(3)「人間と社会」
「社会」とは、人と人との<関係>のことである。
その意味において、「社会学」とは、<関係としての人間の学>(見田宗介)である。
そのような視点のうちに、見田宗介の問題意識は、つねに、社会の制度的な「ハードの問題」と、人間の内面という「ソフトの問題」を相互に連関させている。
仮に、そこに明確に語られていなくても、社会のシステムを語るときには「自我」の問題が、また自我を語るときには「社会のシステム」の問題が息づいている。
(4)「未来」
この本の射程は「未来」に向かって、はるかにのびている。
本書の「五 二千年の黙示録ー現代世界の困難と課題」「六 人間と社会の未来ー名づけられない革命」「補 交響圏とルール圏ー<自由な社会>の骨格構成」は、いずれも、人間と社会の「未来」に向けて、その方向性を、太く深いところで明晰にとらえている。
情報テクノロジー、仮想通貨などの未来を語る情報が日々ながれてくるなかで、さらにその深い地層において「未来」への道筋(可能な道筋)をとらえておくことができる。
メディアにながれるそのような未来の言説にじぶんがながされないように、見田宗介の素描する「未来」は、ぼくたちの足場を確かなものにしてゆく力となると、ぼくは思う。
見田宗介(あるいは真木悠介というペンネーム)の数々の著作が「分類の仕様のない本」であるように、本書も、「分類の仕様のない本」であると、ぼくは思う。
それは、ぼくたちの「生きる」ということへの、真摯で暖かいまなざしにつらぬかれているからでもある。
本書の第一章では、「社会学は比較社会学である」というエミール・デュルケームの言葉を引きながら、自然科学と異なり、社会の科学においては「実験」ができないこと、しかし「比較」ということを方法とすることができることを、見田宗介は語っている。
…人間が歴史の中で形成してきた無数のさまざまな「社会」のあり方は、これを外部から客観的に見ると、人々がそれぞれの条件の中で必死に試行してきた、大小無数の「実験」であったと見ることもできます。一つの「企業」、一つの「家族」のような小さい社会でも、「幕藩体制」とか「資本主義」とか「社会主義」というような大きい社会でも、それがどういう社会であるかは、他の企業、他の学級、他の家族、他のシステムと比較することをとおして、はじめて明確に認識し、理解することができます。
見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年
「比較」は、日常の生活の語彙としては、現在において「競争」の文脈のなかに投げ入れられたりする。
どちらが優位、どちらが劣位というように、「競争社会」という、社会の諸相の一面に偏って、とらえられ、語られ、意識される。
しかし、ここでの「比較」は、それとは垂直に異なる方向性において、方法論のひとつとして、取り出されている。
…社会学の方法としての「比較」は、<他者を知ること>、このことを通しての<自明性の罠>からの解放、想像力の翼の獲得という、ぼくたちの生き方の方法論と一つのものであり、これをどこまでも大胆にそして明晰に、展開してゆくものです。
見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年
ぼくのブログで幸いにも多くの読者を得ている、「<自明性の罠からの解放>(見田宗介)。- 生き方の方法論の一つとして」と題したブログで触れた、ほんとうに大切な視点と生き方が、本書のここで語られている。
このように、比較社会学の方法は、生き方の方法論と「一つのもの」として、見田宗介のなかでは構想され、展開され、ぼくたちの「学ぶ」ことだけでなく、ぼくたちの「生きる」ことを<解き放つ>ところに、ひらかれている。
「睡眠時間」の問いを、ひらく。- 「87歳現役」の櫻井秀勲が語る、「短眠」に照射される生き方の例。
ハーバード大学教授の荻野周史の推薦文「櫻井先生の生き方は、人生100年時代のこれからの教科書だ」にも惹かれて、ぼくは、櫻井秀勲著『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』(きずな出版、2018年)を読む。
