人生はひとつの(あるいは無数の)プロジェクト。- 国際協力プロジェクトで学んだこと。
人生はプロジェクトである。東ティモールのことを思い出していたら、そんな言葉が、ふと、浮かび上がった。...Read On.
人生はプロジェクトである。
東ティモールのことを思い出していたら、そんな言葉が、ふと、浮かび上がった。
ぼくは、東ティモールでは、NGO職員としてコーヒー生産者支援のプロジェクトに携わっていた。
2003年から2007年のことだ。
国際協力などのプロジェクト(比較的中長期的なプロジェクト)においては、ビジネスと同じように、綿密なプロジェクト計画をつくっていく。
実施可能性をさぐるフィージビリティ調査などの調査から、予算を含むプロジェクト原案をつくり、なんどもチェックと書き直しを繰り返して、ようやく完成させる。
プロジェクト計画は、詳細につくる。
時間という横軸(過去ー現在ー将来)と、社会という縦軸(個人・家族ーコミュニティー地方・地域ー国)の総体を論理的に考慮しながら、今ここのプロジェクトに集約させる。
自分の頭も、あるいはチームなどのリソースも、字義通り、総動員でのプロジェクト計画となる。
それから、例えば資金供与先である公的機関の厳しい審査を通し、プロジェクトがはじまる。
プロジェクトがはじまっても、進捗管理に追われたりする。
人やコミュニティ、また自然という「現実」は、思ったとおりにはなかなかいかないから、実施管理もシビアだ。
そして、プロジェクト期間終了時には、プロジェクトの成果を確認し、レビューし、報告書を作成する。
このようにして、「プロジェクト・サイクル」をきっちりとまわしていく。
国連や欧米系の国際NGOは、プロジェクトを戦略的・戦術的に計画し、また成果を報告することに長けている(実施過程はいろいろだし、自分の目で綿密には見ていないからなんとも言えない)。
「戦略」が弱いと言われる日本の組織としては、学ばされることが多い。
プロジェクトの目的・目標を定め、活動計画に落とし、時間軸を立てながら、予定を立てる。
「森と木」をみる目、戦略思考、論理力、数値、文章力、政治的配慮、文化的な繊細さなど、あらゆるものが求められるプロセスだ。
ぼくも、自分のもっているものを最大限駆使しながら、しかし途方にくれる経験を超え出るという「創られながら創る」(真木悠介)ことのプロセスをなんどもくぐりぬけてきた。
そのような仕事が、少しでも、現地の人たちの「力」になれればと。
プロジェクトは一定の成果を生みだし、現地の人たちに役立つとともに、このプロセスの総体は、ぼく自身の「生き方」にも影響をおよぼすようになった。
プロジェクトも軌道にのり一段落しているときだったと記憶しているが、ぼくは、人生もひとつの(あるいは無数の)プロジェクトではないかと、東ティモールの(おそらく)首都ディリの市内を移動中に思ったのだ。
ぼくたちは仕事では、プロジェクト計画から進捗管理、そして報告書作成までの一連の「プロジェクト・サイクル」をまわすけれど、「果たして自分自身の人生は…」、と思ったのだ。
自分の人生となると、例えば「大枠」だけを目標としてイメージし、仕事に集注した将来を想像することにとどまる。
そして、そんな「大枠」の目標は、大枠として達成される。
ぼくは、「人生はひとつの(あるいは無数の)プロジェクト」という気づきを頼りに、自分の人生というプロジェクトをつくることに着手するようになった。
個人のミッションを立て、そこから分野ごとに目標を立て、活動計画を立てる。
そうやって、試行錯誤で、ここまできた。
当たり前だけれど、うまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともある。
人生(のあらゆる分野)に目標を立て、活動計画をつくり、きっちりと遂行して達成する人たちもいる。
人生はいきあたりばったりでチャンスが開かれていく、という人たちもいる。
どちらがいい、というよりは、やはり、どちらも「人生の道具箱」には入れておきたい。
いつでも使えるように。
でも、ぼくとしてはーあくまでも、ぼく個人ということではー、どちらかというよりは、統合するような形で、活用したい。
目標を立て、活動計画をつくりながらも、「いきあたりばったり」的なオープンさは持っていたい。
「いきあたりばったり」でチャンスをつかむ人たちも、実は、無意識の次元では論理的に考えていたりするものだ。
また、一方で、「いきあたりばったり」で遭遇するチャンスをつかみつつも、時間という横軸と社会という縦軸を総合的に把握しながら、小さい無数のプロジェクトを論理的につくりたい。
人生の段階において、どちらの「度合い」を高くするか、どのようなプロジェクト(大きさや期間)をつくるかは、柔軟に変えていく。
ぼくは、いまだに試行錯誤の毎日だけれど、統合的かつ柔軟性をもって、どちらも大切にしたいと思う。
でも思うのだけれど、人生というのは、このような意図も、ときに、するするとすりぬけていってしまう。
それが、生きることの面白さである。
リアリティへの着地と、生ききることへの離陸。- アジアへの旅、鳥山敏子、宮沢賢治、見田宗介に教えられて。
海外に出て、そのはじめの道ゆきで、ぼくは、生のリアリティが裸出している風景に出会った。...Read On.
海外に出て、そのはじめの道ゆきで、ぼくは、生のリアリティが裸出している風景に出会った。
例えば、アジアの食品市場を訪れると、生きている鶏や豚が売られていたり、さばかれたばかりの肉が裸出している。
残酷だという人もいる。
見るに耐えない人もいる。
都会における普段の生活のなかで、ぼくたちは、それらを見ることなく、人工空間に生きているからだ。
スーパーマーケットでは、きれいに包装された肉や魚が、「商品」としてならべられている。
ちなみに、香港は、都会のなかでも、アジアの食品市場の風景を残しており、リアリティが裸出している。
そんなリアリティが裸出する「風景」を、自分たちの経験とするために、教師の鳥山敏子は、かつて、<いのち>に触れ、考える授業を展開した。
具体的には、鶏を殺して食べるという授業である(鳥山敏子『いのちに触れる 生と性と死の授業』太郎次郎社、に書かれている)。
批判もたくさんあっただろうけれど、ぼくには、このような経験の大切さがよくわかる。
そのような風景を非日常とする、多感な日本の子供たちと同じように、ぼくも「食べること」を罪のごとく感じていた時期がある。
アジアを旅するようになり、裸出するリアリティにぼくの身体がさらされながら、ぼくは言葉にならない「感覚」を得ていた。
言葉にはならないけれど、それがとても大切であることはわかっていた。
それから年月を重ねた後、ぼくは、西アフリカのシエラレオネ、東ティモールに暮らしてきたなかで、そのような風景を日常として生きてるようになった。
その経験のなかで、一方で言葉にならない「感覚」をそのまま言葉にせずに持ち続け、他方で一部を言葉化してきた。
罪のごとく心の奥底では感じながら、普段の生活ではそれらを「見ない」でやりすごしていたなかで、ぼくは社会学者・見田宗介の文章に出会った。
見田宗介は、著書『宮沢賢治』で宮沢賢治の生涯を追いながら、賢治が「いのち」ということを追い求めた軌跡を、例えば『よだかの星』などの作品からすくいあげている。
みにくい鳥であるよだかは、「かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される」と、生物界の「食物連鎖」を思い、「つらい、つらい」となげく。
見田宗介は、考え方としての「解決」を、このように書いている。
生命世界が<殺し合い>の連鎖であるという見え方は、ホッブス風の近代市民社会の原像を生物界に投影したものだけれども、人間社会の諸個人の生活の相互依存の連鎖(だれでも他の多くの人々の労働に支えられて生きている)は、個のエゴイズムを絶対化する立場に立つかぎり相互収奪の連鎖であるが、エゴイズムの絶対化をはなれることができるかぎりは、人間たち相互の生の<支え合い>の連鎖でもあり、そしてまたこの他者たちのための<支え>のひとつであるということこそは、ひとが<生きがい>と呼んでみずからの生の支えとしているものの核心でもある。
…植物、動物がみずからの生命によってたがいに他の生命を養い合っている<生かし合い>の連鎖としてみることもできる。
見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
<生かし合い>の連鎖という考え方は、ぼくの視点に、ひとつの救いを与えてくれる。
ぼくは、今日こうして「食べる」という行為のなかに、生かされているということである。
しかし、考え方(言葉)の解決は、そこだけにとどまらず、身体レベルまた生き方総体の解決へと、ぼくたちを押し出していく。
ぼくの「解決」の仕方は、生ききる(live fully)、ということである。
苦悩と歓びに充ちた生を生ききること。
生かし合いの連鎖のなかで、自分の生を生ききること、そしてそうすることで他者たちの生の支えにもなること。
かつてぼくは、見田宗介が読みとる宮沢賢治の「(生かし合いの連鎖における)問題解決のつきつめ方」、つまり他者の生命のために自己の生命をなげだしていくような方向に生きていこうとしてしまった。
そのような方向の道ゆきで無数の失敗を重ねながら、ぼくのなかで、いろいろな物事が反転した。
自分が生ききること。
(なお、「自己」という身体も、ほんとうは共生のシステムであることは、見田宗介が別著で明晰に展開している。自分を生ききることは、その意味で、すでに「他者」の支えである。)
生ききれていれば、それは必ずどこかで、他者の<支え>となるというところに、ぼくは舵をきった。
「Lose myself」に「肯定性の道しるべ」をみる。- レディオヘッド、チクセントミハイ、真木悠介、宮沢賢治。
ロックバンドのレディオヘッド(Radiohead)のアルバム『OK Computer』が名盤として時代をつくった1997年から20年が経過した。...Read On.
ロックバンドのレディオヘッド(Radiohead)のアルバム『OK Computer』が名盤として時代をつくった1997年から20年が経過した。
レディオヘッドは20周年を迎えた2017年、『OK Computer OKNOTOK』というアルバムを世におくりだした。
1997年の『OK Computer』のリマスター版、曲のシングル盤に収められた曲、それから未発表曲と、23曲を収録している。
未発表曲の「I Promise」は素敵な曲だ。
ボーカルのトム・ヨークは、この曲を、オリジナルの『OK Computer』に収録しなかった理由は、「われわれはその曲が十分によいとは思わなかったから…」と語っている。
ぼくは、個人的には、アルバム『OK Computer』はそれ自体でひとつの完結性・完全性をつくっていたから、他の曲が十分によくても、その完全性をくずしてしまうことが理由ではなかったかと、勝手に思っている。
少なくとも、ぼくは『OK Computer』というアルバムのひとつの宇宙が好きだし、それと同時に、未発表曲の「I Promise」も好きだ。
それはそれとして、「lose myself」ということを、レディオヘッドを出発点にして、その可能性を書こうと思う。
1)レディオヘッドの曲「Karma Police」における「lose myself」
レディオヘッドの名盤『OK Computer』には、「Karma Police」(カーマ・ポリス)という変わった名前の曲が収められている。
「カーマ・ポリス、この男を逮捕してくれ」と始まる歌詞は、少し気だるい曲調と共に、決して明るいものではない。
歌詞の意味も、語られる以上のことは、不明瞭だ。
そのような曲「Karma Police」は、最後の方で転調し、トム・ヨークはこんな風に叫ぶ。
For a minute there
I lost myself, I lost myself
For a minute there
I lost myself, I lost myself
Radiohead “Karma Police” 『OK Computer』
オリジナル版が出た1990年代後半、ぼくは、この「lost myself」が気になっていた。
「lost oneself」は、辞書(※下記は英辞郎)で引くと、概ね3つの日本語訳となる。
- 自分を見失う
- 道に迷う
- 夢中になる、没頭する
トム・ヨークが「Karma Police」を歌うとき、それは1の意味と感情で歌われているのだろうけれど、ぼくには少し違うように聞こえたのだ。
先取りしておけば、第一に、「自分を見失う」ことの先に開かれる可能性ということ、そして第二に、「夢中になる」という意味合いである。
日本語訳の1と2は否定的な意味合いであるのに対して、3は反対に肯定的な意味合いをもっている。
2)「夢中になる」ー フロー状態(チクセントミハイ)
昨今、創造性やピークパフォーマンスが注目されるなか、心理学で「フロー」と言われる精神状態とその条件が見直されている。
もともと、心理学者のミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi)が提唱した概念である。
簡潔に言えば、人が完全に集中し、活動にのめりこんでいるような状態のことを言う。
まさに、「夢中になる」状態のことである。
自分というものを忘れて(失って)、集中する体験である。
チクセントミハイは、1990年に、フローを体系的にまとめて著作を出した。
それが、最近の創造性・クリエイティビティなどが注目されるなかで、よく言及されるようになっている。
Steven Kotlerの著作『The Rise of Superman: Decoding the science of Ultimate Human Performance』や『Stealing Fire: How Silicon Valley, the Navy SEALs, and Maverick Scientists Are Revolutionizing the Way We Live and Work』などは、チクセントミハイの「フロー」を現在的な文脈で追っている。
いずれにしても、「自分を見失う」という経験が、ここでは、肯定性に転回されている。
3)エクスタシー論(見田宗介=真木悠介)
社会学者の見田宗介=真木悠介は、著書『自我の起原』の「7.誘惑の磁場」という章の中で、「Ecstacy」について次のように書いている。
…われわれの経験することのできる生の歓喜は、性であれ、子供の「かわいさ」であれ、花の彩色、森の喧騒に包囲されてあることであれ、いつも他者から<作用されてあること>の歓びである。つまり何ほどかは主体でなくなり、何ほどかは自己でなくなることである。
Ecstacyは、個の「魂」が、〔あるいは「自己」とよばれる経験の核の部分が、〕このように個の身体の外部にさまよい出るということ、脱・個体化されてあるということである。…
真木悠介『自我の起原』岩波書店
「生の歓喜」は、「自己」とよばれる経験の核の部分が、個の身体の外部にさまよい出るという経験である。
つまり、いかほどか、自分が自分でなくなるような経験である。
見田宗介=真木悠介は、このことに、生物学という地点から、辿りついている。
4)<にんげんがこわれるとき>(宮沢賢治)
見田宗介は、このような「自我の解体」ということを、宮沢賢治の詩にみている。
宮沢賢治『小岩井農場』のなかに、ふしぎな言葉がでてくる。
幻想が向ふから迫ってくるときは
もうにんげんの壊れるときだ。
宮沢賢治『小岩井農場』
「にんげんのこわれるとき」という経験は、自分をなくす経験である。
しかし、その「自我の解体」は、肯定性により転回されている。
見田宗介は、宮沢賢治の『青森挽歌』の詩に、この詩人の「肯定的な転回」をひろいだしている。
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつまでもまもつてばかりゐてはいけない
宮沢賢治『青森挽歌』
「いつまでもまもってばかりいてはいけない」と、宮沢賢治は書いている。
自衛のために「自己」を保つぼくたちだけれど、いつでも、そうであっては広い<世界>にでていくことはできない。
「lose myself」は、ひとつの方法である。
体験のなかに、夢中になって没入していくことで、体験を体験として感じとることができる。
このように、「lose myself」は、「夢中になる」という仕方で、肯定性を身に帯びることができる。
他方、ぼくたちは、生きるという経験のなかで、「lose myself」という痛い経験にさらされることもある。
自分を見失い、道に迷い、ぼくたちは途方にくれる。
自分が自分ではないように感じ、心を痛め、脱力感にみまわれ、身体に異常をみる。
しかし、それは、必ずしも、ぼくたちを否定性の世界に導くものではなく、それは「肯定性の道しるべ」でもある。
「lose myself」の行く末に、これまでとは異なる「myself」をつくりだすこともできる。
その地点から振り返ってみると、これまでの「myself」がとても小さい檻に閉じ込められていたことを知ることになる。
宮沢賢治の声がきこえる。
…いつまでもまもってばかりいてはいけない。
洋書による「英語の学び」の地平線。- シドニー・シェルダンの作品。
ぼくが、日常で洋書を手にするになったきっかけのひとつは、シドニー・シェルダン(Sidney Sheldon)の作品である。...Read On.
