「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「この世界の中にただ生きることの、<幸福感受性>」(見田宗介)。-「ダニエルの問いの円環」という美しい文章と論理から。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)という美しい本の三章は「ダニエルの問いの円環ー歴史の二つの曲がり角ー」と題され、「二人のダニエル」の物語を題材に、歴史の大きな曲がり角を見ている。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)という美しい本の三章は「ダニエルの問いの円環ー歴史の二つの曲がり角ー」と題され、「二人のダニエル」の物語を題材に、歴史の大きな曲がり角を見ている。見田宗介の文章は、ビートルズの曲たちのどれもが「すばらしい」曲であるように、いずれもが「すごい」文章なのだけれど、この第三章は、とりわけぼくの好きな章(のひとつ)である。

この、わずかに8ページほどの章のなかに、歴史と現代社会そして未来の社会を踏まえたうえで、ぼくたちの「生きかた」の問題のありかと、その生きかたを解き放つ方向性が、明晰な論理と美しい文章で書かれている。

一人の「ダニエル」は、宣教師/言語学者としてアマゾンの小さな部族ピダハンの人たちと生活をともにし、その記録を著書『ピダハン』(原著”Don’t Sleep, There Are Snakes: Life and Language in the Amazonian Jungle”)にまとめた、ダニエル・エヴェレット(Daniel L. Everett)である。


この本の「おどろき」と、それが照らすものについて、見田宗介はつぎのように触れている。


 この本が現代人をおどろかせるのは、長年の布教の試みの末に、宣教師自身の方がキリスト教から離脱してしまうということである。ピーダハーンの「精神生活はとても充実していて、幸福で満ち足りた生活を送っていることを見れば、彼らの価値観が非常にすぐれていることの一つの例証足りうるだろう。」「魚をとること。カヌーを漕ぐこと。子どもたちと笑い合うこと。兄弟を愛すること。」
 このような<現在>の一つひとつを楽しんで笑い興じているので、「天国」への期待も「神」による救済の約束も少しも必要としないのである。
 …
 けれどもこの時ダニエルの中で溶解したのは、キリスト教という一つの偉大な宗教の全体よりも、さらに巨大な何かの一角であったように思う。

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書、2018年)


見田宗介がこのような書物をとりあげることは、真木悠介の筆名で書かれた『気流の鳴る音』(1977年)のなかで、カルロス・カスタネダの作品を素材にして、ヤキ・インディアンの世界に出会ったことを想起させる。

ただし、その出会いの目的は、あくまでも、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」として、明確にうちたてられていたように、ダニエル・エヴァレットを通してピーダハーンの世界と出会うことも、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」のひとつとして位置づけられている。

『気流の鳴る音』のときと異なるのは、その時から40年ほどが経過した世界のなかにおいて、「巨大な何かの一角」が溶解したことであるということだ。


このように、溶解した「巨大な何かの一角」をさぐりながら、見田宗介がとりあげる、もう一人の「ダニエル」は、「ダニエル書」で知られる、預言者ダニエルである。このダニエル書において、<生きることの「意味」をひたすら「未来」の救済の内に求めるという発想>が、全思想の核心として明確に確立したのだ(歴史的な背景としては、ユダヤ民族の極限的に不条理な苦難の歴史がある)と、見田宗介は指摘し、ピーダハーンの充実した<現在>の生との対比のなかに、ピーダハーンが「教えてくれるもの」をとりだしている。

とりだされたピーダハーンの教えは、「この世界の中にただ生きていることの、<幸福感受性>」である。それは、「意味」をひたすら「未来」の救済のうちに求めるのではなく、今の、この世界の中にしあわせを感受する力である。

見田宗介はピーダハーンを理想化しているのではない。「近代化」はピーダハーンにもいずれやってくることを思い、また文明のテクノロジーの成果をふまえながらも、これからの時代にとりもどすべきわずかな基底のありかとして、<幸福感受性>をとりだしているのだ。

ここでは「歴史の曲がり角」の詳細には立ち入らないけれども、たしかにここに、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく」核心がある。ぼくは、心身の底から、そう思う。

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村上春樹, 言葉・言語 Jun Nakajima 村上春樹, 言葉・言語 Jun Nakajima

「心」を外国語に訳す(技)。- 村上春樹作品の翻訳、村上春樹の考える「翻訳」。

村上春樹の小説のロシア語翻訳者のひとり、ドミトリー・コヴァレーニンは、村上作品に登場する、日本語の「心」をどのように訳したらよいのか、悩んだという。

村上春樹の小説のロシア語翻訳者のひとり、ドミトリー・コヴァレーニンは、村上作品に登場する、日本語の「心」をどのように訳したらよいのか、悩んだという。

それは村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を訳していたときで、そのなかでいちばん悩んだのが、この「心」の訳し方であったというのだ。

村上春樹の英語翻訳者のうちのひとり、アルフレッド・バーンバウムの英語訳では「心」は「mind」と訳されている。

ドミトリー・コヴァレーニンは、村上春樹に直接にインタビューしたときに、その訳(mind)をぶつけてみたのだという。


…2002年にはじめて村上さんにインタビューをしたとき、「村上さん、’mind’で大丈夫ですか」と訊きました。彼は、「ウーン、どうですかね。’soul’でもない、’mind’でもない、’heart’でもない。三つの言葉の意味が少しずつ入っているけれども、さらに必ずあたたかみを付けるように。頑張って考えてください」と言われました。

『世界は村上春樹をどう読むか』(文春文庫、2009年)


たしかに、日本語の「心」を訳すことがむつかしいことがある。

逆に、バーンバウムが訳したような「mind」が英語にあったとしたら、これを日本語にどう訳したらよいのか、ということに悩んでしまうだろう。

ぼくは便宜的に、頭脳的なものを「mind」とし、(ハートで感じるような)心的なものを「heart」というように、じぶんの訳語のひきだしに収めているけれど、実際の文脈に入っていかないと、どう訳していいのかはわからない。英語から日本語訳では「カタカナ」を使えるので、「mind」の日本語訳は「マインド」とするようなこともある。


しかし、「心」の英語訳は、村上春樹が「…’soul’でもない、’mind’でもない、’heart’でもない」と言わざるを得ないような、そんな「心」である。

でも、さすが村上さんと思ってしまうのは、「…さらに必ずあたたかみを付けるように」と付けくわえてコメントを提示したことであり、その感覚にぼくは共感してしまう。

その意味において「的確なアドバイス」とも思われるが、「翻訳」の最終的な判断は、翻訳者に任せられている。


このような村上春樹のスタンスはいろいろなところで知ることができるが、自身も翻訳者である村上春樹の、「オリジナル・テキスト(原文)」の翻訳にたいするスタンスからも、照射することができる。

村上春樹は、かつて「原文」と「翻訳されたもの」の関係性について訊かれたとき、それぞれは「別のもの」でしょう、と応えている。そこで『グレード・ギャッツビー』の翻訳に触れながら、村上春樹はつぎのように語っている。


…いくつかの訳を比べて読んでみると、ひとつの全体像が漠然と浮かび上がってくるということはあるかもしれませんが、個々の訳はオリジナル・テキストとは別物だと僕は思います。しかし別物であっても十分に感動できるし、その感動がオリジナル・テキストを読んだアメリカ人の読者より劣るかというと、そんなことは決してないと思います。というか、優れた小説には、そういう多少の誤差を乗り越えて機能する、より大きな力があるんです。僕はそういうふうに考えています。ただもちろん誤差は少ないほうが絶対にいいです。

村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』(文春新書、2000年)


村上春樹は「正解な翻訳」というものは原理的にはないと考え、また、誤差は少ないほうがよいが、優れた小説の「多少の誤差を乗り越えて機能する、より大きな力」を信じているのである。

他のところでも語られるように、むしろ翻訳とは「誤解の総和」とも言えるもので、しかしそれでも、「総体としてきちっとした一つの方向性」を指し示していれば、それは優れた翻訳だと考えているのだ。

そんなふうな「翻訳」へのスタンスもあって、村上作品の「翻訳」の最終的な判断は、翻訳者に任せられている。


「頑張って考えてください」と村上春樹に励ましを受けたドミトリー・コヴァレーニンは、最終的に、この「心」をどのように訳したのだろうか。


…私は一生懸命頑張った結果、訳さないようにしたんです(笑)。「もののあはれ」のような考え方をいちばんよく訳すには、それを翻訳しないことだと思うのです。結局、「心」はできるだけ曖昧にしました。まあ、これは私のひとつの技、手法なのですけれども。

『世界は村上春樹をどう読むか』(文春文庫、2009年)


(一生懸命頑張った結果)「訳さない」ということを選んだドミトリー・コヴァレーニンの決断は、彼が語るように、「ひとつの技」である。

研ぎ澄まされた「技」であると、ぼくは思う。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

古代日本人の「予祝」という方法と時間感覚。- 稔り/夢を「現実化」する力。

「古代日本人の夢の叶え方」として「予祝」(よしゅく)の儀礼を現代的意味のなかにとらえなおしながら、作家のひすいこたろうは、「予祝のススメ」について書いています。

「古代日本人の夢の叶え方」として「予祝」(よしゅく)の儀礼を現代的意味のなかにとらえなおしながら、作家のひすいこたろうは、「予祝のススメ」について書いています(ひすいこたろうは、その後、大嶋啓介と共に『前祝いの法則』(フォレスト出版、2018年)を著しているが、ぼくはまだ読んでいない)。

ひすいこたろうは、ある神社の神官の方から教わったこととして、「お花見」というものは、古代日本人が秋の豊作を現実として引き寄せるための「前祝い」であったことを紹介しています。


春に満開に咲く桜を、秋のお米の実りに見立てて、仲間とワイワイお酒を飲みながら先に喜び、お祝いすることで願いを引き寄せる。
これを「予祝」(よしゅく)というのだそうで、ちゃんと辞書にも載っています。

古代日本人がやっていた、夢の引き寄せの法則、それが「お花見」だったのです。
夏の盆踊りも、秋の方策を喜ぶ踊りであり、予祝だったわけです。

祝福をあらかじめ予定するのです。
いわば前祝い。
先に喜び、先に祝うことで、その現実を引き寄せるというのが日本人がやっていた夢の叶え方なんだそうです。

ひすいこたろう「「予祝(よしゅく)のススメ」~古代日本人の夢の叶え方」、Webサイト『ひすいこたろうオフィシャルブログ』


実際に、ひすいこたろうは「予祝」の方法を実践しながら、友人たちと「夢」を叶えてきた経験をベースに語っています。


古代の日本人にとって、生きるうえでの切実なこととして「秋の稔り」があり、それを確実にするための儀礼として「予祝」というものがあったのです。

この「予祝」については、社会学者の真木悠介も、著作『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)のなかで、古代日本人の「時間感覚・時間意識」を概観するなかで書いています。

「近代人・現代人」としてのぼくたちの時間感覚を基礎とするのではなく、「古代日本人」の時間感覚をともに理解してゆくことで、「予祝」という儀礼をよりよく認識することができるように思います。


 予祝という、この時期の日本人の時間意識の構造を凝縮している行為は、このとおい未来の収穫の確実さへの、祈念の切実さということをぬきにしては理解しえない。
 予祝とはいうまでもなく、春の農耕の開始に当たって、秋の収穫を予め祝うのである。平野が論じているように祈年祭とは、まさしくこのように、その一年の労働の意味に他ならない秋の稔りすなわちトシを、春にあらかじめ祝ってなされるミトシハジメに他ならなかった。

真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年。岩波現代ライブラリー、1991年)


平野仁啓の『続 古代日本人の精神構造』(未来社、1976年)も参照しながら、真木悠介は「古代日本人の時間意識」を表現しています。


 …その年のはじめに未来をあらかじめ現在化せしめる儀礼が、未だ来ぬトシに向かって辛苦しつづける労働の日々をとおして臨在し、<現在しつづける過去>の規格をこの未来に与えるのである。くり返しいえば、それはその年の長期にわたって外化された労働の意味に他ならない未来を既定の過去として設定することによって、これを現在しつづけるものとするのだ。

 …<俗なる時間>において人間の労働が未来に向かうと同時に、平行する<聖なる時間>において、神の約束の未来が来るのだ。耕作労働への田の神の臨在がこのことを具象化している。平野はこのことを収縮する時間ととらえる。
 収縮する時間はやがて、未来と過去と現在とがその一点に収斂する<時>に完結し、充足する。予祝とはこの時の収縮の呪術に他ならなかっただろう。