ハーバード大学教授の荻野周史の推薦文「櫻井先生の生き方は、人生100年時代のこれからの教科書だ」にも惹かれて、ぼくは、櫻井秀勲著『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』(きずな出版、2018年)を読む。
著作の副題には「87歳現役。人生を豊かにする短眠のススメ」と書かれ、伝説の編集者(女性誌「女性自身」の編集長であったり、松本清張などの作家の編集者)と言われながら、87歳の今も現役である櫻井秀勲が語る「睡眠」を通じた生き方の本である。
55歳から83歳まで、毎日午前5時にベッドに入る習慣を続けてきた櫻井秀勲。
起きるのが午前10時のため睡眠時間は5時間(途中仮眠しても6時間に満たない睡眠時間)。
このような「短眠」だけでなく、健康ということ、また(起きている時間にも同時に焦点をあてながら)生き方ということまで、本書では、櫻井秀勲の声が聴こえてくる。
櫻井秀勲の「睡眠」にかんするメッセージの基本を挙げるとすれば、「眠くなってから寝る」ということである。
そこに通底するものは、「標準や一般的な情報」をもとに行動する仕方とは一線を隠し、<じぶんじしん>の経験とじぶんとの対話に基礎をおく生き方である。
「眠くなってから寝る」という仕方と同様に語られることとして、一般的には、「お腹が空いたら食べる」ということがある。
○○時になったから食べるのではなく、あくまでもお腹の空き具合に応じて、食べることをしていく。
「何時になったら食べる、あるいは寝る」という仕方は、生活が「標準化」されてきた近代という時代において、より広範に適用されてきた様式であっただろうと、ぼくはかんがえる。
ところで、Daniel H. Pink (ダニエル・ピンク)の最新著作『When: The Scientific Secrets of Perfect Timing』(Riverhead Books, 2018)の第1章は、「The Hidden Pattern of Everyday Life」(毎日の生活の隠されたパターン)と題され、仕事などのパフォーマンスを上げるために、一日をどのように過ごし、どのように活用していったらよいかを、科学的なリサーチをもとに考察している。
結論的な言ってしまえば、じぶんの「タイプ」(朝型なのか、夜型なのか、その中間か)を知り、それにあった仕方で、適切な時間に適切な仕事をしてゆくことで、パフォーマンスを上げてゆくことができる。
櫻井秀勲も、「短眠」だけを絶対的にすすめているのではなく、じぶんに合った仕方を生きることを大切にしている。
そのために「短眠で87歳現役」という例があることを、じぶんの経験から伝えているだけだ。
各章の最後には、例えば、次のような言葉がいくども置かれている。
…しかしこれが自分の適職なのだ、という自信があるため、むしろ睡眠時間の長いのがイヤなのです。起きていたいのです。
こういう生き方で元気な男もいることを知ってほしいと思います。
…ただ「こういう87歳の男もいる」ということを知っていただきたいのです。
…本当に眠気が襲うまで起きていたほうが、短時間であれ、熟睡できると思うのです。
私はその方法で、22歳から87歳までやってきました。
櫻井秀勲『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』きずな出版、2018年
本の終わりの方で、櫻井は、母親の教えでもあった「わが家の生き方」を書いている。
それは、「人の反対を往け」という教えである。
関東大震災の折に、大衆とは「まったく反対の方向に逃げ」た母が、亡くなった大衆とは異なり助かった教訓をもとにしている。
この教えのように、櫻井秀勲は、医学の見地から「長く寝るべし」という声の多いなかで、それとは反対に、なるべく寝ずに、できるかぎり頭脳を使って生ききり、87歳現役である。
もちろん、ただ単に「反対を往く」のではなく、<じぶん>の経験と軸、そして標準的で一般的な情報を一度「括弧に入れる(疑問視する)」姿勢をもとに、<じぶん仕様>へと調整しつづけてきた結果と交差するスタンスである。
