留学生である夏目漱石のイギリスでの苦悩と「変身」。-「嚢(ふくろ)を突き破る錐(キリ)」を追い求めて。

夏目漱石の『私の個人主義』に最初に目を通したのは、確か、大学か大学院で勉強していた20代前半のことであったと思う。...Read On.

夏目漱石『私の個人主義』に最初に目を通したのは、確か、大学か大学院で勉強していた20代前半のことであったと思う。

夏目漱石の書くものにぼくは深く惹かれていたわけではない。

中学や高校での教科書や読書感想文用の図書として取り上げられる夏目漱石であったけれど、どうにも、深く入っていくことができずにいた。

ただ、おそらく、「個人主義」という言葉にひかれて、手にとったのだと思う。

当時のぼくは、個人と共同体、自由主義と共同体主義などのトピックに、正面からぶつかっていた時期であったからだ。

でも、『私の個人主義』もあまりぼくの心身に合わず、読んだ内容はほぼ覚えていないような状況であった。

 

20年程が経過して再び『私の個人主義』を手にとろうと思ったのは、ある論考を読んでいて、「留学生の夏目漱石」に焦点をあてた箇所に惹かれたからである。

『現代思想』誌(青土社)の2016年9月号(特集:精神医療の新時代)における、酒井崇「適応することと潜勢力としての思考」という論考のなかである。

精神病理学を専門とする著者が、「大学において留学生の相談・診療業務」をするなかで、留学生などにみられる「適応の困難さ」について論じている。

論考の展開のなかで、「留学生漱石」に光をあて、イギリス(ロンドン)に留学した夏目漱石が、ロンドンの生活に「不適応」を起こしていたことに目をつける。

 

イギリス留学に行くずっと以前から「不愉快な煮え切らない漠然たるものが、至るところに潜んでいるようで堪まらない」(夏目漱石、『私の個人主義』青空文庫)感覚を漱石は持ち続けていた。

「私はこの世に生れた以上何かしなければならん」(前掲書)と思いつつ、思いつかないといった、状態である。

漱石は、この状態を、「あたかも嚢(ふくろ)の中に詰められて出る事のできない人のような気持ち」と語り、「一本の錐(キリ)さえあればどこか一箇所突き破って見せるのだ」(前掲書)というように、焦り抜いていたという。

不安を抱いたまま、漱石はイギリスのロンドンに渡ることになる。

 

…この嚢を突き破る錐は倫敦(ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。

夏目漱石『私の個人主義』青空文庫

 

本を読んでもうまくいかない。

本を読む意味さえも失うなかで、夏目漱石はひとつの「気づき」を得る。

 

 この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う道はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で…そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。

夏目漱石『私の個人主義』青空文庫

 

夏目漱石がそうして行き着いたのが「自己本位」ということである。

「自己本位」という言葉を手に入れた漱石は、文学に限らず、科学的研究や哲学的思索にふける。

「自己本位」が道を照らしたのだ。

そのとき、留学してから、一年以上が経過していた。

漱石はこう語っている。

 

…外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然ながらある力を得た事になるのです。

夏目漱石『私の個人主義』青空文庫

 

漱石のロンドン「不適応状態」に焦点をあてた酒井崇は、「嚢を突き破る錐」は何であったのだろうと問う。

 

…英国へ留学して一年間、いわば不適応状態にあった漱石を変えたものは何であったのだろうか。…たんに英文学に見切りをつけて、関心を文学そのものへ移したということだけのことでは決してない。「概念を根本的に自分で作り上げ」ようとしたこと、周囲から神経衰弱と言われるほどまでに「思考」したことが錐となったのではないだろうか。

酒井崇「適応することと潜勢力としての思考」『現代思想』(青土社)2016年9月号(特集:精神医療の新時代)

 

夏目漱石が「私の個人主義」の講演を行なったのは1914年(大正3年)11月25日。

漱石が他界する2年前の講演で、そのとき漱石は47歳であった。

イギリス留学の年から14年が経過していた。

ぼくも幾分、霧の中をくぐり抜けてきた漱石と同じような経験を通過してきた。

そのためなのか、漱石の言葉をかみしめる素地が少しはできたのかもしれない。

久しぶりに読む『私の個人主義』のなかに興味のつきない語りを見つけ、それらがぼくに迫ってくるように感じられる。

なお、「個人主義」という言葉だけでは、ミスリーディングになりやすい。

だから、「私の個人主義」というように「私の」がつけられているように思う。


夏目漱石は、この講演で聴衆に向けて、次のような、熱を帯びた言葉を投げかけている。
 

…もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。…もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。ーもっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。

夏目漱石『私の個人主義』青空文庫

 

「掘当てるところまで行ったらよろしかろう」と、漱石は語る。

それにしても、留学生の漱石に会ってみたくなった。

 

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人はだれもが「物語」を生きる。- どのような「物語」を描き、どのように生きるか。

人であるということは、「物語」をもっているということでもある。人は、だれもが、「物語」を生きている。...Read On.


人であるということは、「物語」をもっているということでもある。

人は、だれもが、「物語」を生きている。

そして、人は、その生において、「物語性」の外部に出ることはない。

どのような「物語」を生きていくか、ということに、ぼくたちの生の本質はある。

 

すでに「物語・物語性」は、人や組織や社会において、いっそう重要なものとして取り上げられる場面が増えてきている。

ぼくもいろいろと文献などをさぐっている。

『The Storytelling Animal: How Stories Make Us Human』(Jonathan Gottschall著, Mariner Books)という面白いタイトルの本がある。

「物語を語る動物」としての人を、生物学、心理学、脳科学の知見から読み解いていく試みである。

また、橋本陽介『物語論:基礎と応用』(講談社)においては、フランス構造主義の物語論を中心に「物語」が中心にそえられている。

心理学者からの「ライフストーリー論」としては、Dan P. McAdamsの理論展開に、ぼくは耳をかたむけている。

河合隼雄の「物語論」も、心理学・臨床心理などさまざまな視点にきりこみ、深い議論を展開している。

 

「年末年始」という時期には、人や組織や社会の「物語」の一端が語られるときでもある。

「振り返り」という、ひとつの物語。

「目標」という、ひとつの物語。

「予想・予測」という、これも物語。

世界は「物語」に充ちている。

 

ぼくたちは、忙しさや困難さのただなかで、「点(dot)」に集注する。

ときには、一歩も二歩も後ろにさがってみて、スティーブ・ジョブズが語ったように「connecting dots」をしてみる。

そこに、これまで生きてきた・働いてきた・学んできたことの「物語」が見えてくることがある。

物語は、困難や挑戦、失敗などに「意味・意義」をふきこんでくれる。

そしてそのような間隙から、「新しい物語」の息吹が聞こえ、萌芽を見るかもしれない。

これらの「物語」を、どのように描き、どのように生きていくかという問いを、ぼくたちの生の全体はぼくたちに日々問いかけている。

 

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「気づき」に向けて。- 「かたづけることは、勉強することと同じで、生き方を変えることだ」(中谷彰宏)

作家の中谷彰宏が、かたづけ士の小松易による講義から「かたづけができないタイプ分け」の部分を抽出して、書いている。...Read On.

作家の中谷彰宏が、かたづけ士の小松易による講義から「かたづけができないタイプ分け」の部分を抽出して、書いている。
 

<かたづけができないタイプ分け。
前くじけ=先送り。
中くじけ=気が散る。
後くじけ=リバウンド。
もうひとつは、
前前くじけ=気づかない。>
なんと、勉強と同じですね。

中谷彰宏「中谷彰宏レター」(2017年12月23日)

 

タイプ分けの明確さとともに、「前前くじけ=気づかない」という視点に、「かたづけ士」としての思考と経験の鋭さが現れている。

「もうひとつは…」と、「前・中・後」とは別に「前前」として触れる仕方にも、「気づき」ということの本質が出ている。

「気づき」がないと、「かたづけができない」ということの出発点に立つこともできない。

中谷彰宏が書くように、勉強、さらには生き方ということをも貫く本質が、「かたづけること」に現出している。

 

かたづけ士の小松易は、著書『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』(中経の文庫)の「はじめに」で、人から「なぜ、ひらがなで『かたづけ士』なのですか?」と聞かれてきたことについて、書いている。

当初は「はっきりとした答え」を持っていなかった小松は、片づけコンサルティングの仕事を始めてから5年ほどたってから、「明確な答え」を持つようになったという。

明確な答えは、「片づけ」が「3段階で進化していくもの」であるというものだ。


●第一段階「片づけ」:「リセットの片づけ」、「整理(減らす)」と「整頓(配置する)」

●第二段階「型づけ」:「習慣化の片づけ」、片づけられた場所をきれいに維持する習慣をつくるためのルールやしくみ

●第三段階「方づけ」:方=あなたのライフスタイル・生き方、「自分の人生をどのようにデザインし、どのように生きたいかを決めていくこと」

※参照:小林易『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』(中経の文庫)より

 

「片づけ」が、「方づけ」(ライフスタイル・生き方を変える)につきぬけてゆく力をもっていることは、ぼくも経験において深く認識しているところだ。

その出発点が「先送り」よりも「前前くじけ=気づかない」にあるというところに、いっそう深い本質があるということ。

「気づいてゆく」ということが、生きてゆく道ゆきで、どれほど大切なのかということ。

ほんとうの「気づき」であれば、それはかならず、「方づけ」の方向につきぬけてゆくこと。

中谷彰宏の「レター」に書かれた講義メモを見ながら、そんなことをぼくは感じ、考えていた。

そして、年末にさしかかり、ふと部屋を見渡しながら、「かたづけ」はぼくにとって毎日のことであることを言いきかせながら、「気づき」に向けて勉強している。

 

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「書くこと」のすすめ。- 「じぶんと向き合う」という仕方で書く。

2017年の振り返りをしたり、2018年の目標を立てる時期に、「書くこと」ということを考える。...Read On.


