海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

「論理・ロジック」の学び方について。 - ぼくの(まったくの)個人史から。

世界で仕事をしていく中で、また、情報が氾濫する世界で、「論理・ロジック」はとても大切である。...Read On.

世界で仕事をしていく中で、
また、情報が氾濫する世界で、
「論理・ロジック」はとても大切である。

それが、すべてではないけれど、
「論理・ロジック」は、徹底的に
身につけておくべきものである。

多くの人たちとコミュニケーションを
とってきた中で、ぼくが感じるのは、
「論理・ロジック」を本当に身につけて
いる人はそんなに多くないということだ。

ぼくが「論理・ロジック」を学んできた
方法を、ぼくの(まったくの)個人史から
共有したい。

ひとつでも、ヒントになればよいと思う。
 

(1)「論文」の書き方を学ぶ

ぼくが、「論理・ロジック」を最初に
学んだのは、大学のゼミであった。

大学3年・4年と「国際関係論」のゼミ
で、Peter B. Oblas先生のもとで、
ぼくは「論文の書き方」を学んだ。

論文の書き方に関する英語書籍を、
ゼミ生で読み進めながら、
参考文献の探し方、ノートの取り方、
英語論文の書き方まで、学んでいった。

大学4年が終わるときに、ぼくは、
卒業論文を英語で書き上げた。
もちろん、「論」を展開しながら。

この経験は、ぼくが今まで大学で提出して
きた「論文」は、「論文」ではなかった
ことを教えてくれた。
ただの「感想文」をぼくは書いていた。

「英語論文」の世界では、論・ロジックは
とても大切である。

英語で書いたことが、さまざまな視界を
ひらき、さまざまなことを教えてくれた。
知識を超える学びであった。

Oblas先生から、「論の芽」が出てきた
ようなことを、卒論のコメントとして
直接いただいたことをぼくは覚えている。

 

(2)本との出会い

大学3年・4年時には、
Peter B. Oblas先生との出会いに加え
さまざまな書籍との出会いがあった。

何よりも、社会学者の見田宗介(真木
悠介)の書籍、『気流の鳴る音』
『時間の比較社会学』『自我の起原』
『現代社会の理論』『宮沢賢治』など
との出会いにより、
ぼくの「本の読み方」が変わった。

見田宗介の書く文章は、
要約が極めて難しいほどに削ぎ落とされ
理論が徹底している。

見田宗介の理論が、最初はまったく理解
できなかったぼくは何度も何度も読んだ。
字義通り、読み倒した。

見田宗介先生に、ぼくは、書籍を通して
論理・ロジック、そして理論を学んだ。

 

(3)大学院での「論文」

「論文の書き方」を学んで、
「何か」を掴んだぼくは「論・ロジック」
の面白さを得た。

そして、見田宗介の理論が、深いところ
で理解できるようになっていた。

それは世界が開かれていくような感触だ。

大学院では「論文」を書いた。
毎週のように提出する論文において、
「論・ロジック」を組み立てていった。

そして、論文を書くために、
徹底的に、他者の論文や書籍を読んだ。
そこで展開される「論理」に、
村上春樹が翻訳をするときのように、
「論理」の中にすっぽりと身を投じた。

修士論文は、その集大成として、書いて
いった。
個別の論文で論を立て、
個別の論文が最後につながる形で、
修士論文ができたのだ。

 

(4)仕事の世界で。

国際NGOで働きはじめてからも、
「論理・ロジック」は極めて大切であった。

仕事の実務・現場の世界でも、それは
変わらない。

西アフリカのシエラレオネでは、
国連や現地政府を相手に、論を立てて
コミュニケーションをとらなければなら
なかった。

東ティモールでも同じことだ。
国際協力機構とのやりとり、様々な
報告書、政府でのプレゼンテーション、
などなど。

香港での人事労務コンサルテーション
では、もちろんのことである。
コンサルテーションは、まずは
ロジック勝負である。

とにかく、使い倒しながら、学んで
いった。
完璧は目指さずに。

 

これらは、ぼくのまったくの個人史である。

今も、日々、論理・ロジックを学んでいる。

現代という時代の過渡期で、
また情報化社会が進化していくなかで、
これからの世界をひらくために
「論理・ロジック」を、
徹底的に身につけておきたい。

くりかえすけれど、徹底的に。


追伸:
写真は、ぼくが、世界どこで暮らすとき
にももっていく、見田宗介先生の著作
の一部です。
ぼくの人生の旅の「同伴者」です。

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総論, 成長・成熟 Jun Nakajima 総論, 成長・成熟 Jun Nakajima

「人生のreactivist」から「人生のactivist」へ。- 人生が積極性に「転回」するところ。

Tim FerrisのPodcastを聞いていたら「reactivist」から「activist」へという言葉が彼の口から出てきた。面白い言い方だなと思う。...Read On.

Tim FerrissのPodcastを聞いていたら
「reactivist」から「activist」へと
いう言葉が彼の口から出てきた。
面白い言い方だなと思う。

人はとかく、「reactive」になりやすい。
何かが起きてから、それに「リアクショ
ン」を起こす。
常に「反応的」になってしまう。

でも、この「現代という時代の過渡期」で
は、「activisit」のごとく、積極的な、
世界への働きかけが重要だ。
(「活動家」ということだけれど、ここ
では、ぼくは、政治的な意味合いは
「脱色」している。)

そして何より、自分の人生に対して
「reactivist」ではなく、
「activist」であることだ。

Podcastを聞きながら走っていて、
そんなことを考えていたら、
ぼくが修士論文を書いていたときの
こと
を思い出した。

経済学者アマルティア・センの一連の
仕事を追っていくなかで、ぼくはひとつ
のことに気づいた。

それは、センの人生の前半の仕事は、
どちらかというと「アンチテーゼ的な
仕事」であったということ。
つまり、これまでの厚生経済学への
批判を展開していたのだ。

センは、その後、特に「潜在能力アプ
ローチ」という自身の理論を軸にして、
積極的な仕事を展開していく。
言い方を変えると、積極的な転回が、
「潜在能力アプローチ」に結実していく。
いわば「アンチテーゼ」から「テーゼ」
への移行であった。
(ちなみに「潜在能力アプローチ」は
国連開発計画の「人間開発指数」の
理論的バックボーンだ。
経済成長だけではない成長の「評価
指標」を提示した。)

「アンチテーゼ」から「テーゼ」へ。

このことを、違った仕方で、ぼくは
村上春樹の仕事から学んでいた。

村上春樹は、アメリカに滞在中、河合隼雄
との対談の中で、
「デタッチメントからコミットメント」
ということを話している。

村上春樹の仕事が、社会からデタッチして
いくものから、社会にコミットメントして
いくものへと変遷していく。
(加藤典洋の著作『村上春樹は、むずかし
い』も、このあたりのことを書いている。
すばらしい村上春樹論であり、内容はそれ
にとどまらない。)

村上春樹の初期作品から読んでいくと、
そのことはよくわかる。

「reactivist」から「activist」へ。
「アンチテーゼ」から「テーゼ」へ。
「デタッチメントからコミットメント」へ。

世界や社会や他者、そして(深い意味で)
自分に向けられた「否定」「批判」など
が、ある時点で、積極的に、転回される。
「否定」や「批判」が、新しい理論や
考え方、生き方を軸に、積極性に転回され
ていく。

ぼくも少なからず、そんなプロセスを
生きてきた。

これから、もっと積極的に、転回して
いきたい。

「人生のactivisit」として、積極的に。

それは、きっと、社会へのコミットメント
をはらむ転回だ。

 

追伸:
黄昏時の「オレンジ色の街灯」は、
ぼくの記憶から、いろいろな風景を
思い出させる。

例えば、東ティモール。
エルメラ県の山(コーヒー農園は
山間地にある)から首都ディリに
向かう中で、ぼくが乗っている車両は、
オレンジ色の街灯の中を降りていった。

ここ香港で走りながら、「オレンジ色
の街灯」が、ぼくの頭上で静かに灯り、
その風景の中で、ぼくは上記のような
ことを考えた。

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東ティモール, 海外・異文化 Jun Nakajima 東ティモール, 海外・異文化 Jun Nakajima

東ティモールで、「人口統計(国勢)調査」を受けたときに「困ったこと」

2003年から2007年まで東ティモールに住んでいたとき、ぼくは一度、東ティモール政府の「人口統計調査」(国勢調査)を受けたことがある。...Read On.

