セス・ゴーディン作『What to Do When It's Your Turn』-「責任」から<責任>へと開くこと。
ぼくは小さい頃から、自分の強みはという問いへの応答として、「責任感が強い」ということを挙げてきた。...Read On.
ぼくは小さい頃から、自分の強みはと
いう問いへの応答として、「責任感が
強い」ということを挙げてきた。
「責任」をもって、役割をこなすこと。
「責任」をもって、やるべきことをする
こと。
グループ、チーム、組織の中で求められる
「役割・責務」を果たす。
これはこれで大切なことである。
でも、生きるなかで、どこか、
「ひっかかり」を感じてきたことでもある。
うまくいかないことの連続の中で、
「責任」から<責任>へ、ということを
考え始めた。
その転回は、「自分の人生への責任」と
いうことである。
責任は、英語では「responsibility」。
用語を分解すると、
「response + ability」である。
「責任」は、まずは「他者への応答」
(response)である。
そして、<責任>は、第一に「自分の
生への応答」である。
しかし、<責任>も、実は、深い層では
他者へ応答である。
深い層にひびく、他者による呼びかけへ
の応答である。
セス・ゴーディン(Seth Godin)作の
『What to Do When It's Your Turn』は
2014年に世に出た。
「セス・ゴーディン著」ではなく、
「セス・ゴーディン作」としたのは、
装丁と内容が「作」(作品)とするのに
ふさわしいからである。
言葉と写真と絵画で織られた美しい作品で
ある。
これは、
・注文はオンラインのみ
・プリント版のみ
という特別な作品であった。
作品を通して、ぼくたちに呼びかける。
副題にあるように、
「あなたの番だよ」と。
副題の原題は、
[and it’s always your turn]である。
「表紙の女性」は、70年程前に他界した
アニー・ケニー(Annie Kenney)である。
アニーは、英国の工場ワーカーであり、
初期の婦人参政権論者であった。
1905年のタウンホール・ミーティングで、
アニーはある議員に対して女性の投票権に
ついての質疑を投げかける。
そのやりとりの結果、彼女は3日間投獄
されることになってしまった。
この彼女の勇気が運動を拡大させ、
結果として、世界を変えるにいたった。
多くの女性がこの運動において
「自分の順番」をひきうけることができたはずだ。
しかし、立ち上がり、「自分の番」を
ひきうけたのは、アニーであった。
アニーは、家庭においても、
女性参政権運動においても、
特定の「役割」を担い、責任をもって
遂行していたはずである。
運動に参加している女性たちと同じように。
しかし、アニーは、「責任」を<責任>へ
と開いたのでもあったと思う。
開かれた<責任>は、自分の人生への責任
であり、(そしてだからこそ、)他者の生への
責任に応答することでもある。
アニーは、「責任」を<責任>へと開きな
がら、「自分の番」をひきとったのである。
立ち上がり、他者たちの前に「現れ」、
他者たちをリードしたのである。
表紙のアニー・ケニーの眼に宿る決断と
勇気、セス・ゴーディンのタイトル(と
副題)に込められた「呼びかけ」が、
ぼくを、常に見つめている。
そして、ぼくに、呼びかけてくる。
大切なのは、
自分の人生に<責任>をとること。
自分の順番になったときに、その機会を
とらえること。
そして、
実は「常に、あなたの番なのだよ」と。
香港で、「街の空間」を考える。- 「街の路地裏」に身を投じて。
香港に住むようになって、10年が経過した。住み始めた当初は「街の空間」の印象は、次のようなものであった。...Read On.
香港に住むようになって、10年が
経過した。
住み始めた当初は「街の空間」の
印象は、次のようなものであった。
・高層ビルが多いこと
・密集していること
・雑多な空間であること
「高層ビル」は、オフィス用だけ
でなく、人々の住まいであるマン
ションも高層ビルが一面に続いて
いる。
香港は、東京都の半分ほどの面積
に、700万人以上が暮らしている。
まだ、今も、人口は増えていると
いう。
だから、「空間」は貴重である。
ビルは、横ではなく、上に向かっ
て伸びていく。
ぼくは、そんな空間に、暮らして
きた。
香港はアジア各地への「ハブ」的
な位置にあり、旅をする拠点とし
ては絶好の場所である。
2011年か2012年頃に、ぼくは、
初めて台湾に行った。
香港から1時間40分ほどのフライ
ト時間である。
空港から台北の街の中心に向かう
バスから、窓の外を眺めていた
ぼくは、「ひっかかり」を感じて
いた。
空が広いこと、街の空間が日本に
似ていたことも印象的ではあった
けれど、それだけではなかった。
「あっ」
と、ぼくは気づいた。
気づいたのは、
一軒家が多いことに。
高層ビルが香港に比べ少ないこと
を感じながら、その裏返しとして
「一軒家」が多いことに気づいた
のだ。
それは、ほっとする感覚をぼくに
与えたことを、今でも、覚えて
いる。
そんな「視点」をもちかえり、
ぼくは香港の街の空間をみてきた。
香港も、中心部を離れ、緑の木々
たちがいっぱいに広がる空間に
立ち入ると、風景が一変してくる。
高層ビルだけでなく、
「村」の風景が眼にはいってくる。
村にはコミュニティがある。
そして、そこには、昔ながらの
一軒家が連なっている。
そんな「街の路地裏」の迷宮に
はいる。
数十年前の風景が残っている。
店舗のつくりも、そこにかかる
看板も、そんな名残をいっぱい
に放っている。
そんな「街の路地裏」に身を投じ
ながら、ぼくは考える。
「街の空間」は、そこに住む人々
の心身の持ちように、大きく影響
を与えるだろうことを。
また、人と人との「関係性」に
影響するだろうことを。
香港は、今も各地で、高層ビルの
建設が盛んに行われている。
新しいマンションの敷地の中には
一軒家とマンション棟が兼在して
いたりするのを見る。
そんな風景を眼の前にしながら
香港の社会はどこに向かうのだろう
かと、勝手に思いをめぐらしている。
「マーケティングとは?」にどう応答するか?。- セス・ゴーディン(Seth Godin)の「語り」に震える。
「マーケティングとは?」という問いかけに、ぼくたちはどのように応答することができるだろうか。...Read On.
「マーケティング」という言葉には、
時代につくられた意味が詰め込まれて
いる。
「マーケティングとは?」という問い
かけに、ぼくたちはどのように応答
することができるだろうか。
世界的なマーケッターである
Seth Godin(セス・ゴーディン)は、
James Altucherによるインタビュー
の中で、彼の以前の著書『Tribes』
に触れながら、このように語る。
…『Tribes』が言っているのは、
こういうことなのです。
誰もが立ち上がり、リードすること
ができる今となって、
つまり、誰もがメディアチャネルを
持つことができ、誰もが繋がりを
つくることができる中で、
あなたは(人々を/トライブを)
リードすることを選択しますか?
そして、もしあなたがリードすると
したら、誰を、あなたはリードしま
すか?
どのように、あなたがリードする
人々を繋げていきますか?
それが、マーケティングなのです。
でも、それが生きること(life)
でもあるのです。
Podcast: The James Altucher Show
Ep. 194: Seth Godin
ぼくは、Sethがこのように語る
のを聴きながら、身体が震えた。
マーケティングという言葉の表層
の意味合いが、Seth Godinの語り
をたよりに、一気にコアの部分に
到達したような感覚である。
だから、何度もこの文章を見て、
幾度もインタビューのこの部分を
聴く。
ぼくの思考と心に、
この「語り」をしずかに通過させる。
Seth Godinの著書『Tribes』
(邦訳:『トライブ - 新しい“組織”
の未来形』)は、Sethの2008年の
仕事である。
原書に付された副題は、日本語の
邦訳とはまったくことなり、
「WE NEED YOU TO LEAD US」
である。
それは、あなたへの、ぼくへの、
「呼びかけ」である。
『Tribes』から5年程を経過して、
Sethはとても素敵な書籍を、
オンラインでのオーダーだけで、
そしてハードカバーのみで、世に
放った。
その書籍のタイトルも、
あなたへの、ぼくへの「呼びかけ」
である。
『WHAT TO DO WHEN IT’S
YOUR TURN』
(「あなたの順番がきたときに
すべきこと」)
副題は、このように加えられる。
[and it’s always your turn]
そう、「そして、いつも、あなた
の番だよ」と。
Sethは、これらの仕事を通じて、
人々をリードし、つなげている。
「マーケティング」している。
そして、これが「生きる」という
ことであるところに、Sethの生は
賭けられている。
追伸:
Seth Godinの『Tribes』は、
ぼくにとって「ずっと気になって
いたけれど読まずにいた本」の一冊
でした。
ぼくは、早速、原書をキンドルで
手に入れました。
発刊から10年近く経って、ようやく
ぼくが追いついたようです。
でも、10年もかかってしまった。
そして、Sethは、さらに、
「はるか、その先」に行っている。
他者からのコメントなどが自分の感情を揺さぶるときに。- 「感情を掘り起こすこと」を楽しむ。
他者が、自分の態度や行動についてコメントしたりフィードバックを投げかけてくれることがある。プライベートでも、仕事でも。...Read On.
他者が、自分の態度や行動について
コメントしたりフィードバックを投げ
かけてくれることがある。
プライベートでも、仕事でも。
もらったコメントやフィードバックを
注意深く聴きながら、それらは、
大きく二つに分けられる。
●なんらかの「感情」が湧くこと
●どんな「感情」も湧かないこと
聴きながら、イライラやフラストレー
ション、怒りなどの「感情」が湧いて
くることが、しばしばある。
聴く途中で、自分の感情に飲まれて、
言ってくれている他者に対し、
感情的な言葉を投げ返してしまうこと
があったりする。
コメントやフィードバックの内容に
対して、自分はそう思わない、自分は
ああだ・こうだ、と感情的な言葉を
並べる。
自分の感情が揺さぶられるような
コメントやフィードバックには、
なんらかの「真実」が含まれている
ものである。
でも、この「真実」に切り込んでいく
ことは、「感情の海」に放りこまれ、
心が痛んだり、居心地の悪さを極度に
感じることもあるから、どうしても
避けたくなる。
感情とその感情に眠る経験を掘り起こ
したくはなかったりする。
このような「感情を掘り起こす」機会
が訪れることを、楽しみに待ち、楽し
く掘り起こしていくことを、ぼくは、
次の著作シリーズから学んだ。
Robert Scheinfeldの著作シリーズで
ある。
●『Busting Loose from the Money Game』
(邦訳『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』)
●『Busting Loose from the Business Game』
(邦訳『「ビジネスゲーム」から自由になる法』)
方法の詳細は、これらの本たちの全体
が関わってくるため、ぜひ、読んで試し
てほしい。
(*ぼくは英語で読みました。邦訳は
読んでいません。なかなか手強い本で
す。)
Robert Scheinfeldは、
この「掘り起こす」作業を、
「雲をドリルで掘り起こす」という
比喩に例えている。
感情が揺さぶられる「地点」をドリル
で掘り起こしていくことで、
厚く覆っていた「雲」がとりのぞかれ
そこから「太陽の光」が差しこんでくる。
どんなに雲が厚く覆っていても、
「太陽」はいつもそこに在る。
その掘り起こすべき「地点」に、
ぼくたちは過去から通じる「物語」を
勝手に構築してきてしまったのだ。
ぼくたちから「力を奪ってしまう物語」を。
ドリルで掘り起こす「地点」がわかる
ということは楽しいことだし、
それで太陽の光がさしこんでくるので
あれば、それは楽しい作業となる。
そこに人生を変えていく「秘密」が
埋まっているというようにも考えること
もできる。
ぼくはそのようにして、
感情を掘り起こす作業をしてきたけれど、
「感情の地層」が何層にも重なっている
のを、よく見つける。
まだまだ、感情の地層にねりこまれた
「物語」をドリルで掘り起こし、
解体する作業がつづいていく。
その深さに気づき、驚きと共に、作業
継続のコミットメントを自分自身に誓う。
言葉が言葉としての力を取り戻していくことに向かって。
小説家だから「社会的発言」をしなくてもよい、とは考えていない村上春樹は、この世界の状況の中で、
「社会的発言」の方法を模索していることに触れている。...Read On.