真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年。岩波現代ライブラリー、1997年)


古代日本人にとっての「予祝」を考える際に気をつけておきたいことは、古代日本人の「時間意識」が、近代・現代人のように過去から未来へと無限にひろがってゆく「時間意識」ではないことのなかで、「未来」が現実化されていったことです。

そもそもが、古代日本人にとっては、「未来」は稔りの時間幅、つまり「トシ」の時間幅を限度としているようなところがあり、近代・現代人のように何年後や何十年後などの「未来」ではありませんでした。

異なる「時間意識」のなかで、<聖なる時間>を平行させ、<現在しつづける過去>の規格を未来に与えながら、秋の稔りにたいする祈りが現実化されてゆく。

このように、限定されたなかではありつつも、古代日本人はこのような方法をよく考えたものだと思います。


それでも、「方法」として「予祝」という仕方が現代における「夢の叶え方」においておなじような効果を発揮させてゆくのは、予祝と夢の現実化のあいだに、意識化・イメージ化、ポジティブな肯定さ、信じる力と信じることによる「現実の世界」を切り取る力、楽しさなどを、植えこんでゆくからです。

「未来へと向かう力」というだけでなく、「未来が現在となる力」(現在しつづける過去)として、人の描く「物語」は構成されてゆきます。

予祝の方法はなにも非合理的な方法ではけっしてなく、まったく合理的なものです。

途上で出会う「問題」に対峙するときも、解決できない問題ではなく、(「稔り」は約束されているという論理のなかで)「解決できる問題」として向き合うことになります。

そして、これらを共有する「共同体」としての力がいろいろに作動してゆきます。

そのような力として、「予祝」という方法があるのだと、ぼくは見ています。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「メタ明晰」(真木悠介)。- 真木悠介の思想・思考の道具箱から。

少しまえに、人間の知性の次元をあげてゆくプロセスをとりあげ、ブログ「どこまでもつづく「メタ認知」の永久運動から。- 人間の知性の次元をくりあげる。」を書きました。

少しまえに、人間の知性の次元をあげてゆくプロセスをとりあげ、ブログ「どこまでもつづく「メタ認知」の永久運動から。- 人間の知性の次元をくりあげる。」を書きました。

きっかけのひとつは、思想家の内田樹の明晰さに惹かれたからでした。

 人間の脳や知性の構造について考察するときには、どこかで「自分の脳の活動を自分の脳の活動が追い越す」というアクロバシーが必要になる。
「私はこのように思う」という判断を下した瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか?この言明が真であるという根拠を私はどこに見出すのか?」という反省がむくむくと頭をもたげ、ただちに「というような自分の思考そのものに対する問いが有効であるということを予断してよろしいのか?」という「反省の適法性についての反省」がむくむくと頭をもたげ……(以下無限)。
…「いや、これでいいんだ」と、この無限後退(池谷さんはこれを「リカージョン」<recursion>と呼んでいる)を不毛な繰り返しではなく、生産的なものと感知できる人がいる。
 真に科学的な知性とはそのような人のことである。

内田樹『街場の読書論』潮新書

この箇所を読みながら、「そうだよなぁ、そうだよなぁ」と心のなかでつぶやいていたのでした。

そして、この文章に触発されて、いわゆる「メタ認知」(対自化された認知)ということの、永久運動ということを思ったのでした。

この「永久運動」(あるいは、内田樹の名づける「無限後退」)を不毛だと思うのではなく、生産的なものと感知できる人を「真に科学的な知性」だと内田樹は書いているわけですが、ぼくが、このことを、方法として、あるいはより深いところで「生きかた」として<意識的に>獲得したのは、真木悠介(見田宗介)の『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)からでした(内田樹の文章とは、表面上の文脈やニュアンスはもちろん異なっていますが)。

ふたたび(と言っても、いくどもいくどもの「ふたたび」ですが)『気流の鳴る音』をひらいて、「明晰さ」に関する文章群、とりわけ「対自化された明晰さ」という文章を読んでいるときに、そのことを思い出したのでした。

『気流の鳴る音』は、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」としてインディオの世界に出会うことを目的とした本(冒険)で、1960年代から1970年代によく読まれていたカルロス・カスタネダの作品を素材としながら、カスタネダの作品群に登場するヤキ族のドン・ファンによる教えを軸に展開されてゆくものです。

ドン・ファンの「教え」で描かれる、到達すべき理想の人間像は「知者」と呼ばれ、その旅の途上で、「四つの自然の敵」があるといいます。

恐怖、明晰、力、老い、の四つです。

このなかで「明晰」ということがあり、ふつうに考えれば「明晰」は敵ではなく、とりわけ「知者」にとってはむしろ味方ではないかと思うところですが、「明晰」が敵として想定されているわけです。

ドン・ファンの「教え」の言葉を丹念にひろいながら、真木悠介は、つぎのように書いています。

 ドン・ファンは知者の「第二の敵」としての明晰について、こうのべている。
「心の明晰さ、それは得にくく、(第一の敵である)恐怖を追い払う。しかし同時に自分を盲目にしてしまう。それは自分自身を疑うことをけっしてさせなくしてしまう。」(「教え」九九)
「明晰」とはひとつの盲信である。それは自分の現在もっている特定の説明体系(近代合理主義、等々)の普遍性への盲信である。…
 人間は<統合された意味づけ、位置づけの体系への要求>という固有の要求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられる。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)

この認識のうえに、真木悠介は、「それでは「明晰さ」からどこへゆくのか?」と問いながら、<対自化された明晰さ>という地点に着地(固定的な着地ではなく、いったんの着地)することになります。

「明晰さ」の地点から、「不明晰さ」にゆくのでもなく、また「非合理性」にゆくのでもない。

<対自化された明晰さ>については、真木悠介の(うつくしい)ことばを、やはりひろっておきたい(読むうえでは、「 」と< >の違いに注意されたい)。

「明晰」を克服したものがゆくべきところは、「不明晰」でなく、「世界を止め」て見る力をもった真の<明晰>である。
「明晰」は「世界」に内没し、<明晰>は、「世界」を超える。
「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、<明晰>はひとつの<意志>である。
 <明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである*。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)

この<対自化された明晰さ>の注記として、真木悠介は、メタ数学論とメタ言語論との類比から、<明晰さについての明晰さ>、あるいは「メタ明晰」とよぶことができるとしています。

20年ほどまえに、ぼくが、なんどもなんども、読んだところです。

そうすることで、この「メタ明晰」は、ぼくが、考えることの、あるいは生きることの「道具箱」に収められることになったわけです。

発展途上国や開発のことを学んでいるときも、あるいは実際に発展途上国や紛争国の「現場」で考えているときも、さらには、異文化におけるマネジメントの課題に対峙しているときも、どこかで「メタ明晰」の次元が作動しつづけていたのだというふうに、ぼくは振りかえりながら思います。

それぞれのフィールドで、いったんは「明晰さ」を手にしながら、でもそれに耽溺するのではなく、そこにはいつもなんらかの「疑問」がさしはさまれることになったわけです。

この疑問を起点として、あの「永久運動」がやってきては、さらなる「学び」への衝動が絶えず発動されるのです。

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香港, 日本 Jun Nakajima 香港, 日本 Jun Nakajima

香港の、ふつうの「電車の風景」のなかで。- 「何時何分」と「次の電車」とのあいだ。

「電車」の風景(あるいは、「電車のない」風景)がある。

「電車」の風景(あるいは、「電車のない」風景)がある。

「あたりまえ」のことだけれど、住むところによって、「電車」のある風景があり、「電車」のない風景がある。

ニュージーランドには電車が通っているけれど南北すべてに通じているわけではないし、西アフリカのシエラレオネには(昔はあったようだが)電車は走っていない。

東ティモールにも電車はない(ぼくがいたころの東ティモールには車道に「信号機」さえなかった)。

ニュージーランドでも、シエラレオネでも、東ティモールでも、そのほとんどは、自動車(ニュージーランドではバスも)による移動であった。

ここ香港には、香港MTR(港鉄)がそのネットワークを拡張しながら、香港の人びとの活動のけっして欠かせない部分となっている。

ネットワークといえば、今年(2018年)の9月には「広深港高速鉄道」(広州から深セン、香港に至る高速鉄道)が新たに開通している。

MTRがどれほど香港の日常に入り込んでいるかは、10月のある日の午前、香港の4つの鉄道車線においてシステム不具合のため「マニュアル運行」となり大混乱となったことからも、うかがうことができる。

こんな具合に、いろいろなところに住んでいると、電車のある(電車のない)風景があって、そこの場所にいるときには「ふつうのこと」のように見えるのだけれど、その場所からはなれたり、あるいはその風景のなかで「心象世界」をすきとおらせてゆくと、ときに不思議なことに思えてくるのである。


そんなふうにして「香港MTR」のことをかんがえていたら、電車が到着する「時間の表示」も、たとえば東京のそれとは異なるのだと、「あたりまえのこと」だけれども、改めて「見えて」くるのであった。

東京では、プラットフォームの電光掲示板には「何時何分」の電車ということがわかるようになっている。

日々の移動は、この「何時何分」にかけられていて、生活や活動がこの「何時何分」によって動いてゆく。

こんなことを考えていると、今年の5月にBBCのニュースで「Japanese train departs 25 second early - again」(BBC News)という見出しの記事に出くわしたことを、ぼくは思い出すことになる。

そのニュースは、日本の鉄道会社が、電車が25秒早く駅を出発したこと(数ヶ月の内に同様のケースとして2件目)について謝罪したことを伝えていた(もちろん言外の驚きとともに)。


香港MTRでは、ぼくの知るかぎり、「何時何分」という表示はないし、時刻表も(始発・終電を除いて)ない(システム上はあるのだろうけれど、どこにも記載されていないから、電車の利用者としては正確にはわからない)。

中国語と英語それぞれの表示が、代わる代わる、あと「何分」を表示し、到着直前に「到着」の表示がされる。

香港MTRのアプリのひとつが『Next Train』という名前と機能でつくられているように、「次の電車」がいつくるのか(何分でくるのか)が、肝要であるのだ。

この表示のされ方も、このように「次の電車」を待つ仕方も、ぼくは今ではごくごく「あたりまえ」のこととしながら電車を利用しているけれど、東京に住んでいたときとは「異なる」ということを思う。

そして、そう思いながら、この「異なり」が、どのような「時間感覚」や「生活感覚/生活様式」の<違い>をもとにして現出しているのか、あるいは、これらの「異なり」が、(ぼくを含めて)ここに住む人たちの「時間感覚」や「生活感覚/生活様式」をどのように醸成していくのか、ということを考えてしまう。

東京はさまざまな鉄道路線(鉄道会社)が存在しているから、それらの「つながり」をつくるには、「次の電車」ではなく、「何時何分」という<時刻>が要請されるようにも思う。

ただし、それだけだろうか、という問いがわいてきては、ぼくのなかに「仮説」をつぎからつぎへと生んでゆくのである。

そのような「仮説」を頭のなかでゆらせながら、ぼくは、香港の「電車の風景」を見る。

それにしても、「何時何分」によって社会システム(および生活システム)のすみずみまでが編成されていることについては、日本の外に住んでいると、ますます驚嘆させられるものだ(それがよいかどうかなどは別のこととして)。

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書籍, 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 書籍, 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「分類不能の書」との出会い。- 真木悠介『気流の鳴る音』のどこまでもひろがる魅力。

小説家・詩人のD・H・ロレンス(1885-1930)は、著作『アポカリプス』の最初のほうで、つぎのように書いている。


小説家・詩人のD・H・ロレンス(1885-1930)は、著作『アポカリプス』の最初のほうで、つぎのように書いている。


…6冊そこらの本を読むよりも、あいだをあけて、一冊の本を6回読むほうが、はるかに、はるかによい。ある特定の本がそれを6回も読むようにあなたを呼びとめるのであるのなら、それはそのたびにより深くより深くすすむ経験となり、また魂の、感情的な、精神的なぜんたいを豊饒にするだろう。

『The Complete Works of D.H. Lawrence』Delphi Classics 2012  ※日本語訳はブログ著者


6回どころか、「ある特定の本」は、20年以上のあいだに、いくどもいくども、ぼくを「呼びとめる」存在でありつづけてきた。

今も再度、深く読んでいるところだ。

D・H・ロレンスの語るように、読むたびに、ぼくにとって「より深くより深くすすむ経験となり、また魂の、感情的な、精神的なぜんたいを豊饒にする」ような本だ。

このブログではいくどかとりあげているけれど、それは、真木悠介の著作『気流の鳴る音 交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)である(なお現在は、真木悠介著作集にも収められている)。

