作法としての「ユダヤ的知性」。- 内田樹がよみとく「ユダヤ的知性」。
NewsPicksのプレミアム(有料)で読むことのできるシリーズの中に(読みごたえのあるシリーズばかりで読みきれていない)、「ユダヤ最強説」という特集があり、全10回にわたって、ユダヤ人の強さを掘り下げている。...Read On.
NewsPicksのプレミアム(有料)で読むことのできるシリーズの中に(読みごたえのあるシリーズばかりで読みきれていない)、「ユダヤ最強説」という特集があり、全10回にわたって、ユダヤ人の強さを掘り下げている。
その最終回に、『私家版・ユダヤ文化論』の著者である内田樹が、「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」について語っている。
上述の著書を読んだときには一気に読んでしまって、ぼくのフィルターにかからなかったのだけれど、この特集で、内田樹は「ユダヤ的知性」をわかりやすい言葉で、しかしその本質をさぐりあてている。
「ユダヤ的知性」を、内田樹は、ユダヤ人固有の「頭の使い方」として語っている。
「私家版・ユダヤ文化論」という本に書きましたけれど、ユダヤ的知性の特徴を一言で言うと、「最終的な解を求めない」ということです。
解答することが困難な問いに安易な解を与えずに、そのまま宙吊りにしておく。そんなことを続けていると、「答えのない問い」だけが無限に増殖してゆくことになりますけれど、その未決状態に耐える。それがユダヤ的知性の働きです。まことにストレスフルな生き方なのです。
内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks
この「ユダヤ的知性」がユダヤ教的なところにかかわることを解説しながらも、内田樹は次のように指摘している。
繰り返し言いますけれど、ユダヤ人たちのものの考え方は、教義というよりはむしろ「家風」です。子どもの頃から周りの大人たちから、立ち居ふるまい、箸の上げ下ろしについてうるさく言われてきて身体化したようなものです。
内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks
身体化された「頭の使い方」は、今の時代をきりひらく上で、とても魅力的に、ぼくにはうつる。
「最終的な解を求めない」というスタイルにかんれんして、内田樹はいくつかの例をあげている。
例えば、ユダヤ人に向かって「…ですか?」と聞くと、「どうして君はそれを訊ねるのか?」と聞き返すことで、問いの文脈を前景化しようとするという。
問いに対して問いで答えるということをやると、日本人同士であればケンカになってしまうだろうと指摘しながら、ユダヤ人はそこから対話を盛り上げ、論争の次数をあげていくことが、身についていることを、内田樹は説明している。
ユダヤ人は何をしても、「なぜ自分はこんなことをするのか」について考え始める。必ずメタレベルに上げてしまう。…
…つねに論争の次数を上げていって、違う視点から、より高い視点から、今の自分たちの思考や感情を説明しようとする。
内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks
ある意味、「好奇心」が、ユダヤ的知性の作法にくみこまれているようだ。
なお、内田樹は、くりかえし、これは宗教や教義ではなく、宗教が形骸化したあとでも残る作法であることをつけくわえている。
質問の背景を前景化したり、思考をメタレベルに上げていったり、議論の次数を上げていくことは、コンサルタントの作法とも通じる。
そのような作法が、社会のなかにうめこまれていることに、ぼくは感心してしまうと同時に、ユダヤ人の強さを垣間見たような気持ちがわきあがる。
ちなみに、コンサルタントや経営者が参照する有名なピーター・ドラッカーも、ユダヤ系である。
人工知能の行く末など未来はどうなるかはわからないけれど、少なくとも今においては、「考えること」はとても大切だ。
ぼくたちが「ユダヤ的知性」に学ぶところは多い。
久しぶりに、内田樹の『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)をひらこうと、ぼくは思う。
「ユダヤ的知性」の視点でよみとき、学ぶために。
「近代と現代:『標準化、統一化』からの卒業」(落合陽一)。- ダイバーシティの世界へ。
NewsPicksの記事「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)は、筑波大学准教授である落合陽一のプレゼンテーションから8つのトピックをとりあげ、簡潔にまとめている。...Read On.
NewsPicksの記事「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)は、筑波大学准教授である落合陽一のプレゼンテーションから8つのトピックをとりあげ、簡潔にまとめている。
その最初のトピックとして挙げられているのが、「1. 近代と現代」である。
落合陽一自身の言葉かはわからないけれど、そこには、次のような見出しがつけられている。
「標準化、統一化」からの卒業
落合陽一は、近代という時代の「テーマ」を次のようにきりとっている。
近代は、一人ひとりが多くの人間のために「標準化」した、いわゆる人間らしい社会をつくることに必死で、それがテーマでもありました。その結果、僕たちは「統一化」されてしまったのです。テレビなどのマスメディアはいい例で、皆が似たような感性や思考となってしまいました。
NewsPicks「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)
「近代というプロジェクト」にとって、(自由と平等という理念にもかかわらず、いったんはそれらを凍結し)近代家父長制という制度のもとにリソースを集約してきたことは、社会学者の見田宗介が明晰に語っているところである。
「近代」市民社会は、「標準化」の力学で、土着のものを解体してきたことについては、別のブログ(「標準化」と「共通語」の異なり)でも見てきた。
落合陽一は、「現代は違う」と語り、「多様性への変化、ダイバーシティ」への時代の流れを見ている。
それが、「標準化、統一化」からの卒業である。
落合陽一が「多様性・ダイバーシティ」を挙げるのは、落合の主戦場である情報テクノロジーである。
インターネットからスマートフォンの流れで、「個人」が好きなことをできるようになってきたことが挙げられている。
その上で、「統一化された社会の枠組みでものごとをかんがえるフェーズ」から「多様性ある社会でアップデートするすべを考えなくてはならない時代」の到来へと、落合陽一は目を向けている。
落合陽一の研究の芯をささえているのは、このような大きな流れをつかみ、そして描かれた未来である。
シンギュラリティなどで語られる人とコンピュータとの関係性についても、コンピュータやロボットによる人間支配ではなく、その逆の未来を描いている。
…人が自由意志などの近代パラダイムを脱構築することで、新しい形の共存を作り出す。それによって私たちは今よりも自然な、そしてストレスや無理のない毎日が送れるような未来を描いています。
NewsPicks「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)
その手段として、落合が追い続けている研究テーマが「計算機自然・デジタルネイチャー」である。
「標準化、統一化」から卒業した先の「多様性・ダイバーシティ」をささえる、ぼくたちの<共通のことば>を、テクノロジーを実際に駆使しながら、落合はここに構築しようとしている。
ダイバーシティはただダイバーシティであればよい、というものではない。
近代のプロジェクトを推進してきた「標準化」の力のエッセンスを<共通のことば>として残したままで、ダイバーシティのある社会をひらいてゆくこと。
落合陽一の企ては、デジタルネイチャーという<共通のことば>を基幹にしながら、この「現代」をひらこうとしている。
「標準語」と「共通語」の異なり。- グローバル化のなかで<近代・現代をこえる>方向性を確認しておくこと。
社会学者の見田宗介の論考を手がかりに、「差別」をのりこえる仕方を、<みんなが同じ>と<みんなが違う>という異なる方向性において見ることを、少し前のブログで書いた。...Read On.
社会学者の見田宗介の論考を手がかりに、「差別」をのりこえる仕方を、<みんなが同じ>と<みんなが違う>という異なる方向性において見ることを、少し前のブログで書いた。
<みんなが同じ>という均質化の力学が「差別」を生み出していくこと、<みんなが違う>という異質化は世界を豊饒化していくこと。
しかし、見田宗介の徹底した「論理」は、この平面に、もう一段論理を組み込むことで、現実の問題・課題とこれからののりこえの方向性をとらえている。
見田宗介が提示する、この論理・認識と感覚は、とても大切なことであるように、ぼくは世界のいろいろなところに住みながら思う。
見田宗介は、同じ論考のなかで、評論家の加藤典洋が書く「国際化」にかんする文章に触発されながら、ことばについて「標準語」と「共通語」とを丁寧に分けながら、ぼくたちが目指す方向性を明晰に示している。
「インディアンが部族言語だけを持ち、標準語をもつことがなかった」ことに加藤が学ぼうとしていることに、わたしは共感する。共感するが、加藤がここで「標準語」を「共通語」一般と同一視していることから、加藤は論理的な困難に自分を追い込んでしまったと思う。
アメリカ原住民がもし共通語を持とうとしなかったとすれば、それは彼らの美しさであると同時に、弱さでもあったのではないか?
わたしたちに必要なことは、共通語をもたいないことではなく、「標準語」に転化することのないような仕方で、つまり土着語を抑圧することのない仕方で、共通のことばをもつということではないか?
