「見田宗介=真木悠介」, 日本 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」, 日本 Jun Nakajima

「原恩」(見田宗介)あるいは「原悲」(河合隼雄)を生の根本にもちながら。- 「日本文化の前提」をかんがえる。

「日本文化の前提と可能性」にかんする論考のなかで、社会学者の見田宗介は(1963年の初期の仕事において)、「汎神論」的世界における<原恩の意識>というものを取り出している。

「日本文化の前提と可能性」にかんする論考のなかで、社会学者の見田宗介は(1963年の初期の仕事において)、「汎神論」的世界における<原恩の意識>というものを取り出している。

方法として「汎神論」と対比しているのは「一神教」である。

仮に「価値=白」「無価値・反価値=黒」とする場合として、見田宗介は、次のように描写している。

 

…一神教とは、黒い画面に白い絵のかいてある世界であろう。「神」によって意味づけられた特定の行為、特定の存在だけが価値をもつので、人がただ生きていること、自然がただ存在することそれ自体は無価値であるか、あるいはむしろ罪深いものである…。「汎神論」では反対に、画面全体がまっ白にかがやいていて、ところどころに黒い陰影がただよっている。日常的な生活や「ありのままの自然」がそのまま価値の彩りをもっていて、罪悪はむしろ局地的・一時的・表面的な「よごれ」にすぎない。…日本文化論のレギュラー・メンバーとなっている俳句や和歌や私小説はつねに、生活における「地の部分」としての、日常性をいとおしみ、「さりげない」ことをよろこび、「なんでもないもの」に価値を見出す。…

見田宗介「死者との対話ー日本文化の前提とその可能性」『現代日本の精神構造』弘文堂、1965年

 

汎神論的な世界をもつ精神構造においては、人間であること自体、生きていること自体に価値をおき、人の生や世界を外側から「意味」を与える超越神を必要としない。

これを、見田宗介は一神教の<原罪の意識>に対比させる形で、<原恩の意識>とよんでいる。

何かの行為や業績や成功などの前に、ただ生きていることそのものに「恩」を感じるような意識である。

 

心理学者・心理療法家の河合隼雄は、西洋的な<原罪>にたいして見田宗介が<原恩>とよんだものを、<原悲>とよんでいる。

キリスト教は「原罪」が基本となることにたいし、日本の宗教は「悲しみ」が根本になることが多いと、河合隼雄は語っている。

ここで河合隼雄のいう「悲しい」は、河合隼雄自身が指摘するように、「悲しい、哀しい、愛しい、美しい」などを包摂するような<かなしい>として捉えておくことが必要である。

その広義の「かなしい」を根本におく<原悲>は、見田宗介のいう<原恩>と重なるものだと、ぼくは思う。

 

河合隼雄はさらに、一神教の宗教を背景としたからこそ、近代科学が出てきたことを語っている。

 

…西洋の宗教では、神と人は明確に違います。姿形でも、人は神に似せて作られているから、人と他の被造物とも明確に違う。だからそこにピシャッと線が入る。「私がー花を観察する」とか、「私がー落下する石を観察する」という明確な区別があるから、近代科学が生まれたんですね。「観る」という漢字がありますね。外界を「みる」のも、内界を「みる」のもあの「観」です。…ところが「観る」の英語observeは「外」だけを「観察」してるんです。そういう態度は、おそらくキリスト教以外からは出て来ないんじゃないか。

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫

 

確かに、人と自然とが融合しているような文明・文化においては、近代科学は出てこなかったかもしれない。

しかし、見田宗介は前述の論考の最後に、次のように「論理」を深くしながら、このことについて書いている。

 

 ヒューマニズムと内面的主体性の確立が歴史的には、超越神への信仰を媒介としてはじめて可能であったということは、数多くの学者の指摘するとおりであろう。しかしそれは、あくまでも歴史的な必然性であって論理的な必然性ではない。一神教の伝統は、ヒューマニズムと内面的主体性の確立のための、いわば触媒であって、その内的な構成要素ではないことを忘れてはならないだろう。…

見田宗介「死者との対話ー日本文化の前提とその可能性」『現代日本の精神構造』弘文堂、1965年

 

「宗教」というものが社会においてかつてのような力をもった時代がすぎさった今も、そこの根底に息づいているようなものが、日常のふとしたところに見られたり、現象したりする。

現代の多くの人たちが信じる<資本主義>も、そこに深く流れるものにプロテスタンティズムの精神があったことをかつてマックス・ウェーバーは分析し、また、社会学者の大澤真幸が現代の文脈のなかで透徹した論理で描いていたりする。

この世界で、原罪を胸に生きている人たちがいること、あるいは<原恩・原悲の意識>で生きている人たちがいることを知っておくことは、いろいろな人と付き合っていくなかで「ものすごく強いこと」(河合隼雄)である。

「そういう意味で僕らは、いろいろ勉強する必要がある」と、西洋と東洋双方に真摯に向き合ってきた河合隼雄は、ぼくたちに語りかけている。
 

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海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

「距離」をつくり、時間を経ながら「異なる空間たち」と対話すること。- 日本の文学作品に(ようやく)ふれながら。

日本の文学作品を、最近はそれなりに手にとって、読むようになった。

日本の文学作品を、最近はそれなりに手にとって、読むようになった。

20歳を超えるまでは本はほとんど読まなかったけれど、10代から20代の前半くらいにかけて特に日本の文学作品は、ぼくの関心からおよそかけ離れたところにあった。

それから20年、そのほとんどの期間を日本の外で暮らしているうちに、ぼくは、夏目漱石や大江健三郎、また日本の古典的作品に、少しずつふれるようになってきている。

加藤典洋や河合隼雄などの著作における「読解」の角度や深さに、作品の面白さについての手ほどきを受けたことも理由のひとつだと思う。

けれども、やはり海外という「異なる空間」(異文化)で長く暮らすということの影響はとても大きなこととしてあるように、ぼくは思う。

 

日本にいるときは、海外のものに関心をもつ。

日本の外に出ることによって、逆に、日本のものに関心をもつようになる。

いわゆる<幻想の相互投射性>(見田宗介)ともいうべき、日本にいるときは海外にあこがれ、海外にいるときは日本にあこがれるというようなことかもしれない。

ただ、経験として、もう一段掘り起こすと、次のようなことであったようにも思う。

日本の外に出ること、つまり場所という<空間>をかえることで、次のような「効果」があったのではないかとかんがえる。

 

● 埋め込まれていた環境から「じぶん」を引き離すことで、より効果的に、自己相対化ができる

● ネガティブな偏見などから距離をとることで、自明性や偏見からいくぶんか距離をとって、ものごとを見てかんがえることができる

● いろいろな見方・視点を手にいれることで、ものごとを見てかんがえるときに、ひろい視野で見てかんがえることができる

 

「いろいろな見方・視点」を手に入れるなかでは、日本や(西洋にたいする)東洋にかんすることを、例えば「英語」で読むことで、上述のような「効果」の重層効果があったのではないかとも、思う。

文化や言語などにおいて異なる「他者の視点」で日本や東洋が照らされることで、同じものごとも異なる光のもとで見ることができる。

あるいは、日本語の複雑な言い回しなどが、(ひとまず)「わかりやすい言い回し」で語られることで理解(あるいは理解の一部)をたすけてもらうことができる。

 

これらのことは、「日本」からの<距離>(経験の質としての距離)が遠ければ遠いほど、効果は大きい。

その意味において、最初に赴任した西アフリカのシエラレオネでの暮らしと仕事は、やはり、日本からの<距離>が大きかったのだと思う。

その<距離>のはざまで、これまで埋め込まれていた環境の特異性・特殊性がうかびあがってくる。

「異なる空間たち」(異なる環境・文化・言語など)は、自己・自我というものがそれまでに構築してきた、いわば「身体的・精神的なシミュレーション(空間)」の磁場をくるわせ、壊し、問いを投げかける。

そのような経験を積み重ねていくうちに、じぶんのなかでも「対話」がすすみ、相手・他者(他者のいる文化など含む)を知ることと、じぶん(じぶんが生まれた文化など含む)を知ることが深まっていく。

じぶんと距離をつくり(じぶんをより客観的な位置におき)、時間を経ながら、いわば「異なる空間たち」と対話を深める。

そのプロセスで、「日本」や「日本なるもの」を掘り起こし、対話は続いていく。

 

これらを経験するために、もちろん、論理的には、わざわざ「海外」に出なければいけないということでは決してない。

今いるところの「井の中」を下に下に掘っていくことで、じぶんで<距離>をつくり、異なる空間たちと対話をしていくことはできる。

ただし、ぼくに限って言えば、「海外」に出るということが、経験上、必要であったように思う。

ぼくにとっては「井の外」の助けが、必要であったということだけだ。

でも、そのようなこととして、「井の外」は、方法のひとつではある。

「井の外」が助けになるかどうかは、翻ってじぶん次第ではあるけれど、やはり、方法のひとつであると、ぼくは思う。

 

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テクノロジー, 書籍 Jun Nakajima テクノロジー, 書籍 Jun Nakajima

インターネットと本。- ぼくの「本」をアマゾンKindleの「本棚」に置くこと(置き続けること)について。

ぼくの著作、Amazon Kindle電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』。

ぼくの著作、Amazon Kindle電子書籍『香港でよりよく生きていくための52のこと』

ぜひお手にとられて読んだいただきたく思う一方、「気長」にかんがえているようなところもある。

その理由のひとつは、「アマゾン+電子書籍」という組み合わせであるところであり、その土台としては「インターネットの世界」がある。

 

西野亮廣の著作『革命のファンファーレー現代のお金と広告』(新潮社、2017年)は、さまざまな視点と実践記録を提示してくれているが、そのなかに「インターネットが破壊したもの」という文章がある。