作家・村上春樹は、
川上未映子によるインタビューの中で、
デビュー当初に、社会的発言をして
こなかった理由として、
学生運動の時期に「言葉が消耗されて
無駄に終わってしまったことへの怒り」
を語っている。
小説家だから「社会的発言」をしなく
てもよい、とは考えていない村上春樹
は、この世界の状況の中で、
「社会的発言」の方法を模索している
ことに触れている。
…かつてよく言われたような、「街に
出て行動しろ、通りに出て叫べ」と
いうようなものではなく、じゃあどう
いった方法をとればいいのかを、模索
しているところです。メッセージが
いちばんうまく届くような言葉の選び
方、場所の作り方を見つけていきたい
というのが、今の率直な僕の気持ちで
す。
『みみずくは黄昏に飛びたつー
川上未映子訊く/村上春樹語るー』
(新潮社)
この「模索」は、言葉が言葉としての
力を失ってきた世界では、容易では
ない。
そして、深くほりさげられた思想も
どこかで「通俗化」されてしまうよう
な磁場の中に、ぼくたちはいる。
社会学者・見田宗介は、このように
ひとつの論考を書き始めている。
どんな思想も、通俗化という運命を
逃れることができない。制度として
の「仏教」とか「キリスト教」、
通俗の語彙としての「プラトニック
・ラブ」とか「エピキュリアン」、
公式化された「マルクス主義」とか
「フロイト主義」…。…これらの
ものは、…第一義的には、それぞれ
の社会現象である。…それぞれの
思想者の名前を呼びよせ、ある特定
の方向に一面化し、単純化し、平板
化することを愛好し、必要とさえす
る力は、時代時代の社会の構造の力
学の内に根拠をもっている。思想が
大衆をつかむのではなく、大衆が
思想をつかむのである。
「声と耳 現代文化の理論への助走」
『岩波講座 現代社会学:現代社会
の社会学①』
ひとつの思想を、その深みにおりて
読み、理解することがなされないま
まに、それは「通俗化」されていく。
社会的発言は、社会の力学に絡め
取られてしまう。
このような力学を敏感に察知する
村上春樹は、より直接な社会的発言
を、なかなか出せずにきている。
ただし、村上春樹がいくつかの受賞
式という、世界の注目が集まりやす
い場で、社会的なメッセージを、
受賞スピーチに、丁寧にのせる形で
行ってきたことが、みてとれる。
「通俗化」の網を、すりぬけるよう
な言葉が、丁寧に選びとられている。
それでも、社会の力学は強力である。
言葉が言葉としての力を取り戻して
いくためには、この「社会の力学」
を組み替えていくことが、方法の
ひとつである。
社会とは「関係」のことである。
関係がくずれている社会には、
言葉はただくずれていくだけである。
関係の深さが言葉の「真実さ」を
つくり、あるいは逆に支えられる。
ただし、「社会」といっても、
それは見ることもできない。
ぼくたちが、その関係性をつくり
あるいは取り戻していく起点は、
「交響圏」「親密圏」などと言われる
圏域からである。
家族であり、友人であり、親密な
集まりである。
これらの関係を日々、豊饒に生きて
いくこと。
そのことが、言葉が言葉としての力を
取り戻す土壌を、つくっていくのだと
ぼくは思う。
「本との出会い」が深くなる、二つの仕方。- 「問題解決」と「ことば化」
「本との出会い力」ということを書いた。自分の準備ができたときに、その段階・レベルに応じた本が、自分の前に現れる。...Read On.
自分の準備ができたときに、その
段階・レベルに応じた本が、自分
の前に現れる。
まるで、自分の準備が整うのを
待ち構えていたように。
それは、自分の眼の前に現れる
「問題」と似ている。
自分が解決できないような「問題」
は、自分の前には現れない。
ぼくがコンサルタントとして
コンサルティングをするときも同じだ。
自分が何らかの解決案を出せないよ
うなコンサルティング案件は来ない。
「自分を生きている」限りにおいて
必要なときに、本と出会うことが
できる。
本との出会いを深くする契機は、
二つある。
このことは、社会学者の見田宗介が、
少し異なる文脈で書いていて、
ぼくの中で一部ぼくなりに解釈されて
残っている。
本との出会いが深くなるとは、
本に魅せられることである。
それは、本が次のような契機を提供
してくれたときである。
●自分の問題を「解決する道・方法」を示してくれる
●ことばにならないことを「ことば化」してくれる
人は、本を読みながら、これら二つの
契機のいずれか、あるいは両方を得る
ときに、本に魅せられる。
ぼくにとっては、自分の中で感じて
いるけれど、ことばにならないような
事柄を「ことば化」してくれる本に、
何度も何度も出会ってきた。
そして、その出会いの深さは、
本が、ぼくの「パースペクティブ」
(物事の見方)を変えるほどに、
深くなる。
社会学者・見田宗介(真木悠介)の
一連の著作、例えば、
『気流の鳴る音』
『現代社会の存立構造』
『時間の比較社会学』
『宮沢賢治』
『自我の起原』
『現代社会の理論』
『社会学入門』
は、これらの仕方すべてにおいて
ぼくを捉えてやまない。
これらの本は、20年以上にわたり、
日本と日本の外で何度も何度も、
いろいろな状況の中で読んできた。
読むたびに、今でも学びと気づきに
充ちている。
生きているなかで、そのような本に
出会えることはひとつの奇跡である。
「自己啓発」(の本)を嫌いになる前に立ち止まって考える、3つのこと。- 「本との出会い力」をつける。
「自己啓発」という本のジャンルがある。英語に直すのが実は難しいジャンルである。...Read On.
「自己啓発」という本のジャンルがある。
英語に直すのが実は難しいジャンルである。
英語は、例えば、
・Self-help
・Personal Development
・Personal Empowerment
など、と言われたりする。
ぼくは、以前、日本語の「自己啓発」と
いう言葉が好きではなかった。
今も、言葉自体は好きではない。
特に「啓発」という響きの中に、
日本の歴史上でしみついてしまった
イメージ(例えば、啓発=うさんくさい
など)が、ぼくの言語空間に「壁」を
つくってしまっている。
しかし、その「系列」の本は好きで、
日常の中で読んでは、興味のある行動・
方法は試している。
そこから学ぶべきことは数えきれずに
あるし、これからもずっと、学んでいく
と思う。
言葉は好きではないけれど、
それ自体は、とても大切なものである。
「自己啓発」(の本)を好きではない
人たちは、統計をとったわけではない
けれど、きっとたくさんいると思う。
そんな人たちに向けて、「自己啓発」を
嫌いになる前に考えること・行動するこ
とを、ぼくの経験から、書いておきたい。
「自己啓発はダメだ」と早急に判断する
前に、少し立ち止まって、考えるために。
(1)「自己啓発」という名前
ぼくは、言葉の響き、ぼく自身が勝手に
抱いているイメージから、「自己啓発」
的な本から遠ざかってきた。
ぼくは、そのような、日本語に刷り込ま
れている負のイメージを取り除くために
「結果として」取ることになった方法は
大きく二つある。
●英語の本で、学ぶこと
●内容として一部重なる他のジャンルから学ぶこと
第一に、英語の本で学ぶことで、日本語
にすりこまれた負のイメージを取り払って、
学ぶことができた。
「人生の格言」的なものから、本そのもの
の内容まで、英語で学んだ。
この分野は、アメリカで発展してきた分野
でもあり、英語で書かれている内容は、
ぼくの中にすっと入ってきた。
それから第二に、他のジャンルから攻めて
いった。
意図的に攻めたわけではないけれど、
結果として、自己啓発の領域に侵入して
いたというのが正しい。
社会学者の見田宗介著『気流の鳴る音』は
社会学に限らず、「生き方」の議論に、
垂直に降りていくような「分類不能な本」
である。
この本から、ぼくの関心が360度に広がっ
てきた。
「自己啓発」的なことも含めて。
(2)「知っている」ではなくて、「できているか」で判断する
「自己啓発」の本を読んでいると、
「この内容はすでに知っているよ」と
いうことに、何度も何度もでくわす。
「何にも新しいことは書かれていない」
と。
でも、「自己啓発」の本の目的があると
すれば、「知ること」で終わりではない。
「知ること」で、行動に移していくこと
である。
だから、自己啓発の本の有効性・有用性は
「知っている」ではなくて、
自分が「できているか」で判断する。
もちろん、まったくダメな本もある。
有限な人生だから、ダメな本を読むという
無駄な時間は避けたい。
でも、「本との出会い方」を知らないと
ダメな本と出会うことも結構ある。
けれど、そこからも学べることはある。
(3)「本との出会い方」を学ぶ
人との出会いと同じように、
ほんとうによい本を見つけることは
「本との出会い」と言える。
自分の「師匠・先生」と同じで、
本が勝手に現れるのではない。
自分の「学びの準備」が整ったときに
ほんとうに自分に必要な本と出会うこと
ができる。
本が、そっと、あるいはドラマ的に、
現れる。
そのような、素敵な「本との出会い」が
できるように、学びと経験をつみかさね
ていくこと。
素敵な出会いで出会った本も、
内容として「同じこと」を言っている。
でも、「同じこと」を言っていても、
自分の前に「現れた本」は、異なる仕方
で、異なる角度で、メッセージを投げか
ける。
「同じこと」を言っていても、
違った仕方で、自分につきささる。
だから、「自己啓発」が好きではなく
ても、立ち止まること。
嫌いになる前に、立ち止まって考える。
そこに、自分の「生き方」を変える
宝石の原石が眠っているかもしれない
から。
追伸:
「自己啓発」の英語訳としては、
ぼくの中では、
「Personal Development」
が感覚として近い。
でも、それもしっくりしないとき
もあって、
日本語の感覚からは、
「生きること」そのものである。
だから、「Life」なんだけれど、
それだと、何も言ってないように
聞こえて、身も蓋もないですね。
そうして、まだ、言葉を探してます。
「小さい変える」でも、行動を変えてみること。- 「自分の世界」に、いっぱいの「小さな裂け目」を仕掛ける。
人間の「意識」とは、ぼくたちの脳が世界をシュミレートしていくプロセスにより生成していく。それは「自分という経験」(自我)を現象させる。...Read On.