ぼくも一生「現役」で生きたいと思う。
そのように思う者たちにとって、本書は、「人の反対を往く、現役87歳」からの、生き方の事例を提示してくれる「教科書」だ。
しかし、決して人に「標準」を強要する教科書ではなく、じぶんの生き方へと光をあてる教科書である。
埴谷雄高の語る「夢と現実」。- これまでの言葉や思考を<括弧でくくる>とき。
「学ぶ」ということの深い意味を体験としてわかりはじめたことのきっかけのひとつとして、経済学者であった内田義彦の著作があった。
「学ぶ」ということの深い意味を体験としてわかりはじめたことのきっかけのひとつとして、経済学者であった内田義彦の著作があった。
かすかな記憶では、大学での「国際経済学」講義の課題図書のひとつであったと思う。
社会科学を学ぶことで物事を視るための<メガネ>を変えていくというようなことを、ぼくは内田義彦から学び、その「教え」に触発されながら、ようやく<学ぶこと>を理解しはじめ、やがて、<メガネ>を変えることで、世の中が違って見えるようになることに、驚きと興奮、そして(ぼくにとっての)救いのようなものを感じた。
それまで20年間生きてきたなかで、ぼくのなかに蓄積されていた「言葉」や「考え」が、確固たるものではなく、<不確かなもの>として立ち上がってくるようになった。
ぼくが小さい頃から「違和感」を感じ続けてきたことのひとつとして、「現実(リアリティ)」、そして「夢」ということがある。
世間も大人たちも「現実を見なさい」と語り、見えないプレッシャーを投げかける。
そこで語られる「現実」ということに、ぼくは違和感を感じ続けてきたのである。
ようやく<学ぶこと>をしはじめたぼくは、いろいろな人たちの著作のなかで、多様で深い「言葉」と「思考」に出会い、これまで蓄積されていた言葉や考えを解体していくようになった。
これまでの言葉を<括弧でくくる>ことで見直し始めた頃、作家の辺見庸の著作群に出会い、辺見庸が影響を受けてきた作家などにも手をひろげていき、そのなかに作家の埴谷雄高(はにやゆたか)がいた。
「夢と現実」について次のように語る埴谷雄高に、ぼくは出会う。
…夢について、初めは誰でもそうでしょうけれども…現実の人間の生活から遠く離れた架空な、きれぎれな低次な意味しかもっていないものだと思っていた。人生の小さな装飾というぐらいにみていたのです。ところが、成長するにつれて、考え方が逆転してきて、どうも僕たちの現実自体が夢を見る見方にこそ支えられているという気がしてきた。夢を見ているその夢の枠から「僕」がでれないとまったく同じ仕方で、まったく同じ制約法でどうも僕たちは「僕」と「もの」のなかにいる。こう思えてくるとどうも夢のほうが僕たちの生を支えている素朴な原型であって、われわれのもっているこののっぴきならぬ思考法はむしろ夢に規定されている。…
埴谷雄高『凝視と密着』未来社、1969年
ここでは「夢」というものが、きれぎれなものから生の素朴な原型というものにいたるまで重層的に語られている。
「人生の小さな装飾」としての夢が、成長の過程において<括弧>くくられ、現実を包摂するようなものとして生きられ、感覚され、見晴るかされている。
それは、ぼくの生きることの経験に根ざした直感に、直接に接続される言葉の表現を与えてくれるようなものであった。
そのような言葉との出会いが、人の生の道ゆきを照らし出してくれる光源となってくれる。
「働き方」における働く人たちの内面を照らす物語。- 朱野帰子著『わたし、定時で帰ります。』を読んで。
朱野帰子の小説『わたし、定時で帰ります。』(新潮社、2018年)(正式な発売の前の「期間限定無料版」)を読む。
朱野帰子の小説『わたし、定時で帰ります。』(新潮社、2018年)(正式な発売の前の「期間限定無料版」)を読む。
本のタイトルであり、作品中にいくども語られる「わたし、定時で帰ります」ということは、デジタルマーケティング会社に勤務する東山結衣のモットーである。