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
見田宗介は、この<共通のもの>と<標準のもの>ということを、「近代」全般の見方へと敷衍して書いている。
「近代」とは、<共通のもの>を<標準のもの>に転化することで、土着を解体してきた。
これが、「近代」市民社会(ゲゼルシャフト)である。
だから<共通のもの>を批判して、共同体(ゲマインシャフト)に戻ればいいというものでもない。
見田宗介は、近代のもつ「両義性」をひきうけて、そこから「近代をこえる」方向性を示していく。
近代をこえるということは、文化と文化との間であれ、個人と個人との間であれ、人間と他の存在の形たちとの間であれ、各々に特異なものを決して還元し漂白することのない仕方で、きわだたせ交響するという仕方で、共通の<ことば>を見いだすことができるかという課題に絞られてゆくように思う。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
このような見田宗介の指し示す「近代」をこえる方向性は、この文章が書かれた1986年から10年後に、著作『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)として結実する。
近代を否定するのでもなく、近代をただ肯定するのでもなく、近代の両義性をひきうけながら、未来の方向性を明晰に論じている。
このスタイルの重要性と理論の可能性を深いところで認識し、さらに展開をこころみたのが、上述の加藤典洋であったことは、ぼくの関心をひく。
加藤典洋は日本の311の経験ののちに、見田宗介の『現代社会の理論』の可能性を、出版から20年を経て改めて認識し、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)を書く。
本質的な思想家たちが、お互いに触発されながら、未来の方向性をさがしあてている。
人はものごとの「両義性」に弱いように、ぼくには見受けられる。
どうしても、人は、どちらかの「極」(例えば、近代と反近代)にひっぱられていってしまう。
そのようななかにあって、「各々に特異なものを決して還元し漂白することのない仕方で、きわだたせ交響するという仕方で、共通の<ことば>を見いだすことができるか」という、見田宗介がさししめしてくれた課題は、ぼくたちの歩く方向性の見晴らしをつくってくれている。
その課題を、グローバル化の世界における日々の生のなかでどのように生きていくことができるのかが、ぼくたちに問われている。
漫画「クロカン」における「チーム」づくり。- 人と組織、そしてマネジメントをかんがえさせられる作品。
漫画「クロカン」。「型破りなクロカン野球で目指せ甲子園」(マンガトリガー)というストーリーで展開される作品(著者:三田紀房)。...Read On.
漫画「クロカン」。
「型破りなクロカン野球で目指せ甲子園」(マンガトリガー)というストーリーで展開される作品(著者:三田紀房)。
1996年から2002年まで雑誌で連載され、アプリ「マンガトリガー」で、無料(「待てばタダ」)で掲載されている「懐かしい作品」である(ちなみに「マンガトリガー」のビジネスモデルは面白い)。
ぼくは「マンガトリガー」で初めて知り、作品に描かれる、人と組織(チーム)、それからマネジメントということを考えさせられながら、作品を読んでいる。
甲子園をめざす桐野高校野球部の監督、黒木竜次(28歳)、通称クロカンが主人公である。
監督就任後に3年目に県大会ベスト4、4年目で準優勝にまでチームをつくっていく。
同野球部の部長、森岡謙一郎(28歳)が描く「エース中心の、守り抜く野球」とは対称的に、クロカンの指導方法と監督の采配は「はちゃめちゃ」である。
高校時代は二人でバッテリーを組んでいた森岡にどういうチームを作りたいのかと聞かれ、「しいていえば、バカばっかのチームだな」と応答するクロカン。
そんなクロカンが、甲子園をめざして、「はちゃめちゃ」な策を展開する。
第2話「口火」は、口火として、策のひとつがチームに「火を灯す」ストーリーである。
既成事実的にエースだと誰からも思われているピッチャーの正宮をショート(+抑えのピッチャー)に転向させる。
チーム内にも、チームの外にも、波紋を広げていくなかで、キャプテンの小松がクロカンに相談にくるシーンがある。
小松は、クロカンに、なぜ正宮をショートに変えたのかをたずねる。
「あの 監督……
教えて下さい
どうして正宮をピッチャーからショートにしたんですか?
みんな頼りにしてたエースが急にショートだなんて…
…
みんな憶測とか噂とか……
好き勝手なこと言い出して
モメてケンカ腰になって収拾つかなくて…」
三田紀房『クロカン』コルク
キャプテン小松にたいし、「ダメだ……俺から理由は言わねぇ……」と伝え、クロカンは「答え」をさしださない。
あくまでも、自分で考えさせる姿勢をとる。
そして、クロカンは、小松をまっすぐに見つめ、次のように尋ねる。
「おまえはあいつらとどういうチームにしてぇ?」
「キャプテンとしておめえはどう思うかって聞いてんだよ」
三田紀房『クロカン』コルク
チームで話し合ったこともないと答える小松にたいし、クロカンは言葉を続ける。
「チームは俺や森岡や誰のものでもねぇ
おまえらのもんだろ
それをどうしたいのか
自分らで考えもしねぇのか」
「まず
てめえらで考えろ……」
三田紀房『クロカン』コルク
黙る小松にたいし、「モメることを恐れるな」と最後にアドバイスをなげかける。
ぼくはこのシーンに心を動かされる。
漫画であるし、高校野球という枠のなかではあるけれど、人や組織(チーム)をかんがえる際に、とても大切なことを「物語」として描いている。
「守り」に入ってしまう人とチーム、既成事実的に動くチーム、どういうチームにしたいかがわからないチーム、「考えること」を現実には放棄してしまっている人など、物語を通じてかんがえさせられてしまう。
それらは、現実に、人や組織が直面していく問題であり、課題だ。
さらに、直接的には語られていないことで、ぼくが気になっているのは、この「口火をきったタイミング」である。
監督になって4年目に準優勝を果たした後に、この「口火」がきられたことだ。
そんなことをかんがえながら、ぼくは次の話へとすすんでゆく。
「まず、てめぇで考えろ」というクロカンの声が、ぼくにはきこえてくる。
名曲「Imagine(イマジン)」(ジョン・レノン)の方法論。- 現実の<消去>という仕方で描かれる世界。
名曲「Imagine(イマジン)」。誰もが知る、今も歌い継がれてゆくジョン・レノンの歌が描く世界に一歩ふみこんでみると、またひとつの視界がひらける。...Read On.
名曲「Imagine(イマジン)」。
誰もが知る、今も歌い継がれてゆくジョン・レノンの歌が描く世界に一歩ふみこんでみると、またひとつの視界がひらける。
この曲の中で、「想像してごらん」と、ジョン・レノンが描く世界は、3つのことの<消去>により現出する世界である。
想像のなかで消去されたのは、次の3つのことである。
- 天国と地獄
- 国と宗教
- 所有
それらに対置されたもの・ことを、さらに一歩ふみこみ理論としてとりだすと、次のようになることを、別のブログで論じてきた。
(1) 天国と地獄 ⇄ 「今を生きること」➡︎ 時間
(2) 国と宗教 ⇄ 「平和に生きること」➡︎ 共同体
(3) 所有 ⇄ 「分かち合うこと」➡︎ お金
これら3つのこと・ものは、今の時代が「次なる時代」にひらかれてゆく過程で直面する、大きな課題である。
ジョン・レノンの名曲は、この大きな課題に照準をあわせながら、しかし、人びとに「想像」をよびかけながら、その方法として現実の<消去>という方法をとっている。
天国と地獄がない世界、国と宗教がない世界、所有のない世界の想像を喚起するという方法である。
理論として語るのであれば、方法としては、「否定」(~ではない)と「肯定」(~である)という方法がある。
しかし、ジョン・レノンは、そのどちらでもない、<消去>という方法をえらんでいる。
なぜそのような方法をとったのだろうかと、ぼくはかんがえる。
社会学者の見田宗介は、1986年の論壇時評において、「差別」をのりこえる方途を次のように書いている。
…男女の差別をこえるという時、「女である前に人間です」という言い方で、同質性に還元してゆく仕方がひとつある。もうひとつ「女といっても一人一人違う。男といっても一人一人違う」という言い方で、異質性をきわだたせてゆく仕方がある。最首の言い方をかりれば、<みんなが同じ>という仕方で差別をこえる方向と、<みんなが違う>という仕方で差別をこえる方向とである。
異質なものの呼応と交響、というあり方に魅かれるわたし自身には、<みんなが違う>という言い方の方が、得心がゆく。異質化は世界をすてきにしてゆく(同質化は世界をたいくつにする!)。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
見田宗介は、最首悟が障害を持つ自分の子供にふれて言った言葉(最首悟は、<みんが同じ>という均質化の力が差別をつくることを語っている)や、加藤典洋が語る「国境」の話などを手がかりに、差別をのりこえる仕方を展開している。
<みんがが同じ>という方向と<みんなが違う>という仕方。
ジョン・レノンが挙げたこと・ものを、「否定」という仕方で展開して言うと、例えば、「国や宗教がない世界」などとなる。
これは、かんがえる仕方としては、<みんなが同じ>という方向へののりこえに向かってしまう。
それは、最首悟の言うように、均質化の力が逆に差別を生み、見田宗介の言うように、同質化は世界をたいくつにする方向であり、今あることの「否定」がかならずしも、よい世界につながるとは、ジョン・レノンはかんがえていなかったのではないかと、ぼくは思う。
そして、否定とは逆に「肯定」という方向性はいまだ積極的にはみえず、その苦悩と狭間のなかで、<消去>という方法を、彼はとらざるを得なかったのではないかと、ぼくは推測している。
名曲「イマジン」が世に放たれたのは1971年のことであり、時代はますます「標準化」という均質化・同質化の力を強めていたときである。
ぼくはもう少し、ジョン・レノンが描いた世界を、異なる地点や視点から見ていく必要があるように思う(でも、断っておけば、あくまでも、ぼくの解釈にすぎないのだけれど)。
その課題のヒントを、次に、ジョン・レノンのもう一つの名曲「Happy Xmas (War Is Over)」を読みときながら、ぼくは探っていくことになるだろう。
ジョン・レノンの名曲「Imagine(イマジン)」の描いた世界。- この名曲に一歩ふみこんで、かんがえてみる。
誰もが知る、John Lennon(ジョン・レノン)の名曲「Imagine (イマジン)」。名曲「イマジン」は、多くのミュージシャンたちをひきつけてきた。...Read On.
