「欲望は欲望によってしか越えられない」(見田宗介)。- 生き方の「道具箱」におさめる言葉。

ぼくは、20年ほど前のメモに、こう記している。見田宗介「欲望は欲望によってしか越えられない」。前後の脈力もなく、この一文を、手書きで、書き付けている。...Read On.

ぼくは、20年ほど前のメモに、こう記している。
 

見田宗介「欲望は欲望によってしか越えられない」


前後の脈力もなく、この一文を、手書きで、書き付けている。

当時なぜこの一文に惹かれたかは定かではないけれど、「欲望を禁欲する」仕方に、息苦しさのようなものを感じていたからだと、ぼくは思う。

ただし、人が自身の人生を生きていくときにも、組織が組織文化をかたちづくっていくときにも、あるいはひとつの社会がその社会を構想していくときにも、この認識は、きわめて、大切である。

人生においても、組織文化においても、そして社会構想においても、二つの方向性がある。

これら二つの方向性は、行動様式の「基底的な認識」を、次のように異にしている。

  1. 「欲望は欲望によってしか越えられない」
     
  2. 「欲望は禁欲によってしか越えられない(抑えることができない)」

もちろん、実際の社会的な生活のなかでは、ぼくたちは「禁欲」しなければならないことを、さまざまにもっている。

組織や社会では、ルール・規則は必要だ。

しかし、このような「生活の表層」でなく、ぼくたちは、生きることの<基層>ともいうべき地層にまで降りていく。
 

社会学者の見田宗介は、「欲望」という問題系に対して、きわめて意識的に、取り組んできている。

彼の修士論文をベースとする大著『価値意識の理論』(弘文堂、1966年)は、副題を「欲望と道徳の社会学」としている。

社会的人間の理論における、これら二つ(欲望と道徳)の問題系は、次のように、方法として、分けられている。

  1. 欲望の問題系:人間の行動の「動機」ないし「欲求」、また行動の「目的」や「生き甲斐」
     
  2. 道徳の問題系:「ほんとうの善」とはなにか、「ほんとうの幸福」とはなにか

これらの問題系が、後年、見田宗介が展開する理論や分析の<基層>として、一連の著作に通底してくることになる。

『価値意識の理論』から30年後の1996年に出版された『現代社会の理論』(岩波新書)では、「欲望は欲望によってしか越えられない」という視点が、「歴史的な出来事の分析」と「未来の構想」の二つに向けられている。

第一に、「歴史的な出来事の分析」として、「冷戦の勝利」ということを見ている。

「冷戦の勝利」について、理論的・思想的に寛容なことは、勝利は軍事力の優位による勝利ではなく、「自由世界」における<情報と消費の水準と魅力性>であったことであると、見田は言う。

第二に、「未来の構想」として、われわれは「情報を禁圧するような社会、消費を禁圧するような社会」に魅力は感じず、「情報と消費」のコンセプトを原的に考察し、そこから未来をきりひらくことを、提案している。

また、社会の視点だけでなく、「個」という視点においても、見田宗介は別の著作(『自我の起原』岩波書店)で、エゴイズムが禁欲ではなく、個に装填されている「欲望」によってひらかれることを、生物社会学・動物社会学の地平から解き明かしている。


生活の表層における禁欲はさておき、ぼくたちは、じぶんが生きていくなかで、二つのアプローチをとることができる。

欲望を欲望によって超えるか、禁欲によって超えるか。

「それはセルフィッシュだ(自己中心的だ)」というときに語られる「欲望」は、ときに、「貧しい欲望」であったりする。

そのような欲望は、「ほんとうの歓び」ではなく、一時的な欲求充足である。

中途半端な「自己中」なのだ。

「ほんとうの歓び」は、「セルフィッシュ」を、原的に、そして徹底的に突き詰めていく先にひらかれるものだと、思っている。

「ほんとうの歓び」は、自分一人だけでは、手にすることができない。

これからの人の生き方の規範も、これからの組織も、これからの社会も、見田宗介の一文が、鍵の一つだと、ぼくは思う。

ただし、現代社会では欲望は表層的に、またネガティブに捉えられがちである。

欲望の言葉の周りには、さまざまな「禁欲」「禁圧」の言葉が、道徳的に語られている。

それでも、表層の言葉と現象を透明につきぬけていく芽となるように、ぼくはその<基層>に、言葉の種をまきたい。

「欲望は欲望によってしか越えられない」

 

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「ユートピア・天国・極楽」という幻想に仮託された世界の可能性。- ルトガー・ブレグマン、ユバル・ハラリ、見田宗介に共通する視野・視点。

「ユートピア・天国・極楽」といったイメージや幻想に仮託されてきた世界の可能性を考える。...Read On.

「ユートピア・天国・極楽」といったイメージや幻想に仮託されてきた世界の可能性を考える。

歴史という射程距離の長い視野で、人間と社会の未来を真摯に考え構想する、ルトガー・ブレグマン、ユバル・ハラリ、見田宗介に触発される。
 

1)ユートピア・天国・極楽に仮託された世界の可能性

オランダの思想家・歴史家であるルトガー・ブレグマン(Rutger Bregman)の著作『Utopia for Realists』(邦訳「隷属なき道」文藝春秋)を読んでいる。

邦訳の副題は「AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働」と題されているが、英語版は「How We Can Build The Ideal World」であり、硬質な理論・思想を展開している。

そもそも、この著作を手にとった理由は、(ぼくが読み飛ばしてしまっていた)社会学者・見田宗介の文章であった。

近代・現代の後にくる時代、「永続する安定平衡の高原(プラトー)」としての社会を見晴るかしながら、見田宗介は、このように書いている。
 

 幾千年の民衆が希求してきた幸福の究極の像としての「天国」や「極楽」は、未来のための現在ではなく、永続する現在の享受であった。天国に経済成長はない。「天国」や「極楽」という幻想が実現することはない。天国や極楽という幻想に仮託して人びとの無意識が希求してきた、永続する現在の生の輝きを享受するという高原が、実現する。…

見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19
 

「天国」や「極楽」という幻想の実現はないけれど、そこに「仮託された・希求された世界」は可能であること。

オランダの29歳の思想家・歴史家は、同じように、「Utopia」(ユートピア)の幻想と思想に仮託されてきた世界の実現を描く。

ルトガーが「ユートピア」という言葉に託すのは、ブループリント的な世界ではなく、開かれた世界である。
彼は、「よい場所」(good place)であり「どこでもない場所」(no place)と書いている。
「想像力を喚起・触発するような代替的な地平(horizons)」が必要なのだと。
「地平」は複数形で、開かれた世界である。
(Rutger Bregman『Utopia for Realists』Little, Brown and Company)

歴史家ユバル・ノア・ハラリは、天国や極楽やユートピアとは直接的に言っていないけれど、人類が克服してきた3つのこと(飢饉・飢え、ペスト、戦争)が管理可能な世界は、昔の人びとにとってみれば、ユートピア・天国・極楽のような世界である。

そして、ユバル・ハラリは、著書『Homo Deus』で、人類の未来の企てとして「Deus(神)になる」ことを挙げている。
天国・極楽・ユートピアは、「神」がつくる世界である。

それらの共同幻想として希求されてきた世界は、「可能な世界」として、現代の真摯な智者たちに、現れている。
 

2) 未来の構想

ユバル・ハラリも、ルトガーも、そして見田宗介も、科学に依拠しながら、(これまで科学が重点を置いてきた)「未来の予測」ではなく、「未来の構想」に照準をあわせている。

ユバル・ハラリは、「歴史を学ぶこと」の目的を、次のように書いている。
 

…科学はただ単に未来を予測するだけのものではない。すべての分野の学者たちは、しばしば、われわれの地平(horizons)をひろくすること、そうすることでわれわれの前に新しい未知の未来が開かれることを希求する。これは歴史について特に言えることだ。歴史を学ぶことは、結局のところ、われわれが通常考えない可能性に気づくことを目的としている。歴史学者は、過去を、繰り返すために学ぶのではなく、過去から解き放たれるために学ぶのだ。

Yuval Noah Harari 『Homo Deus』(HarperCollins, 2016)
(邦訳はブログ筆者)

 

ユバル・ハラリの視野は、著書『Sapiens』(サピエンス全史)に見られるように、その射程は果てしなく広い。
ルトガーも、歴史に刻まれてきたユートピア思想を丹念に読み解くところから、未来の「現実的なユートピア」を描いている。
見田宗介も、ヤスパースの「軸の時代」という、紀元前に思想や哲学や宗教が花開いた時代の転回点として、現代と未来を見据えている。

近代・現代という世界を、歴史という視野・視点をとりいれることで相対化し、それを踏み台にして「未来を構想」している。
 

3)ぼくたちの生きている「現代」

見田宗介は、人びとが天国や極楽という幻想に希求してきた「永続する現在の生の輝きを享受するという高原」は可能としながらも、そこには「幾層もの現実的な課題の克服」が必要であることに触れている。
 

…この新しい戰慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な過渡期の転回を共に生きる経験が「現代」である。

見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19
 

こう見てくると、ぼくたちの生きている「現代」とは、人の歴史における、とても大きな転回点であることがわかる。

経済において、例えば、景気がよいとか悪いとか、それだけに回収されない情況に、時代に、ぼくたちは生きている。
産業構造の転換だけに回収されない情況に、時代に、ぼくたちは生きている。

幾千年もの間、人びとが希求してきた世界の実現への「過渡期」に、ぼくたちは生きている。

これから人と社会は、見田宗介が書くように、「新しい戰慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な」時期を加速させていくだろう。

人工知能も、IoTも、ベーシックインカムも、ビットコインも、ポケモンも、Facebookも、この「過渡期」における現実的な課題の克服のための、幾多もの「試み」の氷山である。

これまで「あたりまえ」だと思っていたことが、この幾多もの「試み」のなかで、まったく違ったものになっていくだろう。

働き方が変わり、学び方も変わり、遊び方も変わり、そして生き方も変わっていく。
これまでの人類が経験もしたことのないような仕方で。

この「現代という過渡期」の「戰慄と畏怖」のなかで、予測ではなく、未来の構想に向けて、雨粒のひとつのような文章を、ぼくは紡いでいる。

この<雨粒>のひとつは、他の雨粒たちとともに、この<地球>においてふりそそぐことで、ふりつづけることで、人と社会という<地層>を次第に固めていくことになるとよいと、ぼくは思う。
 

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

社会学者「見田宗介=真木悠介」の「文章の魅力」に学ぶ5つのこと。- その魅力を、ときほぐしてみる。

「書くこと」を、ぼくが積極的にするようになったのは、20年ほど前、日本の外を旅し、生活をしはじめたときであった。...Read On.

「書くこと」を、ぼくが積極的にするようになったのは、20年ほど前、日本の外を旅し、生活をしはじめたときであった。

日本の外を旅し、また生活するなかで、それらの経験の核が身体に蓄積し、言葉という形で表出され、生成され、そして探索された。

その折に出会った、社会学者である見田宗介先生(ペンネーム:真木悠介)の「文章」に、ぼくの心身は開かれた。

言語はその限界をもつことはわかりつつ、その可能性を感じることができたのだ。

それは、見田宗介が言う「メタ合理性=合理性の限界を知る合理性」と同じように、「メタ言語性=言語性の限界を知る言語性」のようなものだ。

「書くこと」は、その限界と危険性を内包しつつも、それでもこれまでの世界を切り拓いてきた原動力のひとつである。

ただし、「書くこと」の可能性を最大限にひきだすような「何か」が必要である。

その「何か」について、見田宗介=真木悠介先生から、ぼくが学んだことの内、ここでは5つを取り上げて書こうと思う。

それらが、ぼくを惹きつけてやまない文章の、魅力である。

 

その前に、見田宗介の文章の一部を引いておきたい。

学術論文として、「近代のあとの時代」を書いた文章の最終節、「高原の見晴らしを切り開くこと」の冒頭である。
 

 近代に至る文明の成果の高みを保持したままで、高度に産業化された諸社会は、これ以上の物質的な「成長」を不要なものとして停止し、永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)として、近代の後の見晴らしを切り開くこと。
 近代の思考の慣性の内にある人たちにとっては、成長の完了した後の世界は、停滞した、魅力の少ない世界のように感覚されるかもしれない。
 けれども経済競争の脅迫から解放された人類は、アートと文学と思想と科学の限りなく自由な創造と、友情と愛と子供たちとの交歓と自然との交感の限りなく豊饒な感動とを、追求し、展開し、享受しつづけるだろう。…

見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19

 

1)論理・ロジックの徹底

ぼくが学んだこととして、そして魅力のひとつとして、論理・ロジックがまず挙げられる。

とりわけ、3つの面である。

・全体の論理構成
・ひとつひとつの分析や論理展開
・むだのない文章

全体構成として、一冊の書籍があるとすると、それがひとつの完璧なロジックでつくられた小宇宙のようである。

真木悠介『時間の比較社会学』や『自我の起原』の最終章は、「まとめ」が書かれているけれど、全体の論理を再度まとめていく仕方は徹底している。

そして、ひとつひとつの章や節などで展開される分析と論理も、その徹底さゆえに、批判のつけどころがない。

そして、そのようにして、削ぎ落とされた文章にはむだがない。
だから、見田宗介=真木悠介の文章を「要約」するのは、極めてむずかしい。
すでに「要約」されているほどに削ぎ落とされて書かれているからだ。


