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Joseph Campbell著『The Hero with A Thousand Faces』に、これから挑む前に。- 森の最も暗いところにわけいる前に。

Joseph Campbellの著作『The Hero with a Thousand Faces』にこれから挑む。邦訳のタイトルは『千の顔をもつ英雄』。...Read On.

Joseph Campbellの著作『The Hero with A Thousand Faces』にこれから挑む。
邦訳のタイトルは『千の顔をもつ英雄』。

神話学者Joseph Campbellの、とても有名な本。
例えば、この本で展開される「英雄の基本構造」を、ジョージ・ルーカスが映画『スター・ウォーズ』の制作に取り込んだことは、とてもよく知られている。

神話における「英雄になる基本構造」は、この本の「Part 1: The Adventure of the Hero」(英雄の冒険)の各章で詳細に語られる。

世界の様々な神話に共通する英雄の型(Departure 出発 - Initiation 通過儀礼 - Return 帰還)を、Joseph Campbellは明晰に語る。

1949年に初版が発刊された、この『The Hero with A Thousand Faces』。
とても有名であるけれど、他の数々の「名著」と同様に、きっちりと読まれていない本でもある。

この原書を、ぼくは2014年にアメリカから取り寄せて、ほとんど読めずにいた本である。
電子書籍は当時も今もなく、ハードカバーである。

しかし、手に入れて読んでいない本たちは、さまざまな仕方で、ぼくたちの生に影響をおよぼすことがある。

内容は読んでいなくても、著者と著作のタイトルが、そこに「存在」している。
その「存在」が深ければ深いほどに、ぼくたちは、心身の姿勢をただす。

また時折、著作は、ぼくたちの眼の前で、ぼくたちをまなざす。
その「まなざし」が、ぼくたちの心の深奥の何かに触れる。

そして、昔に手に入れた本が、未来の自分を「救う」ことがある。
まるで、昔の自分は、未来の自分が、その著作を必要とすることを知っていたかのように。

Joseph Campbellを、「今」読みたくなった表層的な契機は、香港科学館の「古代エジプト展」である。
ブログ:香港科学館「Eternal Life: 古代エジプト展」を観て。- 「永遠の生」を希求すること。

Joseph Campbellが、古代エジプトの神話をどのように論じているのかが、直接的には気にかかっていることだ。

でも、もう少し深いところでの直感が、ぼくに、Joseph Campbellのこの作品を手に取らせたのだと、感じている。

自分自身の「準備」がととのったときに、「師」はあらわれる。
そして、「師」は、ぼくのそばで、急かさずに、待っていてくれる。

ぼくは「準備」をととのえている間、あるいは「準備」の一環として、「師」の他の仕事・作品に教えを得てきた。

Joseph Campbellの著作集『A Joseph Campbell Companion: Reflections on the Art of Living』からである。

この著作集のなかに、よくとりあげられる、Joseph Campbellの「言葉」がおさめられている。
それは、「Follow your bliss」と題される、美しい文章である。

 

Follow your bliss.

The heroic life is living the individual adventure.

There is no security in following the call to adventure.

Nothing is exciting if you know what the outcome is going to be.

To refuse the call means stagnation.

What you don’t experience positively you will experience negatively.

You enter the forest at the darkest point, where there is no path.

Where there is a way or path, it is someone else’s path.

You are not on your own path.

If you follow someone else’s way, you are not going to realize your potential.

Joseph Campbell “A Joseph Campbell Companion: Reflections on the Art of Living” (Joseph Campbell Foundation)
 

Joseph Campbellは、ぼくに、語りかける。

道のない、森の、最も暗いところにわけいりなさい、と。
他者ではなく、自分自身の冒険をしなさい、と。
そして、それが、「bliss」(歓喜)の生であるということを。

そのような「道のない道ゆき」を歩く際の、ひとつの「同伴者」として、Joseph Campbellの著作は、ぼくの目の前に、今あらわれる。

香港科学館で出会った「古代エジプトのミイラたち」が、Joseph Campbellにつなぐ「導き手」となってくれたのかもしれない。

ユバル・ノア・ハラリ著『Homo Deus』で指摘される、人類の「3つのプロジェクト」の一つ、「bliss/happiness」(歓喜/幸福)。

「技術的な解決の試行」を繰り返す人類の前で、今は亡きJoseph Campbellは、何を語ったであろうか。

 

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香港科学館「Eternal Life: 古代エジプト展」を観て。- 「永遠の生」を希求すること。

香港にある香港科学館で、古代エジプト展「Eternal Life: Exploring Ancient Egypt」を観る。香港が中国に返還されてから20周年を迎えることを記念するイベントのひとつである。...Read On.

香港にある香港科学館で、古代エジプト展「Eternal Life: Exploring Ancient Egypt」を観る。
香港が中国に返還されてから20周年を迎えることを記念するイベントのひとつである。

展示場は、学校の社会見学で訪れている団体、家族、若者など、展示場は平日の午前でも、人であふれかえっている。

特別に開設された展示場では、大英博物館から、6体のミイラを中心に約200点がもちこまれ、展示されている。6体のミイラは、3,000年から1,800年前の時代を生きた個人たち(既婚女性、吟唱者、祭司、歌手、子供、若者)である。

CTスキャンなどの先端技術による病理学的見解、装飾品、壁画、食べ物など、展示物は多岐にわたっている。

それら展示物を見ながら、訪れる人たちは何を感じ、何に思いをはせ、何を考えているのだろう。

ぼくは以前、ロンドンの大英博物館で、これらのいくつかには出会っていたかもしれない。
でも、今考えてやまないのは、この「Eternal Life」、永遠の生という主題である。

 

1)「永遠の生」を希求すること

暗がりの展示場に足を踏み入れながら、ぼくは、「永遠の生」を希求したであろう人たちの、その生に思いをよせる。

ここの6人の人たちはどのような生をおくっていたのだろうか。
ミイラをつくり、それを見守り、その文化を支える社会はどのようなものであったのか。
人は何を恐れていたのか。
人はほんとうは何を希求していたのか。
永遠の生を希求する人たちの生は、何に支えられていたのか。

疑問と思考が、絶え間なく、ぼくにやってくる。
展示場を去ってからも、思考は古代エジプトの人たちによせられる。

古代エジプト展をみてから後に、社会学者・真木悠介の名著『時間の比較社会学』をひらく。

真木悠介は、「死の恐怖」というものを、まっすぐに見つめながら、こう書いている。
 

死の恐怖からの解放…われわれはこの精神の病にたいして、文明の数千年間、謝った処方を下してきたように思われる。まずそれを実在的に征服する試みとしての、不死の霊薬の探索やミイラ保存の技法といった技術的な解決の試行。第二にそれを幻想的に征服する試みとしての、肉体は有限であるが「魂」は永遠であるといった宗教的な解決の試行。そして第三に、それを論理的に征服する試みとしての、時間の非実在性の論証といった哲学的な解決の試行。…

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
 

真木悠介は、文明の数千年を見渡しながら「誤った処方」とする、
●技術的な解決の試行
●宗教的な解決の試行
●哲学的な解決の試行
をのりこえていく方向性を、次のように、書く。

 

…われわれがこの文明の病から、どのような幻想も自己欺瞞もなしに解放されうるとすれば、それはこのように、抽象化された時間の無限性という観念からふりかえって、この現在の生をむなしいと感覚してしまう、固有の時間意識の存立の構造をつきとめることをとおして、これをのりこえてゆく仕方でしかありえない。

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
 

このような「序章」ではじまる『時間の比較社会学』の世界に、こうして、ぼくはまた惹き寄せられてしまうのだ。
 

2)「軸の時代」(ヤスパース)と古代エジプト

人間が希求してやまない「抽象化された時間の無限性」の生成期として、見田宗介(真木悠介はペンネーム)は、カール・ヤスパースが「軸の時代」(枢軸時代)と呼ぶ時代を重ねる。

カール・ヤスパースは、著書『歴史の起源と目標』のなかで、この「軸の時代」という、歴史の素描を展開している。

ヤスパースは、紀元前800年から200年の間を「軸の時代」と呼んだ。

その時期に、キリスト教の基層となるユダヤ教、仏教、儒教のような世界宗教、古代ギリシアの「哲学」などが、一斉に生まれた。

それは、香港の展示場で展示されている、古代エジプトのミイラがつくられていた時期と重なる。

この「軸の時代」の社会的文脈として、見田宗介は、貨幣経済の成立と浸透、交易経済の成熟、都市化、共同体から外部に向かう生活世界などを見ている。


…貨幣経済と社会の都市化と共同体からの離脱と生活世界の<無限>化は、<近代>の本質そのものに他ならないから、<軸の時代>とは、「近代」の遠い起原、あるいは近代に至る一つの巨大な文明の衝迫の起動の時代に他ならなかった。

見田宗介「高原の見晴らしを切開くこと」『現代思想』Vol.42-16
 

そして、現代は、この<無限>が、再度<有限>に出会う時代である。
「巨大な文明」の岐路にある。

ヤスパースと見田宗介の「思考の交差点」(「軸の時代」と「無限性」)から、ぼくたちは、古代エジプトの人たちが希求した「永遠の生」をどのように見ることができるか。

古代エジプトの人たちが切実に希求した「永遠の生」とその根底にある「無限への希求」の行き着く先(あるいは転回)の時代に、ぼくたちは今、こうしておかれている。

人間が生きることのできる空間(とそれが産出する資源、環境)と時間は「有限」である。
 

グローバリゼーションとは、無限に拡大しつづける一つの文明が、最終の有限性と出会う場所である。

見田宗介「高原の見晴らしを切開くこと」『現代思想』Vol.42-16
 

3)「Homo Deus」(ユバル・ノア・ハラリ)と「不死」

しかし、人類の「永遠の生への希求」は、その「無限性」を、捨てていない(あるいは捨てることができない)。

ユバル・ノア・ハラリは著書『Homo Deus』で、人類が「次に見据えるプロジェクト」として、3つを挙げている。

  1. 不死(immortality)
  2. 至福(bliss)
  3. 「Homo Deus」へのアップグレード

人類は、無限が有限に出会う現代という時代において、「不死」(永遠の生)を、霊薬やミイラではない「技術的な解決の試行」の方向性に、突き進めていく道をも選ぶ。

古代エジプトで日常に見られたであろう「飢饉」や「戦争」を解決してきた人類は、しかし、「不死」の希求を捨てていない。

ぼくたちは、このような時代の只中に、おかれている。


ところで、ピラミッド=ミイラと考えがちだけれど、ミイラは裕福な者であれば作ることができたという。

しかし、真木悠介の名著『気流の鳴る音』の「序」の最後に置かれる、ピラミッドの話が思い起こされる。

真木悠介は、エジプトではなく、マヤのピラミッド(そしてその周りにどこまでも広がるジャングル)を目にしながら、次のような想念を書きとめている。
 

…ピラミッドとはある種の疎外の表現ではなかったかという想念が頭をかすめる。幸福な部族はピラミッドなど作らなかったのではないか。テキーラの作られないときにマゲイの花は咲くように、巨大な遺跡の作られないところに生の充実はあったかもしれないと思う。…

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房
 

この文章を、自分の心に映しながら、ぼくも同じような想念を抱く。

そして、自分の中に、「ピラミッド(のようなもの)を希求する気持ち」と「ピラミッド(のようなもの)など希求しない気持ち」の二つが、共にあることを確認する。

それは、まるで、「生の充実を『誤った処方』で追い求める自分」と「生の充実を心に感じている自分」とが、せめぎあっているかのようである。

その「せめぎあい」の落ち着かなさを、ぼくは、古代エジプト展の展示物の存在に囲まれながら、感じていたのかもしれない。
 

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「美しい姿勢」への憧れ。- 「ZYPRESSEN」のように、世界に立つために。

ほんとうに「美しい姿勢」に、ぼくは憧れる。人の美しい姿勢と歩く姿は、ぼくの記憶のなかで、アフリカの人たちのイメージと重なる。...Read On.