アマゾンと町の本屋さんとを比較しながら、インターネットによる「破壊と生成」の、つらなる断層を解説している。

結論的には、「インターネットが破壊したもの」は「物理的制約」であるという当たり前のことであるけれど、その視点を「本」というものに一歩すすめて、きりとっている(そして「創造的な実践」に西野はつなげていく)。

 

…町の本屋さんと違ってアマゾンは…“あまり売れない本”を本棚に並べておくことができる。取り扱っているものが物質ではなくデータだからだ。アマゾンの本棚は無限に続いている。…
 たとえ、月に一冊しか売れないような本でも、それが数百万種あれば、月に数百万冊売れるわけで、チリも積もれば何とやらだ。…
 アマゾンを支えているのは、まさかまさかの“あまり売れない本”だったわけだ。

西野亮廣『革命のファンファーレー現代のお金と広告』幻冬舎、2017年

 

そしてこの「数百万冊」は今もこうして、日々増えている。

数十年前に出版された英語書籍を読みたいと思った時に、ぼくはそれがKindle電子書籍で出ているかを確認する。

そのようにして見つけた古典的な良書を、ぼくは「ワン・クリック」で購入して、読むことができる。

この書籍にとって、「ワン・クリック」を得ることができるのは月に1回かもしれない。

でも、そのような本が数百万冊あって、世界のどこかで、だれかが「ワン・クリック」で購入している。

 

西野亮廣は、町の本屋さんが「20:80の法則」で動いていることを解説している。

仮に100冊の本を店に並べるとしたら、人気の上位20冊の売り上げが店の売り上げの80%を占めているという。

そうすると、本屋を支えているのは、“あまり売れない本”ではなく、上位20%の「売れ筋商品」となる。

残り80%の本は、限られた売り場面積を無駄にしてしまうので、版元に返本され、売れそうな本と取り替えられることになってしまう。

インターネットによる「破壊と生成」は、こうして、いろいろなことのルールや常識を変えていくことになる。

 

というわけで、「絶版」はぼく自身が決めないかぎりないし、大躍進中のアマゾン(そしてジェフ・ベゾス)を見ていると「アマゾンがつぶれること」もKindleの方針を大きく変えることも、今のところはない。

ちなみに、ぼくは「町の本屋さん」も、とても好きである。

売れ筋商品から世界の動きや人びとの関心をかんがえ、またあまり売れない「残り80%の本」のなかに、おもしろそうな本をみつける。

そのような出会いもある。

西野亮廣がいうように「インターネットが破壊したもの」は「(物理的)制約」である。

破壊された制約とその周辺から、新しく、いろいろなものが「生成」されてゆく。

 

「アマゾン+電子書籍」というプラットフォームは、このように、ぼくにとっての力強い味方だ。

こうして、ぼくの本は、(見渡すことのできる未来の時空間において)「アマゾンの本棚」にずっと陳列されることになる。

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社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima 社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima

現代世界における「ハーモニー」という希望。- 「アイデンティティの複数性」(アマルティア・セン)をキーワードに。

「経済発展」ということを、経済成長率だけではなく、もっと広く捉える視点と実践を提供しつづけてきた経済学者アマルティア・セン。

「経済発展」ということを、経済成長率だけではなく、もっと広く捉える視点と実践を提供しつづけてきた経済学者アマルティア・セン。

「冷静な頭脳と暖かい心」をもつ経済学者と語られ、彼の影響は経済学・厚生経済学にかぎらず、哲学や思想にまでおよぶ。

インドに生まれたアマルティア・センは、数々の理論を、その内側に立って論理を徹底することで、新たな地平をひらいてきた。

 

アマルティア・センはノーベル経済学賞を受賞した後にも、しずかな筆致だけれども、論理の透徹した著作を書き続けている。

その一つに『Identity and Violence: The Illusion of Destiny』(W.W. Norton & Company, 2006)という著作がある。

「アイデンティティと暴力」と題され、暴力が広がる世界における「アイデンティ」の狭窄化ともいうべき状況に焦点をあて、人が本来住んでいる世界における「複数のアイデンティティ」へとひらいていくところに、現代世界のハーモニー(調和)の希望を見出している。

 

The hope of harmony in the contemporary world lies to a great extent in a clearer understanding of the pluralities of human identity, and in the appreciation that they cut across each other and work against a sharp separation along one single hardened line of impenetrable division.
(現代世界における調和の希望は、かなりの程度、人間のアイデンティティの複数性に関するより明確な理解と、またそれらが相互に横断し、頑強な分断をつくる硬化したひとつの線に沿って存在するくっきりとした分離に立ち向かうことを認識することの内にある。)

Amartya Sen 『Identity and Violence: The Illusion of Destiny』(W.W. Norton & Company, 2006)(※和訳はブログ著者)

 

特定の、文化、文明、国、宗教などに狭窄されたアイデンティティをたずさえて、人間は争いを繰り返してきた一方で、だれもが、複数のアイデンティティをもちながら生きている。

人はさまざまなグループなどに属している。

センが例としてあげているように、一人の人が、まったく矛盾なく、アメリカ国籍、カリブ人、アフリカに先祖、キリスト教者、リベラル、女性、ベジタリアン、長距離ランナー、歴史学者、教師、小説家、フェミニストなどなどでありうる。

これらのそれぞれがその人にアイデンティティを与えるものであり、特定のどれかひとつがその人のアイデンティティとなるのではない。

実際に世界はますます、多様性を増している。

人びとのそれぞれのアイデンティティということにおいて、それらをある特定の方向性に「統一」していくのではなく、逆に、その多様性・複数性をひらいていくところに「ハーモニー」が生まれるということは、チームや組織やコミュニティをかんがえていくときの、深い問いを提示してもいる。

 

メディア・アーティストなど多彩な顔をもつ落合陽一は、人間の「重層的な生」という視点から、「西洋的な個人」の、(日本における)乗り越えを提案している。

「選挙の投票」ということにおける、西洋個人主義の限界点をみつめつつ、「一番シンプルな答え」として、次のように語っている。

 

「個人」として判断することをやめればいいと僕は考えています。「僕個人にとって誰に投票するのがいいか」ではなく、重層的に「僕らにとって誰に投票すればいいのだろう」「僕の会社にとって、誰に投票するのが得なんだろう」「僕の学校にとって、誰に投票するのが得なんだろう」と考えたらいいのです。個人のためではなく、自らの属する複数のコミュニティの利益を考えて意思決定すればいいのです。これを技術的に解決する余地が、人工知能による統計的判断や最適化にはあると考えています。…

落合陽一『日本再興戦略』幻冬舎、2018年

 

落合陽一は、西洋個人主義に合わない日本の状況を考えながら、(個人のアイデンティティの複数性ではなく)「自らの属するコミュニティの複数性」という言い方を採用しているけれど、人間の生の重層性とアイデンティの複数性への視点については、アマルティア・センと同型である。

 

ぼくたちは、このような「多様性・複数性」を日々生きているし、そこを起点としながら、いろいろと始めることができる。

精神科医のR・D・レインは「アイデンティティとは、じぶんがじぶんに語って聞かせるストーリーのこと」と言ったが、はたしてじぶんの物語・ストーリーは多様性・複数性に充たされているかと、かんがえてみることができる。

じぶんのアイデンティティの複数性に気づき、ひろげ、複数性のそれぞれの生を生きてゆくこと。

それだけでも、じぶんの生も、そして世界のあり方も、「景色」が変わっていくだろうと、ぼくは思う。
 

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欲望論からとらえる<市民社会>。- 「社会」に生き、総体的/相対的に理解し、構想していくために。

「近現代」という時代に生きながら、日々生きていくなかでいろいろなことに直面し、いろいろなことをかんがえる。


「近現代」という時代に生きながら、日々生きていくなかでいろいろなことに直面し、いろいろなことをかんがえる。

日々の人間関係から社会の出来事に至るまで、なぜこうなんだろうかという疑問をかたちづくるような体験・経験を積み重ねながら、自問しては「迷宮」のなかにもぐりこんでしまう。

そのような疑問を抱くことなく、ただ生きるということができればとも思ったりするのだけれど、現代社会とそこで起こることは「ただ生きる」ということをむずかしくしてしまうような、そのような磁場をつくっている。

だから、「迷宮」を脱して、人間や社会というものを論理として把握しておきたいとと、20歳を超えた頃に思い始めた。

「知識」として得たからといってすぐにどうこうなるものではないとわかりつつ、しかし、どうしても知りたいと思うようになった。

「社会に埋め込まれたじぶん」ではなく、「かんがえる」ということを始めたことの一歩のようなものであったかもしれない。

 

見田宗介の名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)を読んだときの興奮は、とても大きなものであった。

ぼくの「世界の見え方」が変わってしまうほどであった。

新書という形の小さい本ではあるけれど、深い洞察と明晰な理論で、現代社会を総体として描いている。

一度読んだだけでは理解できないことだらけであったにもかかわらず、知の深さと広さの体感にひかれるように、ぼくは幾度も幾度も、読み返した。

 

そこから時を経て、見田宗介が真木悠介名で書いた『現代社会の存立構造』(筑摩書房、1977年)を手にとり、この本も最初読んだときは一部しか理解できなかったけれど、そこで展開されていることの深さと広さの予感をたずさえて、ぼくは幾度も幾度も、まるで辞書を引くように読み返し、理解を深めるたびに、その理論の明晰さにただただ圧倒されるばかりであった。

そのエッセンスの一部が、1980年代に行われた、見田宗介と小阪修平の対談のなかで、<市民社会>の原理として語られている。

「対談」という形式は、複雑な理論が凝縮されて語られることから入門として入りやすい。

しかし、それだけで「わかった」というふうにはしてはならないけれど、「対談⇆理論の本」の双方向の読みをすることで見えてくるものがある。

 

「市民社会」という多義的な事象を、見田宗介は「欲望論」からとらえる視点を提示している。

 

…社会的な抑圧というものの根拠は、人間たちの欲望の相互関係にあると思うし、逆に言うと社会的な解放というものの、究極的な根拠というものも、やっぱり人間たちの欲望、欲望の相互関係にあると思います。

