総論

Yuval氏の新著『Homo Deus』の視界 - Homo Sapiensの彼方 by Jun Nakajima

Yuval Noah Harari氏の新著
『Homo Deus』は「必携の書」である。
「人生の必須書」である。
「世界を視る眼」が変わってしまう書籍
である。

英語版が出版されたばかりである。
400ページを超える大著であり、
日本語訳出版までには時間がかかる
ことが予測される。
(日本語を待たず英語で読んでほしい。)

Yuval氏が新著で展開する
「人類の21世紀プロジェクト」。
人類(humankind)がその困難(飢饉・
伝染病・戦争)を「manageable issue」
として乗り越えつつあるときに、
次にみすえるプロジェクト。

  1. 不死(immortality)
  2. 至福(bliss)
  3. 「Homo Deus」へのアップグレード

3は書のタイトルにもなっている。
「神」なる力(divinity)を獲得していく。
「神」になるわけではなく、
「神的なコントロール」を手にしていく
ことである。

「Homo Deus」へのアップグレードは
3つの道があるという。

  1. 生物工学(biological engineering)
  2. サイボーグ工学 (cyborg engineering)
  3. 非有機物の工学 (engineering of non-organic beings)

論理的な道である。
有機、有機と非有機の組み合わせ、
非有機の道である。

Yuval氏は、未来を「予測」している
のではない。
人類の歴史的な視野と「現在」(現在
すでに起こっていること)から、
副題にあるように「明日の歴史」の
視界をひらいているのである。

Yural氏の視界ははるかに広い。
彼が、この「視界」を獲得できたのは
「Sapiens」という視界をもっていたから
である。
「Homo Sapiens」の彼方に、
「Homo Deus」を視ている。

ぼくも「Homo Deus」の「視界」を
装填しているところだ。
よいとか悪いとかを超える次元において
人類の向かう先、はるか彼方に眼を
こらしながら。

「人間の歴史」を巨視的に視ること - 見田宗介の明晰な理論 by Jun Nakajima

「人間の歴史」を巨視的に視ること。
日々の生活や明日生きていくことには
関係なくみえる。

でも、そのことは、ぼくたちの
「生き方」をきりひらいていくため
にも、とても大切なことである。
今日のパンをつくってはくれない
けれど、ベネフィットは大きい。

「不確実性の時代」のなかで、
日々のメディア情報の渦のなかで、
巨視的な視野を獲得しておくことは
精神をおちつかせてくれる。

Yuval氏の著作、
『Sapiens』と『Homo Deus』は
そんな効果もあたえてくれる。

巨視的な視野を獲得していく上で、
見田宗介先生の理論は極めて明晰で
ある。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
に収められている論考、
「人間と社会の未来 - 名づけられない
革命 -」は、とてもパワフルである。

そのなかで展開される論の内の二つは
次の通りである。

●人間の歴史の五つの局面。現代の意味
●現代人間の五層構造

「人間の歴史」は、五つの局面から
なっている。

  1. 原始社会(定常期)
  2. 文明社会(過渡期)
  3. 近代社会(爆発期)
  4. 現代社会(過渡期)
  5. 未来社会(定常期)

見田先生は「現代」をこのように
明晰にとらえている。

 

…「現代」と呼ばれる社会は、この
「近代」の爆発の最終の位相である
という力線と、新しい安定平衡系に
向かう力線との拮抗する局面として、
未知の未来の社会の形態へと向かう、
巨大な過渡の時代としてとらえておく
ことができる。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)


見田宗介先生はこれに照応する
ように、「現代人間の5層構造」を
図示している。

④現代性
③近代性
②文明性
①人間性
⓪生命性

その上で、大切なものに焦点をあて
るように、ていねいに説明を加えて
いる。

 

人間をその切り離された先端部分
のみにおいて見ることをやめること、
現代の人間の中にこの五つの層が、
さまざまに異なる比重や、顕勢/
潜勢の組み合わせをもって、
<共時的>に生きつづけている
ということを把握しておくことが、
具体的な現代人間のさまざまな事実
を分析し、理解するということの
上でも、また、望ましい未来の方向
を構想するということの上でも、
決定的である。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)


