成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「トランクひとつ分の幸せ」(小松易)。- 片づけ、海外生活、充実。

家の「片づけ」をすすめながら、ときに「片づけ」の本に目をとおす。

家の「片づけ」をすすめながら、ときに「片づけ」の本に目をとおす。

たとえば、佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(ワニブックス、2015年)。「ミニマリスト」という生きかたで、人生が変わってきた経緯やヒントが綴られている。英訳も出版されていて、ここ香港の書店でもみかける本だ。

この本のなかで、究極のミニマリストであった人物たち、マザー・テレサやマハトマ・ガンディーなどに言及されている。このような人物たちにふれることは、究極のミニマリストになろう、と声高に叫ぶためではなく、究極のミニマリストたちはすでに存在していたのだから「モノが少ない対決」には意味がないことを語るためである。

マザー・テレサが遺したモノは、着古したサリー、カーディガン、手提げ袋、それからサンダルであり、またガンディーの部屋には何もなかったという。古代ギリシャの哲学者ディオゲネスは、最終的に布一枚だけを所有していただけであったという。

「モノが少ない対決」には意味がないことはたしかだ。

モノの「量」にフォーカスしすぎることは、片づけのほんらいの目的のひとつであろう、本人のしあわせという観点からは意味がないのだけれど、それでも、気になるところである。

他の本に目をとおしながら、ぼくはつぎのようなことばに出逢う。


「トランクひとつ分の幸せ」。


かたづけ士である小林易の『たった1分で人性が変わる片づけの習慣』に出てくることばである。



 あなたの人生を豊かにするモノの量は、私がアイルランドに留学したときのトランクひとつ分の荷物かもしれません。トランクひとつ分の幸せこそが、いちばんステキな幸せかもしれません。

小松易『たった1分で人性が変わる片づけの習慣』電子書籍版(KADOKAWA/中経出版、2017年)


大学時代にアイルランドに留学していた小林易は、3カ月の留学生活を終えて、帰国の荷づくりをはじめる。

荷づくりのために、ベッドの下に収納していたトランクを出したとき、小林易は衝撃をうける。「トランクひとつ」で3カ月生活できたこと、またモノの少ない生活のほうが充実していたことに、である。

「トランクひとつ分の幸せ」である。


「トランクひとつ分」といえば、ぼくの海外暮らしも「トランクひとつ分」であったともいえる。だから、このことばにひかれてのであろう。

ニュージーランドを去るときも、西アフリカのシエラレオネを去るときも、東ティモールを去るときも、いずれも「トランクひとつ分」(正確には、大きなバックパックひとつ分+手荷物)であった。

シエラレオネと東ティモールは、住んでいるあいだ、日本と行き来しながらモノの移動もあったけれど、さいしょとさいごの「INとOUT」ともに、「トランクひとつ分」であった。

そして、小林易が感じたように、そんなモノの少ない生活は充実していた。

ここ香港ではだいぶモノが増えてしまった。「トランクひとつ分」とまではいかないだろうけれど、いまいちど、「モノ」を少なくしているところだ。それも、ただの「モノ」のことではなく、それ以上に、もっと内面の整理整頓もふくめて、ぼくはいろいろと手放している。


ところで、「片づけられる自分」になるために、「必要最小限の荷物だけ」を手にした旅行を、小林易はすすめている。その理由のひとつは、旅行の荷づくりが、片づけにともなう、「捨てる基準」を決めるトレーニングとなるからである。

この方法については、ぼくも共感するところがある。旅をかさねてきたぼくの思うところである。

前述のように「モノが少ない対決」には意味がないのだけれど、ぼくたちのしあわせには、思っている以上に「モノ」が必要ではないことを、ぼくは思う。

詳細を確認
音楽・美術・芸術, 宮沢賢治 Jun Nakajima 音楽・美術・芸術, 宮沢賢治 Jun Nakajima

中原中也の書く「宮沢賢治の世界」。- もし宮沢賢治が芸術論を書いたとしたら。

世界を生きてゆくうえで、たとえば、宮沢賢治の『春と修羅』のようなことばたちと共にあることが、ぼくの生を支えてくれる。そんなふうに思うときがあることを書いた。

世界を生きてゆくうえで、たとえば、宮沢賢治の『春と修羅』のようなことばたちと共にあることが、ぼくの生を支えてくれる。そんなふうに思うときがあることを書いた(ブログ「世界に生きてゆくうえで、たとえば、宮沢賢治『春と修羅』の「序」のことばと共にあること。」)。

ここでいう「世界」は、ぼくがこれまで暮らしてきた西アフリカのシエラレオネであり、東ティモールであり、それから香港を、直接的に思いながら書いていたのだけれど、さらには、そのような地理的な空間のひろがりだけに限られることなく、ひとがひとりひとり、それぞれに生きてゆく<世界>というようなことも意識しながら書いた。

そのように、ひとがそれぞれに生きてゆく<世界>というように視界をひろげてみるとき、「宮沢賢治の世界」を生きるうえでの支えのようなものとしてきた人に、詩人の中原中也(1907-1937)がいる。


中原中也は、宮沢賢治『春と修羅』の「十年来の愛読者」であった(中原中也「宮沢賢治全集刊行に際して」「宮沢賢治全集」)。

宮沢賢治がひろく知られるようになるまえから、宮沢賢治の愛読者であった中原中也の書いたもののなかに「宮沢賢治の世界」という文章がある。とても短い文章だけれども、宮沢賢治の作品の本質、あるいは「宮沢賢治の世界」を通した芸術論を鮮烈に書きしるしている。

「宮沢賢治の世界」は、はじめの文章で、「宮沢賢治の一生」をつぎのように集約している。


 人性の中には、かの概念が、殆んど全く容喙出来ない世界があって、宮沢賢治の一生は、その世界への間断なき恋慕であったと云うことが出来る。

中原中也「宮沢賢治の世界」青空文庫


すごい文章である。「かの概念が、殆んど全く容喙出来ない世界」をこれほど集約させて書きながら、宮沢賢治の作品の本質とつなげてゆく様に、ぼくはいっきにひきこまれてしまう。


こう書き出しておきながら、このような世界に恋慕した宮沢賢治が「もし芸術論を書いたら」と仮定し、芸術論のいくつかをノート風に箇条書きで書きつけている。おもしろい試みである。

箇条書きで6つの短いノートを書きつけてから、中原中也はこの短い文章を、つぎのように書き終えている。


 芸術家にとって世界は、即ち彼の世界意識は、善いものでも悪いものでも、其の他如何なるモディフィケーションを冠せられるべきものでもない。彼にとって「手」とは「手」であり、「顔」とは「顔」であり、即ち名辞するとしてA=Aであるだけの世界の内部に、彼の想像力は活動してゐるのである。従って彼にあっては、「面白いから面白い」ことだけが、その仕事のモチーフとなる。

中原中也「宮沢賢治の世界」青空文庫


「面白いから面白い」ことだけが、芸術家の仕事のモチーフになる。

「宮沢賢治の世界」のはじまりの文章も鮮烈であったけれど、さいごの文章も鮮烈だ。「面白いから面白い」ことだけが、芸術家の仕事のモチーフになる。ぼくはこのことばをなんどか、黙読する。

中原中也は詩人という芸術家を意識しながら芸術論として書いている。でも、ここでふれられる「芸術家」は、いま、この現代にあって、いかなるひとをも名指す名詞であるようにも、ぼくには見えてくる。

「面白いから面白い」ことだげが、これからの時代の生きることのモチーフとなってゆく、と。

詳細を確認
言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

世界に生きてゆくうえで、たとえば、宮沢賢治『春と修羅』の「序」のことばと共にあること。

ふとした時間のあいまに、電子書籍をひらく。

ふとした時間のあいまに、電子書籍をひらく。


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

宮沢賢治『春と修羅』、『宮沢賢治全集』(micpub.com)


宮沢賢治の「心象スケッチ」である『春と修羅』。その「序」の、さいしょのところである。

ふとした時間のあいまだったのだけれども、このことばにいっきにひきこまれ、すごいなあと思うと同時に、じぶんのなかの「深いところ」への道がそっとひらかれるような気がする。

吉本隆明が「宮沢賢治」にかんする文章を書いていたとき、どんなに疲れている日でも宮沢賢治の世界にふたたび戻ってゆくことができたという(たしか、吉本隆明『宮沢賢治』の「あとがき」に書かれている。吉本隆明のこの心境について、ぼくは見田宗介先生の講義ではじめて知った)。

『春と修羅』の「序」を読みながら、その心境が、とてもわかるような気がする。

宮沢賢治の作品にはまったく「わからない」ものもあるのだけれど、「意味」をおいすぎるのではなく、ことばをただおいながら心象をかさねてゆくだけで、なにか、ほっとするようなところがある。


もちろん、この「序」については、語られることの「意味」から見ても、おどろくべき文章である。

『宮沢賢治:存在の祭りの中へ』(岩波書店)という、ほんとうにすてきな本を世に放たれた、社会学者の見田宗介は、つぎのように書いている。


宮澤賢治が生前に刊行したただひとつの詩集である『春と修羅』の序は、<わたくしといふ現象は>ということばではじまっている。自我というもの、あるいは正確にいうならば自我ということが、実体のないひとつの現象であるという現代哲学のテーゼを、賢治は一九二〇年代に明確に意識し、そして感覚していた。

