身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

どんな「洗顔」にも哲学(生き方)がある。- 今野華都子著『顔を洗うこと 心を洗うこと』。

「どんな髭剃りにも哲学がある」という、サマセット・モームの言葉に、村上春樹は著作『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)の「前書き」で触れている。

「どんな髭剃りにも哲学がある」という、サマセット・モームの言葉に、村上春樹は著作『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)の「前書き」で触れている。

村上春樹は、「どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの觀照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい」(前掲書)と書いているけれど、ぼくは、どんな髭剃りにも「生き方」が詰まっていると思う。

別に髭剃りでなくても、どんな行為でもいい。

そこには何かしらの哲学、あるいは生き方があらわれてくる。

「洗顔」という、ぼくたちが日々続けている行為においても、ぼくはそこに哲学(生き方)があると思う。

そのような視点において、『顔を洗うこと 心を洗うこと』(サンマーク出版)という著作で、エステティシャンでもある著者の今野華都子(こんの・かつこ)は、「顔を洗うこと」と「生き方」をひとつとするような洗顔の仕方を教えてくれている。

本の最初のページで、今野華都子は読者に次のように質問を投げかける。

 

「あなたは子どもころ、誰かに顔の洗い方を教わりましたか?」

 

今野がそのように質問を投げかけると、ほとんどの人たちは「教わってもらっていない」か、教わっていても具体的な仕方は教わっていなかったりする。

ぼくも、見よう見まねでならっただけだと記憶している。

また、最近は女性誌などにも「洗顔の仕方」のページがあったりするけれど、それらは「美容」を目的としているものが多いのだろう。

今野は、そこに、さらに別の効果があるとし、「母親がわが子を大事に思い、キレイな顔でいてもらいたいとの願いを込めて「洗顔」を伝えるとしたら、それはどのような洗い方でしょうか」と読者に問いかける。

そこから、洗顔教室も営む今野が望むこととして、次のように書いている。

 

あなたが、あなたのお母さんになったような気持ちで、
あなた自身を大切に扱ってあげてください。

今野華都子『顔を洗うこと 心を洗うこと』サンマーク出版、2014年

 

今野は、こうして、本書で、大きく8ステップの「今野華都子式洗顔方法」を伝えている。

<じぶんを大切にする>ということにより深い次元でコミットしていたときに、ぼくはこの本と出会い、「顔を洗うこと」の見直しをせまられることになった。

「顔を洗うこと=よごれをとること、朝は目をさまさせること」ほどの意識であったから、そこに<心を込めて>という意識と動作はなかった。

そこに、顔を洗うことということのなかで、<心を込めて>ということをじぶんに向けていくことで、これまで<じぶんを大切にする>ということを忘れていたことに気づかされた。

そのようなこれまでの「洗顔の仕方」が、ぼくの生活のいろいろなところにも、出ていたように気づいたのだ。

 

今野じしんが実際にお客様の「お顔を洗ってさしあげている」と、それだけで、涙を流す方や感謝される方がいるという。

今野は、お客様が「自身が大切にされていた記憶、愛された記憶が蘇るからなのだ」と思うと、書いている。

 

<じぶんを大切にする>ということは、他者たちのじぶんへの接し方(大切にしてくれる接し方)にも影響し、また、じぶんを大切にすることで生まれるじぶんの状態と余裕が他者に役立つうえでも重要な土台となる。

そのような好循環を生みだしていくうえで、心を洗うように顔を洗うこと、<じぶんを大切にする>仕方で顔を洗うことは、大切な入り口であり、また日々習慣として続いていく大切な「哲学」である。

その意味において、どんな「洗顔」にも哲学(生き方)が込められている。

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言葉・言語, 書籍 Jun Nakajima 言葉・言語, 書籍 Jun Nakajima

「何せうぞ くすんで 一期は夢よ たゞ狂へ」(『閑吟集』)。- ひろさちやと大岡信の注釈を重ねながら。

日本の室町時代後期に編纂された歌謡集(編者は未詳)『閑吟集』のなかに、次のような歌が収められている。

日本の室町時代後期に編纂された歌謡集(編者は未詳)『閑吟集』のなかに、次のような歌が収められている。

 

何せうぞ

くすんで

一期は夢よ

たゞ狂へ

 

この歌の存在を、ぼくは、ひろさちや著『「狂い」のすすめ』(集英社e新書、2010年)で知った。

この本でひろさちやが現代語訳的に書くと、「何になろうか、まじめくさって、人間の一生なんて夢でしかない。ひたすら遊び狂へ」となる。

「くすむ」とは「まじめくさる」ということであるようだ。

ひろさちやが注釈をつけているように、室町時代の庶民たちが遊び狂っていたわけではなく、「現実には牛馬のごとく働かざるを得ない」状況であったのであり、その現実のなかで、《一期は夢よ ただ狂へ》と、願望をいだきながら歌ったということであったのであろう。

ひろさちやは、願望よりもそこにさらなる意味合いを付与し、「むしろ現実と闘うための思想的根拠であり、武器であった」と書いている(※前掲書)。

ひろさちやにとって、「思想・哲学」とは、<俺は世間を信用しないぞ>という意識のようなものである。

『閑吟集』のこの歌は、ひろさちやが現代を生きていくうえで、このような思想・哲学であり、武器となっている。

 

 いいですね。わたしはこの歌が大好きです。そして、わたしはこれを
ーー「ただ狂え」の哲学ーー
 と名づけています。この哲学でもって世間と闘ってみよう。そうすると、きっと視界が開けてくるだろうと思っています。

ひろさちや『「狂い」のすすめ』集英社e新書、2010年

 

ぼくも、この歌が好きである。

この歌は、ぼくの生き方の光源となっている、真木悠介のつくる言葉、「life is but a dream. dream is, but, a life.」と交差してくる。

「構造」としてみれば、同じ構造を共有している。

前半の部分で、「人生とはただの夢でしかない」と真木悠介は書いているけれど、これは「一期は夢よ」ということである。

その深い認識をもとに、真木悠介は「しかし、この夢こそが人生だ」という反転のなかに生きることの豊饒さをつかみとり、『閑吟集』のこの歌の作り手とそれを歌った庶民たちは「ひたすら遊び狂へ」という方向に思想・哲学をつかんでいる。

 

「ひたすら遊び狂へ」という方向につきぬけてゆくエネルギーの豊饒さに魅かれながら、意味合いとしてしっくりこないところがあったのだけれど、大岡信(大岡信ことば館)の注釈は、少し違う角度から、この歌の本質をついているように見える。

 

…中世以降の歌謡には無常観という太い底流があることはたびたび書いた通りだが、この小歌はそれを端的に吐き出していて忘れがたい。なんだかんだ、まじめくさって。人生なんぞ夢まぼろしよ。狂え狂えと。「狂う」は、とりつかれたように我を忘れて何かに(仕事であれ享楽であれ)没頭すること。無常観が反転して、虚無的な享楽主義となる。そのふしぎなエネルギーの発散。

「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」閑吟集、大岡信ことば館

 

大岡信は「狂う」をほりさげて、「我を忘れて何かに没頭すること」としている。

この解釈は、その後に書かれる「虚無的な享楽主義」ということを超えるようにして、生きるということの、いっそう深い歓びを表現している。

歓びを感じるときというのは、ぼくたちが(短絡的な手段によらない仕方で)「我を忘れて」いるときである。

最近では、「フロー体験」などとも呼ばれ、ビジネスの現場においてもよく議論にのぼってくる。

大岡信は「虚無的な享楽主義」という書き方をしているけれど、むしろ、その後に書かれている「そのふしぎなエネルギーの発散」というほうが、この歌の本質をついているように、ぼくには見える。

大岡信のこのような注釈を、ひろさちやの注釈に重ねていく仕方で、この歌のもつ光がよりいっそう強くなるのだ。

それにしても、室町時代の人たちの見晴るかしていた「世界」の深さと、そこに切り開こうとした生き方に、ぼくは心を打たれる。

 

真木悠介の言葉の反転は、虚無に陥るのではなく、ぼくたちが生きているこの生の愛おしさを照らし出す光を、その言葉のうちにもっている。

「しかし、この夢こそが人生なんだ」というところに、虚無ではなく、いっそうの夢が、豊饒に重ね合わせられる。

ぼくたちは、この一期の夢を、この世に生きる間に、ただ生きつくすのみである。

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「そんなに急いで、どこにいくのだろう?」という問い。- <心のある道>(ドン・ファン、真木悠介)へ。

「そんなに急いで、どこにいくのだろう?」と、社会や世間のようなものに、疑問を抱いていたことがあった。

「そんなに急いで、どこにいくのだろう?」と、社会や世間のようなものに、疑問を抱いていたことがあった。

日本が高度経済成長を果たし、効率を追求しつづけていた1980年代から1990年の中葉にかけて、その時代に10代から20代を過ごしたぼくは、人や社会は「そんな急いで、いったい、どこに向かっているのだろう」と問わずにはいられなかった。

「どこに向かっているか」もわからないままに、「将来のため(今…しないといけない)」という呪文が、加わってくる。

それでも、社会のレールから完全にはずれてゆくことはなく、ぼくは大学に進学する。

 

大学2年を終えて、ぼくは休学して、ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに住むことにした。

前半はオークランドに滞在し、日本食レストランで働き、後半はニュージーランドの旅に出た。

その旅で、ニュージーランド南島のあるところでトレッキングをしているときに、ぼくは、ぼくの身心を射抜いていくような「言葉(質問)の贈り物」を得ることになった。

ニュージーランドの山はよく管理されていて、山小屋も整備されている。

これら山小屋を移動していくことのできる形に、トレッキングのコースがつくられている。

あるとき、ぼくは山小屋を早朝に出発し、歩みを進め、昼過ぎには次の山小屋に到着することになった。

夕方くらいに一人のトレッカーが到着する。

スウェーデンから休暇で来ているという彼女は、ぼくと言葉を交わすなかで、ぼくに次のように尋ねた。

「ジュン、あなたは道中何を見てきたの?」

彼女は、道中、道の脇に咲く花や草木、あるいは彼女をむかえる鳥たちに魅せられながら、時間をかけて、どの道程を楽しんできていたのであった。

ぼくは次の山小屋という「目標」に目を向けて、道中をかけぬけてきてしまっていたから、返す言葉を失ってしまった。

この言葉(質問)は、ぼくのなかに今でも光源として輝きをもっている。

 