2003年から2007年まで
東ティモールに住んでいたとき、
ぼくは一度、東ティモール政府の「人口
統計調査」(国勢調査)を受けたことが
ある。
(香港でも調査を受けたことがあります。)

東ティモールで「人口統計調査」を
受けた日本人は、あまりいないと思うけれど。

詳細は覚えていないのだけれど、
ぼくの記憶には、首都ディリの事務所
の風景、それから調査用の小さな用紙
のイメージが今も残っている。

記憶に残っている理由の一つは、
人口統計調査を受けた際に困ったから
である。

この「困ったときの感情」が、まるで
スマートフォンで写真を撮るとき
のように、その風景を、カシャ、と
切り取ったようだ。

でも、「困ったこと」は、ぼくにとって
は大切な学びであった。

「困ったこと」とは、調査用の用紙に
あった設問である。

それは、自身の「宗教」を選択する設問
であった。

ぼくは、特定の宗教をもたないため、
選択に困った。

それまで、東ティモールを含め、海外に
いると、
「あなたの宗教は何ですか?」
と聞かれることがあった。
そのときは、アニミズムとか、
「自然」だとか、で応答していた。

ただし、今回は、用紙の選択肢の中に
そんな選択肢はなかったのだ。
(ちなみに、東ティモールはほとんど
の人たちが「カトリック」である。
ポルトガルの影響である。)

ぼくは、この設問項目と選択肢に
とまどったことを、今でも覚えている。

最終的には、ぼくは、選択肢にあった
「仏教」を選択した。

とまどった本当の理由は、
「宗教がないと人と認められない」と
いう感覚をもったからだった。

日本に住んでいると、「宗教」には
さまざまな「偏見」がともなっている。
でも、西アフリカのシエラレオネでも、
東ティモールでも、宗教は、日々の
生活に根ざしている。

ぼくも、そんな人たちを尊重して、
教会の大切なイベントに参加したりした。
イスラムの祈りの時間を尊重して、
待機したりした。
宗教が、宗教として存在する磁場があった。

だからといって、ぼくは、特定の宗教を
もつことはしない。
でも、世界に暮らしながら、もっと宗教の
ことを理解しようと、学び続けている。

「宗教社会学」という扉からの学びは
知的興奮に満ちたものだ。
社会学者の大澤真幸や橋爪大三郎の著作
から学んでいる。
二人が登場する対談の著作『ふしぎな
キリスト教』だとか、『ゆかいな仏教』は
学びでいっぱいだ。

そして、社会学者の真木悠介(見田宗介)
の名著『自我の起原 愛とエゴイズムの
動物社会学』。
その著作の補論は、宮沢賢治を読み解き
ながら、「自我の地平線」と真木がいう
「性現象と宗教現象」について展開されて
いる。

「宗教」を理解することは、人間や文化、
そして文明までを理解する手がかりとなる。
それは、ぼく自身を理解することでもある。

 

追伸:
東ティモールにいたときに、もうひとつ
戸惑ったことは、
「結婚することで一人前」とみなされる
社会であったことだ。
でも、東ティモールに長くいると、
その感覚が身にしみてわかっていった。
「家族」っていいなと心より感じさせて
くれた。

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書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima

「男女は(すべて)同じでなければならない」という「勘違い」- 「違い」からの出発。

日本に暮らし、アフリカに暮らし、アジアに暮らす。そんな中で、男女間の関係をあり方を、ぼくはいろいろと考えてきた。...Read On.

日本に暮らし、アフリカに暮らし、
アジアに暮らす。
そんな中で、男女間の関係をあり方を
ぼくはいろいろと考えてきた。
(ここでの男女は、男性性と女性性
という広い見方である。)

頭ではわかっていたけれど、男女間の
関係性は、表面的に観ると様々であった。

しかし、現代の人間は「重層的」な存在
(生命性・人間性・文明性・近代性・
現代性を帯びる存在)である。
生命性・人間性が、誰にでも生き続けて
いる。

ぼくが思春期を迎えた1980年代の日本
では、「男女雇用機会均等法」が制定
されたときであった。

法律の制定は、社会の状況を反映する
ものである。
その社会状況の中で、ぼくはなぜか
「男女は(すべて)同じでなければ
ならない」的な考え方を、自分の思考
にはりめぐらしてしまっていた。
よく考えずに、言葉の表層と社会的な
雰囲気だけに、自分をあずけてしまっ
ていたのだ。
もちろん「同じ」がよいこともあれば
「違う」こともある。

この「勘違い」が、人との関係において
無数の問題をつくりだしてしまった。

そして、ぼくだけではない、世界の多く
の人たちが、「自分中心」(男性なら
男性、女性なら女性)で考え行動して
しまっているように、ぼくは思う。

だから、日々の関係の失敗から経験的に
は学びを得ても、根本的な対策には至ら
ない。
また、相手が変わることを要求してしまう。

 

黒川伊保子の著書『鈍感な男 理不尽な
女』(幻冬舎)は、黒川が「まえがき」で
冗談交じりで言うように、「ノーベル平和
賞をもらってもいいくらいの一冊」である。
ノーベル平和賞は大げさにしても、
何らかの「平和賞」が授与されてもよいと、
ぼくはちょっと本気で思ったりする。

本書は、2部から成っている。

●Part 1: 女性脳のトリセツ
 ~女の機嫌をなおす18の処方箋

●Part 2: 男性脳と女性脳はなぜこんなに違うのか

Part1は、「女たちの18の不機嫌」の
ケースをとりあげている。

そして、黒川がそれぞれに解説を加え、
処方箋(対処方法)を提案している。

最初のケースは、
「もう、いい。自分でする!」と突然
キレる、ケースだ。
誰しもが経験する状況だ。
黒川伊保子の視線は、どこまでも寛容だ。

黒川伊保子は「女の機嫌のなおし方」と
題した「まえがき」で、次のように
記述している。

 

女は、惚れた男にだけ、よく機嫌を
損ねる生き物である。
なのに男は、女の機嫌をとるのが苦手だ。
人に秀でた才覚がある男ほど、その傾向
は顕著である。脳の信号処理が、目の前
の女性の気分にチューニングするように
はできていないからだ。目の前の人の
思いに引きずられて動揺する人は、
世界観が作れない。
 だから、彼女が少々嫌な顔をしても
気づかない。…女性の思いを察すること
は、本当に難しい。というわけで、女性
の機嫌のなおし方がとんとわからないの
は、男らしい男性の、正しい反応なので
ある。
 つまり、愛のある女と、才覚のある男
のベストカップルほど、「女の機嫌」に
つまずくことになる。
 で、この本の登場である。

黒川伊保子『鈍感な男 理不尽な女』
(幻冬舎)

 

この「まえがき」にぼくは気持ちが
救われた。
(別にぼくが人に秀でた才覚ある男
というわけではないけれど。)

この「世界中の男性の携帯辞書」(黒川)
は、日本語だけれど、世界中の男性が
読むべき本である。

そして、男性だけでなく、女性も一緒に
学び、日々関係を豊饒にしていくことで、
世界はきっと素敵になると、ぼくは思う。

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香港で、「貧困」のコンセプトを考える - シエラレオネ・東ティモールから香港を経る中で。

香港は、この10年で、物価がとても高くなった。不動産価格はなかなか下がらない。家賃などもこの10年で上がり続けてきた。...Read On.

香港は、この10年で、物価がとても
高くなった。
不動産価格はなかなか下がらない。
家賃などもこの10年で上がり続けて
きた。
海外からくる、いわゆるエクスパット
は、高騰する家賃を避けるために、
外に家を探しもとめているという
ニュースが出ていた。

香港は、貧富の差が大きいところだ。
「ジニ係数」という所得分配の不平等
さを示す係数において、香港はアジア
でもっとも係数が高い。
それだけ、所得格差が開いている。

ぼくは、大学後半から大学院で、
「途上国の開発」や「貧困問題」を
研究してきた。

大学院修了後は、世界で最も寿命が低い
と言われていたシエラレオネ、
それからアジアで最も貧しいと当時言わ
れていた東ティモールに、
国際NGOの職員として駐在した。

「貧困」については、そのカテゴリーは
好きではないけれど、学問としても、
それから実務でも、正面から向き合って
きた。

シエラレオネでは紛争後の緊急支援に
たずさわり、それから、東ティモール
では、コーヒー生産・精製の支援から
「収入改善」のプロジェクトを運営して
きた。
そこから、経済成長を続ける香港に
わたってきた。
香港では、「経済」や「お金」という
ものを、正面から考えさせられてきた。

しかし、途上国(南北問題の「南」の
国)の貧困と、先進国の貧困とを、
理解しておく必要がある。

ぼくは、このことを、社会学者・見田
宗介の「現代社会の理論」から学んだ。
「貧困のコンセプト。二重の剥奪」と
題された文章で、見田はこのように記述
している。

 