見田先生は、このことばを、
言い方をかえながら、繰り返すよう
な仕方で、ていねいに添えている。

ぼくたちは、日々、「人間をその
切り離された先端部分のみ」で
みてしまう。

この警鐘を、この書が出版される
数年前に、ぼくは見田先生の講座
で耳にしていた。
そのときは「素描」のような仕方
で論を展開されていた。

ぼくは、その後、西アフリカの
シエラレオネ、東ティモール、
そして香港と移住していくことに
なる。

世界のさまざまな人たちに出会い、
一緒に喜び、一緒に苦闘し、
一緒に悲しみ、ときには互いの
フラストレーションをぶつけあう。
そのなかで、自分の感情から、
一歩距離をおくとき、ぼくは
この「現代人間の五層」を
思い出してきたのだ。

 

見田先生は、この文章につづき、
「名づけられない革命」の
素描的な記述をしている。

Yuval氏の新著『Homo Deus』
の副題「A Brief History of
Tomorrow」にある「明日の
歴史」を、この「名づけられない
革命」に接続することを、
ぼくなりに思い巡らしている。

「名づけられない革命」が
「明日の歴史」を形づくる、
ひらかれた未来を想像しながら。

Yuval氏の新著『Homo Deus』を読みながら、ふと気づく。 by Jun Nakajima

Yuval Noah Harari氏の新著
『Homo Deus』を読む。
副題は「A Brief History of
Tomorrow」。

Yuval氏の前著『Sapiens』
(邦訳は『サピエンス全史』)に
続く、名著である。

著作『Homo Deus』は、
サピエンス(人間)が3つのことを
克服してきたことから始まる。

●飢饉・飢え(famine)
●ペスト(plague)
●戦争(war)

もちろん、飢えや伝染病や戦争が
完全になくなったわけではない。
世界では今も、それらに苦しむ
人がいる。
ぼくも、そのような境遇に置かれた
人たちを、国際協力の形で支援した
ことがある。

ただし、Yuval氏は、これらが
「manageable challenge」に
なったことに焦点をあわせる。

現代は、一部を除き、これら3つが
日々の生活に隣り合わせにあるわけ
ではない。

確かに、人間は、これら3つを
ある意味において克服したのである。

この第1章を読みながら、ぼくは
ふと気づいたのである。

「戦争」は、この「manageable
challenge」に変わっていて、これは
歴史においては大きな意味を持つこと。
ぼくの視野が狭くなっていたこと。

ぼくは「戦争」が幼少期の頃から
嫌いである。
シエラレオネや東ティモールで、
戦争の傷跡も間近に感じてきた。
現場でできることをしてきた。
でも、「人間の歴史」という歴史の
長いスパンの中で見ることができて
いなかった。

「人間の歴史」の中では、
今の時代は「特異な位置」にいる。
このことを、長い時間軸の中で、
考えさせてくれる書籍である。

何かの可能性だけでなく、
何かの「予感」に充ちた書籍である。

ぼくは、自分のなかで、手につかめ
そうな「予感」を感じている。
自分の「何か」につながる予感を。

「見田宗介=真木悠介」の方法 -「ほんとうに大切な問題」 by Jun Nakajima

見田宗介『社会学入門 - 人間と社会の
未来』(岩波書店)の「序」は
感動的な文章である。

「社会学とは」について書かれている。
専門科学(経済学、法学、政治学等)
の「領域」をまたいで、「領域横断的」
な学問として、社会問題に向き合う。



 社会学は<越境する知>…とよばれて
きたように、その学の初心において、
社会現象の…さまざまな側面を、
横断的に踏破し統合する学問として
成立しました。…
 けれども重要なことは、「領域横断
的」であるということではないのです。
「越境する知」ということは結果で
あって、目的とすることではありません。
何の結果であるかというと、自分にとって
ほんとうに大切な問題に、どこまでも
誠実である、という態度の結果なのです。
 