「目標」に向かって、その道程を見ることもせず、一心不乱に向かってゆくということ。

その目標がただの「山小屋」であったとき、その一心不乱さに、どんな意味があるのだろう。

ぼくは、「将来のため」に<今>を疎外していくことに疑問をもちながら、しかし、山を歩くということのなかでさえも、「山小屋への到着のため」にその<道程>を疎外してしまっていた。

 

作家である沢木耕太郎の、比較的初期の著作に『バーボン・ストリート』(新潮文庫)というエッセイ集がある。

素敵なエッセイのなかのひとつに、「風が見えたら」というエッセイがある。

世界での優勝経験もある世界レベルの女性ランナーが、マラソン大会を走りながら、とつぜんに、コースのまわりにひろがっている「風景」がいっぱい、目に入ってくるのを感じてしまう。

その風景に懐かしい思い出も重なりながら、彼女は「これで充分」という感覚を覚え、他のランナーに追い抜かれても気にならなくなってしまった。

その大会の優勝者は、インタビューのなかで、沿道の「風景」はまったく見えていなかったということを読んだ彼女は、自身も以前は「風景」が見えていなかったことに気づき、じぶんは「負けるべくして負けたのだ」と思ったということを、沢木耕太郎はエッセイにまとめている。

沢木耕太郎は、東京五輪で銅メダルを獲得した円谷幸吉選手にも触れながら、円谷は「風を見たことがなかったにちがいない」と書いている。

「一心不乱のまま」の者と、「風が見えて」しまった者。

そこに、「あなたは道中何を見てきたの?」という言葉が、ぼくのなかで重なってゆく。

ぼくは、風の予感にみちびかれながら、風をみようとしてきた者、生きていこうとしてきた者であるかもしれないと、思う。

 

あるブログを読んでいたら、沢木耕太郎のこのエッセイにふれながら、オリンピックのメダリストである有森裕子を重ね合わせて読んでいる方がいた。

その文章を読みながら、ぼくは、東ティモールに住んでいたときに、NGOの活動で東ティモールを訪れた有森裕子氏にお会いしたことを、思い出した。

2000年代の半ば頃のことである。

その記憶をたぐりよせながら、確かに、有森裕子氏は「風を見た」のではないかという想念が、ぼくのなかに湧き上がってくる。

その想念はこの文章を書きながらわきあがってくるものであるけれど、10年以上前、有森裕子氏にお会いしたときも、ぼくは同じことを感じていたかもしれないと、思う。

 

ぼくの「そんなに急いで、どこにいくのだろう?」という問いは、あのニュージーランドの旅から日本に帰ってから出会った本によって、問いがひらかれていくことになる。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)のテーマ、そこに記された思想と言葉が、ぼくのなかの光源となり、今でもぼくの生の道ゆきを照らし出してくれる。

メキシコのヤキ族のある老人の生きる世界を描く、カルロス・カスタネダの著作シリーズを読み解きながら、真木悠介は次の言葉に光をあてる。

 

 ドン・ファンというこの老人にカスタネダは十年ほども弟子入りしてインディアンの生き方を学ぶ。その教えの核のひとつが「心のある道を歩む」ということだ。
 一冊目の本の扉のところに、美しいスペイン語の原文とともに、ドン・ファンの言葉が引用されている。
 ➖わしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつがずに、目を見ひらいてわしは旅する。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

<心のある道>を旅すること。

それは、よく言われるような、「楽な道か、苦難の道か」という対比でもなく、そのような近代・現代社会に埋め込まれた観念をもすりぬけていく。

道のゆくさきではなく、道がうつくしさに祝福されているか、心のある道ゆきかを、「知者」は問題とし、<心のある道>を選ぶ。

ぼくも、<心のある道>を生きていきたい。

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「こんな生き方もあるんだ」という感覚。- 「自明性の罠」(見田宗介)をひらく。

アジアを旅し、海外(ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港)に住んできて、ぼくにとって大きかったことのひとつは、いろいろな人たちに出会ったり、いろいろな人たちと同じ空気を吸いながら、「こんな生き方もあるんだ」ということを、肌感覚で認識してきたことである。

アジアを旅し、海外(ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港)に住んできて、ぼくにとって大きかったことのひとつは、いろいろな人たちに出会ったり、いろいろな人たちと同じ空気を吸いながら、「こんな生き方もあるんだ」ということを、肌感覚で認識してきたことである。

いわゆる(狭義での)「情報」としては、ぼくたちは、「いろいろな生き方」があるということは知っている。

けれども、頭でわかっているだけで、「いろいろな生き方」を実感し、いろいろな生き方へとひらかれてゆくことは、それほど容易ではなかったりする。

「いろいろな生き方」をしている人たちが、じぶんの<実感として感じることのできる範囲>に現れることで、「いろいろな生き方」が、ぼくたち自身が自身のなかに仕掛ける<自明性の罠>(見田宗介)のなかに忍び込み、その罠をときほどいてゆく力を宿していく。

あくまでも、ぼくの経験上のことである。

 

アジアを旅しながら、ぼくはいろいろな「旅人」に出会ってきた。

1年以上の「年単位」で旅する旅人たちが存在することは、いろいろな本でも読めるし、情報としては知っている。

しかし、宿のドミトリーで、そんな人たちと会話をしていると、「いろいろな生き方があってもよい」という感覚が、ぼくの「あたりまえ」という<自明性の罠>に入り込んでゆく。

 

ニュージーランドに暮らしながら、そこでもいろいろな人たちに出会った。

アジアの国々から家族で移住してきた人たち、ニュージーランドで農場を営む人たち。

キャンプ場で出会った陽気な旅人たちは、イスラエルの兵士たちだと知る。

ぼくと同じように、ワーキングホリデー制度を利用して、「何か」を求めながら暮らしている日本の人たちなど。

 

西アフリカのシエラレオネでは、長い紛争が終わった後に、一生懸命に生活を立て直そうとする人たちがいた。

国連や国際NGOで働いている人たちも、いろいろな人たちで、シエラレオネという土地で、いろいろな人たちの人生が交差した。

世界の紛争地をかけめぐって支援をしている人たちもいる。

各国の軍隊や警察の人たちと、たまたま、このシエラレオネで出会う。

会う人たちそれぞれが、それぞれの「生き方」をもっていて、「生きる」ということが直線である必要もなく、いわば「物語」に充ちていることを知る。

 

「こんな生き方もあるんだ」という認識にひらかれる前は、ほんとうに狭い生き方の「枠」のなかに閉じ込められていたようで、ぼくはそれらをまるで「あたりまえこと」のようにして生きていた。

「あたりまえのこと」のような「現実」をつくっていたのは、(今思えば)ぼく自身であった(「ぼく」というのはひとつの<現象>であって、そのうちに、社会や世間などの他者の考えや声が入り込んでいるから、単純に「ぼく自身」と言い切れないところがあることは注記である)。

「あたりまえ」と勝手に思っていた社会やそこでの生き方から離れてみて、そしていろいろな人たちがぼくの半径○メートルという世界に現れて、ぼくのなかでの<自明性の罠>に亀裂が入っていったようだ。

 

シエラレオネの次に住んだ東ティモール。

こちらでも、長年にわたる紛争をのりこえてきた人たちに出会った。

一緒に働いたコーヒー生産者とその家族たちの「生き方」にも、どっぷりとつかった。

国連や国際NGOで働いている人たちの生きてきたルートもさまざまである。

 

それから、ここ香港。

ここはここで、多様性のある社会であり、家族の大切にされる社会である。

やはり、いろいろな人たちが、いろいろな生き方をしている。

 

ぼくは、このようにして、「こんな生き方もあるんだ」という感覚を、ぼくの<自明性の罠>からひらかれるようにして、ぼくのなかにつくりだしてきた。

このように、「生き方の幅」がひろがったことは、ぼくのなかで根拠のない自信も形成する。

なにがあっても大丈夫。

どのような人生のルートをとっていこうとも、どうにかなってゆく。

ぼくのなかに存在する他者たちも、ぼくにそう語りかけてくる。

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日本, 海外・異文化 Jun Nakajima 日本, 海外・異文化 Jun Nakajima

海外で、じぶんの「出身地」を語る準備。- 「静岡県浜松市」を、海外の人たちに伝える。

海外へ旅したり、海外に住んでいくうえでは、じぶんの「出身地」を語れるようにしておくことの大切さを、ぼくは経験から学んできた。

海外へ旅したり、海外に住んでいくうえでは、じぶんの「出身地」を語れるようにしておくことの大切さを、ぼくは経験から学んできた。

ぼくの感覚として、以前は、海外にいるとき「どこから来たんですか?」と聞かれて、「日本から来ました」と応答すれば、比較的多くの場合、それでいったんその話題は終わった。

しかし、最近は、ここ香港に住んでいると、日本に旅行で行く人たちがたくさんいるからか、「日本のどこの出身ですか?」ということを聞かれる。

香港の方々のなかには、ぼくよりもはるかに頻繁に日本に行く人たちもいるし、またぼくが行ったこともないような日本の地方を旅している方々もいたりして、「日本から」ということだけでなく、「日本のどこから」ということが、話題としてあがってくることになる。

 

出身地が「東京」や「大阪」、あるいは「北海道」や「沖縄」であれば、それだけを語れば、おおよそわかってくれるのであるけれど、ぼくの出身は「静岡県浜松市」である。

「静岡」と「浜松」という地名だけでは海外の方々はイメージがわかないから、ぼくはそこにキーワードを加えていくことになる。

 

まずは、「場所」からだ。

東京と大阪はよく知られているから、ぼくは「東京と大阪の中間にある」ことでイメージをつけてもらう。

そこに、浜松からは若干距離があるけれど、静岡県は「富士山」があるところだとも伝える。

会話のなかでは、場所の正確性が求められているのではないから、浜松から富士山の距離は問題ではないと思う。

 

「場所」のイメージを持っていただいてから、ぼくは「浜松」にまつわるキーワードを加えていく。

ぼくが挙げるのは、ホンダ、ヤマハ、スズキ、である。

「ホンダ、ご存知でしょう?」

「それから、ヤマハ、ご存知ですね?」

「スズキも、ご存知ですね?」

ここまで来れば、ここ香港に限らず、世界のいろいろなところでも、ぼくがどんなところから来たのかを知っていただけることになる。

繰り返しになるけれど、詳細の正確な情報ではなく、海外の人たちとの共通の情報や話題を通じて<つながり>をつくっていくプロセスである。

 