18時の終業時間には必ず仕事を終えることを、三十二歳になる東山結衣は執拗なまでに実践している。
そこに、破格の受注額で仕事を引き受けようとする福永清次という新しいマネジャーが配属され、「ウェブサイトの大幅リニューアル」というプロジェクトが動き出すなかで、いろいろにドラマが展開していく作品だ。
「わたし、定時で帰ります。」という言葉に、人はそれぞれに、いろいろな記憶や感情、そして心のなかで展開する「物語」をいだくであろう。
日本は「働き方改革」のなかにあり、海外の日系企業も異文化との接点のなかで「働き方(またマネジメント)」にいろいろな問題や課題をかかえている。
この本の物語は、人それぞれに違う仕方で響くであろう「働き方」を主旋律にして展開されていく。
人それぞれに多様な捉えられ方をする「多様性」を反映するように、登場人物も多様な背景をもつ個人で設定されている。
このような物語を読むうちにぼくが感じる「違和感」は、仕事の意義や目的などが脇に追いやられていることであるが、そのことが逆に、実際に「働き方」という組織内部のマネジメントに終始しがちな仕事の日常をうつしだしているようにも見てとれる。
その意味において、(良し悪しはさておき)ある程度の働く人たちの「ありがちな目」を通じた風景を意図的に描きだした作品とも言える。
この作品はそのような日常を描きながら、職場の人たちが相互に「誤解」をしている心象風景も描いていることで、人と組織の問題の一端をつかんでいる。
そして「誤解」は、それぞれの人のいわば「偏った見方・バイアス」に絡めとられた形でつくられ、そして言葉や行動に現れる。
東山結衣は、「わたし、定時で帰ります」という<位置>にじぶんを置いたことで、そしてある意味、この「ふっきれた立ち位置」を肯定的に転換させてゆくことで、この誤解に充ちた職場空間に光明を与えてゆくことになる。
読者は「東山結衣」であるかもしれないし「東山結衣」ではないかもしれないけれど、登場人物のある程度の「タイバーシティ」のなかで、いずれかの登場人物にじぶんの心情を重ねながら、あるいは上司や部下を登場人物に重ね合わせながら、物語を読み、何かを見つけ、何かを感じることができるように思う。
登場人物のそれぞれの内面に光をあてながら、そしてそれらいずれもの感情を引き受けようとしながら、ぼくはこの作品を一気に読み終えた。
この物語のなかで、「定時で帰るなんてなんぞや/ありえない」という極と、「とにかく定時で帰ります」という極との<橋渡し>が、どのようになされ、そしてどのように結実していくかを追いながら。
「読まな、損やでぇ」の本から本へ。- 河合隼雄『こころの読書教室』の語りで、心の深みに降りる。
20歳になるまで、ぼくは本という本をほとんどといってよいほど読まなかった。
20歳になるまで、ぼくは本という本をほとんどといってよいほど読まなかった。
経験とじぶんでかんがえることが大切と思っていたのだと思うけれど、今思うと、それこそ浅いかんがえであった。
経験とじぶんでかんがえることに、「本」(他者の書くもの、また語り)が加わることで、経験とかんがえること自体にひろがりと深みがでるのだ。
そんな「本の読み方」と本から学ぶ(本と共に生きる)歓びを、ぼくはいろいろな人たちに学んだ。
そのうちの一人、心理学者・心理療法家の河合隼雄は、『こころの読書教室』(新潮文庫、原題『心の扉を開く』)のようなものとして、次のように書いている。
私はできるだけ多くの人に本を読んでもらいたいと思っている。それも、知識のつまみ食いのようではなく、一冊の本を端から端まで読むと、単に何かを「知る」ということ以上の体験ができると思っている。一人の人に正面から接したような感じを受けるのだ。
「情報が大切と言いながら、現代の情報は『情』抜きだから困る」と言ったのは、五木寛之さんである。私もこの考えに賛成だ。人間が「生きている」ということは大変なことである。いろいろな感情がはたらく、そして実のところ、その感情の底では本人も気づいていない、途方もない心の動きがあるのだ。そのような心の表面にある知識のみを「情報」として捉えていたのでは、ほんとうに生きることにはつながって来ない。
