香港で、「秋」を感じさせる3つのこと。- 中秋節に向けて、彩られる香港。
9月に入っても、日中は30度を超え、夜も25度を下回らない香港。亜熱帯に属するここ香港で、「秋」の訪れを感じるのは、ぼくにとって3つのことである。...Read On.
9月に入っても、日中は30度を超え、夜も25度を下回らない香港。
亜熱帯に属するここ香港で、「秋」の訪れを感じるのは、ぼくにとって3つのことである。
一つ目は、香港らしいところから言うと、「月餅」が店頭に並びはじめるとき、秋の足音が街に聞こえてくる。
月餅は、旧暦8月15日にあたる「中秋節」に食す風習があり、中秋節から2ヶ月くらい前から、広告が貼られ、店頭に並べられる。
2017年は10月4日が「中秋節」にあたる。
月餅についてはまた別に書こうと思うが、毎年、種類が増え、多様化していて、店頭に並べられるタイミングも若干早めになってきている。
秋の訪れを感じさせることの二つ目は、中秋節に向けて、「提灯」がかかげられる風景である。
提灯は、ろうそくではなく、現代では電燈によって光が灯される。
街や住まいの敷地などに、提灯がかかげられ、秋がまた一歩、歩みをよせる。
中秋節の当日には、子供たちは、いろいろなキャラクターや動物の提灯を手に、月が光を届ける屋外ですごす。
都会の生活の中にも、伝統と文化が根をはっている。
それから、三つ目は、「とんぼ」たちが、悠然と飛んでゆく姿である。
散歩の道すがら、あるいはジョギングの最中に、とんぼたちに、ぼくは出くわすことになる。
外は夏日に彩られながら、その中を、とんぼたちが現れる。
とんぼは、秋が近いことを、ぼくに知らせてくれる。
香港は四季の「段差」がそれほど大きくなく、夏日がそのまま冬に変わっていくようなところがあり、香港の秋は束の間の時間のように感じられる。
都会の生活は、さらに、季節の姿を見えなくさせる。
そのような中で、月餅、提灯、とんぼたちは、ぼくに「秋」の訪れを感じさせてくれる。
香港の「秋」を迎えるのも、今年で11回目である。
外部的な視点で見ていたこれらの風景が、いつしか、ぼくの生活の一部として、ぼくの中に内在している。
今年の中秋節に、月はその美しい姿で、どこまでも透き通った月光で香港を照らし出してくれるだろうか。
昨日20日は新月であった。
これから中秋節に向かって、月はゆっくりと、美しい姿を整え、光を宿してゆく。
月餅と提灯ととんぼも、中秋節に向けて、香港に彩りを与えてくれる。
近代化が透徹する現代社会であっても、これらの彩りはその灯を完全に消すことなく、ぼくたちの社会と人に生きている。
東ティモールのアルカティリ首相との思い出。- 2017年9月アルカティリ新首相就任のニュースを目にしながら。
21世紀最初の独立国(2002年に独立)、東ティモール。ぼくは2003年の半ば頃から2007年初頭にかけて、NGO職員として東ティモールに駐在し、コーヒー生産者たちの支援に携わっていた。...Read On.
21世紀最初の独立国(2002年に独立)、東ティモール。
ぼくは2003年の半ば頃から2007年初頭にかけて、NGO職員として東ティモールに駐在し、コーヒー生産者たちの支援に携わっていた。
香港に来る前に住んでいた国である。
この2017年7月に議会選が行われ、第1党となった東ティモール独立革命戦線(フレティリン)。
9月15日に、フレティリンのマリ・アルカティリ書記長が新首相に就任した。
マリ・アルカティリ新首相は、東ティモール独立後の初代首相であった人物である。
インドネシアによる占領時には、モザンビークにうつり、東ティモール独立のための外交に力を注いだ。
東ティモール独立に際し、東ティモールに戻り、シャナナ・グスマン大統領のもと、初代首相となる。
2006年、東ティモールの騒乱時に、辞任要求が高まる中で、辞任している。
ぼくが東ティモールにいる間、イベントなどでアルカティリ首相(当時)を目にすることは時々あった。
直接お会いしたのは、確か、2005年のことであったと思う。
アルカティリ首相(当時)は、地方を回っていて、ぼくがコーヒー生産者支援に携わっていたエルメラ県レテフォホも、スケジュールに入っていたのだ。
一通りのセレモニーが終わったあたりに、ぼくは1~2分ほどだったと記憶しているけれど、主に仕事のためにコーヒー生産者支援などのお話をさせていただいた。
エレベータに居合わせる30秒程度で自分の話を伝えるという「エレーベータトーク」のように、ぼくは短い時間で伝える準備をした。
東ティモールの公用語であるテトゥン語でお話をさせていただいたようにも記憶しているけれど、定かではない。
英語も混じったかもしれない。
話の内容も明確には覚えていないけれど、そこで感じられた空気感、それからアルカティリ首相の鋭い眼光、その中で緊張した声で一生懸命話そうとするぼく自身の姿が、今でも思い起こされる。
鋭い眼光と発せられる言葉のどっしりとした響きに、一国の舵取りにおいて決断・判断をしてきた人の強さと重さを、ぼくは感じた。
その時の「感覚」は、今でも、この身体に残っている。
独特の雰囲気と空気感があったからだと思う。
経験というものの「直接性」から生まれる記憶である。
2017年9月に新首相となったアルカティリ氏のニュースを見ながら、ぼくの中には、当時の記憶が、感覚と共に湧き上がってくる。
ぼくは、このような経験の積み重ねの中に生きてきたことを思う。
東ティモールの人物の記憶で言えば、もちろん、初代大統領のシャナナ・グスマン氏の印象は大きい。
直接にはお会いする機会はなかったけれど、時折、間近に目にすることがあった。
初代大統領であったシャナナ・グスマン氏については、また別の機会に書きたいと思う。
「Happiness」だけに人生を押し込めないこと。- Emily Esfahaniの提示する「意義ある人生の4つの柱」。
「TED Talks」にて、Emily Esfahani Smithが「There’s more to life than being happy」というタイトルで、聴衆に言葉を届けている。...Read On.
「TED Talks」にて、Emily Esfahani Smithが「There’s more to life than being happy」というタイトルで、聴衆に言葉を届けている。
タイトルにあるような大きな内容が12分のプレゼンテーションに凝縮されていて、その凝縮のされようが美しい。
Emily Esfahaniのモチーフは、自身が「幸せを追い求めること」でたどり着いた地点が、「心配とさまよい」の地点であったことである。
そのことは、自分だけでなく、周りの友人たちもそうであったという。
そこで、Emilyは大学院で「ポジティブ心理学」を学ぶことにし、そこから人生をきりひらいていく。
データが示すのは、幸せを追い求めることで、人は不幸せになっていくこと。
アメリカや世界では自殺者が増え、社会の豊かさの見かけに反して、人びとには希望がなく、鬱的で、孤独である。
研究が示すのは、幸せが欠如しているのではなく、「有意義な人生を生きること」の欠如である。
心理学者たちが、「happiness(幸せ)」の定義として「comfort(快適さ)、ease(和らぐこと・楽であること)、feeling good in the moment(瞬間気持ちのよく感じること)」などを挙げることに触れる。
「meaning(意義)」については、心理学者セリグマンに言及し、「意義は自分よりも大きな何かに所属し貢献し、自分の中のベストなものを発展させることから来る」とする。
Emily Esfahaniは、幸せと意義の違いとは何か、また「どのようにしたら有意義な人生を生きることができるのか?」という設問を立てて、研究を重ねていくことになる。
彼女の研究の成果は、「意義の4つの柱」として提示される。
- Belonging (所属感)
- Purpose (目的)
- Transcendence (超越的)
所属している感覚、目的をもつこと、それからいわゆる「フロー状態」のように極めて集中するような状態をもつことである。
Emily Esfahaniは例をあげながら、きわめてコンパクトに話を展開している。
そして、通常人を驚かせるという「4つ目の柱」に触れてゆく。
4. Storytelling (物語)
自分を語ること、自分を物語として語ることである。
ぼくは、驚きというより、「そうきたか、うまいなぁ」と感じた。
「Storytelling (物語を語ること)」については、ぼくも極めて大切にしている。
よりよく生きていくためには、なくてはならない要素だ。
彼女が言うように、人生はイベントのただのリストではなく、人は生きることの物語を編集し、解釈し、言い直すことができる。
それは、とてもパワフルだ。
そして、より正確には、実は誰もが「物語」をもっている。
意図していようがいまいが、程度の差はあれ、「物語」がある。
その「物語」をどれだけ彩ることができるかに、ぼくたちの人生はかけられている。
そのように彩られた物語の例としてEmily Esfahaniがプレゼンテーションの最後に挙げる「物語」に、ぼくは心をひかれる。
哲学者ハンナ・アーレントの著書『人間の条件』のどこかの章の冒頭に、エピグラフとして掲げられている言葉の意味が、ぼくの中に強く残っている。
それは、大体、このような言葉だ。
「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、耐えられる。」
その言葉は、例えば、西アフリカのシエラレオネで内戦の傷跡が圧倒的な風景で、ぼくの中に思い起こされた。
東ティモールでも、同じだった。
だから、「プロジェクト」という形での国際支援であれ、ぼくはそこに「物語」を組み込みたかった。
言葉に尽くせない「悲しみ」の風景の中で、かすかであっても、関わる人たちの中に「希望の物語」が育まれていくことを願って。
「生きるリアリティの崩壊と再生」(見田宗介)。- <生きるリアリティ>という、現代の若者たちが求める共通の<地層>から。
社会学者の見田宗介が、2010年8月に福岡のユネスコ協会で行った講演「現代社会はどこに向かうかー生きるリアリティの崩壊と再生ー」の最後を、次のように終えている。...Read On.