2017年の振り返りをしたり、2018年の目標を立てる時期に(振り返りも目標もこの時期である必要はまったくないけれどもひとまず)、「書くこと」ということを考える。

じぶんと向き合いながら「書くこと」の意味や効用はやはり大きい。

 

人の「内面」という視点で、「書くこと」を見てゆくと、ひとつの切り取り方として「3つの側面」がある。

それらは相互に「重なり」を有している。

  1. 内面の思考や感情を「外部」に出すこと
  2. 内面の思考や感情の「整理」
  3. 内面における「気づき」を取り出すこと・浮上すること

第一に、内面の考えや感情を「外部」に出すということがある。

書くことで、じぶんの内面にある思考や感情を「外部」にうつしていく。

じぶんの思考や感情を見つめ直すことにも有効である。

外部に出すということは「見える化」することである。

目で見ることでより客観視し、見つめ直すことがより容易になる。

 

そうすることで、第二に、思考や感情が「整理」されていく。

赤羽雄二の著作『世界一シンプルなこころの整理法』にあるように、例えばA4一枚に、言葉を書いていくことで、「こころの整理」がなされる。

David Allenの有名な『Getting Things Done』も、この効用に目をつけて、「頭の中」にあるものを一度すべて書き出すことをすすめている。

その副題にある言葉「Stress-Free」にあるように、ストレスを軽減する効用もある。

 

第三に、そのような過程で、「気づき」が得られる。

明確でなかったことに気づくこともあれば、ふーっと浮上してくるように「現れる」こともある。

気づかなかった「思考や感情のつながり」が、目に見えるようになったりする。

「わかる」という経験は、いろいろな思考や言葉が「つながる」経験である。

また、整理された「すきま」に、新しい思考がはいってくることもある。

 

ただ書けばよいというわけではないけれど、でもただ書くところからスタートしてもよい。

SNS的な書き方に終始すると他者の「評価」を求めるような書き方にもなってしまうことがあるから、「じぶんと向き合う」仕方で、書いていく。

書かれた文章は、何かの「はじまり」でもある。

人は、構築主義的に、文章を(つまり思考を)構築していく。

そのプロセスでは、さまざまな「他者」の思考や感情や経験が参照されたり、使われたり、吟味されたりする。

 

「じぶんと向き合う」書き方とは、「じぶんがつくられる」ような経験である。

じぶんを「創られながら創る」というプロセスに投じていくことになる。

書くことのプロセスのなかで、「(他者に)つくられる」という経験をしながら、ぼくたちはじぶんをのりこえてゆく。

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作法としての「ユダヤ的知性」。- 内田樹がよみとく「ユダヤ的知性」。

NewsPicksのプレミアム(有料)で読むことのできるシリーズの中に(読みごたえのあるシリーズばかりで読みきれていない)、「ユダヤ最強説」という特集があり、全10回にわたって、ユダヤ人の強さを掘り下げている。...Read On.


NewsPicksのプレミアム(有料)で読むことのできるシリーズの中に(読みごたえのあるシリーズばかりで読みきれていない)、「ユダヤ最強説」という特集があり、全10回にわたって、ユダヤ人の強さを掘り下げている。

その最終回に、『私家版・ユダヤ文化論』の著者である内田樹が、「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」について語っている。

上述の著書を読んだときには一気に読んでしまって、ぼくのフィルターにかからなかったのだけれど、この特集で、内田樹は「ユダヤ的知性」をわかりやすい言葉で、しかしその本質をさぐりあてている。

「ユダヤ的知性」を、内田樹は、ユダヤ人固有の「頭の使い方」として語っている。

 

「私家版・ユダヤ文化論」という本に書きましたけれど、ユダヤ的知性の特徴を一言で言うと、「最終的な解を求めない」ということです。
 解答することが困難な問いに安易な解を与えずに、そのまま宙吊りにしておく。そんなことを続けていると、「答えのない問い」だけが無限に増殖してゆくことになりますけれど、その未決状態に耐える。それがユダヤ的知性の働きです。まことにストレスフルな生き方なのです。

内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks

 

この「ユダヤ的知性」がユダヤ教的なところにかかわることを解説しながらも、内田樹は次のように指摘している。

 

繰り返し言いますけれど、ユダヤ人たちのものの考え方は、教義というよりはむしろ「家風」です。子どもの頃から周りの大人たちから、立ち居ふるまい、箸の上げ下ろしについてうるさく言われてきて身体化したようなものです。

内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks

 

身体化された「頭の使い方」は、今の時代をきりひらく上で、とても魅力的に、ぼくにはうつる。

「最終的な解を求めない」というスタイルにかんれんして、内田樹はいくつかの例をあげている。

例えば、ユダヤ人に向かって「…ですか?」と聞くと、「どうして君はそれを訊ねるのか?」と聞き返すことで、問いの文脈を前景化しようとするという。

問いに対して問いで答えるということをやると、日本人同士であればケンカになってしまうだろうと指摘しながら、ユダヤ人はそこから対話を盛り上げ、論争の次数をあげていくことが、身についていることを、内田樹は説明している。

 

ユダヤ人は何をしても、「なぜ自分はこんなことをするのか」について考え始める。必ずメタレベルに上げてしまう。…
…つねに論争の次数を上げていって、違う視点から、より高い視点から、今の自分たちの思考や感情を説明しようとする。

内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks

 

ある意味、「好奇心」が、ユダヤ的知性の作法にくみこまれているようだ。

なお、内田樹は、くりかえし、これは宗教や教義ではなく、宗教が形骸化したあとでも残る作法であることをつけくわえている。

 

質問の背景を前景化したり、思考をメタレベルに上げていったり、議論の次数を上げていくことは、コンサルタントの作法とも通じる。

そのような作法が、社会のなかにうめこまれていることに、ぼくは感心してしまうと同時に、ユダヤ人の強さを垣間見たような気持ちがわきあがる。

ちなみに、コンサルタントや経営者が参照する有名なピーター・ドラッカーも、ユダヤ系である。

人工知能の行く末など未来はどうなるかはわからないけれど、少なくとも今においては、「考えること」はとても大切だ。

ぼくたちが「ユダヤ的知性」に学ぶところは多い。

久しぶりに、内田樹の『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)をひらこうと、ぼくは思う。

「ユダヤ的知性」の視点でよみとき、学ぶために。

 

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野口晴哉, 成長・成熟 Jun Nakajima 野口晴哉, 成長・成熟 Jun Nakajima

生ききること、全生を追い求めてきた野口晴哉の視野・視点の自由さ。- 「自由自在なる宇宙人」という視野・視点。

「世界で生ききる」ということをブログのタイトルの一部に、ぼくはもりこんでいる。言葉に堅さ・硬さのようなものが残るものの、これからの時代をきりひらいていく方向性を感覚しながら、書いた言葉である。...Read On.


「世界で生ききる」ということをブログのタイトルの一部に、ぼくはもりこんでいる。

言葉に堅さ・硬さのようなものが残るものの、これからの時代をきりひらいていく方向性を感覚しながら、書いた言葉である。

とくに「生ききる」という言葉をアンテナとしている。

整体の創始者といわれる野口晴哉が「全生」ということをその思想のコアにしていることは知っていたけれど、例えば、次のような野口晴哉の言葉を、ぼくは最近見つけた。

 

溌剌と生きる者にのみ
深い眠りがある
生ききった者にだけ 安らかな死がある

野口晴哉『碧巌ところどころ』(全生社、1981年)

 

野口の焦点は、溌剌と生きること、「生ききる」こと、彼が言う「全生」ということにある。

 

…象の百年生くるも全生なら、蝉の一夏の生涯も又全生なのだ。大と小と対立させてその価値に拘泥するのは、人間的な有限感覚に基づいているに他ならぬ。人間の五十年は蚊の一夏に比して長いとは言えぬ。欅の三千年の寿命も猫の十年に等しい。全は、全だ。
 この如く、人間が人間感覚からのみ推して ものを対立させているなかに宇宙的無限感を得たものがいたなら、こう言うだろう。

野口晴哉『碧巌ところどころ』(全生社、1981年)

 

ここに見られるように、野口晴哉の視点は、多くの知の巨人たちと同じく(「巨人」という使い方自体、野口は「人間的な有限感覚」だと言い放つだろうけれど)、時間と空間の「幅」がはてしなくひろい。

野口晴哉の思想を深いところで支えているのは、この時間と空間の感覚だ。

時間は人間的な有限感覚に限らず、空間も宇宙にまでひろがっていく。

それでいながら、野口晴哉の「実践」は、この人間の身体に向けられている。

この「視野・視点の自由自在さ」が、野口晴哉の屹立する思想を支えている。

野口晴哉がもっとも魅かれてきた書、『碧巌録』を野口流に読み解きながら、野口晴哉の思想と実践は、『碧巌録』におさまりきらないように、ぼくには見える。

 

 一秒間で地球を八回めぐる光の速さで、何十億年かかる距離を容れて尚あまりある宇宙も、その宇宙に浮かぶゴミの如き地球も、その地球に生えたかびの如き人間も、その人間の眼にも見えぬ最近の類も、自然の存在であり、ある可くしてある全なる相である。宇宙の運行と等しく我らが面前にある事実、我らが裡に行われる動き、我らが一呼一呼 一挙手一投足も 自然のはたらきたらざるはない。このことを見つけ出し 身に体した人は 自由自在なる宇宙人だ。

野口晴哉『碧巌ところどころ』(全生社、1981年)

 

野口晴哉の思想と実践は、そこにはいりこめばはいりこむほどに、異なる相をぼくたちにひらいてくれる。

「生ききる」ということ、「全生」を求め、そこに生きてきた野口晴哉。

「自由自在なる宇宙人」という視野・視点のひろがりの中で、いまここの一点に集注してゆく、その自由さと型のなかに、野口晴哉の力強さはある。

ぼくがかかげる「Global Citizen」という諸相など、一気にふきとばされてしまうほどの強さだ。

でも、実を言うと「Global Citizen」の意味合いのなかには、<宇宙人>(宇宙に生きる人)としての諸相がふくまれている。

変にきこえるかもしれないけれど、ほんとうにそうかんがえながら、ぼくは野口晴哉の思想と実践に、真摯に耳を傾けている。

 

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身体性, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

暦・時間にとりこまれず、味方につける。- 世界を移動しながら相対化されてゆく「暦・時間」の中で。

カレンダーが12月になり、2017年という年は1ヶ月という「時間」を有している。そんなあたりまえのことを思いながら、ぼくは、日本、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それからここ香港と、世界で住まいの拠点を変えていく過程で、「暦・時間」の感覚が一層、じぶんの中で相対化されてきたことを、思う。...Read On.