ぼくが、日常で洋書を手にするになったきっかけのひとつは、シドニー・シェルダン(Sidney Sheldon)の作品である。
シドニー・シェルダンは、アメリカの脚本家・小説家。
今の10代・20代の若い世代には馴染みがない名前だろう。
1980年代から1990年代にかけて多くの作品を世におくりだし、2007年に他界した。
サスペンス的なプロットに読者をひきこみ、日本でも翻訳がベストセラーとなり、当時は書店のすぐ目につくところに並べられていた。
だから、「シドニー・シェルダン」の名前は知っていた。
新聞紙面でも、シドニー・シェルダンが「英語教材」として扱われている広告を、よく目にしていた。
大学に入り、英語をもっと勉強しないとという焦燥感を抱きながら、シドニー・シェルダンの名前は、ぼくの頭の片隅に置かれていた。
でも、当時は特に本を読むことを常としていなかったし、サスペンス的な小説には関心をもっていなかった。
そんな状況に変化があったのは、大学2年終了後に休学届けを大学に出して、ニュージーランドにいったときのことであった。
ワーキングホリデー制度を利用しての滞在であった。
オークランドの日本食レストランでウェイターとして働きながら、休日はオークランド図書館や古本屋に足を運ぶようになった。
ぼくは、古本屋で、ビートルズの伝記などと共に、シドニー・シェルダンの作品のペーパーバック版を手にした。
「ペーパーバック」の本には、少なからず、あこがれを抱いていたこともある。
バックパッカーとして海外を旅するようになってから、バックパックとペーパーバックがある風景に、かっこよさを感じたのだ。
旅先で会う、世界からのバックパッカーたちは、背中に大きなバックパックを背負い、その中には必ずと言っていいほど、ペーパーバックの本が数冊詰められていた。
まだ、電子書籍がない時代だ。
旅先の宿で、旅先のカフェで、ペーパーバックが風景のなかで欠かすことのできない一部を成していた。
母国語を英語としない人たちも、英語のペーパーバックを読み、読み終わっては宿に寄贈していく。
ぼくは、そんな旅の風景が好きだった。
ニュージーランドに住むという経験のなかで、英語を修得するという目標のためにも、英語の原書にチャレンジする。
しかし、そこには、「あこがれ」のイメージを重ねて、「かっこよさ」の風景をつくりあげていく。
そのようにして、ぼくは、英語の本たちと仲良くなりはじめた。
でも、「英語を学ぶ」ということで読み始めたシドニー・シェルダンは、最初の導入部分さえ超えてしまうと、ページを繰る手がとまらなくなってしまった。
英語は比較的容易な語彙が使われ、物語のリズムとプロットが幸福な調和をつくることで、読者を物語の世界にひきこんでしまう。
こうして、「英語の学び」ということは、いつしか地平線の彼方にきえてしまい、そこには「楽しさ」が現れることになった。
楽しさは、本の最後まで、ぼくたちを届けてくれる。
途中、わからない単語はあまり気にしない。
本の楽しさとリズムという「波」が、地平線をこえて、ぼくたちを「沖」までつれていってくれる。
英語の本を一冊読みきる、という経験がつみあがる。
そして、また、古本屋で、シドニー・シェルダンの一冊を手にとる。
シドニー・シェルダンは、だいたい、どこででも、手にいれられるのだ。
そんな経験の積み重ねのなかで、ぼくは、日常のことのように、洋書を読むようになった。
洋書を日常として読めるということは、ベネフィットも大きい。
- 著者独特の語りのリズムや語彙を楽しむことができる。
- 英語を学ぶことができる。
- 翻訳を待つ必要がない。
- 翻訳されない良書に触れることができる。
- 翻訳では意味がとれない場合(翻訳がまちがっている場合)を避けることができる。
- 世界で出会う人たちと内容等について語ることができる。
まだ、ベネフィットはあるだろう。
しかし、そんなベネフィットをひっくるめて、ぼくは何よりも楽しんでいる。
シドニー・シェルダンがまだ生きていたら、とぼくは思わずにはいられない。
もっとたくさんの作品を、ぼくたちは楽しむことができたはずだ。
とても残念だ。
しかし、シドニー・シェルダンは、ぼくにもっと大きなものを残してくれたようにも思う。
それは、本を読むという楽しさであり、洋書(原書)を読むという楽しさである。
シドニー・シェルダンの作品は有限だけれど、楽しむ仕方は無限だ。
この「楽しむ」という無限を、彼は、肩肘はることなく、ぼくに魅せてくれた。
「世界は…情熱を投げいれることによってしか、意味をなげかえしてくれない」(鶴見俊輔)。- 「価値の無意味性」を超える仕方。
哲学者の鶴見俊輔は、かつて、「結局のところ世界は、自分が自分の情熱を投げいれること(行動)によってしか、意味をながかえしてくれない」と語った。...Read On.
哲学者の鶴見俊輔は、かつて、「結局のところ世界は、自分が自分の情熱を投げいれること(行動)によってしか、意味をながかえしてくれない」と語った(鶴見俊輔・久野収『現代日本の思想』岩波新書)。
鶴見俊輔の中から、しぼりだされてきたような言葉である。
鶴見俊輔がこう語るとき、念頭にあるのは、「戦後派」という1919年から1933年生まれの者(日本人)たちが体験した、「価値の無意味性」である。
…戦後派はもっとも深く敗戦の影響をうけている。それまで深く信じていたもろもろの価値が、あっという間に色あせ、何でもないしらじらしい理念になってしまうのを体験した。心の底のほうで、あらゆる価値の無意味性を信じている。両親も、兄弟も、天皇も、国家も、恋愛も、教養も、金も、神も。…
鶴見俊輔・久野収『現代日本の思想』岩波新書
このような圧倒的な無意味性を感覚させる「現実」ではないけれど、ぼくも、その片鱗を、世界の紛争地域で感覚してきた。
2002年、ぼくは、長年の紛争が終結したばかりの西アフリカのシエラレオネに降り立ち、難民支援と帰還民支援に奔走する。
電気がないから、ろうそくを灯して、夜中まで仕事を続けるような日々のなかに、ふと、空洞が生まれる。
そんなときに、「価値の無意味性」の深淵をのぞく。
2006年、東ティモールの騒乱で、銃弾がとびかう音を耳にし、日常生活が停止してしまったようななかに、ふと、同じような空洞が訪れる。
一時退避した日本で、ぼくは、この「価値の無意味性」の深淵を前に、生きることの物語を、なんとか支えようとする。
そして「東ティモールの騒乱を乗り越えて輸出されるコーヒー」という物語を一生懸命に紡ぎながら、コーヒーの輸出に向けて、奔走する。
日本における戦争の焼け野原という仕方ではないけれど、ぼくは、そんな深淵に、投げこまれることになった。
「現実」ではなくても、すぐれた小説や映像は、その深淵とそこからの帰還という旅路を、疑似体験させてくれる。
トム・ハンクス主演の映画『プライベート・ライアン』は、このような「価値の無意味性」の只中に置かれながら、その中に「1人の兵士の救出」という情熱を投げいれることの物語である。
井伏鱒二は、著書『黒い雨』のなかで、登場人物に、語らせる。
…今までして来たことが飯事であったように思われて、今までの自分の生活も玩具の生活であったような気がした。…
井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫
今の現代社会は、このような生死を分ける体験を紛争という日常で生きざるをえない人たちと、また他方で対極に「虚構の現実」を生きている人たちを見ている。
「虚構の現実」に生きる人たちが、往々にして取る方法は、「どうせ何もかも飯事だから」という「投げやり」だ。
「情熱を追う」や「好きなことを追う」という方向性を見ながら、しかし、情熱も好きなことも、「投げやり」の延長線上に描かれてしまう。
『黒い雨』の登場人物は、「どうせ何もかも飯事だ」という地点から、「投げやり」にいくのではなく、生きるということの本質をみつける。
「飯事」という価値の無意味性の地点から、「どうせ何もかも飯事だ。だからこそ、却って熱意を籠めなくちゃいかんのだ」という情熱への反転を、生き方として得ていく。
鶴見俊輔も、あらゆる価値の無意味性を信じる「戦後派」が、体験の深さから得た、生きることの本質へと転回する仕方を語っている。
それが、冒頭の文章だ。
…心の底のほうで、あらゆる価値の無意味性を信じている。両親も、兄弟も、天皇も、国家も、恋愛も、教養も、金も、神も。結局のところ世界は、自分が自分の情熱を投げいれること(行動)によってしか、意味をなげかえしてくれない。かくて情熱のたえざる燃焼、熱烈な行動のつみかさねが必要となる。
鶴見俊輔・久野収『現代日本の思想』岩波新書
鶴見俊輔は、「情熱を投げいれること」を、深いところで、方法として取り出している。
無意味性が「投げやり」をつくるとは必ずしも言えない。
無意味性という「井戸の底」から、逆に、生きることの彩りを感覚し、見ることができるかどうかである。
生きることの彩りは、一色ではない。
苦悩から歓喜まで、何色にも彩色された、あるいは彩色することのできる、ひとつの<夢>である。
健康を考えながら、「塩」が気になったこと。- ぼくたちの内なる「海の水」。
ここのところ、健康を見直していくなかで、「塩」が気になっている。...Read On.
