<透明>と<豊饒>とは対立するのか?- 社会学者・見田宗介の思考にそいながら。
「森のイスキア」を主宰していた佐藤初女は、かつて、<透明であること>を生き方としていた。
「森のイスキア」を主宰していた佐藤初女は、かつて、<透明であること>を生き方としていた(ブログ:<透明>にみちびかれていく生。- 佐藤初女(「森のイスキア」主宰)の生き方にふれて)。
佐藤初女の書くものを読みながら、ぼくは、社会学者の見田宗介が1980年代に行った対談の「あとがき」として書いた文章、「<透明>と<豊饒>について」を思い起こしていた。
そこで、見田宗介は、自身としては<透明>にあこがれるのも、<豊饒>に魅かれるにもあるとしながら、そもそも<透明>とは、<豊饒>とは何だろうかと問い、これらが思想の二つの体質のようなものとして対立するものであるかどうかを考えている。
ぼくはもう一度、この対談と「あとがき」を読み返し、そこで展開されるかんがえ方と論理の明晰さに、圧倒される。
この文章は、小阪修平との対談(『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社)の後に、小阪修平による見田宗介の著作『現代社会の村立構造』(筑摩書房、1977年)への批判への議論として「あとがき」に書かれている。
小阪修平はヘーゲル哲学を下敷きとしながら、「外化ー内化」の論理が、世界を透明化することで豊饒をきりつめる論理ではないかとしてふれたことにたいする応答である。
見田宗介は、ヘーゲルからサルトルにまで至る近代西洋哲学の論理をおさえながら、その論理をひとつひとつ解きほぐしながら、また透明と豊饒という絡まった糸も解いていく。
ここではその詳細には立ち入らないけれども、解きほぐされていく論理と、その論理に「出口」が見いだされる仕方は、鮮やかである。
ひととおり、近代的自我の「論理」を追ったあとで、見田宗介はふたたび、<透明>であること、<豊饒>であること、をかんがえている。
サルトルにとって、つまり、透徹した近代的自我の哲学にとって、自己だけが自己にたいして「透明」であった。けれどほんとうに、自己は自己にたいして透明か?あるいはほんとうに、他者は自己にたいして不透明か?あるひとにとって、「自己」もまた不透明であると観じられ、また感じられる。あるひとにとって、「他者」もまた透明であると観じられ、また感じられる。
<透明>とは対象や世界に固有する属性ではなく、ひとつの主体に、対象や世界がたち現われてくる、たち現われ方のひとつの様相である。あるいは主体が、ある対象や世界に向って開かれている、その開かれ方のひとつの様相である。<豊饒>もまた同様である。
見田宗介「<透明>と<豊饒>について」『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社(見田宗介『定本 見田宗介著作集X』所収)
佐藤初女が<透明であること>を生きるとき、対象と世界は、透明にまた豊饒に、立ち現われていたのだと、ぼくは思う。
対象と世界が透明にまた豊饒に立ち現われるのは、佐藤初女がそれらに向って開かれているからである。
佐藤初女は「生物多様性」へ視線を向けながら、対象や世界の豊饒さにも開かれている。
佐藤初女が<透明であること>を生きるとき、透明と豊饒がともに現われるようなところに、佐藤初女の生をみちびいていったのだと、ぼくは彼女の語りに耳をすましながら、思う。
<透明>にみちびかれていく生。- 佐藤初女(「森のイスキア」主宰)の生き方にふれて。
悩みを抱えた人たちを手料理でもてなす場、「森のイスキア」を主宰し、2016年に94歳で他界した佐藤初女(さとうはつめ)。
悩みを抱えた人たちを手料理でもてなす場、「森のイスキア」を主宰し、2016年に94歳で他界した佐藤初女(さとうはつめ)。
訪れた人たちが、食事がおいしいと感じるなかで、胸につかえているものもはきだし、「答え」を見出しながら元気になっていったという。
佐藤初女の著作『限りなく透明に凛として生きる』(ダイヤモンド社)の書名にあるように、彼女が追い求め、生きることのイメージとしてもちつづけてきたのが、「透明である」ということである。
「森のイスキア」の外にひろがる葉が透明に光るように、佐藤初女も<透明>になって生きたいと思ってきたという。
なぜ<透明であること>が大切かということについて、佐藤初女は次のように書いている。
…透明でなければ“真実”が見出せないからです。
自分が透明になって物事を見ていると、真実が見えてくる。濁っていると、真実が見えず、迷って事が解決しないのです。…
だからこそ、ただ生活して生きていくのではなく、自分も素直になって透き通って見えるような生活をしたい。…
佐藤初女『限りなく透明に凛として生きる』ダイヤモンド社、2015年
佐藤初女にとって<透明であること>は、彼女が書いているとおり、まずもって、じぶん自身が透明であることである。
じぶんが透明であることによって、他者をうけいれ、他者にひらかれる。
佐藤初女はそのようにして、<透明であること>を追い求め、生きてきた。
「透明」という言葉は、もともと、料理をしているときに出てきたという。
緑の野菜をお湯の中でゆがくとき、これまでの緑よりもいっそう鮮やかな緑に輝く瞬間があります。この一瞬を逃さず野菜をお湯から引き上げて冷やして食べると、おいしい。
野菜のいのちがわたしたちの体に入り、生涯一緒に生き続ける、これを“いのちのうつしかえ”と呼んでいますが、このとき野菜の茎を切ってみると透明になっている。
佐藤初女『限りなく透明に凛として生きる』ダイヤモンド社、2015年
この描写はとても鮮烈だ。
この「野菜のいのち」を視ることのできる視力は、佐藤初女自身が<透明であること>ではじめて手に入れることのできる視力である。
佐藤初女は「すべての食材にいのちがある」と考えているが、いのちを「奪う」ものとしての人間という視座をとらず、(食材の)<いのちを生かす>方向へと視座を転回している。
「食べること」が食物連鎖という世界でのいのちの奪い合いではなく、いのちの生かし合いというように乗り越えていこうとした宮沢賢治を、ぼくは思い起こす。
「野菜のいのち」の透明さということを、ぼくは幼稚園のときに、この身体で感じたことを、その感覚として今でも覚えている。
幼稚園の菜園で育った「きゅうり」を収穫し、その場で輪切りにして、少しの塩をつけて食べる。
その「おいしさ」が、今でも、ぼくのおいしさの感覚の<基準>のようなものとして、この身体に生きている。
それは、佐藤初女にとってみれば、<いのちのうつしかえ>ということだと、ぼくは自身の体験をそこに重ね合わせる。
心理学者・心理療法家であった河合隼雄が「森のイスキア」に宿泊したときの話が、この著書には出てくる。
河合隼雄は部屋の中をぶらぶらと歩き、何だろうなと言いつつ、ふと、「信仰かな…そこがふつうのところと違う」と言ったという。
佐藤初女にとってキリスト教への信仰は生きる指針であり、河合隼雄の発言をうれしく思ったことが書かれている。
しかし、佐藤初女の<透明な生き方>をつやぬいているものは、いわゆる制度的な「宗教」というものを深いところで超えていくような、まるで古代の人たちが太陽に向かって自然と手を合わせてしまうような、そのような原的な<信仰>であるように、ぼくには見える。
その<信仰>は、人だけではなく、自然を含めたいのちというものへの畏怖と信頼に支えられている。
<物語>としての自己(鷲田清一)を基盤にして。- 「語りなおすこと」への繊細なまなざし。
哲学者の鷲田清一は、東日本の大震災から一年が経とうというときに、著書『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)を書き、危機や痛みに直面したときの「語りなおし」ということを語っている。
哲学者の鷲田清一は、東日本の大震災から一年が経とうというときに、著書『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)を書き、危機や痛みに直面したときの「語りなおし」ということを語っている。
そのように語ることの、ひとつの出発点は、<物語>としての自己のあり方である。
わたしたちは誰しもが、わたしはこういう人間だという、じぶんで納得できるストーリーでみずからを組み立てています。精神科医のR・D・レインが言ったように、アイデンティティとは、じぶんがじぶんに語って聞かせるストーリーのことです。
人生というのは、ストーリーとしてのアイデンティティをじぶんに向けてたえず語りつづけ、語りなおしていくプロセスだと言える。
鷲田清一『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)
生きていくなかで、これまでじぶんに語りつづけてきたストーリーが崩壊していくような契機に、ぼくたちは出会う。
阪神大震災や東日本の大震災などの天災、大切な人をなくしてしまうこと、病気になることなど、「危機と痛み」の直面する。
その都度、人は、じぶんのストーリーを語りなおしていく。
…事実をすぐには受け入れられずにもがきながらも、…深いダメージとしてのその事実を組み込んだじぶんについての語りを、悪戦苦闘しながら模索して、語りなおしへとなんとか着地する。…言ってみれば、<わたし>の初期設定を換える、あるいは、人生のフォーマットを書き換えるということです。