ここ香港では、これらのキーワードに加えて、最近は「キャプテン翼」が加わった。

漫画「キャプテン翼」は、ここ香港でよく知られている。

キャプテン翼の南葛小は、設定上は「静岡県」にあることになっている。

だから、ぼくはキャプテン翼の大空翼と同じ県から来たのです、と伝えることになる。

日本の漫画は、海外でも、<つながり>をつくってくれるのだ。

 

それから香港のショッピングモールで、ぼくは、ハッとした。

「ちびまる子ちゃん」を忘れていたと、「ちびまる子ちゃん」のキャラクターを見つけて気づいたのだ。

香港で人気の「ちびまる子ちゃん」。

漫画「ちびまる子ちゃん」の舞台は、静岡県清水市であった。

 

「キャプテン翼」や「ちびまる子ちゃん」など、日本の漫画のキャラクターと同じ場所(静岡県)の出身であること(そしてそのことを語ること)は、ある意味、バカバカしいことであるかもしれない。

しかし、それらを通じて、ぼくは、海外の人たちとの<つながり>をつくっていくことができる。

ぼくは、それでいいのだと、思う。

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「ルービックキューブ」の完成を体験してみる。- <できる>という身体感覚。

「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである。

「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。

ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである(※参照:Rubik’s Brand社のホームページより)。

1980年に世界で販売されるようになってから、推定4億個ものルービックキューブが販売されたようだ。

ルービックキューブは、一面は3x3=9個のキューブ、6面から成る(※現在は様々なバージョンがある)。

それぞれのキューブには色がつけられ、色がバラバラの面を、面ごとに同じ色にしてゆく。

生徒たちに3Dの問題を理解してもらいたく創られたもので、ルービック教授も最初にルービックキューブを創った際には、このパズルを解くのに1ヶ月を要したという。

年を重ねるごとに、パズルを解くスピードが上がり、2017年の大会では、優勝者は「4.59秒」という(ぼくはまったく予測もしなかった)秒数で、完成させている。

 

なぜルービックキューブのことを書いているかというと、家を掃除しているときに、以前購入した、携帯用のルービックキューブが出てきたことが、もともとのきっかけである。

「携帯用」のものを購入したのは、海外への空旅の際にでも取り組めるものとして、だいぶ前に購入したのであった。

電源が必要なものでもないから、例えば、飛行機に乗って、飛行機が離陸するときにも楽しめると思ったことを覚えている。

ただ、購入後、あまる楽しむことなく、家の隅に埋もれていたのであった。

 

ルービックキューブはぼくが小さいころに流行していて、そのときにときおり挑戦していたのだけれど、当時も、そしてつい最近になっても、「一面」を作る(=一面を同じ色のキューブで揃える)ところまでしか、ぼくにはできなかった。

家の隅から出てきた携帯用のルービックキューブを目の前にして、つい、ガチャガチャと動かしたくなる。

手にして一面を作ってみると、さらに、その先に進みたくなる気持ちが湧いてくる。

今では、インターネットでパズルの解き方(6面のそれぞれの色を合わせる仕方)が出ているから、ぼくはそれらの「教え」にしたがって解いてみることにした。

 

そのように決めて、ぼくはその「教え」に忠実にしたがって、ルービックキューブをガチャガチャと動かしていく。

それまで一面ができたら次の一面というように「順次」色をあわせていくと思っていたのだけれど、そうではない方法にふれて、ぼくの考えがまったく狭かったことに気づかされる。

そのような気づきに出会いながら、ぼくは忠実に「教え」にしたがって、色をあわせていくことになる。

最終段階に入り、やがて、ぼくは、人生で初めて、ルービックキューブを、この手で完成させることとなったのだ。

 

「やり方」を教えてもらいながらの完成ではあるのだけれど、進めてゆくさいに上述のような気づきを得ることで「やり方」以上のことを学ぶことができたし、また完成できたことそのものに嬉しさを感じることができた。

<できる>ということが、体験を通じて、この身体にその感覚をのこす。

ぼくのなかでは「無理」だと思っていたことが、<できることを体感すること>で、大切な感覚を与えてくれたように、ぼくは感じている。

そして、このような感覚は、ルービックキューブに限ることなく、生きていくうえで、いろいろな状況においても大切なことであるように、ぼくの身体は思ったのだ。

その感覚の余韻を今でも身体に感じながら、ぼくはルービックキューブについて書くことにした、というわけである。

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「心を込める」という教えにひらかれてゆく道。- 新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』。

NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で「清掃のプロ」として取り上げられ、著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版、2015年)の著者でもある、「清掃の職人」新津春子。

NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で「清掃のプロ」として取り上げられ、著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版、2015年)の著者でもある、「清掃の職人」新津春子。

日本空港テクノ株式会社社員として、羽田空港における清掃の実技指導者である。

上記番組のディレクター築山卓観に「仕事の流儀」をたずねられて、新津春子は次のように応えている。

 

「心を込める、ということです。心とは、自分の優しい気持ちですね。清掃をするものや、それを使う人を思いやる気持ちです。心を込めないと本当の意味で、きれいにできないんですね。そのものや使う人のためにどこまでできるかを、常に考えて清掃しています。心を込めればいろんなことも思いつくし、自分の気持ちのやすらぎができると、人にも幸せを与えられると思うのね」

新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』毎日新聞出版、2015年

 

仕事の流儀として、「心を込める」と応える清掃職人の新津春子だが、そこにはドラマがある。

新津春子は、17歳のとき、生まれ育った中国の瀋陽から、両親と姉と弟とともに日本に渡る。

父は中国残留日本人孤児、母が中国人。

1987年にようやく日本に渡ったのちも、生活の厳しさのなか、日本語ができなくてもできる清掃の仕事に就く。

若いときは清掃の技術を身につけることに一生懸命で、仕事も技術の勉強も熱心であった新津春子。

そんな新津春子の仕事を技術だけではないレベルに引き上げたのは、上司の鈴木優常務との出会いであった。

鈴木常務は、新津春子を褒めることはせず、「もっと心を込めなさい」と言うばかりであったという。

仕事熱心でがんばっている新津春子は、何が足りないのかわからず、また「認められない」苦しさがのしかかる。

 

あるとき、その鈴木常務にすすめられて、新津春子は「全国ビルクリーニング技能競技会」に出場することになる。

そこで絶対に一位で予選会を突破できると思っていたところ、全国大会への切符を手にしたが、一位ではなく、二位で終わってしまう。

自分に何が足りないのかわからないままに、しかし、そんな折、鈴木常務の言葉に導かれながら、新津春子は気づきと変化を見つけてゆくことになる。

 

 あるとき、鈴木常務に、「心に余裕がなければいい清掃はできませんよ」と言われました。自分に余裕がないと、他人にも優しくなれないでしょう、と。
 そんなころ、空港のロビーで、親の手をすり抜けて床をハイハイする赤ちゃんを見かけたときに、はっとしたのです。今手にしているモップで清掃していいのだろうか?
 それまでは、私は自分のために仕事をしていました。なにしろたたかう相手が自分でしたから。それが、使う人のためにもっときれいな場所にしたいという気持ちに変わったのです。一見きれいになったように見えても、モップ自体に雑菌が残っていたかもしれない。見えないところに汚れが残っているかもしれない。「かもしれない」「本当に大丈夫?」と、使う人の気持ちになってもう一度見直すようになったのです。

新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』毎日新聞出版、2015年

 

その後、鈴木常務との猛特訓を受けて参加した全国競技会では、見事に「優勝」を勝ち取ることになる。

優勝を鈴木常務に報告した際の、鈴木常務の言葉に、新津春子は、今でも当時を思い出しながら、心を深く動かされるようだ。

鈴木常務は、新津春子に次のように語る。

 

「優勝するのはわかっていましたよ。…それだけがんばっていることは知っていましたから」、と(前掲書)。

 

この言葉に、「やっと認められた」という思いを新津春子は覚える。

鈴木常務の言葉に「認められた」と感じたのだけれども、それは、ほんとうは(心の深いところでは)、新津春子の<自分による自分に対する承認>であったように、ぼくには感じられる。

それからというもの、「周り」が変化しはじめてくる。

空港を清掃する新津春子に、お客様が「ありがとう」とか「ご苦労様」という声をかけることが増えていったという。

このプロセスのうちに、新津春子は「心を込める」という、手にとってみることのできないことの本質をつかんでゆく。

こうして、冒頭の新津春子の「仕事の流儀」は、語られる。

 

新津春子の著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版)は、「仕事」から「生き方」にいたるまで、さまざまなヒントでいっぱいである。

それらを読んでいると、なぜ「新津春子」という清掃職人が生まれたのかが、文章から、そしてその行間からも、伝わってくるようだ。

 

そんな新津春子にとって、空港の清掃のなかで「いちばん楽しい仕事のひとつ」は、子供たちが窓ガラスにづけていった小さな手の跡を拭き取ることであるかもしれないと、彼女は言う。

空港に来た子供たちははしゃいでいて、ロビーの床に尻もちをついたり、展望デッキの窓ガラスにぺたぺたと手をついたりする。

子供たちが楽しんでいる姿だけでなく、母親が「その場所が清潔だと感じて」子供たちを自由にさせていることを感じて、嬉しくなるという。

そのように感じる心が、窓ガラスにつけられた「小さな手の跡」にいらだつのではなく、そこに「いちばん楽しい仕事のひとつ」を新津春子に感じさせている。

そしてさらに、大人には見えない手すりの下側やソファの脚などにも、お構いなしにさわる子供たちを「どこを清掃すべきかを教えてくれる」存在であると新津春子が語るとき、そこには、「心を込める」という目に見えないことが、まるで、目に見えるような仕方で目の前に現れているように、ぼくは感じてしまうのである。

 

いつか、羽田空港で新津春子氏にばったりとお会いすることがあれば、ぼくは、迷わず、声をかけさせてもらうと思う。

そして、迷わずに、御礼の言葉を伝えさせていただくと思う。

さらには、ここ香港でも(そして他のところでも)、清掃をしてくれている人たちには、これからも、できる範囲で、御礼を伝えたいと、ぼくは思う。

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「喪われた全体性」への渇きと希求。- <近代・現代>社会を乗り越える地平からの、真木悠介の眼差し。

日本の神道の神社に行くと、そこは「清浄感」で満たされ、箒(ほうき)で玉砂利を掃き清められた、塵(ちり)一つ落ちていない空間に入っていくことができる。

日本の神道の神社に行くと、そこは「清浄感」で満たされ、箒(ほうき)で玉砂利を掃き清められた、塵(ちり)一つ落ちていない空間に入っていくことができる。

しかし、本来の神社は、そうではなかったということが民俗学の研究によりわかってきたことを、民俗学者であった谷川健一の論考(「祭場と葬所」)にも触れながら、社会学者の真木悠介は語っている。

