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ひきつづき、「日本と心」への視点。-「近代科学と心」(河合隼雄)を読みながら。

松岡正剛が「ビフテキと茶碗蒸し」(松山幸雄)という、意外性のある「日本とアメリカ」の対比に触れる考察を取り上げ(2018年5月8日のブログ)、「日本人の会話」について書いた。

松岡正剛が「ビフテキと茶碗蒸し」(松山幸雄)という、意外性のある「日本とアメリカ」の対比に触れる考察を取り上げ(2018年5月8日のブログ)、「日本人の会話」について書いた。

また、日本人のコミュニケーションという視点から、平田オリザが提案している、協調性から社交性へという、コミュニケーションの質の転換について、別のブログ(2018年5月9日)で触れた。

「心からわかりあえなければコニュニケーションではない」という、日本的なコミュニケーションの前提に疑問を付し、「わかりあえないこと」を前提とした社交性のコミュニケーションに活路をひらいている。

 

「対比」と「心」ということを組み合わせてみると、以前は、「日本は心、西洋は物」というような言い方をする人たちもいた。

この対比について、心理学者・心理療法家の河合隼雄が「近代科学と心」というエッセイのなかで、書いている。

1980年末頃のこと、河合隼雄がアメリカの大学を訪れたとき、「日本に臨床心理士はいないのですか」と言われて恥ずかしい思いをしたときのことだ。

そのアメリカの大学は日本の医療の研究を詳細に行なっており、臨床心理士というのがないので不思議に思ったという。

 

 日本人は「自分たちは心を大切にする国民だ」と言って、「西洋の物質文明」に対抗するようなことを言うが、「心の専門家」を大切にしない日本人の方がよほど「物」ばかり大事にしているのではないか、と痛いことを言われた。日本人のなかには経済の成長にともなって、外国に行き、日本文化の優位を述べたりするときに、日本は心で西洋は物などということを単純に割り切って言う人があるので、これに反発している人が先のような質問をすることになるらしい。

河合隼雄『おはなし おはなし』朝日文庫、2008年

 

この文章につづけて、「日本で臨床心理学の発展が欧米の先進国に対して極端に後れをとった理由」について、若干の考察を加えている。

その第一としては、日本が西洋の文明に学ぼうとしはじめたころ、西洋においても臨床心理学などはまだなかったことなどである。

その後、西洋の学問体系を追いつき追いこせとやってきたけれど、ある程度の形ができあがっている日本の大学では、急に新しいものを取り入れるのは難しいといった、大学の学問としての側面についての考察である。

 

それらの視点に学びながら、他方で、ぼくの思考に、松岡正剛と平田オリザたちの思考がはいってくる。

平田オリザが書くように、「心を一つに」などといった「価値観を一つにする方向のコミュニケーション能力」が求められてきていた日本。

そのような協調性の磁場の内にあっては、「心の問題」は見えにくく、語られにくいところにあったのではないかと、ぼくは思う。

しかし、日本の高度成長とともに進む日本的な共同体の解体のなかにおいて、いわゆる個々の自我・自己の問題がより出てくることになる。

そのように近代化のプロセスのなかで、社会と人が、別々にではなく、互いに影響しながら変化してゆく。

経済成長のつづくアジアでは、このような社会と人の変化のなかで、「心の問題」がいっそう表面化してきているし、これからも増えていくものと思われる。

西洋が進んでいて、アジアが進んでいないという問題ではなく、近代化のプロセスを同じように取り入れてきている世界の各地で、あるところで起こった問題は、(形や内実を変形・変容させながらも)いずれ他のところでも起こる可能性がある。

そのような視点において、ぼくは、例えばアメリカで起きてきたことを、なるべく知り、学んでおくようにしている。

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求められる日本人のコミュニケーション能力の質の転換。- 平田オリザが提案する「協調性」に代わる作法。

海外に住み働きながら、以前「あたりまえ」のように思っていたことに、括弧をつけて、距離をとってかんがえなおしてきたもののひとつに、「協調性」というものがある。

海外に住み働きながら、以前「あたりまえ」のように思っていたことに、括弧をつけて、距離をとってかんがえなおしてきたもののひとつに、「協調性」というものがある。

いや、正確に言えば、日本にいるときも、協調性には疑問を付していたと思う。

ただ、それは言葉という以上に、小さいころから、ぼくのなかにプログラムされているものであった。

 

日本の外に出て、「協調性」ではやっていけない(「協調性」がわるいわけではない。生き方は人それぞれだ)。

ざっくり言ってしまえば、そもそもが、日本のような均質な価値観をベースにした社会や環境ではなく、さまざまな価値観のもとで、人びとが生きている。

日本も多様化してきたなぁと思うところもあるし、日本も視点を変えてみてみれば多様性のあるところだけれど、それでも、外部から見てみると、そこにはより均質な価値観がうめこまれているように、見えたりする。

それでも、これからはますます、価値観やライフスタイルが多様になっていく日本を見つめながら、劇作家・演出家の平田オリザは、「日本人に要求されているコミュニケーションの能力の質」の転換を視てとっている。

 

…いままでは、遠くで誰かが決めていることを何となく理解する能力、空気を読むといった能力、あるいは集団論でいえば「心を一つに」「一致団結」といった「価値観を一つにする方向のコミュニケーション能力」が求められてきた。
 しかし、もう日本人はバラバラなのだ。
 さらに、日本のこん狭い国土に住むのは、決して日本文化を前提とした人びとだけではない。
 だから、この新しい時代には、「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力」が求められている。
 私はこれを、「協調性から社交性へ」と呼んできた。

平田オリザ『わかりあえないことからーコミュニケーション能力とは何か』講談社現代新書、2012年

 

「社交性」という概念は丁寧に選びとられている。

平田オリザが言うように、日本社会においては「社交性」という概念がよびおこすのは、「上辺だけのつきあい」「表面上の交際」といったマイナスのイメージであり、また「心とコミュニケーション」がセットになって教えられてきたようなところがある。

そして平田オリザの視線は、「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」ということが、そうではない人たちを排除する論理となっていることへも注がれている。

著書名にあるように、「わかりあえないこと」を前提として、コミュニケーションの可能性をひろいだしている。

平田オリザはコミュニケーションから心をきりはなしたわけではない。

ただし、平田オリザが高校生たちに実際に語りかけるように、「心からわかりあえないんだよ、すぐには」という地点に置かれているということである。

 

この<社交性という作法>は、日本人が海外に出ていくときにも、方法のひとつとすることができるものだと、ぼくは思う。

海外において、集団や組織で「協調性」を(知らず知らずのうちに)もとめるのは、その主体にとっても、また客体(他者)にとっても、よいものではない。

「知らず知らずにもとめる協調性」であるかもしれないから、協調性をいったん括弧に入れて、じぶんの言動を見つめてみる。

<社交性という作法>は、協調性からいったん距離を置くうえでも、ひとつの拠り所となるように思う。

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「比較・対比」による文化・社会の考察。- 松岡正剛による「ビフテキと茶碗蒸し」(松山幸雄)の考察。

ビフテキと茶碗蒸し。まったく意味のわからない並置は、日米文化比較のエッセイ集の著書名である。

ビフテキと茶碗蒸し。

まったく意味のわからない並置は、日米文化比較のエッセイ集の著書名(『ビフテキと茶碗蒸し』暮しの手帖、1994年)である。

書評サイト「松岡正剛の千夜千冊」の1673夜(2018年5月2日)にて、とりあげられた本である。

著者の松山幸雄は朝日新聞のニューヨーク支局長やアメリカ総局長を遍歴した人物。

著書は1994年に発刊され、このエッセイが書かれた時代背景も一昔前ではあるけれど、松岡正剛も指摘するように、「ビフテキと茶碗蒸し」というタイトルの対比は意外なものであり、好奇心をそそられるものだ。

松山幸雄が国際会議に参加しているとき、途中ずっとハンバーグやビフテキだったところ、最終日に行った料理店で出てきた茶碗蒸しに同行者一同が感激したことの体験から、「ビフテキと茶碗蒸し」にアメリカと日本の違いを見てとったという。

 

このような文化の比較・対比は、松岡正剛がここで例を挙げているように、これまでもさまざまに語られてきた。

そのような比較・対比が語られるようになってきた流れを、例えばルース・ベネディクト『菊と刀』などに見ながら、松岡正剛も、きりっとした比較・対比を文章にもりこんでいる。

「訴訟するアメリカ、自粛する日本」や「以言伝心のアメリカ社会、以心伝心の日本社会」などの側面を、博識と慧眼に支えられた視点で書いている。

ぼくがおもしろく読んだ箇所は、「過剰サービス社会の日本」という文脈で、アメリカの作家スーザン・ソンタグと松岡正剛が国鉄に乗っていたときのやりとりである。

 

 本書には、ラッシュ時の駅のアナウンスが「降りる人がすんでから、すいている扉から順にお乗りください」と言っている例が出ていたが、ぼくもスーザン・ソンタグ(695夜)と国電に乗ってアナウンスや貼紙の文言を尋ねられたときは、いやになった。「いま、何て言ったの?」「電車が入りますから、白線より下がってお待ちくださいって言った」「いまのアナウンスは?」「前の人に続いて順にお乗りください」「その次のは?」「閉まる扉にご注意ください」「あっそう。これは、なんて書いてあるの?」「指がはさまれるのをご注意ください」。ソンタグは呆れ、「日本人ってそこまで言われないとわからないのね」。
 いや、言われないとわからないのではなく、「サービス過剰」と「言わずもがな」と「責任回避」が一緒くたなのである。ソンタグは遠慮なく追い打ちをかけてきた。「どの駅でも同じことを言っているの?」、ぼく「そうね」。ソンタグ「公衆道徳はどこにあるの?」、ぼく「公示するんだね」。「ふうん、自主性を教えられていないのね」、ぼく「そうだ」。そう言うしかない。

「松岡正剛の千夜千冊」1673夜(2018年5月2日)

 

「あの」スーザン・ソンタグがどのように日本社会を観たのかということ、またその視点の新鮮さ、さらに松岡正剛の応答と考察を、ぼくは興味深く読んだ。

 