誰もが知る、John Lennon(ジョン・レノン)の名曲「Imagine (イマジン)」。
名曲「イマジン」は、多くのミュージシャンたちをひきつけてきた。
子供のときにイラクの戦場で見つけられたEmmauel Kellyが、だいぶ前にオーストラリアの番組Xファクターで「イマジン」を歌う姿と歌声は、人びとの心をうった。
Emmanuel Kellyは、Coldplayのオーストラリアでのコンサートで、一緒に「イマジン」を披露している。
生きる力の充溢をそこに見ることができる。
ジョン・レノンだけでなく、さまざまなアーティストにひきつがれてゆく名曲の<つなげる力>に、ぼくは心を動かされる。
名曲「イマジン」は、「世界がひとつになって生きる」ことを歌っているけれど、どのような世界を望んでるのか。
何度も聞いてきたこの名曲を、ぼくは一歩ふみこんでかんがえたことがなかった。
歌詞だけにおさまらない力が、この歌にはひめられていることもあるけれど、「わかった」気持ちでいたことも、理由のひとつかもしれない。
「♫ Imagine(想像してごらん)」と、ジョン・レノンが歌うとき、「~のない世界」をとジョン・レノンはメッセージをのせている。
大きく分けると、そこには3つの大きな<消去>がおかれている。
- 天国と地獄
- 国と宗教
- 所有
これらを見ると、わかったような気がするけれど、ジョン・レノンがこれらに「対置」するものを置くと、もう少し見えてくるものがある。
(1) 天国と地獄 ⇄ 「今を生きること」
(2) 国と宗教 ⇄ 「平和に生きること」
(3) 所有 ⇄ 「分かち合うこと」
ここまではジョン・レノンが、歌詞にのせたメッセージである。
さらに、ここから、もう一歩ふみこんで、「抽象度」をあげて理論として取り出してみると、これらの3つは、次のように読みとることができる。
(1’) 時間
(2’) 共同体
(3’) お金
こうしてみることで、ジョン・レノンが名曲にのせて歌うメッセージは、とても「論理的」であることがわかる。
これら3つは、「生きること」の3つの側面であり、「生きること」を支える3つのもの・ことである。
二つ目の「共同体」は、人の<精神的な側面>を支えるものであり、三つ目の「お金」は、人の<物質的な側面>を支えるものである。
人びとの生を支えるものでありながら、それらが逆に、「抑圧」として人びとの生に影響をあたえている状況に、想像の世界でジョン・レノンは現実を<消去>したのだ。
一つ目の「時間」はと言うと、ひとつの解釈としては、人が個人として生きる「意味」がそこにこめられているように、思う。
「天国と地獄」という「結末」に向けられた視線は、人の生をそこに向けて収斂させながら、<今ここの生>をおきざりにしてしまう。
だから、ジョン・レノンは「今日を生きること」へと、人びとの想像の力を解き放とうとしている。
このように、名曲「イマジン」は、時間・共同体・お金という、人が生きてゆくことの、意味と精神的・物質的側面の色彩を変えることで、「ひとつになる世界」を描いている。
その想像の「道すじ」において、ジョン・レノンは、天国と地獄、国と宗教、所有を<消去>するという仕方を選んだことは、積極的な方法というよりも、そう取らざるを得なかったのかもしれないと、ぼくはかんがえている。
ジョン・レノンを思う日。- 「全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界」(見田宗介)への途上に鳴りひびく歌。
毎年12月8日は、ぼくにとって、ジョン・レノンを思う日だ。時代をつくった音楽バンド、ビートルズの中心メンバーであり、ビートルズ解散後も、数々の名曲をつくり、レノンの歌は世界に交響してきた。...Read On.
毎年12月8日は、ぼくにとって、ジョン・レノンを思う日だ。
時代をつくった音楽バンド、ビートルズの中心メンバーであり、ビートルズ解散後も、数々の名曲をつくり、レノンの歌は世界に交響してきた。
そのジョン・レノンが、1980年12月8日にニューヨークの自宅前で、凶弾に倒れた。
ジョン・レノンが40歳のときだ。
それから27年が過ぎた。
気がつけば、ぼくはジョン・レノンの年齢を超えている。
ぼくがジョン・レノンに出会ったのは、たしか中学生のときの英語の教科書のなかであって、ぼくのなかではジョン・レノンは、今でもそのときの立ち位置に存在している。
英語の教科書では、ニューヨークのセントラルパークに、亡くなったジョン・レノンを思いつつ平和をいのる人たちが集ったこと、それから名曲「イマジン」のことが書かれていたように記憶している。
学校で学ぶということの窮屈さのなかにあって、英語の教科書にあらわれたジョン・レノンは、ぼくをひきつけてやまなかった。
大学で東京に出てからは、渋谷東急でビートルズの物品の展示に使われていた、ジョン・レノンモデルの「リッケンバッカー」のギターが売りに出されていたのを、ぼくは手に入れて、ジョン・レノンが鳴らしたであろう響きを、少しでも感じようとした。
12月8日にかぎるわけではないけれど、クリスマスが近づき、ジョン・レノンの名曲「Happy Xmas (War Is Over」が外からも、それからぼくの内からも、その響きを届けるころ、ぼくはジョン・レノンのことを思い、ジョン・レノンが思い描き、目指していた世界のことをかんがえる。
ビートルズとジョン・レノンの歌、それからレノンの生き方は、ぼくの生き方の方向性に交響する仕方で、ぼくのなかに流れている。
社会学者の見田宗介は、整体の創始者といわれる野口晴哉にかんする論考のなかで、ジョン・レノンにふれている。
その「節」は、「時代の文脈ーレノンの歌、遥かな呼応」という言葉がおかれている。
見田宗介が1970年代半ばにメキシコの滞在から日本に帰ったおり、野口晴哉の思想に出会ったときの「時代の文脈」を、2008年の地点から振り返って語るところである。
今ふりかえってみて初めて気がつくのだけれども、わたしたちにとって野口晴哉は、ジョン・レノンやボブ・ディランやカルロス・サンタナの歌と遥かに呼応する運動のうねりの中で、全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界を実現するための、方法の夢中の模索と探求という途上で出会われた。
戦争と憎悪と抑圧のない世界を、暴力的な否定という仕方ではなく、(人間の中の自然の可能な力を肯定するということをとおして)異質なもの多様なものの相補し交響する世界の胚芽を、至るところの今ここに生きられる仕方で実現してゆくのだという方法論の、確実な一角として探り当てられていた。
見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店
この時代を生き、「方法の夢中の探索と探求」をつづけてきた人たち。
見田宗介、野口晴哉、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、カルロス・サンタナなど。
学問も、整体も、歌も、反戦運動も、すべてが「遥かに呼応する運動のうねり」の中で、それぞれに、「全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界」の実現をめざしてゆくことの活動としてあった。
時代に流されるのではなく、時代に垂直に立つ仕方で、これらの人たちの生は生きられてきた。
ジョン・レノンの生き方にぼくがあこがれたのも、その音楽的な感性だけでなく、「時代に垂直に立つ仕方」であったように、ぼくは思う。
「全世界の異質なもの多様なものたちの生々として共存する世界」。
時代がうつりかわっていくなかで、しかし、照準はそこに、定められている。
「暖かい気候のクリスマス」のこと。- ぼくのなかに定着した「暖かい/寒いクリスマス」。
香港はいたるところで、クリスマスの飾りつけがほどこされ、クリスマスと新年の到来の足音がきこえるようになってきた。...Read On.
