「テクノロジー=拡大された感覚器」と「視覚や聴覚の退化」。- teamLabの圧倒的なデジタルアートを見ながら考えていたこと。

「teamLab」と呼ばれる、「デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されるウルトラテクノロジスト集団」がある。...Read On.


「teamLab」と呼ばれる、「デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されるウルトラテクノロジスト集団」がある。

様々な分野のスペシャルストとは、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、絵師、数学者、建築家、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、編集者などのスペシャリストである。

アート・サイエンス・テクノロジー・クリエイティビティの境界を曖昧にしながら活動しているという。

グローバル展開をし、活動は世界におよんでいる。

とても興味深い「集団」つくりであり、「活動」である。

 

自然と一体化するデジタルアートは、圧巻である。

現在は、日本の佐賀、武雄にて「かみさまがすまう森のアート展」と名付けられたエキシビションを開催しているという。


Webリンク:
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teamLab
「かみさまがすまう森のアート展」
 

ホームページ上の動画でも、「動画」という限定性の中で、その一部を見ることができる。

その限定性の中においても、デジタルアートの繊細さと迫力、創造性が伝わってくる。

作品は、「増殖する声明の巨石」「かみさまの御前なる岩に憑依する滝」「岩割もみじと円相」「忘却の岩群」「岩壁の空書 連続する生命」「小舟と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング」などと、想像をわきたてる名前がつけられている。

自然の岩などにデジタルアートが重ねられることで、<自然を見る眼>を体験することができる。

自然の中に、人はこのようにして、<見えないものを見る>ことができる。

見えないものを独特の仕方で視覚化することで、それはぼくたちの自然の見方をひろげてくれる。

 

テクノロジーは、人間の「拡大された感覚器」(真木悠介)である(※メディア学のマクルーハンの理論を下敷きにしている)。

視覚も聴覚も、テクノロジーは、それら器官の機能を拡張・拡大させることで、人の生活を便利にしていく。

テレビや携帯電話によって、人は、遠くのものを見たり聞いたりすることができる。

今言われている「IoT」(Internet of Things)などの本質は、人間の「拡大された器官」である。

これからの時代、この拡張・拡大が、さらに加速していくことになる。

teamLabのデジタルアートは、デジタルアートという仕方で、想像力を視覚化していく。

新たな「世界」が、確実に、開かれつつある。

 

「拡大された感覚器」をもつ文明化された人間は、他方で、文明の発展のプロセスで、原生的な人類がもっていたという信じられないほどの視覚や聴覚などを喪っていく。

テレビや携帯電話、さらには次々に発明されていく「拡大された感覚器」があるから、それ自体どうということはない。

しかし、社会学者の真木悠介は、次のような見方を、ぼくたちに提示している。

 

 …けれどもこのような視野や聴覚の退化ということを、われわれをとりまく自然や宇宙にたいして、あるいは人間相互にたいして、われわれが喪ってきた多くの感覚の、氷山の一角かもしれないと考えてみることもできる。
 たとえばランダムに散乱する星の群れから、天空いっぱいにくっきりと構造化された星座と、その彩なす物語とを展開する古代の人びとの感性と理性は、どのような明晰さの諸次元をもっていたのか。

真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)

 

ぼくたちはさまざまなテクノロジーに助けられ、支えられ、楽しく生きているけれど、しかし、他方で、「退化してしまった視野や聴覚」で、自然や宇宙や人に、対している。

 

 自然とか宇宙のうごきにたいする感応の深さやゆたかさが(それに対応して存在する客観的世界のゆたかさー道具や道や集落や都市のありようと共に)そのいくつかの質的な次元において喪われたとき、きりつめられ貧困化された感性と理性とは、それなりで自己充足的な明瞭さの空間を張って安住し、通常は喪われた諸次元について思いをはせることもない。

真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)

 

このことは、例えば、「くさい空間」に人は慣れると、そのくささを感じなくなってしまうような経験として、想像することができる。

ぼくの「退化してしまった視野や聴覚」のこと、この「退化してしまった視野や聴覚」を通じて見る自然や宇宙それから人との関係の次元を、ぼくは考えてしまう。

teamLabがつくるようなデジタルアートは、このような「退化してしまった視野」を、クリエイティブな仕方で思い出させてくれる。

人の創造性や想像性が無限の空間をひらいていくことを感じさせる。

しかし、アートは、それ自体では、退化した感覚器官を解き放つことはできない。

このことは、teamLabの責任ではもちろんなく、ぼくたち自身になげられたボールだ。

これからの時代、テクノロジーがさらに加速しながら進化をとげていくときに、そのベネフィットを享受していくとともに、ぼくたちはこの「退化してしまった視野や聴覚」を、別の方法で解き放っていくことで、ぼくたち人間にあらかじめ仕掛けられている感性や理性も味方にしていくことができる。

この方向性において、ぼくたちは、近代・現代の果実を得ながら、自然や人との豊饒な関係性を取り戻していくことができる。

 

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「思えば危うし(思即危)」(見田宗介)。- 「明るく安全な世代」における学びと思考。

社会学者の見田宗介が2000年代初頭に書いた「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」という論考を読みながら、ぼくは勝手に「叱咤激励」される。...Read On.


社会学者の見田宗介が2000年代初頭に書いた「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」という論考を読みながら、ぼくは勝手に「叱咤激励」される。

1990年代から2000年代初頭にかけての大学生たちを眼にしながら、「思想の危険」(『群像』発表時の当初のタイトル)ということについて書いた文章だ。

ぼくも同じ時代に大学生であったから、ある意味において、ぼくも「当事者のひとり」とも言うことができる。

結論的な段落で、見田宗介は、「思えば危うし」(思即危)と書いている。

そこに至る論考の道筋を追いながら、「思えば危うし」を見ていくことにする。

 

論考の出発点は、孔子の一節である。

 

「学んで思わざれば即ち罔し(くらし)。思うて学ばざれば即ち殆し(あやうし)。」(孔子)

 

孔子の言説には小さい頃から基本的に反発を感じてきた中で、この一節だけは納得するものであったと、見田宗介は言う。

そして、大学での仕事という経験が、この一節に重なっていく。

 

 大学の仕事をするようになって、この断片への共感は一層確実なものとなるように思えた。いくらよく勉強をしていても、自分の頭で考えない奴は全然ダメである。けれども反対に、いくら自己流に「考えて」いても先行の理論をきちんと押さえていない奴も、「大発見」等と称して的外れの議論をとうとうと展開したりする。学んで思わざるの徒も困るが、思いて学ばざるの徒も困ったものだ、と。

見田宗介「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」『定本 見田宗介著作集X』岩波書店

 

しかし、当時の状況は、見田宗介の納得を「震撼せしめる事態」として起こった。

当時の大学生たちは、どちらのタイプにも当てはまらず、「学んで」いないし、「思うて」いるようにも見えない。

孔子の言葉を応用して言うと「暗く、しかも危うい」ということだけれど、当時の学生たちは、暗くはなく「明るく」、また危うくはなく「安全」である、と。

他方、1970年前後の大学生たちは、「危うい」学生たちばかりであったけれど、充分にまた過剰に「思うて」もいて、はるかに多く「学んで」もいたという印象を、見田宗介は経験の記憶から引き出している。

見田宗介は、こう述べている。

 

 少なくとも二〇世紀後半の日本において興亡する諸世代を見わたしてみた限りでは、危険な世代の青年たちほどよく学び、また多く思考していた。安全な世代の青年たちほど一般に余り学ばず、また思考していない。
 …論理的に整理してみるならば、よく思考する青年は学ばなくても危うく、学んでもまた危ういということになる。考えていない学生は、学ばなくても学んでも危うくはないということになる。つまり、「危うい」ということは人間が「思う」ということ、「考える」ということの結果なのである。

見田宗介「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」『定本 見田宗介著作集X』岩波書店

 

そうして、見田宗介は、「思えば危うし」(思即危。)と端的に記すことになる。

そんな見田宗介はと言うと、2000年頃に『危険な思想家』という本を書かないかと話がもちかけられたが、「じぶんが危険な思想家だからという理由」で、当時は断ったという。

 

この論考を読みながら、ぼくもその粒である「明るく安全な世代」の学びと思考ということを考える。

試験勉強・受験勉強という「勉強ではない勉強」にすっかりと思考の芽をそぎとられてきたぼくの学びと思考。

しかし、芽がつぎとられても「思考の根」は生きてきた。

ぼくの「思考の根」は、アジアへの旅、ニュージーランドでの生活、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港などを経ながら、学ぶことと思考することの芽をいっぱいに地上に出している。

空間を移動しながら、しかし実質において「時間」を移動しているような現実にも出会いながら、さらには次なる時代がひらかれようとしていく中で、ぼくの思考の芽は育ってきた。

でも、「危うい」というところまで果たして思考できているだろうか、学べているだろうか、という想念がどうしても浮かんでくる。

「危険な世代」の青年たちのこと、「危険な世代」の青年の学びと思考の真剣さと真摯さを思ってしまう。

「思えば危うし」という真実の前に、ぼくは自分のことを「危うし」と言えるだろうかと疑念をいだく。

『危険な思想家』という本を書くことの依頼が来たら、ぼくは引き受けてしまうだろう。

だから、ぼくは「思想の眩暈」という文章を前に、自分で勝手に、自分を「叱咤激励」している。

ぼくの内面に存在する「危険な思想家」である見田宗介というぼくの「師」が、真剣で真摯な眼差しを、ぼくにおくっている。


追伸:
昨日取り上げた「ブルース・リー」(李小龍)は、「危険な時代」における「思えば危うし」の人物であっただろうと、ぼくは思う。

 

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「理論」と「実践」を、<理論「と」実践>にして生きること。- 真木悠介の硬質な言葉に共感しながら。

理論と実践ということは、「理論」と「実践」というように、しばしば、それぞれが分けられて語られる。...Read On.


理論と実践ということは、「理論」と「実践」というように、しばしば、それぞれが分けられて語られる。

理論派は実践派を批判し、実践派は理論派を批判する。

近現代の社会における「分業」は、例えば、「理論」を学者にたくし、「実践」をビジネスパーソンにたくしてきた。

学問の内部においても「分業」はすすみ、それらは「専門性」としてたちあがることで世界をひらいてきたと共に、いつしか、自身を「狭い世界の理論」におしこめてしまう。

ビジネスの内部においても「分業」はすすみ、それらは「専門」や「担当」としてたちあがることで効率を高めてきたと共に、いつしか、自身を「狭い世界の実践」におしこめてしまう。

「分業」がきりひらいてきた世界を肯定的に享受しながら、しかし、「狭い世界」を別の次元に向けてきりひらいていくことが、これからの課題である。

理論と実践ということで言えば、それぞれの間にある「と」というつながりを取り戻しながら、理論と実践の間の緊張感と相乗的な発展をクリエイティブにつくっていくことが大切になってくる。

「理論」も「実践」もそれぞれに大切であり、そして双方を有機的につなげて、いわば<理論「と」実践>としていくことである。


 

社会学者の真木悠介は、硬質な「理論」を展開する著書『現代社会の存立構造』(1977年)の「結」において、「理論と実践」について、次のように書いている。

 

 生の実践においては、つかのまの対話が人間の歴史を包含し、瞬間が宇宙を包含するという構造に私は賭けたい。しかし理論というものは、まさしくこのような生の全一性からの、方法的な自己疎外として、総体性をめざす実践が必然的にとらざるをえない迂回の契機として存立する。

真木悠介『現代社会の存立構造』筑摩書房

 

このように、「生の実践」において、真木悠介は、「理論」を「方法的な自己疎外として…必然的にとらざるをえない迂回の契機」としている。

なお、誤解のないように付け加えておくと、真木悠介(=見田宗介)は、他のところで、「人生のぜんたいが論じるよりも、するものだ」と書いている。

 

…わたしは…人生のぜんたいが「論じるよりも、するものだ」と考えている。論を大切にしないということではない。千倍もさらに大切なものがあるだけだ。…「思想を実践する」といった倒錯した生き方をしたくないと思う。…

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

徹底した理論家・思想家でもある真木悠介(=見田宗介)は、しかし、「方法的な自己疎外」として、「迂回の契機」として、理論という仕方で根柢的に考えるということを大切にしている。

そのことについて、真木悠介は「迂回の契機としての理論」ということを述べた後につづけて、次のように語っている。

 

…なるほどこのような理論のもつ自己疎外化的な構造に即時的に内在するのが近代理性の地平ではあるが、今この地平をやみくもに否定するために、即自的実践の地平にたいして屹立する理論の次元をただちに解消してしまい、理論と「実践」のはらむ緊張をたんに無矛盾化し無構造化してしまうならば、実践は情況のめくるめく推転のうちにただちに足をすくわれてしまうであろう。また理論化的営為というものを、みじかい回路で「実践」と短絡させることをあせるならば、「理論」はたんなる実用的スローガンまたは空疎な文明論に解体し、真に総体的・根柢的な実践の根拠とはなりえぬであろう。

