萩本欽一著『ダメなときほど「言葉」を磨こう』。- どこまでも「素敵な言葉」を追い求めて。
著作『ダメなときほど運はたまる』に続く、コメディアンの萩本欽一の著作『ダメなときほど「言葉」を磨こう』(集英社新書)は、どこまでも「素敵な言葉」を追い求めてゆく人の、まっすぐな本である。...Read On.
著作『ダメなときほど運はたまる』に続く、コメディアンの萩本欽一の著作『ダメなときほど「言葉」を磨こう』(集英社新書)は、どこまでも「素敵な言葉」を追い求めてゆく人の、まっすぐな本である。
前者の著作で、「どん底のときには大きな運がたまり、反対に、絶頂のときには不運の種がまかれている」という運の法則を語り、「運」と同じくらい大事にしてきたことに「言葉」があると、本書では「言葉」について展開されていく。
人生は言葉の積み重ねです。その都度、どんな言葉を話すかで、終着点も大きく変わると思います。
萩本欽一『ダメなときほど「言葉」を磨こう』集英社新書
そう語る萩本欽一は、73歳で駒澤大学の仏教学部に入学し、今年75歳で三年生という。
「大学に入学したのは、なぜ」と想像していたら、萩本欽一は、とてもシンプルに、こう書いているのを、見つけた。
今、駒澤大学の仏教学部に通っているのもその延長。仏教学部なら、お釈迦様の素敵な言葉にたくさん出会えるだろうと考えたのです。
萩本欽一『ダメなときほど「言葉」を磨こう』集英社新書
「その延長」とは、テレビ活動が一段落した44歳のときには、言葉だけでなく学び直しのために河合塾にも入ったこと。
しかし「言葉の大切さ」に気づいたのは、大人になってからだと、萩本欽一は書いている。
「あれ、僕って言葉が足りないや……」
そう思ったのは、坂上二郎さんと結成したコント55号が軌道に乗って、寝る暇もなく仕事をこなしていたころです。新聞や雑誌のインタビューをたくさん受けるようになって質問に答えようとしても、自分の思いを伝える言葉が見つからない。中学から高校時代にかけて、あまり勉強もしていなかったから、圧倒的に語彙が足りません。
萩本欽一『ダメなときほど「言葉」を磨こう』集英社新書
萩本欽一の「言葉」をつくってきたのは、学びということもあるけれど、生きていく中で出会う人たちとの「間」に生まれる言葉だ。
出会う人たちは素敵な人たちであることと同時に、萩本欽一との「間」だからこそ、生まれ出るような言葉たちであるように、ぼくは思う。
その「間」、つまり人間関係に敏感であり、「つながり」を大切にしてきた萩本欽一だからこそ、素敵な言葉に祝福されてきたのである。
そのような「祝福の言葉」が、この本にはエピソードと共に、散りばめられている。
【目次】
第一章:どんな逆境も言葉の力で切り抜けられる
第二章:子育てこそ言葉が命
第三章:辛い経験が優しい言葉を育む
第四章:仕事がうまくいくかは言葉次第!
第五章:言葉を大切にしない社会には大きな災いがやってくる
第六章:言葉の選び方で人生の終着点は大きく変わる
散りばめられているエピソードと、そこで生まれ出た「言葉たち」は、とても素敵だ。
「関係を断ち切るときは『ごめんなさい』、続けたいときは『言い訳』を」と題される項目で、萩本欽一はこう書いている。
「言い訳するんじゃない!」
日常でよく聞く言葉ですよね。でも、僕は言い訳、大歓迎。言い訳にこそ、人間関係をよくするチャンスがあると思っています。
ときたま仕事の場で若い子に間違っていることを指摘しようとすると、みんなすぐ「すいません!」とか「ごめんなさい!」と言う。…
…「すいません」とか、「ごめんなさい」と言われると、返す言葉は「じゃあいいよ」とか、「すいませんですむか、バカヤロー」と、こういう言葉になってしまう。つまり、「すいません」「ごめんなさい」は、いち早く関係を断ち切るときに使う言葉じゃないかなと、僕は思っているのです。…
僕にとって言い訳とは、あなたとまだずっと会話を続けたい、という意思表示。…
萩本欽一『ダメなときほど「言葉」を磨こう』集英社新書
どこまでも素敵な言葉と素敵な人間関係を追い求める萩本欽一には、言葉で、「世界の風景」を変えてしまう力があるのだ。
この本の最後の項目に、「七十歳は人生のスタートだった」という話が書かれている。
「だった」と過去形で書かれているのは、萩本欽一にも、七十歳になった折に「ゴール」という言葉が頭をかすめたからである。
それが、大学に入学し三年生になった今、それが間違っていて、「七十歳はスタートだった」と考えるに至ったという。
思考が変わると言葉も変わるのです。七十歳をゴールと考えると、「これからは温泉にでも浸かってゆっくり過ごすか」という言葉が出てくるのに、スタートと考えると「さて、若者と一緒に勉強でもするかな」という言葉になったりします。
萩本欽一『ダメなときほど「言葉」を磨こう』集英社新書
「ゴール」を「スタート」に変えるという、とても些細なことだけれど、それがどれほど思考を変えてゆくのかを、萩本欽一は経験と共に、ぼくたちに伝えているのだ。
その大学に行く楽しみの一つとして挙げられていることに、ぼくは心を打たれる。
…大学に行く楽しみの一つは、年の離れた学友の成長を目の当たりにできることです。不思議なもので、一生懸命勉強する学生はどんどん顔がきれいになっていく。
萩本欽一『ダメなときほど「言葉」を磨こう』集英社新書
その萩本欽一は本書で「プロフェッショナル」についても触れているので、最後に記しておきたい。
視聴率30%番組を続々とつくりだし、周りの番組を倒していった萩本欽一は、いつかは必ず倒されることを承知し、「倒される前に、自分で自分を倒した」という。
そのように自分からやめることを選択してきた萩本欽一は「プロフェッショナル」について、こう書いている。
NHKの「プロフェッショナル」という番組で、最後に聞くでしょう。「あなたにとってプロフェッショナルとは?」と。僕がもし聞かれたら、こう言います。
「勝ったときの喜びが短くて、負けたときの悲しみも短い人」って。
萩本欽一『ダメなときほど「言葉」を磨こう』集英社新書
一言一言に賭けられた物語。- 福島正伸著『毎日、社員が感動して涙を流す 理想の会社』
会社におけるほとんどの問題は「理想の会社」を描くことで解決できるという経験をもとに、コンサルタントでありセミナー講師であり、そして経営者でもある福島正伸が、2009年に『毎日、社員が感動して涙を流す 理想の会社』という著作を書いている。...Read On.
会社におけるほとんどの問題は「理想の会社」を描くことで解決できるという経験をもとに、コンサルタントでありセミナー講師であり、そして経営者でもある福島正伸が、2009年に『毎日、社員が感動して涙を流す 理想の会社』という著作を書いている。
直球が投げられるようなメッセージをもつ著作であるけれど、著作を際立たせているのは、第一に「理想の会社」のイメージを他者と共有する方法として「理想の会社の状況を物語にすること」を提案していること、また第二に、その物語のもつ具体性である。
福島正伸は、文字通り、「理想の会社」を物語として描くことをすすめている。
そして、「理想の会社の状況を物語にすること」の特徴や利点は、福島自身が挙げているように、さまざまに列挙することができる。
【目次】
第1部:「理想の会社」を描こう!
第2部:「理想の会社」物語
第3部:「理想の会社」の描き方
本書は、第1部で「理想の会社」を描くことの説明があり、そのひとつの例として第2部で物語が描かれ、事例を踏まえた上で「描き方」のヒントが提示されている。
第2部の「物語」がこの本の見どころである。
ここでいう「物語」は、いわば「小説風」である。
どのような言葉が交わされるか、どのように仕事がすすんでいくか、どのように問題解決されるかなどが、小説風に、語られている。
まさに、一言一言に物語が賭けられている。
第3部で挙げられている、「理想の会社」を描くときのポイントは次の通りである。
- 日常のすべての仕事に当てはめることー当たり前と思っていることに、意義を見いだす
- 誰もがやる気になる会話ー理想のあいさつ
- 仕事のレベルを極めるー働く姿が芸術
- 常識を超える、想像を超えるー「まさかそこまで」といわれる
- 情景だけでなく、感情も表現する
- すべての人が幸せになることー会社の成長をすべての人が喜ぶこと
これらを踏まえて、「理想の会社」の情景を描く際の手法や心構えとして3つ挙げられている。
(1)理想の一日を描く
(2)良い事例をいっぱい集める
(3)「理想の会社」を描くことは、理想の会社になること
一言一言に物語が賭けられているということについては「(1)理想の一日を描く」でも、描き方のコツが書かれている。
例えば、こんな感じだ。
◇ 朝、家族にどのような気持ちで、どのようなあいさつをするか
・「おはよう!日本を変えるために目が覚めたよ」
◇問題が起きたときの言葉
・「ようやく、私の出番が来たようですね。これまでいろいろな経験をしてきたのはこの時のためだったんです。まさせてください!」
◇退社するときに、一言
・他の社員に声をかけながら、
「今日も一日、一緒に働くことができて、とてもうれしく思います。明日は、今日よりも皆さんの見本になれるように頑張ります!」
福島正伸『毎日、社員が感動して涙を流す 理想の会社』きこ書房
一言の内容どうこうではなく、先にも書いたように、「理想の会社」としてここまで描ききることに、<物語としての力>が生きてくることに、この方法の力がある。
福島正伸は、第3部の最後に、次のような言葉を置いている。
「理想の会社」を描く。
それは、理想の会社になる過程そのものなのです。
福島正伸『毎日、社員が感動して涙を流す 理想の会社』きこ書房
いわゆる「現実主義」の人たちからは、「理想と現実」という図式の中で、「現実を見なくてはいけない」と語られたりする。
人は、この「理想と現実」という図式にとらわれている。
しかし、よくよく考えていくと、現実主義者であれ、意識されなくても「理想的なもの」を抱いていたりする。
逆に理想をめざす人たちは「理想を現実化する」ということの内に「現実的である」のだ。
ぼくたちは、明確に理想を描き、それを現実化するプロセスを生きてゆくことを選択することができる。
そこでは、「理想主義と現実主義」という図式は、プロセスの内に解体されてゆくのである。
福島正伸が提示する「物語としての理想の会社を描くこと」は、「会社」に限られるものではなく、ぼくたちひとりひとりの「人生」に適用できる骨太さをもっている。
ぼくたちは、ぼくたちの「生き方の理想」を、物語として具体的に描くことができるし、それは「理想の人」になる過程そのものを鮮明に起動させる契機のひとつになると、ぼくは思う。
英語の「takeaway」という言葉を最近よく聞いたり見たりして考える。- 「教科書」と「教科書ではない本」という比較から。
最近、英語のポッドキャスト(podcast)を聞いているとき、英語の講義・セミナーなどの動画を観ているとき、さらに英語のブログなどを読んでいると、「takeaway」という言葉をよく聞いたり、目にしたりする。
🤳 by Jun Nakajima
最近、英語のポッドキャスト(podcast)を聞いているとき、英語の講義・セミナーなどの動画を観ているとき、さらに英語のブログなどを読んでいると、「takeaway」という言葉をよく聞いたり、目にしたりする。
言葉が語られる文脈を考慮せずに「takeaway」と聞くと、店舗やレストランでオーダーする「持ち帰り用の料理」などのイメージが湧いてくる。
「持ち帰り用の料理」という意味での「takeaway」は英国の英語である。
米国の英語では「take-out」であり、日本では「テイクアウト」がカタカナで使われたりするから、こちらの方がなじみがあるだろう。
でも、ぼくが最近聞いたり、観たり、読んだりする「takeaway」は、料理とは関係がない。
グーグル翻訳(英英辞書)では、下記のように定義される意味だ。
【takeaway】
● a key fact, point, or idea to be remembered, typically one emerging from a discussion or meeting.