鷲田清一『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)
鷲田清一は、<わたし>という「物語の核心(コア)」をなすものとして、次のものを挙げている。
- 出自(じぶんは誰の子か)
- 性
これらのコアに、さらに3つのことを加えている。
● じぶんにとって大事な人
● 家
● 職
震災などでは、これらのいずれか、あるいは複数を喪失しているなかで、じぶんの「物語」を語りなおしていかなければならない。
このような認識を基盤にして、鷲田清一は、それらが現場でどのようになされるのか/なされるべきなのかを、繊細な言葉で、丁寧に語っている。
ぼくは大学時代に、鷲田清一の著書『「聴く」ことの力ー臨床哲学試論』を読んだことがある。
詳細は覚えていないけれど、ただ「聴く」ということについて、とても繊細な見方があるのだと、ぼくは本の語りの息づかいに耳をすませていた。
『語りきれないことー危機と痛みの哲学』のなかでも、「聴く」ことへのまなざしが生きていて、そのことの方法と困難さにふれられている。
語る声と聴く耳。
フランスの思想家ミシェル・フーコーは、「声と耳」に「権力」の構図をあきらかにしたけれど、ここでの<声と耳>は、じぶんと他者が存在を分かちあうようなものとして書かれている。
しかし、鷲田清一が書いているように、言葉が交わされる場とその関係性はとても繊細なものであり、また「分かる」ということは「他者の心持ちを知りつくせないことを思い知ること」(鷲田清一)でもあるのであろう。
はたして、他者の「語りなおし」に、この繊細さをもって寄りそうことができているだろうか。
「正しさ」と「成長」の捉え直し。- 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』を加藤典洋が読みときながら。
「シン・ゴジラ」から晩年の大江健三郎にいたるまで、「敗者の想像力」という視点で読み解くという、批評家の加藤典洋の試み(『敗者の想像力』集英社新書、2017年)に圧倒される。
「シン・ゴジラ」から晩年の大江健三郎にいたるまで、「敗者の想像力」という視点で読み解くという、批評家の加藤典洋の試み(『敗者の想像力』集英社新書、2017年)に圧倒される。
主題については本の全体にゆずるところではあるけれど、宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』を題材にとっても、その視点を通過させて、宮崎駿のアニメが魅力的であることの本質をひろおうとしている。
論考をすすめるうえで加藤典洋が対置しているのは「ディズニー」のアニメである。
ディズニーのアニメは、物語として、あきらかな悪や不正に対峙する「正義・正しさ」の物語が展開されるものであり、またそれは、「子どもが大人になるという成長」の物語である。
加藤典洋は、このような成長の物語を「大人から見られた成長」(前掲書)であるとしている。
そこでは「成長」が急かされ、子どもから見れば「抑圧」ともなってしまうような成長観にうらうちされた近代的な成長の物語の型があるという。
宮崎駿の映画『千と千尋』はどうだろうか。
宮崎駿が養老孟司との対談で語っている箇所に、加藤はふれている。
…この映画のきっかけは、たまたま、10歳くらいの子ども達がいるのを目にしたことである。このとき、自分は、彼らに対し、いま、何が語れるだろうか、と考えた。最後に正義が勝つ、なんて物語を語ろうなどという気にはさらさらなれなかった。そうではなく、「とにかくどんなことが起こっても、これだけはぼくは本当だと思う、ということ」、それを語ってみたい…。
加藤典洋『敗者の想像力』集英社新書、2017年
『千と千尋』ではよく取り上げられるように、トンネルをくぐって異世界にいくときも、また両親をすくいだしてからトンネルを抜けてもどってくるときも、千尋は心細そうに母親の手にすがりついている。
「成長」は目に見える形では見られない。
これがわかりやすいプロットであれば、戻ってくるトンネルでは、自信をもった千尋がいたのかもしれない。
そこには、正義が最後に勝つような物語はない。
加藤典洋は「限られた条件のなかでも人は成長できる」という視点を導入しながら、世界の不正を是正するというところまではいかなくても、何をしても無駄ということはないし、何もしなくてもよいということではないとしながら、その限られた条件のなかでも、人は成長して、「正しい」ことをつくり出していくことができると、論を展開していく。
そのうえで、「正しさ」とはなんだろうか、と自問して、応えている。
…それは、人が生きる場面のなかから、その都度、「これしかない」というようにして掴み取られ、手本なしに生きることを通じて、つくり出されるものなのではないか。強い立場の人びとの「正義」の物語をお手本にするよりも、新たに自分たちの「正しさ」を模索することのうちに、「正しさ」の基礎はあるのではないか。また、そのことのうちに、本当の成長も兆すのではないか。…
加藤典洋『敗者の想像力』集英社新書、2017年
このような物語は、勝者の物語であるディズニー式の「成長」物語とは異質であることとして加藤は対置しながら、その可能性の芽をたしかめている。
何か「正義」の図式があって、その物語にそって「正義」の剣をふるのではなく、人が生きていくなかで、新たな「正しさ」を模索していくこと。
そして、そのような生の内に、本当の成長の芽がひらいていくこと。
加藤自身が言うように、このような模索は、生きる場面においてその都度なされる。
それは幾度も幾度もやってくる場面であり、トンネルをくぐりぬけて、また戻ってきたときに、別人のように成長したというものではないはずだ。
しかし、成長していない、ということでもない。
子どもたちの(そして大人たちの)内面の世界では成長が兆していると視ることのできる眼をもつことができているかが、問われている。
生の道ゆきで出会われるものや他者への深い共感に支えられて。- 石牟礼道子、真木悠介、河合隼雄の文章との対話から。
いつの頃からだったか、生きていくなかで、「死」というものを、じぶんの近くにかんじるようになった。
いつの頃からだったか、生きていくなかで、「死」というものを、じぶんの近くにかんじるようになった。
小さい頃から猫や犬たちと暮らす中で、彼女/彼らの死に幾度も立ちあうなかで、ぼくの小さな感性が感じ取っていったものかもしれない。
そのような感覚が心の奥深くにつみかさなっていて、忘れているときも多くあるのだけれど、いろいろな場で表層にわきあがってくる。
現実のなかで、人の死に直面したり、死がまぢかであるような環境におかれて、そのような感覚に光があてられる。
死の恐怖みたいなこともあるのだけれど、他方で、その感覚は違った方向につれだすことになったように思う。
世界でいろいろな人たち(また美しい自然や生き物)と出会うなかで、ぼくたちはだれもがつかの間の生を生きていることを、強く感覚することがある。
その感覚は、その場と出会いを、とても愛おしいものとして照らし出す。
日本で、香港で、東ティモールで、シエラレオネで、ニュージーランドで、ぼくはときおり、そのような感覚に包まれる。
作家の石牟礼道子の作品『天の魚』(講談社)で書きつけられる文章にふれて、社会学者の真木悠介は、次のように書いている。
ここではわれわれの生が死のまぢかにあること、われわれの生の日がつかのまであることが認識され、実感されている。けれどもそれは…索漠たる虚無の感覚にむすびつくのではなく、反対にその生きられる刻と、出会われるものや他者へのかぎりなく深い共感にうらうちしている。…感覚の麻痺や強迫的な信仰や論理のレトリックによるどのような自己欺瞞もなしにわれわれを死の恐怖と生の虚無から解放するのは、存在に向かってひらかれたこの共時性の感覚である。
真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
石牟礼道子の視線は、われわれ生きるものすべての生がつかの間であることを認識しながら、また「人類」そのものが永遠でないものとして感受されている。
それらはしかし、真木悠介が語るように、虚無の感覚にむすびつくのではなく、「生きられる刻と、出会われるものや他者へのかぎりなく深い共感」に彩られている。
心理療法家の河合隼雄が作家の小川洋子と対談をするなかでも、この「深い共感」にかさなる感覚が共有されている。
小川 …魂と魂を触れあわせるような人間関係を作ろうというとき、大事なのは、お互い限りある人生なんだ、必ず死ぬもの同士なんだという一点を共有しあっていることだと先生もお書きになっていますね。
河合 やさしさの根本は死ぬ自覚だと書いてます。やっぱりお互い死んでゆくということが分かっていたら、大分違います。まあ大体忘れているんですよ。みんなね。
…
小川 あなたも死ぬ、私も死ぬ、ということを日々共有していられれば、お互いが尊重しあえる。相手のマイナス面も含めて受け入れられる。
河合 それで、そういう観点から見たら、80分も80年も変わらない。…そのひとときが永遠につながる時間なんです。
河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫
「永遠につながる時間」は、真木悠介の言う「存在に向かってひらかれた…共時性の感覚」である。