2)一文字・一文に「賭けられた」論理

さらに、一文字や一文の論理や展開も研ぎ澄まされている。

上記の文章においても、「…感動とを、追求し、展開し、享受し」と、論理・展開がありうる動詞が並記されている。

また、1)ともつながるけれど、一文字、一文、一段落をとってみても、その「背後」には、見田宗介=真木悠介がこれまでにつみあげてきた論理がひかえている。

見方を変えると、ひとつの文章を述べるために、(それ以前に)一冊の本が書かれていたりする。

一文字・一文に「賭けられた」論理は、そこに、また小宇宙を内に宿している。
 

3)文章の「美しさ」、独自の文体

見田宗介=真木悠介の文章は、論理だけではない。

その「美しさ」が人を惹きつける。

「美しさ」を解凍してみる。

ひとつには、イメージをよぶような「詩的な言葉たち」が散りばめられている。
上記の文章でも、例えば、「高原(プラトー)」がおかれる。

ふたつめに、美しさは「身体性」に接続されている。言葉が身体的なのだ。
身体的であるということは、そこに「リズム」があるということでもある。
村上春樹が文章を書く際に「リズム」をもっとも大切にするというが、見田宗介=真木悠介の文章も、そこに彼の「リズム」がきざまれている。

みっつめに、「息の長い」文章である。
見田宗介=真木悠介が書く「一文」は、長いことが多い。
現代では「文章は短く簡潔に」と教わるが、彼の文章は逆に長い。

見田宗介=真木悠介は、息の短さと文章の短さについて、インタビューか何かで、ふれている。
だから、彼は、意図的に、息の長い文章を書いている。
そこに、生き方がこめられている。


こうして、「独特の文体」ができあがり、見田宗介=真木悠介が刻印された文章となる。
 

4)生きられた文章、生きられた問い・情熱・肯定性

見田宗介=真木悠介の文章の「美しさ」は、それが生きられた文章だからである。

生きられた文章であることとは、そこに、生きられた問いや思い、情熱などが、いっぱいにこめられていることである。

それらが、文章のなかで、静かに、つたわってくる。

そして、見田宗介=真木悠介の文章は、「肯定性」に彩られている。

「人が正面から見ることのできないものは、死ではなく、生である」と語る、彼のどこまでもひろがる肯定性が、文章の地層をおおっている。

そうであることで、それは「生成力」のある文章だ。

他者たちのなかに、問いや思い、情熱や肯定性を、生成していく文章である。

 

5)なんども恥と悔恨を飲み下すこと、繰り返す転回

見田宗介=真木悠介は、このような文章に、容易に、到達したわけではない。

なんども恥と悔恨を飲み下しながら、獲得していった「文体」である。

文章を書く過程で、なんども「書いたものを捨て去る」という転回の経験を繰り返してきたことを、彼は語っている。

「文体」における巨大な転回は、1970年代半ばの「旅の前後」である。

それまでの、抽象的でイメージのわかない文章から、具体性のともなった美しい文章に、字義通り、生まれ変わった。

その作品が、真木悠介名での名著『気流の鳴る音』であった。

極めてきたものにしか書けない文章が、そこには確かに、存在している。

 

ぼくは、これらの「魅力」に深く惹かれつづけ、そして学びつづけている。

日本にいたときも、西アフリカのシエラレオネでも、東ティモールでも、そして、ここ香港においても、ぼくの横にはいつも、見田宗介=真木悠介の著作が置かれている。

それら著作をひらくと、そこにはやはり、美しい文章たちがひろがっている。

そこに眼を投じ、文章の小宇宙のなかに入っていくと、ぼくの眼の前の「世界」は、肯定性の光に照らされ、美しさを放つのだ。


 

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「メタ合理性」(見田宗介)の視界。- 「未来構想のキーワード」を道具箱に集める。

これまでの歴史に見られないほどの、時代の激しい変遷のなかで、「未来」は「予測するもの」としておかれがちである。...Read On.

これまでの歴史に見られないほどの、時代の激しい変遷のなかで、「未来」は、「予測するもの」としておかれがちである。

人工知能(AI)、IoT、VR、ベーシックインカムなど、この変遷を駆動するキーワードには事欠かない。

それはそれで大切なことであるし、ぼくも「定点観測」で、いろいろな事象をおっている。

予測は難しくても、数々の叡智たちをまねて、「今のなかに未来を視る」ことを心がける。

しかし、それと同時に大切なことは、「未来(の社会)を構想すること」である。

歴史や社会は、予測の対象という客観的な対象として現象するものでありながら、われわれが主体的に創っていく(少なくとも主体的に影響を与える)ものでもある。

 

ただし、構想する対象としての「未来」の感覚のされ方も、変遷してきた。

社会学者・見田宗介は、2006年にヒットした映画『ALWAYSー三丁目の夕日』に触れて、次のように書いている。
 

一九五八年という、高度経済成長始動期の東京を舞台としている…この映画のほとんどキャッチコピーのように流布した標語は、
「人びとが未来を信じていた時代」
というものであった。「未来を信じる」ということが、過去形で語られている。一九五八年と、二〇〇六年という五〇年くらいの間に、日本人の「心のあり方」に、見えにくいけれども巨大な転回があった。

見田宗介「現代社会はどこに向かうか」『定本 見田宗介著作集 I』岩波書店


映画のキャッチコピーのように「すばらしい未来」を信じていた時代から、「不確実性の未来」に(意識的にも無意識的にも)不安を覚える時代に突入していると、ぼくは感じている。

この「不安」を駆動力として、未来を「予測」し、「生き延びるため」の準備をととのえたい欲求が発動される。

「構想」は、それとは違うベクトルで、未来を肯定性のなかにおく。

だから、人間の歴史で類を見ない変化のなかにおかれながら、「キャッチコピー」はこのように転回される。

「人びとが未来を構想する時代」。

 

「未来の社会学」を展開する社会学者・見田宗介が、この今の時代に要請される(べき)理由のひとつは、ここにある。

そして、ぼくたちは、「未来構想のキーワード」を見田宗介の理論と文章から取り出すことができる。

そのようなキーワードのひとつとして挙げておきたいのが、「メタ合理性」ということである。

見田宗介は、この言葉自体を主題化しているわけではないが、「近代のあとの時代」を考察するなかで、このことを書いている。
 

*合理性の二つの水準。合理性の限界を知る合理性。

合理性から非合理性へ、という仕方で前近代に戻るのではなく、合理性の限界を知る合理性=メタ合理性へ。具体的に内容をいえば、生の全域、社会の全域を支配する原則としての「合理化」ではなく、たとえば自由と自由との間を調整し、人間と自然との共生を豊饒に味わい深いものとして生成し持続するための叡智のようなものとして、合理性それ自体の限界を知る<方法としての合理性>として、<自由な社会>の道具箱の中にそれは生きつづけるだろう。

見田宗介「近代の矛盾の「解凍」」『定本 見田宗介著作集 VI』岩波書店
 

「近代社会の原理」は、「合理化」ということである。
合理化は、社会の組織などの全域、また生の全領域を、生産主義的に「手段化」していく力である。

見田宗介は、一九五八年から二〇〇六年の間のおよそ「五十年」に見られた「心のあり方」の変化を、「日本人の意識調査」(NHK放送文化研究所)にみている。

調査項目の「信じているもの」に関する、1973年と2003年調査の比較において、「奇跡」「易や占い」「お守りやお札の力」「あの世、来世」を信じるものが増大している(例えば、「あの世、来世」は、5%から15%へ増大)。

社会学者マックス・ウェーバー(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)が、かつて、近代社会の原理である「合理化」は「脱魔術化、魔術からの解放」であることを指摘していたことに言及し、見田宗介は「合理化=脱魔術化」という方向の変曲点の経過を、ここに読み取っている。

しかし、だから変曲点からの方向性として前近代に戻るのではなく、いわば「メタ合理性=合理性の限界を知る合理性」という方向性を、見田宗介は提示している。

「メタ合理性」。

ぼくたちは、このキーワードを、未来を構想するための「道具箱」に入れておくことができる。

 

追伸:
映画『ALWAYSー三丁目の夕日』は、香港のDVD店でも、手に入ります。
日本の外(アジア)でも、それなりによく観られた映画でしょうか。
経済成長を遂げてきているアジアの国々では、違った観方(過去形ではなく現在形での観方)がされていると、ぼくは思います。

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香港科学館「Eternal Life: 古代エジプト展」を観て。- 「永遠の生」を希求すること。

香港にある香港科学館で、古代エジプト展「Eternal Life: Exploring Ancient Egypt」を観る。香港が中国に返還されてから20周年を迎えることを記念するイベントのひとつである。...Read On.

香港にある香港科学館で、古代エジプト展「Eternal Life: Exploring Ancient Egypt」を観る。
香港が中国に返還されてから20周年を迎えることを記念するイベントのひとつである。

展示場は、学校の社会見学で訪れている団体、家族、若者など、展示場は平日の午前でも、人であふれかえっている。

特別に開設された展示場では、大英博物館から、6体のミイラを中心に約200点がもちこまれ、展示されている。6体のミイラは、3,000年から1,800年前の時代を生きた個人たち(既婚女性、吟唱者、祭司、歌手、子供、若者)である。

CTスキャンなどの先端技術による病理学的見解、装飾品、壁画、食べ物など、展示物は多岐にわたっている。

それら展示物を見ながら、訪れる人たちは何を感じ、何に思いをはせ、何を考えているのだろう。

ぼくは以前、ロンドンの大英博物館で、これらのいくつかには出会っていたかもしれない。
でも、今考えてやまないのは、この「Eternal Life」、永遠の生という主題である。

 

1)「永遠の生」を希求すること

暗がりの展示場に足を踏み入れながら、ぼくは、「永遠の生」を希求したであろう人たちの、その生に思いをよせる。

ここの6人の人たちはどのような生をおくっていたのだろうか。
ミイラをつくり、それを見守り、その文化を支える社会はどのようなものであったのか。
人は何を恐れていたのか。
人はほんとうは何を希求していたのか。
永遠の生を希求する人たちの生は、何に支えられていたのか。

疑問と思考が、絶え間なく、ぼくにやってくる。
展示場を去ってからも、思考は古代エジプトの人たちによせられる。

古代エジプト展をみてから後に、社会学者・真木悠介の名著『時間の比較社会学』をひらく。

真木悠介は、「死の恐怖」というものを、まっすぐに見つめながら、こう書いている。
 

死の恐怖からの解放…われわれはこの精神の病にたいして、文明の数千年間、謝った処方を下してきたように思われる。まずそれを実在的に征服する試みとしての、不死の霊薬の探索やミイラ保存の技法といった技術的な解決の試行。第二にそれを幻想的に征服する試みとしての、肉体は有限であるが「魂」は永遠であるといった宗教的な解決の試行。そして第三に、それを論理的に征服する試みとしての、時間の非実在性の論証といった哲学的な解決の試行。…

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
 

真木悠介は、文明の数千年を見渡しながら「誤った処方」とする、
●技術的な解決の試行
●宗教的な解決の試行
●哲学的な解決の試行
をのりこえていく方向性を、次のように、書く。

 

…われわれがこの文明の病から、どのような幻想も自己欺瞞もなしに解放されうるとすれば、それはこのように、抽象化された時間の無限性という観念からふりかえって、この現在の生をむなしいと感覚してしまう、固有の時間意識の存立の構造をつきとめることをとおして、これをのりこえてゆく仕方でしかありえない。

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
 

このような「序章」ではじまる『時間の比較社会学』の世界に、こうして、ぼくはまた惹き寄せられてしまうのだ。
 

2)「軸の時代」(ヤスパース)と古代エジプト

人間が希求してやまない「抽象化された時間の無限性」の生成期として、見田宗介(真木悠介はペンネーム)は、カール・ヤスパースが「軸の時代」(枢軸時代)と呼ぶ時代を重ねる。

カール・ヤスパースは、著書『歴史の起源と目標』のなかで、この「軸の時代」という、歴史の素描を展開している。

ヤスパースは、紀元前800年から200年の間を「軸の時代」と呼んだ。

その時期に、キリスト教の基層となるユダヤ教、仏教、儒教のような世界宗教、古代ギリシアの「哲学」などが、一斉に生まれた。

それは、香港の展示場で展示されている、古代エジプトのミイラがつくられていた時期と重なる。

この「軸の時代」の社会的文脈として、見田宗介は、貨幣経済の成立と浸透、交易経済の成熟、都市化、共同体から外部に向かう生活世界などを見ている。


…貨幣経済と社会の都市化と共同体からの離脱と生活世界の<無限>化は、<近代>の本質そのものに他ならないから、<軸の時代>とは、「近代」の遠い起原、あるいは近代に至る一つの巨大な文明の衝迫の起動の時代に他ならなかった。