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

このことを、もう少し展開して、見田宗介は次のように論理をすすませる。

● 抑圧というものの究極的な根拠:「欲望の相剋性」
● 解放の究極的な根拠:「欲望の相乗性」


「欲望の相剋性」については、例えば、「悪」というものは世の中に存在はせず、その正体は人間たちの「欲望の相剋性」にすぎないと語られている。

また、「道徳、理念、倫理」などという言葉で語られるものも、複雑なメカニズムを通して形成される、「欲望の相互関係の反射」(特に他者に対する欲望の相互反射)としている。

「規範」も、「欲望の逆立した影」と見田宗介は明晰に捉えている。

そのように把握しながら、「共同体」に比して「市民社会」をとらえていく。

 

…共同体とはなにかというと、人間たちの欲望の相剋性というものが、相互に規制しあう規範によって束縛されている状態である。…
 それにたいして、<市民社会>というものはなにかというと、人間たちの欲望の相剋性というものがいったん解放された状態であろう。…

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

欲望論の視点から社会を透徹する仕方でとらえ、欲望の相剋性/欲望の相乗性という見方で、共同体と市民社会を定義する見田宗介の理論はとても明晰だ。

この見方は、ぼくたちが日々直面しかんがえていることに、次のように接続される。

 

 市民社会というものは、解き放たれた欲望の集列的なせめぎあいが基本にあって、それが積分形態として、たとえば市場法則とかその他の経済法則のように、さまざまな物象化された社会法則であるとか、あるいは貨幣というもの、資本というもの、物象化された法のシステム、近代的な国家権力というようなもの、あるいは物象化された時間、空間の観念とかを存立せしめる、そういう社会形態である。…
 結論から言えば、解き放たれた欲望の相剋性が、物象化されたさまざまな制度というものを幾重にも産み出してゆくシステム(メタシステム)であるというふうに市民社会をとらえるわけです。

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

例えば、大学ではぼくたちは、政治は政治、経済は経済、法は法、国家論は国家論、貨幣論は貨幣論(経済)、時間論は時間論(哲学など)といったように、境界が区切られたままで学ぶことになるけれど、見田宗介の「市民社会の原理」は、それらを統合かつ一貫した論理で把握するものである。

この「市民社会の原理」が、「どういうメカニズム」で、貨幣、資本、法体系、国家、時間・空間の観念などを存立していくのかが書かれたのが、前述した名著『現代社会の存立構造』であった。

この理論の中心となる「欲望」の論は、その後、「欲望を抑える」という仕方ではなく、逆に「欲望をひらく」方向において、見田宗介=真木悠介の仕事のなかで徹底して追い求められていく。

つまり「欲望は欲望によってしか超えられない」ということの深い認識のもとで、<欲望の相乗性>の理論の展開へとつながっていくことになる。

 

現代は、貨幣、資本、法体系、国家などの、これまで基幹をなしてきたと思われるものが、変動(激動)にさらされてきている。

そのようなときだからこそ、社会や人びとの生を読み解き、社会のあり方や人びとの生き方を構想していく際に、見田宗介=真木悠介の展開してきた理論は、ますます、ぼくたちにとってよい対話相手となってくれる。

かつて、ぼくの悩みをもとに対話してきた見田宗介=真木悠介の理論群は、今のぼくにとっては、未来をひらくための対話相手のようなものとして、ぼくの生を支えてくれている。
 

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「孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界」(見田宗介)。- 市民社会の社会性の水準。

小さい頃からぼくが感じていた「生きづらさ」の感覚の根拠のひとつのようなものとして、社会学者の見田宗介の次の言葉は示唆に富んでいる。

小さい頃からぼくが感じていた「生きづらさ」の感覚の根拠のひとつのようなものとして、社会学者の見田宗介の次の言葉は示唆に富んでいる。

 

 本源的に孤独なものたちがそのあかるい表層のつながりのうちにみずからの孤独をしらず、孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界に、たぶんわたしたちは生きているのだ。…

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

「孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界」にわたしたちは生きていると、石牟礼道子の文学を語るモチーフとして、そのような「奇妙な世界」を見田宗介は描いている。

奇妙な世界の「あかるい表層」のうちにじぶんを引き出すのだけれど、ぼくはそのようなところに居心地の悪さを感じてきた。

幸いにも、ぼくの周りにはこの奇妙な世界のなかであっても「まっすぐに語る」人たちが現れて、その「まっすぐさ」に支えられながら生きてきたようなところがあると、ぼくは思う。

そのような人たちは直接的な関係性にかぎられず、見田宗介、石牟礼道子、河合隼雄などの本を通じて、ぼくは「孤立」せずに、奇妙な世界で生きてきた。

 

見田宗介は、この「奇妙な世界」を、<市民社会>という視角において書き足している。

「市民社会」という言葉は多義的であり捉えられ方や定義のされ方はさまざまであるため、一歩も二歩も引いて見る必要があるけれど、その「原的な」ところにおいて、見田宗介は<市民社会>を次のようにも見ている。

 

…<市民社会>とは、原的に孤独なものたちが孤独ではないもののように互いに社交することをとおして、原的に孤独ではないものを孤独なものとして排斥する、そのような社会性の水準である。…

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

この記述は『著作集』における「定本解題」に載せられている(このような角度から見田宗介が<市民社会>を語っているところは、今のぼくの記憶のなかにはない)。

<市民社会>をこのような「社会性の水準」として捉える見方は興味深いものである。

ちなみに、見田宗介は、<市民社会>を、人間たちの欲望の相剋性がいったん解き放たれた状態(※「共同態」は欲望の相剋性を規制し合う状態)というように捉えており、その解き放たれた欲望の相剋性が物象化されたさまざまな制度を幾重にも産み出してゆくシステムであると捉えている(『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、『現代社会の存立構造』筑摩書房)。

<市民社会>はその意味で両義的であり、解放の側面と抑圧の側面をともにもっている。

この社会性の水準においては、その力学において、「あかるい表層」における社交のなかに排除の力をもってしまうというのである。

このような「奇妙な世界」でどのように生き、また「奇妙な世界」をどのようにきりひらいていくことができるのかを、見田宗介は「欲望の相乗性」の論理を透徹することで示していくのだけれど、ぼくたち一人一人の生と現実の社会には、幾重にも幾重にも、生きることの経験のうちにのりこえていかなければならない問題と課題が、はるか彼方までひろがる濃霧のようによこたわっている。
 

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

人間関係の「密で少」と「疎で多」。- 「隣近所へのあいさつ程度」からひらかれる生と関係。

人間関係を「深さー広さ」という軸をたててみるときに、精神科医の森川すいめいによる、「その老人の変わった日」(『現代思想』2016年9月号、青土社)というエッセイ(記録)に、いろいろなことをかんがえさせられる。

人間関係を「深さー広さ」という軸をたててみるときに、精神科医の森川すいめいによる、「その老人の変わった日」(『現代思想』2016年9月号、青土社)というエッセイ(記録)に、いろいろなことをかんがえさせられる。

 

森川すいめいは、80歳代の女性である田村さん(仮名)が、人間関係の軸を転回させていくことで変わっていった経緯を書いている。

森川の言葉では「自殺希少地域における対話する力を実践し続けた田村さんの変化の記録」である。

田村さんが森川の外来におとずれたときは「こころがめいっぱい」な状態で、夫婦二人暮らしのなか夫を亡くし、これから生き方がわからない状態であったという。

森川は、「悲しみと、絶望と、不安と、自分を責めることば」を田村さんの語りから聴きとる。

その田村さんが、元気に、近所の人たちと「支え支えながら」一人暮らしをするまでに変わっていく。

 

森川すいめいの仕事におけるインスピレーションは、自殺希少地域の研究(岡檀『生き心地の良い町ーこの自殺率の低さには理由がある』講談社)と、それらの地域への実際の「旅」である。

岡の調査で印象深かったものとして「近所づきあいの意識」に関するものがあり、その調査結果はふつうに思われることとは異なっていた。

自殺希少地域では、人と人が助け合い、緊密に・親密に支えあっていると思われがちだが、調査結果は、近所づきあいは「立ち話程度、あいさつ程度の関係」という回答が八割を超えていたという。

逆にそうではない地域では、四割強のひとが互いによく協力し合っていると回答しているという結果だ。

森川はそこから、地域によってこのような人間関係の差が生まれたことを自問し、仮説のひとつとして、「立ち話慣れ、あいさつ慣れをしているか」に目をつけることになる。

 

田村さんの外来がつづくなか、田村さんは「孤立してはいけない」というラジオで森川が話す言葉をてがかりに、「隣近所にあいさつ」をするようになっていったという。

「近所づきあいがほとんどない」から「あいさつ程度」に変わり、田村さんは、そのなかで近所に同じように「孤立している人」たちを知り、支え支える関係が生まれていく。

 

 人間関係が疎で多であることは、ひとが多様であることをからだで感じることになる。いろいろなひとがいると知ることで、何かを決めつけたり狭い世界で思い込んだりしなくてもよくなる。多様さを知り、それを包摂できることは生きやすさの要となる。
 田村さんの近所づきあいは、あいさつ程度、立ち話程度に変わった。
 田村さんは、孤立するひとたちと複数出会うことになった。それは誰かの話が誰かの役に立つことを知ることにもなった。…
 …田村さんは、その気質が変わったわけではなかった。考え方も生き方も変えなくてもよかった。ただ、緊で少な人間関係を、疎で多な人間関係に変えただけだった。…

森川すいめい「その老人の変わった日」『現代思想』2016年11月号、青土社

 

このエッセイ(記録)を読んでいると、「ただ緊で少な人間関係を、疎で多な人間関係に変えただけ」ではなく、行動や思考のなかで田村さんの考え方や生き方も変わっていたのだとぼくには見えるけれど、それはあくまでも「田村さんの物語」であるから、さらに掘り起こしていくところではないかもしれない。