石牟礼道子、真木悠介、河合隼雄といった人たちの書くものの基底にはいつも、「われわれの生が死のまぢかにあること、われわれの生の日がつかのまであること」の感覚がしずかに、そして暖かくおかれている。
その感覚はもちろん虚無につながる感覚ではなく、生そのものを祝福する感覚だ。
「個性」があらわれるところ。河合隼雄の声に耳をすまして。- 生きることの「矛盾」を生きながら。
心理学者・心理療法家の河合隼雄は、この世を去る直前に、作家の小川洋子と「対談」をしている。
心理学者・心理療法家の河合隼雄は、この世を去る直前に、作家の小川洋子と「対談」をしている。
その「対談」は2回行われ、そこで「次回またやりましょう」というように将来の対談にひらかれながら、その次回が来ることはなかった。
この2回の対談は、河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮文庫)として成り、上記のような事情から、小川洋子の「少し長すぎるあとがき」が付されている。
河合隼雄の晩年におこなわれたこれら2回の対談と、小川洋子の「少し長すぎるあとがき」は、ほんとうに多くの「種子」をぼくの中に、そしてこの世界に投げかけてくれている。
あまりにもたくさんのインスピレーションに充ちた言葉たちを前にしながら、ぼくという個人に強く交響する「語り」は、「個性」のあらわれについてである。
「厳密さと曖昧さの共存」ということを、河合隼雄と小川洋子が語るところがある。
小川洋子は、科学技術の発達の限界に触れながら、厳密さよりも曖昧さの方が人間を楽にしてくれるのではないかと、河合隼雄に向けて言葉を届ける。
河合隼雄はそのことに共感しながら、「厳密さと曖昧さの共存」への人生観と世界観の創出を考えている。
…それを共存させるような人生観、世界観がないかっていうことを、今ものすごく考えているんです。人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というものはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾してるんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。そして、それをごまかさない。
河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫
人間が生きることの「矛盾」から目をそらさずに、またごまかさずに、そこを直視すること、そしてそれ自体を生きること。
この箇所に続く、河合隼雄の言葉が、ぼくの中で、強く交響する。
…「その矛盾を私はこう生きました」というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです。…そしてその時には、自然科学じゃなくて、物語だとしか言いようがない。…自然科学の成果はたとえば数式になったりして、みんなに通用するように均一に供給できる。そして、それで個が生きるから、物語になるんだっていうのが、僕の考え方です。
河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫
矛盾をどう生きるかというところに、個性が光る。
そして、そこに「物語」が出番となる。
この認識と考え方は、ほんとうに透徹されたものだと、ぼくは思う。
それにしても、生きることの「矛盾を私はこう生きました」というところに個性が光るという認識は、「個性」ということをとらえなおす上で、ぼくをとらえてやまない。
「次回続きをやりましょう」というようにひらかれた対談はこの世界では続くことはなかったけれど、続けて語られたであろうトピックは、読者それぞれがひきうけて、日々のなかで「語る」という空間へと投げ放たれてある。
矛盾をどう生きるかに個性があらわれること、そこに「物語」が創出すること。
投げ放たれた言葉たちは、確かにひきつがれてゆくだろうと、ぼくは思う。
ネット社会だからこその「関係性の回復」(河合隼雄)。- 「出会いへの欲求」に基礎をおく関係性(真木悠介)へ。
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』(新潮文庫)の文庫版「おまけの講義」として、「関係性の回復ーネット社会こその相当の努力を」と題された、短い記事が掲載されている。
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』(新潮文庫)の文庫版「おまけの講義」として、「関係性の回復ーネット社会こその相当の努力を」と題された、短い記事が掲載されている。
2004年6月、東京新聞に掲載された文章である。
10年以上前の記事であるにもかかわらず、書かれていることは、今でもその言葉の内実はうすれていない。
インターネットが悪い・よくないなどということではなく、文明の進歩を享受するためにも、「相当な努力」をして、あらゆる人間関係における「関係性の回復」をすることの重要性について、河合隼雄は書いている。
インターネットを通じたコミュニケーションの難しさは、直接的なやりとりでは、ある程度の「調整」が入る。
言語だけではない、非言語的なコミュニケーション(表情や身振りなど)が作動するからである。
このことはよく言われることだけれど、河合隼雄が強調していることは、次のことである。
…ここでもっと強調したいことは、人間の関係の在り方によって、人間の考えることや感じることも変わってくる、ということである。これは、私の行っている心理療法の根本と言っていいかもしれない。
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』(新潮文庫)
機械の操作で物が動くように、人間関係においても、自分が相手を操作したり、支配したりする関係になろうとすることに、河合隼雄は警鐘をならす。
そのような人間関係において、河合隼雄が言うところの「関係性」(=人間と人間の間に生じる相互的な心の交流)が喪失してしまう。
インターネットの書き込みには、「関係性」の喪失の上に立ってなされるので問題が多い。…
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』(新潮文庫)
「関係性」ということで、思い出すのは、社会学者である真木悠介が、名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)で語っていた、「関係の実質」ということである。
真木悠介は、差別語が「差別語」とならない現実の関係性にふれて、そこには本人を傷つけないだけの「関係の実質」があるからだと書いている。
また、同書における「出会うことと支配すること」という論考で、「他者と関係するときに抱く基本の欲求」について、論理的に述べている。
われわれが他者と関係するときに抱く基本の欲求は、二つの異質の相をもっている。一方は他者を支配する欲求であり、他方は他者との出会いへの欲求である。操作や迎合や利用や契約は、もちろん支配の欲求の妥協的バリエーションとしてとらえられうる。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
そうした上で、真木悠介たちが構想していた「コミューン」は、この二つの異相のうちの「出会いへの欲求」に基礎をおく関係性である。
ここで、河合隼雄が言うところの「関係性」と、その回復ということにつながってくる。
人を傷つけないだけの「関係性」があるところでは、インターネットのコミュニケーションは上滑りしなくなる。
もちろん、すべての人たちの関係性を構築できるということではないと思うが、「出会いへの欲求」に基礎をおく関係性を実際にもっているかいないかは、直接に知らない人たちとのインターネットでのコミュニケーションの実質を変えていくだろう。
この「関係性」への視点から、ぼくのミッションにおける「世界」は「世界(関係性)』というように書いている。
「世界」は、関係の網の目であり、その関係性を豊かにしてゆくところに未来は構想され、また現在は生きられる。
南伸坊が河合隼雄から心理療法を学ぶ(『心理療法個人授業』)。- 対話と関係から生まれる言葉と学びの深さ。
イラストレーターの南伸坊(みなみしんぼう)が「個人授業」で学問を学ぶ著書シリーズ(新潮社)がある。
イラストレーターの南伸坊(みなみしんぼう)が「個人授業」で学問を学ぶ著書シリーズがある。
生物学個人授業(岡田節人)、免疫学個人授業(多田富雄)、解剖学個人授業(養老孟司)、それから心理療法個人授業(河合隼雄)がある。
河合隼雄の著作たちを読みすすめていくなかで、シリーズにおける『心理療法個人授業』(河合隼雄・南伸坊、新潮文庫)に出会った。
河合隼雄が「先生」で、南伸坊が「生徒」である。
南伸坊が、河合隼雄から「個人授業」で心理療法や臨床心理学を学び、レポートを書く。
河合隼雄がレポートに対して応答する。
第1講から第13講にわたる内容は、「専門書」ではない、対話形式から生み出される、根本的なトピックに充ちている。
以下のような「講」のタイトルを見るだけでも考えさせられる。
第1講 催眠術は不思議か?
第2講 頭の中味をを外に出す
第3講 心理学は科学か?