ここのところ、健康を見直していくなかで、「塩」が気になっている。
現代人の「体温低下」の原因として「塩分摂取の極端な制限」を挙げながら、医師の石原結實は、こんなことを書いている。
…すべての生命の源は、約30億年前に海水中に誕生したアメーバ様の単細胞生物である。約3億年前のデボン紀に、一部の脊椎動物が陸に上がってきたが、そのまま上陸すると干からびてしまう。よって、海水と同じものを体内に携えて上がってきた。それが血液である。
文字どおり、「血潮」なのである。血液や羊水の浸透圧と海水の浸透圧は酷似しているとされているし、鼻水も涙も塩辛い。我々人間の60兆個の細胞は、今でも血液という海の中に浮いて生活しているのである。
石原結實『お腹を温めれば病気にならない』(廣済堂出版)
さらに、石原は、「塩」を意味するラテン語「Sal」を取り上げている。
ラテン語「Sal」から、さまざまな「大切な言葉」が生まれてきたことに、目をつけている。
例えば、こんな感じだ。
●ラテン語の「Salus(健康、安全など)」:塩が一番おいしく健康に良かったから。
●「Salad(サラダ)」:生野菜に塩をかけたことから。
●「Salary(給料)」:古代ローマ時代の兵士の給料の一部は塩で支払われた(※いくつかの説がある)
語源はいろいろな気づきをもたらしてくれる。
気になったのは、塩や給料が大切だということだけではなく、そこに「人間と社会の歴史と未来」のことが語られているように、感じたからである。
もちろん、それが、ぼく自身の生においても、大切であることは言うまでもない。
「塩」というものは、それ自体、ぼくたちの人間の身体と、人間の社会のなかで、なくてはならないものであり続けてきた。
しかし、「塩」は、この二千年紀の人間社会の発展のなかで、例えば「Salary」(給料としてのお金)という、人間が共同幻想する「貨幣」へとつながってきたわけだ。
「塩」は、派生形態のひとつとして、それ自体で価値のあるものから、紙切れである「紙幣」などへと変遷しー「自然」から離陸することでー、人間社会の発展を無限にきりひらいてきた。
無限にひらかれたと思われた、その人間社会が、今、いろいろな壁にぶつかっている。
人間は、貨幣経済や都市化などを軸に発展をしてきたなかで、いつしか、生命の源であった「海の水」を汚し、人間の「血潮」(血液)を汚してきた。
「塩」そのものは、過剰摂取がさまざまな病気を引き起こすとも言われる存在になっている(石原は、極端な制限は体温低下を招くと警鐘している)。
とても唐突だけれど、そのような状況のなかで、「塩」が、人間と人間社会の転回のキーであるように、感じたのだ。
D.H.ロレンスの最後の著書『アポカリプス』は、ロレンスによるラディカルな文明批判と未来のビジョンの書である。
2001年9月11日の事件に際し、社会学者・見田宗介は、この書物を思い起こしていた。
見田宗介は、人間社会の「未解決の課題」である、「関係の絶対性」(人間の良心や思想に関係なく、軍事力や貨幣経済を媒介に客観として存立してしまう敵対的関係)を乗り越える方途のイメージを、ロレンスのこの書物に見たという。
…D・H・ロレンスが、関係の絶対性の思考に対置して依拠するヴィジョンは、一見思い切りとうとつであり、なんの説得力もないもののようにみえるものです。
ロレンスが、その死の床で力をしぼるようにして書き記したという最終章は、書きなぐるように飛躍する文体で、ぼくたちは太陽系の一部である。地球の生命の一部分であり、ぼくたちの血管を流れているのは海の水である。というようなことが語られている。
いきなりこういうことをいわれても、納得する人はいないと思います。けれどもわたしは自分自身としては、このロレンスが言おうとしたことに、深く納得しました。
見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
この文章を読み、ロレンスの『アポカリプス』を読みながら、ぼくも「感覚」として納得していたけれども、ぼくの目の前に広がる「海」、ぼくの内なる「海の水」(血潮)、それから「塩」が、論理として、より明確に見え始めてきた。
冒頭の文章とラテン語「Sal」は、その明確さに、言葉を別の角度から与えてくれたのだ。
人間も人間社会も、その発展の末に、「海の水」を汚し続けてしまった。
また、「海の水」からはるかな果てに離陸し、干からびてきてしまっている。
だからといって反近代のような地点に戻るのではなく、「発展」の恩恵とポジティブなエッセンスを取り出し、無数の課題を超えながら、未来を見据えていく地点に入っていくことだ。
そのときに、「塩」は、それ自体においても、また象徴やメタファーのようなものとしても、鍵となるものであると、ぼくは感じている。
だから、ロレンスにならって、ぼくも自分に言い聞かせる。
ぼくたちの血管を流れているのは海の水である、と。
人類の目指すべき「三代目」の社会と生き方(見田宗介)。- 「二代目の現代」、キングコング西野、香港の社会。
社会学者・見田宗介は、「三代目」という生き方、という面白い言い方で、未来の社会と生き方を構想している。...Read On.
社会学者・見田宗介は、「三代目」という生き方、という面白い言い方で、未来の社会と生き方を構想している。
未来構想を共有する上では、共有しやすい言葉やイメージが一定の役割を果たす。
「三代目」という生き方、「三代目」という社会は、イメージをつかむためにも、面白い言い方である。
もちろん、面白いだけでなく、そこに展開される論は、抜け目がない。
『二千年紀の社会と思想』(太田出版)における見田宗介と大澤真幸の対談で示されたポイントを、ここではいくつかまとめておきたい。
まずは、一般的に言われる、一代目から三代目の描写は、次の通りである。
1)「商売」における一代目・二代目・三代目
●一代目:猛烈に稼いで豊かな財産を築き上げる
●二代目:一代目の苦労を知り、豊かであっても、さらに稼いでお店を大きくする
●三代目:辛苦を知らず、文化や趣味に生きて散財してしまう
見田宗介は、「売家と唐様で書く三代目」という、古い日本の川柳を取り上げて、説明している。
この川柳は、三代目は、散財のあげく、一代目が手にいれた家屋敷を売りに出さざるをえなくなり、「売家」という張り紙の字を唐様で書いたということ。
つまり、「ダメな・ネガティブなイメージの三代目」である。
商売もせず、アートや遊びに明け暮れるという、ネガティブなイメージで語られてきたことは、ぼくたちのー少なくとも、ぼくのー「イメージ」にはすりこまれている。
2)「三代目」というイメージのラディカルな反転
「三代目」というイメージのラディカルな反転をすることの必要性、またこの「三代目の社会」こそが人類の目指すべき社会だと、見田宗介は語っている。
ラディカルな反転は、次のポイントで述べられている。
●「三代目の生き方」が人間にとっての究極の幸福であること。つまり、お金を稼いだり権力をもつことではなく、文化や自然を楽しみ、友情や愛情を深めることを、人間は本来求めていること。
●「三代目の生き方」は、資源浪費も環境破壊もしない、共存する安定平衡的な生き方であること。
「売家と唐様で書く三代目」がつくられた時代の日本は「ゆたかな社会」ではなかったことに対して、今は物質的な豊かさを獲得した時代である。
「三代目」を、ラディカルに反転させていくことができる条件が、すでに存在している時代に、ぼくたちは生きている。
なお、「社会という視点」でみたとき、一代目と二代目の社会は、次のように語られている。
●一代目の社会:貧困のなかで生まれ育ち、貧しい社会に条件づけられた欲望をもつ(できるだけ多くの財産と物質的な豊かさを望む)価値観
●二代目の社会:豊かになっても、まだ成長、成長という価値観
「現代」は、「二代目の社会」(二代目末期の社会)であると、見田宗介は述べている。
(※日本のような社会を念頭に置いて話していると思われる。)
問題は、二代目の「価値観の遅滞」ともいうべきものだという。
社会学の理論には、文化は社会構造から遅れる(「文化の遅滞」)というものがあり、見田はこれを「価値観」に転用している。
…いまは、二代目末期の社会という感じがするのです。成長神話から抜け出せない根本的な理由は、欲望のpersistence(粘着力)とシステムの硬直性との双方から来る「価値観の遅滞」value lagということにあると思います。
見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』(太田出版)
3)「価値観の遅滞」と「先端(三代目)の価値観」との攻防
今は、見田のいう「価値観の遅滞」と、いわゆる「先端(三代目)の価値観」とが衝突を起こしながら、社会と生き方のダイナミクスを生み出しているように、ぼくには見える。
「仕事になるまで遊べ」と、芸人であり絵本作家のキングコング西野が書くとき、それは「三代目の価値観」に生きている。
そのキングコング西野は、子供のころから決めていたこととして「世間の人はどうでもいい」とNewsPicksのインタビューで語っている。
世間ではなく「友達」を大事にしてきたこと。
西野は、見田が言うような、まさに「アート、友情と愛情」に生きてきたわけだ。
「価値観の遅滞」に生きる人たちから見れば、そのような生き方はあってはならないし、信じられない。
ところで、クラウドファンディングでの創造的な企画である西野の新刊は、『革命のファンファーレ』と題されている。
それは、見田宗介が言う、三代目の社会へ移行していく「可能なる革命」、また別著での「名づけられない革命」などと、呼応しているように、ぼくには見える。
「革命」という言葉は、「価値観の遅滞」をきりひらく人たちに向けて、蒔かれている。
そして、「革命」は、これまでの歴史上の(抑圧的な)革命とはまったく異なるような、それ自体が「アート、友情と愛情」をいっぱいにつめこまれた魅力的な方法である。
人類は、「三代目」社会と生き方に、どのように向かっていくことができるのか。
「価値観の遅滞」だけでなく、「システムの硬直性」という大きな課題が、現代社会にはたちはだかっている。
そんな「三代目」の社会と生き方のことを考え書いている、ここ香港は、中国への返還から二十年をむかえた。
ぼくは、その20年の内、半分の10年をここで暮らしてきた。
この10年は、「二代目」をかけぬける10年であったと、ぼくは考える。
経済成長を一気に果たしてきたのだ。
それに追随するように、人や社会の新しい動向、法律の施行・改定などが、現象してきた。
香港の経済社会は、経済格差が激しいことなどから一概には言えないけれど、その先端において見る限り、「二代目末期」に入ってきているように、ぼくは感じている。
「歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである」(見田宗介)。- 「必要・ニーズ」論の有限性を超える着地の仕方。
社会学者・見田宗介は、名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)で、「現代社会」(情報化/消費化社会)をのりこえていく方向性と着地点を、「人間」(人間の生きることの歓び)への原的なまなざしで、提示している。...Read On.
社会学者・見田宗介は、名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)で、「現代社会」(情報化/消費化社会)をのりこえていく方向性と着地点を、「人間」(人間の生きることの歓び)への原的なまなざしで、提示している。
そのことを、シンプルに語る言葉が、タイトルに付した一文である。
「歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである。」(見田宗介、前掲書)
この一文は、とてもシンプルだけれど、こめられている意味と論と熱意と願いは果てしなく深い。
(「論」としての、この一文にたどりつくまでには、見田宗介の生涯がかけられてきている。)
ぼくたち個人が、この生を生きていく上でも、コンパスとなるような言葉である。
そして、人間社会が「現代社会」をのりこえ、未来に着地する着地点(したがって、未来をつくる現在の実践の仕方)を、ぼくたちに示してくれている。
3点にしぼって、ポイントをまとめておきたい。
- 「ほんとうに大切なもの」を意識的にとりだす
- 「必要・ニーズ」理論を相対化する
- 「必要」という有限性を、「歓喜と欲望」という無限性で超える
1)「ほんとうに大切なもの」を意識的にとりだす
「ほんとうに大切なもの」は、ぼくたちの生のなかで、意外と、語られたり理論の軸となることはない。
現代社会では、功利主義的な(「何かのために」という)思考、つまり手段・方法に、焦点があてられてきた。
そのことの「弊害」は、理論上、三つあると、ぼくは思う。
● 手段・方法が「目的化」されてしまうこと(上位の「目的」を忘れてしまうこと)
● そもそも手段・方法を要請した「目的」が、語る人たちの間で異なっていること(実は求める「目的」が異なっていること)
● 手段・方法を要請した「目的」が、わからないこと(上位の「目的」がわからないこと)
だから、「ほんとうに大切なもの」を正面から語ることは、やはり大切である。
見田宗介は、美しい文章で、正面から書ききっている。
…生きることが一切の価値の基礎として疑われることがないのは、つまり「必要」ということが、原的な第一義として設定されて疑われることがないのは、一般に生きるということが、どんな生でも、最も単純な歓びの源泉であるからである。語られず、意識されるということさえなくても、ただ友だちといっしょに笑うこと、好きな異性といっしょにいること、子供たちの顔をみること、朝の大気の中を歩くこと、陽光や風に身体をさらすこと、こういう単純なエクスタシーの微粒子たちの中に、どんな生活水準の生も、生でないものの内には見出すことのできない歓びを感受しているからである。…
どんな不幸な人間も、どんな幸福を味わいつくした人間も、なお一般には生きることへの欲望を失うことがないのは、生きていることの基底倍音のごとき歓びの生地を失っていないからである。あるいはその期待を失っていないからである。歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである。
見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)
この文章に続けて、見田宗介が述べているとおり、「必要・ニーズ」は、「功利のカテゴリー」である。功利・効用である「必要・ニーズ」は、歓喜と欲望のためである。
2)「必要・ニーズ」理論を相対化する
途上国の国際支援・協力を学びながら、また現場で実際に携わりながら、この「必要・ニーズ」ということが、理論と実践の中心に位置していることを、ぼくは感じてきた。
「必要・ニーズ」としては、食料、衣料、住居、上下水道、医薬品、教育施設などが、通常挙げられる。
国際支援・協力の現場では、これらは、とても大切である。
圧倒的な「必要の欠如」の現場では、「何のために」と深く考えている余裕もないことは確かだ。
大切でありながら、しかし、経済理論、開発経済論などは、「必要主義」的な発想にとらわれすぎていることを、ぼくは感じ続けてきた。
ぼくは、この「必要主義的な発想」に、どこかで違和感を持ち続けてきた。
そんな折に、見田宗介のこの一文に助けられたのだ。
食料や衣料や住居や水などの「必要」を満たしていくことが、人の生死をわけへだてるほどに大切であることを、ぼくは経験上知ってはいるけれど、それでもなお、見田宗介の言う、「必要」にも先立つ<人間の生きることの歓び>を正面から意識しておくことが肝要である。
そのような人間理解と「人へのまなざし」は、ぼくたちの言葉や行動にあらわれてくる。
そして、モノがあふれかえる現代社会の「先進国・地域」では、企業は「必要」を延々と産出しまた創出し、消費者は延々と消費する。
その生産と消費の歪んだ形と内実が、環境を壊し、資源を枯渇に向けて使い続け、また人もその内部に多くの問題を抱えるという状況を、つくりだしている。
3)「必要」という有限性を、「歓喜と欲望」という無限性で超える
『現代社会の理論』は、「情報化・消費化社会の現在と未来」と副題がついている。
現代社会を、情報化と消費化から読み解いている。
現代社会(の「ゆたかな社会」)は、それまでの「必要」を(戦争によって)つくらなければならなかった社会を、「情報」により欲望を無限につくりだすこと(自己充足的なシステムの完成)によって、乗り越えてきた。
ぼくたちは、「必要」以上に、欲望にしたがい消費を繰り返している。
例えば、ぼくたちは服を、必要以上に購入し、消費している。
こうして、社会や企業の「成長」が達成されていく。
しかし、そこに、環境と資源という「有限性」がたちはだかってきたのだ。
この有限性に対して、「歓喜と欲望」という<人間の生きることの歓び>は、「必要・ニーズ」に先立つものであり、無限にひらかれている空間である。
この「歓喜と欲望」という地平に社会を着地させていくことを、見田宗介は構想している。
歓喜と欲望は、「消費」ということを徹底的につきつめていったコンセプト(<消費>=生の充溢と歓喜の直接的な享受の位相における<消費>)でもある。
そして、人や社会の欲望を、禁欲や禁圧ではなく、「欲望」によってのりこえる、ということである(「欲望は欲望によってしか越えられない」)。
作家・批評家の加藤典洋は、『現代社会の理論』の革新性を読み取っている。
そして、環境・資源への警鐘を鳴らしてきたスーザン・ジョージなどの著者たちが、著書『成長の限界』で記した「持続可能な社会」の考え方を、「欲望」を軸に、書き換えている。
もともとは、このように書かれている。
持続可能な社会とは「将来の世代が、そのニーズを満たすための能力を損なうことなく、現世代のニーズを満たす」社会である。
加藤典洋は、これに対し、こう書き換えた。
「将来の世代が、そのニーズを満たすための能力を損なうことなく、現世代の欲望をみたす」ことをめざす社会である。
加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』新潮社
ぼくたちは、個としての生き方においても、これからのビジネスということにおいても、またコミュニティや社会ということにおいても、「歓喜と欲望」の方に着地していく仕方で構想し、今を生きていくことができる。
「欲望は欲望によってしか越えられない」(見田宗介)。- 生き方の「道具箱」におさめる言葉。
ぼくは、20年ほど前のメモに、こう記している。見田宗介「欲望は欲望によってしか越えられない」。前後の脈力もなく、この一文を、手書きで、書き付けている。...Read On.