さらに、著者の松山幸雄がかなり苛立っているという「日本人の会話力」についての松岡正剛の考察も、海外に住んできたぼくとしては、やはり耳を傾けたくなる。

 

 英語はうまくなる必要はない。発音も二の次でいい。要めになる単語をはっきり言えば、あとはもぐもぐしてもいい。それよりも「何を話すか」「何を話しているか」を方向づけ、そこを強調したほうがいいに決まっているのだが、ところがこれがへたくそだ。ぼくは同時通訳のグループを10年ほど預かって、いかに日本人の会話やスピーチの通訳が厄介か、要約するのが困難か、かれらから何十回となく聞かされてきた。白洲正子(893夜)もずっとそう感じていたようだ。『白洲正子自伝』(新潮文庫)に、英米人は日本人が何を話しているのかわからないといつも言っているという話を書いていた。

「松岡正剛の千夜千冊」1673夜(2018年5月2日)

 

このようにとてもストレートに、松岡正剛は書いている。

ぼくは会話や会議や議論でこのような失敗をいっぱいしてきたうえで言うのだけれど、松岡正剛の意見に同感である。

アメリカなどに限らず、アジアにおいても、日本人が「何を話しているのかわからない」と感じる人たちに、ぼくは数えきれないほど出会ってきたのだ。

なお、松岡正剛はこの会話力の文脈の流れで、「ディベート」についても言及し、独自の視点を一気にさしこんでいる。

 

このような「比較・対比」は、じぶんを知り、他者を知り、そしてその間の距離を確かめ、柔軟に実践していくことにおいて、有効な方法のひとつである。

もちろん、それは事象の側面をわかりやすくきりとったものであり、「わかりやすさ」が切り捨ててしまう側面もある。

また、そのような比較・対比が「偏見化」してしまい、実際の事象を観るときに、見方を固定してしまう可能性もある。

そのような負の側面を考慮しつつ、それでも、有効な方法のひとつとして、ぼくたちはそこから学び、そこにとどまるのではなく、そこから思考や考察をひろげてゆくことができる。

 

それにしても、「ビフテキと茶碗蒸し」は意外な対比であった。

ここ香港で言えば、この意外性に相当するものは何だろうかと、ついつい、かんがえてしまう(けれど、思いつかない)。

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「人間の生き方における究極の三次元」(C.W. モリス)にかんする真木悠介の考察。- 「生のあり方」をかんがえる視点。

社会学者である真木悠介の考察に、「プロメテウスとディオニソスーわれわれの「時」のきらめき」と題されたものがある。

社会学者である真木悠介の考察に、「プロメテウスとディオニソスーわれわれの「時」のきらめき」と題されたものがある。

そのタイトルだけではその内容が定かではないけれど、「交響するコミューン」というシリーズにおいて、1973年に誌上で連載され、そのシリーズの最後に書かれた文章である。

文章は名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)に収められ、この著書の最後におかれている。

ぼくたちの「生のあり方」を、ひとまず、全体像のなかにおさめる試みで、(短いけれど)深い考察に充ちた内容となっている。

 

文章は次のように書き始められている。

 

 われわれの日々の生活は、未来にある目標によって充実することもできるし、現在における交感によって充実することもできる。すなわちわれわれの<今、ここにある自分>の生は、その内に未来を抱くことで充たされることもできるし、他者(人びとや自然)を抱くことで充たされることもできる。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

こう書き出してから、真木悠介は次のようにひとまず呼んでいる。

 

●「未来によって充たされる生のあり方」=「プロメテウス的な生」

●「他者によって充たされる生のあり方」=「ディオニソス的な生」

 

「プロメテウス」は文明の英雄(文明を構築する人類の、労働・生産・創造・前進の英雄)であり、「ディオニソス」は反文明の英雄(人間と神・自然、人間と人間を和解させるイメージ)である。

ここで真木悠介は、C.W.モリスによる比較研究(キリスト、ブッダ、マホメッド、孔子、老・荘、エピクロス、ストア派、アポロン・ディオニソス・プロメテウスの神話等々の比較研究)をとおして導きだされた「人間の生き方における究極の三次元」にふれ、次の3つの要因について書いている(※前掲書より)。

 

(1)プロメテウス要因(創造・生産・克服・支配・変革・活動・努力・労働など)

(2)ディオニソス要因(交感・融合・共感・愛・連帯・集団的享受・感受性など)

(3)ブッダ要因(解脱・超越・瞑想・自己認識・自己統一性など)

 

これらの3つの要因が「円」をつくるようにして描かれ、互いに影響し、均衡をとっている(本書ではさらにその他の「原理」も複合的に描かれているけれど、ここでは省略する)。

 

 私自身の志向するところはもちろん、一つの社会の内部においても、一つの集団の内においても、一人の生涯のうちにおいても、プロメテウス的、ディオニソス的、ブッダ的な生を、相互に増幅し徹底化する交響性として実現することにある。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

真木悠介はそのように「生のあり方」のイメージを語ったうえで、具体的な形態については、あらかじめプログラムされるべきものではなく、そのつどに創出するものとしている。

 

『気流の鳴る音』の本編とは別の章で展開される文書ということもあって、ぼくはあまり深くは読んでこなかった文章でもあるけれど、よく読んでみると、「生のあり方」の本質にするどくきりこんでいる考察でもあることに気づく。

「ではどうすればいいの?」と方法ばかりを他者に依存する人たちにとっては、上述のとおり「具体的な形態」は語られていないから、物足りなさが残るかもしれない。

しかし、「具体的な形態」は、ぼくたちひとりひとりに託されていることである。

「プログラム化された方法」は、ぼくたちを狭い方法と生のあり方に閉じ込めてしまうだろう。

 

20世紀は「プロメテウス要因」が、社会や集団や個人の生を牽引してきた時代であった。

ディオニソス要因とブッダ要因に照らされた活動や人びとの生が、あらゆるところに現出しながら、これからの時代の方向性をつくろうとしているように、ぼくには見える。

これからの開かれてゆく社会とひとりひとりの生のなかで、3つの要因が「相互に増幅し徹底化する交響性」として実現される方向に、「生のあり方」をかんがえてみることができる。

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「浜松まつり」という恍惚。- 「最も奥深い<遊>の極地」(真木悠介)という視点から。

海外に住んでいても、日本のゴールデンウィークの時期には、生まれ故郷の「浜松まつり」のことを思い出すことになる。

海外に住んでいても、日本のゴールデンウィークの時期には、生まれ故郷の「浜松まつり」のことを思い出すことになる。

「浜松まつり」は、毎年5月3日~5月5日に行われ、この3日間、朝から夜まで、凧揚げ合戦、練り、御殿屋台の引き回しなどがくりひろげられる。

「浜松まつり公式ウェブサイト」によれば、子どもの誕生を祝う凧揚げの伝統は、一説では16世紀半ばに起源をもつとも言われている。

それぞれの町がひとつの組織となり、近年では170を超える町(御殿屋台引き回しは80を超える町)が参加しているようだ。

初子の誕生を祝って「初凧」が揚げられ、また「糸切り合戦」がくりひろげられる。

夕方からは市の中心街に場所をうつし、練りと御殿屋台の引き回しが街頭を熱気と煌びやかさで彩る。

この3日間、「浜松」は、その様相をまったく変えてしまう。

これほどの規模と伝統でつづいている「まつり」は、世界でもそれほど多くはないのではないかと、ぼくは思う。

 

「まつり」をとおして、ぼくたちは、人や社会の異なる位相に出会う。

日常性から離れた世界である。

まつりのために「法被(はっぴ)」を着ることで、ぼくたちはこの「異世界」へ入り込む準備をする。

男の子も、女の子も、普段とは異なる姿で、大人たちと一緒に、まつりの世界に入っていく。

普段は車が通る「道路」を、ラッパの音を鳴り響かせながら、練り歩く。

普段の道路が、「道路」ではなくなる。

 

社会学者の真木悠介は、ブラジルのカルナバルの体験を綴りながら、次のように書いている。

 

<聖・俗・遊>というカイヨワの卓抜な人間世界の構図。ホイジンガーが<聖・俗>二元論の中で、遊びを聖なる領域としたのを批判して、遊びはむしろ聖の対極に立つことをカイヨワは指摘する。<俗>なる日常世界を中点に、<聖>はいっそうの厳粛と緊張の時、<遊>はいっそうの奔放と自在の時だ。
 しかし同時にこの対極をあえて同一のものとみたホイジンガーの直観にもまた、心理は含まれているはずだ。最も奥深い<聖>の極地と最も奥深い<遊>の極地…。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

1970年代半ばのブラジルのカルナバルを前に、「カルナバルの三日四晩のために、カリオカ(リオっ子)は一年間働いた金をほんとうに使い果たしてしまう」(前掲書)ほどの熱気に包まれながら、真木悠介は、とても美しい筆致で、体験を綴っている。

「浜松市」が、在日ブラジル人コミュニティの中心都市となっていることは、産業都市ということがまずはあったのだろうことは、想像に難くない。

けれども、(前夜祭含め)三日四晩の「浜松まつり」に全身全霊をかける人たちと、三日四晩の「カルナバル」に全身全霊をかける人たちの、生のあり方と楽しみ方の通底性も見てとれるのではないかと、ぼくは思う。

 

今日(5月6日)は、3日間で177万人の人出(「浜松まつり閉幕 3日間の人出177万人」静岡新聞)であった浜松まつりが閉幕しての翌日。

三日四晩の恍惚のなかに散開した生のひとときを胸に、ゆっくりと眠りについているのかもしれない。

そして、人は、<俗>の領域へと、ふたたび立ち上がってゆく。

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言葉・言語, 村上春樹 Jun Nakajima 言葉・言語, 村上春樹 Jun Nakajima

吉本隆明の「声」に、耳をすます。- ほぼ日「吉本隆明の183講演」の、はるかな宇宙。

糸井重里主宰の「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)のアーカイブに、「吉本隆明の183講演」という、心躍らせる講演アーカイブがある。