第4講 心理療法は大変だ
第5講 心理療法とヘンな宗教
第6講 謎の行動、謎の言葉
第7講 人間関係が問題
第8講 心理療法と恋愛
第9講 箱庭を見にいった
第10講 「物語」がミソだった
第11講 わかることわからないこと
第12講 ロールシャッハでわかること
第13講 やっとすこしわかってきたのに
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』新潮文庫
心理学も心理療法も知らない南伸坊の視線・視点、南伸坊のするどいレポート、対話の中に言葉を生む河合隼雄。
「そもそも心理学とは?」ということから、講をすすめていく内に、南伸坊と河合隼雄とのあいだの関係性、また南伸坊の「気づき」が深みを増していくのを感じることができる。
人が生きていくための心理の「学」が語られている。
ぼくのフォーカスである「物語」については、講義も終わりに近づく「第10講」で、南伸坊が予感に充ちた気づきで「物語」のトピックを取り上げて、河合隼雄にぶつけている。
南伸坊は、「なるほどなァ!」とわかった気になりながら、そもそも「物語」とはなんだ、と考える。
南伸坊はそんなことを語りながら、次のようにも語る。
「人生に予め意味などない」
という意見に、私は合点していたのだったが、予めないからこそ、意味をつくろうとするのだともいえる。
なんだか、茫々としてくる思いだ。いままでこんなことを、考えたこともなかった。
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』新潮文庫
生きることの「物語」を真摯に考え始めた人の言葉が、ここに興味深く湧いている。
河合隼雄は、あらためて、臨床心理学における「物語」の大切さを書いている。
…われわれ臨床心理士のところを訪れる人は、いわゆるビョーキとか異常などというのでない人(大人も子どもも)が多くなってきた。それは、南さんが詳しく書いているように、それぞれの人が自分自身の「物語」をいかように生きるか、ということを相談に来て居られる、とも言えるだろう。
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』新潮文庫
両親と別れて住んでいる子供が、「お父さんは大金持だ」とか「お母さんは女優なの」と言うことに対して、これらは「虚言癖」ではなく、そのような「物語」に支えられて子供たちはなんとか生きているという、暖かい視線を投げかけることを、河合隼雄は提示している。
講義は、最後の3講で、心が「わかる」と「わからない」という二つの側面を語っている。
これら二つを、共に、謙虚にひきうけていくことの中に、河合隼雄の心理療法の本質がつめられている。
南さんの「わかる」に「わからない」を「つなげる」というのは、本当にいい言葉である。われわれ臨床心理士の仕事の本質がうまく言い表されている。…
…「わからない」と自覚する謙虚さが必要だが、これは、自信がないのとは、全く異なる。自信のないのは、はなから何もわからない人である。「わかる」に「わからない」をつなぐ人は、「わかる」自信と「わからない」謙虚を共存させている。…
すぐにわかりたい方は、こんな本など読まず、本屋に行けば、御要望に応える本は、ありすぎるほどある。…
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』新潮文庫
レポートで南伸坊も書いているように、河合隼雄の言葉を引用しようとすると、あれもこれもで、尽きることがないから、どこかで禁欲しなければならない(ぜひ購入してお読みください)。
それくらい、「本当にいい言葉」で充ちている。
それだけ、「大変な」世界をくぐりぬけてきているのだと、ぼくは感じる。
文庫版には「おまけの講義」で、ネット社会における「関係性の回復」について、河合隼雄が書いた記事が掲載されている。
ここにも、言葉の宝物が埋まっている。
別のブログで、このことについては、ふれたいと思う。
「リアライゼーション」の二つの意味にひらかれる可能性。- 河合隼雄の心理療法における基軸。
心理学者・心理療法家の河合隼雄は、講義録である著書『こころの最終講義』(新潮文庫)にて、ユングの「コンステレーション」(constellation)という言葉をたよりにユングや自身のカウンセリングについて語っている。
🤳 by Jun Nakajima
心理学者・心理療法家の河合隼雄は、講義録である著書『こころの最終講義』(新潮文庫)にて、ユングの「コンステレーション」(constellation)という言葉をたよりにユングや自身のカウンセリングについて語っている。
また、前掲書に掲載されている、これとは別の講演で、河合隼雄は「リアライゼーション」(realization)という言葉をとっかかりとして、「物語と心理療法」について聴衆に語りかけている。
「コンステレーション」も「リアライゼーション」も、共に日本語にしにくい言葉であり、河合隼雄はカタカナ表記をすることで、日本語の意味合いにからめとられないように、丁寧に語っている。
「リアライゼーション」という言葉を使うことについて、河合隼雄は講演の冒頭で、次のように述べている。
…この英語はいい英語だと思っているからです。それは「何かがわかる、理解する」という意味と「何かを実現する」という意味との両方をもっているのです。
つまり、われわれが生きているということは、自分が実現しているということと、わかっているということを両方うまくやっているのだと思うのです。それがまさにリアライゼーションであって、個人は生まれてきたかぎりはなんらかの意味で個人としてのリアライゼーションをするのではないか。それが残念ながらなにかの理由でうまくっていないのではないか。河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫
ぼくも、この「リアライゼーション」という英語はいい英語だと思っている。
その動詞形は「リアライズ」(realize)で、河合隼雄がふれているように、「理解する」ということ(「気づく」に近い)と「実現(現実化)していく」という、この言葉の二重性は、この言葉に深みを与えている。
気づきと実現が共にあるようなところに、いろいろな物事はひらいていく。
河合隼雄は、心理療法という実践において、「個人としてのリアライゼーション」に焦点をあてながら、真摯に来談される方々に向き合ってきた。
そして、河合隼雄は、そこに「他人との関係」という関係性の視点を大切にする。
…私が何かをリアライズするということと私の周囲の人たちが何かをリアライズするということが全部重なってきますので、たんに自分のことだけを考えていたのでは、それはどうしてもできない。つまり他人との関係を無視することはできない。だから、われわれ心理療法をしているものは、自分の前に座られた方のリアライゼーションということを考えるわけですが、その方を取り巻く周囲の状況、あるいはなによりも治療者自身のリアライゼーションも考えて行わねばならないということだと思います。
河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫
来談にくる方々だけではなく、「治療者自身のリアライゼーション」への透徹した視点を、河合隼雄は身にひきうけている。
そして、このことは心理療法ということに限らず、他者とのかかわりがある、さまざまな場において大切なことだと、ぼくは考える。
河合隼雄は、心理療法をするものが、「知識をもっているということ」(リアライズの意味合いのひとつである、理解すること)に加え、自分が「体感として知っている」(自分が実現して知っている)ことが重要なことであると語っている。
リアライズということでの「理解」は、ぼくとしては、すでにそこに「体得」が感じられているものだと思うけれど、それは些細なことだ。
ここには、「身体性」の問題がきっちりと提示されていることに、ぼくは焦点をあてておきたい。
講演は、この導入に続いて、個人のリアライゼーションと「物語」という、関心の尽きないトピックにはいっていく。
哲学者の坂部恵『かたり』(弘文堂)を参照に「語る」ということの次元にまでおりながら、また日本人の自我、物語と自然科学にいたるまで、きわめてインスピレーションに充ちた内容を展開している。
河合隼雄が生前に残してくれた言葉たち。
ぼくがこれまでに読んだのはそれらのほんの一部であり、河合隼雄の<思考の大海>を前に、その出会いにぼくはただ歓びを感じるだけである。
「コンステレーション」から物語へ。- 河合隼雄がユングを読み解きながら(ユングと生きながら)。
心理学者の河合隼雄は、京都大学の最終講義(河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫)で、ユングがよく使ってきた「コンステレーション」(constellation)という言葉を手がかりに、こころのこと、心理療法のこと、生きることを語っている。
🤳 by Jun Nakajima
心理学者の河合隼雄は、京都大学の最終講義(河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫)で、ユングがよく使ってきた「コンステレーション」(constellation)という言葉を手がかりに、こころのこと、心理療法のこと、生きることを語っている。
「コンステレーション」という単語は、そのものでは「星座」を意味する言葉である。
「コン」(con-)は「ともに」(with)にあたり、ステレーションの「ステラ」は「星」を意味し、「星座」という意味をもっている。
ユングがたよりにしてきた「コンステレーション」は、星座のことではなく、心の問題を扱う上で、はじめは「コンプレックスがコンステレートしている」というように使っていたという。
河合隼雄は、ユングが使ってきた「コンステーション」の使われ方と意味合いの変遷を追いながら、「コンステレーション」の言葉の重要性と可能性を聴き手に伝えている。
また、それらを語ることで、河合隼雄が辿ってきた道の「物語」を語っている。
ユングが精神医学の世界にデビューした契機は、「言語連想のテスト」とそこでの気づきであったという。
言語連想テストでは、「山」という言葉にたいして、連想する言葉をすぐに言ってもらう。
川という人もいれば、名詞ではなく、動詞で答える人もいる。
あるいは、黙ってしまう人もいる。
ユングの「気づき」は、連想において「時間がおくれる」ということにあったという。