香港はいたるところで、クリスマスの飾りつけがほどこされ、クリスマスと新年の到来の足音がきこえるようになってきた。
ヴィクトリア湾を挟んで、ビルがイルミネーションに包まれ、「Season’s Greeting」のメッセージを届けている。
住まいであるマンションのロビーや敷地内も、クリスマスの飾りで、すっかり化粧をし直したところだ。
そんな香港は、今年は暖秋が続いている。
いっときは冬の到来が感じられるようになったと思ったら、すぐさま20度前後の気温にもどってしまった。
2017年の「9月~11月」にかけての平均気温は、25.8度で、これまでの歴史上の記録で3番目に暖かい秋となったという。
まだクリスマスの予報は出ていないけれど、「暖かい気候のクリスマス」になるかもしれない。
それにしても、「暖かい気候のクリスマス」をぼくが体験したのは、1996年にニュージーランドに住んでいたときのことであった。
ニュージーランドは南半球に位置しているから、クリスマスはちょうど夏の時期にあたる。
ぼくは、キャンプ場でテントを設営して、サンタクロスの姿を横目に、まったく「クリスマスらしくないクリスマス」を過ごしたことを思い出す。
「暖かい気候のクリスマス」があることなんて、南半球があり、また熱帯がありなどとちょっと考えてみれば、知識・情報としてはすぐわかることだ。
しかし、「暖かい気候のクリスマス」を過ごす感覚は、やはり体験してみないとわからない。
だから、体験として、ぼくの既成概念を壊すのに、よい機会となった。
その後は2002年に西アフリカのシエラレオネに住むことになり(その年のクリスマスは会議等で日本に戻っていたけれど)、それ以降も東ティモール、それから香港と移り住むなかで、「暖かい気候のクリスマス」はすっかりぼくのなかに定着した。
それでも、例えば、香港では、15度の気温だとして、その「気温」にはあらわれない<寒さ>のようなものを感じる。
実際、この暖秋においても、それなりの人たちが、コートやダウンジャケットを着はじめている。
気温にはあらわれない<寒さ>は、ある人は、湿気が高いことが理由だと言う。
ほんとうのところはよくわからないけれど、ぼく自身のことで言えば、人間の環境適応性のようなところがある。
2002年以降、ずっと、熱帯や亜熱帯に暮らしてきて、ぼくの身体はすっかりその気温・気候に慣れてしまった。
だから、ぼくのなかでの「寒さの基準」が変わってしまったのだと思う。
香港にいながら、ぼくはこの「寒さ」のなかでも、クリスマスの雰囲気を楽しめるようになった。
もしかしたら、人間のもつ「想像力・イメージ」の力、あるいは「記憶」の力が、力をかしてくれているのかもしれない。
そのようにして、ぼくのなかに、「暖かい/寒いクリスマス」が定着し、同居している。
それにしても、この「人間の環境適応性」はすごいものだと思いながら、逆にこわいものだとも思う。
現在の地球がくぐりぬけている環境汚染や気候変動に、ぼくたちがすっかり慣れてしまい、それが「当然のこと」となってしまうことの恐れである。
そうならない前に、ぼくたちの社会は、その軌道を変えていかなければならない。
「暖かい気候のクリスマス」は決して悪いものではないけれど、でも、世界全体が「暖かい気候のクリスマス」を迎えないように。
「ほんとう」という言葉からはじまる旅路:「ほんとうの」と「ほんとうに」。- 竹田青嗣、宮沢賢治、そして見田宗介。
ぼくたちは、日々の会話や書くもののなかで、「ほんとう」という言葉を使う。小さい頃から、ぼくは、よくこの言葉を使っていたと思う。...Read On.
ぼくたちは、日々の会話や書くもののなかで、「ほんとう」という言葉を使う。
小さい頃から、ぼくは、よくこの言葉を使っていたと思う。
「ほんとう」の反対は「うそ」というような対置をされると、ぼくたちは他者の言うことを信じていないように聞こえてしまう。
でも、ぼくの感覚では、「ほんとうーうそ」というシンプルな対置だけにおさまらない構図のなかで、その言葉が発せられてきたことを感じていた。
そのことを正面から見つめようとしたのは、やはり、社会学者の見田宗介の著作に触発されてきたところが大きい。
見田宗介の仕事のなかで、「ほんとう」ということを論じている対象としては、哲学者である竹田青嗣と、そして宮沢賢治が挙げられる。
音楽家の井上陽水論を展開した竹田青嗣の著作『陽水の快楽』(ちくま文庫)で、見田宗介は鮮烈な「解説」を書いていて、その解説が書かれる前の「前身」的な解説として、論壇時評に次のように書いている。
竹田の文章が要所で放つ「ほんとうに」という副詞は、書くことの外部からくる息づかいのように、彼の論理の展開の、生きられる明証性のようなものを主張している。宮沢賢治は「ほんとうの」しあわせとか考えとか世界を求めた。竹田の断念は、<真実>を方法の場所に、形容詞でなく副詞の場所にまでしずめている。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
見田宗介は、「ほんとう」ということで示されるものを、「ほんとうの」という形容詞、それから「ほんとうに」という副詞というように切断線を引いて、かんがえている。
「ほんとう」という言葉に表象される心象は、ぼくの個人史だけに固有のものではなく、それが時代の困難さをあらわしていることを、ぼくはここにみる。
竹田青嗣の展開する陽水論と見田宗介の鮮烈な読みとりについては、以前にもブログで触れたけれど、またいずれ書きたいと思う。
むしろ、ぼくをひきつけてやまないのは、「ほんとうの」という形容詞である。
見田宗介が吉本隆明の著作『宮沢賢治』に応答するように書いた文章、「性現象と宗教現象ー自我の地平線」は、いっそうの深みにおいて、宮沢賢治が追い求めた「ほんとうのもの」をスリリングに論じている。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を素材に、主人公ジョバンニと宮沢賢治を重ね合わせながら、見田宗介(真木悠介)は性と宗教を明晰に論じている。
銀河鉄道に乗るジョバンニは、その旅路で乗客たちに出会うけれど、乗客たちは途中で降りていってしまう。
それでもジョバンニはどこでも降りない。銀河鉄道のそれぞれの乗客たちが、それぞれの「ほんとうの神」「ほんとうの天上」の存在するところで降りてしまうのに、いちばんおしまいまで旅をつづけるジョバンニは、地上におりてくる。
ひとつの宗教を信じることは、いつか行く旅のどこかに、自分を迎え入れてくれる降車駅をあらかじめ予約しておくことだ。ジョバンニの切符には行く先がない。ただ「どこまでも行ける切符」だ。
真木悠介『自我の起原』岩波書店
法華経の人であった宮沢賢治を読みときながら、見田宗介は宮沢賢治が<歩きつづけた方向性>を、次のように書いている。
性が何度も人を裏切るものであることと同じに、宗教もまた、何度でも人を裏切る。宗教に裏切られる毎に、賢治の資質は、宗教を否定する方向にでなく、<ほんとうの>宗教を求めるという方向に賢治を向かわせた。
人が<ほんとうのもの>を求めるということをどこかでやめてしまう仕方は、二つある。宗教の駅と、反宗教の駅だ。宗教の駅は、<ほんとうのもの>はここにあるのだ、これ以上求めることはないのだという仕方で人をその場所に降ろす。反宗教の駅は、<ほんとうのもの>はどこにもないのだ、そんなものを求めることはないのだという仕方で降ろす。賢治が択んだのは、そのどちらでもないような仕方で歩き続けることだったと思う。
真木悠介『自我の起原』岩波書店
宮沢賢治が択んだ「第三の道」のように、見田宗介もまた「どこまでも行ける切符」を手に、<ほんとうのもの>を求めつづけ、「反時代の精神たち」に言葉を届けてきた。
見田宗介が措定してきた「虚構の時代」のなか、「時代の商品としての言説の様々な意匠の向こう」(真木悠介)めがけて、「ほんとうに切実な問いと、根柢をめざす思考と、地についた方法とだけを求める反時代の精神たち」に、上記の論考を含む、「分類の仕様のない書物」の言葉たちは放たれる。
「ほんとう」という言葉からはじまったぼくの旅路は、こうして、新たな旅路が目の前に、どこまでもどこまでも、ひろがっている。
生ききること、全生を追い求めてきた野口晴哉の視野・視点の自由さ。- 「自由自在なる宇宙人」という視野・視点。
「世界で生ききる」ということをブログのタイトルの一部に、ぼくはもりこんでいる。言葉に堅さ・硬さのようなものが残るものの、これからの時代をきりひらいていく方向性を感覚しながら、書いた言葉である。...Read On.
「世界で生ききる」ということをブログのタイトルの一部に、ぼくはもりこんでいる。
言葉に堅さ・硬さのようなものが残るものの、これからの時代をきりひらいていく方向性を感覚しながら、書いた言葉である。
とくに「生ききる」という言葉をアンテナとしている。
整体の創始者といわれる野口晴哉が「全生」ということをその思想のコアにしていることは知っていたけれど、例えば、次のような野口晴哉の言葉を、ぼくは最近見つけた。
溌剌と生きる者にのみ
深い眠りがある
生ききった者にだけ 安らかな死がある
野口晴哉『碧巌ところどころ』(全生社、1981年)
野口の焦点は、溌剌と生きること、「生ききる」こと、彼が言う「全生」ということにある。
…象の百年生くるも全生なら、蝉の一夏の生涯も又全生なのだ。大と小と対立させてその価値に拘泥するのは、人間的な有限感覚に基づいているに他ならぬ。人間の五十年は蚊の一夏に比して長いとは言えぬ。欅の三千年の寿命も猫の十年に等しい。全は、全だ。
この如く、人間が人間感覚からのみ推して ものを対立させているなかに宇宙的無限感を得たものがいたなら、こう言うだろう。
野口晴哉『碧巌ところどころ』(全生社、1981年)
ここに見られるように、野口晴哉の視点は、多くの知の巨人たちと同じく(「巨人」という使い方自体、野口は「人間的な有限感覚」だと言い放つだろうけれど)、時間と空間の「幅」がはてしなくひろい。
野口晴哉の思想を深いところで支えているのは、この時間と空間の感覚だ。
時間は人間的な有限感覚に限らず、空間も宇宙にまでひろがっていく。
それでいながら、野口晴哉の「実践」は、この人間の身体に向けられている。
この「視野・視点の自由自在さ」が、野口晴哉の屹立する思想を支えている。
野口晴哉がもっとも魅かれてきた書、『碧巌録』を野口流に読み解きながら、野口晴哉の思想と実践は、『碧巌録』におさまりきらないように、ぼくには見える。
一秒間で地球を八回めぐる光の速さで、何十億年かかる距離を容れて尚あまりある宇宙も、その宇宙に浮かぶゴミの如き地球も、その地球に生えたかびの如き人間も、その人間の眼にも見えぬ最近の類も、自然の存在であり、ある可くしてある全なる相である。宇宙の運行と等しく我らが面前にある事実、我らが裡に行われる動き、我らが一呼一呼 一挙手一投足も 自然のはたらきたらざるはない。このことを見つけ出し 身に体した人は 自由自在なる宇宙人だ。
野口晴哉『碧巌ところどころ』(全生社、1981年)
野口晴哉の思想と実践は、そこにはいりこめばはいりこむほどに、異なる相をぼくたちにひらいてくれる。
「生ききる」ということ、「全生」を求め、そこに生きてきた野口晴哉。
「自由自在なる宇宙人」という視野・視点のひろがりの中で、いまここの一点に集注してゆく、その自由さと型のなかに、野口晴哉の力強さはある。
ぼくがかかげる「Global Citizen」という諸相など、一気にふきとばされてしまうほどの強さだ。
でも、実を言うと「Global Citizen」の意味合いのなかには、<宇宙人>(宇宙に生きる人)としての諸相がふくまれている。
変にきこえるかもしれないけれど、ほんとうにそうかんがえながら、ぼくは野口晴哉の思想と実践に、真摯に耳を傾けている。
「自然からの人間の自立と疎外」と「共同態からの個の自立と疎外」(真木悠介)。- 月あかりに照らされる「近代文明の存立」。
香港の夜空で月あかりがさらにあかりを増していくなかで、「自然」という大きな視野はぼくの視界をひろげてくれることを思う。...Read On.