カレンダーが12月になり、2017年という年は1ヶ月という「時間」を有している。

そんなあたりまえのことを思いながら、ぼくは、日本、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それからここ香港と、世界で住まいの拠点を変えていく過程で、「暦・時間」の感覚が一層、じぶんの中で相対化されてきたことを、思う。

日本に暮らしていたときには、すっぽりと「日本的な暦・時間」の中にじぶんがおさまっていて、日本的な風習・行事を生活の区切りとしながら、そのような「暦・時間の構造」の中で生きていた。

お正月があり、4月の入学・入社・新しい会計年度のスタートがあり、お盆があり、年末がありという具合だ。

ひとたび海外に出てみて、その「時間の構造」が相対化されていく。

ここ香港では新年は「旧正月」を祝うことから、1月1日ではなく、旧暦にしたがい毎年日にちが変動する「旧正月」が生活や仕事の流れの中に、ぐいっと、はいりこんでくることになる。

シエラレオネや東ティモールなどでは、祝日の中には宗教的な日が選ばれたりすることから、生活の区切りも異なる。

シエラレオネや東ティモールにおいて国際NGOや国際機関で勤務している人たちは、それぞれ自身の「時間の構造」の中で動くから、日本にいたときのようにみんなが一斉に休むというより、それぞれの風習や文化に沿った暦・時間に沿って休暇をとったりする。

このような環境に長く身をおいていると、それまでの「日本的な暦・時間」の考えが相対化され、その感覚も解凍されていく。

そして、それでも「西暦」というものがひとまず、(お金という概念と同じように)世界の「協働連関」をつなげるものとして屹立していることに、驚きと感嘆をいだくことになる。

 

「相対化」されていくことで得たものと言えば、「暦・時間」はやはり人間がつくりだしたものだということの、実感である。

日本で暮らしていたときには、そのようなことは頭ではわかっていたのかもしれないけれど、「暦・時間」は絶対的なものとしてそこにあるように感覚されていたのだと、思う。

 

その実感を手にいれながら、ぼくは、「暦・時間」をあくまでもツールとして、ぼくの「味方」につけることへと方向転換をしてきた。

絶対的なものとしてじぶんに迫ってくる「暦・時間」ではなくて(もちろん「締め切りがせまってくる」ような状況はあるけれど)、ぼくの生活を豊饒化させていく手段として活用していくことである。

まったく自分勝手だけれど、いわゆる「新年」(1月1日)までにできなかったことは、「旧正月」をターゲットにして動く。

「Procrastination(先延ばし)」と言われればその通りなのだけれど、これは、あくまでもひとつの例として。

 

暦・時間に支配されることなく、逆に活用していくこと。

世界をつなげる協働連関のための「暦・時間」の「ありがたさ」をたしかめながら、しかし、じぶんの中や大切な他者たちとの間に流れる<時間>も取り戻し、生きてゆくこと。

外的な時間(「暦・時間」)と内的な時間(「じぶんの中や他者たちとの間に流れる<時間>」)を、それぞれに豊饒に生きてゆくこと。

世界を移動しながら相対化されてゆく「暦・時間」の中で、ぼくが実感として獲得してきたことである。

それでも、ますます加速していく世界の中で、外的な時間は気がつけば、圧倒的な力でもって、ぼくたちの内的な時間に侵食してしまう。

その侵食をのりこえていくところに、今のところ、ぼくたちの生き方のスタイルと工夫がかけられている。

 

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「如何なる教育も健康を損なうようなら間違っている」(野口晴哉)- 今だからこその、野口晴哉著『潜在意識教育』。

野口晴哉の著作の中に『潜在意識教育』(全生社、1966年)という著作がある。体癖研究や整体指導につくす野口晴哉が、専門外でありながらと断りつつも、4人の子供たちの親として語る本である。...Read On.


野口晴哉の著作の中に『潜在意識教育』(全生社、1966年)という著作がある。

体癖研究や整体指導につくす野口晴哉が、専門外でありながらと断りつつも、4人の子供たちの親として語る本である。

著作の最初に「潜在意識教育について」という文章がおかれ、直截的な言葉が置かれている。

 

「如何なる教育も健康を損なうようなら間違っている」

 

とてもシンプルな結論でありながら、この現代社会の中では「むつかしい」ことでもある。

「潜在意識教育」と聞いて、現代の人たちはもとより、当時においても「心の問題」のようなものとして語られるだろうことを想定して、野口晴哉ははじめにストレートに書いている。

 

…潜在意識教育というものも、心の問題として考えているのではなくて、私自身が体の整理ということを仕事にしているので、潜在意識教育も、体の整理のための手段と言うか、その通り道として扱っている。べつだん心のための心の教育とか、今日の社会に必要な人間の教育とかいうことを考えているわけではない。ただ人間の体が健康であり元気であるためには、どのように心を使って行ったらよいか、どういう心の使い方が人間の健康と関連し、人間が丈夫になるのかということが問題であって、私の説くことが今の社会に合うか合わないかは、まだ検討していないのである。

野口晴哉『潜在意識教育』(全生社、1966年)

 

野口晴哉ならではの「切り口」で、潜在意識や教育にきりこみ、その教えの基本の深さから、野口晴哉の他の著作群と同じように「分類不能の書」(見田宗介)となっている。

体の健康の話であり心の話であり、それから子供の話であり大人の話である。

子供や人間の「体」がおきざりにさられがちな現代の状況にあって、今だからこそ、ぼくたちに訴えてくる話にあふれている。

 

【目次】


潜在意識教育について
独立の時期
可能性の開拓
裡の自律性
内在する創造力
空想の活用
人間の自発的行為
価値の創造と価値観の変化
性と破壊の要求
思春期
潜在能力の開発

  1. 暗示からの解放
  2. 推理の能力を開拓する法
  3. 忘れるという記憶法
  4. あなたは自分の体の主人
  5. 予知本能か觀念死か

性格形成の時期

  1. 口のきけない時期
  2. 誕生以前
  3. 生後十三ヵ月間の問題
  4. 食べ過ぎの心理

質問に答えて
非行の生理

 

子供の「教育」の本でありながら、大人の「問題」にも光があてられる。

子供と親の「間」のことが語られながら、大人が抱えている体の問題に、まっすぐに野口の言葉が届いてくる。

ぼくは、自分が子供だったころのじぶんを重ね合わせながら、そこから今も引き継いでしまっているであろう「体」と潜在意識の問題を、野口の教えを導きに、みつめている。

 

ところで、「裡の自律性」という章で、野口晴哉は「躾(しつけ)」の問題に向き合っている。

その中でに、「人間の本性は善か悪か」という節がある。

人間の本性は悪いものだから躾が必要だという考え方と、人間の本性は善いものだから心にあるものを喚び出しさえすればいいのだという考え方の両極を見はるかしながら、野口晴哉は躊躇することなく、「本来の人間の心は善である」と語る。

 

…何故かというと人間は集合動物で、お互いがなくてはお互いに生きられない。そういう構造をしているのだから、いつでも相手の心を我が心とする心が誰の中にでもある。だから産まれる時に何故オギャーと言うかというと、人の助けを求めているのである。自分がここに産まれたという宣言である。人の世話にならなくては大きくなれないように産まれるということはおかしなことで、馬だって、象だって、産まれたらすぐに歩けるのに、人間だけは一年たってもなかなか歩けない。大人の保護を受けるようにできているということは、人間の心が善意であるということを意味している。だからこそ、赤ちゃんはそんな無用心な、保護を受けなければ育たないような格好で産まれてきている。もし善意がなかったら、誰も育ってはいない。お互いに生命を伸ばそうという心があるから、伸ばす相手も伸びてゆくことが嬉しい。…お互いの生命を扶け合うように、人間自体ができている。一人では生きられないようにできている。…

野口晴哉『潜在意識教育』(全生社、1966年)

 

野口晴哉の言葉には、曇りがない。

まっすぐに、人間の「善」を見つめている。

戦争の時代を生きてきた野口が、人の「闇」を知らないわけはない。

ただ、その体というところに降りたった時に、野口はそこに「善」をみるだけだ。

「人間が産まれる」ということの中に、人間や家族や社会ということの本質が詰まっている。

なお、赤ちゃんの「産まれ方」にかんする現代の動物社会学などの学問・科学的な知見は、野口晴哉のこの見方と同じ方向に議論を展開している。

野口晴哉の、この「分類不能の書」は、分類だけでなく、体ということに定位することで、分類だけでなく時代をものりこえてゆく力をもっている。

そのような力をもつ本と思想は、この本が出版されてから50年が経っても、まだ依然として語り尽くされていない。

 

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海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

遠くはなれて、視点の<点>をふやしていく。- 「世界はこうだ」というプログラムを変えること。

大学時代の旅は、ぼくにとって、ぼくのなかの「世界地図」に、<異なる点>を打っていくようなものであったと、今ではより見晴らしのきく視野から見ていて思う。...Read On.


大学時代の旅は、ぼくにとって、ぼくのなかの「世界地図」に、<異なる点>を打っていくようなものであったと、今ではより見晴らしのきく視野から見ていて思う。

「世界地図」は、実際の「世界」ではなく、ぼくが生まれてから自分のなかに築きあげてきた「世界」だ。

世の中はこうであるとか、社会はこうであるとか、人はこうであるとか、である。

脳は日々シミュレーションをくりかえしながら、「世界」をつくりだしていく。

生きていくうえでは、築きあげていく「世界」は必要だ。

この世界で日々、「安全」に生きていくためのプログラムだから。

でも、ぼくはじぶんで築きあげた「世界」に、生き苦しさを感じてしまっていた。

 

ぼくは「海外への憧れ」という、ひとつの直感をたよりに、大学の1年目から「旅」をくりかえしていくことになる。

1994年の中国上海にはじまり、香港、ベトナム、タイ、ミャンマー、ラオスを旅していく。

1996年には、大学を休学して、ニュージーランドで暮らす。

旅や海外生活はそれ自体が楽しいもの(たいへんだけれど楽しいもの)でありながら、「方法としての旅」でもあった。

 

じぶんの脳がシミュレーションをくりかえして築きあげてきた「世界」に<裂け目>をいれていくための、「方法としての旅」。

それは、「視点」の「点」を、「じぶんの世界」にあらたにプロットしていくプログラミングだ。

例えば、ニュージーランドにいたときに、ぼくは初めて、海外で映画館にいく。

確か映画は『12 Monkeys』で、「映画館で日本語字幕なしの映画を観る」という<点>を打つ。

映画のチケットは、ぼくの記憶では当時ニュージーランドドルで6ドルくらいであったから、とても安かったことに、ぼくは驚いたものだ。

日本では「1800円」が「あたりまえ」だと思っていたから、そうではない<点>をぼくはプロットすることになる。

これまでただの<点>であったものが、もうひとつの<点>ができる。

そうして、点と点をつなぐ線分ができる。

そのようにして、視点の<点>をふやしながら、そしてそれは増殖していく。

 