見田宗介「高原の見晴らしを切開くこと」『現代思想』Vol.42-16
 

そして、現代は、この<無限>が、再度<有限>に出会う時代である。
「巨大な文明」の岐路にある。

ヤスパースと見田宗介の「思考の交差点」(「軸の時代」と「無限性」)から、ぼくたちは、古代エジプトの人たちが希求した「永遠の生」をどのように見ることができるか。

古代エジプトの人たちが切実に希求した「永遠の生」とその根底にある「無限への希求」の行き着く先(あるいは転回)の時代に、ぼくたちは今、こうしておかれている。

人間が生きることのできる空間(とそれが産出する資源、環境)と時間は「有限」である。
 

グローバリゼーションとは、無限に拡大しつづける一つの文明が、最終の有限性と出会う場所である。

見田宗介「高原の見晴らしを切開くこと」『現代思想』Vol.42-16
 

3)「Homo Deus」(ユバル・ノア・ハラリ)と「不死」

しかし、人類の「永遠の生への希求」は、その「無限性」を、捨てていない(あるいは捨てることができない)。

ユバル・ノア・ハラリは著書『Homo Deus』で、人類が「次に見据えるプロジェクト」として、3つを挙げている。

  1. 不死(immortality)
  2. 至福(bliss)
  3. 「Homo Deus」へのアップグレード

人類は、無限が有限に出会う現代という時代において、「不死」(永遠の生)を、霊薬やミイラではない「技術的な解決の試行」の方向性に、突き進めていく道をも選ぶ。

古代エジプトで日常に見られたであろう「飢饉」や「戦争」を解決してきた人類は、しかし、「不死」の希求を捨てていない。

ぼくたちは、このような時代の只中に、おかれている。


ところで、ピラミッド=ミイラと考えがちだけれど、ミイラは裕福な者であれば作ることができたという。

しかし、真木悠介の名著『気流の鳴る音』の「序」の最後に置かれる、ピラミッドの話が思い起こされる。

真木悠介は、エジプトではなく、マヤのピラミッド(そしてその周りにどこまでも広がるジャングル)を目にしながら、次のような想念を書きとめている。
 

…ピラミッドとはある種の疎外の表現ではなかったかという想念が頭をかすめる。幸福な部族はピラミッドなど作らなかったのではないか。テキーラの作られないときにマゲイの花は咲くように、巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれないと思う。…

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
 

この文章を、自分の心に映しながら、ぼくも同じような想念を抱く。

そして、自分の中に、「ピラミッド(のようなもの)を希求する気持ち」と「ピラミッド(のようなもの)など希求しない気持ち」の二つが、共にあることを確認する。

それは、まるで、「生の充実を『誤った処方』で追い求める自分」と「生の充実を心に感じている自分」とが、せめぎあっているかのようである。

その「せめぎあい」の落ち着かなさを、ぼくは、古代エジプト展の展示物の存在に囲まれながら、感じていたのかもしれない。
 

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「美しい姿勢」への憧れ。- 「ZYPRESSEN」のように、世界に立つために。

ほんとうに「美しい姿勢」に、ぼくは憧れる。人の美しい姿勢と歩く姿は、ぼくの記憶のなかで、アフリカの人たちのイメージと重なる。...Read On.


ほんとうに「美しい姿勢」に、ぼくは憧れる。
人の美しい姿勢と歩く姿は、ぼくの記憶のなかで、アフリカの人たちのイメージと重なる。

西アフリカのシエラレオネ。
朝靄の中を、大地に垂直に立ち、凛とした姿勢で歩を進める人たち。
夕暮れ時には、人のシルエットたちが、同じように、存在の根を大地にはるように、歩んでいく。
とりわけ、頭の上に籠を載せて歩いていく女性たちの、その姿勢と歩みの美しさに、畏れに近い感情を抱く。

「存在」の重み。存在感。
大地に、確かな仕方で立つ姿勢は、とても美しい。

美しい姿勢に対する憧れは、ぼく自身の姿勢の悪さとよくならないもどかしさの裏返しである。
小学生の頃、日本の学校で「姿勢の矯正」の教育があった記憶が、ぼくのなかにはある。
ぼくの姿勢は、中学生の頃には、「前のめり」になっていく。
高校生の頃には、それに、「猫背」が加わる。
そして、いつしか、ぼくは姿勢のことを、意識しなくなっていく。

一般的に、義務教育を終えてから後には、「姿勢」について、きっちりと教えてもらう機会はあまりないかもしれない。
時に、姿勢を仕事とするような場合や、接客やサービスの仕事などにおいて必要な場合、幸運にも、上司などの注意を受けることはある。
また、自分から「学ぶ」という人の話も、あまり聞かない。

なにはともあれ、自分で、切り拓いていくしかない。

ぼくの場合は、美しい姿勢への憧れ、そして他者たちの寛容な「サポート」により、少しづつ、姿勢を変えてきている。

人生のパートナーが、ぼくの横で、いつも指摘してくれる。ぼくも指摘する「指摘協定」だ。
職場で、プレゼンのリハーサルで上司が指導してくれたこともある。
メンターに指導を受ける。
本に学ぶ。

作家の中谷彰宏は、「生まれ変わりたい」と願う人たちへの指導で、姿勢をひとつの契機とする。


生まれ変わりたい人に対して一番目に直すのは、服装です。
二番目は、姿勢を直します。
これは身体的な姿勢と物事の考え方の姿勢です。
三番目に、新しい知識や工夫を入れます。

中谷彰宏『服を変えると、人生が変わる。』
秀和システム

 

中谷彰宏が書いていることを逆転させて、習う側から読むと、服装や姿勢を変えるということは「生まれ変わる」気持ちがあるということでもある。
ぼくの「根底」における「生まれ変わりたい」という焦燥が、ぼくの心に、絶えず火をくべてきたことは確かだ。

それから、「姿勢の専門家」たちの本にも助けられた。
とりわけ、猫背にはいくつか種類があり、ぼくは「腰猫背」であったことの理解は、目を見開かせるものであった。
「猫背」は、シンプルに背中の問題だと思っていたからだ。

そんな風に、自分の姿勢を気にしながら、香港の街で、行き交う人たち、とくに若者たちの姿勢が気にかかってしまう。

若者たちの姿勢が、ぼくが同じくらいの年齢であったころの自分の姿勢と重なる。
ぼくがそうであったように、時代や社会に対する「姿勢」のあらわれのように、ぼくには見える。

「姿勢」は、ぼくたちがこの「世界」に対峙する仕方を表現する。
そして、それはそうであるままで、他者、それから何よりも自分自身に対する態度・あり方でもある。

 

社会学者の見田宗介は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』に出てくる、「ZYPRESSEN」という言葉に眼を留める。
ひらがなと漢字のなかで、突如とあらわれる「ZYPRESSEN」。

 

「ZYPRESSEN」…は、糸杉である。詩の冒頭の陰湿な<諂曲模様>と鮮明な対照をなすものとして、ZYPRESSENは立ち並んでいる。ー曲線にたいする直線。水平にたいする直線。からまり合うものらにたいして、一本一本、いさぎよくそそり立つもの。…
 ZYPRESSENとは、地平をつきぬけるものである。…

見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
 

宮沢賢治は、若い頃、ゴッホの描く「糸杉」に惹かれていたという。
ゴッホの「炎」のイメージの糸杉が、宮沢賢治の詩に重なりながら、世界に垂直にそそり立つ賢治の意志をそこに結晶させている。

そして、ぼくも、ゴッホの糸杉に小さい頃から惹かれ、宮沢賢治、そして見田宗介の、「世界にたいして垂直にそそり立つ」あり方に、憧れてきた。

ぼくの、意志も、身体も、生それ自体も、垂直にそそり立っているか。

ゴッホの糸杉、宮沢賢治の『春と修羅』、見田宗介の文章、そしてアフリカの道を行き来するシルエットたちが、ぼくにそう問いかけてやまない。

押しつけるのでもなく、責めるのでもなく、ただ静かに、そこに垂直に「存在」しながら。

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「自我」の牢獄が溶解するとき。- 社会学者・真木悠介の「生の歓喜という経験」をめぐる冒険。

社会学者・真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく「主題」として、「生の歓喜」ということがある。世界の誰もが、意識的にあるいは無意識的に、追い求めてやまないものである。...Read On.

社会学者・真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく「主題」として、「生の歓喜」ということがある。
世界の誰もが、意識的にあるいは無意識的に、追い求めてやまないものである。

この短い文章は、この「生の歓喜」という経験についてのメモである。

ところで、人は「何が」歓喜をもたらすのか、と考える。
あるいは、「どのようなことをすることで」歓喜を得られるか、と考える。
つまり、好きなもの、好きなことを考え、見つけようとする。

しかし他方で、「生の歓喜」とは、「どのような経験」なのであろうか、と問うことができる。

真木悠介の仕事は、ここに「照準」を合わせ、あるいは「起点」として、人と社会を考察している。

社会学者の見田宗介が、ペンネームの「真木悠介」名で書いた作品群は「3+1」である。

3作品は、真木悠介の「トリオロジー」的作品である。

●『気流の鳴る音』(1977年)
●『時間の比較社会学』(1981年)
●『自我の起原』(1993年)

いずれもが、名著である。

この3作品に先立つものとして、真木悠介自身の「メモ」として書かれた作品、『現代社会の存立構造』(1977年)がある。

これで、「3+1」である。

真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく問いは、「生の歓喜」ということである。

そして、その問いをつらぬいていく主題は「自我」の問題である。

「自我の問題」が、トリオロジーの作品群を、例えば、次のようにつらぬいていく。


1)「トナール」と「ナワール」

名著『気流の鳴る音』。
この著作で、真木悠介は、カルロス・カスタネダの仕事を「導きの糸」に、「生き方の構想」を目指す。

その中で出てくるキーワードとして、「トナール」と「ナワール」がある。
メキシコのインディオの教えに出てくる考え方だ。

著書の中で記述される点を並べてみると、下記のようになる。
(以下、真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房)

●「トナール」:社会的人間。言葉でつくられた「わたし」。間主体的(言語的・社会的)な「世界」の存立の機制(※前掲書)。

●「ナワール」:「トナール」という島をとりかこむ大海であり、他者や自然や宇宙と直接に通底し「まじり合う」われわれ自身の本源性(※前掲書)。

つまり、「トナール」は、ざっくりと言えば、人間の「意識」や「マインド」である。
それは、いわゆる「自己」(自我)である。

「トナール」は、自分を守るものでありがながら、いつか、自分を「牢獄」にとじこめる看守(ガード)になってしまう。

カスタネダは、「ナワール」を解き放ち、トナールも含んだ「自己の全体性」を取り戻す教えを、インディオのドン・ファンから得ていく。

しかし、ナワールを解き放つ過程では、薬品など神経を麻痺させるような「対症療法」的な手段は選ばない。

「心のある道」を歩むことで、ナワールを解き放ち、「ほんとうの自分」を取り戻す。
そこでは、自分は「牢獄」から出て、人や自然の他者たちに開かれた「存在」となるのだ。

 

2)「コンサマトリー」な時の充実

「自我」という牢獄は、真木悠介の次の仕事でも、「時間」を主題に、追求されていく。

名著『時間の比較社会学』では、「終章 ニヒリズムからの解放」で、真木悠介はこのように書いている。

 

…われわれが、コンサマトリー(現時充足的)な時の充実を生きているときをふりかえってみると、それは必ず、具体的な他者や自然との交響のなかで、絶対化された「自我」の牢獄が溶解しているときだということがわかる。…

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店


真木悠介は、社会における「時間」の生成を徹底した論理で語りながら、「絶対化された『自我』が溶解しているとき」という記述をたよりに、充実した時をさぐる。

そして、この「主題」は次の仕事にひきつがれ、『自我の起原』という、「世界の見方」を変えてしまう作品につながっていく。

 

3)「エクスタシー」論

著書『自我の起原』では、「人間的自我」が正面から取り上げられる。

科学的な生物学の議論を丹念に読み解きながら、そのオーソドックスな議論を、それ自体の論理から裂開してしまう「地点」へと誘う仕事である。

生物学的な「自我の起原」の読解から、それは「生の歓喜」の経験にかんする主題へと展開していく。

「7.誘惑の磁場」という章の中で、真木悠介は「Ecstacy」について次のように書いている。



…われわれの経験することのできる生の歓喜は、性であれ、子供の「かわいさ」であれ、花の彩色、森の喧騒に包囲されてあることであれ、いつも他者から<作用されてあること>の歓びである。つまり何ほどかは主体でなくなり、何ほどかは自己でなくなることである。
 Ecstacyは、個の「魂」が、〔あるいは「自己」とよばれる経験の核の部分が、〕このように個の身体の外部にさまよい出るということ、脱・個体化されてあるということである。…

真木悠介『自我の起原』岩波書店


「生の歓喜という経験」にかんする、おどろくべき明晰な文章である。
(なお、終章においては、さらに一段階先に理解を進ませる「Ecstacy」の記述がなされる。)

これらのように、真木悠介は、「トリオロジー」の仕事を通じて、そして生涯を通じて、「生の歓喜」に照準をあわせ、問い続けてきた。


『時間の比較社会学』の中で、次のような文章がある。


「月が出るとアフリカが踊る」といわれている。…
アフリカが踊っている夜を、ヨーロッパやアジアの「真空地帯」の勤勉な農民や牧畜民たちは、労働の明日にそなえて眠りながら<近代>をはぐくんでいた。
(略)
「月が出るとアフリカが踊る」あいだは、アフリカの近代化は完成しないだろう。「虹を見ると踊る」心をいつももちつづけていれば、近代社会のビジネスマンやビュロクラットはつとまらないのだ。…

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店


アフリカにも、近代化は浸透している。
しかし、ぼくの経験上、それでも「自然と共同体」が強いところである。
「自然と共同体」が、近代化の大波と、いたるところで拮抗している。

「月が出ていても踊らない」ことで切り拓かれてきた「明るい世界」。
「月が出ると踊る」ことが素敵でもある「交響する世界」。

これら二つの世界が交わっていくところに、未来を構想することができる。

 

今日2017年6月9日は満月。
まさしく、月が出るとき。

月の光が、ここ香港の海面で、きらきらと煌めくだろう。
そのひと時を、束の間でも楽しみたい、とぼくは思う。


月の光のもとで、いくぶんか、「自我」が溶解する経験に向かって。

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社会学者「見田宗介=真木悠介」先生の応答に、15年以上触発されつづける。-「理論・理念」と「現実・経験」の間で。

社会学者「見田宗介=真木悠介』先生による、朝日カルチャーセンターの「講義」で、ぼくは、見田宗介先生に質問をさせていただいた。見田宗介先生の応答が、15年以上経過した今も、ぼくを触発し続けている。...Read On.