香港の夜空で月あかりがさらにあかりを増していくなかで、「自然」という大きな視野はぼくの視界をひろげてくれることを思う。
じぶんという存在を、一気に相対化してくれる。
その大きな視界から、人間の社会をみつめる。
社会学者である真木悠介のどこまでもひろがり、どこまでも深い視界・視野と、展開される論理は、人間社会、その近代文明を「大きく太い線」でとらえている。
「自然からの人間の自立と疎外」と「共同態からの個の自立と疎外」という、大きく太い線である。
真木悠介の著作のなかで、この太い線がより明確な形で提示されたのは、名著『時間の比較社会学』においてである。
…われわれの<時間の比較社会学>の問題意識と主導的な仮説を整理しておくと、つぎのようになる。
第一に、虚無化してゆく不可逆性としての時間の観念は、萌芽的にはオリエント、とりわけヘブライズムといった、最古の反自然主義的な文化と社会の中で発生し、展開してきたものではないか。
第二に、抽象的に無限化されうる等質的な量としての時間の観念は、萌芽的にはインダスその他の、高度にはヘレニズムのような、都市化された(集合態的な)社会形態の中で発生し、展開してきたものではないか。
そして西欧にその起源を有する近代文明は、この二つの文明史的な展開の統合の帰結として存立するのではないか。
理論的に抽象化していえば、第一の契機は、自然からの人間の自立と疎外、それによる自然との<生きられる共時性>の解体にかかわる要因ではないか。第二の契機は、共同態からの個の自立と疎外、それによる共同態の<生きられる共時性>の解体にかかわる要因ではないか。…
真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
途上国の発展・開発の現代的課題(よって先進国の発展・開発の歴史)を学び、疑問を抱きつつ、「発展・開発とは何か」という原的な問題を追い求めていた20年程前に、ぼくは、真木悠介の、この「大きく太い線」で引かれた視界・視野を手に入れた。
そして、この太い線は、ぼくたちが生きる世界の巨視的な把握のためにも、とても大切で、かつ有効なものであると、ぼくは思う。
今も「自然からの」あるいは「共同態からの」<自立>のたたかいはまだつづき、そしてそれらからの<疎外>がもたらす人と社会における問題に、ぼくたちは日々直面し、あるいはそれらを目にする。
ただし、自然からの、あるいは共同態からの自立は、人びとの生活とその社会を解き放ってきたものでもある。
太い線による巨視的な「近代文明の存立」の把握は、正の面と負の面双方をみはるかしながら、現代をよりよく生き、これからの未来を構想しひらいていくための、基礎・基盤である。
自然の限りない大きさにさらされると、ぼくの視界は一気に拡大し、たとえば「近代文明」を視野におさめようとしたりする。
ぼくが今立っている「地点」は、人や社会が、自然から、また共同態から自立してきたことの帰結なのだ。
異常なほどに光をはなつ月あかりに、古代の人たちは畏れ・恐れを感じ、その中に埋没してしまっていただろう。
現代のぼくたちは、自然から「自立」し、そんな月に不気味なものは感じない。
しかし「自立」でありながら、自然からの「疎外」として、うしなってきたものもある。
自立と疎外の行きつく果てに、ぼくたちは今さしかかっているのだと、ぼくは思う。
自立と疎外の行きつく果てに、ぼくたちは、どのような世界をつくりだしていくのか、月あかりのなかで、そんなことをかんがえる。
月あかりからもらってきた「おはなし」。- 香港で、満月の月あかりに照らされて考える、「非意識」からやって来た宮沢賢治作品の普遍性。
宮沢賢治のことをかんがえながら、ちょうど月が満月になるタイミングが重なって、ぼくの中では、だれもが知るところの『注文の多い料理店』の序に書かれた文章が浮かんでくる。...Read On.
宮沢賢治のことをかんがえながら、ちょうど月が満月になるタイミングが重なって、ぼくの中では、だれもが知るところの『注文の多い料理店』の序に書かれた文章が浮かんでくる。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたがないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
宮沢賢治『注文の多い料理店』序、青空文庫
今から20年程前に行われた、宮沢賢治をめぐる座談会(「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店)で、見田宗介はとても面白い問題を提起している。
近代的自我という視点において、「近代的自我の表現としての文学、という方向を原的に批判する思想としての賢治作品」として、見田宗介は宮沢賢治の作品をとらえている。
見田 自我の問題でいうと、宮澤賢治の作品というのはフロイトが言うような無意識と同じものではなくて、ユングの言う無意識とも違う。だから精神分析学で言う無意識というより、もう少し非意識みたいな、<意識でないもの>というような感じのところから来るものがあるようにみえる。…作品がどこから来るかというのは、作者の意識から来るというのが一つの典型的な形としてある。もう一つは作者の非意識から来るというのがある。それともう一つは作者以外のところから来る、作者の外部から来るみたいなところがある。…
「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店、1996年
見田宗介は、谷川俊太郎から聞いた、大江健三郎の発言も紹介している。
大江健三郎は谷川俊太郎との会話のなかで、「最初の二つの作品で無意識は全部使い果たした」ということを語ったという。
それ以降の作品は意識で書いている、と。
無意識を使って書かれた作品と文学作品における「普遍性」ともからめながら、宮沢賢治の作品の「普遍性」も、賢治作品が非意識から来ているということと関係しているのではないかと、見田宗介は語っている。
賢治作品は、よく知られているように、アメリカの原住民の人たちが深い共振を示したと言われている。
月あかりからもらってきた「おはなし」は、人と人との境界を、超えてゆく。
宮沢賢治は、冒頭の「序」のなかで、「ほんたうに」という言葉をくりかえしつかっている。
虹や月あかりからもらったとしか言いようがない仕方で、非意識から届けられた「おはなし」は、宮沢賢治が自身にたいしても「ほんたうに」と言うしかないような作品が立ち上がってきたのだろうと、思われる。
『注文の多い料理店』だけでなく、例えば『鹿踊りのはじまり』は「すきとおつた秋の風」から聞いた「おはなし」である。
月あかりは、西アフリカのシエラレオネにいても、東ティモールにいても、それからここ香港にいても、ぼくに光をそそいでくれる。
ぼくたちが心を「ほんたうに」すきとおらせていけば、「おはなし」は聞こえてくるはずだ。
「近代的自我の表現としての文学」に見られるように、近代や都市という「脳化社会」(養老孟司)において意識や意味などにだけ水路づけられた生においては、「おはなし」は容易には聞こえてこないかもしれない。
この文章の最初に置いた「序」は、宮沢賢治の次のような言葉で終わっている。
…わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。
宮沢賢治『注文の多い料理店』序、青空文庫
「すきとほつたほんたうのたべもの」が、生をひらく水路をひらいていくための「たべもの」となるかどうかは、宮沢賢治の「ちいさなものがたりの幾きれ」にではなく、ぼくたち自身に賭けられている。
天頂から四方の青白い天末までいちめんはられた「インドラの網」(宮沢賢治)。- とても疲れているときに読む宮沢賢治。
宮沢賢治の書いた短編の中に『インドラの網』という作品がある。作品は、「私」が大へんひどく疲れていて倒れているところから、はじまる。...Read On.