人間の「意識」とは、ぼくたちの脳が
世界をシュミレートしていくプロセス
により生成していく。
それは「自分という経験」(自我)を
現象させる。
ぼくたちの「意識・自我」は、
例えば次のようなステップをふみながら
ぼくたちを守り、同時に、ぼくたちの
周りに「檻」を築いていく。
<ステップ1>
説明できない世界、あるいは何もかも
新しい世界は、不安と恐怖をぼくたちに
与える。
ぼくたちの脳は、世界をシュミレート
しながら、「知」(説明)をとりいれ
ながら、そこに「自分の世界」をつくる。
<ステップ2>
「知ること」は、ぼくたちに「安心」を
与えてくれる。
「安心な世界」で、ぼくたちは、
他のことを楽しむことができる。
<ステップ3>
しかし、「知ること」で構築されてきた
「知られた世界」(自分の世界)は、
やがて、ぼくたちの心身を、
その「世界の檻」に閉じ込めてしまう。
そして、「世界の檻」に閉じこめられた
ぼくたちは、いつしか、その「檻」から
出ることに不安と恐怖を覚える。
自分の意識・自我は、これらステップを
通じて、「自分」を守ると同時に、
「自分」を檻に閉じこめる。
「自分」は、この「世界の檻」の外へと
出なければ、「自分」自身を壊してしま
う。
「世界の檻」の外へと向かう/出る契機
は、さまざまな仕方でやってくる。
テレビドラマの主人公たち、
映画の主人公たち、
小説の主人公たち、
そしてぼくたち自身は、人生の危機や
どん底、あるいは、人生を変えるよう
な旅や冒険のプロセスを通じて、
「世界の檻」の外へと出ていく。
それから、その「外」での経験を経て
「内」にもどってくる。
テレビや映画や小説であれば、ぼくた
ちは、この「道ゆき」のドラマに心を
うたれ、感動する。
ぼくたち自身が「道」を通過するとき
ぼくたち自身の「世界」そのものが
変わってみえる。
けれども、それは、ほんとうは「自分」
が変わる経験である。
「自分」をほんとうに生きていこうと
すればするほど、
この「契機」は、さまざまな仕方で
やってきたり、つくられたりする。
でも、「大きな出来事」に依存する
必要はまったくない。
ぼくたちは、日々の生活の中に、
そのようなきっかけを、いろいろに
仕掛けていくことができる。
自分の知や意識の扉が閉じられない
ように、ぼくたちは日々、心身の扉
をひらいていくことができる。
いつもとは違った道を歩いてみる
ことでもいい。
同じ風景を違う角度で見ることでも
いい。
朝早く起きてみることでもいい。
ちょっと走ってみることでもいい。
ネットではなく本を読んでみること
でもいい。
違ったジャンルの本を読んでみる
ことでもいい。
「大きな出来事」が、ドラマのよう
に、人生を変えることもある。
でも、このような「小さな行動」が
「自分」の至るところに広がって、
それらがやがて閉じ込められた
「自分」をやぶるかもしれない。
いっぱいの「小さな裂け目」が一気
に破裂するように。
そして、これらの行動は、
「がんばる」ことでもない。
「楽しむ」ことである。
(楽しむといっても、字のように
「楽」とは限らないけれど。)
自分の知や意識の「扉」が閉じられ
ないように。
追伸:
今朝はここ香港で、
いつも電車でいくところを、
歩いていきました。
写真は、その「道ゆき」で見つけた
公園です。
比較的新しい公園なのかもしれない
けれど、こんなところに公園があっ
たことは、この10年、知りません
でした。
ぼくの意識に、とても小さいですが
「裂け目」をつくりました。
この「裂け目」から入ってくる、
わずかな光が、「自分」の何を照ら
しだすかはわかりませんが。
川上未映子・村上春樹著『みみずくは黄昏に飛びたつ』- 「抽斗」を増やしながら生きてゆくこと。
…同じことが「村上春樹」にも言える。人は、村上春樹が大好きな人、村上春樹が好きな人、それらどちらでもない人に分けられる。...Read On.
著作『The World According to Star
Wars』を、著者のCass R. Sunsteinは
このように書き始めている。
ユーモアをこめながら、でも結構真剣に。
「人間は3種類の人に分けられる。
Star Warsが大好きな人、Star Warsが
好きな人、それからそれらどちらでも
ない人。」
同じことが「村上春樹」にも言える。
人は、村上春樹が大好きな人、村上春樹
が好きな人、それらどちらでもない人に
分けられる。
これによると、ぼくは「村上春樹」が
大好きな人、である。
村上春樹の新作『騎士団長殺し』は
文章としても、物語としても、隙のない
作品である。
村上春樹が、
・一人称での語り
・「私」(「僕」ではなく)という主語
で、展開する物語である。
その主人公の「私」は36歳で、肖像画家。
妻に突如去られ、それから友人のはからい
で、小田原郊外の山の上に位置する、アト
リエ付きの家に一人で住むことになる。
肖像ではなく、ほんとうに描きたい絵を
追い求めているが、思ったようにいかない。
肖像画から手をきろうというときに、
謎めいた人から肖像画の依頼が来る。
そこから「物語」が思わぬところへ「私」
をみちびいていく。
出版から2か月しか経っていない2017年
4月末。
作家の川上未映子が村上春樹に訊く形で
インタビューがまとめられた書籍、
『みみずくは黄昏に飛びたつー
川上未映子訊く/村上春樹語るー』
(新潮社)が出版された。
川上未映子が書いているように、
著作『騎士団長殺し』のインタビューが
結果として村上春樹の作品全体に広がる
内容になっている。
【目次】
第一章:優れたパーカッショニストは、一番大事な音は叩かない
第二章:地下二階で起きていること
第三章:眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい
第四章:たとえ紙がなくなっても、人は語り継ぐ
「第一章」は、2015年、村上春樹の
『職業としての小説家』の刊行記念で
行われたインタビューである。
文芸誌『MONKEY』に掲載された。
「第二章~第四章」が『騎士団長殺し』
が完成された後に、3日間にわたって
おこなわれたインタビューの記録である。
「作家によるインタビュー」が、通常の
インタビューとは異なる雰囲気と内容を
つくりだしている。
(*村上春樹は、作家同士の「対談」は
あまり好きではない、と語っている。
今回は「インタビュー」という形式で
ある。)
「言葉になりにくいもの/言葉」への
言葉化がいたるところで試みられている。
ここでは、(それらが主題というわけ
ではないけれど)3つだけにしぼって、
書いておきたいと、思う。
(*よい本なので、詳細については、
ぜひ読んでみてください。
『騎士団長殺し』それ自体の部分について
は、ここでは触れません。
物語そのものを、著作で味わってください。
インタビューでは、この新作について
かなりつっこんで話されています。)
(1)「抽斗(ひきだし)」
ぼくたちの「生き方」において、汎用的
に取り出せるところとしては、「作家の
抽斗」がある。
村上春樹は「いつも言うことだけど」と
断った上で、語っている。
作家にとって必要なのは抽斗なんです。
必要なときに必要な抽斗がさっと開いて
くれないと、小説は書けません。
みみずくもそのひとつかもしれない。
…手持ちのキャビネットが小さな人、
あるいは、仕事に追われて抽斗の中身を
詰める時間のない人は、だんだん涸れて
いきますよね。だから僕は何も書かない
時期には、一生懸命、抽斗にものを詰め
ていくことにしています。いったん長編
小説を書き出したらもう総力戦だから、
役に立つものはなんだって使います。
抽斗は一つでも多い方がいい。
『みみずくは黄昏に飛びたつー川上未映子
訊く/村上春樹語るー』(新潮社)
「抽斗」は、この世界で生ききるために
も、必要である。
どれだけ、抽斗ができているか、で、
ぼくたちの生はかわってくる。
例えば、ぼくが経験してきたように、
紛争地の圧倒的な「リアリティー」に
対面したとき。
人や組織の圧倒的な「問題・課題」に
直面しているとき。
ぼくたちもそんな場面では「総力戦」で
ある。
そこでは「抽斗」が大切な役割を果たす。
だから、常日頃から、ぼくたちは「学ぶこ
と」をしておく。
抽斗がいつでもさっと開いてくれるように。
(2)「物語をくぐらせる」プロセス
川上未映子の作家としての関心が、小説と
「近代的自我」の問題にある。
その関心に深く支えられた質問たちが、
村上春樹に矢継ぎ早に投げかけられていく。
言葉化の難しい領域であるけれど、
とてもスリリングなやりとりが展開される。
「物語と自己の関係」について川上未映子
が訊くなかで、村上春樹は語る。
…自我レベル、地上意識レベルでのボイス
の呼応というのはだいたいにおいて浅いも
のです。でも一旦地下に潜って、また出て
きたものっていうのは、一見同じように
見えても、倍音の深さが違うんです。
一回無意識の層をくぐらせて出てきたマテ
リアルは、前とは違うものになっている。
…だから僕が物語、物語と言っている
のは、要するにマテリアルをくぐらせる
作業なんです。
『みみずくは黄昏に飛びたつー川上未映子
訊く/村上春樹語るー』(新潮社)
この表現に、ぼくは「納得する」ことが
できる。
その納得感をもっと詳細に説明せよ、と
言われたら、できないけれど。
(3)言葉の身体性、書き直し
村上春樹の「創作プロセス」は、これまで
もいろいろなところで語られてきた。
このインタビューでも、違う角度をもって
語られる。