 

それから「自分自身のこと」として
見田宗介先生の社会学との関係が
つづられている。

 

わたしにとっての「ほんとうに切実な
問題」は、子どものころから、
「人間はどう生きたらいいか」、
ほんとうに楽しく充実した生涯を
すごすにはどうしたらいいか、という
単純な問題でした。

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)

 

「ぼくのこと」で言えば、
(今振り返ると、ということだけれど)
小さいころから、次のような問題系が
ぼくという人間を駆動してきた。

  1. 生きる目的や人間の本質といった「人間」の問題系
  2. 戦争などの争いのない「社会」の問題系

高度成長期後の日本において、ぼくは
生きにくさを感じ、疑問をもっていく。

(後年、この危機状況は「社会問題」で
あったことも書籍から知る。ぼくだけ
ではなかったということ。「ぼく」の
問題であると共に「社会」の問題でも
ある。)

人生は、ぼくに「道」を開いてくれる。

それは、
「世界を旅する道」であった。

大学に入り、世界を旅するようになる。
中国、(返還前の)香港、ベトナム、
タイ、ラオス、ミャンマー、ニュージー
ランドと、ぼくは世界を旅する。

その内に、ぼくの「ほんとうに大切な
問題」は、このように「具体性」を
帯びていった。

  1. 日本を出て世界を旅する日本人
  2. 「途上国問題・南北問題」

「生きづらさ」の感覚は、「旅で人は
変われるか?」という探索につながった。
「人が変わる」ということを、旅という
場を素材に、追求していくことになった。

そして「途上国問題・南北問題」は、
ぼくの人生をかたちづくっていく。

大学卒業後の進路はうまく決まらず、
また「学びの欲求」が益々強くなり、
ぼくは二つ目の「途上国問題・南北問題」と
いった問題系を大学院で学ぶことに決めた。

大学院で、ぼくは途上国「開発・発展」を
学ぶ。
途上国のことを学べば学ぶほど、それは
結果として、既存の専門科学を「越境」
せざるをえないことになった。

「人が変わること」と「社会が発展すること」
の問題系は、次第にひとつのキーワードを
結実させていくことになる。

それは、
「自由」(freedom)ということである。

この言葉を頼りに、この言葉をタイトルに
ぼくは修士論文(「開発と自由」)を書く。

見田宗介と経済学者アマルティア・センを
導きの糸として、ぼくは「自由」をとことん
考えたのだ。

修士論文「開発と自由」は、ぼくにとっては
とても大切な作業であった。
それは、ぼくのなかで、納得いくまで、
いろいろなこと・ものが繋がったからである。

でも、ある教授に言われた。

「よく書けているけれど、ある意味誰でも
書ける内容ですね。『経験』が見えない。」

理論に終始した結果、ぼくの経験に根ざした
文章にはなっていなかったのだ。

大学院の修士課程を終え、ぼくは、
「実践」にうつっていく。
国際協力NGOに就職し、途上国の現場に
出ていくことになったのだ。
こうして、ぼくは、西アフリカのシエラレオネ
の地に、踏み出すことになった。