真木悠介『現代社会の存立構造』筑摩書房

 

肯定的に言い直せば、次の二つのことが大切である。

●理論と実践のはらむ緊張の中に生きること

●「真に相対的・根柢的な実践の根拠」となるまで理論化を行うこと

現代のいろいろな場面において、この二つのことが生きられていない現場を、ぼくは目にすることになる/直面することになる。

生きることの日々の忙しさの中で、「迂回の契機」を見つけることができずに(見つけるという「選択」をせずに)、実践にうちこみ、明け暮れて、いつしか「懐疑」だけが募っていく。

あるいは、理論化的営為という迂回の契機が、「迂回」ではなくなり、いつしか「中心」になってしまい、生のバランスを欠いてしまう。

あるいは、理論化的営為を、「みじかい回路で実践と短絡させる」ことで、実践が、世界をきりひらくことなく、時代の流れに流されていく。

 

だから、ぼくは、「理論」を学びながら、考えながら、つくりながら、「実践」のことを念頭においている。

「実践」をしながら、現実の中に埋もれてはそこから起き上がり「理論」へとつなげることを考える。

「理論」と「実践」の間にある「と」の緊張感を生きながら、「と」の矛盾に生きながら、<理論「と」実践>へと、実践しながら、問題解決の次元をあげていくことをあきらめない。

真木悠介が『現代社会の存立構造』を書いた1970年代に比べても、今、そしてこれからの時代においては、「と」が、緊張と矛盾を、想像以上に大きくしている/していく。

<理論「と」実践>という「装置」を自分に埋め込むことで、ぼくは「成長」ということの実質を生きている/いく。

 

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総論, 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 総論, 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「社会」を語りながら個人を見据え、「個人」を語りながら社会を見据えること。- ブログを書いてきていつも念頭にあったこと。

半年以上毎日ブログを書いてきて、ここ2ヶ月ほどの中で、書いてきたことの「総体性・全体像」と「秩序・つながり」のようなものが浮かびあがってきている。...Read On.


半年以上毎日ブログを書いてきて、ここ2ヶ月ほどの中で、書いてきたことの「総体性・全体像」と「秩序・つながり」のようなものが浮かびあがってきている。

ふと、いろいろ書き留めてきたことが、つながるときがある。

ぼくのこの指向性には、二つのことがある。

第一には、人類学者レヴィ=ストロースが言う「秩序づけの要求」という根底的な人間の要求なのか、ぼくはいろいろに考えてきたことを全体像のなかに「秩序」づけようとしている。

そして、第二に、考えてきたことの全体像と秩序づけにおいて、「個人と社会」のそれぞれが視野として獲得されている。

「秩序づけの要求」ということを昨日書いたので、今日は二つめの「個人と社会」の視野ということを書いておきたい。

 

<個人が最初にいて社会ができあがっているのでもなく、社会があって自分という個人のあり方があるのでもなく>という感覚を小さい頃から、ぼくはもっていたように思う。

それがどこから来たのかはわからない。

でも、そのような感覚があって、その感覚を明確に「言葉化」することを助けてくれたのは、社会学者の見田宗介の著作からであった。

見田宗介の言葉の中から、「自我/主体/アイデンティティ」という問題設定で見田宗介が書いている箇所を、ここでは引いておきたい。

 

「自分」とは何か。「私」とは何か。「個性」とはどういうことか。「主体性」とはどういうことか。「アイデンティティ」とはどういうことか。このように互いに重なり合いながら、少しずつ異なっている問題群は、学問にとってだけでなく、思考や表現や行動のさまざまな分野にとって、基礎的な問題である。それが主題としてはっきりと問われることがない場合にも、これらの問題にたいする特定の答え方(考え方)が、その学問や思想や芸術や制度の全体の基礎になっている。この基礎がくつがえされると、その学問や思想や学術や制度の全体が崩壊したり、転回や再構成を迫られるような、そういう前提になっている。語られる時も語られない時も、自我や主体やアイデンティティのあるあり方が最初にあって、それを出発点として、社会が組み立てられているのではない。巨視的な「社会」のあり方と個々の「自分」のあり方は、互いに他を前提し合う同じ一つのシステムの相関項として、産出し合い、再産出し合うサイクルをとおして持続し、時にめざましく変容してきた。

見田宗介「序 自我・主体・アイデンティティ」『岩波講座 現代社会学2 自我・主体・アイデンティティ』井上俊/上野千鶴子/大澤真幸/見田宗介/吉見俊哉・編、岩波書店

 

明晰な文章である。

社会と個人(自分)のあり方は、「互いに他を前提し合う同じ一つのシステムの相関項」であるという認識は、小さい頃からぼくがもっていた感覚に、明確に言葉を与えてくれる。

そして、今、そして今の先にひろがる未来の「社会のあり方」と「個人(自分)のあり方」は、見田宗介が上記の文章を書いた1995年よりも一層めざましく変容してきている。

その変容は、巨視的な「社会」と微視的な「個人」の中間に位置する、家族、企業、団体などにも、当然のことながら及んでいる。

「互いに他を前提し合う同じ一つのシステム」において、それぞれの「相関項」は、しかし、いろいろな緊張をはらみながら、影響し合い、システムを解体しつつシステムを産出するプロセスに、ぼくたちを置いている。

その解体と生成のプロセスにおいて、個人たちは、一方でワクワクし、他方で不安を覚える。

ぼくもワクワクと不安の中で、しかし、未来を予測するのではなく「構想」する視点で、個人の「生き方」(生活する仕方、働き方、協働の仕方など)を模索し、書いてきた。

個人の生き方を考え語りながら、そこの背景に社会の構想を見ている。

あるいは、社会のあり方や構想を考え語りながら、そこの背景に個人の生き方を見ている。

そのようなことを、この半年ほど繰り返し繰り返し行ってきた。

冒頭で述べた通り、その繰り返しの中で、それが全体像と秩序を獲得しつつあるというところに、ぼくは今いる。

その全体像・秩序と内容は、これまで考え実践してきたことの延長線上に描かれることと、また思いもよらなかった仕方で描かれたこととが融合してきている。

その融合されつつある全体像については、またどこかで書こうと思う。

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「性善説/性悪説」(利他/利己)に自分なりの「ケリ」をつけて。- 真木悠介の名著『自我の起原ー愛とエゴイズムの動物社会学』と共に生きて。

ぼくたちの日常会話において、「性善説/性悪説」の言説があらわれることがある。...Read On.


ぼくたちの日常会話において、「性善説/性悪説」の言説があらわれることがある。

ビジネスやプライベートの人間関係のあらゆる文脈において、人それぞれに異なる解釈と感覚のもとで、「性善説/性悪説」が語られる。

「性善説」は中国の孟子により説かれ、その後、荀子によって「性悪説」が説かれたという。

現代においては、もともとの「説」と解釈が脱色されて、内容としては、いわば「性善/性悪」の部分のみが語られたりする。

人は、自身の生きられる切実な経験をもとに、論理的な根拠もなく、「自分は性善説(あるいは性悪説)を信じている」などと言う。

「日常の生きられる経験」は切実だから、語る相手にどうこう言うものではなかったりする。

ぼくはそのような会話に「出口」がないままに、しかし、問題への関心だけは失うことなく、学んできた。

 

ぼくが、この「性善説・性悪説」という問題に、自分なりの「ケリ」をつけることができたのは、真木悠介の名著『自我の起原ー愛とエゴイズムの動物社会学』(岩波書店)を読んでからであった。

「性善/性悪」ということは、つきつめていくと、この書の副題にあるように「愛/エゴイズム」の問題にぶつかる。

言葉を変えると、「利他性/利己性」の問題である。

人間関係や社会の問題の多くも、つきつめてゆくと、ここに落ちてくる。

しかし、真木悠介の『自我の起原』は、「性善説・性悪説」に対して直截に答えるものではない。

 

…とりわけ明記されるべきことは、この探求が、人間の「本性」は利己的であるとか、利他的であるとかいった結論を引き出すためのものではないということだ。むしろ、現代の生物科学の進展の指し示している真にスリリングな展望は、この「利己/利他」という古来からの問題設定の地平自体を解体し、われわれの<自己>感覚の準拠をなしている「個体」という現象の、起原と存立の機制とを明るみに出してしまうということである。

真木悠介『自我の起原』(岩波書店)

 

真木悠介の方法論のひとつである<問題を裂開すること>を、倫理・道徳上で語られる「利己/利他」という解決できない問題に適用している。

そして、真木が指摘しているように、「現代の生物科学」の通路を通じて到達していることは、さらに明記されなければならない。

つまり、孟子や荀子が立てたような「性善説/性悪説」、あるいは人の「利他/利己」という問題の立て方自体を<裂開>すること、かつ、これまでの「倫理学・道徳などの通路」ではなく、「現代の生物科学」をつきつめてゆくことを方法としている。

 

この書には「世界の見方」を変えるようなポイントがいっぱいにつまっているけれど、結論的に述べるとすれば、ひとつには、人間という「個体」の利己性は絶対的なものではなく、生物のメカニズムのなかに、利己性を乗り越える契機があることである。

真木悠介は、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」理論(ドーキンスの著作で有名になったが、生物学的にオーソドックスな理論)を徹底的につきつめていく中で、ドーキンスが到達した地点を論理的に乗り越えている。

ドーキンスは「遺伝子(生成子)レベルにおける利己性」と「個体レベルにおける利己性」を混同しているとし、「利己的な遺伝子」理論は、むしろ生物の個体レベルでの「利他性」の契機をもっている。

 

…つまり遺伝子の「自己複製」という論理は、個体水準の「利己性」を発現することもあるし、「利他性」を発現することもある。どちらにしても個体は「自己目的」でなく、つまり原的に「利己的」な存在ではなく、その外見上の「利己」「利他」を分岐して発現せしめる原的な動因自体は、個体にとっては他なるもの、個体というシステムの水準の外部に存在するものである。…

真木悠介『自我の起原』(岩波書店)

 

それから、この著書の二つ目に明記すべき結論は、世界は「誘惑の磁場」であるということ、また「カイロモン的な存在」ということ。

このことを、ドーキンスの「延長された表現型」理論から導き出している。

「延長された表現型」とは、遺伝子(生成子)の働きかける作用は、個体を超えて、他の個体を含む外界にまで及ぶということである。

ビーバーがつくるダムも、ビーバーの遺伝子の「表現型」というわけだ。

ダムなどのような環境だけでなく、他の生物の存在や行動ということもあり、他の生物の存在や行動を操作して活用する。

例えば、カッコウのヒナを育てるヨーロッパヨシキリという鳥の行動は、カッコウの遺伝子の「延長された表現型」とされる。

 

 生成子が自分のサライである個体だけでなく、他の個体を含めた世界の全体に働きかけあっている、という認識が、「延長された表現型」という卓抜な発想の理論的核心である。生成子が他の個体に働きかける最もすぐれた方法は、働きかけられる他個体が歓びをもって、すなわち能動的な「熱意」をもって、利他行為を行ってくれるように形成することであった。…
 「延長された表現型」のコンセプトの帰結は、わたしたちの身体が<他者>たちのためにもまたつくられてあるということである。

真木悠介『自我の起原』(岩波書店)

 

遺伝子の「延長された表現型」ということの中に、個体の「利己性」を超える契機が存在している。

この議論の末に、真木悠介は、個体が個体に働きかける究極の仕方が「誘惑」である(他者に歓びを与えること)とし、同種だけではなく異種間をもつらぬく「誘惑の磁場」というコンセプトを提示している。

人間は動植物からも「誘惑」されており、この異種間の調和のさまざまな物質や現象という「カイロモン」を生きているという意味で、「カイロモン的存在」とされる。

 

真木悠介の名著『自我の起原』は、1993年の発刊から24年ほどが経過し、そしてぼくがこの書を手にとってからも17年ほどが経っている。

これほどに根源的な思考につらぬかれ、論理が徹底し「完成」され、そして美しい本を、ぼくは他に見たことがない。

ぼくにとっての「性善/性悪」「利他/利己」という問題を、思ってもみなかった仕方で「ケリ」をつけてくれた書であると共に、今も読むたびに、新たな開放感と気づきをぼくに与えてくれる。

現実の社会においては個体レベルでの「利他/利己」は人間社会の重層性によってさらに複雑な経路を通って発現してくるけれど、ぼくたちの内奥に、自己を裂開してしまう構造が装塡されていることに、ぼくは開放感を得る。

真木悠介自身が小さい頃から抱えてきた「エゴイズムの問題」をぼくも悩んできて、しかし、この書が切り拓く世界に、ぼくは解き放たれる。

そして、この書が切り拓いてみせてくれたことは、ますます大切になってきているし、「次なる時代」(安定平衡的な時代)の生きることの基礎となる論理とイメージを、確実に宿しているように、ぼくは思う。

 

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満月の夜の<しずかな祭り>。- 「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」(見田宗介)という"月明かり"に照らされながら。

「月明かり」に照らされながら、そしてそのことを文章で描きながら、見田宗介の「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」という素敵な文章のことを思い出していた。...Read On.