この「創作プロセス」は、作家はもとより
「なにかをつくること」に本気でとりくむ
人たちにとっては、自分の経験・体験に
照らして、ヒントとなる「語り」が、
いっぱいに散りばめられている。
僕の書き直しは、自分で言うのもなんだけ
ど、けっこうすごいと思います。
あまり自分のことは自慢したくないけど、
そのことだけは自慢してもいいような気が
する。
『みみずくは黄昏に飛びたつー川上未映子
訊く/村上春樹語るー』(新潮社)
「書き直し」に力をいれるのは、
第一稿での、書くものの「自発性」を
大切にするからである。
そして、書き直しは、「目よりは主に
耳を使う」ことで進んでいく。
ここに、言葉の「身体性」的な、ぼくの
求めているものに照射する「語り」が、
湧き上がっている。
音楽を演奏するみたいな感覚で文章を
書いているところは、たしかにあると
思う。耳で確かめながら文章を書いて
いるというか。
『みみずくは黄昏に飛びたつー川上未映子
訊く/村上春樹語るー』(新潮社)
村上春樹は、1960年代の学園闘争の時
に感じていた「表層的な言葉に対する
不信感」を、今でも、感じている。
それへの抵抗の意思が、村上春樹の作品
をつくってきた。
でも、「表層的な言葉」にならないため
の武器は、村上の「文体リズム」にある。
それは、身体で書く文体リズムである。
「音楽から文章の書き方を学んだ」村上
の身体的な文体が、表層的な言葉を超えて
読者に呼応していく。
以上、このインタビューで、訊かれ、
語られているものの、ほんの一部である。
その他、村上春樹は過去の自分の著作
(新作『騎士団長殺し』を含め)の
詳細について、結構「覚えていない」
ところが印象的であったりする。
物語がプロット的ではなく自発的に
つくられ、書き直しで文章をつくりこ
んでいく、という村上の創作プロセス
が深く実感できる、「覚えていない
発言」である。
ぼくは、そんなインタビューを読み
ながら、『騎士団長殺し』をもう一度、
読みたいという衝動がわいてきた。
でも、もう少し、ぼくの側での
「自発性」を待とうと思う。
ほんとうに、読みたくなる瞬間を。
それまで、物語は、ぼくの意識下の
「見えない地層」で、
静かに熟成を続けているであろう。
そして、その間ぼくも、
せっせ、せっせと、
「抽斗」を増やしておこう、
と思っている。
追伸1:
ぼくは、高校時代に初めて村上春樹
の作品に出会いました。
書店で高く積まれた(赤色と緑色の
ハードカバーの)『ノルウェイの森』を
手にとったのです。
でもぼくは、好きになれなかったのです。
『ノルウェイの森』も、村上春樹も。
Cass R. Sunsteinをまねて言えば、
「村上春樹を大好きでも好きでもない人」
に分類されたわけです。
それから、大学院のときに友人にすすめ
られ、また読み始めたのです。
手にとったのは確か、
『世界の終わりとハードボイルド・
ワンダーランド』。
ぼくは、ページを繰る手が止まらなく
なってしまった。
「村上春樹を大好きな人」へと変わって
いったわけです。
このインタビューを心でききながら
ぼくは、ぼく自身の「変化」が
わかったような気がしています。
論理的にも、感覚的にも。
追伸2:
写真は、インタビューの書籍ではなく
『騎士団長殺し』です。
『みみずくは黄昏に飛びたつ』は
電子書籍で楽しみました。
追伸3:
「追伸」が多いですが、
作家・川上未映子の作品は読んだこと
がなくて、早速手に入れました。
川上未映子のインタビューでの
真摯さにひかれ、
ぼくと同年代の彼女の作品を読んで
みたくなったのです。
「じぶんの考え方でつくられた家」を「引越し」する。- シエラレオネでかかったマラリアに教えられて。
ここ数日、西アフリカ・シエラレオネの「記憶の井戸」に降りていったら、シャワーのこと、運動会のことの記憶が、井戸の底からわいてきた。...Read On.
ここ数日、西アフリカ・シエラレオネ
の「記憶の井戸」に降りていったら、
・シャワーのこと
・運動会のこと
の記憶が、井戸の底からわいてきた。
そして、シエラレオネは、ちゅうど、
独立記念日を迎えたところであった。
「記憶」というものは、
一度溢れ出すと、いろいろな記憶が
一緒になって溢れてくる。
ぼくは、シエラレオネで、人生で初めて
「マラリア」にかかったことを思い出す。
すでに15年以上前のことになる。
「蚊」を媒介としてかかる感染症として
は、主に、マラリア、デング熱、黄熱、
それから最近話題となったジカ熱などが
ある。
シエラレオネに入国するには、事前に、
黄熱病の予防接種が必須である。
だから、黄熱には予防接種で対応して
いた。
他方マラリアには、当時ワクチンが
なかった。
先日、イギリスの製薬会社が開発した
ワクチンを、アフリカ3カ国で試験運用
していくことがニュースになっていた。
ぼくがシエラレオネにいた当時は、
ワクチンはなかった。
予防としては投薬もあるが、副作用が
重すぎるため、通常の蚊対策(スプレー
や蚊よけコイルなど)で予防する。
寝るときは、必ず、蚊帳(かや)を使う。
マラリアは、突如、やってきた。
当時、大きな仕事をかかえ、それなりの
期間、仕事にかかりきりになった。
ようやく、その仕事を終えることができ
仕事完了祝いをかねて、夕食を外でとって
いた。
夕食がすすみ、談笑もつづいていた。
ぼくも、解放感と共に、夕食を楽しんで
いたところだった。
そのときのことであった。
ぼくは、座っていた椅子から転げ落ちる
ような形で、起き上がれなくなったのだ。
何が起きたのかわからず、
しかし、立ち上がれず、また歩けない。
歩けなくなる経験はそれまでにほとんど
したことがなかった。
それからのことは実はあまり記憶にない。
レストランから事務所兼住まいへ戻る際
も、車内では横になり、住まいに戻って
も、高熱にうなされていたことは覚えて
いる。
知り合いの医師に診てもらったのだと、
おぼろげながら、覚えている。
マラリア診断キットで確認もしたのだと
思う。
マラリアは治療薬は充実していること
から、治療薬をとった。
治療薬による副作用で、ひどい夢に
うなされたことも覚えている。
数日間(それでも途中仕事をしながら)
ぼくは違う世界をさまよっているよう
な感覚にあった。
回復後、蚊対策を強化し、自分自身の
免疫力を高めることに注力した。
シエラレオネで会った「国境なき医師
団」の知り合いからは、予防策の一つ
として、ニンニクを直接皮膚に塗りつ
ける方法を習ったりもした。
ぼくは、その後も、マラリアには
悩まされる。
しかし、最初にかかったマラリアほど
の「重さ」はなくなった。
そして東ティモールに移ってからも、
マラリアにかかることが幾度となく
あった。
それでも、東ティモールのマラリアに
比較し、ぼくの感覚では、アフリカの
マラリアの方が「強力」であるように
感じた。
シエラレオネと東ティモールでの経験
から学んだことは、
「予防」の大切さということである。
環境整備による予防もそうだし、
自分自身の体調管理などによる
自己免疫力強化はとても大切である。
しかし「自分自身のこと」となると、
後回しになりがちだ。
他者をまずはケアしよう、
自分はなんとかなるだろう、
といった考え方などに規定され、
自分自身を酷使してしまう。
でも、後回しによる苦い経験の数々が
後回しにしてしまうような考え方と
感覚で固められた、ぼくの「自我の殻」
を、少しずつだけれど、破ってきた。
ぼくは未だにこの「殻」を完全には
破りきれずにいるけれど、
でも確実に、違う殻に「引越し」を
している。
「じぶんの考え方でつくられた家」を
「引越し」すること。
「じぶん」とは、「ひとつの家」のよう
に、その内にたくさんのもの・ことを
内包する、ひとつの「システム=複合体」
である。
「じぶん」という結節点を基点に、
いろいろなもの・ことが、システム的に
つながっている。
一部だけでなく、システムを変えること
は、なかなかに、骨の折れることだ。
何はともあれ、「引越し先」は、
「まず何よりも自分自身のコンディシ
ョンを最善に整えること」
という考え方と、その行動である。
この点においては自分を優先する。
自分を何よりも先におく。
でもそうすることで、他者にもより
よく貢献できる自分を準備することが
できる。
この「引越し」のために、
ぼくは、いろいろなものを捨て、
いろいろなものを変えてきたと思う。
実際の「外的な世界」でも、そして
ぼくの「内的な世界」でも。
ぼくは、この家の「引越し」を、
何年にもかけて実行している。
それは「時間を要する引越し」だ。
一部を引越しすると、その下のレイヤ
ーから、また片付けなければいけない
ものが出てくる。
だから、海をゆったり渡る船便のよう
に、焦らずに、引越しをしている。
村上春樹の小説(『騎士団長殺し』)
の主人公のように、
「時間を味方」につけながら。
追伸:
「マラリアの記憶」がわいてきて、
マラリアをGoogleで検索をかけたら、
「世界マラリアデー」が出てきました。
「世界マラリアデー」というのがあって
先日の「4月25日」のことでした。
これも、偶然ですね。
世界では、今も年間2億人以上が
マラリアにかかり、40万人以上の
人たち(特に子供たち)が亡くなって
います。
西アフリカのシエラレオネで参加した「運動会」の記憶。- 鮮烈に残る「光景」に導かれて。
昨日「4月27日」は、西アフリカのシエラレオネの「独立記念日」であった。シエラレオネは、1961年、イギリスから独立した。...Read On.