このことは、別に日本でもできるし、本やテレビなどで見てもできるといえばできるのだけれど、「体験」によって打たれる<点>、とくに今いる環境や文化から遠く離れた「体験」によって打たれる<点>は鮮烈だ。

その<点>は、これまでに穿たれていた<点>よりもはるか遠くに、打たれる。

ベトナムを旅しながら、屋台で食事をとり、ビールを注文する。

缶のビールは冷えていなくて、でも氷の入ったグラスと共に出される。

氷は衛生上危ないこともあるので気をつけるべきものだけれど、当時は氷を安全性を身振り手振りで店員さんに確かめながら、ぼくは氷で冷たくなるビールを試した記憶がある。

ぼくの「世界」に、新たな<点>が打たれる。

 

そのようにして増殖していく<点>は、線分になり、さらに<面>になり、さらには<立体>になる。

視野がひろがり、パースペクティブが変わっていく。

そのようにして、ぼくのなかの「世界」はひろがり、ひろがるだけでなく、「ありうる世界」という柔軟性を獲得していく。

これまで「世界はこうだ」と思っていたところに、裂け目ができる。

ある面で凝固していたシミュレーションがふたたび作動していく。

「方法としての旅」ということを考えるときに、ぼくは、この<点>の大切さを、今では思う。

「世界」はぼくたちが思っているほど、狭くはない。

ひろがる<世界>を、ぼくたちの狭い「世界」に閉じ込めないこと。

今日も、だから、<点>をひとつひとつ打つ。
 

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「丘」に現れる喪失と再起の<境界>。- 村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』

「丘」をうたう歌謡曲を通じて、人と社会を考察した村瀬学の著作『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』(春秋社、2002年)は、心踊る作品だ。...Read On.


「丘」をうたう歌謡曲を通じて、人と社会を考察した村瀬学の著作『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』(春秋社、2002年)は、心踊る作品だ。

歌謡曲の中で登場する「丘」にひかれ、「丘」をたよりに、村瀬は歌謡曲通史を試みた仕事である。

その中心的コンセプトとして、村瀬学は「丘」に、喪失と再起の象徴を見ている。

 

 なぜ万葉集の一番最初の歌に「おか」がうたわれているのか。
「丘は丘陵・丘墓にも用いる字。[説文]に「土の高きものなり。人の為る所に非ざるなり」とし、象形とする。墳丘の意にも用いる。」(白川静『字訓』)
 と説明されているように、古代から「丘」と「墓」は同じように意識されてきた側面がある。古墳も「丘」である。そういう意味では、「丘」とは、死者を葬る場所であり、同時にそこで死者を思い出す場所にもなっていた。つまり「丘」とは、失いと思い出しの場所、つまり失いと蘇りを象徴する場所、もう少しいえば、「喪失」と「再起」を象徴するものとしてあった…。

村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社

 

しかし、それは物理的な「丘」だけに限らない<丘>である。

村瀬学は、次のように書いている。

 

…私は、ここで喪失と再起を象徴するもの全体を「丘」と呼ぶことにした。そう考えることで、なぜ歌謡曲で「丘」がたくさん歌われてきたのか。また「丘」が歌われなくなってから、その「丘」はどういうイメージに変形され、歌い継がれていったのか、そこのところをたどってみることができるのではないかと考えた。…
 丘とは、あくまで「境目」であり「境界」であり、そこには二つの領域の出会いがある。そこはAが終わる場所(喪失)であり、Bが始まる場所(再起)である。その接点を人は歌の中で「丘」と呼んできたのである。ここにはだから「複数の声」がする。Aであろうとする声と、Bであろうとする声だ。その「複数の声」を聞くということが、歌を聴くということの楽しみでもある。

村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社

 

ここで述べられているように、喪失と再起を象徴するもの全体を、村瀬学は「丘」と呼んでいる。

村瀬学は、この<丘>という喪失と再起の象徴を導きの糸に、日本の戦後歌謡と社会をよみといていくスリリングな旅に出るのだ。

目次にならい、各年代のイメージとしては、次のようなものとして村瀬はよみとく。

●1950年代:「丘」から「峠」へ 
●1960年代:「丘」から「夕陽」へ
●1970年代:「独りよがり」の時代へ
●1980年代:「ワル」のふりをして
●1990年代:「激励」と「感謝」と

それぞれに取り上げられる歌は、美空ひばりや石原慎太郎、坂本九、サザンオールスターズ、モーニング娘。などなど、多岐にわたる。

直接に「丘」という言葉が歌に使われてきたのは六十年代までと村瀬は分析を加えているが、その1961年にヒットした坂本九の名曲『上を向いて歩こう』は、ひとつの時代を画するものとして、捉えられている。


 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 一人ぼっちの夜
 上を向いて歩こう にじんだ星を数えて 思い出す夏の日 一人ぼっちの夜 
 幸せは雲の上に 幸せは空の上に
 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜
 (『上を向いて歩こう』永六輔詞・中村八大曲、昭和36、1961)

 

この曲が外国でも『スキヤキソング』としてヒットしたことはよく知られているところだけれど、そのひとつの要因として、この歌が日本的な情感や情念より、脱日本語的な「リズム」に共感をうけたことを、村瀬は指摘している。

そして『上を向いて歩こう』という曲も、<境界>に位置した曲であることを、村瀬は次のように書いていて興味深い。

 

 おそらくさまざまな意味において(というのは、リズムや歌い方や歌詞から見ても、ということなのだが)、この歌が「境界」の上でうたわれていることが見えてくる。特に歌詞から見れば、この歌が「失われた過去」と「幸せな未来」の境界に立っていることは一目瞭然である。「境界」だから、「前」も「後」も、まだ保留にされる。だから、ここに立てば、人は「上」を見ることができるのだ。そこにこの歌の持つ「丘」としての位置がある。人はこの「う・え・を・む・う・い・て、あーるこうおうおうおう」と口ずさむ時、「失われた過去」や「まだやってこない未来」をとりあえずカッコに入れて、涙がこぼれないように上を向くことで、元気付けられたのである。…

村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社

 

そこからひとたび視点を日本の社会に転じると、「上」は「高度成長」としての「上」とも重なり、高度な消費社会は人々のつながりを解体し、「一人ぼっち」にしはじめていたことにも触れられている。

この「一人ぼっち」(個人主義)につらなるものとして、「上を見る=星を見る=希望(夢)を見る=アメリカン・ドリームを見る」(村瀬学)といった生活の形式と内実があるのだ。

時代が歌に反映し、歌が時代をつくりだしてゆくような、そのようなものとして、歌謡曲と社会が捉えられている。

ぼくのことで言えば、「ニュージーランド徒歩縦断」の旅に旅立つときに、ニュージーランドの北島の果てでたまたま出会った日本人の方が、『上を向いて歩こう』をオカリナで吹いてくれたことを思い出す。

互いに「一人ぼっち」の旅であった。

ニュージーランドの北端のポイント、レインガ岬の近くでのことであった。

なだらかな「丘」が先までつづく道のりを歩くぼくの背中に向けて、『上を向いて歩こう』の曲がオカリナの音色にのって響いてくる。

その音色に確かに励まされながら、あの「丘」で、ぼくはどのような喪失と再起の<境界>を越えようとしていたのかを、20年以上が経過した今でも、ぼくはときどき考えてしまう。

 

 若い頃には、何でもないような歌に心ときめく歌謡体験をし、さらに何でもないようなささやかな一行の歌詞になぐさめられ、勇気づけられることがしょっちゅうあるものだ。それが、日々の「丘の体験」である。そういう体験が直接に「丘」という言葉を使って歌にされたのが六十年代までであって、その後は、言葉としては直接使われなくなる。それでも歌謡曲が存在する限り、すぐれた歌の体験は、大なり小なり「丘の体験」としてあるのだ…。

村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社

 

歌は、ぼくたちの日々の「丘の体験」の時空を、ぼくたちの中につくりだしてくれる。

それにしても、今の時代の「歌たち」は、どのような「丘の体験」なのだろうか、あるいは「丘の体験」などなくしてしまったのだろうか。

 

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「潤一(コペル君)」(『漫画 君たちはどう生きるか』)が、この世界に溶けていってしまいそうな気がするとき。

『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)。…物語の中で、潤一(コペル君)が、おじさんが近所に引越してきたばかりのころ、おじさんと銀座のデパートに行く場面がある。...Read On.


『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)。

1900年代前半(原作の出版は1937年)の日本の東京を舞台に、主人公である本田潤一(コペル君)と叔父さん(おじさん)が、人生のテーマ(世界、人間、いじめ、貧困など)に真摯に向き合いながら、物語が展開していく作品だ。

 

物語の中で、潤一(コペル君)が、おじさんが近所に引越してきたばかりのころ、おじさんと銀座のデパートに行く場面がある。

化学に興味をもったばかりの潤一は「分子」という不思議さを通して、デパートの屋上から人通りを見る。

潤一は、そのデパートの屋上で、次のような「気の遠くなってしまいそうなへんな気持ち」を感じることになる。

 

デパートの屋上で僕は……
自分がこの世界に溶けていってしまいそうな気がして
ほんとはちょっぴり恐かった。

『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)マガジンハウス

 

「分子」の不思議さを通して、目に見えているものはなんだって、どんどん拡大して見ていくと、いずれ「分子」にたどりつくという学びが、潤一の想像力をかきたてたのだと、文脈からはひとまず読める。

しかし、その感覚は、ぼくたちがときに、感じる感覚でもある。

大人になって忙しくしていると、なかなかそのようなことを思う瞬間は訪れないかもしれないけれど、子どもたちは「この世界の不思議さ」に幾度も、<じぶんというもの>の解体の契機に出会うものだと思う。

潤一のこの気持ちと感覚にみちびかれてゆくように、ぼくはこの作品世界の中にひきこまれていったように感じる。

 