ぼくは、20年ほど前のメモに、こう記している。
見田宗介「欲望は欲望によってしか越えられない」
前後の脈力もなく、この一文を、手書きで、書き付けている。
当時なぜこの一文に惹かれたかは定かではないけれど、「欲望を禁欲する」仕方に、息苦しさのようなものを感じていたからだと、ぼくは思う。
ただし、人が自身の人生を生きていくときにも、組織が組織文化をかたちづくっていくときにも、あるいはひとつの社会がその社会を構想していくときにも、この認識は、きわめて、大切である。
人生においても、組織文化においても、そして社会構想においても、二つの方向性がある。
これら二つの方向性は、行動様式の「基底的な認識」を、次のように異にしている。
- 「欲望は欲望によってしか越えられない」
- 「欲望は禁欲によってしか越えられない(抑えることができない)」
もちろん、実際の社会的な生活のなかでは、ぼくたちは「禁欲」しなければならないことを、さまざまにもっている。
組織や社会では、ルール・規則は必要だ。
しかし、このような「生活の表層」でなく、ぼくたちは、生きることの<基層>ともいうべき地層にまで降りていく。
社会学者の見田宗介は、「欲望」という問題系に対して、きわめて意識的に、取り組んできている。
彼の修士論文をベースとする大著『価値意識の理論』(弘文堂、1966年)は、副題を「欲望と道徳の社会学」としている。
社会的人間の理論における、これら二つ(欲望と道徳)の問題系は、次のように、方法として、分けられている。
- 欲望の問題系:人間の行動の「動機」ないし「欲求」、また行動の「目的」や「生き甲斐」
- 道徳の問題系:「ほんとうの善」とはなにか、「ほんとうの幸福」とはなにか
これらの問題系が、後年、見田宗介が展開する理論や分析の<基層>として、一連の著作に通底してくることになる。
『価値意識の理論』から30年後の1996年に出版された『現代社会の理論』(岩波新書)では、「欲望は欲望によってしか越えられない」という視点が、「歴史的な出来事の分析」と「未来の構想」の二つに向けられている。
第一に、「歴史的な出来事の分析」として、「冷戦の勝利」ということを見ている。
「冷戦の勝利」について、理論的・思想的に寛容なことは、勝利は軍事力の優位による勝利ではなく、「自由世界」における<情報と消費の水準と魅力性>であったことであると、見田は言う。
第二に、「未来の構想」として、われわれは「情報を禁圧するような社会、消費を禁圧するような社会」に魅力は感じず、「情報と消費」のコンセプトを原的に考察し、そこから未来をきりひらくことを、提案している。
また、社会の視点だけでなく、「個」という視点においても、見田宗介は別の著作(『自我の起原』岩波書店)で、エゴイズムが禁欲ではなく、個に装填されている「欲望」によってひらかれることを、生物社会学・動物社会学の地平から解き明かしている。
生活の表層における禁欲はさておき、ぼくたちは、じぶんが生きていくなかで、二つのアプローチをとることができる。
欲望を欲望によって超えるか、禁欲によって超えるか。
「それはセルフィッシュだ(自己中心的だ)」というときに語られる「欲望」は、ときに、「貧しい欲望」であったりする。
そのような欲望は、「ほんとうの歓び」ではなく、一時的な欲求充足である。
中途半端な「自己中」なのだ。
「ほんとうの歓び」は、「セルフィッシュ」を、原的に、そして徹底的に突き詰めていく先にひらかれるものだと、思っている。
「ほんとうの歓び」は、自分一人だけでは、手にすることができない。
これからの人の生き方の規範も、これからの組織も、これからの社会も、見田宗介の一文が、鍵の一つだと、ぼくは思う。
ただし、現代社会では欲望は表層的に、またネガティブに捉えられがちである。
欲望の言葉の周りには、さまざまな「禁欲」「禁圧」の言葉が、道徳的に語られている。
それでも、表層の言葉と現象を透明につきぬけていく芽となるように、ぼくはその<基層>に、言葉の種をまきたい。
「欲望は欲望によってしか越えられない」
「異国」での生活に慣れるまでの時間。- 経験と実感、また藤原新也の言葉に耳をすませながら。
「異国」での生活に慣れるまでの時間ということを、日本の外に出るようになってから、時折考える。...Read On.
「異国」での生活に慣れるまでの時間ということを、日本の外に出るようになってから、時折考える。
旅という形もあれば、当面住むという形もある。
自分の経験と実感を頼りにしながら、他者の経験と感覚にも耳をかたむける。
写真家・作家の藤原新也は、『沈思彷徨』(ちくま文庫)という作品のなかで、次のように、述べている。
…食物の味は二、三週間でわかってくる。異国ではそういう壁を乗り越える時点がある。音が聞こえてくる時点、目が見えてくる時点、味がわかってくる時点がある。人間の五感の解放はその土地で違うが、一般的には三ヵ月かかる。
藤原新也『沈思彷徨』(ちくま文庫)
「その土地で違うが…」と言うように、自分がこれまで住んでいたところとの、環境的・文化的差異の大きさにもよってくる。
しかし、藤原新也は、自身の「沈思」のなかから、三ヵ月という時間を目安として提示している。
「土地」以外に、個人差などもあるが、ぼくの経験と実感からして、この三ヵ月という時間は、それなりに「妥当」なところだと、思う。
そして、もしかしたら、人間の身体の細胞が入れ替わる時間の長さとも、若干の関連性があるのではないかという想念が、ふと、立ち上がる。
人間の身体の細胞は、身体の部位それぞれに、それぞれの周期で、細胞が入れ替わっていく。
さらに、異国で「仕事」をしていく際に、仕事に慣れるまで、どのくらいの時間・期間がかかるか、ということが問われる。
どのくらいの時間・期間で仕事に慣れるかということは、「時間」の効率化を要請するビジネスにおいて、大切である。
即戦力としてパフォーマンスを上げていく上で、できる限り短い時間で、異国での仕事に慣れることが求められる。
この「時間の長さ」も、その土地、個人差などに左右される。
また、所属の形式(駐在か現地採用かなど)、仕事の内容、求められる役割など、仕事そのものに関連する要素によっても変わってくる。
しかしながら、経験と実感からして、「三ヵ月」というのは、「ひとまず」という次元において、必要とされる時間の長さだと思われる。
さらに、例えば、組織全体を見渡せるようになることなどとなると、時間を密にしたとしても、半年から1年ほどのスパンがかかる。
これは、頭だけで理解するというより、経験を通じてわかるというレベルである。
ぼくは、アジアなどへの旅とは別に、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、そしてここ香港に暮らしてきた。
その都度、心身をひらいて、生活・仕事に慣れては、慣れをほどいていった。
ここ香港での生活は10年を超える。
人間の骨の細胞は7年周期で入れ変わるというから、ぼくの身体細胞は香港にいる間に、すっかりと変わったはずだ。
身体の細胞が変わりつつ、それでも、ぼくの身体には、それぞれの場所の生活とリズムなどが、刻まれている。
その場所に戻れば、きっと、刻まれている生活とリズムが、発動されると思う。
ただし、最近は、「異国での生活に慣れるまでの時間」は、短縮されているようにも、感じる。
背景としては、「均質化」の力がはたらいていることだ。
場所によっては、似たような環境・文化になってきていることが挙げられるだろう。
グローバル化の進展が、例えば「都会の風景」を均質化しているのだ。
他方で、ぼく個人としては、環境・文化的差異をつらぬいて存在している、この地球に、根をおろしたい(「根をもつことと翼をもつこと」の両立)。
差異を超えて、そこに在る、太陽や月や海や緑、そして鳥たちにつながることで、ぼくたちの生きることの「土台」は、どこにいても同じであるということもできる。
その上で、環境・文化としての「多様性」が花ひらくところで、(異国での生活に慣れながら)新しく心身をいれかえていくという鮮烈な経験を、ぼくたちは楽しむことができる。
「トラブルは、映画のように片付ける」(キングコング西野)。- 言葉、映画、人のつながり。
キングコング西野が、「大停電の夜」のトラブルを見事に反転させて、人とのつながりを創出した。ぼくはシンプルに、感動し、教えられ、考えさせられた。...Read On.
お笑い芸人であり絵本作家のキングコング西野が、「大停電の夜」のトラブルを見事に反転させて、人とのつながりを創出した。
ぼくはシンプルに、感動し、教えられ、考えさせられた。
2017年6月21日、日本の関西地方で、記録的な大雨が降った。
断線による停電のため新幹線が止まってしまい、乗客は、真っ暗で、冷房もトイレの水も止まってしまった車内に閉じ込められてしまったという。
不平不満、ため息やボヤキが聞こえる。
車掌は対応に追われている。
この殺伐な状況に出くわしたキングコング西野。
「トラブルは、映画のように片付ける」をモットーとする西野は、最初、ギターを探すことにした。
彼は、彼のブログで、こう書いている。
不平不満を漏らすのではなく、「停電をくらった人達が、その環境を楽しんだ」という決着が一番映画的だと思ったので、車内をウロウロ歩きまわりギターを探したが、結局、見当たらなかった。
キングコング西野「大停電の夜に」『オフィシャルダイアリー』
(※リンクはこちら。)
ギターを見つけることができなかった西野は、「何か面白い未来に繋がるネタはないものか」と目を凝らし、「車内販売」を見つける。
酒やツマミがいっぱいである。
そうして、西野は、「そこら辺に座っている乗客に声をかけ、皆で大宴会を決行」するのだ。
そのタイミングで電気は戻りつつも、東京まで、宴会を続けたという。
ぼくは、このニュースと西野のブログを見ながら、感動してしまった。
こんなポイントからである。
- 生きられる「言葉」:「トラブルは、映画のように片付ける」のモットーを自分の「道具箱」に収め、さっと取り出したこと。
- 「映画」という方法:「映画のように」という、未来の光景を、方法として使ったこと。
- 「人とのつながり」の創出:困難な状況を反転させ、知らない者同士のつながりをつくったこと。
1) 「トラブルは、映画のように片付ける」のモットー
自分の言葉・モットーを、きっちりと「道具箱」に収めている。
それは、ただの言葉ではなく、状況(トラブル)に応じて、常に取り出せるものだ。
取り出して、そのように、思考を働かせ、実際に動いていく。
生きられる言葉なのだ。
言葉「を」生きる、というよりは、言葉「をヒントに」生きている。
生きることありきである。
ぼくたちは、そのようにして言葉・モットーをもち、生きていくことができる。
2)「映画」という方法
「トラブルは、片付ける」ではなく、「映画のように」と付け加えている。
この「副詞」(「映画のように」)は、二つの点で、インパクトをもつ。
一つ目は、視野・視点を、変えてしまうこと。
西野が述べているように、「面白い未来」を呼び寄せる仕掛けだ。
二つ目は、映画の本質である「物語性」を、トラブル解決の方途にひきいれること。
西野は、その未来を、「『停電をくらった人達が、その環境を楽しんだ』という決着」として、想像する。
この「物語としての想像」が、ギター探索、そして「大宴会」へと道をひらくことになる。
「映画」は、Joseph Campbellが言う「Hero’s Journey」のように、その内に、困難と乗り越えとエンディングをもつ。
困難は「物語」を始動させる。
このように、西野は、トラブルを「映画のように」乗り越えていくというとき、そこに「物語」をひきいれている。
このことは、絵本作家である彼の資質と無縁ではない。
3)「人とのつながり」の創出
電気がついた後の車内で宴会はつづく。
東京までの道のりで、宴会に参加した人たちは、西野のところに戻ってきては「お礼」を伝えている。
西野は、前掲のブログで、最後にこんな感想を書いている。
なんだよ、チクショウ。人はこんなに温かい。
それもこれも、この大停電がなければ知ることができなかった。
困難を共有し、「この時間を良い思い出にしよう」と思ったから生まれた縁だ。
トラブルは捨てたもんじゃない。
文句で終わるなんてもったいない。
本来、繋がるハズがなかった人と繋がることができるチャンスだ。
キングコング西野「大停電の夜に」『オフィシャルダイアリー』
(※リンクはこちら。)
トラブルは人と人を「離してしまう」こともあるけれど、トラブルは「人と人を繋げる」契機とすることもできる。
大停電の困難を、映画のような物語を通じて、人のつながりをつくりだした西野に、そこにいた人たちはもちろんだと思うけれど、ぼくもたくさんのことを学んだ。
「映画の登場人物」は、決して、一人ではない。
そして、より本質的には、西野は、トラブルだけを映画のように乗り越えているのではない。
「生き方」そのものが「映画のよう」であるところに、西野の力はあると、ぼくは思う。
ぼくたちの生は、それぞれに「物語」なのだ。
「どのように生きる」かの、<「どのように」という副詞>に、生という物語の彩りが、賭けられている。
この状況の反転は、有名人であるキングコング西野だからできたのではないか、と言う人もいるだろう。
それは、正しくもあるし、まちがってもいる。
有名人という、「誰もが知っている人」を拠点として、知らない人たちが集うのは、知らない人たち同士が集うよりも容易である。
しかし、有名人全員が、このようにできるわけではない。
さらには、「トラブルは、映画のように片付ける」をモットーに、その場ですぐ実行するような西野だからこそ、実は今の(有名な)西野がある。
ところで、そもそもぼくは、「大停電の夜に」のニュースを、たまたま眼にした。
ぼくは、井伏鱒二の著作『黒い雨』に出てくる言葉を、見返していたところで、このニュースが眼に入った。
広島に原子爆弾が投下された後の人々の生活を描く『黒い雨』の一節に、ぼくは惹かれてきた。
…今までして来たことが飯事であったように思われて、今までの自分の生活も玩具の生活であったような気がした。
「どうせ何もかも飯事だ。だからこそ、却って熱意を籠めなくちゃいかんのだ。よく心得て置くことだ。決して投げだしてはいかんぞ。」
井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫
大停電の新幹線で、多くの人たちは「投げだして」しまい、文句と苦情で「世界」を脱色してしまっていた。
西野は、決して投げださず、「どうしようもない」状況を、脱色ではなく「彩色の精神」によって、見事に反転させたのだ。
(飯事に)「熱意を籠める」ように、西野は、最悪な状況に「燃える」ことで、<停電>に、色を添えたのだ。
記録的大雨が降ったなかでの「大停電」をのりこえる西野は、たとえ「黒い雨」が降ったなかでの「最悪の状況」も、投げ出さずに、映画のようにのりこえるだろうと、ぼくは思う。
「ゲームのルールと法則」だけでなく、「ゲーム盤」を気にしてきたこと。- 「前提」を疑い、根源的に考えること。
ぼくたちは「ゲームのルールと法則」を学ぶ。そして、ゲームをプレイし、出来事を日々つくりだし、一喜一憂する。でも、ここでは「ゲーム」のことではなく、「ゲーム盤」のことを書こうと思う。人間社会という「ゲーム盤」のことである。...Read On.