1977年に行われた花崎皐平との対談(「<心のある道>は勝ちうるか」)においてである。

 

…元々はお宮の中にお墓があったわけですね。祭り事をする部分と死者を葬る部分というのが抱き合わさって、その全体性がいわば聖なる場所だった。それは本来の土着信仰としての神道ですね。その土着の神道が次第にきたないもの、否定的なものー死んだ人間とかそういうものの処理を疎外して、仏教にゆだねるわけでしょう。そこで神道と仏教の二重信仰という、世界でも珍しい日本人の信仰が生れてくるわけですね。だから今でも葬式は仏教、お宮参りとか結婚式は神道、というのが普通ですね。

花崎皐平・真木悠介「【対談】<心のある道>は勝ちうるか」『展望』第225号、1977年9月

 

日本人の信仰において「神道と仏教の二重信仰」につながってゆく力線を、<きたないもの、否定的なものの疎外>という視点において、真木悠介は明晰にとらえている。

<きたないもの、否定的なものの疎外>の帰結としてある「二重信仰」を、(宗教を信仰していても、していなくても)生活の一部として生きている。

また、<きたないもの、否定的なものの疎外>という力学は、他人事ではない。

真木悠介は、じしんの中心的な問題関心でもある<近代の乗り越え>という地平から、このような「排除の構造」を現代社会のうちにみてとっているが、ここでも「神道と仏教の二重信仰」という事象のなかに、同じ構造を読み取っている。

 

 そういうふうに、土着の神道というものが次第にきたないもの、否定的なものを疎外していく過程と、神道が国家神道として民衆から疎外されて、あるいはみずからを疎外して民衆の上にそびえ立つという過程とが同じであるわけです。このことはじつは<近代>世界の、土着性からの自己疎外の過程、つまり、上昇の裏面としての自己抽象化ということと同じ構造をもつように思う。だから、喪われた全体性への渇きのようなものが、外見上は下降欲求として現れる。花崎さんが表層的には「ヒッピーになった」とうわさされたというようなことも、ぼくたちの時代の<自己解放>のとらざるをえないかたちとつながっているように思えます。…

花崎皐平・真木悠介「【対談】<心のある道>は勝ちうるか」『展望』第225号、1977年9月

 

<近代>世界は、このように、<きたないもの、否定的なものの排除>の上に、それらを別の仕方で抑え込みながら、成り立っている。

 

「排除の構造」について、真木悠介は見田宗介名で、日本の「都市」に、そのような排除の構造があることを指摘している。

1983年に日本に開園した東京ディズニーランドに関する、社会学者・吉見俊哉の分析を引きながら、ディズニーランドにおける「人口の空間の、徹底して外部を排除する自己完結性」が、現代の都市の凝縮されたモデルであることに触れている(見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、および『社会学入門』岩波新書)。

例えば「渋谷」は、1970年以降の資本の展開において、「巨大な遊園地空間」として創られ、そこでは、かわいくないもの・きたいないもの・ダサいものが「排除される構造」をもってきたと分析されている。

おしゃれで、キレイな空間において排除されるような、土や汗や「きたない」仕事などは、消費という一連の流れにおける始点と末端でどうしても発生するものであるけれど、それらは、移民労働者やいわゆる発展途上国などの「見えにくい世界」に託されることになる。

 

見田宗介は、このような社会の構造について、後年(1996年)、『現代社会の理論 情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書)という名著に結実させてゆくことになる。

そこで目指されていたことのひとつは、この著書の刊行よりも20年前に行われた(上述の)対談にてふれられていた「喪われた全体性」への渇きをもつ世界というものを、「情報化・消費化社会」の闇の巨大と光の巨大をともに見晴るかしながら、いわば<全体性>のなかにおさめてゆくことであった。

そして「喪われた全体性」への渇きと希求は、社会のことであるばかりでなく、社会という関係の網の目をつくる個々人ひとりひとりの「内面における喪われた全体性」に照応する仕方で、真木悠介=見田宗介は語り続けている。

そこに、<近代・現代>という時代を乗り越えてゆくための、「ピボット(旋回軸)」の支点ともいうべきものが、打たれてある。

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「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima

「新入生に贈る一冊」を選ぶとしたら。- 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』。

日本では4月から「新年度」が始まったばかりである。

日本では4月から「新年度」が始まったばかりである。

海外に住んでいると、そこにはまた異なる社会の流れがあるから、ぼくは、ここ香港で、感覚としては文化の狭間に置かれる。

日本のニュースなどを通じて、この「新年度」の雰囲気を垣間見ることができるのと同時に、ぼくは日本に住んでいたころの記憶に「新年度」を感じる。

 

新しく高校や大学に入る「新入生」たちにとっては、ありふれた言い方だけれど、期待と不安の入り混じったスタートであるかもしれない。

そんな新入生たちに出会ったとしたら、ぼくは、どうするだろうか。

ぼくは、やはり、本を手渡すように、思う。

本は、見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)である。

もちろん、新入生の方々は多様であり、ひとりひとりにおいて、問題意識も関心も異なっている。

それでも、ぼくは、この本をやはり選ぶだろう。

 

理由をあえて挙げるとすれば、次のような理由を挙げる。

  1. 「社会学」という枠を超えて「学問する」ことの<初めの炎>に触れられている
  2. 「学問」を超えて、「生きること」の本質と方法論が書かれている
  3. 「生きること」において、「現在」と「未来」が深く、そして太い線で描かれている

文系・理系にかかわらず、この「現代社会」に生きる人たちすべてにとって切実な<人間と社会>の問題と課題に本書は照準しているのである。

本書のカバーの見開きには、次のように、本書が紹介されている。

 

「人間のつくる社会は、千年という単位の、巨きな曲り角にさしかかっている」ー転換の時代にあって、世界の果て、歴史の果てから「現代社会」の絶望の深さと希望の巨大さとを共に見晴るかす視界は、透徹した理論によって一気にひらかれる。初めて関心をもつ若い人にむけて、、社会学の<魂>と理論の骨格を語る、基本テキスト。

見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年

 

本書の「目次」は下記の通りである。

 

【目次】

序 越境する知ー社会学の門
一 鏡の中の現代社会ー旅のノートから
  [コラム]「社会」のコンセプトと基本のタイプ
二 <魔のない世界>ー「近代社会」の比較社会学
  [コラム]コモリン岬
三 夢の時代と虚構の時代
四 愛の変容/自我の変容ー現代日本の感覚変容
  [コラム]愛の散開/自我の散開
五 二千年の黙示録ー現代世界の困難と課題
六 人間と社会の未来ー名づけられない革命
補 交響圏とルール圏ー<自由な社会>の骨格構成

 

本書のタイトル『社会学入門 人間と社会の未来』から、ぼくなりの「解題」をするとすれば、次のようになる。

 

(1)「社会学」

「社会学」ということについては、いわゆる専門領域としての「社会学」はもとより、見田宗介の「社会学」は<社会の学>というべきほどに、その問題意識と論理は「社会」の全域を貫いている。

 

(2)「入門」

「入門」とあるように、本書の一部は、見田宗介の「社会学概論」のような講義を圧縮して収録されている。

しかし、「入門」はある意味において、入門であるからこそ、問題や課題のコアに一気に直進してゆくところがある。

その意味において、ぼくは、(この本に出会って10年近く経った)今でも、なんどもなんども、この本に立ち戻っている。

 

(3)「人間と社会」

「社会」とは、人と人との<関係>のことである。

その意味において、「社会学」とは、<関係としての人間の学>(見田宗介)である。

そのような視点のうちに、見田宗介の問題意識は、つねに、社会の制度的な「ハードの問題」と、人間の内面という「ソフトの問題」を相互に連関させている。

仮に、そこに明確に語られていなくても、社会のシステムを語るときには「自我」の問題が、また自我を語るときには「社会のシステム」の問題が息づいている。

 

(4)「未来」

この本の射程は「未来」に向かって、はるかにのびている。

本書の「五 二千年の黙示録ー現代世界の困難と課題」「六 人間と社会の未来ー名づけられない革命」「補 交響圏とルール圏ー<自由な社会>の骨格構成」は、いずれも、人間と社会の「未来」に向けて、その方向性を、太く深いところで明晰にとらえている。

情報テクノロジー、仮想通貨などの未来を語る情報が日々ながれてくるなかで、さらにその深い地層において「未来」への道筋(可能な道筋)をとらえておくことができる。

メディアにながれるそのような未来の言説にじぶんがながされないように、見田宗介の素描する「未来」は、ぼくたちの足場を確かなものにしてゆく力となると、ぼくは思う。

 

見田宗介(あるいは真木悠介というペンネーム)の数々の著作が「分類の仕様のない本」であるように、本書も、「分類の仕様のない本」であると、ぼくは思う。

それは、ぼくたちの「生きる」ということへの、真摯で暖かいまなざしにつらぬかれているからでもある。

 

本書の第一章では、「社会学は比較社会学である」というエミール・デュルケームの言葉を引きながら、自然科学と異なり、社会の科学においては「実験」ができないこと、しかし「比較」ということを方法とすることができることを、見田宗介は語っている。

 

…人間が歴史の中で形成してきた無数のさまざまな「社会」のあり方は、これを外部から客観的に見ると、人々がそれぞれの条件の中で必死に試行してきた、大小無数の「実験」であったと見ることもできます。一つの「企業」、一つの「家族」のような小さい社会でも、「幕藩体制」とか「資本主義」とか「社会主義」というような大きい社会でも、それがどういう社会であるかは、他の企業、他の学級、他の家族、他のシステムと比較することをとおして、はじめて明確に認識し、理解することができます。

見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年

 

「比較」は、日常の生活の語彙としては、現在において「競争」の文脈のなかに投げ入れられたりする。

どちらが優位、どちらが劣位というように、「競争社会」という、社会の諸相の一面に偏って、とらえられ、語られ、意識される。

しかし、ここでの「比較」は、それとは垂直に異なる方向性において、方法論のひとつとして、取り出されている。

 

…社会学の方法としての「比較」は、<他者を知ること>、このことを通しての<自明性の罠>からの解放、想像力の翼の獲得という、ぼくたちの生き方の方法論と一つのものであり、これをどこまでも大胆にそして明晰に、展開してゆくものです。

見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年

 