例文:“the main takeaway for me is that we need to communicate all the things we’re doing for our customers”
ポッドキャストにおけるインタビュー、自己発展・自己啓発系の講義やセミナーの要点まとめ、ブログにおいて何かからの学びのポイントなどを語る際に、「takeaway」という言葉が使用されるのだ。
語源を詳細には調べきれていないけれど、この定義自体は新しいものではないようである。
現在において「言葉の使用法」と「使用される場」ということで考えると、なかなか面白いものである。
「言葉の使用法」ということで言えば、あくまでもぼく個人の語感においては、言葉の「重さ」がとれ、「気軽さ」の語感がわいてくる。
どうしても「持ち帰り料理」的なイメージがわくからということもある。
その点から、「使用される場」ということを考えても、どちらかというと口語的な気軽さが伴う場で使われているように見られる。
必ずしも話される言葉ではないけれど、学術書や論文などでは、まだ見た覚えはない。
学者が書く一般読者向けの本などでは使われることもあるだろうけれど、フォーマルな文書ではやはり避けられるのだろう。
この「気軽さ」が、生きることや自己啓発などの若干重いテーマにおいて、聞く側や読む側に気持ちの余裕のようなものをつくるように思われる。
少し余裕をつくる言い回しの中で、話し手や書き手は、「takeaway」として要点やまとめをとても上手く引き出して、語ったり書いたりしている。
ただし、そのように語られたり書かれたりするものは、往往にして、点としての「知識」や「情報」などである。
要点やまとめが、教科書的にまとまりすぎてしまうことがあるのだ。
社会学者の若林幹夫は「教科書と、教科書でないテクスト」という文章の中で、示唆に富むことを書いている。
…教科書は、ある学問においてこれまで研究され、書かれ、議論されてきたことがらのうち、すでにある程度標準的な見解として一定の評価を得ていることを集め、整理し、解説し、あるいは読者の思考をそうした理解へと導こうとする。そうした書物は、ある学問領域においてすでに考えられて、すでに知られていることを、それらをいまだ知らない人びとのための「情報」として紹介し、提示する。それに対して「教科書ではない本」は、すでに考えられ、知られていることではなく、書き手が新たに何かを考え、明らかにしようとする過程が書かれた書物のことだ。
若林幹夫『社会(学)を読む』弘文堂
「教科書ではない本」は、社会学の古典であるマックス・ウェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などを指している。
「教科書」は、この書籍の中から、学界内などで常識化された「知識」や「情報」がとりだされて書かれている。
しかし、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などの本は、教科書的な要約におさまりきらないものを「過剰に」もっている。
…教科書はすでにわかったとされることを簡潔に伝えるのに対し、これらの書物は書き手にとっていまだ明らかではないことを明らかにしようとする過程や、それまで考えられなかったことを何とか考えようとした過程が描かれているのだ、と。それゆえそうした書物にとって重要なことは、「わかったこと」それ自体ではなく、「わからないこと」と、それを何とかして「考え、わかろうとする過程」なのだ。
思考は過程(プロセス)であり、知識や情報はその結果(アウトプット)である。…ある学問を学ぶとは、その学問が明らかにしてきたことを知識や情報として知るだけではなく、その学問を用いて世界を理解することができるようになるということだ。…
若林幹夫『社会(学)を読む』弘文堂
「takeaway」と呼ばれるまとめは、知識や情報として重要であるけれど、それだけを知って理解することだけでなく、インタビューやセミナーや文章における「過程(プロセス)」も一層大切だと、ぼくは思う。
普通の学校教育に慣れ親しみすぎていると、どうしても知識や情報一辺倒になってしまい、考えるプロセスが抜けがちになってしまう。
知識や情報は「点」的なものになりがちで、点や線をつないでゆく考えるということの「全体的な視野や構造」が見えないのだ。
だから、双方を大切にしていくことである。
ぼくが耳にし目にする「takeaway」は、そうすることで、聞いただけ、見ただけで終わらせない方法論のひとつだ。
振り返りの中で「takeaway」を明示することで、日常の行動につなげてゆくための、リレー地点をつくる方法だ。
<リレー地点としての点>をつくりながら、しかし、点と線をつなぐ思考を点火しながら、一歩一歩進んで(ときに後退して)ゆくことが、とても大切であると、ぼくは思う。
「退屈さ」というぼくたちの内面の最大の敵(のひとつ)に向かって。- 「人に伝わらない」という経験が退屈さに立ち向かう。
走りながら、ぼくは思考を紡いでゆく。ひとつに、ぼくたちが避けるべきは、あるいはいずれ(何らかの形で)避けることになるのは「退屈さ」ではないかと。...Read On.
走りながら、ぼくは思考を紡いでゆく。
ひとつに、ぼくたちが避けるべきは、あるいはいずれ(何らかの形で)避けることになるのは「退屈さ」ではないかと。
一人という生においても、組織というものであっても、社会というものであっても、人あるいはその集団は、意識していようがいまいが、「退屈さ」を嫌うのではないかと。
「退屈さ」をこわすためであれば、人や集団は、苦痛や不幸さえつくりだしていってしまうように、ぼくは思う。
「苦痛や不幸さえつくりだす」ということは、語弊があるかもしれないけれど、意識せずともあるいは意図せずとも、そのような状況に自分を追い込んでいってしまうということ。
生きていくということは、時間により「右肩上がりの直線」が引かれるのではない。
それは、Joseph Campbellが言うような「Hero’s Journey」のように、あるいはその原型を適用する映画のように、アップ&ダウンの連続なのだ。
直線的な退屈さをこわすために、人は「ダウン」さえ、生きる物語につくっていくということである。
逆に「面白さ」ということをかんがえるときには、面白さをつくりだす条件として「自由」ということがあると、ぼくは思う。
ここで言う「自由」は、日々の生活における自由ではなく、根源的な「自由」である。
例えば、コミュニケーションということにおいて、次のような図式でかんがえてみる。
「伝わらない」<ーーーーーーーーーー>「伝わる」
一方に「伝わらない」ということがあり、他方に「伝わる」ということがある。
人と人とのコミュニケーションにおいて、「いつも、完全に伝わる」(つまり線分の一番右)ということであったらどうだろうか、とかんがえる。
コミュニケーションがうまくいかないという、誰もが悩み苦痛とフラストレーションを感じる中に、ぼくたちは「いつも、完全に伝わったら…」という願望を抱く。
しかし、はたして、「いつも、完全に伝わったら」ぼくたちの世界はどうなるのか。
ぼくは思うのだけれど、そこには「退屈さ」の影が侵入してくるのではないだろうか、と。
伝わらないことと伝わることの「間」は、ぼくたちが自由であることの条件なのだと、ぼくはかんがえる。
自由は、コミュニケーションがよくできることも、あるいはできないことも、何も保証してはくれないけれど、ぼくたちが「アップ&ダウン」を楽しむことのできる可能性をつくってくれる。
ぼくたちが楽しむテレビドラマや映画、恋愛映画であったり家族の物語であったりは、この「伝わらないー伝わる」ということがつくりだす自由空間でくりひろげられるドラマである。
その意味において、自由は「面白さ」の可能性をつくりだしていく。
それは「退屈さ」という敵にくりだす武器なのだ。
見田宗介が語る「自由の前提」が、ぼくの頭から離れない。
…自由には二つの前提がある。第一に、「どこにでも行ける」ということ。第二に、どこかに行けば、幸福の可能性がある。「希望」があるということである。第一は自由の、抽象的、形式的な条件である。第二は自由の、現実的、実質的な条件である。…
見田宗介「走れメロスー思考の方法論についてー」『現代思想』2016年9月号
コミュニケーションにおいて、「伝わらないー伝わる」という可能空間で、ぼくたちは「どこにでも行ける」。
伝わらないことも伝わることも、あるいはその中間のどこかであることもできる。
そこには「どこにでも行ける」だけでなく、ぼくたちにはコミュニケーションの「希望」がある。
村上春樹が「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」(新潮文庫の同タイトルの著作より)と願うように、ほんとうに伝わるということが極めてむずかしいのがコミュニケーションである。
それでも「きっと伝わる/伝える」という「希望」が、ぼくたちをつきうごかしていく。
その「希望」につきうごかされながら、アップ&ダウンの「面白い」ドラマの中で、ぼくたちは日々を生きる。
「伝わらないー伝わる」という両極の事例に限らず、生きることのさまざまな同じ形式のことは、「自由」ということの条件である。
それは、ぼくたちの内面の最大の敵のひとつである「退屈さ」をこわしていく空間を、ぼくたちに与えてくれている。
「言葉のお守り」としての(社会で流通する)進化論。- 鶴見俊輔と吉川浩満に教えられて。
吉川浩満の著作『理不尽な進化ー遺伝子と運のあいだ』は、とてもスリリングな本だ。社会で流通する「進化論」は、ダーウィンの名前のもとに「非ダーウィン的な進化論」である発展的進化論であることを、明晰に語っている。...Read On.
吉川浩満の著作『理不尽な進化ー遺伝子と運のあいだ』は、とてもスリリングな本だ。
社会で流通する「進化論」は、ダーウィンの名前のもとに「非ダーウィン的な進化論」である発展的進化論であることを、明晰に語っている。
グローバル化の中での価値観の同一性、また「次なる時代」をみすえてゆく中で、この認識は大切であると思い、このことをぼくはブログに書いた。
この著作と吉川の文章について、もう少し書いておきたい。
吉川の文章の特徴は、理論の明晰性と共に、さまざまな知性たちがさまざまな仕方(時に興味深い仕方)で、登場してくることだ。
それぞれの登場ごとに、ぼくは好奇心と共にとても気になってしまい、立ち止まっては「登場人物たち」の著作や来歴などを調べるから、なかなか本の先に進んでいかなくなってしまうのだ。
ほんとうに良い本というのは、その本におさまらないような遠心力をかねそなえている。
数々の「登場人物」の中で、社会で流通する「進化論」を読み解く際に、吉川は思想家の鶴見俊輔の力をかりている。
鶴見俊輔が1946年に雑誌『思想の科学』に書いた論文「言葉のお守り的使用法について」で展開された言葉の使用法(分類)を使って、進化論への誤解を読み解いていくのだ。
ぼくはこの論文そのものは読んでいないけれども、ここでは、吉川による紹介と読解、それから誤解された進化論への適用から、学んでおきたい。
鶴見俊輔は、ぼくたちが使う言葉を、まず大きく二つに分ける。
吉川の説明を参考にまとめると、下記のようになる。
● 主張的な言葉:実験や論理によって真偽を検証できるような内容を述べる場合。真偽を検証できる主張。(例:「あのお店のランチは1000円だ」「二かける二は四である」)
● 表現的な言葉:言葉を使う人のある状態の結果として述べられ、呼びかけられる相手になんらかの影響を及ぼすような役目を果たす場合。感情や要望の表現。(例:「おいっ!」「好きです」)
この二つの言葉の分類をもとにしながら、次のようなケースがあることに注意を向ける。
■ 実質的には表現的(感情や要望の表現)であるのに、かたちだけは主張的(真偽を検証できる主張)に見えるケース
鶴見俊輔は、このような言葉を「ニセ主張的命題」と呼んでいる。
「ニセ主張的命題」の言葉は、その意味内容がはっきりしないままに使われることが多いのだと、鶴見は注意をうながすのだ。
そして、この「ニセ主張的命題」により、「言葉のお守り的使用法」が可能になるという。
鶴見俊輔は、次のように述べている。
人がその住んでいる社会の権力者によって正統と認められている価値体系を代表する言葉を、特に自分の社会的・政治的立場をまもるために、自分の上にかぶせたり、自分のする仕事にかぶせたりする。
鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法について」『思想の科学』創刊号(*吉川浩満の前掲書より引用)
吉川浩満は、鶴見のこの考え方を「眼鏡」として、社会で流通する進化論の言葉たちを見渡してみる。
そうすると、テレビやネットや本や雑誌や広告などで語られる「進化論」の言葉は、この「ニセ主張的命題」そのものだと考えられることになる。
…それらは見かけ的には主張的な言葉(真偽を検証できる主張)の体裁をとっている。なぜならそれらの言葉は、実験や観察や論理によって真偽を検証できる科学理論(進化論)に由来するものだからだ。でも実際に自らの発言を科学的に検証する者など誰もいない。じゃあなにをしているのかといえば、すでに起こってしまった事象にたいして慨嘆したり、将来にたいして希望的あるいは悲観的な感想を述べたり、商品の優れた点を宣伝したり、自分や他人を鼓舞奨励あるいは意気消沈させるために、こうした言葉を発しているのである。それらは実質的には表現的な言葉(感情や要望の表現)であり、一種の「生活感情の表現」あるいは「人生にたいする態度の表現」(©︎ルドルフ・カルナップ)なのである。
吉川浩満『理不尽な進化論』朝日出版社
進化論を「ニセ主張的命題」として使用するのはなぜかと、吉川は続けて書いている。
どうしてそんなことをするのか。鶴見の言葉に沿っていえば、それはもちろん、進化論的世界像がみんなに「正統と認められている価値体系」であるからであり、自然淘汰説がそれを「代表する言葉」であるからであり、それを用いることによって「自分の社会的・政治的立場をまもる」ことができそうに思えるからだ。
吉川浩満『理不尽な進化論』朝日出版社
それが「言葉のお守り的使用法」である。
進化論に限らず、ぼくたちはいろいろな場面で、便利に使ってしまっている方法だ。
ここで議論をとめることはせずに、吉川は、さらに奥深くに向けて、言葉を紡いでいる。
それにしても、「言葉のお守り的使用法」という言葉の使われ方は、意識されないままで、実にこわいものである。
「言葉」をあなどってはいけない。
ぼくたちの「世界」は、言葉によってつくられるものでもある。
世界は「言葉のお守り」が至るところに貼られている。
鶴見俊輔と吉川浩満に、ぼくは教えられた。
日常思考による「進化論」にたいする誤解。- 吉川浩満『理不尽な進化ー遺伝子と運のあいだ』
「進化論」というトピックは人をひきつけるものでありながら、専門家ではなく素人にとっては、進化論についてわかっているようでわかっていないような、でも誰でも「知っている」ものだ。...Read On.