ぼくたちは「ゲームのルールと法則」を学ぶ。
そして、ゲームをプレイし、出来事を日々つくりだし、一喜一憂する。
でも、ここでは「ゲーム」のことではなく、「ゲーム盤」のことを書こうと思う。
人間社会という「ゲーム盤」のことである。
1) 「ゲーム」:「社会の科学」として学ぶ
ここでは、イメージとして、次の言葉を次のように考える。
「ゲーム」とは、社会、企業、ビジネス、キャリアなどのこと。
「ゲームのルールと法則」は、経済、金融、経営、法律、道徳・倫理などのことを、ここでは指す。
これらを、「社会の科学」として、ぼくたちは学ぶ。
他方、ゲームをプレイする人たちの心情などは、文学や哲学などとして現れ、ぼくたちは「人間の哲学」として、そのような世界に触れる。
これらの「ルールと法則」を学ぶことは、ゲームをプレイする上では、とても大切だ。
ゲームで「勝つこと」は、経済力を上げ、社会的なステータスを上げる。
社会も、世間も、学校も、両親も、(幸福な例外をのぞいて)「勝つこと」に向けたプログラムをつくり、助言を投げかけてくる。
「人間の哲学」などやっても仕事に就けないから、大学では経済学部や商学部など、「社会の科学」を学べと、「親身になって」言葉を投げかける。
(※今は「文系」ではなく「理系」へ、ということがいろいろと言われている。)
ぼく自身のことで言えば、大学で学ぶことを選ぶ際に「中国語学科」を選んだ。
中国語は、シンプルに分解すると「中国のこと+中国の言語」である。
シンプル化すると、「社会の科学」(中国の経済社会など)と「人間の哲学」(中国文学)である。
ぼくは単純に「外国語」を学びたいと思っていたところ、中国の経済発展を見るなかで「周り」が中国を勧め、ぼくは中国語を選択した。
それは今思うと、「社会の科学」と「人間の哲学」のどちらかを選択することの拒否だったのかもしれない。
その後、「社会の科学」と「人間の哲学」という分裂(と統合)に対する、もどかしい気持ちとモヤモヤ感は、社会学者・真木悠介の『現代社会の存立構造』を読んでいて、霧が晴れた。
(※このことについては、別途、書きたい。)
2) 「ゲーム盤」が気になって仕方がなかった
「ゲームのルールと法則」を学ぶことは、面白いし、役に立つ。
しかし、ぼくは「ゲーム盤」自体が、気になって仕方がなかった。
ゲーム、そのルールや法則だけでなく、ゲームを成り立たせている「前提」自体が気になったのだ。
「ゲームのルールと法則」をよく学んで、社会に出て、ゲームに勝っていけばよいというふうには、ぼくの場合ならなかった。
ぼくが「ゲーム盤」自体が気になって仕方なかったことの理由のひとつは、この「ゲーム盤」の上での「生きにくさ」であった。
ぼくの小さい頃から10代を生きてきたなかでの「息苦しさ」のようなものが、大学時代の「旅」後に、時代の「根源的な問い」を問う知性たちとの出会いのなかで、少しづつだけれど解き放たれてきた。
大学時代のアジアやニュージーランドへの「旅」で、例えば、ぼくは「これまでの遊びの貧しさ」のようなものを感じ、旅後に考えてきた。
(※「遊びの貧しさ」は、「遊び」といって出てくるのが、遊園地や映画やカラオケといった「すでに在る」ものだけであるということ。「在る」については下記。)
ぼくに「助言を与えてくれた知性」は、詩人の寺山修司、人類学者のレヴィー・ストロース、哲学者・社会評論家のイヴァン・イリッチであった。
「本来『家』とは『在る』ものではなく、『成る』ものです」(『家出のすすめ』角川文庫)と、寺山修司は言う。
この「在ると成る」という言葉を手がかりに、レヴィー・ストロースのいう「ゲームと構造」の箇所をぼくは読む。
…科学と同じく、ゲームは構造から出来事を作り出す。したがって競技が現在の工業社会において盛んであることは理解できる。それに対して、儀礼と神話は、出来事の集合を…分解したり組み立てなおしたりし、交互に目的となり手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。
レヴィー・ストロース『野生の思考』みすず書房
ぼくたちは、「在る」ところの場、言い換えれば用意されている「ゲーム盤」の上で、ゲームをし、出来事を作り出していく。
イヴァン・イリッチは、1970年の著書『脱学校の社会』で、制度という視点から、きりこんでいる。
…学校は、その構造がいくつかの段階を進級するような儀礼的ゲームとなっている…。…学校が人々に教育するもの、すなわち人々の血の中に入り、習慣となるものは、ほかならぬゲームそのものなのである。制度による世話を受けることの「終わりのない消費という神話」を社会のすべての人々が信じ込まされていく。
イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』東京創元社
堀江貴文が著書『すべての教育は「洗脳」である』で展開している論点の一部は、すでに1960年代から1970年代に語られはじめていたことである。
この本が注目されたのは、堀江貴文の存在と共に、他方で、ようやく「大衆」が、信じ込んできたものに疑問を感じざるをえなくなったからである。
ちなみに、堀江貴文は、ゲームのプレイに長けていながら、「ゲーム盤」を取り変え、新たにつくっていく者である。
そして、更に付け加えれば、「遊び」をつくりだしていく者である。
ぼくが、日本の都会に住みながら感じていた「遊びの貧しさ」のようなものから自由であるのが、堀江貴文だ。
3)「ゲーム盤」が取って変わる時代への過渡期
「ゲーム盤」が取って変わる時代の過渡期に、ぼくが置かれてきたことも、ゲーム盤に惹かれた理由のひとつであった。
時代の背景としては、「ゲーム盤」自体が持続可能性をなくしつつあることだ(地球の環境や資源の問題、人びとの「内面」の問題など)。
そして、新たな「ゲーム盤」がつくられつつあること(IT技術のひらく可能性など)を、断片として、感じてきたからである。
そのような、社会と人の限界と、限界の先に開かれる可能性が、ぼくに「根源的な問い」を考えさせてきたのだ。
「社会の科学」としては、国や社会の「成長・発展」とは何か、「お金」とは何だろうか、資本主義とは何かなどの根源的な問いをぼくにつきつけてきた。
「人間の哲学」としては、ほんとうの幸せとは何だろうか、歓びをもって生きるにはどうしたらよいか、などという根源的な問いが、次々とやってくる。
そして、そんなときに、世界のさまざまな知性たちに、ぼくは助けられてきた。
「ゲーム盤」という言葉をここでは使っているけれど、最初から「ゲーム盤の全体像」が見えていたわけではない。
ゲーム盤の上で、「ゲーム」をプレイして出来事をつくりだしながら、しかし、「根源的な問い」に導かれながら「ゲーム盤」の全体像が結晶してきた。
もちろん、完全に「ゲーム盤の全体像」が見えているわけではないけれど、この20年の歳月のなかで、全体像はよりくっきりと、ぼくの前に見えている。
社会学者・見田宗介は、社会の構造変化と価値観の変化の間に「time lag」があることを語っている(見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』太田出版)。
社会の価値観の変化は、社会構造の変化に「遅れて」やってくる。
すでに現代という過渡期は、過渡期であるがゆえに、「価値観を変えてきている人」と「価値観が変わっていない人」に分かれている。
このような価値観の変化の「遅れ」がないように、社会を見据えておくこと。
そして、価値観の変化以前に、社会の構造そのもの(ゲーム盤)をつくるプロセスに「主体的」にかかわっていくこと。
そこに、ぼくの「ライフワーク」のひとつはある。
<身の丈>に向きあうなかで、見つけたもの。- 海外・途上国・自然のなかで「テクノロジー」から切りはなされて。
「身の丈」を、文字通りの「原義的」に読み替えること、そしてそうすることで体験のひとつを伝えることが、この文章の意図するところである。...Read On.