ほんとうに「美しい姿勢」に、ぼくは憧れる。
人の美しい姿勢と歩く姿は、ぼくの記憶のなかで、アフリカの人たちのイメージと重なる。

西アフリカのシエラレオネ。
朝靄の中を、大地に垂直に立ち、凛とした姿勢で歩を進める人たち。
夕暮れ時には、人のシルエットたちが、同じように、存在の根を大地にはるように、歩んでいく。
とりわけ、頭の上に籠を載せて歩いていく女性たちの、その姿勢と歩みの美しさに、畏れに近い感情を抱く。

「存在」の重み。存在感。
大地に、確かな仕方で立つ姿勢は、とても美しい。

美しい姿勢に対する憧れは、ぼく自身の姿勢の悪さとよくならないもどかしさの裏返しである。
小学生の頃、日本の学校で「姿勢の矯正」の教育があった記憶が、ぼくのなかにはある。
ぼくの姿勢は、中学生の頃には、「前のめり」になっていく。
高校生の頃には、それに、「猫背」が加わる。
そして、いつしか、ぼくは姿勢のことを、意識しなくなっていく。

一般的に、義務教育を終えてから後には、「姿勢」について、きっちりと教えてもらう機会はあまりないかもしれない。
時に、姿勢を仕事とするような場合や、接客やサービスの仕事などにおいて必要な場合、幸運にも、上司などの注意を受けることはある。
また、自分から「学ぶ」という人の話も、あまり聞かない。

なにはともあれ、自分で、切り拓いていくしかない。

ぼくの場合は、美しい姿勢への憧れ、そして他者たちの寛容な「サポート」により、少しづつ、姿勢を変えてきている。

人生のパートナーが、ぼくの横で、いつも指摘してくれる。ぼくも指摘する「指摘協定」だ。
職場で、プレゼンのリハーサルで上司が指導してくれたこともある。
メンターに指導を受ける。
本に学ぶ。

作家の中谷彰宏は、「生まれ変わりたい」と願う人たちへの指導で、姿勢をひとつの契機とする。


生まれ変わりたい人に対して一番目に直すのは、服装です。
二番目は、姿勢を直します。
これは身体的な姿勢と物事の考え方の姿勢です。
三番目に、新しい知識や工夫を入れます。

中谷彰宏『服を変えると、人生が変わる。』
秀和システム

 

中谷彰宏が書いていることを逆転させて、習う側から読むと、服装や姿勢を変えるということは「生まれ変わる」気持ちがあるということでもある。
ぼくの「根底」における「生まれ変わりたい」という焦燥が、ぼくの心に、絶えず火をくべてきたことは確かだ。

それから、「姿勢の専門家」たちの本にも助けられた。
とりわけ、猫背にはいくつか種類があり、ぼくは「腰猫背」であったことの理解は、目を見開かせるものであった。
「猫背」は、シンプルに背中の問題だと思っていたからだ。

そんな風に、自分の姿勢を気にしながら、香港の街で、行き交う人たち、とくに若者たちの姿勢が気にかかってしまう。

若者たちの姿勢が、ぼくが同じくらいの年齢であったころの自分の姿勢と重なる。
ぼくがそうであったように、時代や社会に対する「姿勢」のあらわれのように、ぼくには見える。

「姿勢」は、ぼくたちがこの「世界」に対峙する仕方を表現する。
そして、それはそうであるままで、他者、それから何よりも自分自身に対する態度・あり方でもある。

 

社会学者の見田宗介は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』に出てくる、「ZYPRESSEN」という言葉に眼を留める。
ひらがなと漢字のなかで、突如とあらわれる「ZYPRESSEN」。

 

「ZYPRESSEN」…は、糸杉である。詩の冒頭の陰湿な<諂曲模様>と鮮明な対照をなすものとして、ZYPRESSENは立ち並んでいる。ー曲線にたいする直線。水平にたいする直線。からまり合うものらにたいして、一本一本、いさぎよくそそり立つもの。…
 ZYPRESSENとは、地平をつきぬけるものである。…

見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
 

宮沢賢治は、若い頃、ゴッホの描く「糸杉」に惹かれていたという。
ゴッホの「炎」のイメージの糸杉が、宮沢賢治の詩に重なりながら、世界に垂直にそそり立つ賢治の意志をそこに結晶させている。

そして、ぼくも、ゴッホの糸杉に小さい頃から惹かれ、宮沢賢治、そして見田宗介の、「世界にたいして垂直にそそり立つ」あり方に、憧れてきた。

ぼくの、意志も、身体も、生それ自体も、垂直にそそり立っているか。

ゴッホの糸杉、宮沢賢治の『春と修羅』、見田宗介の文章、そしてアフリカの道を行き来するシルエットたちが、ぼくにそう問いかけてやまない。

押しつけるのでもなく、責めるのでもなく、ただ静かに、そこに垂直に「存在」しながら。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「学ぶこと」と「学ぶことの楽しさ」。- もっと広い世界に、帆をあげて、舟をこぎだすことのメモ。

「学ぶこと」と「学ぶことの楽しさ」のメモである。もっと広い世界に、帆をあげて、舟をこぎだすことのメモである。...Read On.

「学ぶこと」と「学ぶことの楽しさ」のメモである。
もっと広い世界に、帆をあげて、舟をこぎだすことのメモである。

ぼくたちは、産業革命につづく「近代」の教育制度の中で、「何かのために」学ぶこと、が、身体にしみついている。

その「何か」は、言う主体や文脈によって、様々に変化していく。

その「何か」に疑いを持ち始めた「現代」の若者達は、シンプル化すると、二つの仕方で対処していく。

①「何か」を(意識的に・無意識的に)忘却し、例えば、試験勉強で学び、大学に入学し、社会に出ていく。

②「何か」を自分なりに定め、例えば、試験勉強で学び、大学に入学し、社会に出ていく。

中には、自分なりに「何か」を定めた上で、大学を飛び越したり中退して、社会に出ていくものもいる。
しかし、マジョリティではない。

①も②も、いずれにしても、「何かのために」学ぶことに終始する。

「何か」は、当面は、大学に合格することであったり、入社するためであったりする。
だから、大学に合格すると、あるいは入社すると、「学ぶこと」をやめてしまう。

入社後も、仕事に関連することは学んだりする。
ただ、やはり、そこで止まってしまう。

「何かのため」の学びに、ぼくたちは成型されている。


それではダメだと、「生涯学習」や「教養」の必要性が語られたりする。
しかし、それらもまた仕事のためにという範疇で、狭められてしまう。

つまり、いわば、「功利的思考への装置」が、ぼくたちには仕組まれている。
「功利的思考」は、生きていく上で役立つものではあるけれども、それだけになると苦しくなってしまう。

だから、「学ぶこと」をもっと広い空間に放ち、「学ぶことの楽しさ」を取り戻すことが大切だと、ぼくは思う。

「学ぶこと」あるいは「学ぶことの楽しさ」には、大きく二つある。

1)新しい学び
2)感じていたことを「言葉化」する学び

そのなかで、時に、「世界の見え方」が変わるような学びに出会うことができる。

しかし、さらに、「学ぶことの楽しさ」は、考えていたことが「つながること」にあると思う。
学んでいるなかで、これまで学んできたことの「断片」が、見事につながるときがある。

それは、別に「何かのための」学びであるわけではない。
しかし、断片がつながることで、そこに「世界」が立ち上がってくる。

ぼくは、そのような「学び」が好きだ。
深い歓びを、ぼくは感じる。

 

ところで、スティーブ・ジョブズは、かつて「connecting the dots」ということを語った。
生きていく上で、その時には「点」であったものが、後々に見ると「つながる」ということである。

人は、時に、先に「つながり」を知りたくなる。
つまり、物事の「意味・意義」を先に知ることで、「点」の行動へのモチベーションをつかもうとする。

しかし、意味・意義は「後からわかる」ことでもある。

最初から「わかって」いたら、とても「つまらなく」なってしまう。
それは、まるで、映画のエンディングを観てから、映画をはじめから観るようなものだ。

「学ぶこと」もいろいろな「点」をつくっていくことで、どこかで「つながる」瞬間に出会う。

点がつながる。
点と点をつなぐ線が見えてくる。

それは、後付けの「何かのため」という見方もあるけれど、それ自体、とても素敵な瞬間だ。

学ぶことも、生きることも、その本質においては同じなのだ。

だから今日も、ぼくは、学びの、そして生きることの「点」を、「今、ここ」に、せっせとうつ。

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「自我」の牢獄が溶解するとき。- 社会学者・真木悠介の「生の歓喜という経験」をめぐる冒険。

社会学者・真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく「主題」として、「生の歓喜」ということがある。世界の誰もが、意識的にあるいは無意識的に、追い求めてやまないものである。...Read On.

社会学者・真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく「主題」として、「生の歓喜」ということがある。
世界の誰もが、意識的にあるいは無意識的に、追い求めてやまないものである。

この短い文章は、この「生の歓喜」という経験についてのメモである。

ところで、人は「何が」歓喜をもたらすのか、と考える。
あるいは、「どのようなことをすることで」歓喜を得られるか、と考える。
つまり、好きなもの、好きなことを考え、見つけようとする。

しかし他方で、「生の歓喜」とは、「どのような経験」なのであろうか、と問うことができる。

真木悠介の仕事は、ここに「照準」を合わせ、あるいは「起点」として、人と社会を考察している。

社会学者の見田宗介が、ペンネームの「真木悠介」名で書いた作品群は「3+1」である。

3作品は、真木悠介の「トリオロジー」的作品である。

●『気流の鳴る音』(1977年)
●『時間の比較社会学』(1981年)
●『自我の起原』(1993年)

いずれもが、名著である。

この3作品に先立つものとして、真木悠介自身の「メモ」として書かれた作品、『現代社会の存立構造』(1977年)がある。

これで、「3+1」である。

真木悠介の「トリオロジー」的な作品をつらぬく問いは、「生の歓喜」ということである。

そして、その問いをつらぬいていく主題は「自我」の問題である。

「自我の問題」が、トリオロジーの作品群を、例えば、次のようにつらぬいていく。


1)「トナール」と「ナワール」

名著『気流の鳴る音』。
この著作で、真木悠介は、カルロス・カスタネダの仕事を「導きの糸」に、「生き方の構想」を目指す。

その中で出てくるキーワードとして、「トナール」と「ナワール」がある。
メキシコのインディオの教えに出てくる考え方だ。

著書の中で記述される点を並べてみると、下記のようになる。
(以下、真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房)

●「トナール」:社会的人間。言葉でつくられた「わたし」。間主体的(言語的・社会的)な「世界」の存立の機制(※前掲書)。

●「ナワール」:「トナール」という島をとりかこむ大海であり、他者や自然や宇宙と直接に通底し「まじり合う」われわれ自身の本源性(※前掲書)。

つまり、「トナール」は、ざっくりと言えば、人間の「意識」や「マインド」である。
それは、いわゆる「自己」(自我)である。

「トナール」は、自分を守るものでありがながら、いつか、自分を「牢獄」にとじこめる看守(ガード)になってしまう。

カスタネダは、「ナワール」を解き放ち、トナールも含んだ「自己の全体性」を取り戻す教えを、インディオのドン・ファンから得ていく。

しかし、ナワールを解き放つ過程では、薬品など神経を麻痺させるような「対症療法」的な手段は選ばない。

「心のある道」を歩むことで、ナワールを解き放ち、「ほんとうの自分」を取り戻す。
そこでは、自分は「牢獄」から出て、人や自然の他者たちに開かれた「存在」となるのだ。

 

2)「コンサマトリー」な時の充実

「自我」という牢獄は、真木悠介の次の仕事でも、「時間」を主題に、追求されていく。

名著『時間の比較社会学』では、「終章 ニヒリズムからの解放」で、真木悠介はこのように書いている。

 

…われわれが、コンサマトリー(現時充足的)な時の充実を生きているときをふりかえってみると、それは必ず、具体的な他者や自然との交響のなかで、絶対化された「自我」の牢獄が溶解しているときだということがわかる。…

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店


真木悠介は、社会における「時間」の生成を徹底した論理で語りながら、「絶対化された『自我』が溶解しているとき」という記述をたよりに、充実した時をさぐる。

そして、この「主題」は次の仕事にひきつがれ、『自我の起原』という、「世界の見方」を変えてしまう作品につながっていく。

 