森川の言う「多様さ」ということについて、人がその内面に多様性に充ちた「世界」をつくっていくことの大切さは、言い過ぎることはない。

 

「緊で少な人間関係」は人間社会としては共同体的な関係であり、「疎で多な人間関係」は市民社会的な関係である。

ただし、ここでは単純に「共同体から市民社会へ」ということではなく、共同体が解体し、また市民社会における「核家族」の解体のうえで、さらにどこに精神面を支える人間関係をきずいていくのかという課題とつながっている。

特に若い世代による情報テクノロジーを基盤とするネットワークによる人間関係の構築は、さまざまな試行錯誤のうちにおかれていて、それらの経験は人間関係が技術とシステムだけでどうにかなるものではないことを教えてくれている。

その試行錯誤とは角度を異にしながら、「あいさつ程度・立ち話程度の近所づきあい」は、ひとつの方向性をひらいている。

「あいさつ」とは、その原型において、互いの<存在>に向けられる祝福のようなものとしてあると、ぼくは思う。
 

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香港で、「海景」をきりとってみる。- 写真家・杉本博司の「海景」の想像力と視力にあこがれながら。

香港の風景は、「霧」に包まれている。霧が風景を覆い、窓から見渡す限り、霧である。


香港の風景が、今日は濃い「霧」に包まれている。

霧が風景を覆い、窓から見渡す限り、霧である。

湿度もいっぱいに上がり、ときおり、霧に混じるようにして小雨がちらつく。

 

香港島と九龍側を隔てる海域も霧がたちこめ、ときに、いつもはすぐそこに見える風景が見えない。

そんな海を見ていると、そこは海岸線の涯てのようだ。

海上にたちこめる霧の先には、ただ、広い海原がひろがっているような感覚がどうしても、ぼくから離れていかない。

 

そのような風景にカメラを向けたときに思い出したのは、写真家の杉本博司の写真である。

杉本博司は、1970年代にアメリカ、そしてニューヨークに移り、写真家としての道をあゆんでいく。

杉本博司の作品群のなかに「海景」のシリーズがあり、そのミニマルだけれど、どこか人の深いところとつながるような写真は、ぼくの深いところをうつ。

 

杉本博司の写真集『海景』に掲載される、見田宗介の文章は、1976年のニューヨークで、偶然のようなことで初めて杉本と出会った見田宗介の回想がのせられている。

当時はまだ若く貧しく無名の杉本博司は、倉庫を改造したような建物に住んでいたのだという。

建物と外をつなぐ階段はコンクリートの打ち放しのものだけれど、杉本博司はそのコンクリートに、ふつうの人はみないものをみていたことを、見田宗介は思い起こしている。

 

…階段のコンクリートの水やひび割れの作る微細なしみたちをよく記憶していて、いろんな生命や静物の饗宴をそこに見ていた。とりわけお気に入りの立派な馬がいて、下の階からの踊り場を曲がる以前から、あそこには馬がいるのだと予め高揚していた。…その反還元的情熱は、この時代までのニューヨークの前衛のコンテンポラリーを志向するアーティストたちとは異質のものだったと思う。むしろ天空のランダムに散乱する星たちの中に、馬だの射手だの楽器だのの饗宴を見る文明の原初の人々の想像力に近いものだった。…

見田宗介「時の水平線。あるいは豊饒なる静止」『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店

 

霧がいっぱいにはる香港の海を見ながら、そこには饗宴という名の物語が生まれてくるような予感をいだきながら、ぼくはカメラを海に向けた。

そうして、ぼくは、香港の「海景」を写真できりとってみる。

 

杉本博司の写真集『海景』シリーズのモチーフは、「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」という自問であったという。

<原始人の見ていた風景>という、魅力あふれるイメージと想像力は、<打ち放しのコンクリートの階段に饗宴を見る視力>の戯れである。

このような想像力と視力に、ぼくは、あこがれる。
 

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「五感の序列性」と、生きること。- 仏教の五根、ブリューゲルの5枚連作「五感」。

よりよく生きていくことにおいて、人間の「五感」の問題はとても大きな問題としてあるように、ぼくは思う。

よりよく生きていくことにおいて、人間の「五感」の問題はとても大きな問題としてあるように、ぼくは思う。

真木悠介は、「近代」のあとの世界と生き方を構想するなかで、この問題にふれている。

「われわれの文明はまずなによりも目の文明」であると真木悠介は述べながら、人間における<目の独裁>から感覚を解き放つことで、「世界」は違った仕方でぼくたちに現れることについて、書いている。

 

…<目の独裁>からすべての感覚を解き放つこと。世界をきく。世界をかぐ。世界を味わう。世界にふれる。これだけのことによっても、世界の奥行きはまるでかわってくるはずだ。
 人間における<目の独裁>の確立は根拠のないことではない。目は独得の卓越性をもった器官だ。

真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫

 

<目の独裁>の根拠にかかわる例として、真木悠介は「仏教における五根」の序列性を挙げている。

仏教では五根を「眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)」というようにならべるように、この配列(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)が、確かに、自然であるように思われる。

 

このことを西洋美術史を専門で学んでいる友人に伝えたら、この「五感の序列性」(「視覚」の至高性)が、西洋の思想にもあることを教えてくれた。

事例として教えてくれたのは、17世紀の絵画における、ブリューゲルの「五感」という5枚連作。

これら5枚のすべての絵画作品において、背景に庭があり、建物のなかに女性とキューピッドがいる。

おもしろいのは、それぞれの作品に五感のアレゴリーが散りばめられていること(例えば、絵のなかに描かれる「絵画」=視覚)、また、例えば、「触覚」では廃墟がみえるなど、「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」の序列性が見てとれることである。

また、五感と「対象との距離」という視点からもこれら5枚連作が読みとれるということに、ぼくは心地のよい驚きを覚えた。

 

真木悠介は、五感と「対象との距離」について、配列(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)は、「対象を知覚するにあたって主体自身が変わることの最も少なくてよい順」だろうと書いている。

「身」による認識においては、「知ること」と「生きること」がほとんど未分化なのに対し、「視覚」においては、<生きること>と<知ること>の乖離が最大化することを、真木悠介は指摘している。

そのことは、視覚優位の現代社会では、<知ること>とから<生きること>への道のりを、ぼくたちは心してあるいていくことを示してもいる。

 

ぼくが「五感」ということを客観視して見るようになった契機は、アジアへ旅するようになってからであった。

船や飛行機を降りたときに、日本とはあきらかに異なるにおいが嗅覚を刺激し、街や通りなどの異なる音たちに身体がさらされる。

そのような体験であった。

近年の「情報テクノロジー」の発展は、ぼくたちの五感をさらに「視覚」へとおしこめてしまうような磁場をもっている。

松岡正剛は、ブログ「千夜千冊」でデリック・ドゥ・ケルコフ『ポスト・メディア論』にふれながら、「知覚とメディアの関係」という問題に直球のボールを投げ込んでいる。

直球のボールは、さまざまな人たちによって、さまざまな企ての形でも投げ込まれている。

ドイツを発祥の地とする「Dialogue in the Dark」は、ここ香港でもあるけれど、<目の独裁>をふつうには得られない次元の「暗闇」によってくずすことで、ぼくたちに気づきの体験を与えてくれる。

真木悠介が40年前に「<目の独裁>からすべての感覚を解き放つこと」と提示した生き方の作法は、今もなお(あるいは今だからこそ)、ぼくたちの「生き方の道具箱」のひとつにおさめておくことができる。

 

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「silence(沈黙・静寂)」のこと。- フレッド・ロジャース、ジョン・ケージ、見田宗介。

「silence」(沈黙・静寂)ということをかんがえる。


「silence」(沈黙・静寂)ということをかんがえる。

「Mister Rogers’ Neighborhood」というアメリカ教育番組の司会者であった故Fred Rogers(フレッド・ロジャース)は、かつてインタビューで、現代社会が、「wonder」(おどろき)ではなく、あまりにも「information(情報)」にばかり関心をもってしまっていること、また「silence(沈黙・静寂)」ではなく、あまりにも「noise(ノイズ)」に充ちていることに対して、警鐘をならした。

ロジャースの静かだけれど凛とした声は、ぼくの心に直接に届くひびきをもって、伝わってくる。

 

「沈黙」でつらぬかれた有名な作品「4’33’’」を創った音楽家のジョン・ケージにとって、沈黙はいわゆる沈黙ではない。

 

…ジョン・ケージは沈黙は環境に存在するあらゆる音の一瞬の総和であると語った。彼は同じことを、「沈黙は生きている」と表現することもできた。

デリック・ドゥ・ケルコフ『ポストメディア論』NTT出版、1999年

 

沈黙が、時空間の「欠如」と捉えられがちな現代とは異なり、そこには「あらゆる音の一瞬の総和」とみる反転の視点が鮮やかに提示されている。

沈黙におかれるとき、ぼくのなかでときおり、ジョン・ケージのこの反転の視点があらわれる。

 

「愛の変容/自我の変容」と題された文章で、社会学者の見田宗介は「現代短歌の感覚と思想」を追いながら、最後に二つの短歌を取り上げて、そこに、現代を超えていくことのある種の「乗り越え」のイメージをとりだしている。

 

 ためらわず車椅子ごと母を入れナース楽しむねこじゃらしの原  吉田方子

「愛」ではなく奉仕ではなく献身ではなく親切ではなく感謝ではないような仕方で、三人は自由に結び合っている。ねこじゃらしの原に酩酊することで、人と人との間にしかれているという国の境を越境している。

 それぞれにそれぞれの空があるごとく紺の高みにしずまれる凧  渡辺松男

<孤高>ではなく<連帯>ではなく、複数の存在が存在しきっている仕方。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、1995年(※その後、見田宗介『社会学入門』岩波新書に加筆して収録)

 

