「能率」か「情緒」か?「むずかしい仕事」と「地域の問題」において。- 「日本人の意識」調査の結果から。
「『能率』か『情緒』か?」などのような問いに対する日本人の考え方と考え方の変容について、統計学的に、客観的な数字で見ることのできる資料として、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査がある。...Read On.
「『能率』か『情緒』か?」などのような問いに対する日本人の考え方と考え方の変容について、統計学的に、客観的な数字で見ることのできる資料として、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査がある。
調査は1973年から5年ごとに行われ、日本人の生活や社会についての意見の動きを捉えることを目的としている。
最新の調査は、2013年に行われている。
日本の国外(海外)で15年にわたり生活をし、働いてきた中で、「日本人の意識」や考え方と、異国・異文化における人々の意識や考え方との<間>におかれながら、いろいろと問題に直面し、考えさせられてもきた。
そのような問題意識で、「日本人の意識」調査のデータを見ていると、とても興味深いことばかりだ。
海外で(もちろん日本国内でも)よりよく生きて、よりよく働くためにも、「気づき」を得て、日々に生かしていくことが大切だ。
その「気づき」のためにも、調査結果のデータはたくさんのことを、客観的な数値で見せてくれる。
「能率・情緒」という意識と考え方について、「仕事」と「隣近所」という場に関する設問を見ることにする。
能率・情緒(仕事の相手)
第16問
かりにあなたが、リストにあげた甲、乙いずれかの人と組んで仕事をするとします。
その仕事がかなりむずかしく、しかも長期間にわたる場合、あなたはどちらの人を選びたいと思いますか。
甲:多少つきあいにくいが、能力のすぐれた人
乙:多少能力は劣るが、人柄のよい人
NHK放送文化研究所「日本人の意識」調査(2013年)結果の概要
これまで行われた9回の調査の内、ここでは1973年・1993年・2013年のデータを共有しておくと次のようになる。
- 甲の人を選ぶ(能率):26.9%(1973), 24.6%(1993), 27.0%(2013)
- 乙の人を選ぶ(情緒):68.0%(1973), 70.8%(1993), 70.3%(2013)
- わからない、無回答等:5.0%(1973), 4.6%(1993), 2.7%(2013)
むずかしい問題に向かい中長期にわたって一緒に仕事をする相手を選ぶ際に、能率よりも「情緒」を選ぶ人が多いことは、推測の域を超えるところではない。
ただし、それでもおどろくのは、第一に、情緒を選ぶ人が70%という高い数値であり、それから第二に、この40年間の推移において、ほとんど数値が動かないことである。
一貫して高い数値を維持し、2013年という最近においても、その数値の水準が維持され続けていることである。
むずかしい仕事の乗り越えを、仕事そのものの解決というより、「人間関係」にたくしているように(あるいは人間関係に解消してしまうように)みえる。
例えば、香港という「能率」を重視する社会の中で、香港的な能率と日本的な情緒という仕事の仕方のようなところで、異文化のズレがさまざまな事象の中に見られる。
このトピックはここから深く分析していくことも可能だけれど、ここでは立ち入らず、次の「地域・隣近所」における「能率・情緒」を見てみる。
能率・情緒(会合)
第32問
かりに、この地域に起きた問題を話し合うために、隣近所の人が10人程度集まったとします。
その場合、会合の進め方としては、リストにある甲、乙どちらがよいと思いますか。
甲:世間話などをまじえながら、時間がかかってもなごやかに話をすすめる
乙:むだな話を抜きにして、てきぱきと手ぎわよくみんなの意見をまとめる
NHK放送文化研究所「日本人の意識」調査(2013年)結果の概要
ここでも、前の設問と同じように、1973年・1993年・2013年のデータを共有しておくと次のようになる。
- 甲の人を選ぶ(情緒):44.5%(1973), 50.9%(1993), 54.8%(2013)
- 乙の人を選ぶ(能率):51.7%(1973), 44.6%(1993), 42.5%(2013)
- わからない、無回答等:3.8%(1973), 4.5%(1993), 2.7%(2013)
「仕事の相手」の設問とは、場(関わり方)の設定、時間(短期、長期)の設定などが異なるが、それでも興味深いデータを見ることができる。
第一に、「能率」を選ぶ人が多いこと、第二に、1973年時点では「能率」を選択する人の方が多かったこと、さらに第三に、1973年以後徐々に「情緒」の数値の方が大きくなっていることである。
1973年の数値の背景としては、「隣近所」というコミュニティの「つながり」が醸成されていたこと、あるいは逆に「つながり」がなかったけれど見えない信頼感のようなものが形成されやすい場であったのかもしれない。
「情緒」が醸成されている/醸成されやすい環境で、むしろ「能率」に目が向けられる。
あるいは、日本社会の「合理化」という近代化の動力におされる形で、社会のすみずみまで、「能率」が貫徹されていく過程であったのかもしれない。
1973年以降は、今度は、日本社会における共同体と家族の変容(あるいは解体)の中で、「つながり」の細い糸を巻いては強くするように、「情緒」を大切にしているように見える。
あるいは、社会における合理化の貫徹の中で、また311などを契機としていく中で、違うところに価値を見出す人たちの出現を表しているのかもしれない。
調査では、甲・乙という設問のあり方だけれど、現実はそれほど単純ではない。
能率も大切だし、情緒も大切だ。
能率か情緒かに関する抽象的な議論にはあまり意味がない。
日々の仕事やコミュニティにおける問題・課題の解決では、双方が求められ、日々の具体性の中で双方を駆使していく必要がある。
そのことを認識しながらも、しかし、意識の底辺における考え方や感じ方が、問題・課題解決から人や組織を遠ざけることもある。
異文化の中では、それが「先鋭化」しがちだ。
その一歩引いた視点の中で、「気づき」を土台に、仕事やコミュニティでの人との関わり方を考え、生きていくことが、ぼくたちをより広い世界に解き放ってくれる。
自然がつくりだす「アート」としての青空と雲を眺めながら。- 香港にひろがる青空の彼方へ。
中秋節を10日後ほどに控え、至るところが月餅で彩られる香港は、暑い日差しが差しながらも、香港のはるか南を通り過ぎていく台風の影響もあってか、やや強めだけれど気持ちのよい風が吹いていく。...Read On.
中秋節を10日後ほどに控え、至るところが月餅で彩られる香港は、暑い日差しが差しながらも、香港のはるか南を通り過ぎていく台風の影響もあってか、やや強めだけれど気持ちのよい風が吹いていく。
季節の移り変わりを感じさせる青空と雲が、ぼくたちの頭上に、ひろがっている。
風が雲を急ぎ足にさせて、頭上にひろがる風景は万華鏡のように、そのデザインと色合いを変えていく。
まるで、青空のキャンバスに、自然が織りなす「アート」のライブショーを見ているようだ。
香港の晴れた午後に、エクササイズとしてのウォーキングに出かける。
強めの風を肌に受けながら、空に浮かぶ雲は刻々と姿を変えていく。
30度を超える夏日だけれど、風が吹き抜けていくため、暑さは気にならない。
時折、小さな雨雲がよこぎっては、少しの雨粒をおとしていく。
雨雲がさり、真白い厚い雲の出番となり、雲の合間から日差しが勢いよく差してくる。
その内に、厚い雲が青空のキャンバスの脇によせられ、青空が顔を出す。
青空には、白い絵の具をつけた絵画の筆を勢いよく無造作に走らせたような雲が描かれている。
その風景の<美の重力>を感じて、歩みをとめ、空を見上げる。
<美の重力>は、視界を地球の中心に向けてではなく、地球の外部に向けて、ぼくをひっぱっていく。
まるで宇宙にいて、宇宙から地球を見ているような錯覚をおぼえる。
見上げながら、空と雲と風と太陽などが織りなす「アート」に惹き込まれていた妻が、顔を上げたままに、ふと口にする。
「(通りがかりの)他の人たちも、私たちにつられて、空を見上げるかしら。」
彼女はそのまま空に見入っていて、ぼくが周りに目を向ける。
ジョギングをする人たち、歩いている人たち、サイクリングをしている人たち、話し込んでいる人たちなどが視界に入ってくるけれど、ぼくの視界の中では、誰も空を見上げてはいなかった。
「誰も見上げていないね。」
ぼくは言葉を返しながら、ライブショーを続ける空へと再び目を向ける。
空は三日月をうっすらと描き、そして、小さくなって飛んでいく飛行機も描き足していく。
「アート」は刻一刻と変わっていく。
そろそろ、見るのをやめないと。
ぼくは心の中でつぶやく。
<世界の見方>を間違わないように。
頭上に描かれる「アート」は、ライブショーをひとまず終わらせようとしていたのだ。
まぶたの裏に、終わりの風景が焼き付けられないように、「終わる」前に、ぼくは目を離さなければと思うのだけれど、どうしてももう少し見ていたいと思ってしまう。
あやうく「終わる」ところで、ぼくは目を空にひろがる「アート」からそらすことができた。
再び歩きはじめて、空に白く厚い雲がおおっていくのを、目の端がとらえる。
ぼくのまぶたの裏には、あの「アート」が残っていて、<美の重力>の余韻も感じられる。
その余韻の中で、香港にひろがる青空の彼方へと、ぼくはひきこまれていく。
有限な地球の中で、じぶんが無限にひらかれていくのを感じるひとときである。
「125歳まで生きるためには…」と、じぶんに問いかけてみること。- 「人生の時間軸」を切り拓いて気づくこと。
片岡鶴太郎(肩書きはタレント・俳優・画家・書家・ヨーギなど)は、「125歳まで生きること」を目標のひとつとしている。...Read On.