ぼくのブログで幸いにも多くの読者を得ている、「<自明性の罠からの解放>(見田宗介)。- 生き方の方法論の一つとして」と題したブログで触れた、ほんとうに大切な視点と生き方が、本書のここで語られている。

このように、比較社会学の方法は、生き方の方法論と「一つのもの」として、見田宗介のなかでは構想され、展開され、ぼくたちの「学ぶ」ことだけでなく、ぼくたちの「生きる」ことを<解き放つ>ところに、ひらかれている。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

じぶんの周りで起こっていることと、じぶんの内面をつなげて、観る。- 「360度、全方位的に『人生のヒント』」(心屋仁之助)。

心理カウンセラーである心屋仁之助の著作『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』(三笠書房、2017年)では、これまでの心屋仁之助の語ってきたこと(じぶんで実践・実験してきたこと)が、現時点において、集大成的にまとめられている(ように、ぼくは読んだ)。

心理カウンセラーである心屋仁之助の著作『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』(三笠書房、2017年)では、これまでの心屋仁之助の語ってきたこと(じぶんで実践・実験してきたこと)が、現時点において、集大成的にまとめられている(ように、ぼくは読んだ)。

「前者/後者論」についても、冒頭から触れられている。

本の後半、第4章「「言葉に出せる」人は、強い」の「6「あなたの耳に引っかかる話」が教えてくれること」において、「360度、全方位的に「人生のヒント」がある」ということを、心屋仁之助は語っている。

 

 あなたの耳に引っかかる話があるなら、それは、あなた自身が心の中で思っているけれど、そのことに気づいていないよというサイン。無意識のうちに「他人の口」を借りて、自分の思っていることを主張しているということです。
 そう考えると、僕たちの日常生活は、360度、全方位的にヒントだらけです。全部、自分から出ている言葉ですから、悪意などはどこにもありません。
 あるとしたら、自分に対する悪意だけです。…

心屋仁之助『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』(三笠書房、2017年)

 

「耳に引っかかる話があるなら、それは、あなた自身が心の中で思っている」ことというのは、心屋仁之助じしんが別の言葉で言うように、「自分が考えていることを、自分の近くにいる人の口からしゃべらせる」という、ぼくたちのする「奇妙なこと」である(※前掲書)。

この視点と世界の見方は、とても大切であると、ぼくも思う。

 

近代的自我は、その生成の本質において、「自我」をそれ自体、独立したものとする。

それは、個人と集団という切り分け方だけでなく、じぶんと周りの「世界」に起きていることを切り離す。

外部のことは外部で起きていること、じぶんの心の内面のことは内面のこと、というように。

『7つの習慣』(Stephen R. Covey)における「パラダイム」も、あるいは「外向きのマインドセット」(The Arbinger Institute)も、あるいは経済学者・内田義彦の教える社会科学も、<外部のこと>と<内部のこと>をつなぐものである。

そのように、<外部と内部がつながる世界>を俯瞰して観ることで、「自分が考えていることを、自分の近くにいる人の口からしゃべらせる」ということは「奇妙なこと」ではなくなり、全方位的に「人生のヒント」として、ぼくたちに立ち上がってくる。

じぶんの近くにいる人たちは、ときに、「嫌な思い」をしながら、じぶんが嫌だと考えていることをじぶんの代わりに語ってくれている。

「嫌なこと」(嫌だとじぶんが考えていること)を言われたときは、だから、「チャンス」である。

 

このようなことは、決して、「奇妙なこと」ではない。

シンプルに言えば、「心の中にある」から「耳に引っかかる」ということでもある。

また、異なる角度から、例えば、映画などの物語をつくるとして、登場人物をかんがえ、場面をかんがえ、物語の流れをかんがえていくとする。

そのとき、物語は、スクリーンに見られる<外部>の出来事と、登場人物の<内面>の心や感情の動きを親密に接合させながら、つくられてゆく。

主人公が「変わる・決断する・成長する」ときには、他の登場人物に主人公が「嫌だとかんがえていること」を語らせ、その言葉に心の深くまで射られる主人公は、気づき、ひらめき、行動を起こしていく、というように物語を構成していったりするだろう。

同じように、ぼくたちの「人生」も、じぶんの考えていることが顕現する「世界」(あるいは「物語」)として、<オン・エア>されるのである。

 

日常生活でおきることに対して、他人事のように指を指して文句や不平不満を言い続けるのか、あるいは、「360度、全方位的に「人生のヒント」」として気づきを得てゆくのか。

そこには「正しさ」があるというよりは、じぶんの人生の<選択>がある。

じぶんはどちらの生き方を選ぶかという選択である。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

「前者/後者論」(心屋仁之助)の根拠に関する、ぼくの仮説。- 「前者/後者」の身体価。

心理カウンセラーの心屋仁之助に、よく知られている「前者/後者論」がある。

心理カウンセラーの心屋仁之助に、よく知られている「前者/後者論」がある。

心屋仁之助の著作『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい』(王様文庫、2017年)における「前者/後者論」の記述をまとめると(要約ではない)、下記のようになる。

 

●「前者」=「空気が読めて、理解力もあり、理論的。表現力もあって、多くのことを同時にこなせ、処理能力も高い」タイプ。努力しなくても、比較的マルチに、複数の仕事を同時にこなせるタイプ。「有能」タイプ。「秀才」タイプ。

●「後者」=「天然で癒し系、表現がストレートで、何でも素直に受け取る(真に受ける)」タイプ。多くのことはこなせないが、何か一点に集中できるタイプ。「天然」タイプ。「天才」タイプ。

 

心屋仁之助は、これまでのカウンセリングや問題解決の経験から、またさらには、心屋仁之助と奥様との間の「話の噛み合わなさ」の解明において、これら「前者/後者論」(呼び方は特定のものがなく、ただ文章における順序を指して「前者/後者」であったものがそのまま使われているとのこと)を獲得している。

「前者」と「後者」の違いが、人間関係で「誤解」や「行き違い」、「問題」をつくっているのではないかと、心屋仁之助は気づくのである(※前掲書)。

ジョン・グレイが「Men are from Mars, Women are from Venus」という絶妙のタイトルで男女(脳)の違いを示したのと同じように、心屋仁之助は「前者/後者論」で、前者と後者との違いを示している。

 

この論を語り始めてからも実際に多くの共感者を得ており、特に論の「根拠」を示す必要もないと思われるから、そこには触れていない。

根拠にかかわらず、そこに実際の現象があり、その解明と視点が、多くの人たちの「助け」になっている。

 

それでも、ぼくの思考は自然と、その「根拠」をどこかで探し求めているようで、社会学者である見田宗介が書いた「思想の身体価」という文章が思考のなかで浮かんでくる。

「自由」とか、あるいは「自立」とかを求めるのは、そこに<生きる/生きられる身体>があるということである。

身体論としては、それを野口晴哉の「体癖論」の類型が参照されている。

ある集団において「スナドリネコさん」と「ぼのぼの」と呼ばれるようになった二人の、彼(女)たちの「二つの身体類型」(ここではそれぞれ、SとBと名づけられる)を事例に、見田宗介はこの短い論考を書いている。

 

 Sは、野口晴哉の整体の体癖論では「9種1種」、つまり骨盤がしまっていて性欲旺盛でいつまでも若く、空想と観念の自己増殖力に富む身体であり、Bはほぼこれと対照的に、「10種3種」とよばれるのだが、骨盤が開いていて包容力があり、身体がやわらかく感情が豊富で食べることが好き(引出しの中はちらかっている)という身体である。この両者はたがいに魅かれ合うらしくカップルも多い。…SはBの先天的な「自由さ」に魅かれ、BはSの「自立性」に魅かれるのである。Bは容易に人に共感し、まきこまれて自己を失ってしまうので、「自立」や「自我の確率」や「主体性」という観念に憧れている。ところがSにとっては、「自立」とか「自我」とか「主体性」とかははじめから強すぎてあきあきしていて、Bのように自由に自在に世界にまきこまれ、自分を失ってしまう能力に魅かれてしまう。…

見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店

 

見田宗介はこの文章に続いて、もう少し具体的に、SとBの「違い」を記述している。

ここで語られていることが、ぼくにとっては、心屋仁之助の「前者/後者論」の根拠の一部を語っているようにも感覚される。

野口晴哉の「体癖論」の詳細はいったん置いておくとして、心屋仁之助の「前者/後者」はそれぞれに、身体のあり方を異にしているのではないか、ということである。

心屋仁之助は、「前者/後者」のそれぞれの特性を基礎にしながら、「前者」は(後者に)<与えること>で後者の幸せになり、「後者」は(前者から)<受け取る>ということで前者の幸せになると、前掲書で書いている。

SとBが惹かれ合うように、前者と後者も惹かれ合う。

そのような対比をしながら、ぼくの思考は、「前者/後者論」はそれぞれの身体による違いを根拠のひとつ(あくまでもひとつ)とする「仮説」を形づくる。

ぼくの思考の戯れである。

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言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima

<語りづらいもの>を語ること。- 糸井重里のエッセイと、Fred Rogersの教育番組の<文体>。

コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)というウェブサイトがあり、そこでは「今日のダーリン」という、「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」というコーナーがあって、糸井重里は毎日、この「エッセイのようなもの」を書いている。

コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)というウェブサイトがあり、そこでは「今日のダーリン」という、「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」というコーナーがあって、糸井重里は毎日、この「エッセイのようなもの」を書いている。

本日(4月9日)の「今日のダーリン」は、糸井重里の愛犬、ブイヨンが亡くなってから「半月ほど経った」ときの、ブイヨンの「不在」に照らし出される世界についてである。

「よく考えると、ずうっと犬のことを考えて、書いている。」と、筆がおかれている。

3月21日に愛犬のブイヨンが亡くなり、「ほぼ日」でも取り上げられたりしてきたブイヨンのこともあって、ここ最近の「今日のダーリン」でも、ブイヨンの「不在」と思い出が取り上げられたりしていた。

 

愛犬ブイヨンの亡くなった話はとても個人的な(あるいは家族的な)ものであるなかで、糸井重里は、ブイヨンの不在と思い出、そこに現れる感情を真摯に書き綴って、ぼくたちに伝えてくれている。

きわめて個人的な(あるいは家族的な)感情が凝縮されて綴られているからこそ、(ぼくのように)ブイヨンを知らなかった人たちにとっても、確かに、伝わってくるものがある。

 

その姿は、ぼくに、「Mister Rogers’ Neighborhood」というアメリカ教育番組のホストであった故Fred Rogers(フレッド・ロジャース)のことを思い出させる。