「ねこじゃらしの原」も、「紺の高み」も、いずれも、ノイズではなく、沈黙・静寂のなかに風景がおかれている。

しかし、その静けさは、関係の冷たさを体現するものではなく、逆に、関係の「境界線」がなくなってしまうようなところに顕現している。

 

20年程前に、ニュージーランドの自然を歩きながら、人は静寂や寂しさのようなものを克服する(逃れる)ようにして「都会」をつくったのかもしれない、という想念がかすめる。

都会の喧騒と彩りがとても魅力的に映り、また都会に戻って来るとぼくの自我は「安心のような感情」を抱いたりする。

しかし都会に長くいると、そのノイズに疲れてしまう。

今は、都会と自然という切り分け方そのものが、「情報テクノロジー」の世界のなかでは、その境界線をあやふやにしている。

どこにいても、人はいつのまにか「情報の渦」のなかに投げ込まれてしまう。

だからときには(あるいは日常に)、「沈黙」に身体をさらしたい。

それは欠如に身をおくことではなく、「あらゆる音の一瞬の総和」とでも呼べるような、また存在の境界線がなくなるような、そのような時空である。

 

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社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima 社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima

子どもが大人に常に教えてくれる3つのこと。- 「wonder」にみちびかれる世界へ。

著書『アルケミスト』で有名な、ブラジル生まれの作家パウロ・コエーリョの別の作品『第五の山』(角川文庫)のなかで、子どもが大人に教えてくれることについて、次のように書かれているところがある。


著書『アルケミスト』で有名な、ブラジル生まれの作家パウロ・コエーリョの別の作品『第五の山』(角川文庫)のなかで、子どもが大人に教えてくれることについて、次のように書かれているところがある。

 

…子供は常に三つのことを大人に教えることができます。理由なしに幸せでいること。何かでいつも忙しいこと。自分の望むことを、全力で要求する方法を知っていることの三つです。

パウロ・コエーリョ『第五の山』角川文庫

 

これらの3つのことは、「大人」という時期をくぐりぬけていく人間をからめとってしまう「罠」の存在を、ぼくたちに教えてくれる。

 

第一に、大人は、なかなか「理由なしで」幸せになることができない。

何かを得ることで、あるいは何かを達成することなどで、人は「幸せ」を感じる。

しかし、やがて、その「幸せ」はフェードアウトし、他の物事を永遠と追い求めていきがちである。

 

第二に、大人も常に「忙しさ」のなかにあるけれど、子どもの生きる忙しさとは異なっている。

子どもは「wonder(驚き、知りたいと思うこと)」に駆動されながら、忙しい。

20世紀後半に「Mister Rogers’ Neighborhood」というアメリカ教育番組のホストであった故Fred Rogersは、かつてインタビューで、現代社会が、「wonder」ではなく、あまりにも「information(情報)」にばかり関心をもってしまっていることへの警鐘をならした。

子どもに正面から向き合ってきたRogersは、「wonder」に充ちた番組をつくってきた。

 

第三に、大人は、「自分の望むこと」をいくぶんかあきらめ、「望むこと」がわからなくなり、あるいは「望むこと」をじぶんの底におしこめる。

また、「望むこと」が明確であっても、いろいろにブロックをかけて、全力で要求(あるいは助けを求めること)をしない。

子どもたちは、それらをすりぬけるようにして、全力で要求をぶつけてくる。

 

これら三つの「教え」は、大人の生き方の様相を相対的に照射するだけでなく、大人が子どもをまなざす際の「視線」のあり方のようなものを教えてくれている。

これら三つの見方・視点をもって子どもに真摯に接するだけでも、子どもに接する仕方の質的な差がでてくるようにも、思われる。

しかし、現代社会は、「子ども」という時期をすでに解体してきているような様相を呈して、現れている。

養老孟司は、80年生きてきたなかで、都市化(脳化=社会化)のなかで「なくなったもの」として、次のものを挙げている。

 

 私が八〇年生きてきて、その間になくなったものは確かにあります。例えば子どもの遊び場がそうです。もう「子どもの遊び場」という表現がなくなりました。なくなり始めた頃には異議申し立てが絶えずあったのですが、「子どもの遊び場がなくなる」なんて今は言いません。なくて当たり前になりました。子どもが子どもとして生きる権利は完全に奪われましたね。
 現在の都市化はそうしたことをほとんど無視するかたちで進んでいます。…

養老孟司「煮詰まった時代をひらく」『現代思想』2018年1月号

 

子どもたち自身に目を転じても、早くの時期から、「何かを達成・獲得」することのループになげこまれ、「wonder」を解き放つ学びよりも「情報」の海を泳ぐことを余儀なくされ、また、自分の望むこともあるいはそれを全力で要求する力もただ頭ごなしに「抑制」されるような生活に生きているようにも思われる。

大人がこれらを子どもの内にだけでなく、自身の内に解き放つことを通して、「世界」はwonderにみちびかれるひとつの奇跡として現れてくるところに、ただ今と、これからの時代をひらいていくことができる。
 

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Jun Nakajima Jun Nakajima

自分が好きだった小説を生きたココ・シャネル。- <夢>(物語としての生)を生ききること。

よりよく生きるためのヒントとして、ココ・シャネルの60の言葉があつめられた、高野てるみの著作『ココ・シャネル 女を磨く言葉』(PHP文庫)のなかに、次のようなシャネルの言葉がある。

よりよく生きるためのヒントとして、ココ・シャネルの60の言葉があつめられた、高野てるみの著作『ココ・シャネル 女を磨く言葉』(PHP文庫)のなかに、次のようなシャネルの言葉がある。

 

「現実的であることは、ちっとも夢がないじゃないの。
わたしは夢を見ていたいのよ。」

高野てるみ『ココ・シャネル 女を磨く言葉』PHP文庫

 

この言葉の項目名として「嘘」とつけられているけれど、著者の高野てるみは、次のように解説を加えている。

 

…「嘘をつくというのも彼女の魅力のひとつといえる」と回顧録にもありますが、いくつもの回顧録を読んでいくと、シャネルの話はそのときどきで変わるのです。しかし、シャネルの伝説の真偽を考えるのは野暮というもの。彼女のストーリーを楽しむべきです。…彼女は「自分が好きだった小説をそのまま生きていた」と自ら言っていますし、これ以上の真実はあり得ません。

高野てるみ『ココ・シャネル 女を磨く言葉』PHP文庫

 

「自分が好きだった小説をそのまま生きていた」ということは、ぼくに、「赤毛のアン」のアンの姿を思い出させる。

シャネルとアンがいわゆる「孤児院」での生を通過しているという共通点は考えさせられるところだけれど、二人の姿を重ねる見方をする人たちは、ぼくに限らずいるようだ。

例えば、ホッピーの3代め社長・石渡美奈もブログで「赤毛のアンとCOCO CHANEL」と題して書いていたりする。

 

「小説をそのまま生きていた」とシャネルが言うときにぼくが思うのは、「物語を生きる力」だ。

「現実か夢か」という、近現代の常套とされた対比ではなく、シャネルは「現実」へと生を脱色していったときにそこには何もないこと、そしてそこには人が描く<物語としての生>(=夢)しかないことを、感覚していたのではないかと、ぼくは推測する。

自分の回顧録を依頼するため、作家トルーマン・カポーティに際には、「わたしの頭を切ってごらんなさい。中は13歳よ。」とシャネルはカポーティに言ったという。

12歳でシャネルは孤児院に送られ、「人生は幼年時代の続き」とも語っていたシャネルの生は、<物語としての生>(=夢)を生ききることのうちにひらかれていったものであったと思う。

 

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書籍, 人事マネジメント・労務 Jun Nakajima 書籍, 人事マネジメント・労務 Jun Nakajima

職場における「物語」の適用と方法のヒント。- 豊田義博著『なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?』。

職場における「物語」の適用と方法と有効性について、豊田義博が著書『なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?ー職場での成長を放棄する若者たち』(PHP研究所)で、背景を含め、実践におとせるところまで具体的に書いている。


職場における「物語」の適用と方法と有効性について、豊田義博が著書『なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?ー職場での成長を放棄する若者たち』(PHP研究所)で、背景を含め、実践におとせるところまで具体的に書いている。

ぼくのメンターである方からその存在を教えられた本書は、「物語」を職場での実践へ接続することにおけるヒントがさまざまに提示してくれる。

「20代が、生き生きと働ける次世代社会の創造」を使命とする著者の豊田義博が、キーワードとして挙げているのは、次の4つである。

● 社会とのつながり
● 問いかけ
● 物語
● 環境適応性

どれもがぼくの関心とつながり、またそれぞれのキーワードは相互に連関するものであるが、ぼくの当面の(そしておそらくずっと続いていく)フォーカスとして、生きるということの「物語」がある。

 

本書は、若手が生き生きと働けるようにするための「マネジャーへの処方箋」として、「物語・ストーリー」のエッセンスを、次のように取り入れた方法を提示している。

1) キャリアインタビュー
2)「仕事の型」づくりにつながる3つのプロセス:「初期設定の工程」「実践の工程」「成果検証の工程」

豊田が土台のひとつとして置いている考え方は、「批判的学習モード」と呼ばれる学習モードである。

モードを、下記に示される「手段探索モード」から他のモードへと変換をしていくことが提示されている。

● 手段探索モード:自分の置かれている状況を所与とし、指示が出ると、その手段や方法をすぐに考える思考回路
● 目的合意モード:指示が出ると、その目的は適切かなど、背景や考え方に戻って、目的を批判的に考え直す思考回路
● 背景批判モード:目的設定の背景と考え方を批判的に考え直す思考回路

この「批判的学習モード」を活かすことで、若手社員が入社後に(多くは幻滅をともなって)みにつけてしまっている思い込みや先入観(豊田は「フィルター」と呼ぶ)をはずすことを、豊田義博はすすめている。

 