「進化論」というトピックは人をひきつけるものでありながら、専門家ではなく素人にとっては、進化論についてわかっているようでわかっていないような、でも誰でも「知っている」ものだ。
人はふつう、生物の進化を「生き残り」の観点から見るのにたいして、逆に「絶滅」の観点から生物の進化をとらえかえすのが、吉川浩満の著作『理不尽な進化論』(朝日出版社)である。
この「絶滅」の観点は、これまで地球上に出現した生物種の内、99.9%が絶滅してきたという事実から考えれば、確かに説得力がある。
著者の吉川浩満に着想を与えた二冊の本は、動物行動学者リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』と、真木悠介『自我の起原』であったという。
ちなみに、ぼくに「進化論」の世界をひらいてくれたのも、吉川にとってと同じく、真木悠介『自我の起原」である。
この二冊にみちびかれるように進化論の世界にはまるなかで、古生物学者デイヴィッド・ラウプの著書『大絶滅』に出会い、「絶滅」の観点を得て、すべての「ピース」が揃ったのだと、吉川は書いている。
そのように吉川の中で生成した本書は、専門書でもなく学術書でもなく、一般の読書人に向けられている。
進化論を解説したり評価したりすることよりも、「進化論と私たちの関係について考察すること」を本書は主目的としている。
【目次】
序章 :進化論の時代
第一章:絶滅のシナリオ
第二章:適者生存とはなにか
第三章:ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか
終章 :理不尽にたいする態度
第一章で「絶滅のシナリオ」を語り、第二章で素人の進化論にたいする誤解を理解し、第三章で今度は専門家間の紛糾へと移行し、終章へと向かう。
この展開は、本書の主要な主張に沿う形式でもある。
第一章の「絶滅のシナリオ」を振り返りながら、吉川は次のように書いている。
本書の主要な主張のひとつは…素人が見ないことにしているものと専門家が争っているものとは、じつは同じものー進化の理不尽さーなのではないかというものだ。…絶滅にかんする事実と考察こそが、こうした視点を与えてくれるはずだ。…
私たち素人がめんどくさいから無視している進化の理不尽さは、専門家のあいだではめんどくさいからこそ争点になりうる。私たち素人が理不尽からの逃走を行なっているのだとすれば、専門家たちが行なっているのは理不尽をめぐる闘争なのだ。ふつう、素人と専門家が共通の課題をもつことはないし、その必要もないと私は思う。しかし、進化の理不尽さをどうするのかという一点において、両者は共通の課題をもちうるのである。この理不尽さこそ、進化論が私たちに喚起する魅惑と混乱の源泉だと私は考えている。
吉川浩満『理不尽な進化論』朝日出版社
「理不尽からの逃走」としての素人の誤解は第二章で論じられ、そして「理不尽をめぐる闘争」としての専門家の紛糾が第三章であつかわれる。
素人の誤解という「理不尽からの逃走」の展開は、とてもスリリングだ。
この「理不尽さ」にあてられるのが第一章の「絶滅なシナリオ」だ。
結論的には、「理不尽な絶滅シナリオ」という観点で、生物の進化をみることである。
吉川はこのシナリオをひとことにして、「遺伝子を競うゲームの支配が運によってもたらされるシナリオ」と書いている。
「理不尽な絶滅シナリオ」は、前出の古生物学者デイヴィッド・ラウプの理論である。
ラウプは「絶滅の筋道」として三つのシナリオに分類できるとして論を展開していく。
- 弾幕の戦場(field of bullets):無差別爆撃のように、犠牲者はランダムに決まってしまう。運のみが生死の分かれ目。
- 公正なゲーム(fair game):ほかの種との生存闘争の結果として絶滅。
- 理不尽な絶滅(wanton extinction):上記1と2の組み合わせ的シナリオ。
「理不尽な絶滅」は、要約的には「ある種の生物が生き残りやすいという意味ではランダムではなく選択的だが、通常の生息環境によりよく適応しているから生き残りやすいというわけではないような絶滅」であるとされる。
ラウプも吉川も、この3つ目のシナリオを選びとる。
天体衝突による恐竜の絶滅は、天体衝突により「遺伝子を競うゲームの土俵自体が変わったこと」という不運、それから「たまたまもたらされた衝突の冬が、たまたま自分にとって徹底的に不利な環境であった」という不運という二重の不運に見舞われたことになる。
素人であるぼくたちは、どうしても2の「公正なゲーム」を進化論に連想しがちだが、「理不尽な絶滅シナリオ」はその遺伝子的ゲームに加えさらに運をもちこむのだ。
この「理不尽な絶滅シナリオ」を確かめながら、本書は「理不尽からの逃走」である素人の誤解について、明晰な論理を展開する第二章へとつながってゆく。
ぼくたちは、進化論といえばダーウィンをあげ、自然淘汰説を語る。
吉川は丹念にひもとき、明晰な論理展開で、議論をときほぐしながら次のように書いている。
…自然淘汰説を言葉のお守りとして用いる社会通念の正体はなんなのか。それは、発展法則にもとづいた定向進化を唱える、発展的進化論の現代版である。私たちはそれをダーウィンの思想だと思っているが、じつはそれはダーウィン以前に誕生し、ダーウィン以外の人物によって唱えられた、社会ラマルキズムないしはスペンサー主義と呼ばれるのがふさわしい代物なのである。
吉川浩満『理不尽な進化論』朝日出版社
リチャード・ドーキンスの分類によると、これまでに考案された進化理論は3つに分類されるという。
- ラマルキズム
- 自然神学
- ダーウィニズム
専門家たちは「3.ダーウィニズム」を採用しながら、しかし社会通念は「1.ラマルキズム」という発展的進化論を信じている。
1も2も「目的論的思考」に合致する考え方で偶発性の入り込む余地がない一方で、3のダーウィニズムは自然の「偶発性」をとりこむ理論だ。
このようにダーウィンの進化論はまったく新しい進化論であり、社会通念として誤解されている。
社会では、ダーウィンの名のもとで、「非ダーウィン的な進化論」が通念として普及しているということになる。
吉川はこの誤解の背景や議論や理論や言葉などを、第二章で丁寧に、丹念に、そして明晰に論じている。
ぼくはそれらひとつひとつに、思考と好奇心が触発されてやまない。
ぼくが大学院以降専門にしてきた「途上国の開発学」との関連からも、論じるべきところはいろいろにある。
「発展的進化論」的な思考が、発展段階論などの思考に生きていたりする。
また、「次なる時代」に向かう過渡期において、今一度、「進化」ということを考えさせられることもある。
社会通念として、社会という土俵での「公正なゲーム」があまり疑われずに信じられてきた中で、しかし、現在の「土俵自体の変化」はその考え方自体にも変遷をもたらしてきているように、ぼくには感じられる。
自然科学と社会科学の接点から見えてくるようなことがある。
それにしても、ぼくも含めて、多くの人が「進化論」という世界にひかれている。
吉川浩満は「序章:進化論の時代」の最初を、次のように書き出している。
「私たちは進化論が大好きである」と。
そう、ぼくたちは進化論が大好きなのだ。
「私の体は私だけのものではない」(養老孟司)。- 共生系としての個体/身体。
ぼくたちは、普通、自分の身体は「自分の所有物」であることに疑いを持たない。英語では、自分の身体の全部あるいは一部を呼ぶ際には、やはり「my(私の)」をつける。...Read On.
ぼくたちは、普通、自分の身体は「自分の所有物」であることに疑いを持たない。
英語では、自分の身体の全部あるいは一部を呼ぶ際には、やはり「my(私の)」をつける。
ぼくもかつて明確にそのように思っていたわけではないけれど、やはり疑いをもたなかったと思う。
「疑いをもたない」ことに風穴を開けてくれたのは、真木悠介の名著『自我の起原』(岩波書店、1993年)であった。
真木悠介の著作の前に、養老孟司の語りをひろっておきたい。
著作『「自分」の壁』で、養老孟司は「私の体は私だけのものではない」ということを書いている。
養老孟司は、人間の身体の中にある「ミトコンドリア」について説明を加えている。
人体は約60兆の細胞から成っていて、その中にミトコンドリアがある。
ミトコンドリアは、酸素を吸い、糖を分解してエネルギーを生むという重要な仕事をしている。
ミトコンドリアを調べると、細胞本体とは別に、自前の遺伝子を持っている、ということがわかってきました。…
ミトコンドリアに限らず、細胞の繊毛や鞭毛のもとになる中心体も自前の遺伝子を持っています。…
遺伝子は生物の設計図だといいます。しかし、体内にいる細胞が別の設計図を持っている。これをどう考えればいいのか。
養老孟司『「自分」の壁』新潮新書
養老孟司は、1970年代に提出された、リン・マーグリスという生物学者による仮説を紹介している。
それによると、「自前の遺伝子を持つものは、全部、外部から生物の体内に住みついた生物である」というものだ。
かつては否定されつづけたと言われるマーグリスのこの仮説は今ではある程度受け入れられるようになったという。
このマーグリスによる主著『細胞の共生進化』を丁寧に読み解きながら、真木悠介は『自我の起原』の「共生系としての個体」という章で議論を展開している。
真木悠介は、生成子(遺伝子)から人間のような多細胞「個体」が生成される過程を問題とするときの問題設定として、二つの階層の創発があることを最初に指摘している。
- 原核細胞(単純な細胞形態)からの真核細胞システムの創発
- 多細胞「個体」システムの創発
個体中心的な「日常の思考」はこの内の2番目を重大視するけれど、専門家たちの主流的な認識はこの1番目における創発が「決定的」であったということであるという。
この1番目の理論展開において、前出のマーグリスが登場する。
マーグリスの理論展開を概観した後に、真木悠介は次のように書いている。
今日われわれを形成している真核細胞は、それ以前に繁栄の極に達した生命の形態による地球環境「汚染」の危機をのりこえるための、全く異質の生命たちの共生のエコ・システムである。…
われわれ自身がそれである多細胞「個体」の形成の決定的な一歩は、みずから招いた地球環境の危機に対処する原始の微生物たちの共生連合であり、つまりまったく異質の原核生物たちの相乗態としての<真核細胞>の形成である。この<真核細胞>が、相互の2次的な共生態としての多細胞生物「個体」の、複雑化してゆく組織や器官の進化を可能とする遺伝子情報の集合体となる。個体という共生系の形成ののちも、その進化的時間の中で、それは数知れぬ漂泊民や異個体からの移住民たちを包容しつつ変形し、多様化し豊饒化しつづけてきた。「私」という現象は、これら一切の不可視の生成子たちの相乗しまた相剋する力の複合体である。
真木悠介『自我の起原』岩波書店
ぼくたちの身体は生命の<共生のシステム>である。
「私の体は私だけのものではない」と養老孟司が言うとき、そこにはこの<共生のシステム>という事実と畏れのようなものがある。
真木悠介(見田宗介)は、別の著作で、この事実に触れて、尽きない好奇心を文章に載せている。
…この「身体」自体が、多くの生命の共生のシステムなのです。これはほんとうに驚くべき、目を開かせるような事実なのですが、長くなるから省きます…。われわれの身体がそれ自体多くの生命の共生のシステムであるという事実が、「意識」や「精神」といわれるものの究極の方向性とか、われわれが何にほんとうに歓びを感じるかということにも、じつに豊饒な可能性を開いているのです。
見田宗介『社会学入門』岩波新書
ほんとうに驚くべき、目を開かせる事実であると、ぼくも思う。
じぶんの身体を、事実を知る前と同じようには見ることができなくなってしまうような事実である。
真木悠介は、「私」ということを「現象」であると述べているように、それは確実なものではなく、立ち現れるものである。
身体はその意味で「私」ではなく、また養老孟司の言うように私だけのものでもなく、それはひとつの<共生のシステム>だ。
このようにして、「健康」とはこの共生のシステムの「環境問題」であると、ぼくは考える。
そして、ぼくは、ぼくの身体に共生する多くの生命たちにたいして、感謝すると共に、畏れのようなものを感じてやまないのだ。
時代の変わり目に「貨幣」を本質的に考える。- 「貨幣とは外化された共同体である」という真理。
時代の変わり目に「貨幣」について、本質的に考えていくことがますます大切になってきている。...Read On.