昨日「4月27日」は、西アフリカの
シエラレオネの「独立記念日」であった。
シエラレオネは、1961年、イギリスから
独立した。
この日を特別に記憶していたわけではない
けれど、シエラレオネの友人のメッセージ
で、気づいた。
友人は、お祝いムードとは逆に、今の
シエラレオネの社会問題に、真摯に目を
向けていた。
シエラレオネは、以前の長い紛争の影響で
今でも「世界で最も平均寿命が短い国」で
ある。
世界保健機関(WHO)の最新データでは、
シエラレオネの平均寿命はようやく50歳代
にのり、「50.1」である。
ここ香港は、「世界で最も平均寿命が長い」
ところである。
この落差に、ぼくは「感覚」がくずれて
しまう。
さて、その香港で、この特別な日を意識
していたわけではないけれど、昨日は、
シエラレオネからの「トランジット」で
ロンドンにいたときのことを書いた。
なぜか、その記憶と一緒に、シエラレオネ
の「運動会」の記憶が、わきあがってきた
のだ。
何故かはまったくわからないけれど、
つながりのひとつを挙げるとすれば、
シエラレオネのコノ地区の中心「コノ」の
町の記憶である。
でも、それはつながりの「粒」が大きい。
ともあれ、2002年から2003年にかけて
コノに滞在していた折、
ぼくたちのNGO組織のコノ事務所スタッフ
で、運動会に参戦したことがある。
そもそも、コミュニティ活動の一環であっ
たと思う。
ある日、運動会のオーガナイザーの方々が
事務所にやってきて、運動会をやるので
寄付をしてほしい、という依頼を受けた。
いろいろと考慮した挙句(立場上いろいろ
と考慮する必要がある)、ぼくたちは
運動会の運営費を補助することにした。
そして、ぼくたちの組織も、チームとして
運動会に参加することになった。
西アフリカのシエレラオネ、そのコノ地区
で行われた「運動会」。
そんな経験は、誰もができるわけではない。
運動会といっても、場所は「原っぱ」の
ようなところ。
でも、子供から大人まで、人々の熱気と
エネルギーと笑顔が、運動会にふさわしい
「場」をつくっていた。
ぼく自身は、競技には参戦しなかったけれ
ど、会場に赴き、スタッフたちを応援した。
最後はどうなったかは覚えていない。
昨日から、わきあがってくるイメージは、
「入場行進」である。
コミュニティーの小さな運動会でも、
入場行進があった。
各チームは、それぞれに「チーム・カラー」
が決められた。
ぼくたちは「白色」であった。
各チームが、順番に行進をする。
オリンピックのようなイメージだ。
しかし、オリンピックや、日本の学校の
行進とは、根本的に異なる様子が、
鮮烈なイメージとして、ぼくの記憶に刻ま
れたのだ。
それは、「踊り」である。
子供も大人も、踊りながら、行進をして
いくのである。
アフリカは、踊りが文化に溶け込んでいる。
しかし、ぼくは、行進までもが、踊りの場
になるとは、思ってもいなかった。
そして、踊りは、超一級である。
子供たちも、ここぞと、自分たちの踊りを
見せていく。
この光景は、圧巻であった。
ぼくは、と言うと、踊りは全然ダメだから、
笑顔で、みんなの輪の中にいた。
祝祭としての、運動会であった。
紛争が終結して間もないシエラレオネで
体験した、この光景と祝祭は、
ぼくの中に「希望の光」として残っている。
「光」の景色である。
紛争後の様々な困難もある。
世界で最も寿命が短い。
エボラがシエラレオネを襲ったときもある。
社会問題も、数え上げたらきりがない。
ぼくは、それらが感覚として、自分の内奥に
残っている。
でも、ぼくの中に残っている、
この「希望の光」も、尽きることなく、
燃え続けている。
メッセージを放ったシエラレオネの友人は
自身として「行動すること」を表明して、
文章を終えていた。
ぼくも、どのように、この「希望の光」を
行動へと移し変えていくかを、考えている。
具体的な一歩の前に、
友人にメッセージをうっておこう。
それらの問題・課題へは、どんな形であれ、
ぼくもサポートすることを。
サポートが、どんなに小さくても。
追伸:
シエラレオネにいたときから15年が
経過しても、シエラレオネの人たちと
つながりがあることはうれしいことです。
ロンドンでの「温かいシャワー」が、ぼくの身心に刻んだ深い記憶。- シエラレオネからの「トランジット」で。
香港はここ数日、時折、雨の恵みが、降りそそぐ。本格的な「雨」ではなく「にわか雨」である。雨の粒に抱きかかえられるようにして小さな花びらが道端に咲き散り、黄色の絨毯を織りなしている。...Read On.
香港はここ数日、時折、雨の恵みが、
降りそそぐ。
本格的な「雨」ではなく「にわか雨」
である。
雨の粒に抱きかかえられるようにして
小さな花びらが道端に咲き散り、
黄色の絨毯を織りなしている。
「にわか雨」の英語表現の「shower」
を頭に浮かべながら、自宅のバスルーム
で温かい「シャワー」を浴びていたら、
ロンドンで浴びた「温かいシャワー」の
ことを思い出した。
それは、確か2003年のことであった。
当時、西アフリカのシエラレオネで
ぼくは仕事をしていた。
紛争に翻弄されている/翻弄されてきた
難民・避難民の支援である。
シエラレオネでは、コノというところで
オペレーションを展開し、住んでいた。
当時は、電気も水道もなく、
事務所兼住まいは、ジェネレーターによる
発電と敷地内の井戸(および水タンク)
により、まかなわれていた。
お風呂はもちろんのこと、温かいシャワー
もなく、水シャワーで過ごしていた。
昼間の太陽が、水タンクを温め、夕方に
生ぬるい水を楽しむこともあったが、
基本的に、水シャワーであった。
人間のもっとも大きな「力」のひとつで
ある「適応性」は、水シャワーでも発揮
された。
ぼくは、程なくして、水シャワーに慣れて
しまった。
とはいえ、やはり、冷たく感じる時は、
しばしばあったものだ。
それでも、「水がある」ということだけ
でも感謝することであった。
シエラレオネのコノでは、井戸掘削の
プロジェクトを展開しており、
水があることの大切さは、重々感じて
いたからである。
あるとき、一時帰国のため、シエラレオネ
を離れ、ロンドンを経由して、東京に戻る
ことになった。
そのときは、トランジットのロンドンで
一泊することになった。
ロンドンの、どこにでもあるような宿に
到着し、荷物を部屋の片隅におちつかせる。
紛争地での緊張による高揚感が残りながら
も、どっと疲れが出たぼくは、すぐにシャ
ワーを浴びることにした。
バスタブではなく、シャワーを浴びるだけ
の狭い「シャワー室」であったけれど、
蛇口をひねり温度を調整されて注がれる
「温かいシャワー」に、ぼくは心身ともに
深く、打たれた。
この経験は、ぼくの内奥にしまわれた。
温かいシャワーを浴びるという「当たり前
のこと」を、当たり前ではないこととして、
感覚できる人になりたいと、
ぼくは、そのときに思った。
「トランジット」とは、
「当たり前」と「当たり前ではないもの」
の境界を見せ、それらをつなぐ<間>の
ことでもある。
それまでにも、アジア各地への一人旅で、
水シャワーしかない経験はいっぱいして
いたけれど、
この経験は、さらに、ぼくを深いところで
とらえてやまなかった。
同じような経験を、シエラレオネの次に
赴任することになった東ティモールでも、
幾度となく、することになった。
東ティモールでの日常も、水シャワーで
あった。
時に地方に泊まる時は、シャワーもなく、
ドラム缶にためられた水を、桶ですくって
大切に、使ったものだ。
東ティモールから日本に帰国するときは
当時、インドネシアのバリを経由した。
バリで温かいシャワーの感動を得ることも
あったし、トランジットで一泊もせずに
東京に戻ってその感動を堪能したものだ。
しかし、その後、香港に住むようになると
温かいシャワーは「普通」になってしまう。
人間の適応性は、逆も然りである。
有り難みと感謝の気持ちが、遠のいてしまう。
でも、ふとした折に、
身心の内奥に刻まれた「記憶」が
身心の表層に浮かんでくる。
今日も、シャワーを浴びながら、
「ロンドンでの温かいシャワーの記憶」が
意識にのぼってきた。
最近ぼくは、この浮かんできた「記憶」を
大切にすくう。
あるいは、マインドフルネス的に、
目の前にあるものへの「感謝」を心の中で
繰り返すことで、この大切なものを、
大切に、心に保管している。
ぼくは、「人生のトランジット」で
こんなことを考え、感じている。
「当たり前のもの」を、
「当たり前のものではないもの」として
視て感覚することへと、
じぶんを解き放っていく。
追伸:
日本国外・海外に出て15年程になりますが
いわゆる「お風呂」につかることは
ほとんどありません。
香港の自宅で数回試してみた程度です。
すっかり、シャワーの生活です。
「お風呂に入る」ということも、
決して「当たり前」ではないのですね。
日本にいると、普通のことですが。
「学びの場」を立体的につくっていくこと。- 「オーディオ」のすすめ。
「学びの場」を立体的につくっていくこと。本・書籍で学ぶ。講義・講演などで学ぶ。動画・ビデオで学ぶ。音声・オーディオで学ぶ。...Read On.
「学びの場」を立体的につくって
いくこと。
本・書籍で学ぶ。
講義・講演などで学ぶ。
動画・ビデオで学ぶ
音声・オーディオで学ぶ。
これらを抽象度を上げて、シンプル
に言うと、
・「読む」
・「聞く+見る・読む+体感する」
・「聞く+見る・読む」
・「聞く」
ということである。
これらを有効に活用して、「学び」
を立体的につくりあげていく。
そして、この中でも、
「聞く」ということを増やしていく
ことである。
「音声・オーディオ」の活用である。
「眼=見ること」は、どうしても
自然と強くなってしまう。
読むこと、見ることは、あまり意識
しなくても普段している。
(*「論理・ロジック」をつくって
いくことは、異なる「次元」のこと
である。読むこと・見ることの、
「土台」づくりは別に必要だ。)
だから、眼と耳の組み合わせは、
眼が強くなりがちだ。
聞く以上に、眼から入ってくる
情報のインプットが大きくなって
しまう。
「聞く」ということに集中する学び、
つまり、オーディオを活用した学び
は、眼の専制をゆるめる。
最近は「音声・オーディオ」もいろいろ
なものがある。
いくつかを挙げると、以下のような
ものである。
【媒体】
・CD(昔はカセットテープ、今はデジタル
ダウンロード)
・ラジオ
・Podcast
・その他「音声記録」を提供する各種媒体
【内容】
・著作の「朗読」(アマゾンのAudibleなど)
・講演、講義
・インタビュー
・トーク
など。
これらの内、無料のコンテンツも
数限りなく広がってきている。
ぼくは、CD音声も聞いてきたし、
最近はデジタルダウンロードである。
Podcastは毎日聞いている。
著作(主に英語)の朗読も聞くし、
講演やインタビューも聞く。
そうして活用される「オーディオ」の
効果は、ぼくが活用してきた経験
においても、とても大きなものである。
例えば、ぼくの経験上は、このような
効果がある。
●「言葉」それ自体、言葉のトーン、
「息づかい」などにフォーカスできる。
そして、それらが、すーっと、自分の
中に入ってくることがある。
●「考えること」のループに直接的に
音が入っていく。
自分の頭の中で、ネガティブトークの
ループが回転しているときに、それを
変えることができる。
●(本の著者の)オーディオを聞くこと
で、その著者の「言いたいこと」が
わかった。
その著者の本の読み方が変わった。
あるいは、その著者が好きになった。
●Personal Developmentの領域が好き
になった直接的なきっかけも、音声で
あった。
ただし、「注意すること」は、
どのような状況で聞くか、ということ
である。
あるいは、どのように聞くか、ということ。
「~しながら」で聞くことは、時間の
節約にもなるけれども、十分な注意が
必要である。
●自分の安全性を確保することは最重要
●何か集中したいときは、「ながら」で
聞かないこと
●「マインドフルネス」を重視するとき
は、「ながら」で聞かないこと
それにしても、情報技術などの進展で
学びの環境が、この10年で一気に
変わってきたことは、時代の「光」の
部分である。
学びとその環境の広がりは、大きな
「光」である。
追伸1:
Podcastでインタビュー(英語)を
聞いていたら、ある人が
「大人はテレビを見る代わりに、
動画で学ぼう」、と提案していた。
これも、学びを立体的につくること
のひとつの方法である。
追伸2:
AppleのAirPodsもおすすめ。
「知識」から「憧憬と経験」へ。- ぼくが、英語を身につけてきた道から。
日本国外に15年も住んでいると、(場所によるかもしれないけれど、ぼくにとって)英語は普通に身についている。...Read On.