「身の丈」を、文字通りの「原義的」に読み替えること、そしてそうすることで体験のひとつを伝えることが、この文章の意図するところである。
「身の丈」という言葉の意味は、辞書的には、次のようである。
- せいの高さ。身長。背丈。…
- (多く「身の丈に合った」の形で)無理をせず、力相応に対処すること。分相応。…
(出典)「デジタル大辞泉」
「原義的な読み替え」は、言って見れば「1と2の間」に、開かれる。
ぼくたちは、現代という時代のなかで、「自分・自我という幻想」を、幾重にも「拡大・拡張」している。
例えば、経済力(があること)は、「自分・自我という幻想」を拡大・拡張しがちだ。
また、経済力は往々にして社会ステータスのようなところと密接につながっている。
「身の丈に合った…」と言うとき、身の丈に合った生活、身の丈に合った出費などと使われる。
往々にして経済力(また経済力を上げるための能力)において、「分相応」であるべきことが語られる文脈だ。
経済のグローバル化が進展した現代において、「経済力」は、世界のどこでも威力をもち、ぼくたちの「自分という経験」を形成する、大きな要素である。
他方、社会的ステータス(会社や学校など含む)は、世界どこでも通用するものから、国内やローカルでしか通用しないものまで、幅がある。
「海外」に出ると、国内やローカルでしか通用しないものは、意味をなさなくなる。
ぼくたちは、ぼくたちの「自分・自我」にとりついた「幻想」から(幾分かは)切り離され、より「身の丈」を意識する。
ぼくは、大学時代にニュージーランドに行った際には、「学歴」という幻想を、いったんとりはずしたかった。
「幻想の殻」を一枚でも二枚でも脱ぎさって、残るものを感覚し、見てみたかったのだ。
「途上国」で、国際協力・支援に現場でかかわっていたときは、支援する組織の一員・代表という社会的ステータスがあった。
しかし、ひとたび、西アフリカのシエラレオネの、はるか奥地にある村などに降り立つと、自分の「存在」が、不安定になるのを感じることになった。
それは、ある意味、「文明の機器」に拡張・拡大された「自分という存在」が、文明の機器の力を失い、幻想の殻がはがされたような感覚である。
東ティモールのコーヒー生産者たちが活動をする、山奥のコーヒー農園に行ったときも、同じように感じたものだ。
ぼくは、日々、パソコンで仕事をし、携帯電話(当時は時に衛星電話)を使い連絡をとり、車両で移動する。
それが、ひとたび、パソコンも、携帯電話も、車両も意味をなさないような、山奥のコーヒー農園に降りたつと、<自分という存在の身の丈>に向き合わされる。
ぼくから、パソコンや電話やカメラなどが取られてしまったら、ぼくにはいったい何ができるのだろう。
ぼくは、「生身の身体」として、そこに投げ出されてしまう。
目の前のコーヒー生産者の人たちは、コーヒー農園という自然の只中で、圧倒的な存在感を放っている。
現代のテクノロジーがなくても、人間としてのサバイバル能力、食べるものを栽培する能力、山をかけぬけていく力などに照らされ、人間としての存在の深さをたたえている。
メディア研究で有名なマーシャル・マクルーハンは、かつて、「テクノロジーやメディアは人間の身体の拡張である」ということを述べた。
近代は、そして現代は、この「拡張」を、絶えず推し進めている。
そして、この「拡張」は、自分という存在を、誇大視させる。
その誇大視された「自分」は、テクノロジーを(一時的に)奪われる体験のなかで、「誇大」を脱ぎ去りあるいははがされ、<身の丈>に向き合うことを余儀なくされる。
ぼくにとって、このような<身の丈>に向き合う体験は、とても貴重なことであったと思う。
ぼくは、ニュージーランドの山奥で、西アフリカのシエラレオネの奥地の村で、東ティモールのコーヒー農園で、そのような体験に出会い、体験を積み重ねてきた。
もちろん、テクノロジーから切り離されるのは一時的である。
シエラレオネや東ティモールの事務所に戻り、関係者と協議をして、ぼくはぼくのできることに最善を尽くし、ぼくの役割を果たす。
しかし、そのような「一時的な体験」(とその積み重ね)によって、ぼくは、経済力や社会的ステータスという表層の次元だけではなく、もっと深い次元において、いわば<自分という存在の身の丈>と向き合うことができたように、思う。
ぼくは、当時、テクノロジーを取られたら、何が自分に残るだろうかと考えさせられることになる。
そこで、ぼくが想起したのは、「考える力」であった。
ぼくは、この手からテクノロジーが取り去られても、シエラレオネの村で、東ティモールのコーヒー農園で、「考えること」ができる。
完璧な知識も情報も持ち合わせているわけではないけれど、今この状況を変えていくために状況を分析し、方策を考えることはできる。
「それって、やっぱり大切なことじゃないか」と、ぼくは自分自身に言い聞かせる。
海外、途上国、自然という環境において、ぼくたちの身体・身体感覚を拡張させる「テクノロジー」から切り離され、<身の丈>と向き合う経験のなかで、ぼくは「考える力」をあらためて発見する。
東ティモールを出て、香港に移り10年ほどが経過する。
そこで、ヘッセ著『シッダルタ』という古典作品を再度読みながら、この作品に触発されてやまない世界のトップパフォーマーたちに、ぼくは教えられる。
物語のなかで、物乞い同然の格好をした僧である主人公シッダルタは、道ゆきで出会う商人に「(何も所有しない)あなたが、私に何を与えてくれるのですか?」と尋ねられて、応える。
「私は考えることができる、待つことができる、そして断食ができる。」
所有という、自分を拡張するモノを失ったシッダルタが、自分の<身の丈>と向き合ってきたからこそ、生まれでた言葉である。
(※ヘッセ『シッダルタ』については、別のブログで書いた。)
ぼくは、20年以上前に読んだこの箇所を覚えていないけれど、生きてきた歳月のなかで、ようやく「体験」として、ぼくのなかを通過したのだと思う。
「私は考えることができる…」
テクノロジーがこれまでの歴史にないほどに進化を続ける現代において、新しいテクノロジーを活用しながらも、ぼくは、この基点に戻ってくる。
Facebookの「ミッション」変更で、考えたこと。- 個人、組織、コミュニティ・社会・世界。
Facebookのマーク・ザッカーバーグは、会社の「Our mission(ミッション)」を変更することを、2017年6月22日に発表した。...Read On.
Facebookのマーク・ザッカーバーグは、会社の「Our mission(ミッション)」を変更することを、2017年6月22日に発表した。
新しいミッションは、次の通りである。
● “Bring the World Closer Together”
(ミッション全文:give people the power to build community and bring the world closer together)
変更前のミッションは「making the world more open and connected」。
「オープンでつながりのある世界」の実現から、(コミュニティー構築の力を与えることで)「より密接な世界」の実現へと舵を切った。
新しいミッションの内容、そこにこめられたビジョン、社会構想、組織でのリーダーシップ、発表のタイミングなど、とても考えさせられることの多い発表であった。
いくつかのことを、書いておきたい。
1) 個人
ザッカーバーグは、これまでのスピーチで、「Why(なぜ)」や「Purpose(目的)」の重要性を、幾度となく語ってきた。
2015年には、中国本土の大学で、ビジネスや問題解決の方法(how)ではなく、目的(why)をもつことの大切さを伝えた。
また、最近は、ハーバード大学でのスピーチでも、「purpose(目的)」について触れている。
そこでは、「個人の目的を見つけること」の話ではなく、一歩、メッセージを進めている。
ハーバード大学で、ザッカーバーグは、次のように語った。
…Instead, I’m here to tell you finding your purpose isn’t not enough. The challenge for our generation is creating a world where everyone has a sense of purpose.
“Mark Zuckerberg’s Commencement address at Harvard”, HARVARD gazette
「個人の目的を見つけることでは十分ではない」と、彼は語る。
「われわれの世代にとっての挑戦は、皆が目的感をもてるような世界をつくること」だとメッセージを伝える。
彼は、例として、故ケネディ大統領がNASAに訪れたときのことを挙げる。
ケネディ大統領は、ほうきをもっている管理人を見て、彼のところに歩み、そして、「何をしているのですか?」と尋ねる。
管理人は、大統領に向かって、こう応えた。
「大統領、私は、月に人をおくる手助けをしているのです。」
ザッカーバーグにとって「purpose(目的)」とは、彼が述べるように、「われわれが自分たちよりも大きな何かの一部であることの感覚」である。
今回のミッション変更は、ザッカーバーグが考えてきた、「個人の目的」また「皆が目的感をもてるような世界」の延長線上に位置している。
2) 組織
個人レベルだけでなく、会社という組織レベルにおいても、いろいろと考えさせられ、学ばせられる。
ミッションを大切にすることはもちろんのこと、組織をリードしていくセンスに感銘を受ける。
ここでは、とりわけ二つだけ挙げておく。
ひとつは、問題・課題の解決の「方向性」を、ミッション変更で変えていることである。
Facebookはここのところ、さまざまな問題・課題に直面してきた。
その困難さの深度は、ザッカーバーグ自身の語りからも、見てとれる。
それら問題・課題は、新しいミッションに照射されることで、解決の「方向性」を変えていくと、ぼくは考える。
新しいミッションは、Facebookで働く者たちの「視界・視点」を、一段も二段も引き上げる。
会社のミッションという、「未来の姿」を変えることで、問題・課題の解決の方向性を変えていくのである。
現在置かれている組織の発展段階において、このタイミングで変更をかけてきたことに、彼のリーダーシップがある。
それから、二つ目に、COOのシェリル・サンドバーグのことである。
シェリル・サンドバーグは、最愛の夫を亡くし、その「闇」から文字通り這い上がってきたところだ。
その出来事とプロセスは、アダム・グラントとの共著『Option B: Facing Adversity, Building Resilience, and Finding Joy』になった。
今はこの本が出版されて間もなく、シェリル・サンドバーグも、これから新たな人生の入り口に立っているところである。
そのタイミングでの「新しいミッション」は、彼女の新たな人生に、追い風を与えるものであるはずだ。
友人として、仕事場でのCEO/COOというパートナーとして、ザッカーバーグは、このタイミングを、熟慮していたはずである。
3) コミュニティ、社会、世界
ミッションは、さしあたり「会社のミッション」である。
しかし、「Our mission」とザッカーバーグが言うとき、「Our」は、世界の人びとたちにも向けられている。
だから、彼は、今回の発表スピーチで、こう付け加えている。
「ミッションは、ただ単なるステートメントではありません。それは、微妙な(nuanced)哲学であり、世界への希望なのです。」
Facebookのミッションには、個人、組織、コミュニティ、社会、そして世界と、それら「全体」が視野におさめられ、言葉に凝縮されている。
「コミュニティ」の視点から、「世界」につなげている。
ザッカーバーグは、新しいミッションに変えた理由として、「社会はいまだに分裂している」ことを挙げている。
ぼくは、社会学者・大澤真幸が言う、「グローバリゼーションとユニバーサリゼーション」のことを思い起こす。
大澤真幸は、著書『逆説の民主主義』(角川oneテーマ21)のなかで、これら二つを区別して考えている。
そして、それら二つの間が、いわば分裂し、大きな問題となってきていることを指摘している。
(大澤は、見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』(太田出版)で、このことを語っている。)
「グローバリゼーション」は、主に経済的現象として、誰の目にも明らかに進んできた。
これに対し、全世界的な「文化的枠組み」や「価値的枠組み」が確立しておらず、このユニバーサリゼーションが遅れている。
20世紀は「国家」の枠組みが「文化や価値など」の枠と重なっていたが、グローバリゼーションの進展とともに国家の枠組みが相対的に弱くなるなかで、文化や価値などの枠組みが不安定になっているのだ。
この「不安定な欠如」に、Facebookは、枠組みをつくりだしていくアクターのひとつとして機能している。
国家などの伝統的な「権力」が弱体化してきていることは、Moises Naim著『The End of Power』が一冊を投じて論じている。
この著書を、ザッカーバーグが、自身のブッククラブで、最初の課題本として取り上げたことは、ある意味象徴的な行動である。
ぼくたちは、既存の権力構造のなかではなく、コミュニティーから社会、社会から世界を貫く「縦糸と横糸の関係」の網の目のなかで、「ユニバーサリゼーション」を進展させている。
Facebookの新しいミッションは、そのシンプルさのなかに、このような「縦糸と横糸の関係」の全体を内包し、未来に向けて放たれている。
ただのミッション・ステートメントではなく、ザッカーバーグが語るように、そこには「世界への希望」を託している。
ただし、それは、トップダウンではなく、数えきれないほどの「コミュニティ」のそれぞれの思いと行動が、結果として密接につながっていくような「ユニバーサリゼーション」の道ゆきである。
ザッカーバーグは、言葉をまく。
“Change starts local…”
変化はローカルに始まる、と。
Facebookは、これまで、世界で「家族や友人」を中心に、最初のミッション通り、つながり(コネクション)をつくってきた。
今回、新しいミッションにより、「個人・家族・友人のつながり」から「コミュニティー」へと視点を明確に上げて、世界をそこへとリードしている。
そして、「コミュニティー」から、次の段階へと押し上げていく「未来の流れ」を、すでに見晴るかしている。
ザッカーバーグは、Facebookをはじめたときのように、地球のさまざまな問題・課題解決へと向かう「ユニバーサルな世界」を、そこに見ていると、ぼくは思う。
世界のトップパフォーマーを触発してやまない著作。- 古典としてのヘッセ著『シッダルタ』。
Tim Ferrissは、トップパフォーマーたちに、彼(女)らに影響を与えた本、薦める本を尋ねる。たくさんの本があるが、多くのトップパフォーマーたちが挙げるのが、この一冊である。...Read On.
Tim Ferrissの著書『Tools of Titans: The Tactics, Routines, and Habits of Billionaires, Icons, and World-Class Performers』。
本書は、Tim FerrissのPodcast番組をベースに書かれている(編まれている)。
Podcastは、世界のトップパフォーマーたちを脱構築し、方法、ルーティン、習慣、読書などを紐解いていく番組である。
毎回(毎週)、1時間から2時間半もの、内容の濃いインタビューが繰り広げられる。
その内容の濃さを、さらにエスプレッソのように濃縮されたのが、この本である。
濃縮されて、700頁ほどに収められている。
世界のトップパフォーマーには、起業家、著者、スポーツ選手、コーチ、アメリカ海軍特殊部隊、エンターテイナー、コメディアンなどが含まれる。
本書の序文を書いているArnold Schwarzeneggerも、その一人だ。
インタビューの中で(また本書の中で)、Tim Ferrissは、トップパフォーマーたちに、彼(女)らに影響を与えた本、薦める本を尋ねる。
たくさんの本があるが、多くのトップパフォーマーたちが挙げるのが、この一冊である。
● Hermann Hesse『Siddhartha』(ヘルマン・ヘッセ『シッダルタ』)
Tim Ferrissは、この書『Tools of Titans』の方向性が、ヘッセ著『シッダルタ』に触発されていることを書いている。
彼が、とりわけ挙げている場面は、物乞いのような僧である主人公シッダルタが、ある商人に「(何も所有しない)あなたが、私に何を与えてくれるのですか?」と聞かれて、応答するところである。
MERCHANT: “Very well, and what can you give? What have you learned that you can give?”
SIDDHARTHA: “I can think, I can wait, I can fast.”
Hermann Hesse『Siddhartha』
シッダルタは、「私は考えることができる。待つことができる。断食をすることができる」と応答する。
それを聞いた商人は、功利主義的に「それが何の役に立つのか?」と聞き返し、シッダルタはさらに応答するといった場面だ。
Tim Ferrissは、これら「I can think, I can wait, I can fast.」の3つの点で、『Tools of Titans』が読者に役立つだろうと、書いている。
彼は、これら3つを、次のように、自身のために読み替えている。
“I can think” -> Having good rules for decision-making, and having good questions you can ask yourself and others.
“I can wait” -> Being able to plan long-term, play the long game, and not misallocate your resources.