時代の変わり目に「貨幣」について、本質的に考えていくことがますます大切になってきている。
日々の生活がかけられている「マネーゲーム」ということの、その「ゲーム盤」自体が揺らぎ、変容をとげようとしているからである。
仮想通貨やベーシックインカムなどはメディアでも頻繁にとりあげられ、またクラウドファンディングなどの方法もよく語られる。
このような新しい形式は視野に入れながら、しかしここでいう「時代」の区分は重層的で、長い射程においては、紀元前にまでさかのぼる。
中間的な射程においては、例えば「近代」という時代であったりする。
理論的な記述として、その本質をとらえている社会学者である見田宗介の文章を、ここで挙げておきたい。
近代社会の古典形式は、かつて第一次の共同体のもった、人間の生の物質的な根拠としての側面を「市場のシステム」として開放し、人間の生の精神的な根拠としての側面を「近代核家族」として凝縮する、という二重の戦略であった。
「貨幣とは外化された共同体である」という心理は、「市場」として散開する共同体のこの第一の側面に定位している。貨幣のシステムは、微分され/積分される共同性である。限定され/普遍化された(specific/universal)協働の連関である。貨幣はこの限定され/普遍化された交換のメディアであることをとおして、近代的な市民社会の存立の媒体であるが故に、その<諸主体の主体>として立ち現れる、<物象化された共同体>に他ならなかった。…
見田宗介『社会学入門ー人間と社会の未来』岩波新書
マルクスの『資本論』を「ふつうの古典」として「現代社会」を理解するための素材として見田宗介(=真木悠介)は読み解きながら、上記の文章を語っている。
「貨幣とは外化された共同体である」という真理は、次の時代にぬけてゆくために、ぼくたちが理解しておくべきものである。
貨幣(お金)がそれ自体ただの「紙切れ」やただの「硬貨」でありながら、それへの執着をうながす根拠は、それが<諸主体の主体>として立ち現れる、<物象化された共同体>であるからだ。
それはそのようにあるものとして、「市民社会の物神」(真木悠介)である。
ぼくが住んでいるここ香港は、貨幣(お金)ということのとても敏感な社会である。
それは、共同体的な基盤が確固としていない中で、生の物質的な根拠としての側面を「市場のシステム」にたくす、「外化された共同体」である。
また、ぼくが以前住んでいた東ティモールでは、「市場のシステム」の浸透のプロセスに置かれていた。
それは、グローバル化と共に、世界の市場システムという「共同体」につながりながら、しかし、貨幣が必要な生活に投げ込まれることでもある。
そのような「貨幣」が今さまざまな角度から問われることの背景には、「共同体」というものの変容がある。
「市場のシステム」はグローバル化のもとに進展し、他方で先進社会の「近代核家族」はその解体という契機に直面している。
いま生の精神的な根拠もまた…その凝縮を失って散開するのだとしたら、新しく限定され/普遍化されたコミュニケーションの媒体として、現代的な市民社会の存立のメディアであるが故にその<諸主体の主体>として立ち現れるのは、情報のテクノロジーである。電子メディアのネットワークは、このように完成され純化された近代のシステムの、外化され物象化された共同体である。
共同体を微分し/積分せよ、という<近代>の未完のプロジェクトはここに、「主体」のその深部に至る領域化、という仕方で完結する。
見田宗介『社会学入門ー人間と社会の未来』岩波新書
この「情報のテクノロジー」が、時代を先に押し進めながら、同時に「共同体」の変容を促している。
貨幣も、この歴史的な変容の中で、その新たな行く先へと視線を向けている。
貨幣の問題は、人がどのようにつながってゆくのか、あるいはつながっていかないのか、という課題へと、ぼくたちの社会の「基盤」を揺らがせている。
「世界で生ききる」ために、この問題と課題は、この「基盤」を正面から直視していくこと。
ぼくたちは、そのような時代の「過渡期」に置かれている。
「移動」の中で考えること、思いつくこと。- シエラレオネと東ティモールで大切にした「移動の思考」。
2002年に西アフリカのシエラレオネで仕事(国際協力・緊急支援)をし、2003年に東ティモールに移ってコーヒー生産者支援をしてゆく中で、ぼくはよく「移動」した。...Read On.
2002年に西アフリカのシエラレオネで仕事(国際協力・緊急支援)をし、2003年に東ティモールに移ってコーヒー生産者支援をしてゆく中で、ぼくはよく「移動」した。
日本からシエラレオネは、当時はロンドン経由であり、飛行時間はやはり長かった。
シエラレオネ国内でも、よく移動した。
シエラレオネの首都フリータウンに降り立つと、市内へは、なぜかヘリコプターでの移動であった。
フリータウンに事務所本部をもちながら、ボーとコノというところにそれぞれ事務所があった。
それぞれの事務所間は、主に、スタッフが運転してくれる車両などで移動した。
ボー事務所は、リベリア難民の支援の拠点であった。
難民キャンプまでは車で1時間ほどの距離で、難民キャンプに行くときは往復2時間の移動であった。
大雨が降ると、オフロードの泥道は車両の足をつかみ、ときに抜け出せないような状況であった。
ぼくが主に駐在していたのは、コノ事務所。
シエラレオネの東部に位置し、ギニアやリベリアに近くなる。
コノ事務所は、帰還民支援(難民として逃れていたシエラレオネ人が紛争後に戻った村々の支援)として、井戸掘削と衛生教育の支援の拠点であった。
道路は整備されていないから、車両での移動は時間を要した。
支援そのものだけでなく、各ステークホルダー(シエラレオネ地方政府、国連、NGOなど)との会議なども多く、よく移動したことを覚えている。
ぼくは、いつのまにか移動に慣れ、「移動の時間と空間」を大切にした。
首都フリータウンはそれなりにコンクリートの道路が整備されていたが、渋滞にはまることもあり、各ドキュメントに目を通すなど車内は仕事の空間であった。
フリータウンをはずれ、ボーやコノに行くとき、あるいはボーやコノにおいては、道が道でないようなところで車両が上下左右に揺れるから、スタッフの人たちと話すことに加え、「考えること」にぼくは徹した。
「移動の時間と空間」は、とても貴重なものであった。
一箇所にとどまって仕事をしているときに「煮詰まってしまった問題・課題」を考えているうちに、ふとアイデアがわいたり、解決策を思いついたりした。
相当に煮詰めていた思考が、ふーっと解き放たれるようにしてひろがり、思考の間隙をぬって、これまで考えていなかったことが浮上する。
ぼくはその内に、「移動の思考」を方法とするようになった。
東ティモールに移っても、方法としての「移動の思考」は、ぼくにとってとても大切であった。
首都ディリからコーヒー生産地であるエルメラ県レテフォホまで、整備の行き届いていない道路を通って、2時間から3時間ほどかかる道のりであった。
シエラレオネと異なることのひとつは、東ティモールでのこの移動は、「気温が変わること」であった。
エルメラ県はディリに比べて標高を高くし、レテフォホは涼しいコーヒー生産地だ。
移動と共に気温が変わっていく「移動の時間と空間」の中で、スタッフが運転してくれる車両の助手席に座りながら、ぼくはいろいろなことを考えた。
煮詰まっている問題・課題はもちろんのこと、組織マネジメント、新しいプロジェクト、プロジェクトのプロポーザルの内容と構成、ホームページ用の文章、スケジュールなどなど、「移動の時間と空間」をぼくは思考の方法として活用した。
さらに、ディリとエルメラ県をつなぐ道路で、知り合いなどと車両でよくすれちがうことがあった。
他の国際NGOの人たちであったり、東ティモール政府の人たちであったりと、さまざまであった。
ときに、互いに車両を降りて、仕事の話をしたり、互いを励ましあったりと、移動の道程は特別なものとなった。
車両を降りたときに、あたり一面にひろがる木々たちがつくる静寂が、まだぼくの記憶に鮮明に残っている。
シエラレオネや東ティモールにおいて「移動の時間と空間」はぼくにとってとても大切な時間と空間であったのだけれども、掘り下げてゆくと、ぼくたちはいつも<時間と空間の移動>の中に在る。
この反転を言葉の綾だけでなく、言葉の内実を生きるところにまで生ききることに、「移動の思考」だけではなく<思考の移動>がひらけてくるように、ぼくは思う。
生きることの「時間の有限性」を直視すること。- 「サマルカンド」に向かう旅路で。
ぼくたちの生の時間が有限であること。このことの認識と深い実感が、ぼくたちの生き方を変えてゆくことがある。...Read On.
ぼくたちの生の時間が有限であること。
このことの認識と深い実感が、ぼくたちの生き方を変えてゆくことがある。
しかし、生の時間が有限であるということを、頭で理解するのではなく「ほんとうに実感する」ということは、それほどシンプルにはいかない。
人は、「誰もがいつかは死ぬこと」を知っているけれど、ときに、そのことを深く感じない。
人は、「人生の時間には限りがあること」を知っているけれど、ときに、そのことを深く感じない。
スティーブ・ジョブズが、今日が生きる最後の日であるなら何をするかを問おうと呼びかけても、頭ではわかりながら、心(気持ち)とお腹(行動)に落としていくことは、まるで「次元」が異なるように思われる。
ニュースなどで余命が少ない人たちの生きる物語りを聞いても、頭(また心)ではわかりながら、「時間の有限性」はじぶんの物語として組み込まれていかない。
近代は時間や空間や価値の「無限という病」にとりつかれた時代だと、社会学者の見田宗介が語っているけれど、個人という生においても「無限の病」にとりつかれるようなところがある。
日々はとても忙しいのだけれど、それでもその忙しい時間はどこまでも続いてゆくように感じられる。
その日や週や年といった視野においては時間は極度に有限であると感じられるけれど、日・週・年といった視野の先の時間は「無限に近いもの」として、あるいは有限でも無限でもない不明瞭なものとしての無限性として感じられるのだ。
まるで近代における「無限という病」が個人に憑依しているかのようである。
近代・現代世界は「無限」という磁場を、社会にはりめぐらしている。
また、あるいは、個人の生(また人類)における時間の有限性を「見ないことにしている」とも言える。
なぜ人は時間の有限性を深いところで実感できないのだろうという問いは、それだけでも話の尽きることのない問いだ。
その問いをひとまず置くとしても、時間の有限性を直視して、頭で理解するだけでなく心で感じ、お腹にまで落として行動につながるような<生きることの拠点>を創ることは、人が変わるということの契機のひとつとなるものである。
「時間の有限性」は、それが真実でありながら、充溢した生を生きるための<方法>として、ぼくたちが取り出すことのできるものである。
そのためには、(多くの個人の生の物語りが語るような)生死を分けるような極端な経験をする必要は必ずしもない。
しかし、その<生きることの拠点>をつくること自体が、その人の生の物語(の一部)である。
ぼく個人のことで言えば、「時間の有限性」に向き合ってきたぼくの「物語」は、20年以上にわたる物語である。
見田宗介は、1980年代半ばの論壇時評で、植島啓司の「サマルカンドの死神」という報告(『へるめす』別巻シンポジウム)における、次のような「伝説」を取り上げて、そこに大切なものを見ている。
ある兵士が市場で死神と会ったので、できるだけ遠く、サマルカンドまで逃げてゆくために王様の一番早い馬をほしいという。王様が王宮に死神を呼びつけて、時分の大切な部下をおどかしたことをなじると、死神は「あんなところで兵士と会うなんて、わたしもびっくりしたのです。あの兵士とは明日以降にサマルカンドで会う予定ですから」という。
わたしたちはどの方向に走っても、サマルカンドに向かっているのだ。わたしたちにできることは、サマルカンドに向かう旅路の、ひとつひとつの峰や谷、集落や市場のうちに永遠を生きることだけだ。
見田宗介『白いお城と花咲く野原』朝日新聞社
ぼくたちは、どの方向に走っても、サマルカンドに向かっている。
ぼくたちは誰もが「サマルカンド」をもっている。
でも、「サマルカンド」をもつことは、ぼくたちの生を空虚にはしない。
ぼくたちの生を空虚にしてしまうのは、あるいはぼくたちの生を祝福するのも、ぼくたちがサマルカンドに向かう旅路への「旅の仕方」次第であることを、上述の引用の最後の文章で、見田宗介は教えてくれている。
ぼくたちに「できること」は、旅路の、ひとつひとつの峰や谷、集落や市場のうちに永遠を生きることである。
時間の有限性である生の中に、永遠ともいえる無限性を生きることができるところに、生の充溢がある。
ときにぼくたちは、導かれるようにして、本にたどりつく。- Homer "The Odyssey" (ホメロス『オデュッセイア』)。
ホメロス(Homer)の『オデュッセイア』("The Odyssey" )について知ったのはいつのことだったか、正確には思い出せない。...Read On.