…貧困は、金銭をもたないことにある
のではない。金銭を必要とする生活の
形式の中で、金銭をもたないことにある。
貨幣からの疎外の以前に、貨幣への疎外
がある。この二重の疎外が、貧困の概念
である。
 貨幣を媒介としてしか豊かさを手に
入れることのできない生活の形式の中に
人々が投げ込まれる時、つまり人びとの
生がその中に根を下ろしてきた自然を
解体し、共同体を解体し、あるいは自然
から引き離され、共同体から引き離され
る時、貨幣が人びとと自然の果実や他者
の仕事の成果とを媒介する唯一の方法と
なり、「所得」が人びとの豊かさと貧困、
幸福と不幸の尺度として立ち現れる…。

見田宗介『定本 見田宗介著作集 I』
(岩波書店)


途上国の「貧困研究」では、見田宗介が
正しく指摘するように、この「あたり前」
のことを議論の前提として忘れてしまう
ことがある。

 

香港の生活(香港だけでなく、例えば、
東京の生活もそうだけれど)は、まさに、
「金銭を必要とする生活の形式の中」に、
人びとをまきこんでいく。

物価が上がり続けてきた中で、
つまり「金銭を必要とする生活」度合いが
強まる中で、人びとは、「貧困」に陥らな
いように、走り続けなければならない。

香港では「自然」は実際には大規模に広が
っているものの、それは生活の物質的な
豊かさをもたらすものではない。

多くの人は「都会生活」である。つまり、
「貨幣への疎外」を経験している。
だから、通常は「金銭」を増やしていく
ことしか、道はない。

「金銭を必要とする生活」のダイナミクス
と、その切迫感が、香港のスピードの速さ
とエネルギーを生み出しているように、
ぼくには見える。

ただし、香港では「共同体」が、「家族」
という単位で、最後の砦を守っている。
核家族ということもあるけれど、
「拡大家族的な共同体」の砦であったりする。

「家族」が、愛情の共同体であると共に、
ソーシャル・セキュリティ的な役割(物質的
な拠り所)も担っている。

世界で最も「貧しい」と言われていたシエラ
レオネから、アジアで最も「貧しい」と言わ
れていた東ティモールへ。
それから世界でも最も「豊かな」ところで
ある香港へ。

ぼくは、この「格差」の中で、社会や世界を
考えさせられる。
ぼくも、「金銭を必要とする生活」の只中で、
しかし、日々、こうして食事をすることが
できることに感謝する。
感謝しながら、「自分にできること」を考える。

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香港, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で、市場に併設の食堂で食べた麺の記憶 - よく晴れた朝の静かな市場で。

香港のよく晴れた朝、出来立てのパンと新鮮な果物を手にいれるために、近くのパン屋さんと市場に足を運ぶ。...Read On.

香港のよく晴れた朝、
出来立てのパンと新鮮な果物を手に
いれるために、近くのパン屋さんと
市場に足を運ぶ。

都会の香港だが、新鮮な野菜や果物
などを売っている市場(いちば)も
各地でにぎわっている。

きれいな場所とは言えないけれど、
最近は各地で改装が進んでいたりする。

アジアを一人旅していたころは
よく市場に行った。
その土地の生活が垣間見え、
また、自分の五感が開かれる。

現代人は五感の中で、「眼」に
「支配」されている。
アジアの市場の音や匂いなどは
ぼくたちの五感を開いてくれる。

香港に住むようになって、しかし、
スーパーマーケットに頼りきりに
なってしまっていた。
それはそれで便利だけれど、
最近は市場に買い出しにいくこと
が多い。

だから、今回も足を運んだのだ。
朝方で、まだ人はまばらであった。
(香港の「朝」はあまり早くないの
だろう。)

まずは、目当ての果物を手にいれる。
それから、朝の市場を歩く。
野菜や果物などの「新鮮さ」にひか
れる。

その「新鮮さ」にひかれて、
併設の小さい食堂の前で立ち止まる。
家に帰って朝食を食べる予定だった
けれど、ここで牛肉麺を食べてみる
ことにした。

20年以上前のベトナム旅行を思い出す。
市場横でフォーを食べたものだ。

メニューの一番上にある麺(”牛腩河”)
をオーダーした。
2分ほどで麺が運ばれてくる。
見るからに、新鮮だ。

案の定、おいしかった。
ぼくの期待に、期待を超えて、
きっちりと応えてくれる。
お肉も、ネギも、麺も、スープもとても
新鮮だ。

なんでもないお店だけれど、
そこにはやはり食の文化がある。
ガイドブックにものっていないし、
レストランを紹介するアプリにも
でてこない。

でも、作家・辺見庸が『もの食う
人々』の取材で、世界の美味しい
ものを探し求めていきついた境地
を、ぼくは思い出す。

食材や調理ももちろん大切だけれど、
いきつくところ、食べる側の状態に
よってしまうのだ。

香港のよく晴れた朝に、
気持ちよく外を歩いて、市場に足を
運び、そこの店に静かに腰掛ける。
おじさんが、一所懸命に、プライド
をもって麺をつくり、おばさんが
運んできてくれる。
ぼくたちはそれを静かに味わう。

そこに、忘れられないおいしさが
生まれる。
そのおいしさは、繰り返しのきかない、
一回限りのものだったりする。
味を正確には覚えていないけれど。


追伸:
「写真」は麺とスープに少し手をつけた
後にとりました。
運ばれてきて、温かい内にすぐに
食べることが、作り手に対する
礼儀です。
写真なんかとっている場合では
ないけれど、さっとだけ、撮りました。


 

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書籍, 村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima

村上春樹著『翻訳(ほとんど)全仕事』から学ぶ、翻訳・仕事・生き方の作法

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』(中央公論新社)の主要なコンテンツは、次の二つである。...Read On.

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)の主要なコンテンツ
は、次の二つである。

●翻訳作品クロニクル 1981-2017
●対談(村上春樹x柴田元幸)

「翻訳作品クロニクル」では、
これまでの翻訳仕事を取り上げ、
ひとつひとつに、解説や背景、
思うところをつづっている。

このひとつずつを読むだけで
「村上春樹の世界」に入ることが
できる。
それだけで、世界は素敵になる。

「対談」は、「翻訳業の師匠役」
(村上春樹)である柴田元幸との
対談である。

これまでも、村上春樹と柴田元幸は
他の本でも翻訳対談を刊行してきた
けれど、今回は「翻訳クロニクル的
な視点」での対談がくりひろげられ、
世界はまた、それだけで素敵になる。

以下では、ぼくにとっての印象的な
学びと気づきから、ほんの少しだけ
をピックアップ。

 

(1)翻訳の作法について

村上春樹の翻訳により文章が
「村上化」しているという主張に
対して、村上春樹は次のように
語っている。

 

…僕の色が翻訳に入りすぎていると
主張する人たちもいますが、僕自身
はそうは思わない。僕はどちらかと
いえば、他人の文体に自分の身体を
突っ込んでみる、という体験のほう
に興味があるんです。自分のほうに
作品を引っ張り寄せてくるという
よりは、自分が向こうに入って行っ
て、「ああ、なるほどね、こういう
ふうになっているのか」と納得する。
その世界の内側をじっくりと眺めて
いるととても楽しいし、役に立ちます。

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

ぼくは、この感覚がとてもよくわかる。

ぼくが翻訳という作業をしはじめたのは、
とりわけ、大学と大学院でである。
仕事ではなく、「課題」のようなものと
してであったけれど、中国文学の翻訳も
あったし、英語論文の翻訳もあった。

論文では、その著者の「論理」の中に
入りこみ、論理をたどった。
その過程で、言葉の「定義」をひとつ
ひとつ確認して、著者の意図に、身体を
投じた。
その中で「行間」が浮かび上がってきた
りした。

ぼくにとっては、翻訳的作業は、
「自分という殻」を一休みして、一旦
外に出るような行為だ。
翻訳はヤドカリの殻の部分をひと時の
間、交換するような作業だ。

村上春樹の言葉とリズムが、ぼくの
身体に、すーっと、浸透してくるのが
わかる。

 

(2)仕事の作法について

柴田元幸との対談の中で、村上春樹は
「翻訳仕事の仕方」を語っている。

村上春樹の「仕事の仕方」に学んで
きたぼくとしては、「なるほど」と
うなずくところだ。

「一日の時間配分」を聞かれた村上は、
次のように応答している。

 

基本的に時間があまっちゃうんですね。
僕はだいたい朝四時頃起きるじゃない
ですか。だから朝のうちに自分の小説
の仕事を済ませちゃうと、あとは時間
があまって……。ジムに行ったり走った
りするのは一、二時間あればオーケー
だから、まだ暇がある。それで、じゃあ
翻訳でもやろうかと思って、ついつい
やっちゃうわけです。…朝のうちは翻訳
はしません。朝は大事な時間なので、
集中して自分の仕事をして、翻訳は午後
の楽しみにとっておきます。
で、日が暮れたら仕事はしない。…

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

「午後の楽しみ」の翻訳は、しかし、
2時間ほどで疲れてしまうようである。

村上春樹の圧倒的な質量の翻訳書は、
この「午後の楽しみ」から生まれている。

 