片岡鶴太郎(肩書きはタレント・俳優・画家・書家・ヨーギなど)は、「125歳まで生きること」を目標のひとつとしている。
著作『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』(SB新書)で、朝(夜中)に起きてから6時間かけて、一日をはじめる「準備」をする様子が書かれている。
ヨガにはじまり、瞑想、それから2時間かけての食事(一日一食)と続く。
その片岡鶴太郎が「125歳まで生きること」を目標としていることを公言している。
他方で、昨年に出版されたLynda Gratton & Andrew Scottの著書『The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity』(日本語訳『LIFE SHIFT(ライフシフト)』)が、読者を獲得し、メディアでも取り上げられてきたことで、「100年時代」というキーワードが日本では一般的に使われ始めている。
平均余命のトップ1・2を日本と分かち合う、ここ香港では、「100年時代」的なキーワードは特に一般化されてはいないようだ。
日本政府の資料や香港政府の資料などを見ると、2060年予測には、平均寿命や平均余命において「90歳代」(女性)の数値が現れる。
これまでの「最高年齢」をネット検索していると、122歳という方がいらっしゃったりする。
その他、人間は何歳まで生物学的に生きることができるのか、という記事やブログが、ネット検索でもいろいろにひっかかってくる。
遺伝子の視点なども含め、いろいろな説があるようだ。
片岡鶴太郎が公言する「125歳の目標」は、とんでもない数値目標ということでもなさそうだ。
だから、ぼくも「100年時代」だから「100歳」とはせずに、片岡鶴太郎式に数値目標を上げることにした。
現状は、125歳に3歳足して、「128歳」というように、ぼくは「人生の時間軸」を切り拓くことにした。
目標を大切にしながらも、その道ゆきを楽しむものとしての目標数値である。
何よりも、そのように設定したときの「自分の気づき」や思考の仕方、それから日々の生き方(実践)を大切にするために、ぼくは「人生の時間軸」を引き伸ばしてみることにした。
別に、125歳や128歳を勧めるわけではないけれど、思考実験として試すことは、誰でもできる。
片岡鶴太郎式に、例えば「125歳まで生きる」としたら、じぶんは、日々どのように生きていくだろうか、と。
そのときに引き入れておくべき「補助線」は、「健康寿命」である。
「健康寿命」とは、健康的に日常生活をおくることのできる期間のことである。
ぼくは、寿命と健康寿命が重なるようにして、考えてみる。
40歳を超えたぼくとしては、80年以上をどのように健康的に生きていくことができるかと、じぶんに問うことである。
ぼくは、たくさんの「気づき」を得ることになる。
ひとつには、やはり、じぶんの「思い込み」である。
ぼくは、小さいころから漠然と、平均寿命といわれる80歳くらいまで生きるという「思い込み」の中で、人生を組み立て、生きてきたことである。
40歳は人生の「折り返し地点」などと、じぶんの身体に相談もせず、じぶん勝手に思ったりしたことだ。
その考え方と思い込みの中で、じぶん(じぶんの身体)を大切にして来なかったようなところが、128歳まで生きると決めてから、より明確に「見えてくる」ようになる。
人は、この話題になると、二者択一的な議論を展開しがちだ。
- 太く短い人生
- 細く長い人生
人は本来の「生」を、このように「狭い議論」の中におしこめてしまう。
「じぶんは長生きするつもりはなく、太く短い人生でいいんだ」と、二者択一的な思考の中で、「選択」してしまう。
生きることは「選択」である。
かつては「太く短い人生」に憧れたぼくは、今でこそ、「太く(深く)長い人生」もあるという確信の中で、そのような人生を生きたいと思う。
ただ「選択」するところから、「生」は本来の豊饒さを開いていく。
ぼくは、たくさんの本を読みたいし、たくさんのこともしたいし、火星に移住する人たちと同時代を生きたいし、人工知能が生活にとけこんだ社会も生きてみたい。
近代・現代の後の「次なる時代」を構想し、その「次なる時代」へつながる橋渡しに生き、「次なる時代」を生きたい。
「125歳まで生きるために」という思考とそのような生き方の選択は、何よりも、「じぶんを大切にすること」への思考と実践へと、じぶんを開いていくことの戦略と戦術である。
「じぶんを大切にすること」で、じぶんがもつギフトをもっと他者に与えられることへと、じぶんを開いてゆく。
「他者」は、同時代に生きる人たち、子供たち、将来に生まれでてくる人たち、それからこの地球の自然や動物や生物にまで射程がひらかれる。
「125歳」というはるか先を見すえたはずなのに、視点と実践はいつのまにか、「今、ここ」にそそがれていることに、ぼく(たち)は気づく。
「今、ここ」のじぶんや他者への暖かく冷静な心と行動が、「125歳」までの豊饒な道ゆきをつくりだしていくのだから。
「近代・現代の社会はどのような社会であったか/あるか」を説明せよとの設問が出されたら。- 見田宗介の文章に倣う。
「近代・現代の社会はどのような社会であったか」を300字程度で説明せよと、試験の設問に出されたら、どのように書くことができるだろうか。...Read On.
「近代・現代の社会はどのような社会であったか」を300字程度で説明せよと、試験の設問に出されたら、どのように書くことができるだろうか。
なお、設問は追記で、「合理性」および「自由と平等」というキーワードを必ず文章に入れること、とされているとしたら。
社会学者の見田宗介が書く文章の一部を見ていたら、この質問への徹底的に考えつくされた「魅力的な解答例」であるように思えて仕方なく、ぼくは、何度も何度もその箇所を読み返す。
それは、「世界の見方」を、ぼくたちに与えてくれる。
見田宗介は、この文章を、日本における「近代家父長制家族」の考察に続けて、次のように書いている。
ウェーバーの見るように「近代」の原理は「合理性」であり、近代とはこの「合理性」が、社会のあらゆる領域に貫徹する社会であった。他方、近代の「理念」は自由と平等である。現実の近代社会をその基底において支えた「近代家父長制家族」とは、この近代の現実の原則であった生産主義的な生の手段化=「合理化」によって、近代の「理念」であった自由と平等を封印する形態であった…。
「高度経済成長」の成就とこの生産主義的な「生の手段化」=「合理化」の圧力の解除とともにこの「封印」は解凍し、「平等」を求める女性たちの声、「自由」を求める青年たちの声の前に、<近代家父長制家族>とこれに連動するモラルとシステムの全体が音を立てての解体を開始している。
見田宗介「現代社会はどこに向かうか」『定本 見田宗介著作集 I』岩波書店
繰り返しになるが、ポイントを分けて再掲すると、次のようになる。
●「近代の原理」は、「合理性」であること
●「合理性」が、社会のすみずみまで浸透する社会が近代であること。それは「生きること」を生産のために手段化すること
●この「合理化」を支えたのが、実際には「近代家父長制家族」(父親が外で仕事をし、母親が家庭を守る「内外分担」の家族像)であったこと
●「近代の理念」は、「自由と平等」であること
●「自由と平等」は、実際には、社会の合理化優先の中で、「封印」されたこと(理念は一旦後回しにされたこと)
●合理化が社会に貫徹し、高度に経済成長した(日本)社会において、理念である「自由と平等」が(封印をとかれ)姿を現してきたこと
●「自由と平等」は、例えば、平等を求める女性であったり、自由を求める青年であったりすること
●「自由と平等」の理念のもとで、「近代家父長制度」とそれに連動し関連する道徳や制度などがくずれてきていること
ぼくは、見田宗介の文章を読みながら、頭の中で、上記のように、ひとつひとつに分解し、読み直し、ダイジェストしていく。
それぞれの文章に、深い考察が凝縮されている。
これらは「近代」という時代の全体像を簡潔にしかし深いところで理解させてくれるだけでなく、凝縮された文章の中に、現代の状況を語りあるいは分析するための思考のヒントがいくつも開示されている。
これらは、今現在、日々起きている事象、日本に限らず、世界で起きている事象を考えていく際に、その「骨格」を用意してくれる。
「合理化」=生産主義的な生の手段化、ということひとつをとってみても、それは、ぼくが小さい頃から感じてきた「生き難さ」の感覚の源泉のひとつである。
「将来役に立つから…」という社会の声の前で、現在の豊饒な生が脇に追いやられ、自分の生を生産主義的に手段化し成形していく。
また、「近代家父長制」に疑問をもちつつも、実は、現実にそれが合理化を支える制度であったことに、現実をつきつけられる。
「自由と平等」という理念の大切さにひかれながらも、現実の社会では、「合理化」と「自由と平等」の並行的な両立は容易ではないことを考えさせられる。
ぼくが携わってきた途上国などの状況と国際支援という文脈においてみると、考えさせられることばかりだ。
経済成長を果たし、つまり「合理化」を貫徹させてきたところで、「自由と平等」の「封印」が解かれる事象を、ぼくは現実にもメディアにもさまざまに見ることができる。
「人事」という領域ひとつとっても、話題に尽きない。
「働き方改革」は、誰もが知るところである。
日本における「近代家父長制度」の崩壊とともに、「自由と平等」の理念が開花し、例えば「多様性」が仕事・職場に一気に流入してゆく。
日々の事象やメディア情報に流されるのではなく、それらを大きな軸・骨格をもって見ること。
そのことの大切さと見方、思考の展開の仕方(生成力のある思考の方法)などを、ぼくは上記の文章を何度も読み直しながら学ぶ。
「大きな軸・骨格」をもったからといって、すぐに人生が好転するわけではないけれど、それは生きていく航路で、必ず、ぼくたちの生を支えてくれるのだと、ぼくは思っている。
香港で、「秋」を感じさせる3つのこと。- 中秋節に向けて、彩られる香港。
9月に入っても、日中は30度を超え、夜も25度を下回らない香港。亜熱帯に属するここ香港で、「秋」の訪れを感じるのは、ぼくにとって3つのことである。...Read On.
9月に入っても、日中は30度を超え、夜も25度を下回らない香港。
亜熱帯に属するここ香港で、「秋」の訪れを感じるのは、ぼくにとって3つのことである。
一つ目は、香港らしいところから言うと、「月餅」が店頭に並びはじめるとき、秋の足音が街に聞こえてくる。
月餅は、旧暦8月15日にあたる「中秋節」に食す風習があり、中秋節から2ヶ月くらい前から、広告が貼られ、店頭に並べられる。
2017年は10月4日が「中秋節」にあたる。
月餅についてはまた別に書こうと思うが、毎年、種類が増え、多様化していて、店頭に並べられるタイミングも若干早めになってきている。
秋の訪れを感じさせることの二つ目は、中秋節に向けて、「提灯」がかかげられる風景である。
提灯は、ろうそくではなく、現代では電燈によって光が灯される。
街や住まいの敷地などに、提灯がかかげられ、秋がまた一歩、歩みをよせる。
中秋節の当日には、子供たちは、いろいろなキャラクターや動物の提灯を手に、月が光を届ける屋外ですごす。
都会の生活の中にも、伝統と文化が根をはっている。
それから、三つ目は、「とんぼ」たちが、悠然と飛んでゆく姿である。
散歩の道すがら、あるいはジョギングの最中に、とんぼたちに、ぼくは出くわすことになる。
外は夏日に彩られながら、その中を、とんぼたちが現れる。
とんぼは、秋が近いことを、ぼくに知らせてくれる。
香港は四季の「段差」がそれほど大きくなく、夏日がそのまま冬に変わっていくようなところがあり、香港の秋は束の間の時間のように感じられる。
都会の生活は、さらに、季節の姿を見えなくさせる。
そのような中で、月餅、提灯、とんぼたちは、ぼくに「秋」の訪れを感じさせてくれる。
香港の「秋」を迎えるのも、今年で11回目である。
外部的な視点で見ていたこれらの風景が、いつしか、ぼくの生活の一部として、ぼくの中に内在している。
今年の中秋節に、月はその美しい姿で、どこまでも透き通った月光で香港を照らし出してくれるだろうか。
昨日20日は新月であった。
これから中秋節に向かって、月はゆっくりと、美しい姿を整え、光を宿してゆく。
月餅と提灯ととんぼも、中秋節に向けて、香港に彩りを与えてくれる。
近代化が透徹する現代社会であっても、これらの彩りはその灯を完全に消すことなく、ぼくたちの社会と人に生きている。
東ティモールのアルカティリ首相との思い出。- 2017年9月アルカティリ新首相就任のニュースを目にしながら。
21世紀最初の独立国(2002年に独立)、東ティモール。ぼくは2003年の半ば頃から2007年初頭にかけて、NGO職員として東ティモールに駐在し、コーヒー生産者たちの支援に携わっていた。...Read On.