社会学者の見田宗介が、2010年8月に福岡のユネスコ協会で行った講演「現代社会はどこに向かうかー生きるリアリティの崩壊と再生ー」の最後を、次のように終えている。
…ボランティアに限らなくてもいいですけれども、実際に自分が役に立つようなことならばやりたいと思っている青年と、リストカットをする、あるいは無差別殺人をする青年というのは同じものを求めているわけです。つまり、それは生きることのリアリティを求めている。そこが大事だと思います。今の日本の若い人たちはいわば同じものを求めているわけですが、求め方が違っているのです。日本の若い人たちが自分の体を傷つける、あるいは人を傷つける、あるいは人を殺そうとする、そういうものとは違った仕方で、生きるリアリティを求める方法を見つけ出すことができれば、そこでもう一つ新しい時代が開けてくる可能性があるだろうと、そういうふうに思うわけです。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
ここで並列されている若者たちは、例えば、次のような若者たちである。
● ボランティア的・支援的な活動を入れた海外ツアーに意欲的に参加する若者たち
● リストカット、つまり手首を切る自傷者(例えば、卒業するまで死なないとして自死した「南条あや」)
● 無差別殺人をする青年(例えば、秋葉原事件の加藤智大)
「冷静な頭脳と暖かい心」で、1960年から日本の若者たちをみてきた見田宗介は、一般的にまた表層的にはまったく「別」として語られる若者たちが求めていることの「深い地層」を、ぼくたちに示してくれている。
別の著作で、見田宗介は、「南条あや」と「加藤智大」について、より詳細に見ている。
南条あやのように、少女たちの孤独が「自分に向かって」内攻するときにリストカットといった「自傷者」になり、リストカットをする少女たちの孤独が「外に向かって」爆発するときに「無差別殺傷」にはしった青年がいる。
南条あやが書き残した文章からは「生きていることのリアリティの確認儀式」のような感覚が語られ、また加藤智大は自分が「誰からも必要とされない存在」の中で犯行にでる。
そのような「感覚」の<深い地層>は、ボランティアなどで海外ツアーに赴く若者たちと、<求めるもの>において通底している。
1990年代に、アジアへの旅行にいわば「リアリティ」を求めていたぼくも、この<深い地層>において、これらの若者たちと同じものを求めてきたのだと思う。
南条あやとぼくは、ほぼ同時代人である。
ぼくは、「違った仕方」で、生きることのリアリティを求める方法を見つけただけだ。
その「方法」の鮮烈さに惹かれ、ぼくは当時、「旅によって人は変われるか?」という問題意識を手にし、見田宗介の理論と言葉に助けられながら、生きてきた。
一歩の歩みを間違っていれば、リストカットや殺人あるいは他の形で「リアリティの不在」が爆発したかもしれないという想像力を起点にすることで、現代の若者や現代という時代を考えてゆくことができる。
他者の問題ではなく、ぼく(たち)の問題である。
質疑応答で、やはりこの「リアリティの崩壊」の問題に触れられる中で、「なぜ昔はリアリティを求めようとしなかったのか」という質問に、見田宗介は次のように応答している。
…周囲との関係がリアルであればそれでいいわけで、もともと人間というのは昔からずっとそういう存在なのですから。現代だけがちょっと変わった状況で、人との関係が非常に薄いというか、情報を媒介にした関係というのがでてきた。…ケータイなどでメル友が何百人もいるという形で、いま友達をつくることも簡単になっていますが、おそらくそこで出来た友達というのはやはりリアリティがないんですね。…ケータイだけでつきあった人というのはものすごく友達を欲しがりますよ。ちょうどお腹すいた人が、本当は胃袋にたんぱく質が入らないとお腹は満たされないのだけれども、清涼飲料水とかコーラとかを飲むと一時ちょっと気が休まる。でもやっぱり飲んでも飲んでも空腹は収まらないですね。そんな感じが今の若い人にある。…
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
リアリティの「再生」の方法のひとつとして、見田宗介は「人から必要とされること」を、アメリカの心理学者であったエリクソンの言葉を引用しながら、提示している。
エリクソンの言葉に、「mature man need to be needed」という言葉がある。
「成熟した人間は必要とされることを必要とする」ということである。
そこに、周囲との関係のリアリティが再生されていく「解決の出口」を、見田宗介はみている。
冒頭の「ボランティア的・支援的な活動を入れた海外ツアーに意欲的に参加する若者たち」ではないけれど、ぼくは東ティモールにいるとき、日本の「悩める」若者たちには東ティモールに来ることで、何らかの「解決の糸口」が見つかるのではないかと、本気で思っていた。
そんな東ティモールと西アフリカのシエラレオネという「生きるリアリティ」を強烈に押し出してしまうような社会(しかし、生きるための「ニーズ」の問題などに悩まされる社会)、それから、東京や香港という最先端の「先進」社会を生きてきた、ぼくのこの15年。
「新しい時代が開ける」ために、ぼくにできることをしようと思う。
「生きることのリアリティ」に、本気で立ち向かってきた一人として。
外国の友人の眼と体験を通じた「日本」。- 小さい子供たちが楽しめる日本。
外国の友人と話をしていて、興味深いことを聞いた。いろいろと海外旅行をしてきた中で、日本がいちばん、小さい子供たちが楽しめるところだと言う。...Read On.
外国の友人と話をしていて、興味深いことを聞いた。
いろいろと海外旅行をしてきた中で、日本がいちばん、小さい子供たちが楽しめるところだと言う。
ヨーロッパに行くと、例えば、美術館や博物館などは、小さい子供たちがすーっと入っていけるものではない。
日本は、小さい子供たちが遊べるようなものが豊富だというのだ。
外国の友人の眼と体験を通じて見る「日本」というのは、日本人のぼくにとって「ブラインド・スポット」となっているところに光をあててくれる。
日本に住んでいたり、観光で行った海外の人たちからよく聞くことのいくつかは、次のことである。
● 人が親切であること(道をたずねるととても親切に案内してくれること、など)
● モノ(携帯電話やコンピューターなどの高価なものを含む)をなくしても戻ってきたり見つかったりすること
● 街などがきれいであること
これらのことは、直接の友人や知り合いからも聞き、また日本について語るPodcastのような番組などでも聞く。
「小さい子供たちが楽しめる場所」であるということは、今回、はじめて耳にしたと思う。
他で聞いた覚えはない。
もちろん、「体験」には限度があるから、その限度内でのことであるけれど、それでも一面の「真実」を伝えている。
アトラクションや会場に行って、小さい子供たちが楽しめるようなものが用意され、提供されている。
確かに「言われてみれば…」というところがないわけではないが、実体験として、実感としてはまだぼくの中で熟成されていない。
それでも、他者の眼と体験を通じて見える「世界」は、ひとつの視点として、ぼくの中に住みつく。
そのような視点やパースペクティブの集積が、ぼくの「世界」の豊かさを醸成してくれる。
視点やパースペクティブが、相互に矛盾し、相互に対立したりすることもあるけれど、それらを含めて「世界」は豊饒になってゆく。
「日本」の情景をみる視点がまたひとつ付け加えられ、情景は異なる様相を見せ始める。
技について、「説明できないといけない」(イチロー)。- 身体と頭脳の交響と共演。この世界で次元を上げていくために。
米国メジャーリーグで活躍する野球選手イチローが、「説明できないといけない」ということを、北野武との対談における「理論」に関するトピックの中で語っている。...Read On.
米国メジャーリーグで活躍する野球選手イチローが、「説明できないといけない」ということを、北野武との対談における「理論」に関するトピックの中で語っている。
「説明できないといけない」のは、イチローが挙げる例で言えば、「ヒットを打ったときに、なぜそのヒットになったのか」ということの説明である。
興味を引くのは、イチローが説明ができるようになったのは、1999年以降のことであったということ。
当時はイチローは日本のプロ野球で活躍しているときで、すでに5年連続で首位打者であったけれども、その時点ではまだ説明ができなかったという。
それまで、ただただ「身体」で打っていたイチロー。
そのイチローが1999年以降に「理論」を自分自身で見つけ、2000年にアメリカの大リーグにうつる。
身体だけで打っていたら大リーグでの活躍はなかったかもしれない。
「頭脳」を使うことは、もう一段も二段も上の次元で活躍できる土台を、イチローに用意した。
このことが教えてくれるのは、第一に、「理論」の大切さである。
「理論」という言葉が重たければ、イチローの言うように、「説明できること」である。
身体で動くだけであれば、あるところで「天井」にぶつかってしまう。
「天井」をやぶって、一段も二段も上にいきたいのであれば、それは大切なことだ。
イチローは、この話の中で、さらに面白いことを言っている。
イチローにつくコーチは人それぞれに違うことを言ってくる。
それらにいちいちしたがっていたら、打てなくなってしまうという趣旨のことである。
「説明できること」により、いろいろに異なるアドバイスや指導の中であっても、「自分軸」をきっちりと持つことができたということだ。
第二に、技を使う職業において、説明できなくても「結果」が出ていればよい、ということにはならない。
イチローも、北野武も、若い頃は「ヒットを打てているからいいじゃないか」、「(コントを見に)お客さんが来ているからいいじゃないか」と思っていた。
そのような彼らが、技も、活躍も、それらの次元を上げていくときに、説明できること(=理論)を確実に味方につけていったのだ。
第三に、上記の二つのことは、日本を離れ「世界」に出ていくときには、さらに説明できることの意義を深めていったであろうことである。
日本という舞台でうまくいっていたことが、世界の舞台ではうまくいかなかったりする。
いろいろに異なる状況や事情があり、自分の「周囲」の声もいろいろだ。
そのような中で、説明できることを「軸」に、自分をつくり、そしてときに自分をのりこえていくことができる。
それは自分に固執するということではなく、オープンさ・柔軟さを兼ね備えた自分軸だ。
だから、冒頭で述べた通り、イチローが「説明できるようになった時期」と「大リーグ入りの時期」とがほぼ重なったことは、無関係ではない。
それにしても、本質的な生き方をしている人たちの会話は、気がつくと、生きることの本質に一気に射程を広げる。
イチローと北野武の、この「理論」の会話も、対談の冒頭近くに1分ほどで語られた内容だ。
ぼくは、聞き逃さないように、あるいは語られる言葉の地層に流れるエッセンスに、一所懸命に耳をすます。
香港で、レストランにて、ぼくの2度の推測をくつがえした「謎の白いモノ」(写真)。- 思い込みとサプライズの狭間で。
香港のレストランで、ぼくの2度の推測をくつがえした「謎の白いモノ」(写真)に楽しんだ。...Read On.