「月明かり」に照らされながら、そしてそのことを文章で書きながら、見田宗介の「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」という素敵な文章のことを思い出していた。

この文章は、社会学者の見田宗介が1985年に新聞で連載していた論壇時評のなかの一回として書かれ、その後書籍に所収されている。

この文章の中で、雑誌編集をしていたAという人が、アメリカ・インディアンと一緒に幾年かを生きてきたKと結婚して、日本の田舎に移りすむ「記録」が取り上げられている。

その「記録」は「わが家に電気がついた日」と題されている。

 

…東京で生活してきたAにとっては、田舎で暮らしたいと思っていた時も、電気はあって当然に近いものだった。けれどもKは、せっかく電気が来ていない家に住めるのにという。Aも原発には反対だしと、当面は電気なしでいくことにした。案外不便は感じないし、何よりも<夜が夜らしく存在する>。
 唯一めげたのは洗濯で、…結局電気は引くことにする。冷蔵庫やテレビはいらないが、洗濯機だけはおくだろう。けれどこれからも満月の夜だけは電気を消して、<闇について、この明るすぎる文明について語り合います>と書いている。
 かれらは何もよびかけたりしてはいないし、自分たちの限界点を記録しているだけだけれども、この記事をよんだかれらの友人たちは、満月の夜をそれぞれの場所で、みえない全国の友人たちと呼応して<闇>を共有するという、しずかな祭りの夜としてゆくかもしれない。

見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)

 

「311」を契機とした原発にかんする議論はまだ思考にこだましているけれど、それよりも30年ほど前にも原発問題ということが、生きられる問題として語られ、その「出口」をさぐる人たちが無数にいたことは、これからの「出口」をさぐるうえでもヒントを与えてくれる。

この文章を読みながら、これが「現代」として読んでもまったく違和感がないほどに、問題と課題はひきつづき、人と社会の根底によこたわっている。

上の「記録」は、しかし、見田宗介がわざわざ指摘しているように、「何もよびかけたりしてはいない」。

声高なよびかけのかわりにあるのは、みずからの「生活の仕方を変える」ことと、その生活の記録の共有である。

見田宗介はさらにこう記している。

 

…このこと(*生活の仕方を変えること)を倫理主義的にではなく、<生活水準を楽しみながら下げてゆく>という仕方でやっている。それは失われたよろこびたちを(快楽から至福にいたるその一切のスペクトルにおいて)取り戻してゆくというかたちをとるだろう。ひとりの生が解き放たれてゆく方向と、地球生命圏がその破滅に至る軌道から解き放たれてゆく方向とが、コンパスと地軸のように合致している。

見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)

 

ぼくはここに語られていることに深く共鳴する。

地球環境のための「消灯キャンペーン」はその試みをぼくは否定しないし、もともとの「情熱」とそこから出てくる行動力には頭がさがる思いだ。

しかし、地球環境のために、という罪悪感と倫理主義におされながら「消灯」を実行するとすれば、ぼくはそこに居心地の悪さを感じてしまう。

そうではなく、楽しみながら消灯をすること。

そして、それは、罪悪感でも倫理主義でもなく、人の生のよろこびと共振してゆくということ。

 

このようなことを書くとすぐに寄せられるであろう「批判」を想定して、見田宗介は最後にこう付け足している(「想定される批判」にあらかじめ答えておくことを、見田宗介は書くことの方法のひとつとしている。)。

 

 電力の総需要といった計算からすれば、さしあたり一兆分の一ほどの効果しかもたないだろう。けれども一兆分の一だけの自己解放をいたるところで開始すること、それらがたがいに呼応し、連合していつか地表をおおうこと、このことを基礎とすることなしにどのような浮足立った「変革」も、もうひとつの抑圧的な制度を出現させるだけだということを、二十世紀のすべての歴史の経験が書き残している。

見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)

 

見田宗介の「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」という文章に出会ってから、20年ほどが経過した。

「ひとりの生が解き放たれてゆく方向と、地球生命圏がその破滅に至る軌道から解き放たれてゆく方向」というコンパスと地軸を、ときおり確かめながら、ぼくは生きてきた。

それでも、現代あるいは都会の生活圏は、「消費社会」への居直りへという磁場(マグネティック・フィールド)を形成していて、コンパスと地軸がゆらぐ。

その磁場の中で、ここ4~5年ほどは、家では夏に「クーラー」を使わず、扇風機たちと共に暮らしている。

楽しみながらというと変だけど、ぼくの身体がよろこびながら、クーラーを使わない方向へ生活水準を落としている(それでも電気は消費しているけれど)。

そう、<夏が夏らしく存在する>。
 

そして、満月の夜には、AとKという幾千もの幾万もの「みえない人たち」と呼応しながら、少し電気を消しながら、満月からの月明かりに身体をさらす。

満月の夜に、人はそれぞれの場所で、みえない人たちと呼応しながら、「しずかな祭りの夜」をしずかに楽しむこと。

2017年8月8日という満月の日に、そんなことを思う。
 

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「カキフライ理論」(村上春樹)にうなってしまう。-「りんごの果肉(理論)」(見田宗介より)に繋げて。

村上春樹・柴田元幸の著作『翻訳夜話』(文藝春秋)を読み返していて、村上春樹の、あの有名な「カキフライ理論」をみつける。

🤳 by Jun Nakajima

 

村上春樹・柴田元幸の著作『翻訳夜話』(文藝春秋)を読み返していて、村上春樹の、あの有名な「カキフライ理論」をみつける。

知らない方向けに、まずは「カキフライ理論」について、である。

村上春樹のところにきた質問のなかに、こんな質問があった。

「入社試験で原稿用紙三枚なら三枚ぐらいで自分について書きなさい」という試験問題があって、「そんなもの、原稿用紙三枚ぐらいで書けるわけない。村上さんだったら、どうしますか」という質問である。

村上春樹の「カキフライ理論」はここで登場する。

 

…そういうとき、僕はいつも言うんだけど、「カキフライについて書きなさい」と。自分について書きなさいと言われたとき、自分について書くと煮つまっちゃうんですよ。煮つまって、そのままフリーズしかねない。だから、そういうときはカキフライについて書くんですよ。好きなものなら何でもいいんだけどね、コロッケでもメンチカツでも何でもいいんだけど…

村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』(文藝春秋)

 

この「アドバイス」の素晴らしさに、ぼくはうなってしまう。

村上春樹は、丁寧にポイントを伝えている。

 

…僕が言いたいのは、カキフライについて書くことは、自分について書くことと同じなのね。自分とカキフライの間の距離を書くことによって、自分を表現できると思う。それには、語彙はそんなに必要じゃないんですよね。一番必要なのは、別の視点を持ってくること。それが文章を書くことには大事なことだと思うんですよね。

村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』(文藝春秋)

 

村上春樹が書くように、自分とカキフライの間の「距離」が自分を語る。

その「距離」から生み出される「物語」が、自分を語るということ。

 

それにしても、「カキフライ理論」という命名と方法の妙に、ぼくは幾度もうなってしまう。

理由の一つ目は、誰でもがわかる名前であること。

理由の二つ目としては、忘れられない命名であること。

それから、三つ目として、やはり「カキフライ」であること。

「べつにカキフライじゃなくてもいいんだけど」と言う村上だが、ぼくは、やはりこれはコロッケでもメンチカツでもなくて、「カキフライ」ではなくてはならなかったのではないかと思う。

この理論を特別なものとするのは、あるいは村上春樹の理論とするには、やはり「カキフライ」でなくてはならなかったのではないかと思うのだ。

 

「カキフライ理論」を知ってから、「カキフライ」について原稿用紙三枚ぐらいで書こうとは思って、でもまだ書けていない。

その代わりに、旅を書き、シエラレオネや東ティモールを書き、コーヒーを書いては麺を書いたりしている。

 

ここで終わってしまっては「別の視点」はなくなってしまうので、「りんごの果肉理論」につなげておこう。

「りんごの果肉理論」は、そのような言葉はないけれど、発想そのものは社会学者の見田宗介からである。

見田宗介は「自分について」ではないけれど、「宮沢賢治について」を、本一冊(『宮沢賢治ー存在の祭りの中へー』岩波書店)かけて書いている。

(カキフライ理論の発祥のもとになった「自分」ということにつながるのだけれど)<自我>という問題を追い求める、この著書の「あとがき」で、見田宗介はこんなことを書いている。

 

 この本の中で、論理を追うということだけのためにはいくらか充分すぎる引用をあえてしたのは、宮沢賢治の作品を、おいしいりんごをかじるようにかじりたいと思っているからである。賢治の作品の芯や種よりも、果肉にこそ思想はみちてあるのだ。

見田宗介『宮沢賢治ー存在の祭りの中へー』岩波書店

 

これが、ぼくが勝手になづける「りんごの果肉理論」だ。

世界の「中心的なものの構造」は、語ることが難しく、そして語ることで世界の面白さを脱色してしまう(金の卵を産む卵をどこまでも解体しても、そこには肉の塊があるだけだ)。

「中心」は語るのではなく、それに「陽射された世界を語ること」と、見田宗介(真木悠介)は別のところで書いている。

中心(芯や種)に照らされるのが、<果肉>だ。

りんごの芯や種はかじってもおいしくないけれど、ぼくたちは<果肉>を楽しむことができる。

「カキフライ」は、<果肉>である。

 

上記の文章につづけて、見田宗介はこのように語る。


 そしてこのような様式と方法自体が、<自我>をとおして<自我>のかなたへ向かうということ、存在の地の部分への感度を獲得することという、この仕事の固有の主題と呼応するものであることはいうまでもない。
…この書物を踏み石として、読者がそれぞれ、直接に宮沢賢治の作品自体の、そしてまた世界自体の、果肉を一層鮮烈にかじることへの契機となることができれば、それでいいと思う。

見田宗介『宮沢賢治ー存在の祭りの中へー』岩波書店

 

村上春樹が言うように、「自分」を書くことはどこかで煮つまってしまう。

見田宗介が言うように、「りんごの芯や種」をどこまでも解体し分解しても、果肉のおいしさはみつからない。

カキフライが、りんごの果肉が、この世界の<おいしさ>なのだ。

ぼくたちはただ、それらの<おいしさ>を楽しみ、豊饒に生きてゆくことへと生を解き放つこと。

 

このように、カキフライ理論は、じつは、深みと可能性をもった理論である。

それにしても、「カキフライ」について書こうとすると、つい「生カキ」が頭に浮かんで、ぼくのなかでは「カキ理論」になってしまう。

「フライ」の部分が取り去られてしまう。

だからっていうわけではないけれど、上述のように、「カキフライ」についてはまだ書いていない。

でも、「カキフライ」を題名にして、カキフライではなく「カキ」について書くことが、「ぼく」自身について書くことなんだろうなと、今書いていて、ぼくは気づく。

カキフライも、カキも、深い。

世界は<おいしさ>に充ちている。
 

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「幻想の相互投射性」(見田宗介)という世界のあり方の洞察。- 見田宗介著『白いお城と花咲く野原』。

ドイツの劇作家・詩人・演出家であったベルトルト・ブレヒトの反民話(あるいはメタ・メルヘン)を、社会学者の見田宗介はとりあげている。...Read On.