21世紀最初の独立国(2002年に独立)、東ティモール。
ぼくは2003年の半ば頃から2007年初頭にかけて、NGO職員として東ティモールに駐在し、コーヒー生産者たちの支援に携わっていた。
香港に来る前に住んでいた国である。
この2017年7月に議会選が行われ、第1党となった東ティモール独立革命戦線(フレティリン)。
9月15日に、フレティリンのマリ・アルカティリ書記長が新首相に就任した。
マリ・アルカティリ新首相は、東ティモール独立後の初代首相であった人物である。
インドネシアによる占領時には、モザンビークにうつり、東ティモール独立のための外交に力を注いだ。
東ティモール独立に際し、東ティモールに戻り、シャナナ・グスマン大統領のもと、初代首相となる。
2006年、東ティモールの騒乱時に、辞任要求が高まる中で、辞任している。
ぼくが東ティモールにいる間、イベントなどでアルカティリ首相(当時)を目にすることは時々あった。
直接お会いしたのは、確か、2005年のことであったと思う。
アルカティリ首相(当時)は、地方を回っていて、ぼくがコーヒー生産者支援に携わっていたエルメラ県レテフォホも、スケジュールに入っていたのだ。
一通りのセレモニーが終わったあたりに、ぼくは1~2分ほどだったと記憶しているけれど、主に仕事のためにコーヒー生産者支援などのお話をさせていただいた。
エレベータに居合わせる30秒程度で自分の話を伝えるという「エレーベータトーク」のように、ぼくは短い時間で伝える準備をした。
東ティモールの公用語であるテトゥン語でお話をさせていただいたようにも記憶しているけれど、定かではない。
英語も混じったかもしれない。
話の内容も明確には覚えていないけれど、そこで感じられた空気感、それからアルカティリ首相の鋭い眼光、その中で緊張した声で一生懸命話そうとするぼく自身の姿が、今でも思い起こされる。
鋭い眼光と発せられる言葉のどっしりとした響きに、一国の舵取りにおいて決断・判断をしてきた人の強さと重さを、ぼくは感じた。
その時の「感覚」は、今でも、この身体に残っている。
独特の雰囲気と空気感があったからだと思う。
経験というものの「直接性」から生まれる記憶である。
2017年9月に新首相となったアルカティリ氏のニュースを見ながら、ぼくの中には、当時の記憶が、感覚と共に湧き上がってくる。
ぼくは、このような経験の積み重ねの中に生きてきたことを思う。
東ティモールの人物の記憶で言えば、もちろん、初代大統領のシャナナ・グスマン氏の印象は大きい。
直接にはお会いする機会はなかったけれど、時折、間近に目にすることがあった。
初代大統領であったシャナナ・グスマン氏については、また別の機会に書きたいと思う。
「Happiness」だけに人生を押し込めないこと。- Emily Esfahaniの提示する「意義ある人生の4つの柱」。
「TED Talks」にて、Emily Esfahani Smithが「There’s more to life than being happy」というタイトルで、聴衆に言葉を届けている。...Read On.
「TED Talks」にて、Emily Esfahani Smithが「There’s more to life than being happy」というタイトルで、聴衆に言葉を届けている。
タイトルにあるような大きな内容が12分のプレゼンテーションに凝縮されていて、その凝縮のされようが美しい。
Emily Esfahaniのモチーフは、自身が「幸せを追い求めること」でたどり着いた地点が、「心配とさまよい」の地点であったことである。
そのことは、自分だけでなく、周りの友人たちもそうであったという。
そこで、Emilyは大学院で「ポジティブ心理学」を学ぶことにし、そこから人生をきりひらいていく。
データが示すのは、幸せを追い求めることで、人は不幸せになっていくこと。
アメリカや世界では自殺者が増え、社会の豊かさの見かけに反して、人びとには希望がなく、鬱的で、孤独である。
研究が示すのは、幸せが欠如しているのではなく、「有意義な人生を生きること」の欠如である。
心理学者たちが、「happiness(幸せ)」の定義として「comfort(快適さ)、ease(和らぐこと・楽であること)、feeling good in the moment(瞬間気持ちのよく感じること)」などを挙げることに触れる。
「meaning(意義)」については、心理学者セリグマンに言及し、「意義は自分よりも大きな何かに所属し貢献し、自分の中のベストなものを発展させることから来る」とする。
Emily Esfahaniは、幸せと意義の違いとは何か、また「どのようにしたら有意義な人生を生きることができるのか?」という設問を立てて、研究を重ねていくことになる。
彼女の研究の成果は、「意義の4つの柱」として提示される。
- Belonging (所属感)
- Purpose (目的)
- Transcendence (超越的)
所属している感覚、目的をもつこと、それからいわゆる「フロー状態」のように極めて集中するような状態をもつことである。
Emily Esfahaniは例をあげながら、きわめてコンパクトに話を展開している。
そして、通常人を驚かせるという「4つ目の柱」に触れてゆく。
4. Storytelling (物語)
自分を語ること、自分を物語として語ることである。
ぼくは、驚きというより、「そうきたか、うまいなぁ」と感じた。
「Storytelling (物語を語ること)」については、ぼくも極めて大切にしている。
よりよく生きていくためには、なくてはならない要素だ。
彼女が言うように、人生はイベントのただのリストではなく、人は生きることの物語を編集し、解釈し、言い直すことができる。
それは、とてもパワフルだ。
そして、より正確には、実は誰もが「物語」をもっている。
意図していようがいまいが、程度の差はあれ、「物語」がある。
その「物語」をどれだけ彩ることができるかに、ぼくたちの人生はかけられている。
そのように彩られた物語の例としてEmily Esfahaniがプレゼンテーションの最後に挙げる「物語」に、ぼくは心をひかれる。
哲学者ハンナ・アーレントの著書『人間の条件』のどこかの章の冒頭に、エピグラフとして掲げられている言葉の意味が、ぼくの中に強く残っている。
それは、大体、このような言葉だ。
「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、耐えられる。」
その言葉は、例えば、西アフリカのシエラレオネで内戦の傷跡が圧倒的な風景で、ぼくの中に思い起こされた。
東ティモールでも、同じだった。
だから、「プロジェクト」という形での国際支援であれ、ぼくはそこに「物語」を組み込みたかった。
言葉に尽くせない「悲しみ」の風景の中で、かすかであっても、関わる人たちの中に「希望の物語」が育まれていくことを願って。
「生きるリアリティの崩壊と再生」(見田宗介)。- <生きるリアリティ>という、現代の若者たちが求める共通の<地層>から。
社会学者の見田宗介が、2010年8月に福岡のユネスコ協会で行った講演「現代社会はどこに向かうかー生きるリアリティの崩壊と再生ー」の最後を、次のように終えている。...Read On.