糸井重里主宰の「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)のアーカイブに、「吉本隆明の183講演」という、心躍らせる講演アーカイブがある。

「1960年代から2008年の「芸術言語論」に至るまでの思想家の吉本隆明さんの講演をできるかぎり集めてデジタルアーカイブ化したもの」(ほぼ日「吉本隆明さんの講演について」)である。

思想家・詩人・文芸批評家の吉本隆明(1924年~2012年)は今の大学生の世代にはあまり知られておらず、また読まれていないと推測するけれど、思想家として多くの人たちに影響を与えてきた「巨人」である。

ちなみに、作家のよしもとばななは、吉本隆明の次女である。

ぼくは20年以上前に、大学に在籍していた折、社会学者の見田宗介、作家の辺見庸などを読んでいて、「吉本隆明」の名を知るようになった。

吉本隆明の著作も『共同幻想論』や『心的現象論序説』や『宮沢賢治』などを手にとってはみるのだけれど、吉本隆明の世界の深淵に、ただ立ち尽くすだけであった。

だから、これらの著作を今また手にとっては、その深淵をのぞきこんでいる。

 

「吉本隆明の183講演」のアーカイブの存在は、ぼくの心を躍らせた。

あの吉本隆明の講演が、183本もある。

分数の総計では、21746分にもなるという。

いくつかの講演のトピックをあげると、「フロイトおよびユングの人間把握の問題点」「宮沢賢治の世界」「現代詩の思想」「ドストエフスキーのアジア」「日本資本主義のすがた」「都市を語る」「ぼくの見た東京」「文学論」「恋愛について」「家族の問題とはどういうことか」「私と生涯学習」「社会現象としての宗教」「「生きること」について」「現代をどう生きるか」などなど、心踊るものばかりだ。

ひとつの講演のために論文を書くほどに労力をついやしていたこともあったという(そのことはぼくに、経済学者アマルティア・センの講演を思い起こさせる)。

iPhoneの「Podcasts」でも聞けるようになっているから、ぼくたちはいつでも、この巨人の「声」に耳をすますことができる。

 

ざっと講演リストに目をやり、最近のぼくの関心事である「物語」というキーワードがぼくをとめ、A162「物語について」(1994年)という講演を、ぼくは再生する。

吉本隆明の、あの(当初は想像しなかった)太い声が語りはじめる。

その「声」は、自信にみちあふれたような太い声ではなく、ゆらぎのなかを、一歩一歩たしかめるようにあゆむ声である。

その「声」は、人を(少なくともぼくを)ひきつけるものである。

その声は、次のように語り出す。

 

今日は「物語について」ということで、何をお話ししようかと思って、僕自身の物語についての考え方というか考察があるので、それをお話しすればいいかなと思ったんですが、たまたま出たばかりの『新潮』という雑誌に村上春樹と心理学者の河合さんの対談が載っていて、その対談が「現代の物語とは何か」という内容になっています。ちょうどこの人の『ねじまき鳥クロニクル』がベストセラーになっていて、自作の解説みたいなこともしていますから、これは入り口にはちょうどいいんじゃないかと思うので、そこから入っていきたいと思います。

テキスト「物語について」『吉本隆明の183講演』

 

ぼくはその語りを聴きながら、ある「偶然」にびっくりしてしまう。

「村上春樹と河合隼雄」に関するブログを書いたすぐ後に、吉本隆明の「物語について」という講演を再生して、まったく予測もしていなかったところに、「村上春樹と河合隼雄」が冒頭で登場する。

ぼくはその「偶然」におどろかされながら、吉本隆明の「村上春樹論」は読んだことも、聴いたこともなかったなぁと思いながら、興味深く、吉本隆明の「思想の声」に聴き入った。

また、吉本隆明自身の「僕自身の物語についての考え方というか考察」はやはり深い世界にぼくをなげこむのである。

183の講演、21746分の声とその声の「行間」から、ぼくはどんなことをまなぶのだろうかと、吉本隆明の思想の深淵をやはり感じながら、ぼくは静かに、耳をすませている。

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「…先生」と呼んでしまう人。- 村上春樹にとっての「河合先生」(河合隼雄氏)のことから。

ここ香港で話される「…先生(sin sang)」は、成人男性に対する呼び名だから、ぼくはときに「先生(sin sang)」と呼びかけられたりするのだけれど、ここでは日本の「先生」のことを書いている。

ここ香港で話される「…先生(sin sang)」は、成人男性に対する呼び名だから、ぼくはときに「先生(sin sang)」と呼びかけられたりするのだけれど、ここでは日本の「先生」のことを書いている。

学校を卒業してしまうと、普段の生活のなかでは、特定の仕事にかかわる場合をのぞいて、「先生」と呼ぶ人はあまりいないように思う。

そのことがよいことなのか、わるいことなのか、それは人それぞれであろう。

 

ぼくにとっては、まず、社会学者の見田宗介「先生」の存在が大きい。

別に普段お会いするわけでもなく、カルチャーセンターの講義を一度だけ聴講したことがあるだけなのだけれど、やはり、「見田宗介先生」である。

文章を書いているときは、「先生」を外すことが多いけれど、心のなかでは「見田宗介先生」である。

しかし、見田宗介先生のペンネームである「真木悠介」となると、事情は微妙に異なってくるかもしれない。

真木悠介氏としての見田宗介先生にお会いするのであればどうだろうかと、ぼくはかんがえてしまう。

 

小説家の村上春樹にとっては、自身も「先生」づけで呼ばれることはないし、また「先生」づけで呼ぶ人はいないけれど、今は亡き、心理学者・心理療法家の河合隼雄氏だけは、なぜか「河合先生」と呼んでしまうのだという(村上春樹「「河合先生」と「河合隼雄」」『雑文集』新潮社)。

とくに、河合隼雄氏の学生でもないし、彼のクライアントでもないし、尊敬はしているけれど「人生の師」でもない河合隼雄氏を呼ぶときに、対面していなくても、「河合先生がね…」というように、「河合先生」と呼んでしまう。

そこには「何か理由がある」はずだと思ってみると、周りの人たちの多くが「河合先生」と呼んでいて、だいたい8(「河合先生」)対2(「河合さん」)の割合のように感じられるというのだ。

こうして、村上春樹は「理由」をじぶんなりにいろいろとかんがえていく。

 

…いろいろと僕なりに考えてみたのだけど(小説家というのは暇だから、いろんなことをわりにしつこく考える)、考えているうちにだんだん、要するに河合隼雄氏は、半ば意図的に「河合先生」という衣を身にまとおうとしているのではあるまいか、という気がしてきた。…要するに「かわい先生」と呼ばれることを、ごく自然ににこにこと受け入れることによって、自分を「河合先生」と「河合隼雄」とにうまい具合に分離し、使い分けているわけではないだろうか。もしそうだとしたら、さすが心理療法の専門家だけのことはあるなと思う。…

村上春樹「「河合先生」と「河合隼雄」」『雑文集』新潮社

 

村上春樹がこの文章に続いて書いているとおり、そんなことは簡単にできることではない芸当である。

でも、村上春樹が河合隼雄と個人的に話をしていると、「河合隼雄」と「河合先生」のモードが入れ替わることがあったという。

 

 たまにお目にかかって個人的に話をしていると、目の前で河合隼雄氏と河合先生のモードがすっと入れ替わったりすることがある。というか、こちらの目から見ていると、そういう風に感じられることがある。まるで風の方向で、森の中の木漏れ日がその印象を変えたりするのと同じように、顔つきがわずかに変化する。目の光り具合や、声のトーンがほんの少しだけ変化する。とはいっても、それで具体的に何かが変わるということではない。…

村上春樹「「河合先生」と「河合隼雄」」『雑文集』新潮社

 

このように察知する村上春樹の感覚と考えは、とても興味深い。

 

見田宗介先生についても、「見田宗介」名においては、大学の教員としての衣を身にまとっているところがある。

真木悠介名で書かれる著作たちは、世に容れられることを一切期待しないものである。

河合隼雄氏にとっては「心理(療法)」を軸にするモード変化であるように、見田宗介氏にとっては「社会」(世間)を軸にするモード変化のようにも見える。

いずれにしても、河合隼雄氏はぼくにとっても「河合隼雄先生」であり、見田宗介氏は「見田宗介先生」である。

ぼくが尊敬してやまない「先生」たちだ。

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「積読本」はいつでも、ぼくたちのために<スタンバイ>している。- 積読本の効用。

「積読本」については、それ自体を否定的に語る人たちもいるけれど、最近ではそのメリットを語る人たちも多いように見受けられる。

「積読本」については、それ自体を否定的に語る人たちもいるけれど、最近ではそのメリットを語る人たちも多いように見受けられる。

そのように見受けられるのは、ただ単に、じぶんが「メリット」を見たいだけなのかもしれない。

「買っても読まない」という声がどこからか聞こえて、これまでにも「積読・積読本」に罪悪感を感じることもあったけれども、根本的には、ぼくは「積読・積読本」のメリットを信じている。

信じているから、そのような仕方で、現実が現れてくる。

 

「積読・積読本」のメリットを挙げるとすれば、次のようになる。

 

(1)本との<関係性>の構築

本を購入するということで、ぼくたちは、その本と<関係性>を構築することになる。

世界を旅していてある人に出会い、声をかけようか迷ったときに、声を掛けそびれてしまうと、ぼくたちはそこに関係を築くことができないように、購入することでぼくたちは<関係性>を構築できる。

もちろん、今の時代、ネット検索で本は見つけることができるのだけれど、ある本に出会ってから後年になると、そのタイトルや著者名がなかなか思い出せなかったりする。

これだけ「情報」であふれる世界において、出会いの記憶は遠のきがちだ。

購入の「Wishリスト」に入れておくというのもひとつだけれど、Wishリストもたまりはじめると、昔のリストが遠のいていく。

また、読み放題で読むことも手のひとつであるけれど、条件や個々の嗜好もある。

さらに、アマゾンKindleなどでは「サンプル」をダウンロードしておくこともひとつであり、ぼくも利用するけれど、ぼくと本との<関係性>ということで言えば、質的な違いがそこには感じられる。