3)「エクスタシー」論

著書『自我の起原』では、「人間的自我」が正面から取り上げられる。

科学的な生物学の議論を丹念に読み解きながら、そのオーソドックスな議論を、それ自体の論理から裂開してしまう「地点」へと誘う仕事である。

生物学的な「自我の起原」の読解から、それは「生の歓喜」の経験にかんする主題へと展開していく。

「7.誘惑の磁場」という章の中で、真木悠介は「Ecstacy」について次のように書いている。



…われわれの経験することのできる生の歓喜は、性であれ、子供の「かわいさ」であれ、花の彩色、森の喧騒に包囲されてあることであれ、いつも他者から<作用されてあること>の歓びである。つまり何ほどかは主体でなくなり、何ほどかは自己でなくなることである。
 Ecstacyは、個の「魂」が、〔あるいは「自己」とよばれる経験の核の部分が、〕このように個の身体の外部にさまよい出るということ、脱・個体化されてあるということである。…

真木悠介『自我の起原』岩波書店


「生の歓喜という経験」にかんする、おどろくべき明晰な文章である。
(なお、終章においては、さらに一段階先に理解を進ませる「Ecstacy」の記述がなされる。)

これらのように、真木悠介は、「トリオロジー」の仕事を通じて、そして生涯を通じて、「生の歓喜」に照準をあわせ、問い続けてきた。


『時間の比較社会学』の中で、次のような文章がある。


「月が出るとアフリカが踊る」といわれている。…
アフリカが踊っている夜を、ヨーロッパやアジアの「真空地帯」の勤勉な農民や牧畜民たちは、労働の明日にそなえて眠りながら<近代>をはぐくんでいた。
(略)
「月が出るとアフリカが踊る」あいだは、アフリカの近代化は完成しないだろう。「虹を見ると踊る」心をいつももちつづけていれば、近代社会のビジネスマンやビュロクラットはつとまらないのだ。…

真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店


アフリカにも、近代化は浸透している。
しかし、ぼくの経験上、それでも「自然と共同体」が強いところである。
「自然と共同体」が、近代化の大波と、いたるところで拮抗している。

「月が出ていても踊らない」ことで切り拓かれてきた「明るい世界」。
「月が出ると踊る」ことが素敵でもある「交響する世界」。

これら二つの世界が交わっていくところに、未来を構想することができる。

 

今日2017年6月9日は満月。
まさしく、月が出るとき。

月の光が、ここ香港の海面で、きらきらと煌めくだろう。
そのひと時を、束の間でも楽しみたい、とぼくは思う。


月の光のもとで、いくぶんか、「自我」が溶解する経験に向かって。

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方法としての「実験的生き方」。- 『TIME』誌の特集「The Truth About Weight Loss」を読みながら考えたこと。

『TIME』誌(June 5, 2017)の特集「The Truth About Weight Loss」。「ダイエット(減量)の真実」と題された特集を読みながら、ぼくが考えていたこと。...Read On.


『TIME』誌(June 5, 2017)の特集「The Truth About Weight Loss」。
「ダイエット(減量)の真実」と題された特集を読みながら、ぼくが考えていたこと。

それは「方法としての『実験的生き方』」ということ。
減量などに限らず、何事においても、「実験的な生き方」が、道をひらいてくれる。

特集「The Truth About Weight Loss」は読みごたえのある文章である。
アメリカでは「肥満」が大きな問題・課題でありつづけている。

なお、このことは、Yuval Noah Harari著『Homo Deus』の一節を、ぼくに思い出させる。

人類が「飢饉・栄養失調」の問題を解決してきた事実として、「肥満」が悪化する現状が対置される。
Yuval氏は、2010年に飢饉・栄養失調で亡くなった人が世界で100万人に対し、肥満で亡くなった人が300万人というデータをピックアップしている。

さて、特集において、ぼくの関心にしたがって思いっきり要点を絞ると、次のポイントが挙げられる。

● ダイエット(減量)は科学的に解明されていないこと。
 (ただし、進んできてはいる。)

● 上手くいく方法は「highly personalized」(極めて個人的)であること。

● ダイエット(減量)で成功してきている人たちの「共通点」は、毎日の行動で変化を加えていっていること (方法を自分なりに修正していくこと)

科学的には、昔のパラダイム(食べ物と運動によるカロリー管理)も、新しい分野である遺伝的な分野も、ダイエット(減量)については確実にはわかっていない。

ぼくが「面白く」読んでいたポイントは、このことの次にある二つのポイントである。
上手くいく秘訣は、「極めて個人的な方法」を、毎日修正を加えながら自分で見つけだすこと。

つまり、自分自身で「実験」をしながら、日々改良を加えていく仕方だ。

「あたりまえ」と言えば「あまりまえ」である。
しかし、実際には、多くの人ができていないのではないかという想念が、ぼくの頭をよぎる。

このことは、ダイエット(減量)だけにかかわらない。
自己成長・自己啓発でも、同じであるように、ぼくは思う。

極めて個人的な方法を、日々、自分を素材に実験して、改良していく。
方法としての「実験的生き方」だ。

その生き方において、往々にして、人はつまずいてしまう。
上手くいかないと、そこで立ち止まってしまったり、採用した方法に非があるとしてしまう。
あるいは、周りの情報だけに流されて方法だけを焦点とし、自分自身をまなざしていない。

逆に、実験的生き方を楽しみながらやっている人がいる。
何らかの「極めて個人的方法」をつかんでいたりする。

作家のA.J. Jacobsは、自分を素材に、実験を繰り返す。
その様子を、書籍(例えば、『Drop Dead Healthy: One Man’s Humble Quest for Bodily Perfection』邦訳は『健康男 体にいいこと、全部試しました!』)として出版している。
その名の通り、『My Life as an Experiment』という書籍もある。

ただ、今日上手くいったからと言って、明日も上手くいくかはわからない。

例えば、「時間」といった要素が入ってくる。
その中で、自分自身が変わっていく。
方法も変わっていくところがでてくる。

つまり、実験的生き方は、このように、生涯つづいていく。
それ自体を、自分が楽しめるかどうか、にかかってくる。

その意味において、特集のタイトルは、こう置き換えられるのだ。

「The Truth About Yourself」

 

追伸:
『TIME』誌を読み始めたのは、大学の頃でした。
もう20年以上も前のことです。
英語を勉強する「教材」として読み始めました。
でも、英語力のなさから、特に最初は読むのが苦痛でした。
最近になってようやく、気分的には普通に読めるようにはなりました。
しかし、週刊の雑誌で、すべての記事を読むところまではいまだに行っていません。
気になる記事をじっくりと読むようにしています。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

Apple社イベントの「Keynote(基調講演)」は、学びとインスピレーションの宝庫。- プレゼン、プロダクト、ブランド、「楽しさ」。

Apple社の例年のイベントである、WWDCが、2017年6月5日から開催されている。…ぼくは、イベントごとに「Keynote Address」を必ず見るようにしている。...Read On.


Apple社の例年のイベントである、WWDC(Worldwide Developers Conference)が、2017年6月5日から開催されている。

イベント初日の「Keynote Address」(基調講演)では、各メディアでも取り上げられているように、Apple社の新製品やOSアップデートなどが発表される。

Apple社のCEOであるTim Cook氏を筆頭に、担当チームの代表者たちが代わる代わる壇上で、プレゼンテーションを行う場となっている。

WWDCはアプリなどの開発者向けで毎年通常は6月に開催される。
その他、Apple社は「Special Event」と称し、新製品などの発表を年に数回(3月や9月)行っている。

MacやiPhoneやiPadなどの新製品の発表、OSのアップデートの発表など、ファンを魅了してやまない。
しかし、このイベントは、これだけではない。
Webでストリーミング発信される「Keynote Address」そのものが、学びとインスピレーションの宝庫なのである。

だから、ぼくは、イベントごとに「Keynote Address」を必ず見るようにしている。
Apple社ホームページ「Keynote 2017年6月5日」
 

1) プレゼンテーションに学ぶ

新製品などの発表だけでなく、プレゼンテーションそのものを学ぶことができる。

例えば、こんな具合だ。

・プレゼンの構成
・プレゼンでの話し方
・プレゼンボードのデザインや内容
・プレゼンでの「数値」の効果的な利用
・使われる「ビデオ」の内容と質
など。

また、日本語字幕はないから、「英語」を学ぶことにも適している。
プレゼンテーションは「わかりやすく」話されるから、英語を学ぶのにもよい。

プレゼンテーションを学ぶ「絶好の教材」としては「TED」があるけれど、「Apple Event」も加えることができる。

 

2)プロダクトから見えるもの・こと

プロダクト=製品を、じっくりと学ぶことができる。
製品を使う使わないかは別として、世界のリーディングカンパニーであるApple社から学ぶべきことは多い。

プロダクトの説明からの学びは、キーワードであげると、こんな具合である。

・「ユーザー」視点、つまりお客様視点の徹底
・「デザイン」というもの・こと
・製品やOSの開発やアップグレード/アップデートのビジネス的方法
・イノベーション
・開発者たちのマインドセット
・市場の動向
・人々が求めているもの・こと
など。

プロダクトに込められている気持ち・願い・意志といったものが、伝わってくるのだ。
その伝わってきたものから、ぼくは、自分の仕事を見直し、反省し、インスピレーションを得、励まされる。

 

3)「ブランド」を学ぶ

Apple社の、このイベントを通じて、その「ブランド」を考えざるを得ない。

「ブランド」とは、「信頼」であり、そして何よりも「物語」である。

Seth Godinは、こう述べている。
 

The brand is a story. But it’s a story about you, not about the brand.
(※ブランドはひとつの物語だ。けれども、それはブランドについての物語ではなく、あなたについての物語だ。)

By Seth Godin


ぼくも、そう思う。
「Apple Event: Keynote Address」を見ながら、ぼくはまるで手にとるように見てとることができる。
世界の人たちがiPhoneやiPadやMacから「自分の物語」を紡いでいく様子を。
そして、ぼく自身が、ぼく自身についての「物語」の中に取り込まれていることを。

プレゼンテーション、プロダクト、ブランドを見てきたけれど、学びや気づき、そしてインスピレーションはまだまだ尽きない。

それにしても、プロダクトのプレゼンテーションを見ながら、ぼくはいつも感心してしまうのである。

Apple社の人たち(少なくともKeynote Addressで話す人たち)は、ほんとうに楽しんでいるんだ、ということに。

仕事とライフワークと遊びといった「境界」が消失した世界を、ぼくに感じさせてくれる。

彼(女)たちは「ほんとうの楽しさ」を味方につけたのだ。
それが「リーダー」ということでもあり、世界で「リーダー」であり続けていることの要因のひとつを見せて/魅せてくれている。



追伸:
今回のプレゼンテーションの中で、「香港の写真」が使われました。
使われたのは、「ポケモンGO」を楽しむ人たちの写真。
公園いっぱいに人がひしめく写真でした。
公園はどこか定かではありませんが、九龍公園でしょうか。
昨年の九龍公園で、ぼくは確かに、ポケモンGOを楽しむ人たちにたくさん遭遇したのでした。

 

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書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima

堀江貴文著『多動力』。- シンプルで、本質的で、ストレートなメッセージと生き方。

堀江貴文の新著『多動力』(幻冬舎)。堀江貴文が「渾身の力で書いた」という本書に、ぼくは惹かれた。そのエッセンスを少しだけ取り出して、書いておこうと思う。...Read On.