ドイツの劇作家・詩人・演出家であったベルトルト・ブレヒトの反民話(あるいはメタ・メルヘン)を、社会学者の見田宗介はとりあげている。

それは、このような反民話である。

 

<むかしはるかなメルヘンの国にひとりの王子様がいました。王子様はいつも花咲く野原に寝ころんで、輝く露台のあるまっ白なお城を夢見ていました。やがて王子様は王位について白いお城に住むようになり、こんどは花咲く野原を夢見るようになりました>

見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)

 

ここに見られる<白いお城>と<花咲く野原>から、見田宗介は「世界のあり方」を考えている。

1986年に、論壇時評のひとつとして書かれた「白いお城と花咲く野原」と題される文章で、それはそのまま書籍のタイトルともなった(なお、この書籍はその後圧縮されて、見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫として出版された)。

上にあげたブレヒトの『メルヘン』について、ドイツ文学者の今泉文子は「近代合理性の中で『骨抜きにされ、薄められた』メルヘンに対する風刺」であると解釈するのにたいし、見田は、<近代>と<前近代>との「幻想の相互投射性」ともいうべきものへの洞察として、より普遍的にとらえている。

 

 ブレヒトの『メルヘン』は…世界のあり方についての洞察である。<白いお城>と<花咲く野原>の、相対性原理。世界がメルヘン的なのだ。

見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)

 

「隣の芝生は青い」という幻想の一方向性ではなく、ここでは「相互」に投射する「相対性原理」が述べられている。

自分がいま立っている、まさに「ここ」は、外部の他者たちが「夢見る」場所であるかもしれない。

 

ぼくは、「幻想の相互投射性」ということを、以前、「旅(非日常)と日常」ということの文脈で考えはじめた。

大学のときに一歩を踏み出した「アジアへの旅」を通じて、ぼくはたくさんのことを体験し、そして考えた。

東京の日常にいると、旅への幻想がつのっていく。

逆に、アジアへの旅に出ていると、日本の日常がいとおしくなってくる。

そんな「幻想の相互投射」をくりかえしているうちに、いまいる「ここ」は、他者たち(いまの自分ではない自分を含め)が「夢見る」ところだと、感覚しはじめた。


そのことは、旅という文脈だけでなく、都会と田舎、(見田がいうように)近代と前近代などなど、あらゆる「相対」のものの真実であるのだ。

「白いお城」だけがメルヘン的なのではない、「花咲く野原」だけがメルヘン的なのではない。

<白いお城>も<花咲く野原>も、メルヘン的なのだ。

見田宗介が語るように、これが「世界のあり方」である。

だから、この「世界のあり方」のなかで、どのような幻想(物語)を生きていくのかというところに、ぼくたちの生き方の選択は向けられる。

 

それにしても、「白いお城」と「花咲く野原」があれば、ぼくはどちらも楽しみたいと思う。

ここ香港は、「白いお城」と「花咲く野原」がいっぱいにひろがっている。

都会と自然があり、お城の生活をおくりながら、野原をかけめぐることができる。

ここも例外なく、幻想の相互投射がいっぱいにはりわたされている空間だ。

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大学進学で「専攻」を決める際に感じていた違和感ととまどい。- 真木悠介著『現代社会の存立構造』で得たヒント。

大学進学において「専攻」を決めなければいけないという、生きることの「岐路」のひとつで、ぼくは違和感を覚えていた。...Read On.


大学進学において「専攻」を決めなければいけないという、生きることの「岐路」のひとつで、ぼくは違和感ととまどいを覚えていた。

ひとつには、多くの人たちがそうであるように、やはり「将来やりたいことがつかめない」ということ。

実際の「経験」という土壌が不足していたことが原因のひとつであろうけれど、このことは、大学進学においてだけでなく、その後の人生においても幾度も立ち止まるときがやってくる問題である。

違和感ととまどいのもうひとつは、文系における専攻の選択において、「社会の科学」か「人間の哲学」か、という大きな分かれ目を前に感じるものであった。

当時、この「大きな分かれ目」で感じたのは、このどちらかに引き裂かれるような思いであった。

シンプルに言えば、前者は「将来お金になる」学問であり、後者は「将来お金にならない」学問という認識を原因とする、引き裂かれる思いであった。

社会の科学は、経済や経営、社会や法律などの、客観的にみられる法則などを学ぶ学問で、「将来ビジネスとして使える」学問である。

他方、文学やアートなどの「人間の哲学」は、大人たちの「眼」からは、「お金にならない」学問だ。

文学やアートなどの「人間の哲学」は、ぼくにとっても「生きられる問題系」であった。

しかし、ぼくという自己」は大人たちの「眼」を内側に強く引き込み、その「眼」は、ぼくに「将来お金になる」学問を強くすすめるような強い視線を、意識のなかで投げかけていた。

ぼくの解決は、この引き裂かれる思いのなかで、外国語という言語の選択であった。

それは、使い方によっては、「将来(ビジネスに)役にたつ」学問であり、他方では文学などの「人間の哲学」のための学問でもあった。

このように、ぼくのなかでは、「社会の科学」と「人間の哲学」は、二つの大きく異なる学問という認識であった。

 そして、「役に立つ・役に立たない」という次元だけで語ることのできない違和感ととまどいが、ぼくのなかに残っていた。 

 

大学に入ってのち、「社会の科学」と「人間の哲学」という二つの視点を統合するような見方(パースペクティブ)を与えてくれたのは、社会学者・真木悠介の著作『現代社会の存立構造』(1977年)という、硬質な著作であった。

真木自身が語るように、難しい議論で、誰にも読まれないような著作だから、見田宗介=真木悠介の「著作集」からは外された仕事である(2014年、大澤真幸の解題がつけられ復刻版が朝日出版社から出された)。

社会学者である見田宗介=真木悠介の著作群に出会うなかで、過去の著作を片っ端から読み返している内に、ぼくはこの『現代社会の存立構造』に出会った。

この著作の全体は、確かに一筋縄では太刀打ちできず、「格闘」が必要であったが、その「序」の部分だけでも、ぼくの「見方」を変えてしまうのに充分であった。

 

「社会科学へのプロレゴーメナ」と副題がつけられた「序 存立構造論の問題」において、「人間の哲学」と「社会の科学」の二つの視点の「相互疎外」、それから「問題のたて方」自体の問題ということを述べている。

まず、「社会」は、日常の意識において、対象的=客観的に、そこに確実にある「もの」のように、「私=個人」からは感覚されることが語られる。

「社会」には客観的な法則があって、「個人」は法則を理解し利用することで利益を得たりあるいは失ったりする。

ぼくたちには、日常で、このように感覚する。

しかし、この「自明性」自体を問題としながら、「近代社会諸科学」が何を問い、何を答えてきたかと、真木悠介は考察する。

出発点は「近代理性(分析理性)」である。
 

…分析理性こそはまさしく、近代社会における諸個人の存在形態に直接的に適合する理性の形式であるから、分析理性的な諸科学は「近代社会の自己意識」として、必然的に市民社会の支配的な社会諸科学である。
…近代社会諸科学の主題の骨格をなしているのは、対象的=客観的に存立する社会諸形象(商品・貨幣・資本・利子率・国家・官僚制・法・道徳、等々)と、その運動として成立する対象的=客観的な諸法則である。そしてこれらの法則をその「運命」または「利益」として身にこうむる主体の生の現実性は、「文学」あるいは<実存>の哲学等々の主題としてその体系から疎外される。このことは根拠のないことではない。なぜならば近代社会は、まさしく対象的=客観的な物象として存立し完徹する社会的諸形象および社会的諸法則を、現実にその構造の骨格となすからであり、個々の主体はこれをただ身にこうむりつつ、せいぜいこれを「利用」し「操作」することを試みる偶然性として、そして同時に「内面的には」自己絶対化された「私」の個別性として、したがって挫折する「実存」の悲劇性として、現実に存立するからである。

真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房)

 

「社会の科学」と「人間の哲学」との分裂の把握と乗り越えの方途について、真木悠介は、マルクスの仕事から取り出している。

「マルクス」という名前には、すでにそこにさまざまな「主義」や偏見や感情がぬりこめられているけれど、それらを取り除き、真木悠介は、マルクスの仕事を土台に『現代社会の存立構造』を展開している。

マルクスの仕事にも依拠しながら、「社会の科学」と「人間の哲学」との分裂という、凝固した「客体−主体」図式を、問題化する。

例えば、「国民経済学」は、私有財産がたどる物質的な過程を一般的・抽象的な公式で「法則」として語るけれど、このような「法則」がどのように私有財産の本質から形成されるかは語らない。

真木悠介は、この例をあげながら、次のように述べている。

 

 ここでは既成体としての事実に内在し、物象化された事実を立脚点とする分析理性の方法にたいし、これらの「物質的な」諸形象・諸法則をその生成の論理において解明し把握する、弁証法的理性の方法が端的に対置されている。

真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房)

 

「物象化」とは、「事物・のように・なること」である。

事物と(感じられるように)なった「社会」ではなく、事物のようになる過程そのものに焦点をあてることが、方法として取り出されるわけである。

 

 物象化された対象性としての「法則」の客観的な認識としての「社会の科学」と、疎外された主体性としての「実存」の主観的な表出としての「人間の哲学」を相互に疎外し、それぞれの内部をさらに、部分的な函数関係や部分的な意味連関へと分解する分析理性の問題のたて方(プロブレマティーク)とは逆に、弁証法的な理性は、このような双対性の地平そのものの存立の構造の問いへ、具体的には、対象的な社会諸形象の「法則的」な存立の機制、したがってまた、主体的な精神諸現象の「実存的」な存立の機制そのものを対自化する問いへ、問題機制(プロブレマティーク)そのものをまず転回する。

真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房)

 

ぼくが大学の「専攻」を選択するということに感じていた違和感ととまどいは、近代理性・分析理性とそれに支えられた近代社会諸科学、それから近代社会の現実に存立する仕方に、根拠をもつものであったということである。

ぼくは、あらかじめ、違和感ととまどいを感じるように仕掛けられていたともいえる。

ぼくの違和感ととまどいは、マルクスや真木悠介が正面から主題化し、その問いを「社会の存立構造」にまでひろげていった問題意識とつながっていたわけだ。

その展開は、マルクスの『資本論』であり、真木悠介の『現代社会の存立構造』という著作になる。

 

ここではこれ以上ふみこまないけれど、「もの」のように見える「社会」と「個人」の二元論を、端的に超える見方を最後にみておきたい。

マルクスは、人間の本質は「社会的諸関係の複合的総体(アンサンブル)」と述べている。

真木悠介は、その人間=社会把握に触れて、こう書いている。

 

 歴史の主体=実体は、「個人」でも「社会」でもなく、「つながりあう諸個人」の「相互につくり合う」関係そのものである。ここには原子論と全体論、方法的「個人」主義と方法的「社会」主義との同位対立の地平を端的に止揚する、あるがままの事態の実相に定位する人間=社会了解の境位が示されている。

真木悠介『現代社会の存立構造』(筑摩書房)

 

ぼくは、見田宗介=真木悠介に出会い、勇気付けられてきた。

ぼくが感じていた違和感やとまどい、問題意識などが、「あってもよいもの」だということ、それを透明に追い求めてもよいのだということに、肩をおされる。

見田宗介=真木悠介は、『現代社会の存立構造』後も、主体ー客体、個人ー社会、そして「社会の科学」と「人間の哲学」という分裂と相互疎外をこえる視点と視野で、人と社会を論じてきた。

「現代社会」という「ハードな問題系」を書きながら、その裏にはいつも人の内部問題である「ソフトな問題系」を意識している。

逆も然りである。

そのような問題意識と方法、そして人と社会に向けられる「冷静な頭脳」と「温かい心」が、ぼく個人はもとより、人と社会の未来の道ゆきに照明を照らしてくれている。

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途上国で感じる「懐かしさ」という感覚を掘り下げて。- シエラレオネで、東ティモールで。

いわゆる「途上国」と呼ばれる国をおとずれた人たちが、しばしば現場の感想として口にするのは、「懐かしい感じがする」という感覚だ。...Read On.