見田宗介『宮沢賢治』岩波書店、1984年


「自我というもの、あるいは正確にいうならば自我ということが、実体のないひとつの現象であるという現代哲学のテーゼ」を、あの時代に感覚していたこともすごいけれど、なによりも、これほどまであざやかに、この「現代哲学のテーゼ」を書ききったところもすごい。

ぼくにとっては、まさに奇跡のようなことば・文章である。


はじめて、『春と修羅』を読んだのはいつだったろうか。10代のころ、国語の授業などでふれられたときであったろうか。

そのときは、この奇跡のようなことば・文章を、ぼくはまったく「わかっていない」のであった。映画にもなった『銀河鉄道の夜』にはどこまでもひきこまれたけれども、「雨ニモマケズ」にはどこか「道徳のにおい」を勝手に感じてしまっていた。

そうして遠ざかっていた宮沢賢治の作品に、見田宗介『宮沢賢治』(岩波書店、1984年)の本に出会い、ぼくはようやく「入り口」にたつことができた。<わたくしといふ現象は>ではじまる『春と修羅』の「序」にも、ようやく正面から出会うことができた。

出会ったことばたちは、その後、西アフリカのシエラレオネで、東ティモールで、それから香港で、ぼくの生を支えてきてくれた。ほんとうに、いろいろな状況と場面で。

世界に生きていくうえで、そんなことばたちと共にあることがとても大切であったのだということを、今のぼくは思う。

詳細を確認
香港, 成長・成熟 Jun Nakajima 香港, 成長・成熟 Jun Nakajima

香港の、「レモンいっぱいのレモンティー」。- レモンは「いっぱい」でもいいんだ、という認識への再設定。

香港の街に出て、食事をするときによく飲む飲み物は「ホットミルクティー」。香港式のホットミルクティー(港式奶茶)である。「香港式」は、とても濃い紅茶に、無糖練乳がたっぷりと入ったミルクティーである。お店によって「味」はさまざまで、その「さまざま」を味わってゆくのも楽しい。

香港の街に出て、食事をするときによく飲む飲み物は「ホットミルクティー」。香港式のホットミルクティー(港式奶茶)である。「香港式」は、とても濃い紅茶に、無糖練乳がたっぷりと入ったミルクティーである。お店によって「味」はさまざまで、その「さまざま」を味わってゆくのも楽しい。

けれども、12年ほど前に香港に移り住んで印象深かった「香港式」は、ミルクティーよりも、むしろ「レモンティー」であった。なぜかと言えば、レモンがたくさん入っていたからである。

レモンがいっぱいに入っている、ただそれだけのことだけれども、「ただそれだけ」のことが、ぼくの脳を少しずつ侵食していくことになる、「香港式」のひとつであったと思う。

レモンの輪切りがいっぱいに入っている紅茶。

このことの「インパクト」をひとことであらわすのであれば、「レモンはいっぱいでもいいんだ」というひとことである。


ぼくたちがある文化の中で暮らしてゆくなかで、ぼくたちはいろいろなものごとを「デフォルト」設定してゆく。ぼくたちが「気がついた」ときにはすでに「デフォルト設定」されていたものもあれば、暮らしてゆくなかでじぶんなりの「選択」を通してデフォルトとして設定してゆくこともある。

「レモンティー」で言えば、日本で暮らしているなかでは、レモンは「輪切り1枚(あるいは2枚?)」であった。少なくとも、ぼくのなかでのデフォルト設定は、そのようであった。そこに暮らしているときは、そのことに対してとくに何か思うわけでもなく、紅茶とともに出される輪切り1枚のレモンの香りとテーストを楽しんでいた。

そのようなデフォルト設定が、香港に来て、「再設定」を迫られることになる。別に誰かに頼まれて再設定を迫られるわけではないけれど、ぼくの「頭の中」で、レモンティーのイメージ設定をしなおすことになる、ということである。


香港の街のふつうのお店でレモンティー(例えば、冷たいレモンティー)を頼むとしよう。そうすると、レモンの輪切りは1枚ではなく、5枚ほどがぎっしりとグラスの底にしずめられて、出てくることになる。なお、紅茶それ自体も、濃い紅茶だ。

これらいっぱいのレモンをスプーンなどで押しつぶしながら、レモン汁を抽出し、紅茶にまぜてゆく。飲み物にシロップ(また砂糖)はふだんはあまりいれないぼくも、香港式のレモンティーにはシロップをいれることになる(あるいは、出されたときに、すでにシロップがまぜられている)。

味も香りもつよい香港式のレモンティーは、こうして、楽しむことができる。


香港に住むようになるよりも、さらに12年ほどをさかのぼった年に、ぼくは旅ではじめて香港に来たのだけれども、そのときは、これらの「香港式」を充分に楽しむことはなかった。

住むようになってはじめて、ぼくは、これらに親しんでゆくことになる。じぶんが「飲む/飲まない」ということにおける「親しさ」ということではなく、ぼくの身の回りの「環境」に、あたりまえのように存在しているという<親しみ>である。

こうして、レモンは輪切り1枚のデフォルト設定が、再設定されてゆくことになる。

香港のレモンティーのレモンは、いっぱいだ。レモンティーのレモンは、いっぱいあってもいい。必ずしも、輪切り1枚でなくてもいい。

もちろん、レモンの輪切り1枚という「レモンティー」のよさもある。そのかすかな香りとテーストが身にしみてくることもあったりする。

でも、ときおり、香港の日系のレストランに行ってレモンティーを頼むと、レモンの輪切りが1枚ついて、レモンティーが提供される。そんなとき、少しさびしさのようなものを感じて、ぼくの頭の中のレモンティーの設定が変わったことを認識したりすることになる。

そして、このようなことは、「レモンティー」だけではないなと、思うことになる。

レモンいっぱいのレモンティー(香港式のレモンティーが日本のレストランで提供されるとすれば、こんな名前がつけられるだろうか…)のように、ぼくのそれまでの「認識」を書き換えてきたような体験・経験を、ぼくは、ここ香港で、さらには東ティモール、西アフリカのシエラレオネ、ニュージーランドでしてきたのだということを思うのである。


追記:

ブログの写真に「レモンティー」をのせたかったのだけれど、写真がなくのせていない。最近はすっかり「香港式ホットミルクティー」なのである。

詳細を確認
言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

「ただいるだけで」(相田みつを)。- 「being」のちから。

詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)のことばを、これまで、いくつかとりあげてきた。「夢中で仕事をしているときは…」であったり、「しんじつだけが…」であったり。

詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)のことばを、これまで、いくつかとりあげてきた。「夢中で仕事をしているときは…」であったり、「しんじつだけが…」であったり。

それらをとりあげながら、もうひとつ、ぼく個人として気になっていたことばがあった。まったくの、ぼく個人の好みであるのだけれど。

それは、「ただいるだけで」、と題されている(「相田みつを美術館」ポストカードより)。


あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる

あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ


そんな
あなたにわたしも
なりたい

みつを


人を語るとき、「doing」と「being」という視点で語ることがある。

現代社会はことさら「doing」が強調され、評価され、うながされる。「行動」が人やものごとを動かし、何かを生みだし、結果を出してゆく。これまでの「行動」をのりこえてゆく「多動力」(たとえば堀江貴文の著書にもある)ということも、行動の延長戦上にある力だ。

「行動」で現状をきりひらいてゆく。「行動してゆくこと」の大切さは自明のことであるだろう。

けれども、「being」をあなどってはいけない。

大切であり、現状をきりひらくはずの「行動」が、「being」、つまり、人の「ありかた・あり様」次第では、からまわりするだけだ。

最近読んでいる、ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の著作『Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life』(Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007)では、「人生の前半/(中年)/後半」という流れの中で、「人生の後半」には、(前半でフォーカスしてきた)「doing」だけでなく、「being」も大切にしてゆくことが勧められている。

また、これからの「doing」が、AI(人工知能)などのテクノロジーに補完されてゆくのだとしたら、人においては「being」ということがいっそう重要になってくるのだと言うこともできるかもしれない。

でも、上でとりあげた、相田みつをの詩を読んでいると、「being」の大切さや効用などをことさらに指摘してゆく必要もないようにも思う。

「ただいるだけで」を読んでいるだけで、ただ、ぼくもそうなりたいと思うのだ。

なにをするのでもなく、ただいるだけで、場の空気があかるくなり、みんなのこころがやすらぐ。ただいるだけで、場やひとがうごいてゆく。

ぼくも、そうなりたい。

なろうと思って、なれるものでもないのだけれど。

詳細を確認
言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima

「We shall not cease from exploration…」(T.S. ELIOT)。- 「終わり」にたどりつくところ。

ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の著書『Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life』(Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007)のはじまりのところに、T・S・エリオット(1888-1965)の詩集『Four Quartets(四つの四重奏)』からの抜粋の一部をおいている。

ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の著書『Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life』(Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007)のはじまりのところに、T・S・エリオット(1888-1965)の詩集『Four Quartets(四つの四重奏)』からの抜粋の一部をおいている。


We shall not cease from exploration 
And the end of all our exploring
Will be to arrive where we started
And know the place for the first time. 