ホメロス(Homer)の『オデュッセイア』("The Odyssey" )について知ったのはいつのことだったか、正確には思い出せない。
古代ギリシアの吟遊詩人であるホメロス(その人物については多数の説)により伝承されたとされる叙事詩『オデュッセイア』。
トロヤ戦争の終結後、英雄オデュッセウスが帰還途中に漂泊する冒険譚である。
高校生のときに「世界史」の授業で、山川出版社の教科書を読みながら、そこにホメロスと『オデュッセイア』に出会っていたとは思うのだけれど、どちらかと言うと、それは試験用に覚える文字の羅列で、ぼくの想像力は遠くまで飛翔していかなかった。
あるいは、中学生か高校生の時分に、ぼくが読んだ数少ない本にシュリーマン著『古代への情熱』(岩波文庫)がある。
シュリーマンの「夢を追い求める冒険」は、『オデュッセイア』を含むギリシアの物語に彩られていたから、そこでホメロスはぼくの中に、ひとつの徴(しるし)をきざんだのかもしれない。
小さい頃から「古代」にぼくは興味をもっていたけれど、「日々の役に立つ」とは考えることができず、日々の忙しさの中で、「古代への情熱」を忘れていってしまったようだ。
ここ数年、その「古代への情熱」が、いくつもの経路をたどりながら浮上してきて、その過程で、導かれるように、ぼくの前にホメロスが「現れて」きた。
古典的作品などにふれていると、それらの作品のどこかに、ホメロスや『オデュッセイア』の響きが聴こえてくる。
シュリーマン著の『古代への情熱』を再度読んでいると、シュリーマンがトロヤの遺跡をさがす道のりで、ホメロスや『オデュッセイア』がどれほど彼の「物語」にうめこまれているのかを感じることができる。
ボルヘスによるハーヴァード大学ノートン詩学講義の記録である『詩という仕事について』(岩波文庫)において、最初に掲載されている講義「詩という謎」の中で、ボルヘスはホメロスにふれている。
ボルヘスは、「物語り」と題する講義で、『オデュッセイア』の物語りについて、「二通りの読み方」を語っている。
…われわれがそこに見るのは、一つになった二つの物語です。われわれは、それを帰郷の物語として読むことも、冒険譚として読むこともできる。恐らく、これまでに書かれた、あるいは歌われた、それは最良の物語でしょう。
ボルヘス『詩という仕事について』岩波文庫
大澤真幸は、著作『<世界史>の哲学:古代篇』(講談社)の第1章「普遍性をめぐる問い」の最初に、「ホメーロスの魅力という謎」について書いている。
さらに、大澤は「歴史の概念」を考えてゆくなかで、ハンナ・アーレントが「歴史叙述の起源」を、ホメロスに遡っていることにふれている(『憎悪と愛の哲学』角川書店)。
ぼくの生の道ゆきにおいて、ホメロスがその「姿」を現しはじめていたところに、伝記作家のウォルター・アイザックソン(Water Isaacson)が、若者たちに薦める本の一冊として『オデュッセイア』を真っ先に挙げているインタビューを聴く。
このことが直接的な契機となり、ぼくはこの本をいよいよ手に取ることにした。
ウォルター・アイザックソンはまた、『オデュッセイア』は翻訳者によってそれぞれに独特の世界が創りだされていること、その点で「Robert Fagles」の訳書がお薦めであることを述べている。
日本語で読もうかと最初は思いつつ、ぼくはウォルター・アイザックソンをぼくのガイドとしながら、Robert Fagles訳のHomer『The Odyssey』(Penguin Classics)を読むことにした。
原典に近いのは日本語よりも英語だから、そのリズムをより近い形で残しているのではないかと思った。
また、今後、世界のどこかで、誰かと、この本について語るときのことを想像しながら、英語がよいのではと思ったのだ。
この作品は電子書籍よりも、紙の書籍で読みたいと思い、香港にある誠品書店に立ち寄ってみたところ、たまたまRobert Fagles訳のHomer『The Odyssey』が書棚に並んでいる。
ぼくは導かれてきたように、その本を手に取った。
時間をみつけては、時間をかけて、ゆっくりとぼくは読んでいる。
第24歌まであり、第1歌の最初をなんどもくりかえしながら読んでいる。
世界の、歴史の知性たちが、この本に惹かれ続けてきたことが、感覚として、ぼくは「わかる」ような気がしはじめている。
ぼくにとっては、ある程度、生きることの経験をしてきた後に、この書を開くことになった。
この文章を書きながら、ぼくはこんなことを思う。
近代・現代という時代における、社会のすみずみまで貫徹する「合理性」の只中で、多くの人は「生きることの意味」を問う。
社会において合理性が貫徹してゆく中で、情報テクノロジーを中心とした歴史的な時代の転換点に入り、人は「人間とは?」を問う。
その問いへの完全な答えはないけれども、人は問わざるを得ない。
ユバル・ノア・ハラリの著作『Sapiens』と『Homo Deus』は、「人間とは?」という問いへの思考だ。
Homerの『The Odyssey』は、この二つ目の問いにひらかれた作品ではないか、というのが、ぼくのひとつの仮説である。
ハリケーンで、スタッフの人たちと地下室に避難したリチャード・ブランソンが大切にした「2つのこと」。
2017年9月にカリブ海に被害をもたらしたハリケーン「イルマ」は、ヴァージングループの創業者であり会長でもあるリチャード・ブランソンがカリブ海に所有するネッカー島にも壊滅的な被害をもたらした。...Read On.
2017年9月にカリブ海に被害をもたらしたハリケーン「イルマ」は、ヴァージングループの創業者であり会長でもあるリチャード・ブランソン(Richard Branson)がカリブ海に所有するネッカー島(Necker Island)にも壊滅的な被害をもたらした。
リチャード・ブランソンは、吹き飛んだ建物などの被害状況を、ネットで発信した。
当時ネッカー島にいたリチャード・ブランソンは、スタッフの人たちと共に、ワインセラーである地下室に避難して難を逃れた。
その当時の様子を、リチャード・ブランソンは、ポッドキャストの「The Tim Ferriss Show」において、ティム・フェリス(Tim Ferriss)のインタビューに丁寧に応えながら、語っている。
インタビューは、のちに「The Billionaire Maverick of the Virgin Empire」と題され、ハリケーンだけでなく、彼の新しい自伝『Finding My Virginity』を元に、ヴァージン航空などのビジネス、彼の生い立ち、彼の習慣、社会へのコミットメントなど、さまざまに語られていて、興味がつきない。
ただし、インタビューはハリケーンがネッカー島に被害をもたらした後日に行われたことから、ハリケーンの話から始められた。
リチャード・ブランソンがネッカー島とその状況を一通り説明した後に、ティム・フェリスは次のような主旨の質問をなげかける。
死をもたらすかもしれないような状況において、そのような状況をとても心配し、中にはパニックにおちいるようなスタッフたちに向かって、あなたは何を言ったり行動したりしたのか?、と。
リチャード・ブランソンは冒険家でもあり、これまでにも幾度も、いろいろな危険な状況にあってきたことにも触れて、リチャード・ブランソンという一人の巨人の本質にふれる問いを、ティム・フェリスはなげかけたのだ。
リチャード・ブランソンは、今回のハリケーンのときに地下室でスタッフの人たちと避難していたときのことに触れ、間髪いれず、次のように応える。
「ぼくはユーモアが大切だと思う。…冗談を言ったりね。」
Tim Ferriss「The Billionaire Maverick of the Virgin Empire」, Podcast『The Tim Ferriss Show』
ユーモアのことを語りながら、リチャード・ブランソンはもう一つ付け加えている。
「それから、たくさんのハッグ。ハッグもある意味大切です。」
Tim Ferriss「The Billionaire Maverick of the Virgin Empire」, Podcast『The Tim Ferriss Show』
それから、リチャード・ブランソンは、他の冒険におけるときの経験を語りながら、「ポジティブでありつづけること」の大切さを語るのだけれど、ぼくの中には、「ユーモアとハッグ」が印象深く残ることになる。
そこに「リチャード・ブランソン」を見たような気がしたこと、また、極限的な危機状況において、やはりそれらはとても大切であること。
ハリケーンは地下室の外のドアを10メートルも飛ばしたという状況の中、地下室でジョークを語るリチャード・ブランソンの様子が見えてくるようだ。
「ユーモアとハッグ」。
ここにはそれぞれに重要な「効果」が詰められている。
- ユーモア:言葉(とマインド)を通じて、身体をゆるめること
- ハッグ :身体をゆるめることで、マインド(と言葉)を変えること
それぞれに、言葉・マインドと身体の緊張を「ゆるめる作用」をもっている。
リチャード・ブランソンは、明確に意識することなく、この「双方」をじぶんの方法としている。
間髪いれずに応えたブランソンのトーンから、そのことが伝わってくる。
インタビューの終わりに、「経験から学ぶこと」の重要性をリスナーに語るリチャード・ブランソンの言葉を聞きながら、経験のひとつひとつからの学びを(字義通り)「体得」していったところに、彼の強さとレジリエンシーはある。
「自分を大切に扱うこと」がとても大切な理由。- 自分と他者双方を大切にしながら、互いをつなぐ「ループ」をつくる。
自分を大切に扱うことが、決定的に大切であると、ぼくは思う。日本社会はしかし「自分」をおさえる磁場を形成しがちだし、逆に個人主義的な社会では「自己中心」的な個人をつくりやすい。...Read On.
自分を大切に扱うことが、決定的に大切であると、ぼくは思う。
日本社会はしかし「自分」をおさえる磁場を形成しがちだし、逆に個人主義的な社会では「自己中心」的な個人をつくりやすい。
もちろん実際にはそんな簡単に述べることはできない。
個人主義的と言われる社会などを見ても(経験、あるいは著作やインタビューなどで見ても)、人は「他者を喜ばせること・がっかりさせないこと」を起点に行動していたりする。
しかし、日本社会を経験の土台とするぼくが、世界のいろいろな場所で生きてきて、相対的にはやはりそう感じるところがある。
あくまでも表層的な相対性の中で。
「自分を大事に扱うことが成功につながる」という論理を、脳科学者の中野信子が著書『脳はどこまでコントロールできるか?』(KKKベストセラーズ)で書いている。
…なぜ、自分を大事に扱うことが、成功につながるのでしょうか。
大成功といっても、実は小さな信頼の積み重ねだったり、周囲の人といかに良好な人間関係を築けるかというところに左右されているものです。
ここが重要なポイントなのですが、自分を大事にしている人は、ほかの人からも大事にされるのです。逆に、自分を粗末に扱っている人は、他人からも粗末に扱われるようになってしまいます。
中野信子『脳はどこまでコントロールできるか?』KKKベストセラーズ
「自分を大事にしている人は、ほかの人からも大事にされる」というつながりは、論理上も経験上も、なかなかわかりにくい。
中野は、心理学における「割れ窓理論」という理論をひきだしから出して、説明している。
「軽微な犯罪が凶悪な犯罪を生み出すという理論」で、それは、人間の「秩序の乱れに同調してしまう性質」を語っている。
中野信子は、理論について、シンプルな例を挙げている。
自分の目の前に2台の車がある。
1台は手入れが行き届いている車で、もう1台は汚れていてキズや凹みがある車。
この内どちらか一台を棒で思い切り叩いてくださいと言われたら、どちらの車を叩くかは、多くの人が後者を叩くだろうという例である。
もう一つの例は、きれいで美しい道にゴミを投げ捨てることには気が引ける一方、汚くてゴミが落ちているような道であれば「ちょっとくらい捨てても構わない」と思ってしまう例である。
この二つ目の話は、以前どこかで読んだ、スラム街の話をぼくに思い起こさせる。
スラム街を「よくするため」に、ある人は、スラム街をきれいにし、それだけでなく花でうめつくしていったという。
きれいにしただけでなく、そこを花で充たすことで、「秩序の乱れ」を防ぐことになったのだ。
中野信子は、「自分を大切に扱うこと」を生きてきた人物として、世界の大富豪エドモンド・ロスチャイルド男爵の夫人となった女性、ナディーヌ・ロスチャイルドを取り挙げている。
貧しい家庭に生まれ、中学卒業後に工場などで必死に働き、誰もが一目置くような美人でないけれど小劇場の女優であったナディーヌは、エドモンド・ロスチャイルドに出会い、求婚される。
そのナディーヌ・ロスチャイルドは、著書で、次のように語っているという。
「あなたがまず心を配るべきなのは、自分自身です」(前掲書)
「自分を大切に扱うこと」が、すんなりと腑に落ちるまで理解でき、生活のすみずみに落としていければ問題はないのだけれど、現実はなかなかそうすんなりといかない。
時代や社会を駆動する価値観などにより、人は往々にして、下記のいずれかに「偏って」いってしまうように思う。
● 自分だけを大切にすること(自己中心)
● 自分を粗末に扱い、他者だけを大切にすること(他者への自己犠牲的献身)
前者は非難を受けがちであるから、社会の<引力>は後者へと人びとをひきつけてゆく。
「他者を大切にする」ということが、どこからか歪曲して他者を単純に(表面的に)「喜ばす」ことになってしまったりして、いつしか「自己犠牲」になってしまう。
それぞれをつきつめて生きていくと、次のような「反対の状況・事象」をつくりだしているように見える。
自分だけを大切にすることは、そうすることで、実は自分を大切にしない状況を2重につくりだしている。
- 「自分」に境界線をひいてしまうことで、他者から大切にされない「壁」をつくってしまっている
- 他者(誰か)のためになるという歓びの機会を自分自身から奪っている
(自分を大切に扱わず)他者を優先的に大切にすることは、そうすることで、実は他者を大切にしない状況を2重につくりだしている。
- 他者が「あなた」を大切にする機会を奪う
- 他者への献身、つまり自己犠牲的な抑圧を、言葉や行動のどこかで他者に伝えてしまっている
自分を大切にすること、あるいは他者を大切にすることが、その逆の状況・事象をつくりだしてしまうのだ。
この状況をのりこえてゆく方途は「自分も他者も大切にすること」なのだけれど、現実には、やはり「自分自身を大切にすること」からだと、ぼくは思う。
人それぞれの生における「動的な流れ」の中では、どちらが先かは一概には言えないし、その流れ自体が「個人の生の物語」である。
しかし、静的な状況として見れば、「自分自身を、ほんとうに大切にすること」である。
自分自身を大切にすることにより、中野信子が指摘するように、他者からも大切に扱われる。
自分自身を大切にすることにより、自分自身がもつほんとうの「ギフト」を他者に与えてゆくことができる。
そこには、自分自身の「自己犠牲的な献身」という抑圧性はない。
他者の生がひらかれてゆくことは、自分自身にとって、「ほんとうの歓び」となってゆく。
この「ループ」ができてゆくところに、あるいはその「ループ」がつくられる過程に、「意義のある人生」がつくられ、「物語」が生まれてゆくのだと、ぼくは思う。
246年前の10月に、ゲーテが考えていたこと。- 「若きウェルテル」の言葉を借りて。
1771年10月20日。今から246年前の10月20日。この日付が付された書簡で、ウェルテルはシャルロッテに宛てて、次のように文章を書き出している。...Read On.