香港のレストランで、ぼくの2度の推測をくつがえした「謎の白いモノ」(写真)に楽しんだ。
楽しむと共に、そのことにいろいろと考えさせられた。
ただ楽しんでいればよいものを、考えてしまうのはぼくの習慣だ。
中国料理のレストランでのこと。
まず席に案内され、席につくと同時に「何のお茶にするか」を聞かれ、「ジャスミン茶」を頼む。
それからメニューをながめ、料理は二種類注文する。
ひとつは「上海風焼きうどん」、もうひとつは「大きなスープとパフ米」であった。
それから、お手拭きを頼み、席でお茶を飲みながら、料理が来るのを待っていた。
そこで出てきたのが、写真の白いモノであった。
白い小さい皿に、謎の白いモノが載っていた。
ぼくの頭に最初に浮かんだのは、「キャンドル」か何か、というイメージであった。
「大きなスープ」を頼んだので、その小さな鍋か何かを温めておくための、小さなキャンドルか何か。
以前、同じレストランで頼んだ、小さな鍋のイメージが湧き上がったのだ。
その時は、小さな鍋の下にキャンドルが灯され、冷めないようになっていた。
そう思っていると、ウェイターの方が、手にもっていたお湯のポットで、その白いモノに少量のお湯を手際よくかけるのが見えた。
その白いモノは、お湯を受けて、膨らみはじめた。
それはマシュマロのようで、キャンドルではないと思ったぼくの頭に次に浮かんだのは、「大きなスープ」についてくる何らかの素材かな、ということだった。
乾燥したパフ米はスープの中に入れることになっていたから、その他にもスープとは別に運ばれてくる素材があると思ったのだ。
そう思っていると、その白いモノはさらに大きさを拡大しながら、その実態をあらわにし、ぼくを驚かせた。
それは、なんと、「お手拭き」だったのだ。
お手拭きは、プラスチック包装されたお手拭きがくるかと思っていたから、そのギャップはまったくのサプライズになった。
ぼくは、「二重の思い込み」をしていた。
一つ目は、「大きなスープ」のイメージに引っ張られ、白いモノはそれに関連するものだと思ってしまったこと。
二つ目は、お手拭きは(以前このレストランで出されたように)プラスチック包装のお手拭きだと思ってしまっていたこと。
(それからついでに言えば、お手拭きは「縦」向きには出されないと思っていた。)
人の意識というのは、日々のシミュレーションの集積のようなものであるから、「日々のシミュレーション」に引っ張られてしまう。
それにしても、日々のシミュレーションとしての思い込みは怖いなと思いつつ、だからこそ、いろいろな「サプライズ」があるのだとも考えてしまう。
人の世界は、さまざまな両義性の網の中にある。
それらは、人を困らせもするけれど、人を楽しませることもする。
サプライズやマジックはその間隙に生まれる。
ウェイターの方は、香港ならではの手際のよさで、「お手拭き」を提供する一連の作業をこなす。
あたかも、この一連の作業を楽しんでいるかのようであった。
2度の予想をはずしたぼくの前で、この「お手拭きのマジック」を知っていて、半分意図的にお手拭きを頼んだ妻は、ぼくの反応にたいして無邪気な笑いをなげかけていた。
香港のとあるレストランで、ぼくは「お手拭き」にマジックを見せられ、楽しまされ、そして教えられた。
直接的にそのお陰ということではないけれど、その後運ばれてきた料理は、期待していた以上においしかった。
国際協力・国際支援などのはるか「手前」のところで。- 出会う人たち一人一人に、きっちりと向き合うこと。
国際協力・国際支援・国際援助・途上国支援・開発協力などの言葉の磁場にひきつけられるように、20歳頃のぼくは、その「広大な領域」に足を踏み入れていった。...Read On.
国際協力・国際支援・国際援助・途上国支援・開発協力などの言葉の磁場にひきつけられるように、20歳頃のぼくは、その「広大な領域」に足を踏み入れていった。
でも、思い出してみると、それ以前に、ぼくは「国際」という言葉が触発する世界のイメージに強いあこがれを持っていた。
そしてそんな言葉を深掘りしてみると、(争いはあっても)戦争のない世界を、子供の頃から強く希求していたことに思い至る。
そのような世界をほんとうにつくりたいと希求し、その「手段」として、国際協力などの領域を、仕事としていくことを定めたのが大学のときであった。
しかし「定めた」と言っても、その広大な領域は圧倒的に広い世界であって、専門性が求められる中の揺らぎが続いた。
それでも、学べるところから、とにかく学んでいった。
大学院を終えて、NGO/NPOで働くという「縁」を得ることになった。
911後の世界の混迷の中で、同僚はアフガニスタンやイラクに駐在し、ぼくは西アフリカのシエラレオネに降り立った。
長年に渡る内戦が終了したばかりのシエラレオネで、国連の平和維持活動が継続される中、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と共に緊急支援を展開した。
こうして、ぼくは、緊急支援・国際支援の「現場」に入っていくことになる。
シエラレオネの現場に入っていくことで、それまでに志していた、「国際」「国際支援」「戦争のない世界」といったキーワードが、ぼくの生の中で、<焼き鳥の串>にささるようにつながっていった。
当時は、そんなことを考えている余裕もなく、シエラレオネの現実と仕事の厳しさに立ち向かうことで精一杯であった。
それでも、ぼくが大切にしてきたことの「土台」は、シエラレオネで出会う人たち一人一人(いろいろな人たちだ)に、きっちりと向き合うことである。
その人たちにとってみれば、「日本人のイメージ」は、ぼくを通して形作られていく。
ベネディクト・アンダーソンが著書『想像の共同体』でどれだけ鮮やかに、国というものが「想像の共同体」であることを説いても、あるいは同様に吉本隆明の「共同幻想論」をもちだして語ろうとも、現実には「国」があたかも「モノ」であるように確固としたものとして存在しているように、多くの人たちには感じられる。
こうして、言説は「国というカテゴリー」からはなかなか自由になれない。
そのような現実の中、ぼくは出会う人たちに真摯に向き合ってきた。
それは、「国際」「国際支援」「戦争のない世界」といった<焼き鳥の串>にささったキーワードにからめられている、<焼き鳥のたれ>のようなものだ。
<たれ>がなかったら、それらはまったく味気ないものになってしまう。
世界で出会う人たちに真摯に向き合うこと。
それは、ただ仲良くすることとはイコールではない。
一緒に<生きる>こと。
戦争のない世界をめざしたり、国際協力・国際支援などを実践していくことの、はるか「手前」のところで、ぼくが大切にしてきたことである。
「悩むことのできるものだけが…」の一行。- 「悩む」作家の辺見庸を救った一行から。
共同通信社の勤務から作家となった辺見庸の作品を、ぼくは大学時代に、よく読んだ。...Read On.
共同通信社の勤務から作家となった辺見庸の作品を、ぼくは大学時代に、よく読んだ。
きっかけとなった本は『もの食う人びと』(1994年)であった。
通信社では北京特派員やハノイ支局長をつとめ、「現実を直視」してきた辺見庸が、バングラディシュや旧ユーゴやソマリアやチェルノブイリなどで、人びとは今何を食べて、何を考えているかを探っていったノンフィクションである。
辺見庸の文章は現実を直視しながら地に足をつけ、言葉のリアリティを求めている。
当時アジアなどを旅していたぼくに響く文体であった。
1998年頃だったか、ぼくは東京で、辺見庸の講演を聞きにいく機会を得た。
彼は、小さな大学ノートをひらき、壇上でそれを見ながら、言葉をさぐりあてるように語っていた。
その姿に触発され、ぼくも大学ノートを買い、日々や本のメモを手で書くようになったことを覚えている。
大学を卒業したぼくが世界を飛び回っている間に、辺見庸は身体を幾度となく病み、故郷の宮城県石巻は震災にのまれた。
そんな辺見庸の作品を、また少しづつ読んでいる。
ぼくが世界に出ているこの15年間ほどの間、辺見庸は何を考えてきたのか。
『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)の中に収められている、「アジサイと回想」と題されたエッセイがぼくの心にしみこむ。
アジサイのイメージには程遠く、副題は「生きるに値する条件」とつけられている。
辺見庸が、「お粥につかったみたいに」むしむしとする日に、図書館に足を運び、そこでの出来事を書いている。
本を借りて一部を複写しにいく辺見庸は、二階のコピー機の場所で、コピー機を使用している若い男女に出会う。
若い男が文庫本を食い入るように読んでは、ページを選んで、拡大コピーをとっている。
彼は辺見庸が待っているのに気づき、まだコピーが10枚ほどあるため、「先になさいますか。」と辺見庸に声をかける。
その時に、書名が見える。
『将来の哲学の根本命題 他二篇』。
絶句した。…この世から消えたとばかり思っていた本が街の図書館にあり、しかも若者に閲覧されている。百万分の一ほどの確率かもしれない。だからこそ仰天した。一冊の本が千人の人との出逢いよりも自分を変えることがある。…あの本はそんな一冊であった。
辺見庸『水の透視画法』集英社文庫
辺見庸は近くのソファに座って待ちながら、必死で記憶をたぐる。
…たしか本にはこう書いてあるはずだ。初見後四十数年間、それだけははっきりとおぼえている。「悩むことのできるものだけが、生存するに値する」。これまで何万回反すうしたことか。正直、その一行に救われたこともある。悩むことのない存在は「存在のない存在」なのだ、ということも記されていたと思う。二人はあのくだりにこころをひかれるだろうか。
辺見庸『水の透視画法』集英社文庫
悩むことのできるものだけが、生存するに値する。
辺見庸は、かつて、19世紀のドイツの哲学者フォイエルバッハの、この一行に救われている。
虚構に流されることなく、リアリティの地下茎に向かって垂直に降りていく辺見庸の思考と語りを考えると、ぼくはそのことが自然にわかるような気がした。
この本を読みながら、他方で、作家の中谷彰宏の著作『悩まない人の63の習慣』(きずな出版)を読む。
現代に「悩む人たち」などに向けて、悩まないための「行動」や考え方が、鮮やかに提示されている。
この本を読みながら、現代の「悩み」は、人それぞれにとっては深刻であるけれど、それはひどく狭いところに押し込められた「悩み」のように感じる。
悩む必要のない「悩み」。
考え方を変えることでなくなる「悩み」。
行動することで解消される「悩み」。
成長していくことで質を変えていく「悩み」。
「悩み」と一言で言ってもいろいろとあって、それは重層的に理解し、解きほぐしながら日々を生きていくことが大切だと、ぼくは自身の悩みに向き合いながら思う。
しかし、それで「悩み」がなくなるわけではないし、完全になくなることがよいわけではない。
それでも残るような「悩み」は、フォイエルバッハの一言が示すように、「生存するに値する」源泉としての<悩み>として、生きるという経験を支えている。
悩むことのできるものだけが、生存するに値する。
大学時代にも辺見庸の作品を読みながら次から次へと読まなければいけない本が増えていったことと同じに、今回も、辺見庸からの「課題図書」がまた一冊増えた。
香港で、「香港人口予測」(2017年-2066年)から考えること。- 個人・組織・社会の「構想」へ。
香港政府が2017年9月8日に、『Hong Kong Population Projections 2017-2066』(香港人口予測 2017年-2066年)を発表した。...Read On.