いわゆる「途上国」と呼ばれる国をおとずれた人たちが、しばしば現場の感想として口にするのは、「懐かしい感じがする」という感覚だ。

ゆったりとした環境、人懐っこい笑顔などに囲まれながら、「懐かしさ」を感じる。

ぼくも、同じような「感じ」を持ちながら、しかし、この感覚は「懐かしさ」なのだろうか、ということを、西アフリカのシエラレオネと東ティモールという「途上国」に4年ほど住みながら、自問してきた。

経済統計やメディアなどにおいては、シエラレオネは「世界でもっとも寿命が短い国」であり、東ティモールはアジアのなかでも「最貧国」と言われたりする。

ぼくは、西アフリカのシエラレオネには、2002年後半から2003年の前半まで、東ティモールには2003年後半から2007年の初頭まで、滞在していた。

そのような「現場」で考える。

そして、今も考えたりする(だから、こうして書いている)。

このような些細な問いがなぜ大切かということは、ひとつには、ただの「直感」であるけれど、もうひとつには、そこに「つながり」をつくるヒントが隠されているように思ったからだ。

また、「懐かしさ」という、いわば「過去」への視線が、途上国から先進国へという直線的な発展論の見方を内包しているようでもあったから、それにたいして疑問ももっていた。

東ティモールから次の香港に移ってから10年が経ち、その歳月のなかでも、ぼくが抱いてきた「感覚」や「考え」を、丁寧に掘り下げることをしてきた。

シエラレオネや東ティモールを去ってから考えるということは、ひとつには現場では「余裕」がなかったことと、そして外から見ることで客観視できるからということでもある。

 

さて、「懐かしさ」の感覚は、表層においては、何かの「昔っぽい」イメージ(ほんものであれ、映像であれ)が浮かびあがることにおいて、確かに感じるのかもしれない。

ぼくも以前、アジアへの旅のなかで、そんなイメージがわきあがったことを覚えている。

しかし、ぼくは、その感覚の言葉は、必ずしも正確ではないように感じてきた。

掘り下げてみると、その感覚は、人だれしもがもつ「ただ生きることということの歓び」が裸形で現れる感覚であるように思う。

「懐かしさ」は、風景にたいしての「昔っぽさ」というよりは、自分のなかに眠ったような状態にある「ただ生きることの歓び」というシンプルな感覚が深い層より裸出してくるということだ。

都会の喧騒や情報が氾濫する環境や生活で、ホコリが覆ってしまっていた地層が、(一般化はできないけれど)「途上国」の風景、それからそこに生きる人びとの笑顔によって、ホコリが取り払われる。

懐かしさは、そんな生きる歓びの原風景へとつながる感覚なのではないか。

もちろん、世界のどこにいても、人びとは厳しい生活のなかに置かれていたりするけれど(途上国における「貧しい」ということはまた別に書きたい)、そんなことも(ひとときのあいだ)突き抜けて感覚される、ただ生きるということの歓びの地層である。

 

これからの未来を構想することを考えているときに、人や社会はどこへ「着地」していくのかという問題意識のなかで、社会学者の見田宗介の明晰な言葉を追っていて、「生きることが一切の価値の基礎」という言葉に、ぼくの感覚が着地した。

 

…生きることが一切の価値の基礎として疑われることがないのは、つまり「必要」ということが、原的な第一義として設定されて疑われることがないのは、一般に生きるということが、どんな生でも、最も単純な歓びの源泉であるからである。語られず、意識されるということさえなくても、ただ友だちといっしょに笑うこと、好きな異性といっしょにいること、子供たちの顔をみること、朝の大気の中を歩くこと、陽光や風に身体をさらすこと、こういう単純なエクスタシーの微粒子たちの中に、どんな生活水準の生も、生でないものの内には見出すことのできない歓びを感受しているからである。…
 どんな不幸な人間も、どんな幸福を味わいつくした人間も、なお一般には生きることへの欲望を失うことがないのは、生きていることの基底倍音のごとき歓びの生地を失っていないからである。あるいはその期待を失っていないからである。歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである。

見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)

 

具体論ではないけれど、いわゆる「先進国」と「途上国」の「つながり」を考えるとき、この「歓びの生地」に、人も社会も着地をしていくことが大切であるということを思う。

あるいは、少なくとも、そこを意識しながら、交流や支援などのつながりをつくっていくことが大切である。

シエラレオネで、東ティモールで、ぼくは、「必要」なものを支援しながらも、この「ただ生きることの歓び」の地層を忘れないように、人びとや環境に接してきた。

現場で日々おきる困難と、そこに渦巻く様々な感情と向き合い、ときには必死に闘いながら。

そして、今、そのような「感覚の地層」に、人がときおり途上国に感じる「懐かしさ」がつながっているのではないかということ、それからその「感覚の地層」こそが、人と社会が次の時代に向かう「着地点」であるのではないかということを、ぼくは考えている。
 

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生きることの「両義性」を生きること。- 「自分をのりこえることはできるか」(見田宗介)の論考から。

人の成長、ということを、生きていく上での大きなテーマのひとつとしながら、見田宗介の論考「自分をのりこえることができるか」に目が留まる。...Read On.


人の成長、ということを、生きていく上での大きなテーマのひとつとしながら、見田宗介の論考「自分をのりこえることができるか」に目が留まる。

『定本 見田宗介著作集X:春風万理ー短編集』に所収の論考で、もともとは『教育の森』(毎日新聞社)という雑誌に掲載された文章である。

論考の「軸」としては、ふたつの論・立場が取り上げられている。

●エリク・エリクソン:「漸成的発達段階論(epigenesis)」

●実存主義:根本テーゼは<実存は本質に先立つ>

エリクソンの「発達段階論」は、大学の「心理学」の入門的な講義で習った記憶が、ぼくにはある。

日本でもよく知られた理論であろう。

エリクソンは、人間の誕生以後の人間形成という心理・社会的な関係のプロセスについて、乳児期・初期児童期・遊戯期・学齢期・青春期・若い成人期・成人期・成熟期という「八つの発達段階」を設定している。

それぞれの段階に、「達成されるべき発達課題」や「達成にとって重要な人間関係の範囲」が設定されている。

見田宗介は、エリクソンのこの発達段階論から「教えられるところが多いことはいうまでもない」としながらも、客観的に、こう書いている。

 

…けれども同時に、考えてみると、これはおそろしい思想でもある。それが真実であるかぎりでは、それはおそろしい真実である。なぜならば、それは人間は自分で自分を自由にのりこえて進むことができない存在だ、ということを意味しているからである。

見田宗介「自分をのりこえることができるか」『定本 見田宗介著作集X:春風万理ー短編集』

 

このエリクソンが、「実存主義」に反発を感じ、見田宗介は論考のもうひとつの軸として並べる。

実存主義によれば、(見田の簡潔なまとめによると)人間にはのりこえ不可能な本質などなく、自由に、自分という人間を選んでいくことができ、だからこそ、そのことにたいして責任をもたなければならないという考え方である。

実存主義による「自分をのりこえることができる」という考え方と、エリクソンによる「自分をのりこえられない」資質といった考え方が対峙する。

この対峙に間隙を丁寧にさぐりながら、見田宗介は、両者の「微妙なすれちがい」は、実存主義は人間を自分のこととして内側からみていること、他方エリクソンは、人間を愛情と責任をもって外側からみていることにあると、述べている。

見田宗介は、そうして、次のように、論考の最後の段落を書いている。

 

 エリクソンと実存主義という、それぞれに真摯な生き方の二つの思想の反発し合う構図から、われわれにとってみえてくるのは、<つくられるもの>としての人間と<自分をつくるもの>としての人間という問題、事実性としての人間と自由としての人間との両義性であり…。

見田宗介「自分をのりこえることができるか」『定本 見田宗介著作集X:春風万理ー短編集』

 

人間は、<つくられるもの>と<自分をつくるもの>の二つを、また事実性と自由を、それらのどちらかではなく、同時に生きている。

このことは、敷衍して言えば、「人の育成」ということとも関連する。

人を育成できるか否か、という議論は、その構図だけで見れば、ここに見られる構図と同型である。

育成できるかという問いのナイーブさは、<自分をつくるもの>としての人間への畏れのようなものを胚胎している。

 

生きていくことの「両義性」を、そのままでひきうけることを、見田宗介という真摯で孤高の社会学者はあらゆるところで語っている。

この論考の最後は、人を育てるという「教育」という現場の「教師」に向けられ(だからこそ、見田宗介自身に向けられ)、次のように書かれる。
 

…<教育>という問題に即していえば、責任をもって対しなければならない幼い他者たち、若い他者たち、という人間と、みずからの親や教師に責任を転嫁してはならない自由な主体性、としての教師である<わたし自身>との、生きられるべき両義性である。

見田宗介「自分をのりこえることができるか」『定本 見田宗介著作集X:春風万理ー短編集』

 

原的な「両義性」をみつめながら、それらの「生きられるべき両義性」を生きていくことに、ぼくたちの生はかけられている。
 

見田宗介(真木悠介)が、フランスの思想家バタイユに依拠しながら、別のところで語っている<創られながら創ること>という言葉は、生きられるべき両義性を生きることで、自分をのりこえていく精神を、シンプルに、しかし深いところで照らし出している。

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「語ってはいけないものを語ってはいけない」(真木悠介『旅のノートから』)。- ぼくたちの一番大切な経験の見方、語り方、そして生き方。

真木悠介の著作『旅のノートから』は、とても素敵な本だ(現在は『真木悠介著作集Ⅳ』所収)。...Read On.

真木悠介の著作『旅のノートから』は、とても素敵な本だ(現在は『真木悠介著作集Ⅳ』所収)。

真木悠介が、「18葉だけの写真と30片くらいのノートで、わたしが生きたということの全体に思い残す何ものもないと、感じられているもの」である。

もともと「私家版」のようなものとしてつくり、好きな人たちに贈るつもりでいたという。


30片の「ノート」の最後は、「えそてりか I」というタイトルがつけられている。

1990年のインドへの旅の後に書きつけた、この世界の見方、語り方、そして生き方についての「私記」である。

ただし、この「ノート」は、世界の見方の「過ち」、世界を語る仕方の「過ち」から書き始めている。

この世界では、見てはいけないものがあり、語ってはいけないものがある。
 

ここでは、「金の卵を生むニワトリ」の話が、例のひとつとして、あげられている。

 

 金の卵を生むニワトリがいました。そのニワトリのもち主は、こんなにたくさんの金の卵を生みつづけるのだから、その「本体」はどんなに巨きな金の塊だろうと思ってそのニワトリをしめてみると、ふつうのニワトリの肉の塊があるだけでした。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店

 

「花」もそうであろう。

花の美しさにみちびかれて、人は、「本体」はどんな美しさをたたえているのかと花をむしりとる。

むしりとって見たところで、そこには根があり、茎があるだけだ。

日本では江戸時代まで、花をむしりることは禁じられていたという。

それは、畏れの感覚にささえられたものであっただろうけれど、他方で、「世界の見方」を人々はどこかで知っていたのだということもできる。

 

人は、経験の煌きに導かれて、経験の「核」への衝動にとらわれる。

真木悠介は、「語ってはいけないこと」にふれて、こう書いている。

 

 ぼくたちの一番大切な経験は、そこからきらめく言葉たちが限りなく飛び立ってゆく源泉である。けれどもこの源泉自体を言葉にしてしまおうとするなら、ぼくたちは何もかも失ってしまう。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店

 

語ること、言葉にすることで、切り開かれる世界や歓びの倍増を経験することもあるけれど、村上春樹が「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と書くように、ぼくたちは言葉の限定性のなかで生きる。

言葉にすることで、経験や出来事が、ありふれたものになってしまう。

真木悠介は、「性、という出来事じたいの煌きと深さ。と、性について語ることの無残との落差。見ることの無残との落差。」と、ぼくたちの一番大切な経験のひとつを例として挙げている。

この一番大切な経験の「源泉」自体、真木の別の言葉では「生のリアリティの核のところ」に、ぼくたちは、わけいってはいけない。

 

では、どうすればいいのか。

「えそてりか I」の最後には、こう書きつけられている。

 

それに照らされた世界を見ること。
それに陽射された世界を語ること。
それに祝福された世界を生きること。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店

 

18葉の写真の一葉一葉、そして30片のノートの一片一片が、生きることの核に、照らされた世界、祝福された世界の輝きが戯れている。

 

『旅のノートから』の表紙の写真、インドのコモリン岬の子供たち(その感動的な話は、見田宗介『社会学入門』(岩波新書)のなかで、語られている)。

この写真を見ていたら、ぼくは、『東ティモールを知るための50章』(明石書店)の表紙の写真を思い出した。

ぼくが、東ティモールのレテフォホで撮影した写真だ。

コーヒーパーチメントと呼ばれる、コーヒー豆に殻がついた状態のものを乾かしている工程のなかで、村に立ち寄った際に撮った写真だ。

その写真を再度見ながら、ぼくは思う。

この一葉も、陽射され、祝福された世界の輝きが戯れているのだ、と。

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人生のぜんたいは「論じるよりも、するものだ」(見田宗介)。- 生きるための「道具の手入れ」。

社会学者の見田宗介(=真木悠介)の仕事と生き方から、ぼくは、数え切れないほど多くのことを学んできた。...Read On.