社会学者の見田宗介が、2010年8月に福岡のユネスコ協会で行った講演「現代社会はどこに向かうかー生きるリアリティの崩壊と再生ー」の最後を、次のように終えている。
…ボランティアに限らなくてもいいですけれども、実際に自分が役に立つようなことならばやりたいと思っている青年と、リストカットをする、あるいは無差別殺人をする青年というのは同じものを求めているわけです。つまり、それは生きることのリアリティを求めている。そこが大事だと思います。今の日本の若い人たちはいわば同じものを求めているわけですが、求め方が違っているのです。日本の若い人たちが自分の体を傷つける、あるいは人を傷つける、あるいは人を殺そうとする、そういうものとは違った仕方で、生きるリアリティを求める方法を見つけ出すことができれば、そこでもう一つ新しい時代が開けてくる可能性があるだろうと、そういうふうに思うわけです。
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
ここで並列されている若者たちは、例えば、次のような若者たちである。
● ボランティア的・支援的な活動を入れた海外ツアーに意欲的に参加する若者たち
● リストカット、つまり手首を切る自傷者(例えば、卒業するまで死なないとして自死した「南条あや」)
● 無差別殺人をする青年(例えば、秋葉原事件の加藤智大)
「冷静な頭脳と暖かい心」で、1960年から日本の若者たちをみてきた見田宗介は、一般的にまた表層的にはまったく「別」として語られる若者たちが求めていることの「深い地層」を、ぼくたちに示してくれている。
別の著作で、見田宗介は、「南条あや」と「加藤智大」について、より詳細に見ている。
南条あやのように、少女たちの孤独が「自分に向かって」内攻するときにリストカットといった「自傷者」になり、リストカットをする少女たちの孤独が「外に向かって」爆発するときに「無差別殺傷」にはしった青年がいる。
南条あやが書き残した文章からは「生きていることのリアリティの確認儀式」のような感覚が語られ、また加藤智大は自分が「誰からも必要とされない存在」の中で犯行にでる。
そのような「感覚」の<深い地層>は、ボランティアなどで海外ツアーに赴く若者たちと、<求めるもの>において通底している。
1990年代に、アジアへの旅行にいわば「リアリティ」を求めていたぼくも、この<深い地層>において、これらの若者たちと同じものを求めてきたのだと思う。
南条あやとぼくは、ほぼ同時代人である。
ぼくは、「違った仕方」で、生きることのリアリティを求める方法を見つけただけだ。
その「方法」の鮮烈さに惹かれ、ぼくは当時、「旅によって人は変われるか?」という問題意識を手にし、見田宗介の理論と言葉に助けられながら、生きてきた。
一歩の歩みを間違っていれば、リストカットや殺人あるいは他の形で「リアリティの不在」が爆発したかもしれないという想像力を起点にすることで、現代の若者や現代という時代を考えてゆくことができる。
他者の問題ではなく、ぼく(たち)の問題である。
質疑応答で、やはりこの「リアリティの崩壊」の問題に触れられる中で、「なぜ昔はリアリティを求めようとしなかったのか」という質問に、見田宗介は次のように応答している。
…周囲との関係がリアルであればそれでいいわけで、もともと人間というのは昔からずっとそういう存在なのですから。現代だけがちょっと変わった状況で、人との関係が非常に薄いというか、情報を媒介にした関係というのがでてきた。…ケータイなどでメル友が何百人もいるという形で、いま友達をつくることも簡単になっていますが、おそらくそこで出来た友達というのはやはりリアリティがないんですね。…ケータイだけでつきあった人というのはものすごく友達を欲しがりますよ。ちょうどお腹すいた人が、本当は胃袋にたんぱく質が入らないとお腹は満たされないのだけれども、清涼飲料水とかコーラとかを飲むと一時ちょっと気が休まる。でもやっぱり飲んでも飲んでも空腹は収まらないですね。そんな感じが今の若い人にある。…
見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年
リアリティの「再生」の方法のひとつとして、見田宗介は「人から必要とされること」を、アメリカの心理学者であったエリクソンの言葉を引用しながら、提示している。
エリクソンの言葉に、「mature man need to be needed」という言葉がある。
「成熟した人間は必要とされることを必要とする」ということである。
そこに、周囲との関係のリアリティが再生されていく「解決の出口」を、見田宗介はみている。
冒頭の「ボランティア的・支援的な活動を入れた海外ツアーに意欲的に参加する若者たち」ではないけれど、ぼくは東ティモールにいるとき、日本の「悩める」若者たちには東ティモールに来ることで、何らかの「解決の糸口」が見つかるのではないかと、本気で思っていた。
そんな東ティモールと西アフリカのシエラレオネという「生きるリアリティ」を強烈に押し出してしまうような社会(しかし、生きるための「ニーズ」の問題などに悩まされる社会)、それから、東京や香港という最先端の「先進」社会を生きてきた、ぼくのこの15年。
「新しい時代が開ける」ために、ぼくにできることをしようと思う。
「生きることのリアリティ」に、本気で立ち向かってきた一人として。
外国の友人の眼と体験を通じた「日本」。- 小さい子供たちが楽しめる日本。
外国の友人と話をしていて、興味深いことを聞いた。いろいろと海外旅行をしてきた中で、日本がいちばん、小さい子供たちが楽しめるところだと言う。...Read On.
外国の友人と話をしていて、興味深いことを聞いた。
いろいろと海外旅行をしてきた中で、日本がいちばん、小さい子供たちが楽しめるところだと言う。
ヨーロッパに行くと、例えば、美術館や博物館などは、小さい子供たちがすーっと入っていけるものではない。
日本は、小さい子供たちが遊べるようなものが豊富だというのだ。
外国の友人の眼と体験を通じて見る「日本」というのは、日本人のぼくにとって「ブラインド・スポット」となっているところに光をあててくれる。
日本に住んでいたり、観光で行った海外の人たちからよく聞くことのいくつかは、次のことである。
● 人が親切であること(道をたずねるととても親切に案内してくれること、など)
● モノ(携帯電話やコンピューターなどの高価なものを含む)をなくしても戻ってきたり見つかったりすること
● 街などがきれいであること
これらのことは、直接の友人や知り合いからも聞き、また日本について語るPodcastのような番組などでも聞く。
「小さい子供たちが楽しめる場所」であるということは、今回、はじめて耳にしたと思う。
他で聞いた覚えはない。
もちろん、「体験」には限度があるから、その限度内でのことであるけれど、それでも一面の「真実」を伝えている。
アトラクションや会場に行って、小さい子供たちが楽しめるようなものが用意され、提供されている。
確かに「言われてみれば…」というところがないわけではないが、実体験として、実感としてはまだぼくの中で熟成されていない。
それでも、他者の眼と体験を通じて見える「世界」は、ひとつの視点として、ぼくの中に住みつく。
そのような視点やパースペクティブの集積が、ぼくの「世界」の豊かさを醸成してくれる。
視点やパースペクティブが、相互に矛盾し、相互に対立したりすることもあるけれど、それらを含めて「世界」は豊饒になってゆく。
「日本」の情景をみる視点がまたひとつ付け加えられ、情景は異なる様相を見せ始める。
技について、「説明できないといけない」(イチロー)。- 身体と頭脳の交響と共演。この世界で次元を上げていくために。
米国メジャーリーグで活躍する野球選手イチローが、「説明できないといけない」ということを、北野武との対談における「理論」に関するトピックの中で語っている。...Read On.
米国メジャーリーグで活躍する野球選手イチローが、「説明できないといけない」ということを、北野武との対談における「理論」に関するトピックの中で語っている。
「説明できないといけない」のは、イチローが挙げる例で言えば、「ヒットを打ったときに、なぜそのヒットになったのか」ということの説明である。
興味を引くのは、イチローが説明ができるようになったのは、1999年以降のことであったということ。
当時はイチローは日本のプロ野球で活躍しているときで、すでに5年連続で首位打者であったけれども、その時点ではまだ説明ができなかったという。
それまで、ただただ「身体」で打っていたイチロー。
そのイチローが1999年以降に「理論」を自分自身で見つけ、2000年にアメリカの大リーグにうつる。
身体だけで打っていたら大リーグでの活躍はなかったかもしれない。
「頭脳」を使うことは、もう一段も二段も上の次元で活躍できる土台を、イチローに用意した。
このことが教えてくれるのは、第一に、「理論」の大切さである。
「理論」という言葉が重たければ、イチローの言うように、「説明できること」である。
身体で動くだけであれば、あるところで「天井」にぶつかってしまう。
「天井」をやぶって、一段も二段も上にいきたいのであれば、それは大切なことだ。
イチローは、この話の中で、さらに面白いことを言っている。
イチローにつくコーチは人それぞれに違うことを言ってくる。
それらにいちいちしたがっていたら、打てなくなってしまうという趣旨のことである。
「説明できること」により、いろいろに異なるアドバイスや指導の中であっても、「自分軸」をきっちりと持つことができたということだ。
第二に、技を使う職業において、説明できなくても「結果」が出ていればよい、ということにはならない。
イチローも、北野武も、若い頃は「ヒットを打てているからいいじゃないか」、「(コントを見に)お客さんが来ているからいいじゃないか」と思っていた。
そのような彼らが、技も、活躍も、それらの次元を上げていくときに、説明できること(=理論)を確実に味方につけていったのだ。
第三に、上記の二つのことは、日本を離れ「世界」に出ていくときには、さらに説明できることの意義を深めていったであろうことである。
日本という舞台でうまくいっていたことが、世界の舞台ではうまくいかなかったりする。
いろいろに異なる状況や事情があり、自分の「周囲」の声もいろいろだ。
そのような中で、説明できることを「軸」に、自分をつくり、そしてときに自分をのりこえていくことができる。
それは自分に固執するということではなく、オープンさ・柔軟さを兼ね備えた自分軸だ。
だから、冒頭で述べた通り、イチローが「説明できるようになった時期」と「大リーグ入りの時期」とがほぼ重なったことは、無関係ではない。
それにしても、本質的な生き方をしている人たちの会話は、気がつくと、生きることの本質に一気に射程を広げる。
イチローと北野武の、この「理論」の会話も、対談の冒頭近くに1分ほどで語られた内容だ。
ぼくは、聞き逃さないように、あるいは語られる言葉の地層に流れるエッセンスに、一所懸命に耳をすます。
香港で、レストランにて、ぼくの2度の推測をくつがえした「謎の白いモノ」(写真)。- 思い込みとサプライズの狭間で。
香港のレストランで、ぼくの2度の推測をくつがえした「謎の白いモノ」(写真)に楽しんだ。...Read On.
香港のレストランで、ぼくの2度の推測をくつがえした「謎の白いモノ」(写真)に楽しんだ。
楽しむと共に、そのことにいろいろと考えさせられた。
ただ楽しんでいればよいものを、考えてしまうのはぼくの習慣だ。
中国料理のレストランでのこと。
まず席に案内され、席につくと同時に「何のお茶にするか」を聞かれ、「ジャスミン茶」を頼む。
それからメニューをながめ、料理は二種類注文する。
ひとつは「上海風焼きうどん」、もうひとつは「大きなスープとパフ米」であった。
それから、お手拭きを頼み、席でお茶を飲みながら、料理が来るのを待っていた。
そこで出てきたのが、写真の白いモノであった。
白い小さい皿に、謎の白いモノが載っていた。
ぼくの頭に最初に浮かんだのは、「キャンドル」か何か、というイメージであった。
「大きなスープ」を頼んだので、その小さな鍋か何かを温めておくための、小さなキャンドルか何か。
以前、同じレストランで頼んだ、小さな鍋のイメージが湧き上がったのだ。
その時は、小さな鍋の下にキャンドルが灯され、冷めないようになっていた。
そう思っていると、ウェイターの方が、手にもっていたお湯のポットで、その白いモノに少量のお湯を手際よくかけるのが見えた。
その白いモノは、お湯を受けて、膨らみはじめた。
それはマシュマロのようで、キャンドルではないと思ったぼくの頭に次に浮かんだのは、「大きなスープ」についてくる何らかの素材かな、ということだった。
乾燥したパフ米はスープの中に入れることになっていたから、その他にもスープとは別に運ばれてくる素材があると思ったのだ。
そう思っていると、その白いモノはさらに大きさを拡大しながら、その実態をあらわにし、ぼくを驚かせた。
それは、なんと、「お手拭き」だったのだ。
お手拭きは、プラスチック包装されたお手拭きがくるかと思っていたから、そのギャップはまったくのサプライズになった。
ぼくは、「二重の思い込み」をしていた。
一つ目は、「大きなスープ」のイメージに引っ張られ、白いモノはそれに関連するものだと思ってしまったこと。
二つ目は、お手拭きは(以前このレストランで出されたように)プラスチック包装のお手拭きだと思ってしまっていたこと。
(それからついでに言えば、お手拭きは「縦」向きには出されないと思っていた。)
人の意識というのは、日々のシミュレーションの集積のようなものであるから、「日々のシミュレーション」に引っ張られてしまう。
それにしても、日々のシミュレーションとしての思い込みは怖いなと思いつつ、だからこそ、いろいろな「サプライズ」があるのだとも考えてしまう。
人の世界は、さまざまな両義性の網の中にある。
それらは、人を困らせもするけれど、人を楽しませることもする。
サプライズやマジックはその間隙に生まれる。
ウェイターの方は、香港ならではの手際のよさで、「お手拭き」を提供する一連の作業をこなす。
あたかも、この一連の作業を楽しんでいるかのようであった。
2度の予想をはずしたぼくの前で、この「お手拭きのマジック」を知っていて、半分意図的にお手拭きを頼んだ妻は、ぼくの反応にたいして無邪気な笑いをなげかけていた。
香港のとあるレストランで、ぼくは「お手拭き」にマジックを見せられ、楽しまされ、そして教えられた。
直接的にそのお陰ということではないけれど、その後運ばれてきた料理は、期待していた以上においしかった。
国際協力・国際支援などのはるか「手前」のところで。- 出会う人たち一人一人に、きっちりと向き合うこと。
国際協力・国際支援・国際援助・途上国支援・開発協力などの言葉の磁場にひきつけられるように、20歳頃のぼくは、その「広大な領域」に足を踏み入れていった。...Read On.