(3)生き方の作法について

「まえがき」で村上春樹が、翻訳書の
総体を眺めながら振り返る言葉が印象的だ。

 

ここにこうして集めた僕の翻訳書を
順番に眺めてみると、「ああ、こういう
本によって、こうして自分というものが
形づくられてきたんだな」と実感する
ことになる。

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

翻訳書のひとつひとつも魅力的だ
けれど、翻訳という作業の総体は
「作家・村上春樹」の生き方を
照らし出している。

「作家・村上春樹」は、翻訳という
丹念な作業の積み重ね(そのうちに
は「壊しては作り直す」作業で一杯
だったとぼくは思う)と、自身の
小説執筆という深い「井戸掘り」の
内に、やはり「創られながら創る
こと」(真木悠介)
という経験を
生ききってきたのだと、ぼくは思う。

ぼくも、そんな経験を生きていきたい
と、村上春樹の翻訳書と本書を前に、
感じてやまない。


追伸:
翻訳書のすべてを読んだわけでは
ないけれど、
ぼくは『グレート・ギャッツビー』
の翻訳が好きです。
スコット・フィッツジェラルドが
書く「冒頭」もすごいけれど、
村上春樹の翻訳する「冒頭」も
すごいです。

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シエラレオネのダイヤモンド、そして「石と花」

西アフリカのシエラレオネで、2017年3月、706カラット(一部のニュースでは709カラット)のダイヤモンドを、牧師が発見した。...Read On.

西アフリカのシエラレオネで、
2017年3月、706カラット(一部
のニュースでは709カラット)の
ダイヤモンドを、牧師が発見した。

世界で、史上10番目にもなりうる
というダイヤモンドである。
タイム誌の記事によると、
US$5000万相当のダイヤモンド。
競売でまだ買い手がつかないようで
ある。

発見された場所は、シエラレオネ
東部の「コノ地区」である。
ダイヤモンド産地として有名な場所
である。

シエラレオネのダイヤモンドは
内戦や紛争の原因であり、資金源で
あった歴史をもつ。

ぼくは、2002年末頃から2003年
途中にかけて、「コノ地区」に駐在
していた。
ぼくの所属する国際NGOは、
難民・避難民の帰還支援として、
国連難民高等弁務官事務所と
共に、井戸掘削事業を展開して
いた。

コノは、当時電気も水道もなかっ
た。
電気はジェネレーターで発電し
水は井戸からであった。

事務所の周辺にはダイヤモンド
鉱山がひろがっていた。
朝から多くの人たちが、
手作りの竹ザルを手に、泥まみれ
になりながら、ダイヤモンド原石
を探していた。

巨大ダイヤモンド発見のニュース
は、ぼくに、コノを思い出させた。

ダイヤモンドは、ただの「原石」で
あるものが、磨きをかけていくこと
で、まさしく「ダイヤモンド」になる。
そこに「夢」と生活をかけて、
今日も、人々は鉱山で泥をすくう。



そのような記憶と、路上に咲く花が、
イメージとして重なる中で、野口晴哉
(「整体」の創始者として知られる)
の文章が思い起こされる。


花は花と見ることによって花である。
石は石と見ることによって石である。
花も石である。
石も花である。

野口晴哉『碧巌ところどころ』
(全生社)

 

この言葉の存在を教えてくれた
社会学者の見田宗介は、「教育や
福祉や看護の仕事に巣立ってゆく
年々の学生たちに、記して贈る
ことば」として、この言葉を次の
ように説明している。

 

野口晴哉がこのことをいう時、
それは美しい理想でもなく
主観的観念論でもなく、人間は
人間が気を集注する方向に変化し
伸びてゆくものだという、現実的
な人間理解と実践知によって
裏打ちされている。石も花として
花開かせるという仕事は、技法が
技法であることの核心をきちんと
通ってつきぬけてゆく気構えだけ
が、はじめて実現することのでき
る冒険である。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X』
(岩波書店)


「人」にかかわるものとして、
石を花開かせることを身にひき
うけていく気構えと実践ができて
きたか、と、野口晴哉の厳しく
美しい言葉は、ぼくに問いをなげ
かけてくる。

シエラレオネで
原石がダイヤモンドとして成る。
ぼくは、シエラレオネで、
「支援」という仕事の実践で
石を花開かせることができたか。

香港の路上で、
美しい花を見ながら、
また、香港の「Hong Kong
Sevens」の開幕が、香港の
春の訪れをつげるなか、
そんなことを、ぼくは思っている。

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書籍, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である』-「G人材とL人材」論について、香港で考える。

堀江貴文の新著『すべての教育は「洗脳」である』を、ここ香港で読む。副題は「21世紀の脱・学校論」。...Read On.

堀江貴文の新著、
『すべての教育は「洗脳」である』
を、ここ香港で読む。
副題は「21世紀の脱・学校論」。

日本では題名(とくに「洗脳」と
いう言葉)だけで反論を呼ぶのかも
しれないが、語られている内容は、
「まっとうな分析」である。

学校は、メインストリームの制度に
おいては、産業革命に開かれた社会
の枠組みを超えられずにいることは
確かだ。
(ただし、途上国における教育は、
若干の「留保」が必要であると思う。)

さて、本著作において、ぼくの関心事
とつながるところは、
「第2章 G人材とL人材」である。

堀江貴文によると、
今後、人は、生まれた国・地域に関係
なく、「生き方、考え方、働き方」に
おいて、次のように、大きく二つに
分かれていくという。

●G人材:「グローバル」を行動範囲
●L人材:「ローカル」(地元)に根付く人材

G人材は、彼の言葉では、次のような
人材だ。

 

【G人材】
・人物像:合理的・寛容・フラット
・大切なもの:自分のやりたいこと
・フットワーク:軽い・変化を好む
・豊かさの指標:情報
・こだわる場所:なし
・生きている時間:現在
・希少性:高い

堀江貴文
『すべての教育は「洗脳」である』
(光文社)

 

もちろん、例外を排除し、理解を
目的として簡素化された人材像である。

彼が本書で何度もくりかえすように、
どちらがよい・悪いということではなく
「生き方」の問題である。


大切なのは、GとLの二つから、
うまみのありそうな方を選ぶ
ことではない。自分のやりたい
こと、大切にしたいものを理解
することなのである。その結果
どちらを選ぶことになろうと、
あなたの”本音”と合致している
限り、幸せな生き方は追求でき
るはずだ。

堀江貴文
『すべての教育は「洗脳」である』
(光文社)

 

上述したように、堀江の「G人材・
L人材」論は、理解のために簡素化
された参照のようなものである。

なお、どちらでもない人は、
「N人材」として説明されている。
Nはnationの頭文字である。

それぞれの特徴の詳細はともあれ、
人材の「二極化」自体は、これから
さらにすすんでいくと思われる。

産業革命が牽引してきた「近代」と
いう時代の慣性、その解体という
力学のなかで、ぼくたちは、価値観
と生き方において、違う極に引き裂
かれている。

それら両極への力学のなかで、
大切なことは、自分の「生き方」で
ある。
世界の編成が目まぐるしく変遷する
なかで、どのように生きていきたいのか
が、いつもぼくたちに、問われている。



ところで、本書で触れられる、
G人材の豊かさの指標に記載された、
「情報」の考え方がおもしろい。

背景として押さえておくことは、
インターネットがもたらしたのは、
情報を、
「所有すべきもの」から
「アクセス」するものに、
変貌させたこと。
つまり、情報革命は、
「所有」の価値を落としたこと。

G人材は、このような、
「アクセスするもの」としての
「情報」に価値をおく、と語られる。

この方向性が内包する「可能性」は、
<消費/情報化社会>の弊害
を解決する•低減する道へと続いて
いるように、ぼくは直感する。

それにしても、
ぼくは、堀江貴文の「口癖」が好きだ。

 

「やればいいじゃん!」
 

何かに迷ったときに、ぼくの脳裡に
この言葉が聞こえる。

本書のメッセージは、冒頭に置かれ
た、この「口癖」にもどってくる。


行動は、いつしか、自分が「あたり
まえ」だと思っていることに疑問を
さす。

その裂け目から、「洗脳」をほどく
糸口がひらく。

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書籍『<わたし>と<みんな>の社会学』(見田宗介・大澤真幸)に教えられたこと

社会学者の見田宗介と大澤真幸による書籍『<わたし>と<みんな>の社会学』が、2017年3月31日に、世に放たれた。...Read On.

