「自分と同じ問題・問いを抱えている」という共感。- 南直哉に生き続ける「根源的な問い」に共感して。
「第十七回 小林秀雄賞」を受賞した、禅僧である南直哉(みなみじきさい)の著書『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』(新潮社、2008年)。
「第十七回 小林秀雄賞」を受賞した、禅僧である南直哉(みなみじきさい)の著書『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』(新潮社、2008年)。
この本は、思想家の内田樹が『新潮』でこの本の序章と選考委員のコメントを読んで「背筋がざわざわしてきた」ことから、書店に飛び込んだという本。
「背筋がざわざわする」本とは、それだけでももちろん読んでみたくなるけれど、それよりも、新潮社 Webサイト『Webでも考える人』での、南直哉の「受賞インタビュー」を読んでいたら、すぐにでも読みたくなったのである。
インタビューで、南直哉は、「仏教」の世界に入った契機を、つぎのように語っている。
私はブッダなり道元禅師に共感したから仏教に賭けてみようと思ったわけで、信心からではありません。なぜ共感したかというと、自分と同じ問題を抱えていると思ったからです。私の僧侶としての土台は、すべて二人に対する共感です。
そうすると次は、その問題をどう解決するかが大事になってくる。ブッダも道元禅師も「こうしてみたらいいのではないか」ということを言っている。言葉であれ、思想であれ、実践であれ、問題を解決するための道具として示されているわけです。ならば、同じような問題を抱えている自分もその方法を試してみるべきだろうと。
このようであるから、南直哉が他のお坊さんと話をするとき、大体が話が合わないという。
話における言葉や論理の立て方が根本から違うという感覚を、「土俵が違う」というよりも、むしろ「競技が違う」というように表現している。
南直哉が、このように「根源的な問題・問い」に向かうところに、ぼくはやはり「共感」する。
ぼくの生活空間のゆがみからか「宗教」的なものをぼくは避けてきたようなところがあるけれど、南直哉は、その、ぼくが「避けてきたところ」を剥がして、あくまでも「「根源的な問題・問い」の地平で、語りかけてくれる。
同業者から「南さんには信仰がないね」と言われる南直哉は、つぎのように応答する。
「〇〇は真理であるから、信じなさい」と言われた瞬間に、ある錯覚の中に溺れていくような気がするんです。その“真理”は、時の権力や正義と結びついて、最初の意図とは全く違うところに連れていかれることもある。…
私は“真理”という時に生じるデメリットが、メリットよりも大きいと思う。根拠や真理とされるものがなければ、人間の社会と実存を支えられないだろうというのはわかります。しかし私はそこにデメリットを見てしまう。それは副作用と言い換えてもいい。その副作用を牽制するところに、仏教の凄味がある。
禅僧でありながら、「仏教」に距離をとり、あくまでも「根源的な問題・問い」に寄り添う。
「これが真理だ」と言い切らず、「答え」に距離をとり、どこまでも、問い続ける。
このような「南直哉」だからこそ、ぼくは、彼の本をいっそう、読みたくなる。
南直哉が禅僧だからというのではない。
南直哉がブッダと道元禅師に感じたように、ぼくも南直哉に共感を覚えるからだ。
それは、「自分と同じ問題を抱えている」ということにおける共感であり、その語り(のスタンス)への共感である。
こうして、ぼくは、南直哉の著書『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』のページをひらく。
「誰と歩くのか、ワイワイと歩けるのか」(飯島勝矢)。- 「歩く」ということ。
誰と「歩く」のか。たのしく「歩いている」か。
誰と「歩く」のか。たのしく「歩いている」か。
糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)の企画「糸井重里が知りたいことシリーズ vol.1」、その冒頭に掲げられていることばである。
ぼくは、このことばを見て、そこにまったくじぶん勝手な意味合いを与えて読んでいくことになるのだけれど、そのことはあとで書くことにして、ともあれ、第一回のテーマは「歩く」である。
「糸井重里が知りたいことシリーズ 」は、糸井重里が「知りたいこと」をテーマとして選び、専門家、また一緒に学んでほしい方を交えての、座談会形式ですすめられる。
第一回のテーマ「歩く」では、東京大学で「老い」(老いによる衰弱)を研究している飯島勝矢先生(著書に『東大が調べてわかった衰えない人の生活習慣』)、またカンニング竹山を迎えての座談会である。