だから、「この本こそは…」と思った本は、やはり手に入れておきたい。

 

(2)本の<存在感>に導かれる

「この本こそは…」と思った「積読本」は、そこに<存在感>をたたえている。

本の詳細を読まず、その<存在感>(タイトルや著者名や装丁などのつくりだす存在感)だけでも、日々の思考やアイデアや感情を刺激してくれる。

その刺激は、本の内容にはあまり関係ないこともあるかもしれないけれど、なんらかの方向に、ぼくたちの生を導いていったりする。

 

(3)本はいつでも<スタンバイ>している

「積読本」は、いつでも、ぼくたちのために<スタンバイ>している。

準備を整えてくれている。

そうして、ぼくたちが必要とするようなタイミングにおいて、ぼくたちの前に現れ、やはり、何かを差し出してくれるように思う。

例えば5年以上も「積読本」として存在していた本を、あるとき、ふと、ぼくは読みたくなる。

本をひらくと、そこにはやはり、ぼくがそのときに必要としていることが書かれていて、ぼくを助けてくれる。

準備ができたときに師は現れるように、準備ができたときにスタンバイしていた積読本はぼくたちに必要なものをとどけてくれる。

本を手にしたとき、いずれ必要になることを、ぼくの無意識は「知っていた」のだと言うこともできる。

 

ぼくはそのようにして、今日も、積読本の一冊を、ひらく。

購入してから何年も経過していた本だけれど、その本は、ぼくのために<スタンバイ>してくれている。

野球やサッカーのベンチ控え選手のように、身体を暖めながら、スタンバイしていてくれる。

そうして、代打や交代の選手がゲームをひっくり返すこともあるように、そのときの「じぶん」の内面の流れを大きく変えてくれることもあるのだ。

そんな日がくることを、積読本はあたかも知っていたかのように。

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「虚構の時代」の深まっていく時代に。- 「次にくる時代」をいま生きる方向へ舵をとる。

社会学者の見田宗介は、今ではよく知られる論考において、1945年以降における日本の現代社会史を、「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)にふれながら、また日本の「高度成長期」とも絡めながら、3つの時期の特徴を語った。

🤳 by Jun Nakajima

 

社会学者の見田宗介は、今ではよく知られる論考において、1945年以降における日本の現代社会史を、「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)にふれながら、また日本の「高度成長期」とも絡めながら、3つの時期の特徴を語った(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。

 

  1. 「理想」の時代:人びとが<理想>に生きようとした時代(1945年~1960年頃:プレ高度成長期)

  2. 「夢」の時代:人びとが<夢>に生きようとした時代(1960年~1970年前半:高度成長期)

  3. 「虚構」の時代:人びとが<虚構>に生きようとした時代(1970年後半:ポスト高度成長期)

 

この区分と特徴をぼくが知ったのは2000年頃のことであったけれど、それは「眼」を見開かせるような経験であった。

どのような時代を超え、そしてぼくはどのような時代に生きているのかを知るだけでも、ぼくにとっての「世界の見え方」はおどろくほどに変わり、「世界の出来事」を視る眼も変わった。

 

見田宗介は、この論文を書いた1991年以後、「虚構の時代」の後にくる時代についてよく聞かれることになる。

 

「バーチャルの時代」というふうに僕も言ったことがありますが、それは結局、虚構の時代の延長なのです。虚構の時代がもっと深まって居直っただけであって、結局、高度成長期の前と真ん中と後ということだと思います。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年

 

2010年に行われた講演会の質疑応答で、見田宗介はこのように、「虚構の時代の後」を語っている。

 

そうすると、この「虚構の時代」の深まっていく形は、どこまで続いてゆくのだろう、という疑問が、おそらく次に立てられるかもしれない。

ここで、見田宗介が別に展開する太い線、つまり、人類の人口増加率と社会の推移を視野にいれることになる。

見田宗介は、人口増加率の観点から、人類は「第II期:高度成長」から「第Ⅲ期:安定平衡」の時期に入らなければいけない時代にきていることにふれながら、上述の講演での質疑応答で、続けて次のように語っている。

 

…人類の全体の人口の増加率を見ると、もうすでに第Ⅲの時期に入らなければいけない時代にきているけれど、第Ⅱ期の高度成長をいつまでも続けよう、また高度成長を復活させようなんていう政治家とかまだいますからね。そうすると人気が出たりする。そういうメンタリティーとか社会システムが非常に力強くまだ働き続けているものだから、環境限界に達した後、実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ないのです。欲望を作り出すとか、フィクションの世界で無限に商品を売るとかね。
 そうすると、本当に第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむという時代が来るまでは虚構の時代であらざるを得ないと思うんです。…第Ⅱ期が終わった後の第Ⅲ期がはじまるまでのいわば中間であって、無理やりに第Ⅱ期的な高度成長を続けようと思えば、虚構の時代にならざるを得ない。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年

 

2010年に語られた内容だけれど、ますます、現代の社会の状況を照らし出す明晰な分析と理解を、ここに見てとることができる。

無理やりに高度成長を続けていこうとする/復活させるような時代において、「虚構の時代」が要請されてしまうなかに、ぼくたちはいる。

「実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ない」と見田宗介が語るように、そのような現実の現象が、社会のあらゆるところで見られる。

情報通信技術がそこに重なりながら、「フィクション」はますますフィクション性を強め、巧妙になってきているなかで、「虚構の時代」はますます深まっている。

 

そのような時代にあって、時代を見晴るかす視点をもち、時代に垂直に立ち、そして「第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむ時代」を現実に生きながら、きりひらいてゆくところに、ぼくは照準を定めている。

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物語・ストーリー Jun Nakajima 物語・ストーリー Jun Nakajima

会社・ビジネスの「物語性」。- 平川克美『一回半ひねりの働き方 反戦略的ビジネスのすすめ』の視点。

「会社」ということも、<物語>として見ていくこと、また実際に<物語>として関わっていくことが、より深みをつくっていくものであると、ぼくはかんがえる。

「会社」ということも、<物語>として見ていくこと、また実際に<物語>として関わっていくことが、より深みをつくっていくものであると、ぼくはかんがえる。

平川克美は著書『一回半ひねりの働き方 反戦略的ビジネスのすすめ』(角川新書)のなかで、アメリカの戦略的な思考にもとづく企業論・経営論などにはなくて、かつての日本の企業文化のなかにあったものとして、この会社の「物語性」を挙げている。

 

平川克美は「物語性」の定義として、第1に、物語それ自体で自己完結しているひとつの世界であること、また第2に、現実とは異なる物語固有の時間が流れていることにふれている。

第2のことについては、例えば、利潤追求という共通の目的に向かう会社という考え方には、均質的で無機的な時間をつくっていくという機能主義的な側面があるだけで、そこには「固有の時間」がないとされている。

利潤追求においては「結果」が重要であるのに対し、「固有の時間」はプロセスのなかにしかない、という見方である。

自身も経営者であり続けてきた平川克美は、「会社をつくること」とは、生活のための手段の獲得ではなく、「わたしたち自身の世界を作ってゆくこと」であり、また会社がひとつの「幻想共同体」をつくっていくことであるということを学んできたのだと語る。

 

この「固有の時間」ということは、とても大切なことであるように思われる。

それは、時計の時間のように無機質な時間に還元されるのではなく、そこに生きる人たちがともに共有する、時計的な時間に還元できない時間だ。

ぼくたちが「生きる」ということの本質も、ただ単に、時計の時間が動いていくなかでの出来事の生起ではなく、固有の<他者たち>との間の<固有の時間>の共有であるように思われる。

 

このように、会社を「複数の人間が何らかの幻想を共有して経済活動をしてゆくひとつの「生成」」として捉えるとして、では、どのようにその生成の物語が語られるのかということへ、平川克美は問いをうつしていく。

そして、会社の物語も、人それぞれの物語と同様の困難さを抱えているとし、そしてデータの積み重ねでは物語にはならないとしながら、「物語」という形式で語ることを人に選ばせる理由を、次のように書いている。

 

…その人間がひとつの行為をどのような理由によって選択し(あるいはその選択によって何を断念し)、そのときにどのような意図、決意、逡巡があり、その行為がどのようなプロセスを経てひとつの結果になったのか、という「時間」の秘密を共有する他はないはずです。つまり、ともに苦労し、ともに喜びを分かつという「経験」に出逢う必要がある。

 会社についても事情は同じです。ひとつの会社が登記され、仲間が集い、商品を作り、顧客と関係を結び、取引が行われ、仲間が増え、組織が生まれ、成長してゆくというプロセスも、「物語」という形式でしか語りえないものがあるというわけです。

平川克美『一回半ひねりの働き方 反戦略的ビジネスのすすめ』角川新書


このように、会社の物語は、その生成のプロセスに意味をあたえてゆくものである。

そのようにして、物語は語られる。

 

さらに、平川克美は、会社生成の「物語」がどのように紡ぎ出されて、何を汲み取ることができるのかという問いを立てる。

平川克美は、会社生成の「物語」とは、会社の履歴をつらねる調査レポートのようなもの(「メンバーたちが何を成し遂げて、現在どのような商品と顧客を持ち、売り上げがいくらで、資産がどのくらいあり…」)ではなく、また回顧譚でもないとしながら、次のように書いている。

 

 自分たちがどのようにして会社にかかわったのか、それが自分たちをどのように変えていったのか、あるいは自分にとって会社とは何であり、今それが何を意味しているのか、といった自己言及の物語こそ、わたしが物語と呼んでいるものなのです。その自己言及の束こそが、会社の物語であるわけです。

 …経営者には自らの「想い」と、今ここにある結果としての「会社の姿」との間の「ズレ」についての物語を語りたいという欲求があり、それこそが会社の哲学として、会社の従業員を会社へと向かわせるモチベーションを駆動するものであると言えるでしょう。

平川克美『一回半ひねりの働き方 反戦略的ビジネスのすすめ』角川新書

 