堀江貴文の新著『多動力』(幻冬舎)。
堀江貴文が「渾身の力で書いた」という本書に、ぼくは惹かれた。

そのエッセンスを少しだけ取り出して、書いておこうと思う。


1)『多動力』について

「多動力」とは「いくつもの異なることを同時にこなす力」のこと。
技術や方法論が書かれているが、この書籍の「総体」はそれ以上のものである。

堀江貴文は「あとがき」にこう書いている。
 

「多動力」は大量の仕事をこなすための、技術ではない。
命が果てるまで、1秒残らず人生を楽しみきるための、生き方である。

堀江貴文『多動力』(幻冬舎)


本書は多動という生き方の本である。

なお、本書は、出版社(幻冬舎)とNewsPicksの共同プロジェクト(「NewsPicksアカデミア」)の作品。
この書籍自体が「多動力」の成果でもある。

本書の「目次」は、次の通りである。

【目次】
第1章:一つの仕事をコツコツとやる時代は終わった
第2章:バカ真面目の洗脳を解け
第3章:サルのようにハマり、鳩のように飽きよ
第4章:「自分の時間」を取り戻そう
第5章:自分の分身に働かせる裏技
第6章:世界最速仕事術
第7章:最強メンタルの育て方
第8章:人生に目的なんていらない

それぞれの章に「項目」が立てられ、総数31項目が語られる。
各項目の最後のページには、「やってみよう!JUST DO IT リスト」が掲載されている。

本書が書かれた「背景」については、本の表紙にも簡潔に記されている。
「全産業の“タテの壁”が溶けた
この時代」に必須のスキルとして、「多動力」が提唱される。

「タテの壁」は、「垂直統合型モデル」としてここでは述べられる。
例として挙げられているのは、テレビ業界。
番組製作から電波送信まで、業務が垂直に統合されている。

そのモデルに対するのが、「水平分業型モデル」。
水平分業型モデルとしては、インターネットである。
そこでは、電話もSNSもゲームも電子書籍も、すべてがスマートフォンのアプリという「一つのレイヤー」に並べられる。
IoT(Internet of Things)の普及が重なり、すべての産業が「水平産業型モデル」となっていく。
このように「タテの壁」が崩れているのが今の時代である。

そこで求められるのが、産業の壁を越える「越境者」として述べられる。
越境者に必要な能力が「多動力」というわけだ。

 

2)堀江貴文のエッセンス

堀江貴文にとって、「越境者」とはそうなること自体が目的ではなく、「多動力」もそれ自体が目的化されるものではないと、ぼくは思う。

堀江貴文は、「ほんとうに歓びに充ちた人生」を不羈に追い求めてきただけだ。
だから、堀江貴文が本書で「人生に目的なんてない」と言いきるとき、それは「ほんとうの歓び」という「目的」に賭けられた人生であり、生き方であるように思う。

堀江貴文のエッセンスは、次の3つに集約されてくるように、ぼくには見える。

●「洗脳」(思い込みや既存の価値観)から解き放たれること
●「本音」で生きること
●「行動」すること

堀江貴文の他の著作に重なるエッセンスである。
本書でも「多動」ということを軸に、これらのエッセンスが経験をもとに語られている。

それらは、シンプルで、本質的で、ストレートなメッセージである。

だからこそ、それらの言葉(の表層)だけが抽出され、異なる文脈と異なる目的の中で、「間違って」使われてしまったりする。
堀江貴文のメッセージは、読者を「通過」して、行動(多動!)にまで貫かれている。
その「通過」のプロセスで、メッセージを「間違って」捉えないことだ。

堀江貴文の思考は、本書の項目(例えば、「15. 教養なき者は奴隷になる」「16. 知らないことは「恥」ではない」)に見られるように、学びに開かれ、「本質」を基盤にしているのだ。

「シンプルで、本質的で、ストレートなメッセージ」を送ることが、難しい時代でもある。
堀江貴文は、多動力とそこにある「生き方」を土台に、難しいけれど楽しい時代を「行動」で一気に突破している。

 

3)「Just Do It」

「やればいいじゃん」

堀江貴文の著作『すべての教育は「洗脳」である』(光文社)に付された言葉である。
これと同じように、本書のメッセージも、タイトル通り、「たくさん行動せよ」にある。

しかし、ここも「間違って」はいけない。
繰り返しになるが、堀江が書くように、「多動力」は人生を楽しみきるための生き方、である。
その生き方を、堀江貴文は実践し、他者を巻き込みながら、見せ/魅せ続けている。
ところが、堀江本人は、そんな気はなく、ただ「夢中で日々を過ごしている」だけである。
生きる「指針」(また「目的」)を、この「夢中さ」に完全にゆだねることに、彼の多動力は賭けられている。

「あとがき」で、堀江貴文は、次のように、呼びかける。
 

重要なことは、Just do it. Just do it.
ただ実践することだ。失敗して転んでも、また実践する。膝がすり傷だらけになっても、子供のように毎日を夢中で過ごす。

堀江貴文『多動力』(幻冬舎)
 

堀江は「子供のように毎日を夢中で過ごす」と、繰り返し、書いている。

そして、Nikeのスローガンでもある「Just do it」。
堀江貴文が意味するところは、Seth GodinがNikeのスローガンを解釈して書き直したように、こう解釈して書き換えられるはずだ。

「Only Do It.」(Seth Godin, “What To Do When It’s Your Turn”

「子供」には、「Only」の選択肢が、ただ開かれているだけなのだ。
 

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社会学者「見田宗介=真木悠介」先生の応答に、15年以上触発されつづける。-「理論・理念」と「現実・経験」の間で。

社会学者「見田宗介=真木悠介』先生による、朝日カルチャーセンターの「講義」で、ぼくは、見田宗介先生に質問をさせていただいた。見田宗介先生の応答が、15年以上経過した今も、ぼくを触発し続けている。...Read On.

社会学者「見田宗介=真木悠介』先生
による、朝日カルチャーセンターの
「講義」(2001年3月24日)
で、
ぼくは、たくさんのことを学び、

そして、さらに見田宗介先生に質問を
させていただいた。
見田宗介先生の応答が、15年以上経過
した今も、ぼくを触発し続けている。

講義「宮沢賢治:存在の祭りの中へ」
で、見田宗介先生は、
日本の1960年代から2000年に至る
「社会の変遷」について語った。

日本の社会は、次の変遷を遂げてきた。

・共同体(Gm=「ゲマインシャフト」)

・近代市民社会
 (Gs=「ゲゼルシャフト」)

・今後は「XXXXX」?
 *コンセプトは「共同体の彼方」
  (GmのかなたのGm)

日本の「共同体」が解体され、
「近代市民社会」が創成される。
そして、自由と孤独を獲得した個人・
社会が、次なる「共同体の彼方の共同体」
をつくりだしていく。
(後年、見田宗介先生は、
『定本 見田宗介著作集VI 
生と死と愛と孤独の社会学』
岩波書店、
などで、論考をまとめている。)

講義が一通り終わったところで、
質問をする時間がもうけられた。

ぼくは当時、「質問すること」を
自分に課していたと記憶している。
そうすることで、ぼくの集中と問題意識
が高まるからだ。

ぼくの質問は大枠はこのようなもので
あった。

 

「社会は、近代市民社会の段階を、
必ず通過しなければならないか?」

 

ぼくの質問の背景には、
日本(の社会)の発展と重なる形で、
「発展途上国の社会」が存在していた。

大学院で、発展途上国の発展・成長、
そして国際協力を学ぶ中で、
発展途上国が日本と同様な「経路」を
進んでいかなければならないのか、
について、ぼくは考えてきていたからだ。

「近代化」による共同体の解体は、
自由をもたらしてきたと同時に、
限りない弊害を社会にもたらしてもきた。

そこで、ぼくはこのような「質問」を
見田宗介先生に投げさせていただいたのだ。

見田宗介先生は、しばしの間、思考され、
それから、概ね次のような応答をされた。

 

「Yesと同時にNo。
先進国の経験に学ぶことで通過しないと
いうことも理論的にはありうるが、
現実としては理念ではなく経験として
通過する必要がある。」


見田宗介先生が思考される「沈思」に、
ぼくは緊張と畏れと興味を覚える。
そして、見田宗介先生の真摯な応答を、
全身を耳にして聞く。

見田宗介先生の「応答」は、
ぼくの「実践の場」で絶えず姿を現して
くることになる。

その後、ぼくは、大学院を修了し、
西アフリカのシエラレオネと東ティモ
ールの「社会」で、国際NGOの一員と
して、現実と実践の場に置かれる。

内戦が長きに渡り続いた両国で、
紛争後の社会という、圧倒的な現実の
中に、ぼくは投げ込まれる。

理論や理念などが拡散して消えてしま
うような現実の中である。
それでも、というより、だからこそ、
ぼくは理論や理念を大切にしてきた
ところがある。

シエラレオネ、東ティモールでも、
ぼくは見田宗介=真木悠介先生の本を、
いつでも横に置き、時折本を開いた。
「大切なこと」を忘れないように。

見田宗介先生の応答にあった、
「理論的には…」
というくだりが、ぼくにはついて回った。

社会も、それから個人も、
頭ではわかっていたとしても、
(程度の差はありつつも)やはり「経験」
を通過することが必要なのではないかと
時を重なる中で思うようになっていった。

しかし、それと同時に、
「理論・理念」と「現実・経験」の間で、
思考し、苦慮し、失敗を繰り返しながら
精一杯やっていくことの大切さを、
ぼくは学んできたのだと思う。

その「間」における、
行ったり来たりの繰り返しの中で、
生きてくるものがあるのだということ。

そして、これからも、
「理論・理念」と「現実・経験」、
この「間」での生を、ぼくは引き受けて
いこうと思う。

 

それにしても、
見田宗介=真木悠介先生に、
次回お会いする機会があるとしたら、
ぼくは「どんな質問」をさせていただこう
かと、思考の翼をはばたかせている。

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東ティモール, 海外・異文化 Jun Nakajima 東ティモール, 海外・異文化 Jun Nakajima

銃弾が飛んだ夜に、ぼくの「心を温めてくれた」映画。- 2006年、東ティモールの首都ディリで。

2006年、東ティモールの首都ディリ。ぼくはコーヒープロジェクトのため東ティモールに住んで3年程が経っていた時期のこと。2002年の独立後、平和を取り戻していた東ティモールの街に、また銃声が響く。...Read On.


2006年、東ティモールの首都ディリ。
ぼくはコーヒープロジェクトのため
東ティモールに住んで3年程が経って
いた時期のこと。
2002年の独立後、平和を取り戻して
いた東ティモールの街に、また銃声
が響く。

ただし、事態はまだ局所的であった。
後日、当時の東ティモール政府が
事態を収拾できなくなり、他国に
支援を要請し、オーストラリア軍など
が上陸する前のことだ。

日本よりも平和ではないかと思うほど
の東ティモールであったが、
ここ数ヶ月ほど、治安が悪くなり始め
ていたころであった。

首都ディリ郊外。
コーヒー生産地であるエルメラ県へ
と続いていく道が封鎖されていた。
その日、コーヒー生産地から降りて
くるスタッフたちが、封鎖の場所で、
身動きがとれなくなっていた。

首都ディリの事務所にいたぼくは、
スタッフたちと連絡を取り合う。
銃弾が飛んでいる状況だという。

もちろん安全を最優先にして動く
ことを確認しあう。

それから数時間ほどかかっただろう
か、スタッフたちは局所の危険を
避け、無事に事務所に到着した。
安堵と共に、しかし安全対策を適切
に、すみやかに進めていく。
事態はひとまず落ち着きを取り戻し
たようであった。

それから、ようやく一段落し、
ぼくは、リビングルームに腰を下ろ
した。
どっと、心情的な疲れが出てくる。
ぼくの心は「荒涼とした風景」を
抱えているようであった。
普段はあまり感じない「ホームシッ
ク」的な感情もわきあがっている
ことに気づく。

ぼくは、気分を変えるため、
日本のDVDを見ることにした。
同僚が以前置いていってくれていた
DVDの中から、
『踊る大走査線 THE MOVIE』
を、ぼくは選んだ。
ぼくの記憶では「THE MOVIE2
レインボーブリッジを封鎖せよ!」
である。

日本の東京の風景が映像に出てくる。
そこで、物語が進行していく。
ぼくは、映像を見ながら、物語を
追いながら、なぜか、心が温まって
いくのを感じることになった。

銃弾が飛んだ夜に、
ぼくの「荒涼とした心の風景」に、
「暖かい風景」が灯された。

だから、ぼくは、今でも、
『踊る大捜査線』に感謝している。
そして「物語の力」を感じずには
いられない。
この世界から「物語」がなくなった
ら、なにもなくなってしまうのでは
ないかと思うほどだ。

後日、ぼくは、首都ディリの繁華街
(人はいなかったけれど)で展開さ
れる銃撃戦の只中(眼の前)に、
置かれる。

あの「荒涼とした風景」が、
再び、ぼくの心をむしばんでいく。
東ティモールを退避し、日本に戻っ
ても、銃弾の音と、その「荒涼と
した風景」が、ぼくの頭と心に
棲みつくことになった。

そんな折、
ぼくは、仕事帰りに、東京の渋谷に
ある本屋さんに、毎晩のように立ち
寄ることになった。

哲学者のミッシェル・フーコーが、
多くの書物が並ぶ図書館を、
人間の幻想がすみつく場所と感じて
いたことにつながるように、
ぼくにとっては、本屋さんは、
人間が創り出した「物語たち」が、
いっぱいに溢れている空間である。
その空間が、当時のぼくを、深い
ところで癒してくれたのだ。

だから、ぼくは今日も、「物語」を
読み、「物語」を観て、「物語」を
聴く。
そして、自らも、「希望の物語」を
抱き、そして書きたいと思う。

 

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「高品質コーヒー」で、「幸せ」をつなげる。- 東ティモールのコーヒープロジェクトに賭けられた「思い」。

ぼくは2003年から2007年まで東ティモールに住み、国際NGOの駐在員として、コーヒーのプロジェクトにかかわってきた。...Read On.