この本については、これまでにも、たとえば、以下のタイトルを付したブログで書いた。


「「若い人に贈る一冊」を選ぶとしたら。- 真木悠介『気流の鳴る音ー交響するコミューン』。」

「生きかたにかんする「必読書」の一冊。- 真木悠介『気流の鳴る音』という必読書。」


ここ数日、再度深く読みすすみながら、この『気流の鳴る音』を捉える言葉として、「分類不能の書」であるということを、やはり深く深く感じながら読んでいて、この本のことをブログになんどでも書こうと思ったのであった。

「分類不能の書」とは、その呼び方のとおり、カテゴリー化を拒絶するような本である。

真木悠介は、じしんの他著作『自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学』(岩波書店、1993年)について、「分類の仕様のない書物」を世界の内に放ちたいと、その「あとがき」で書いているが、真木悠介の書く著作群は、『自我の起原』も、『時間の比較社会学』も、そして『気流の鳴る音』も、いずれもが、「分類の仕様のない書物」(分類不能の書)である。

べつのところで真木悠介は、野口晴哉の名著『治療の書』(全生社、1969年)が「分類不能の書」であることに触れながら、じしんにとって「最も大切な書物」の一冊であることを書いている。


…『治療の書」はその書名からしても、野口晴哉が「整体」という、身体活動=身体相互活動の創始者として知られるということからしても、何か実用的な健康書か医療技術の専門書か、そうでなければ反対に宗教書の類のごとくに受け取られかねないからである。それはいくつかのわたしにとって最も大切な書物と同じに、「分類不能の書」、野口晴哉の『治療の書』としかいいようのない孤峰の書である。

見田宗介「春風万里ー野口晴哉ノート」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店


真木悠介(見田宗介)にとって「いくつかの最も大切な書物」は「分類不能の書」であるということとおなじに、ぼくにとっても最も大切な書物は「分類不能の書」であり、そのような書物は、挙げるとすれば、真木悠介の著作群である。

『気流の鳴る音』は、その筆頭である。

そして、今回この本を再読しながら(何回読んでいるかカウントできない)、そのことを、再度深く感じたのであった。


「分類不能の書」という提示のされ方は、はじめて『気流の鳴る音』に出会った20歳頃のぼくにとって、圧倒的な影響をもつものであった。

当時、大学で「学問」を学んでいたわけだけれど、社会学者である真木悠介(見田宗介)によって書かれた『気流の鳴る音』は、専門科学の垣根だけでなく、「生きかた」と「学問」という垣根をさえも解体してしまうものであったからだ。

大した数の本を読んでいたわけではなかったけれど、なにはともあれ、そのような本はそれまでに読んだことがなかった。

じぶんが「生きる」という経験が、そこでは語られており、学問や科学もとりあげられているけれど特定の科学に偏るのでもなく(一応「比較社会学」がコアとしては立てられている)、真木悠介の『気流の鳴る音』(孤峰の書!)がそこには圧倒的な存在感をもってたたずんでいるのであった。

そんな本をこの20年ほどのあいだ、いくどもいくども読んできたのだけれど、「どんな本か?」と単純に聞かれれば、この「分類不能の書」を前にしながら、ぼくは今だってとまどってしまうことがあるだろう。

本を「要約」しようとする力から、どこまでものがれてゆくような、そんな本なのだ。

でも、ここでは、『気流の鳴る音』≪ちくま学芸文庫版≫の背表紙に記された「本の紹介」文を引いておこう。


「知者は<心のある道>を選ぶ。どんな道にせよ、知者は心のある道を旅する。」アメリカ原住民と諸大陸の民衆たちの、呼応する知の明晰と感性の豊饒と出会うことを通して、「近代」のあとの世界と生き方を構想する翼としての、<比較社会学>のモチーフとコンセプトを確立する。

真木悠介『気流の鳴る音』≪ちくま学芸文庫版≫



ところで、今回読みながら思ったことのひとつは、『気流の鳴る音』でとりあげられる素材として、「われわれの生き方を構想し、解き放ってゆく機縁」として出会うインディオの世界があるのだけれど、このインディオの世界を描いたカルロス・カスタネダの著作シリーズはまだ直接読んだことがないことであり、きっちりと正面から読んでみたい、ということである。

20年ほど前には、カルロス・カスタネダの作品を直接に読もうとは思わなかったのは、ただその気にならなかっただけとも言えるけれども、『気流の鳴る音』において真木悠介の「心身」を通して読み解かれた仕方にあまりにも影響されていたから、カルロス・カスタネダの作品を読むときに、その影響が大きすぎるのではないかと思ったこともあると、今では思う。

でも、あのときから20年ほどの歳月が経過して、ぼくが生きてきたことの「経験」を重ねることで、カルロス・カスタネダの作品を、少しは「ぼくなり」にも読めるのではないかと思うのだ。

ぼくの手元には、カルロス・カスタネダの最初の3つの作品が、Audibleによる「英語音声」としてある(だいぶ前に手に入れていたもので、きっちりと「聴こう」というよりは、いつか聴くことになるだろうくらいの気持ちで手に入れたものである)。

今回『気流の鳴る音』に「呼びとめられた」ことを機会に、これらを聴いていこうと、ぼくは思う。

「近代(そして現代)」のあとの世界と生きかたの構想のなかで、カルロス・カスタネダの作品がどのようにぼくにひびくのか、今から楽しみである。

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成長・成熟, 社会構想 Jun Nakajima 成長・成熟, 社会構想 Jun Nakajima

「ルービックキューブ」を解く挑戦の「最前線」と<最前線>。- 雑誌『TIME』の記事から。

だいぶ前のことになるけれど、ブログ「「ルービックキューブ」の完成を体験してみる。- <できる>という身体感覚。」を書いた。

だいぶ前のことになるけれど、ブログ「「ルービックキューブ」の完成を体験してみる。- <できる>という身体感覚。」を書いた。

「ルービックキューブ」を知らない人たちももしかしたらいるだろうし、また世界レベルでは現在「どのくらいの速さ」でルービックキューブを完成させるのか知らない人たち(ぼくもその一人だった)もいるだろうからと、そのときに「とても簡易なイントロダクション」を書いたので、ここでもイントロダクションとして載せておくことにしよう。


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「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。

ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである(※参照:Rubik’s Brand社のホームページより)。

1980年に世界で販売されるようになってから、推定4億個ものルービックキューブが販売されたようだ。

ルービックキューブは、一面は3x3=9個のキューブ、6面から成る(※現在は様々なバージョンがある)。

それぞれのキューブには色がつけられ、色がバラバラの面を、面ごとに同じ色にしてゆく。

生徒たちに3Dの問題を理解してもらいたく創られたもので、ルービック教授も最初にルービックキューブを創った際には、このパズルを解くのに1ヶ月を要したという。

年を重ねるごとに、パズルを解くスピードが上がり、2017年の大会では、優勝者は「4.59秒」という(ぼくはまったく予測もしなかった)秒数で、完成させている。

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ぼくが突如、今となって「ルービックキューブ」を取り上げたのは、海外旅行時の娯楽として購入していた「携帯用ルービックキューブ」を部屋で見つけ、そしてインターネット上に掲載されている「パズルの解き方の手引き」を参考にしながら、生まれてはじめて、ルービックキューブを解いたことについて書こうと思ったからである。

「手引き」に忠実にしたがって解いたって、なにも「すごく」ないじゃないか、とある人は思うかもしれない。

もちろん、その通りで「すごく」なんかないし、もともと「すごさ」を誇示するためにブログを書いたのではない。

「手引き」通りに解いてみて嬉しかったことではあるものの、ぼくが書きたかったのは、なによりも、<できることを体感すること>という、身体感覚のことであった。

これまで「無理」だと思っていたことが<できる>ことで、その体験を通じて、この身体にその感覚をのこすことである。

そのようにして<できることを体感すること>は、ぼくに大切な感覚を与えてくれたようにぼくは感じたし、また、このことは「ルービックキューブ」だけでなく、人生のなかでいろいろと汎用性があることだと思ったのだ。


さて、ぼくのルービックキューブ体験はそのくらいにして、今回はルービックキューブを解く挑戦の「最前線」についてである。

雑誌『TIME』(Nov. 26/Dec. 3, 2018)を読んでいたら、「For the Record」の記事ページで、「1 min., 36.39 sec.」という数字、その上に描かれている青年の挿絵と共にぼくの関心をひいたのだ。

簡易説明文には、こう書いてある。


「New world-record time for solving three Rubik’s Cubes simultaneously with both hands and feet, set by 13-year-old Que Jianyu of China on Nov. 8, Guinness World Records Day」

雑誌『TIME』(Nov. 26/Dec. 3, 2018)


つまり、訳すと、「両手と足を使って3つのルービックキューブを同時に解くのにかかる時間の新世界記録。11月8日世界ギネスレコードデーに中国のQue Jianyu(13歳)が記録を樹立」である。

2017年の大会での優勝者は「4.59秒」でルービックキューブを解くことでさえも、ぼくが予測していなかったことだけれど、さらに、両手と足を同時に使い、3つのルービックキューブを解くなど、まったく思いつきもしなかったので、ぼくはほんの一瞬、なにがなんやらわからなくなった。

そうして、YouTubeをひらき、実際の映像で確認してみて、ぼくは再度びっくりしてしまったのだ。

これだけでなく、Que Jianyuくんは、「目隠し」をしても、ルービックキューブを解くことができる。

もちろん、はじめに、手もとのルービックキューブのそれぞれの並びを確認し、解いてゆく経路を頭のなかに描いてから目を隠すのだが、それにしても、驚かないわけにはいかない。


こうして、ぼくは、ルービックキューブの「最前線」のひらかれ方に興味をおぼえながら、またその最前線を果敢に切りひらいてゆく人たちの挑戦と才能に感心してしまうのだ。

それは、<できることを体感すること>がじぶんの身体にも登録されていたからでもある(と、ぼくは思う。もちろん、ふつうに見てみるだけでも、圧巻なのだけれど)。

また、時代はいろいろな分野・領域で「テクノロジー」の時代に突入しているのだけれども、手元のルービックキューブを相手に、パズルを解くことを(いろいろな仕方で)追求してゆくことへと「最前線」をきりひらいてゆくことに、どこか、微笑ましい気持ちもわいてくるのである。

その光景は、ぼくたちが「楽しむ」には多くの資源の収奪を必要としないのだ、ということともつながってくるようにさえ見えるのであり、そのことは、幸せということにおいて、(資源収奪的ではない)「時代の可能性」の<最前線>が見えるのだということでもある。

ぼくは、ルービックキューブの「最前線」に通底するような、「時代の可能性」の<最前線>(「新しさ」から自由な<新しさ>)を追っている。

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「失敗」のすゝめ。- 失敗がもたらす恩恵を「脳」から見てみる。

人生やビジネスの現場で、「挑戦と成功/失敗」の関係性は、つぎの順番で重宝される(はずである)。

人生やビジネスの現場で、「挑戦と成功/失敗」の関係性は、つぎの順番で重宝される(はずである)。

●挑戦し、成功する。
●挑戦し、失敗する。
●現状維持

ここでは、「挑戦」や「成功/失敗」とは何かを語っておらず、またここに「時間軸」を座標軸としてひいてしまうと、議論が複雑になるので、いったんこのままで話をすすめたいと思う。