宮沢賢治の書いた短編の中に『インドラの網』という作品がある。
作品は、「私」が大へんひどく疲れていて倒れているところから、はじまる。
そのとき私は大へんひどく疲れていてたしか風と草穂との底に倒れていたのだとおもいます。
その秋風の昏倒の中で私は私の錫いろの影法師にずいぶん馬鹿ていねいな別れの挨拶をやっていました。
そしてただひとり暗いこめももの敷物を踏んでチェラ高原をあるいて行きました。…
宮沢賢治『インドラの網』青空文庫
「私」はそうしてチェラ高原を歩きながら、やがて一人の天が翔けているのを見て、いつしか、人の世界のチェラ高原から「天の空間」にまぎれこんだことを知る。
ただ、まぎれこんだと思ったら、やはりチェラ高原にいることを知り、感官のゆらぎを感じることになる。
そのとき、ふと三人の天の子供らに出会い、その一人が空を指差して、叫ぶ。
「ごらん、そら、インドラの網を。」
私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金で又青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました。…
宮沢賢治『インドラの網』青空文庫
「インドラの網」をたよりに、見田宗介は宮沢賢治という詩人の描いた「ありうる世界の構造」をよみとっている。
…インドラの網(因陀羅網)は、帝釈天(インドラ)の宮殿をおおうといわれる網である。この網の無数の結び目のひとつひとつに宝の珠があり、これらの珠のひとつひとつがまたそれぞれに、他のすべての珠とそれらの表面に映っているすべての珠とを明らかに映す。このようにしてすべての珠は、重々無尽に相映している。
それは空間のかたちとしては、それぞれの<場所>がすべての世界を相互に包摂し映発し合う様式の模型でもあり、それは時間のかたちとしては、それぞれの<時>がすべての過去と未来とを、つまり永遠をその内に包む様式の模型でもあり、そして主体のかたちとしては、それぞれの<私>がすべての他者たちを、相互に包摂し映発し合う、そのような世界のあり方の模型でもある。
それは詩人が、<標本>と<模型>という想像力のメディアをとおして構築しようとこころみていた世界のかたちーありうる世界の構造の、それじたい色彩あざやかな模型のひとつに他ならなかった。
見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
インドラの網の無数の結び目のひとつひとつの珠は、ぼくにいっぱいにひろがる水玉を思い起こさせる。
水玉たちは相互に相映している。
ひとりの人のきらめきが、他の珠にも映されてゆき際限なくひろがっていくような、そしてそのような映り行きが幾億互に交錯しひかってゆく「世界のあり方」。
そのイメージが、「空間」と「時間」そして「主体(<私>)」というかたちとして、詩人のはてしない想像力が描く「ありうる世界の構造」の模型であったという読解は、ぼくたちの描く「世界のあり方」を豊かにしてくれる。
実を言うと、とても疲れているところで、いつものように(儀式のように)見田宗介の『宮沢賢治』を手に取って、それからこの「インドラの網」に目がとまり、この読解に心身をひたしてから、宮沢賢治の作品『インドラの網』をひらいた。
そうしたら、その冒頭を見ながら、あっと、ぼくは気づく。
『インドラの網』は、「大へんひどく疲れていてたしか風と草穂との底に倒れていた」私の、感官のはてにひろがってゆく話であったからだ。
疲れは、ときに、想像力がひらくあの次元に、人をはこんでもいく。
そんなことをかんがえながら、『インドラの網』という話に心身をひたしていたら、いくぶんか、疲れがとれたことを、ぼくは感じている。
暦・時間にとりこまれず、味方につける。- 世界を移動しながら相対化されてゆく「暦・時間」の中で。
カレンダーが12月になり、2017年という年は1ヶ月という「時間」を有している。そんなあたりまえのことを思いながら、ぼくは、日本、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それからここ香港と、世界で住まいの拠点を変えていく過程で、「暦・時間」の感覚が一層、じぶんの中で相対化されてきたことを、思う。...Read On.
カレンダーが12月になり、2017年という年は1ヶ月という「時間」を有している。
そんなあたりまえのことを思いながら、ぼくは、日本、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それからここ香港と、世界で住まいの拠点を変えていく過程で、「暦・時間」の感覚が一層、じぶんの中で相対化されてきたことを、思う。
日本に暮らしていたときには、すっぽりと「日本的な暦・時間」の中にじぶんがおさまっていて、日本的な風習・行事を生活の区切りとしながら、そのような「暦・時間の構造」の中で生きていた。
お正月があり、4月の入学・入社・新しい会計年度のスタートがあり、お盆があり、年末がありという具合だ。
ひとたび海外に出てみて、その「時間の構造」が相対化されていく。
ここ香港では新年は「旧正月」を祝うことから、1月1日ではなく、旧暦にしたがい毎年日にちが変動する「旧正月」が生活や仕事の流れの中に、ぐいっと、はいりこんでくることになる。
シエラレオネや東ティモールなどでは、祝日の中には宗教的な日が選ばれたりすることから、生活の区切りも異なる。
シエラレオネや東ティモールにおいて国際NGOや国際機関で勤務している人たちは、それぞれ自身の「時間の構造」の中で動くから、日本にいたときのようにみんなが一斉に休むというより、それぞれの風習や文化に沿った暦・時間に沿って休暇をとったりする。
このような環境に長く身をおいていると、それまでの「日本的な暦・時間」の考えが相対化され、その感覚も解凍されていく。
そして、それでも「西暦」というものがひとまず、(お金という概念と同じように)世界の「協働連関」をつなげるものとして屹立していることに、驚きと感嘆をいだくことになる。
「相対化」されていくことで得たものと言えば、「暦・時間」はやはり人間がつくりだしたものだということの、実感である。
日本で暮らしていたときには、そのようなことは頭ではわかっていたのかもしれないけれど、「暦・時間」は絶対的なものとしてそこにあるように感覚されていたのだと、思う。
その実感を手にいれながら、ぼくは、「暦・時間」をあくまでもツールとして、ぼくの「味方」につけることへと方向転換をしてきた。
絶対的なものとしてじぶんに迫ってくる「暦・時間」ではなくて(もちろん「締め切りがせまってくる」ような状況はあるけれど)、ぼくの生活を豊饒化させていく手段として活用していくことである。
まったく自分勝手だけれど、いわゆる「新年」(1月1日)までにできなかったことは、「旧正月」をターゲットにして動く。
「Procrastination(先延ばし)」と言われればその通りなのだけれど、これは、あくまでもひとつの例として。
暦・時間に支配されることなく、逆に活用していくこと。
世界をつなげる協働連関のための「暦・時間」の「ありがたさ」をたしかめながら、しかし、じぶんの中や大切な他者たちとの間に流れる<時間>も取り戻し、生きてゆくこと。
外的な時間(「暦・時間」)と内的な時間(「じぶんの中や他者たちとの間に流れる<時間>」)を、それぞれに豊饒に生きてゆくこと。
世界を移動しながら相対化されてゆく「暦・時間」の中で、ぼくが実感として獲得してきたことである。
それでも、ますます加速していく世界の中で、外的な時間は気がつけば、圧倒的な力でもって、ぼくたちの内的な時間に侵食してしまう。
その侵食をのりこえていくところに、今のところ、ぼくたちの生き方のスタイルと工夫がかけられている。
心と身体にせまってくる、相田みつをの言葉たち。- 一時帰国したときに立ち寄った「相田みつを美術館」で。
2010年のとき、ぼくは香港に暮らしていて(今も香港だけれど)、日本に一時帰国することになった。...Read On.
2010年のとき、ぼくは香港に暮らしていて(今も香港だけれど)、日本に一時帰国することになった。
その頃は日本に行く機会は、年に1回ほどであった。
人が生きていく上で直面しなければならないことに、ぼくは相当にまいっていて、「世界の風景」が違ってみえるほどであった。
そんな折に、たまたま東京国際フォーラムの近くを通って、「相田みつを美術館」がひらかれているのを見つけた。
美術館のオープンは2003年11月。
ちょうどぼくが西アフリカのシエラレオネから東ティモールに移って、最初のコーヒー輸出を終えたころということで、ぼくはあまり東京に帰ってくる機会がなく、美術館のオープンは知らなかった。
それまでも「相田みつを」のことは知っていたし、数点の作品を見ただけで魅かれてもいたけれど、通常であれば美術館の行くほどの気持ちは起きなかっただろう。
しかし、2010年のその時は、なぜか、「相田みつを」に魅かれ、空白の時間ができたこともあり、ぼくはひとり、「相田みつを美術館」の空間に入っていった。
ぼくは、そこで出逢う、相田みつをの言葉たち、言葉とその筆使いに圧倒されることになる。
原作の数々の言葉たちが、心と身体にせまってくる。
「詩」という、言葉の地平線にむかって放たれて書かれる言葉たち。
書かれた言葉たちが、深く、身体的なのだ。
ぼくは、言葉ひとつひとつの「筆づかい、筆致」に、心身をかさねあわせていく。
ぐーーっと、言葉たちがちかづいてきては、じぶんのなかで、何かが解凍される。
当時のぼくを、深いところでささえてくれるような、言葉たちであった。
しあわせは
いつも
じぶんの
こころが
きめる
相田みつを(相田みつを美術館)*写真はブログ筆者(美術館で手に入れたもの)
このシンプルな言葉だけでも、ぼくたちに伝わってくるものがあるけれど、筆づかいは「相田みつを」という人をとおして、ぼくたちをさらなる深いところに導いてくれる。
「しあわせ」ということを、相田みつをは、どのように考え、感じていたのだろう。
ここでは「じぶんのこころがきめる」としている。
「じぶん」と「こころが」の筆致が、「しあわせ」に増して、圧倒的にちからづよく書かれ、せまってくる。
相田みつをにとって、「しあわせ」は、二の次だったのではないかと、ぼくには見える。
「しあわせ」を大切にしていないわけではない。
「じぶん」と「こころ」に、徹底的にむきあってきたからこそ、変幻自在の「しあわせ」はこの筆致で書かれたように、思う。
相田みつをの言葉たちと筆づかいを心身で感じながら、ぼくが見ているのは、ぼく自身の「じぶん」と「こころ」でもある。
相田みつをのまなざしは、この言葉たちをみている人たちの「じぶん」と「こころ」にも、向けられている。
相田みつをはそこに立ちながら、ぼくたちに問う。
あなたの「じぶん」と「こころ」はいかがか、と。
国際協力・国際支援という<場>。- ぼくの「底流に流れるテーマ」の現出する場としての国際協力・国際支援。
国際協力・国際支援という「領域」に踏み込んだこと、それからそれに最初の仕事として関わったということの、その底流には、さまざまなことがあったと、今では思う。...Read On.