日本国外に15年も住んでいると、
(場所によるかもしれないけれど、
ぼくにとって)英語は普通に身について
いる。
もちろん、レベルとしてはまだまだで
ある。
言語というのは、
当たり前と言えば当たり前だけれど、
できない人から見ると、少しでも話せる
人は話せるように見える。
また、そんな少しでも話せる人は、
すごく話せる人から見れば、まだまだ
話せていない。
その意味で、まだまだである。
英語は「知識」で話そうとすると、
どこかで無理がくる。
文法や単語や語彙といった「知識」だけ
では、どこかで壁にぶつかってしまう。
それはそれで大切ではあるけれど。
英語をまさしく「英語」とするのは、
知識だけでなく、コミュニケーションへ
の「思い(憧憬)」と「経験」である。
「知識」に、「思いと経験」が掛け算
される形で「知恵」になっていく。
つまり、身についていく。
多くの人が「学ぶこと=知識を得ること」
で、止まってしまう。
香港でも、よく見てきた光景だ。
「学ぶこと」が「知識を得ること」に
狭められてしまう。
「知識」x「思い・憧憬」x「経験」
=「知恵」
ひとつずつ説明を加えておきたい。
(1)「思い・憧憬」
「コミュニケーションをとりたい」と
いう思い・憧憬(たとえ、それが直接的
な会話であろうと、書籍などであろうと)
大切である。
言葉に、気持ちがこもり「言葉」になる。
あの時、話せなかった悔しい思い出など
が、強い思いに変わる。
ぼくはそのような悔恨を、アジアへの旅
で、ニュージーランドで、強く感じてきた。
20年以上前、香港でようやく見つけた宿
の方に、どれだけ御礼を伝えたかったか。
など。
また、悔恨だけでなく、好奇心や知りたい
気持ちなども、憧憬をひらく。
ぼくは、好きな洋楽を英語で理解したか
ったし、洋書も、「ぼくの世界」を開く
入り口であった。
なんでもいい。
自分のほんとうにしたいことや学びたい
ことは、英語やその他言語によって、
ひとまわりも、ふたまわりも大きな世界
を、ぼくたちに開いてみせてくれる。
(2)「経験」
そして、「経験」である。
学校の授業なども、学び方によっては
経験とすることもできる。
けれども、やはり「生きた・活きた英語」
に触れること。
アジア英語もあれば、アフリカ英語、
ヨーロッバ英語もある。
アジア英語も各地の英語でくせがある。
アフリカも、ヨーロッパも同じだ。
「生きた・活きた英語」にふれてきて、
ぼくは自分の学びの姿勢が恥ずかしく
なったものだ。
ぼくは、何にこだわってきたのだろうと。
「経験」の中には、
「失敗と成功」の体験がある。
なんど失敗したことか。
でも伝わることもある。
「経験」の中には、
「レビュー」がある。
「失敗と成功」を振り返って、
レビューして学ぶ。
(3)「知恵」
「知識」x「思い・憧憬」x「経験」
として、
「知恵」となっていく。
「知識」は学びつづけて当然のもの
として、でもそれは「知識」でしかない。
そして、これらは、
ほんとうの「コミュニケーション力」
と一緒になって、ほんとうの「言葉」と
なる。
ここで言う、ほんとうの「知恵」は、
言語力とコミュニケーション力が
一緒になったものだ。
このような道を通って、ぼくは今ここ
にいる。
だから、「知識への偏向」から
飛び出よう。
思いと経験が、知識を要請するときが
後から、きっとくるから。
「ぼくは、ブログを、あと何回書けるだろうか?」- 「有限性」を味方につける。
「ブログを毎日書く」ということそれ自体は、楽しさと共に、それなりに大変なことであることを経験している。...Read On.
「ブログを毎日書く」ということそれ
自体は、楽しさと共に、それなりに
大変なことであることを経験している。
ブログを毎日書くことの「筋肉」が
まだできあがっていないこともある
けれど、少しづつ「筋肉」をつけて
きていても、それなりに、大変だなあ
と感じる。
ほんとうに書きたいことを書いても、
大変である。
ほんとうに書きたいことだから、
大変であるとも言えるけれど。
その「大変だなあ」と感じたときを
言葉にすると、
「1年間に365回も書いて、
撮った写真と共にアップロードする
のかあ」
という感じである。
そんなことを考え感じながら、
走るためにジムに向かっている最中
に、ぼくの言葉が、字義通り、逆転
したのだ。
「ぼくは、ブログを今後も毎日書いて
いくとして、生きている間に、あと
何回書けるだろうか?」と。
ブログを書く「仮定」として、
・毎日書くこと
・100歳~120歳まで書き続けること
とした場合、ざっくり計算して
「あと2万から3万回」であった。
これが多いか多くないかは、
人それぞれの感覚の仕方だけれど、
少なくとも、ぼくにとっては「少ない」
という感覚であった。
「あと、2万回から3万回しかない」
という感覚である。
上で書いた「仮定」は、
このぼくの感覚を「てこ」にして
次のように強化された。
・(やはり)毎日書こう
・(やはり)100歳~120歳まで、
この世に生がある限り、書こう
昨年から日本でもベストセラーに
なっているという著書『LIFE SHIFT
ライフ・シフト)』にあるように、
ぼくたちは人生100年時代に突入して
いる。
歴史学者Yuval Harariの言うような
人類の次の課題である「不死」へは、
ぼくが生きている間は技術が届かない
だろう。
(ただし、他方で、身体だけを変えて
「蘇らせるような」技術開発は進んで
いるようだ。この先10年~20年で
それなりの開発成果がでるかもしれな
い。)
だから、最近、世界最年長者(生まれ
が19世紀)の方が他界されたとのニュ
ースがあったように、120歳ほどまで
が現状では寿命の可能帯であろう。
(19世紀の方が亡くなられたのは、
ぼくはとても残念に感じた。そして、
その方は「世界」をどのように見て
感じていたのか、と思う。)
不死の願いはぼくには(今のところ)
ないけれど、生を生ききるという
観点からは、ぼくは健康に長生きする
をことを願い、そのために行動したい。
ぼくたちは「生かされている」のでも
あるから(毎日、食という形で、大切
な「命」をいただいて生きている)。
というわけで、ぼくは生きている限り
は、書くことができる限りは、毎日、
書いていきたい、と思う。
人生を「終わり」から見て、行動や
イベントを「数値化」したときに、
ぼくたちは、そこで「有限」に出会う。
・人生でご飯を食べられるのは「*回」
・人生で大切な人とお正月を迎えられるのは「*回」
・人生で読める本は毎日1冊読んでも「*冊」
・人生で・・・は「*回」
等々。
この「有限性」の感覚は、ときに、
人生を虚しいと感じさせることもある。
しかし、この「有限性」は、その有限
な1回1回を愛おしいものとして、
感覚することもできる。
人生の「有限性」が生を豊饒化する。
世界で、いろいろな人たちに出会って
きた。
ニュージーランドで、西アフリカの
シエラレオネで、東ティモールで、
ここ香港で。
ある人(たち)との「出会い」は
無限であるように感じても、それは
有限である。
世界がいくらSNSでつながっても、
一緒に過ごす時間は有限である。
でも、だからこそ、出会いを愛おしく
感じることができる。
これからの人類の課題(であると共に
ぼく自身の研究と生き方の課題)の
ひとつは、「有限性/無限性」のテー
マである。
「有限性」を味方につけるのだ。
でも、そこには、きっと、
「無限な『何か』」が内包されている
と、ぼくは思う。
「人工知能=AI、VR、IoT, ロボティクスなど」の動向を追う方法。- 水平方向と垂直方向に構える。
人工知能=AI、VR、IoT、ロボティクスなどが、次の「時代」をつくっている。...Read On.
人工知能=AI、VR、IoT、ロボティクス
などが、次の「時代」をつくっている。
人工知能が人間の能力を超えるとされる
シンギュラリティを2045年に迎える、
など、議論も、メディアでの情報発信も、
実際の研究開発も、盛んに行われている。
また、実際の運用も、話題になりやすい
ことから、話題にならないことにかけて、
広がってきている。
しかし、「個人」に引き寄せることでは、
まだまだ、多くの人が、「見物」「期待
と関心」「とまどい」などのレスポンス
に留まっているような状況である。
いずれにしろ「新しい時代」はつくられ
ている。
雑誌「Wired」の創刊編集長の経歴の
あるケヴィン・ケリーが言うように、
「Embrace the future」
が、大切な心構えとなる。
これらの「新しい流れ」に抗して闘うの
ではなく、「未来を積極的に受け入れて
いく」ことである。
ぼくも、同じスタンスである。
これらの「新しい流れ」の議論は、
・「光の巨大」
・「闇の巨大」
に分かれやすい。
新しい技術がもたらす世界の輝かしさ
のみだけを喧伝する「光」の議論と、
そのような世界の危険・リスクに終始
してしまう「闇」の議論との分裂である。
そうではなく、
双方を含め「Embrace the future」の
心構えと行動で、
ぼくたちは、新しい時代に関わっていく
ことができる。
だから、そのためにも、動向を追って
いく必要がある。
方法は、その方向性において、二つに
分けられる。
- 「水平方向」への方法
- 「垂直方向」への方法
これらについて、下記にて簡単に説明
を加えておきたい。
(1)「水平方向」への方法
水平方向は
例えば、情報源である「メディア」を
水平に広げていくことである。
センセーショナルに情報が発信される
日々の「ニュース」だけでなく、
落ち着いて考察された「書籍」などに
広げる。
「書籍」をとっても、最新動向を取り
上げるものから、「基礎」や「フレー
ムワーク・見方」を固めるためのもの
もある。
初心者としては、日々のセンセーショ
ナルなニュースに興味をもちつつ、
しかし、基礎的な書籍で、基礎固めを
しておくことが大切である。
基礎がないままに、ニュースやブログ
などの情報に触れることには、
「積極的に建設的に未来を受け入れて
いく」上では、不十分である。
さらに大切なのは、
「文字」だけでなく、
「映像」にも広げていくことである。
YouTubeなどの映像を見てみる。
例えば、USCICT(University of
South California Institute for
Creative Technologies)が、
YouTubeに動画をアップロードして
いる。
バーチャルな心理カウンセリングなど
の進展を見ることができたりする。
「映像」がぼくたちに与えてくれる
ものは、思っている以上に大きい。
聞いた話としてではなく「現実性」
として眼前する。
「分野」も水平方向に広げていきたい。
(2)「垂直方向」への方法
ここでの「垂直方向」は、時間軸で
ある。
(なお、垂直方向は「深さ」という
見方もできる。)
「今」はもちろんのこと、
過去と未来に広がる「通時性」の中で
ものごとを見て、考えていく。
過去の歴史から、ありうる未来まで、
思考の広がりを広げていく。
未来の見方も、いろいろにある。
先述のケヴィン・ケリーの著作
『The Inevitable』(邦題:
<インターネット>の次に来るもの
未来を決める12の法則)なども、
参考になる。
水平方向と垂直方向に展開される
メディアと思考の経験の中で、
「Embrace the future」
を、ぼくたちは形にしていくことが
できる。
「未来」を考える拠り所。- 加藤典洋著『人類が永遠に続くのではないとしたら』と向き合って。
文芸評論家の加藤典洋が、日本の「3・11の原発事故」をきっかけに、「私の中で変わった何か」に
言葉を与えた著書、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)。...Read On.