社会学者の見田宗介と大澤真幸による
書籍『<わたし>と<みんな>の社会
学』が、2017年3月31日に、世に放た
れた。

ぼくの尊敬するお二方の対談(「連山
縦走 われわれはどこから来てどこへ
行くのか」)と、
大澤真幸の論文(宮沢賢治『銀河鉄道
の夜』再読)からなる書籍。

「対談」は、リチャード・ドーキンス
などの生物学、動物社会学、幸福と
正義、宮沢賢治、貨幣経済、「軸の
時代」、資本主義の未来までと多岐に
わたりつつも、一言一言が深い思考と
論理に支えられている。

読者の思考の深さによって、見えて
くるものが変わってくる。

この書籍を通じて、教えられたこと
は数限りなくあるけれど、3つに絞る
と次の通りである。

(1)内容:「幸福と正義の二重構造」

対談の内容に入り込むと、際限のない
インスピレーションと尽きない議論の
種が、ひろがっている。

ここでは、最近ぼくが考えていること
とつなげて、一つだけ挙げると、
「幸福と正義の二重構造」がある。

書籍の帯の裏にも抜粋があるけれど、
見田宗介は、このように述べている。


幸福の単位は、コミューン的な小さい
集団の中の<魂の深さ>を大事にして
いくべきです。ただし、何度もいい
ますが、それを大きくしようとしては
いけません。大きな社会では、ドライ
なルールが重要です。幸福のユニット
と正義の範囲は分けて考えるのです。

見田宗介・大澤真幸
『<わたし>と<みんな>の社会学』
(左右社)


見田宗介がこれまで展開してきた、
「交響圏とルール圏」に照応する
ものである。

ぼくにとって面白いのは、
・「幸福と正義」の対置
・「幸福のユニット」という言い方
である。

「言い方」を少し変えただけで、
「角度」を少し変えただけで、
見える論理や感覚がある。

なお、見田宗介が展開してきた
「軸の時代」の議論も、
ぼくを刺激してやまない。


(2)対談の仕方

それから「対談の仕方」である。

議論の「進め方」や、
議論が「深まっていく流れ」に
心が動かされる。

見田宗介の「存在」により、
大澤真幸から本質的な話が
ひきだされていく。

また、「資本主義」の議論では、
見田宗介は大澤真幸に、
「資本主義の定義」を確認しながら
議論のすれ違いがないよう、
丁寧に議論を進めている。

言葉を大切にするお二方の議論に
ひきこまれる。

 

(3)尽きない議論

見田宗介の著書も対談も講義も、
真摯な読者や参加者の中に「思考の
芽」をまく。
そこから、尽きることのない「思考
の芽」である。

見田宗介は、数々の著書の「あとがき」
などで、くりかえし、尽きることの
ない議論のモチーフを投げかけること
を記している。

「こうだ、ああだ」ではなく、
そこから、くりかえし立ち上がる
トピックたちである。

この書籍も、くりかえし立ち上がる
問いを発し、議論を進め、そして
また次の問いが立ち上がる。

この問いと応答の中に、
ぼくたち自身のことはもちろんの
こと、「人と社会の未来」を考える
「思考の芽」がつまっている。



ぼくは、この小さな、でも美しい
書籍に、今後何度も立ち戻ってくる
と思う。

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「良い人」と「悪い人」を考える冒険 - シエラレオネ・東ティモールで考えたことを、香港の晴れた日に考える。

世界のいろいろな国・地域で、いろいろな国・地域の出身の人たちと話をしていて、「良い人」と「悪い人」の話になることがある。...Read On.

世界のいろいろな国・地域で、いろいろ
な国・地域の出身の人たちと話をして
いて、「良い人」と「悪い人」の話に
なることがある。

国境を越えての会話というコンテクスト
も作用し、
「良い人」と「悪い人」は世界どこにも
いる、という話になっていく。
だから、「悪い人」には気をつけよう、
という地点に会話が落ちついていく。

この視点は、一面では「正しい」けれど
ぼくはいつも気持ちがさわぐ。

より正確には、
人は誰しも(「例外」はどこでもあるが)
良い人にもなるし、悪い人にもなりうる
と、ぼくは思う。

映画「Star Wars」のダース・ベイダー
は「悪い人」だけれど、暗黒面のフォー
スに屈っする前は「良い人」であった。
また、悪い人でありながら、内奥には
「良い人」を抑えこんでいたりする。

ぼくは、2003年、内戦終結直後の
シエラレオネに、難民(国内避難民)の
緊急支援のため派遣された。

戦争の「傷跡」が、なまなましく、
ひろがっていた。
人の身体の傷はもちろんのこと、
人の心の傷は、心の原型をくずすところ
まで深いものであった。

落ち着きとある程度の秩序を取り戻して
いたシエラレオネだが、
いつ何が起こるかはわからない。
万全の安全対策で、気が張る生活が
つづいた。

そんな環境に身をおきながら、
ぼくは、時々、自分の内奥にひろがる
「暗い湖」を見ていた。
もし、この地で、秩序が壊れ、内戦に
突入したら。
戦いの只中におかれ、戦闘員として
生きのびていかなければならないと
したら。
ぼくは正気ではいられない
だろうという感覚がわきあがる。
「良い人」でいられる自信が「暗い湖」
の底にきえてしまった。

今(当時)は、国連の元で活動する
部隊のもとで、ひとまず「安全な環境・
秩序」が、つくられている。
だから、緊急支援を担う「良い人」で
いられる。

東ティモールにいたとき、
2006年、この「安全な環境・秩序」
が、くずれかかった。
首相は事態を収取できず、他国の軍隊
の出動を要請した。

オーストラリア軍がすぐに出動となり
空港に軍隊が配備されたりと、
秩序の回復が早急になされた。

東ティモールでは、独立以前の、
独立闘争の残酷で過酷な話を、
聞いていた。

そんな話を聞くたびに、ぼくは、
ぼくがその状況に置かれたら、どの
ように振るまうだろう、と考えずには
いられなかった。

このような経験を経て、ぼくは、
人は誰しもが良い人にもなるし、
悪い人にもなることを、実感値として
つみあげてきた。

だから、人として、また社会として
できることは、すくなくとも、
人が「悪い人」にならないような
環境をつくりだしていくことだ。

大川正彦が著書『正義』のなかで、
ジューディス・シュクラーの「恐怖
の自由主義」(<恐怖からの自由>
を軸にすえる自由主義)をとりあげ
ている。

この言葉と議論を、シエラレオネで、
東ティモールで、ぼくは、自問して
いた。

歴史学者ユバル・ノア・ハラリは
人間(サピエンス)が乗り越えて
きた問題・課題のひとつとして、
「戦争」を挙げている。

<恐怖からの自由>を用意する素地
が、社会にはできたのだ。

世界で、今も続いている「恐怖」の
現実の中で、しかし、希望は開かれて
いるはずだ。

ぼくたちは、誰しもが「悪い人」に
なりえてしまうことを身に引き受け、
そこから希望を開いていくという、
人それぞれの「責任」(response - 
ability=応答可能性)を、この時代の
「過渡期」で担っている。

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香港, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で考える「香港なるもの」の、3つのこと - 「黄大仙」寺院を訪れて。

香港の観光スポットである「黄大仙」の寺院(道教・仏教・儒教)に行ってきた。...Read On.

香港の観光スポットである「黄大仙」
の寺院(道教・仏教・儒教)に行って
きた。

*黄大仙寺院「Wikipedia」ページ
 

近くにあるためか、寺院の前を何度も
通り過ぎながら、10年間、一度も
行ったことがなかった。

混むことを予想し、朝9時30分頃には
到着した。
しかし、すでにツアー客(中国大陸と
韓国からのツアーが多い)でごった返
していた。

「黄大仙」の寺院を通じて、
ぼくは「香港なるもの」の3つのこと
を考えた。

 

(1)小さいけれど何でもある香港

イメージでは黄大仙寺院は、とても
大きいと勝手に思っていた。
でも、実際に行ってみて、非常に
コンパクトにまとまっていた。
庭園などもあるけれど、全体的に
小さい。

香港は、その中に、何でもある。
香港のすごいところだ。
けれども、小さい。

黄大仙のような寺院も、香港には
ある。
黄大仙寺院は立派な建築であり、
それはそれで素晴らしい。
けれど、規模は小さい。
(ただし、「占い館」の店舗数は
圧巻であった。)

 

(2)ビジネスへのコミットメント

ビジネスへのコミットメントは
熱いものがある。
その熱意には、いつもながら、感心
してしまう。

占い師たちは、通りがかるぼくたち
に声をかけてくる。
一所懸命な占いへの誘いである。

黄大仙の駅から寺院につながる道
では、ご年配の方々が、一所懸命に
お線香を売っている。
ご年配の方々は独自のルールで
一列に並び、順番で、声がけをして
くる。
(ぼくもかなり迫られた。)

「香港なるもの」を感じるひと時
である。

 

(3)喧騒の中の「修行」

寺院は喧騒につつまれていた。

寺院の脇も、寺院の中も、人が行き
交い、声がとぶ。

香港の喧騒の中での「祈り」は
相当にむずかしいことを感じる。

ぼくは特定の宗教をもたない。

でもマインドを落ちつかせる
メディテーションはする。

喧騒の中でも、喧騒をものとも
しない心と精神をもつことは、
ある意味「修行」である。

香港はそんな機会を与えてくれる。

10年で相当鍛えられてきた
ぼくも、まだまだであることを
感じたひと時であった。


それにしても、
やはり「体験」は大切であること
を感じさせてくれた、黄大仙。

「書を捨てよ、街に出よう」
(寺山修司)の実感値が上がった、
「黄大仙」であった。

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香港で、22年前の「旅」を振り返る - 「人との出会い」を考える。

1995年7月、初めて、香港に来た。飛行機でする旅としても、初めてであった。...Read On.