この気持ちと感覚は、ぼくに「宮沢賢治」のことを思い出させた。

『君たちはどう生きるか』の原作者である吉野源三郎が児童文学者であったように、宮沢賢治も童話作家でった。

潤一が化学・科学の世界に魅かれたように、宮沢賢治も、例えば、アインシュタインの相対性理論を学んでいたという。

その宮沢賢治が永眠についたのが1933年であったから、それからまもなくして、『君たちはどう生きるか』の原作が出版されている。

 

宮沢賢治は、<じぶんというもの(現象)>に、きわめて敏感な人であったことを、社会学者の見田宗介は著作(『宮沢賢治』岩波書店)の中で書いている。

宮沢賢治の研究者である天沢退二郎が、賢治の作品『小岩井農場』の分析の中で、賢治がもつ<雨のオブセッション(強迫観念)>を指摘ていることにふれながら、見田宗介は、<雨>のもつ両義性(「…くらくおそろしく、まことをたのしくあかるいのだ」)に、<自我>の両義性をみている。

<自我>がぼくたちを「守る」ためにくりだす「恐い気持ち・感覚」がある一方で、<自我>から解き放たれるときに感じる「たのしくあかるい」感覚があることを、ぼくたちは知っている。

潤一(コペル君)は、この<自我>の両義性を、あの銀座のデパートの屋上で経験することになる。

このような自我の本質にふれる機会をも、『君たちはどう生きるか』という作品は、ぼくたちに与えてくれている。

「生きる」ということにおける、さまざまな本質がいっぱいにちりばめられているのが、この作品だ。

この作品に限らず、児童文学の名作たちは、大人になったぼくに、ほんとうに多くのことを教えてくれる。

そして、「自分がこの世界に溶けていってしまいそうな経験たち」の記憶が、かすかに、ぼくの中でよみがえってくる気配を、ぼくは感じることになるのだ。
 

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『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)。- 生き方の指南ではなく、「どう生きるか」の問い。

『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一、マガジンハウス刊)は、1937年に発刊された名作を、漫画化した作品。...Read On.


『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一、マガジンハウス刊)は、1937年に発刊された名作を、漫画化した作品。

発売から2ヶ月強で、50万部ほどの売れ行きを見せているという。

主人公である本田潤一(コペル君)と叔父さんが、人生のテーマ(世界、人間、いじめ、貧困など)に真摯に向き合いながら、物語が展開していく作品だ。

ぼくは原作を読んだことがなく、この漫画をひもとくことで、この作品世界に初めて入っていくことになった。

漫画化された作品は、マンガと共に、手紙という形式の「文章」とのコラボレーションにより、立体的な作品世界をつくりだしている。


吉野源三郎が、タイトルを「君たちはどう生きるか」と質問型にしたことに、この作品における思想のひとつが顕現している。

近所に引越してきたおじさんに、コペル君は、学校で起きた出来事について相談をする場面がある。

おじさんは、次のように、コペル君に応答する。

 

つまり、そんなときどうすればいいのか……
おじさんに聞きたいってことかい?
そりゃあ、コペル君
決まってるじゃないか
自分で考えるんだ。

『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)マガジンハウス

 

生きる道ゆきで出会う本質的な出来事は、「答え」のない、出来事だ。

ただし、そこに「自分なりの答え」を見つけてゆくことに、おじさんはコペル君を導いてゆく。

そして、導きながら(一緒に考え、よりそいながら)、おじさんも人生の道をきりひらいていく。

コペル君とおじさんという<関係性>を見ながら、世代的に<横のつながり>で占められる現代の若者たちの姿が、ぼくの脳裏に浮かぶ。

コペル君が化学の「分子」を考えながら気づくように、世界は「つながっている」のだけれど、グローバル化する世界での現代的な関係性は逆に「狭い関係性」へと人を押しこめてしまうようなところがある。

 

名著たるゆえんが、言葉ひとつひとつ、あるいは物語の中に、いっぱいにひそんでいる。

潤一(コペル君)の亡き父が残した言葉は、ぼくの中でこだまする。

 

私は……
潤一に
立派になってほしいと思っています……
人間として立派なものに……

『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)マガジンハウス

 

現代であれば、「幸せになってほしい」と、願うのかもしれない。

幸せではなく、「人間として立派なもの」にという願いは、「幸せ」だけに狭まれない、より大きな空間であるように、ぼくには見える。

このように、物語を構成するひとつひとつの出来事に、多くの物語が詰まっている。

 

言葉の「使われ方」の前でも、ぼくは立ち止まる。

一昔前の作品だからか、言い回しは少し現代とは異なるところがある。

おじさんはコペル君宛の文章で、次のような箇所がある。

 

…それを味わうだけの、心の目、心の耳が開けなくてはならないんだ。

『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)マガジンハウス

 

「心の目、心の耳を開ける」ではなく、<心の目、心の耳が開ける>である。

ただ時代の言葉の違いかもしれないけれど、ぼくにとっては、この「を」と「が」の違いはとても大きいものだと感じられる。

名著は、いろいろな「読み方」ができる。

 

ベストセラーは、その作品の力であるとともに、ひとつの社会現象である。

今回は相当にこだわってきた企画が背後にあるようだが、社会現象ということにおいては、作品が読者を獲得するのではなく、読者たちが作品をつかみとるものだ。

硬質なタイトルである「君たちはどう生きるか」という言葉による問いが、読者たちの何に響いたのだろうかと、ぼくは考えてやまない。

この本は、無限にひろがってゆく<問い>を、ぼくたちの中に蒔く。

漫画と文章の素敵なコラボレーションの中でも、<吉野源三郎>が投げかける言葉と問いが、通奏低音のごとく作品にひびいている。

 君たちは、どう生きるのか、と。 

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野口晴哉から見田宗介へ。- 体癖論の「思想」への適用。自由と自立を求める身体の身体価。

整体の創始者である野口晴哉による「体癖論」(体の「偏り運動」の探求と実践)は、「人間の解放」ということを生涯のテーマとして追いつづけている見田宗介(社会学者)の関心を深いところでとらえ、「身体」という拠点から「人と社会を解き放つ」という、見田宗介の視力と方法を豊饒化してきた。...Read On.


整体の創始者である野口晴哉による「体癖論」(体の「偏り運動」の探求と実践)は、「人間の解放」ということを生涯のテーマとして追いつづけている見田宗介(社会学者)の関心を深いところでとらえ、「身体」という拠点から「人と社会を解き放つ」という、見田宗介の視力と方法を豊饒化してきた。

<身体的な現実性に根をはること>は、思想という、ともすれば「観念の操作の罠」(見田宗介)にはまってしまうことを回避する手段のひとつである。

見田宗介は、体癖論の「思想」への適用事例を書きながら、「思想の身体価」という論考を書いている。

この論考が、雑誌『思想』(岩波書店)で発表されたのは、もともと1989年である。

思想の言葉や観念がインフレをおこし、「操作の罠」におちいっていたときに、「思想」のリーディング雑誌のひとつであった『思想』誌に発表している。

 

「観念の操作の罠」ということは、ふつうに生活をしていた人たちと、決して無縁ではなかったのではないかと、ぼくは今では思う。

言葉や観念が、それらだけで語られ、身体的な現実性からまったくはなれていってしまうような世界である。

ぼくが1990年代において<言葉の身体性>をもとめて、例えばアジアを旅したりしていたことは、まったくの偶然ということではなかったのではないかと、ぼくは思うのだ。

そんなぼくも、2000年代初頭、修士論文を準備しながら、「自由」という言葉と観念の迷路にまよいこんでしまった。

途上国の経済発展や成長、貧困、南北問題、人的資本などを対象としながら「自由」を主題に修士論文を書くなかで、これら現実の圧倒的な問題が、ともすると、抽象的な観念の世界にはいりこみすぎてしまうところであった。

最終的に「論理」としては一貫した論文になったのだけれど、現実問題に即しきれない内容であった。

「自由」ということをさらにつきつけられたのは、ぼくがこの身体で、西アフリカのシエラレオネと東ティモールで、言葉につくせない現実に生きてゆくなかであったのだと、ぼくは思う。

 

この「自由」という言葉と、もうひとつ「自立」という言葉を事例に挙げながら、見田宗介は「思想の身体価」という文章を書いている。

見田宗介が出会った、ある集団で「スナドリネコさん」と「ぼのぼの」とよばれるようになった二つの身体類型(ここではそれぞれ、SとBと名づけられる)を事例にしている。

 

 Sは、野口晴哉の整体の体癖論では「9種1種」、つまり骨盤がしまっていて性欲旺盛でいつまでも若く、空想と観念の自己増殖力に富む身体であり、Bはほぼこれと対照的に、「10種3種」とよばれるのだが、骨盤が開いていて包容力があり、身体がやわらかく感情が豊富で食べることが好き(引出しの中はちらかっている)という身体である。この両者はたがいに魅かれ合うらしくカップルも多い。…SはBの先天的な「自由さ」に魅かれ、BはSの「自立性」に魅かれるのである。Bは容易に人に共感し、まきこまれて自己を失ってしまうので、「自立」や「自我の確率」や「主体性」という観念に憧れている。ところがSにとっては、「自立」とか「自我」とか「主体性」とかははじめから強すぎてあきあきしていて、Bのように自由に自在に世界にまきこまれ、自分を失ってしまう能力に魅かれてしまう。

見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店

 

見田宗介は、SとBという身体の二類型において、「自立」と「自由」ということを見ながら、自立と自由の対位を述べたあとに、次のように書いている。

 

 自由のないところに自立はないし自立のないところに自由などない。こういう命題は正しいのだが、このように抽象的に正しい結論を手に入れるみちで、最初の問題の身体的な現実性が、手放されている。漂白されている。観念の操作の罠だ。結論は到達点でなく、結論は出発点だ(結論からあとがたいへんなのだ)。…
 自由を求める身体と自立を求める身体は異質のものだ。自由と自立が、抽象的な観念として同義語に帰結するかもしれないとしても、二つの概念は、いわばその身体価を異にしている。…<自由>の身体価は遠心的であり、<自立>の身体価は求心的である。…

見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店

 

ぼくは「身体性」ということをひとつの手がかりに生きてきたことを、ふりかえりながら、「思想の身体価」のことを考える。

時代の言葉だけにかぎらず、ぼくたちは、ぼくたち個人が魅きつけられてやまない「言葉や観念」をもっていたりする。

それぞれの個人がおかれている環境や状況の影響をうけていることもあるとは思うのだけれど、そのもっと手前のところで、ぼくたちの身体という現実性がある。

世界は「データ」の時代に突入している。

良い悪いという一面性の話ではないが、それは、ある意味において、身体性から離れた「記号」の世界だ。

ぼくたちはこれからの時代、身体的な現実性をいっそう手放していくのか、あるいは身体的な現実性にねざしていくのか、それとも別の次元につきぬけていくのか。

ぼくの身体は、(おそらく見田宗介の身体もそうであるように)<自由>ということにあこがれながら、「人間の解放」という生涯のテーマを追い求めつづけている。
 

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

人間の「余剰エネルギー」のゆくえ、にかんする野口晴哉の考察。- これからますます大切になる視点。

野口晴哉の著作『体癖』(ちくま文庫)を読みながら、その中に収められている「体の自然とはなにか」という考察に、ぼくは目をとめる。...Read On.