“I can fast” -> Being able to withstand difficulties and disaster. Training yourself to be uncommonly resilient and have high pain tolerance.
Tim Ferriss “Tools of Titans” (Houghton Mifflin Harcourt, 2016)
「古典」は、読む人たちそれぞれに、読む人たちそれぞれの人生のテーマと深さに応じて、異なった角度と深度で、語りかける。
だから、何度読んでも、語り尽くすことがない。
ヘッセ『シッダルタ』は、その意味で、「古典作品」である。
ぼく自身のことでは、ヘッセの作品は、高校時代から今に至るまで、ぼくを触発しつづけている。
いつも横に置いているわけではないけれど、生きることの岐路などで、ぼくの内面に「言葉の種」をまいてくれる。
ぼくの記憶やメモには、「I can think, I can wait, I can fast.」は残っていない。
ぼくのなかでは、とりわけ「自我」の問題、生きることの「経験」ということなどにおいて、ヘッセ『シッダルタ』はぼくに語りかけてきた。
Tim Ferrissが出会うトップパフォーマーたちのインタビューを聞き、この書『Tools of Titans』を読みながら、ぼくは思う。
彼(女)たちは、まるで、ヘッセ『シッダルタ』の主人公シッダルタのように、生きているのだと。
その「生き方」は、例えば、こんな場面で語られる生き方だ。
シッダルタは語る。
「たいていの人間は、…風に吹かれ、くるくる舞い、さまよいよろめいて地に落ちる木の葉に似ている。しかし、少ないながら、星に似た人間がいる。彼らは断固とした軌道を歩み、どんな強風も彼らには届かない。彼ら自身のなかに、自己の法則と自己の軌道をもっているのだ。…」
ヘッセ『シッダルタ』新潮文庫
世界のトップパフォーマーたちとは、「自己の法則と自己の軌道」を自分たちのなかにもっている人たちのことだ。
シッダルタが言うように(またヘッセが言うように)、「星に似た人間」たちである。
そして、星がそうであるのと同じように、輝きつづけるために、<内なる炎>を燃やしつづけながら、軌道を描いている。
ぼくが「自動車工場」(日本)のラインで働いた理由と経験。- 開発学、近代・現代社会、そして人。
開発学(「途上国の発展」の学問)と、途上国の現場での仕事を志し、日本の大学院進学を決めたぼくは、入学までの間の数ヶ月の内1ヶ月を、「自動車工場」で働くことにした。1999年の末のことであった。...Read On.
開発学(「途上国の発展」の学問)と、途上国の現場での仕事を志し、日本の大学院進学を決めたぼくは、入学までの間の数ヶ月の内1ヶ月を、「自動車工場」で働くことにした。
1999年の末のことであった。
大学院では学ぶことに専心したかったことから、「今のうちに資金を貯めておくこと」が目的の一つではあった。短期間集中で、それなりの賃金を得ようと思ったとき、工場での派遣勤務が選択肢の一つであった。
しかし、「お金をかせぐこと」だけであれば、他の仕事もいろいろとある。
ぼくは、「お金をかせぐこと」だけに、生きることの時間をあてることはしたくなかった。
また、「一石二鳥」にとどまらず、「一石三鳥・一石四鳥…」といった具合に、学びと体験という「鳥」をたくさん捕まえたかった。
「自動車工場での派遣勤務」に最終的に落ち着いた理由は、大きくは、次のようなことであった。
- 短期集中で資金を貯めること。
- これから開発学・開発経済学を学ぶうえで、工場での仕事、とくに工場の労働者としての仕事は大切な体験になると思ったこと。
- 産業革命を発端につくられてきた近代・現代社会の、その生産の原動力であった工場と工場での生産を体験しておきたかったこと。
1) 短期集中で資金を貯めること
上述のように、大学院では学ぶことに専心したかったことがひとつの理由である。
大学の日々は、アルバイトに相当の時間とエネルギーを費やしていたことから、大学院では学ぶことに専心したかった。
実際に工場で働くために現地へ行き、ぼくは、工場に短期集中で資金を貯めにくる人たちと出会うことになる。
それなりに「わけあり」の人たちである(ぼくも、いくつもの「わけあり」である)。
ぼくはそのような出会いによって、自分の「内面世界」が広がっていったと思う。
2) 開発学・開発経済学を学ぶ「土台」つくり
数ヶ月先に大学院に入学を控えていたぼくは、社会の「発展」ということの内実を、現場で、体験として得ておきたかった。
途上国の発展は、工業化が駆動してきていること/駆動していくことのなかで、見ておきたかったのだ。
「学」だけにはしたくなかった。
発展の実践を身をもって知っておきたかったし、国家などマクロ的観点での「上からの視点」だけに偏りたくなかった。
実際に、大学院で、日本の工業化や途上国の工業化の経験と実践を学ぶうえで、工場で働いた経験は、自分のなかでの、言葉の「上すべり」を防いでいたと思う。
テキストなどを読みながら、そこに体験を重ねて、頭だけでなく身体で理解していくようなところがあった。
3) 近代・現代社会の存立を考える
自動車工場で働く前に、ぼくは、社会学者・真木悠介の著書『現代社会の存立構造』(筑摩書房)を読んでいた。
そのなかで、「工場の労働者」と「工場の労務管理」の箇所があり、ぼくの関心を捉えていたこともあげられる。
ひとつは、「工場の労働者」の働くという経験について、真木悠介は哲学者サルトルの著書『弁証法的理性批判』から抽出して、考察を加えている箇所である。
…機械ー内ー実践としての労働の両義性について、サルトルはある工場の労働者意識の調査を分析している。…「…機械は機械を完成するところの逆転された半自動性を人間において要求し創造する。」
女工は完全な自動性であってはならない。しかし同時に、完全な精神性であってもならない。完全な自動性であるとき、彼女は可変資本としての固有の存在意義を失う。しかし完全な精神性であるとき、彼女は機械のリズムに適合することはできない。「半自動性」としての半精神性。モノでなく人間でなければならないと同時に、人間であってはならないもの。機械はそのあらがいようのない律動をもって、それに従事する人間たちを、このような両義性として成形する。
人間は純然たる受動性であることを要求されるのではなく、能動性でありながら受動性であることを要求される。…
真木悠介『現代社会の存立構造』筑摩書房
ぼくは、この文章に興味をもち、この「両義性」を体験してみたくなったのだ。
そして、もうひとつは、「工場の労務管理」に触れられている箇所である。
「現代資本主義における労働者管理理論の形成の発端」(真木悠介)となった、「ホーソーン実験」である。
ホーソーン実験は、アメリカで1920年代半ばから1930年代初頭にかけて行われた、生産能率・労働生産性を上げることの実験である。
実験は、物理的条件の変更による生産能率の向上を見ようとしたが、幾多もの失敗の内に、労働者の感情・心理、集団・社会といった生産能率の要因を確認することに導かれていく。
ぼくは、ホーソーン実験の果てに現出してきた、さまざまな「人間中心」の管理を見ておきたかったのだ。
こうして、ぼくは、いくつかの理由と目的をもち、1999年末、鈴鹿の本田工場の自動車生産のラインで働くことになった。
人材派遣会社の方に、ぼくは説明を受け、工場近くのアパートに案内される。
ぼくと同じように、短期間働くために来た人たちと、同居しながら、工場に働きにでる。
シフトは2交代制であったと思う。
ぼくは、自動車の排気パイプの担当であった。
流れてくる組み立て途中の(数種の)自動車に合わせて、排気パイプを準備する。
排気パイプは重く、慣れるまでは、結構大変であった。
この作業が、ひたすら続く。
食事の時間をはさみ、またラインが動いていく。
数種の自動車があることで、完全に「受動的」にならないような工夫があったりする。
いろいろの「初めてのこと」に、ぼくは学び実践することで精一杯であった。
でも、ぼくの印象に強く残っているのは、「人」である。
現場では、社員の方々も、「わけあり」で派遣として働きにきた人たちも、皆、一生懸命に働いていた。
派遣ではない社員の方々は、表面的にはクールさや厳しさに包まれながらも、暖かく、気をつかってくれた。
きっちりと教えてくれ、声をかけてくれ、飲みにつれていってくれ、そして送別会までしてくれた。
ぼくの、工場で働く理由と目的をすりぬけ、のりこえていくように、ぼくの印象には「人」が残っている。
あるとき、中国語を勉強してきたぼくのことを知って、同じチーム(「課」)の方がぼくに話しかけてくれた。
苗字は中国名であったから、中国に何らかのつながりがある方だろうと察した。
今は補助的な仕事をしているけれど、昔は班長や係長などの管理系の仕事をしてきたという。
ぼくは会話のなかで、「どんな仕事が面白かったですか?」と、そっと聞いてみた。
彼は、温和な声で、ぼくに応える。
「「長」として、下で働くものたちの潜在力を引き出せたときだよ。」
そして、ぼくは、その後に歩む20年ほどの人生で、この言葉の<真実>を、体験として、理解することになる。
キアロスタミの、「音楽」のない映画。- 映画『桜桃の味』の世界。
昨年2016年に他界した、イランの映画監督キアロスタミ。今から20年前の1997年に、彼の映画『桜桃の味』が公開された。...Read On.
昨年2016年に他界した、イランの映画監督キアロスタミ。
今から20年前の1997年に、彼の映画『桜桃の味』が公開された。
映画『桜桃の味』は、主人公が車を運転するシーンからはじまる。
主人公は、自殺志願で、自殺を手助けしてくれる人たちを探し、物語が展開していく。
このような物語が展開される映画『桜桃の味』には、サウンドトラックのような「音楽」がない。
キアロスタミは、その理由について、「音楽」が「映像の物語」を邪魔するから、というようなことをどこかで語っていたと、ぼくは記憶している。
「サウンドトラック」は、それ自体に「物語」を宿していて、それが「映像の物語」と相容れなくなってしまうという。
「音楽」がない映像、車を運転するシーンなど、キアロスタミ独特の映画スタイルが、この映画『桜桃の味』でもみられる。
けれども、「音楽」がない、ということは、<音楽>がない、ということではない。
車の音、街の音、人びとの生活の音、自然や動物たちの声などの、アンサンブルとしての<音楽>がある。
普段の生活のなかで、これらの<音楽>をきくことができない者にとっては、映画のスクリーンという限られたなかでも、<音楽>をきくことができないかもしれない。
<音楽>をきくものにとっては、映画『桜桃の味』は、独特の奥行きをもって現前すると、ぼくは思う。
ポップやロックやクラシックなどの「音楽」は、ぼくたちの生において、二つの方向性をもっている。
- 欠如を埋めたり、補完したりする「音楽」
- 内に内在する生のリズム・躍動が、苦悩や歓喜として生まれる「音楽」
登場人物たちの心の機微が感じられず面白くない映画は、その欠如を、サウンドトラックの「音楽」で埋めようとするかもしれない。
例えば、人びとの「感情」の動きを、音楽の音の流れと強弱、そしてそこに流れる物語で、補完しようとする。
逆に、「生まれる」としか言いようのない、美しい「音楽」も存在する。
キアロスタミの映画『桜桃の味』は、1を避ける。
映画『桜桃の味』は、観る者を、映し出される生活空間と、映像に出てくる登場人物たちの「内面」に誘う。
映像にはハリウッド映画のような劇的さはないけれど、主人公の内面に内在するとき、その「世界」の動きは劇的である。
映画のモチーフである「自殺」は、この映画が上映されてから20年が経過したのちも、その統計数値は下がることはなく、上昇を続けている。
ユバル・ノア・ハラリの著作『Homo Deus』で展開されるように、人間の暴力(戦争・紛争、犯罪)で亡くなる人たちよりも、自殺で亡くなる人の数の方が多い。
ぼくが住んでいたニュージーランド、そして今住んでいるここ香港でも、自殺数の上昇が問題となっている。
ぼくが住んでいたシエラレオネや東ティモールの紛争・内戦では、ほんとうに多くの人たちが犠牲となったが、戦争のない「豊か」な国や地域の人たちは自ら命を絶つ。
戦争・紛争で人が犠牲になった社会と、自殺で人がなくなっていく社会の往復のなかで、ぼくは考えてしまう。
そして、映画『桜桃の味』は、この情況に裂け目を入れるヒントを、ぼくたちに与えてくれることを思う。
この情況に打ちこまれた裂け目は、「音楽」も<音楽>も、人びとの生を豊饒化する世界を奏でるような世界の可能性を、すこしでも、たしかに切り拓いていくのだと、ぼくは思う。
「ユートピア・天国・極楽」という幻想に仮託された世界の可能性。- ルトガー・ブレグマン、ユバル・ハラリ、見田宗介に共通する視野・視点。
「ユートピア・天国・極楽」といったイメージや幻想に仮託されてきた世界の可能性を考える。...Read On.