ぼくは2003年から2007年まで
東ティモールに住み、国際NGOの
駐在員として、コーヒーの
プロジェクトにかかわってきた。

そのプロジェクトで賭けられた
ものは、「コーヒーの品質」で
あった。

そこに賭けられた「思い」など
を、ここでは書こうと思う。

コーヒーの「美味しさ」は、
都会に住む人たちにとっては、
・コーヒー豆の焙煎(具合)
・飲み方(カプチーノ、ラテ等)
・トッピング
・カフェの雰囲気
などかもしれない。

しかし、そもそものところでは
「コーヒー豆」そのものの品質が、
決め手でもある。

豆の品質が悪くても、
焙煎の仕方、ミルク、トッピング、
カフェの雰囲気などで、ある程度、
品質はカバーされてしまう。

香港で飲むコーヒーは、
そのような状況に置かれている。
最近でこそ、少しづつ豆の品質に
こだわりが出てきているところも
あるが、まだまだだ。
香港のコーヒー事情については
以前ブログで概要を書いた。

それは例えば料理とも同じである。
素材の品質の低さは、味付けや盛り
付けなどによって、ある程度まで
カバーされてしまう。

あらゆる料理は素材が大切である
ことと同じに、コーヒー豆そのもの
の「品質」が美味しさをつくる。


ぼくが東ティモールに住み、
国際NGOの
駐在員として関わった
コーヒーのプロジェクトは、

「コーヒーの品質」、
そしてその先
にある「幸せ」に賭け
られたプロジェクトであった。

 

1)背景

インドネシアからの独立を果たした
東ティモール。
天然資源を除くと、輸出品としては
コーヒーが大半を占めるほどであっ
た。
ただし、精製され輸出されるコーヒ
ーの品質は低く、比較的低い価格で
売られていく。

良質のアラビカ種がより自然に残っ
ているけれども、
世界で50カ国以上がコーヒー生産
をしている中で、
「品質も価格も低い」コーヒーは
競争力がない。

これを「転回」させるのは、
「コーヒーの高品質化」である。
もともと良質なのだから、
「東ティモールコーヒー」として
世界でも戦っていける。

でも、そのためには、
「やること」がたくさんある。

 

2)「品質を上げる」ために。

「品質を上げる」ために、大きく
二つのことを行った。

①「コーヒー精製」(および輸出
までのプロセス)を、コーヒー生産
者たちが独自に行うこと。

②「コーヒー精製技術」を上げる
こと。

①は、それまで、コーヒー生産者
たちは、主に「コーヒーのチェリー」
(コーヒーの木から採取したばかり
の果肉がついた状態のもの)を
業者に販売していた。
つまり、独自に精製をせず、その日
に採取したチェリーを袋につめて
その状態で売っていたのだ。

そこで起きる問題は大きく2つある。

第一に、
販売された(業者が買い取った)
チェリーの中に、未完熟のものや、
熟しすぎたものが混じってしまって
いた。

第二に、
買い取った業者はそのチェリーを
機械が設置された精製所に運び、
果肉をとり、豆を乾燥させると
いった精製プロセスにかけていく。
しかし、往々にして、そのプロセス
の管理が行き届いておらず、品質が
下がってしまう。

それから、②「コーヒー精製技術」
については、すでにコーヒーの一部
を独自に精製して他業者に売っていた
コーヒー生産者もいたが、技術力およ
び精製する機材の不足などが問題で、
結果として品質の低いコーヒーになっ
てしまっていた。

だから、これら①と②を実践すること
で、品質を上げ、東ティモールコーヒ
ーのブランド力もあがり、そして
何よりも、高く売れたコーヒーは、
コーヒー生産者たちにより大きな収入
をもたらしてくれる。

2003年当時の東ティモールの一人
当たりGDPは、年間で見て、400US
ドル台であったから、何としてでも
「道」を見つけたいところであった。

 

3)「幸せ」をつなげること

プロジェクトにかかわった人たち
皆が、ほんとうに注力した。
コーヒー生産者たち、サポートをした
NGOチーム、コーヒー専門家の方々、
などなど。

皆が、品質に賭け、その先にある
「幸せ」を確かに信じていた
(また徐々に信じていった)のだと、
ぼくは思う

コーヒーの品質を通じて、
そこでは「幸せ」がつなげられて
いったのだ。

「美味しいコーヒーを飲む幸せ」と
「コーヒーが高い価格で売れる幸せ」。

途上国の「貧しい人たち」を助ける
ために、ということで飲むコーヒーで
はなく、ほんとうに美味しいコーヒー
を飲む幸せ。

高品質のコーヒーを誇りをもって
つくり、高い価格で売ることができ、
収入が増え、生活改善につながる幸せ。

それは、「自己犠牲」ではない仕方で、
関係をつくっていくこと。
また、ビジネス的に言えば、
「Win-Win」の関係を築くことであった。

別の見方では、
「消費者と生産者」との関係(の豊かさ)
をつくると同時に、
「先進国と途上国」との関係(の豊かさ)
をつくる、ことであった。
たとえ、それが世界的には、とても小さな
規模での実践であったとしても。

さらには、
「人と人との関係」、そして
「人と自然の関係」をつくってきた。
自然に近い形でコーヒーの木たちが
実りを与えてくれる環境であった。

それが、使い古された言葉でいえば
「持続可能な(sustainable)」
ということである。
しかし、内実をともなった言葉である。

コーヒーの品質に賭けられた
「持続可能性」は、
ぼくが東ティモールを去った2007年
以降も、プロジェクト・事業の発展を
もたらしてきたとのことである。
今では、首都ディリに「カフェ」を
もつまでになっているという。


早朝に、香港の海岸通りを歩いて
いたら、東ティモール人の元同僚から
メッセージがぼくに届く。
やりとりの末に、
「また東ティモールに来てください」
と、彼はメッセージをぼくに届けて
くれる。
ぼくは将来、再び東ティモールを訪れ
るときのことを想像する。

2007年2月、ぼくが3年半の滞在を
終えて東ティモールを去るとき、
数百人もの村の人たちとスタッフが
集まり、笑顔で、ぼくを送り出して
くれた。

その人たちに、ぼくはどんな姿で、
どんな笑顔で、再び会うことができる
だろうか。
みんなの成長に負けない成長を、
ぼくはしてきただろうか。
そんなことを思いながら、ぼくは
東ティモールに「新たな思い」を馳せる。

 

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「どういう人たちと関わりたいか」。- 世界中に増殖する火種となる「新鮮な問いの交響する小さな集まり」(見田宗介)

社会学者「見田宗介=真木悠介』先生による、朝日カルチャーセンターの「講義」(2001年3月24日)は、その内容においても、そのスタイルにしても、ぼくを捉えてやまなかった。...Read On.

社会学者「見田宗介=真木悠介』先生
による、朝日カルチャーセンターの
「講義」(2001年3月24日)は、
その内容においても、そのスタイルに
しても、ぼくを捉えてやまなかった。
ブログ「社会学者「見田宗介=真木
悠介」先生の講義で学んだこと。」

この「講義」が行われた2ヶ月程後に
見田宗介は、著書『宮沢賢治』が
岩波書店「岩波現代文庫」に入ること
になり、そこに、
「現代文庫版あとがき」を書いている。

「宮沢賢治」という作家、また、
著書『宮沢賢治』について書かれた、
1頁程の短い文章は、とても美しい。


宮沢賢治、という作家は、この作家の
ことを好きな人たちが四人か五人集ま
ると、一晩中でも、楽しい会話をして
つきることがない、と、屋久島に住ん
でいる詩人、山尾三省さんが言った。
わたしもそのとおりだと思う。
…この本も、読む人になにかの「解決」
をもたらす以上に、より多くの新しい
「問い」を触発することができると
よいと、そしてこのような新鮮な問い
の交響する楽しい小さい集まりが、
世界中に増殖する火種のひとつとなる
ことができるとよいと、思いながら
書いた。

見田宗介「現代文庫版あとがき」
『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』
岩波書店(岩波現代文庫)

 

上述のとおり、この「あとがき」は、
ぼくが聴講した講義の日から2ヶ月
ほど経った2001年5月に、書きとめ
られている。
そのことに、ぼくは、この文章を
書きながら、あっと、気づいた。

この「気づき」は、
昨日ぼくがブログで書いた、
「見田宗介=真木悠介」先生の講義
で学んだこと(の内の二つ)に、
そのまま照応するものであった。

 

1)交響圏

朝日カルチャーセンターの「講義」
のタイトルは、著作と同じく、
「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」
と題されていた。

その「テーマ設定の背景」は、
見田宗介先生が講義の冒頭で語った。

「『テーマ』(what)ではなく
『どういう人たちと関わってみたいか』
(with whom)ということ。」


「どういう人たちと関わりたいか」
ということ。

この「岩波現代文庫版あとがき」は、
このことに応えているように、ぼくに
は見える。

それは、
「新鮮な問いの交響する小さな集まり」
である。

朝日カルチャーセンターでの講義
での「小さな集まり」も、
そのような集まりの一つであった。

このような「交響する小さな集まり」
が、見田宗介が大澤真幸との対談で
語ったような「幸福のユニット」で
ある。

そしてそれは、これまでの「革命」
とはまったく異なるような、未来の、
「名づけられない革命」を切り開く
主体である。
(「名づけられない革命」について
は、見田宗介『社会学入門ー人間と
社会の未来』岩波新書、を参照。)

 

2)夢中・熱中

見田宗介は「その時々に自分が熱中
している研究を、そのままストレート
に講義でもゼミでもぶつけ」ることで
他者たちを、深いところで、触発して
きた。

そのことがそのまま、
2001年の前半の出来事にあてはまる。
2001年前半に自分が熱中していた
ことを、そのまま、
講義でも「現代文庫版あとがき」でも、
ストレートに語りかけていたという
ことである。

この夢中さ・熱中さは「触発する力」
を静かに、でも確かに、発揮してきた。
少なくとも、ぼくの中には「火種」が
灯された。

この「現代文庫版あとがき」の美しい
文章は、その「短い言葉」だけでも、
他者の中に「問い」を触発するもので
ある。

ぼくの視点と感覚からは、
この「現代文庫版あとがき」における
「宮沢賢治」は、そのまま
「見田宗介=真木悠介」に置き換える
ことができる。

「見田宗介=真木悠介」という社会
学者は、この学者のことを好きな人
たちが四人か五人集まると、一晩中
でも、楽しい会話をしてつきること
がない。云々。

このような「幸福のユニット」の
交響する集まりと歓びが、
著作と講義名の副題に付された、
「存在の祭りの中へ」ということの
内実のひとつである。

 

追伸:
今回のブログは、当初、
講義でぼくが見田宗介先生にさせて
いただいた「質問」について書く予定
でした。

ところが、「岩波現代文庫版あとがき」
をたまたま読んでいたら、
そこに付された「日付」に目が留まった
わけです。

朝日カルチャーセンターでの講義と
同時期であったことの「気づき」は
新鮮な驚きと「新鮮な問い」を、
ぼくに与えてくれました。

 

詳細を確認

社会学者「見田宗介=真木悠介」先生の講義で学んだこと。- 交響圏、夢中・熱中の連鎖、書きながら話し考えるスタイル。

社会学者「見田宗介=真木悠介」先生による「講義」を、これまで一度だけ聴講したことがある。正確には、二コマの講義である。...Read On.