国際協力・国際支援という「領域」に踏み込んだこと、それからそれに最初の仕事として関わったということの、その底流には、さまざまなことがあったと、今では思う。
「底流」とここで言うのは、ぼくの内的な側面である。
外部的なことで言えば、世界では貧困問題や戦争・紛争が続いている。
そのような外的な状況の中で、世界を少しでもよいところにしたい、必要としている人たちに手をさしのべたいという気持ちがわき起こる。
それらの気持ちはぼくを牽引するものでもあったけれど、「底流」はさらに、ぼくの中の奥深くにあるものだ。
それは、ぼくが生きることの「テーマ」とも言える。
「本」にたとえて言えば、世界を少しでもよいところにしたい、というのが「章」であるとするなら、底流に流れるテーマは本全体に照準する。
国際協力・国際支援は、ぼくの底流に流れるテーマと接合する<場>であったように思う。
あるいは、底流に流れるテーマがもっとも露わな仕方で現出し、ぼくをそのテーマの中に日々投げ落としていくような<場>である。
国際協力・国際支援の「現場」は、一般に思われるほど「協力・支援の美しい形と内実」にみちあふれた場ではない。
もちろん、そのような「美しい形と内実」を目指してはいるし、ときに、幸福な仕方で、そのようなことが起こったりする。
でも、あたりまえだけれど、日々の仕事においては苦悩と矛盾と困難に直面してゆく。
それら苦悩と矛盾と困難の中にすっぽりと入って、道をきりひらいていかなければならない。
ぼくは、その中に、ぼくの「底流に流れるテーマ」がもっとも現出されるような現実に直面してゆくことになる。
「底流に流れるテーマ」のひとつは、ぼくのブログのテーマでもあるけれど、「生きる」ということ。
生きるということは何であろうか。
紛争や貧困などの現実に身体でふれながら、ぼくは心身ぜんたいで考える。
それから「しあわせとは何であろうか」という問いが、こだましてきた。
国際協力・国際支援は、プロジェクトを通じて「結果」をうみだしていくことになるのだけれど、その先にぼくたちは何を目指しているのか。
それは人びとの「しあわせ」であるのだけれど、そもそも「しあわせ」とは何だろうか。
そして、ぼくたちはどのようにしたらよりよく生きていけるのか、歓びにみちた生をどのようにおくることができるのか。
このような「底流に流れるテーマ」が日々の中で問われる。
圧倒的な仕事量で目の前の仕事に手一杯になりながらも、問いは外部から、そしてぼくの底流の方から、いやおうがなくやってくる。
国際協力・国際支援は、ぼくにとっては(あくまでもぼくにとってはということだけれど)、「底流に流れるテーマ」がもっとも露わに現出するような<場>であった。
だから、苦悩と矛盾と困難に日々圧倒されながらも、情熱の炎を消すことなく、全身全霊で立ち向かうことができたのだろうと、ぼくは思う。
「英語」は習ったままにせず、異なる世界への「鍵」として使う。- 「英語のインターネット空間」に入ること。
「英語」は習ったままにしないことである。「英語を使う」というあたりまえのことなのだけれど、現代は、その「垣根」が一気に低くなった。...Read On.
「英語」は習ったままにしないことである。
「英語を使う」というあたりまえのことなのだけれど、現代は、その「垣根」が一気に低くなった。
使わないことの言い訳ができないほどに、垣根が低い。
ぼくが英語を習い始めた30年程前は、英語を使う環境を自発的に見つけ作っていく必要があった。
「英語を使って話す」ことが必要だと言われたけれど、じぶんの周りを見回したところですぐには見つからない。
そのような環境を見つけていく必要があった。
ぼくは結局のところ、教科書や参考書と向き合い、ときおり洋楽の歌詞の世界に入りこんだ。
でも、今は事情はまったくと言ってよいほど異なる。
「現実の世界」においては、日本にいても、世界いろいろなところからくる人たちに出会うことができる。
そして何よりも、「インターネットの世界」が状況を圧倒的に変えてしまった。
そんなことは言われなくても誰もが思うところだが、ぼくは繰り返し、そのことを書いておきたい。
「インターネットの世界」に誰もがつながりながら、しかし、多くの人たちはそのヴァーチャルな世界の一部にしか訪れていない、ふれていない。
「日本語のインターネット世界」に閉じこもってしまうのだ。
英語検索によってインターネット世界をひらくだけでも、視界は一気にひらける。
東浩紀が、著書『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(幻冬舎)の中で、検索の言語を変えてみるだけで異なる世界がひろがることにふれている。
検索ワードを日本語だけに限定すると、検索エンジンは「日本語のインターネット世界」に人を案内する。
それを他の言語に変えると、そこにはまったくといってよいほどに異なるインターネット世界がひろがっている。
それも、どこか遠くにあるのではなく、すぐそこに、ひろがっている。
「検索ワード」はどのような検索ワードをタイプするかで検索のパフォーマンスに影響するという意味で、検索ワードの選び方はスキルのひとつだけれど、そこで「言語を変える」ということも身につけたいところだ。
英語によるインターネットの世界は圧倒的な「空間」であるけれど、検索などで訪れるだけでなく、もう一歩すすんでおきたいところだ。
楽しむだけでなく、インターネットがどのように使われているのかを見ておくことが、もう一歩である。
例えば、無料の「ニュースレター」でよいので、配信登録をしてみる。
配信登録で使われる英語は初歩的なものだ。
ニュースレターがどのような内容で、どのように送られてくるのか、どのくらいの頻度で、どのタイミングに配信されるかなど、学ぶべきところばかりだ。
マーケティングオートメーションなどの仕組みなども、興味深い。
いろいろな実践や試みが、圧倒的に早いスピードで展開されているのだ。
このような学びが、今では、手元の携帯電話だけでできてしまう。
「英語」は習ったままにしないこと。
それは、異なる世界、「英語のインターネット空間」という、果てしないひろい世界への「鍵」である。
いずれは、翻訳アプリや翻訳機能の進歩により、言語を習わなくてももっとシームレスに入っていける空間がひらけていくけれど、今ここに「鍵」があるのだから、使わない手はない。
「如何なる教育も健康を損なうようなら間違っている」(野口晴哉)- 今だからこその、野口晴哉著『潜在意識教育』。
野口晴哉の著作の中に『潜在意識教育』(全生社、1966年)という著作がある。体癖研究や整体指導につくす野口晴哉が、専門外でありながらと断りつつも、4人の子供たちの親として語る本である。...Read On.