さて、この序列は、日常のなかで、たとえば、つぎのように「変形」してしまう。

●挑戦し、成功する。
●現状維持
●挑戦し、失敗する。

「失敗」を回避することが、意識的であれ、無意識的であれ、重要視されてきて、「失敗回避」が目的化しはじめるのである。


さらに、「挑戦」ということや「成功」ということが、じぶんや周りにおいて「低く」見られる(重宝されない)事情がかさなったりして、つぎのようになってしまう。

●現状維持
●挑戦し、成功する。
●挑戦し、失敗する。

「挑戦」も「失敗」も、それらの機会を剥奪されてしまう。


「失敗はピンチではなく、チャンスである」ということは、そのことを経験してきた人たちにはよくわかることである。

この恩恵に加えて、失敗には、「もっと大きな恩恵」があるということを、「能」の観点から、人工知能研究者/脳科学コメンテーターの黒川伊保子が書いている。


 失敗は、脳にとって、最高のエクササイズなのだ。失敗して痛い思いをすると、その晩、脳は失敗に使った関連回路の閾値(生体反応に必要な刺激量)を上げて、電気信号が行きにくくなるようにするのである。
 失敗すれば、その晩、脳が進化するのだ。同じ失敗を繰り返さない脳に。失敗を重ねれば重ねるほど、私たち
の脳は、失敗しにくい脳に変わる。失敗に「し損」はない。
 ただし、失敗を他人のせいにする人は、脳が失敗だと認知できないので、脳は進化しない。失敗を悔やみすぎる人も、そのネガティブ信号が強すぎて、うまく進化できないことがある。
「失敗は潔く認めて、清々しく眠る」が正解。ショックが大きすぎたり、くよくよと考えすぎると、失敗回路をむしろ強めてしまう。

黒川伊保子『前向きに生きるなんてばかばかしい 脳科学で心のコリをほぐす本』(マガジンハウス、2018年)


脳には「天文学的な数の回路」があり、優先順位がついていないととっさの判断がかなわないということのなかで、失敗(と成功)によって優先順位がつけられてゆくのだという。

それにしても、「失敗は潔く認めて、清々しく眠る」という方法は、爽快だ。

たしかに、失敗をしたときに陥りやすい方向として、「他人のせいにすること」と「悔やみすぎること」があり、「脳」の観点から、これらの負の側面が指摘されている。

後者について、もう少し、黒川伊保子の語りを引いておこう。


 失敗は、くよくよと思い返してはいけない。なぜなら、せっかく通電しにくくした失敗回路に、もう一度通電してしまうからだ。
 失敗を、ジョークにして、笑い飛ばすのはいい。しかし、ありありと思い出して、内向させるのはNGだ。
 …
 特に、人に愚痴るのは、いけない。なぜなら、思い浮かべることで1回、口にすることで2回、その音声が耳から入ってくることで3回、親切な友だちが同情でもしてくれたら、それでもう1回、計4回も脳に書き込むことになる。失敗を告白するのなら、ぜひ、笑い飛ばしてくれる友人を選ぼう。

黒川伊保子『前向きに生きるなんてばかばかしい 脳科学で心のコリをほぐす本』(マガジンハウス、2018年)


なお、「人に愚痴る」ことの負の側面として付け加えておけば、語ることで「発散」できると思いつつ、実のところ、感情はじぶんの心の奥深くに抑圧されてゆくのだとも言われているのである。


なにはともあれ、「失敗のすゝめ」。

もちろん「失敗」を目的とということではなく、「失敗をよし」とする構えに生き、「失敗をよし」とする雰囲気・環境づくりをすることで、恩恵がもたらさせるのである。

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港のレストランで、「周囲」がどうしても気になってしまうこと。

香港のレストラン(レストランと言っても、いろいろだけれど、とりあえず)で食べていると、どうしても「周囲」が気になって仕方がないことになる。

香港のレストラン(レストランと言っても、いろいろだけれど、とりあえず)で食べていると、どうしても「周囲」が気になって仕方がないことになる。

誰かと思いっきり話し込んでいれば別だけれど、ふつうに食べていると、周りが気になってしまう。

マインドフルネスの実践で、食べ物と食べることに集中しようと思ってみても、「周囲」の雰囲気や声や音や動きやらが、どうしてもぼくのマインドに侵入してくるのである(というのは逆の言い方で、ぼくのマインドが周りの事物をキャッチしてしまう、というべきだろうが、感覚としては逆の言い方のほうがしっくりくるのだ)。

周囲はスピーディーで、パワフルで、「出来事」に充ちている。

香港独特の「速さ」が独特の雰囲気をつくり、パワフルな声と音が店内にひびき、なにかしらの「出来事」がおきる。

「出来事」は、香港の人たち(ぼくもいまは「香港に住む人」だけれど、なにはともあれ)にとってみれば「なんでもないこと」であるのだろう。

見るからに、余程のことが起きないかぎり、誰も周りを気にしていないようだし、それぞれに食事を楽しんでおられるのだ。

でも、ぼくの視覚や聴覚は、周りが気になる。

人であふれかえる店内、並んでいる人たち、店員さんたちのスピーディーさ、店員さんに要望やクレームを伝える人たちの様子などが、視覚や聴覚などから入ってくる。

それだけでなく、香港に11年以上住みながらも、ぼくはいまだに、香港の人たちがどのメニューをよく注文し、どのように食べるのかなども気にかかるから、失礼のないように、目を向ける。

また、ぼくは東京のレストランなどで働いていた経験があるから、レストランぜんたいを捉えながら、どう動き、どうサービスを提供するのかなどの視点もわりこんでくるから、さらに周囲への関心がかさなってくる。

こんなことで、香港の独特さ、異文化の諸相、レストランのマネジメントなどの状況や視点がぼくのなかで駆動されながら、ますますぼくは、レストランで周囲が気になってしまうのだ。


ところで、他のところに住んでいたときはどうであっただろうかと、ぼくは記憶をほりおこす。

東ティモールのレストランではどうだったか、西アフリカのシエラレオネのレストランではどうだったか。

それぞれの場所でも気になっていたと記憶しているのだが、でも、周囲への「気のとられやすさ」のようなところでは、香港が群を抜いているように、ぼくは感じる。

過去の記憶よりも「いま」の体験の鮮烈さの力が働いているのかもしれないけれど、前述したように、香港では、周囲はスピーディーで、パワフルで、「出来事」に充ちている、ということがあるのだと思う。

それらが総体として、ぼくの視聴覚にうったえてきてやまないのだ。

そんなことで、今日も、香港のレストランでやはり、「周囲」が気になってしまうのであった。

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「差別語を問題にすること」の重要性のありか。- <関係の実質>に切り込むための糸口(真木悠介)。

「差別語」に焦点があてられて、差別語はいけない、という議論がくりひろげられる。

「差別語」に焦点があてられて、差別語はいけない、という議論がくりひろげられる。

あれもこれもが差別語としてあげられていて、文章を書くときにも、気をつけなければいけない。

でも「差別語」を考えるときに、もっともっと焦点をあてなければいけないことがある。

そのことを真正面からぼくに教えてくれたのは、真木悠介(社会学者)のことばからであった。


肯定性に充ちた真木悠介のことばは、<「差別語」が本人を決して傷つけない関係>からの視線で、「差別語」ということばの実質を流動させる。


「障害者」ということば自体が、差別語でありけしからん、という議論がなされる。紫陽花邑の人は、「この人は重度の身障者です」というようなことを、そこにホクロがあるというようにさらりと言ってしまう。そのことがそこにいっしょに立っている本人を決して傷つけないだけの、関係の実質をもっているからだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


奈良の紫陽花邑(あじさいむら)というコミューンでは、たとえば、身体障害者が片手で食事をしていて、ごはんをこぼしたり、奇妙な身の動かし方をしたりするのを見て、それを見ている者も、本人も、「いっしょになって笑う」のだという。

一般的な「差別反対運動の精神」においては笑うことは許されないものだが、紫陽花邑では、おかしいものはおかしいと、本人もいっしょになって笑う。

笑いが、本人を傷つけないだけの<関係の実質>に支えられている。


この<関係の実質>という視点で、真木悠介は「差別」や「差別語」という根柢的な問題への<通路>をきりひらいてゆく。


 差別語を問題にすることは、差別語においてたまたま露出してくる関係の実質に切り込むための糸口としてのみ重要だ。ひとつひとつの差別語が差別語として流通することを支える、この関係の総体性に切りこむことなしに、差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえることは矛盾のいんぺいにすぎず、「新平民」とか”handicapped”とか「目の不自由な方」というような、新しい差別語を増殖させるだけだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


差別語やその語られる状況に見られる傾向は、真木悠介の書くように、「差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえること」であり、そのことが矛盾を覆いかくしてしまうのである。

「差別語を言語それ自体のレベルですくい取ってリストを作り、他の無差別語か区別語かに言いかえること」は、差別語に露見される<関係の実質>に切り込むための<糸口>として差別語の問題に向き合うのではなく、むしろ<関係の実質>への入り口をふさいでしまうことで、現実の人と人との関係性を「現状維持」としてしまうのだ。

そうして、「新しい差別語」は絶えず増殖してゆき、「差別語リスト」がどんどんと長くなってゆく。

「差別語」という言葉だが、なにか、それ自体が確かな「もの」であるかのように見えてしまい、人は、その「もの」をいかにしたらよいかという方向に視線を向けていってしまう。

けれども、そのような言葉が生成してきた「関係性」が社会のなかにあり、その関係性そのものへと視線をうつしていかなければならない。

なお、真木悠介の「方法」として、「社会学」というものがあり、「社会学」というものは「関係の学」だと、彼は明確に述べている(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。

「社会」というものは、なにか「もの」のようにあるものではなく、その実質は、人と人との「関係」にある。

この「関係」という視点を入れることで、「もの」のように思われるものごとが流動化されて、そこにぬりこめられている矛盾などが顕現してくる。

このことは、たとえば、つぎのようなことばにも見られる。


 唖者のことばをきく耳を周囲がもたないかぎりにおいて唖者である。唖者とはひとつの関係性だ。唖者解放の問題は、「健康者」のつんぼ性からの解放の問題だ。奴隷の解放と主人の解放、第三世界の解放と帝国主義本国の解放、女の解放と男の解放、子どもの解放と親の解放、すべての解放が根源的な双対性をもつことと同じに。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)


このことばは、ぼくの生きることのさまざまな局面で生きてきたことばである。

すべての解放が根源的な双対性をもつこと。

ぼくたちは、つい、どちらか「一方」を解き放とうと考え、行動してゆくのだけれど、その行動はいずれ、行き所のない「行き止まり」にたどりついてしまう。

ぼくが20代を通して(国際支援という仕方で)直接的に関わっていた「第三世界の解放」(発展途上国の解放)ということにしても、そのことは「帝国主義本国の解放」(先進国の解放)なくしては、根底的な解放にいたることはないのである。


なお、グローバリゼーションのなかで、「言葉」がグローバルに流通するようになってくるときの差別語の問題もある。

ただ、ひとつ言えることは、ローカルの小さい関係性のなかにおいても、<「差別語」が本人を決して傷つけない関係>という関係性をもつことがとても難しくなっている状況があるように、ぼくには見える。

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「人生には無駄なことはなにひとつない」と「人生は無駄だらけ」の序説。- どちらかではなく、どちらをも、生きる。

「人生には無駄なことはなにひとつない」と言われたりする一方で、「人生は無駄だらけ」とも言われたりします。

「人生には無駄なことはなにひとつない」と言われたりする一方で、「人生は無駄だらけ」とも言われたりします。

人生には無駄なことはなにひとつない。

人生は無駄だらけ。

これだけを並べると、「どっちなの?」と聴きたくなる衝動がわきあがりますが、このブログを読んでいる方はどう感じられますか。

この短い文章は、「人生には無駄なことはなにひとつない」と「人生は無駄だらけ」の<序説>として、書いています。


どちらかをきっぱりと選んで、その選択に沿って滔滔(とうとう)と語るほうが、「はっきり」していて伝わりやすいものです。

ある人にたいして、特定の状況と特定のコンテクストのなかであれば、ぼくもその「明瞭さ」を選ぶこともあると思います。

でも、この言葉だけをとりだしてみるのであれば、どちらが正しいというものではなく、どちらもある種の「真実」を含んでいると言わざるをえません。


ぼくたちの生きるという道ゆきのなかで、「言葉」というものが、心の深いところでひびくということがあります。

「人生には無駄なことはなにひとつない」と、深いところで感じざるをえない人もいますし、あるいは、「人生は無駄だらけ」と思わざるをえない人もいるわけです。

おなじ人であっても、道ゆきのなかで、「人生には無駄なことはなにひとつない」と確信的に思うこともあるし、あるいは、「人生は無駄だらけ」と確信することもあったりします。

そのように、それぞれに思ったり、感じたり、信じたりすることの底流には、あたりまえですが、<経験>というものがあるわけです。

どのような<経験>が、これらの思いや考えや確信を支えているのかが、問われることです。


「人生には無駄なことはなにひとつない」という言明は、人生の特定の「時間軸における座標ー空間軸における座標」に立ちながら、すべてのものごとがつながってゆくように感じる経験です。