文芸評論家の加藤典洋が、日本の
「3・11の原発事故」をきっかけ
に、「私の中で変わった何か」に
言葉を与えた著書、
『人類が永遠に続くのではないと
したら』(新潮社、2014年)。
実はまだ、この文章を書きながらも、
この著書と真剣に向き合っている。
400頁におよぶ書籍の折り返し地点
が見えてきたくらいのところに、
ぼくはいる。
向き合っている途中だけれど、
いくつか書いておきたい。
(1)『現代社会の理論』への応答
加藤典洋の『人類が永遠に続くので
はないとしたら』(新潮社)は、
大分前に手に入れていたけれど、
ずっと読めずにいた書籍である。
読めなかった理由のひとつは、
この書で展開される「執念の考察」
(橋爪大三郎)と真剣に向き合わうこと
を、ぼくに要請したからである。
ぼくの側に、その準備ができていなかった。
そもそも、この書籍を手にとったのは
この著書が、社会学者の見田宗介の
名著『現代社会の理論』への応答と
展開を主軸とする論考であったからで
ある。
タイトル『人類が永遠に続くのではない
としたら』が、見田宗介への応答を
告げるものである。
ちなみに、20年ほど前に書いたぼくの
修士論文も、見田宗介の『現代社会の
理論』に刺激を受け、「人類が永遠に
続くのではないこと」を引き受ける形で、
経済社会の発展(また途上国の開発)の
問題を論じた。
見田宗介は、現代社会がそのシステムの
魅力性と共に、「外部の臨界」で、
環境・資源、貧困などの「外部問題」に
直面していることを指摘する。
地球は「有限性」の中におかれている。
この乗り越えの未来社会構想を、
「光の巨大」と「闇の巨大」を、ともに
見はるかす一貫した理論のうちにおさめた
ことに、見田の著書の意義はある。
「光の巨大」と「闇の巨大」の理論の分裂
は、加藤典洋が「近代二分論」と呼ぶ状況
である。
「ゆたかな社会」を高らかに喧伝する
「(光の)近代論」と、「成長の限界」を
説く「(闇の)近代論」が、まじわること
なく、分裂してきた状況がある。
闇の巨大を説く近代論(『成長の限界』
や『沈黙の春』など)は、環境問題や
資源枯渇の問題などを眼前にみせる。
「心のやさしい」学生などは、
自分の生き方に「罪的な気持ち」を
抱いてしまう。
指摘の「正しさ」と共に、この近代論
が説く何かに、ぼくは、感覚として
「居心地の悪さ」を感じてきた。
見田宗介は、「全体理論」として、
「光」と「闇」を統合する視点を提示
している。
加藤典洋は、3・11後の状況の中で、
1996年に発刊された『現代社会の理論』
の「重要さ」を指摘すると共に、深く、
そして一歩先に進めていく視点と共に、
彼の著書で展開している。
この箇所だけでも、加藤の書籍から学ぶ
べきところだらけだ。
(2)「リスク」の視点
加藤典洋は、見田の理論の「革新さ」を
見抜き、どこまでも深い読解を展開していく。
しかし、加藤が不満に思うただひとつの
ことは、見田の理論では「地球の有限性」
が「外部問題」としてしか捉えられていな
いことである。
加藤は、3・11後の、原発の「保険の
打ち切り」(*保険会社が事故を起こした
原発の運転作業や収集作業の「リスク」を
引き受けられない事態)を見聞きするうち
に、産業資本システムの「有限性」が、
システムの「内部」からも起きている、
という視点をとりいれている。
加藤は、ベック著『リスク社会』の深い
独自の読解を手掛かりに、この「システム
内部からの瓦解」を、見田の理論につなげ
ていく。
(加藤典洋によるベックの読解の鮮烈さ
に、ぼくは深く感銘を受けた。)
ベックの理論は、加藤の言葉を借りれば
「(富の)生産からリスク(の生産)へ」
という視点である。
そして、リスクがバランスを失い、回収
不能なリスクをつくりだしてきてしまって
いる。
つまり、リスクが生産を上回るものになっ
てしまっている。
加藤は、3・11後の原発の保険打ち切り
に、そのことを見た。
この状況は、システムはその「内部」に
システムの「臨界」をつくりだしてきたと
いうことである。
後期近代(現代)は、資本制システムの
「外部」にも「内部」にも包囲されている。
地球の「有限性」に直面している。
見田はこの「有限性」を直視し、
「有限な生と世界を肯定する力を
もつような思想」をうちたてる方向性
へと論を進める。
加藤はこれを引き受け、この書の後半
部分を書いている。
(*これからじっくり読みます。)
(3)「未来」を考える拠り所。
ここで、ひとつ取り上げたいのは、
このような「未来」を考える拠り所で
ある。
加藤典洋は、後期近代(現代)を超えて
いく「脱近代論」の二つの方向性を、
地球という「船」が沈んでいくことに
かけて、次のように言っている。
…脱近代論の論とはいえ、船が沈まない
ようにしようという論と、これからは
沈みかかった船の上で未来永劫生きて
いくんだという論とでは、当然、大いに
違うだろう。
加藤典洋『人類が永遠に続くのではない
としたら』(新潮社)
この二つの違いに対応させる形で、
加藤は
・「リスク近代」という考え方
・「有限性の近代」という考え方
と呼んで、次のように書いている。
「リスク近代」の考え方は、どうすれば
地球という船を沈めないですむだろうか
と、問う。これに対し、「有限性の近代」
の考え方は、どうすれば沈みかねない船
の上で、人はパン(必要)だけでなく、
幸福(歓喜と欲望)をめざす生を送る
ことができるだろうか、ともう一つその
先のことを、問う。
加藤典洋『人類が永遠に続くのではない
としたら』(新潮社)
加藤典洋は、「リスク近代」から、
加藤が呼ぶ「有限性の近代」へと論を
すすめていく。
後者は、有限性の中に「無限」をまなざす
考え方である。
「有限性の近代」は、人間とは何か、
などを自問しながら、論じられる。
人は、パン(必要)だけでは「生きる」
ことができない。
「有限性の近代」をひきうけるには、
人間や社会を根底的にとらえなおしていく
ことが大切になってくる。
この捉え直しは、「近代の中」だけでは
なく、近代前、あるいは人類史のような
地点にもさかのぼる捉え直しである。
加藤典洋の視界も、そこまで広がり、
深くきりこんでいる。
見田宗介が拠り所のひとつとする
バタイユの視界も、広く深い。
また、『サピエンス全史』で著名と
なったYuval Noah Harariの視界も
人類史に広がっている。
Yuval Harari著『Homo Deus』は、
ある意味で、「有限性の近代」を
ひきうけていく論考である。
「未来」を考える拠り所は「今」にある
と言われる。
それは、一面では正しいけれど、
「今」だけでは見えないこともある。
(「今」の中に、過去も含まれるという
「言い方」もあるけれど。)
「今」を相対化しつつ、人間や社会
そして自然を今一度、根底的に捉え直す
ときに、ぼくたちはきている。
人や家族、組織や社会などについて展開
する理論や議論において、
ぼくはしばしば「違和感」を感じる。
「居心地の悪さ」を感じることがある。
これら「違和感」「居心地の悪さ」は
それら理論・議論が前提としている人や
社会の「あり方」のすれ違いからきて
いたりする。
それは、「リスク近代」を説く者と、
「有限性の近代」をめざす者との対話が
すれちがうであろう状況と、似ている。
「未来」を考える拠り所として、
根底的な思考に降りていくこと。
人間とは、社会とは、近代とは、無限とは。
根底的な思考を、後期近代(現代)は、
要請してやまない。
「沈みかかった船の上で、これから未来
永劫生きていこう」と誓う中で。
ぼくは、見田宗介のいう「有限な生と世界
を肯定する力をもつような思想」をつくり、
そしてその肯定性に生きていくことを、
自身の生涯をかけて引き受けていきたい。
活き活きと生きるための「岐路」で。- 「やるか、やらないか」。道を間違えないように。
香港の外には、厚い雲がかかっている。今にも雨が降りそうであったので、ジムで走ることにする。...Read On.