1)キャリアインタビュー

そのとっかかりの方法として豊田義博が提示する「キャリアインタビュー」では、若手社員がどにょうに会社に出会い、どのように好感をもち、どのような期待をもって入社したのかを聞いていく。

若手社員にこのキャリアインタビューを行うことで、フィルターをかけてしまう前の認識に気づく機会を提供する。

そのプロセスで「自己発見をもたらす四つの質問」として、豊田は次の4つを挙げて、言い回し例も含めて提示している。

● 経験が「広がる」質問
● 経験が「結びつく」質問
● 経験の「見方が変わる」質問
● 経験が「統合される」質問

このインタビューには、このプロセスで若手社員は「物語」を語ることになること、その物語を通じて現時点でのものの見方や考え方の良し悪しや偏りを気づかせることが、大きな目的として置かれている。

 

2)「仕事の型」づくりにつながる3つのプロセス:「初期設定の工程」「実践の工程」「成果検証の工程」

本書よくふれられる「仕事の型」(=基礎力の自分流コーディネーション)をみにつけていくことが大切とされ、その原型は最初の3年で出来上がっていくものとされる。

その「仕事の型」をつくっていくことにつながるプロセスとして、「初期設定の工程」「実践の工程」「成果検証の工程」の3つのプロセスがある。

目の前の仕事の先に「顧客や社会」とのつながりが見えていない状況の若手社員のために、3つのプロセスを通じて、経験学習を促進していくことになる。

そのひとつ目の「初期設定」のポイントとして、豊田義博は次のように書いている。

 

 ポイントは、この工程において、その仕事の主役は、彼・彼女であり、彼・彼女がいい仕事をすることで、顧客が喜ぶ、というストーリーを、彼・彼女の頭の中に想起させることです。
 繰り返しになりますが、仕事は、マネジャーであるあなたから、メンバーである彼・彼女へのアサインによってスタートします。あなたは、必要な情報をいろいろと語り、彼・彼女に仕事の概要を伝え、わかってもらおうとするでしょう。しかし、このようなレクチャースタイルは、一つ間違うと、その仕事の主役はあなたであり、彼・彼女はその主役がいい成果を出すためのわき役であるという認識を強く植え付けてしまいます。

豊田義博『なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?』(PHP研究所)

 

豊田義博自身の「使命」とする「20代が、生き生きと働ける次世代社会の創造」は、方法論的に「20代」にフォーカスする仕方で追及されている。

本書のひとつの特異性のひとつに、若手社員に接するマネジャーへのアドバイスに限らず、第5章で「若手社員への処方箋」として若手社員へのアドバイスが展開されていることが挙げられる。

人それぞれが、それぞれに、物語をきりひらいていこうとするところに、新たな物語はひらかれていくのだということでもある。

それは、根底的には「20代が」というよりは「20代も」というところであり、さらにはどの世代にとっても「生き生きと働ける」ことがつくられるところに、ほんとうの「生き生き」が創造されてくるように思われる。

その視点からは、人それぞれが、「物語」をどれだけ生きているのか、ということが大切であるように思われる。

そして、その「物語」は、仕事だけでなく、<生きることの物語>である。

時代も世界も、働くこと(ワーク)と生きること(ライフ)が相反する仕方ではなく、密接につながり、また統合されたりするような動きを見せてきている。

その意味においても、<生きることの物語>をどのように生き、語り、紡いでいくことができるのかが、若手に限らず、どの世代においても、とても大切なこととしてぼくたちの前に現れているように、ぼくは思う。
 

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「二人でも一人で生きていける人、一人でも二人で生きていく人」。- 「自立」から<自立>へ。

「自立」ということはよく考えていくと、なかなか深く、定義はいろいろに可能だ。


「自立」ということはよく考えていくと、なかなか深く、定義はいろいろに可能だ。

「自立」ということにたいする直接の語りではないけれど、心理学者・心理療法家の河合隼雄は、老年期における「一人で生きる」ということにふれながら、何かの本に書いてあったことを引いて、聴衆に語っている。

 

…どう書いてあったかというと、「二人でも、一人で生きていける人でないと駄目だ。一人でも、二人で生きていかないと駄目だ」とありました。
 夫婦でも、一人で生きていけるくらいの力のある者同士が夫婦でいるからうまくいくんです。また、「一人でも二人」というのは、一人でも心の中にもう一人誰かがいるということです。心の中にお父さんが住んでいる人もいるし、お母さんが住んでいる人もいるし、友だちが住んでいる人もいれば、もう一人の自分がいる人もある。…

河合隼雄『こころと人生』創元社

 

「二人でも一人で生きていける人、一人でも二人で生きていく人」ということは、「自立」ということの大切さと、またそのことが「一人であること」(だけ)に間違って転化して捉えられてしまうことの乗り越えを、シンプルに表現している。

別のブログでも取りあげたように、河合隼雄は、まわりと自分の関係性について、人や木や石などのまわりが「私」をやってくれている、というように、絶妙な仕方で表現している。

ふだんの「面白くない」関係だとか、「なにげない」風景との関係だとか、そのようなものをひっくるめて、「私が生きている」ということを支えているのだという視点だ。

河合隼雄はその話につなげながら、次のように語る。

 

…「私が生きているということは、松の木も、石ころも、みんな頑張ってくれているからなんだ」と。そういう感じがすごくわかってくると、一人でも、100人ぐらいで生きているみたいなものです。そんなふうに「一人でも二人」という感じになってくると、今度は逆に、二人で生きていても一人で生きていけるという、そういう感じになります。…

河合隼雄『こころと人生』創元社

 

「一人でも、100人ぐらいで生きている」という感覚、また、それが逆転する仕方で、「一人で生きていける」ことを支えるという、生きることの本質を、とてもわかりやすい言葉におきかえて語っている。

このようにさらっと言っているけれど、河合隼雄は幾度も念をおしているように、このようなじぶんをつくりあげていくためには、努力と工夫が必要であることを付け加えている。

日常に試行錯誤を通過していくであろうし、こんなことはそもそも忘れて日常を過ごすことになってしまうであろうけれど、しかし、このような視点をじぶんのうちにもっておくだけでも、何かの折に、深いところからの「気づき」がおとずれるのだと、ぼくは思う。

「二人でも一人で生きていける人、一人でも二人で生きていく人」という表現は、視点として、じぶんの生き方の「道具箱」におさめておきたい言葉のひとつである。
 

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言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima

「みんなで「私」というものをやってくれている」(河合隼雄)。- まわりと自分の関係が見えてくるとき。

「人とのつき合い」における<全体性>とも言うことのできる視点を、著書『こころと人生』(創元社)で河合隼雄は述べている。

「人とのつき合い」における<全体性>とも言うことのできる視点を、著書『こころと人生』(創元社)で河合隼雄は述べている。

河合隼雄が俳句を始めようと句会に参加したら、いろいろな人たちがいろいろに言ってくる。

はじめてにしてはうまい、と言ってくれる人もいれば、いやみを言う人もいる。

俳句とはぜんぜん関係のない話をしてくる人もいる。

悪口を言う人もいて腹が立つこともあるけれどと前置きをしつつ、そうしたことの全体が「私が生きている」ということだとわかってくるということを、河合隼雄は、この文章の元となった講義で、冗談をまじえながら聴衆に語りかけている。

 

…「私が生きている」といっても、一人で生きているわけじゃないですから、この人ともこの人ともみんな関係がある。その中で私が「いい句ができたなぁ」と思って喜んでいるときに、パッと悪口を言ってシュンとさせる人というのは、考えたら「私が生きている」ということにものすごく大事な人なんですね。

河合隼雄『こころと人生』創元社

 

シュンと言ってくれる人がいないと天狗になってしまうこともあるなかで、天狗になりかけたときに、そのような人が現われることで「全体のバランス」のようなものがある、と。

河合隼雄は、生きることで一見「面白くない」体験を、全体性のなかで「面白い」体験に転回する視点を語っている。

 

この話につづいて、「人」だけにかかわらない視野へと、河合隼雄は視線を上昇させていく。

 

…極端にいえば自分の周囲にある草でも、鳥でも、石でも、木でも、みんな自分と関係がある。そして、みんなで「私」というものをつくってくれているというか、「私」というものをやってくれているんじゃないかというふうに、僕はこの頃思います。

河合隼雄『こころと人生』創元社

 

「私」というものをつくるってくれているというか、「私」というものをやってくれている。

「私は他者である」(例えば、良心の声は両親の声)ということが、ここでは徹底されて、「私」というものをやってくれるものとしての「まわり」の全体性が語られる。

この表現の鮮烈さと深さに、ぼくは心の中でうなってしまう。

 

河合隼雄はそのような体験の例として、自分の家に帰るときの「風景」を挙げている。

いつもであれば、どこかの家の松の木が見え、何気なしに通りすぎている風景において、ある日突然に松の木が見えなくなる。

訊いてみると、ある理由で切ってしまったということを知って、残念な気持ちがおしよせてくる。

 

この気持ちは、ぼくも昨年(2017年)、ここ香港で、身にしみて感じていた。

香港にやってきた台風が、一夜にして、これまで悠然と立っていたかのような木々を倒してしまった。

倒れかかった木々は危険だから、取り除かれてしまい、そこには、ぽっかりと空間ができてしまったことに、ぼくは残念な気持ちと寂しさを感じたものだ。

同時に、これまでの何気ない風景に、ぼくは生かされていたということを知ることになった。

最近、残った木々たちはその力強さを取り戻してきているように、ぼくには見えていた折、ぼくは河合隼雄のこの文章に出会った。

河合隼雄は次のように、語っている。

 

…どういうことかというと、その松の木はそれまで、自分の人生を支えるひじょうに大事なものとして存在していたということです。
 そんなふうに、「いろんなものがまわりで自分を支えてくれている」というふうに思えるようになってきたら、普通の社会でいうような意味での「お金が儲かる」とか、「子どもがどこの大学へ行っているか」とか、そんなことだけじゃなくて「私はちゃんと生きています」という感じが、だんだんとしてくると思います。…