香港政府が2017年9月8日に、『Hong Kong Population Projections 2017-2066』(香港人口予測 2017年-2066年)を発表した。
「超高齢社会になる」ということはすでにわかりつつ(しかし準備ができていないけれど)、関連することとしてぼくの関心を挙げるとすれば、大きく三つある。
- 人口推移における安定平衡的な社会(「高原・プラトー」)
- 平均余命(Life Expectancy)に見る、ライフステージの変遷
- 香港の企業などの組織と雇用の問題・課題
一つ目は、社会全体の行く末を見晴るかすものとしての全体像であり、二つ目は、人の人生のライフステージを変えてゆく動力のひとつであり、そして三つ目は、組織また個人としての雇用の問題・課題である。
今回の人口予測も、これら三つを考えさせてくれる「予測」となっている。
「数値」は、予測であっても(予測であることを理解しながら)、実際の動向を「見える化」してくれる。
今回の「香港人口予測」の数値は、例えば、下記のようだ。
【人口】
・2016年:734万人
・2043年:822万人
・2066年:772万人
【(超)高齢社会:65歳以上の人口】
・2016年:人口の16.6%
・2036年:人口の31.1%
・2066年:人口の36.6%
【平均余命】
・2016年:男81.3歳、女87.3歳
・2066年:男87.1歳、女93.1歳
【労働力】
・2016年:362万
・2019年ー2022年:367万から368万
・2031年:351万
・2066年:313万
これらの数値を見ながら、最初の三つについて、簡易に「問題・課題のありか」を書こうと思う。
<1. 人口の推移における「高原」>
人口の推移における「安定平衡的な社会」が、予測の中に明確におさまってきている。
つまり、人口は増え続けるのではなく、安定平衡的な社会へと向かっている。
香港に限らず、世界の先進諸国・地域は、すでにそこへと向かっている。
生物学者が「ロジスティクス曲線」と名づける推移に触れて、社会学者の見田宗介はこの「事実」に注意を向けている。
「ロジスティックス曲線」とは、縦軸に「個体の数」、横軸に「時間の経過」をとる座標軸におけるS字型の曲線である。
成功した生物種は、この座標軸の第I期を経て、第II期に爆発的に反映し、第III期で繁栄の頂点の後に滅亡していく(「修正ロジスティックス曲線」)。
この経路が「S字」をなしている。
哺乳類などの大型植物はより複雑な経路をとるといわれるが、人間という生物種も基本的には、ロジスティックス曲線をまぬがれないといわれる。
1960年代には地球の「人口爆発」が主要な問題であったけれども、前世紀末には反転して、ヨーロッパや日本のような「先進」産業諸国では「少子化」が深刻な問題となった。「南の国々」を含む世界全体は未だに人口爆発が止まらないというイメージが今日もあるが、実際に世界全体の人口増加率の数字を検証してみるとおどろくことに、1970年代を尖鋭な分水嶺として、それ以後は急速かにかつ一貫して増殖率を低下している。つまり人類は理論よりも先にすでに現実に、生命曲線の第II期から第III期への変曲点を、通過しつつある。この時点からふりかえってみると、「近代」という壮大な人類の爆発期はS字曲線の第II期という、一回限りの過渡的な大増殖期であったことがわかる。そして「現代」とはこの「近代」から、未来の安定平衡期に至る変曲ゾーンと見ることができる。
見田宗介「現代社会はどこに向かうか」『定本 見田宗介著作集I」岩波書店
この「未来の安定平衡期」が、香港においても、すでに予測された数値で指し示されている。
<2. 人生のライフステージ/3. 組織の雇用>
香港の平均余命も、確実に、「100歳」を射程圏内にとらえている。
女性はいよいよ90歳代へと突入していく。
リンダ・グラットンが著書『LIFE SHIFT:100年時代の人生戦略』で述べているように、今成人しているような人ではなく、今生まれたりこれから生まれる世代は「100歳」を生きていく。
伝統的な人生の「ライフステージ」(教育ー仕事ー定年の3サイクル)は、確実に変容していく。
香港の英字紙「South China Morning Paper」は、香港政府の「人口予測」の発表を受けて、「Thinking of retiring at 60? Think again - we’ll work longer, Hong Kong population projection shows」という記事を掲載している。
高齢社会の進展と労働力の減少を、(法的な定年年齢はないが)<定年年齢の(考え方の)見直し>と<高齢者と女性の労働力>で補完していくことが書かれている。
個人の視点からは「ライフステージ」のサイクルは変容していく方向に流れ、組織の視点からはそのような個人を雇用する仕方の変容におされていく。
個人の「生き方」の問題であり、組織の「組織つくり・マネジメント」の問題である。
香港の人口予測は、おそらく、これからのテクノロジーの発展(人工知能やIoT、先端医療など)や社会の発展(ベーシック・インカムなど)の可能性については、織り込んでいない。
これらの動きも見据えながら、個人が、組織が、社会が、どのように「未来の安定平衡期」への「移行」をとげていくのかが、今問われるべき問題・課題だ。
ぼくは、これらの大きなテーマを、大きくある必然性の中で一度「全体像」として描きながら、その中で各論(特に生き方や働き方、組織つくりやコミュニティつくりなど)に落としていく方途を、当面の課題としている。
それは、「予測」に生きるのではなく、予測を参考にしつつも、個人や組織や社会を「構想」していくという能動性に生きる生き方である。
「テクノロジー=拡大された感覚器」と「視覚や聴覚の退化」。- teamLabの圧倒的なデジタルアートを見ながら考えていたこと。
「teamLab」と呼ばれる、「デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されるウルトラテクノロジスト集団」がある。...Read On.
「teamLab」と呼ばれる、「デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されるウルトラテクノロジスト集団」がある。
様々な分野のスペシャルストとは、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、絵師、数学者、建築家、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、編集者などのスペシャリストである。
アート・サイエンス・テクノロジー・クリエイティビティの境界を曖昧にしながら活動しているという。
グローバル展開をし、活動は世界におよんでいる。
とても興味深い「集団」つくりであり、「活動」である。
自然と一体化するデジタルアートは、圧巻である。
現在は、日本の佐賀、武雄にて「かみさまがすまう森のアート展」と名付けられたエキシビションを開催しているという。
Webリンク:
- teamLab ホームページ
- teamLab「かみさまがすまう森のアート展」
ホームページ上の動画でも、「動画」という限定性の中で、その一部を見ることができる。
その限定性の中においても、デジタルアートの繊細さと迫力、創造性が伝わってくる。
作品は、「増殖する声明の巨石」「かみさまの御前なる岩に憑依する滝」「岩割もみじと円相」「忘却の岩群」「岩壁の空書 連続する生命」「小舟と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング」などと、想像をわきたてる名前がつけられている。
自然の岩などにデジタルアートが重ねられることで、<自然を見る眼>を体験することができる。
自然の中に、人はこのようにして、<見えないものを見る>ことができる。
見えないものを独特の仕方で視覚化することで、それはぼくたちの自然の見方をひろげてくれる。
テクノロジーは、人間の「拡大された感覚器」(真木悠介)である(※メディア学のマクルーハンの理論を下敷きにしている)。
視覚も聴覚も、テクノロジーは、それら器官の機能を拡張・拡大させることで、人の生活を便利にしていく。
テレビや携帯電話によって、人は、遠くのものを見たり聞いたりすることができる。
今言われている「IoT」(Internet of Things)などの本質は、人間の「拡大された器官」である。
これからの時代、この拡張・拡大が、さらに加速していくことになる。
teamLabのデジタルアートは、デジタルアートという仕方で、想像力を視覚化していく。
新たな「世界」が、確実に、開かれつつある。
「拡大された感覚器」をもつ文明化された人間は、他方で、文明の発展のプロセスで、原生的な人類がもっていたという信じられないほどの視覚や聴覚などを喪っていく。
テレビや携帯電話、さらには次々に発明されていく「拡大された感覚器」があるから、それ自体どうということはない。
しかし、社会学者の真木悠介は、次のような見方を、ぼくたちに提示している。
…けれどもこのような視野や聴覚の退化ということを、われわれをとりまく自然や宇宙にたいして、あるいは人間相互にたいして、われわれが喪ってきた多くの感覚の、氷山の一角かもしれないと考えてみることもできる。
たとえばランダムに散乱する星の群れから、天空いっぱいにくっきりと構造化された星座と、その彩なす物語とを展開する古代の人びとの感性と理性は、どのような明晰さの諸次元をもっていたのか。
真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)
ぼくたちはさまざまなテクノロジーに助けられ、支えられ、楽しく生きているけれど、しかし、他方で、「退化してしまった視野や聴覚」で、自然や宇宙や人に、対している。
自然とか宇宙のうごきにたいする感応の深さやゆたかさが(それに対応して存在する客観的世界のゆたかさー道具や道や集落や都市のありようと共に)そのいくつかの質的な次元において喪われたとき、きりつめられ貧困化された感性と理性とは、それなりで自己充足的な明瞭さの空間を張って安住し、通常は喪われた諸次元について思いをはせることもない。
真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)
このことは、例えば、「くさい空間」に人は慣れると、そのくささを感じなくなってしまうような経験として、想像することができる。
ぼくの「退化してしまった視野や聴覚」のこと、この「退化してしまった視野や聴覚」を通じて見る自然や宇宙それから人との関係の次元を、ぼくは考えてしまう。
teamLabがつくるようなデジタルアートは、このような「退化してしまった視野」を、クリエイティブな仕方で思い出させてくれる。
人の創造性や想像性が無限の空間をひらいていくことを感じさせる。
しかし、アートは、それ自体では、退化した感覚器官を解き放つことはできない。
このことは、teamLabの責任ではもちろんなく、ぼくたち自身になげられたボールだ。
これからの時代、テクノロジーがさらに加速しながら進化をとげていくときに、そのベネフィットを享受していくとともに、ぼくたちはこの「退化してしまった視野や聴覚」を、別の方法で解き放っていくことで、ぼくたち人間にあらかじめ仕掛けられている感性や理性も味方にしていくことができる。
この方向性において、ぼくたちは、近代・現代の果実を得ながら、自然や人との豊饒な関係性を取り戻していくことができる。
アートは何のため?ツールとしてのアート。- Alain de Botton/John Armstrong著『Art as Therapy』に惹かれて。
「Art for art’s sake(芸術のための芸術)」ということが言われることがある。...Read On.