T.S. ELIOT


「はじまりと呼ぶものはしばしば終わりであり、終わらせることははじめることである」というようにはじまる『Four Quartets(四つの四重奏)』「Quartet No. 4: Little Gidding」の最終節(第5節)の、そのほぼ最後のところに記されている言葉である。

「われわれはエクスプロレーション(探検・探査)をやめることはない。すべてのエクスプロレーションの終わりはわれわれがはじめた場所に到着することであり、またその場所を初めて知ることである。」


「はじまりと終わり」の、その「構造」だけをざっくりととりだせば、メーテルリンク『青い鳥』、パウロ・コエーリョ『アルケミスト』などにも見られる構造である。また、社会学者である見田宗介=真木悠介の著作(『気流の鳴る音』『宮沢賢治』)でも見られる、ものごとを読み解く「四象限と円環」も、おなじ構造をもっている。

ロバート A. ジョンソンは、「人生の前半/(中年)/後半」を語ってゆくなかで、このことばを導きの糸としている。


大切なことは、このような構造をただ単に「知る」ことよりも、「生きる」ことであるように、ぼくは思う。つまり、実際に、体験・経験することである。ヘルマン・ヘッセの『シッダルタ』で、シッダルタが、この体験・経験の中にひたすら身を投じていったように。

じぶんの心身を通じて<知ること>は、ぼくたちの<知恵>となり、生きることに深みをつくりだしてゆく。

エクスプロレーションの終わりにたどりつく場所は、はじめた場所であるかもしれないけれども、その風景は重層してゆく風景であり、やはり異なる仕方でぼくたちの目に見える。

ぼくも、いろいろなエクスプロレーションの果てに、結局「はじまりの場所」に戻ってきたようにも思うのだけれど、そのエクスプロレーションのはじまりには見えていなかった仕方で、その場所を眺めているように思う。エリオットが書くように、まるで「And know the place for the first time」のように。

詳細を確認
香港, 身体性 Jun Nakajima 香港, 身体性 Jun Nakajima

「香港の音」のこと。-「静けさ」と「にぎやかさ」と。

静けさということ。現代人にとっての「静けさ」ということを。ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の体験をもとに、じぶんの体験もかさねあわせながら、少しのことを書いた。

静けさということ。現代人にとっての「静けさ」ということを。ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の体験をもとに、じぶんの体験もかさねあわせながら、少しのことを書いた(ブログ「「静けさ・静寂・沈黙(silence)」を味方につける。- Robert A. Johnsonの体験に耳をかたむけて。」)。

静けさ「だけ」がいいとか悪いとかということではなく、しかし、「静けさ」が生活の片隅においやられているようなところはあるように思ったりする。

「にぎやかさ」ということで言えば、ここ香港は、にぎやかなところだ。


作曲家の久石譲は、解剖学者の養老孟司との対談(養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』角川oneテーマ21、2009年)のなかで、この「香港のにぎやかさ」にふれている。久石譲は興味深いエピソードを紹介している。それは、香港からカナダに移住した人たちに「もっとも売れたテープ」の話である。

香港からカナダに移住した人たちにもっとも売れたテープは、香港のにぎやかな音であったというのだ。食べ物屋の音、街中の音、人々の話し声など、香港の音が収録されたテープが飛ぶように売れたのだという。

大自然に囲まれたカナダの異常な静けさが、逆に落ちつかなかったのではないかという話だ。

実際にこの話がどのように伝わってきたのか、そのようなテープがどのくらい売れたのかなど、ぼくは知らない。けれども、ここ香港に住んでいると、わからなくもない。ある程度の「にぎやかさ」に心身がなれて、突然のようにやってくる「にぎやかさの欠如」は、心身を不安定にさせるかもしれない。

「静けさ」と「にぎやかさ・ノイズ」。このエピソードに対して、養老孟司はつぎのように応答している。


養老 そういうこともある。だから、物事はどっちがいいとか悪いとか一概に言えないんです。だいたいどっちであっても人生は損得なしだ、というのが僕のいけんですけどね。

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21、2009年)


このエピソードが紹介される直前に、一般的に、「うるさい環境の方が落ちつくなあということもあるんじゃないですかね」と語る文脈で、養老孟司はこのように語っている。

「静けさ」と「にぎやかさ」の双方を享受できるようになるとよいと、ぼくは思ったりする。また、人それぞれに、それぞれの「とき」に応じて、求められるものも変わってくるのだと、ぼくは思う。


ところで、「香港の音」のテープということを聞いて、ぼくもいくらか、<音の採取>をしておこうかと思っている。

だいぶ以前、東ティモールに住んでいたときに、<音の採取>をしようと思っていたのだけれど、レコーダーの音質の問題などから、途中であきらめていた。

でも、今はスマートフォンの気軽な録音で、それなりの音質を確保できる。将来、香港を離れたとき、ぼくは「香港の音」、食べ物屋のにぎやかさや街中の喧騒などを聞きたくなるかもしれない。

と思いつつ、いや、心の中で記憶していたほうがいいんじゃないか、と、ぼくの内面の別の声がぼくに語りかける。

詳細を確認
村上春樹, 書籍 Jun Nakajima 村上春樹, 書籍 Jun Nakajima

村上春樹訳『グレート・ギャツビー』の「冒頭と結末」のこと。- 「訳者あとがき」の<告白>。

小説家の村上春樹が訳した、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(中央公論新社、2006年)の「訳者あとがき」、その最後の最後のところ(もう少しで「訳者あとがき」が終えようとするところ)で、村上春樹はつぎのように書いている。

小説家の村上春樹が訳した、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(中央公論新社、2006年)の「訳者あとがき」、その最後の最後のところ(もう少しで「訳者あとがき」が終えようとするところ)で、村上春樹はつぎのように書いている。


…個人的なことを言わせていただければ、『グレート・ギャツビー』の翻訳においてもっとも心を砕き、腐心したのは、冒頭と結末の部分だった。なぜか?どちらも息を呑むほど素晴らしい、そして定評のある名文だからだ。…ひと言ひと言が豊かな意味と実質を持っている。暗示の重みを持ちながら、同時にエーテルのように軽く、捉えようとすると指のあいだからするりと逃げ出していく。告白するなら、冒頭と結末を思うように訳す自信がなかったからこそ、僕はこの小説の翻訳に二十年も手をつけずにきたのだ。…

スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』村上春樹訳(中央公論新社、2006年)


村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』本文も好きだけれど、最初に読んだときにぼくの印象につよく残ったのは、この「訳者あとがき」の<告白>であった。

冒頭と結末を思うように訳すことができないことから、村上春樹は二十年の歳月も、翻訳に手をつけずにきた。

ちなみに、この「訳者あとがき」でふれられているように、「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と問われたら、『グレート・ギャツビー』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、それからレイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』を考えるまでもなく挙げると、村上春樹は書いている。そして、「どうしても一冊ならば?」と問われるのであるならば、迷うことなく、『グレート・ギャツビー』を選ぶのだと、付け加えている。

それほどの一冊である『グレート・ギャツビー』の翻訳に手をつけることが、冒頭と結末の訳に自信がなかったからできなかったというのだ。もちろん、「それほどの一冊」だったからこそ、なかなか手をつけることができなかったのだとも言える。


村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読んで、その「訳者あとがき」の<告白>を聞いてから、もちろん、ぼくは、スコット・フィッツジェラルドによる「原文」が読みたくなり、さっそく英語版を手に入れ、冒頭に目を通す。

目を通しながら、じぶんなりに「日本語」におきかえてみようとする。たしかに「名文」だと思いながら、しかし、「日本語」にうまくおきかえることができない。そこまでしてみて、「なるほどなぁ」と、ぼくは感じる。

こうして、「訳者あとがき」の<告白>、それから英語の名文と訳のむつかしさが、ぼくのなかにすとーんとおちてゆくのであった。


そんな「視点」と「体験のありかた」がぼくのなかにすみつき、それからというもの、ぼくは英語の本を原文で読みながら、何冊かの本で、「思うように日本語に訳せない」本に出会ってゆくことになる。

別にぼくは「翻訳者」ではないし、そのような本にめぐりあっていつか翻訳書を出そうなどというわけでもないのだけれど、それでも、ぼくは、いつか、思うように日本語に訳せたらと思うのである。

訳せるようになる過程においては、日本語をつむぐスキルや英語をよみとくスキルだけではなく、いろいろな意味において、ぼくの<成熟>が求められるだろうと、思う。だからこそ、いつか、思うように日本語に訳せたら、と、ぼくは思うのだ。

それにしても、そんな本が何冊かあるだけでも、とてもしあわせなことだと、ぼくは思ったりもする。

詳細を確認
成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「静けさ・静寂・沈黙(silence)」を味方につける。- Robert A. Johnsonの体験に耳をかたむけて。

ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)は、現代において、ひとびとが「静けさ・沈黙(silence)」に耐えられないことにふれている。

ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)は、現代において、ひとびとが「静けさ・沈黙(silence)」に耐えられないことにふれている(著書“Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life”)。

あるときロバートは、友人の勧めで、「Isolation Tank(アイソレーション・タンク)」(その他、sensory deprivation tankなどとも呼ばれる)を体験することにする。

「Isolation Tank(アイソレーション・タンク)」とは光や音が遮断されたタンクで、リラクゼーションなどを目的として、ひとはタンクのなかの入り、その感覚を遮断されたなかで塩水に浮かぶ。リラクゼーションに限らず、メディテーションや代替医療としても使われているようだ。

現代生活の忙しさからいっときのあいだ離れ、ピースフルなときを体験する。昔の人たちなどが見たら「理解できない」活動であろうけれど、忙しい現代人にとっては、そのような「とき」はそれほど貴重でもある。

ロバートはそうしてタンクのなかに入り、タンクのドアが閉じられる。棺桶のようにも感じながら、しかし、タンクのなかでの「solitude(孤独さ)」に感謝し、静けさを心待ちにする。