野口晴哉の著作『体癖』(ちくま文庫)を読みながら、その中に収められている「体の自然とはなにか」という考察に、ぼくは目をとめる。

野口晴哉が書くように、人間が自然の動物であったということを痛感せざるを得なくなったのは、人間による生活技術が進歩して、生活のすみずみにまで浸透していることでもある。

人間だけが、環境に適応するだけでなく、環境を人間に適応させていく。

ぼくが窓の外に見るような船も自動車も、それからここ香港にひろがるエアコンの環境も、人間が生活技術を発達させてきたことによるものだ。

 

野口晴哉は、そのような近代・現代社会を生きながら、次のように問いを立てる。

 

…人間の生活エネルギーは、他動物に比べて著しく余剰を来たしたとて不思議ではない。
 その余剰エネルギーはどこにいくのだろう。他動物なら肉体の発達とか、体力の充実とかになるであろうが、すでに肉体労力を不要としている人間にあっては、肉体の発達の必要もない。

野口晴哉『体癖』ちくま文庫

 

「余剰エネルギー」はどこに行ってしまうのかと、野口晴哉は問いを立て、その問いへの考察をシンプルに論理をくみながらすすめる。

 

 動物の動くのは要求の現象である。人間においても同じであって、そのエネルギーは欲求となり欲求実現の行動に人間をかりたてる。…人間は後から後から生じる欲求を、実現せんものとあくせくし続ける。…しかし欲求実現のために他動物はその体を動かすのだが、人間生活の特徴はその大脳的行動にある。坐り込んで機械器具を使って、頭だけをせっせと使うのだから余剰運動エネルギーは、方向変えして感情となって鬱散するのは当然である。

野口晴哉『体癖』ちくま文庫

 

ぼくたちの「余剰運動エネルギー」は、ぼくたちの「大脳的行動」を回路とし、「方向変えして感情となって鬱散する」のだと、野口晴哉は当然のこととして語る。

 

…八十の老婆も火の如く罵り、髭の生えた紳士も侮辱されたと憤る。四十秒の赤信号が待ちきれないで運転手は黄色になるや否や飛び出す。足もとも見ないで遮二無二苛だっている姿は理性のもたらすものとはいえない。余剰エネルギーの圧縮、噴出といえよう。人間に安閑とした時のないのも、また止むを得ない。しかしこれとてエネルギー平衡のための自然のはたらきであって、他の動物はこれによって生の調和を得ているのである。人間はその余剰によって生活に混乱を来たしているのであるが、しかしこれもまた自然の良能である。人間もまた自然のはたらきによって生きているのである。

野口晴哉『体癖』ちくま文庫

 

「余剰によって生活に混乱を来たしている」状況は、だれしもが、経験していることである。

野口晴哉は、これも自然のはたらきであると、人間の地層のもっとも深いところにまで降りる視点で、人間の身体をみつめている。

 

現代におけるメディテーションやマインドフルネスなどへの注目、走ったり泳いだりの様々な運動によるエネルギーの燃焼などは、「余剰運動エネルギー」をリダイレクト(方向転換)させる方法である。

これからの時代がひらけてゆくなかで、野口晴哉が言うような「余剰エネルギー」の問題と課題は引き続き、ぼくたちが直面していくものだ。

生活技術のさらなる進展が予測される未来において、さらなる「余剰エネルギー」をぼくたちは、ぼくたちの内に宿していくことになる。

ぼくたちの身体は、多くの生命が共生している、ひとつの<エコシステム>である。

その<エコシステム>は、余剰エネルギーをかかえている。

それは、いわば、ぼくたちの身体における環境問題だ。

人工知能(AI)などがきりひらいていく未来において、ぼくたちは、この「余剰エネルギー」という内なる環境問題とむきあっていくことが求められる。

人間の体と真正面からむきあってきた野口晴哉の真摯な考察が教えてくれることは、これからますます大切になってくるように思われる。

人間はこれから「技術との融合」をどのように、どの程度していくのかはぼくにはわからないけれど、それでも、人間が生きることの「自然のはたらき」という地層はなくなることはないと(ゼロになることはないと)、(現時点では)考えるからだ。
 

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野口晴哉著『体癖』。- 野口晴哉という巨人の仕事に惹かれながら。

整体の創始者といわれる故野口晴哉(1911年、東京生まれ)のことをはじめて知ったのは、どこからであったか、今でははっきりと思い出せない。...Read On.


整体の創始者といわれる故野口晴哉(1911年、東京生まれ)のことをはじめて知ったのは、どこからであったか、今でははっきりと思い出せない。

見田宗介の著作群を一気に読んでいるときに、見田宗介がふれる「野口晴哉」を知ったのだろうと、おぼろげに思うのだけれど、ちくま文庫に文庫化されている野口晴哉のいくつかの著作を通じてかもしれない。

いずれにしろ、20歳を超えたあたりで、ぼくは野口晴哉のことを知った。

ちくま文庫から出されている野口晴哉の著作のひとつに『風邪の効用』というタイトルの本があり、ぼくはその本を読みながら、「視点の転回」を体験することになった。

それは、ぼくが唯一その著作の内容として覚えていることでもあるのだけれど、野口晴哉によると、「風邪」というのは<体の祭り>なのだということである(正確な言い回しはまったく覚えていないので、あくまでもぼくの解釈もはいりこんでいる)。

ぼくが生まれた静岡県浜松市は「浜松祭り」という祭りが毎年あり、ぼくは「祭りの効用」を身体でかんじとっていたから、風邪が<体の祭り>であるという考え方は、すんなりとぼくの中に収まったようだ。

風邪が「悪いもの」と思っていたから、必ずしもそうではないことを知って、ぼくの視点はひろがりをえることになった。

その視点は、真木悠介(=見田宗介)の名著『自我の起原』(岩波書店)を読んでいるときに(本と「格闘」しているときに)、ぼくたちの身体は<共生のエコシステム>なんだと知って、さらにぼくの中に、すとーんと落ちたものだ。

 

それから時をだいぶ経て、見田宗介の『定本 見田宗介著作集X:春風万里』に収録されている「野口晴哉」に関する論考を読んだときに、ぼくはすっかりと、野口晴哉の世界(また見田宗介による読解)に惹きこまれてしまった。

ぼくはこのとき、香港に居住をうつしていたけれど、日本から野口晴哉の著作をいくつかとりよせた。

その中の一冊に、野口晴哉『治療の書』(全生社)がある。

野口晴哉の「治療生活三十年の私の信念の書」である。

天才的な治療家であった野口晴哉は三十年の治療生活に専心した後に、治療を捨て「整体」を創始していくことになるが、この書は、治療三十年に終止符を打つ書であった。

ぼくは香港で人事労務コンサルティングの仕事をしていて、ちょうど「予防」的な施策に思考をめぐらせていたから、専門の垣根をこえて、ぼくは野口晴哉から学んだ。

今でも、『治療の書』は、圧倒的な存在感をもって、ぼくの横にある。

 

見田宗介の『定本 見田宗介著作集X:春風万里』の論考(講義録)で、野口晴哉を導きの糸に、美術画に描かれている人物の「身体」を読み解くという、きわめて興味深い話を展開している。

その身体の読み解きの「基礎」は、野口晴哉の「体癖論」である。

野口晴哉の著作の中に『体癖』(ちくま文庫)という著作がある。

それによると、体癖論は、個人の身体運動がそれぞれに固有の「偏り運動」に支えられていることを中心にそえる考え方だ。

その「偏り運動」は、固有の運動焦点の感受性が過敏であることから生まれるものだという。

「偏り」は体全体の動きに関わり、偏りがどのように連動しながら体全体の動きとなるかが焦点のひとつとなる。

そもそもなぜこの「体癖研究」を行なっていたのかということについて、野口晴哉は、次のように書いている。

 

 私は半身不随の人が火事でビックリして逃げ出したのを見たことがあります。人間は攻撃とか防御とかには全力を発揮しなければなりませんから、全力発揮のための特殊運動が行われるのは当然ですが、もっと日常的なことで、例えばある人はチップを貰えるかもしれないということから運動能力が発揮され、また別の人は探偵小説なら徹夜で読みつづけても辛くないというように、全力が発揮できる方向が各人それぞれにあるのです。こういう自発的な運動能力発揮の方向は、偶然生ずるのではなく、一定の習性があり、一連に連動する方向があるのです。各個人異なった自発的な一連の動きを解くために体癖研究を行なっているのであって、運動の研究に欲求とか感情とか闘志とか利害などを持ち出さねばならぬ理由もここにあるのです。

野口晴哉『体癖』ちくま文庫

 

「全力が発揮できる方向が各人それぞれにある」ということ(=自発的な運動能力発揮の方向)は、現代風に言い換えると「モチベーション」である。

モチベーションを、体癖から解いてゆくという仕事である。

「自発的な運動」ということについては、野口晴哉の、次のような言葉を引いておきたい。

 

 健康に至るにはどうしたらよいか。簡単である。全力を出しきって行動し、ぐっすり眠ることである。自発的に動かねば全力は出しきれない。

野口晴哉『体癖』ちくま文庫

 

体癖研究の対象とする「自発的な運動能力発揮」は、したがって、「健康に至る」仕方でもあるのだ。

全力を出しきって行動し、ぐっすり眠ること。

自発的に動くこと。

野口晴哉という巨人を前に、ぼくは姿勢を正しながら、ただ耳をかたむけ、「はい」と、心の中で威勢よく返事をするだけだ。
 

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

しつけや説教、大人の都合、デタッチメント。- 「生き方」をひらいてゆくことを考える端緒。

村上春樹は、1960年代の学園闘争の時に感じていた「表層的な言葉に対する不信感」を、今となっても感じていることを、作家の川上未映子と語る中で、ふれている。...Read On.