社会学者の見田宗介(=真木悠介)の仕事と生き方から、ぼくは、数え切れないほど多くのことを学んできた。

今だって、見田宗介=真木悠介の本をひらかない日はない。

ひらくたびに、学びがある。

「明晰の罠」を超える「対自化する明晰」(メタ明晰)は、そんなことのひとつであった。

より正確には、教えられたことも数え切れないほどあるけれど、ぼくがこの身体で漠然と感じていたことに、言葉と論理を与えてくれた。

「学問」という領域を超えて、生きるという経験において。

明晰さということにおいては、これほど明晰な論理・理論を統合的に展開する人を、ぼくは他に知らない。

そのような見田宗介は、しかし、「論」ということについて、こんなことを書いている。

 

…わたし(見田宗介)は…人生のぜんたいが「論じるよりも、するものだ」と考えている。論を大切にしないということではない。千倍もさらに大切なものがあるだけだ。…「思想を実践する」といった倒錯した生き方をしたくないと思う。存在することのしずかな感動をわかち合うだけでいいのだ。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

日常において学問や思想や批評などにかかわっていない人にとっては、「人生のぜんたいは『論じるよりも、するものだ』」ということは、当たり前のことだと思われるだろう。

人は、学者や思想家、評論家・批評家やジャーナリストなどにたいして、「論じてばかりいて」と、思ったりする。

だから、「思想を実践する」という倒錯した生き方にたいする「距離の置き方」を述べることは、見田宗介自身に向けての「しないことリスト」であると共に、人生のぜんたいを「するよりも、論じるものだ」という生き方になってしまっている人たちへのメッセージでもある。

また、見田宗介は、一連の仕事を通じて、生と理論・論、知性にできることとその限界、理想と現実などにたいして敏感な姿勢をとりつづけてきた。

 

それにしても、人生は「論じるよりも、するものだ」は、例えば、見田のような学者などだけが、気をつけなければならないことだろうか。

ぼくは、そうは思わない。

誰もが、そのことを生き方にインストールしたほうがいいものだ。

思想や理論という体系的な言葉に限らず、人は、日々、会話のなかで、人を批判し、悪口をいい、意見をあれこれと述べる。

そうして、人生ぜんたいが、「論じる」もので終始してしまう。

さらには「する」にも到達しなくなったりする。

このように「論じるよりも、するものだ」という言葉は、さまざまに異なる角度と深度で、ぼくに現れる。

 

見田宗介は、前掲書の同じところで、こんなことも述べている。

 

…<実感>を手放した身体が<観念>という病を呼ぶのだ。<実感>を疑うのでなく、<実感>を信じつつ相対化するということ…。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

こうして、ぼくの「生き方の道具箱」には、さまざまな道具が並べられていく。

もちろん、それらは使われなければ、錆びてしまう。

ぼくは日々これらを使いながら、でも、ときに、見田宗介=真木悠介の文章を読み起こしながら、「道具の手入れ」を、せっせせっせとしている。

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「明晰の罠」(真木悠介)を超えて。- 無知と明知を超える方法。

社会学者の真木悠介(=見田宗介)は、「明晰の罠」ということを、名著『気流の鳴る音』で書いている。「明晰」について、真木悠介は、次のように述べている。...Read On.

社会学者の真木悠介(=見田宗介)は、「明晰の罠」ということを、名著『気流の鳴る音』で書いている。

「明晰」について、真木悠介は、次のように述べている。
 

…「明晰」とはひとつの盲信である。それは自分の現在もっている特定の説明体系(近代合理主義、等々)の普遍性への盲信である。それはたとえば、デモクリトス、ニュートン的、アインシュタイン的等々の特定の歴史的、文化的世界像への自己呪縛である。
 人間は、<統合された意味づけ、位置づけの体系への要求>という固有の欲求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられる。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
 

ぼくたちは、この「明晰の罠」を意識し、ほんとうの<明晰>を、生きていくことの方法として、あるいは生き方そのものとしていくことができる。

「明晰の罠」にふれて、真木悠介は、古代インドの哲学書である『ウパニッシャッド』の一節を引用している。


無知に耽溺するものは
あやめもわかぬ闇をゆく
明知に自足するものは、しかし
いっそうふかき闇をゆく

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
 

『気流の鳴る音』(1977年)で、(おそらくはじめて)取り上げられたこの一節は、およそ30年後に書かれた著作『社会学入門ー人間と社会の未来』のなかでも、取り上げられている。

真木悠介自身の生き方の核心に装填されていた方法である。

『気流の鳴る音』が「具体的な生成力」を持った思想スタイルの確立をめざしたように、「明晰の罠」を超えていく方法は、真木悠介の生に「具体的な生成力」を付与してきたものだ。

「明知に自足するものは、いっそうふかき闇をゆく」ということを、他に類をみないほどに「明晰さ」をもつ真木悠介=見田宗介は、自分に言い聞かせている。
 

もちろん、無知の方が明知よりもよいなどとは、言っていない。

それでは、「明晰の罠」は、どのように超えていくことができるのか?

真木悠介は、「対自化された明晰さ」という方法を提示している。

先回りして言ってしまえば、真木が書くように、<明晰さについての明晰さ>として「メタ明晰」ともいうことができるものである。

真木悠介は、カッコの使い分け(「」と<>)を活用しながら、次のように、「明晰の罠」を超える方向性を書いている。
 

「明晰」を克服したものがゆくべきところは、「不明晰」でなく、「世界を止め」て見る力をもった真の<明晰>である。
「明晰」は「世界」に内没し、<明晰>は、「世界」を超える。
「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、<明晰>はひとつの<意志>である。
<明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。
<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
 

このような<明晰>(「メタ明晰」)を、ぼくたちは、生きることの方法としていくことができる。

最近、メタ明晰の重要性を深く感じたのは、「スマホで朝生!~激論!AI時代の幸せな生き方とは?」(進行役:田原総一朗)に見た、参加者たちの「議論のすれちがい」であった。

「議論のすれちがい」の要因のひとつが、「明晰の罠」であったのではないか、ということだ。

発言者たちが、自身の「明晰」のなかに自分を呪縛していることから起きるすれちがいのように、ぼくには聞こえた。

「AI時代」という、「明晰」を対自化させないと語ることのできない時代と事象が、議論のすれちがいを、いっそう先鋭化させる。

ぼくにとって、非常に学びの多い議論(特に、この「議論のすれちがい」の位相)であった。

 

また、日本の社会の「外」にいることは、常に自己充足するような「明晰さ」をゆさぶる。

「教育」や「しつけ」のような仕方で身につけてきた「明晰さ」は、疑問に呈されることになる。

しかしまた、その「外」の社会で身につけていく「明晰さ」は、ぼくたちを、またもうひとつの「明晰さ」へと罠をしかける。

ぼくたちは、メタ明晰の方法を、生き方の核心に装填し、起動させておくことで、「明晰の罠」からのがれる。

まさしく、真木悠介がめざした「具体的な生成力」のある思想だ。
 

この具体的な生成力のあるメタ明晰という方法は、人類が過去から未来へとつらなる歴史のなかで、(おそらく)一度しか遭遇しえないような「転換点」である現代においてこそ、さらにいっそう求められる方法である。

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「否定の否定をくりかえしても、肯定的なものに到達することはできない」(真木悠介)。- 問題自体を「問う」という転回。

「幸せな社会」あるいは「幸せな人生」という未来の立て方は、その「幸福・幸せ」の定義にもよってくるが、ぼくは一歩引いて考えるようにしている。...Read On.

「幸せな社会」あるいは「幸せな人生」という未来の立て方は、その「幸福・幸せ」の定義にもよってくるが、ぼくは一歩引いて考えるようにしている。

ユバル・ハラリが著書『Homo Deus』の中で挙げる、人類のこれからの三大プロジェクトのひとつは「至福」(happiness, bliss)である。

「至福への工学的アプローチ」が進められる中で、幸福・幸せの定義も、一般的な捉えられ方は今後は変わってくるかもしれない。

そのことは一旦保留したままで、しかし、「不幸をなくする」という仕方にたいして、ぼくはしっくりこないものをもってきた。

「幸せ」ということを立てることは、その反対の「不幸」から出発し、それを「なくする」という思考になりやすい。

 

さまざまな文化の神話に通底している、Joseph Campbellが言うところの「Hero’s Journey」という物語は、幸せだけを物語としていない。

同様に、ぼくたちの生きる道ゆきも、幸せだけで彩られているわけではない。

社会学者の真木悠介は、名著『自我の起原』にたいする質疑応答のなかで、次のような応答を書いている。

 

 不幸とか苦痛をなくすことが問題なら、…世界にたいして不感症になってしまえば、不幸もなく苦痛もない。それよりも人は、苦痛も大きいが歓喜も大きい生の方を選ぶ。人は退屈な幸福よりは絢爛たる不幸をさえ選ぶ。人が結局<自由な社会>を選ぶというのも、こういうことと関わっているように思う。…

真木悠介「竃の中の火ー『自我の起原』補註」『思想』1994年8月号、岩波書店

 

ぼくも、そう思う。

しかし、世の中では、苦痛をなくすとか、心配をなくすとか、不幸をなくすとかの言葉が、例えば本のタイトルなどでうたわれたりする。

 

真木悠介は、「エゴイズムの相剋」などに触れて、このような「思考の方法」を転回することを、ぼくたちに提示している。
 

…今ある不幸の否定の延長線上に未来を構想する、という思考の方法を転回しなければならない。
…「不幸をなくする」「相剋を解決する」というこれまでの社会構想の欠点がよく分かる。消去法で考えてはいけない。否定的なものから出発する限り、どこまでその否定の否定をくりかえしても、肯定的なものに到達することはできない。問題を裂開すること。

真木悠介「竃の中の火ー『自我の起原』補註」『思想』1994年8月号、岩波書店

 

「否定の否定」はどこまでも「否定」であること。

だから、問題を裂開すること。

言い方を変えれば、問題自体を「問う」ということでもある。

真木悠介はこの転回を方法とし、徹底的に問いを問うなかで、「自我」や「時間」などの問題を裂開し、肯定性へ到達してきたことは、一連の仕事のなかで見られる。

ここでは歴史の事例を持ち出し、ここでは「社会構想」という文脈で語られているけれど、真木悠介の思考の深度は常に「人と社会」を貫くものである。

 

ぼくは、このような透徹した方法(「問題を裂開すること」)を、いつもうまくいくわけではないけれど、問題の解決を考えるときの、道具のひとつとしてきた。

ぼくたちは、日々、問題に直面する。

そんなとき、ぼくは、立ち止まって、一歩引いて考えたい。

個人や組織の「未来の立て方」が、否定の否定という「否定の連鎖」に陥らないように。
 

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リアリティへの着地と、生ききることへの離陸。- アジアへの旅、鳥山敏子、宮沢賢治、見田宗介に教えられて。

海外に出て、そのはじめの道ゆきで、ぼくは、生のリアリティが裸出している風景に出会った。...Read On.

海外に出て、そのはじめの道ゆきで、ぼくは、生のリアリティが裸出している風景に出会った。

例えば、アジアの食品市場を訪れると、生きている鶏や豚が売られていたり、さばかれたばかりの肉が裸出している。

残酷だという人もいる。

見るに耐えない人もいる。

都会における普段の生活のなかで、ぼくたちは、それらを見ることなく、人工空間に生きているからだ。

スーパーマーケットでは、きれいに包装された肉や魚が、「商品」としてならべられている。

ちなみに、香港は、都会のなかでも、アジアの食品市場の風景を残しており、リアリティが裸出している。

 

そんなリアリティが裸出する「風景」を、自分たちの経験とするために、教師の鳥山敏子は、かつて、<いのち>に触れ、考える授業を展開した。

具体的には、鶏を殺して食べるという授業である(鳥山敏子『いのちに触れる 生と性と死の授業』太郎次郎社、に書かれている)。

批判もたくさんあっただろうけれど、ぼくには、このような経験の大切さがよくわかる。

そのような風景を非日常とする、多感な日本の子供たちと同じように、ぼくも「食べること」を罪のごとく感じていた時期がある。

アジアを旅するようになり、裸出するリアリティにぼくの身体がさらされながら、ぼくは言葉にならない「感覚」を得ていた。

言葉にはならないけれど、それがとても大切であることはわかっていた。

それから年月を重ねた後、ぼくは、西アフリカのシエラレオネ、東ティモールに暮らしてきたなかで、そのような風景を日常として生きてるようになった。

その経験のなかで、一方で言葉にならない「感覚」をそのまま言葉にせずに持ち続け、他方で一部を言葉化してきた。

 

罪のごとく心の奥底では感じながら、普段の生活ではそれらを「見ない」でやりすごしていたなかで、ぼくは社会学者・見田宗介の文章に出会った。

見田宗介は、著書『宮沢賢治』で宮沢賢治の生涯を追いながら、賢治が「いのち」ということを追い求めた軌跡を、例えば『よだかの星』などの作品からすくいあげている。

みにくい鳥であるよだかは、「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される」と、生物界の「食物連鎖」を思い、「つらい、つらい」となげく。

見田宗介は、考え方としての「解決」を、このように書いている。
 

 生命世界が<殺し合い>の連鎖であるという見え方は、ホッブス風の近代市民社会の原像を生物界に投影したものだけれども、人間社会の諸個人の生活の相互依存の連鎖(だれでも他の多くの人々の労働に支えられて生きている)は、個のエゴイズムを絶対化する立場に立つかぎり相互収奪の連鎖であるが、エゴイズムの絶対化をはなれることができるかぎりは、人間たち相互の生の<支え合い>の連鎖でもあり、そしてまたこの他者たちのための<支え>のひとつであるということこそは、ひとが<生きがい>と呼んでみずからの生の支えとしているものの核心でもある。
 …植物、動物がみずからの生命によってたがいに他の生命を養い合っている<生かし合い>の連鎖としてみることもできる。

見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
 

<生かし合い>の連鎖という考え方は、ぼくの視点に、ひとつの救いを与えてくれる。

ぼくは、今日こうして「食べる」という行為のなかに、生かされているということである。

しかし、考え方(言葉)の解決は、そこだけにとどまらず、身体レベルまた生き方総体の解決へと、ぼくたちを押し出していく。

ぼくの「解決」の仕方は、生ききる(live fully)、ということである。

苦悩と歓びに充ちた生を生ききること。

生かし合いの連鎖のなかで、自分の生を生ききること、そしてそうすることで他者たちの生の支えにもなること。

かつてぼくは、見田宗介が読みとる宮沢賢治の「(生かし合いの連鎖における)問題解決のつきつめ方」、つまり他者の生命のために自己の生命をなげだしていくような方向に生きていこうとしてしまった。

そのような方向の道ゆきで無数の失敗を重ねながら、ぼくのなかで、いろいろな物事が反転した。

自分が生ききること。
(なお、「自己」という身体も、ほんとうは共生のシステムであることは、見田宗介が別著で明晰に展開している。自分を生ききることは、その意味で、すでに「他者」の支えである。)

生ききれていれば、それは必ずどこかで、他者の<支え>となるというところに、ぼくは舵をきった。

 

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「Lose myself」に「肯定性の道しるべ」をみる。- レディオヘッド、チクセントミハイ、真木悠介、宮沢賢治。

ロックバンドのレディオヘッド(Radiohead)のアルバム『OK Computer』が名盤として時代をつくった1997年から20年が経過した。...Read On.