社会学者「見田宗介=真木悠介』先生
による、朝日カルチャーセンターの
「講義」(2001年3月24日)
で、
ぼくは、たくさんのことを学び、

そして、さらに見田宗介先生に質問を
させていただいた。
見田宗介先生の応答が、15年以上経過
した今も、ぼくを触発し続けている。

講義「宮沢賢治:存在の祭りの中へ」
で、見田宗介先生は、
日本の1960年代から2000年に至る
「社会の変遷」について語った。

日本の社会は、次の変遷を遂げてきた。

・共同体(Gm=「ゲマインシャフト」)

・近代市民社会
 (Gs=「ゲゼルシャフト」)

・今後は「XXXXX」?
 *コンセプトは「共同体の彼方」
  (GmのかなたのGm)

日本の「共同体」が解体され、
「近代市民社会」が創成される。
そして、自由と孤独を獲得した個人・
社会が、次なる「共同体の彼方の共同体」
をつくりだしていく。
(後年、見田宗介先生は、
『定本 見田宗介著作集VI 
生と死と愛と孤独の社会学』
岩波書店、
などで、論考をまとめている。)

講義が一通り終わったところで、
質問をする時間がもうけられた。

ぼくは当時、「質問すること」を
自分に課していたと記憶している。
そうすることで、ぼくの集中と問題意識
が高まるからだ。

ぼくの質問は大枠はこのようなもので
あった。

 

「社会は、近代市民社会の段階を、
必ず通過しなければならないか?」

 

ぼくの質問の背景には、
日本(の社会)の発展と重なる形で、
「発展途上国の社会」が存在していた。

大学院で、発展途上国の発展・成長、
そして国際協力を学ぶ中で、
発展途上国が日本と同様な「経路」を
進んでいかなければならないのか、
について、ぼくは考えてきていたからだ。

「近代化」による共同体の解体は、
自由をもたらしてきたと同時に、
限りない弊害を社会にもたらしてもきた。

そこで、ぼくはこのような「質問」を
見田宗介先生に投げさせていただいたのだ。

見田宗介先生は、しばしの間、思考され、
それから、概ね次のような応答をされた。

 

「Yesと同時にNo。
先進国の経験に学ぶことで通過しないと
いうことも理論的にはありうるが、
現実としては理念ではなく経験として
通過する必要がある。」


見田宗介先生が思考される「沈思」に、
ぼくは緊張と畏れと興味を覚える。
そして、見田宗介先生の真摯な応答を、
全身を耳にして聞く。

見田宗介先生の「応答」は、
ぼくの「実践の場」で絶えず姿を現して
くることになる。

その後、ぼくは、大学院を修了し、
西アフリカのシエラレオネと東ティモ
ールの「社会」で、国際NGOの一員と
して、現実と実践の場に置かれる。

内戦が長きに渡り続いた両国で、
紛争後の社会という、圧倒的な現実の
中に、ぼくは投げ込まれる。

理論や理念などが拡散して消えてしま
うような現実の中である。
それでも、というより、だからこそ、
ぼくは理論や理念を大切にしてきた
ところがある。

シエラレオネ、東ティモールでも、
ぼくは見田宗介=真木悠介先生の本を、
いつでも横に置き、時折本を開いた。
「大切なこと」を忘れないように。

見田宗介先生の応答にあった、
「理論的には…」
というくだりが、ぼくにはついて回った。

社会も、それから個人も、
頭ではわかっていたとしても、
(程度の差はありつつも)やはり「経験」
を通過することが必要なのではないかと
時を重なる中で思うようになっていった。

しかし、それと同時に、
「理論・理念」と「現実・経験」の間で、
思考し、苦慮し、失敗を繰り返しながら
精一杯やっていくことの大切さを、
ぼくは学んできたのだと思う。

その「間」における、
行ったり来たりの繰り返しの中で、
生きてくるものがあるのだということ。

そして、これからも、
「理論・理念」と「現実・経験」、
この「間」での生を、ぼくは引き受けて
いこうと思う。

 

それにしても、
見田宗介=真木悠介先生に、
次回お会いする機会があるとしたら、
ぼくは「どんな質問」をさせていただこう
かと、思考の翼をはばたかせている。

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「どういう人たちと関わりたいか」。- 世界中に増殖する火種となる「新鮮な問いの交響する小さな集まり」(見田宗介)

社会学者「見田宗介=真木悠介』先生による、朝日カルチャーセンターの「講義」(2001年3月24日)は、その内容においても、そのスタイルにしても、ぼくを捉えてやまなかった。...Read On.

社会学者「見田宗介=真木悠介』先生
による、朝日カルチャーセンターの
「講義」(2001年3月24日)は、
その内容においても、そのスタイルに
しても、ぼくを捉えてやまなかった。
ブログ「社会学者「見田宗介=真木
悠介」先生の講義で学んだこと。」

この「講義」が行われた2ヶ月程後に
見田宗介は、著書『宮沢賢治』が
岩波書店「岩波現代文庫」に入ること
になり、そこに、
「現代文庫版あとがき」を書いている。

「宮沢賢治」という作家、また、
著書『宮沢賢治』について書かれた、
1頁程の短い文章は、とても美しい。


宮沢賢治、という作家は、この作家の
ことを好きな人たちが四人か五人集ま
ると、一晩中でも、楽しい会話をして
つきることがない、と、屋久島に住ん
でいる詩人、山尾三省さんが言った。
わたしもそのとおりだと思う。
…この本も、読む人になにかの「解決」
をもたらす以上に、より多くの新しい
「問い」を触発することができると
よいと、そしてこのような新鮮な問い
の交響する楽しい小さい集まりが、
世界中に増殖する火種のひとつとなる
ことができるとよいと、思いながら
書いた。

見田宗介「現代文庫版あとがき」
『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』
岩波書店(岩波現代文庫)

 

上述のとおり、この「あとがき」は、
ぼくが聴講した講義の日から2ヶ月
ほど経った2001年5月に、書きとめ
られている。
そのことに、ぼくは、この文章を
書きながら、あっと、気づいた。

この「気づき」は、
昨日ぼくがブログで書いた、
「見田宗介=真木悠介」先生の講義
で学んだこと(の内の二つ)に、
そのまま照応するものであった。

 

1)交響圏

朝日カルチャーセンターの「講義」
のタイトルは、著作と同じく、
「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」
と題されていた。

その「テーマ設定の背景」は、
見田宗介先生が講義の冒頭で語った。

「『テーマ』(what)ではなく
『どういう人たちと関わってみたいか』
(with whom)ということ。」


「どういう人たちと関わりたいか」
ということ。

この「岩波現代文庫版あとがき」は、
このことに応えているように、ぼくに
は見える。

それは、
「新鮮な問いの交響する小さな集まり」
である。

朝日カルチャーセンターでの講義
での「小さな集まり」も、
そのような集まりの一つであった。

このような「交響する小さな集まり」
が、見田宗介が大澤真幸との対談で
語ったような「幸福のユニット」で
ある。

そしてそれは、これまでの「革命」
とはまったく異なるような、未来の、
「名づけられない革命」を切り開く
主体である。
(「名づけられない革命」について
は、見田宗介『社会学入門ー人間と
社会の未来』岩波新書、を参照。)

 

2)夢中・熱中

見田宗介は「その時々に自分が熱中
している研究を、そのままストレート
に講義でもゼミでもぶつけ」ることで
他者たちを、深いところで、触発して
きた。

そのことがそのまま、
2001年の前半の出来事にあてはまる。
2001年前半に自分が熱中していた
ことを、そのまま、
講義でも「現代文庫版あとがき」でも、
ストレートに語りかけていたという
ことである。

この夢中さ・熱中さは「触発する力」
を静かに、でも確かに、発揮してきた。
少なくとも、ぼくの中には「火種」が
灯された。

この「現代文庫版あとがき」の美しい
文章は、その「短い言葉」だけでも、
他者の中に「問い」を触発するもので
ある。

ぼくの視点と感覚からは、
この「現代文庫版あとがき」における
「宮沢賢治」は、そのまま
「見田宗介=真木悠介」に置き換える
ことができる。

「見田宗介=真木悠介」という社会
学者は、この学者のことを好きな人
たちが四人か五人集まると、一晩中
でも、楽しい会話をしてつきること
がない。云々。

このような「幸福のユニット」の
交響する集まりと歓びが、
著作と講義名の副題に付された、
「存在の祭りの中へ」ということの
内実のひとつである。

 

追伸:
今回のブログは、当初、
講義でぼくが見田宗介先生にさせて
いただいた「質問」について書く予定
でした。

ところが、「岩波現代文庫版あとがき」
をたまたま読んでいたら、
そこに付された「日付」に目が留まった
わけです。

朝日カルチャーセンターでの講義と
同時期であったことの「気づき」は
新鮮な驚きと「新鮮な問い」を、
ぼくに与えてくれました。

 

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社会学者「見田宗介=真木悠介」先生の講義で学んだこと。- 交響圏、夢中・熱中の連鎖、書きながら話し考えるスタイル。

社会学者「見田宗介=真木悠介」先生による「講義」を、これまで一度だけ聴講したことがある。正確には、二コマの講義である。...Read On.


社会学者「見田宗介=真木悠介」先生
による「講義」を、これまで一度だけ
聴講したことがある。
正確には、二コマの講義である。

2001年3月24日、朝日カルチャー
センターでの、連続する二コマの講義を、
ぼくは聴講したのだ。
当時講義を聴きながらとった自分のメモ
を、ぼくは、今でもとってある。

題目は、それぞれ、次のようであった。
・見田宗介『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』
・真木悠介『自我という夢』

ぼくが「見田宗介=真木悠介」の著作に
出会ったのが、香港が中国に返還された
1997年から1998年あたりであったから、
ぼくが講義を聴講したときは、
本との出会いから数年が経っていた。
2001年、ぼくは、大学院で、「途上国の
開発・発展」と「国際協力」を学んでいた
ころだ。

見田宗介=真木悠介の仕事としては、
当時は、『現代社会の理論』(岩波新書)
が1996年に出版された後の時期にあたる。

見田宗介=真木悠介が、自身にとって
「ほんとうに切実な問題」であった、
・死とニヒリズムの問題系
・愛とエゴイズムの問題系
に、展望を手にいれた後の時期で、
ようやく「現代社会」に照準していた
時期である。

二コマの講義は、ぼくにとって、
「圧巻」としか言いようのないもので
あった。
講義の後も、「熱」のようなものが、
ぼくの中に残るような、圧倒的な講義で
あった。

講義の「内容」から、もちろん、
多くのことを学んだ。
「多く」という言葉では語りきれない
ほど、学んだ。
ぼくが自分でとったメモを見ている
だけでも、そこには今でも考えさせら
れることが、いっぱいにつまっている。

「学ぶこと」は、内容だけではない。

ぼくは、「見田宗介=真木悠介」先生の
講義の作法を、「体験」として身体的に
学ぶことができたことを、今になって
思い、考えている。

 

1)「交響圏」

講義の聴講者の数は、学校の一クラス
程度であったかと思う。

驚いたのは、
見田宗介先生は、講義の始まりの時間
に到着しなかったことである。

スタッフの方は、こうアナウンスする。
「知っている方もいらっしゃると思い
ますが…」と前置きしながら、
「見田先生は30分以内には来られると
思いますので。」と。

それと同時に、「知っている方」で
あろう方の幾人かが、小さく笑い声を
あげる。

なお、会場には、「賢治の学校」という
自由学校を始めた今は亡き鳥山敏子先生
もおられた記憶がある。

メキシコの(時間に)緩やかな生活から
「時計化された身体」といった「狂気と
しての近代」を考察し、後に『時間の比較
社会学』を著した見田宗介=真木悠介先生
は、身をもって実践し、何かを伝えようと
しているように、ぼくには感じられた。

会場にすでに座っている聴講者の人たち
も、特に気にするわけではない様子で
あった。

見田宗介先生が到着し、
「今回のテーマ設定の背景」を話す。

「『テーマ』(what)ではなく
『どういう人たちと関わってみたいか』
(with whom)ということ。」

見田宗介先生が講義に遅れても、
それを気にしない「集まり」に、
「今回のテーマ」が賭けられていたのだ
ということを、ぼくは感じる。

それは見田宗介の理論のひとつ、
「交響圏」のひとつの形態のような
ものである。

会場から湧き上がった「小さな笑い声」
は、見田宗介が「関わってみたい人たち」
の象徴のように、ぼくの中で響いている。

 