それは、この特定の「座標」(なにかの道がひらけるときだとか、なにかを達成したりだとかの立ち位置)から見たときに、これまでのさまざまな座標がつながって見えるということで、スティーブ・ジョブズが「connecting the dots (コネクティング・ドット)」として語ったことでもあります。

基本的には「これまで」(過去)のことがつながるのですが、人によっては、未来の「dots(ドット)」さえも鮮烈に見えてくるように感じることはあると思います。

このような経験は、人生のその先に「困難」が立ちはだかったり、あるいは自分がなにをしているのかよくわからないようなときでも、そのような状況における思考と行動が、いずれ、どこかで「つながる」ことを信じる力にもなります。

じぶんが描いてゆく「物語」のなかで、いろいろなものが「つながる」経験が、いずれにしても確かなものとして「見える」わけです。


「人生は無駄だらけ」の言明は、「人生には無駄なことはなにひとつない」におけるような、ものごとの「つながり」が途切れた状況のようにも見えます。

実際に、そのようにネガティビティのなかで感覚してしまう場合もあるかもしれません。

けれども、この言明がポジティブな方向に向けられることもあると、ぼくは思います。

「私」とか、その私の「人生」だとかは、よりつきつめてゆくと、あるいは次元をかえて見てゆくと、ただの「夢」、幻想された夢のように見えてくることがあります。

そのような次元では、人間のするすべてのものごとが「無意味」であったり、「無駄」であったり、「余剰」のことのように感覚されます。

でも大切なことは、無意味だし、余剰だからとニヒリズムにおちいるのではなく、「だからこそ」その夢を豊饒に生きてゆくしかないんだ、というところにつきぬけてゆくこともできます(「life is but a dream, dream is, but, a life」!)。

「人生は無駄だらけ」だけれど、無駄こそが「人生」だ、という転回です。

ある種「醒めた」見方です。

そんな「無駄」だからこそ、どこまでもいつくしむことが大事になってくるし、そのいつくしみのなかに「豊饒に生きる」ことの本質があったりするのです。

そこでは「無駄」ということさえ、その言葉の意味合いを解体させられ、あらたに生成してくるような様相があります。


こんなふうに見てみると、「人生には無駄なことはなにひとつない」も、「人生は無駄だらけ」も、どちらもある種の「真実」を含んでいるのであり、ぼくにとっては、とくに矛盾する言葉ではなく、次元を異にしながら、あるいは文脈を異にしながら、共存している言葉たちです。

なお、「人生」を「仕事」に変えると語り方は変わりますし、くりかえしになりますけれど、対象である人や語られる文脈によっても語り方は変わりますので、そんな意味でも、ここでの文章は、あくまでも<序説>です。

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どこまでもつづく「メタ認知」の永久運動から。- 人間の知性の次元をくりあげる。

あることを考えていると、思考がとめどなくなってしまうことがある。

あることを考えていると、思考がとめどなくなってしまうことがある。

あるいは、じぶんは「こう思う」と思った途端に、その自分の考えていることに対して、「ほんとかなぁ」という疑問符がつけられてしまう。

きりがないから、どこかでいったんとめるしかない。

以前はこんなこと考えつづけていても「無駄」のように感じていたこともあったけれど、いまではとくに「無駄」だとは思わない。

ぼくのなかでのこのような「移行」が、いつ、どんなふうに、どんな具合でなされたのかは知る由もなく、仮説や推測の域をでないが、ひとつ触れておくとすれば、やはり、この「私」という現象をあくまでも「現象」として理解し、その「私」のつむぎだす「生」が<ひとつの夢>であるということがより切実に、この心身に感じられるようになったことが、それなりにインパクトを与えたのだろうと、ぼくは思う。

そのプロセスにおいて、「生産的/無駄」という境界線も書き換えられたのだということもあると思う。

なにはともあれ、<いま>という時点で見れば、このような「知的活動」それ自体が楽しいのだということは言える。

思想家の内田樹は、つぎのように書く。

 人間の脳や知性の構造について考察するときには、どこかで「自分の脳の活動を自分の脳の活動が追い越す」というアクロバシーが必要になる。
「私はこのように思う」という判断を下した瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか?この言明が真であるという根拠を私はどこに見出すのか?」という反省がむくむくと頭をもたげ、ただちに「というような自分の思考そのものに対する問いが有効であるということを予断してよろしいのか?」という「反省の適法性についての反省」がむくむくと頭をもたげ……(以下無限)。
…「いや、これでいいんだ」と、この無限後退(池谷さんはこれを「リカージョン」<recursion>と呼んでいる)を不毛な繰り返しではなく、生産的なものと感知できる人がいる。
 真に科学的な知性とはそのような人のことである。

内田樹『街場の読書論』潮新書

いわゆる「メタ認知」ということの、永久運動。

「考えている自分と考え」の外部にでることでそれらを対象化し、それらを外部から認識することが、いくどもいくども続いてゆくのだ。

なお、ここで触れられている「池谷さん」は、脳研究者の池谷祐二。

この文章は、池谷祐二の著作『単純な脳、複雑な「私」』の書評的な文章として書かれている。

この文章につづいて、この「無限後退」(あるいは「リカージョン」)を「生産的なもの」と感知する知性(リカージョンが生産的な理由は本人にとって「気持ちいい」からである)について、池谷裕二の本と知性に触れながら、内田樹は文章を書き継いでいる。

そうして、そのおもしろいポイントをつく書き継がれた文章の最後のほうで、つぎのようなことばがおとずれることになる。

…私たちは「私を超えるもの」を仮定することによってしか成長することができない。
 これは人間の基本である。
 子どもは「子どもには見えないものが見えている人、子どもには理解できない理路がわかっている人」を想定しない限り、子どものレベルから抜け出すことができない。人間のすべての知性はそういう構造になっている。
「自分の知性では理解できないことを理解できている知性」(ラカンはそれをsujet suppose savoir「知っていると想定された主体」と呼んだ)を想定することなしに、人間の知性はその次元を繰り上げることができない。

内田樹『街場の読書論』潮新書

途中の文章を省いたから論理がとんだように見えるかもしれないが、「無限後退」(「リカージョン」)の探求を支えているのは、<誰か>が「すでに解いた/いずれ解いてくれる」という確信であるというのが、内田樹の説くところであり、その<誰か>は、論理的には「宇宙の設計者」以外にはいないと彼は書く(「真に科学的な知性」はその絶頂において「宗教的になる」のだと、内田樹は付け加えている。宗教ではなく「宗教的」である)。

そのようにして仮定された「私を超えるもの」、たとえば、子どもにとっての「大人」であったり、弟子にとっての「師」であったり(内田樹は別の著書でこのことについて詳細に書いている)、そのような<仮定された「私を超えるもの」>がなければ、ぼくたちは「成長できない」というわけだ。

自然科学を対象とする科学にとっては、「私を超えるもの」をつきつめてゆけば、それは「地球」や「宇宙」になっていくから、<仮定された「私を超えるもの」>は「宇宙そのもの」(擬人化して言えば「宇宙の設計者」)以外にはいないということになる。

いずれにしろ、「無限後退」(あるいは「リカージョン」)が、それを支える<仮定された「私を超えるもの」>によって架橋され、こうして「成長論」に接続されてゆく仕方は見事であり、ぼくはいつもながらに教えられるのである。

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「天は自ら助くるものを助く」の変奏曲を奏でる。- 香港のホテルで考える糸井重里。

「香港のホテルで、なに考えてるんだか、おれは」とつぶやく糸井重里さんの文章は、「天は自ら助くるものを助く」ということばに導かれながら、「天は自ら助くるものを助く」の、いわば<変奏曲>を奏でています。

「香港のホテルで、なに考えてるんだか、おれは」とつぶやく糸井重里さんの文章は、「天は自ら助くるものを助く」ということばに導かれながら、「天は自ら助くるものを助く」の、いわば<変奏曲>を奏でています。

「天は自ら助くるものを助く」ということばが「よくできたことば」であること、つまり「大人」が納得するようなことばであることを確認したうえで、糸井重里さんの<ことばの磁場>が徐々に乱れはじめ、音楽の調べが転調してゆくように、文章の色あいが変わっていきます。

そうして、シンバルの音が高らかに鳴りひびくかのように「かくして」という言葉がおかれ、変奏曲を奏ではじめるのです。

かくして、大人を長年やってきた大人は、こんなふうに言い換えることになる。「天は自らを助くるものを助くのだが、扉をノックする程度のものを助くることもあるし、よくよく考えてみれば、自らを助けるものを助けないことだってしょっちゅうあるし、結局は好きなようにしなさい」と。ずいぶんと平らかな、なにも言ってないに等しい文、ここに流れ着いてしまうのであります。しかし、いちばんほんとうなのは、こっちです。

2018年11月14日「今日のダーリン(糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの)」『ほぼ日刊イトイ新聞』

「大人を長年やってきた大人」である糸井重里さんの経験と思考の地層をいくどもいくども通過しながら発せられたことばであるように、「大人をそこそこの年数やってきた大人」であるぼくは、このことばを読みながら、やはり思うわけです。

こうして、サミュエル・スマイルズ著『Self-Help』の冒頭に堂々とあらわれる「天は自ら助くるものを助く」という言葉の<変奏曲>が、ぼくの耳には心地よくきこえてくるのです。

なお、ぼくの<変奏曲>は、「天は自ら助くるものを助く」の「自ら」に照準をあわせながら、「自ら」ということ事態を解体し再構成する方向にすすんでゆくのですが、ここではそこに立ち入らず、ひとまず「自ら」をカッコでくくり、「天は『自ら』助くるものを助く」とだけ、書いておこうと思います。

それはそれとして、糸井さんはさらに、つぎのように語ります。

ただ、ここに流れ着いてしまったら、もうウケない。ここまでの当たり前は価値を持たないし、残念ながら、きみ、モテたりもしないのですよ。だってなぁ、なにも言ってないにひとしいのだから。でも、でもね、最後にうっかりを装って付け加えた「結局は、好きなようにしなさい」の部分は、平凡をくぐり抜けた強気のメッセージではあります。香港のホテルで、なに考えてるんだか、おれは。

2018年11月14日「今日のダーリン(糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの)」『ほぼ日刊イトイ新聞』

その「平凡をくぐり抜けた強気のメッセージ」を、ぼくの胸元まっしぐらに投げられたボールをうけるようにして、ぼくはうけとるのであります。

ここ「香港」で、この香港の磁場のなかで、あれやこれや「なに考えてるんだか」の思考を、糸井さんには楽しんでいっていただきたいと、勝手に思うところです。

ところで、つけくわえておきたいのは、「天は自ら助くるものを助く」を説く、サミュエル・スマイルズの『Self-Help』が明治時代初期に出版されたときの邦題『西国立志編』のうちに、社会学者の見田宗介先生は、日本近代化の<精神>としての「立身出世主義」を読みとっていることです。

 民間における福沢諭吉の『学問のすゝめ』、中村正直による『西国立志編』のベストセラーも、このような書を無数の儀本、異本をよぶまでに競って受け入れた精神の風土にまず注目しなければならないだろう。「原名自助論」とその副題にあるごとく“Self-Help”が「西国立志編」なる訳題で売られたことが重要である。 
 由来日本の相次ぐ世代の青少年は、教師からも親からも世論指導者たちからも、いわば競争的上昇の理想をたえず鼓舞されてきた。

見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店

今では「自助論」として売られている著作が、そのはじまりにおいて「立志編」として、日本の近代化を支える精神たちとともに歩まれていたわけです。

その後の日本は、近代化をすすめ、近代化をなしとげてゆくなかで、「立身出世」ということが、社会構造的にも、また個人的な目標としても、意味を喪失してくずれてゆくことになるのですが、それでも、「天は自ら助くるものを助く」の精神は、別の文脈のなかで生きのこっているのが現代日本だと、ぼくは思います。

新たに更新された文脈は、どこまでもつづく(かにみえる)経済成長神話を身にまとい、個々の人たちの「競争的上昇の理想」をそのシステムに組みこみながら、「天は自ら助くるものを助く」の言葉の意味合いを、イデオロギー的にせばめてしまうように見えます。

「大人を長年やってきた大人」である糸井重里さんは、そのようなイデオロギー的な装束を、彼の経験と思考と行動のうちに徐々にはぎとりながら、「結局は、好きなようにしなさい」という強気のメッセージにたどりついたのだ、ということでもあると思います。