河合隼雄『こころの読書教室』新潮文庫
インターネットの発展は、日々、はるかに多くの「情報」の創出をうながしている。
情報空間は「知識のつまみ食い」の機会を次から次へと、つくっている。
しかし、「知識のつまみ食い」をくりかえしてもくりかえしても、なにかが抜けてしまっているような感覚におちいる。
河合隼雄が語るように、心の表面の知識を情報として捉えても、「ほんとうに生きること」にはつながっていかないと、ぼくも思う。
河合隼雄の読書のひろげ方(アンテナの張り方)は、「尊敬する人、好きな人の推薦」だという。
ぼくもまったく同じ「アンテナの張り方」をしている。
だから、『こころの読書教室』で河合隼雄がすすめる本を読む。
4回の講義録として編集されたこの本では、それぞれの講義ごとに、「まず読んでほしい本」五冊と「もっと読んでみたい人のために」五冊が紹介されている。
河合隼雄の関西弁では「読まな、損やでぇ」の、合計20冊の本たちである。
深層心理学の専門書はなるべく避けられ、小説や児童文学・絵本などがとりあげられている。
講義は、「まず読んでほしい本」で紹介された本を読み解きながらすすめられてゆく。
「話の筋」の、いわゆるネタバレがあるけれども、それだけで「わかった」という表面的な世界ではなく、深い世界へと降りてゆくような本である(「まず読んでほしい本」を読んでからこの本を読むのがよいのだろうけれど、ぼくは先に河合隼雄の講義に耳をすましてしまった)。
「私と“それ”」「心の深み」「内なる異性」「心ーおのれを超えるもの」という講義に、ぐいっとひきこまれてゆくのをぼくは感じ、そしてこの「一冊」を読むことで、やはり河合隼雄という人に正面から接したような感覚がわきあがるのだ。
それはこころの深いところに降りてゆくような対話のようなものである。
河合隼雄はこの本を講義録をもとにしてつくられている理由として、「語りかける言葉の方が、人間の心の扉を開いて下降してゆくのにふさわしいと思われる」(前掲書)と語る。
はっと、ぼくはそこで、河合隼雄の語りにひきこまれていった理由のひとつが紐解かれたようにも思った。
インターネットと本。- ぼくの「本」をアマゾンKindleの「本棚」に置くこと(置き続けること)について。
ぼくの著作、Amazon Kindle電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』。
ぼくの著作、Amazon Kindle電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』。
ぜひお手にとられて読んだいただきたく思う一方、「気長」にかんがえているようなところもある。
その理由のひとつは、「アマゾン+電子書籍」という組み合わせであるところであり、その土台としては「インターネットの世界」がある。
西野亮廣の著作『革命のファンファーレー現代のお金と広告』(新潮社、2017年)は、さまざまな視点と実践記録を提示してくれているが、そのなかに「インターネットが破壊したもの」という文章がある。
アマゾンと町の本屋さんとを比較しながら、インターネットによる「破壊と生成」の、つらなる断層を解説している。
結論的には、「インターネットが破壊したもの」は「物理的制約」であるという当たり前のことであるけれど、その視点を「本」というものに一歩すすめて、きりとっている(そして「創造的な実践」に西野はつなげていく)。
…町の本屋さんと違ってアマゾンは…“あまり売れない本”を本棚に並べておくことができる。取り扱っているものが物質ではなくデータだからだ。アマゾンの本棚は無限に続いている。…
たとえ、月に一冊しか売れないような本でも、それが数百万種あれば、月に数百万冊売れるわけで、チリも積もれば何とやらだ。…
アマゾンを支えているのは、まさかまさかの“あまり売れない本”だったわけだ。
西野亮廣『革命のファンファーレー現代のお金と広告』幻冬舎、2017年
そしてこの「数百万冊」は今もこうして、日々増えている。