2)「夢中・熱中」の連鎖

「見田宗介=真木悠介」先生の講義は、
内容も展開も圧巻であった。

言葉は、深い。
一語一語が、濃く、深い。
そして、それら、立ち止まって考えたい
一語一語の言葉が、とめどなく発せられる。

とめどなく発せられながら、どんどんと
展開していく。
そして何よりも、
「見田宗介=真木悠介」先生ご自身が
熱中している。
夢中になって、黒板に書き話し、それを
見ながら考え話している。

ぼくはその「姿」に圧倒され、感動した。

昨年2016年に発刊された『現代思想』
(青土社)の総特集「見田宗介=真木
悠介」のインタビューで、そのことを
思い出した。

聞き手から「見田ゼミ」のスタイルに
ついて聞かれる中で、見田宗介は、
こう応えている。


…ぼくは「教育」ということをほとんど
考えないで、その時々に自分が熱中して
いる研究を、そのままストレートに講義
でもゼミでもぶつけていました。
…教える側が自分自身の全身のノリで
ノリノリに乗っていることをそのまま
ストレートにぶつけることが、結局一番
深いところから触発する力をもつのだと、
ぼくは思っています。

『現代思想』2016年1月臨時増刊号
(青土社)

 

見田宗介は、このスタイルを、自身の
学生時代の経験(金子武蔵の精神史の
講義)から学んでいる。

見田宗介が経験から取り出したのは、
大学の授業というのは、
「技術」ではなく「内容」である、
ということだけれど、
ぼくが学んだのは、内容から生まれ
内容を貫いていく、夢中さ・熱中さで
あった。
夢中と熱中は、連鎖していく力をもつ
のだ。

 

3)書きながら話し考えるスタイル

講義は、上述のように、
黒板に、言葉がどんどんと書き出されて
いく。

そのスタイルは、
「書くこと、話すこと、考えること」が
一体になったようなものであった。

そして、「書くこと、話すこと、考える
こと」が、「夢中・熱中」に串刺しに
されている。

ぼくは後年、香港で人事労務のコンサル
タントとしてコンサルテーションをする
際に、このようなスタイルを身につけて
いっていることを感じた。

今思えば、そのスタイルの「種」のよう
なものが、「見田宗介=真木悠介」先生
の講義で、ぼくの中に蒔かれたのだと、
ぼくは思う。

 

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「ひとり旅」と「二人・集団の旅」とは。- <横にいる他者>(真木悠介)が開く視界と世界。

香港にそれなりに長く住んでいると、そこの風景が「当たり前」になってくる。...Read On.

 

香港にそれなりに長く住んでいると、
そこの風景が「当たり前」になって
くる。

車道の標識に「ミッキーマウスの
影絵」(香港ディズニーランドに
通じる道路を示す標識)があっても
何とも思わない。

「標識にミッキーマウスがいるんだ」

と、香港に遊びに来た家族や友人に
言われてはじめて、当たり前のもの
が当たり前ではなくなったりする。

標識のミッキーマウスが、
「不思議さ」を帯びて、目の前に
風景として立ち上がってくる。

香港に住んでいて、
香港の外から香港に来た
家族や友人などの「他者の眼」が
ぼくに「新鮮な眼」を与えてくれる。

日本で、海外の人と一緒に行動した
ときも、同じような場面に、
ぼくたちは出会うことになる。

日本に着いたばかりの留学生と共に、
東京や横浜の街を歩きながら、
ぼくは幾度となく、「新鮮な眼」で
これまでなんとも思っていなかった
場面に出会ってきた。

社会学者の真木悠介は、
「方法としての旅」と題する文章
(『旅のノートから』岩波書店)で
ぼくの眼をさらに豊かにしてくれる
世界の視方を教えてくれた。

「ひとり旅」にこだわってきた真木
悠介が、「二人・集団の旅」の豊饒
さを見直していく経験と思考のプロ
セスを綴る、感動的な文章だ。

真木悠介の思考は、いきなり、
垂直に深いところへ降りていく。

 

二人の旅、集団の旅の構造は、
人間にとって<他者>というものの
意味を、根底からとらえかえす原型
となりうる。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店
 

真木悠介は、哲学者等が語る「他者」’
が、「私」と向かい合う形(他者が
私を見て、私が他者を見る)でとらえ
られていることに、目をつける。

それに対し、真木は<横にいる他者>
の視点を鮮烈に提示している。


…「同行二人」ということは、私が
二組の目をもって遍路することである。
集団の旅において私は、たくさんの目
をもって見、たくさんの皮膚をもって
感覚し、たくさんの欲望をもって行動
する。そして世界は、その目と皮膚と
欲望の多様性に応じて、重層する奥行
きをもって現前し、開示される。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店
 

「ミッキーマウスの影絵」が標識に
あるのを見ることができたのは、
ぼくが他者の眼を「私の眼」として
影絵を見たからである。

同じように、
日本で海外の人たちの見るもの、
感覚するもの、欲しいものなどを
通じて、ぼくはぼく一人では見ること
がなかったであろう仕方で、日本を見、
日本を感覚し、日本を味わってきた。

真木悠介の「方法としての旅」には、
ぼくたちの日々の充実感や驚き、
それから幸せというものの内実が、
端的に、示されている。
真木悠介は上記に続けて、次のような
美しい文章を書いている。


関係のゆたかさが生のゆたかさの内実
をなすというのは、他者が彼とか彼女
として経験されたり、<汝>として
出会われたりすることとともに、
さらにいっそう根本的には、他者が
私の視覚であり、私の感受と必要と
欲望の奥行きを形成するからである。
他者は三人称であり、二人称であり、
そして一人称である。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店
 

「横にいる他者」が去った後にも、
その余韻が、ぼくの中に静かに残り、
香港の風景は、いつもと少し違った
風景を、ぼくに見せてくれる。

そして、そのような経験や感覚は、
日常から離れていくような「旅」だけ
で感じるものではなく、
日常という<旅>の中でともにする
<横にいる他者>たちによっても、
ぼくの世界は豊饒化されているという
ことを感じる。

世界で出逢ってきた他者たち。
日本で、アジア各地で、ニュージー
ランドで、シエラレオネで、東ティモ
ールで、香港でぼくの<横にいた/
いる他者>たちが、ぼくの世界の内実
を、ゆたかにしてきてくれた。

「生きること」のゆたかさが、
そこに、いっぱいにつまっている。

 

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「お金・時間・自分」という問題系をつきつめて。- 真木悠介が照準する「みんなの問題」。

真木悠介が、追い求めてきた問題系は、お金、時間、自分(自我)という、ぼくたちが生きていく中で必ず直面していく問題系である。...Read On.


「真木悠介」は、社会学者である
見田宗介のペンネームである。

見田宗介は、「ペンネームは家出」で
あると、評論家の加藤典洋との対談で
語っている。
(『現代思想』2016年1月臨時増刊号、
青土社)

ペンネームを使うことで、
・締め切りがなく書きたいものを書く
・過去のイメージに縛られないで書く
ことができる、という。

その真木悠介が取り組んできた仕事は、
近代・現代に生きる誰もが直面する
問題に照準している。

 

1)真木悠介が照準する問題系

真木悠介が、追い求めてきた問題系は、
・お金
・時間
・自分(自我)
という、ぼくたちが生きていく中で
必ず直面していく問題系である。
直面する仕方は人それぞれである。

真木悠介は、これらの問題系に対して
それぞれ、次の著作を書いている。

●『現代社会の存立構造』(1977年)
●『時間の比較社会学』(1981年)
●『自我の起原』(1993年)

これら真木悠介の著作群を読んだから
といって、お金が増えるわけではないし、
時間が有効活用できるわけではないし、
また、エゴが解決するわけではない。

それは言ってみれば、著作、
『あなたの人生の意味 先人に学ぶ
「惜しまれる生き方」』(The Road
to Character)で、デイヴィッド・
ブルックス(David Brooks)がいう
ところの、
「履歴書向きの美徳」(履歴書に書ける
経歴)を磨くものではない。

むしろ、デイヴィッドが言う、
「追悼文向きの美徳」(葬儀で偲ばれる
故人の人柄)を磨いていくような著作群
である。

「履歴書向きの美徳」も、ぼくたちが
日々生きていく中では大切である。
ぼくたちの日々の「悩み」は、
これら3つの問題系に溢れていて、
ぼくたちは日々、それらに立ち向かって
(あるいは手放して)いく必要がある。

しかし、お金を一生懸命にかせぎ、
時間を徹底的に有効活用し、そして
「自分」の壁を表面的に乗り越えても、
それでも「生きにくさ」が残る(ことが
ある)。
どんなに自分ががんばっても、社会の
大きな壁にぶつかってしまうような
ところが存在している。

真木悠介は、「お金・時間・自分」の
問題を、「じぶんの問題」として
真摯に引き受けることで、だからこそ、
「みんなの問題」を引き受けてもいる。
「お金・時間・自分」という問題系は
真木悠介の生を貫き、
また、近代・現代に生きる人を貫く
生きられる問題系である。

 

2)『現代社会の存立構造』から。

ペンネームの真木悠介名で書かれ、
1977年に出された、
『現代社会の存立構造』は、
大澤真幸が総括するように、
「近代社会の、総体としての構造と
仕組みを、根本から理論化している」
書物である。

2011年から2013年にかけて、
見田宗介=真木悠介の『定本著作集』が
編まれた際には、しかし、
『現代社会の存立構造』は著作集から
外された。

「外した理由」を、加藤典洋との対談で
真木悠介は述べている。


『現代社会の存立構造』は読もうと
思ってくれた方はわかるように、
非常に抽象的で難解で面白くない。
つまり、誰にも読んでもらわなくても
いいから自分のノートみたいなものと
して…書いた。
…『存立構造』については、近代市民
社会の存立の構造みたいなものが
明確にできるという感じがあった。
…ただ、難しい議論だし、誰にも
読まれないだろうと。だから『定本』
から外しました。

『現代思想』2016年1月臨時増刊号、
青土社

 

それを見た社会学者の大澤真幸は、
それではいけないということで、
復刻版を、自身の解題を付して
出版している。

『現代社会の存立構造』は、
マルクスの『資本論』をベースとして、
しかし『資本論』に付着した政治性を
完全に切り離して、議論を進めている。

非常に難解だけれども、
この著作は、眼を見開かせる内容で
いっぱいである。
経済形態(商品、資本、合理化、
資本制世界の形成など)について、
普段、ぼくたちがその中に置かれ
ながら、でもその「前提」を問おうと
しないところに降り立っていく、
著作である。

そして、その議論は、
「時間」の問題に引き継がれていく。
著作『時間の比較社会学』は、
「時計化された生」を生きる
ぼくたちの生の成り立ちを明晰に
解明していく。

それから、真木悠介は、
「時間」につづく仕事として、
「自我論・関係論」を明確に意識し、
10年以上をかけて『自我の起原』を
完成させる。

真木悠介は、『自我の起原』の
「あとがき」で、自身の問いが純化
され、つきつめられていく方向を
こう表現する。


人間という形をとって生きている
年月の間、どのように生きたら
ほんとうに歓びに充ちた現在を
生きることができるか。
他者やあらゆるものたちと歓びを
共振して生きることができるか。
そういう単純な直接的な問いだけ
にこの仕事は照準している。…

真木悠介『自我の起原』(岩波書店)
 

お金、時間、自分(自我と関係)に
関する真木悠介の著作群は、
「ほんとうの歓び」をつきつめる
直接的な問いに応答する著作群である。
(それぞれの著作については、別途、
どこかで主題にしてみたい。)

その思索の一つの発端として、
『現代社会の存立構造』はあった。

 

3)「時代」の変わり目に。

そして、「時代」の変わり目に、
ぼくたちは直面している。

前出のデイヴィッド・ブルックスは、
「人生」という単位で「美徳」を語る。

経済を語るメディアは、景気・不景気、
あるいは産業構造変化として、数年から
数十年単位で、時代を語る。

真木悠介は、現代の諸相に見られる
ことも視野に入れながら、
人間の起原・社会の起原にまで降り
立ち、人間と社会の「未来」を語る。

カール・ヤスパースの言う「軸の時代」
というコンセプトにヒントを得て、
「現代」を新しい視野におさめる。
ヤスパースが「軸の時代」と名付けた
文明の始動期に、世界の思想・哲学・
宗教等が生まれ、世界の「無限性」に
立ち向かったことに、真木は眼をつけ
る。
そして今、世界は、世界の「有限性」
の前に立たされ、新たな思想とシステ
ムを要請している。

見方によっては、ぼくたちは、
二千年を超える時代の「変曲点」に
位置している。

ぼくたちが日々直面する、
「お金、時間、自分」という諸相は、
時代が変曲する局面にて、極限し、
先鋭化する。

世界の金融危機、経済活動と時間の
関連性と諸問題、それから、壊れる
「自我」など、
世界の「無限性」はその極限の地点
で、様々な問題を先鋭的に創出して
きている。

その中から、それらを乗り越えて
いこうとする様々な「試み」が
出てきている。

「お金」をとってみても、
ローカルカレンシーから、ベーシック
インカム、そしてビットコインなど、
「試み」が繰り返されている。

そして、この「変曲する局面」には、
「お金・時間・自分(他者との関係)」
を根本において理解しておくことが
大切であると考える。
「履歴書向きの美徳」だけでは、
やはり足りないのだ。

人生という単位で
「追悼文向きの美徳」を追求し、
数年から数十年という単位で
「パラダイム変化」を志向し、
数百年から二千年単位で
「思想・システムの構想」の冒険
に加わることが求められるのだ。

真木悠介(見田宗介)が照準して
きた仕事は、このようにして、
「みんなの問題系」である。

ここでいう「みんな」とは、
今現在生きている「みんな」だけ
ではなく、過去から未来にまで
照準する「みんな」であると、
ぼくは思う。

お金・時間・自分、という問題を、
生きられる問題として、真摯に
徹底的に引き受けてきた真木悠介の
仕事は、これからの「未来」の道と、
それを支える思想とシステムを構想
する際に、際限のないインスピレー
ションを、ぼくたちに与えてくれる。


 

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「知」についてのメモ。- ヘッセ、サイード、真木悠介を導きの糸に。

「知」と「生」についてのメモ。知の巨人たち、ヘッセ、サイード、真木悠介から教えられたことのメモである。...Read On.