しかし、思ってもみなかったものがやってくる。センチメンタルで、ひたすら繰り返される類の音楽である。それが、タンク室の小さなスピーカーから流れてくる。静けさに包まれると思っていたら、まったく逆に、音楽に包まれてしまう。

こうして、「solitude(孤独さ)」のときはうちやぶられ、ロバートは20分ちかくのあいだ、この音楽を我慢せざるをえなくなったという。

タンクのドアがひらき、ロバートは非難したい気持ちをおさえて、「なぜ音楽をながすのか」とオペレーターに尋ねる。オペレーターは応える。「今日ほとんどの人たちは、まったくの静けさ(total silence)にがまんできないんです」と。


ロバート・ジョンソンの気持ちもわかりながら、しかし、「まったくの静けさにがまんできない」人の気持ちも、けっして人ごとではない。

20年以上前、ニュージーランドの田舎をひとり歩きながら、ぼくはその「静けさ」にがまんできなくなったこともある。なにも、20年以上前までさかのぼらなくても、ここ香港で暮らしながら、部屋の静けさを打ち消してしまうように、音楽をかけてしまうこともある。

この近代・現代社会に生まれ、そのなかで生きてきたぼくのなかには、こんな現代人の特徴が刻印されている。

でも、ここ数年、ぼくはいっそう、「静けさ・静寂・沈黙(silence)」をじぶんの味方としてきた。そんなことも手伝って、タンクのなかでのロバートの憤りも、わかる。


「Mister Rogers’ Neighborhood」というアメリカ教育番組のホストであった故Fred Rogers(フレッド・ロジャース)は、かつてインタビューで、現代社会が「silence(沈黙・静寂)」ではなく、あまりにも「noise(ノイズ)」に充ちていることに対して警鐘をならしていた。

真剣な面持ちでゆっくりと、静かだけれど凛とした声を発するフレッド・ロジャースの「語り」は、なぜか、ぼくの印象につよくのこっている。

そんなフレッド・ロジャースの「語り」が、ぼくのなかで、ロバート・ジョンソンの「語り」と共振しながら、ひびいている。

「静けさ・静寂・沈黙(silence)」は、ぼくたちの味方である。

詳細を確認
書籍 Jun Nakajima 書籍 Jun Nakajima

学びに「新鮮な空気」を入れてみる。- たとえば「物理学」の空気を。

本の「まえがき」に惹かれて、読んでみたくなる本がある。

本の「まえがき」に惹かれて、読んでみたくなる本がある。

「WALKING ALONG THE SHORE」(海岸に沿って歩く)と題された「まえがき」を読みはじめたら、読みたくなった。

本のタイトルは、『REALITY IS NOT WHAT IT SEEMS: THE JOURNEY TO QUANTUM GRAVITY』(Riverhead Books, 2017)。著者は、イタリアの理論物理学者であるCarlo Rovelli。

タイトルにも惹かれるけれど、「the next Stephen Hawking」(Time誌)とも呼ばれる人物にも興味がわく。

でも、決め手は、「Introduction(まえがき)」であった。

「まえがき」は、こんなふうに書き始められている。


We are obsessed with ourselves.  We study our history, our psychology, our philosophy, our gods.  Much of our knowledge revolves around ourselves, as if we were the most important thing in the universe.  I think I like physics because it opens a window through which we can see further.  It gives me the sense of fresh air entering the house.

われわれはわれわれ自身のことで頭がいっぱいである。われわれは、われわれの歴史を学び、われわれの心理学を学び、われわれの哲学を学び、われわれの神々を学ぶ。われわれの知識のおおくは、われわれ自身のまわりを旋回している。まるで、われわれが宇宙でもっとも重要であるかのように。私は物理学が好きである。物理学はそれを通じてわれわれがさらに見ることのできる窓を開けひろげてくれるからだと思う。それは、家に入ってくる新鮮な空気の感覚を、私に与えてくれるのだ。

Carlo Rovelli『REALITY IS NOT WHAT IT SEEMS: THE JOURNEY TO QUANTUM GRAVITY』(Riverhead Books, 2017) ※日本語訳はブログ著者


たしかに、人類はじぶんたちのことで頭がいっぱいなようだ。ぼくも、歴史を学び、心理学を学び、哲学を学び、宗教を学んでいる。「物理学」も、見方によっては、「われわれ」のことである。「われわれ」を知る方法のひとつでもある。(また、「人間」を知るためには、「人間だけ」の視点をこえることが大切であると、ぼくは思う。)

でも、Carlo氏が書くように、それは「家に入ってくる新鮮な空気の感覚」を与えてくれる。その「新鮮な空気」の感覚を、ぼくも身に覚えながら、この本を読みたくなるのだ。


それから、本を読みすすめていけばわかるように、Carlo氏は歴史や哲学などにも広い関心と知識を有している。そんなCarlo氏は、つぎのようにも書いている。


… The more we learn about the world, the more we are amazed by its variety, beauty, and simplicity.
 But the more we discover, the more we understand that what we don’t yet know is greater than what we know. …

…世界について学べば学ぶほど、その種類や美やシンプルさにますますおどろかされる。
 けれども、われわれが発見すればするほど、われわれはいっそう理解することになる。われわれがまだ知らないことは知っていることよりもずっと大きいのだということを。

Carlo Rovelli『REALITY IS NOT WHAT IT SEEMS: THE JOURNEY TO QUANTUM GRAVITY』(Riverhead Books, 2017) ※日本語訳はブログ著者


われわれがまだ知らないことは知っていることよりもずっと大きいのだ、と彼は書いている。

ぼくもおなじように感じる。日々学べば学ぶほどに、知らないことの大きさに圧倒されてくるように感じるのだ。


「まえがき」はこんな具合に書かれている。もちろん、どのような本か、それから対象とする読者に言及されている(ぼくのように、物理学をほとんど知らないか、まったく知らない読者が対象とされている)。

本に「何」が書かれているのか、ということは大切なことだけれども、最近ぼくは、「誰が」書いているのか、ということを大切にしている。

初めて読む著者の本であっても、「まえがき」を読みながら、そこでは<誰>が書いているのかということを、ぼくは知ろうとする。

その<誰>ということに関心と信頼を寄せながら、ぼくは、読む本を手にとる。その本が物理学の本であったとしても。

こんなふうにして、ぼくは、Carlo Rovelliの著作『REALITY IS NOT WHAT IT SEEMS: THE JOURNEY TO QUANTUM GRAVITY』を手にとった。

読みはじめたところだけれども、「新鮮な空気」が流れいるのを、ぼくはすでに感じている。

詳細を確認
成長・成熟, Jun Nakajima 成長・成熟, Jun Nakajima

「定住と遊動」のこと。-「定住革命」(西田正規)の視点から、「遊動の衝動」をまなざす。

「人間の根源的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根をもつことの欲求だ」。真木悠介は、かつて、名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)の本編のさいごのほうに、このように記した。

「人間の根源的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根をもつことの欲求だ」。真木悠介は、かつて、名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)の本編のさいごのほうに、このように記した。

「翼をもつこと」だけでなく、「根をもつこと」の欲求。「根をもつこと」だけでなく、「翼をもつこと」の欲求。いずれもが<人間の根源的な欲求>であると、人間の欲望・欲求の構造を徹底的に探求してきた真木悠介は書いた。

「根をもつ」という定住のあり方が、現代の人間社会のデフォルト的な様態である。そこに、ひとびとの「物語」が生成し、語られ、そうしていっそうデフォルトの状態が強化される。

けれども、現代社会がゆるぐなかで、より自由な、さまざまな生きかたが模索されてきている。


そのような問題関心において、ぼくは、西田正規『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫、2007年)を読む(もともとは、新曜社から1986年に発刊され、絶版になっていた)。

「定住」というあり方に距離をおいて、移動をくりかえす「遊動」との比較のなかで、「定住革命」という視点を導入しながら、定住と遊動をとらえなおす。


 不快なものには近寄らない、危険であれば逃げていく。この単純きわまる行動原理こそ、高い移動能力を発達させてきた動物の生きる基本戦略である。

 ある時から人類の社会は、逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えたのである。この変化を「定住革命」と呼んでおこう。およそ一万年前、ヨーロッパや西アジア、そしてこの日本列島においても、人類史における最初の逃げない社会が生まれた。

西田正規『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫、2007年)


「不快なものには近寄らない、危険であれば逃げていく」という、生きる基本戦略は、いわば「初期設定」として、また生きられてきた時間の長さと深さとしても、人の身体の奥深くに刻印されているのだろう。

そこに「定住革命」が起こる。まさに「革命」である。

「動物に脳がつくられた理由というのは、遺伝子レベルでは間に合わないことをするため…つまり、環境に適応するため」と養老孟司は語っているけれど、人間(ホモ・サピエンス)の「脳」は、「初期設定」である生きる基本戦略でさえも、比較的みじかい期間で、のりこえてしまう。

定住に伴って現れてきた現象、食料生産の開始、都市の発生と発展、社会の分業化・階層化などは、「脳化社会」(養老孟司)ともあわせて、考えてみることができる。


西田正規の「定住革命」の視点でおもしろいのは、定住生活は「遊動生活を維持することが破綻した結果として出現した」という視点である。

食料生産などの活動による経済的能力の向上などに定住生活の出現をみる見方とは、逆転した見方だ。つまり、「定住がデフォルト」(定住が望まれることもあたりまえ)という見方ではない視点を、西田正規は、人類史のなかに位置づけ、そこから定住と遊動をとらえかえしている。