村上春樹は、1960年代の学園闘争の時に感じていた「表層的な言葉に対する不信感」を、今となっても感じていることを、作家の川上未映子と語る中で、ふれている(『みみずくは黄昏に飛びたつー川上未映子訊く/村上春樹語るー』新潮社)。

村上春樹が取ったのは、社会からの「デタッチメント」という仕方である。

それが1990年代頃から「コミットメント」へと姿勢が変わってきたことを、当時は心理療法家の河合隼雄と語り、そして川上未映子との会話の中でもふれている。

 

同時代に、社会学者の見田宗介も、異なる側面からであるけれど、「ことば」の問題に直面していた。

見田宗介は1970年代、言葉によっても、暴力によっても、世界が変わっていかない社会の只中で、「人間は変わることができるか」という問いをきりひらく方向性を次のようにつかんでいた。

 

…そのころまでに、わたしたちのつかんでいた方向は、こういうことだった。言葉ではない、暴力ではない、<生き方の魅力性>によって、人びとを解き放つこと、世界を解き放ってゆくのだということだった。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X』岩波書店

 

その「具体的な方法」のひとつが、身体技法であった。

整体の創始者としてしられる野口晴哉の著作との出会いにより、見田宗介は「爽快な視力」を獲得していったものと、思われる。

1970年代は、見田宗介(真木悠介)にとって、<生き方の魅力性>ということを軸に、社会学という仕事の上でも「大きな転回」のときであった。

見田宗介は「野口晴哉の見方」もとりあげながら、1985年に、「都会の猫の生きる道ー教育という視点の彼方」という文章を論壇時評として書いている。

 

 ニューヨークでネコを飼うときは、去勢するのが普通だという。そのことを「ネコのためだ」という人がいて、背筋が寒くなったことがある。ネコの去勢をアメリカ人はフィックス(fix)というが、これは日本語の「しつける」という語感を思わせる。
 人間の身体というものを知りつくしていた野口晴哉の観察によれば、わたしたちが普通、子どもや赤ん坊のためにするのだと思い込んでいる育児法とか「しつけ」の仕方の多くの部分は、大人の都合にすぎないという。人間の都合でネコを去勢する都会の市民たちとおなじに、わたしたちはそれを自分で「愛情」と錯覚している。

見田宗介「都会の猫の生きる道ー教育という視点の彼方」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

ぼくが「感覚」でしか感じられてこなかったことにたいして、野口晴哉や見田宗介は、言葉を与えてくれる。

子どもたちは、どこか感覚で、「しつけ」や「説教」の多くにたいし、「大人の都合」を敏感に感じとっていたのだと思うし、それは今でも基本的にあまり変わっていないように思う。

そのような環境の中で、子どもたちの中には、ますます家庭や社会からの「デタッチメント」を生きていかざるをえないような方向に、舵をとってしまうものもいる。

大人も子どもも、どの方向に、生き方をきりひらいていくのかが、やはり問われる。

 

日本では「生き方」にかんする本を手にとる人たちがでてきているときく。

吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937年)の漫画化された本が、わずか2ヶ月ほどで50万部も売れたという。

先月、宮崎駿も新作の題名を、吉野源三郎の小説からとった「君たちはどう生きるか」となると明らかにしたというニュースが流れた。

「しつけ」や「説教」などに疲れ果てた世代たちが、「説教めいた本」を意識的にあるいは無意識的に避けながら、しかし<漫画という入り口>には関心をむけて、心の奥では気になっている「生き方」へと向き合っているように、ぼくには見える。

「どう生きるか」は、ぼくたちが避けても避けても、向こうの方から、幾度もやってくる問いである。

試験のような「答え」がない問いである。

それでも、問いにたいし、「まっすぐに」語られるときがくるとよいと、ぼくは思う。

説教でなく、見田宗介たちがつかんだように、<生き方の魅力性>にひらかれながら。

その方向性に、「大人の都合」はその姿を変えてゆくのかもしれない。

アニメーション映画の最後に、かけられていた魔法が解かれてゆくように。
 

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<言説の鮮度>(見田宗介)ということ。- 「足が早い」言葉たちを生きる。

ここのところ「言葉というもの」を見てきているけれど、<言説/言葉の鮮度>ということにもふれておきたい。...Read On.


ここのところ「言葉というもの」を見てきているけれど、<言説/言葉の鮮度>ということにもふれておきたい。

2000年前後に、ぼくが「言葉というもの」を取り戻そうともがいていたときに、見田宗介(社会学者)の書く言葉たちと向き合いながら、ぼくが学んだことのひとつである。

 

見田宗介は、1986年の論壇時評で、「教育のことばの困難」に向き合いながら、「言説の鮮度について」という、ぼくたちの目を見開かせるような文章を書いている。

雑誌に掲載されている「教育」に関する記事や特集における、教育の記録や報告にふれながら、見田宗介は次のように、言葉や関係性の本質にきりこんでゆく。

 

「子どもってほんとにすばらしい」「先生ありがとう!」といった、ことばだけをとりだしてみると「気恥ずかしくなる」ようなことばも、このような記録の中では生きている。これらのことばは、それが思わず生みおとされるその固有の場所の中では、それぞれに一回かぎりの、真実のことばなのである(そうでないことももちろんあるが、そうであることも一生に一度はあるのだ)。同時にこのような鮮度の高いことばは、言葉がその中で生きている<関係の海>の中から言葉として釣り上げられるとき、たとえば「子どもはすばらしいのです」という観念の一般性として抽出され、流通するとき、それは「教育くさい」言説として、あのわたしたちをへきえきさせる特有のにおいを発散しはじめる。魚が魚でなくなる時に「魚くさく」なることとおなじに。

見田宗介「言説の鮮度について」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

副題を「教育のことばの困難」とし、見田宗介自身が語るように、教育では子どもたちのためによかれと思って、「命」とか「輝く」とか「信じる」という言葉を説教としてならべながら、しかし逆に「シラケルことしかできない世代」をふやしてきたように、当時、ぼくは感じたのである。

 

 教育にかぎったことではないが、教育の現場でことばが輝いたり踊ったりするというとき、その輝きや躍動は、その時その場に立ち会った子どもたち、大人たちの中でだけ新鮮に生きつづけられる。それが他人に伝えられ、後世に残されようとするとき、苛酷な変質を開始するのだ。大事なことばだからしまっておいた方がいいのだよ、とでもいうように。
 子どもをめぐることばは愛のことばとおなじに、とりわけ足が早いのだ。

見田宗介「言説の鮮度について」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

ぼくは、見田宗介のこの言葉たちに出会ってから、<言葉の鮮度>というものへの視点を獲得し、それから<関係の海>そのものへの関心をふかめていった。

言葉が生きてこないのは、<関係の海>そのものが「死海」となってしまっていることもあるからだ。

関係の実質がない<海>からは生きる言葉は生みおとされないし、また<関係の海>が豊饒であればあるほどに、言葉さえも超えてしまうような「more than words」の世界が現出することもある。

 

「生きる」という言葉は、西アフリカのシエラレオネや東ティモールにおける<関係の海>の中では、ほんとうに切実な言葉として立ち上がってくるような言葉であった。

紛争を生きぬいてきた人たち、紛争をのがれてきた人たち、身近な人たちをうしなってきた人たち、日々を精いっぱいに今も生きる人たち、きびしいなかでも笑顔でいる人たち。

そのような<関係の海>の中で、思わずにはいられなかった。

「生きる」ことだけでも奇跡であること、を。

でも、それだけではなくて、「生ききる」ということの重力に引かれながら、ぼくは一歩でも前に足をすすめる。
 

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香港で、レストランの予約対応における「差」に学ぶ。- 会話の「もう一歩」。

香港では、中堅くらい以上のレストランの多くは、「予約型」である。人数に限らず、2名であっても、予約が必要であったりする。...Read On.


香港では、中堅くらい以上のレストランの多くは、「予約型」である。

人数に限らず、2名であっても、予約が必要であったりする。

香港に住むようになった当初は、この「予約」のシステムになかなか慣れなかった。

ちなみに日系の飲食店などはいろいろ柔軟にシステムをつくりあげているようだ。

香港における「予約型システム」と「会計を席上ですること」には、香港で暮らしていく上で慣れておく必要がある。

ぼくは今でも、完全に慣れたわけではないけれど、必要なときにはもちろん予約する。

そんなこんなで、今回も予約をしようと、携帯電話で電話をすることにした。

そのときの「電話対応」の話である。

電話対応における少しの差が、(ぼくへの)影響として大きな差になったことの話だ。

 

香港のあるホテル内にあるレストランを予約しようと、ぼくは電話をかける。

電話先は、この場合、レストランではなくホテルのカスタマーサービスだ。

電話取りは素早く、英語が先に来て、広東語が続く。

ぼくは英語で、「明日のディナーの席予約をお願いしたいのですが」と伝える。

即座に英語で、「すみません、席は予約で満席です」と返答をいただく。

「そうですか、ありがとうございます」とぼくは伝えて、お互いに電話をきる。

とても手際よく、コミュニケーションがなされる。

明るく自然で、別に悪い気はしない。

 

翌日、キャンセルがあるかもしれないと、ぼくは念のため、もう一度電話をかけてみることにした。

再度、素早い対応により、女性の声で、英語に続き、広東語が話される。

前回の方とは異なる人のようだ。

ぼくは前回と同じように、英語で、用件を伝える。

また同じように、即座に、「席が予約でいっぱいである」旨がぼくに伝えられることになる。

そこまではほぼ同じだったのだけれど、その後に、こんな内容がぼくに伝えられたのだ。

「先着順で外のテーブルについていただくことができますので、是非お越しください」と。

それから、外のテーブルが6テーブルあることも聞くことができた。

 

どちらも対応いただいた感じはよかったのだけれど、「先着順で…」の付け足しに、ぼくは心が動かされた。

それは次のように心を動かされたのである。

  1. 印象がまったく異なること
  2. 「行こうかな」と思うこと
  3. 行けなくても、次回やはり行こうと思うこと

第一に、やはり、印象がまったく違ったこと。

予約テーブルではないテーブルの存在を知ることと同時に、歓迎されているように感じたのだ。

それはぼくの側の視点から言葉を付け加えてくれたからでもある。

そうだからこそ、第二に、「行こうかな」と思うのである。

今回は、結局ぼくは行かなかったのだけれど、今回行かなくても「次回やはり行こうかな」と思う。

たった一文が付け加えられただけで、印象と風景ががらっと変わってしまったのだ。

後で考えてみると、「当たり前」のことを伝えられただけなのだろうけれど、その「当たり前」は全員ができるものではない。

むしろ少数派であるように思う。

また、香港でのぼくの経験に限って言えば、満席の場合は、「満席です」で通常は会話が終わってしまうことを思い起こすと、そこからの「一歩」は大きい。

30秒(x 2回)くらいの会話だったけれど、いい体験と学びの時間であった。

 

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「大学で学んでおくこと」の5つのこと。- 「18歳の僕」に未来からアドバイスするとしたら。

コメディアンの萩本欽一が73歳で大学に入学し、学び直しをしながら「素敵な言葉」を探しつづけているという話を読んで、「大学で学ぶこと」ということを考える。...Read On.