糸井さんは「平凡をくぐり抜けた…」というように、ぼくたちの生活の「平凡」のなかに、ぼくたちが知らない/気づかないうちにある種のイデオロギー性が侵入しているわけで、糸井さんは意識的にそこに距離をつくりながら、やがて、「結局は、好きなようにしなさい」という場所に降りたったのです。

そのように降りたった場所もやはり「平凡」であるのかもしれないけれど、そこは以前の「平凡」とは異なる<平凡さ>の風にふかれているところだと、ぼくは思っています。

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香港, 身体性 Jun Nakajima 香港, 身体性 Jun Nakajima

香港で、「(家で)冷房を使用しない生活」をしながら。- なるべく自然な風に身体をひたして。

香港は朝晩は少し肌寒くなってきた(とは言っても気温では20度前後)ところですが、ふと、2018年の香港の夏も、ここ過去5年ほどと同様に、家で「冷房・エアコン」を使わずにすごしたことを思いました。


香港は朝晩は少し肌寒くなってきた(とは言っても気温では20度前後)ところですが、ふと、2018年の香港の夏も、ここ過去5年ほどと同様に、家で「冷房・エアコン」を使わずにすごしたことを思いました。

今年の夏も、家では冷房をつけず、扇風機(兼、通風機)だけですごしたことになります。

朝晩は少し肌寒くなっても、お昼頃には25度前後まで気温があがり、陽射しはまだ夏の余韻をのこしているので、扇風機(通風機)は風をよわくして、(街中ではクリスマスの飾りが所々で見られる)11月になっても使っています。


「香港で冷房・エアコンを使用せずに過ごしていること」を香港に住んでいる人たちに伝えると、複雑な表情が返ってきたりします。

その背後には、やはり、とても蒸し暑い香港の気候が横たわっているわけです。

「そんなことしなくても…」というところでしょうか。

ぼくとしてはストイックさを追求しているわけでもないし、このことを自慢するようなことでもないし(「自慢」することなんてなにもないのですが)、ただ、香港のショッピングモールやオフィスや諸々の施設などが年がら年中冷房がふきわたっているため、身体をきづかい、せめて家くらいはできるだけナチュラルにと思ってはじめただけでした。

「環境にやさしく」ということは思わないでもないのですが(将来はもっと自然との共生を突きつめてゆきたいと思いながらも)、いまは扇風機を動かしてますし、とても暑い日は上述のような場所で冷房にあたることもあるので、そのような高尚なことを掲げる気はありません。

あえて言えば、とても蒸し暑い日はやっぱり暑いと感じながら、でもどこかで楽しみながら、冷房・エアコンを使用しない生活をおくっていたのです。

なお、冷房・エアコンを「使用していない」ということは、冷房・エアコンが「ない」ということではありません。

冷房・エアコンは「ある」のであり、その気になれば、スイッチオンすることができます。

そんなわけで、ふと気がつけば、今年の「香港の夏」も、家で冷房・エアコンを使わずに夏をのりきったなぁと、まだ陽射しがつよくふりそそぐ香港で、思ったのでした。


とは言いつつも、注意書きとして追加的に書いておかなければいけないのは、香港のどこでもできることではなくて、ぼくの住んでいるところが、風通しのよくて、比較的静かなところだから、このようなことを選択することができるということです。

どこの都会も似たようなところがあると思いますが、香港の高層マンションが密集していて、車通りがはげしかったりする場所ですと、空気や騒音などの問題があります。

ぼくの住んでいるところの周りは海や緑がひろがっているため、窓をあけひろげて、自然な空気をじゅうぶんに部屋にまねくことができることが、冷房・エアコンを使わない選択肢を準備してくれるものなのです。


より自然な空気のなかで生活していると、やはり、身体がそれに順応していきます。

それと同時に、しかし、冷房・エアコンの環境に対する「慣れ」が減じていくようなところがあるため、上着などを用意して柔軟に対応しようと心がけるのですが、それでも冷房による独特の「冷え」が身体にひびくことがあります。

そのような「結果」や「影響」を(文字通り)体験しながら、いろいろと感じたり、楽しんだり、考えたりしています。

「エアコン」を人間が発明し(たしか、最初に産業用として使われたようなことを、ある作家が語っていた)、それが都会生活のすみずみにまで行き渡りながら、人間は、生活し働くことの、大きな可能性をおしひろげてきました。

「エアコン」がなくなったら、現在の世界の経済活動などは、かなり減速してしまうだろうし、影響ははかりしれないと思うところです。

でも、それが、人間の身体という「内部の自然」と、地球環境という「外部の自然」との臨界線に、さまざまな問題や課題を生成させていることも事実です。

とはいえ、そのようなことのはるか手前のところで、ぼくは、なるべく自然の風にこの身体をひたすことを望んで、家の窓をあけひろげているのです。

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「○○の冒険に一生を賭けてみる人間が、一人くらいいたっていいじゃないか」。- 見田宗介先生の「生きかた・ありかた」に勇気づけられる。

ぼくにとっての「見田宗介先生」はとても特別であって、ぼくが見田宗介先生や著作などについて書くときにじぶんがとるポジションも、「完全な師」の「完全記号」を一生懸命に読みとくような立ち位置に、ぼくはいることになります。

ぼくにとっての「見田宗介先生」はとても特別であって、ぼくが見田宗介先生や著作などについて書くときにじぶんがとるポジションも、「完全な師」の「完全記号」を一生懸命に読みとくような立ち位置に、ぼくはいることになります(※11月11日のブログ「ぼくにとっての「見田宗介先生」と著作群。- どのような立ち位置で、ぼくは書くか。」)。

見田宗介先生の「生き方」においても、「自称弟子」としてのぼくは、その師のふるまいに圧倒的な影響や励ましを得ることになるのです。

たとえば、社会学者としての「生きかた」や「ありかた」においては、つぎのような語りに、ぼくはじぶんの心身のふかくにおいて共感・共振することになります。


見田 ぼくがほんとうにやりたかったことは、…「ほんとうに歓びに充ちた人生を送るにはどうしたらいいか」、そして「すべての人が歓びに充ちた人生を送るにはどのような社会をつくればいいか」ということ、その中でもとくに二つの焦点として、<死とニヒリズムの問題系>、<愛とエゴイズムの問題系>ということでしたが、それは基本的には文学や思想の問題なのです。けれどもぼくは、これらの問題を、現実的な事実の実証と、透徹した理論という方法で追求したかった。つまり文学や思想の主題を、科学という方法で追求したかったのです。

討議:見田宗介 X 加藤典洋「現代社会論/比較社会学を再照射する」『現代思想』2015 vol.43-19、青土社


追求される<死とニヒリズムの問題系>と<愛とエゴイズムの問題系>という主題と内容をとっても、ぼくの生きられる切実な問題と重なってくるものだけれど、生きかたやありかたということにおいて、つぎの点にぼくは惹かれてやまないのです。

第一に、見田宗介先生が「ほんとうにやりたかったこと」をどこまでも、真摯に追求してゆくという姿勢と継続です。

第二に、「ほんとうにやりたいこと」というのが、ほんとうに歓びに充ちた人生を送るにはどうしたらいいか」という個人の生きかた、そして「すべての人が歓びに充ちた人生を送るにはどのような社会をつくればいいか」という社会のありかたという、とても根源的・根柢的な問題意識につらぬかれていることです。

それから第三に、これらの姿勢と継続と問題意識を、社会学という領域のなかで、孤高的に追求し続けてこられたこと。

見田宗介先生は、別の著書(『社会学入門』岩波新書)のなかで、社会学というものが<越境する知>(※専門領域を越えてゆく領域横断的な知)と呼ばれることにふれ、学問の問題意識においてだけは禁欲してはいけないのだと書いています(※なお、この箇所の文章は、新書に収められるだいぶ前に、AERAムックに掲載され、ぼくはその文章を読んでいました)。

専門領域を横断すること自体を「目的」にしてはいけないとしながら、しかし、じぶんにとってほんとうに切実な問題を追求することの「結果」として領域を横断せざるをえないということ、そこで「禁欲」してはいけないのだと。

ぼくがかかわってきた「発展途上国の問題」とフィールドでの実践は、それらを切実に追求してゆくうえでは「結果」として専門性の領域を超えていかざるをえないというぼくの経験に、見田宗介先生のことばは、直截的に励ましと勇気を与えてくれるものでした。

ぼくにとって、ほんとうに勇気づけることばでした。

なお、「文学や思想の問題」を「現実的な事実の実証と、透徹した理論という方法で追求」ということも、ぼくにとってとても大切なことであって、まさにぼくが求めるものでもあったところに、ぼくにとっての「完全な師」としての見田宗介先生がおられることになります。


さて、勇気づけられることばは、上で引用したことばのあとに、さらに継続してゆきます。


見田 そんなこと(<死とニヒリズムの問題系>と<愛とエゴイズムの問題系>という基本的には文学や思想の問題を、現実的な事実の実証と、透徹した理論という方法で追求することー引用者)がどこまでできるか、できないのかはわかりません。けれどもそういう統合の冒険に一生を賭けてみる人間が、一人くらいいたっていいじゃないかと(笑)。

討議:見田宗介 X 加藤典洋「現代社会論/比較社会学を再照射する」『現代思想』2015 vol.43-19、青土社


「…の冒険に一生を賭けてみる人間が、一人くらいいたっていいじゃないか」。

「…の冒険に一生を賭ける」ことを見つけることは、だれでもができるものではないかもしれないけれど、「一人くらいいたっていいじゃないか」というように、みずからの生を定め、ひらいてゆく仕方に、ぼくはとても勇気づけられるのです。

「生きかた」を書いたり、「世界で生ききる」ことを書いたり、「未来の社会」を書いたり、ぼくにとって切実な問題は、他者にとっては「とても大きなトピック」だったりするものです(実際に、そのように言われたりすることもあります)。

あるいは「発展途上国の問題」を追求しつづけてきたなかで、ぼくは「発展とは?開発とは?」ということを問わずにはいられず、その後に修士論文でも書いたのですが、そもそも「発展とは?開発とは?」という問題自体が、「とても大きなトピック」です(実践的な問いではないかもしれませんが、ぼくは、問わずにはいられなかったのです)。

そのような「とても大きなトピック」を追求してゆくなかで、ある人は、「トピックが大きいねぇ」などと言われるかもしれません。

そんなとき、若干でも怯(ひる)んでしまう声がぼくのなかに現れることもありますが、ぼくは、やはり思うわけです。

かつていろいろな旅に生き、それからいろいろな場所で住んできた人間が、とても大きなトピックを切実に追求してゆく、そんな人が一人くらいいてもいいですよね、と。

見田宗介先生の<背中>を見ながら、ぼくは、勇気づけられるのです。

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

ぼくにとっての「見田宗介先生」と著作群。- どのような立ち位置で、ぼくは書くか。

ブログでもいくどか書いてきたけれど、見田宗介先生(社会学者)は、ぼくにとって、とても特別な先生である。

ブログでもいくどか書いてきたけれど、見田宗介先生(社会学者)は、ぼくにとって、とても特別な先生である。

とはいっても、2002年に一度朝日カルチャーセンターでの講義を受講した以外は、見田宗介先生(あるいは、筆名の真木悠介)によって書かれた文章テクストを通して、見田宗介先生に対面するだけである。

著作群を通してだけなのだけれど、この「特別さ」は、なにはともあれとても特別なんだと繰り返すしかないほどに、特別なのである。

見田先生の書物に出会って、もう20年以上が経っても、その特別さはより深く、またよりひろがりをもつものとして、ぼくの生と伴走・伴奏している。


ぼくにとっての見田先生の存在は圧倒的であって、膨大な著作群のなかに、ぼくは「批評」するようなものをまったくもたない。

ほんとうに、まったくないのである。

現代社会のことであっても、自我のことであっても、時間のことであっても、ぼくはただただ、「師」のことばの世界に降り立っていって、できるかぎりの論理と知見と経験を駆使して、いっしょうけんめいに読むだけである。

読むたびに「学び」があり、またじぶんを透明にすきとおらせてゆけばゆくほどに、ことばが「現れてくる」ような感覚をおぼえるのである。

そんなふうにして、ぼくが住んできた、東京でも、西アフリカのシエラレオネでも、東ティモールでも、そしてここ香港でも、ぼくの生の「同行者」である。


だから、ブログなどで見田先生について書くときは、ただただ、ぼくの「感動」を伝えるだけのようなものである。

そこには研究者的な態度であるような建設的批判性などというものはなくて、見田先生のうつくしい文章に、じぶんの精神をかさねてゆくような書き方しか、ぼくはしていないのである。