「ユートピア・天国・極楽」といったイメージや幻想に仮託されてきた世界の可能性を考える。
歴史という射程距離の長い視野で、人間と社会の未来を真摯に考え構想する、ルトガー・ブレグマン、ユバル・ハラリ、見田宗介に触発される。
1)ユートピア・天国・極楽に仮託された世界の可能性
オランダの思想家・歴史家であるルトガー・ブレグマン(Rutger Bregman)の著作『Utopia for Realists』(邦訳「隷属なき道」文藝春秋)を読んでいる。
邦訳の副題は「AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働」と題されているが、英語版は「How We Can Build The Ideal World」であり、硬質な理論・思想を展開している。
そもそも、この著作を手にとった理由は、(ぼくが読み飛ばしてしまっていた)社会学者・見田宗介の文章であった。
近代・現代の後にくる時代、「永続する安定平衡の高原(プラトー)」としての社会を見晴るかしながら、見田宗介は、このように書いている。
幾千年の民衆が希求してきた幸福の究極の像としての「天国」や「極楽」は、未来のための現在ではなく、永続する現在の享受であった。天国に経済成長はない。「天国」や「極楽」という幻想が実現することはない。天国や極楽という幻想に仮託して人びとの無意識が希求してきた、永続する現在の生の輝きを享受するという高原が、実現する。…
見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19
「天国」や「極楽」という幻想の実現はないけれど、そこに「仮託された・希求された世界」は可能であること。
オランダの29歳の思想家・歴史家は、同じように、「Utopia」(ユートピア)の幻想と思想に仮託されてきた世界の実現を描く。
ルトガーが「ユートピア」という言葉に託すのは、ブループリント的な世界ではなく、開かれた世界である。
彼は、「よい場所」(good place)であり「どこでもない場所」(no place)と書いている。
「想像力を喚起・触発するような代替的な地平(horizons)」が必要なのだと。
「地平」は複数形で、開かれた世界である。
(Rutger Bregman『Utopia for Realists』Little, Brown and Company)
歴史家ユバル・ノア・ハラリは、天国や極楽やユートピアとは直接的に言っていないけれど、人類が克服してきた3つのこと(飢饉・飢え、ペスト、戦争)が管理可能な世界は、昔の人びとにとってみれば、ユートピア・天国・極楽のような世界である。
そして、ユバル・ハラリは、著書『Homo Deus』で、人類の未来の企てとして「Deus(神)になる」ことを挙げている。
天国・極楽・ユートピアは、「神」がつくる世界である。
それらの共同幻想として希求されてきた世界は、「可能な世界」として、現代の真摯な智者たちに、現れている。
2) 未来の構想
ユバル・ハラリも、ルトガーも、そして見田宗介も、科学に依拠しながら、(これまで科学が重点を置いてきた)「未来の予測」ではなく、「未来の構想」に照準をあわせている。
ユバル・ハラリは、「歴史を学ぶこと」の目的を、次のように書いている。
…科学はただ単に未来を予測するだけのものではない。すべての分野の学者たちは、しばしば、われわれの地平(horizons)をひろくすること、そうすることでわれわれの前に新しい未知の未来が開かれることを希求する。これは歴史について特に言えることだ。歴史を学ぶことは、結局のところ、われわれが通常考えない可能性に気づくことを目的としている。歴史学者は、過去を、繰り返すために学ぶのではなく、過去から解き放たれるために学ぶのだ。
Yuval Noah Harari 『Homo Deus』(HarperCollins, 2016)
(邦訳はブログ筆者)
ユバル・ハラリの視野は、著書『Sapiens』(サピエンス全史)に見られるように、その射程は果てしなく広い。
ルトガーも、歴史に刻まれてきたユートピア思想を丹念に読み解くところから、未来の「現実的なユートピア」を描いている。
見田宗介も、ヤスパースの「軸の時代」という、紀元前に思想や哲学や宗教が花開いた時代の転回点として、現代と未来を見据えている。
近代・現代という世界を、歴史という視野・視点をとりいれることで相対化し、それを踏み台にして「未来を構想」している。
3)ぼくたちの生きている「現代」
見田宗介は、人びとが天国や極楽という幻想に希求してきた「永続する現在の生の輝きを享受するという高原」は可能としながらも、そこには「幾層もの現実的な課題の克服」が必要であることに触れている。
…この新しい戰慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な過渡期の転回を共に生きる経験が「現代」である。
見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19
こう見てくると、ぼくたちの生きている「現代」とは、人の歴史における、とても大きな転回点であることがわかる。
経済において、例えば、景気がよいとか悪いとか、それだけに回収されない情況に、時代に、ぼくたちは生きている。
産業構造の転換だけに回収されない情況に、時代に、ぼくたちは生きている。
幾千年もの間、人びとが希求してきた世界の実現への「過渡期」に、ぼくたちは生きている。
これから人と社会は、見田宗介が書くように、「新しい戰慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な」時期を加速させていくだろう。
人工知能も、IoTも、ベーシックインカムも、ビットコインも、ポケモンも、Facebookも、この「過渡期」における現実的な課題の克服のための、幾多もの「試み」の氷山である。
これまで「あたりまえ」だと思っていたことが、この幾多もの「試み」のなかで、まったく違ったものになっていくだろう。
働き方が変わり、学び方も変わり、遊び方も変わり、そして生き方も変わっていく。
これまでの人類が経験もしたことのないような仕方で。
この「現代という過渡期」の「戰慄と畏怖」のなかで、予測ではなく、未来の構想に向けて、雨粒のひとつのような文章を、ぼくは紡いでいる。
この<雨粒>のひとつは、他の雨粒たちとともに、この<地球>においてふりそそぐことで、ふりつづけることで、人と社会という<地層>を次第に固めていくことになるとよいと、ぼくは思う。
香港にふりそそぐ雨に触発されて思うこと。- 「雨の楽しみ方」への想像力の獲得。
香港では、夏至にむかって、雨が降ってはやみ、やんでは降る。今年初の台風を迎えた後も、雨が香港に、ふりそそいでいる。...Read On.
香港では、夏至にむかって、雨が降ってはやみ、やんでは降る。
今年初の台風を迎えた後も、雨が香港に、ふりそそいでいる。
香港での過ごし方においては、住む場所と行く場所にとっては、雨も台風も、「避けること」ができる。
香港は、多くの建物が「屋根」でつながっているからである。
例えば、住んでいるマンション、フラットなどから、電車(MTR)の駅までつながっている。
駅の真上にマンションが位置していると、エレベーターで下におりると、すぐに駅だ。
それから、電車に乗って、目的地の駅でおりる。
その駅から、そのまま通路でつながっている仕事場やショッピングモールなどに向かう。
さらに、ショッピングモールから他のショッピングモールが、通路でつながっていたりする。
便利さと効率さが追求されている。
香港ならではの都市開発のかたちである。
養老孟司の言葉を借りれば、「脳化=社会」の徹底されたかたちでもあるように、ぼくには見える。
都市とは、「脳」がつくりあげた人工物である。
その本質は「人間のコントロール」をすみずみまで徹底させることにある。
だから、雨などの自然を含め、コントロールできないものを排除し、あるいはコントロール下におけるようなかたちをつくる。
香港の都市は、その中心部を「屋内通路」でつなげることで、自然をコントロール下におく。
脳化=社会では、自然は疎外される。
雨は、「悪い天気」である。
しかし、子供たちは、そんなことお構いなしに、「悪い天気」をのりこえてしまう。
ぼくは、繰り返し、子供たちの、この「のりこえ」に遭遇する。
(「脳化=社会」と「子供たちによる乗り越え」については、別のブログにも同じ視点で書いた。)
雨がふりそそぐなか、ぼくは、マンションを出て、他の棟の前を駅に向かって歩いていく。
アーケードや屋根があるから、傘をささなくても、雨をしのぐことができる。
そのうち、香港の3歳から5歳くらいの子供たちが、ぼくの視界にはいってくる。
子供たちは、レインコートを身にまとい、レインブーツをはいて、みずから、雨のなかにのりだしていく。
その眼は、雨をふらす空を見上げ、きらきらとした輝きをともしている。
雨に濡れないように、という大人たちの言葉と制止をはねのけて、雨のなかに幸せのかたちをつかむ。
子供たちは「脳化=社会」からはみでていく「自然」である。
ぼくたちは、大人になるにつれて、理性のなかで雨を疎外し、楽しみのひとつをなくしていく。
ぼくは子供に「負けたな」という思いがあるものの、やはり、極力、雨を避けようとする。
村上春樹の旅行記のなかで書かれる「悪い季節」の過ごし方が、ぼくの心象風景に、しずかに横たわっている。
村上春樹は「ウィスキーの匂いのする小さな旅の本」をつくるために、スコットランドのアイラ島におりたつ(旅自体は2000年よりも前のことだ)。
アイラ島はシングルモルト・ウィスキーの聖地である。
ただし、アイラ島は、夏の数ヶ月をのぞくと、気候は魅力的ではないという。
冬はとにかく雨がふり、風は強く、とにかく寒い。
それでも、この「悪い季節」にわざわざ辺鄙なアイラ島に来る人たちは少なくないという。
…彼らはひとりで島にやってきて、何週間か小さなコテージを借り、誰に邪魔されることもなくしずかに本を読む。暖炉によい香りのする泥炭(ピート)をくべ、小さな音でヴィヴァルディーのテープをかける。上等なウィスキーとグラスをひとつテーブルの上に載せ、電話の線を抜いてしまう。文字を追うのに疲れると、ときおり本を閉じて膝に起き、顔をあげて、暗い窓の外の、波や雨や風の音に耳を澄ませる。つまり悪い季節をそのまま受け入れて楽しんでしまう。こういうのはいかにも英国人的な人生の楽しみ方なのかもしれない。…
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮文庫
雨がふりそそぐと、(天気が悪いなあという内なる声のひとつを制止して)ぼくはまず「感謝」をする。
香港の海に、香港の大地にふりそそいでいる雨に感謝する。
それから、世界のいろいろなところのことを思う。
東ティモールのコーヒーの木々にふりそそぐ雨を想像し、コーヒーの花が見事に咲くとよいと思う。
西アフリカのシエラレオネの井戸に、雨の水が、長い時間をかけて、地層に濾過されながらたまっていくとよいと思う。
感謝をしてから、ときに、「英国人的な人生の楽しみ方」にならう。
コテージも暖炉もないけれど、本をしずかに読む。
文字を追うのに疲れると、顔をあげて、窓の外にひろがる海と小さな森に目をやり、雨や風の音、鳥の声に耳を澄ませる。
子供たちのように雨のなかにとびだしていくことはしないけれど、ぼくにも「想像力」はある。
楽しみ方のかたちは、想像の彼方にまで、ひろがっていくはずだ。
そして、この想像の彼方に、「近代・現代」のあとにくる時代を準備する<萌芽>があるのだということ。
雨をふらす地球の有限性のなかに、想像力という無限の力が、いっぱいに解き放たれるのだということ。
香港にふりそそぐ雨にのって、ぼくの想像は、さまざまなイメージと思考を、ぼくの<内面の地層>にふりそそいでいる。
ことばの限界・限定性を前にして。- 「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」(村上春樹)という願い。
言語・ことばを伝えること、そしてそれが相手に届くこと。ぼくたちはつくづく願う、「ことばが届きますように」と。...Read On.
言語・ことばを伝えること、そしてそれが相手に届くこと。
ぼくたちはつくづく願う、「ことばが届きますように」と。
歴史は、人類が言語・ことばによって、「人間社会」をつくり、「文明社会」を拓いてきたことを語る。
しかし、歴史はまた、言語・ことばの信頼性を崩してきた時代の存在を、ぼくたちに伝える。
日々、ぼくたちは、言語・ことばを、相手に伝えても伝えても届かないことのフラストレーションと悔恨を、なんどもなんども飲み下す。
このような生のなかで、ぼくたちのとることのできる「道」は、二つである。
- フラストレーションと悔恨のなかに身をうずめ、ことばへの信頼をなくし、ことばの限界の内だけに生きていくこと。
- ことばの限界を理解しつつ、それでもことばの力を信じ、相手にことばが届くように工夫を重ねていくこと。(「メタ言語性=言語性の限界を知る言語性」ということを、別のブログで書いた。)
二つ目の道をとるためには、「ことばの力を信じること」の、経験の土台が必要である。
そして、経験の濃度の違いこそあれ、だれもが、ことばがほんとうに届く経験、あるいはことばを超えて届くような経験をもっているはずである。
村上春樹は、旅のなかで出会ったウィスキーの味と、その味を支えている人たちの姿を見聞きした感動を、ことばにうつしかえていく。
その「ウィスキーの匂いのする小さな旅の本」を書きながら、村上春樹はしみじみと思う。
「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と。
もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。…
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮文庫
素敵な写真で彩られた、このとても美しい本は、ウィスキーの味と人びととの交歓という「感動」が、写真と文章からにじみでている。
しかし、村上春樹は、「ことばの限定性」を前にして、次のように語る。
…残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らはー少なくとも僕はということだけれどーいつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮文庫
村上春樹は、このようにして、「ことばの限定性」を前に、それはそれとして、しかしそれを乗り越えていく。
第一に、「ことばの限定性」を理解すること。
第二に、「僕らのことばがウィスキーであったなら」と、願うこと。
第三に、願いを「ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある」という自分の経験にかえること。
そして、この経験たちを「ことばの力」を灯す炎として、絶えず燃やしつづけていくこと。
ぼくたちは、ことばの限定性のなかで、しかし「ことばの力」を信じ、ことばがウィスキーになることを夢見、工夫を重ねていく。そうして、ときに夢は現実化される。
それにしても、もし、ことばがいつも完全に、完璧に、相手に伝わり、届いたら、と考えてしまう。
仕事や家庭や社会における、日々のミスコミュニケーション・誤解の連続のなかで、ついつい、そのような「願い」が頭をもたげる。
でも、そのような世界は、やはり「つまらない」のではないかと、思い直す。
そのような世界は、争いもないけれど、また感動もない世界である。
不完全性のなかに、完璧ではないなかに、アートがうまれ、詩がうまれ、恋文がうまれる。
そのようなことばや、ことばにならないことばの伝達の繰り返しの中で、ぼくらの「ことばがウィスキーになること」がある。
だから、ぼくは、「ことばの力」を信じ、こうして日々、せっせと、時間という名の「ぼくの命」を文章にそそぎこんでいる。