1995年7月、初めて、香港に来た。
飛行機でする旅としても、初めて

あった。

成田空港から、香港の(今はなき)
啓徳空港へのフライトであった。
今でもいつもそうなのだけれど、
「飛行機」が空を飛ぶという不思議さ
に、当時も思考の迷宮に陥っていた。

前年の1994年の夏は、
横浜港から上海への3泊4日のフェ
リーの旅であったこともあり、
たった3時間半ほどで日本から香港
へ着いてしまうことに、ぼくは
驚くばかりであった。

機内に乗り込む人たちを見ながら、
この人たちは、どんな思いで、飛行機
に乗って香港に向かうのだろうと、
ぼくは物思いにふけてしまう。

その機内で、ぼくの隣の席は、
若い日本人夫婦(のよう)であった。
夫である彼の方が、ぼくに話しかけて
きた。

彼らは中国生まれであった。
小学生くらいまでの人生を中国で
過ごし、それから日本に移った。
ご家族が在留孤児であったようだ。

彼は自衛隊に入隊し、
ひとまずの任期が終わり時間が
できたところで、旅に出たとのこと
であった。

機内ではいろいろな話をした。

自衛隊で、サリン事件で出動した
こと。
また、関西大震災でのことなど。

1995年は、1月に関西大震災、
そして3月には東京でサリン事件
が発生していた。

1995年3月20日、昼近くに、
ぼくは起床。
電車に乗って大学に向かうとき、
ぼくは、その路線のすぐ先で、
朝方にサリン事件が起きたことを
知った。

香港への旅は、同じ年の夏のこと
であった。

彼らに出会えて、いい人たちに
出会えたことを感謝した。

一人旅を通じて、ぼくは、
ほんとうに多くの人たちに出会
えた。
返還前の香港で、中国で、タイで
ベトナムで、ラオスで、ミャンマー
で。

その後も、シエラレオネ、東ティ
モール、香港で暮らしていく中で
いろいろな人たちに出会ってきた。

 

ぼくは「人との出会い」を考える。

第一に、出会ってきた人たちが、
ぼくの「内的な世界」を豊饒に
してくれた。

東京の部屋を出て、世界に飛び出
してみて、ぼくの「内的な世界」
は、いろいろな人たちと出会う中
で書き換えられていった。

「内的な世界」が、砂漠のようで
あるとしたら、
そこに木が植えられ、オアシスが
でき、街ができ、人が行き交い、
そのようにして「世界」ができて
いくようであった。

「自分(という現象)」は、
他者の集積でもある。
他者の「声」が、内化されて、
「自分」という現象が形成されて
いく。

「自分」は、その本質にして、
一人ではなく、他者の集まりで
ある。

出会いが与えてくれたことの
二つ目は、
「いろいろな生き方」や「いろ
いろな人生」があってもよいのだ
という感覚であった。

それまでは、人生は大別すると
二つしかないと思っていた。
レールにのる人生と
レールにのらない人生。
今思うとバカバカしいけれど、
当時のぼくは真剣に悩んでいた。

世界のいろいろなところで
世界のいろいろな国・地域の
人たちに出会う中で、この感覚と
考え方が崩れた。

人生は、カテゴリー化を許さない
のだと。
人の数だけ、人生はあるのだと。

だから、ぼくも、
魅力的な人生をつくっていきたい。
他者の「内的な世界」を豊饒化
するような生き方であり、
人生の数は人の数だけあるという
生き方である。

ぼくの(そして、ぼくと人生の
パートナーの)人生の旅は、まだ
始まったばかりだ。

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香港で、22年前の「ぼく」に出会う -「夢よりも深い覚醒」(見田宗介)という生き方。

香港の重慶大厦(チョンキン・マンション)の前で、ぼくは、22年前の「ぼく」に出会う。...Read On.

香港の重慶大厦(チョンキン・マンシ
ョン)の前で、ぼくは、22年前の
「ぼく」に出会う。

ぼくは、1995年7月15日、はじめて
訪れた香港
の街をさまよった挙句に、
やっとの思いで重慶大厦に到着した。

2017年のぼくは、重慶大厦の前で、
バックパックを背負い、一人で、香港
や海外を歩いていた「ぼく」を見たのだ。

1995年のぼくは、このめくるめく香港
という「大きな世界」で、不安と興奮の
内におかれていた。

2017年のぼくは、1995年、どのように
このエリアを「さまよった」のか、
わからない。

ぼくには、ふたつの気持ちが湧き上が
った。
ひとつは、ドライに、こんな小さな空間
で、どうして迷ったんだ、という気持ち。
もうひとつは、1995年に感じた「大きな
世界」に今更ながら入りこみ、そこで
不安と興奮をかかえこむ気持ちである。

ふと、社会学者・見田宗介(=真木悠介)
の、鮮やかな文章が脳裏によみがえる。

その文章は、竹田青嗣の著書『陽水の
快楽』によせられた、見田の「解説」
であった。

見田宗介は、音楽家の井上陽水が
竹田青嗣にとってどのような存在で
あるのかを、こんな風に表現している。

 

『招待状のないショー』(1976年)
の絶唱「結詞」に至る陽水の仕事の
うちに竹田が聴くのは、つぎのような
ことだ。
 青春の夢を必ず訪れる挫折をとお
して、「ひとは、憧憬や感傷や理想
を奥歯で咬み殺すリアリストになる。
陽水にもその痛恨が滲みなかった
はずがないが、彼は自分の中の
リアリストの方を噛み殺したのだ。」
 夢から醒める、ということが、
感動の解体であるばかりでなく、
いっそう深い感動の獲得でもある、
というところにつきぬけていく力
として、陽水は竹田にとってある
ようにぼくにはみえる。

見田宗介「夢よりも深い覚醒へ
ー竹田青嗣『陽水の快楽』」
『定本 見田宗介著作集X』所収



この「解説」は、「人生の生き方」
を変える力をもつ文章である。
少なくとも、ぼくは、この文章に
心から共感し、励まされてもきた。

2017年のぼくは、1995年の
「ぼく」に向かって、したり顔で
「香港の街は知っているよ」と、
声をかけたくなる。

けれどもぼくは、「心の深い地層」
では、あの「大きな世界」で、
不安と興奮が呼び覚まされている。

「夢よりも深い覚醒」へ。

2017年に「重慶大厦」の前で
出会った1995年の「ぼく」は、
2017年のぼくを、夢よりも深い
覚醒に、いざなってくれたように
ぼくは感じている。

ぼくは、リアリストの方を
噛み殺したのだ。

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香港, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で、香港の記憶をめぐる - 「重慶大厦」に「1995年の記憶」をみる。

香港は、ビクトリア湾を境に、香港島と九龍・新界側にわかれている。Tsim Sha Tsuiは九龍側の先端に位置し、香港島の美しい風景に面している。...Read On.