飯島勝矢は自身の著書にふれながら、つぎのように語る。
飯島 …本の中でも「歩く」だけで健康になれるとはまったく書いていません。歩くという動作や手法というよりも、「誰と歩くのか、ワイワイと歩けるのか」、そういうことが大事だと話をしています。
飯島勝矢の研究は「フレイル(衰弱)」ということにあり、ここではその研究結果のひとつを紹介している。
詳細はこの座談会記録を読んでいただくのがよいと思うが、65歳以上の自立高齢者を対象とし、「何を生活習慣に取り入れているか」を調査して、「要介護一歩手前の状況なのか全く問題ないのか」を見ていったという。
この調査における「生活習慣」でとりあげられたのは、「運動習慣(ウォーキングやジムなど、ひとり黙々とする運動)」「文化活動(囲碁や将棋など)」「地域ボランティア活動」の、3つの活動である。
この調査結果の中で「いちばん驚いた」のは、「運動習慣」だけの人は、「地域ボランティア」や「文化活動」をしている人よりも3倍くらいリスクが高い、ということであったという。
つまり、ふつうの見方をすれば、「運動習慣」がある人がリスクが低いと思うけれど、それとは逆の結果が出たのである。
ここでのポイントは、飯島勝矢自身が解説しているように、「人とのつながり」である。
「地域ボランティア」や「文化活動」は、「人とのつながり」を基盤とし、醸成している。
だから、ひとりで黙々とする運動ではなく、「誰と歩くのか、ワイワイと歩けるのか」ということが大切だということになる。
というようにして、飯島勝矢のコメント、およびシリーズ vol.1のタイトルに戻ってくる。
誰と「歩く」のか。たのしく「歩いている」か。
「ワイワイ」ということばはイメージがわきやすく、魅力的でもあるけれど、「ワイワイ」していない人たちを除外するようにも聞こえるから、「たのしく」の方がより包括的な表現である。
ところで、ぼくは、座談会の内容を読む前、このタイトルを見たときに、このタイトルに別の意味を勝手に与えてしまっていたのである。
ぼくは、「運動習慣」的な「歩く」ではなく、「人生」的な<歩く>というようにこのタイトルを解釈して、惹かれたのであった。
ぼくたちが人生を<歩く>なかで、「誰と」歩くのか、そして、「たのしく」歩いているか。
そのようにタイトルを「読んで」、座談会のやりとりを読みはじめ、「そう(ぼくの解釈)ではないんだ」と思いつつ読みすすめ、次第に、「いや待てよ」の感覚がわきあがってくる。
飯島勝矢が「人とのつながり」ということに言い及んだとき、ぼくの解釈でもいいんじゃないかと、思い直したのだ。
人生の道ゆきを<歩く>とき、「誰と」歩くのか、そして、「たのしく」歩いているのか、ということが大切であることと同じに、ふだん運動などで「歩く」とき、「誰と」歩くのか、そして「楽しく」歩いているのか、ということが大切である。
人生の道ゆきを<歩く>ように、ぼくたちはなんでもない道を「歩く」ことができるし、逆に、なんでもない道を「歩く」ように、ぼくたちは人生の道ゆきを<歩く>ことができる。
そんなふうにして歩きながら、じぶんへの問いがやがてやってくる。
<誰と>歩くのか。<たのしく>歩いているか。
生きるということは、ある意味において、たぶん、そのようなことだけでもあるように、つい思ったりしてしまう。
まったく理解できない本をまえにして。- 「内田樹にとってのレヴィナス」を読みながら。
ある本を目の前にして、ある本を読みながら、著者が何を言わんとしているのか、「意味がまったくわからない」ということがある。
ある本を目の前にして、ある本を読みながら、著者が何を言わんとしているのか、「意味がまったくわからない」ということがある。
そのようなことを、思想家・武道家の内田樹はフランスの哲学者レヴィナスの本との出会いで体験していて、その体験談を読みながら、ぼくは似たようなじぶんの体験を思い起こすことになる。
内田樹は、その鮮烈な体験を、つぎのように書いている。
…僕がレヴィナスの本をはじめて読んだ時、それは『困難な自由』という本でしたけれど、意味がまったくわからなかった。最初の数十頁を四苦八苦して読み通したあとでも、ほとんど一行も理解できていなかった。でも、「僕はこの本の読者として想定されている」という確信がなぜかありました。それはいきなり道ばたで見知らぬ外国人に両手をつかまれて、聞いたことのない外国語で、大きな声で話しかけられている感じに近いものでした。何を言っているのかさっぱりわからない。でも、間違いなくこの人は僕に向かって話しかけている。それはわかる。
内田樹『内田樹による内田樹』(文春文庫)
レヴィナスの著作はきわめて難解であることは、レヴィナスに少しでも触れたことがある人はわかるだろう。