Fred Rogersは、あるとき、番組のトピックとして、とても難しい「死」を扱う。

テレビスタジオにある水槽で亡くなった「金魚」を弔う姿を、Fred Rogersは番組のなかで見せる。

水槽から亡くなった金魚をひろいあげ、スタジオの風景の一部である「庭」の土を掘り起こして、そこに金魚をうめてあげる。

その間、Fred Rogersはしゃべることをせず、テレビ番組でありながら、そこに言葉のない「静けさ」がひろがる。

土をかぶせてから、Fred Rogersはテレビカメラの向こう側にいる子供たちに向かって、語り始める。

そこで、彼が話し始めたのは、昔かわいがっていた犬のミッチが亡くなったときのことである。

とても、とても悲しかったときの思い出だ。

悲しみに泣き、おばあちゃんが来てはそばにいてくれ、そして「埋めなければならない」という父親の言葉に最終的にしたがう形で、ミッチをうめてあげたこと。

それから、ミッチとの思い出にほほえみを顔にうかべながら、ミッチの写真をみせて、楽しく親密な思い出を共有する。

Fred Rogersはこのようにして、「死」にどのように向き合うのかを、じしんの体験をその親密さのうちに語りながら、子供たちに語りかけてゆく。

これを見た子供たちは、「何か」を深いところで感じただろうと、ぼくは想像する。

 

糸井重里が愛犬ブイヨンの死に向き合いながら過ごす日々を語る筆致に、ぼくは、Fred Rogersのこの語りと<共通するもの>を感じる。

このような<語りづらいこと>が語られることで、それを読んだり聞いたり見たりする者に、何か大切なものが伝わる。

そしてそう感じながら、このような<文体>が今の時代において、あまり見られなくなってきたように、気づかされる。

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野口晴哉, 身体性 Jun Nakajima 野口晴哉, 身体性 Jun Nakajima

勧善懲悪的な考え方から離れてゆく。- 野口晴哉の語る「養生」ということ。

整体の創始者といわれる野口晴哉は、食餌療法でこれこれ(酸性のものや肉や卵)は良くないと教えられているという食にかんする質問に答えるなかで、「養生」ということの本質を語っている。

整体の創始者といわれる野口晴哉は、食餌療法でこれこれ(酸性のものや肉や卵)は良くないと教えられているという食にかんする質問に答えるなかで、「養生」ということの本質を語っている。

 

毒のものはいけないというのは養生方法ではない。毒のものでも、体に良いものでも、共に害を受けないように摂取する体のはたらきを保つことが、養生の根本的な問題です。体に悪いから止めるというのは間違いで、悪くとも良くとも、使いこなして行くということが大事です。食べ物を食べ拡げるということが食養生であり、どんなものでも食べられるようになることが養生です。だから昔の人が骨折って食べ拡げたものを狭めるということは感心しない。…

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年

 

「体」を知り尽くしてきた野口晴哉の、「養生」ということにかんする考え方である。

ここでのポイントを、振り返りながら言い換えて並べなおすと、次のようになる。

  1. 食べ物自体の善し悪しだけによらず、体のはたらきを保つこと
  2. 食を使いこなして行くこと
  3. 食べ拡げていくこと

これらの言葉は、人が陥ってしまう罠の存在を際立たせる。

人はときに、食べ物自体の善悪に傾倒してしまったり、いわゆる「善いもの」だけを摂ることで体を弱くさせてしまったり、食を狭めてしまう。

ぼくは食や体の専門家ではないけれど、「外部」のものに思考が依存し、それを「善し悪し」だけで切り取ってしまうことは、人のさまざまな行動にみられるものだと思う。

そのような思考により、「じぶんじしん」というものが置き去りにされる。

もちろん、「じぶんじしん」のことは「じぶん」に任され、託されるわけだけれど、その「じぶん」の身心にほんとうに向き合うことは、いろいろな事情やいろいろな社会の力学のなかで、それほど容易ではない。

 

野口晴哉は、言葉をさらに紡いでゆく。

 

だから体の構造をよく知ってやるのならば、食餌療法もまたよいことなのですが、体の研究ということをしないでただ食べ物の分析だけをして、まるで昔の芝居に於ける勧善懲悪のように、善いものと悪いものとをハッキリと区分けして、善いものだけを摂ろうとするのは単純すぎる。

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年

 

野口晴哉の言うように、「勧善懲悪のように、善いものと悪いものとをハッキリと区分け」する思考が、世界のいろいろなところにひろがっている。

それは、やはり「単純」すぎる。

なお、野口晴哉はこの文章のなかで、ベートヴェンやハイドンの音楽にそのような「単純さ」の地平にたつ音色を聴きとっていることは、「野口晴哉の音楽論」という視点においても、興味深いところである。

そのような「単純さ」のなかにあって、野口晴哉が書いているように、草花なら肥料のやり過ぎはそれらを枯らせてしまうことを人は知っている。

しかし、それが「じぶん」のことととなると枯れることはないと、「善い」ことを追い続けるように、栄養のあるものを食べつづける。

栄養の不足という機会によって、「じぶん」の側において摂取する力が増えるという効果には、なかなか思い至らないものだ。

 

野口晴哉は、ここで、食べ物だけのことではなく、「物事を善と悪とだけに割り切ろうとし、善いものだけを受け入れ、悪いものは何でも排斥しようとする」、勧善懲悪的な、単純な人生観にまで視野をひろげて、心をひらき、そのような人生観そのものを変えていくことをすすめている。

そのことは、「善人と悪人」という括りさえも、無効にする。

人は、ある条件のなかで善人になり、ある条件のなかで悪人になる。

 

勧善懲悪的な考え方から離れてゆくこと。

生をその全体において、生きてゆくこと。

野口晴哉の「養生」は、そのような方向性において翼をひろげてとんでゆきながら、ぼくたちの日々の生活や生き方をするどく照射してくる。

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物語・ストーリー Jun Nakajima 物語・ストーリー Jun Nakajima

「じぶんの物語」の構成要素。- コピーライター糸井重里の思うところ。

コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)。

コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)。

1998年6月6日創刊のウェブサイトである。

40代の「暗いトンネル」を抜けてきた糸井重里が、50歳になって、トンネルを抜けた先につくりだした「世界」である。

今ではアプリも出ていて、「ほぼ日」のコンテンツへのアクセスが格段にしやすくなった。

 

「ほぼ日」のなかに「今日のダーリン」という、「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」というコーナーがある。

ぼくのiPhoneは、毎日午前、「ほぼ日」アプリからのNotificationで「今日のダーリン」の更新を伝えてくる。

2018年4月6日の「今日のダーリン」で、糸井重里は「じぶんの物語」に触れて、おもしろいことを書いている。

 

・信仰と科学のちょうどいいバランスのなかに、じぶんの物語が落ち着けたらいいのになぁと思う。犬と暮らしているそれなりに多くの人が、「犬がしゃべった」と言う。うちにいたブイヨンは「かなちゃん」と言った。じょうずにではないが、家人の名を親しく呼んだ。ぼくらの物語のなかでは、なんの問題もないことである。それは信じるという次元にあるからだ。…しかし、同じ人間が、つまりぼくが、「犬はしゃべらない」ということを知っている。…これは科学であり、先人たちの労苦の末に得た知見だ。…

糸井重里、04月06日の「今日のダーリン」『ほぼ日刊イトイ新聞』

 

糸井重里の思い描く「じぶんの物語」の構成要素だ。

この文章に続いて、糸井は、「犬が笑った」ということ、おみくじ、飛行機の旅をとりあげて、生きるうえでの、「信じることと科学」のバランスについて書いている。

ぼくたちはおみくじで大吉を引いて悪い気はしないけれど、おみくじがおおよそどのように作られているかを知っている、など。

この語ることのむずかしいテーマを、糸井重里の「じぶんの物語」に依拠しながら、絶妙な表現で語っていると、ぼくは思う。

 

…ぼくの、ぼくなりの物語というのは、まるまるぜんぶが科学でできているわけじゃないし、こころの信じることだけでできているわけでもない。
…つまりその、犬はしゃべるし、犬はしゃべらない。ぼくらは、そのあやしげな釣り合いのなかに生きている。そして、そのバランスは他人とちょっとずつちがうのだ。

糸井重里、04月06日の「今日のダーリン」『ほぼ日刊イトイ新聞』

 

生きることの「物語」ということをかんがえるとき、あるいは生きることの「物語」を実際に生きていくうえで、糸井重里の視点は、大切なことを伝えてくれている。

 

それにしても、「今日のダーリン」という「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」は、「ほぼ日刊イトイ新聞」のなかにあって、やはり特別な位置に存在しているように、ぼくには見える。

「ほぼ日刊イトイ新聞」の他の多くの企画を、ある「物語」において、つなぐような力を宿している。

ともすれば、雑多に見えてしまうような企画やビジネスや商品を、それこそ「信じることと科学のちょうどいいバランス」でもって、「ほぼ日」的な「物語」のなかにおさめているのだ。

 

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書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima

「睡眠時間」の問いを、ひらく。- 「87歳現役」の櫻井秀勲が語る、「短眠」に照射される生き方の例。

ハーバード大学教授の荻野周史の推薦文「櫻井先生の生き方は、人生100年時代のこれからの教科書だ」にも惹かれて、ぼくは、櫻井秀勲著『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』(きずな出版、2018年)を読む。

ハーバード大学教授の荻野周史の推薦文「櫻井先生の生き方は、人生100年時代のこれからの教科書だ」にも惹かれて、ぼくは、櫻井秀勲著『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』(きずな出版、2018年)を読む。

著作の副題には「87歳現役。人生を豊かにする短眠のススメ」と書かれ、伝説の編集者(女性誌「女性自身」の編集長であったり、松本清張などの作家の編集者)と言われながら、87歳の今も現役である櫻井秀勲が語る「睡眠」を通じた生き方の本である。

55歳から83歳まで、毎日午前5時にベッドに入る習慣を続けてきた櫻井秀勲。

起きるのが午前10時のため睡眠時間は5時間(途中仮眠しても6時間に満たない睡眠時間)。

このような「短眠」だけでなく、健康ということ、また(起きている時間にも同時に焦点をあてながら)生き方ということまで、本書では、櫻井秀勲の声が聴こえてくる。

 