数十年前に出版された英語書籍を読みたいと思った時に、ぼくはそれがKindle電子書籍で出ているかを確認する。
そのようにして見つけた古典的な良書を、ぼくは「ワン・クリック」で購入して、読むことができる。
この書籍にとって、「ワン・クリック」を得ることができるのは月に1回かもしれない。
でも、そのような本が数百万冊あって、世界のどこかで、だれかが「ワン・クリック」で購入している。
西野亮廣は、町の本屋さんが「20:80の法則」で動いていることを解説している。
仮に100冊の本を店に並べるとしたら、人気の上位20冊の売り上げが店の売り上げの80%を占めているという。
そうすると、本屋を支えているのは、“あまり売れない本”ではなく、上位20%の「売れ筋商品」となる。
残り80%の本は、限られた売り場面積を無駄にしてしまうので、版元に返本され、売れそうな本と取り替えられることになってしまう。
インターネットによる「破壊と生成」は、こうして、いろいろなことのルールや常識を変えていくことになる。
というわけで、「絶版」はぼく自身が決めないかぎりないし、大躍進中のアマゾン(そしてジェフ・ベゾス)を見ていると「アマゾンがつぶれること」もKindleの方針を大きく変えることも、今のところはない。
ちなみに、ぼくは「町の本屋さん」も、とても好きである。
売れ筋商品から世界の動きや人びとの関心をかんがえ、またあまり売れない「残り80%の本」のなかに、おもしろそうな本をみつける。
そのような出会いもある。
西野亮廣がいうように「インターネットが破壊したもの」は「(物理的)制約」である。
破壊された制約とその周辺から、新しく、いろいろなものが「生成」されてゆく。
「アマゾン+電子書籍」というプラットフォームは、このように、ぼくにとっての力強い味方だ。
こうして、ぼくの本は、(見渡すことのできる未来の時空間において)「アマゾンの本棚」にずっと陳列されることになる。
職場における「物語」の適用と方法のヒント。- 豊田義博著『なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?』。
職場における「物語」の適用と方法と有効性について、豊田義博が著書『なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?ー職場での成長を放棄する若者たち』(PHP研究所)で、背景を含め、実践におとせるところまで具体的に書いている。
職場における「物語」の適用と方法と有効性について、豊田義博が著書『なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?ー職場での成長を放棄する若者たち』(PHP研究所)で、背景を含め、実践におとせるところまで具体的に書いている。
ぼくのメンターである方からその存在を教えられた本書は、「物語」を職場での実践へ接続することにおけるヒントがさまざまに提示してくれる。
「20代が、生き生きと働ける次世代社会の創造」を使命とする著者の豊田義博が、キーワードとして挙げているのは、次の4つである。
● 社会とのつながり
● 問いかけ
● 物語
● 環境適応性
どれもがぼくの関心とつながり、またそれぞれのキーワードは相互に連関するものであるが、ぼくの当面の(そしておそらくずっと続いていく)フォーカスとして、生きるということの「物語」がある。
本書は、若手が生き生きと働けるようにするための「マネジャーへの処方箋」として、「物語・ストーリー」のエッセンスを、次のように取り入れた方法を提示している。
1) キャリアインタビュー
2)「仕事の型」づくりにつながる3つのプロセス:「初期設定の工程」「実践の工程」「成果検証の工程」
豊田が土台のひとつとして置いている考え方は、「批判的学習モード」と呼ばれる学習モードである。
モードを、下記に示される「手段探索モード」から他のモードへと変換をしていくことが提示されている。
● 手段探索モード:自分の置かれている状況を所与とし、指示が出ると、その手段や方法をすぐに考える思考回路