そんな西田正規の、「ノマド」(遊動民)に対する見方もおもしろい。


 逃げない社会のなかにあっても、人々が逃げる衝動を完全に失ったわけではないだろう。定住社会の間隙を縫ってすり抜けるノマド(遊動民)たちは、その後も絶えたことはなく、また、定住社会における不満の蓄積は、しばしばノマドへの羨望となって噴出する。だからこそ定住社会は、ノマドの衝動をひたすら隠し、わけもなくノマドたちに蔑視のまなざしを投げ、否定し続けてきたのであろう。

西田正規『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫、2007年)


1980年代に書かれたこの文章であるが、歴史はその後、情報通信テクノロジーの発展を支えとしながら、「ノマド」的なライフスタイル/ワークスタイルを積極的に選びとり生きる人たちを目撃してきている。

そのような人たちへのまなざしは、いまだ、「定住者会」のまなざしから脱却していないようにもみえる。まなざしも、それから社会システムも、いまだ、移行途中だ。

そんななかで、「定住革命」の視点もとりいれながら、ぼくは、じぶん自身の内奥にひそむ「遊動の衝動」へと、<ポジティブなラディカリズム>の姿勢で、まなざしを投げかける。

詳細を確認
書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima

1910年代から1920年代生まれの先達に、ぼくはなぜかひかれる。- 串田孫一にふれながら。

2019年は思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作を読もうと、2018年の終わりちかくに、ぼくは思うことになった。年始にさっそく鶴見俊輔の著作を手にいれ、読みだしたら、一気に脱線してしまった。著作のなかで鶴見俊輔がふれる人たちを、そのたびごとに追っていたら、まったく進まなくなってしまったのだ。

2019年は思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作を読もうと、2018年の終わりちかくに、ぼくは思うことになった。年始にさっそく鶴見俊輔の著作を手にいれ、読みだしたら、一気に脱線してしまった。著作のなかで鶴見俊輔がふれる人たちを、そのたびごとに追っていたら、まったく進まなくなってしまったのだ。

でも、それが「鶴見俊輔」という先達の魅力のひとつでもあるように、ぼくは感じるようになる。

そのあと、ふしぎなことのように、ぼくは、鶴見俊輔と同じくらいの年代に生まれた先達たちの著作に、なぜか、とても惹かれるである。

1910年代から1920年代くらいに生まれた人たちの書くことばにである。


ここのところ、串田孫一(1915-2005)の著作(『知恵の構造について』)にはじめてふれてみて、その文体と思索にひきこまれている。

串田孫一のことを知ったのは、もう20年以上まえのこと。作家の辺見庸の対談相手のひとりとして、串田孫一が選ばれていた。経歴をみると、当時ぼくが通っていた大学の教壇に立っておられたこともあるようで、いっそう、ぼくの印象に残っていた。

それから20年以上が経って、ぼくは、ふと、串田孫一の著作を読みたくなったのだ。少しまえに読んでいた、辺見庸の著作(『水の透視画法』)にも、串田孫一との対談の思い出が書かれていたことに、触発されたのかもしれない。

辺見庸は、串田孫一を「なんとよべばよいのか」と自問している。哲学者、詩人、エッセイスト、翻訳家、アルピニスト、画家など、どれもぴんとこない。「職業名」があてはまらないのだ。辺見庸は、結局のところ、尊称としての「ひと」と、串田孫一をよんでいる。

そのように<ひと>としかよぶほかないような人物に、ぼくは惹かれたのかもしれない。


『知恵の構造について』(角川文庫、1969年)のさいしょのほうから、ひきこまれてしまう。


 私は今日ひるすぎから、あることを考えはじめて、それを帳面に書きつけたり、ぼんやりと目をつぶっていたりしていましたが、どうにも抜けられない溝のようなところへ落ちこんでしまうので、夜になってから、ひさしぶりに望遠鏡を近くの草原に持ち出して、ついさっきまで、星をのぞいていました。…

串田孫一『知恵の構造について』(角川文庫、1969年)


それから星の世界にひたり、帰り道に近所の家から聞こえてくるピアノの音(ショパンの「エチュード」)にひかれ、その音にみちびかれた想像はひろびろとした花園を舞う蝶のイメージと思い出をひらいてゆく。

やがて机にもどってきた串田孫一は、つぎのように、書き継いでゆく。


 私はこんなことをして、昼間のうち少しいじめつけてしまった思考に、きれいな星のひかりや、なごやかな調べや、それに蝶の翅からあざやかな色などをそそぎこんで、だいぶこころよい気分をつくりあげることができました。
 私はひとになんと言われても、自分が、こうしたこころよい気分にひたっていられるときは、何ごともうまくできますし、自分の過去に積まれている苦悩も、ごく自然に整理されてゆくので、これは尊いときだと思います。…

串田孫一『知恵の構造について』(角川文庫、1969年)


こんなふうに思索がつづられている。ぼくは、なぜか、とても惹かれてゆくのである。


気がつくと、1910年代から1920年代くらいに生まれている先達たちである。

鶴見俊輔(1922-2015)はもとより、鶴見俊輔の著作でふれられている、著書『ゲド戦記』で知られるアーシュラ・K・ル=グルヴィン(1929-2018)。最近ふと著作に出会い読んでいる、ユング派の分析家Robert A. Johnson(1924-2018)。それから、串田孫一(1915-2005)。

これまでも読んできていたけれど、いっそう惹かれる、整体の野口晴哉(1911-1976)も1911年に生まれている。

ここで「理由」については立ち入らないでおこうと思う。そんなにかんたんにくくりだすことをしたくないし、また、ぼくの個人的な理由が大半かもしれないから。

でも、ぼく「個人」をとおして、この現代だからこそ求められるものも見えてくるかもしれない。あるいは、この現代において、ぼくと同じように、1910年代から1920年代くらいに生まれている先達たちに触発されている人たちがいるかもしれない。

そんな感覚につきうごかされて、ぼくは、こんなブログを書く。

詳細を確認
書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima

「捨てる時に、大切な本に出会える」(中谷彰宏)。- 「本」との関係をみなおすこと。

片づけコンサルタントであるMarie Kondo(近藤麻理恵、こんまり)の「KonMari Method」という方法が、2019年、Netflixで配信されているリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』によって、再度脚光を浴びている。

片づけコンサルタントであるMarie Kondo(近藤麻理恵、こんまり)の「KonMari Method」という方法が、2019年、Netflixで配信されているリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』によって、再度脚光を浴びている。

脚光を浴びることで(脚光を浴びれば浴びるほどに)、もちろん「批判」的なコメントも寄せられる。そのなかに「本」の片づけをめぐる意見も錯綜していた。メディアの記事やSNSの投稿がいりまじり、ちょっとした言葉の捉え方や「解釈」(言っていないことを読みかえてしまうことを含め)はさまざまであることを感じる。

でもなにはともあれ、最後は「自分」がどうしたいかである。ぼくはそう思う。


ぼくは、かつて「本を捨てるなんて…」と思っていたこともあるし、「Book Lover」であるけれども、紙の本は長い時間をかけて減らしてきた。「KonMari Method」のように「一気に」ではないけれど、じぶんなりの仕方で、何年もかけて、徐々に、徐々に。

その代わりに電子書籍を増やしている。紙の本で残っているのは、ぼくにとってのバイブル的な本たち(多くは電子書籍にもなっていない本たち)である。それらのほとんどが、社会学者である見田宗介=真木悠介の著作である。

この20年ほどを共にしてきた本たちである。


「本を片づける(捨てる)」ということをすすめてゆくうえで、「柱」としてきた考え方・見方のひとつに、「断捨離」で知られる、やましたひでこの考え方・見方があった。


 男性にも、女性にも、それぞれ、ため込みがちがちなモノがあります。
 特に、男性は、プライドを大事にする生き物。「自己重要感」を満たしてくれるモノ、「自分はすごい!」とアピールできるモノを抱え込みがちです。

やましたひでこ『大人の断捨離手帖』


やましたひでこが挙げる例は、「コレクター商品」「ネクタイ」「本」。このうちの「本」を抱え込む背景には、「知識コンプレックスが潜んでいる可能性がある」と、やましたひでこは書いている。「知識があるオレ」とか「デキる男」とか「かしこい自分」等々。

じぶんを振り返ったとき、そのような一面はあると思いつつ、また、この「世界」に対峙してゆくための武器のような安心感も感じたのである。

でも、蔵書として残す必要はなく、学んだことはこの心身に残してゆけばよいと、さらには紙の本というもの(知識の「かたち」)に「執着」しないようにと、ぼくは徐々にだけれど、紙の本を手放してきたわけである。無理をせず「自炊」もしながらだけれども。


それから、作家の中谷彰宏の著作『なぜランチタイムに本を読む人は、成功するのか。』(PHP研究所、2016年)には、64項目にわたる「人生が変わる読書術」が書かれている。そのひとつに「捨てる時に、大切な本に出会える」という方法が共有されている。

「蔵書」を限りなくゼロに近づけ、「思い出の本」(=メモリアル)だけを残す。


蔵書を持つのは発展途上の時代です。
捨てる時に、大切な本に出会います。
とっておくと、埋もれていきます。
とっておきたい本は、大学生ぐらいの時に買った本です。
そのあとも、面白い本には出会いますが、とっておくほどではないのです。
これがメモリアルとの違いです。