だいぶ前に書いた修士論文では(経済学者アマルティア・センとともに)見田先生の『現代社会の理論』を大きくとりあげたりもしたこともあるのだけれど、ぼくはいわゆる「研究者」ではなく、見田先生にあこがれ、著作で展開される生き方や世界観にふかいところで共感し共振しながら、その方向にみずから「生きよう」としているものとして、書いているだけである。


このような「書き方」については、少し迷ったこともあるのだけれど、思想家の内田樹先生の著作に、これまたふかく教えられ、さらには励まされたようにも思う。

ぼくにとっての「見田宗介先生」が、内田樹にとっての「哲学者レヴィナス」である。

レヴィナスの翻訳もしている内田樹は、しかし、レヴィナスの「研究者」ではなく、レヴィナスの「自称弟子」として、レヴィナスにかんする著作を書いている。

その本の冒頭で、内田樹はこの「立ち位置」についてきわめて自明的に、つぎのように書いている。


…この本(『レヴィナスと愛の現象学』ー引用者)は一人の思想家について、その崇拝者である「自称弟子」が書いているわけである。当然、そこに客観的評価とか学術中立性を望むのは、「ないものねだり」というものである。哲学史を一望概観して、その中におけるレヴィナスの位置をクールかつリアルに定位するというような仕事はもとより私の任ではない。なぜなら、私にとってレヴィナスは哲学史に卓絶した「完璧な師」であり、そのテクストは「完全記号」だからである。私にできるのは、私の貧しい器を以て師の計り知れぬ叡智を掬いとることだけである。

内田樹『レヴィナスと愛の現象学』文春文庫


このあとにつづけて、このスタンス自体をレヴィナスから学んだことが書かれているが、なによりも、ぼくはこのような立ち位置で、つまりじぶんにとっての「完全な師」であり、「完全記号」としてのテクストをまえにして「自称弟子」として書いてゆくスタンスに、ぼくは励まされるとともに、共感したのであった。

そのような「書き方」があったっていいじゃないかと、ぼくも思うのである。

内田樹にとってのレヴィナスが、ぼくにとっての見田宗介先生である。

ちなみに、内田樹は、似たような仕方で、「村上春樹」について書いている。

そこでは「評論家」ではなく、あくまでも「ファン」であり「崇拝者」であるというポジションから村上春樹を論じているのだ(『もういちど村上春樹にご用心』文春文庫)。


それにしても、人生において、「完全な師」、それからいわば「完全記号」であるテクストに出会えたのは、ひとつの奇跡としか言いようのないことであり、また、ほんとうにしあわせなことであると、ぼくは思う。

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港と日本の「距離」について。- 普段の日常における「日本の事物」の<溶けこみ具合>から。

香港と日本との「距離」ということを考えることがあります。

香港と日本との「距離」ということを考えることがあります。

「物理的な距離」ということではなく(それは飛行時間で4時間ほどの距離なのだけれど)、あるいは「人と人との距離」のようなことでもなくて、日本の事物が、ここ香港にどの程度に溶けこんでいるのか、という<距離>のことです(物理的な距離と人と人との距離が、いくぶんか、日本の事物の溶けこみ具合に影響してはいるのですが、それはさておき。)。

「日本の事物」は、中国本土でつくられるメイド・イン・チャイナなども含めて、ゆるやかな事物としておきます。

そんなふうにして、ぼくを中心として半径数キロ内に範囲を照準すると、「日本の事物」がいっぱいにあふれています。

このことは香港に10年以上住んでいると「ふつう」のことになってしまったのですが、少しでも客観的に見れば、やはり「ふつう」のことではないように思うわけです。


近くのショッピングモールに向かい、コンビニエンスストアに入ると、そこはすでに「日本の事物」であふれているのがわかります。

日本の「お菓子類」、それから日本の一部「雑誌」(ファッション雑誌)も、若干値段は高くなりますが、そこで難なく手に入れることができます。

お菓子類は、ポテトチップスやチョコレート、ポッキー、のど飴などなど、ありとあらゆるものが並んでいます。

インスタントラーメン類もあって、とりわけ香港では欠かすことのできない出前一丁が並んでいます。

そのような商品と共に、日本の漫画などの「キャラクター」が目に入ってきます。

場所や時期によりますが、ドラえもん、キティちゃん、ちびまる子ちゃんなどなど、代わる代わる、キャラクターたちが店舗や商品を彩ることになります。

この様相が、一軒のコンビニエンスストアのなかにひろがっています。


コンビニエンスストアを出て歩いてゆくと、日系の「パン屋」さんがあります。

日本に住んでいたころに食べていたパン、さらには子供のころに食べていたようなパンまで、揃っています。

店舗によってはケーキもあり、ケーキが日本直送であったりします。


ショッピングモールを歩くと、「お菓子屋」さんがあります。

お菓子が店内所狭しと並んでいるのですが、日本のポテトチップスやチョコレート、駄菓子、さらにはインスタントラーメンやレトルトカレーなどの食材でいっぱいです。

駄菓子は、あの「うまい棒」だってあるから、はじめて見ると、やはりびっくりします。


それから、大きなスーパーマーケットに行くと、お菓子や上記の食材などに加えて、日本からの野菜やフルーツが並んでいます。

いちごやりんごもあるし、今なら柿だってあります。

ぼくの生まれ故郷である「浜松」や「静岡」のものも、ごくごくふつうに並んでいるのは、うれしいのと同時に、やはり不思議な気持ちがします。

野菜やフルーツに加えて、さらに、卵や納豆、ヨーグルトやチーズ、日本のお米、うどんなど、一通り揃っています。

このあたりの品揃えは、この10年ほどでより充実してきたようにも思います。

念のため、これらのスーパーマーケットは、日系のスーパーマーケットではなく、香港系のスーパーマーケットです。

いやはやどなたが買うんだろう、と思って、レジの前で並んでいると、日本の卵を手にしている方が目の前にいらっしゃったこともありました。


スーパーマーケットを出て、歩くと、今度は、日系のレストランが現れます。

以前別のブログで書きましたが、例えば、吉野家があり、いつも人でいっぱいです。

日系ではなくても、日本食、例えば、お寿司屋さんなどがあって、こちらも、いつも人がいっぱい並んでいます。

香港のフードチェーンのお店に入っても、そこに、日本のカレーやとんかつやらの日本食が、メニューに堂々とポジションを獲得しているのを見たりすることもできます。


それから、日系のヘアカット専門店、クリーニング店なども視界にはいってくることになります。

香港系のドラッグストア(薬局)に立ち寄ると、日本のブランドの製品が、あれもこれもと、あちこちに並んでいるのを見ます。

衣類だって、ユニクロにはじまり、さまざまなものが徒歩圏内で、辿りつくことができます。

こんなふうに、延々と、「日本の事物」が、香港の日常のなかに溶けこんでいます。

街を行き来する自動車や工事現場の重機、エレベータやエスカレーターなどの施設、エアコンなどの電化製品などを含めていけば、さらに、香港における「日本の事物」のマップは、密度とひろがりをみせることになりますが、ひとまず、この辺でとめておきます。


思い起こせば、ぼくがほかに住んだ国々、ニュージーランドでも、西アフリカのシエラレオネでも、東ティモールでも、「日本の事物」は、もちろん、それほど日常に溶けこんでいません。

「それほど…」というのは、これらの場所では、日本の自動車や重機や電化製品などは見られるからです。

でも、「香港における日常生活」の視野から見渡すと、上で長々と書いたような、食べ物や日用品などが、これらの場所では、すっぽりと抜け落ちることになります(東ティモールの(数少ない)スーパーマーケットにも、なんと「納豆」があったのですが、それは冷凍された納豆でした)。

この「すっぽり」度が、そのまま、香港における「日本の事物」の溶けこみ具合であり、その溶けこみ具合のはるかなひろがりと深さを、感じざるをえないことになります。


だから何?、と言われるかもしれませんが、この「溶けこみ具合」は、香港で実際に生活してゆくなかでしか、見えてこないことだから、書いています。

貿易にかんする統計値を見ているだけでは、あるいは旅行や出張で訪れてコンビニエンスストアなどを訪れるだけでは、一部しかわからないのではないかと思うのです。

だから、10年以上を香港に住んできて、その溶けこみ具合の一端を書いておこうと思ったわけです。

でも、書きはじめて思ったのですが、日々の生活においてなんとなく知っている/感じている以上に、日本の事物が香港に日常に溶けこんでいて、それは列挙しきれないほどであるのです。

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書籍, 村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima

「近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている」。- 夏目漱石『坑夫』における自己の流動性。

小説の一節から。

小説の一節から。


…近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分かったような事を云ってるが、ありゃ、みんな嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがっているんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏(まとま)ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古ずるくらい纏まらない物体だ。…

夏目漱石『坑夫』青空文庫


これは夏目漱石の小説『坑夫』の一節である。

『坑夫』を読んでいたら、この一節が気になったのではなく、「このような箇所」を探しながら『坑夫』を読んでいて、「あっ、こんなふうに漱石は書いているんだ」と見つけた一節である。

自我とか自己とかが確固としたものとしてあるのではなく、むしろ、その逆のように感覚するものとして、漱石はこの小説の主人公に語らせている。


夏目漱石の『坑夫』のなかにそのようなことが描かれてあることを知ったのは、村上春樹の翻訳者でよく知られているジェイ・ルービンの発言によってであった。

『坑夫』の英語翻訳もしているジェイ・ルービンは、「世界は村上春樹をどう読むか」のシンポジウム(2006年開催。文春文庫『世界は村上春樹をどう読むか』2009年として発刊)のなかで、「自己とか自我の流動性」について触れていて、夏目漱石がどのように書いているのか、直接に『坑夫』を読みたくなったのだ。


『坑夫』は、19歳の青年が東京の家から家出をして、ひょんなことから坑夫になってゆく物語で、その青年が後年に回想する仕方で物語る形式をとっている。

坑夫になるというきっかけがひらかれてゆく場面で、冒頭の一節があるのだけれど、さらに読みすすめてゆくと、漱石はつぎのようにも主人公に語らせている。


…人間のうちで纏ったものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。…

夏目漱石『坑夫』青空文庫


そんなふうに考える主人公によって語られる『坑夫』の物語に、まったく予測していなかったのだけれど、ぼくはとても惹かれたのであった。

ぼくは夏目漱石の熱心な読者ではないけれど、これまでに読んだいくつかの有名な作品のなかにあって、おそらく漱石らしくない作品である『坑夫』を、ぼくはもっとも「おもしろい」と感じるのである。

『坑夫』を読みすすめながら、ときおり、ジェイ・ルービンの著書『村上春樹と私』(東洋経済新報社、2016年)をひらいて読んでいたら、ジェイ・ルービンが自身による『坑夫』の英語訳と、その「前書き」を書いた村上春樹について、つぎのように書いているのを、ぼくは見つけた。


…村上さんは、2015年9月に出版された私の『坑夫』の改訳の前書きで漱石の全小説の中で『坑夫』が一番好きな作品だと言った。…
 実を言うと、『坑夫』を初めて訳したのは1988年だった。そして1993年から2年間私は村上さんと同じケンブリッジに住んでいたころ、二人で『坑夫』の話をした記憶がある。
 その時、村上さんはもちろん『坑夫』を読んでいたが、詳しく覚えていなかった。私が一生懸命に勧めたので、彼はすぐ読んで、主人公がいろいろな辛いことを経験しても全然変わらないというところが一番好きだと言った。その後、『坑夫』の話をしなかったが、2002年になって、『海辺のカフカ』を読んでみて、こんな言葉に出合った。 …

ジェイ・ルービン『村上春樹と私』(東洋経済新報社、2016年)


『坑夫』は、村上春樹の小説『海辺のカフカ』のなかで登場する書物となったのであった(ぼくは『海辺のカフカ』のその場面をほとんど覚えていないのだけれど)。

ちなみに、村上春樹は、期間限定公開サイト「村上さんのところ」(『村上さんのところ』新潮社、2015年)に寄せられた質問に応える仕方で、ジェイ・ルービンが英訳した『坑夫』のためにイントロダクション(前書き)を書いたこと、また『坑夫』が面白いことなどを書いている。