「Art for art’s sake(芸術のための芸術)」ということが言われることがある。
芸術が「何かのため」という姿勢を切り捨て、芸術はいかなる実用的な機能からも自由であるということである。
それが「真実であるか否か」ということはさておき、それでも、アート(芸術)は、確かにぼくたちに「何か」を与えてくれるように思う。
近代・現代という時代の磁場が、ぼくたちをして「何かのため」へと、様々なもの・ことを手段化させていく思考と実践に引き寄せているのかもしれないと思ったりもする。
しかし、アートを鑑賞する際に、アートそのものに素晴らしさを感じる背後に、素晴らしいと思わせる原因・理由があるのだとも感じる。
Alain de BottonとJohn Armstrongは、とても美しい著書『Art as Therapy』(Phaidon, 2013)において、「ツールとしてのアート」の側面を正面から見据えている。
感情的知性の発展に寄与するグローバル組織「The School of Life」の共同創業者のひとりである作家のAlain de Botton、それから哲学者John Armstrongの共著である。
美しい絵画や写真が掲載され、詩的な文章で綴られている『Art as Therapy』。
本書では、「ツールとしてのアート」という視点で、「アートの7つの機能」が展開されている。
- Remembering(思い出すこと)
- Hope(希望)
- Sorrow(悲しみ)
- Rebalancing(バランスを取り戻すこと)
- Self-Understanding(自己理解)
- Growth(成長)
- Appreciation(感謝)
それぞれのもう少し詳細については、下記のようになる。
1.記憶の悪さの矯正手段:アートは、経験の果実を、記憶しやすいもの、また再生可能なものとする。
2.希望の提供者:アートは、ものごとを、楽しく元気づけるような視野におさめる。…
3.尊厳のある悲しみの源泉:アートは、よい生活における正統な場所にある悲しみを思い出させる…。
4.バランスをとるエージェント・媒介:アートは、普通でない明瞭さで、良い質のエッセンスをエンコード(記号化)する…。
5.自己理解へのガイド:アートは、私たちにとって中心的で重要だが、言葉にするのがむずかしいことを確認する手助けとなる。…
6.経験の拡張へのガイド:アートは、他者の経験の極めて洗練された蓄積である…。
7.再度鋭敏化させるためのツール:アートは、私たちの殻をはぎとり、私たちの周りのものにたいする、甘やかされ習慣化された無視という地点から私たちを助け出す。…
Alain de Botton/John Armstrong『Art as Therapy』(Phaidon, 2013)
(*日本語訳はブログ著者)
本書では、これらひとつひとつの機能について、掲載されたアートを素材に、アートの仔細を「味わい」ながら、理解していくことになる。
詩的な英語で仔細に語られることで、アートの楽しみ方を、ぼくは学ぶことができる。
「機能」は、アートに言葉を与えることで味気ないものにするのではなく、反対に、アートをより味のあるものとし、確かに「機能」が発揮されていることを感じさせる。
「Art as Therapy」、セラピーとしてのアートの意味合いが、身体にしみてくる。
この美しい著作『Art as Therapy』が語る「アートの7つの機能」は、人それぞれにたいする効能・機能を、抽象度を上げ抽出して語っている。
これらに加えて、ぼくの関心事項にひきつけて加えるとすれば、「アート」は、「世界言語」のひとつとしても機能する。
音楽が世界をつなぐコミュニケーションのひとつであるように、絵画や彫刻などのアートも、世界をつなげることができる。
厳密には(政治経済社会の複雑な経路を通過することで)その逆もありうるけれど、肯定的にとらえていけば、アートは世界をつなげていく。
世界の各地の人たちが、遠く離れたアートを知り、興味をもち、それらについて世界の人たちと会話をくりだす。
その「機能」は、直接的にぼくたち自身のセラピーとなるわけではないけれど、人と人とをつなげていく「機能」として、つながりを回復する。
そのような「機能」としても、ぼくは、アートを学んでおきたいと思う。
「Luckily, I am a botanist.」(マーク・ワトニー)。- 映画『The Martian』に見る「生きる力」の源泉。
「Luckily, I am a botanist.」。映画『The Martian』で、一人だけ火星に取り残された宇宙飛行士マーク・ワトニー(マット・デイモン)が、生き残りにかける決心の後に、気づき、自分に語った言葉だ。...Read On.
「Luckily, I am a botanist.」(「運よく、ぼくは植物学者だ。」)
映画『The Martian』(邦題『オデッセイ』、リドリー・スコット監督)で、一人だけ火星に取り残された宇宙飛行士マーク・ワトニー(マット・デイモン)が、生き残りにかける決心の後に、気づき、自分に語った言葉だ。
この言葉には、生きるということの力の源泉と可能性が現れている。
映画は、火星への有人探査の風景から幕が開ける。
赤い大地で、マーク・ワトニーを含む探査チームが探査を続けている中に、巨大な砂嵐が襲ってくる。
巨大な砂嵐により火星探査の任務は中止され、クルーたちは火星から宇宙空間へ退避するため、砂嵐の中、ロケットに向かう。
この退避中に、砂嵐の強風によって折れたアンテナがマークに直撃し、マークはかなたへと飛ばされる。
マークは死んだものと判断され、時間の猶予のない他のクルーたちは火星から離陸してしまう。
砂嵐が去った火星で、マークは意識を取り戻すことになる。
そこから、マーク・ワトニーが生き残りに向けたドラマがはじまっていく。
次の火星への有人ミッションは4年後。
火星に残されたのは、探査用に設営された仮設キャンプと31日分の食料。
飛び立ったクルーたちのヘルメス号にも、NASAにも連絡が取れないという状況。
これは、「問題解決」の究極の試練だ。
冒頭の言葉は、この究極の問題解決の入り口において、マーク・ワトニーが「希望」をきりひらいていく言葉だ。
「Luckily, I am a botanist.」(「運よく、ぼくは植物学者だ。」)
生きるということの力の源泉と可能性の言葉。
希望をひらく「助走」は、この絶望的な状況でも「運がいい」と考えていることである。
その「助走」がありつつ気づきを得たマークは、第一に、「植物」を専門としているということ。
つまり、それが「栽培」という道をひらいていくことである。
このことは、ぼくに、古生物学者デイヴィット・ラウプの進化論にでてくる「理不尽な絶滅」の理論を思い起こさせる。
進化論を「絶滅」から考え抜いてきたラウプが、ゲームのルールがまったく変わってしまうような地球の出来事において生き延びてきた生物たちは、「前のゲーム」でたまたま発達させていた性質を、「変わってしまったゲームのルール」の場でたまたま生かすことで「適応」してきたということを説いた説だ。
「火星に取り残される」というゲームのルールがまったく変わってしまった中で、「植物学者」であることは、「適応」のためには相当に有利に働くはずだ。
これが、一つ目のこと。
それから、二つ目に、「植物」という「生き物と共に生きてきたこと」である。
マーク・ワトニーは、火星で、栽培による「芽」を見つける。
そこで、彼は、この「芽」に触れながら、「芽」に向かって、「Hey there」と声をかける。
一つ目の「栽培」ということが、人の「物質的な拠り所」を築くものであるならば、二つ目の「芽」は、人の「精神的な拠り所」を築くものである。
マーク・ワトニーの他に「誰」もいない不毛の火星で、「芽」は、同じ生きるものとしての「精神」を分かちあうものであったはずである。
遠藤周作の著作『深い河』に出てくる風景の中に、ぼくは同様のことを感じたように思う。
もちろん、マーク・ワトニーが、生き残りに向けて「味方」としていく力は、仲間であったり、音楽であったり、さまざまだ。
しかし、「植物学者」ということの源泉である「植物」がもつ<共生の論理>(食べ物を与えてくれる存在であり、共に地球で生きるという存在)が、マーク・ワトニーに生きる力を与えていくのだ。
それは、宇宙がつくりだした奇跡の芸術作品としての「地球」を照らし出す光でもある。
マーク・ワトニーが、「地球の叡智」を駆使して生き残りに立ち向かったように、ぼくたちは日々を「地球の叡智」できりひらいていくことができる。
不毛の火星に「地球の叡智」を花開かせていくよりは、この地球で「地球の叡智」によりたくさんの花を咲かせる方が、はるかに容易であることを、この映画は見せてくれている。
マークの言葉を反芻しながら、ぼくは、「運よく、ぼくは……だ」の「…」をどの言葉で埋めることができるだろうか、と自分に問いをなげる。
「火星」を起点に、現実として宇宙を視野に。- Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』。
ぼくの構想のひとつである「時間と空間の『人と社会』学/「生き方」学」(仮名)。その「空間」の座標軸は、ひとまずは「グローバルへの広がり」を視野に入れながら、しかし、その先には「宇宙空間への広がり」を見据えている。...Read On.
ぼくの構想のひとつである「時間と空間の『人と社会』学/「生き方」学」(仮名)。
その「空間」の座標軸は、ひとまずは「グローバルへの広がり」を視野に入れながら、しかし、その先には「宇宙空間への広がり」を見据えている。
「そんなに大きな話を」という声に対しては、SpaceX社のElon Muskは「火星移住計画」を着実に進めているし、2030年代前半頃の実現見通しも言われている。
「仮説」や「妄想」は、確実に「現実」に向かっている。
その「現実性」を感じさせてくれた書籍のひとつに、Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』(TED Books, 2015)がある。
『私たちはいかに火星に住むのか』。
この書名は、二重の意味において「正しい」。
第一に、どのように火星に「到達」するかではなく、「住む」のかということについて書かれていること。
第二に、「どのように」住むのか、という具体性において書かれていること。
この二重の意味が、人が火星に降り立つ日が「目前」であることを伝えている。
【Contents(目次)】
Epigraph
Introduction: The Dream
Chapter 1: Das Marsprojekt
Chapter 2: The Great Private Space Race
Chapter 3: Rockets Are Tricky
Chapter 4: Big Questions
Chapter 5: The Economics of Mars
Chapter 6: Living on Mars
Chapter 7: Making Mars in Earth’s Image
Chapter 8: The Next Gold Rush
Chapter 9: The Final Frontier
Imagining Life on Mars
「The Dream」と題されるイントロダクションは、「予測的な物語」で始まる。
A Prediction:
In the year 2027, two sleek spacecraft dubbed Raptor 1 and Raptor 2 finally make it to Mars, slipping into orbit after a gruelling 243-day voyage. As Raptor 1 descends to the sufface, an estimated 50 percent of all the people on Earth are watching the event, some on huge outdoor LCD screens…
ひとつの予測:
2027年、流線型の宇宙船Raptor 1とRaptor 2が、いよいよ火星に到達する。宇宙船は243日の旅ののちに、火星の軌道にはいっていく。Raptor 1が火星の地表に向かっておりていくところ、地球の50%にあたる人びとがこのイベントを見ている。屋外のLCD巨大スクリーンで見ている人たちもいる。…
Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』(TED Books, 2015)
(※日本語訳はブログ著者)
それは、現実に見ているような錯覚を、ぼくに与える。
映画『The Martian』(オデッセイ)の風景が、ぼくの記憶の中で重なる。
このようなイントロダクションに始まり、Stephenは、火星への有人飛行と移住が技術的に可能であることなどを、具体性の中で語る。
Stephenは、Elon Muskが移住計画の全体の妥当性について、「環境的な障害」ではなく、「基本コストの課題」として見ていることに、注意を向ける。
火星移住は、火星における空気、放射線、水などの問題・課題よりも、コストが課題だということだ。
もちろん空気や水などといった、人間の生きる条件ともなる環境要因は大切である。
しかし、この本においても、それらの問題・課題を、具体性の次元において(一般読者向けに)語っている。
火星移住のシナリオが具体性の中で語られ、最初で述べたように、いかに火星に到達するかということではなく、焦点はどのように住むのかという方向に重力をもつ。
読み終えると、火星移住が現実のものとして感じられるから不思議だ。
そして、ぼくが驚いたのは、「Chapter 8: The Next Gold Rush(次なるゴールド・ラッシュ)」という章で展開されている内容だ。
それは、火星の「その先」にあるものだ。
火星と木星の間にある小惑星帯には、鉱石資源がある。
NASAによると、その価値は「今日の地球のすべての人が1000億ドルを持っていること」と同等だろうと言われる。
資源問題という「グローバリゼーション」の行きつく現問題を(範囲はわからないけれど)解決する方途を、宇宙資源がひらいていく可能性がある。
そして、グローバル企業はすでにその「ビジネス」に参入している。
地球と小惑星帯の間に位置する火星は、この方途における「基地」のような役目を果たす可能性があるのだ。
それは先のことかもしれないけれど、実はそれほど遠くない未来の話だ。
準備は進められていて、実際の小惑星における鉱石発掘の試験などは2020年代前半頃ということも、この書は触れている。
地球という「有限の空間」、グローバリゼーションというプロジェクトの行き止まりの空間が、その先に「無限の宇宙空間」をきりひらいていくその仕方と、人と社会への影響を、ぼくは追っている。
宇宙を視野に入れることは、すでに現実問題として、ぼくたちの前に立ち現れている。
「世界を変えるための、コピー2枚」。- 人間の欲求としての「充実感」の6つの条件(福島正伸)。
こんな会社がある。朝、社員が出社すると、こんな会話がなされる。社員:「世界を変えに来ましたー!」...Read On.