野口晴哉の著作の中に『潜在意識教育』(全生社、1966年)という著作がある。
体癖研究や整体指導につくす野口晴哉が、専門外でありながらと断りつつも、4人の子供たちの親として語る本である。
著作の最初に「潜在意識教育について」という文章がおかれ、直截的な言葉が置かれている。
「如何なる教育も健康を損なうようなら間違っている」
とてもシンプルな結論でありながら、この現代社会の中では「むつかしい」ことでもある。
「潜在意識教育」と聞いて、現代の人たちはもとより、当時においても「心の問題」のようなものとして語られるだろうことを想定して、野口晴哉ははじめにストレートに書いている。
…潜在意識教育というものも、心の問題として考えているのではなくて、私自身が体の整理ということを仕事にしているので、潜在意識教育も、体の整理のための手段と言うか、その通り道として扱っている。べつだん心のための心の教育とか、今日の社会に必要な人間の教育とかいうことを考えているわけではない。ただ人間の体が健康であり元気であるためには、どのように心を使って行ったらよいか、どういう心の使い方が人間の健康と関連し、人間が丈夫になるのかということが問題であって、私の説くことが今の社会に合うか合わないかは、まだ検討していないのである。
野口晴哉『潜在意識教育』(全生社、1966年)
野口晴哉ならではの「切り口」で、潜在意識や教育にきりこみ、その教えの基本の深さから、野口晴哉の他の著作群と同じように「分類不能の書」(見田宗介)となっている。
体の健康の話であり心の話であり、それから子供の話であり大人の話である。
子供や人間の「体」がおきざりにさられがちな現代の状況にあって、今だからこそ、ぼくたちに訴えてくる話にあふれている。
【目次】
序
潜在意識教育について
独立の時期
可能性の開拓
裡の自律性
内在する創造力
空想の活用
人間の自発的行為
価値の創造と価値観の変化
性と破壊の要求
思春期
潜在能力の開発
- 暗示からの解放
- 推理の能力を開拓する法
- 忘れるという記憶法
- あなたは自分の体の主人
- 予知本能か觀念死か
性格形成の時期
- 口のきけない時期
- 誕生以前
- 生後十三ヵ月間の問題
- 食べ過ぎの心理
質問に答えて
非行の生理
子供の「教育」の本でありながら、大人の「問題」にも光があてられる。
子供と親の「間」のことが語られながら、大人が抱えている体の問題に、まっすぐに野口の言葉が届いてくる。
ぼくは、自分が子供だったころのじぶんを重ね合わせながら、そこから今も引き継いでしまっているであろう「体」と潜在意識の問題を、野口の教えを導きに、みつめている。
ところで、「裡の自律性」という章で、野口晴哉は「躾(しつけ)」の問題に向き合っている。
その中でに、「人間の本性は善か悪か」という節がある。
人間の本性は悪いものだから躾が必要だという考え方と、人間の本性は善いものだから心にあるものを喚び出しさえすればいいのだという考え方の両極を見はるかしながら、野口晴哉は躊躇することなく、「本来の人間の心は善である」と語る。
…何故かというと人間は集合動物で、お互いがなくてはお互いに生きられない。そういう構造をしているのだから、いつでも相手の心を我が心とする心が誰の中にでもある。だから産まれる時に何故オギャーと言うかというと、人の助けを求めているのである。自分がここに産まれたという宣言である。人の世話にならなくては大きくなれないように産まれるということはおかしなことで、馬だって、象だって、産まれたらすぐに歩けるのに、人間だけは一年たってもなかなか歩けない。大人の保護を受けるようにできているということは、人間の心が善意であるということを意味している。だからこそ、赤ちゃんはそんな無用心な、保護を受けなければ育たないような格好で産まれてきている。もし善意がなかったら、誰も育ってはいない。お互いに生命を伸ばそうという心があるから、伸ばす相手も伸びてゆくことが嬉しい。…お互いの生命を扶け合うように、人間自体ができている。一人では生きられないようにできている。…
野口晴哉『潜在意識教育』(全生社、1966年)
野口晴哉の言葉には、曇りがない。
まっすぐに、人間の「善」を見つめている。
戦争の時代を生きてきた野口が、人の「闇」を知らないわけはない。
ただ、その体というところに降りたった時に、野口はそこに「善」をみるだけだ。
「人間が産まれる」ということの中に、人間や家族や社会ということの本質が詰まっている。
なお、赤ちゃんの「産まれ方」にかんする現代の動物社会学などの学問・科学的な知見は、野口晴哉のこの見方と同じ方向に議論を展開している。
野口晴哉の、この「分類不能の書」は、分類だけでなく、体ということに定位することで、分類だけでなく時代をものりこえてゆく力をもっている。
そのような力をもつ本と思想は、この本が出版されてから50年が経っても、まだ依然として語り尽くされていない。
「リーダーはむつかしいぞ」(野口三千三)。- 見田宗介の「リーダー」論。
人間と社会を透徹した深さとどこまでもひろがる視界でよみとき、「人間はどう生きたらいいか、ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか」を生きることのテーマとして追い求めてきた社会学者の見田宗介が「リーダー」をどのように考えるか。...Read On.
人間と社会を透徹した深さとどこまでもひろがる視界でよみとき、「人間はどう生きたらいいか、ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか」を生きることのテーマとして追い求めてきた社会学者の見田宗介が「リーダー」をどのように考えるか。
ぼくが知るところ、それほどは、直接的に語られていない。
見田宗介がどのように「リーダー」を語るのかは興味深いところだ。
個人的に「リーダー」というものを見直しているなかで、そんなことを思う。
そのような折に、一息ついて見田宗介の著作集(『見田宗介著作集X』岩波書店)を手にとり、「春風万里ー野口晴哉ノート」という論考(講演)の文章を、ぼくは読む。
どんなにつかれているときでも、見田宗介(真木悠介)の文章を読んでいると、心身がときほぐされていく。
論考の最初の章は「春風万里ー技を修めて技を用いず」と題され、整体の創始者と言われる野口晴哉の『治療の書』という、「分類不能の書」にふれている。
その中で、見田宗介はエピソードのひとつを語っている。
東演という劇団の演出家が亡くなり、若い俳優の相沢治夫が劇団をひきつぐことになったときの、激励のパーティーでの話である。
パーティに出席していた野口三千三(「野口体操」の創始者。野口晴哉・野口整体とは別である)が、相沢治夫をそばに呼んで、次のようにささやくのを、見田宗介は隣席で耳にする。
「リーダーはむつかしいぞ。利口でだめ。馬鹿でだめ。中途半端はもっとだめ」
見田宗介は、「指導者となるべき人間の器を問う観察として、鋭く的確な表現」と、この論考(講演)の時点でも考えていることを伝えている。
見田宗介の「リーダー」論があるとすれば、とりあげられる言葉だ。
野口三千三の言葉は、見田宗介が言うように、的確でありながら、人を迷わせる。
利口はだめ、馬鹿はだめ、その中間もだめであるならば、リーダーはどのようであるのがよいのか、と。
見田宗介は、ここで論考のテーマである野口晴哉にもどる。
『治療の書』の冒頭に近い所に、このような一節がある。
技は振うべく修むるに非ず。用いざる為也。
技を修めて、技を技として振うのが利口の道である。技をはじめから修めないのが馬鹿の道である。技を修めて技を用いずという道は利口でも馬鹿でもないが、その中間ということでもない。人はこのような仕方で、利口とか馬鹿とかいう地平を越えて出ることができる。
見田宗介『見田宗介著作集X』岩波書店
野口三千三の言葉、野口晴哉の「技」にかんする到達点(通過点)、見田宗介による読み解きは、ぼくの中に思考の芽を点火する。
「技は振うべく修むるに非ず。用いざる為也。」
ぼくの中の思考の大海に、ぼくは言葉を投ずる。
しかし、観念だけの大海ではなく、体験や経験と重ね合う思考の大海だ。
野口晴哉や野口三千三や見田宗介といった「身体」から人や社会を考える、ほんとうの思想家たちと(ぼくの中で)議論を交わしながら。
音楽を奏でる家「Goose house」という<場のコミューン>。- 「オンガク」へと解凍される音楽。
「Goose house」という、日本の音楽グループがある。ソニー・ウォークマンのPR企画「PlayYou.House」の後身として、番組終了後も番組制作を続け、YouTubeなどに演奏をアップしている。...Read On.
「Goose house」という、日本の音楽グループがある。
ソニー・ウォークマンのPR企画「PlayYou.House」の後身として、番組終了後も番組制作を続け、YouTubeなどに演奏をアップしている(参照:Wikipedia)。
シンガーソングライターが集まり、カバー曲やオリジナル曲を演奏している。
2011年の活動から徐々にファンを増やし、CDを発表し、今では大きなライブ公演もこなす。
YouTubeに演奏がアップされると、またたく間に多くの視聴者を得ているようだ。
ぼくたちの「思考の癖」からは「グループ」というように見てしまうのだけれど、名前そのものが示すように「house 家」という<場>である。
Goose houseのホームページに書かれているプロフィールには、そのことがシンプルに書かれている。
シンガーソングライターが集い
オンガクを奏でる家、Goose house。
ひとつひとつは、
まだちっぽけな音だけれど、
重なり合い、紡ぎ合い、
やがてひとつの暖かい音になり、
この都会の片隅の小さな部屋から、
世界中の街へ拡がりつつある。
「WHAT’S Goose house」Goose houseホームページより
それは、ひとつの<場>である。
実際に、Goose houseはシェアハウスに集まっては、曲を収録する。
収録した曲は、YouTubeなどに「発表」される。
曲によっては、何万回・何十万回も再生され、視聴する人たちに「何か」を届けている。
Goose houseは、音学を「オンガク」とカタカタで表記している。
ぼくたちが知る「音学」を一度解凍することで、「オンガク」という<オト(音)のたのしさ(楽)>にまで戻りつつ、変わりゆく世界のなかで<オンガクの力>を追い求めているように、ぼくには見える。
Goose houseは、ホームページにおける、上述の文章につづいて、次のように書いている。
10年前には考えられなかった。
それが「今」という時代。
オンガクを取り巻く環境は、
明るい話ばかりじゃないけど、
オンガクの力は、
変わらなくヒトを包んでくれる。
オンガクの「今」を、全身で楽しみたい。
オンガクの「これから」を、
この目で確かめたい。
「WHAT’S Goose house」Goose houseホームページより
ぼくの個人的な好みでは、多くのメンバーで楽曲を奏でる曲に、心ひかれる。
そのアレンジの面白さと「オンガク」を奏でることの<たのしさ>の表出から、ぼくは、例えば次の曲の演奏が好きだ。
● 坂本九「明日があるさ」
● 猿岩石「白い雲のように」
● スガシカオ「Progeress」
● 19「あの紙ヒコーキ くもり空わって」
● Goose house「オトノナルホウへ」
Goose houseの奏でる「オンガク」から湧き出る<たのしさ>は、ぼくが10代に「オンガク」にうちこんでいたときのことを思い出させてくれる。
友人たちと集まっては、だれかれとなく楽器を奏で始める。
そこに響きをあわせるように、ひとりが加わり、またひとりが加わり、そうして「セッション」が始まる。
そこで、ぼくたちは、「オンガク」を通じて、生きることのリズムと<つながり>を感じることができる。
ぼくにとっては、「オンガク」が、この世界につながることの<蜘蛛の糸>のようなものであった。
それは独り占めする「蜘蛛の糸」ではなく、みんなと共にのぼってゆく<蜘蛛の糸>であった。