この「ズレ」への視点を、ぼくはこの本を通して、平川克美から教えられた。

このような会社の「物語」が必要である理由を、「わたしたち」個人と「わたしたちの会社」の相互の「ズレ」がこれから先どのように運動してゆくのか知りたくなる、ということにあると、平川克美は書いている。

この視点は、「会社」だけの視点ではなく、個人の物語と会社の物語の相互作用をひきうけながら、そこに「働く」ということの本質をみてとる視点に支えられている(本書にて「なぜ働く」のかという、答えのない問いに差し迫っている)。

「個人の物語」と「会社の物語」の相互作用については、ひきつづき、ぼくも視点をとりこみながら、見ていきたいところである。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

男性が抱え込みがちなモノとしての「本」。- 「知識コンプレックス」を乗り越えてゆく。

「断捨離」で有名な、やましたひでこ。

「断捨離」で有名な、やましたひでこ。

ここ香港でも、著作の中国語版が書店にならんでいる。

そのやましたひでこは、著書『大人の断捨離手帖』(学研)のなかで、男性が抱え込みがちなモノ、女性がため込みがちなモノにふれて、次のように述べている。

 

 特に、男性は、プライドを大事にする生き物。「自己重要感」を満たしてくれるモノ、「自分はすごい!」とアピールできるモノを抱え込みがちです。
 …
 女性は、誰からも愛されたい生き物。「承認欲求」を満たしてくれるモノをため込みがちです。

やましたひでこ『大人の断捨離手帖』学研プラス、2015年

 

このような傾向を見てとりながら、実例として、次のようなものを挙げている。

<男性>

  1. コレクター商品:フィギアや骨董、レコードなど
  2. ネクタイ

<女性>

  1. キッチン道具類
  2. 洋服
  3. 容れ物

大切なことは、これらに照らし合わせながら、じぶんがどうこう、家族がどうこうと言うこと以上に、それらを通じてじぶんを見つめなおしていくことである。

ぼくは、これらの例を見ながら、たくさんある「本」を通じて、じぶんを見なおす。

やましたひでこは、男性が本を抱え込む背景には、「知識コンプレックス」が潜んでいる可能性があるという。

かしこく思われたいなど、周囲から一目置かれたい欲求というわけだ。

ぼくにとって「本」の存在は、それ自体で歓びのあるようなものであるけれど、購入しても読んでいない本の「山」や「リスト」(電子書籍)を見ていると、そのような欲求があったことを、ぼくは見てとる。

しかし、やましたひでこの言う「知識コンプレックス」ということ以上に、知識は、ぼくの「武装」でもあったように思う。

それは、「知識武装」ということが、何かを解決することへの<攻め>を示唆すると同時に、「武装」という言葉に隠れる「じぶんを守る」という<守り>の感情があるように、ぼくは思う。

その感情は、ひとつの「怖れ」のようなものだ。

「知る」ことで、ぼくたちは、世界をじぶんが説明できる「ことば」に置き換えて、安心をえる。

 

やましたひでこは、「モノをためこむ3つの心理タイプ」として、次のように書いている。

「モノをためこむ3つの心理タイプ」

(1)現実逃避型
(2)過去執着型
(3)未来不安型

これらの「型」はとても整然とまとめられていて、ぼくたちの「心」を見つめる際に、とても役に立つ視点である。

そして、やましたひでこは、これらの型すべてに「共通する心理パターン」として、次のように明晰に語っている。

 

 それは、どの型の場合も、モノをため込む心理のもとにあるのは「怖れ」だということ。
 現実を見たくない。過去の栄光を手放したくない。将来困りたくない。
 こうした怖れが、「執着心」を呼び起こします。別の言い方をすれば、私たちの心の弱点が、モノをため込ませるのです。

やましたひでこ『大人の断捨離手帖』学研プラス、2015年

 

このような「怖れ」を、それもよしとしながら、どこかで反転させてゆくことが、生きることをひらいていくことになる。

「片づけること」は、そのような反転のプロセスにおいて、とても効果的な手段である。

 

「本」は、しかし、読めば読むほどに、その経験を深く突破していけばいくほど、「ぼくは何も知らない」ということを、ぼくに教えてくれる。

知っているけれど、知らないという逆説のなかに、ぼくは絶えず置かれてゆくことになる。

でも、「知らない」ということが、いわゆる<ない>という否定性のなかに置かれるのではなく、逆に、「wonder」(なんだろう)と表現できるような果てしない好奇心の方へ突き抜けてゆくところに、ぼくにとっての「本」がある。

そして、そうなると、「本」だけではなく、実際に体験する方へと、生をひらいてもいくのだ。

パウロ・コエーリョの作品『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年)の物語において、錬金術を本で学んできた少年サンチャゴに対して、学ぶ方法は「行動を通してだ」と、錬金術師が導くように。

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書籍 Jun Nakajima 書籍 Jun Nakajima

名作『アルケミスト』(パウロ・コエーリョ)の世界。- ユングの読み解く「錬金術」を重ねながら。

ブラジル人作家パウロ・コエーリョの作品『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳)。

ブラジル人作家パウロ・コエーリョの作品『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳)。

原作は1988年にブラジルで発刊され、その後、空間を時空を超えて、今でも世界中で読み継がれている。

ぼくがこの本に出会ったのは、この角川文庫ソフィア版が出たころだと思う。

山川夫妻の名訳に支えられたこの日本語版を読んで、ぼくは深く心を動かされ、その「物語」は、ぼくの生きるということの物語にとけこんでいるようにさえ、感じることがある。

今でもときおり、ぼくはこの本をひらく。

 

羊飼いの少年サンチャゴが、宝物が隠されているという夢を信じて、アンダルシアの平原から、エジプトのピラミッドに向けて旅をするという仕方で、展開されてゆく。

本のタイトルにあるように、「アルケミスト=錬金術師」が物語において大切な役を担い、少年の旅は導かれていく。

旅をつづける少年は、ようやく、この錬金術師に出会うことができる。

その出会いの「理由」を、錬金術師は、尋ねる少年に対して、遠回しに告げる。

 

「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」と錬金術師は言った。…少年は理解した。自分の運命に向かうために、もう一人の人物が助けに現れたのだった。
「それで、あなたは僕に何か教えてくださるのですね」
「いや、おまえはすでに必要なことはすべて知っている。わしはおまえをおまえの宝物の方向に向けさせようとするだけだ」

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳

 

「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」は、この作品のなかで現れる名言のなかの名言である。

 

「錬金術師」の響きは魅惑的である。

これまでの歴史のなかで、それはさまざまな人たちにとって、「人生の万能薬」の幻惑を与えてきた。

それさえ知れば、幸せになれるという幻想である。

少年もいくぶんかそのような幻想にとりつかれながら、錬金術師と旅をつづけていたところ、錬金術師は突如「旅の終わり」を示唆し、少年は次のように言葉を返す。

 

「でも、この度であなたは僕に何も教えてくれまでんでしたね」と少年は言った。「僕は、あなたが知っていることを僕に教えてくれるものだと思っていました。少し前、僕は錬金術のことを書いた本を持っている人と一緒に、砂漠を渡ってきました。でも、僕は本から何も学ぶことができませんでした」
「学ぶ方法は一つしかない」と錬金術師は答えた。「それは行動を通してだ。おまえは必要なことはすべて、おまえの旅を通して学んでしまった。おまえはあと一つだけ、学べばいいのだ」

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳

 

その「あと一つだけ」が何かを少年は知りたかったのだけれど(読者も知りたいのだけれど)、錬金術師はすぐには答えない。

「金」をつくりだすと言われる錬金術師が、まるで何も教えない(と思われる)状況は、少年も(読者も)をいただたせるものであるけれど、このような全体が、ぼくたちを、<錬金>ということの本質へと導いていく。

 

心理学者・心理療法家であった河合隼雄は、ユングが「錬金術」の本に読み取ったものを、あるところで紹介している。

 

…錬金術は、鉛のような金属がだんだん金になるというので、そんなバカなことがあるかと思うけれど、ユングはそれは「化学の本ではないのだ」と考えました。人間がだんだん鍛えられて最後は個性が完成されてゆく、自己実現していくという、自己実現の過程を鉛が金になる過程に置き換えて描いているんだと、そういう考えで錬金術の本を読むわけです。

河合隼雄『こころの読書教室』新潮文庫

 

河合隼雄は、「錬金術の絵」と「十牛図」を比較しながら読み解くという、興味のつきない仕方で、「自己実現」のことを語り、その流れでこのユングの解釈も紹介している。

錬金術を「化学の本」ではなく、ユングの解釈で読む方が、圧倒的に、論理的である。

今でこそ「錬金術」を信じる人はほとんどいないと思われるけれど、その「心情」はあらゆる形で、さまざまな人たちのなかに住んでいる。

 

それを信じる・信じない、あるいはどのように信じる・信じないということは、人それぞれのことである。

それは、ぼくにとっては、錬金術は、例えばユングが語るようなものであり、パウロ・コエーリョが描いたようなものである。

童話風の物語『アルケミスト』は、ぼくたちにさまざまな言葉と視点と夢を届けてくれている。

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言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima

「ことばは心を連れてくる」(黒川伊保子)。- 男女脳のミゾの突破口としての「セリフ」力。

脳科学コメンテーターの黒川伊保子先生には、教わってばかりだ。

脳科学コメンテーターの黒川伊保子先生には、教わってばかりだ。

女性脳のこと(また男性脳のこと)については、じぶんの「頭のなか」を一生懸命にさがしたり、かんがえたり、いろいろしてみても、そもそもの「構造と機能」の違う脳であるから、やはりよくわからない。

だから、まずはひたすら教わって、学ぶことである。

 

 女性の機嫌を直すには、これはもう、真摯に謝るしかない。ほとんどの男性がそのことを知っている。なのだが、ほとんどの男性が、謝り方を間違っているのである。
 …
 女性に謝るときは、彼女の気持ちに言及して謝る。これが基本形。

黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年

 