ぼくの「ほんとうに大切な問題」を手放すこと
なく、追求していく仕方で。

シエラレオネと東ティモールで、ぼくは、
それぞれ、難民支援とコーヒー生産者支援で
「実践」していく。

そのなかで、ぼくの「原問題」は、次のように
表層を変える。

  1. 「人が変わること、人の成長」の問題系
  2. 「いい『組織』をつくること、組織のマネジメント」の問題系

実践の中で、ぼくは、数々のプロジェクトを
動かしていく。その中で、「組織」という
問題にぶつかったのだ。

その後、人生は、ぼくに次の「道」を開く。
そうして、ぼくは「香港」に移ったのだ。

香港で、ぼくは、人事労務コンサルタントの
仕事につく。
「人と組織の成長・発展」を、
人事の視点からサポートする仕事である。

それから10年。
ぼくは、次のステージに立っている。

そして、やはり「ぼくの原問題」に立ち戻る。
それは、見田宗介先生の「ほんとうに大切な
問題」と交錯する。

「どのようにしたら、この世界で、よりよく
生きていくことができるのか」

時代は、大きく変わろうとしている。
すでに、変わってきているし、変わって
しまってもいる。
だからこそ、原問題から、ぼくは新たに
スタートする。

見田宗介先生は、『社会学入門』の「序」の
最後に、このような文章を書いている。


インドには古代バラモンの奥義書以来、
エソテリカ(秘密の教え)という伝統がある。
そのエソテリカの内の一つに、
<初めの炎を保ちなさい>という項目がある。
直接には愛についての教えだけれども、
インドの思想では万象の存在自体への愛
(マハームードラ Cosmic Orgasm)こそが
究極のものであり、知への愛である学問に
ついてもそれはいえる。

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
 

旅も、世界で生きていくことも、そして
人生も、同じであるとぼくは思う。

<初めの炎>をぼくは、心の内に、灯し
続ける。

世界を変える?(理論編) by Jun Nakajima

「世界を変える」ではなく、世界が変わっていく。

「~すべき」「~あるべき」という肩肘張った説法ではなく、また様々な形で発現する「暴力」という仕方でもなく、世界が変わっていく。

「生き方の魅力性」(見田宗介)という魅力的な仕方で、世界が拓かれていく。
魅力的な生き方に、人が変わっていく。

ある人が変わることで、人と人との「関係性」も変わっていく。
人と人との「関係性」は、「社会」である。
「社会」の連鎖が、「世界」である。

「生き方の魅力性」と「生き方の魅力性」が、相乗的に、拡がっていく。
そんな生き方ができる時代にぼくたちはいる。

「ブログ」を始めるにあたって by Jun Nakajima

「ほんとうに歓びに充ちた現在を生きていく」ために。
そして、世界の各地で、「ほんとうに歓びに充ちた現在を生きている」人たちと、相乗的に、生き方の魅力性を形づくっていくために。

そのような思考や行動、その形としてのプロジェクトといったことの「源泉」となるようなことをここに書いていきたい。2017年は、毎日書いていく。

自分に課す(「課す」といっても、ゆるい方向性だけれど)指針は、次のようである。

  1. 「ほんとうに歓びに充ちた現在を生きていく」ための文章であること。書くことそれ自体が「歓び」であること。
  2. 「創られながら創ること」(*後日書きます)をスタンスとすること。
  3. ブログだけに終わらせるのではなく、行動やプロジェクト等に変容させていくこと。

また、特定の民族・政治・信条・宗教などにかかわりなく、「ほんとうに歓びに充ちた現在を生きていく」人たちを念頭に書いていく。

領域は、随時形を変えていくけれど、イメージとしては下記のようになる。

・土台と構想:
社会構想。ライフスタイルの変革。「見田宗介=真木悠介」。人・社会と自然。宇宙の視点。等々。

・方法論:
自己啓発。成長。リレーションシップ。起業。書籍。「言葉」や「定義」を変えること。等々。

・行動と実践:
「シエラレオネから東ティモール、そして香港へ」。ニュージーランド。海外(日本の外)での生活。NGO/NPO。人事労務コンサルタント。起業。書籍から学ぶ。等々。

なお、当面は日本語で開始し、後に準備が整い次第、一部は英語でもはじめていく予定である。

香港に居をうつして、ほぼ10年。
香港に来る前は、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール。
そこで、ぼくがやってきたことは、「ほんとうに歓びに充ちた現在を生きる」ことであったように、ぼくは思う。
うまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともある。
そのようなことすべて含めての「歓び」である。
これまで出会ってきた人たちを思い起こしながら、そして、これから出会うであろう人たちを想像しながら、ぼくは、この「ブログ」にて、言葉を紡いでいきたい。