香港は、ビクトリア湾を境に、
香港島と九龍・新界側にわかれて
いる。
Tsim Sha Tsuiは九龍側の先端に
位置し、香港島の美しい風景に
面している。

そのTsim Sha Tsuiに、「重慶大厦」
(チョンキン・マンション)が佇ん
でいる。
重慶大厦は、安宿が集合している
建物である。
主要道路であるネーザンロードで、
その存在感を放っている。

1995年7月15日。
ぼくは、はじめて、香港の地に降り
立った。
香港はまだ、イギリス統治下であっ
た。
ぼくにとっては、はじめての飛行機
による旅でもあった。
前年1994年の中国旅行は、
日本から/へフェリーを利用した
ため、はじめての飛行機による旅
であった。

バックパッカーたちの情報からは
重慶大厦は安宿として有名であった。
だから、ぼくも、重慶大厦を目指し
た。
もちろん、予約などせずに、飛び
込みでいくつもりであった。

香港空港は今とは場所が異なり、
住宅街に突如とあらわれる啓徳空港
であった。
その位置から着地が難しいなど、
当時はまったく知らず、スリリング
な着地は、機内で拍手を巻き起こした。

夜10時にさしかかるところであった。
香港は雨が降っていた。

入国審査に時間がかかる。
バスの路線がまったく理解できない。
不安だけがつのっていく。

外国人バックパッカー群が、
乗り降りするところで、ぼくも
乗り降りをする。

バスを降りると、
そこには「香港の街」が広がっていた。
雑多で喧騒の通りが、ぼくを迎えた。

コンビニや東急などの都会に様相に、
ぼくは安堵とともにがっかりした。

ぼくは、その香港の街を、バック
パックを背負って、さまよった。
2時間以上もさまよい、時計は
夜中の12時をすでに超えていた。

飛行機で隣りに座っていた日本人
夫婦は、すでにホテルに着いている
だろうかと、気にかかった。

宿探しに途方に暮れ、
マクドナルドで休憩することにした。
マクドナルドで座りながら、考える。
宿をあきらめ街をふらつくか、
もう一度探すか。
考えた末、ぼくはもう一度トライ
することに決めた。

新たな決心のもとに5分ほど歩くと
ぼくは、安宿があるエリアに戻って
きていることに気づいた。
「よし」と、力がわいてくる。

歩きに力が入る。ぼくは、そうして
「重慶大厦」の文字を見つけたのだ。

夜中の1時になろうとしているとこ
ろであった。

こんな時間に宿を見つけられるか
わからなかったけれど、
適当な安宿の前で、入り口のベルを
ならす。

誰もでてくる気配がなく、
ぼくは、あきらめと共に、引き返す。

それと同時に、ドアが開く音が響く。

宿の管理人と思われる、ヨーロッパ
系の女性が、ぼくを招き入れてくれた。
ぼくは拙い英語で、しかし興奮気味に
泊まりたい旨を伝えていた。
こうして、ぼくは、宿のドミトリーに
泊まることができた。


あれから、22年の歳月が流れようと
している。

こうして、香港に住み、重慶大厦を
眺める。

改装された重慶大厦は、今も、
そこに存在感を放っている。

そこに、ぼくは、香港の記憶を
めぐる。
香港にいながら、香港の記憶を
めぐる。

今となっては、はじめて香港に到着
した夜、どこの道をどうやって、
さまよっていたのか、わからない。
あのマクドナルドが、どこのマクド
ナルドだったのかもわからない。

ただ、ぼくは、確かに、この地に
降り立ち、さまよい、重慶大厦に
辿りついた。

それは、子供のとき、不安と興奮で、
裏山を「探検」したときと似ている。
大人になったとき、その裏山を
訪れると、探検という言葉には
似合わない程の場所であった。
でも、子供のときには、そこが、
ひとつの「大きな世界」であった。

そして、あの旅で、
ぼくは、香港に将来仕事で来る
ような「予感」を抱き、
ぼくは、今こうして香港にいる。

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海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

聴いて「一石十鳥」のPodcast - Tim Ferris Show & James Altucher Show

「小さなステップ」を踏み出し、歩み続け、切り開いていく道のりで、聴いて「一石十鳥」のPodcastに、ぼくはインスピレーションを受けている。...Read On.

「小さなステップ」を踏み出し、
歩み続け、切り開いていく道のりで、
聴いて「一石十鳥」のPodcastに
ぼくはインスピレーションを受けて
いる。

この二つのPodcast(英語)である。


- The Tim Ferris Show

- The James Altucher Show
 

どちらも、世界のトップパフォーマー
にインタビューを行うPodcast。
作家や大学教授、デザイナーやアー
ティスト、起業家など様々なゲストが
呼ばれる。

週1ほどで定期的にアップロードされ
一話は1時間から2時間である。

一石「十鳥」は、この通りである。
 

1. 「英語」のブラッシュアップ

英語の聞き取りの練習になる。
世界のトップパフォーマーたちの
話を聞きながら英語を学べる。

 

2. 1週間のリズムをつくる

週ごとにアップロードされるので
これを聞くことで、週のリズムを
つくっていくことができる。

 

3. トップパフォーマーの仕事

トップパフォーマーたちの、
それぞれの仕事を知ることができる。
その業界でどのようなことが起きて
今後どのようになっていくのかなど、
最新の「声」を聞くことができる。

 

4. トップパフォーマーの知恵

どちらのShowも、トップパフォー
マーたちの「知恵」を探りだして
いく。
生活習慣から、生きていくことの
アドバイスまで。
ゲストそれぞれの「伝記」的な
話を聞くこともできる。
ぼくもそこから学び、実践して
きている。

 

5. Recommended Booksの充実

ゲストたちは、推薦書籍を挙げて
いく。
このリストはとても充実している。
ぼくも気になるものがあれば、すぐ
に購入して読む。


6. インタビューの仕方の学び

Tim FerrisとJames Altucherの
インタビューの仕方を学ぶことが
できる。
どのようにして、ゲストの話を
聞き出していくか。
うまくいくときもあれば、
噛み合わないときもある。
しかし、質問自体を含め、学び
の多いインタビューである。

 

7. Tim Ferris & Jamesの知恵

インタビューアーである
Tim FerrisとJames Altucherから
も学ぶことができる。

 

8. Podcastの作り方

Podcastがどのように作られて
いくのかを学ぶこともできる。
構成から内容、ゲストの選択や
呼び方まで。
James Altucherは、ブログで
Podcastの作り方・改善の仕方を
共有している。

 

9. Podcastの発展形式

Podcastが、例えば書籍になって
いく過程などがわかる。
Tim FerrisもJamesも、
Podcastの学びをベースに
ベストセラーの書籍をつくり
だしている。

 

10. よりよく生きる「仲間」

Tim FerrisもJamesも、
それから様々なゲストも、
よりよく生きていけるよう、
それぞれに力を尽くしている。
よりよく生きる「仲間」の
ような感覚をもつことができる。

 

「一石十鳥」のPodcastである。
それにしても、Podcastは相当に
パワフルな媒体である。
これが無料である。

今週もたくさんの学びと気づきを
得た。
聞きながら感じたこと。それは
将来、ぼくも、このような
Podcastをつくりたい。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「小さなステップ」を踏み、歩き続け、開いていく - 「世界」の裂け目。

どんなことも、何かを成し遂げるには「小さなステップ」からである。...Read On.

どんなことも、何かを成し遂げるには
「小さなステップ」からである。

「小さなステップ」を踏むことの
大切さは、何度言っても言い足りる
ことがない。
そこで、人生の行く末が決まって
しまう程である。
だから、ぼくは、自分に言い聞かせ
ながら、感覚を大事にして「一歩」
を踏み出していく。

7年程前に、香港で、マラソンに
チャレンジしたときも、
小さなステップを大切に、積み上
げていった。
最初は10分ほどで息をきらして
いたけれど、2年程で、香港の
フルマラソンを完走した。

そして、先月から、
週6日走るように「小さなステッ
プ」を踏んだ。
フルマラソン完走が目的ではなく
人生の舵をきっていくための
「一歩」である。

「小さなステップ」はしかし、
踏むことの先をいくことが大切で
ある。

  1. 「小さな一歩」を踏む
  2. 「一歩」を踏み続ける
  3. 「一歩」の内・外に気づきを得る

一歩を踏み、続けていくことは
もちろんである。
最近では「習慣化」などがよく
語られて、踏み続けていくことに
焦点があてられる。

そこに、もうひとつ3段階目を
加える。

それが、一歩の「内」に気づき
を得ていくことである。
また、一歩の「外」に気づきを
得ていくことである。
そうして「自分という殻」に
裂け目ができていく。

特に、一歩の「外」に気づきを
得ること。
「走ること」を続けていくこと
で、走ることの他に「何か」が
かわっていく。
「姿勢を変えること」を続けて
いくことで、姿勢とは別に
「何か」がかわっていく。
その「何か」をつかむことで
ある。

「自分」というものは、
「システム」である。

真木悠介が名著『自我の起原』で
鮮やかに論じたように、人間の
身体は「共生のシステム」である。

また、自我・マインドも、創出
された「システム」である。

ひとつが変わると、他も変わる。
あるいは、
ひとつを変えてみると、
他も変えたくなる。
その裂け目を、小さなステップ
の中で、つかんでいくこと。
世界を開いていくこと。

真木悠介の名著『気流の鳴る音』
は、次のような言葉の引用で
終わっている。

 

「夜明けの光は世界と世界の
あいだの裂け目だ。それは
未知なるものへの扉だ。」

真木悠介『気流の鳴る音』
(ちくま学芸文庫)

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社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima 社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima

4年たっても、忘れない動画 -「Creativity x Skill x Heart」がつくりだす感動。

YouTubeでは毎日、数限りない動画がアップロードされている。そのYouTubeの中で、見てから4年たっても、忘れない動画がある。... Read More.