中谷彰宏『なぜランチタイムに本を読む人は、成功するのか。』(PHP研究所、2016年)



トータルにして100冊にも満たず、ボロボロになったメモリアルの本だという。

それにしても、「捨てる時に、大切な本に出会える」という仕方に、ぼくはひかれるのである。「捨てる時に、大切な本に出会える」。とてもすてきな言葉だ。「捨てる」という時に本を捨てるのだけれども、ほんとうはなにを<捨てる>のだろうと、じぶんに問うてみることもできる。

この本に書かれている、その他の「工夫」にも触発されながら、ぼくは、本を徐々に減らしてきたのである。

いまのこっている本、見田宗介=真木悠介の本は、確かに大学生ぐらいの時に買った本であり、「メモリアル」でもある。日々、読んでいる本である。これらの本を含めトータルでは60冊くらいのところに、ぼくはいる。

電子書籍の本棚はいっぱいにあるけれども、ぼくは、とても自由な気持ちを感じている。


それにしても、本の書き手たち、著者たちはどう思うだろうか、とも思う。いろいろな本があるし、なかには本を大切にしてほしいとも思う人たちもいるかもしれないけれども、それ以上に、読み手の人たちの生の明かりをいっそう明るく灯し、読み手の人たちが行動するための、あるいは生きてゆくためのインスピレーションとなってくれることを望んでいるのだと思ったりする。

本が「とっておかれる」ことではなく、ことばをとおして、人や世界が「変わってゆく」ことを。

詳細を確認
成長・成熟, 書籍 Jun Nakajima 成長・成熟, 書籍 Jun Nakajima

人生の前半と後半、中年(midlife)の危機/機会。- 最近よく考えていることの「メモ」。

最近よく考えていることのひとつとして、「人生の前半と後半」ということがある。もう少し焦点を当てるとすれば、「中年の危機」(midlife crisis)ということである。

最近よく考えていることのひとつとして、「人生の前半と後半」ということがある。もう少し焦点を当てるとすれば、「中年の危機」(midlife crisis)ということである。

ひとつには、じぶんがそのような「人生の時間/時期」にいるからである。

でも先に述べておけば、ユング派の分析家Robert A. Johnson(1924-2018)が書いているように、「中年の危機」(midlife crisis)というよりも、「中年の機会」(midlife opportunity)というように捉えていきたい。

ところが、じっさいにその中にいるとその中にいることは感じるのだけれど、だからなのか、じぶんの内面の風景がくもってしまって、よく見えない。

だから、ここ数年来、河合隼雄などによる著作で触れてきたこのテーマを、もっと深く理解し、今のじぶんの生きかたにつなげていけたらよいと思っていたところ(テーマの「アンテナ」を張っていたところ)、上述のユング派の分析家、Robert A. Johnsonの著作に出会うことができた。

その出会いに心を揺さぶられ、その「勢い」でこのブログを書いているようなところがある。「勢い」で書いているようなところがあるだけで、このブログはこのテーマの深さにきりこんでゆくものではないけれども、もっと(適切な仕方で)語られてもよいと思うこのテーマへと関心の光をあてておきたい。

あるいは、このブログを読んでくれる人たちのなかに、共通のテーマを切実に(また同時に、楽しく)追っている人がいるかもしれない。心を揺さぶる「こんな本があるよ」と、それだけでも伝わるかもしれない。

そんなことから、よく考えていることの「メモ」として、ぼくはこうして書いている。


まずは「メモ」(「メモ1」程度)として、Robert A. Johnson(Jerry M. Ruhlとの共著)の著作を挙げておこうと思う。


“Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007) 

By Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D.


序文は次のように始まっている。


 In the first half of life we are busy building careers, finding mates, raising families, fulfilling the cultural tasks demanded of us by society.  The cost of modern civilization is that we necessarily become one-sided, increasingly specialised in our education, vocations, and personalities.  But when we reach a turning point at midlife, our psyches begin searching for what is authentic, true, and meaningful.  It is at this time that our unlived lives rear up inside us, demanding attention. 

 人生の前半においては、われわれは、キャリアを築いたり、仲間を見つけたり、社会によって要求される文化的な課題を果たすことに忙しい。近代の文明の代償とは、われわれが、教育や仕事や性格においてますます特化していきながら、やむを得ず一面的になることである。けれども、中年(midlife)のターニングポイントに到達したとき、われわれの精神(psyches)は、真の(authentic)、真実の、また意味のあるものを探しはじめる。われわれの生きられなかった生(unlived lives)がわれわれのなかで、注意・注目を要請しながら心をかきみだすのは、このときである。

Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D.  “Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007)   ※日本語訳はブログ著者



ここで書かれれている「人生の前半/(中年)/後半」は、カール・ユング(Carl Jung、1875-1961)が早くから言っていたことを、ユング派の分析家として継承している。

人生の前半と後半では、それぞれに人間にとっての意味が異なってくる。「中年(midlife)」のターニングポイントでは、そのトランジションの課題に直面してゆく。中年の「危機」でありながら、「機会」である。

Robert A. JohnsonとJerry M. Ruhlは「生きられなかった生(unlived life)」という視点で、「人生の前半/(中年)/後半」をわかりやすく、またセラピストとして読者に投げかける質問を盛りこみながら語っている。

中年の「危機」の現れを、たとえば、つぎのように書いている。


  The unchosen thing is what causes the trouble.  If you don’t do something with the unchosen, it will set up a minor infection somewhere in the unconscious and later take its revenge on you.  Unlived life does not just “go away” through underuse or by tossing it off and thinking that what we have abandoned is no longer useful or relevant.  Instead, unlived life goes underground and becomes troublesome - something very trouble some - as we age. 

  When we find ourselves in a midlife depression, suddenly hate our spouse, our job, our life - we can be sure that the unlived life is seeking our attention.  When we feel restless, bored, or empty despite an outer life filled with riches, the unlived life is asking for us to engage. 

 選ばれなかったことがトラブルを引き起こす。あなたが選ばれなかったことに何もしないのであれば、それは無意識のどこかに軽度の感染(infection)をつくりだし、のちにあなたに復讐するだろう。生きられなかった生は活用されなかったことで、あるいは振り落とし、われわれが見捨てたものはもう有益ではない/関連しないと考えることによって「消え失せる」ものではない。そうではなく、生きられなかった生は地下に潜伏し、年を重ねるにつれ厄介なものーとても厄介なものーとなる。
… 
 中年(midlife)において鬱になったり、突然配偶者や仕事や自分の人生が嫌になったりするとき、生きられなかった生が注意・注目を求めているのだと、確実にいうことができる。そわそわしたり、飽きたり、外面の生活が豊かさでいっぱいにもかかわらず空虚さを感じたりするとき、生きられなかった生が、われわれに関わることを求めているのである。

Robert A. Johnson and Jerry M. Ruhl, Ph.D.  “Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life” (Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007)  ※日本語訳はブログ著者



ところで、「中年の危機」ということを見るときには、つぎの点については、一歩下がって見るようにしたい。

●「中年」(midlife)という時期

●「危機」の現れ方

「中年」(midlife)という時期については、人生100年時代をむかえているなかにあっては、時期の範囲がひろがるのかもしれない。

心理療法家の諸富祥彦は、人生の午前(前半)と午後(後半)を分かつ「人生の正午の時間」は、日本の平均寿命がのびるにつれてだいぶ後ろ(40代から50代、3割くらいは還暦後)にずれてきたことを、実感として語っている(『「本当の大人」になるための心理学』集英社新書)。

「人生100年時代」においては、これまでの「教育→仕事→定年」という人生経路がいろいろに変わってゆくため、その変化とあわせても、中年という時期の範囲には注意をしておきたい。

また、「危機」の現れ方も、もっと多様化してゆくかもしれない。

そんなことに注意しながら、「中年の危機」(midlife crisis)という、ある意味でよく語られてきたけれど、ある意味で語りつくされていない(生きかたにあまり反映されていない)ことを、Robert A. JohnsonとJerry M. Ruhl、またユングや河合隼雄などの知見もまじえながら、ぼくはじぶんの「中年」と照らし合わせながら、考えている。

「メモ」ということで、ひとまずこのあたりで。

詳細を確認
香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港の「西多士」(フレンチトースト)。- 「西多士」に教えられて。

香港に住みながら、長いあいだ、存在を知りながら食べてこなかったもののひとつに、「西多士」がある。香港式の「フレンチトースト」である。

香港に住みながら、長いあいだ、存在を知りながら食べてこなかったもののひとつに、「西多士」がある。香港式の「フレンチトースト」である。

食べてこなかった理由としては、見た目とても油っこく、また甘すぎるようであったからだろうか。同じ理由で、つまり油っこくて、甘いものを好んで食べることもできるのだろうけれど、長いあいだ、ぼくの身体は、そのようなものを積極的に欲してこなかったようだ。

ちなみに、香港式のフレンチトーストは油で揚げられたものだ。そんな油で揚げられたフレンチトーストに、バターやシロップや練乳などをかけて食べることになる。このトッピングは、店によって異なってくる。

そんな「様子」だから、ぼくは香港のフレンチトーストから、適度な距離をおいていたのだ(短期旅行で来たら、ふつうに試していたかもしれないけれど)。


でも、あるとき、意を決して(というほどでもないけれど)、注文してみた。香港の「ティータイム」のセットメニューとしてフレンチトーストがあり、セットには飲み物が含まれるから、これまた香港式のミルクティーを注文する。