「山」ということで連想されるのが、恐ろしいものであったりして、人によっては言葉が出てこなくなってしまう。
心の中に「かたまり」ができている。
それは、心理学で言われる「コンプレックス」ということであり、ユングは、前述のように、「コンプレックスがコンステレートしている」と表現していたようだ。
その後のユングの研究の道ゆきにおいて、1940年頃からユングは、「元型(アーキタイプ)がコンステレートしている」というような表現を多用していく。
元型(アーキタイプ)は、人間の心の深くにそのような元型があり、それがいろいろにあらわれるというように、ユングが考えようとしていたときの、キーワードである。
河合隼雄がユング研究所での資格をとった1965年。
ユングの流れをくむC.A.マイヤーの60歳の誕生日祝いに、弟子たちが論文を書いてマイヤーのお祝いをしたという。
その論文のなかに、マイヤーに関する面白い論文を、河合隼雄は見つけることになる。
…われわれが心理療法をするということは、いろんな仕事をしているんだ。時には忠告を与えるときもあるし、時には来られた人の気持ちをちゃんと、こちらがそれを反射してあげる。…けれども、マイヤーは特別なことをやっている。マイヤーは何をしているかというと、「コンステレートしている」という言葉がそこで出てくるんですね。
…クライエントが来られたら、その内容に対して何か答えを言ってあげるとか、解釈してあげるんじゃなくて、その人のセルフリアライゼーション、自己実現の過程をコンステレートするんだ、と書いてあるんですね。そして、その人が自己実現の過程をコンステレートして自己実現の道を歩む限りにおいて、その人にともについていくのだ、と書いてあるわけです。これは私にとって非常に衝撃だった。
河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫
河合隼雄に衝撃を与えた「コンステーション」は、その後も、河合隼雄の実践と研究を方向付けていく。
河合隼雄に学ぶところのひとつは、河合隼雄はユングを読み解きながら(ユングの研究と生きながら)、研究や研究成果に埋没するのではなく、現実や実際の生や状況などとの間で、きわめて冷静に物事を見て、実践につなげているところである。
安易に理論に傾倒するのではない。
地に足をつけながら、しかし空高く飛翔していくという二面性をともにひきうけているのである。
そうしてひらかれてきた実践と研究は、「物語」という軸において、河合隼雄の深い関心を呼び起こしていく。
講義のなかでも、終わり近くで、「コンステレーションと物語」ということを簡潔に語っている。
…人間の心というものは、このコンステレーションを表現するときに物語ろうとする傾向を持っているということだと私は思います。
河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫
そうして、河合隼雄は日本の神話などへの関心を、その後の残りの生のなかで形にし、ぼくたちにとってほんとうに「大きなもの」を残してくれている。
ぼくの大きな関心のひとつも、「物語」という軸に収斂してきている。
個人が生きることにおける「物語」、家族が一緒に生きていく「物語」、チームや組織が一緒に生きる「物語」、そして社会が共につくっていく「物語」。
そこに、ぼくは、「煮詰まった時代」(養老孟司)をひらく大きな可能性を見ている。
「日本人の創造性」についての、野口晴哉の考察。- 「正確・記憶・形式」から「空想」へ。
整体の創始者といわれる野口晴哉の、地に足のついた考察を読めば読むほどに、その広がりと深さに圧倒される。...Read On.
整体の創始者といわれる野口晴哉の、地に足のついた考察を読めば読むほどに、その広がりと深さに圧倒される。
「子供の教育」(したがって、親や大人の言動)にかんする野口晴哉の考察の中に、「日本・日本人」についての考察がある。
「日本人には本当に独創性がないのだろうか」と、野口晴哉は自身に問いながら、簡潔かつ直球の考察をなげかえしている。
1960年代に書かれた考察で、日本の教育が「模倣の才能」を育て、独創性を壊してしまうような方向に行われていることを、野口晴哉は語っている。
…日本の教育に於て、一番大切にされているものは何かといえば、正確ということである。自分で思いついたことより、何かの標準に正確に合っていることの方が貴ばれている。思いつきより標準に正確な方が信頼される。正確というものは物差しがいる。物差しは自分以外のものである。正確が要求されればされるほど、思いつきは価値を失う。…思いつきが育たなければ創造ということはない。…
野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年
野口晴哉は、日本の教育で大切にされているものとしての「正確」に加え、「形式」と「記憶」が日本では大切にされているとする。
「形式」を厳重に守ることで、個人の自由な思いつきは脇にやられる。
そこで、「記憶」ということが大切にされる。
正確、記憶、形式というものをつきやぶることのない教育が、日本人の独創性を奪ったものとして、野口晴哉は考えていた。
およそ1960年代のことである。
このことは、50年ほどが経過してもなお、日本・日本人、また日本の教育につきまとうことであるように、ぼくは思う。
野口晴哉の文章を、「今の時代」のこととして読んでも、まったく違和感がない。
今も、日本は、正確・記憶・形式ということの中に、からめとられているようなところがある。
もちろん、日本の経済発展を支えてきたのも、これらである。
一様にきりすてるものではないけれど、あまりにも、これらに偏重してきたように思う。
野口晴哉は、この状況を打開していく方途として、子供たちの「空想」を育ててゆく方向を定めている。
私達はこれからの子供達に、正確だとか記憶だとかいうような、過去の残骸を押しつけることを止めたい。正確も記憶も、みんな過去のものであって未来のものではない。その過去のものから出発させるという教育を止めて、思いついたこと、思い浮かべたことを育てて創造に直結できるように、日本人の持っている空想性というものを育ててゆきたい。…
野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年
野口晴哉はこの文章に続き、「空想」ということを、あらゆる角度から論じている。
これらの考察は、人間にかんする深い洞察に充ちている。
ぼくの関心(「ストーリー・物語」論)にひきつけると、この「空想」は、「物語」を人の中に生成させるプロセスであるように、ぼくは見ている。
思いついたこと、思い浮かべたことが「他者の物差し(物語)」により抑制されるのではなく、じぶんの中に生成していく物語の芽となる。
そのように、ぼくは野口晴哉の「空想論」の中に、可能性を見出していきたい。
とにかく、やってみること。- Kindle電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』(中島純)を発行して。
先日(2018年1月29日)に、アマゾンKindleでの電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』(中島純)を発行した。...Read On.
先日(2018年1月29日)に、アマゾンKindleでの電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』(中島純)を発行した。
「香港で、彩り豊かな「物語」を生きる。」と表紙の帯に掲げたように、香港という人生の舞台で、この本を読んでくださる方々が(そしてこの本を読まれない方々も)、彩り豊かな生を生きていってくださればと思いながら、ぼくは書いた。
「香港」ということで書いたものだけれど、それは、少し掘れば「海外での生活」ということになるし、さらに掘れば「この世界」ということを明確に意識しながら、書いた。
そして、この世界で生きることは、もちろんぼくにとって「現在進行形」である。
とにかく、やってみること。
今回の「プロジェクト」において、これは、やはり大きなことであったと、ぼくは思う。
電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』の構想から執筆、数えきれないほどの書き直し、アマゾンにおける出版プロセスなどの一連の仕事。
その過程における、数多くの学びと気づき。
プロジェクトプランの大切さ。
編集ということの大切さと困難と深さ。
アマゾンでの出版の仕組みと、新しい時代の足音。
その全行程における、仲間からの励ましのありがたさ。
このようなことは、やはり、やってみなければわからない。
もちろん、ぼくの「仕方」は、ありうる仕方のひとつにすぎない。
その意味において、ぼくはぼくの経験があらゆることにあてはまることなど、まったく思わない。
ただし、それでも、やってみることの大切さがあるし、なによりもこの「やること」それ自体が生きるということである。
「だれでも出版はできる」という言葉は一面の正しさをもちつつ、しかし、やはりそうすんなりといくわけではないことも、この一連のプロセスを経るなかで、ぼくは感じてきた。
このことは、またどこかで書きたいと思うけれど、「とにかく、やってみること」は、すべての人ができるわけではないこととも、つながっているようなトピックでもある。
また、「だれでもできる」としても、「よりよく」できることは、まったく異なる次元のことでもある。
「できる」から「よりよくできる」の間の<断層>の大きさにも、ぼくは愕然とした。
こんなことも、やってみることではじめて、身体で感じることができた。
この世を去る方々が、なくなる直前に、「あれをやっておけば、という後悔だけはしないこと」という、ほんとうに深い、本質をつくメッセージをぼくたちに届けてくれている。
この「助言」は頭ではわかっても、「やってみること」ができない人たちも多い。
ぼくは、この助言に、ただただ導かれている。
これからも「やってみること」をつみあげていきたい。
そうして、ぼくが将来、「この世」を去るときには、「あれをやっておけば、という後悔だけはしないこと」というメッセージを語っているだろう。
そんな「物語」を、ぼくは紡いでいる。
「自分のストーリーだからこそ諦めたくない…」(Kiroro『未来へ』)。- じぶん、ストーリー、そして未来。
音楽グループKiroroの歌「未来へ」の中に、次のような歌詞がある。...Read On.