 

「知」と「生」についてのメモ。
知の巨人たち、ヘッセ、サイード、
真木悠介から教えられたことの
メモである。

20世紀前半のドイツ文学を代表する
ヘルマン・ヘッセ。
文学研究者・批評家で、主著として
『オリエンタリズム』がある
エドワード・サイード。
それから、社会学者の、
真木悠介(本名:見田宗介)。

一見すると、繋がりのない、
ヘッセ、サイード、真木悠介は
ぼくにとっては「師」である。

思想家の内田樹は、「師」について
語る中で、
「師」=
「想像的に措定された俯瞰的な視座」
あるいは
「弟子をマップする視座」
である、と述べている。
(内田樹『レヴィナスと愛の現象学』
文春文庫)

この視座をもつことで、
「自分自身を含む世界の風景」を
超えることができる。

「師」とはそのような存在であると
するなら、
ヘッセも、サイードも、真木悠介も
ぼくの「師」である。
圧倒的な跳躍で飛び上がった俯瞰的
視座で、自分を含む世界の風景を
違った形で見せて/魅せてくれる。

この文章は、
その「俯瞰的視座」から、
ぼくの生を「マップする視座」の
メモ(のほんの一部)である。

なお、ここでいう「知」は
広義の意味での「知」である。

 

1)それ自体で歓びの「知」

ヘッセの著書は、ぼくが確か高校生で
あったときに、夏休みか何かの「読書
感想文」を書くために選んだ本であっ
た。

すすんで手に取ったというよりは、
他に特に読みたいようなものもなかっ
たから、最後に、仕方なく手にとった
本であった。

確か、新潮文庫の『シッダールタ』や
『知と愛』を、ぼくは読んだ。
読書感想文は「宿題」として書いた。
大したことは書かなかったと思う。
「あとがき」か何かを参考にしながら
字数を積み上げただけのようなもので
あった。

でも、それらの著書、特に『シッダー
ルタ』は、ぼくの人生に「宿題」を
残した。
ぼくは、ヘッセの文章に、深いところ
で「何か」を得ていたのだ。

大学時代、本を読むようになったぼく
は、ヘッセが「教養」について書く
文章の冒頭にひきつけられる。

ほんとうの教養というものは、
何か他の目的のための教養ではなく、
それ自体で意義のあるものである、
という趣旨の文章であった。

大学入学のための教養、
就職するための教養などというのでは
なく、
それ自体で歓びになるような教養。

ぼくは、この言葉を頼りに、
大学院に進んだ。
国際協力の仕事では、当時「修士」
が必要であるような状況だったから、
大学院の学びは「何かのため」で
あった。
しかし、ヘッセの言葉を頼りに、
ぼくは学び自体をほんとうに楽しむ
ことを意識し、
そして、とことん楽しむことができた。

 

2)「知」と「権力」

エドワード・サイードの著書、
『オリエンタリズム』は、
大学の授業か何かでの課題図書であっ
たと記憶している。
大学などで、「ポストコロニアル」的
な思想がよく学ばれていた時期であった。

日本語の分厚い書籍を手に、
何度もくじけた本である。
ひどく「難解」な本であったのである。

他方で、ぼくは、社会学者の見田宗介
(筆名:真木悠介)の著作の「難解さ」
を通過していた。
しかし、見田宗介の著作の内容を理解
しはじめ、また「読むこと」の深みが
増していくなかで、ぼくは、サイードの
著作に真正面から向かうことができて
いったように、記憶している。

サイード著『オリエンタリズム』は
今でこそ内容は覚えていないけれど、
「とてつもない本」であったことだけ
は、身体で記憶している。
はるか上空に舞い上がった「俯瞰的
視座」を与えてくれるような内容で
あった。

ただ、サイードが教えてくれたことで
ひとつだけ明確に覚えていることが
ある。

それが、知と権力のことである。
知は権力に結びつきやすい。
知識人は、知を、よきことに使わなけ
ればならない。云々。

大学院を修了し、ぼくは
国際協力・国際支援の領域で仕事を
する機会を得る。
西アフリカのシエラレオネ、
東ティモールと、
緊急支援・開発協力の現場に降り立つ。

サイードが仔細にわたって語る「知=
権力のこと」の、その「姿勢」を意識し
つつ、ぼくは常に「大きな俯瞰的視座」
をもちながら、言葉や語り、支援の実践に
取り組んできた。

 

3)「知」と「生」

そして、社会学者の真木悠介。
ブログ「ぼくと「見田宗介=真木悠介」」)

内田樹が哲学者レヴィナスの「自称弟子」
であるのと同じように、
ぼくは真木悠介の「自称弟子」である。

真木悠介は、小さい頃からの自身の切実
な問題であった「時間の虚無」ということ
に、名著『時間の比較社会学』(岩波書店)
で自身の展望を手にいれる。

この著書の「あとがき」で、
真木悠介は、「知」と「生」について
書いている。


生きられるひとつの虚無を、知によって
のりこえることはできない。けれども
知は、この虚無を支えている生のかたち
がどのようなものであるかを明晰に
対自化することによって、生による自己
解放の道を照らしだすことまではできる。
そこで知は生のなかでの、みずからの
果たすべき役割をおえて、もっと広い
世界のなかへとわたしたちを解き放つのだ。

真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店)
 

「理論のための理論」にならないような、
ほんとうに生をきりひらくための理論を
追求していく真木悠介の「姿勢」が、ここ
に見られる。

ところで、
「知と生」という問題系において
世間一般に流布する「問題の立て方」は、
「理論と現実」
というものである。
往々にして、理論を仕事にする人たちと
現実(現場)を仕事にする人たちとの間
にはギャップがあるものだ。

真木悠介の思想と姿勢は、
そんな「問題の立て方」に対して、
一気に、垂直に「軸」を突き通すような
力を有している。

真木悠介は、『時間の比較社会学』の
「最終章」の最後で、このように語って
いる。


知でなく生による解放とは、世界を解釈
することではなく世界を変革するという
こと、すなわちわれわれが現実にとりむ
すぶ関係の質を解き放ってゆくことだ。
けだしひとつの社会の構造は、人間の
自由な意志と想像力とがその中でみずか
らをうらぎるような軌道をさえ描いてし
まうような磁場を形成しているのであり、
ひとつの時空とその非条理からの解放は、
ひとつの社会のあり方の構想なしには
ありえないからだ。けれどもそれはこれ
までのいわゆる「社会変革」のイメージ
とはすでにはるかに異質の、しかし同様
に実践的な、ひとつの人間学的な解放で
なければならないだろう。…

真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店)


真木悠介が、「知」と「生」をひとつ
のものとして突き抜けていく仕方に、
ぼくは憧れる。

「知」と「生」をひとつのものとして、
ほんとうに追い求めていく「師」として、
真木悠介はぼくにとって在る。


 

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野口晴哉著『治療の書』- 「巨人」を前に、心と身体の姿勢を正す。

整体の創始者といわれる野口晴哉。1911年、東京生まれ。野口晴哉の著作のひとつ『治療の書』は、野口晴哉「治療生活三十年の私の信念の書」である。...Read On.


整体の創始者といわれる野口晴哉。
1911年、東京生まれ。
野口晴哉の著作のひとつ『治療の書』
は、野口晴哉「治療生活三十年の私の
信念の書」である。

天才的な治療家であった野口晴哉は
三十年の治療生活に専心した後に、
治療を捨て「整体」を創始していく。
この書は、治療三十年に終止符を
打つ書であった。

もともとの文章は1949年に書かれた
ものである。
ぼくが手にしているのは「再版」の
書で、1977年に初版が出版されている。

出版された著作であるけれども、
野口晴哉が述べているように、
この書は、野口晴哉が「自分の為に
記したようなもので、売るつもりでも、
他人に理解してもらうつもりで記した
ものでもない」。

この書の存在を教えてくれたのは、
社会学者の見田宗介先生の著作で
あった。

「春風万里-野口晴哉ノート」と
題される文章の中で、
「一冊の本をと問われる時」に
挙げる書のひとつとして、
野口晴哉『治療の書』を挙げている。

見田宗介はこのように書いている。


一冊の本をと問われる時に、…
『治療の書』を挙げるということは、
とりわけて心のおどる冒険であるよう
に思われる。…その書名からしても、
…何か実用的な健康書か医療技術の
専門書か、そうでなければ反対に
宗教書の類のごとくに受け取られかね
ないからである。それはいくつかの
わたしにとって最も大切な書物と同じ
に、「分類不能の書」、野口晴哉の
『治療の書』としかいいようのない
孤峰の書である。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X』
(岩波書店)

 

この文章に「呼びかけ」られて、
ぼくはこの書を日本から、ここ香港
へと取り寄せた。

この書は確かに「分類不能の書」で
あり、読むたび、そのときの自分の
ありようによって、さまざまな角度
と仕方で語りかけてくる書である。

この書を目の前にしながら、そして
この書の一言一言をゆっくりとかみ
しめながら、ぼくの「姿勢」が正さ
れていく。

目次構成はこのようである。

【目次】

治療といふこと
治療する者
ある人の問へるに答へて
治療術
わが治療の書
後語

目次構成には「治療」の文字が
あふれているが、
見田宗介が書いているように、
決して、実用的な健康書や医療技術
の専門書ではない。

「治療」をはるかに超えて、
仕事のこと、プロであること、
そして深く、人間のことにまでつらぬ
いていく書物である。

「治療する者」の文章の中で、
このように、野口晴哉は記している。


治療といふこと為すに、自分の心の
こともとより大切也。されど技を磨く
こともつと大切也。されど磨きし技を
いつ如何に用ふるかといふこと心得る
ことはもつと大切也。その為には冷静
なる不断の観察が大事也。観察といふ
こと興味をもつて丁寧に行へば次第に
視野が広くなり、普通の人には見へぬ
ことをも見へるやうになる也。この鍛
錬行はず、物事に出会ひたる時自分の
記憶の中を探し廻って目前の事実を
合せやうとしてゐるやうではその時
そのやうに処すること出来ぬ也。…
 その時そのやうに処する為には、
自ら産み出す力もたねば為せぬこと也。
習つたことを習つたやうにくり返す
人々は記憶の樽也。治療家に非ず。

野口晴哉『治療の書』(全生社)
 

「治療」を「問題解決」と置き換えて
考えていくだけでも、問題解決の際
の心構え、普段の準備、絶え間ない
学び、視野(パースペクティブ)、
などなど、考えさせられることばかり
の、一言一言である。

作家の村上春樹は、川上未映子に
よるインタビュー(著書『みみずくは
黄昏に飛びたつ』)の中で、
「何も書いていない時期のこと」を
語っている。

作家にとって必要なものとしての
「抽斗」をもっておくこと。
何も書いていない時期に、せっせと、
「抽斗」にものを詰めていくこと、
などを。

村上春樹が小説を書くという「総力戦」
は、野口晴哉の言う「産み出す力」で
戦われる場である。

村上春樹がいう「作家」と、
野口晴哉がいう「治療家」は、
深い地層において、つながっている。

野口晴哉の『治療の書』は、
これだけの言葉をとりあげても、
話の尽きることのない、インスピレー
ションを、ぼくたちに与えてくれる。

そして、これからも、ぼくたちに
尽きることのない、渇れることのない
インスピレーションを与え続けて
くれると、ぼくは思う。

野口晴哉は、この書の「あとがき」を
このようにしめくくっている。

 

この書に記したことは、三十年間少し
も変らなかったことばかりである。
これからも変らないであろうことを
確信している。

野口晴哉『治療の書』(全生社)
 

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「未来」を考える拠り所。- 加藤典洋著『人類が永遠に続くのではないとしたら』と向き合って。

文芸評論家の加藤典洋が、日本の「3・11の原発事故」をきっかけに、「私の中で変わった何か」に
言葉を与えた著書、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)。...Read On.