テーブルに運ばれてくるや、いかにも油っこく、さっそく口にしてみて、やはり油っこく、甘い。それでも、「なかなかいけるかも」と思ったりもしながら食べる。毎日は食べることができないだろうけれど。

この日の「体験」が、つぎにつながってくる。

今度は、麺の老舗に麺を食べに行ったときに、その「つぎ」がやってきた。麺だけでもよかったのだけれど、メニューに掲載される「西多士」の大きな写真が目に入ってきて、「試してみよう」と、注文する。

すると、「◯◯分ほど時間がかかるよ」とお店のおじさんは去り際に告げてゆくのであった(たしか、15分か20分かと言われたのだと思う)。「速さ」をデフォルト設定とする香港においては、それなりの理由があって「時間がかかるよ」の言葉につながっている。

ほどなくして、シロップが先にやってきて、麺が運ばれてくる。店内は人でいっぱいだ。それから麺を食べ終わるころ、時間がかけられた「西多士」がやってくる。バターがのっていて、見るからに油っこい。

でも、切り分けられた「西多士」の一片を口にして、「おやっ」と思う。見た目ほどに油っこくないのだ。そしてそれ以上に感じたのは、おいしさであった。これはおいしい。

この発見の日から日をあけて、もう一度、この「西多士」を食べたが、やはりおいしいのであった。

「西多士」をつくりつづけるおじさんは、何年、この西多士をつくりつづけているのだろうかと、ぼくの想像がふくらんでゆくほどに、そこには「なにか」が感じられるのであった。


それにしても、香港の「西多士」には、いろいろと教えられた。

●「見た目」にとらわれないこと
● じぶんの「偏見」を脱してみること
●  多様性にひらかれること
などなど。

「見た目」(油っこい)にとらわれて、ぼくは距離をおいてしまっていた。現代の文明は「視覚」に支配される文明だ。「じぶん」という主体を危険にさらすことなく、目で客観的に判断するという具合に、五感のなかでもっとも「安全」を確保しやすい感覚である。

「見た目」は大切だけれども、ときに、うちやぶることが必要だ。

じぶんで「試してみること」で、じぶんで勝手につくってきた「偏見」を、ときに脱することができる。一度でダメでも、二度目(またそれ以降)に、脱する/うちやぶる瞬間がやってくるかもしれない。

そこには、「多様性」(「西多士」といってもほんとうに多様だ!)に充ちた世界がひろがっているのを見つけ、より「世界」がひろがってゆく。

ただの「西多士」とあなどるなかれ。

そして、ボーナスポイントとしてぼくが得たのは、じつは、ぼくは小さいころ「フレンチトースト」がとても好きだったことを思い出したこと。

香港の「西多士」とは異なるけれども、あるとき、ぼくはそれこそ毎朝、フレンチトーストを食べていたときがあった。ときには、じぶんでつくったりもしていた(でも、あるとき、フレンチトーストを食べることがぱったりととまってしまった。いつ、どのように、なぜなのか、ぼくにはわからない)。

<じぶんがとても好きだったものを思い出す>というのは、祝福に充ちた体験だ。

詳細を確認
書籍 Jun Nakajima 書籍 Jun Nakajima

作家の橋本治からの「宿題」(仮想的宿題)。- ぼくの本棚にならんでいる5冊から。

2019年1月29日、作家の橋本治さんが亡くなられた。

2019年1月29日、作家の橋本治さんが亡くなられた。

ぼくが橋本治の著作を読み始めた直接的なきっかけは、思想家・武道家である内田樹が橋本治を語っているのを読み、またお二人の対談本(『橋本治と内田樹』)を読んだことであった。日は浅く、2018年のことである。また、橋本治さんが亡くなられたのを知ったのも、内田樹のホームページ(「内田樹の研究室」)に掲載された「追悼」のブログからであった(「追悼・橋本治」「追悼・橋本治その2」「追悼・橋本治3」)。

ぼくの本棚(とはいっても、電子書籍の本棚)には、まるで橋本治さんに「宿題」をいただいたかのように(まだすべて読めていない本棚の本を読むという「仮想的宿題」をいただいたように)、橋本治の著作が5冊ならんでいる。


● 『九十八歳になった私』(講談社、2018年)
● 『これで古典がよくわかる』(筑摩文庫、2001年←ごま書房、1997年)
● 『21世紀版 少年少女古典文学館第一巻:古事記』(講談社、2009年)
● 『生きる歓び』(角川文庫、1994年)
● 『上司は思いつきでものを言う』(集英社新書、2004年)


『九十八歳になった私』と『生きる歓び』は小説であり、『21世紀版 少年少女古典文学館第一巻:古事記』は古典で『これで古典がよくわかる』は古典の解説。さらに、『上司は思いつきでものを言う』は、社会論でもありながら、ビジネス書として読める。

ぼくの本棚のたった5冊だけを見ても多岐にわたり、自由に「境界線」をふみわたってゆくさまが見てとれる。

ぼくは橋本治をずっと読んできたわけではないし、多岐にわたる著作群の片隅にふれたぐらいだけれども、自由に「境界線」をふみわたってゆくありようにひかれてきたのだと思う。ただたんに自由に「境界線」をふみわたってゆくのではなく、そこには「人」というもの・ことに向けられる洞察がみちあふれている。

『九十八歳になった私』で、2046年、東京大震災を生き延びた元小説家の「私」を描くときも、それから古典作品を語るときも、さらには「日本のサラリーマン」や「上司」ということにきりこんでゆくときも、いつだって、「人」への透徹したまなざしが感じられるのである。

5冊のぜんぶを読みきっていなくても、ぼくはそのように思う。

なお、人事コンサルタントをしてきたぼくが見ても、『上司は思いつきでものを言う』は、今でも読まれるべき作品だと思う(※ブログでこの作品を取り上げようと思いながら、内容と論理が見かけ以上に深く、なかなか書けないでいる)。


ぼくを「橋本治」につないでくれた内田樹は、「追悼・橋本治」のブログで、つぎのように書いている。


私にとっては20代からのひさしい「アイドル」だった。最初に読んだのは『桃尻娘』で、「こんなに自由に書くことができるのか」と驚嘆して、それからむさぼるように、橋本さんのあらゆる本を読み漁った。…
橋本さんにははかりしれない恩義を感じている。
なにより「これくらい自由にやっても平気」ということを教えてくれたことである。
いわば、橋本さんが地雷原をすたすた歩いていって、振り返って「ここまでは平気だよ。おいで」と言ってくれたようなものである。
橋本さんの通った後なら大丈夫。あそこまでは行っても平気というのは後続するものにとってはほんとうに勇気づけられることだった。

内田樹「追悼・橋本治」、Webサイト「内田樹の研究室」


内田樹にとって「これくらい自由にやっても平気」ということを教えてくれる先達(mentor)の存在であったという橋本治。たしかに、どんなことにおいても、「これくらい自由にやっても平気」ということを教えてくれる先達がいたら、ほんとうに勇気づけられるだろうと思う。


そんな「足跡」をたしかめるためにも、まるで橋本治さんに「宿題」をいただいたかのようにぼくの本棚にならんでいる橋本治作品を、ぼくはひらく。

詳細を確認
言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

「しんじつだけが…」(相田みつを)。- 虚構の時代における<しんじつ>の響き。

詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)。相田みつをの書く詩はシンプルであるとともに、書かれた文字は心の深いところにはいってゆく。


詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)。相田みつをの書く詩はシンプルであるとともに、書かれた文字は心の深いところにはいってゆく。

シンプルであることは必ずしも「簡単」ということではないけれども、じつは<簡単>でもある。「生きる」ことの核心は<簡単>でありつつ、しかし、実際には、複雑になってしまっていたりする。

そんなふうに書かれた、相田みつをの「書」に、ぼくはひかれる。


じぶんの心をひらいて、すーっと、うけとってみる。

「意味」を掘り下げ、じぶんの<生きるという経験>をうつしだす鏡としてみる。

あるいは、「意味」を横におき、書かれた文字ひとつひとつの強弱や大きさ、流れや空間を、ひとつひとつの文字を「なぞる」ことで追い、そこに心の機微を感じとってみる。

そんなとき、じぶんの心が、どのように「動く」か、あるいは「動かない」か、を、観てとる。


しんじつ
だけが魂を
うつ

みつを

ポストカード「相田みつを美術館」


相田みつをの他の書「夢中で仕事をしているときは…」とくらべると、「しんじつだけが…」の文字たちには、だれもがみてとるように、そこに激しさのようなものが現れている。

ひとつひとつの文字を心のなかで「なぞる」と、いっそう、情感が感じられる。

「しんじつ」が、<魂>としか呼ぶことのできないような領域を「うつ」経験に揺さぶられる情景が見えるとともに、いっぽうで、このことばの「見えないところ」(背後に、余白)に、「しんじつではないもの・こと」の経験がいっぱいに重ねられてきたように、ぼくには見える。

「しんじつではないもの・こと」の経験、それらがじぶんの言動であれ、他者たちの言動であれ、社会の状況であれ、そのような苦い経験がまるで<土壌>となって、書の文字を力強く「芽」立たせている。