音楽グループKiroroの歌「未来へ」の中に、次のような歌詞がある。
自分のストーリーだからこそ諦めたくない
不安になると
手を握り 一緒に歩んできた
Kiroro「未来へ」(※Apple Musicに表示される歌詞より)
じぶんの「夢」を追うなかで、空高くにある夢に届かず、不安におしつぶされそうななかで、あきらめまいと、母のことを思い出す。
「自分のストーリー」は、この歌詞の直前におかれる「夢」のことである。
「自分の夢」とは言わずに、「自分のストーリー」である。
1)ストーリーとしての「夢」/夢としての「ストーリー」
「夢」とは、未来におかれる。
正確には、未来は現在の自分の中におかれるのだけれど、それは時間的に「先」にある未来である。
「ストーリー」であるということは、その「未来」に向かう道程も含めて、じぶんの「内面」に描いていくことだ。
その道程は、楽しいことばかりでなく、大変なことも不安も含めて、いろいろなものが道いっぱいに散りばめられている。
今を生きながら、でも未来を見ていく。
未来を見ながら、今を生きていく。
そのようなところに、この歌は、ぼくたちの視野をひろげてくれる。
2)「自分の」ストーリーであること
「ストーリー」は、「自分の」ストーリーである。
ストーリーでは、自分が「主人公」である。
主人公であるということは、狭い意味での「自分中心・自己中心」ということではない。
映画の主人公に対して、(主人公であるということそれ自体として)「あなたは自己中心的だ」などとは、ぼくたちは普通は言わない。
じぶんが主人公であることで、じぶんを生きていくことで、ぼくたちは、他者に何かを届けることができるし、ときには他者を救うことだってできる。
3)ストーリーは「諦めること」はできない
夢としてのストーリーは、諦めることができる。
でも、「ストーリー」そのものは、諦めることができない。
夢を諦めることで、異なった「ストーリー」がやってくるだけだ。
「自分のストーリーだからこそ諦めたくない」と歌われるとき、それは「夢としてのストーリー」を諦めないということである。
夢と夢を持つことで生きることの内実を手放すことなく、そのさまざまな彩りを生きていくことを、じぶんに語りきかせている。
こうして、この歌の中では、いくども、次の歌詞がじぶんに投げかけられている。
ほら 足元を見てごらん
これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん
あれがあなたの未来…
Kiroro「未来へ」(※Apple Musicに表示される歌詞より)
「自分のストーリー」を生きていくこと。
過去における母の面影と思い出を思い浮かべながら(そして気づきながら)、未来へと、前へと視線を向ける。
それは未来によって今が収奪されるのではなく、未来をもつことで、今が豊かになる生である。
「足元」に歩む道、そして(ぼくの想像だけれど)そこに咲く花々へと視線がうつされながら、創られながら創る「自分のストーリー」は生きる力を宿していくことになる。
Kindle電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』(中島純)。- 香港で、彩り豊かな「物語」を生きる。
ぼくのアマゾンKindleでの電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』(中島純)が、2018年1月29日(香港・日本では1月30日)に発行された。...Read On.
ぼくのアマゾンKindleでの電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』(中島純)が、2018年1月29日(香港・日本では1月30日)に発行された。
香港にこれから住む方、香港に現在住んでいる方/以前住んでいた方、香港に興味のある方に向けて、「香港でよりよく生きていくため」のヒント集である。
「ヒント」と言っても、そこに「答え」があるわけではない。
ここ香港で10年以上(まもなく11年)にわたって生きてきたなかで、ぼくが、観察し、考え、行動し、議論し、学んできたことなどのエッセンスを凝縮して、まとめた本である。
このブログとは別に、形式や文体も変えて、書いた52項目。
あくまでも、限られた視点でしかない。
書き始めたのはちょうど1年ほど前のこと。
ドラフトを一気に書いて、寝かせて、直して、しばらく置いて、直してということを、幾度も幾度も繰り返す。
ときには、書いたものを「捨て」て、新たに書き直す。
その間も香港での生活(観察と行動)は続き、またブログも書きながら、気づいたことを反映させ、項目間の整合性をつけ、また用語を直す。
ぼくにとって大切な人たちが「進捗」を時折確認してくれることに励まされながら。
書き始めて1年だけれど、この文章と内容に至るまでに、42年かかった。
もちろん、「すべて」を書いたわけではない。
「書くこと」自体が、無限の事象と心象の一部をすくいとる行為でもある。
書くことは生きることのただ一部である。
それでも、あくまでもぼくにとっては、42年という「時間」とその間に移動したいろいろな場所という「空間」を凝縮して、その一部を言葉にした。
言葉として浮かびあがってきたことのひとつが、「物語」であった。
人が生きるということは、物語を生きるのだということ。
香港であれば、<香港ライフストーリー>を、ぼくたちは生きる。
だれもが、「物語」を生きる。
そして、本を書き、Kindleで発行し、いろいろな人たちに共有するとプロセスそれ自体が、「物語」に彩られているのだということを、ぼくはあらためて感じている。
それにしても、香港で、東ティモールで、西アフリカのシエラレオネで、ニュージーランドで、アジア各国で、東京で、浜松で出会ってきた方々のことを思い出していたら、「感謝」はお会いした人たちすべてにお伝えしなければと、思ってやまなくなってしまった。
ここでも、ブログを読んでくださっている方々を含め、深く深く感謝させていただくことで、今日のブログを閉じたいと思う。
「目が輝くこと」の輝き。- 指揮者Benjamin Zander、そして野口晴哉が語る「目の輝き」。
「目が輝く」という言葉は、それを語る人、語られる文脈、語られる場などによって、言葉の真実性が異なって現れる。...Read On.
「目が輝く」という言葉は、それを語る人、語られる文脈、語られる場などによって、言葉の真実性が異なって現れる。
例えば、「目の輝き」などと学校のパンフレットなどに記載されていたら、それは「シラケ」を誘ってしまうような言葉の響きを鳴らす。
それが、クラシック音楽の指揮者Benjamin Zanderが、熱をこめて語ると、全然異なった「色彩」を帯びて、ぼくたちの前に現れる。
TEDトークでBenjamin Zanderが語った「成功の定義」、「It’s about how many shining eyes I have around me.」。
ほんとうに「目の輝き」を追い求め、ひろげてきたBenjamin Zanderだからこそ、この言葉は真実さをもつ。
整体の創始者と言われる野口晴哉の著作の中で、「目の輝き」を野口晴哉が語るところがある。
野口晴哉は、七夕に際して、「願いごと」を叶えることの秘訣(=論理)を、「心」の機能・役割の側面から強調していく中で、「目の輝き」について語る。
野口晴哉が扱うのは「身体」でありながら、だからこそ、野口晴哉は「心」の作用をつぶさに観察してきたのである。
まあともかく、人間が心によって生きる道を自分で開拓しているのだということに気付いて、そういう人が多くなれば、私としては、大変幸せです。…新しい欲求がみんなになくなって目が輝かなかったら、そういう人達に囲まれて生きているのは厭です。目が輝いている人が多ければ、私も一生懸命生きます。
近頃、幼稚園に行っている子供まで、目の輝きを失っているのが多い。小学校へ行くともっと多い。教え込まれて、自分の欲求を見失ったからだと思うのですが、子供がそういうようではいけない。もっと、皆さんで力を合わせて、子供の目が輝くような、ついでに自分の目も輝くような、自分の周囲に目の輝いた人ばかりになるような世界を造ろうではありませんか。…
野口晴哉「人間の願いー七夕祭にてー」『大絃小絃』全生社
ここで「近頃」というのは、最近のことではない。
おそらく、1970年前半頃のことと思われる。
野口晴哉は、人の「欲求」と「目の輝き」をつなげている。
人の欲求というと、現代の文脈では自己中心的なイメージがまとわりつくようにも感じられるけれど、ここでは心から描かれた欲求である。
頭でつくられていくような欲求ではなく、空想として描かれ、言葉化されていくような欲求である。
現代の文脈では「好きなこと」という表現のもとに、「(狭い意味での)好きなこと」に物事が閉じ込められてしまうように語られることもあるけれど、そうではなく、もっと広々とした欲求である。
それは、身体の底からわきあがる欲求である。
だから、「教え込まれたこと」を一旦は横に置いて、野口晴哉が言う「体の知恵」を作動させることである。
『君たちはどう生きるか』をめぐる回想(丸山真男)。- 丸山真男の「震え」と「明晰さ」。
『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)が多くの読者を獲得している。...Read On.