コメディアンの萩本欽一が73歳で大学に入学し、学び直しをしながら「素敵な言葉」を探しつづけているという話を読んで、「大学で学ぶこと」ということを考える。

今は「大学で学ぶこと」が後の人生で必ずしも有利というわけではない時代に入ったから、「大学で学ぶこと」というトピックの立て方がよいのかどうかは定かではない。

コンテンツであれば、スマートフォンをひらけば、世界の「大学の講義」にアクセスできるし、大学の講義に限らず学びのプラットフォームはインターネットの世界にはてしなくひろがっている。

参考文献も、電子書籍でその場で手にいれることもできるし、「読み放題」的なサービスを利用してさまざまな書籍を読んでいくこともできる。

体験が必要とあれば、さまざまなイベントなどに参加もできる。

だから、資格系の学部などを除いて、「大学で学ぶこと」はオプションのひとつにすぎなくなってきている。

見方を変えれば、「生き方の幅」はひろがってきているし、学びの機会やプラットフォームも確実にふえてきている。

 

現実にはしかし、先進諸国や先進地域では大学に行く人は多く、「あえて大学に行かない」というオプションはまだとりにくいのが現状のようだ。

だから、「大学で学ぶこと」について書くことは、少しでも役に立つかもしれない。

ここでは、「大学で学んでおくこと」として「5つのこと」を挙げる。

でも、実は必ずしも「大学という場」に限ることではないのだけれど、それでも、ぼくは大学に入る年代の「自分自身」に向けて、未来から語りかけるように書こうと思う。

 

(1)学ぶことの「歓び」を経験すること

第一に、学ぶことの「歓び」を経験することである。経験は学びである。

「何かのため」という学びの効用はとても大切だけれども、学びの効用からはずれて、学ぶこと自体の「歓び(joy)」をどこかでつかんでおきたい。

それは「好奇心」によって導かれ、また「好奇心」をひらいてゆくような歓びである。

 

(2)学びにより「世界の見え方が変わる」経験をすること

「世界の見え方が変わる」経験をすることが、二つ目である。

ぼくは、経済学者の内田義彦の著作を読んで、このことがどのようなことであるのかを学んだことを覚えている。

情報の断片ではなく、概念・コンセプトや理論などの、いわゆる「メガネ」をかけてみることで、これまで見ていた「世界」がまるで違ったように見えてくる。

この経験の深さを、まずは一回でも体験すること。

このことは、一つ目の「歓び」を深めることであり、また、次の三つ目ともつながってくる。

 

(3)「論理」(考えること)を学ぶこと

概念や理論は「論理(ロジック)」で構築されている。

論理とは、ひとつの見方としては「物事を切り分けてゆくこと」である。

それは別の言い方では、「考えること」である。

論理(ロジック)は、論文などの文章を書くためにも必要になる。

論理を徹底的に学び習得することで、概念や理論をより理解し、本の読み方も変わってくるようになる。

 

(4)「学び方」を学ぶこと

それから、「学び方」を学ぶことは大切である。

大学に限らず、生きてゆく生涯が「学びの場」である。

その基本スキルとして、やはり「学び方」を知っておくこと。

 

(5)社会では「正解」はないこと

最後に、社会では「正解」はないことを知っていくことの契機を得ていくこと。

大学受験までは「正解を答えること(選ぶこと)」が主要であるけれど、社会には試験のような「正解」はない。

「正解・不正解」の世界ではなく、例えばビジネスなど、方法・手段は無限にある。

頭の使い方がまったく変わらなければいけないのだが、変わることの移行期として、大学の場を活用することである。

 

以上、もう一度、並べると次のようになる。

(1)学ぶことの「歓び」を経験すること
(2)学びにより「世界の見え方が変わる」経験をすること
(3)「論理」(考えること)を学ぶこと
(4)「学び方」を学ぶこと
(5)社会では「正解」はないこと

ぼくは、18歳の自分にたいして、この5つのことをアドバイスする。

もちろん、<学びの場>は、大学という中だけでなく、アルバイトや社会活動や旅やその他諸々において、いっぱいにひろがっている。

しかし、せっかく「大学という場」にいるのだから、これら5つのことを学んでおきたい。

大学を出て、20年以上になるけれど、ぼくはまだ毎日毎日が学び直しの日々である。

昨日は「数学の本」(正確には数学の思想史的な本)をひもといたところ。

そのような学び直しの日々の中で、これら5つのことが、逆に浮かび上がってきたようなところなのだ。
 

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短編動画『Why 'Happiness' is a useless word - and an alternative』(The School of Life)。- 幸福論の「二つの系譜」。

「Eudaimonia」。古代ギリシアの言葉で、「Happiness」に代わるものとして、「The School of Life」の短編の動画作品『Why 'Happiness' is a useless word - and an alternative』で提示されている言葉だ。...Read On.

「Eudaimonia」

これは古代ギリシアの言葉であり、いわゆる「Happiness」に代わるものとして、「The School of Life」の短編(3分28秒)の動画作品『Why 'Happiness' is a useless word - and an alternative』で提示されている言葉だ。

この言葉は古代ギリシアにおいて、特にプラトンとアリストテレスが語っていたものとされる。

一般的に使われる人生の目的や様々な論の前提には「Happiness(幸福)」や「幸福の追求」があるのだけれど、その欠点を補うもの・代替されるものとして、「Eudaimonia」があるという。

この「翻訳語」としては、何があてられるか?

この言葉にはいろいろな「訳」があてられてきたけれど、The School of LifeのAlain de Bottonは、ベストな訳として「fulfilment」(充実)をあてている。

そして、HappinessとFulfilmentを区別するのは「痛み(pain)」だと語る。

前者がむずかしいのは、ぼくたちの生きることの日々は、ハッピーであったり、ハッピーでなかったりと上下がはげしいのだ。

ただし、後者の「Eudaimonia (fulfilment、充実)」は、そのような「上下」をひっくるめて語ることができる。

仕事でプロフェッショナルな才能を適切に模索してゆくこと、家事をこなしてゆくこと、人間関係を維持してゆくこと、新しいビジネスを起こすことなど、これらのどれも、日々においてぼくたちをいつも陽気にしてくれるようなものではないことを、Alain de Bottonは語る。

むしろ、それらはチャレンジであり、ぼくたちはときに疲労困憊し、ぼくたちをきずつけることだってある。

でも、それでも、終わりから振り返ってみれば、それらひとつひとつに価値があったことを思うのが、人というものである。

 

Eudaimoniaを心にしまうことで、痛みのない存在を目標にするということ、それから機嫌が悪いことにたいして私たち自身を不公平に非難するということを想像することを、私たちはやめることができるのです。

The School of Life『Why 'Happiness' is a useless word - and an alternative』(YouTube)(※日本語訳はブログ著者)

 

社会学者の見田宗介は、初期の著作(修士論文)である『価値意識の理論』(弘文堂)において、「幸福論の二つの系譜」を記している。

幸福論の二つの系譜とは、次の二つである。

  1. 欲求の満足としての幸福
  2. 活動にともなう充実感としての幸福

The School of LifeのAlain de Bottonが語る用語にあわせていけば、次のように記しておくことができる。

  1. 欲求の満足としての幸福:Happiness
  2. 活動にともなう充実感としての幸福:Eudaimonia (fulfilment)

現在の社会科学の理論や評価や指標の多くは、いまだに前者の「欲求の満足」をその前提としている。

経済学の諸流派もそうであるのだけれど、しかし経済学者アマルティア・センの「潜在能力アプローチ」という評価指標(「生き方の幅」を評価)は、経済成長指標を捕捉・代替するものとして提示され、実際に国連開発計画(UNDP)で使用されてきたのである。

センの理論は、実は、前述のアリストテレスに源流をもっている。

アリストテレスは、『二コマコス倫理学』の中で、「幸福は活動である」と述べており、センはその思想をひきつぎながら「潜在能力アプローチ」という強力な理論をつくりだしたのだ。

見田宗介も、アリストテレスを筆頭に、思想家たちの言葉を引用している。

 

 アリストテレスは「幸福は活動である」といい、モンテーニュは「われわれが知っているすべての快楽はそれを追求すること自身が快楽である」とのべ、またパスカルは「なぜ人は、獲物よりも狩を好むか?」と問いかけている。スピノザもまた、「幸福は目標そのものなのでなく、能力の増大という経験に付随するもの」であるとしている。ラッセルやデューイをはじめ、幸福や人生の目的について考えた多くの哲学者や作家や詩人は、それが行為のかなたにではなく、行為の過程それじたいのうちに内在することを指摘している。

見田宗介『価値意識の理論』(弘文堂、1966年)

 

それでも、歴史は、人びとの多くが「欲求としての満足=Happiness」を目的としてきたことを語る。

それはなぜだろうかという問いが当然のことながらわきあがる。

説明や仮説や理由はいろいろに考えられるけれど、「欲求としての満足」の中毒性と共に、近代という時代の「合理化」という原理に接合しやすいものであったのだと、ぼくは思う。

その近代という時代が次の時代に向かう大きな転換点において、幸福の二つの系譜の内の「充実感としての幸福」に再び光があたりはじめている。

この「充実感としての幸福」の中に、ぼくの目指すところの、人びとの目の輝きに彩られる生が現出する。
 

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