河合隼雄『こころと人生』創元社

 

「私」というものをまわりがやってくれている。

そのことを、「私」が失くなってしまい自我がくずれおちていくように感じるのではなく、逆に、「私」を豊饒化しているのだと感じるような<全体性の視力>を、河合隼雄はわかりやすい言葉で、しかし経験を深いところで生きてきた人しか語れない言葉で、語ってくれている。
 

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「存在の海の波頭のように自我がある」(見田宗介)。- 「じぶん」という問題を問いつづけながら。

ぼくが小さい頃から格闘してきた「問題」のひとつとして、「エゴイズム」の問題がある。


ぼくが小さい頃から格闘してきた「問題」のひとつとして、「エゴイズム」の問題がある。

じぶんを守ろうとしてしまうじぶん、しかし逆に、じぶんをどこかおしころしていってしまうじぶん。

ときに、「じぶん」という枠が牢獄のようにも思えて、とても苦しくなってしまう。

ぼくから誰かに積極的にたずねることはしたわけではないけれど、学校の授業も、大人も、誰も、ぼくが納得のいく仕方で語ってはくれなかった。

だから、じぶんの経験をたぐりよせながら、かんがえるのだけれども、今おもえば、思考は「じぶん」の内部でめぐるだけのようであった。

 

時がすぎ、大学を休学してニュージーランドに住み、大学に戻ってから、ぼくは「本」を読むようになった。

その折に出会ったのが、真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)であった。

人類学者カルロス・カスタネダの著作を素材に、おどろくほど明晰な「世界」がそこに描かれていた。

 

メキシコのヤキ族の老人の生きる世界では、<ナワール>と<トナール>というように語られる世界のあり方がある。

<トナール>とは、社会的人間のことであり、いわば言語でつくられtら「世界」である。

他方、<ナワール>は、「<トナール>という島をとりかこむ大海であり、他者や自然や宇宙と直接に通底し「まじり合う」われわれ自身の本源性」であるという(前掲書)。

社会学者の見田宗介(=真木悠介)は、このことの「イメージ」を、小阪修平との対談で、次のように語っている。

 

…あんまり考えなしに、感じだけを乱暴に言うと、ぼくの感じで言うと自然というのは内部だという気がして…。つまり、わたしは自然だという感じかな。…体感としていうと、<私>は自然の波頭のひとつだと。宇宙という海の波立ちのさまざまなかたちとして、個体としての「自我」はあるのだと。
 だから、ぼくにとっては、ことばとか観念のほうが外部という感じになる。
 …
 自我というのは宇宙の海の波みたいなもので、波が自己絶対化して自分自身の形に執着する場合に、明晰な波は自分の運命が数秒間にすぎないことを知っているから虚しいというニヒリズムを感じるわけです。海とたたかう波として近代的自我というのがあるというイメージが、ぼくにはあるんです。

見田宗介『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社、1986年

 

<わたくし>という現われは、大海に忙しなく行き来する「波」のようなものとして感覚されている。

それは、デカルトにはじまる西洋の近代化を支えてきた近代的自我の精神が、ことばとか観念を「内部」としてその外に身体や自然や宇宙を置くのとは、逆転したようなイメージとしてある。

ぼくにとって、このイメージはすーっと納得できるものであったし、ときにやりきれなさを感じてきた「じぶん」をかぎりなく広く捉える視野であった。

見田宗介が名著『宮沢賢治』の第一章の冒頭に、宮沢賢治の有名な詩集『春と修羅』の序、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い証明です」という一節を置いているけれど、そこでも、いわば「海の波」のように、やってきては消えまたやってくるようなイメージが重ねられている。

 

このような、「存在の海の波頭のような自我」について、見田宗介は次のようにも書いている。

 

 存在の海の波頭のように自我があるのだとわたしは思っているのだけれど、海が「主体」で、波としての自我を「外化」したりするわけではない。海はただ存在し、その存在のゆらめきとして波は立ち現われ、光って、消えてゆくだけである。
 波がじぶんのつかのまの形(ルーパ)に執着し絶対化して、海と闘おうとするときに、波は勝手に自分自身を海から<疎外>するだけである。

見田宗介「<透明>と<豊饒>について」『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社(見田宗介『定本 見田宗介著作集X』所収)

 

「存在の海の波頭のような自我」のイメージはその後の見田宗介の仕事に光をあたえながら、小阪修平との対談から7年後の1993年に、真木悠介名で名著『自我の起原ー愛とエゴイズムの動物社会学』を書き上げる。

この著作の表紙は「波の写真」であり、裏表紙はしずかな「大海の写真」である。

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の論理のもつれを、さらに徹底させていくことで、「利己/利他」の地平をきりひらく『自我の起原』は、ぼくが小さい頃からなやんできた「じぶん」という問題のありかと、そこにひらかれている可能性(と不可能生)とを、明晰な仕方で提示してくれた。

じぶんがなやんでいることは、世界のどこかで、あるいはこれまでの歴史のなかの世界で、きっとだれかが、正面から立ち向かっていっているものだということを、ぼくは心づよく思ったし、今でもそう思っている。

そこに生きるうえでの「解決」はなくても、知識や知恵としての、あるいは問いとしての「糸口」がある。

生きることの矛盾をひきうけながら、そこをどのように生きていくのかが、ぼくたちのひとりひとりに問われている。

そして、河合隼雄が言うように、その矛盾をひきうける「生き方」に、ぼくたちひとりひとりの<個性>が現れてくるのだと思う。

 

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<透明>と<豊饒>とは対立するのか?- 社会学者・見田宗介の思考にそいながら。

「森のイスキア」を主宰していた佐藤初女は、かつて、<透明であること>を生き方としていた。

「森のイスキア」を主宰していた佐藤初女は、かつて、<透明であること>を生き方としていた(ブログ:<透明>にみちびかれていく生。- 佐藤初女(「森のイスキア」主宰)の生き方にふれて)。

佐藤初女の書くものを読みながら、ぼくは、社会学者の見田宗介が1980年代に行った対談の「あとがき」として書いた文章、「<透明>と<豊饒>について」を思い起こしていた。

そこで、見田宗介は、自身としては<透明>にあこがれるのも、<豊饒>に魅かれるにもあるとしながら、そもそも<透明>とは、<豊饒>とは何だろうかと問い、これらが思想の二つの体質のようなものとして対立するものであるかどうかを考えている。

ぼくはもう一度、この対談と「あとがき」を読み返し、そこで展開されるかんがえ方と論理の明晰さに、圧倒される。

 

この文章は、小阪修平との対談(『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社)の後に、小阪修平による見田宗介の著作『現代社会の村立構造』(筑摩書房、1977年)への批判への議論として「あとがき」に書かれている。

小阪修平はヘーゲル哲学を下敷きとしながら、「外化ー内化」の論理が、世界を透明化することで豊饒をきりつめる論理ではないかとしてふれたことにたいする応答である。

見田宗介は、ヘーゲルからサルトルにまで至る近代西洋哲学の論理をおさえながら、その論理をひとつひとつ解きほぐしながら、また透明と豊饒という絡まった糸も解いていく。

ここではその詳細には立ち入らないけれども、解きほぐされていく論理と、その論理に「出口」が見いだされる仕方は、鮮やかである。

 

ひととおり、近代的自我の「論理」を追ったあとで、見田宗介はふたたび、<透明>であること、<豊饒>であること、をかんがえている。

 

 サルトルにとって、つまり、透徹した近代的自我の哲学にとって、自己だけが自己にたいして「透明」であった。けれどほんとうに、自己は自己にたいして透明か?あるいはほんとうに、他者は自己にたいして不透明か?あるひとにとって、「自己」もまた不透明であると観じられ、また感じられる。あるひとにとって、「他者」もまた透明であると観じられ、また感じられる。
 <透明>とは対象や世界に固有する属性ではなく、ひとつの主体に、対象や世界がたち現われてくる、たち現われ方のひとつの様相である。あるいは主体が、ある対象や世界に向って開かれている、その開かれ方のひとつの様相である。<豊饒>もまた同様である。

見田宗介「<透明>と<豊饒>について」『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社(見田宗介『定本 見田宗介著作集X』所収)

 

佐藤初女が<透明であること>を生きるとき、対象と世界は、透明にまた豊饒に、立ち現われていたのだと、ぼくは思う。

対象と世界が透明にまた豊饒に立ち現われるのは、佐藤初女がそれらに向って開かれているからである。

佐藤初女は「生物多様性」へ視線を向けながら、対象や世界の豊饒さにも開かれている。

佐藤初女が<透明であること>を生きるとき、透明と豊饒がともに現われるようなところに、佐藤初女の生をみちびいていったのだと、ぼくは彼女の語りに耳をすましながら、思う。
 

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書籍, 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

<透明>にみちびかれていく生。- 佐藤初女(「森のイスキア」主宰)の生き方にふれて。

悩みを抱えた人たちを手料理でもてなす場、「森のイスキア」を主宰し、2016年に94歳で他界した佐藤初女(さとうはつめ)。


悩みを抱えた人たちを手料理でもてなす場、「森のイスキア」を主宰し、2016年に94歳で他界した佐藤初女(さとうはつめ)。

訪れた人たちが、食事がおいしいと感じるなかで、胸につかえているものもはきだし、「答え」を見出しながら元気になっていったという。

佐藤初女の著作『限りなく透明に凛として生きる』(ダイヤモンド社)の書名にあるように、彼女が追い求め、生きることのイメージとしてもちつづけてきたのが、「透明である」ということである。

「森のイスキア」の外にひろがる葉が透明に光るように、佐藤初女も<透明>になって生きたいと思ってきたという。

 

なぜ<透明であること>が大切かということについて、佐藤初女は次のように書いている。

 