1771年10月20日。
今から246年前の10月20日。
この日付が付された書簡で、ウェルテルはシャルロッテに宛てて、次のように文章を書き出している。
…運命はぼくに苛酷な試練を課そうとするらしい。しかし元気を出そう。気を軽く持っていればどんな場合も切り抜けられる。…まったくちょっとでもいいからぼくがもっと気軽な人間だったら、ぼくはこの世の中で一番果報者なんだろうがね。…ぼくは自分の力と自分の才能に絶望している…。
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』新潮文庫
よく知られているように、この小説はゲーテの実体験をもとに書かれ、1774年に刊行されている。
主人公ウェルテルの言葉を通じて、ゲーテが語っている。
「近代」という時代の創世記に書かれ、ゲーテというひとりの近代的自我の言葉は、現代においても心に響いてくる。
苛酷な試練の前で気楽になれず、自分の力と才能に絶望する。
現代において、毎日、世界のいたるところで、さまざまな人たちの脳裏でつぶやかれることだ。
「気を軽く持つ」という仕方を語る書籍やトークは、現代日本で、多くの人たちの心をとらえている(ぼくが日本に住んでいるときからその流れが始まっていた)。
しかし、ウェルテルと同じように、「もっと気楽な人間だったら…」と思ったりする。
「自分の力と自分の才能に絶望する」ウェルテルが、そこから切り抜けるために思いついた方法として、「気楽になること」に加えて、次のような方法が語られる。
辛抱が第一だ、辛抱していさえすれば万事が好転するだろう…。われわれは万事をわれわれ自身に比較し、われわれを万事に比較するようにできているから、幸不幸はわれわれが自分と比較する対象いかんによって定まるわけだ。だから孤独が一番危険なのだ。ぼくらの想像力は…われわれ以外のものは全部われわれよりすばらしく見え、誰もわれわれよりは完全なのだというふうに考えがちだ…。ぼくたちはよくこう思う、ぼくらにはいろいろなものが欠けている。そうしてまさにぼくらに欠けているものは他人が持っているように見える。そればかりかぼくらは他人にぼくらの持っているものまで与えて、もう一つおまけに一種の理想的な気楽さまで与える。こうして幸福な人というものが完成するわけだが、実はそれはぼくら自身の創作なんだ。
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』新潮文庫
「ぼくら自身の創作なんだ」と、ウェルテルは、自我がえがく幻想を明確に認識している。
それにしても、この言葉がこの現代で語られたとしても、まったく違和感がない。
自分と他者との比較の内に「自分」を定め、欠けているものばかりを見てしまう。
ウェルテルがこの書簡を書いてから246年が経過した今も、人びとはこの「幻想」からなかなか逃れることができない。
あるいは、比較から逃れられた人たちも、生きる道ゆきの中で、幾度となく、同じような経験に直面してきている。
「若きウェルテルの悩み」は「誰もの悩み」である。
この「自身の創作」から抜け出すことの方法をいろいろと考えながら、246年前にウェルテルがたどり着いた<地点>に、ぼくはひかれる。
これに反してぼくらがどんなに弱くても、どんなに骨が折れても、まっしぐらに進んで行くときは、ぼくらの進み方がのろのろとジグザグであったって、帆や櫂(かい)を使って進む他人よりも先に行けることがあ、と実によく思う。ーそうしてーほかの人たちと並んで進むか、あるいはさらに一歩を先んずるときにこそ本当の自己感情が生まれるのだ。
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』新潮文庫
まっしぐらに進んで行くこと。
ウェルテルは、つまりゲーテは、「まっしぐらに進んで行くこと」に、のりこえてゆく方途を見出している。
どんなに弱くても、どんなに骨が折れても、あるいはのろのろとジグザグに進んだとしても、である。
246年前にゲーテが考えていたこと・感じていたことは、今のぼくたちに「伝わるもの」をもっている。
いろいろな本を読めば読むほどに、ゲーテに限らず、ぼくは「古典作品」にひかれていく。
古典作品の中でも、さらに古典へと誘われていく。
古典作品は、ぼくたちが、現代という時代を「まっしぐらに進んで行く」ためのガイドである。
この時代にたいして<垂直に立ち>ながら、まっしぐらに、ぼくは進んでいきたい。
進み方がのろのろしていても、ジグザグであっても…。
そして、気を軽くもって。
レオナルド・ダ・ヴィンチとベンジャミン・フランクリンの「共通点」。- 作家Water Isaacsonの言葉に耳をすませて。
近年では、スティーブ・ジョブズの伝記を書いたことで名を知られるようになった作家のWalter Isaacson。...Read On.
近年では、スティーブ・ジョブズの伝記を書いたことで名を知られるようになった作家のWalter Isaacson(ウォルター・アイザックソン)。
ヘンリー・キッシンジャー、ベンジャミン・フランクリン、アインシュタイン、スティーブ・ジョブズといった伝記に続き、ウォルターは新しい作品であるレオナルド・ダ・ヴィンチの伝記『Leonardo Da Vinci』を世に放った。
これまでの伝記と同じように、英語版で600頁を超えるような大作である。
この本の刊行と時を同じくして、ウォルターは、Tim Ferrissのポッドキャスト「The Tim Ferriss Show」のインタビューを受けている。
このインタビューの中で、ベンジャミン・フランクリンとレオナルド・ダ・ヴィンチの「共通点」として、ぼくたちがレッスンとして学ぶことができることを、ウォルターは次のように述べている。
「…interested in everything」
Tim Ferriss「Lessons from Steve Jobs, Leonardo da Vinci and Ben Franklin」, Podcast『The Tim Ferriss Show』
すべてのことに関心をもつこと、つまり「好奇心」を、ウォルターは挙げている。
レオナルド・ダ・ヴィンチの多才さはよく知られているところだけれど、彼は、毎朝起きると、その日の「知りたいこと」をリストとしてノートに書いていたという。
ウォルター・アイザックソン自身も「好奇心」をそのコアにもつ人であるけれど、ベンジャミン・フランクリンやレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けて、ウォルターは、さらに「好奇心と観察眼」で、物事を見るようになったと語っている。
それは、例えば、外を歩いていて青空を見て立ち止まる。
青空を観察しながら、なぜ空は青いのかを考えるようなことだという。
「好奇心」ということは、作家の中谷彰宏の言葉を思い出させる。
中谷彰宏は、著書『成功する人は、教わり方が違う』(河出書房新社)の中で、「好奇心」に触れて、次のように言っている。
一流は、好奇心を持つ。
二流は、興味を持つ。
中谷彰宏『成功する人は、教わり方が違う』河出書房新社
続けて、言葉の定義について、次のように語っている。
「興味」とは、「好きなものが、好きなこと」です。
「好奇心」とは、「好きでないことでも、好きなこと」です。
…「好きじゃないものは、やりたくない」と言う人は、たいてい履歴書の自己紹介欄に「好奇心が強い」と書いてあります。
それは間違いです。
好きでないことを「なんだろう、これ?」と見続けられるのが好奇心です。
好奇心によって、その人の幅は広がります。
中谷彰宏『成功する人は、教わり方が違う』河出書房新社
そのようにして、「幅」を広げ続けて、クリエイティビティがスパークしたのが、ベンジャミン・フランクリンであり、レオナルド・ダ・ヴィンチである。
Tim Ferrissは、上述のインタビューで、ウォルター・アイザックソンの仕事の幅(大学教授、ジャーナリストなど)に着目し、なぜ伝記を書くのかということを尋ねる。
ウォルターの応答は「connecting us people」、人びとをつなげることだと言う。
伝記のナラティブは人びとをつなげてゆくものであること。
その語りを聞きながら、「好奇心」と「興味」ということの違いを考える。
「興味」は、「好きなこと」という枠で、人びとをつなげる一方で、枠の内と外の境界で人びとを引きはなす。
「好奇心」は、枠の内か外からにかかわらず、すべてのことに関心を注ぎながら知ろうとすることで、人びとをつなげる。
人びとをつなげてゆくものとしての「好奇心」というところに、ベンジャミン・フランクリンとレオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてウォルター・アイザックソンの共通点と、ぼくたちが学ぶレッスンがある。
道端に咲く花たちを見て、ぼくは立ち止まり、「花」ということを考えざるを得ない。
「花」というものは、生きるということの根幹を語っている。
ぼくは、「花」にひきつけられてゆく。
<生き方の魅力性>によって変えてゆくこと。- 西野亮廣、「革命」、人びとを解き放つ方法。
西野亮廣著『革命のファンファーレ』(幻冬舎)を読みながら、<生き方としての芸人>を生きる西野の生き方と、そこに「可能性」を見る人たちについて考えている中で、次の言葉がぼくの中に湧き上がってきた。...Read On.
西野亮廣著『革命のファンファーレ』(幻冬舎)を読みながら、<生き方としての芸人>を生きる西野の生き方と、そこに「可能性」を見る人たちについて考えている中で、次の言葉がぼくの中に湧き上がってきた。
<生き方の魅力性>によって解き放つこと。
社会学者である真木悠介の言葉だ。
真木悠介は、演出家・竹内敏晴の著作『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)の「解説」として、「人間は変わることができるか」というこの本をつらぬく主題をとりだして、文章を書いている。
竹内敏晴の本書の初版は1975年で、文庫本の「解説」は1988年に掲載された。
人間は変わることができるか、人間はどこから変われるか。
1990年代から2000年代前半にかかる大学時代に、ぼくはこの主題にとりつかれるように、アジアを旅し、ニュージーランドに住み、徒歩で歩き、そして、真木悠介や竹内敏晴の本に向き合ってきた。
真木悠介が「解説」で述べているように、竹内のこの本は、変わることに向かう方法の「具体性」を提示している。
ぼくは当時、その「具体性」のある実質的な方法を、「旅」の中に見出そうとしていた。
そのような中で、真木悠介の言葉は、ぼくの中に「翼と根」として存在することになる。
真木悠介は、「人間は変わることができるか」という問いにたいして、1970年代に「つかんでいたこと」を次のように書いている。
…そのころまでに、わたしたちのつかんでいた方向は、こういうことだった。言葉ではない、暴力ではない、<生き方の魅力性>によって、人びとを解き放つこと、世界を解き放ってゆくのだということだった。
見田宗介『定本 見田宗介著作集X』岩波書店
<生き方の魅力性>で、人びとや世界を解き放ってゆくこと。
概念(言葉)はいつだって行動に遅れると、見田宗介(=真木悠介)の生徒であった社会学者・大澤真幸は言う。
身体で感じていたものに言葉がすーっと重なってゆく体験だ。
それからというもの、<生き方の魅力性>という言葉が、ぼくの生の方向性を照らし出していくことになる。
「解き放つ」という言葉を、真木悠介=見田宗介は著作の中でよく使う。
見田宗介は、17歳の頃(1950年代半ば)に「解放論」をめざしたときのことを、それから60年ほど経過した後に、ある小論(「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号)の中で書いている。
だれでも17歳の頃に人生の目的や方向性について思い悩む時期に、見田も、仕事や勉強を「何のためにするのか」という究極の目的や方向性についてイメージを描いては消して、描いては消してを繰り返す中で、二つの「候補」が残ったという。
第1候補:「人類の幸福」
第2候補:「世界の革命」
ただし、これらは双方とも、候補から抜け落ちてしまう。
理由は次のことだったという。
第1候補「人類の幸福」:「幸福」という言葉の「ぬくぬく感」に違和感、パンチ力に欠けること
第2候補「世界の革命」:「やるぞ!」感はあるが、「革命」という言葉の政治的なニュアンスが好きでなかったこと
そして、二日目に、突如、言葉がまいおりる。
それは、「人間の解放」であったという。
見田宗介は、これから60年生きるとしても、ここに変わりはないと書いている。
その「人間の解放」という目的と方向性にたいして、1970年代、30代の見田宗介は、<生き方の魅力性>を方法の方向性として見定めるところに来ていた。
それから40年ほどがすぎ、「革命のファンファーレを鳴らそう」と、芸人であり作家の西野亮廣はよびかける。
「革命」という言葉は、20世紀までの歴史における革命や政治的な色彩は感じられず(芸人であり、絵本作家であり、「おとぎ町」主催の西野亮廣のイメージもある)、共同体が解体され、個人主義の貫徹してゆく社会の「個人の生き方」に向けられている。
そこでは、「革命」は、ゲーム的な世界における、楽しさの衣をまとったものとして現れている。
「よびかけ」は、クラウドファンディングであり、著作であり、ツイッターでありと、現代の「情報メディア」が駆使されている。
これらの仕組みや情報メディアは、個人たちがテクノロジーでつくりだす<共同体>だ。
活動や行動、それから未来へとひっぱる重力は、そのコアに<生き方の魅力性>を宿している。
西野亮廣が「芸人」という定義にもこだわることのひとつは、それは「職業」ではなく<生き方>であり、その<生き方の魅力性>に生がかけられているからだと、ぼくは思う。
見田宗介は、上述の小論で、「人間の幸福」や「世界の革命」などについて、「今時こんなことを考える人はいないと思うが…」、と綴っている。
そのようなことを直接的に、直球で考える人たちは昔に比べてすくないかもしれないけれど、人びとや世界を解き放つことにおいて、<生き方の魅力性>を方向性として定めて生を生ききる人たちがいる。
西野亮廣著『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』。- 時代に垂直に立ちながら、<鳴らすファンファーレ>。
「無料公開を批判する人間に未来はない」。職業としての「芸人」という枠におさまらず、生き方としての<芸人>へと生をひらいてきた西野亮廣が…。...Read On.