こんな会社がある。
朝、社員が出社すると、こんな会話がなされる。
社員:「世界を変えに来ましたー!」
社長:「君が来るのを待っていた。世界を変えるために、コピーを2枚とってくれ!」
社員:「いいんですか、世界を変えても。…社長、世界を変えてしまいました。コピーを2枚とっちゃいました。」
社長:「よくやってくれたー!」
株式会社アントレプレナーセンターの、実際の風景だ。
代表取締役の福島正伸が、音声を通じて、このような話をリスナーに届けている。
「人間の欲求」と題された音声で、福島正伸『真経営学 音声全集:第4巻』の中に収められている。
福島正伸の「経営学」のエッセンスが厳選され、語られている。
この音声全集は、「社会復帰は、もうできない」というガン宣告を受けた福島正伸が、今後声も出すこともできないかもしれない、仕事ができなくなるかもしれない、命を落とすかもしれない中で、3日間かけて収録された全集である。
咽頭がんであったため、声を出し続ければガンが進行する可能性がある中での録音である。
その後、治療法を見つけ出し、奇跡的に復帰した福島正伸が、復帰後にこの音声全集のCDを1000セット発売し、ぼくはその時にこの音声全集を手にし、まさしく命を吹き込まれたこの音声全集に耳を澄ませた。
この「真経営学」は、昨年に書籍化されている。
ふと、ぼくはふたたび聞きたくなって、「人間の欲求」という音声の再生ボタンを押した。
「人間の欲求」について、福島正伸は、正反対の欲求としての二つの欲求を挙げている。
● 安楽の欲求(無意識でいると易きに流れるなど)
● 充実感を得たい(生きがいなど)
無意識でいると、ついつい楽をしたくなるのが人間だけれど、それではつまらなくなってしまうのも人間。
充実感を得たいという欲求だ。
「充実感」について、福島正伸はさらに、次のように定義している。
● 毎日味わっている充実感=「生きがい」
● 大きな充実感=「感動」
この「充実感を得る」ための六つの条件として、福島正伸は次のものを挙げている。
1.明確な目標があること(行動をするために)
2.困難を伴う(できるかどうかわからない状態にあること。結果が保証されていないこと)
3.努力
4.それをあきらめないこと(結果が見えない中で努力を継続する時間)
5.自発性(自分がやりたいと思ってやっているか。最終的に自分の意志でやっていること)
6.仲間・協力・支援(喜びは他人と分けると2倍になる。悲しみは半分になる)
この全体像と内実に、ぼくは共感する。
最近のぼくの関心に引っかかったのは、一つ目の「明確な目標」ということである。
その文脈で語られたのが、冒頭の「世界を変えるためのコピー」の話である。
仕事は何気なくやらないこと。一つ一つの仕事に意味を見つけ、一つ一つの仕事で社会に貢献していくこと。そうして、充実感を得ていくこと。仕事は、限界まで楽しんでやっていくこと。
福島正伸の言葉は、語る。
「明確な目標」ということでは、この「明確であること」を強調する。
例えば、どんな気持ちで、どんな表情で、どんな言葉を使って挨拶をするか、そんな明確なイメージをもって会社をつくること。
明るい職場だったら、こんな笑顔があり、こんな言葉が交わされ、こんな行動が起きるということを、明確にしておくことである。
福島正伸は、「小説」にするとわかりやすいとしている。
現に福島正伸の著作『理想の会社』では、小説の「物語」として、理想の会社を描いたという。
小説、小説のように物語で語ることで、すごくわかりやすくなる。
目標とか夢、社風、今日使う言葉まで、できるかぎり描ききることを、福島正伸は語る。
実現は、その先にやってくる。
福島正伸は、この「充実感」は、一度体験されると繰り返されることを、最後に語っている。
そこでは、人は自分で考えて行動していくようになるのだ。
<物語の力>ということを、ぼくはずっと、考えてきている。
「物語」には、福島正伸が語る「人間の条件」が埋め込まれている。
映画は、2時間ほどで、その軌跡をぼくたちに擬似体験させる装置だ。
主人公はテーマ・夢・目標を持ち、困難の中を努力でかけぬけていく。
なんども困難がやってきては、しかしあきらめずに、自分が選んだ人生を、仲間たちと乗り越えていくことで、感動(=大きな充実感)を得る。
同じような「流れ」であっても、人は普通、映画を見飽きるということはない。
この「物語」の原型は、太古から、神話という形で語られてきてもいる。
そして、<物語の力>は、ぼくたちの生きることにおいても、仕事場においても、人との関係性においても、ほんとうに大きな力となる。
「世界を変えるためのコピー」は、物語の力の一端だ。
人も組織も、まだまだ、福島正伸の言うように、目標や夢を描ききれていない。
「できない」「ダメだ」と言う前に、ぼくたちにはやることが山ほどある。
愚痴が出る出番はない。
まだ、全然試しきれてもいないのだから。
「TED Talks」の中でひとつを選ぶとすれば。- Benjamin Zanderの言葉と物語、そして肯定の力。
「TED」(Technology Entertainment Design)は、「ideas worth spreading」の精神のもと、TED Conferenceなど、さまざまな事業を展開している。...Read On.
「TED」(Technology Entertainment Design)は、「ideas worth spreading」の精神のもと、TED Conferenceなど、さまざまな事業を展開している。
最初の形は1984年にさかのぼり、2006年に「TED Talks」として無料動画配信がはじまることで世の中に広まることになった。
TEDの講演会では、さまざまな分野の、さまざまな人たちが「ideas」を世界に伝えている。
「TED Talks」は、TEDの講演からキュレートされた動画が配信され、質の高いプレゼンテーションを見ることができる。
サブダイトルも充実し、日本語を含む各国語のサブタイトル付きで、見ることができる。
TEDは、「TED Talks」の初期から、ぼくの学びの場のひとつとなっている。
そこには、大きく分けると、ぼくにとって3つのことがある。
- 肯定の力
- 言葉/プレゼンテーション
- 物語
まずは、TEDの動画を見るたびに、世界が<肯定の力>で照らされる。
世界には、志を高く持ち、よりよい世界へ向かうための力となる人たちであふれていることを感じる。
講演のトピック・分野はさまざまだから、一層、その「広がり」を感じることになる。
この<肯定の力>が、短い時間で区切られた「プレゼンテーション」の中に凝縮されることになる。
TEDを世界的に広げていく原動力となったプレゼンテーション形式。
ぼくたちは、「プレゼンテーションの方法・仕方」という視点において、TEDを素材に学ぶことができる。
ぼくも、講師の立場から、TEDのプレゼンテーションから学んでいく。
この10年、TEDのプレゼンテーションに関する書籍も多数出版されており、学ぶべきことに事欠かない。
「プレゼンテーション」は短い時間の中に凝縮されるため、そこで語られる「言葉」も厳選されていく。
<言葉の力>というものを、世界がふたたび取り戻していく流れのひとつともなっている。
<言葉の力>は、そこで語られる「物語」によって生かされていく。
講演者は、プレゼンテーションの中に、<物語の力>を注入していくことになる。
物語には講演者の思いや情熱が流れ、語りにリズムが生まれ、まさしく躍動していく。
すばらしい講演は、これらが一体となっている。
ほんとうにたくさんの「TED Talks」の講演の中で、見たのは一部であるという限定性を付けた上だけれど、ぼくがたったひとつの講演を選ぶとすれば、それは次の講演である。
「Benjamin Zander: The transformative power of classical music」
(*リンクはこちら)
クラシック音楽の指揮者Benjamin Zanderによって2008年に行われた講演は、今でも、見るたびにぼくに感動を与えてくれ、ぼくを触発し、学びを提供してくれると共に、すばらしいプレゼンテーションの原型のようなものとして、ぼくの中にある。
プレゼンテーションスキルということで言えば、プレゼンテーションに関する書籍である、Nancy Duarte『Resonate: Present Visual Stories that Transform Audiences』(Wiley)の中で、Benjamin Zanderのこの講演が素材として取り上げられている。
観客とのエンゲージメントもすばらしいものがあるし、プレゼンテーションという形での<物語>は、その中に笑いや悲しさや感動などのすべての要素がある。
講演はピアノを使いながらすすみ、動画を通じても、講演の親密さが伝わってくる。
この<物語>を通じて、観る者は、クラシック音楽の「内的な音楽」にとりこまれ、その世界はいつしか自分の人生の「内的な音楽」にまで射程を伸ばしていく。
音楽のコードに言葉をのせながら、Benjamin Zanderはこのことを成し遂げる。
Benjamin Zanderは、講演の終わりの方で、「指揮者」は、オーケストラの中で「音を出さない」ということに、45歳で気づいたことの話を伝えている。
「音は出さない」けれど、人の可能性を引き出すのが指揮者である自分の役目だと。
その気づきが、Benjamin Zanderの生の方向性を決定づけてゆく。
そんなBenjamin Zanderの「成功の定義」は、シンプルだと、彼は言う。
成功の定義は「It’s about how many shining eyes I have around me.」だと言う。
自分の周りにどれだけの人たちの目が輝いているのか。
「shining eyes(目が輝くこと)」。