ロックバンドのレディオヘッド(Radiohead)のアルバム『OK Computer』が名盤として時代をつくった1997年から20年が経過した。

レディオヘッドは20周年を迎えた2017年、『OK Computer OKNOTOK』というアルバムを世におくりだした。

1997年の『OK Computer』のリマスター版、曲のシングル盤に収められた曲、それから未発表曲と、23曲を収録している。

未発表曲の「I Promise」は素敵な曲だ。

ボーカルのトム・ヨークは、この曲を、オリジナルの『OK Computer』に収録しなかった理由は、「われわれはその曲が十分によいとは思わなかったから…」と語っている。

ぼくは、個人的には、アルバム『OK Computer』はそれ自体でひとつの完結性・完全性をつくっていたから、他の曲が十分によくても、その完全性をくずしてしまうことが理由ではなかったかと、勝手に思っている。

少なくとも、ぼくは『OK Computer』というアルバムのひとつの宇宙が好きだし、それと同時に、未発表曲の「I Promise」も好きだ。

それはそれとして、「lose myself」ということを、レディオヘッドを出発点にして、その可能性を書こうと思う。
 

1)レディオヘッドの曲「Karma Police」における「lose myself」

レディオヘッドの名盤『OK Computer』には、「Karma Police」(カーマ・ポリス)という変わった名前の曲が収められている。

「カーマ・ポリス、この男を逮捕してくれ」と始まる歌詞は、少し気だるい曲調と共に、決して明るいものではない。

歌詞の意味も、語られる以上のことは、不明瞭だ。

そのような曲「Karma Police」は、最後の方で転調し、トム・ヨークはこんな風に叫ぶ。


For a minute there
I lost myself, I lost myself
For a minute there
I lost myself, I lost myself

Radiohead “Karma Police” 『OK Computer』
 

オリジナル版が出た1990年代後半、ぼくは、この「lost myself」が気になっていた。

「lost oneself」は、辞書(※下記は英辞郎)で引くと、概ね3つの日本語訳となる。

  1. 自分を見失う
  2. 道に迷う
  3. 夢中になる、没頭する

トム・ヨークが「Karma Police」を歌うとき、それは1の意味と感情で歌われているのだろうけれど、ぼくには少し違うように聞こえたのだ。

先取りしておけば、第一に、「自分を見失う」ことの先に開かれる可能性ということ、そして第二に、「夢中になる」という意味合いである。

日本語訳の1と2は否定的な意味合いであるのに対して、3は反対に肯定的な意味合いをもっている。
 

2)「夢中になる」ー フロー状態(チクセントミハイ)

昨今、創造性やピークパフォーマンスが注目されるなか、心理学で「フロー」と言われる精神状態とその条件が見直されている。

もともと、心理学者のミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi)が提唱した概念である。

簡潔に言えば、人が完全に集中し、活動にのめりこんでいるような状態のことを言う。

まさに、「夢中になる」状態のことである。

自分というものを忘れて(失って)、集中する体験である。

チクセントミハイは、1990年に、フローを体系的にまとめて著作を出した。

それが、最近の創造性・クリエイティビティなどが注目されるなかで、よく言及されるようになっている。

Steven Kotlerの著作『The Rise of Superman: Decoding the science of Ultimate Human Performance』や『Stealing Fire: How Silicon Valley, the Navy SEALs, and Maverick Scientists Are Revolutionizing the Way We Live and Work』などは、チクセントミハイの「フロー」を現在的な文脈で追っている。

いずれにしても、「自分を見失う」という経験が、ここでは、肯定性に転回されている。
 

3)エクスタシー論(見田宗介=真木悠介)

社会学者の見田宗介=真木悠介は、著書『自我の起原』の「7.誘惑の磁場」という章の中で、「Ecstacy」について次のように書いている。
 

…われわれの経験することのできる生の歓喜は、性であれ、子供の「かわいさ」であれ、花の彩色、森の喧騒に包囲されてあることであれ、いつも他者から<作用されてあること>の歓びである。つまり何ほどかは主体でなくなり、何ほどかは自己でなくなることである。
 Ecstacyは、個の「魂」が、〔あるいは「自己」とよばれる経験の核の部分が、〕このように個の身体の外部にさまよい出るということ、脱・個体化されてあるということである。…

真木悠介『自我の起原』岩波書店
 

「生の歓喜」は、「自己」とよばれる経験の核の部分が、個の身体の外部にさまよい出るという経験である。

つまり、いかほどか、自分が自分でなくなるような経験である。

見田宗介=真木悠介は、このことに、生物学という地点から、辿りついている。
 

4)<にんげんがこわれるとき>(宮沢賢治)

見田宗介は、このような「自我の解体」ということを、宮沢賢治の詩にみている。

宮沢賢治『小岩井農場』のなかに、ふしぎな言葉がでてくる。
 

幻想が向ふから迫ってくるときは
もうにんげんの壊れるときだ。

宮沢賢治『小岩井農場』
 

「にんげんのこわれるとき」という経験は、自分をなくす経験である。

しかし、その「自我の解体」は、肯定性により転回されている。

見田宗介は、宮沢賢治の『青森挽歌』の詩に、この詩人の「肯定的な転回」をひろいだしている。


感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつまでもまもつてばかりゐてはいけない

宮沢賢治『青森挽歌』
 

「いつまでもまもってばかりいてはいけない」と、宮沢賢治は書いている。

自衛のために「自己」を保つぼくたちだけれど、いつでも、そうであっては広い<世界>にでていくことはできない。

「lose myself」は、ひとつの方法である。

体験のなかに、夢中になって没入していくことで、体験を体験として感じとることができる。



このように、「lose myself」は、「夢中になる」という仕方で、肯定性を身に帯びることができる。

他方、ぼくたちは、生きるという経験のなかで、「lose myself」という痛い経験にさらされることもある。

自分を見失い、道に迷い、ぼくたちは途方にくれる。

自分が自分ではないように感じ、心を痛め、脱力感にみまわれ、身体に異常をみる。

しかし、それは、必ずしも、ぼくたちを否定性の世界に導くものではなく、それは「肯定性の道しるべ」でもある。

「lose myself」の行く末に、これまでとは異なる「myself」をつくりだすこともできる。

その地点から振り返ってみると、これまでの「myself」がとても小さい檻に閉じ込められていたことを知ることになる。

宮沢賢治の声がきこえる。

…いつまでもまもってばかりいてはいけない。

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健康を考えながら、「塩」が気になったこと。- ぼくたちの内なる「海の水」。

ここのところ、健康を見直していくなかで、「塩」が気になっている。...Read On.

ここのところ、健康を見直していくなかで、「塩」が気になっている。

現代人の「体温低下」の原因として「塩分摂取の極端な制限」を挙げながら、医師の石原結實は、こんなことを書いている。
 

…すべての生命の源は、約30億年前に海水中に誕生したアメーバ様の単細胞生物である。約3億年前のデボン紀に、一部の脊椎動物が陸に上がってきたが、そのまま上陸すると干からびてしまう。よって、海水と同じものを体内に携えて上がってきた。それが血液である。
 文字どおり、「血潮」なのである。血液や羊水の浸透圧と海水の浸透圧は酷似しているとされているし、鼻水も涙も塩辛い。我々人間の60兆個の細胞は、今でも血液という海の中に浮いて生活しているのである。

石原結實『お腹を温めれば病気にならない』(廣済堂出版)
 

さらに、石原は、「塩」を意味するラテン語「Sal」を取り上げている。

ラテン語「Sal」から、さまざまな「大切な言葉」が生まれてきたことに、目をつけている。

例えば、こんな感じだ。

●ラテン語の「Salus(健康、安全など)」:塩が一番おいしく健康に良かったから。

●「Salad(サラダ)」:生野菜に塩をかけたことから。

●「Salary(給料)」:古代ローマ時代の兵士の給料の一部は塩で支払われた(※いくつかの説がある)

語源はいろいろな気づきをもたらしてくれる。

気になったのは、塩や給料が大切だということだけではなく、そこに「人間と社会の歴史と未来」のことが語られているように、感じたからである。

もちろん、それが、ぼく自身の生においても、大切であることは言うまでもない。


「塩」というものは、それ自体、ぼくたちの人間の身体と、人間の社会のなかで、なくてはならないものであり続けてきた。

しかし、「塩」は、この二千年紀の人間社会の発展のなかで、例えば「Salary」(給料としてのお金)という、人間が共同幻想する「貨幣」へとつながってきたわけだ。

「塩」は、派生形態のひとつとして、それ自体で価値のあるものから、紙切れである「紙幣」などへと変遷しー「自然」から離陸することでー、人間社会の発展を無限にきりひらいてきた。

無限にひらかれたと思われた、その人間社会が、今、いろいろな壁にぶつかっている。

人間は、貨幣経済や都市化などを軸に発展をしてきたなかで、いつしか、生命の源であった「海の水」を汚し、人間の「血潮」(血液)を汚してきた。

「塩」そのものは、過剰摂取がさまざまな病気を引き起こすとも言われる存在になっている(石原は、極端な制限は体温低下を招くと警鐘している)。


とても唐突だけれど、そのような状況のなかで、「塩」が、人間と人間社会の転回のキーであるように、感じたのだ。

D.H.ロレンスの最後の著書『アポカリプス』は、ロレンスによるラディカルな文明批判と未来のビジョンの書である。

2001年9月11日の事件に際し、社会学者・見田宗介は、この書物を思い起こしていた。

見田宗介は、人間社会の「未解決の課題」である、「関係の絶対性」(人間の良心や思想に関係なく、軍事力や貨幣経済を媒介に客観として存立してしまう敵対的関係)を乗り越える方途のイメージを、ロレンスのこの書物に見たという。
 

…D・H・ロレンスが、関係の絶対性の思考に対置して依拠するヴィジョンは、一見思い切りとうとつであり、なんの説得力もないもののようにみえるものです。
 ロレンスが、その死の床で力をしぼるようにして書き記したという最終章は、書きなぐるように飛躍する文体で、ぼくたちは太陽系の一部である。地球の生命の一部分であり、ぼくたちの血管を流れているのは海の水である。というようなことが語られている。
 いきなりこういうことをいわれても、納得する人はいないと思います。けれどもわたしは自分自身としては、このロレンスが言おうとしたことに、深く納得しました。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
 

この文章を読み、ロレンスの『アポカリプス』を読みながら、ぼくも「感覚」として納得していたけれども、ぼくの目の前に広がる「海」、ぼくの内なる「海の水」(血潮)、それから「塩」が、論理として、より明確に見え始めてきた。

冒頭の文章とラテン語「Sal」は、その明確さに、言葉を別の角度から与えてくれたのだ。

人間も人間社会も、その発展の末に、「海の水」を汚し続けてしまった。

  また、「海の水」からはるかな果てに離陸し、干からびてきてしまっている。

だからといって反近代のような地点に戻るのではなく、「発展」の恩恵とポジティブなエッセンスを取り出し、無数の課題を超えながら、未来を見据えていく地点に入っていくことだ。

そのときに、「塩」は、それ自体においても、また象徴やメタファーのようなものとしても、鍵となるものであると、ぼくは感じている。

だから、ロレンスにならって、ぼくも自分に言い聞かせる。

ぼくたちの血管を流れているのは海の水である、と。
 

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人類の目指すべき「三代目」の社会と生き方(見田宗介)。- 「二代目の現代」、キングコング西野、香港の社会。

社会学者・見田宗介は、「三代目」という生き方、という面白い言い方で、未来の社会と生き方を構想している。...Read On.