文芸評論家の加藤典洋が、日本の
「3・11の原発事故」をきっかけ
に、「私の中で変わった何か」に
言葉を与えた著書、
『人類が永遠に続くのではないと
したら』(新潮社、2014年)。

実はまだ、この文章を書きながらも、
この著書と真剣に向き合っている。
400頁におよぶ書籍の折り返し地点
が見えてきたくらいのところに、
ぼくはいる。

向き合っている途中だけれど、
いくつか書いておきたい。

(1)『現代社会の理論』への応答

加藤典洋の『人類が永遠に続くので
はないとしたら』(新潮社)は、
大分前に手に入れていたけれど、
ずっと読めずにいた書籍である。

読めなかった理由のひとつは、
この書で展開される「執念の考察」
(橋爪大三郎)と真剣に向き合わうこと
を、ぼくに要請したからである。
ぼくの側に、その準備ができていなかった。

そもそも、この書籍を手にとったのは
この著書が、社会学者の見田宗介の
名著『現代社会の理論』への応答と
展開を主軸とする論考であったからで
ある。

タイトル『人類が永遠に続くのではない
としたら』が、見田宗介への応答を
告げるものである。

ちなみに、20年ほど前に書いたぼくの
修士論文も、見田宗介の『現代社会の
理論』に刺激を受け、「人類が永遠に
続くのではないこと」を引き受ける形で、
経済社会の発展(また途上国の開発)の
問題を論じた。

見田宗介は、現代社会がそのシステムの
魅力性と共に、「外部の臨界」で、
環境・資源、貧困などの「外部問題」に
直面していることを指摘する。
地球は「有限性」の中におかれている。
この乗り越えの未来社会構想を、
「光の巨大」と「闇の巨大」を、ともに
見はるかす一貫した理論のうちにおさめた
ことに、見田の著書の意義はある。

「光の巨大」と「闇の巨大」の理論の分裂
は、加藤典洋が「近代二分論」と呼ぶ状況
である。
「ゆたかな社会」を高らかに喧伝する
「(光の)近代論」と、
「成長の限界」を
説く「(闇の)近代論」が、まじわること
なく、分裂してきた状況がある。

闇の巨大を説く近代論(『成長の限界』
や『沈黙の春』など)は、環境問題や
資源枯渇の問題などを眼前にみせる。
「心のやさしい」学生などは、
自分の生き方に「罪的な気持ち」を
抱いてしまう。
指摘の「正しさ」と共に、この近代論
が説く何かに、ぼくは、感覚として
「居心地の悪さ」を感じてきた。

見田宗介は、「全体理論」として、
「光」と「闇」を統合する視点を提示
している。

加藤典洋は、3・11後の状況の中で、
1996年に発刊された『現代社会の理論』
の「重要さ」を指摘すると共に、深く、
そして一歩先に進めていく視点と共に、
彼の著書で展開している。

この箇所だけでも、加藤の書籍から学ぶ
べきところだらけだ。

 

(2)「リスク」の視点

加藤典洋は、見田の理論の「革新さ」を
見抜き、どこまでも深い読解を展開していく。

しかし、加藤が不満に思うただひとつの
ことは、見田の理論では「地球の有限性」
が「外部問題」としてしか捉えられていな
いことである。

加藤は、3・11後の、原発の「保険の
打ち切り」(*保険会社が事故を起こした
原発の運転作業や収集作業の「リスク」を
引き受けられない事態)を見聞きするうち
に、産業資本システムの「有限性」が、
システムの「内部」からも起きている、
という視点をとりいれている。

加藤は、ベック著『リスク社会』の深い
独自の読解を手掛かりに、この「システム
内部からの瓦解」を、見田の理論につなげ
ていく。
(加藤典洋によるベックの読解の鮮烈さ
に、ぼくは深く感銘を受けた。)

ベックの理論は、加藤の言葉を借りれば
「(富の)生産からリスク(の生産)へ」
という視点である。
そして、リスクがバランスを失い、回収
不能なリスクをつくりだしてきてしまって
いる。
つまり、リスクが生産を上回るものになっ
てしまっている。

加藤は、3・11後の原発の保険打ち切り
に、そのことを見た。
この状況は、システムはその「内部」に
システムの「臨界」をつくりだしてきたと
いうことである。

後期近代(現代)は、資本制システムの
「外部」にも「内部」にも包囲されている。
地球の「有限性」に直面している。

見田はこの「有限性」を直視し、
「有限な生と世界を肯定する力を
もつような思想」をうちたてる方向性
へと論を進める。
加藤はこれを引き受け、この書の後半
部分を書いている。
(*これからじっくり読みます。)

 

(3)「未来」を考える拠り所。

ここで、ひとつ取り上げたいのは、
このような「未来」を考える拠り所で
ある。

加藤典洋は、後期近代(現代)を超えて
いく「脱近代論」の二つの方向性を、
地球という「船」が沈んでいくことに
かけて、次のように言っている。

 

…脱近代論の論とはいえ、船が沈まない
ようにしようという論と、これからは
沈みかかった船の上で未来永劫生きて
いくんだという論とでは、当然、大いに
違うだろう。

加藤典洋『人類が永遠に続くのではない
としたら』(新潮社)

 

この二つの違いに対応させる形で、
加藤は
・「リスク近代」という考え方
・「有限性の近代」という考え方
と呼んで、次のように書いている。


「リスク近代」の考え方は、どうすれば
地球という船を沈めないですむだろうか
と、問う。これに対し、「有限性の近代」
の考え方は、どうすれば沈みかねない船
の上で、人はパン(必要)だけでなく、
幸福(歓喜と欲望)をめざす生を送る
ことができるだろうか、ともう一つその
先のことを、問う。

加藤典洋『人類が永遠に続くのではない
としたら』(新潮社)

 

加藤典洋は、「リスク近代」から、
加藤が呼ぶ「有限性の近代」へと論を
すすめていく。
後者は、有限性の中に「無限」をまなざす
考え方である。

「有限性の近代」は、人間とは何か、
などを自問しながら、論じられる。
人は、パン(必要)だけでは「生きる」
ことができない。
「有限性の近代」をひきうけるには、
人間や社会を根底的にとらえなおしていく
ことが大切になってくる。

この捉え直しは、「近代の中」だけでは
なく、近代前、あるいは人類史のような
地点にもさかのぼる捉え直しである。

加藤典洋の視界も、そこまで広がり、
深くきりこんでいる。
見田宗介が拠り所のひとつとする
バタイユの視界も、広く深い。
また、『サピエンス全史』で著名と
なったYuval Noah Harariの視界も
人類史に広がっている。
Yuval Harari著『Homo Deus』は、
ある意味で、「有限性の近代」を
ひきうけていく論考である。

「未来」を考える拠り所は「今」にある
と言われる。
それは、一面では正しいけれど、
「今」だけでは見えないこともある。
(「今」の中に、過去も含まれるという
「言い方」もあるけれど。)
「今」を相対化しつつ、人間や社会
そして自然を今一度、根底的に捉え直す
ときに、ぼくたちはき
ている。

人や家族、組織や社会などについて展開
する理論や議論において、
ぼくはしばしば「違和感」を感じる。
「居心地の悪さ」を感じることがある。

これら「違和感」「居心地の悪さ」は
それら理論・議論が前提としている人や
社会の「あり方」のすれ違いからきて
いたりする。
それは、「リスク近代」を説く者と、
「有限性の近代」をめざす者との対話が
すれちがうであろう状況と、似ている。

「未来」を考える拠り所として、
根底的な思考に降りていくこと。
人間とは、社会とは、近代とは、無限とは。
根底的な思考を、後期近代(現代)は、
要請してやまない。
「沈みかかった船の上で、これから未来
永劫生きていこう」と誓う中で。


ぼくは、見田宗介のいう「有限な生と世界
を肯定する力をもつような思想」をつくり、
そしてその肯定性に生きていくことを、
自身の生涯をかけて引き受けていきたい。

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「考えることの身体」について。- ロダン『考える人』は何を考えているか。

そんなことを考えながら、本を読んでいたら、オーギュスト・ロダンの有名な彫刻、『考える人』の面白い解釈に出会った。...Read On.

世界で生きていく上では「考える力」が
大切である。
その土台としての「論理・ロジック」に
ついては、ぼくの「個人史」を書いた

そんなことを考えながら、本を読んで
いたら、
オーギュスト・ロダンの有名な彫刻、
『考える人』の面白い解釈に出会った。

ロダンの『考える人』は、おそらく、
多くの人が見たことがあると思う。
※ロダン「考える人」Wikipedia
前屈姿勢で、なにやら、真剣に物事を
考えている男がいる。

子供のころから、この「考える人」は
何を考えているのだろう、と思いつつ、
でもその真相を調べることまでの
気持ちはわいてこなかった。

直感的には、なにか、哲学的な深い
ことを考えているのだろうと、推測を
立てていた。

ただ単に、「美術」「ロダン」という
響きが「哲学」と結びついただけだった
のかもしれない。

社会学者の見田宗介の著作を、再度読み
直しているところで、
『定本 見田宗介著作集X:春風万里』
に収録されている、「野口晴哉」に
関する論考に、ロダンの「考える人」が
取り上げられているのを、見つけた。
以前も読んでいたのだろうけれど、
飛ばして読んでしまっていたのだろう。

見田宗介は、ロダン「考える人」が
何を考えているのか、に関する、
野口晴哉(整体の創始者)の考え方に
ふれている。

野口晴哉は、「考える人」の「姿勢」
から、読み取るのだ。

人間が考えるということには
「二つの様相」があるとした上で、
思考の内容に応じ、身体は正反対の姿勢
をとるという。

 

一方は「行動の思考」、現在から近い
将来の、具体的で実用的な思考である。
他方は「上空の思考」ともいうべきもの
で、楽しい空想とか、遥かな未来の想像、
過去の思い出や、高度の哲学的、理論的
な思考のように、現実の上空を飛翔する
思考である。「行動の思考」をする身体
は前屈し、全身を凝集して緊張している。
「上空の思考」をする身体は反対に上体
をそらせて、伸び伸びと弛緩している。
ロダンの彫刻は重心を前に移して、足の
親指に力が入り手も内側に入っている
から、具体的な行動のための、方法の案
出とか順序の問題を考えている身体である。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X:
春風万里』(岩波書店)

 

「身体」の視点から、ロダンの「考える人」
を視る、ということは、ぼくのパースペク
ティブにはなかった。

人の身体は多くを語ることは知りつつ、
ぼくたちは、「身体論」の教育を受けてきた
わけではない。
どちらかというと、教育の主眼は「心」に
投じられていた。

しかし、最近は、心と身体は切り離さない
「パースペクティブ」が、多く提示されて
きている。

「考える」ということを考えるとき
ぼくは、その身体のあり方を考える。
どのような「身体」で、ぼくらはよりよく
考えることができるのか、など。

「身体」は、人を変えていくための
ひとつの拠点だ。

「心身」という言い方もあれば、
「身心」という言い方もある。
心と身体が切り離せないという視点からは、
どちらも正しい。

心(マインド)から入っても、
身体(ボディ)から入っても、
ぼくたちは、自分たちを変えていくことが
できる。

しかし、ぼくが生きてきた時代は
どちらかというと「心」に重きを置かれて
きたように、思う。
「心の教育」ということの中で、
ぼくは「身体」を忘れてしまったのかも
しれない。
身体は忘れることができないのだけれど。

だから、自分を変えたいという思いを、
ぼくは「身体」を拠点にするという戦略に
うつしかえてきたのだと思う。

 

それにしても、
ロダン「考える人」は、
「地獄の門」の頂上で、いったい、
具体的なこととして、何を考えていたの
だろう。
そして、ロダンはなぜ「考える人」なんかを
創作したのだろう。

 

追伸:
西アフリカのシエラレオネで働いて
いるとき、
ぼくは夕方、事務所の前で、
しばしば、考え事にふけっていた。
(ぼくは安全対策の行き届いた
事務所に住んでいました。)

シエラレオネの「現実」の中で、
考え事が山積していた。
ある人は、ぼくが「哲学者のようで
あった」という。
今思い起こして、それは、
「行動の思考」であったのか、
「上空の思考」であったのか。
どちらかというと後者であったので
はないかと、ぼくは思う。
具体的な思考は、就業時間中に、
とことんしていたし、
何よりも、ぼくの「身体」は前屈と
いうよりは、上体をそらせて、
ひらかれていたから。

ぼくの身体は、シエラレオネの
空にむけられて、ひらかれていた。

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「生きることの土壌」をつくること。- そのときには「意味」はわからないけれど。

宮沢賢治の「時間と空間」に関する論考の中で、社会学者の見田宗介は、賢治が若いときに2年余りの時間を費やした土性調査の仕事に触れて、このように書いている。...Read On.