ぼくが、西アフリカのシエラレオネで、東ティモールで香港で、目指してきたことと、それは重なる。
だから、Benjamin Zanderの言葉と情熱に動かされて、「目が輝くこと」を、ぼくは自分の「個人ミッション」の中に取り入れることにした。
目が輝くという<肯定の力>と共に、今日の一日を、ぼくは生きる。
「体育座り」を止めること。- 海外の環境が助けてくれる「unlearning」のプロセス。
日本の国外(海外)にいると、自分が習ってきたこと、学んできたこと、身につけてきたことが、「相対化」されやすくなる。
🤳 by Jun Nakajima
日本の国外(海外)にいると、自分が習ってきたこと、学んできたこと、身につけてきたことが、「相対化」されやすくなる。
日本にいても、意識を高くもって行動していれば、自分を「相対化」することはできるけれど、海外に生活していると、普段の生活の中で、「あれ、こうはしないんだな」といった場面がやってきやすくなる。
「床に座る座り方」も、そのような場面のひとつだったりする。
日本にいて、ぼくが小学校のときから「普通」の座り方としてきた「体育座り(体操座り、三角座りなど)」は、海外ではやはり見ない。
少なくとも、ぼくが目にした記憶はない。
日本の姿勢治療家である仲野孝明は、ブログで「体育座りは、今すぐ止めなさい!!」と警鐘をならしている。
仲野孝明の教えを、『座り方を変えれば、身体の疲れがイッキに取れる!』(Gakken)や『長く健康でいたければ、「背伸び」をしなさい』(サンマーク出版)といった著書、それから仲野孝明のポッドキャスト『成功する姿勢力』から、ぼくは学んでいる。
その感覚を信頼する治療家のひとりだ。
仲野は、診察に来た20歳の女性の「数々の不調の原因」をつきとめていくなかで、彼女が好んできた「体育座り」に原因のひとつを見つける。
体育座りをすると、確かに、腰の部分から背中が曲がってしまう。
彼女は、正しい姿勢をしていくことで、不調から解き放たれていったという。
「体育座り」の起源は明瞭ではないけれど、仲野は、wikipediaに掲載されている情報、1965年(昭和40年)に『集団行動指導のてびき』として学校教育に入ったのが初めてであることに触れている。
なぜ導入されたのかも不明瞭だが、長時間立っていることで貧血を起こす子供たちの状況に対処するため、とも言われている。
日本独自の座り方であるということだ。
冒頭で述べた通り、海外に生活していて、体育座りは目にしない。
そもそも「床に座る」ということ自体、日本では普通だけれど、海外ではそれほど普通ではない。
西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それから香港と生活をしてきたなかで、ぼくは普段床に座ることはない。
椅子やソファーやベッドに座る。
そのような日本と異なる生活様式の中で、「あれ、こうはしないんだな」というつぶやきを、ぼくの内面ですることになる。
よい習慣であればよいのだけれど、体育座りのような「悪い動きや習慣」であると問題だ。
そして「悪い仕方」を、ぼくたちは盲目に習い、盲目に継続してしまっていたりする。
そのために、習ってきたこと・学んできたことを、一度、意識的に取り除くというプロセスを経る。
「unlearning」のプロセスだ。
Mark Bonchek (Shift Think)が書くように、学ぶことのより深い問題は、learningではなく、むしろunlearningにある。
unlearningを終えて/と同時に、新しい仕方を、意識的に、心身にインストールしていく。
海外の生活が15年を超えた今も、このプロセスを起動させる機会がしばしばある。
「座り方」は、まるでアップデートされるOSにいつしか対応できなくなるアプリのように削除され、新しいアプリをダウンロードする。
それほど簡単であればよいのだけれど、人の「習慣」は、削除のボタンを押しても押しても、なかなか削除されない。
海外という環境は、相対化の力と異なる環境の力を発揮して、いくぶんか、このプロセスを助けてくれる。
人と人との<間身体>的な影響と共に、環境に埋め込まれた様式の影響が、ぼくたちに作用する。
床に座る機会を与えないようにして。
ぼくの心身にインストールされている「アプリ」の整理と取り替えの必要性を、ぼくはしみじみと感じている。
「思えば危うし(思即危)」(見田宗介)。- 「明るく安全な世代」における学びと思考。
社会学者の見田宗介が2000年代初頭に書いた「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」という論考を読みながら、ぼくは勝手に「叱咤激励」される。...Read On.
社会学者の見田宗介が2000年代初頭に書いた「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」という論考を読みながら、ぼくは勝手に「叱咤激励」される。
1990年代から2000年代初頭にかけての大学生たちを眼にしながら、「思想の危険」(『群像』発表時の当初のタイトル)ということについて書いた文章だ。
ぼくも同じ時代に大学生であったから、ある意味において、ぼくも「当事者のひとり」とも言うことができる。
結論的な段落で、見田宗介は、「思えば危うし」(思即危)と書いている。
そこに至る論考の道筋を追いながら、「思えば危うし」を見ていくことにする。
論考の出発点は、孔子の一節である。
「学んで思わざれば即ち罔し(くらし)。思うて学ばざれば即ち殆し(あやうし)。」(孔子)
孔子の言説には小さい頃から基本的に反発を感じてきた中で、この一節だけは納得するものであったと、見田宗介は言う。
そして、大学での仕事という経験が、この一節に重なっていく。
大学の仕事をするようになって、この断片への共感は一層確実なものとなるように思えた。いくらよく勉強をしていても、自分の頭で考えない奴は全然ダメである。けれども反対に、いくら自己流に「考えて」いても先行の理論をきちんと押さえていない奴も、「大発見」等と称して的外れの議論をとうとうと展開したりする。学んで思わざるの徒も困るが、思いて学ばざるの徒も困ったものだ、と。
見田宗介「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」『定本 見田宗介著作集X』岩波書店
しかし、当時の状況は、見田宗介の納得を「震撼せしめる事態」として起こった。
当時の大学生たちは、どちらのタイプにも当てはまらず、「学んで」いないし、「思うて」いるようにも見えない。
孔子の言葉を応用して言うと「暗く、しかも危うい」ということだけれど、当時の学生たちは、暗くはなく「明るく」、また危うくはなく「安全」である、と。
他方、1970年前後の大学生たちは、「危うい」学生たちばかりであったけれど、充分にまた過剰に「思うて」もいて、はるかに多く「学んで」もいたという印象を、見田宗介は経験の記憶から引き出している。
見田宗介は、こう述べている。
少なくとも二〇世紀後半の日本において興亡する諸世代を見わたしてみた限りでは、危険な世代の青年たちほどよく学び、また多く思考していた。安全な世代の青年たちほど一般に余り学ばず、また思考していない。
…論理的に整理してみるならば、よく思考する青年は学ばなくても危うく、学んでもまた危ういということになる。考えていない学生は、学ばなくても学んでも危うくはないということになる。つまり、「危うい」ということは人間が「思う」ということ、「考える」ということの結果なのである。
見田宗介「思想の眩暈ー青光赤光白光黒光」『定本 見田宗介著作集X』岩波書店
そうして、見田宗介は、「思えば危うし」(思即危。)と端的に記すことになる。
そんな見田宗介はと言うと、2000年頃に『危険な思想家』という本を書かないかと話がもちかけられたが、「じぶんが危険な思想家だからという理由」で、当時は断ったという。
この論考を読みながら、ぼくもその粒である「明るく安全な世代」の学びと思考ということを考える。
試験勉強・受験勉強という「勉強ではない勉強」にすっかりと思考の芽をそぎとられてきたぼくの学びと思考。
しかし、芽がつぎとられても「思考の根」は生きてきた。
ぼくの「思考の根」は、アジアへの旅、ニュージーランドでの生活、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港などを経ながら、学ぶことと思考することの芽をいっぱいに地上に出している。
空間を移動しながら、しかし実質において「時間」を移動しているような現実にも出会いながら、さらには次なる時代がひらかれようとしていく中で、ぼくの思考の芽は育ってきた。
でも、「危うい」というところまで果たして思考できているだろうか、学べているだろうか、という想念がどうしても浮かんでくる。
「危険な世代」の青年たちのこと、「危険な世代」の青年の学びと思考の真剣さと真摯さを思ってしまう。
「思えば危うし」という真実の前に、ぼくは自分のことを「危うし」と言えるだろうかと疑念をいだく。
『危険な思想家』という本を書くことの依頼が来たら、ぼくは引き受けてしまうだろう。
だから、ぼくは「思想の眩暈」という文章を前に、自分で勝手に、自分を「叱咤激励」している。
ぼくの内面に存在する「危険な思想家」である見田宗介というぼくの「師」が、真剣で真摯な眼差しを、ぼくにおくっている。
追伸:
昨日取り上げた「ブルース・リー」(李小龍)は、「危険な時代」における「思えば危うし」の人物であっただろうと、ぼくは思う。
香港で、ブルース・リー(李小龍)の「生の物語」に触れる。- 「直筆の文字」に、ブルース・リーを視る。
香港文化博物館では、2013年7月20日から2018年7月20日の5年にわたって、ブルース・リー展『Bruce Lee: Kung Fu・Art・Life』が開催されている。...Read On.