『坑夫』が、夏目漱石の小説のなかで一番不評の作品である(あった)ことを、ジェイ・ルービンは言及しているが、じぶん自身で読んでみないとわからないものである。


ところで、『坑夫』へのきっかけをつくってくれたのは、日本とは異なる文化に生きてきたジェイ・ルービンであった。

ある固有の文化や作品を「守る」のは、ときに、その文化にとっての「他者」であることもあるのだ、ということを思う。

なにか固有の文化へと「同一・統一」してゆくのではなく、むしろ「多様性」を開花してゆくことで、つまり他者にひらかれてゆくことで、その固有の文化なりが絶えず、いのちを燃やしつづけていくようにも見えるのである。

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、お粥を買いにでかけて遭遇する「小さなドラマ」の連続。- 出来事は向こうからやってくる(?)。

香港のとあるフードチェーンのお店に出かけてゆき、そこでお粥を注文します。

香港のとあるフードチェーンのお店に出かけてゆき、そこでお粥を注文します。

これまでに幾度か、行くたびに「小さなドラマ」が起こるので、今日はそのお話です。


その前に「お粥」についてですが、日本ではお粥は調子が悪かったりするときに食べるものですが、ここ香港ではお粥は日常の食事のなかに溶け込んでいます。

「麺と粥」の双方をメニューに組み込んでいるレストラン・食堂が、香港のいたるところにあって、なかにはだいぶ昔からたたずまいを変えずにきているお店も見られます。

「麺」も「粥」も、それらをベースとし、さまざまな具やトッピングをほどこすことによって、メニューに掲載される数は一気にひろがりをみせることになります。

お粥では、肉類を選んだとして、ひき肉もあれば、レバーなど内臓系もあれば、肉団子もあればと、かなりのひろがりをみせるわけです。

それらが、日常の食事の選択肢として、香港の街のなかに不可欠的に存在しています。


そんな選択肢を、ときにぼくは選びとります。

「ときに」は、「それほどお腹は空いていないけれど、食べないのもよくないし、食べるなら温かいもの」と思うときだったりします。

そうして、とあるフードチェーンのお店まで出かけていって、お粥をテイクアウトで注文するわけです。

入り口の壁にあるメニューから選んで、そこでまず注文し、お金を払います。

それから、レシート兼引換券をもらい、そこに記された番号がよびだされるまで待ちます(テイクアウトでなければ、カウンターにならんでオーダーが出てくるのを待つか、あるいは時間がかかるオーダーであればやはり番号がよびだされるまで待ちます)。


注文したお粥ができるまで、少し時間がかかるのは、もちろんプロセスがあるからです。

何時間も煮こんである白粥は大釜のなかで、ひきつづき絶えることなく、ふつふつと音をたてているのですが(この白粥の煮こみ具合が半端なく、お米の原型をとどめないほどに「とろとろ」となる)、注文が入ると、必要な量の白粥が小さな鍋にうつされ、そこで各種の具と一緒になって、さらに火が加えられることになります。

火が充分にとおると、器にいれられ、そのうえにネギやらなんやらのトッピングがされて、できあがります。


そんなこんなで、いつも、ぼくはお粥を注文し、手に食券を片手に、ときにお粥が準備されるのを眺めながら待ち、そして出来あがると店員さんにテイクアウト用につつんでもらって、家に持ち帰ります。

ある小さなドラマは、「仕方ないなぁ」ではじまりました。

家に帰って、とりわけるときに、注文したものと違う「具」が入っているのを見つけたのでした。

今さらお店にもどるのもたいへんなので、そのままいただきました(どこかの誰かはもしかしたら、ぼくが注文したお粥を食べているのだろうと思いながら)。


小さなドラマは続きます。

やはり「それほどお腹は空いていないけれど、食べないのもよくないし、食べるなら温かいもの」と思って、お店に出かけてゆき、前とは異なるお粥を注文しました。

お粥が出来あがって、店員さんがテイクアウト用につつもうとしてくれているときに、ある女性がぼくの近くにやってきて、お粥が載ったトレーを指差しながら、なにかしゃべりはじめました。

よくわからないままにぼくは自分の番号通りにお粥をうけとったのだと説明したのですが、どうやら、彼女のお粥が、ぼくのトレーに間違って載せられているのだということで、ぼくは中身がよくわからないままに、彼女のトレーのお粥ととりかえたのでした。

お礼を伝えて家への帰路で、それにしても容器の中身がほとんど見えないのにどのように見分けたのだろうと思ったのでしたが、家に着いてとりわけるとき、彼女が正しかったことを再確認しました。


このお店では小さなドラマが続くなぁと思っていたら、小さなドラマはまた続くのでした。

別のお粥をテイクアウトで注文して、いつものように、出来あがるのを待ちながら、引換券をふと確認していたら、どうやら、テイクアウト用に注文が通っていないことに気づいたのでした。

気づいたときにカウンターにあがってくる番号を確認すると、ぼくのお粥は出来あがっていて、また他の料理がまもなく出来あがるところで、ぼくはカウンターごしに、「これはテイクアウトで頼んだのです」と急いで伝え、なんとかテイクアウト用の容器に入れ替えてもらうことができました。

夕食時で店内は混乱ぎみのなか、店員さんたちも余裕がなくなって(見たところ)機嫌を損ねはじめていたところでもあり、ぼくは笑顔でお礼を伝えたのでした。


これら「小さなドラマ」は、要は店員さんが「お粥を置き間違った」だけだったりするのですが、立て続けに3回続き、少し考えてしまうわけです。

そんなことを考えていて、20歳前後のころ、アジアを旅しているとき、「出来事は向こうからやってくる」ように感じたことを、ぼくは思い出します。

ふつうに旅をしていても、なにかが起きたりして、旅の日々が「小さなドラマ」に彩られるわけです(いろいろな色合いで彩られるのですが)。

日本にいるときは、ふつうに暮らしていて、ふつうに日々がすぎてゆくなかで、アジアの旅の「小さなドラマ」は向こう側からやってくるように、ぼくは感じたのでした。

今でこそ「ふつう」のなかにもさまざまな色彩があって、その色彩の現れ方はそれを経験する側の「見方」や「経験の仕方」によってくるのだと思うのですが、それでも、アジアの旅をふりかえったとき、普段とは異なる仕方で、いろいろな人や異文化との接点において「小さなドラマ」がむしろあっち側からやってきたように感じるのです。

そして、香港での、なんでもない日々に、ただお粥を買いに行くということだけのなかに「小さなドラマ」がやってくることを、ぼくは経験しています(うがってみれば、ぼくがそのような現実をひきつけているだけなのだとも言えるのですが、まぁ、なにはともあれ、さすがに3回続くと、考えてしまうのです)。

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村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima 村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima

「私」をめぐる冒険の道ゆきで。- 自己の感覚は「騒々しい議会」(リチャード・パワーズ)。

世界で村上春樹はどう読まれているのか。

世界で村上春樹はどう読まれているのか。

「村上春樹」を熱心に読む読者であれば興味のひかれる問いである。

でも、村上春樹を読まない人たち、あるいは読書にもあまり興味がない人たちにとっても、見方を変えてみれば、興味のひかれる問いであろう。

世界で日本のある作家(あるいは日本というもの)がどのように見られているのか、という問いに転換してみることもできる。

そのような問いは、『日本辺境論』での内田樹の視点を援用すれば、日本・日本人が、つねに、じぶんたちがどのように「見られているのか」という問いに回帰しつづけることで、じぶんたちのあり方を確認することの一環としてあるように見える。

なにはともあれ、「世界で村上春樹はどう読まれているのか」をめぐるシンポジウムが2006年に日本で開催され、『世界は村上春樹をどう読むか』(文春文庫、2009年)として編まれている。

「村上春樹」作品をさまざまな言語に訳す翻訳者たちなどが集まり、いろいろな視点で、ワイワイガヤガヤ、それぞれの翻訳版の紹介や議論をくりひろげてゆく。

そこでは、論点は、村上作品を基点にしながらもそれをこえて、日本や日本文学や日本文化、またグローバリゼーションなども加わってゆくのだ。


それでも、とくにひきつけられたのは、アメリカの小説家リチャード・パワーズ(Richard Powers)による基調講演「ハルキ・ムラカミー広域分散ー自己鏡像化ー地下世界ーニューロサイエンス流ー魂シェアリング・ピクチャーショー」(柴田元幸訳)であった。

2018年に発刊された最新作『The Overstory』が「2018 Man Booker Prize」の最終選考にのこり、またこれを読んだ柴田元幸が、リチャード・パワーズの代表作を簡単に決めつけてはいけないと思い直したという作品を書き続けているリチャード・パワーズ。

このひどく長い題名を冠した基調講演の冒頭のほうで、もろもろのあいさつを終えて、いよいよ、この長い題名のつけられた「世界」へと誘おうというところで、リチャード・パワーズはつぎのように語りはじめている。


 いまからおよそ十年前、村上春樹が傑作『ねじまき鳥クロニクル』の仕上げにかかっていたころ、イタリアはパルマの研究所で、国際的なニューロサイエンティストの一団が、心のはたらきをめぐる、現代有数の影響力甚大な発見に行きあたりました。…

『世界は村上春樹をどう読むか』(文春文庫、2009年)


「講演」の体裁・形式からはみだしてゆくように、なんとも「物語」的な語り口で、リチャード・パワーズは一気に聴衆を、彼の「世界」へとひきこんでいるように見える。

少なくとも、これを読みながら、ぼくはなにか違う世界に入ってゆくような、そのような感覚にみまわれたのである。


ところで、ここで指摘される「影響力甚大な発見」とは、「ミラー・ニューロン」として知られるメカニズムのことである(この文章を読むまで、ぼくは「ミラー・ニューロン」の発見はもっと前の時代のものだと勝手に思っていた)。

このメカニズムによって、他者による行為をみるときに、「鏡」的に、自身のなかで同じ神経細胞が作動し、高次元の認知機能に益している。

リチャード・パワーズは、このメカニズムが発見されたサルの実験とヒトの実験にも言及しながら、そのインパクトと意義を語り、さらに村上春樹の作品と交差させてゆくという、なんとも興味深い、不思議な世界に、聴衆(読者)を誘ってゆくのである。

この「ミラー・ニューロン」とそのメカニズムの発見を含め、脳科学は1990年代にさまざまな発見や理論を生み出したことにふれ、それらをベースとした理解では、心というものは、「何百もの分散したサブシステムに分解され、それら一つひとつが、ゆるやかに絡みあった連合関係を成して、それぞれ個別に信号を発している」と、リチャード・パワーズは語る。

そう語りながら、彼は、「私は誰なのか?」という、古典的な問いとそれへの応えに接続させる。


…たったひとつの単語を口にするだけの営みですら、百人あまりのミュージシャンにシンフォニーを演奏させる行為になぞらえてもおかしくありません。
 だとすれば、「私は誰なのか?」という自己の感覚も、こうした雑多なプロセスの上に浮かんでいるのであって、一義的な「アイデンティティ」などではありえません。それは騒々しい議会であって、そこではゆるやかなルーツでつながった議員たちがたがいにアップデートしあい、模倣し、修正しあう。そうした交渉を通して、自己はそのつど自らを作り上げているのです。そして、これがリツォラッティによるミラー・ニューロンの発見が示唆しているさらに重要な点ですが、そうした一人の人間の自己というゆるやかな議会は、それが触れあうほかの人間の自己たちを時々刻々アップデートし、それらほかの自己たちによってアップデートされてもいるのです。

『世界は村上春樹をどう読むか』(文春文庫、2009年)


原文がわからず柴田元幸の日本語訳に効果もあるのかもしれないが、自己の感覚を「雑多なプロセスの上に浮かんでいる」ものとしてとらえるのはイメージをひろげてくれるし、また「騒々しい議会」という表現もなかなかおもしろい(「議会」が言葉として使われるのは、アメリカ的なのかと、アメリカの中間選挙の状況を追いながら思ってしまうのである)。

一義的なアイデンティティのような「私」ではなく、他者をもまじえながら、つねにアップデートしあっている、それぞれの「自己」。

このような見方に、ぼくは賛同する(のだけれど、問いは、さらに射程を遠くに、あるいは深くに、投じられるところであるとも思う。たとえば、なぜ、「一義的なアイデンティティ」的感覚が(少なくとも表面的には)行き渡っているのだろう、とか)。

ぼくの、「私」をめぐる冒険、はつづく。

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