国際協力・国際支援・国際援助・途上国支援・開発協力などの言葉の磁場にひきつけられるように、20歳頃のぼくは、その「広大な領域」に足を踏み入れていった。
でも、思い出してみると、それ以前に、ぼくは「国際」という言葉が触発する世界のイメージに強いあこがれを持っていた。
そしてそんな言葉を深掘りしてみると、(争いはあっても)戦争のない世界を、子供の頃から強く希求していたことに思い至る。
そのような世界をほんとうにつくりたいと希求し、その「手段」として、国際協力などの領域を、仕事としていくことを定めたのが大学のときであった。
しかし「定めた」と言っても、その広大な領域は圧倒的に広い世界であって、専門性が求められる中の揺らぎが続いた。
それでも、学べるところから、とにかく学んでいった。
大学院を終えて、NGO/NPOで働くという「縁」を得ることになった。
911後の世界の混迷の中で、同僚はアフガニスタンやイラクに駐在し、ぼくは西アフリカのシエラレオネに降り立った。
長年に渡る内戦が終了したばかりのシエラレオネで、国連の平和維持活動が継続される中、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と共に緊急支援を展開した。
こうして、ぼくは、緊急支援・国際支援の「現場」に入っていくことになる。
シエラレオネの現場に入っていくことで、それまでに志していた、「国際」「国際支援」「戦争のない世界」といったキーワードが、ぼくの生の中で、<焼き鳥の串>にささるようにつながっていった。
当時は、そんなことを考えている余裕もなく、シエラレオネの現実と仕事の厳しさに立ち向かうことで精一杯であった。
それでも、ぼくが大切にしてきたことの「土台」は、シエラレオネで出会う人たち一人一人(いろいろな人たちだ)に、きっちりと向き合うことである。
その人たちにとってみれば、「日本人のイメージ」は、ぼくを通して形作られていく。
ベネディクト・アンダーソンが著書『想像の共同体』でどれだけ鮮やかに、国というものが「想像の共同体」であることを説いても、あるいは同様に吉本隆明の「共同幻想論」をもちだして語ろうとも、現実には「国」があたかも「モノ」であるように確固としたものとして存在しているように、多くの人たちには感じられる。
こうして、言説は「国というカテゴリー」からはなかなか自由になれない。
そのような現実の中、ぼくは出会う人たちに真摯に向き合ってきた。
それは、「国際」「国際支援」「戦争のない世界」といった<焼き鳥の串>にささったキーワードにからめられている、<焼き鳥のたれ>のようなものだ。
<たれ>がなかったら、それらはまったく味気ないものになってしまう。
世界で出会う人たちに真摯に向き合うこと。
それは、ただ仲良くすることとはイコールではない。
一緒に<生きる>こと。
戦争のない世界をめざしたり、国際協力・国際支援などを実践していくことの、はるか「手前」のところで、ぼくが大切にしてきたことである。
「悩むことのできるものだけが…」の一行。- 「悩む」作家の辺見庸を救った一行から。
共同通信社の勤務から作家となった辺見庸の作品を、ぼくは大学時代に、よく読んだ。...Read On.
共同通信社の勤務から作家となった辺見庸の作品を、ぼくは大学時代に、よく読んだ。
きっかけとなった本は『もの食う人びと』(1994年)であった。
通信社では北京特派員やハノイ支局長をつとめ、「現実を直視」してきた辺見庸が、バングラディシュや旧ユーゴやソマリアやチェルノブイリなどで、人びとは今何を食べて、何を考えているかを探っていったノンフィクションである。
辺見庸の文章は現実を直視しながら地に足をつけ、言葉のリアリティを求めている。
当時アジアなどを旅していたぼくに響く文体であった。
1998年頃だったか、ぼくは東京で、辺見庸の講演を聞きにいく機会を得た。
彼は、小さな大学ノートをひらき、壇上でそれを見ながら、言葉をさぐりあてるように語っていた。
その姿に触発され、ぼくも大学ノートを買い、日々や本のメモを手で書くようになったことを覚えている。
大学を卒業したぼくが世界を飛び回っている間に、辺見庸は身体を幾度となく病み、故郷の宮城県石巻は震災にのまれた。
そんな辺見庸の作品を、また少しづつ読んでいる。
ぼくが世界に出ているこの15年間ほどの間、辺見庸は何を考えてきたのか。
『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)の中に収められている、「アジサイと回想」と題されたエッセイがぼくの心にしみこむ。
アジサイのイメージには程遠く、副題は「生きるに値する条件」とつけられている。
辺見庸が、「お粥につかったみたいに」むしむしとする日に、図書館に足を運び、そこでの出来事を書いている。
本を借りて一部を複写しにいく辺見庸は、二階のコピー機の場所で、コピー機を使用している若い男女に出会う。
若い男が文庫本を食い入るように読んでは、ページを選んで、拡大コピーをとっている。
彼は辺見庸が待っているのに気づき、まだコピーが10枚ほどあるため、「先になさいますか。」と辺見庸に声をかける。
その時に、書名が見える。
『将来の哲学の根本命題 他二篇』。
絶句した。…この世から消えたとばかり思っていた本が街の図書館にあり、しかも若者に閲覧されている。百万分の一ほどの確率かもしれない。だからこそ仰天した。一冊の本が千人の人との出逢いよりも自分を変えることがある。…あの本はそんな一冊であった。
辺見庸『水の透視画法』集英社文庫
辺見庸は近くのソファに座って待ちながら、必死で記憶をたぐる。
…たしか本にはこう書いてあるはずだ。初見後四十数年間、それだけははっきりとおぼえている。「悩むことのできるものだけが、生存するに値する」。これまで何万回反すうしたことか。正直、その一行に救われたこともある。悩むことのない存在は「存在のない存在」なのだ、ということも記されていたと思う。二人はあのくだりにこころをひかれるだろうか。
辺見庸『水の透視画法』集英社文庫
悩むことのできるものだけが、生存するに値する。
辺見庸は、かつて、19世紀のドイツの哲学者フォイエルバッハの、この一行に救われている。
虚構に流されることなく、リアリティの地下茎に向かって垂直に降りていく辺見庸の思考と語りを考えると、ぼくはそのことが自然にわかるような気がした。
この本を読みながら、他方で、作家の中谷彰宏の著作『悩まない人の63の習慣』(きずな出版)を読む。
現代に「悩む人たち」などに向けて、悩まないための「行動」や考え方が、鮮やかに提示されている。
この本を読みながら、現代の「悩み」は、人それぞれにとっては深刻であるけれど、それはひどく狭いところに押し込められた「悩み」のように感じる。
悩む必要のない「悩み」。
考え方を変えることでなくなる「悩み」。
行動することで解消される「悩み」。
成長していくことで質を変えていく「悩み」。
「悩み」と一言で言ってもいろいろとあって、それは重層的に理解し、解きほぐしながら日々を生きていくことが大切だと、ぼくは自身の悩みに向き合いながら思う。
しかし、それで「悩み」がなくなるわけではないし、完全になくなることがよいわけではない。
それでも残るような「悩み」は、フォイエルバッハの一言が示すように、「生存するに値する」源泉としての<悩み>として、生きるという経験を支えている。
悩むことのできるものだけが、生存するに値する。
大学時代にも辺見庸の作品を読みながら次から次へと読まなければいけない本が増えていったことと同じに、今回も、辺見庸からの「課題図書」がまた一冊増えた。
香港で、「香港人口予測」(2017年-2066年)から考えること。- 個人・組織・社会の「構想」へ。
香港政府が2017年9月8日に、『Hong Kong Population Projections 2017-2066』(香港人口予測 2017年-2066年)を発表した。...Read On.