…透明でなければ“真実”が見出せないからです。
 自分が透明になって物事を見ていると、真実が見えてくる。濁っていると、真実が見えず、迷って事が解決しないのです。…
 だからこそ、ただ生活して生きていくのではなく、自分も素直になって透き通って見えるような生活をしたい。…

佐藤初女『限りなく透明に凛として生きる』ダイヤモンド社、2015年

 

佐藤初女にとって<透明であること>は、彼女が書いているとおり、まずもって、じぶん自身が透明であることである。

じぶんが透明であることによって、他者をうけいれ、他者にひらかれる。

佐藤初女はそのようにして、<透明であること>を追い求め、生きてきた。

 

「透明」という言葉は、もともと、料理をしているときに出てきたという。

 

 緑の野菜をお湯の中でゆがくとき、これまでの緑よりもいっそう鮮やかな緑に輝く瞬間があります。この一瞬を逃さず野菜をお湯から引き上げて冷やして食べると、おいしい。
 野菜のいのちがわたしたちの体に入り、生涯一緒に生き続ける、これを“いのちのうつしかえ”と呼んでいますが、このとき野菜の茎を切ってみると透明になっている。

佐藤初女『限りなく透明に凛として生きる』ダイヤモンド社、2015年

 

この描写はとても鮮烈だ。

この「野菜のいのち」を視ることのできる視力は、佐藤初女自身が<透明であること>ではじめて手に入れることのできる視力である。

佐藤初女は「すべての食材にいのちがある」と考えているが、いのちを「奪う」ものとしての人間という視座をとらず、(食材の)<いのちを生かす>方向へと視座を転回している。

「食べること」が食物連鎖という世界でのいのちの奪い合いではなく、いのちの生かし合いというように乗り越えていこうとした宮沢賢治を、ぼくは思い起こす。

 

「野菜のいのち」の透明さということを、ぼくは幼稚園のときに、この身体で感じたことを、その感覚として今でも覚えている。

幼稚園の菜園で育った「きゅうり」を収穫し、その場で輪切りにして、少しの塩をつけて食べる。

その「おいしさ」が、今でも、ぼくのおいしさの感覚の<基準>のようなものとして、この身体に生きている。

それは、佐藤初女にとってみれば、<いのちのうつしかえ>ということだと、ぼくは自身の体験をそこに重ね合わせる。

 

心理学者・心理療法家であった河合隼雄が「森のイスキア」に宿泊したときの話が、この著書には出てくる。

河合隼雄は部屋の中をぶらぶらと歩き、何だろうなと言いつつ、ふと、「信仰かな…そこがふつうのところと違う」と言ったという。

佐藤初女にとってキリスト教への信仰は生きる指針であり、河合隼雄の発言をうれしく思ったことが書かれている。

しかし、佐藤初女の<透明な生き方>をつやぬいているものは、いわゆる制度的な「宗教」というものを深いところで超えていくような、まるで古代の人たちが太陽に向かって自然と手を合わせてしまうような、そのような原的な<信仰>であるように、ぼくには見える。

その<信仰>は、人だけではなく、自然を含めたいのちというものへの畏怖と信頼に支えられている。

 

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書籍, 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima

<物語>としての自己(鷲田清一)を基盤にして。- 「語りなおすこと」への繊細なまなざし。

哲学者の鷲田清一は、東日本の大震災から一年が経とうというときに、著書『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)を書き、危機や痛みに直面したときの「語りなおし」ということを語っている。


哲学者の鷲田清一は、東日本の大震災から一年が経とうというときに、著書『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)を書き、危機や痛みに直面したときの「語りなおし」ということを語っている。

そのように語ることの、ひとつの出発点は、<物語>としての自己のあり方である。
 

 わたしたちは誰しもが、わたしはこういう人間だという、じぶんで納得できるストーリーでみずからを組み立てています。精神科医のR・D・レインが言ったように、アイデンティティとは、じぶんがじぶんに語って聞かせるストーリーのことです。
 人生というのは、ストーリーとしてのアイデンティティをじぶんに向けてたえず語りつづけ、語りなおしていくプロセスだと言える。

鷲田清一『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)

 

生きていくなかで、これまでじぶんに語りつづけてきたストーリーが崩壊していくような契機に、ぼくたちは出会う。

阪神大震災や東日本の大震災などの天災、大切な人をなくしてしまうこと、病気になることなど、「危機と痛み」の直面する。

その都度、人は、じぶんのストーリーを語りなおしていく。

 

…事実をすぐには受け入れられずにもがきながらも、…深いダメージとしてのその事実を組み込んだじぶんについての語りを、悪戦苦闘しながら模索して、語りなおしへとなんとか着地する。…言ってみれば、<わたし>の初期設定を換える、あるいは、人生のフォーマットを書き換えるということです。

鷲田清一『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)

 

鷲田清一は、<わたし>という「物語の核心(コア)」をなすものとして、次のものを挙げている。

  1. 出自(じぶんは誰の子か)

これらのコアに、さらに3つのことを加えている。

● じぶんにとって大事な人
● 家
● 職

震災などでは、これらのいずれか、あるいは複数を喪失しているなかで、じぶんの「物語」を語りなおしていかなければならない。

このような認識を基盤にして、鷲田清一は、それらが現場でどのようになされるのか/なされるべきなのかを、繊細な言葉で、丁寧に語っている。

 

ぼくは大学時代に、鷲田清一の著書『「聴く」ことの力ー臨床哲学試論』を読んだことがある。

詳細は覚えていないけれど、ただ「聴く」ということについて、とても繊細な見方があるのだと、ぼくは本の語りの息づかいに耳をすませていた。

『語りきれないことー危機と痛みの哲学』のなかでも、「聴く」ことへのまなざしが生きていて、そのことの方法と困難さにふれられている。

語る声と聴く耳。

フランスの思想家ミシェル・フーコーは、「声と耳」に「権力」の構図をあきらかにしたけれど、ここでの<声と耳>は、じぶんと他者が存在を分かちあうようなものとして書かれている。

しかし、鷲田清一が書いているように、言葉が交わされる場とその関係性はとても繊細なものであり、また「分かる」ということは「他者の心持ちを知りつくせないことを思い知ること」(鷲田清一)でもあるのであろう。

はたして、他者の「語りなおし」に、この繊細さをもって寄りそうことができているだろうか。
 

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香港, 書籍 Jun Nakajima 香港, 書籍 Jun Nakajima

香港で、「箸の置き方」をかんがえる。- 「縦向きに置かれる箸」に文化と歴史を見る。

香港で、広東料理などのレストランに行くと、テーブルには箸(はし)が二膳、縦に置かれる/置かれている。


香港で、広東料理などのレストランに行くと、テーブルには箸(はし)が二膳、縦に置かれる/置かれている。

二膳の箸はそれぞれ色が異なっている。

外側のある箸は大皿から料理を取り皿に取るためにあり、内側に置かれた箸で料理をじぶんの口に運ぶ。

それぞれの料理ごとに取り箸があるのではなく、それぞれに置かれている方式は、それはそれで合理的かつ便利でもあって、その方式にすっかりぼくは慣れてしまっている。

ただ、そもそも箸は、なぜ「縦に置かれる」のかということについては、箸が日本で使う箸よりも長いことから、あまり気にしていなかった。

 

張競の著書『中華料理の文化史』(ちくま新書、1997年)を読んでいたら、第六章が「箸よ、おまえもかー宋元時代」と題されていて、「箸はなぜ縦向きに置くのか」ということが追求されている。

日本では箸を横向きに置く。

香港も、中国本土も、箸は縦向きに置かれる。

この「違い」の起源に、張競は仮説をたてながら、研究をすすめていったという。

箸はそもそも中国から日本に伝わってきたものであり、そこから考えると、なぜ日本人は箸を「横に置いた」のか、というように問いが立てられる。

しかし、張競はこれとは逆に、「日本で箸を横向きに置くのを見て、中国も古代はそうだったかもしれない」(前掲書)というように、仮設を立てる。

文献調査をあきらめていたところ、張競の調査研究の道をひらいたのは、「壁画」であった。

唐代の壁画が見つかり、宴会の場面にて、箸が「横向きに置かれている」ことを、張競はいくつかの壁画から確認することで、少なくとも唐代までは中国も箸を横向きにおいていたことを確証する。

 

そうだとすると、いつから、横向きに置く箸は縦向きに置かれるようになったのか、またその契機はなんであったかが問われてくる。

張競はさらに壁画や絵巻などを調査研究するうちに、宋代、遅くとも元の時代には、箸を縦向きに置くことは定着していたと考えられるという。

それではその「契機」として、張競が着目しているのは、唐と宋の時代のあいだに位置する「五代十国の激動の時代」である。

その時代には、北方の騎馬民族がやってきては、王朝を打ち立てていった。

これら民族は、肉を主食とし、「ナイフ」を使う。

食事のときには、ナイフは刃先をじぶんとは逆の方向に、縦向きに置くことになる。

その際に、皇帝をはじめ騎馬民族の高級官僚は無意識のうちに、箸を縦向き置いたのではないかと、張競は書いている。

 

「中国ではもともと箸は横に置かれていたこと」、また「箸を縦向きに置くようになったこと」にかんする時代の特定(宋代)は、壁画や絵巻などから確証できるものでありながら、ナイフの置き方に影響されたという「契機」については、張競の推測が入る。

それでも、この変遷と現代への文化のつらなりは、興味をひくものである。

また、張競は、箸だけでなく、「椅子とテーブル」の使用についても視点をひろげていき、壁画や絵巻などから見ると、宋代のはじめにに現在とほとんど変わらないような状況になったことを突きとめている。

 

いつも見ているテーブルの風景が、このようにちょっとしたことで、色合いが変わってくる。

なんでもない風景が、意味と物語を帯びてくる。

また、そのようなちょっとした視点が、箸だけではないものに飛び火して、好奇心の光源がひかりだしてくる。

異文化という異なる空間(地理)と文化のつらなり、またそこに積みかさなっている時間(歴史)を感じる。
 

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