櫻井秀勲の「睡眠」にかんするメッセージの基本を挙げるとすれば、「眠くなってから寝る」ということである。

そこに通底するものは、「標準や一般的な情報」をもとに行動する仕方とは一線を隠し、<じぶんじしん>の経験とじぶんとの対話に基礎をおく生き方である。

「眠くなってから寝る」という仕方と同様に語られることとして、一般的には、「お腹が空いたら食べる」ということがある。

○○時になったから食べるのではなく、あくまでもお腹の空き具合に応じて、食べることをしていく。

「何時になったら食べる、あるいは寝る」という仕方は、生活が「標準化」されてきた近代という時代において、より広範に適用されてきた様式であっただろうと、ぼくはかんがえる。

 

ところで、Daniel H. Pink (ダニエル・ピンク)の最新著作『When: The Scientific Secrets of Perfect Timing』(Riverhead Books, 2018)の第1章は、「The Hidden Pattern of Everyday Life」(毎日の生活の隠されたパターン)と題され、仕事などのパフォーマンスを上げるために、一日をどのように過ごし、どのように活用していったらよいかを、科学的なリサーチをもとに考察している。

結論的な言ってしまえば、じぶんの「タイプ」(朝型なのか、夜型なのか、その中間か)を知り、それにあった仕方で、適切な時間に適切な仕事をしてゆくことで、パフォーマンスを上げてゆくことができる。

櫻井秀勲も、「短眠」だけを絶対的にすすめているのではなく、じぶんに合った仕方を生きることを大切にしている。

そのために「短眠で87歳現役」という例があることを、じぶんの経験から伝えているだけだ。

各章の最後には、例えば、次のような言葉がいくども置かれている。

 

…しかしこれが自分の適職なのだ、という自信があるため、むしろ睡眠時間の長いのがイヤなのです。起きていたいのです。
 こういう生き方で元気な男もいることを知ってほしいと思います。

…ただ「こういう87歳の男もいる」ということを知っていただきたいのです。

…本当に眠気が襲うまで起きていたほうが、短時間であれ、熟睡できると思うのです。
 私はその方法で、22歳から87歳までやってきました。

櫻井秀勲『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』きずな出版、2018年

 

本の終わりの方で、櫻井は、母親の教えでもあった「わが家の生き方」を書いている。

それは、「人の反対を往け」という教えである。

関東大震災の折に、大衆とは「まったく反対の方向に逃げ」た母が、亡くなった大衆とは異なり助かった教訓をもとにしている。

この教えのように、櫻井秀勲は、医学の見地から「長く寝るべし」という声の多いなかで、それとは反対に、なるべく寝ずに、できるかぎり頭脳を使って生ききり、87歳現役である。

もちろん、ただ単に「反対を往く」のではなく、<じぶん>の経験と軸、そして標準的で一般的な情報を一度「括弧に入れる(疑問視する)」姿勢をもとに、<じぶん仕様>へと調整しつづけてきた結果と交差するスタンスである。

 

ぼくも一生「現役」で生きたいと思う。

そのように思う者たちにとって、本書は、「人の反対を往く、現役87歳」からの、生き方の事例を提示してくれる「教科書」だ。

しかし、決して人に「標準」を強要する教科書ではなく、じぶんの生き方へと光をあてる教科書である。

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、「清明節」に思い、感謝する。- 香港の清く、よく晴れた日に。

ここ香港は、本日(2018年4月5日)は「清明節」を迎えている。

ここ香港は、本日(2018年4月5日)は「清明節」を迎えている。

「清明節」は、いわゆる日本の「お盆」にあたる行事である。

清明節は旧暦の3月に到来し、香港の人たちはこの機会に墓地におとずれ、「清明」という漢字に表されているように、祖先の墓を掃除する。

清明節の当日はもとより、その前後の日に、お供え物などを入れた赤いプラスチック袋を手に提げながら、家族一緒に、墓地に歩いてゆく人たちを目にする。

香港の、清く、よく晴れた日に。

 

香港政府観光局のホームページには、「清明節」は以下のように記載されている。

 

…この時期、中国の人は祖先の墓を掃除します。でも掃除だけで終わりません。清明節は祖先を敬う重要な儀式なので、家族全員で墓地の草むしりをしたり、暮石の碑文を塗りなおしたり、食べ物をお供えしたり、お香をたいたりします。
清明節の時期は伝統的に、先祖があの世で使うとされているものの紙のお供え物を多くの人が墓地で燃やします。…

「清明節」、香港政府観光局ホームページ『香港 Best of All It’s In Hong Kong』(日本語)

 

「紙のお供え物」は、お金を模したものであったものが、最近では時代を反映して、携帯電話・タブレット、車、冷蔵庫などの紙のレプリカがある。

時代の反映のされ方は興味深いものだけれど、このような伝統的な行事が今も大切にされていることに、ぼくは目を惹かれる。

そしてそこには「家族」が、現代という時代の荒波にありながらも、きっちりと土台をなしていることに感銘をうける。

日本のお盆とは異なる時期だけれど、清明節の、香港の人たちの行き交う姿に触発されて、ぼくも祖先や家族に思いをはせる。

 

そのような思いはいつしか、このぼくの身心に受け継がれているものへと向けられる。

リチャード・ドーキンスの言うような「利己的遺伝子」の視点から見れば、人は遺伝子にとっての「乗り物」である。

遺伝子は過去から現在に至るまで、長い旅を続け、ぼくという身体に至っている。

その意味において、祖先は、ぼくのなかに息づいている。

 

そしてまた、人の身体は、真木悠介の書くように、さまざまな生物たちの<共生のエコ・システム>である。

 

…今日われわれを形成している真核細胞は、それ以前に繁栄の極に達した生命の形態による地球環境「汚染」の危機をのりこえるための、全く異質の生命たちの共生のエコ・システムである。…
 われわれ自身がそれである多細胞「個体」の形成の決定的な一歩は、みずから招いた地球環境の危機に対処する原始の微生物たちの共生連合であり、つまりまったく異質の原核生物たちの相乗態としての<真核細胞>の形成である。この<真核細胞>が、相互の2次的な共生態としての多細胞生物「個体」の、複雑化してゆく組織や器官の進化を可能とする遺伝子情報の集合体となる。個体という共生系の形成ののちも、その進化的時間の中で、それは数知れぬ漂泊民や異個体からの移住民たちを包容しつつ変形し、多様化し豊饒化しつづけてきた。「私」という現象は、これら一切の不可視の生成子たちの相乗しまた相剋する力の複合体である。

真木悠介『自我の起原』岩波書店

 

ぼくたちを構成する細胞もまた、太古の昔から進化的時間の中をぬけながら、今のぼくたちに引き継がれてきているものである。

地球のいろいろな生命たちのリレーのうちに、今のぼくがいる。

地球のいろいろな生命たちも、ぼくにとっての祖先である。

 

そう書きながら、「生命」が、「清明」という言葉と同じ響きであることに気づく。

「生命」は、清明節の字と同じように、<清く明るい>ものである。

いろいろな生命たち、そして祖先に深謝しつつ、いろいろな生命や祖先から受けつがれているこの身体に、ぼくは深く感謝をする。

香港の、清く、よく晴れた日に。
 

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、鳥たちと共に、生きる。- ぼくの住まいに、鳥が訪れた日。

香港には、どのくらいの種類の「鳥たち」がいるのだろうか、この土地で生を共にしているのだろうか?

香港には、どのくらいの種類の「鳥たち」がいるのだろうか、この土地で生を共にしているのだろうか?

香港政府のサイト「HK Species: Birds of Hong Kong」(Agriculture, Fisheries and Conservation Department)によれば、530種類以上の鳥たちが、ここ香港にはいる。

他の土地と比較するための数値が頭のなかに入っているわけではないから、これが比較的多いのか、少ないのかはわからない。

中国全体で見ると、その3分の1の種類がここ香港で見られるというから、その視点においては多い。

 

大切な視点は、ぼくが普段目にする鳥たちの種類と比較すると、それは圧倒的に多いということである。

大切な視点ということは、ぼくが知らないことが、知らない現実が、たくさんに存在しているということ。

「知らないこと」を知ることは、ぼくはとても大切なことだと思う。

じぶんが今まで見てきた「世界」がとても小さいことを知る。

ぼくがこのじぶんの眼で実際に確認してきたのは、ここ11年間で、おそらく10前後くらいの鳥たちだと思う。

だから、530種類を超える鳥たちがここ香港にいるということは、ぼくにとっては驚きである。

 

ところで、そもそも鳥たちにかんするホームページを開いたのは、こんな事情があった。

ぼくが文章を書いていたら、鳥の鳴く声が近くでしていることに気づく。

鳥たちの声は一日を通してよく聞こえてくるから、そのことは特にめずらしいことではない。

ただいつもと違っていたのは、その鳥の鳴き声がいくらか続き、そしてとても大きい鳴き声であったことだ。

そこでふと窓越しに外を眺める。

ぼくの眼に入ってきたのは窓の外の柱のあたりから垂れている茶色の大きな羽で、鳴き声とともに、その羽がかすかにゆれているのだ。

あっと、ぼくは目をみはる。

羽の大きさから、タカ科の鳥だろうと思う。

毎日悠然と空を飛んでいる姿を、ぼくはよく眺めているから、とっさにそう思う。

やがて、その鳥は鳴き声をあげながら、空中に向かって、羽を羽ばたかせてゆく。

ぼくは、タカ科のトビ(だと思われる)が飛んでゆくその光景に、心をうばわれてしまった。

 

香港には、いたるところに「バードウォッチング(野鳥観察)」のポイントもある。

たくさんの鳥たちが香港に住んでいたり、あるいは季節に応じてやってきては去っていく。

そのような視点から「香港」を見ることも面白いし、また、ぼくたち人間は、たくさんの鳥たちを含め、たくさんの生き物たちと共に生きていることを感じることができる。

それは、鳥たちが、ぼくという<私>という経験の一部をつくっていることであり、河合隼雄の言葉を借りれば、「<私>をやってくれている」のでもある。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

変遷する世界で「Family Mission Statement」をつくるというリーダーシップ。- Stephen R. Covey「7つの習慣」の家族への適用。

「7つの習慣」で知られる著作(『The 7 Habits of Highly Effective People』)をこの世に遺したスティーブン・コヴィー(Stephen R. Covey)は、「家族」のためにできることとして、また「家族」という集団においてリーダーシップを発揮する仕方として、「Family Mission Statement(家族のミッションステートメント)」をつくることを挙げている。

「7つの習慣」で知られる著作(『The 7 Habits of Highly Effective People』)をこの世に遺したスティーブン・コヴィー(Stephen R. Covey)は、「家族」のためにできることとして、また「家族」という集団においてリーダーシップを発揮する仕方として、「Family Mission Statement(家族のミッションステートメント)」をつくることを挙げている。