香港文化博物館では、2013年7月20日から2018年7月20日の5年にわたって、ブルース・リー展『Bruce Lee: Kung Fu・Art・Life』が開催されている。
ブルース・リー(Bruce Lee、李小龍)は、言わずと知れた、武道家であり映画俳優である。
香港に住んでいてブルース・リーを普段身近に感じることはあまりないけれど、香港と言えばブルース・リーとも見られ、香港の顔でもある。
1940年にサンフランシスコで生まれたブルース・リーは、香港で育った。
それから、18歳でアメリカに渡り、勉学と武道に傾倒していくことになる。
その後アクションスターとなったブルース・リーは、1973年に32歳の若さで他界したが、今でも、多くの人たちを魅了してやまない。
ブルース・リー展『Bruce Lee: Kung Fu・Art・Life』では、600点以上もの展示物を陳列し、ブルース・リーの人生の軌跡を追っている。
ブルース・リーが着た「黄色いトラック・スーツ」、ブルース・リーが使ったヌンチャク、数々の写真などなど、ブルース・リーのファンにとってはたまらない展示となっている。
また、ブルース・リーのファンでなくとも、そこに、人を魅了してやまない人物が生きてきた人生の軌跡と魅力を見ることができる。
ブルース・リーという「ひとりの生」の物語が、そこで語られている。
渡米したブルース・リーが「哲学」を学んでいたことなど、ぼくはまったく知らなかったから、それだけでもぼくの興味を引くものであった。
アクションスターというイメージからは程遠い哲学ということに、しかし、ブルース・リーという人物を重ね合わせながら、それもわかるような気もした。
そして、ぼくが興味を持ったのは、ブルース・リーの「直筆の文字」であった。
「直筆の文字」に、ぼくは魅かれる。
そこに、その人の生が浮かびあがるような気がする。
同博物館の展示『八代帝居:故宮養心殿文物展』(2017年6月29日ー10月15日展示)においても、ぼくは中国の清代の乾隆皇帝が手書きで書いた文字に魅かれる。
手書きの文字を心の中でなぞりながら、そこに、その人の気持ちを読みとる。
ブルース・リーの几帳面な文字は、ブルース・リーの人となりを物語っている。
手書きの文字の中で特に興味を引いたもののひとつは、彼の「武術トレーニング」のメモだ。
メモには、詳細に、トレーニングの仕方が記載されている。
毎日決められたスケジュールにしたがって、たんたんとトレーニングを積んでいくブルース・リーの姿が見えるようだ。
この積み重ねが「ブルース・リー」をつくってゆく。
それから、武術を教えるために(確か)スイスに出張していたブルース・リーが、リンダ夫人に宛てた手紙に、ぼくは魅かれる。
そこには、「ナイトクラブなどには興味なく、リンダのことを考えている」旨が書かれている。
ブルース・リーのリンダ夫人への「配慮」に、ぼくは学ばされる。
それが、「直筆の文字」だからか、気持ちが伝わってくるようだ。
ぼくは、「直筆の文字」とその行間に、ブルース・リーの姿と心情を感じる。
ところで、ブルース・リーの令嬢である「シャノン・リー」が、現在「Bruce Lee Family Company」を運営していて、Podcast『Bruce Lee Poscast』(英語)を世界に向けて届けている。
Podcastは、ブルース・リーの生と哲学からの学びを届けている。
53話(2017年7月6日発信)は、「Meaning of Life」(人生の意味)と題されている。
ブルース・リーは、人生の意味について、「The meaning of life is that is to be lived.」と述べていたという。
シャノン・リーは、こう付け加えている。
What he means by this is that life is meant to be engaged with, present in, taking action toward; it is not to be conceptualised or only thought about, but actually participated in.
(この言葉で彼が言おうとしていることは、人生というのは、関わるものであり、そこに在るものであり、それに向かって行動をするものである。人生は、概念化されるものではないし、またただ考えるものでもなく、実際に参加するものである。)
Podcast『Bruce Lee Poscast』「Meaning of Life」
また、ブルース・リーは、「water(水)」(の流れ)を人生のメタファーとしていたことに触れ、さらにこう付け加えている。
Living exists when life through us - unhampered in its flow….
(人生がその流れを妨げられずにわたしたちを通過するとき、生きることは在る。)
Podcast『Bruce Lee Poscast』「Meaning of Life」
ブルース・リーは、哲学を学んできたことからも推測されるように、けっして考えなかったわけではないし、誰よりも考え、学ぶことを生きてきたはずだ。
しかし、ブルース・リーは、人生を生きるというより、<生きるということに生きてきた>ということである。
人生というものがあってそれを生きるのではなく、水のように流れる生そのものに内在して生きてきたということだ。
そして、シャノンが繰り返し述べているように、その流れのなかで、学び続け成長していくことを、ブルース・リーは生きた。
展示にあった「直筆の文字」も、そのようなブルース・リーの一面を確実に語っているように、ぼくには見えた。
人生「を」生きるのではなく、人生をぼくたちに「通過」させること。
そのときに、人生は、ぼくたちが思いもしなかった仕方で、ぼくたちの前に現れるのかもしれない。
ブルース・リーの生がそうであったように。
香港で、『故宮養心殿文物展』(香港文化博物館)を観て。- 清の時代の「鏡」に魅せられて。
香港で、香港文化博物館の『八代帝居:故宮養心殿文物展』(2017年6月29日ー10月15日展示)を訪れる。中国の清代において、八代にわたる皇帝が住居とした「養心殿」の文物展だ。...Read On.
香港で、香港文化博物館の『八代帝居:故宮養心殿文物展』(2017年6月29日ー10月15日展示)を訪れる。
中国の清代において、八代にわたる皇帝が住居とした「養心殿」の文物展だ。
「養心殿」(Hall of Mental Cultivation)は、中国の明代に、北京の紫禁城(故宮)に1537年に建設された建物である。
展示は、「養心殿」の家具などの文物などにより、「養心殿」を再現している。
展示を見ながら、ぼくが高校時代に習った「世界史」に出てきた「清代の皇帝たち」を「養心殿」に見ているようで、とても不思議な感覚を味わうことになった。
ぼくが北京の紫禁城(故宮)に足を運んだのは1994年、そのときの風景も思い出しながら、ぼくは「歴史の世界」を楽しんだ。
「養心殿」(Hall of Mental Cultivation)の「養心」は、『孟子』にある「養心莫善於寡欲」(”Leading a frugal life is the best way to cultivate the mind”)から来ているという。
明代には皇帝は時おりの滞在にしか使っていなかったところ、清代になって皇帝の住居、また執務室として使われるようになる。
清の雍正皇帝(1678 - 1735)が「Home Office」として使い始め、乾隆皇帝、嘉慶皇帝、道光皇帝、咸豐皇帝、同治皇帝、光緒皇帝、そして「ラストエンペラー」の宣統皇帝にわたる八代の皇帝たちに大切にされてきた養心殿。
養心殿の構造は次の通りである。
【中心】
「正殿明間」(Central Hall):皇帝が大臣たちと話し合いをしたり、官員が皇帝に謁見する間
【西側】
「西暖閣」(West Warmth Chamber):日々の執務などを行う執務室(*ブログ写真)
「三希堂」(Room of Three Rarities):乾隆皇帝の書斎
【東側】
「東暖閣」(East Warmth Chamber):宮廷の画家や彫刻家などの仕事場、元旦の筆書を執り行う場
「垂簾聴政」(Empress dowagers as regents behind the curtain):清の後期における摂政皇太后の間
展示では、この「養心殿」の構造が再現され、順番に見ていくことができる。
入り口から入って、まず目の前にひろがるのが「正殿明間」(Central Hall)。
重要な文化財であるため、セキュリティ・ガードが数名、「正殿明間」(Central Hall)を囲むようにして、見守っている。
この椅子に、清代の皇帝たちが座っていたところを想像するだけで、不思議な感覚をぼくは覚え、心がゆさぶられる。
「正殿明間」(Central Hall)から、「西暖閣」と「三希堂」にまわる。
この机で戦略が練られ、執務が執り行われていたことに、歴史の想像力がかきたてられる。
雍正皇帝はこの時代に夜遅くまで働き、睡眠時間は4時間に満たなかったというから驚きだ。
西側から、今度は東側に位置する「東暖閣」と「垂簾聴政」にまわっていく。
なかなか思い出せない映画『ラストエンペラー』の風景を、感覚として想像する。
それは、また、ぼくを不思議な感覚の中につれていく。
いろいろな展示物それぞれに魅せられながら、中でもぼくが魅せられたのは「鏡」であった。
清代の、大きな鏡。
その大きな鏡に自分の姿をうつしてみる。
鏡は、ぼくの姿を確かにうつしている。
清代にこの鏡に姿をうつしていたであろう人たちの内面に入っていくような感覚を覚える。
皇帝がこの鏡をのぞきこんでいる姿を想像し、ぼくはそれを見ているような不思議な感覚もわきあがる。
ぼくは、この「鏡」に魅せられてやまなかった。
鏡のもつ不思議な力が作用したのかもしれないけれど、先日読んでいた「鏡の中の自己=他者」という、社会学者の大澤真幸の論考も作用したのかもしれない。
「社会の起原」を追う大澤真幸は、「鏡像による自己認知」ということに注目する。
「鏡像による自己認知」は「他者体験」ときわめて深い関係があること、である。
発達心理学的な研究は、人間の赤ちゃんが1歳半から2歳程度の年齢に至るときに、鏡に映った像が自分であることを明確に理解するようになることを伝えている。
他方、「動物」はと言うと、鏡像の自己認知は非常に難しいようだ。
ただし、チンパンジーは一定の年齢に達すると認知ができるようになるという。
しかし、ある研究者は、チンパンジーが他個体から隔離されて育てられた場合に自己認知できないことを発見する(今日では実験は「非人道的」として実施できないという)。
さらに、3個体のチンパンジーに行ったこの実験の後に、2個体は「同じ部屋に同居」させ、1個体は「隔離させたまま、しかし他の2個体を見ることができる」ようにした。
結果は、前者の2個体は鏡像による自己認知が可能になったが、後者の1個体は自己認知ができなかったという。
大澤真幸は、この実験結果が含意することとして、次の二つのことを明示している(『動物的/人間的:1. 社会の起原』弘文堂)。
- 鏡像による自己認知が可能になるのは、他者の存在、他者についての経験の不可欠性
- その経験は他者を外から「見る」ということだけでは不十分で、身体的な直接の接触を含む、他者との実質的な相互作用がなければならないこと
大澤真幸はそして、次のように語っている。
鏡に映った自己を見るということは、自己の自己への関係であるように見える。しかし、その自己関係の前提として、他者との関係が、つまりある種の社会的体験が必要なのだ。他者との関係が、どこか魔術的な仕方で、自己への関係と転移してきたかのようだ。…
繰り返せば、鏡によって自分の顔を見る体験は、他者の顔を見る体験を前提にしている。それこそ、エマニュエル・レヴィナスが哲学的な思索のすべてを賭けて、その秘密を解き明かそうとした体験であろう。おそらく、そこに<社会>を構成する最小の要素が、つまり<社会>の原基(エレメント)がある。
大澤真幸『動物的/人間的:1. 社会の起原』(弘文堂)
鏡に映る自己はもちろん自己であるのだけれど、この能力の獲得という原初の過程において、ぼくたちは「他者」を経験し、媒介にしている。
「養心殿」の鏡を前にしながら、そしてそこに映る自分を見ながら、ぼくはそのようなことを考える。
でも、そのような考えをとびこえるようにして、その「鏡の体験」は、ぼくを不思議な空間になげこむことになった。
清代にこの鏡を通して、人は何を見ていたのだろう。
そして、ぼくは、この鏡を通して、今何を見ているのだろう。
鏡の前に立ったときの感覚は、まだぼくの身体に残っているのを感じる。