『漫画 君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一)が多くの読者を獲得している。
1900年代前半(原作の出版は1937年)の日本の東京を舞台に、主人公である本田潤一(コペル君)と叔父さん(おじさん)が、人生のテーマ(世界、人間、いじめ、貧困など)に真摯に向き合いながら、物語が展開していく作品だ。
この『漫画 君たちはどう生きるか』によって、はじめてこの作品を知ったぼくは、原作を読みたくなり、原作を手にした。
原作『君たちはどう生きるか』の岩波文庫版には、丸山真男(丸山眞男)が1981年に書いた「追悼文」が付載されている。
丸山真男は今ではあまり知られていないかもしれないけれど、さまざまな人たちに大きな影響を与えてきた、政治学者・思想史家である。
その丸山真男が、吉野源三郎の追悼文として、雑誌「世界」の依頼で「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」を書いた。
丸山が20代でこの本を読んだときの「震え」と、晩年に読み返して筆をとったときの「明晰さ」が、この文章に詰められていて、とても興味深い。
丸山真男がこの本と出会ったのは、研究者として一歩を踏み出したときであった。
…自分ではいっぱしのオトナになったつもりでいた私の魂をゆるがしたのは、自分とほぼ同年輩らしい「おじさん」と自分を同格化したからではなくて、むしろ、「おじさん」によって、人間と社会への眼をはじめて開かれるコペル君の立場に自分を置くことを通じてでした。
丸山真男『君たちはどう生きるか』をめぐる回想、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫
この「点」を起点として、そこに立ち入って述べていくことで、丸山真男は、吉野への追悼と名著の紹介を果たそうとする。
ぼくの問題関心から、ここではひとつだけ取り上げるとすれば、「主体・客体関係の視座の転換」である。
原作の第一章「へんな経験」で展開される、銀座のデパートメントストアの屋上での出来事。
漫画版においても、原著においても、とても印象的なシーンである。
丸山真男はそのシーンをつぶさに読み解いている。
潤一が屋上から銀座の通りに目をやりながら「見る自分」と「見られる自分」とを感じる場面、またおじさんが手紙でふれる「コペルニクスの地動説」にふれながら、丸山真男は「主体・客体関係の視座の転換」ということを明晰に述べている。
…世界の「客観的」認識というのは、どこまで行っても私達の「主体」の側のあり方の問題であり、主体の利害、主体の責任とわかちがたく結びあわされている、ということーその意味でまさしく私達が「どう生きるか」が問われているのだ、ということを、著者はコペルニクスの「学説」に託して説こうとしたわけです。認識の「客観性」の意味づけが、さらに文学や芸術と「科学的認識」とのちがいは自我がかかわっているか否かにあるのではなくて、自我のかかわり方のちがいなのだという、今日にあっても新鮮な指摘が、これほど平易に、これほど説得的に行われている例を私はほかに知りません。
丸山真男『君たちはどう生きるか』をめぐる回想、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫
この回想には、前に述べたように、丸山真男の「震え」と「明晰さ」が共につめこまれている。
丸山真男が書いているとおり、『君たちはどう生きるか』は、いつの時代にも変わることのない問いかけとなっている。
実際に、原著が出てから80年を経ても、その問いの色合いは決してあせることのない新鮮さで、ぼくたちの前に提示されている。
回想の最後に、丸山真男はこんなことを書いている。
…すくなくとも私は、たかだかここ十何年の、それも世界のほんの一角の風潮よりは、世界の人間の、何百年、何千年の経験に引照基準を求める方が、ヨリ確実な認識と行動への途だということを、「おじさん」とともに固く信じております。…
丸山真男『君たちはどう生きるか』をめぐる回想、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫
1981年に書かれたこの文章は、そのまま、この現在においても、力強く光を放っている。
生きることの「物語性」が浮かびあがった日々を思い起こして。- ぼくたちは「物語」を生きている。
ぼくたちが生きるということは、だれしもが「物語」を生きている。...Read On.
ぼくたちが生きるということは、だれしもが「物語」を生きている。
そのことは、「夢」を生きているような人にとっては、夢という物語があるから見えやすいし、実感がある。
でも、普通に生きているなかでは、なかなか見えなかったりする。
映画やドラマや小説が「物語」であって、ぼくたちの生それ自体が「物語」であるとは感じにくかったりする。
生きていく上での「ライフステージ」が変わるような場面においては、それまでの人生を振り返り、これからの人生を見据えていくなかで、人生のストーリーが見えたりする。
あるいは、他者に、じぶんのことを語る際に、ストーリーが構成されていく。
あるいは、じぶんの目標を立てたときに、未来から現在をみるなかで、ストーリーが構築される。
小さい物語も大きい物語も含めて、ぼくもいろいろな仕方で、ぼくの「ストーリー(物語)」を確かめてきた。
その中で、「物語」ということが、まるで目の前に形あるものとして存在しているかのように見た経験は、2006年、東ティモールの首都ディリでの騒乱を契機とした出来事であった。
街の治安がくずれ、銃撃戦が近くで繰り広げられる。
これまでの「風景」が、あっという間に、「違った風景」に変わってしまう。
これまでの「風景」をつくっていたような、価値や概念や考えのようなものが、くずれていくような感覚におそわれる。
国外退避し、日本に一時帰国してからも、この感覚はぼくにつきまとうことになる。
東京の風景さえもが、違った風景のように見える。
東京の安全な風景の中で、ぼくは遠隔で、治安が不安定な東ティモールで活動を続ける組織をマネジメントしながら、風景はいっそうゆがみをましていく。
そのような日々に、「物語」がいとおしい感覚、「物語」がなくてはならないような感覚が、ぼくの中で強く立ち上がってきたのだ。
日本に帰国してから、毎日のように、ぼくは渋谷の本屋さんに立ち寄っては、そこでさまざまな本に目をやる。
本屋さんは、本の数だけ「物語」に充ちた空間なのだ。
小説だけではなく、それが新書であったり、料理や雑学の本であっても、ぼくは、そこに「物語」を感じる。
ぼくは、じぶんの中の空虚を埋めるかのように、本のタイトルに目をやった。
本のタイトルから、そこに語られる物語を想像した。
いろいろな著者が、それぞれに、物語を語っている。
とてもつまらないタイトルであっても、それらがとてもいとおしく感じるのであった。
大きな本屋さんに立ち寄ることもあれば、列車が発車するまでのわずかな時間に、駅に隣接する小さな本屋さんにも立ち寄った。
本に向かいながら、ぼくはぼく自身と会話をし、そこに、生きることの物語性を感じていた。
生きることの「物語性」が、実感をともなって、ぼくの中に浮かびあがった日々である。
生きることの「物語性」を考えながら、ふと思い出された出来事である。
「英語で語るということは…」(内田樹)。- 言語を一歩引いて見てみること。
中学生にあがる少し前から英語を勉強しはじめて、その後もぼくにとって「英語」はとても特別なものであったし、あり続けている。...Read On.