例えばの状況として、女性との待ち合わせに遅刻し、携帯電話でも連絡がうまくとれず、20分待たせてしまったような場合。

ほとんどの男性は、「ごめんごめん、部長に呼び止められちゃって」というように、遅れたことの理由を語る。

このように謝ってはいるのだけれど、謝り方が間違っているという。

大切なことは、この女性の「“二十分”の気持ちを慰撫すること」なのだと、黒川伊保子は書いている。

 

…「寒かったでしょう?(暑かったでしょう?)(心細かったよね?)、ごめんね」が正解。「あなたのような人を、こんなところに二十分も待たせて、どうしよう」なんて言ってくれれば、遅れてきた理由も聞きやしない。
 女性脳は、遅れてきたという結果よりも、心細い思いをした経過のほうに、ずっと重きが置かれている。男性脳は、結果重視なので、彼女がたとえ遅れてきても、走ってきてくれて、満面の笑みを浮かべてくれれば、それでよしとするのだが、プロセス重視の女性脳は、そんなわけにはいかない。

黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年

 

ぼくが思うのは、このように読んでいるときは理解はできるのだけれど、いざ同様の場面になって、じぶんの頭で謝り方をかんがえても、いつのまにか「男性脳」の構造と機能につられてしまう。

そのようにして頭に浮かび、「よかれ」と思って言った言葉が、相手を怒らせたり、傷つけてしまったりする。

そのことを乗り越える方法は、徹底して女性脳(あるいは男性脳)の構造と働きをじぶんのなかにインストールすることである。

しかし、これがとてもむずかしかったりする。

だから、ひとつの方法は、いくつもの場面に合うような「セリフ」を覚えておくこと、そして実際にセリフを語っていくことである。

「セリフ力」をつけていくのである。

 

黒川伊保子も、「セリフだけでいいから言うこと」をすすめている。

当然のことながら、セリフに「気持ちがこめることができない」という疑問もあげられる。

そんな疑問を抱く男性に対して、黒川伊保子は次のように、アドバイスしている。

 

 それに、ことばは心を連れてくる。
 ある男性が、私に「僕は、共感もしてないし、申し訳ないとも思っていない。だけど、先生はセリフだけでいいから言えと言う。心のないセリフを言われて、女性は嬉しいのでしょうか」と言ったことがある。
「心にないセリフでいいの」と私は言った。「でもね、その優しいことばに、奥さまがほろりとして笑顔になったら、あなたはきっと言ってよかったと思うはず。あとから、優しい気持ちが追いかけてくる。それで十分」
 男女のミゾは深くて、相手に「自分の脳の中にあるような真実」を求めようと思ったらあまりにも空虚な関係になる。けれど、この男女のミゾは、意外に幅が狭くて、ことばの橋が懸けられる。…

黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年

 

「ことばは心を連れてくる」、とても素敵なことばだ。

プライベートでも、仕事でも、「セリフ力」をつけていくことで、セリフはぼくたちの強い味方になってくれる。

 

男性脳と女性脳の「悪循環」はいったんそれがまわりだすと、それぞれの構造と機能が違うだけに、ループをどこかで止めることがむずかしくなってしまう。

そのようなループを止めるとき、セリフは、ぼくたちを助けてくれる。

たとえ最初のうちは「心」がこもっていなくても、ループがとぎれて、そこに暖かな光がうまれるとき、しぜんと、「優しい気持ちが追いかけてくる」のだ。

そう、ことばが、心を連れてきてくれる。

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テクノロジー, 成長・成熟 Jun Nakajima テクノロジー, 成長・成熟 Jun Nakajima

「人工知能の脳」は、男性脳か、女性脳か。- やはり、黒川伊保子先生に、耳を傾ける。

人工知能(AI)が日常の会話のなかにも、現実にも浸透してきているなかで、人工知能のモデルは「男性脳」なのか、「女性脳」なのかという問いに、視点を得ることになった。

人工知能(AI)が日常の会話のなかにも、現実にも浸透してきているなかで、人工知能のモデルは「男性脳」なのか、「女性脳」なのかという問いに、視点を得ることになった。

1980年代、人工知能の創生期において人工知能エンジニアであり、現在は人工知能研究者であり脳科学コメンテーターである黒川伊保子の著作、『女の機嫌の直し方』(集英社インターナショナルe新書、2017年)を読んでいて、「確かに、その問題はあるなぁ」と、気づかされたのだ。

 

 男女脳は、違う。
 初めて、そのことを知った日の衝撃を忘れられない。
 人工知能エンジニアである私に、それは重くのしかかってきた。ーー私たちが目指す「人工の脳」は、いったい、どちらの脳を目指しているの?

黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年

 

当時は、人工知能研究の最前線には男性しかおらず、研究者たちは男性脳=ヒトの脳と信じていたと、黒川伊保子は振り返っている。

人工知能の創生期以後、「人工知能」の研究も言葉も読者にはひびかないから、「脳科学エッセイ」として、黒川伊保子は本を出してきた。

そして、ようやく「人工知能」が脚光を浴びる現在、このキーワードと共に、男女脳を語ることができるようになる。

 

ぼくは、それら黒川伊保子の「脳科学エッセイ」という形の本などで、じぶんの考えの及ばない「女性脳」にふれて、学ぼうとしてきた。

脳が違うから、学んでも学んでも、幾度も幾度も、失敗をかさねてきている。

そんなとき、ぼくは、やはり、黒川伊保子先生の本をひらいて、男性脳らしく「問題解決」をこころみるのだ。

 

女性に接するときに、最も気に留めておいてほしいこととして、「とにかく共感」ということを、黒川伊保子は幾度も伝えてくれている。

「いきなり問題解決」ではなく、「とにかく共感」。

例えば、女性たちが「カワイイ~」と口にするとき、男性脳の男性は「何がカワイイのかわからない」と言ってしまったりして、対象物を「評価」しようとしてしまう。

しかし、女性たちの「カワイイ~」は、「心が動きました~、あなたも動いた?」というほどの意味であるという。

 

そのようにいろいろにアドバイスをしてくれる黒川伊保子は、「脳の性差」がやがて失われるかもしれないとも書いている。

言語スタイルはインターネットによってゆるやかに統一されてきていること、都市化の進展と「生殖ホルモン分泌の緩慢さ」などにより、脳の性差が失くなっていくかもしれないというのだ。

脳の性差がなくなった場合、生物学的に「原型」である女性脳に統一が進んでいくだろうということも付け加えている。

そうすると、例えば、おしゃべり上手な優しい男たちが増え、無骨で一途な男たちが、この世から消えてしまうことになることを想像しながら、黒川伊保子は、女にとって、それは幸せなことだろうかと自問している。

 

…私は寂しいなぁ。私は、私の傍にいる男たちが、必要なときに必要な言葉を言えず、ほんの少し私をいらだたせる感じが好き。そうして、私がちょっと冷たくしたら、ちょっとビビって機嫌をとってくれる、あの感じがたまらない。男たちが無骨じゃなかったら、人生は、うんとつまらない。
 この本を必要としてくれる男がいる以上、男らしい男性脳は、まだこの世に存在するということでもある。この本の読者に、心からの愛とエールを贈りたい。

黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年

 

黒川伊保子先生の本を、いつでも開くことができるようにしているぼくは、こうして、黒川伊保子先生の「心からの愛とエール」を受け取りながら、脳の違いに向き合い、そのミゾに対峙している。

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<話合い>と<感覚>という「共同性の存立の二つの様式」(真木悠介)。- 「交響するコミューン」というモチーフ。

社会学者である真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)は、生きていく過程で、じぶんのなかで問い、じぶんの経験に問われ、そうして生成していくような「根本的な問題」に充ちている。

社会学者である真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)は、生きていく過程で、じぶんのなかで問い、じぶんの経験に問われ、そうして生成していくような「根本的な問題」に充ちている。

そのような根本的な問題を明晰に提示し、ぼくたちの「生きる」ことのなかに種をまくように言葉を届けてくれることが、この「分類の仕様のない本」を名著にしている。

 

そのような根本的な問題として、<集団のあり方>の二つの様式・契機ということが、提起されている。

真木悠介は、「人間の個体性と共同性の弁証法の問題」として、問題を提起している。

現代において、時代の大きな過渡期のなかで、いろいろな集団や組織などがつくられ、運営され、試みられているなかで、この根本的な問題を認識しておくことは、とても大切なことであるように、ぼくは思う。

 

真木悠介が当時、実際に訪れたりして体験した集団として、「山岸会」と「紫陽花邑」という、二つの集団が取り上げられている。

山岸会の仕事をしていた野本三吉さんという方に、東京の若い施設員の方が、ある身心に問題を抱えた人を山岸会で生かしてもらえないかと依頼したところ、野本さんは、山岸会ではなく奈良の紫陽花邑をすすめたという。

野本さんは、「山岸会は話合いだからだめだと思った」と後日語ったという。

エゴの強い人は山岸会にいくとほぐれるけれど、弱い人や病気の人は紫陽花邑の方が幸福になるという、野本さんの考え方であったという。

真木悠介は、ここに、根本的な問題をきりとる。

 

 「話合いだからだめだ」という野本さんの直感は、本質的な問題を提起していると思う。
 紫陽花邑のばあい、「感覚でスッと通じてしまう」と野本さんはいう。…この<話合い>と<感覚>という、共同性の存立の二つの様式、二つの契機の問題は、われわれのコミューン構想にとって、最も深い地層にまでその根を達する困難な問題をつきつけてくる。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

これら二つの集団の「自己規定」は、対照的であるという。

山岸会は、<ニギリメシとモチ>ということが取り上げられ、ニギリメシのように一粒一粒のお米のように一人一人のエゴが残って相克や矛盾が起きないように、モチのような「一体社会」を目指すという。

それに対して、紫陽花邑は、紫陽花の花のように、ひとりひとりが花開かせることをとおして、自然と、集団としてのかがやきを発揮しようとするという。

 