香港政府が2017年9月8日に、『Hong Kong Population Projections 2017-2066』(香港人口予測 2017年-2066年)を発表した。
「超高齢社会になる」ということはすでにわかりつつ(しかし準備ができていないけれど)、関連することとしてぼくの関心を挙げるとすれば、大きく三つある。
- 人口推移における安定平衡的な社会(「高原・プラトー」)
- 平均余命(Life Expectancy)に見る、ライフステージの変遷
- 香港の企業などの組織と雇用の問題・課題
一つ目は、社会全体の行く末を見晴るかすものとしての全体像であり、二つ目は、人の人生のライフステージを変えてゆく動力のひとつであり、そして三つ目は、組織また個人としての雇用の問題・課題である。
今回の人口予測も、これら三つを考えさせてくれる「予測」となっている。
「数値」は、予測であっても(予測であることを理解しながら)、実際の動向を「見える化」してくれる。
今回の「香港人口予測」の数値は、例えば、下記のようだ。
【人口】
・2016年:734万人
・2043年:822万人
・2066年:772万人
【(超)高齢社会:65歳以上の人口】
・2016年:人口の16.6%
・2036年:人口の31.1%
・2066年:人口の36.6%
【平均余命】
・2016年:男81.3歳、女87.3歳
・2066年:男87.1歳、女93.1歳
【労働力】
・2016年:362万
・2019年ー2022年:367万から368万
・2031年:351万
・2066年:313万
これらの数値を見ながら、最初の三つについて、簡易に「問題・課題のありか」を書こうと思う。
<1. 人口の推移における「高原」>
人口の推移における「安定平衡的な社会」が、予測の中に明確におさまってきている。
つまり、人口は増え続けるのではなく、安定平衡的な社会へと向かっている。
香港に限らず、世界の先進諸国・地域は、すでにそこへと向かっている。
生物学者が「ロジスティクス曲線」と名づける推移に触れて、社会学者の見田宗介はこの「事実」に注意を向けている。
「ロジスティックス曲線」とは、縦軸に「個体の数」、横軸に「時間の経過」をとる座標軸におけるS字型の曲線である。
成功した生物種は、この座標軸の第I期を経て、第II期に爆発的に反映し、第III期で繁栄の頂点の後に滅亡していく(「修正ロジスティックス曲線」)。
この経路が「S字」をなしている。
哺乳類などの大型植物はより複雑な経路をとるといわれるが、人間という生物種も基本的には、ロジスティックス曲線をまぬがれないといわれる。
1960年代には地球の「人口爆発」が主要な問題であったけれども、前世紀末には反転して、ヨーロッパや日本のような「先進」産業諸国では「少子化」が深刻な問題となった。「南の国々」を含む世界全体は未だに人口爆発が止まらないというイメージが今日もあるが、実際に世界全体の人口増加率の数字を検証してみるとおどろくことに、1970年代を尖鋭な分水嶺として、それ以後は急速かにかつ一貫して増殖率を低下している。つまり人類は理論よりも先にすでに現実に、生命曲線の第II期から第III期への変曲点を、通過しつつある。この時点からふりかえってみると、「近代」という壮大な人類の爆発期はS字曲線の第II期という、一回限りの過渡的な大増殖期であったことがわかる。そして「現代」とはこの「近代」から、未来の安定平衡期に至る変曲ゾーンと見ることができる。
見田宗介「現代社会はどこに向かうか」『定本 見田宗介著作集I」岩波書店
この「未来の安定平衡期」が、香港においても、すでに予測された数値で指し示されている。
<2. 人生のライフステージ/3. 組織の雇用>
香港の平均余命も、確実に、「100歳」を射程圏内にとらえている。
女性はいよいよ90歳代へと突入していく。
リンダ・グラットンが著書『LIFE SHIFT:100年時代の人生戦略』で述べているように、今成人しているような人ではなく、今生まれたりこれから生まれる世代は「100歳」を生きていく。
伝統的な人生の「ライフステージ」(教育ー仕事ー定年の3サイクル)は、確実に変容していく。
香港の英字紙「South China Morning Paper」は、香港政府の「人口予測」の発表を受けて、「Thinking of retiring at 60? Think again - we’ll work longer, Hong Kong population projection shows」という記事を掲載している。
高齢社会の進展と労働力の減少を、(法的な定年年齢はないが)<定年年齢の(考え方の)見直し>と<高齢者と女性の労働力>で補完していくことが書かれている。
個人の視点からは「ライフステージ」のサイクルは変容していく方向に流れ、組織の視点からはそのような個人を雇用する仕方の変容におされていく。
個人の「生き方」の問題であり、組織の「組織つくり・マネジメント」の問題である。
香港の人口予測は、おそらく、これからのテクノロジーの発展(人工知能やIoT、先端医療など)や社会の発展(ベーシック・インカムなど)の可能性については、織り込んでいない。
これらの動きも見据えながら、個人が、組織が、社会が、どのように「未来の安定平衡期」への「移行」をとげていくのかが、今問われるべき問題・課題だ。
ぼくは、これらの大きなテーマを、大きくある必然性の中で一度「全体像」として描きながら、その中で各論(特に生き方や働き方、組織つくりやコミュニティつくりなど)に落としていく方途を、当面の課題としている。
それは、「予測」に生きるのではなく、予測を参考にしつつも、個人や組織や社会を「構想」していくという能動性に生きる生き方である。
「テクノロジー=拡大された感覚器」と「視覚や聴覚の退化」。- teamLabの圧倒的なデジタルアートを見ながら考えていたこと。
「teamLab」と呼ばれる、「デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されるウルトラテクノロジスト集団」がある。...Read On.
「teamLab」と呼ばれる、「デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されるウルトラテクノロジスト集団」がある。
様々な分野のスペシャルストとは、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、絵師、数学者、建築家、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、編集者などのスペシャリストである。
アート・サイエンス・テクノロジー・クリエイティビティの境界を曖昧にしながら活動しているという。
グローバル展開をし、活動は世界におよんでいる。
とても興味深い「集団」つくりであり、「活動」である。
自然と一体化するデジタルアートは、圧巻である。
現在は、日本の佐賀、武雄にて「かみさまがすまう森のアート展」と名付けられたエキシビションを開催しているという。
Webリンク:
- teamLab ホームページ
- teamLab「かみさまがすまう森のアート展」
ホームページ上の動画でも、「動画」という限定性の中で、その一部を見ることができる。
その限定性の中においても、デジタルアートの繊細さと迫力、創造性が伝わってくる。
作品は、「増殖する声明の巨石」「かみさまの御前なる岩に憑依する滝」「岩割もみじと円相」「忘却の岩群」「岩壁の空書 連続する生命」「小舟と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング」などと、想像をわきたてる名前がつけられている。
自然の岩などにデジタルアートが重ねられることで、<自然を見る眼>を体験することができる。
自然の中に、人はこのようにして、<見えないものを見る>ことができる。
見えないものを独特の仕方で視覚化することで、それはぼくたちの自然の見方をひろげてくれる。
テクノロジーは、人間の「拡大された感覚器」(真木悠介)である(※メディア学のマクルーハンの理論を下敷きにしている)。
視覚も聴覚も、テクノロジーは、それら器官の機能を拡張・拡大させることで、人の生活を便利にしていく。
テレビや携帯電話によって、人は、遠くのものを見たり聞いたりすることができる。
今言われている「IoT」(Internet of Things)などの本質は、人間の「拡大された器官」である。
これからの時代、この拡張・拡大が、さらに加速していくことになる。
teamLabのデジタルアートは、デジタルアートという仕方で、想像力を視覚化していく。
新たな「世界」が、確実に、開かれつつある。
「拡大された感覚器」をもつ文明化された人間は、他方で、文明の発展のプロセスで、原生的な人類がもっていたという信じられないほどの視覚や聴覚などを喪っていく。
テレビや携帯電話、さらには次々に発明されていく「拡大された感覚器」があるから、それ自体どうということはない。
しかし、社会学者の真木悠介は、次のような見方を、ぼくたちに提示している。
…けれどもこのような視野や聴覚の退化ということを、われわれをとりまく自然や宇宙にたいして、あるいは人間相互にたいして、われわれが喪ってきた多くの感覚の、氷山の一角かもしれないと考えてみることもできる。
たとえばランダムに散乱する星の群れから、天空いっぱいにくっきりと構造化された星座と、その彩なす物語とを展開する古代の人びとの感性と理性は、どのような明晰さの諸次元をもっていたのか。
真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)
ぼくたちはさまざまなテクノロジーに助けられ、支えられ、楽しく生きているけれど、しかし、他方で、「退化してしまった視野や聴覚」で、自然や宇宙や人に、対している。
自然とか宇宙のうごきにたいする感応の深さやゆたかさが(それに対応して存在する客観的世界のゆたかさー道具や道や集落や都市のありようと共に)そのいくつかの質的な次元において喪われたとき、きりつめられ貧困化された感性と理性とは、それなりで自己充足的な明瞭さの空間を張って安住し、通常は喪われた諸次元について思いをはせることもない。
真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)
このことは、例えば、「くさい空間」に人は慣れると、そのくささを感じなくなってしまうような経験として、想像することができる。
ぼくの「退化してしまった視野や聴覚」のこと、この「退化してしまった視野や聴覚」を通じて見る自然や宇宙それから人との関係の次元を、ぼくは考えてしまう。
teamLabがつくるようなデジタルアートは、このような「退化してしまった視野」を、クリエイティブな仕方で思い出させてくれる。
人の創造性や想像性が無限の空間をひらいていくことを感じさせる。
しかし、アートは、それ自体では、退化した感覚器官を解き放つことはできない。
このことは、teamLabの責任ではもちろんなく、ぼくたち自身になげられたボールだ。
これからの時代、テクノロジーがさらに加速しながら進化をとげていくときに、そのベネフィットを享受していくとともに、ぼくたちはこの「退化してしまった視野や聴覚」を、別の方法で解き放っていくことで、ぼくたち人間にあらかじめ仕掛けられている感性や理性も味方にしていくことができる。
この方向性において、ぼくたちは、近代・現代の果実を得ながら、自然や人との豊饒な関係性を取り戻していくことができる。
アートは何のため?ツールとしてのアート。- Alain de Botton/John Armstrong著『Art as Therapy』に惹かれて。
「Art for art’s sake(芸術のための芸術)」ということが言われることがある。...Read On.