 

…If you were to ask me: “What is the one thing I could do that would have the greatest impact for good on my family?” I would simply answer: Work with your entire family to develop a family mission statement. …The single most important and far-reaching leadership activity that you will ever do in your family is to develop a family mission statement.
(…「私ができる一つのこととは何ですか?」と私が問われたら、私はシンプルに次のように応えるだろう。「家族全員と共に家族のミッションステートメントをつくること」であると。…家族においてあなたが行う、最も重要で広範囲にまで影響をおよぼすリーダーシップの活動のひとつは、家族のミッションステートメントをつくることである。)

Stephen R. Covey『How to Develop Your Family Mission Statement』Grand Harbor Press, 2013(※日本語訳はブログ著者)

 

「Family Mission Statement(家族のミッションステートメント)」は、「7つの習慣」における第二の習慣「Begin with the End in Mind(終わりを思い描くことから始める)」をベースにした、ミッションステートメントの家族への適用である。

家族の共通の目的やビジョンを「Family Mission Statement」として定めることで、家族をリードしてゆく。

ミッションステートメントの他にも呼び方はいろいろあるけれど、コヴィーが言うように「呼び方」が大切なわけではなく、家族のメンバーそれぞれが、家族とは何か、また家族運営のための価値観について、明確にしながらつくりあげていくことの共同の努力のうちに重要性が織りこまれている。

コヴィーは、ステートメントの内容と同様に、ステートメントをつくる過程の大切さを強調している。

 

「世界」の諸相が根本的な変遷をとげてきているなかで、個人はもとより、「家族」の置かれているところも、ますますチャレンジングな様相を呈している。

「家族」というものに託された価値観が、ある程度、社会のなかに共通の了解があった時代は過去のものとなっている。

そのようなところで「家族」を生きていくことは、チャレンジングでありながら、また、大きなチャンスでもある。

「家族」というものを、より自由な仕方でつくりあげてゆくことができる。

その際、「目指すべきところ」があることで、家族における生に方向を与え、世界の大きな変遷のなかでもその方向性に生きることの指針となり、また生きることの過程を豊饒なものとしていくことができる。

迷ったときに、道から大きく逸れてしまったときに、ミッションステートメントに戻ることができる。

 

なお、例として、コヴィー家族の「Family Mission Statement」は、以下の通りである。

 

 Our mission statement reads like this:
 The mission of our family is to create a nurturing place of faith, order, truth, love, happiness, and relaxation and to provide opportunity for each individual to become responsibly independent and effectively interdependent in order to serve worthy purposes in society.
(われわれのミッションステートメントは以下の通りである。
 われわれ家族のミッションは、信仰、秩序、真実、愛、幸福、くつろぎを育む場所をつくること、また社会における価値ある目的を果たすために、それぞれが責任をもって自立し、効果的に相互依存する個人となる機会を提供することである。)

Stephen R. Covey『How to Develop Your Family Mission Statement』Grand Harbor Press, 2013(※日本語訳はブログ著者)

 

コヴィーの家族らしく、「7つの習慣」の全体像が、家族のミッションステートメントにまで組み込まれている。

よいミッションステートメントとして、コヴィーは4つのポイントを挙げている(※前掲書を参照)。

  1. 永久的なもの(timeless)
  2. 目的(目的地)と手段(目的地につく方法)双方にふれること
  3. 人生のすべての役割にふれること(家族生活の基本的な活動のすべてにふれること)
  4. 4つの性質(身体=生活すること、心=愛すること、マインド=学ぶこと、精神=レガシーを遺すこと)のすべてにふれること

つくる際にはこれらのポイントなどを参照していくことができるが、でも完璧なものをつくろうとするのではなく、まずはつくりはじめること。

その過程において、家族のメンバーそれぞれが、いろいろと考えたり、いろいろと見たり、いろいろと理解したりすることができる。

 有効性を疑う前に、まずはやってみることである。 

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言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

「言葉」をとことんつきつめるチーム・組織。- 「言葉」がむずかしい時代だからこそ。

津田久資は、トヨタや日産よりも遅れて四輪自動車の業界に参入したホンダの創造性が「論理思考の賜物」であったのだと、「論理思考」を語る本のなかで書いている。

津田久資は、トヨタや日産よりも遅れて四輪自動車の業界に参入したホンダの創造性が「論理思考の賜物」であったのだと、「論理思考」を語る本(『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのかー論理思考のシンプルな本質』ダイヤモンド社)のなかで書いている。

そして、その「論理思考」における本質を、「言葉への徹底的なこだわり」であったと見ている。

 

 かつてホンダの経営企画室長だった小林三郎さんによれば、同社の研究開発を担う本田技術研究所は、社内では「本田言葉研究所」と呼ばれていたそうだ。

「技術やクルマの研究の前に、言葉を巡って延々と議論が続くからだ。……(中略)新車の商品コンセプトを表現する言葉を決めるためだけに、3日3晩のワイガヤを3回やった開発チームもあった。とにかく、言葉に対するこだわりが半端ではない。そのため、技術ではなく言葉を研究しているという所という意味を込めて、本田言葉研究所と呼んでいたのである」(「日経ものづくり」2011年5月号より)

津田久資『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのかー論理思考のシンプルな本質』(ダイヤモンド社)

 

「技術研究」ということからは一見すると遠くに位置する「言葉」というものを、とことんつきつめて、研究開発を駆動させてゆく「本田言葉研究所」。

津田久資は、この「言葉への徹底的なこだわり」に、創造性の源泉を見ているけれど、ぼくは(その実態はわからないけれど)感覚として、そのことがよくわかる

組織において、商品コンセプトであれ、組織のビジョンであれ、組織メンバーが一緒に「言葉」を徹底的に議論する。

「言葉」を所与とせず、議論し、互いのズレを確認し、互いの思いを一緒に言葉に込めながら、言葉をつくっていく。

最終的にできあがる/生まれる言葉はもとより、このプロセスのうちに、言葉が現実のビジネスや組織マネジメントにおいて力をもつことの内実がある。

それにしても、「言葉研究所」と呼ばれる所があったということに、ぼくは心地よい驚きを感じる。

そして「言葉研究所」という呼び名が正式な名称ではなく、言葉に対する半端ないこだわりの<結果>として、そう呼ばれていたところに、チームや組織の力があるようにも見える。

「商品コンセプト」というなかに閉じ込められない力を宿していったことは想像に難くない。

 

「言葉」がむずかしい時代に、ぼくたちはいる。

「時間-空間」の論理で見れば、例えば、世代ごとに異なる「言葉」、また異文化で異なる「言葉」という軸でのむずかしさが見てとれる。

また、「虚構の時代」(見田宗介)というように現代を射る視点からは、「言葉」は、人の購買意欲を駆り立て、感情を一定の方向に向かせるような(ポピュリズム的な)役割へと、狭窄化されている。

このような時代にあって、まずは、じぶんの言葉を取り戻し、あるいは構築してゆくこと。

そして、他者とも、そのかかわりあいのなかで、ぼくたちの強い味方となる、共通の言葉を、構築してゆくこと。

言葉を大切にしたいと、ぼくは思う。

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社会構想, 身体性 Jun Nakajima 社会構想, 身体性 Jun Nakajima

「April Fool's Day(エイプリル・フール)」を支えてきたもの。- 時代の変容のなかで、この特別な日をまなざす。

2018年4月1日「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」は、「Easter(イースター)」と重なる日となった。

2018年4月1日「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」は、「Easter(イースター)」と重なる日となった。

「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」という、この起源の不明瞭な風習は、時代の変遷とともに扱われ方も変わってきている。

昨今のフェイクニュースなどの状況は、「April Fool’s Day」の言葉と内実を彩っていた<暖かさ>の感覚をふきとばしてしまい、「April Fool’s Day」はすでに過去形で語られるようなところもある。

 

情報技術の発展・進展にともない、いわゆる「情報の氾濫」の諸相が、「現実」というもののあり方を変えていく。

「情報」という視点から見渡してみて、「April Fool’s Day」という風習を支えていたものは何であるのか/何であったのか、という問いを立ててみる。

別の言い方では、「April Fool’s Day」という日が、楽しく過ごされることの条件である。

文化の壁を越えるようにして、世界の各地で過ごされてきた「April Fool’s Day」を支えてきたもの。

 

個人的な体験をもとにそのことをかんがえていくと、「April Fool’s Day」を支えてきたものは、そこに参加する人たちの個々の「身体」であるように、ぼくは思う。

学校や職場などで、まさに、身体をはって、嘘をつく。

時にはみんなで知恵を出し合う。

嘘をつく相手に対峙し、相手の反応も確かめながら、そして相手の反応を期待しながら、嘘を投げかける。

身体をはって嘘をつくとは、身体を使った嘘ということではなく、このように、じぶんの存在をさらしながらつく嘘である。

しかし、情報の氾濫の時代において、そこでは「身体」が不確かになっていく。

情報の背後に「身体」はあるのだけれど、情報空間のなかで、それは抽象化されていってしまう。

ぼくは、「April Fool’s Day」を健全なものとして支えていたのは、個々の生きる、具体的な「身体」であったと思う。

 

これまでは、メディア媒体などを通じた「April Fool’s Day」の嘘もよく行われてきたのだけれど、もちろん、フェイクニュースの時代は状況を変えてしまった。

では、なぜ、以前はメディア媒体などを通じた「April Fool’s Day」の嘘は、それなりに特別な日の嘘として迎えられていたのか(問題が起きたことはさまざまにあったであろうけれども)。

そのようにも問うことができる。

ここでも、個々の「身体」が生きていたのだと言うこともできる。

そこに加えるとすれば、「社会というものが(おおよそ)このようにある」という日常にかんする共通の了解があったうえで、「April Fool’s Day」の嘘という非日常がもちこまれるという共通の了解があったからではないかと、ぼくは思う。

「社会というものが(おおよそ)このようにある」という日常にかんする共通の了解が、よくもわるくも解体されてゆくなかで、共通の了解という、ある意味での信頼がぬけおちていく。

 

このようにして、身体と共通了解(=信頼)がぬけおちていくような時代のなかで、「April Fool’s Day」の様相も変容をとげていると、ぼくには見える。

そしてまた、このような時代において、「April Fool’s Day」のもっていたような社会秩序における<遊び>を、どこに向けて突き抜けていかせるのかが、その先に問われているようにも、ぼくはかんがえる。

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