YouTubeでは毎日、数限りない動画
がアップロードされている。

そのYouTubeの中で、見てから
4年たっても、忘れない動画がある。

ぼくは、折にふれて、その動画を思い
出す。

Doveの「Real Beauty Sketches」
である。

2013年に動画がアップされ、以来、
短いバージョン(3分)と長いバージョ
ン(6分)をあわせて、7千万以上も
観られている。

【YouTubeリンク】
- Dove: Real Beauty Sketches (6mins)
- Dove: Real Beauty Sketches (3mins)
- 3分バージョンの日本語字幕版

「Real Beauty Sketches」プロジェ
クトの「すごいところ」は、次の3つ
のポイントに集約される。

  1. 「手法」の斬新さ
  2. 才能の「使い道」の転回
  3. セルフ・イメージの解放

手法の斬新さにはじまり、
「犯罪者の似顔絵師としての力」を
「美しさ」を軸に転回させる仕方に
ぼくは心が動かされる。

参加した女性たちのセルフ・イメー
ジ(ここでは狭義の意味)が、
描くという力で、「見える化」され
ていくことにも、ただただ、感動
してしまう。

その「貧しい」セルフ・イメージが
描く力で、瞬間的に、転回される
光景に、言葉がでない。

映像をつたって、それが伝わって
くる。

そして、これら3つが美しい映像で
紡がれ、そこに「物語」を内包して
視聴者に届けられる。

このプロジェクトを観るたびに、
自分のセルフ・イメージに思いを
よせ、そしてぼくもこんな映像が
つくれたらと思う。

「動画」というメディアは、時代を
経るにつれて、その「影響力」を
増してきている。
SNSでも、ホームページでも、
動画はあらゆる場面でとりこまれて
きている。
VRは新しい世界をひらいていく。

「Real Beauty Sketches」は、
人を、あるいは人との関係性
(セルフ・イメージは本質的に関係
性の投影でもある)を、
クリエイティブに、感動的に、
変える力をもつ。

「Creativity x Skill x Heart」
= 感動(と行動)

感動は、きっと、参加者たちの
行動も創出していったはずだ。

ぼくの「個人ミッション」は、
同じ方向性をもっている。
描く力を魅せてくれたGil Zamora氏
に深く感謝である。

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香港, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で、「静けさ」を確保する3つの方法 - 人混みに疲れたときに。

香港は、活気と躍動感に充ちたところである。どこにいっても人の流れがあり、人混みが香港のエネルギーをつくりだしている。...Read More.

香港は、活気と躍動感に充ちたところ
である。
どこにいっても人の流れがあり、
人混みが香港のエネルギーをつくり
だしている。
そんな空間にいると、
「香港にいるなあ」と香港を感じる。

ちょっとした旅行で香港にくるときは、
このパワーをもらって帰国したりする。
しかし、香港に住むとなると、この
人混みに、時に疲れてしまうときが
ある。

10年前に香港にきた当初は、
この人混みにやられてしまった。

香港にくる前に住んでいた東ティモー
ルは、(当時)信号もない国で、
人混みには程遠い場所であったことも
ある。

ぼくは「静けさ」を確保するための
3つの方法をとってきた。

 

(1)「時間差」を利用する

世界の都会はどこもそうだけれど、
「ラッシュアワー」は混む。
電車にはじまり、レストランも
人にあふれる。

だからシンプルに時間差を利用する。
特に「早めに」何かをする。

朝早く起きる。
週末のお昼は11時にとる。
週末の夕食は18時にとる。

都会は「夜ふかし」である。
だから、早めをこころがける。

 

(2)「中心」を避ける

香港は、都会が中心に向かって
密集しているような空間である。

ビジネスはその店舗などを、
その密集した中心に集結させて
いく。
小売やレストランにとって
場所は致命的なほど重要である。
ショッピングモールに人は集まっ
たりする。

この「中心」を避けていくことで
静かな空間をみつける。

また、香港の人たちの多くは、
便利を好む傾向にあり、「遠く」
の場所はすいている。

 

(3)「自然」にふれる

都会の香港だけれど、
実は自然にかこまれている。

海も山も、近くにひろがっている。
海のスポーツも、トレッキングも、
機会が大きくひらかれている。

だから、自然を活用しない手は
ない。

週日は仕事が忙しい場合でも、
週末にはこれら3つの方法をとる。

また、週日にも、ちょっとした
「静かな時間」をもつ。

その静かな時間と空間の中で、
「ほんとうに大切なこと」を考える。

自分軸の「ぶれ」を見つめて直す
ために、また、生きていくことの
舵を切るための「一人作戦会議」を
するために、ぼくは、そんな時間と
空間を重宝している。

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「戦争の反対語は『文明』」から考える - 人類の「未解決」の課題。

「文明に向かって」(Toward civilization)
と題されたSeth Godinのブログ(英語)

は、次のような引用ではじまっている。

 

If war has an opposite, it’s not peace,
it’s civilization. 
(inspired by Ursula LeGuin writings
in 1969)

 

「戦争の反対語があるとすれば、
それは平和ではなく、文明だ。」という
言葉に考えさせられてしまう。

文明を逆戻りするという思想への警鐘
でもあるけれど、ここでは、3段階で
議論の方向性をすすめておきたい。
歴史家Yuval Noah Harariと
社会学者の見田宗介を手がかりに。

 

(1)「サピエンス」の共同性

歴史家のYuval Harariは、われわれ
人類(サピエンス)の特徴は、
他の哺乳類に見られない「大規模に
協力できること」を挙げている。
それを媒介するのが「物語」である。
人類は、物語を媒介に、協力すること
ができる。

「お金という物語」は、文明社会、
近代・現代の人たちの全域に広がって
きたものだ。

ただし「物語」はいろいろにつくられ
それぞれの「共同体」に共有されていく。

「物語」によっては破壊的な物語が
あり、争いや大規模な戦争につながる
こともある。

 

(2)「戦争」の次にくる課題

ただし、Yuval Harariが著書『Homo
Deus』で指摘するように
人類は「飢饉、伝染病、戦争」を
管理可能な課題にまでもってきた。

テロリズムも、問題だけれども、
テロで亡くなる人は、例えば、世界の
「自殺人数」よりも少ない。

Yuval Harariは、人類が次に直面する
課題は、次の3つとしている。

・不死
・幸せ/至福
・「神的な領域」に入ること

この内、戦争への直接的な契機として
「幸せではないこと」がありえる。

だから、この「幸せ」の領域を
人類がつきつめて解決していけば、
戦争はさらに管理可能なものとなる
可能性がある。

「文明」をつきつめていき、「神的
な領域」へ人類をアップグレード
させる工学的アプローチ(生物、
サイボーグ、非有機物)は、そのこと
に大きく貢献するかもしれない。

 

(3)「関係の絶対性」という課題

工学的アプローチで、例えば脳や体内
分泌等をコントロールするなどして
「幸せ」をつくりだす方向性は、
しかし、社会の構造がつくりだす
「関係の絶対性」とその帰結の問題を
残してしまう。

社会学者の見田宗介は、「文明の基本
の思想の原型たち」(巨大な思想、
哲学、宗教など)が解決し残した課題
として、この「関係の絶対性」を挙げて
いる。

「関係の絶対性」とは、
ぼくたち個人の良心や思想などに関係
なく、社会が、客観的な関係として
創出してしまう「絶対的な敵対関係」で
ある。
(ぼくは、小さいころから、この
客観的な敵対関係を「自分の問題」と
して悩み続けてきた。)

貨幣経済などを媒介に、社会は、
客観的に・遠隔的に、他の社会を収奪
している。

見田宗介は「911」を振り返り、
テロリズムの撲滅に対して次のように
展開している。


世界中に逃げ散ってひそむテロリズム
の息の根を止めることができるのは、
アラブと五つの大陸の貧しい民衆だけ
です。
 アラブと五つの大陸の貧しい民衆が
「おまえはいらない」というときに
はじめて、テロリズムはほんとうに
消える。

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
 

「関係の絶対性」は、テロリズムを
つくり、希求し、容認する人たちを
排出していく。
「関係の絶対性」は、テロリズムを
正当化してしまう。

文明を逆戻りするのではなく、文明を
つきつめていくことは、さしあたり
ただしい。
人類は、文明を通じて、3つの課題
(飢饉、伝染病、戦争)を乗り越え
つつある。
しかし、文明の「つきつめる方向性」
と「つきつめ方」を、想像力豊かに
構想していくことがもとめられる。

「文明の思想の原型たち」は、見田
宗介がいうように、「関係の絶対性」
を未解決の問題として残してきた。

だから、この「関係の絶対性」を
転回する思想がもとめられる。
そこで、Yuval Harariが指摘する、
人類の大規模な共同性が、交錯して
くる。
そして共同性をつくる「物語」。
Yuvalがいうように、そこには
大胆な「イマジネーション」が必要だ。

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