香港の外には、厚い雲がかかっている。
今にも雨が降りそうであったので、
ジムで走ることにする。
走りながら聞くPodcastを選ぶ。
最近は走るときは、Podcastで、
- The Tim Ferriss Show
- The James Altucher Show
のいずれかを聞く。
世界のトップパフォーマーたちへの
インタビューである。
Jame Altucherの最新号はすでに
聴いていたので、バックナンバーで
まだ聴いていないインタビューを
探す。
ぼくは、アメリカの作家・コーチで
あるJack Canfieldを選択する。
著書は日本では「チキン・スープ」
シリーズが有名。
ぼくは「チキン・スープ」シリーズは
日本にいるときに英語で読んでいた。
10年前に、休暇で東ティモールに
来たおりに、彼の著書、
『The Success Principles』に
出会う。
ぼくが「Personal Development」
(いわゆる自己啓発。好きな言い方
ではないけれど)を学びだしたのは、
この書がひとつの直接的な契機で
あった。
この書が「10周年」を迎え、版を
新たに、出版された。
その折に、James Altucherが
Jack Canfieldにインタビューを
したのが、このPodcastのバック
ナンバーであった。
この二人の組み合わせはあまり想像
できなかったため、楽しく聴いた。
この出版に際し、考慮されたこと
として、「Success Principles」
の適用事例を盛り込むことであった
という。
それも、「一般の人たち」が適用
することで、どうなったかという
ことである。
この1時間ほどのインタビューの
中で取り上げられた事例だけでも、
感銘を受けてしまう。
例えば、フィリピンでの話。
Jack Canfieldが講演のため訪れた
フィリピンで、ひとりの男性と出会う。
彼の素晴らしいインタビューを受けた
Jack Canfieldは、この男性が、財産
として手元に3ドルほどしかもって
いないことを知る。
Jackは、そこで、夕食代と書籍代
(Jackの『Success Principles』)
にあてるよう、20ドルを渡す。
そして、書籍に書かれた原則(67
項目)を実際にやるように励ます。
2年後、再度フィリピンに来たJack
Canfieldは、同じ彼に会う。
彼は、家も二つ持ち、講演活動をして
いるなど、大成功を収めていたという。
その成功の秘訣は、書籍に書かれていた
67項目の成功原則を、1年間で、
すべて実行したのだという。
その男性は、それを自分に課した。
「成功の定義」は人それぞれなので
一概に言えるものではないが、ぼくは
自分を振り返る。
同じ書籍に出会っても、結果は、人に
よっていろいろに異なる。
しかし、このストーリーは、ぼくが
気づいていて、でも心に痛いレッスン
を気づかせてくれる。
「成功」は、その定義がいかようにあれ、
「やるか、やらないか」により、
決まってくるということである。
行動するか、しないか。
実は、ほぼ、これに尽きるのではない
かと、ぼくは最近感じている。
活き活きと生きるための「岐路」である。
だから、ぼくは、今日も、こうして
文章を書いてはブログにアップし、
それとは別に長い文章のドラフトを書き、
そして、走る。
「やる」という選択肢をとる。
活き活きと生きるための「岐路」で道を
間違えないように。
追伸:
10年前の東ティモール滞在のときのこと。
ぼくは、Jack Canfieldのこの著作に
感銘を受け、その原則のひとつを、
現地の人たちへの「講義」で、ひとつの
ワークとして使ってみたことがある。
そのことを、今、思い出した。
現地の人たちが前に座り、
ぼくは、あるモノを手にあげ、
「これが欲しい人?」
と、現地語で聞く。
皆が手を上げる。
ぼくはまた聞く。
皆が手を上げ続ける。
ぼくはまた聞く。
ある男性が、席をたちあがり、
ぼくに向かってくる。
そして、ぼくの手からモノを
うけとる。
立ち上がり、歩き、手にとる
という「行動」をしたのだ。
あらゆる「技術」に共通するものを追って。- 野口晴哉の整体とカザルスの音楽。
整体の創始者といわれる野口晴哉。野口晴哉の存在を知ったのは、いつだっただろうか。すでに20年以上前になると思う。「自分を変える道ゆき」を探し求めていたときに、野口晴哉の存在に、ぼくは出会った。...Read On.
整体の創始者といわれる野口晴哉。
野口晴哉の存在を知ったのは、いつだった
だろうか。
すでに20年以上前になると思う。
「自分を変える道ゆき」を探し求めていた
ときに、野口晴哉の存在に、ぼくは出会った。
野口晴哉は1976年に逝去したから、
もちろん、著書等を通じての出会いである。
当時は、ちくま文庫の『風邪の効用』など
にふれたことを、記憶している。
2007年に、ぼくは香港に来て、
人事労務のコンサルティングをしていく
ことになる。
「コンサルティング」という領域は、
学びと経験を深く積んでいけばいくほど、
質が高まっていくようなところがある。
自分のコンサルティングを磨いていく
なかで、香港で、ふとしたことから、
野口晴哉の書籍に「相談」したくなった
ことがあった。
「相談相手」は、野口晴哉の『治療の書」
である。
野口晴哉が「治療」を捨てた書である。
人間を丈夫にするためには「治療」では
駄目だと、野口が「転回」して独自の道を
つくっていくことの、画期的な書である。
ぼくは、この書籍を日本から取り寄せた。
ぼくも、コンサルタントとして、
問題が起きてからの「対処」よりも、
問題の「予防」により力を投じはじめて
いたときであったから、
この書は、ぼくの心に響いた。
『治療の書』と共に、日本から取り寄せた
野口晴哉の書の中に、『大絋小絋』がある。
この書が、ぼくの心をつかんだ。
この書は野口晴哉の草稿から取り出された
エッセイ集である。
このエッセイ集の最後に、
「カザルスの音楽に“この道”をみがいて」
というエッセイが添えられている。
野口晴哉はクラシック音楽を愛していて、
特に「カザルスのバッハ組曲のレコード」
は、空襲による火事のときも持ち出すほど
であったという。
野口は、整体指導にもクラシックのレコー
ドを使用していた。
理由の一つは、
「自分の技術に時として迷いがでるから」
と、野口は書いている。
カザルスは、野口にとって「本物」であっ
た。
自分自身の技術を、この「本物」に負けな
いように磨いていくことを心がけていたと
いう。
野口晴哉はこのように書いている。
人間の体癖を修正したり、個人に適った体
の使い方を指導している私と音楽とは関係
なさそうだが、技術というものには、どん
な技術にも共通しているものがある。
カザルスは完成している。私は未完成であ
る。懸命に技術を磨いたが、五年たっても
十年たってもカザルスが私にのしかかる。
野口晴哉『大絋小絋』(全生社)
当時、さっそく、ぼくはカザルスのバッハ
の組曲を手にいれて、聴いた。
海外に出るようになって、ぼくはクラシッ
ク音楽を聴くようになっていたが、
カザルスのバッハの組曲の「完成度」は
ぼくにも大きくのしかかってきた。
それからというもの、ぼくは、
このカザルスの音色に、何度も何度も
戻っては、自分の「技術」の未完成に
直面していた。
野口晴哉は、それから、カザルスを聴く
ことの中に、自分の「変化」を聴きとる。
…夢の中でも、カザルスは大きく、私は
小さかった。それが始めてカザルスの
音楽を聴いて以来、二十四年半で、カザ
ルスが私にのしかからなくなった。
野口晴哉『大絋小絋』(全生社)
この文章を書きながら、久しぶりに、
ぼくは、カザルスのバッハの組曲を
聴いている。
ぼくの中で「変化」はあるだろうかと。
カザルスは依然として、ぼくに、大きく
のしかかってくる。
カザルスの「完成度」が、ぼくの「未完
成度」を照らしている。
そして、それと同時に、ぼくの前に、
野口晴哉という「巨人」が立っている。
野口晴哉の文章が、ぼくにのしかかって
きている。
野口晴哉は、カザルスが自分にのしかから
なくなってからの感想として、
「うれしいが張り合いがなくなった」と、
綴っている。
ぼくは、野口晴哉とカザルス、そして
野口晴哉の存在を教えてくれた見田宗介
という「巨人たち」を前に、
「張り合い」を、自身にめぐらしている。
「考えることの身体」について。- ロダン『考える人』は何を考えているか。
そんなことを考えながら、本を読んでいたら、オーギュスト・ロダンの有名な彫刻、『考える人』の面白い解釈に出会った。...Read On.
世界で生きていく上では「考える力」が
大切である。
その土台としての「論理・ロジック」に
ついては、ぼくの「個人史」を書いた。
そんなことを考えながら、本を読んで
いたら、
オーギュスト・ロダンの有名な彫刻、
『考える人』の面白い解釈に出会った。
ロダンの『考える人』は、おそらく、
多くの人が見たことがあると思う。
(※ロダン「考える人」Wikipedia)
前屈姿勢で、なにやら、真剣に物事を
考えている男がいる。
子供のころから、この「考える人」は
何を考えているのだろう、と思いつつ、
でもその真相を調べることまでの
気持ちはわいてこなかった。
直感的には、なにか、哲学的な深い
ことを考えているのだろうと、推測を
立てていた。
ただ単に、「美術」「ロダン」という
響きが「哲学」と結びついただけだった
のかもしれない。
社会学者の見田宗介の著作を、再度読み
直しているところで、
『定本 見田宗介著作集X:春風万里』
に収録されている、「野口晴哉」に
関する論考に、ロダンの「考える人」が
取り上げられているのを、見つけた。
以前も読んでいたのだろうけれど、
飛ばして読んでしまっていたのだろう。
見田宗介は、ロダン「考える人」が
何を考えているのか、に関する、
野口晴哉(整体の創始者)の考え方に
ふれている。
野口晴哉は、「考える人」の「姿勢」
から、読み取るのだ。
人間が考えるということには
「二つの様相」があるとした上で、
思考の内容に応じ、身体は正反対の姿勢
をとるという。
一方は「行動の思考」、現在から近い
将来の、具体的で実用的な思考である。
他方は「上空の思考」ともいうべきもの
で、楽しい空想とか、遥かな未来の想像、
過去の思い出や、高度の哲学的、理論的
な思考のように、現実の上空を飛翔する
思考である。「行動の思考」をする身体
は前屈し、全身を凝集して緊張している。
「上空の思考」をする身体は反対に上体
をそらせて、伸び伸びと弛緩している。
ロダンの彫刻は重心を前に移して、足の
親指に力が入り手も内側に入っている
から、具体的な行動のための、方法の案
出とか順序の問題を考えている身体である。
見田宗介『定本 見田宗介著作集X:
春風万里』(岩波書店)
「身体」の視点から、ロダンの「考える人」
を視る、ということは、ぼくのパースペク
ティブにはなかった。
人の身体は多くを語ることは知りつつ、
ぼくたちは、「身体論」の教育を受けてきた
わけではない。
どちらかというと、教育の主眼は「心」に
投じられていた。
しかし、最近は、心と身体は切り離さない
「パースペクティブ」が、多く提示されて
きている。
「考える」ということを考えるとき
ぼくは、その身体のあり方を考える。
どのような「身体」で、ぼくらはよりよく
考えることができるのか、など。
「身体」は、人を変えていくための
ひとつの拠点だ。
「心身」という言い方もあれば、
「身心」という言い方もある。
心と身体が切り離せないという視点からは、
どちらも正しい。
心(マインド)から入っても、
身体(ボディ)から入っても、
ぼくたちは、自分たちを変えていくことが
できる。
しかし、ぼくが生きてきた時代は
どちらかというと「心」に重きを置かれて
きたように、思う。
「心の教育」ということの中で、
ぼくは「身体」を忘れてしまったのかも
しれない。
身体は忘れることができないのだけれど。
だから、自分を変えたいという思いを、
ぼくは「身体」を拠点にするという戦略に
うつしかえてきたのだと思う。
それにしても、
ロダン「考える人」は、
「地獄の門」の頂上で、いったい、
具体的なこととして、何を考えていたの
だろう。
そして、ロダンはなぜ「考える人」なんかを
創作したのだろう。
追伸:
西アフリカのシエラレオネで働いて
いるとき、
ぼくは夕方、事務所の前で、
しばしば、考え事にふけっていた。
(ぼくは安全対策の行き届いた
事務所に住んでいました。)
シエラレオネの「現実」の中で、
考え事が山積していた。
ある人は、ぼくが「哲学者のようで
あった」という。
今思い起こして、それは、
「行動の思考」であったのか、
「上空の思考」であったのか。
どちらかというと後者であったので
はないかと、ぼくは思う。
具体的な思考は、就業時間中に、
とことんしていたし、
何よりも、ぼくの「身体」は前屈と
いうよりは、上体をそらせて、
ひらかれていたから。
ぼくの身体は、シエラレオネの
空にむけられて、ひらかれていた。