「無料公開を批判する人間に未来はない」。
職業としての「芸人」という枠におさまらず、生き方としての<芸人>へと生をひらいてきた西野亮廣が、ビジネス書として世に放つ2冊目の著書『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』(幻冬舎)の一節(一説)の冒頭に置かれた言葉である。
この著作を読みながら、この言葉を見ながら、ぼくの中で浮かんだ言葉は、こんな言葉だ。
『革命のファンファーレ』(西野亮廣)に感覚として納得いかない人たちに未来はない。
著作の内容すべてが「正しい」とかいうことではなく、この著作に感覚として納得いかない人たちは、(そのままでは)<未来>をひらいてゆくことはできないのではないか、ということ。
時間的な「未来」はそれでも、一応はやってはくるけれど。
本書は、西野亮廣がブログで書くように、西野の<活動のベストアルバム>となっている。
活動のアルバムでは、「行動にいたる道筋」が語られ、「行動のプロセス」が語られ、「行動の結果と学び」が語られる。
前著『魔法のコンパス~道なき道の歩き方~』で語られたことも「おさらい」として触れられている。
「おさらい」だけれど、その語り口と言葉の鋭さがさらに増したように、ぼくには見える。
絵本『えんとつ町のプペル』のこと、クラウドファンディングのこと、無料公開のこと、著作『魔法のコンパス』のこと、「しるし書店」のこと、「おとぎ出版」のこと、さらには本書『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』そのもののことまで、<活動のベストアルバム>はあますことなく、活動(行動)の「全貌」を伝えている。
副題にある「現代のお金と広告」という視点を軸として語るけれど、西野亮廣の生き方のように、それはその「枠」におさまりきらないひろがりをもっている。
西野亮廣の<芸人>としての生き方は、とてもストレートだ。
<時代に垂直に立つ>ことで、疑問をもち、よく考え、行動に確実におとしてゆく。
考え方も、とてもストレートだ。。
モノを売るということは、人の動きを読むということだ。
現代でモノを売るなら、当然、現代人の動きを読まなければならない。
・どこで寝泊まりしているか?
・何にお金を使っているか?
・1日のスケジュールはどうなっているか?
・1日に何時間スマホを見ているか?
・どこでスマホを見ているか?
・スマホを使う際、親指はどの方向に動かしているか?目はどの方向に動かしているか?
西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』幻冬舎
「買う人」の靴に足を入れてみて考えるということ、でも人が時に忘れてしまうことを、ストレートに考えている。
ストレートでありながら、「スマホを使う際の指の使い方」に至るまで考え抜いていくように思考はひろがり、また思考は深く降りていく。
その思考と行動を支えるのは、例えば、次のような「意思」である。
感情に支配されず、常識に支配されず、時代の変化を冷静に見極め、受け止め、常に半歩だけ先回りをすることが大切だ。
船底に穴が空き、沈んでいく船の、“まだマシな部屋”を探してはいけない。…
西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』幻冬舎
<時代に垂直に立つ>ために、西野亮廣は「三重の戦略」を立てている。
第一に、西野本人が本書で明記しているように、「環境」をつくること。
自分の仕事を守るために「嘘をつかざるをえない環境」にいることが問題となりうることから、「嘘をつかなくても良い環境」をつくることである。
本書では、テレビを収入源にしているタレントに触れて、テレビ以外の収入が安定していないと意見しづらいことを例として挙げていたりする。
西野は、このことを、「意思決定の舵は『脳』ではなく、『環境』が握っている」と言葉にしている。
本書の副題にある「お金と広告」は、この「環境」をつくるための手段でもある。
第二に、行動により体験として積み上げること。
行動を通した言葉には説得力がついてくる。
例えば、本書で「広告戦略」を語る西野亮廣は、絵本『えんとつ町のプペル』の発売から一年間、「サイン本」の発送のために朝4時に起きて、サインをして郵送することを、毎日行ってきたこと(その数2万冊のサイン本の手作業発送)を、「語ること」の土台としていることを、本書の最後に述べている。
第三に、行動による「結果」を出してゆくこと。
「常識」にしばられる人たちを解き放つのは、常識を超える「結果」だ。
そのことを充分に認識しながら、「結果」をきっちりと出すことにたいして、気持ちも行動も徹底している。
常識に「屈しないだけの裏付けを持て」と、西野は言葉を紡ぐ。
このように戦略(そして戦術)をうちながら<時代に垂直に立つ>西野亮廣は、「常識」を疑い、考え、「行動(とその実績)」を武器に、「未来」をきりひらいている。
時代の大きな変わり目の「ギャップ」の間で、「未来」に足を踏み込みながら、踏み込もうとしている人たちへの橋渡しもしている。
社会学の理論には、文化は社会構造に遅れるというものがあり、それは「価値観の遅滞」(見田宗介)とも言うことができる。
つまり、「価値観の遅滞」の現代の中で、西野亮廣の活動・行動は、新たな社会構造をつくってゆく推進力でありながら、価値観の遅滞とのギャップを埋める役割を果たしているのだ。
さらに「常に半歩だけ」という西野の考えと行動は、意識しているか否かにかかわらず、さらに先の「未来」にもつながる線をもっている。
例えば、冒頭にかかげた言葉に関わるトピック。
「インターネットが何を生んで、何を破壊したか」と自身に問いかけながら、西野亮廣は「インターネットによる物理的制約の破壊による『あるとあらゆるものの無料化』」を見ている。
そこに至る思考の経路として、「土地と土地代」のことを挙げ、土地に土地代が発生する「理由」を考察している。
それは、土地に“限り”があるからだ。
地球の土地にも“限り”があり、交通の便が良い都市部の土地にも“限り”がある。
土地には“限り”があり、限りのある土地に対して人が溢れてしまっているので、結果、僕らは土地を奪い合うことになる。
その瞬間に「お金」が発生する。
…奪い合いがなければ、お金は発生しようがない。
そんな無限の土地があるだろうか?
ある。インターネットの世界だ。…
西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』幻冬舎
「お金」はそれ自体、「無限」を創出するものだ。
しかし、その極地としての現代社会は、その旅路の果てに、「環境・エネルギー資源」という“限り”に直面している。
その“限り”を乗り越えてゆく方向のひとつは、人間が<無限>にひらいていゆくことのできる「情報空間」であるインターネットの世界だ。
西野亮廣の思考と行動は、「環境・エネルギー資源」という地球の物理的制約を超えて、人間の想像力や楽しさの「情報空間」という<無限の空間>に、生きることの内実を解き放ってゆく可能性をひめているように、ぼくには見える。
「行動すること」を中心にそえながら、そこに至る道筋は「常識を疑い考えること」にはじまり、行動は「望む未来に至る方向性」へとひっぱる重力をもっている。
これらを支えているのは、<生き方としての芸人>の生き方であり、「仕事になるまで遊べ」(西野亮廣)という生き方のスタイルである。
「あとがき」において、「キミの革命のファンファーレを鳴らすのは、キミしかいない」と、西野は語りかける。
「革命」は、これまでの歴史が語るような「革命」ではなく、まずは「キミの革命」である。
自分の人生の革命である。
「革命のファンファーレ」は聞くもののではなく、<鳴らす>ものとして書かれている。
革命のファンファーレを鳴らす「キミ」が世界のいたるところに出現することで、<交響するファンファーレ>の音が聞こえ、「新たな未来」への流れをつくってゆく。
西野亮廣は、今もこうしているときに「次の行動」を起こしている。
考えて、それを必ず行動に落とす。
サッカーの試合で、ひとつのプレーの流れにおいて、「最後は(ゴールに向けて)シュートで終わろう」とでもいうように。
僕はまもなくこの本を書き終える。
そして直後に、次の行動を起こす。
キミはまもなくこの本を読み終える。
さあ、何をする?
西野亮廣『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』幻冬舎
さあ、何をする?
じぶんの革命のファンファーレを<鳴らす>ために。
大澤真幸著『憎悪と愛の哲学』。- 生ける社会学者たちの思考に点火される消えない火。
「本書の狙いは、生ける社会学者たちの思考に、消えない火を点すことにある」。大澤真幸が、著書『憎悪と愛の哲学』(角川書店)の「まえがき」の最後におく言葉だ。...Read On.
「本書の狙いは、生ける社会学者たちの思考に、消えない火を点すことにある」
社会学者の大澤真幸が、著書『憎悪と愛の哲学』(角川書店)の「まえがき」の最後におく言葉だ。
「生ける社会学者たち」とは、いわゆる「社会学者」だけのことではない。
人は誰もが、民族社会学者(フォーク・ソシオロジスト)、つまり生ける社会学者たちである、と大澤真幸は本書を書き始めている。
<他者の両義性>(歓びの源泉としての他者と苦しみの源泉としての他者)に向き合いながら、大澤真幸はこう書いている。
…もし、他者たちとともにいるということを主題とする思考を、広く社会学と定義するならば、人間にとっては、生きることと社会学することはほぼ重なっている。「社会学 sociology」という語が発明されるよりもずっと前から、人間は社会学者である。…
だが、民族社会学者であろうが、専門の社会学者であろうが、その人の社会学的な思考と想像力の深さを規定する鍵的な要素がある。それは<概念>である。自分たち自身の行動や経験について考えるということは、<概念>を発明し、また<概念>に命を吹き込むことである。
思考は行動に対していつも遅れている。…<概念>は、行動の全体に対して、思考がどれだけ明晰にその意味を把握できたかを示している。
大澤真幸『憎悪と愛の哲学』角川書店
本書は、NPO「東京自由大学」で、大澤真幸が「社会学の新概念」というタイトルで行った連続講義の内の二つの講義録である。
二つの講義で論じた概念は、<神 God>と<愛 love/憎悪 hate>である。
【目次】
第1章 資本主義の神から無神論の神へ
1.「私はシャルリ(=ゾンビ・カトリック)」
2.資本主義の神
3.神の気まぐれ
4.もう一人の神の(非)存在
第2章 憎悪としての愛
1.三発目の原爆
2.原爆の火花
3.さまざまな歴史概念
4.憎悪の業
<神 God>と聞いて気持ちと感心が引いてしまう前に述べておきたいのは、大澤真幸が第1章の講義で示すのは、最も世俗的なものと思われている「資本主義」が、宗教現象であり、神の存在を無意識に前提にしているということだ。
大澤真幸は、精神分析のラカン派の人たちの間で以前流行したという、ある精神病者をめぐるジョークを取り上げている。
およそ、このような話だ。
ある精神病者が、「自分は穀物の粒である」という妄想にとりつかれていて、病院に入院していたという。
入院で、ようやく、自分は穀物の粒ではなく人間であることを認識し、退院にいたった。
しかし退院してすぐに、彼は血相をかえて病院にもどってきてしまう。
病院の外に鶏がいて、「私は鶏に食べられてしまうかもしれない」と思い、もどってきたと言う。
医師は、自分が穀物の粒ではないと納得したはずだと尋ねると、彼はこう答えたという。
「もちろん、私はそのことをわかっている。だが、鶏はわかっているのでしょうか?」と。
ぼくたちは、そんなばかげたことを、というように、この「妄想」を笑うことができないことを、大澤真幸は日本人にとっての「空気」と「世間」という事例を挙げながら明晰に展開していく。
日本人は、「私はそのことをわかっている。だが、鶏は…」という妄想の<形式>を、例えば「空気を読む」ことの中に、同じように生きている。
「私は~をわかっている。しかし『空気A』はわかっていない」という判断の形式だ。
「空気」はそのまま、「私は違う。しかし世間は…」というように「世間」にうつしかえることができる。
「私はわかっている。だが空気(世間)は…」という判断・行動の形式を、ぼくたちは日常にさまざまに見ることができる。
日本の「働き方改革」なども、「私はわかっている。だが…」とつぶやく、同じ形式の内にあるように、ぼくには見える。
「空気」や「世間」そのものは神ではないけれど、大澤真幸が語るのは、その形式において、「空気」や「世間」は「神」(神なるもの。彼は広義に「第三の審級」という独自の概念を提示している)へとつながる線をもっているということである。
大澤真幸は、このような<形式>から、理路整然と、資本主義において同様なことが起こっていることを示している。
大澤真幸の「仮説」は、資本主義的な行動形式を規定しているものが、今であっても、プロテスタントの神(マックス・ウェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)である、というものだ。
「自分は神の存在を信じていないけれど、神の方はどうなのか」と、上述の精神病者と同じように、人は信じているという自覚がないままで、信者と同じように行動しているということである。
非プロテスタンティズム系の社会は、地球の「空気」を読んで、グローバル資本主義の「空気」を読んで行動する。
日本人・日本社会は、地球の「空気」を読むことで、非西洋圏の中でも突出して資本主義への適応が早かったと、大澤真幸は言う。
大澤真幸は、著作の中で、さらにすすめて、「資本主義の宗教的次元」を明晰に語っていき、資本主義社会を徹底的に相対化してゆくために、ほんとうの<無神論>へ向かうための方途を示し、第1章を閉じている。
第2章は、ここでは立ち入らないけれど、「汝の敵を愛する人を憎みなさい」というキリストの言明を起点にし、「敵を愛しなさい」という言明の反対「愛する人を憎みなさい」という言明を併せながら、最も深く愛することが同時に憎むことでもあるということを、さまざまな事例をとりあげながら、深く考えている。
ここで取り上げたポイントは、この著書の数々の深い洞察のなかの、ほんの一部である。
本書は、大澤真幸の他の著作・文章・思考たちの、ひとつの結晶のようなものとして、ある。
そして、深く明晰な思考は、大澤真幸がいだく「長期のテーマ」(一生のテーマ)に、確実に歩みをよせているように、ぼくには見える(大澤は著作『考えるということ』の中で、考えることのテーマを、短期・中期・長期に分けている)。
大澤真幸にとっての切実な問いに向かう思考に沿う仕方で、ぼくたちはいつしか、切実な問いを共有し、その世界にひきこまれる。
冒頭で挙げた本書の目的、「生ける社会学者たちの思考に、消えない火を点すこと」にあるように、本書はそのようにして、ぼくの中に「消えない火」を点火してくれる。
この目的は、大澤真幸の社会学の師である見田宗介の「書くこと」の<精神>をひきついだものだ。
本当によい本は、何かの解決をもたらすこと以上に、読み手の思考に火を点火する。
本書を読み始めてすぐに点火された「消えない火」は、大澤真幸が参照し紹介する数々の文献への興味をぼくに植えつけ、思考の深さと明晰へといざなってくれる。
現代社会を徹底的に相対化し、きたる時代を準備するために、<ほんとうの無神論>へとつづく光のありかを示し、その道筋の四方に飛び散る光のかけらを、ぼくたちの歩みの前につくりながら。
「世界を変える」を紐解く。- 重層的/複層的に「世界」をとらえながら。
「世界を変える」ということを、本気で、考えてきた。「世界を変える」ということを、本気で、行動にうつそうとしてきた。...Read On.