 二つの集団の自己規定は対照的だ。すなわち集団としてのあり方を性格づけるにあたって、山岸会では一体性を、紫陽花邑では多様性をまずみずからの心として置く。
 しかもこのことは、…<話合い>ー<感覚>という、共同性の存立方式における対比と、逆立しているようにみえる。<感覚でスッと通じる>ということの方が、個我相互間の、ある直接的な通底を前提するのにたいして、<話合い>による「公意」への参画という、媒介された共同性の形式の仕方においては、より多く個々の成員の「多様性」を前提もし、またこれを再生産するように考えられる。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

共同性の存立方式における対比と、「逆立している」と、真木悠介は鋭く見て取っている。

大切なところなので、もう一度、まとめておくと、次のようになる。

 

●<話合い>の集団:「一体性」をめざす。→ 【成員の前提】個々の成員の「多様性」

●<感覚でスッと通じてしまう>集団:「多様性」をめざす。→ 【成員の前提】個我相互間の、ある直接的な通底

 

こうして、真木悠介は次のように文章を続けている。

 

 極限的な共同性(モチ!)をその理念とする集団が、まさにそれ故に、その現実の運動において、諸個体の個体性をより敏感に前提する方式をえらび、多様に開花する個体性(あじさい!)をその心とする集団が、まさにそのことにおいてある共同性を直接に存立せしめてしまう。あらゆるコミューンの実践にとって最も根本的な問題ー人間の個体性と共同性の弁証法の問題が、この逆説のうちに鋭く提起されている。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

どちらの集団が良い悪いということではなく、「人間の個体性と共同性」をかんがえていくとき、また実際にコミューンや集団や組織をつくっていくときの「根本的な問題」として、だれもが、直面していくような、深い地層の問題である。

「多様性」ということがよく言われ、あるいは多様性に彩られた集団・組織(あじさい!)をつくることをめざす人たちが多い現代において、鋭い問題を提起してもいる。

『気流の鳴る音』の副題にある「交響するコミューン」を追い続けてきた真木悠介が、現代という時代のなかに「交響するコミューン」をうちたてようとするぼくたちの思考と実践に点火する「モチーフ」である。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

じぶんの言動を見つめるシンプルな視点。- 言動が「love」に充たされず、じぶんの「fear」からなされていないか。

じぶんの思考と行動を見つめるためのシンプルな視点(方法)は、それらが、「fear(怖れ・恐れ)」からか、「love(愛)」からかを問うことである。

じぶんの思考と行動を見つめるためのシンプルな視点(方法)は、それらが、「fear(怖れ・恐れ)」からか、「love(愛)」からかを問うことである。

じぶんの他者に対する発言(意見やコメントやアドバイスなど)や行動が、どちらから発生してきているか。

プライベートにおいて、あるいは仕事のさまざまな場面において、じぶんの言動は「怖れ・恐れ」から来ていないだろうか。

とてもシンプルな見方・方法だけれど、それはとても大切なことを教えてくれるものでもあると、ぼくは思う。

 

自己啓発などの著作を読んでいると、ときおり、出てくる視点である。

例えば、Gerald G. Jampolsky『Love is Letting Go of Fear』(Celestial Arts, 1979/2004/2011)は、邦訳『愛とは、怖れを手ばなすこと』(サンマーク出版)も出ていて、長く読み継がれてきている本である。

英語版の第三版には、音楽家のカルロス・サンタナが文章を寄せており、彼にも多大な影響を与えてきたことが書かれている。

この本では、本のタイトルにもあるように、「手ばなすこと(Letting Go)」など、さまざまな角度から、「fear」と「love」のことが展開されている。

 

「fear(怖れ・恐れ)」は、よく言われるように、そこで怖れるもののほとんどが、実際には起こらない。

その起こらないことを怖れて、その怖れをベースに発言がなされたり、行動が起こってくる。

「これは、あなたのために…」という発言を掘り下げてゆくと、往々にして、じしんの怖れから来ていることがわかったりする。

そして、怖れから発せられる言葉や、怖れに起因する行動は、怖れが明示的ではなくても、他者は自然と感じてしまうものである。

言動を起こす側は「怖れ」をいだき、言葉を受けたり行動が向けられる人もそれを察して、心が閉じてしまう。

だから、「fear」を解きほどいてゆくこと、手ばなしてゆくことが、そのような状況をひらいていくうえで、とても大切である。

 

「fear(怖れ)」それ自体が悪いなどと言うのではないけれど、言動を起こす側としても、あるいはそれらの受け手にとっても、「love」に充ちているような世界を、ぼくは選択する。

良し悪しの問題ではなく、どのような世界を選ぶのかという、「選択」の問題である。

なお、「love(愛)」という言葉は、なかなかわかりにくいものでもある。

定義のされ方もいろいろであるけれど、それは、ほんとうは、だれもがすでに「知ってる」ことでもある。

言葉に捉われすぎずに、まずは、じぶんの言動が「fear(怖れ)」から来ていないかを見つめてみることである。

「fear(怖れ)」を見つけることができたら、ゆっくりと、それを手ばなしていくこと。

「fear(怖れ)」を含め、ぼくのなかにあるあらゆることを、ぼくは、ずーっと、「手ばなす(Letthing Go)」ことをつづけている。

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、旅人たちの「感動」を通じて<新鮮な風景>を見る。- 「ほぼ日」の食いしん坊トリオ「カロリーメイツ」の「香港の旅」。

ある場所にそれなりに長く住んでいると、その場所の風景、またそこにあるものが「ふつう」のものとして、見えたり、感覚されるようになってしまうことがある。

ある場所にそれなりに長く住んでいると、その場所の風景、またそこにあるものが「ふつう」のものとして、見えたり、感覚されるようになってしまうことがある。

ここ香港に11年住んでいて、毎日それでもいろいろなことを見つけたり、気づいたり、驚いたりすることはあるのだけれど、他方で「ふつう」のことのようになってしまっていることもある。

もちろん、ぼくたちが生きていくうえでは、生活における多くのことやものを「ふつう」のこと(=日常)とすることで、ぼくたちの生活は成り立っていく部分がある。

つまり、あるAのことを「ふつう」としていくことで、例えば、あるBのことへと関心を注ぐことができたりする。

そんなとき、あるAのことを、「新鮮なもの」として、あるいは「違った視点」から感じさせてくれる人たちがいる。

それは、例えば、旅人たちである。

ぼくたちは、旅人たちの「視点」で、ある場所での長い生活で「ふつう」のこととなってしまっているようなことにも、新鮮な風景を見ることができる。

日本に長く住んでいれば、海外から旅行でくる人たちの「視点」で、ぼくたちは、新たな/新鮮な視点で、「ふつう」のことに光をあてることができる。

同じように、ここ香港に住みながら、ときおり訪れる旅人たち/訪問者たちの「視点」で、ぼくは「香港」の生活の驚きや感動への<光>を手にすることができる。

 

コピーライター糸井重里のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の企画のなかに、食いしん坊トリオ「カロリーメイツ」の食べ歩きの旅があり、ちょうどこのブログを書いている日にも重なる、2018年4月23日から25日までの2泊3日において、「カロリーメイツ」は、「香港の旅」に来ている。

特設サイトの冒頭には、次のように書かれている。

 

「ほぼ日」の食いしん坊トリオ「カロリーメイツ」(シブヤ、スガノ、タナカ)は、これまでさまざまな場所で「食べ歩き」をしてきましたが、「どこか行き忘れている場所がある‥‥。それはもしかして香港じゃない?!」と勝手に気がついて、このたび香港に行くことにしました。みなさまに教えていただきながら、香港のおいしいマップを作ることが目標。2泊3日のウキウキの旅に、いってきまーす!

カロリーメイツ「香港の旅」『ほぼ日刊イトイ新聞』

 

こうして「香港のおいしいマップ」を作ることが目標として掲げられ、滞在期間中は、リアルタイム中継で、香港での「食べ歩き」風景がレポートされることになる。

ぼくが心を動かされたのは、この「ウキウキ」感であり、また、目標からはずれるけれど、カロリーメイツのお三方の感動がレポートを通じてあふれでており、その感動と視点が、ぼくにとっては日常である「香港」を、まるで新鮮な風景のようなものとして見せてくれることにある。

このようにして、ぼくたちは、<他者>を通じて、普段の日常の風景に、新鮮な風をふきこむことができる。

 

また、香港に住む(ぼくのような)人にとっても、「香港のおいしいマップ」のようなものは、いくつかのパターンを含め、持っておきたい。

著書『香港でよりよく生きていくための52のこと』(2018年)のなかで、ぼくは、その16番目に「「なんでもある香港」を堪能する」という項目を置いた。

香港は「なんでもある」場所である。

その楽しみ方の切り取り方もさまざまであり、観光で訪れる方などを案内する際に、(少なくとも)いくつかの「ルート」を持っておくことを、すすめている。

だから、「香港のおいしいマップ」は、観光で香港に行く人たちだけではなく、ぼくのように香港に住む人たちにも役に立つものである。

 

ところで、こんなことをかんがえていたら、カロリーメイツの香港の旅2日目において、カロリーメイツが2018年10月末で解散することが報告された。

なにはともあれ、感謝の気持ちを伝えると共に、香港の3日目最終日を楽しんでいただきたいと思う。

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「自己批判の系譜」(見田宗介)というエッセイの視点。- 「じぶんをのりこえる」ということ。

人生の道ゆきにおいて、じしんの生き方をのりこえようとするときが、人にはある。

人生の道ゆきにおいて、じしんの生き方をのりこえようとするときが、人にはある。

その「とき」の前に、(世間的な観点において)「何か」を達成してきた人もいれば、とりわけ達成していない人もいる。

いずれにしても、ぼくは「のりこえてゆく」ことに関心がある。

その「のりこえ」のひとつの方法(また形態)として、「自己否定・自己批判」ということを踏み台にすることがある。

社会学者の見田宗介は「自己批判の系譜」という短いエッセイで、作家などの「系譜」にふれながら、この「のりこえ」について書いている。

 

系譜として挙げられている作家のひとりは、トルストイである。

『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などで知られるトルストイであるけれど、これらの作品を含め、彼の壮年期の作品を、トルストイは晩年になって否定した。