社会学者・見田宗介は、「三代目」という生き方、という面白い言い方で、未来の社会と生き方を構想している。

未来構想を共有する上では、共有しやすい言葉やイメージが一定の役割を果たす。

「三代目」という生き方、「三代目」という社会は、イメージをつかむためにも、面白い言い方である。

もちろん、面白いだけでなく、そこに展開される論は、抜け目がない。

『二千年紀の社会と思想』(太田出版)における見田宗介と大澤真幸の対談で示されたポイントを、ここではいくつかまとめておきたい。

まずは、一般的に言われる、一代目から三代目の描写は、次の通りである。
 

1)「商売」における一代目・二代目・三代目

●一代目:猛烈に稼いで豊かな財産を築き上げる

●二代目:一代目の苦労を知り、豊かであっても、さらに稼いでお店を大きくする

●三代目:辛苦を知らず、文化や趣味に生きて散財してしまう

見田宗介は、「売家と唐様で書く三代目」という、古い日本の川柳を取り上げて、説明している。

この川柳は、三代目は、散財のあげく、一代目が手にいれた家屋敷を売りに出さざるをえなくなり、「売家」という張り紙の字を唐様で書いたということ。

つまり、「ダメな・ネガティブなイメージの三代目」である。

商売もせず、アートや遊びに明け暮れるという、ネガティブなイメージで語られてきたことは、ぼくたちのー少なくとも、ぼくのー「イメージ」にはすりこまれている。

 

2)「三代目」というイメージのラディカルな反転

「三代目」というイメージのラディカルな反転をすることの必要性、またこの「三代目の社会」こそが人類の目指すべき社会だと、見田宗介は語っている。

ラディカルな反転は、次のポイントで述べられている。

●「三代目の生き方」が人間にとっての究極の幸福であること。つまり、お金を稼いだり権力をもつことではなく、文化や自然を楽しみ、友情や愛情を深めることを、人間は本来求めていること。

●「三代目の生き方」は、資源浪費も環境破壊もしない、共存する安定平衡的な生き方であること。

「売家と唐様で書く三代目」がつくられた時代の日本は「ゆたかな社会」ではなかったことに対して、今は物質的な豊かさを獲得した時代である。

「三代目」を、ラディカルに反転させていくことができる条件が、すでに存在している時代に、ぼくたちは生きている。


なお、「社会という視点」でみたとき、一代目と二代目の社会は、次のように語られている。

●一代目の社会:貧困のなかで生まれ育ち、貧しい社会に条件づけられた欲望をもつ(できるだけ多くの財産と物質的な豊かさを望む)価値観

●二代目の社会:豊かになっても、まだ成長、成長という価値観

「現代」は、「二代目の社会」(二代目末期の社会)であると、見田宗介は述べている。
(※日本のような社会を念頭に置いて話していると思われる。)

問題は、二代目の「価値観の遅滞」ともいうべきものだという。

社会学の理論には、文化は社会構造から遅れる(「文化の遅滞」)というものがあり、見田はこれを「価値観」に転用している。
 

…いまは、二代目末期の社会という感じがするのです。成長神話から抜け出せない根本的な理由は、欲望のpersistence(粘着力)とシステムの硬直性との双方から来る「価値観の遅滞」value lagということにあると思います。

見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』(太田出版)

 

3)「価値観の遅滞」と「先端(三代目)の価値観」との攻防

今は、見田のいう「価値観の遅滞」と、いわゆる「先端(三代目)の価値観」とが衝突を起こしながら、社会と生き方のダイナミクスを生み出しているように、ぼくには見える。

「仕事になるまで遊べ」と、芸人であり絵本作家のキングコング西野が書くとき、それは「三代目の価値観」に生きている。

そのキングコング西野は、子供のころから決めていたこととして「世間の人はどうでもいい」とNewsPicksのインタビューで語っている。

世間ではなく「友達」を大事にしてきたこと。

西野は、見田が言うような、まさに「アート、友情と愛情」に生きてきたわけだ。

「価値観の遅滞」に生きる人たちから見れば、そのような生き方はあってはならないし、信じられない。

 

ところで、クラウドファンディングでの創造的な企画である西野の新刊は、『革命のファンファーレ』と題されている。

それは、見田宗介が言う、三代目の社会へ移行していく「可能なる革命」、また別著での「名づけられない革命」などと、呼応しているように、ぼくには見える。

「革命」という言葉は、「価値観の遅滞」をきりひらく人たちに向けて、蒔かれている。

そして、「革命」は、これまでの歴史上の(抑圧的な)革命とはまったく異なるような、それ自体が「アート、友情と愛情」をいっぱいにつめこまれた魅力的な方法である。

人類は、「三代目」社会と生き方に、どのように向かっていくことができるのか。

「価値観の遅滞」だけでなく、「システムの硬直性」という大きな課題が、現代社会にはたちはだかっている。


そんな「三代目」の社会と生き方のことを考え書いている、ここ香港は、中国への返還から二十年をむかえた。

ぼくは、その20年の内、半分の10年をここで暮らしてきた。

この10年は、「二代目」をかけぬける10年であったと、ぼくは考える。

経済成長を一気に果たしてきたのだ。

それに追随するように、人や社会の新しい動向、法律の施行・改定などが、現象してきた。

香港の経済社会は、経済格差が激しいことなどから一概には言えないけれど、その先端において見る限り、「二代目末期」に入ってきているように、ぼくは感じている。

 

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「歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである」(見田宗介)。- 「必要・ニーズ」論の有限性を超える着地の仕方。

社会学者・見田宗介は、名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)で、「現代社会」(情報化/消費化社会)をのりこえていく方向性と着地点を、「人間」(人間の生きることの歓び)への原的なまなざしで、提示している。...Read On.

社会学者・見田宗介は、名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)で、「現代社会」(情報化/消費化社会)をのりこえていく方向性と着地点を、「人間」(人間の生きることの歓び)への原的なまなざしで、提示している。

そのことを、シンプルに語る言葉が、タイトルに付した一文である。
 

「歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである。」(見田宗介、前掲書)
 

この一文は、とてもシンプルだけれど、こめられている意味と論と熱意と願いは果てしなく深い。
(「論」としての、この一文にたどりつくまでには、見田宗介の生涯がかけられてきている。)

ぼくたち個人が、この生を生きていく上でも、コンパスとなるような言葉である。

そして、人間社会が「現代社会」をのりこえ、未来に着地する着地点(したがって、未来をつくる現在の実践の仕方)を、ぼくたちに示してくれている。

3点にしぼって、ポイントをまとめておきたい。

  1. 「ほんとうに大切なもの」を意識的にとりだす
     
  2. 「必要・ニーズ」理論を相対化する
     
  3. 「必要」という有限性を、「歓喜と欲望」という無限性で超える
     

1)「ほんとうに大切なもの」を意識的にとりだす

「ほんとうに大切なもの」は、ぼくたちの生のなかで、意外と、語られたり理論の軸となることはない。

現代社会では、功利主義的な(「何かのために」という)思考、つまり手段・方法に、焦点があてられてきた。

そのことの「弊害」は、理論上、三つあると、ぼくは思う。

● 手段・方法が「目的化」されてしまうこと(上位の「目的」を忘れてしまうこと)

● そもそも手段・方法を要請した「目的」が、語る人たちの間で異なっていること(実は求める「目的」が異なっていること)

● 手段・方法を要請した「目的」が、わからないこと(上位の「目的」がわからないこと)

だから、「ほんとうに大切なもの」を正面から語ることは、やはり大切である。

見田宗介は、美しい文章で、正面から書ききっている。
 

…生きることが一切の価値の基礎として疑われることがないのは、つまり「必要」ということが、原的な第一義として設定されて疑われることがないのは、一般に生きるということが、どんな生でも、最も単純な歓びの源泉であるからである。語られず、意識されるということさえなくても、ただ友だちといっしょに笑うこと、好きな異性といっしょにいること、子供たちの顔をみること、朝の大気の中を歩くこと、陽光や風に身体をさらすこと、こういう単純なエクスタシーの微粒子たちの中に、どんな生活水準の生も、生でないものの内には見出すことのできない歓びを感受しているからである。…
 どんな不幸な人間も、どんな幸福を味わいつくした人間も、なお一般には生きることへの欲望を失うことがないのは、生きていることの基底倍音のごとき歓びの生地を失っていないからである。あるいはその期待を失っていないからである。歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである。

見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)
 

この文章に続けて、見田宗介が述べているとおり、「必要・ニーズ」は、「功利のカテゴリー」である。功利・効用である「必要・ニーズ」は、歓喜と欲望のためである。

 

2)「必要・ニーズ」理論を相対化する

途上国の国際支援・協力を学びながら、また現場で実際に携わりながら、この「必要・ニーズ」ということが、理論と実践の中心に位置していることを、ぼくは感じてきた。

「必要・ニーズ」としては、食料、衣料、住居、上下水道、医薬品、教育施設などが、通常挙げられる。

国際支援・協力の現場では、これらは、とても大切である。

圧倒的な「必要の欠如」の現場では、「何のために」と深く考えている余裕もないことは確かだ。

大切でありながら、しかし、経済理論、開発経済論などは、「必要主義」的な発想にとらわれすぎていることを、ぼくは感じ続けてきた。

ぼくは、この「必要主義的な発想」に、どこかで違和感を持ち続けてきた。

そんな折に、見田宗介のこの一文に助けられたのだ。

食料や衣料や住居や水などの「必要」を満たしていくことが、人の生死をわけへだてるほどに大切であることを、ぼくは経験上知ってはいるけれど、それでもなお、見田宗介の言う、「必要」にも先立つ<人間の生きることの歓び>を正面から意識しておくことが肝要である。

そのような人間理解と「人へのまなざし」は、ぼくたちの言葉や行動にあらわれてくる。

そして、モノがあふれかえる現代社会の「先進国・地域」では、企業は「必要」を延々と産出しまた創出し、消費者は延々と消費する。

その生産と消費の歪んだ形と内実が、環境を壊し、資源を枯渇に向けて使い続け、また人もその内部に多くの問題を抱えるという状況を、つくりだしている。
 

3)「必要」という有限性を、「歓喜と欲望」という無限性で超える

『現代社会の理論』は、「情報化・消費化社会の現在と未来」と副題がついている。

現代社会を、情報化と消費化から読み解いている。

現代社会(の「ゆたかな社会」)は、それまでの「必要」を(戦争によって)つくらなければならなかった社会を、「情報」により欲望を無限につくりだすこと(自己充足的なシステムの完成)によって、乗り越えてきた。

ぼくたちは、「必要」以上に、欲望にしたがい消費を繰り返している。

例えば、ぼくたちは服を、必要以上に購入し、消費している。

こうして、社会や企業の「成長」が達成されていく。

しかし、そこに、環境と資源という「有限性」がたちはだかってきたのだ。

この有限性に対して、「歓喜と欲望」という<人間の生きることの歓び>は、「必要・ニーズ」に先立つものであり、無限にひらかれている空間である。

この「歓喜と欲望」という地平に社会を着地させていくことを、見田宗介は構想している。

歓喜と欲望は、「消費」ということを徹底的につきつめていったコンセプト(<消費>=生の充溢と歓喜の直接的な享受の位相における<消費>)でもある。

そして、人や社会の欲望を、禁欲や禁圧ではなく、「欲望」によってのりこえる、ということである(「欲望は欲望によってしか越えられない」)。

 

作家・批評家の加藤典洋は、『現代社会の理論』の革新性を読み取っている。

そして、環境・資源への警鐘を鳴らしてきたスーザン・ジョージなどの著者たちが、著書『成長の限界』で記した「持続可能な社会」の考え方を、「欲望」を軸に、書き換えている。

もともとは、このように書かれている。

持続可能な社会とは「将来の世代が、そのニーズを満たすための能力を損なうことなく、現世代のニーズを満たす」社会である。

加藤典洋は、これに対し、こう書き換えた。

「将来の世代が、そのニーズを満たすための能力を損なうことなく、現世代の欲望をみたす」ことをめざす社会である。

加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』新潮社
 

ぼくたちは、個としての生き方においても、これからのビジネスということにおいても、またコミュニティや社会ということにおいても、「歓喜と欲望」の方に着地していく仕方で構想し、今を生きていくことができる。

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