「世界を変える」ということを、本気で、考えてきた。
「世界を変える」ということを、本気で、行動にうつそうとしてきた。
「世界を変える(change the world)」ということを言うと、普通、周りからは「何を言っているんだ」的な反応が返ってきたりする。
ここでは、「世界」は「地球大」のイメージとして、会話の中に現れる。
世界が「理想の時代」であったときには、その言葉はある「真実」として迎えられたのかもしれないが、たとえそのような時代にあっても、「何を言っているんだ」的な反応はあったはずだ。
それにしても、「世界を変える」という言葉は、極めて曖昧な言い方である。
「世界を変える」ということの中には、世界の「何を」変えるということが語られていない。
語られる状況や環境、そして語る者それぞれの立ち位置によるところが大きい。
共通性があるとすれば、「よい方向に変える」という意識がねりこまれていること。
ただし、この「よい」は、人それぞれであったりするから、「良さ・善いこと」の意味と定義の迷宮にはいりこんでしまう。
そんな中で、「happiness」が登場したりする。
人は幸せな生を求め、社会は幸せな社会をめざす、などなど。
ところが、「happiness」ということの意味と定義の迷宮もあり、また「happiness」ということが導く生の限界に、ぼくたちはぶつかることになったりする。
この「(世界の)何を」については、ひとまず横においておく。
前段の意図は、「世界を変える」ということの曖昧性を述べておくことである。
「世界を変える」ということは、ぼくの中においては、重層的/複層的に捉えられ、考えられ、行動に落とされている。
そして、この「重層/複層した世界への視野」が、大切である。
シンプル化して、並べると次のようになる。
- 世界(グローバル社会、地域、国などの)
- 生活世界(直接的に関わる家族、友人、仕事関連の世界)
- じぶんの世界
「世界」は、地球大のイメージにまで、その空間をひろげる。
「世界」は、未来へと時間軸をひろげてゆく。
しかし、日々の生活においては、ぼくの生活圏における「世界」のことだ。
家族や友人という拠点からひろがる「生活世界」であり、仕事という拠点からひろがる「生活世界」である。
「世界」とは、「人と人との関係性」のことである。
さらには、「じぶんの世界」へと、視点と行動は、重層している。
この「じぶんの世界を変える」ということを、例えば、成長などと呼ぶ。
こうして「世界を変える」ということは「じぶんの世界観・見方・感じ方」を変えてゆくということがある。
その影響力の中で、生活世界を変えてゆく、あるいは生活世界が変わってゆく。
さらに大きな地球大の「世界」の視点から見れば、じぶんを変え、生活世界を変えることは、「世界が変わる」ことの大きなうねりのひとつとなることができるかもしれない。
「世界を変える」というよりも、「世界が変わる」ことへの、世界にひろがるたくさんの試みのひとつになるということである。
ここで、やはり「世界を変える」ことにおいて、「世界をどの方向に?」ということが、どうしても現出してきてしまう。
この問題を考えるときに、社会学者の見田宗介が社会理論を純粋モデルとして描いた「交響圏/ルール圏」が、その議論の方向性の「土台」をつくってくれている。
理論は、「他者の両義性」(「歓びの源泉である他者」と「苦しみの源泉である他者」)に照応し、社会の構想は「二つの系譜」があることになる。
…一つは、直接に歓びであり、<至高なるもの>の生きられる形を解き放つ生のあり方、関係のあり方を構想するものであり、一つは、人間が相互に他者であり、それぞれに異なる仕方でこの<至高なるもの>を生きつくそうとすることの事実からくる、不幸と抑圧を、最小のものに止めるルールを明確化しておこうとするものである。…<他者の両義性>が、具体的にみると、その圏域をたがいに異にしているということ。そしてこの圏域の異なり(限定性/全域性)という事実が、じっさいの社会の構想にとって、実質上決定的な意味をもつということ…。
見田宗介『社会学入門』岩波新書
見田宗介は、圏域を異にするという事実からひきだされる社会構想の形式として、<関係のユートピア・間・関係のルール>を定式化する。
…この一般化された形式に、<至高なもの>の生きられる関係を解き放つこと/<至高なもの>の生きられる関係の自由を相互に保障すること、という二重の課題を実現する仕方で内実を充たすものとして、<交響するコミューン・の・自由な連合>としての世界の構想が提起された。
見田宗介『社会学入門』岩波新書
見田宗介がここで<至高なもの>と呼ぶもの(上述の「良さ・善いこと」)を、他者に強いてはならない、「自由な社会」という世界の構想である。
このことを踏まえた上で、最初の3層に重ね合わせると、次のように並べることができる(なお、3層は完全に区分されるのではなく、重なりをもちつつ圏域を異にしている)。
- ルール圏
- 交響圏
- じぶん(自我)
「世界を変える」ということにおける「世界」は、ぼくの中で、このような世界の構想を下敷きとしながら、ぼくの生を方向づけている。
このブログは「世界を生ききる」というメッセージのもとに、書いてきている。
これまでのブログでもそうだけれど、「世界」を重層的/複層的に捉えながら、考えながら、ぼくは書いている。
グローバルにひろがる「世界」を生ききるために、じぶんの世界を生ききること、じぶんの世界を変えていくこと。
そのような「じぶん」が世界いっぱいに、それぞれに異なる仕方でひろがることで、交響するコミューンは交響性の実質を開き、そして/同時に、自由な連合の総体としての世界も変わってゆく。
ニュージーランドで「キウィフルーツ」と「キウィ」に出会う物語。- 記憶と風景と思い出の重なりに醸成される物語。
キウィフルーツを朝食に食べる。香港のスーパーマーケットや市場に行くと、きまって、キウィフルーツが並んでいる。...Read On.
キウィフルーツを朝食に食べる。
香港のスーパーマーケットや市場に行くと、きまって、キウィフルーツが並んでいる。
キウィフルーツだけでなく、ニュージーランドで生産・収穫されたフルーツ(りんごなど)が、いろいろに並んでいる。
20年程前に暮らしていたニュージーランドの記憶と風景と思い出がぼくの中で重なり、ついつい、ニュージーランドの果物に手がのびてしまう。
でも、ニュージーランドに住んでいたとき、キウィフルーツをいつも食べていたかというと、そのようなことはなかった。
むしろ、ここ香港で食べている量の方が多い。
それでも、ぼくのニュージーランドの記憶の中には、きっちりと「キウィフルーツ」が存在の根をおろしている。
大学の2年を終えて休学し、ぼくはワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに向かった。
ニュージーランドのオークランドに降り立ち、バックパッカー用の宿に泊まりながら、ぼくは住む家を探した。
探し方なんて、まったく知らない中で、新聞か何かの案内を探したりした。
そうして、ようやく見つけたのが、一軒家の中の「フラット」である。
一軒家を7人で借りていたニュージーランドの人たちの内のひとりが何らかの理由で出ていくことになり、一部屋空いたことから、住む人を探していたのだ。
たまたま、ぼくはそのタイミングで広告を見て、入居することになった。
オークランドの中心地から、歩いていける距離であった。
同居の何名かは地方からやってきた、オークランド大学に通う学生たちで、ぼくと同世代ということもあり、住み心地もよかった。
その内のひとりが、あるとき、ダンボール箱いっぱいのキウィフルーツを台所に置く。
田舎から送られてきたのだという。
ちょうどキウィフルーツの収穫シーズンで、とても新鮮なキウィフルーツが詰まっていた。
日本にいるときは、キウィフルーツは若干贅沢品のようなところもあったから、ダンボール箱に詰められたキウィフルーツにびっくりしたものだ。
そして、すすめられて食べたキウィフルーツは、それまでの20年程の人生で食べたことのない美味しさの記憶を、ぼくの中に埋め込むことになった。
美味しいキウィフルーツは輸出されずに、ニュージーランド内で食べ尽くされているのではないかと思うほどであった。
今でも、ぼくは、その時のキウィフルーツの味を追い求めているようなところがあるのかもしれない。
そこにキウィフルーツの「理想」が打ち立てられたようだ。
オークランドを去ったぼくは、北島の最北端から南に向かって「徒歩縦断の旅」に挑戦し、4分の1ほどの700キロメートルほどを歩いたところで、その挑戦を断念する。
身体と精神の「限界」のような地点、あるいはそれでも「何かを得た地点」で、ぼくはヒッチハイクで北島の最南端にたどり着き、南島にわたる。
車が真横をとおっていく「徒歩縦断の旅」とは異なって、トランピング(トレッキング)として、山や森や川を歩くことになった。
車両がかけぬけていくこともなく、静かな自然の中を、時に誰一人にも会うことなく、ぼくは一人で歩いてゆく。
冬から春にかけてのときで、まだ山に雪が積もっていることもあった。
時には川の中を歩かなければならなかったり、岩山をよじのぼることもあった。
人は時に、自然にただ一人で向き合うことを必要とするのだということを感じる道ゆきであった。
その日は、少し雲がかかり、ぼくは平坦な森の中を歩き、ときに森が開けるようなところをぬけていた。
少し外が暗くなり始めていた頃、ぼくは、思いもかけない「出会い」に言葉を失い、動きをとめる。
ぼくが出会ったのは、野生の鳥「キウィ」であった。
キウィフルーツの名前の元でもある、飛べない鳥の「キウィ」。
確かに、ぼくの前に「キウィ」がいる。
しかし、その時は長くは続かず、キウィは、すぐさま、森の木々の中に身をかくしてしまった。
野生のキウィに会うことは、とても稀であると聞いていたから、それはぼくにとって、ひとつの祝福であった。
野生のキウィとの出会いの記憶は、キウィフルーツに対して(あるいは通じて)、独特の感情をよびおこすことになる。
ダンボール箱につめられて、ぼくの前に差し出されたキウィフルーツの「理想」に加えて、野生のキウィとの出会いが、ぼくにとってのキウィフルーツを特別なものに変えたのだ。
野生のキウィによってかけられた「魔法」のようなものだ。
そのようなキウィフルーツ、野生の鳥キウィの記憶と風景と思い出の重なりの中で、ぼくは「キウィフルーツとキウィの物語」をぼくなりにもつことになる。
この「物語」は他者にとってはなんでもないものだけれど、ぼくにとっては、誰がなんと言おうと、「大切な物語」である。