社会学者「見田宗介=真木悠介」先生
による「講義」を、これまで一度だけ
聴講したことがある。
正確には、二コマの講義である。

2001年3月24日、朝日カルチャー
センターでの、連続する二コマの講義を、
ぼくは聴講したのだ。
当時講義を聴きながらとった自分のメモ
を、ぼくは、今でもとってある。

題目は、それぞれ、次のようであった。
・見田宗介『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』
・真木悠介『自我という夢』

ぼくが「見田宗介=真木悠介」の著作に
出会ったのが、香港が中国に返還された
1997年から1998年あたりであったから、
ぼくが講義を聴講したときは、
本との出会いから数年が経っていた。
2001年、ぼくは、大学院で、「途上国の
開発・発展」と「国際協力」を学んでいた
ころだ。

見田宗介=真木悠介の仕事としては、
当時は、『現代社会の理論』(岩波新書)
が1996年に出版された後の時期にあたる。

見田宗介=真木悠介が、自身にとって
「ほんとうに切実な問題」であった、
・死とニヒリズムの問題系
・愛とエゴイズムの問題系
に、展望を手にいれた後の時期で、
ようやく「現代社会」に照準していた
時期である。

二コマの講義は、ぼくにとって、
「圧巻」としか言いようのないもので
あった。
講義の後も、「熱」のようなものが、
ぼくの中に残るような、圧倒的な講義で
あった。

講義の「内容」から、もちろん、
多くのことを学んだ。
「多く」という言葉では語りきれない
ほど、学んだ。
ぼくが自分でとったメモを見ている
だけでも、そこには今でも考えさせら
れることが、いっぱいにつまっている。

「学ぶこと」は、内容だけではない。

ぼくは、「見田宗介=真木悠介」先生の
講義の作法を、「体験」として身体的に
学ぶことができたことを、今になって
思い、考えている。

 

1)「交響圏」

講義の聴講者の数は、学校の一クラス
程度であったかと思う。

驚いたのは、
見田宗介先生は、講義の始まりの時間
に到着しなかったことである。

スタッフの方は、こうアナウンスする。
「知っている方もいらっしゃると思い
ますが…」と前置きしながら、
「見田先生は30分以内には来られると
思いますので。」と。

それと同時に、「知っている方」で
あろう方の幾人かが、小さく笑い声を
あげる。

なお、会場には、「賢治の学校」という
自由学校を始めた今は亡き鳥山敏子先生
もおられた記憶がある。

メキシコの(時間に)緩やかな生活から
「時計化された身体」といった「狂気と
しての近代」を考察し、後に『時間の比較
社会学』を著した見田宗介=真木悠介先生
は、身をもって実践し、何かを伝えようと
しているように、ぼくには感じられた。

会場にすでに座っている聴講者の人たち
も、特に気にするわけではない様子で
あった。

見田宗介先生が到着し、
「今回のテーマ設定の背景」を話す。

「『テーマ』(what)ではなく
『どういう人たちと関わってみたいか』
(with whom)ということ。」

見田宗介先生が講義に遅れても、
それを気にしない「集まり」に、
「今回のテーマ」が賭けられていたのだ
ということを、ぼくは感じる。

それは見田宗介の理論のひとつ、
「交響圏」のひとつの形態のような
ものである。

会場から湧き上がった「小さな笑い声」
は、見田宗介が「関わってみたい人たち」
の象徴のように、ぼくの中で響いている。

 

2)「夢中・熱中」の連鎖

「見田宗介=真木悠介」先生の講義は、
内容も展開も圧巻であった。

言葉は、深い。
一語一語が、濃く、深い。
そして、それら、立ち止まって考えたい
一語一語の言葉が、とめどなく発せられる。

とめどなく発せられながら、どんどんと
展開していく。
そして何よりも、
「見田宗介=真木悠介」先生ご自身が
熱中している。
夢中になって、黒板に書き話し、それを
見ながら考え話している。

ぼくはその「姿」に圧倒され、感動した。

昨年2016年に発刊された『現代思想』
(青土社)の総特集「見田宗介=真木
悠介」のインタビューで、そのことを
思い出した。

聞き手から「見田ゼミ」のスタイルに
ついて聞かれる中で、見田宗介は、
こう応えている。


…ぼくは「教育」ということをほとんど
考えないで、その時々に自分が熱中して
いる研究を、そのままストレートに講義
でもゼミでもぶつけていました。
…教える側が自分自身の全身のノリで
ノリノリに乗っていることをそのまま
ストレートにぶつけることが、結局一番
深いところから触発する力をもつのだと、
ぼくは思っています。

『現代思想』2016年1月臨時増刊号
(青土社)

 

見田宗介は、このスタイルを、自身の
学生時代の経験(金子武蔵の精神史の
講義)から学んでいる。

見田宗介が経験から取り出したのは、
大学の授業というのは、
「技術」ではなく「内容」である、
ということだけれど、
ぼくが学んだのは、内容から生まれ
内容を貫いていく、夢中さ・熱中さで
あった。
夢中と熱中は、連鎖していく力をもつ
のだ。

 

3)書きながら話し考えるスタイル

講義は、上述のように、
黒板に、言葉がどんどんと書き出されて
いく。

そのスタイルは、
「書くこと、話すこと、考えること」が
一体になったようなものであった。

そして、「書くこと、話すこと、考える
こと」が、「夢中・熱中」に串刺しに
されている。

ぼくは後年、香港で人事労務のコンサル
タントとしてコンサルテーションをする
際に、このようなスタイルを身につけて
いっていることを感じた。

今思えば、そのスタイルの「種」のよう
なものが、「見田宗介=真木悠介」先生
の講義で、ぼくの中に蒔かれたのだと、
ぼくは思う。

 

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、「モーニングセット」を楽しみながら。- 「香港の食堂」の風景に重なる、静かな幸せの「味わい」。

香港スタイルの「ファーストフード」チェーン店で、早朝の時間帯に、「モーニングセット」を楽しむ。香港の至るところは人で混むから、混みだす前に、店に入る。...Read On.


香港スタイルの「ファーストフード」
チェーン店で、早朝の時間帯に、
「モーニングセット」を楽しむ。
香港の至るところは人で混むから、
混みだす前に、店に入る。

ぼくはトーストとスクランブルエッグ
を食べながら、
10年程前、香港に来たときに、
朝食べたスクランブルエッグを思い出す。
これから香港に住もうと、準備をして
いたときのことだ。

そこに、ぼくにとっての香港のイメージ
が凝縮されているかのようだ。

ところで、香港スタイルの「ファースト
フード」店のメニューは、朝の時間帯も
さまざまだ。
西洋風と中華風をメインに、うどんなど
も見られる。

西洋風のモーニングセットは、通常、
・パン(一般的にはトースト)
・卵(目玉焼きかスクランブルエッグ)
・魚系か肉系
・飲み物(ミルクティ、コーヒーなど)
からなる。
卵の焼き方など、細かく指定できる。
また、サイドオーダーもあり、
麺類、マカロニ、オートミールなど
をつけることができる。

写真付きのメニューボードが入り口に
あり、キャッシャーでオーダーする。
オーダーが明記されたレシートおよび
チケットを受け取り、カウンターに行く。

カウンターで、チケットを渡し、
オーダーにしたがって、トレーに
食べ物が載せられ、そして最後に飲み物
が置かれる。
その時間、例えば、ざっと、30秒ほど。

トレーを手にし、席に座る。
そうして、食事を楽しむ。
さっと食べていく人もいれば、
携帯電話や新聞を手に長居する人もいる。
混んでいると、相席になる。
香港では、相席はいつものことだ。

食べ終わった後は、トレーはテーブルの
上に残したままで、退席する。
ホールのスタッフの方々がトレーを
片付ける。
混んでいると、席を探していた人が
すぐさま席を確保する。

ざっと、こんな流れだ。

香港では、香港スタイルの「ファースト
フード」チェーン大手が3つある。
・Cafe de Coral (大家楽)
・Fairwood (大快活)
・Maxim’s MX(美心)

香港では長い歴史をもち、
Cafe de Coralは1968年に設立され、
Fairwoodは1972年に最初のレストラン
をもったようだ。

香港で330店舗という一番規模の大きい
Cafe de Coralに訪れる人は、
一日に30万人という。
3つのチェーンを合わせれば、
まさしく、「香港の食堂」だ。

「ファーストフード」という言い方が
されるが、内実は「食堂」に近い。

一日は、4つの時間帯に分かれている。
・朝食
・昼食
・ティータイム
・夕食

それぞれにメニューが変わり、
ご飯や麺など充実している。
夕食などには、カツやカレーなどの
人気の日本食もよく見かける。

「ファースト」の意味合いにおいては、
とにかく、準備が早いのだ。
“No City for Slow Men”(Jason
Y. Ng)の精神
が、ここでも息づいて
いる。

20年程前、初めて香港に来たとき、
ぼくは、この香港スタイルのファースト
フード店で、昼食を食べたことを覚えて
いる。
名前は覚えていないけれど、Tsim Sha
Tsuiのどこかの店に入ったことだけは
覚えている。

広東語は一言も話せなかったから、
写真のメニューを指差して、オーダー
した。
店のシステムも全くわからなかった
けれど、こんな形態のレストランがある
ことに感動したこと、手頃な値段で美味
しかったことを、ぼくは記憶している。

プルーストの『失われた時を求めて』に
出てくる紅茶とケーキが記憶の入り口で
あったように、
香港スタイルのセットメニューと
スクランブルエッグは、ぼくの香港の
記憶の入り口でもある。
そして、それらの記憶と、目の前に広が
る香港の風景が重なり、静かな幸せを
ぼくに届けてくれる。

人が混みだして、その静かな幸せの
「味わい」がかきけされないうちに、
ぼくはモーニングセットを食べ終えて、
店を後にする。


 

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香港, 海外・異文化 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化 Jun Nakajima

香港で、「端午節」を過ごしながら。- 文化・風習を知り、体験し、自分の中に「具体的な世界」を描く。

香港では、今日(西暦2017年5月30日)は「端午節」で、いわゆる祝日にあたる。中国文化圏では「旧暦5月5日」が、「端午節」になる。...Read On.


香港では、今日(西暦2017年5月30日)
は「端午節」で、いわゆる祝日にあたる。
中国文化圏では「旧暦5月5日」が、
「端午節」になる。

端午節は、古代の詩人、屈原(Qu Yuan)
を偲ぶ日と言われる。
川に身を投じた屈原のことを知った人たち
が、
・「ちまき」を川に投げ入れることで、
屈原の遺体が魚に食べられてしまうことを
防ごうとしたこと、
・屈原の救出のために「舟」を出したこと、
から、
その風習が今でも形として残っている。

香港でも、端午節には、
・「ちまき」を食べること
・「ドラゴンボート」の競争が行われること
の風習が今でもある。

毎年、食品市場などで「ちまき」が見ら
れる時期が来ると、端午節の到来を感じる。
そして、ぼくは忘れかけている風習の由来
を思い出すのだ。

もちろん、このような風習は、
現代社会の中で、いろいろな力学に作用
されて、形骸化されやすい運命をたどる。
ただし、それは「形」だけであっても、
社会の中に「時のリズム」をつくり、
また、「共通のもの」を共有する装置と
なる。

文化の内部でそれら風習を守る人たちの
実践と、また(ぼくのような)「外部から
訪れる者」の興味とが、幸福な仕方で
スパークすることで、文化や風習が新しい
光を獲得していくこともある。

<横にいる他者>(真木悠介)との
「関係のゆたかさ」が、生のゆたかさの
内実をつくることの、ひとつの形でもある。
<横にいる他者>の視点が、
「あたりまえ」のこと/ものに、
新鮮な見方や楽しみ方を与えることがある。
そのようなことを先日ブログで書いた。

ぼくがかつて(そして今も)日本文化に
ついて聞かれるように、
ぼくも、他の文化のことを、その文化に
生きる人たちに聞く。

世界のいろいろなところで住みながら、
その場所の文化を尋ね、知り、体験し、
自分の世界を開いていく。

そのように、自分の「外部の世界」が
開かれるとともに、
自分の「内部の世界」が豊饒化されていく。
自分の中に「世界」が具体性をもって、
描かれていく。
教科書で読む「世界」ではなくて、
具体的に生きられる「世界」である。

そして、もしかしたら、<横にいる他者>
の世界も、少しばかりの光をきらめかせる
かもしれないと、思ってみたりする。

香港で迎える、11回目の端午節に、
ぼくは、そんなことを考える。


追伸:
端午節は「5月5日」で「5」が
並ぶ日です。
香港の街で、車道にカメラを向けて
シャッターを押したら、
アップロードした「写真」が撮れました。
バスとタクシーとトラム全部で、
「5台」です。

「交通機関の5種類」と見れば、
この写真には、
・バス(2階建てバス)
・ミニバス
・トラム
・タクシー
・自動車(後方に小さく見えます)
が写ってます。

香港の「移動」に使う交通機関が
一通り、ここにきれいに移りました。

シャッターを押して、写った写真を
見ながら、驚きました。


 

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村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima 村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima

どんな髭剃りにも「生き方」が詰まっている。- 「どんな髭剃りにも哲学がある」(モーム)に倣って。

「どんな髭剃りにも哲学がある」。と、サマセット・モームが書いているのを、村上春樹の著作でだいぶ前に知った。...Read On.