「Art for art’s sake(芸術のための芸術)」ということが言われることがある。
芸術が「何かのため」という姿勢を切り捨て、芸術はいかなる実用的な機能からも自由であるということである。
それが「真実であるか否か」ということはさておき、それでも、アート(芸術)は、確かにぼくたちに「何か」を与えてくれるように思う。
近代・現代という時代の磁場が、ぼくたちをして「何かのため」へと、様々なもの・ことを手段化させていく思考と実践に引き寄せているのかもしれないと思ったりもする。
しかし、アートを鑑賞する際に、アートそのものに素晴らしさを感じる背後に、素晴らしいと思わせる原因・理由があるのだとも感じる。
Alain de BottonとJohn Armstrongは、とても美しい著書『Art as Therapy』(Phaidon, 2013)において、「ツールとしてのアート」の側面を正面から見据えている。
感情的知性の発展に寄与するグローバル組織「The School of Life」の共同創業者のひとりである作家のAlain de Botton、それから哲学者John Armstrongの共著である。
美しい絵画や写真が掲載され、詩的な文章で綴られている『Art as Therapy』。
本書では、「ツールとしてのアート」という視点で、「アートの7つの機能」が展開されている。
- Remembering(思い出すこと)
- Hope(希望)
- Sorrow(悲しみ)
- Rebalancing(バランスを取り戻すこと)
- Self-Understanding(自己理解)
- Growth(成長)
- Appreciation(感謝)
それぞれのもう少し詳細については、下記のようになる。
1.記憶の悪さの矯正手段:アートは、経験の果実を、記憶しやすいもの、また再生可能なものとする。
2.希望の提供者:アートは、ものごとを、楽しく元気づけるような視野におさめる。…
3.尊厳のある悲しみの源泉:アートは、よい生活における正統な場所にある悲しみを思い出させる…。
4.バランスをとるエージェント・媒介:アートは、普通でない明瞭さで、良い質のエッセンスをエンコード(記号化)する…。
5.自己理解へのガイド:アートは、私たちにとって中心的で重要だが、言葉にするのがむずかしいことを確認する手助けとなる。…
6.経験の拡張へのガイド:アートは、他者の経験の極めて洗練された蓄積である…。
7.再度鋭敏化させるためのツール:アートは、私たちの殻をはぎとり、私たちの周りのものにたいする、甘やかされ習慣化された無視という地点から私たちを助け出す。…
Alain de Botton/John Armstrong『Art as Therapy』(Phaidon, 2013)
(*日本語訳はブログ著者)
本書では、これらひとつひとつの機能について、掲載されたアートを素材に、アートの仔細を「味わい」ながら、理解していくことになる。
詩的な英語で仔細に語られることで、アートの楽しみ方を、ぼくは学ぶことができる。
「機能」は、アートに言葉を与えることで味気ないものにするのではなく、反対に、アートをより味のあるものとし、確かに「機能」が発揮されていることを感じさせる。
「Art as Therapy」、セラピーとしてのアートの意味合いが、身体にしみてくる。
この美しい著作『Art as Therapy』が語る「アートの7つの機能」は、人それぞれにたいする効能・機能を、抽象度を上げ抽出して語っている。
これらに加えて、ぼくの関心事項にひきつけて加えるとすれば、「アート」は、「世界言語」のひとつとしても機能する。
音楽が世界をつなぐコミュニケーションのひとつであるように、絵画や彫刻などのアートも、世界をつなげることができる。
厳密には(政治経済社会の複雑な経路を通過することで)その逆もありうるけれど、肯定的にとらえていけば、アートは世界をつなげていく。
世界の各地の人たちが、遠く離れたアートを知り、興味をもち、それらについて世界の人たちと会話をくりだす。
その「機能」は、直接的にぼくたち自身のセラピーとなるわけではないけれど、人と人とをつなげていく「機能」として、つながりを回復する。
そのような「機能」としても、ぼくは、アートを学んでおきたいと思う。
「Luckily, I am a botanist.」(マーク・ワトニー)。- 映画『The Martian』に見る「生きる力」の源泉。
「Luckily, I am a botanist.」。映画『The Martian』で、一人だけ火星に取り残された宇宙飛行士マーク・ワトニー(マット・デイモン)が、生き残りにかける決心の後に、気づき、自分に語った言葉だ。...Read On.
「Luckily, I am a botanist.」(「運よく、ぼくは植物学者だ。」)
映画『The Martian』(邦題『オデッセイ』、リドリー・スコット監督)で、一人だけ火星に取り残された宇宙飛行士マーク・ワトニー(マット・デイモン)が、生き残りにかける決心の後に、気づき、自分に語った言葉だ。
この言葉には、生きるということの力の源泉と可能性が現れている。
映画は、火星への有人探査の風景から幕が開ける。
赤い大地で、マーク・ワトニーを含む探査チームが探査を続けている中に、巨大な砂嵐が襲ってくる。
巨大な砂嵐により火星探査の任務は中止され、クルーたちは火星から宇宙空間へ退避するため、砂嵐の中、ロケットに向かう。
この退避中に、砂嵐の強風によって折れたアンテナがマークに直撃し、マークはかなたへと飛ばされる。
マークは死んだものと判断され、時間の猶予のない他のクルーたちは火星から離陸してしまう。
砂嵐が去った火星で、マークは意識を取り戻すことになる。
そこから、マーク・ワトニーが生き残りに向けたドラマがはじまっていく。
次の火星への有人ミッションは4年後。
火星に残されたのは、探査用に設営された仮設キャンプと31日分の食料。
飛び立ったクルーたちのヘルメス号にも、NASAにも連絡が取れないという状況。
これは、「問題解決」の究極の試練だ。
冒頭の言葉は、この究極の問題解決の入り口において、マーク・ワトニーが「希望」をきりひらいていく言葉だ。
「Luckily, I am a botanist.」(「運よく、ぼくは植物学者だ。」)
生きるということの力の源泉と可能性の言葉。
希望をひらく「助走」は、この絶望的な状況でも「運がいい」と考えていることである。
その「助走」がありつつ気づきを得たマークは、第一に、「植物」を専門としているということ。
つまり、それが「栽培」という道をひらいていくことである。
このことは、ぼくに、古生物学者デイヴィット・ラウプの進化論にでてくる「理不尽な絶滅」の理論を思い起こさせる。
進化論を「絶滅」から考え抜いてきたラウプが、ゲームのルールがまったく変わってしまうような地球の出来事において生き延びてきた生物たちは、「前のゲーム」でたまたま発達させていた性質を、「変わってしまったゲームのルール」の場でたまたま生かすことで「適応」してきたということを説いた説だ。
「火星に取り残される」というゲームのルールがまったく変わってしまった中で、「植物学者」であることは、「適応」のためには相当に有利に働くはずだ。
これが、一つ目のこと。
それから、二つ目に、「植物」という「生き物と共に生きてきたこと」である。
マーク・ワトニーは、火星で、栽培による「芽」を見つける。
そこで、彼は、この「芽」に触れながら、「芽」に向かって、「Hey there」と声をかける。
一つ目の「栽培」ということが、人の「物質的な拠り所」を築くものであるならば、二つ目の「芽」は、人の「精神的な拠り所」を築くものである。
マーク・ワトニーの他に「誰」もいない不毛の火星で、「芽」は、同じ生きるものとしての「精神」を分かちあうものであったはずである。
遠藤周作の著作『深い河』に出てくる風景の中に、ぼくは同様のことを感じたように思う。
もちろん、マーク・ワトニーが、生き残りに向けて「味方」としていく力は、仲間であったり、音楽であったり、さまざまだ。
しかし、「植物学者」ということの源泉である「植物」がもつ<共生の論理>(食べ物を与えてくれる存在であり、共に地球で生きるという存在)が、マーク・ワトニーに生きる力を与えていくのだ。
それは、宇宙がつくりだした奇跡の芸術作品としての「地球」を照らし出す光でもある。
マーク・ワトニーが、「地球の叡智」を駆使して生き残りに立ち向かったように、ぼくたちは日々を「地球の叡智」できりひらいていくことができる。
不毛の火星に「地球の叡智」を花開かせていくよりは、この地球で「地球の叡智」によりたくさんの花を咲かせる方が、はるかに容易であることを、この映画は見せてくれている。
マークの言葉を反芻しながら、ぼくは、「運よく、ぼくは……だ」の「…」をどの言葉で埋めることができるだろうか、と自分に問いをなげる。
「火星」を起点に、現実として宇宙を視野に。- Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』。
ぼくの構想のひとつである「時間と空間の『人と社会』学/「生き方」学」(仮名)。その「空間」の座標軸は、ひとまずは「グローバルへの広がり」を視野に入れながら、しかし、その先には「宇宙空間への広がり」を見据えている。...Read On.
ぼくの構想のひとつである「時間と空間の『人と社会』学/「生き方」学」(仮名)。
その「空間」の座標軸は、ひとまずは「グローバルへの広がり」を視野に入れながら、しかし、その先には「宇宙空間への広がり」を見据えている。
「そんなに大きな話を」という声に対しては、SpaceX社のElon Muskは「火星移住計画」を着実に進めているし、2030年代前半頃の実現見通しも言われている。
「仮説」や「妄想」は、確実に「現実」に向かっている。
その「現実性」を感じさせてくれた書籍のひとつに、Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』(TED Books, 2015)がある。
『私たちはいかに火星に住むのか』。
この書名は、二重の意味において「正しい」。
第一に、どのように火星に「到達」するかではなく、「住む」のかということについて書かれていること。
第二に、「どのように」住むのか、という具体性において書かれていること。
この二重の意味が、人が火星に降り立つ日が「目前」であることを伝えている。
【Contents(目次)】
Epigraph
Introduction: The Dream
Chapter 1: Das Marsprojekt
Chapter 2: The Great Private Space Race
Chapter 3: Rockets Are Tricky
Chapter 4: Big Questions
Chapter 5: The Economics of Mars
Chapter 6: Living on Mars
Chapter 7: Making Mars in Earth’s Image
Chapter 8: The Next Gold Rush
Chapter 9: The Final Frontier
Imagining Life on Mars
「The Dream」と題されるイントロダクションは、「予測的な物語」で始まる。
A Prediction:
In the year 2027, two sleek spacecraft dubbed Raptor 1 and Raptor 2 finally make it to Mars, slipping into orbit after a gruelling 243-day voyage. As Raptor 1 descends to the sufface, an estimated 50 percent of all the people on Earth are watching the event, some on huge outdoor LCD screens…
ひとつの予測:
2027年、流線型の宇宙船Raptor 1とRaptor 2が、いよいよ火星に到達する。宇宙船は243日の旅ののちに、火星の軌道にはいっていく。Raptor 1が火星の地表に向かっておりていくところ、地球の50%にあたる人びとがこのイベントを見ている。屋外のLCD巨大スクリーンで見ている人たちもいる。…
Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』(TED Books, 2015)
(※日本語訳はブログ著者)
それは、現実に見ているような錯覚を、ぼくに与える。
映画『The Martian』(オデッセイ)の風景が、ぼくの記憶の中で重なる。
このようなイントロダクションに始まり、Stephenは、火星への有人飛行と移住が技術的に可能であることなどを、具体性の中で語る。
Stephenは、Elon Muskが移住計画の全体の妥当性について、「環境的な障害」ではなく、「基本コストの課題」として見ていることに、注意を向ける。
火星移住は、火星における空気、放射線、水などの問題・課題よりも、コストが課題だということだ。
もちろん空気や水などといった、人間の生きる条件ともなる環境要因は大切である。
しかし、この本においても、それらの問題・課題を、具体性の次元において(一般読者向けに)語っている。
火星移住のシナリオが具体性の中で語られ、最初で述べたように、いかに火星に到達するかということではなく、焦点はどのように住むのかという方向に重力をもつ。
読み終えると、火星移住が現実のものとして感じられるから不思議だ。
そして、ぼくが驚いたのは、「Chapter 8: The Next Gold Rush(次なるゴールド・ラッシュ)」という章で展開されている内容だ。
それは、火星の「その先」にあるものだ。
火星と木星の間にある小惑星帯には、鉱石資源がある。
NASAによると、その価値は「今日の地球のすべての人が1000億ドルを持っていること」と同等だろうと言われる。
資源問題という「グローバリゼーション」の行きつく現問題を(範囲はわからないけれど)解決する方途を、宇宙資源がひらいていく可能性がある。
そして、グローバル企業はすでにその「ビジネス」に参入している。
地球と小惑星帯の間に位置する火星は、この方途における「基地」のような役目を果たす可能性があるのだ。
それは先のことかもしれないけれど、実はそれほど遠くない未来の話だ。
準備は進められていて、実際の小惑星における鉱石発掘の試験などは2020年代前半頃ということも、この書は触れている。
地球という「有限の空間」、グローバリゼーションというプロジェクトの行き止まりの空間が、その先に「無限の宇宙空間」をきりひらいていくその仕方と、人と社会への影響を、ぼくは追っている。
宇宙を視野に入れることは、すでに現実問題として、ぼくたちの前に立ち現れている。
「世界を変えるための、コピー2枚」。- 人間の欲求としての「充実感」の6つの条件(福島正伸)。
こんな会社がある。朝、社員が出社すると、こんな会話がなされる。社員:「世界を変えに来ましたー!」...Read On.