高度経済成長後の日本を特徴づけてきた「虚構の空間・虚構の時代」(見田宗介)。日本だけにかぎらず、高度産業社会を特徴づけてきた「虚構性」である。

そんななかにあって、「しんじつ」は、どのように語られるか。

相田みつをのことばは、ぼくにとっては、この虚構性をいっきにつきやぶるようにして、きこえてくる。

詳細を確認
言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

「夢中で仕事をしているときは…」(相田みつを)。- 仕事、本当の自分、しあわせ、のこと。

詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)。

詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)。


夢中で
仕事をしている
ときは自分を
忘れる
自分を忘れて
いるときの自分が
本当の自分で
一番充実して
しあわせなときだ

みつを

「相田みつを美術館」ポストカードより

相田みつをの詩は、そのことばは、すーっと、じぶんのからだにはいってくる。そんなふうに感じることができる。

東京の「相田みつを美術館」で購入したポストカードのことばは、厳選されたことばたちである。

ただのポストカードといえばポストカードなのだけれども、それを手にとり、触れながら読んでいると、じぶんの内側から力が湧いてくるような感覚を得る。

手元に8枚ほどあるポストカードはどれも、それを手にするときそれぞれの心境によって、心に響くその響きかたが変わってくる。


昨日手にとって「響いた」ことばのうちのひとつが、冒頭のことばである。

相田みつをが書くことば(文字)にときおり見られる「力強さ」や「揺れ」などは特段みられず、どの文字も比較的整い、どこか淡々と書かれている(ように見える)。

でもそのことがかえって、ここで語られることをいっそう浮かびあがらせているようだ。自分を忘れる夢中であるさまが、書かれる文字に現れている。


そのような書かれることばのなかに、「仕事」のこと、「本当の自分」のこと、それから「しあわせ」のことの核心が、深くもりこまれている。

これだけのことばのなかに、これらの<核心>が、絶妙な仕方で凝縮されている。

そして、これら、仕事、本当の自分、しあわせをつらぬく芯は、<夢中である>こと、つまり<自分を忘れる>ことである。

あるひとは首をかしげるかもしれない。「自分を忘れているときの自分が本当の自分」とは、状況が逆さではないか、と。「本当の自分」とは、自分を忘れる仕方とは逆に、自分という主体を明確に形づくったとき、あるいは自分を明確に見つけたときなどの「自分」ではないかと思いながら。

ぼくは、相田みつをのことばに深く共感する。「自分を忘れているときの自分が本当の自分」であり、「一番充実してしあわせなとき」であることに。

詳細を確認
野口晴哉, 身体性 Jun Nakajima 野口晴哉, 身体性 Jun Nakajima

「空には音楽が満ちている」(野口晴哉)。- <感ずる者の心>のほうへ。

整体の創始者といわれ、体を知り尽くしていた野口晴哉(1911-1976)が感じていた「世界」。

整体の創始者といわれ、体を知り尽くしていた野口晴哉(1911-1976)が感じていた「世界」。


感ずる者の心には、感じない者の見る死んだ石でも、お月さまとして映る。
太陽も花も自分も、一つの息に生きている。
道端の石も匂い、鳥も唱っている。
感ずることによって在る世界は、いつも活き活き生きている。
見えないものも見える。動けないものも動いている。
そしてみんな元気だ。空には音楽が満ちている。

野口晴哉『大絋小絋』(全生社、1996年)


エッセイ集『大絋小絋』のなかに、無題で、収められている。エッセイというより、詩である。

ここにはとくに解説もいらない。

空には音楽が満ちている。

こんな<感ずる者の心>へと、じぶんの感覚を研ぎ澄ましてゆきたい。


テクノロジーは、人間の「感覚器官の拡張」だ。かつて、マクルーハンが書いたことであり、今でも、メディアなどでその表現を見ることがある。

スマートフォンも、インターネットも、望遠鏡も、飛行機も。さまざまなテクノロジーは、人間の感覚器官を、古代の人たちが思ってもみなかった仕方で拡張してきた。

ほとんどの人たちがテクノロジーの恩恵を受けて生きている。

けれども、はたして、テクノロジーによって、「空には音楽が満ちている」と感ずることができるようになるだろうか。

と、考えてみる。


テクノロジーは、空に音楽が満ちている「ような」映像を編集して見せてくれるかもしれない。

編集された映像は、「空には音楽が満ちている」というイメージを、たとえば空を見る見方として、教えてくれるかもしれない。

けれども、野口晴哉が書くような「太陽も花も自分も、一つの息に生きている」という深い感覚と一体感を、それは約束してくれない。

それは、テクノロジーによって「外部へと拡張」していく仕方ではなく、いわば、じぶんの「内部への拡張」という仕方で、感官を研ぎ澄ましてゆくことによってであると思う。

じぶんの「内部への拡張」とは、内部へと閉じこもることではない。

そうではなく、それは外部に向かってひらかれるための方法。空に満ちている音楽を聴くための方法である。

詳細を確認
村上春樹, 音楽・美術・芸術 Jun Nakajima 村上春樹, 音楽・美術・芸術 Jun Nakajima

村上陽子の写真。- 村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』所収の、なぜかひかれる写真たち。

ふだんは「猫」を見ることがあまりない香港の街角で、猫に出会う。カメラを向けると、瓶のうえにすわっている猫は、まったく動じずに、ぼくのほうにただ目を向ける(ブログ「「猫」のいる、香港の風景。- 「猫があまり見られない」環境のなかで、猫に出会う。」)。

ふだんは「猫」を見ることがあまりない香港の街角で、猫に出会う。カメラを向けると、瓶のうえにすわっている猫は、まったく動じずに、ぼくのほうにただ目を向ける(ブログ「「猫」のいる、香港の風景。- 「猫があまり見られない」環境のなかで、猫に出会う。」)。

この一連の動作のなかで、ぼくの念頭に浮かんでいたのは、村上陽子さんの写真たち。

村上陽子。小説家である村上春樹の奥様である。

村上春樹のエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)という、とても美しい本の「美しさ」は、この本に収められている村上陽子の写真たちによるところも大きい(※カバー写真のクレジットは「村上陽子」とあり、まえがきで「妻の写した写真を眺めながら」と書かれているから、カバー写真のほかの写真も「村上陽子」と思われる。仮にカバー写真だけだったとしても、美しい写真だとぼくは思う)。

ウィスキーをめぐるスコットランドとアイルランドの旅。その旅路で出会う猫たちの写真。猫たちだけでなく、渡り鳥や牛たちや羊たちなど。人や建物や自然に加えて、動物たちが、よく撮られている。本の表紙は、アイルランドのバーの、「ギネス」という名の犬が飾っている。

とりわけ「すごい」写真ではないのだけれども、村上陽子の写真にぼくはひきつけられる。「なぜか」なんて深く考えたことはないし、考える必要性も感じないけれど、そこには、ある意味で「哲学」が感じられるのである。

これらの美しい写真と文章にひきつけられて(そして、文庫という持ち運びに便利なことも手伝って)、この本は、ぼくと共に「世界」を旅してきた。

2002年、西アフリカのシエラレオネに住むようになったときも、2003年に東ティモールに住むようになったときも、それから、ここ香港に住むようになってからも、ぼくはこの本を、ぼくの手の届くところに、いつもおいてきた。

手を伸ばして本をとり、本をひらいては写真をながめる。ぼくは、すーっと、その「世界」のなかにはいってゆくことができる。あるいは、村上春樹の「ことばの時空間」に、ゆっくりと降り立ってゆくことができる。


香港の路地裏で、ひさしぶりに猫に出会い、写真を撮る。家で、ぼくは手を伸ばして『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を手にとり、村上陽子の撮った、猫たちの写真を眺める。

眺めているだけでも充分なのだけれども、ついつい、猫たちはなにを思い(あるいは、なにも思わず)、どのように生きているのか。猫たちは、ぼく(たち)になにを問うているのか、などを考えてしまう。

村上春樹の文章に眼を転じると、やはり、いつも眼にはいる文章が眼にはいってくる。

シングル・モルト・ウィスキーで有名なアイラ島で、村上春樹は、好奇心にかられて、島に住んでいる人たちにあれこれと質問をしてゆく。シングル・モルトを日々飲んでいるのか、ビールはあまり飲まないのか。ビールはそんなに飲まないという人に、では、ブレンディッド・ウィスキー(いわゆるスコッチ)も飲まないのか、と質問はつづく。


 僕がそう質問をすると、相手はいささかあきれた顔をした。たとえて言うなら、結婚前の妹の容貌と人格について、遠まわしなけちをつけられたような顔をした。「もちろん飲まないよ」と彼は答えた。
「うまいアイラのシングル・モルトがそこにあるのに、どうしてわざわざブレンディッド・ウィスキーなんでものを飲まなくちゃいけない? それは天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているときに、テレビの再放送番組をつけるようなものじゃないか」
 これをご宣託と呼ばずして、なんと呼ぶべきか?

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)


なんとも、ご宣託、である。

「天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているときに、テレビの再放送番組をつけるようなものじゃないか」。

こんなことばが会話のなかで生まれてくることにも、心を動かされる。

それとともに、ウィスキーにかぎらず、ぼくたちはこのようなことを実際によくしてしまっているのではないか、とも思ってしまう。天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているときに「テレビの再放送番組をつけてしまうこと」を。

「天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているときに」は、じっとそこにたたずみ、奏でられる美しい音楽に耳を傾けたい。そう、ぼくは思うのである。

村上陽子の写真は、言ってみれば、「天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているとき」に、じっとそこにたたずみ、奏でられる美しい風景のなかでしずかにシャッターをおろしているのだと言えるのかもしれないと、ぼくは思ったりもする。

詳細を確認