それから、与謝野晶子は『みだれ髪』など、若い頃の作品を忌み嫌っていったという。

でも、このように書き手じしんによって否定されてきた作品たちは、「古典」として長きにわたって読みつがれているように、読み手の心の奥深くに届くものである。

また、「自己否定・自己批判」のあとの作品たちが、その前の作品たちを超えるようなものであるかというと、そういうことでもない。

 

見田宗介は、これらに触れながら、次のように「視点」を提示している。

 

…このことは「自己否定」が必ずしもつねに全身的なものではないということを示す。
 しかし同時に、このようにたえず自己を否定してのりこえようとする資質、あるいは精神の緊張がもともとその人にあったからこそ、その「初期」のすぐれた作品もありえたのではなかっただろうか。
 …問題はどれだけ深い思想性をもって過去の自分を総括しのりこえ、その後どのような仕事をしているかということにあるだろう。「自己批判」とは最も悲惨な虚偽でもありうるし、最も偉大な跳躍でもありうるきわどい両義性の炎の中で、その人の資質を照らし出す行為である。

見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年

 

この文章自体、見田宗介の若い日(30歳を超えた頃)の文章であり、それから50年近くを経過した今の地点から振り返るのであれば、この文章が書かれてから数年後に、見田宗介は「偉大な跳躍」へと突き抜けていき、ほんとうに大きな仕事をしている。

とはいえ、それまでの仕事を否定しきるという仕方ではなく、しかし、幾重にものりこえていく仕方によって跳躍している。

 

ところで、「自己否定」という言葉は、その表層だけではなく、一段降りて、その意味合いをひろいだしておくことが大切であると、ぼくは思う。

単純に「自己を否定する」というように語ると、人によっては、ただただネガティブな仕方で取り込んでしまうかもしれない。

 

まず第1に、「自己」とは、じぶんの存在すべてということではなく、じぶんのやり方であったりあり方ということである。

別の観点では、ここでの「自己」とは、言葉や観念でつくられている「社会的な自己」の行動や思考ということであるともいえると、思う。

 

それから第2に、「否定」ということは、やり方やあり方を違った視点で見て変えていくことであるけれど、その基軸は「正しい/正しくない」「良い/悪い」などではない。

そのような基軸で否定・批判していくこともあるだろうけれど、必ずしもそうではないし、それらの基軸をこえるようなところに<跳躍>がみられるようにも思う。

 

第3に、上述からもわかるように、「自己ー否定」は、必ずしも「じぶんが悪かった」という図式ではない(少なくともそのような図式には限られない)。

むしろ、「じぶん」を客観的にみつめることで「じぶん」を深いところで受け入れながら、「じぶんの軸」においてこれまでのやり方やあり方を深いところで変えていくときに、「きわどい両義性の炎のなか」で、跳躍への跳躍台を準備するものとなると、ぼくは思う。

 

跳躍台は、跳躍の先に(世間的に)大きな仕事をするかどうかを約束するものではないけれど、それは「じぶん」をきりひらいてゆくための、あるいはこれまでとは異なる世界に生きていくための、その足がかりとなる。

「自己否定」という言葉が表層につくりだすイメージを超えたところに、「じぶんをのりこえる」(あるいは「じぶんがのりこえられる」)ということの本質が現出してくるように思われる。

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「芸と人柄」(見田宗介)というエッセイの視点。- 評価の基軸としての「芸」と「人柄」。

「芸と人柄」ということについて、社会学者の見田宗介は、1969年に興味深いエッセイを新聞で発表している(見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年)。

「芸と人柄」ということについて、社会学者の見田宗介は、1969年に興味深いエッセイを新聞で発表している(見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年)。

スターの人気というものが、世代によって「選択の基準」そのものが異なるという現象を、ある放送局がおこなった調査から抽出している。

その調査によると、年配の層は、俳優や歌手をその「芸」を基軸として評価するのに対し、若い層は、スターの「パーソナリティ(人柄)」を基軸として評価しているということである。

当時の若い層は、歌や演技などの芸とは別に、歌手や俳優などが「どんな人」なのか、どのような「生き方」をしているのかということを知り、「人柄」における、かっこよさや率直さ、親しみやすさなどを、評価の軸としていたということである。

 

「パーソナリティ(人柄)」を基軸として評価される傾向は、1969年以降、そしてほぼ50年が経過した今も、変わることがないように思われる。

むしろ、情報技術の発展とともに、情報の窓が有名人たちのプライベートへとさらに深くさしこまれるなかで、その人物の全体性がさらに問われるようになってきている。

また、このことは有名人に限られたことではなく、ビジネスの分野でも同様の傾向がひろがり、「商品」だけではなく、会社や組織の「ブランド」の全体性が問われるようになっている。

 

見田宗介は当時、次のように分析的なコメントを書いている。

 

 古い時代のファンたちもスターの「人間」を問わぬわけではなかった。だがそれは、人生をかけた精進の結果としての「芸」にこそ結晶し、しぼりこまれて表現されるべきものであった。その生き方がホンモノかニセモノかを証す最終的決済が「芸」にほかならなかった。今や基準は逆転し、歌や演技がホンモノか否かを定める文脈として、大衆はスターの「人間」を問う。それはそもそも歌手や俳優が、その芸によって、自己の生き方の最終的な決済を大衆に問うというだけの、気迫の芸を失ったからかもしれない。

見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年

 

今の時代の文脈のなかに、このコメントを落として視てみたとき、そこにはどのような風景が見えてくるだろうか。

歌や演劇などではないけれど今の時代において「職人技」が脚光をあびることの背景として、見田宗介が当時推測していたように、自己の生き方の結晶された「気迫の芸」がますます失われているのかもしれない。

だからこそ、「職人技」はぼくたちの心をうつ。

また、そのようにかんがえていると、歌や演技においても、生き方が凝縮されたような「気迫の芸」がやはり存在していることにも気づかされる。

そうして<芸ーーー人柄>という、それぞれを両端とする線分があるとして視てみると、その線分上にさまざまにプロットできるような仕方で、アーティストは存在している。

 

他方で、このようなスペクトラムを崩すような仕方で、のりこえていってしまうような人たちもいる。

例えば、生き方という<芸>を追求し、これまでの定義や固定観念を書き換えていく人たち。

そのような自由な<芸の人>たちが、世界の風景に、風穴をあけてゆく。

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時代の感性たちの交差。-「キンコン西野からのお願い」(西野亮廣)と「幸福への軟禁」(見田宗介)の交差するところ。

キンコン西野亮廣は、じしんのブログで、「キンコン西野からのお願い」(2018年4月5日)という文章を書いている。

キンコン西野亮廣は、じしんのブログで、「キンコン西野からのお願い」(2018年4月5日)という文章を書いている。

 

一応、連続ベストセラー作家なので、皆様ご存知の「印税」なるもものをいただいているのですが、貯蓄などはせず、税金をお支払いした上で、残りは全額投資しています。
「さすがに全額は嘘だろ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、嘘ではなく(マジで全額)投資しています。

西野亮廣「キンコン西野からのお願い」『西野亮廣ブログ』2018年4月5日

 

「投資」とは、いわゆる金銭的投資ではなく、スナックを作る、分業制で絵本を作る、Webサービスをたくさん作る、学校を作るなどのことで、「皆が楽しめる『場』」を作ること。

「お願い」とは、「食いっぱぐれた際は夜ご飯に連れてってください。高いお店は緊張するので苦手です。お蕎麦か、ガード下の焼き鳥屋とかでいいです」というお願いである。

 

西野亮廣のかんがえる「お金」はいわゆる貯金通帳の数字ではなく、<信用>ということであるから、そもそもの考え方が異なっており、表層的な貯蓄論で議論しても行き場のない議論になるだけである。

西野亮廣は次のように書いている。

 

…現代(貯信時代)における「貧乏」は貯金の有無ではないので、貯金がつくことはあまり大きな問題ではありません。
そんなことより、面白い方が重要です。

西野亮廣「キンコン西野からのお願い」『西野亮廣ブログ』2018年4月5日

 

このような考え方がすんなりわかる人とわからない人では、生き方の方向性は大きく異なってくる。

貯蓄・貯金はもちろん、人それぞれのライフサイクルにおける出費をまかなうものでもあったりするから、貯蓄・貯金が良い悪いということではないけれども、生き方の方向性として、あるいは生き方のスタイルとして、西野亮廣のような思考と行動が、現代において生き方の可能性をひらいてくれていることは確かだ。

貯蓄・貯金そのものよりも、そこに埋め込まれた「心性」や「生き方」に光が照らし出されると、養老孟司が言うような「煮詰まった時代」という時代の閉塞性を突破するような思考と行動が増殖していくようにも思う。

 

今から50年程前の1969年、社会学者の見田宗介は新聞の連載で、「貯蓄する人生の心性」について、「幸福への軟禁」という短い文章を書いている。

 

 この貯蓄する人生はどのような心性を生み出すだろうか。一口でいえば、戦争と革命への恐怖である。なぜならそれらは、過去の労苦の凝結であると同時に未来の幸福の基盤でもある「貯蓄」を台無しにするからである。だから彼らは、いらいらしながらしかもぬけ出せないような、すわりのわるい幸福に軟禁されている。そしてこの進歩主義的保守感覚こそ、今日の日本社会の秩序を支える心の安定勢力である。

見田宗介「鶴とバリケード」『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年

 

見田宗介はその後の仕事で、一夜において革るような「革命」ではなく、<生き方の魅力性>という方法によって、ひとりひとりの生が歓びとともに解き放たれていく方向性を描き出してきた。

見田宗介は当時の時代状況のなかで「戦争と革命への恐怖」というように一口で表現しているけれど、西野亮廣の2017年の著作は『革命のファンファーレ』(幻冬舎)と題され、「革命」をつげる本である。

西野亮廣のいう「革命「は、「幸福への軟禁」をする者たちの(「恐れ」を土台とした)安定志向をこえて、信頼を基軸にしながら、ひたすら<面白い事・面白い場>に向けて突き抜けていくものである。

時代の感性たちが交差するところだ。

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