こんな会社がある。
朝、社員が出社すると、こんな会話がなされる。
社員:「世界を変えに来ましたー!」
社長:「君が来るのを待っていた。世界を変えるために、コピーを2枚とってくれ!」
社員:「いいんですか、世界を変えても。…社長、世界を変えてしまいました。コピーを2枚とっちゃいました。」
社長:「よくやってくれたー!」
株式会社アントレプレナーセンターの、実際の風景だ。
代表取締役の福島正伸が、音声を通じて、このような話をリスナーに届けている。
「人間の欲求」と題された音声で、福島正伸『真経営学 音声全集:第4巻』の中に収められている。
福島正伸の「経営学」のエッセンスが厳選され、語られている。
この音声全集は、「社会復帰は、もうできない」というガン宣告を受けた福島正伸が、今後声も出すこともできないかもしれない、仕事ができなくなるかもしれない、命を落とすかもしれない中で、3日間かけて収録された全集である。
咽頭がんであったため、声を出し続ければガンが進行する可能性がある中での録音である。
その後、治療法を見つけ出し、奇跡的に復帰した福島正伸が、復帰後にこの音声全集のCDを1000セット発売し、ぼくはその時にこの音声全集を手にし、まさしく命を吹き込まれたこの音声全集に耳を澄ませた。
この「真経営学」は、昨年に書籍化されている。
ふと、ぼくはふたたび聞きたくなって、「人間の欲求」という音声の再生ボタンを押した。
「人間の欲求」について、福島正伸は、正反対の欲求としての二つの欲求を挙げている。
● 安楽の欲求(無意識でいると易きに流れるなど)
● 充実感を得たい(生きがいなど)
無意識でいると、ついつい楽をしたくなるのが人間だけれど、それではつまらなくなってしまうのも人間。
充実感を得たいという欲求だ。
「充実感」について、福島正伸はさらに、次のように定義している。
● 毎日味わっている充実感=「生きがい」
● 大きな充実感=「感動」
この「充実感を得る」ための六つの条件として、福島正伸は次のものを挙げている。
1.明確な目標があること(行動をするために)
2.困難を伴う(できるかどうかわからない状態にあること。結果が保証されていないこと)
3.努力
4.それをあきらめないこと(結果が見えない中で努力を継続する時間)
5.自発性(自分がやりたいと思ってやっているか。最終的に自分の意志でやっていること)
6.仲間・協力・支援(喜びは他人と分けると2倍になる。悲しみは半分になる)
この全体像と内実に、ぼくは共感する。
最近のぼくの関心に引っかかったのは、一つ目の「明確な目標」ということである。
その文脈で語られたのが、冒頭の「世界を変えるためのコピー」の話である。
仕事は何気なくやらないこと。一つ一つの仕事に意味を見つけ、一つ一つの仕事で社会に貢献していくこと。そうして、充実感を得ていくこと。仕事は、限界まで楽しんでやっていくこと。
福島正伸の言葉は、語る。
「明確な目標」ということでは、この「明確であること」を強調する。
例えば、どんな気持ちで、どんな表情で、どんな言葉を使って挨拶をするか、そんな明確なイメージをもって会社をつくること。
明るい職場だったら、こんな笑顔があり、こんな言葉が交わされ、こんな行動が起きるということを、明確にしておくことである。
福島正伸は、「小説」にするとわかりやすいとしている。
現に福島正伸の著作『理想の会社』では、小説の「物語」として、理想の会社を描いたという。
小説、小説のように物語で語ることで、すごくわかりやすくなる。
目標とか夢、社風、今日使う言葉まで、できるかぎり描ききることを、福島正伸は語る。
実現は、その先にやってくる。
福島正伸は、この「充実感」は、一度体験されると繰り返されることを、最後に語っている。
そこでは、人は自分で考えて行動していくようになるのだ。
<物語の力>ということを、ぼくはずっと、考えてきている。
「物語」には、福島正伸が語る「人間の条件」が埋め込まれている。
映画は、2時間ほどで、その軌跡をぼくたちに擬似体験させる装置だ。
主人公はテーマ・夢・目標を持ち、困難の中を努力でかけぬけていく。
なんども困難がやってきては、しかしあきらめずに、自分が選んだ人生を、仲間たちと乗り越えていくことで、感動(=大きな充実感)を得る。
同じような「流れ」であっても、人は普通、映画を見飽きるということはない。
この「物語」の原型は、太古から、神話という形で語られてきてもいる。
そして、<物語の力>は、ぼくたちの生きることにおいても、仕事場においても、人との関係性においても、ほんとうに大きな力となる。
「世界を変えるためのコピー」は、物語の力の一端だ。
人も組織も、まだまだ、福島正伸の言うように、目標や夢を描ききれていない。
「できない」「ダメだ」と言う前に、ぼくたちにはやることが山ほどある。
愚痴が出る出番はない。
まだ、全然試しきれてもいないのだから。
「TED Talks」の中でひとつを選ぶとすれば。- Benjamin Zanderの言葉と物語、そして肯定の力。
「TED」(Technology Entertainment Design)は、「ideas worth spreading」の精神のもと、TED Conferenceなど、さまざまな事業を展開している。...Read On.
「TED」(Technology Entertainment Design)は、「ideas worth spreading」の精神のもと、TED Conferenceなど、さまざまな事業を展開している。
最初の形は1984年にさかのぼり、2006年に「TED Talks」として無料動画配信がはじまることで世の中に広まることになった。
TEDの講演会では、さまざまな分野の、さまざまな人たちが「ideas」を世界に伝えている。
「TED Talks」は、TEDの講演からキュレートされた動画が配信され、質の高いプレゼンテーションを見ることができる。
サブダイトルも充実し、日本語を含む各国語のサブタイトル付きで、見ることができる。
TEDは、「TED Talks」の初期から、ぼくの学びの場のひとつとなっている。
そこには、大きく分けると、ぼくにとって3つのことがある。
- 肯定の力
- 言葉/プレゼンテーション
- 物語
まずは、TEDの動画を見るたびに、世界が<肯定の力>で照らされる。
世界には、志を高く持ち、よりよい世界へ向かうための力となる人たちであふれていることを感じる。
講演のトピック・分野はさまざまだから、一層、その「広がり」を感じることになる。
この<肯定の力>が、短い時間で区切られた「プレゼンテーション」の中に凝縮されることになる。
TEDを世界的に広げていく原動力となったプレゼンテーション形式。
ぼくたちは、「プレゼンテーションの方法・仕方」という視点において、TEDを素材に学ぶことができる。
ぼくも、講師の立場から、TEDのプレゼンテーションから学んでいく。
この10年、TEDのプレゼンテーションに関する書籍も多数出版されており、学ぶべきことに事欠かない。
「プレゼンテーション」は短い時間の中に凝縮されるため、そこで語られる「言葉」も厳選されていく。
<言葉の力>というものを、世界がふたたび取り戻していく流れのひとつともなっている。
<言葉の力>は、そこで語られる「物語」によって生かされていく。
講演者は、プレゼンテーションの中に、<物語の力>を注入していくことになる。
物語には講演者の思いや情熱が流れ、語りにリズムが生まれ、まさしく躍動していく。
すばらしい講演は、これらが一体となっている。
ほんとうにたくさんの「TED Talks」の講演の中で、見たのは一部であるという限定性を付けた上だけれど、ぼくがたったひとつの講演を選ぶとすれば、それは次の講演である。
「Benjamin Zander: The transformative power of classical music」
(*リンクはこちら)
クラシック音楽の指揮者Benjamin Zanderによって2008年に行われた講演は、今でも、見るたびにぼくに感動を与えてくれ、ぼくを触発し、学びを提供してくれると共に、すばらしいプレゼンテーションの原型のようなものとして、ぼくの中にある。
プレゼンテーションスキルということで言えば、プレゼンテーションに関する書籍である、Nancy Duarte『Resonate: Present Visual Stories that Transform Audiences』(Wiley)の中で、Benjamin Zanderのこの講演が素材として取り上げられている。
観客とのエンゲージメントもすばらしいものがあるし、プレゼンテーションという形での<物語>は、その中に笑いや悲しさや感動などのすべての要素がある。
講演はピアノを使いながらすすみ、動画を通じても、講演の親密さが伝わってくる。
この<物語>を通じて、観る者は、クラシック音楽の「内的な音楽」にとりこまれ、その世界はいつしか自分の人生の「内的な音楽」にまで射程を伸ばしていく。
音楽のコードに言葉をのせながら、Benjamin Zanderはこのことを成し遂げる。
Benjamin Zanderは、講演の終わりの方で、「指揮者」は、オーケストラの中で「音を出さない」ということに、45歳で気づいたことの話を伝えている。
「音は出さない」けれど、人の可能性を引き出すのが指揮者である自分の役目だと。
その気づきが、Benjamin Zanderの生の方向性を決定づけてゆく。
そんなBenjamin Zanderの「成功の定義」は、シンプルだと、彼は言う。
成功の定義は「It’s about how many shining eyes I have around me.」だと言う。
自分の周りにどれだけの人たちの目が輝いているのか。
「shining eyes(目が輝くこと)」。
ぼくが、西アフリカのシエラレオネで、東ティモールで香港で、目指してきたことと、それは重なる。
だから、Benjamin Zanderの言葉と情熱に動かされて、「目が輝くこと」を、ぼくは自分の「個人ミッション」の中に取り入れることにした。
目が輝くという<肯定の力>と共に、今日の一日を、ぼくは生きる。