● 目的合意モード:指示が出ると、その目的は適切かなど、背景や考え方に戻って、目的を批判的に考え直す思考回路
● 背景批判モード:目的設定の背景と考え方を批判的に考え直す思考回路
この「批判的学習モード」を活かすことで、若手社員が入社後に(多くは幻滅をともなって)みにつけてしまっている思い込みや先入観(豊田は「フィルター」と呼ぶ)をはずすことを、豊田義博はすすめている。
1)キャリアインタビュー
そのとっかかりの方法として豊田義博が提示する「キャリアインタビュー」では、若手社員がどにょうに会社に出会い、どのように好感をもち、どのような期待をもって入社したのかを聞いていく。
若手社員にこのキャリアインタビューを行うことで、フィルターをかけてしまう前の認識に気づく機会を提供する。
そのプロセスで「自己発見をもたらす四つの質問」として、豊田は次の4つを挙げて、言い回し例も含めて提示している。
● 経験が「広がる」質問
● 経験が「結びつく」質問
● 経験の「見方が変わる」質問
● 経験が「統合される」質問
このインタビューには、このプロセスで若手社員は「物語」を語ることになること、その物語を通じて現時点でのものの見方や考え方の良し悪しや偏りを気づかせることが、大きな目的として置かれている。
2)「仕事の型」づくりにつながる3つのプロセス:「初期設定の工程」「実践の工程」「成果検証の工程」
本書よくふれられる「仕事の型」(=基礎力の自分流コーディネーション)をみにつけていくことが大切とされ、その原型は最初の3年で出来上がっていくものとされる。
その「仕事の型」をつくっていくことにつながるプロセスとして、「初期設定の工程」「実践の工程」「成果検証の工程」の3つのプロセスがある。
目の前の仕事の先に「顧客や社会」とのつながりが見えていない状況の若手社員のために、3つのプロセスを通じて、経験学習を促進していくことになる。
そのひとつ目の「初期設定」のポイントとして、豊田義博は次のように書いている。
ポイントは、この工程において、その仕事の主役は、彼・彼女であり、彼・彼女がいい仕事をすることで、顧客が喜ぶ、というストーリーを、彼・彼女の頭の中に想起させることです。
繰り返しになりますが、仕事は、マネジャーであるあなたから、メンバーである彼・彼女へのアサインによってスタートします。あなたは、必要な情報をいろいろと語り、彼・彼女に仕事の概要を伝え、わかってもらおうとするでしょう。しかし、このようなレクチャースタイルは、一つ間違うと、その仕事の主役はあなたであり、彼・彼女はその主役がいい成果を出すためのわき役であるという認識を強く植え付けてしまいます。
豊田義博『なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?』(PHP研究所)
豊田義博自身の「使命」とする「20代が、生き生きと働ける次世代社会の創造」は、方法論的に「20代」にフォーカスする仕方で追及されている。
本書のひとつの特異性のひとつに、若手社員に接するマネジャーへのアドバイスに限らず、第5章で「若手社員への処方箋」として若手社員へのアドバイスが展開されていることが挙げられる。
人それぞれが、それぞれに、物語をきりひらいていこうとするところに、新たな物語はひらかれていくのだということでもある。
それは、根底的には「20代が」というよりは「20代も」というところであり、さらにはどの世代にとっても「生き生きと働ける」ことがつくられるところに、ほんとうの「生き生き」が創造されてくるように思われる。
その視点からは、人それぞれが、「物語」をどれだけ生きているのか、ということが大切であるように思われる。
そして、その「物語」は、仕事だけでなく、<生きることの物語>である。
時代も世界も、働くこと(ワーク)と生きること(ライフ)が相反する仕方ではなく、密接につながり、また統合されたりするような動きを見せてきている。
その意味においても、<生きることの物語>をどのように生き、語り、紡いでいくことができるのかが、若手に限らず、どの世代においても、とても大切なこととしてぼくたちの前に現れているように、ぼくは思う。