宮沢賢治の「時間と空間」に関する
論考の中で、社会学者の見田宗介は
賢治が若いときに2年余りの時間を
費やした土性調査の仕事に触れて、
このように書いている。

 

若い日の柳田国男の、特赦のための
犯罪人調査のたんねんな閲読という
根気仕事が、この国の社会の底の、
無数の不幸な人生の記録にふれる
ことをとおして、その後年の巨大な
民俗学の仕事の土壌を用意したよう
に、この二年余の、文字どおり地を
這うような地質調査は、賢治の文学
のみえない土壌を形成している。

見田宗介『宮沢賢治』(岩波現代文庫)


この文章を読むときに思うのは、
見田宗介自身の、社会学を超える
巨大な仕事の「土壌」についてである。

ぼくが、20年程前に、修士論文の
テーマと内容を構想しているときに
圧倒的な「モデル」としてあったのは
見田宗介の著作『価値意識の理論』
(弘文堂)である。

「欲望と道徳の社会学」と副題の添え
られた『価値意識の理論』は、
見田宗介が1961年に大学に提出した
「修士学位論文」である。

序章「人間科学の根本問題」につづき、
以下の論考が展開されていく。

第一章:価値と価値意識
第二章:行為の理論における<価値>
第三章:パーソナリティ論における<価値>
第四章:文化の理論における<価値>
第五章:社会の理論における<価値>
第六章:価値意識研究の方法

本文は379頁、重要文献目録も158に
およぶ大著である。

本文を読むと、書かれた言葉の背景に、
どれだけの研究と思考がつまっているか
が、見てとれる。

後年の見田宗介の巨大な仕事へ
狭義の意味で「直接的」にはつながる
ものではないけれど、
この地を這うような大著の執筆という
仕事は、後年の巨大な仕事の「土壌」
をつくりだしている。

ぼくは「国際協力」の現場の仕事に
出ていく前に、『価値意識の理論』を
モデルイメージとして、ぼく自身の
「修士学位論文」を書いた

本文は100頁ほどだけれど、
参考文献は日本語・英語合わせて、
200以上にのぼる。
決して「数」が大切ではないけれど、
この地道な研究が、ぼくの後年の
仕事の「土壌」をつくってきたことは
確かだ。
その「土壌」の大切さと意味は、
そのときにはわからなかったけれど。

大学院修了後の仕事、
国際協力と人事労務コンサルタントと
いう仕事を、今この時点から振り返っ
たときに、「土壌」の意味が見えてくる。

ぼくの仕事が、この「土壌」から
生成してきていることが見える。
多様な形ではあるけれど。

そして、今また、
この「生きることの土壌」とも言うべき
「土壌」を、ぼくはせっせと耕している。

せっせとする根気仕事は、
そのときにはその「意味」がわからない
ことがある。
でも、それは、後年の生きるという経験
の中において、太い幹のある木々たちと、
鮮烈な花を咲かせる「土壌」を、
つくることができる。

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「方法としての旅」から見えはじめたこと。- <虚構の時代>(見田宗介)の中で。

「方法としての旅」ということを考えた。二十世紀の終わりに、ぼくは、「もがきの閉塞」とでも呼ぶべき生きにくさに出口を探して、日本の外に飛び出し、旅をくりかえした。...Read On.

「方法としての旅」ということを考えた。

二十世紀の終わりに、ぼくは、
「もがきの閉塞」とでも呼ぶべき
生きにくさに出口を探して、日本の
外に飛び出し、旅をくりかえした。

ぼくが「生きにくさ」を感覚していた
(当時の)日本は、どのような時代に
おかれていたのかを振り返るとき、
社会学者の見田宗介の有名な理論が
導きの糸となる。

 

「現実」という言葉は、三つの反対語
をもっています。「理想と現実」「夢
と現実」「虚構と現実」というふうに。
日本の現代社会史の三つの時期の、
時代の心性の基調色を大づかみに特徴
づけてみると、ちょうどこの「現実」
の三つの反対語によって、それぞれの
時代の特質を定着することができると
思います。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
 

「三つの時期」について、見田は、
下記のように、理論を展開している。

●理想の時代:1945年~1960年頃
       *プレ高度成長期
●夢の時代:1960年~1970年代前半
       *高度成長期
●虚構の時代:1970年代後半~。
       *ポスト高度成長期

人びとは、それぞれの時代において、
<理想><夢><虚構>に生きようと
してきた、という。

「現実」ということとの関わりに
ついて、見田宗介は、続けて、この
ように書いている。

 

「理想」に生きようとする心性と
「虚構」に生きようとする心性は
現実に向かう仕方を逆転している。
「理想」は現実化(realize)する
ことを求めるように、理想に向かう
欲望は、また現実に向かう欲望です。
…虚構に生きようとする精神は、
もうリアリティを愛さない。
二十世紀のおわりの時代の日本を、
特にその都市を特色づけたのは、
リアリティの「脱臭」に向けて
浮遊する<虚構>の言説であり、
表現であり、生の技法でもあった。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
 

ぼくが生まれ、そして「旅」をくり
かえしていた時代は、この考え方で
いくと、<虚構>の時代であった。

ぼくは、「虚構の時代」にあって、
<理想>や<夢>を生きようと、
もがいてきたように、振り返る中で
思う。

それは、格好悪いことであったかも
しれない。
トレンドにのっていなかったことか
もしれない。

でも、<ほんとうのもの>を、ぼくは
探していた。

その中で、「方法としての旅」があった。
自分の身体を、まったく異なる社会
に投じた。
五感をひらくことで、自分を変えよう
とした。
旅先で、とにかく、歩いた。
歩いて、見えてくるものがないか、
ぼくは、上海の街を、香港の街を
歩いていた。
ニュージーランドでは、徒歩縦断という、
人生の「無駄」に生きた。

方法を探しもとめ、自ら実験し、思考する。

「旅」は、いつの日か、仕事という形
で、ぼくを世界に連れだった。

紛争の傷を深く負った人たちとその社会、
紛争から立ち直る人たちとその社会。
日々を一所懸命に生きる人たち。
どんなに「悲惨な現実」をも、乗り超えて
いく人たち。
そんな人たちと、そのような社会で、
ぼくは生きてきたのだ。

そして、そんな中で、
どうしたら、この時代に、よりよく生きて
いくことができるのか、を、
失敗をいっぱいにしながら、
生きて、考えている。

このブログはそのような試みのひとつである。


追伸:
作家・辺見庸も、同じ時期に、虚構では
ない、「生きたことば」を探し求めて
いた。
彼の文章は、身体から、絞り出された
ような、言葉たちである。
ぼくは、その頃から、「生きたことば」
に敏感になりはじめた。

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ぼくの「旅の経験」の奥行き。方法としての「旅」-「目の独裁」から感覚を解き放つこと(真木悠介)

<目の独裁>から自由になること。ぼくが生きていくことの、豊かさの「奥行き」を、言葉として明晰に提示してくれた、真木悠介の一節である。...Read On.

…目の世界が唯一の「客観的な」世界
であるという偏見が、われわれの世界
にあるからだ。われわれの文明はまず
なによりも目の文明、目に依存する
文明だ。
 このような<目の独裁>からすべて
の感覚を解き放つこと。世界をきく。
世界をかぐ。世界を味わう。世界に
ふれる。これだけのことによっても、
世界の奥行きはまるでかわってくる
はずだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)


<目の独裁>から自由になること。
ぼくが生きていくことの、豊かさの
「奥行き」を、言葉として明晰に
提示してくれた、真木悠介の一節である。

この言葉たちが収められている
名著『気流の鳴る音』に出会う直前の
数年間、ぼくは「旅」に魅せられていた。

もう20年以上前のことだ。
東京で感じる閉塞感、あるいは居心地の
悪さのようなものから自由になりたいと
ぼくはもがいていた。

「もがきの閉塞」から、裂け目とその先
に光を見ることができたのは、一連の
「旅」であった。

18歳で、横浜港から鑑真号にのって上海。
上海から西安、そして北京と天津。
天津港からは、燕京号で神戸へ。
19歳で、香港から広州。
広州からベトナム、そして広州から香港。
20歳で、ニュージーランドに滞在。

ニュージーランドから戻り、
ぼくは「本との出会い」を得ていた。
その中で出会ったのが、
真木悠介『気流の鳴る音』であった。

それは、ぼくの「旅での経験」を、
<ことば化>してくれたと同時に、
これまでの「もがきの閉塞」の先に
「新しい世界」の存在と美しさを、
ぼくに提示してくれた。

「旅での経験」で、ぼくの身心をはじめ
からさらったのは、「におい」であった。

中国は「におい」に充ちた空間であった。
香港も、飛行機から降りたときに、
「におい」が、ぼくを出迎えた。
ベトナムも、もちろん、ぼくの臭覚を
襲撃してきた。
それらは、東京では感じなかった。

<目の独裁>から解き放たれ、
世界をかぐ。
真木悠介の言うように、これだけでも
世界の奥行きはかわった。

「旅」は、ぼくにとって「方法」の
ひとつとなった。
そうして、ぼくは、自問した。
「旅で人は変わることができるのか?」

その後も「具体的な方法」を探し求めた。
幼少に視力を失ったエッセイストである
三宮麻由子『そっと耳を澄ませば』など
を読んだ。

「音」の採集などを試みた。
「Dialogue in the Dark」を経験した。

これらを経験してきて、ぼくは<目の
独裁>から抜け出せただろうか。
おそらく、完全に解き放たれた「地点」
などは、存在しないのではないか。

ひとつ言えることは、
これらの経験は、ぼくの「世界」に
確かに奥行きを与えてきてくれたこと。

これらの経験は、ぼくの身心の内奥に、
広々と拡がる「世界」の入り口への、
確かな「楔(くさび)」を打ち込んで
くれた。

 

追伸1:
最近のアジアの国々は、
「におい」が薄くなってきたように
ぼくは感じる。
経済発展と、それに伴う各地の
「都市化」の力学が、
においを脱臭してきたのだと思う。
いい・悪いの話では、ないけれど。

 

追伸2:
写真は、
真木悠介『気流の鳴る音』の
最初の「形」。
ぼくの大切な一冊。
その後、「ちくま学芸文庫」になり
そして、今は、岩波書店の
「定本 真木悠介著作集」に
収められている。

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香港で、「貧困」のコンセプトを考える - シエラレオネ・東ティモールから香港を経る中で。

香港は、この10年で、物価がとても高くなった。不動産価格はなかなか下がらない。家賃などもこの10年で上がり続けてきた。...Read On.

香港は、この10年で、物価がとても
高くなった。
不動産価格はなかなか下がらない。
家賃などもこの10年で上がり続けて
きた。
海外からくる、いわゆるエクスパット
は、高騰する家賃を避けるために、
外に家を探しもとめているという
ニュースが出ていた。

香港は、貧富の差が大きいところだ。
「ジニ係数」という所得分配の不平等
さを示す係数において、香港はアジア
でもっとも係数が高い。
それだけ、所得格差が開いている。

ぼくは、大学後半から大学院で、
「途上国の開発」や「貧困問題」を
研究してきた。

大学院修了後は、世界で最も寿命が低い
と言われていたシエラレオネ、
それからアジアで最も貧しいと当時言わ
れていた東ティモールに、
国際NGOの職員として駐在した。

「貧困」については、そのカテゴリーは
好きではないけれど、学問としても、
それから実務でも、正面から向き合って
きた。

シエラレオネでは紛争後の緊急支援に
たずさわり、それから、東ティモール
では、コーヒー生産・精製の支援から
「収入改善」のプロジェクトを運営して
きた。
そこから、経済成長を続ける香港に
わたってきた。
香港では、「経済」や「お金」という
ものを、正面から考えさせられてきた。

しかし、途上国(南北問題の「南」の
国)の貧困と、先進国の貧困とを、
理解しておく必要がある。

ぼくは、このことを、社会学者・見田
宗介の「現代社会の理論」から学んだ。
「貧困のコンセプト。二重の剥奪」と
題された文章で、見田はこのように記述
している。

 

…貧困は、金銭をもたないことにある
のではない。金銭を必要とする生活の
形式の中で、金銭をもたないことにある。
貨幣からの疎外の以前に、貨幣への疎外
がある。この二重の疎外が、貧困の概念
である。
 貨幣を媒介としてしか豊かさを手に
入れることのできない生活の形式の中に
人々が投げ込まれる時、つまり人びとの
生がその中に根を下ろしてきた自然を
解体し、共同体を解体し、あるいは自然
から引き離され、共同体から引き離され
る時、貨幣が人びとと自然の果実や他者
の仕事の成果とを媒介する唯一の方法と
なり、「所得」が人びとの豊かさと貧困、
幸福と不幸の尺度として立ち現れる…。

見田宗介『定本 見田宗介著作集 I』
(岩波書店)


途上国の「貧困研究」では、見田宗介が
正しく指摘するように、この「あたり前」
のことを議論の前提として忘れてしまう
ことがある。

 

香港の生活(香港だけでなく、例えば、
東京の生活もそうだけれど)は、まさに、
「金銭を必要とする生活の形式の中」に、
人びとをまきこんでいく。

物価が上がり続けてきた中で、
つまり「金銭を必要とする生活」度合いが
強まる中で、人びとは、「貧困」に陥らな
いように、走り続けなければならない。

香港では「自然」は実際には大規模に広が
っているものの、それは生活の物質的な
豊かさをもたらすものではない。

多くの人は「都会生活」である。つまり、
「貨幣への疎外」を経験している。
だから、通常は「金銭」を増やしていく
ことしか、道はない。

「金銭を必要とする生活」のダイナミクス
と、その切迫感が、香港のスピードの速さ
とエネルギーを生み出しているように、
ぼくには見える。

ただし、香港では「共同体」が、「家族」
という単位で、最後の砦を守っている。
核家族ということもあるけれど、
「拡大家族的な共同体」の砦であったりする。

「家族」が、愛情の共同体であると共に、
ソーシャル・セキュリティ的な役割(物質的
な拠り所)も担っている。

世界で最も「貧しい」と言われていたシエラ
レオネから、アジアで最も「貧しい」と言わ
れていた東ティモールへ。
それから世界でも最も「豊かな」ところで
ある香港へ。

ぼくは、この「格差」の中で、社会や世界を
考えさせられる。
ぼくも、「金銭を必要とする生活」の只中で、
しかし、日々、こうして食事をすることが
できることに感謝する。
感謝しながら、「自分にできること」を考える。

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