「どんな髭剃りにも哲学がある」。
と、サマセット・モームが書いている
のを、村上春樹の著作でだいぶ前に
知った。

村上春樹は、
著作『走ることについて語るときに
僕の語ること』の「前書き」で、
モームのこの言葉に触れている。

 

サマセット・モームは「どんな髭剃り
にも哲学がある」と書いている。
どんなにつまらないことでも、
日々続けていれば、そこには何かしら
の觀照のようなものが生まれるという
ことなのだろう。僕もモーム氏の説に
心から賛同したい。だから…

村上春樹『走ることについて語るとき
に僕の語ること』(文藝春秋)

 

「だから…」と、村上春樹は、
作家として、またランナーとして、
「走ることについて書くこと」は
道にはずれた行為ではないと、
文章をつむいでいく。

サマセット・モームの作品を読んだ
覚えは、確か『月と六ペンス』である。
友人にすすめられて(確か海外にいる
ときに、東ティモールかどこかで)
読んで、ひどく感心してしまった記憶が
ある。

だからかどうかはよくわからないけれど、
村上春樹のこの文章は、
香港に来た2007年頃に読んでから10年
経った今も、ぼくの記憶に残っている。

この言葉の「原文」が、どのようなもの
で、どのような状況で述べられたかは
まだ目にしてはいない。
モームの著作『The Razor’s Edge』に
出てくるとの情報が検索で出てくるが
ぼくの眼で確認はできていない。

でも、この言葉は、ぼくの「内面」で、
次のように「変奏」が加えられる形で、
ぼくの生きていく道の「道しるべ」の
ようなものとして在る。


「どんな髭剃りにも『生き方』が
詰まっている」


「髭剃り」という行為には、実に、
いろいろなもの・ことが詰まっている。

例えば、
髭剃りの道具はT字カミソリか電動か。
髭剃りのプロセスはどうか。
髭剃りはどうやって学んだのか
髭剃りにかける時間はどのくらいか。
髭剃りをしながら、何を考えているか。
髭剃りのシェービングクリームは、
どんなものを、どのように使っているか。
などなど。

リストはまだまだ続いていく。

そして、ぼくはここ数年で、気づき、
心底納得するのである。
どんな髭剃りにも「生き方」が詰まって
いるということを。

そして、ぼくは反省することになる。
これまでの髭剃りを。
でも、それは、もう一段掘り起こすと、
反省すべきは「髭剃り」という行為の
仕方に加えて、そこに込められた、
生きる姿勢であったりする。
そこの次元では、「髭剃り」を超えて、
ぼくの他の行為に込められた「生き方」
と「生きる姿勢」のようなものが見えて
きて、反省することになる。

モームが言うように、
それは「哲学」でもよいのだけれど、
ぼくにとっては、やはり「生き方」が
詰まっていると言う方が、しっくりくる。

こうして、ぼくは、
毎朝の「髭剃り」に、気持ちを込め、
プロセスを組み替え、「新しい姿勢」に
入れ替えていく。

野球選手のイチローが、
打順を待ちながら、次のバッター・ボッ
クスで「儀式」を通過していくように、
ぼくも一日の「バッター・ボックス」に
立つために、髭剃りの「儀式」を通過し
ていく。

そこに、すべてが詰まっていると信じる
かのように。

モームに倣って、「髭剃り」の言葉を
持ち出したけれど、
そこには、日々暮らしていく中での、
些細なことがすべて代入できる。


どんな「◯◯◯」にも生き方が
詰まっている。


そして、それらは忙しい日々の中で、
「習慣」のベールのもとに、ぼくたち
からは見えにくくなっている。
だから「習慣のベール」を少しずつ
剥がす中で見えてきたりするのだ。

 

追伸:
Charles Duhigg著
『The Power of Habit』
のペーパーバック版を頂戴した。

Audibleのオーディオで持っていた
けれど、しっかりと聞けていなかっ
たので、最初から読み直しです。

シンプルに、習慣の力は相当に
強力であることを感じる、一行一行
です。

 

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「ひとり旅」と「二人・集団の旅」とは。- <横にいる他者>(真木悠介)が開く視界と世界。

香港にそれなりに長く住んでいると、そこの風景が「当たり前」になってくる。...Read On.

 

香港にそれなりに長く住んでいると、
そこの風景が「当たり前」になって
くる。

車道の標識に「ミッキーマウスの
影絵」(香港ディズニーランドに
通じる道路を示す標識)があっても
何とも思わない。

「標識にミッキーマウスがいるんだ」

と、香港に遊びに来た家族や友人に
言われてはじめて、当たり前のもの
が当たり前ではなくなったりする。

標識のミッキーマウスが、
「不思議さ」を帯びて、目の前に
風景として立ち上がってくる。

香港に住んでいて、
香港の外から香港に来た
家族や友人などの「他者の眼」が
ぼくに「新鮮な眼」を与えてくれる。

日本で、海外の人と一緒に行動した
ときも、同じような場面に、
ぼくたちは出会うことになる。

日本に着いたばかりの留学生と共に、
東京や横浜の街を歩きながら、
ぼくは幾度となく、「新鮮な眼」で
これまでなんとも思っていなかった
場面に出会ってきた。

社会学者の真木悠介は、
「方法としての旅」と題する文章
(『旅のノートから』岩波書店)で
ぼくの眼をさらに豊かにしてくれる
世界の視方を教えてくれた。

「ひとり旅」にこだわってきた真木
悠介が、「二人・集団の旅」の豊饒
さを見直していく経験と思考のプロ
セスを綴る、感動的な文章だ。

真木悠介の思考は、いきなり、
垂直に深いところへ降りていく。

 

二人の旅、集団の旅の構造は、
人間にとって<他者>というものの
意味を、根底からとらえかえす原型
となりうる。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店
 

真木悠介は、哲学者等が語る「他者」’
が、「私」と向かい合う形(他者が
私を見て、私が他者を見る)でとらえ
られていることに、目をつける。

それに対し、真木は<横にいる他者>
の視点を鮮烈に提示している。


…「同行二人」ということは、私が
二組の目をもって遍路することである。
集団の旅において私は、たくさんの目
をもって見、たくさんの皮膚をもって
感覚し、たくさんの欲望をもって行動
する。そして世界は、その目と皮膚と
欲望の多様性に応じて、重層する奥行
きをもって現前し、開示される。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店
 

「ミッキーマウスの影絵」が標識に
あるのを見ることができたのは、
ぼくが他者の眼を「私の眼」として
影絵を見たからである。

同じように、
日本で海外の人たちの見るもの、
感覚するもの、欲しいものなどを
通じて、ぼくはぼく一人では見ること
がなかったであろう仕方で、日本を見、
日本を感覚し、日本を味わってきた。

真木悠介の「方法としての旅」には、
ぼくたちの日々の充実感や驚き、
それから幸せというものの内実が、
端的に、示されている。
真木悠介は上記に続けて、次のような
美しい文章を書いている。


関係のゆたかさが生のゆたかさの内実
をなすというのは、他者が彼とか彼女
として経験されたり、<汝>として
出会われたりすることとともに、
さらにいっそう根本的には、他者が
私の視覚であり、私の感受と必要と
欲望の奥行きを形成するからである。
他者は三人称であり、二人称であり、
そして一人称である。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店
 

「横にいる他者」が去った後にも、
その余韻が、ぼくの中に静かに残り、
香港の風景は、いつもと少し違った
風景を、ぼくに見せてくれる。

そして、そのような経験や感覚は、
日常から離れていくような「旅」だけ
で感じるものではなく、
日常という<旅>の中でともにする
<横にいる他者>たちによっても、
ぼくの世界は豊饒化されているという
ことを感じる。

世界で出逢ってきた他者たち。
日本で、アジア各地で、ニュージー
ランドで、シエラレオネで、東ティモ
ールで、香港でぼくの<横にいた/
いる他者>たちが、ぼくの世界の内実
を、ゆたかにしてきてくれた。

「生きること」のゆたかさが、
そこに、いっぱいにつまっている。

 

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、「香港のスピード」を感覚する。 - “No City for Slow Men” (Jason Y. Ng)の精神。

“No City for Slow Men”。これは、香港に向けられた言葉である。...Read On.

 


“No City for Slow Men”

これは、香港に向けられた言葉で
ある。

香港に生まれ、海外で暮らし後に
香港に戻ってきたJason Y. Ngの著作
『No City for Slow Men
- Hong Kong’s quirks and
quandaries laid bare』
のタイトル名である。

同書に収められた36のエッセイの
ひとつに、この、
“No City for Slow Men”
のタイトルがつけられ、
同時に同書のタイトルになっている。

エッセイ“No City for Slow Men”に
付されている中国語(繁体字)は、
次の通りだ。

「此地不容慢人」

日本語に訳してみると、
「この地(香港)は、遅い人に
適さない/遅い人を受け入れない」
となる。

“No City for Slow Men”
(此地不容慢人)

香港を一言で表現するとしたら、
この表現がすっきりとくる。
香港は「遅い人たち」にとっての
都市ではない。

Jason Ngは、
「スピードはDNAの中にある」
というように、書いている。

香港に来たことがある人たち、
香港に住んでいる人たちは、
この「感覚」がわかるだろう。

香港では、スピードは、個人の中に
も、社会の中にも、そしてあらゆる
領域をも貫通する価値観である。
プライオリティの高い価値観である。

Jasonのエッセイの冒頭に叙述されて
いるように、
香港の繁華街を歩いていると、
後ろから、広東語の声が飛んでくる。
台車をひいた人たち(物を運搬する人
たちなど)が、道を開けてくれと、
お腹の底から響く声を投げかけてくる。

互いにつくりだすスピードが、
日々のエネルギー源となっているか
のように、香港のスピードは維持され
加速されている。

チェーンの大衆食堂に入れば、
驚くほど早くに、セットメニューが
ととのえられる。

仕事場では、
仕事を早くこなしていくことに
神経がそそがれる。

スーパーマーケットなどの店舗の列は
あっという間にさばかれていく。

店舗の列をさばく「世界選手権」が
あったなら、香港はまちがいなく、
世界トップ3に入る速さだ。

そんな香港のスピードも、
この10年を観察しつづけていると、
「幾分かの変化」を見せているように
ぼくには感じられる。

「人の歩く速さ」は、
東京に住んでいたころから、
そして香港に住んでいる今も、
ぼくの「定点観測」項目のひとつだ。

生活の速さは、一定の生活スタイルを
規定していく。

その生活のスタイルの中で、
得るものもあれば、失うものもある。
よいこともあれば、よくないことも
ある。
そして、そこから、人や社会の深層が
見てとれる。

香港経済社会は、
2008年のリーマンショック後もあまり
影響なく、成長率を伸ばした。
その後も、経済発展は続き、
ぼくが見てきた労働市場も活況を呈して
きた。
その動きが、ここ数年、若干の「落ち
着き」を見せ始めている。

それと時期を重ねるようにして、
「人の歩く速さ」に変化があったように
ぼくは個人的に感覚している。
つまり、若干遅くなったのでは、という
感覚を、ぼくはもつ

まったくの、ぼくの感覚にすぎない
けれども、ぼくは意識して、「人の歩く
速さ」を観察してきたことは確かだ。

そして、生活スタイルも、
変化をしてきているように、
ぼくはその社会の只中で感じている。

もちろん、それでも、
“No City for Slow Men”の精神は、
DNAに組み込まれているかのごとく、
今日も香港を動かしている。

 

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ニュージーランドで、ぼくがぼくから「消したかった」もの。- 「自分ではない誰か(自分)」を希求して。

大学の2年目を終えた1996年。ぼくは1年休学してニュージーランドで暮らすことにした。ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに降り立った。...Read On.