中学生にあがる少し前から英語を勉強しはじめて、その後もぼくにとって「英語」はとても特別なものであったし、あり続けている。
そして、「英語」という世界から、英語を鏡のようにして「日本語」を眺め、日本語の奥行きの深さを感じたりもする。
この、英語と日本語の「間」の空間が大切である。
日本語だけで考え、聞き、話すというのとは異なるところに、英語はぼくをつれていってくれる。
「論理・ロジック」を正面から意識して論文におとしはじめたのが、ぼくが初めて本格的に「英語の論文」を書いたときであったことは、偶然ではない。
思想家の内田樹が、「英語で語るということは…」について、とても整然に、イメージの豊かな仕方でまとめている。
英語で語るということは、英語話者たちの思考のマナーや生き方を承認し、それを受け容れるということなのです。
逆から言うと、日本語で思考したり表現したりするということは、日本語話者に固有の思考パターン、日本人の「種族の思想」を受け容れるということです。
そういうふうにして、自分が「個性」だと思っていたものの多くが、ある共同体の中で体質的に形成されてしまった一つの「フレームワーク」にすぎない、と気がつくわけです。
じゃあ、自分はいったいどんなフレームワークの中に閉じ込められいるのか、そこからどうやって脱出できるのか、というふうに問いを立てるところから、はじめて反省的な思考の運動は始まります。
「私はどんなふうに感じ、判断することを制度的に強いられているのか」、これを問うのが要するに「思考する」ということです。
内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川書店
言語は、コミュニケーションの手段であり、異文化という環境においては、その手段性はさまざまな場面で喫緊性をもって立ち現れる。
旅行におけるシンプルな会話であったり、日常会話などの次元では、手段としてのコミュニケーションはその役割をいかんなく発揮する。
しかし、人と人とのかかわりにおける深い次元に入っていこうとすると、いろいろとすれ違いや勘違いなどが起こってくる。
そんなところから、ぼくたちは閉じ込められた「フレームワーク」を思考しはじめるのである。
ぼくにとって「英語」が特別なものとしてあり続けてきた理由のひとつは、この「フレームワーク」を客観視しやすくしてくれる、つまり思考することの視点をあらゆるところにつくってくれるからであると、ぼくは思う。
子供として成長していくなかで、日本語という「言葉」は、ぼくを「守るフレームワーク」として、ぼくを形成していく。
しかし、いつしか、ぼくはその「(ぼくを守る)フレームワーク」の閉じ込められている息苦しさを感じる。
そんなときに現れた「英語」という異なる言葉は、異なる「フレームワーク」を提示してくれる。
「ここではないどこかへ」という焦燥で、身体は海外に飛び立つ。
ぼくの「身体」はさまざまなことを感じ、考える。
しかし、頭の中は「日本語のフレームワーク」が作動し、日本的なマナーと生き方の視点から、物事を解釈していく。
そのような異文化という環境で、「自分はいったいどんなフレームワークの中に閉じ込められいるのか、そこからどうやって脱出できるのか」(内田樹)と問いを立てはじめる。
ぼくの「思考」の旅がはじまり、その旅は今も続いている。
「子供は親の注意の集まる方向に伸びる」(野口晴哉)。- 「大人の注意」にあけわたされた存在の「生活の手段」。
レストランで食事をしているとき、隣のテーブルの男の子(おそらく7歳前後)がぼくのいるテーブルの方向に向けて、水の入っているコップを倒した。
隣のテーブルの机にコップの水と氷がこぼれ、隣のテーブルとこちらのテーブルの間にも少し水がとびちった。
その男の子のお母さんが、たしなめるように、隣の席で子供に声をかけ、テーブルをふく。
しばらくして、その男の子は二つのテーブルの間を行き来し、向かいに座っている兄弟と思われる男の子のところに幾度も足を運ぶ。
ときおりこちらのテーブルと椅子にぶつかりそうになるから、ぼくはそのたびに注意を向けることになる。
ふと横を見ると、お母さんはスマートフォンの画面に目をおとしていた。
このような場面に遭遇し、ぼくは整体の創始者と言われる野口晴哉の「教え」を思い出していた。
…「お客様の前で何です」と言ってたしなめ、子供の行為を抑える。これが、子供にもっと騒ぎたくなるように仕向けることになる。それはお客様がきている間は、子供の行動にお母さんの全身の注意が向いているからです。
野口晴哉『潜在意識教育』全生社
勝手な解釈だけれど、レストランのテーブルで、男の子がぼくのいるテーブルの方向にコップをたおしたのは、お母さんの注意を集めるためである。
その行為により叱られようが、目的は注意を集めること。
その目的は達成されたわけである。
産まれてくるとき、人間はすぐに歩けるわけでもなく、生きることを他者に完全に委ねる。
野口晴哉は次のように書いている。
子供は元来大人の注意によって生活している。自分で生活してゆく力を持たない赤ちゃんの状態で産まれてくるというのは、大人の注意によらなければ育たないということである。だから子供が親の注意を得ようとするのは、大人のようなお化粧ではなくて生活の手段である。子供は頭で感じる以前に体で感じている。注意が少なければすぐに空虚を感じる。お客様が来た時に騒げばお母さんの注意が集中するが、おとなしいと注意が集まらないとなれば、子供は騒がずにはいられない。…
野口晴哉『潜在意識教育』全生社
子供が親の注意を得ようとすることは「生活の手段」であると、野口は書いている。
養老孟司が言っているように、都市は「脳化=社会」であり、頭で作られた場所である。
子供はその中での「自然」でもある。
「頭で感じる以前に体で感じる」ものとしての子供たち。
そして、野口も書いているように、大人も、「我ここにあり」と、人の注意を喚起するような方法をいろいろに発明する。
こんな風な「視点」で見ると、ぼくたちの「周りの風景」は、違ったように見えてくる。
「ゴールのわからない未知のトラックを走る」。- 内田樹『修業論』の強力な重力に引かれて。
「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」という修業について、思想家・武道家の内田樹は「ゴールのわからない未知のトラックを走る」ようなものだと、著書『修業論』(光文社新書)のなかで述べている。...Read On.
「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」という修業について、思想家・武道家の内田樹は「ゴールのわからない未知のトラックを走る」ようなものだと、著書『修業論』(光文社新書)のなかで述べている。
自身の合気道の修業を身体的なベースとしながら、「修業ということ」の本質を丁寧にさぐっている。
…走っているうちに「自分だけの特別なトラック」が目の前に現れてくる。新しいトラックにコースを切り替えて走り続ける。さらにあるレベルに達すると、また別のトラックが現れてくる。また切り替える。
そのつどのトラックは、それぞれ長さも感触も違う。そもそもを「どこに向かう」かが違う。はっと気がつくと、誰もない場所を一人で走っている。…
内田樹『修業論』光文社新書
修業というものは、そのような「未知」を走る。
しかし、以前からよく言われるように、「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」と頭ごなしに言われると、若い人たちは耳を貸さない。
内田樹は、このようなふるまいを、「消費者」という視点を導入して、語っている。
消費者が商品を見定めるときに例えば「何の役に立つのか?」ということを聞いたとして、その問いに対し(修業のように)「使ってみればわかる」と答えるような売り手はいない。
使い道がわからない商品はこの世に存在しない。とりあえず、今の子どもたちはみなそう信じています。現に、家庭でも学校でも、あらゆる機会において、子どもたちは何かするときに「これをするとこれこれこういう『善いこと』がある」という説明を受けて利益誘導されています。
内田樹『修業論』光文社新書
「利益誘導」ということは、内田樹も説明しているように、「努力のインセンティブ」を与えていくことである。
前述のように消費者的な視点を引き入れると、努力をすると「商品」が得られるというプロセスなのだが、修業とはそのようなものではない。
「ゴールのわからない未知のトラックを走る」ようなもので、あらかじめ、明確なゴールが示されるものではない。
ゴールは、「あれはそういうことだったのか」という事後の気づきという形で、語られる。
そういうものだ。
著書『修業論』は、そのようなことがわからない「子ども」に対して書かれた本である。
しかし、内田樹が展開していく論理は、この「まえがき」の導入から本文に入っていくなかで、一気にその論が先鋭化されていく。
「無敵とはなにか、天下無敵とはどういうことか」など、修業というものの本質が持つ強力な磁場に引かれるようにして、論は深くきりこんでゆく。
その強力な重力に、ぼくは一気に引っぱられている。
そのようにして、「ゴールのわからない未知のトラック」を、ぼくはただただ走り続けている。