大学の2年目を終えた1996年。
ぼくは1年休学してニュージーランド
で暮らすことにした。
ワーキングホリデー制度を利用して
ニュージーランドに降り立った。

大学では中国語を専攻していた。
中国に留学することも選択肢の
ひとつであったけれど、
英語圏で暮らしてみたかった。
高校生のときくらいから英語圏で
暮らす夢を抱いていた。
しかし、大学を選ぶときには、
将来仕事に役立つ「つぶしがきく」
言語を選んだ。
中国は国際社会で益々力をつけて
きていた時期であった。

ニュージーランドへは「英語圏で暮らす」という夢と共に、ぼくはいくつかの「目標」みたいなものをもっていった。

・英語を学ぶこと
・自分と将来のことを考えること
・悔いの残らない経験をすること

それから、ぼくは「異国で暮らす」
ことの中に、試みであり、望みである
ようなものをもっていた。

それは、ぼくの「学歴を消した生活」
であった。

東京で暮らしていると、
「学歴」がいろいろなところについて
まわる。
それは、ただ、ぼくがそう思っていた
だけかもしれないけれど、
ぼくは「学歴」で見られ、幾分か判断
されることが好きではなかった。

大学自体が嫌いであったということで
もなかった。
外国語の大学ということで、
日本だけでなく世界を見据えている
人たちが集まっている環境はよかった。

日本の大学については、海外に行くと、
知っている人たちはあまりいない。
ましてや、ぼくの大学は、日本でこそ
有名だけれど、
海外で知っている人はまずいない。

だから、異国の地で、学歴を消して、
ぼくは生きてみたかった。
しかし、学歴が気にされない・気に
ならない生活は、解放感があるのと
同時に、実際には「不安」のような
ものもついてまわった。
日本では学歴を消したかった自分で
あったが、自分のどこかでは、頼る
ところもあった。

そんな「依存」は、しかし、
異国の地であっけなく意味をなさなく
なってしまう。

ニュージーランドのいろいろな人たち
に出会い、いろいろと聞かれる。
その中に「どの大学」なんて質問は
もちろん、まったくなかった。

「あなたは普段何をしているのか?」
「これまでどんなことをしてきたのか?」
「家族は?」
「あなたは将来何をしたいのか?」

でも、ニュージーランドで会う人たち
に、「ぼくのこと」を聞かれると、
ぼくはあまり語ることを持ち合わせて
いない、という事実にぶちあたること
になる。

ぼくは「語る物語」を単純にもって
いなかった。
また、もっていたにしても、「物語」
として取り出す方法を知らなかった。
そして、語り方も知らなかった。

それから、徐々にだけれど、
「ニュージーランドで暮らすこと」は
「語る物語」をつくっていくことに
なっていったように、今のぼくは思う。

読んでいた本の中の、
ジョン・レノンの言葉が、
ニュージーランドのオークランドに
着いたばかりのぼくに突きささる。

ジョン・レノンはこう語る。
「自分の夢は自分でつくるしかない
んだ。僕は君をいやせやしないし、
君も僕をいやせない。」

それから、ニュージーランドで、
シェアハウスの一部屋を借りて
ニュージーランドの人たちと暮らし、
日本食レストランで働き、
そして、ぼくは、徒歩縦断の旅に出る。

スペインの聖地巡礼と同じくらいの
距離だろうか、700Km程をひたすら
歩いて、ぼくは断念する。
そして、ニュージーランドの山々を
登り、歩く。

その途中で出逢う人たちは、
誰も、ぼくに「学歴」なんて聞かな
かった。
ぼくは、オークランドでの生活の
ことを語り、徒歩縦断の旅を語った。

しかし、残るものもあった。
学歴は消えたけれども、
「日本人」ということが残った。
悪い意味合いではなくて、
出逢う人たちの「興味」につながる
事実であった。

そしてぼくは、「日本」をあまり
知らない自分に対峙せざるを得なく
なった。

もちろん、そんな「境界」がまった
くなくなるときも多々あったことは
付け加えておかなければならない。

それから、ぼくは西アフリカの
シエラレオネ、東ティモール、香港
と、生活の拠点を移動してきた。

香港では見た目はぼくが日本人だと
わかる人はほとんど会ったことが
ないけれど、それでも、いろいろな
意味で、「日本、日本人」という
ことが、ぼくの生活についてまわる。

そのことは、また別の機会に書きたい
と、ぼくは思う。

 

人は、時に、
「ここではないどこか」を希求し、
「自分ではない誰か」を希求すること
がある。

ここではない「どこか」へ行くことで、
望むようになることもあれば、
気がつけば「ここ」と変わらない
現実にもどってくることもある。

自分ではない「誰か」になろうとして
望むようになれることもあれば、
気がつけば「自分」という事実が
つきつける現実にもどってくることも
ある。

そんなことは無駄じゃないかと言う人
はいるかもしれない。
しかし、ある意味、それが生きると
いうことであり、
その過程の「越え方」によっては、
現実にもどったように見えて、実は
現実の「風景」が異なってみえること
もあると、ぼくは思う。


 

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「お金・時間・自分」という問題系をつきつめて。- 真木悠介が照準する「みんなの問題」。

真木悠介が、追い求めてきた問題系は、お金、時間、自分(自我)という、ぼくたちが生きていく中で必ず直面していく問題系である。...Read On.


「真木悠介」は、社会学者である
見田宗介のペンネームである。

見田宗介は、「ペンネームは家出」で
あると、評論家の加藤典洋との対談で
語っている。
(『現代思想』2016年1月臨時増刊号、
青土社)

ペンネームを使うことで、
・締め切りがなく書きたいものを書く
・過去のイメージに縛られないで書く
ことができる、という。

その真木悠介が取り組んできた仕事は、
近代・現代に生きる誰もが直面する
問題に照準している。

 

1)真木悠介が照準する問題系

真木悠介が、追い求めてきた問題系は、
・お金
・時間
・自分(自我)
という、ぼくたちが生きていく中で
必ず直面していく問題系である。
直面する仕方は人それぞれである。

真木悠介は、これらの問題系に対して
それぞれ、次の著作を書いている。

●『現代社会の存立構造』(1977年)
●『時間の比較社会学』(1981年)
●『自我の起原』(1993年)

これら真木悠介の著作群を読んだから
といって、お金が増えるわけではないし、
時間が有効活用できるわけではないし、
また、エゴが解決するわけではない。

それは言ってみれば、著作、
『あなたの人生の意味 先人に学ぶ
「惜しまれる生き方」』(The Road
to Character)で、デイヴィッド・
ブルックス(David Brooks)がいう
ところの、
「履歴書向きの美徳」(履歴書に書ける
経歴)を磨くものではない。

むしろ、デイヴィッドが言う、
「追悼文向きの美徳」(葬儀で偲ばれる
故人の人柄)を磨いていくような著作群
である。

「履歴書向きの美徳」も、ぼくたちが
日々生きていく中では大切である。
ぼくたちの日々の「悩み」は、
これら3つの問題系に溢れていて、
ぼくたちは日々、それらに立ち向かって
(あるいは手放して)いく必要がある。

しかし、お金を一生懸命にかせぎ、
時間を徹底的に有効活用し、そして
「自分」の壁を表面的に乗り越えても、
それでも「生きにくさ」が残る(ことが
ある)。
どんなに自分ががんばっても、社会の
大きな壁にぶつかってしまうような
ところが存在している。

真木悠介は、「お金・時間・自分」の
問題を、「じぶんの問題」として
真摯に引き受けることで、だからこそ、
「みんなの問題」を引き受けてもいる。
「お金・時間・自分」という問題系は
真木悠介の生を貫き、
また、近代・現代に生きる人を貫く
生きられる問題系である。

 

2)『現代社会の存立構造』から。

ペンネームの真木悠介名で書かれ、
1977年に出された、
『現代社会の存立構造』は、
大澤真幸が総括するように、
「近代社会の、総体としての構造と
仕組みを、根本から理論化している」
書物である。

2011年から2013年にかけて、
見田宗介=真木悠介の『定本著作集』が
編まれた際には、しかし、
『現代社会の存立構造』は著作集から
外された。

「外した理由」を、加藤典洋との対談で
真木悠介は述べている。


『現代社会の存立構造』は読もうと
思ってくれた方はわかるように、
非常に抽象的で難解で面白くない。
つまり、誰にも読んでもらわなくても
いいから自分のノートみたいなものと
して…書いた。
…『存立構造』については、近代市民
社会の存立の構造みたいなものが
明確にできるという感じがあった。
…ただ、難しい議論だし、誰にも
読まれないだろうと。だから『定本』
から外しました。

『現代思想』2016年1月臨時増刊号、
青土社

 

それを見た社会学者の大澤真幸は、
それではいけないということで、
復刻版を、自身の解題を付して
出版している。

『現代社会の存立構造』は、
マルクスの『資本論』をベースとして、
しかし『資本論』に付着した政治性を
完全に切り離して、議論を進めている。

非常に難解だけれども、
この著作は、眼を見開かせる内容で
いっぱいである。
経済形態(商品、資本、合理化、
資本制世界の形成など)について、
普段、ぼくたちがその中に置かれ
ながら、でもその「前提」を問おうと
しないところに降り立っていく、
著作である。

そして、その議論は、
「時間」の問題に引き継がれていく。
著作『時間の比較社会学』は、
「時計化された生」を生きる
ぼくたちの生の成り立ちを明晰に
解明していく。

それから、真木悠介は、
「時間」につづく仕事として、
「自我論・関係論」を明確に意識し、
10年以上をかけて『自我の起原』を
完成させる。

真木悠介は、『自我の起原』の
「あとがき」で、自身の問いが純化
され、つきつめられていく方向を
こう表現する。


人間という形をとって生きている
年月の間、どのように生きたら
ほんとうに歓びに充ちた現在を
生きることができるか。
他者やあらゆるものたちと歓びを
共振して生きることができるか。
そういう単純な直接的な問いだけ
にこの仕事は照準している。…

真木悠介『自我の起原』(岩波書店)
 

お金、時間、自分(自我と関係)に
関する真木悠介の著作群は、
「ほんとうの歓び」をつきつめる
直接的な問いに応答する著作群である。
(それぞれの著作については、別途、
どこかで主題にしてみたい。)

その思索の一つの発端として、
『現代社会の存立構造』はあった。

 

3)「時代」の変わり目に。

そして、「時代」の変わり目に、
ぼくたちは直面している。

前出のデイヴィッド・ブルックスは、
「人生」という単位で「美徳」を語る。

経済を語るメディアは、景気・不景気、
あるいは産業構造変化として、数年から
数十年単位で、時代を語る。

真木悠介は、現代の諸相に見られる
ことも視野に入れながら、
人間の起原・社会の起原にまで降り
立ち、人間と社会の「未来」を語る。

カール・ヤスパースの言う「軸の時代」
というコンセプトにヒントを得て、
「現代」を新しい視野におさめる。
ヤスパースが「軸の時代」と名付けた
文明の始動期に、世界の思想・哲学・
宗教等が生まれ、世界の「無限性」に
立ち向かったことに、真木は眼をつけ
る。
そして今、世界は、世界の「有限性」
の前に立たされ、新たな思想とシステ
ムを要請している。

見方によっては、ぼくたちは、
二千年を超える時代の「変曲点」に
位置している。

ぼくたちが日々直面する、
「お金、時間、自分」という諸相は、
時代が変曲する局面にて、極限し、
先鋭化する。

世界の金融危機、経済活動と時間の
関連性と諸問題、それから、壊れる
「自我」など、
世界の「無限性」はその極限の地点
で、様々な問題を先鋭的に創出して
きている。

その中から、それらを乗り越えて
いこうとする様々な「試み」が
出てきている。

「お金」をとってみても、
ローカルカレンシーから、ベーシック
インカム、そしてビットコインなど、
「試み」が繰り返されている。

そして、この「変曲する局面」には、
「お金・時間・自分(他者との関係)」
を根本において理解しておくことが
大切であると考える。
「履歴書向きの美徳」だけでは、
やはり足りないのだ。

人生という単位で
「追悼文向きの美徳」を追求し、
数年から数十年という単位で
「パラダイム変化」を志向し、
数百年から二千年単位で
「思想・システムの構想」の冒険
に加わることが求められるのだ。

真木悠介(見田宗介)が照準して
きた仕事は、このようにして、
「みんなの問題系」である。

ここでいう「みんな」とは、
今現在生きている「みんな」だけ
ではなく、過去から未来にまで
照準する「みんな」であると、
ぼくは思う。

お金・時間・自分、という問題を、
生きられる問題として、真摯に
徹底的に引き受けてきた真木悠介の
仕事は、これからの「未来」の道と、
それを支える思想とシステムを構想
する際に、際限のないインスピレー
ションを、ぼくたちに与えてくれる。


 

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