大学で学んでいたとき、ぼくはレヴィナスの著作(日本語訳)に「呼ばれている」ような気がして手にとったのだけれども、まったく意味がわからず、結局のところ、脇においてしまった。
それから15年くらい経って、たまたま内田樹の著作でレヴィナスに触れることになり、「レヴィナス」が以前とはちがった仕方で、ぼくの前に現れている。
けれども15年ほど前においては、「呼びかけられる」という感覚がありながらも、「僕はこの本の読者として想定されている」というほどの確信はなかったように思う。
「僕はこの本の読者として想定されている」という確信をぼくがもつことができたのは、社会学者の見田宗介(真木悠介)であった。
哲学書特有の難解さではないけれども、見田宗介(真木悠介)の書くものは「難解」であった。
『現代社会の存立構造』はもちろんのこと、より具体的な文体で書かれた『気流の鳴る音』も『現代社会の理論』も、ぼくがこれまで読んできた本とはちがう仕方で「難解」であった。
でも、内田樹がレヴィナスをはじめて読んだときに感じたように、「僕はこの本の読者として想定されている」という確信に似たような感覚を、ぼくは強烈に感じていた。
内田樹の例で言えば、道ばたで外国人に両手をつかまれ、知らない言葉で話されていて理解できないのだけれども、ぼくは、「わからない」という身振りによってその場から立ち去る、ということはしてはならないような気がしたのである。
だから、ぼくは「その場」に立ち止まって、必死にテクストに向かったのである。
事後的に確認できたのは、やはり「僕はこの本の読者として想定されていた」のだということであった。
さらには「本の読者」という枠にとどまるどころか、ぼく自身の考えかたや生きかたを「解体と生成」の渦のなかに投げこむことになるのである。
見田宗介(真木悠介)先生の著作群(そして先生ご自身)に出会わなかったら、「今のぼく」はぜんぜん違った「ぼく」となっていたかもしれない。
そのようなぼく自身の体験を通して、ぼくには、「内田樹にとってのレヴィナス」という経験が、身にしみて伝わってくるのだ。
それは、ほんとうに幸福なことだと、ぼくは思う。
内田樹が前掲の文章につづけて書いている箇所を挙げておきたい。
…コンテンツは理解できなくても、自分が宛て先であることはわかる。メッセージの意味はわからなくても、そのメッセージが自分宛てであることはわかる。そういうコミュニケーションというのはありうると思うのです。ありうると思うどころか、そういうコミュニケーションこそがあらゆるコミュニケーションの基礎にあるもの、レヴィナス自身の用語を借りれば、「コミュニケーションのコミュニケーション」ではないかと僕は思います。
内田樹『内田樹による内田樹』(文春文庫)
ここで語られる「コミュニケーションのコミュニケーション」とは、なんと深い洞察だろう。
それにしても、内田樹(そして内田樹を経由したレヴィナス)の文章に出会ったのが、たとえば、20年ほど前、大学に通っているころであれば、ぼくはどう読んだだろうかと思わずにはいられない。
対話の仕方について。- ブッダの「対話作法」を知り、共感し、学ぶ。
日本から海外に出て、学びの必要性を感じ、関心をもったことのひとつに、「宗教」がある。
日本から海外に出て、学びの必要性を感じ、関心をもったことのひとつに、「宗教」がある。
タイやラオスやミャンマーを旅しながら、仏像や遺跡だけではなく、街の通りで出くわす僧侶たち。
マレーシアの早朝に、イスラムの祈り(録音されたもの)に目を覚ますことになる凛とした空間。
西アフリカのシエラレオネで、街の教会から聞こえてくる賛美歌。
東ティモールの、生活の隅々にまで浸透するカトリック、そこに呼ばれ参列しながら、ぼくは「宗教」をかんがえる。
特定の「制度宗教」(仏教やキリスト教やイスラム教など)を、ぼくは持たないし「生きかた」としてはいないけれども、それらをリスペクトしながら、また宗教学者の釈撤宗が言う「自然宗教」のような位相における(だれもがもつ)「宗教性・宗教なるもの」には、ぼくはオープンでいる。
「制度宗教」についても、この世界で生きてゆくなかで、もっと知らなければいけないと思い、本を読む。
釈撤宗と思想家である内田樹の「対話」「やりとり」が収められている著作『いきなりはじめる仏教入門』『現代霊性論』などは、わかりやすいことば、生きたことばで、これら、宗教・宗教性・宗教なるものを語ってくれていて、初学者にも、したがって(そうであるからこそ)深くかんがえてきたものにとっても、いろいろな意味で読者を触発するものである。
とても刺激に満ちた本たちである(だから、こうして触発されて、いくつかのブログを書いてきている)。
なかでも、「制度」化された宗教のこと以上に、その最初の生成、つまり、たとえばゴータマ・シッダールタ(ブッダ、釈迦、釈尊など)の考えたこと、悩んだこと、生きかたなどは、ぼくの関心をひく。
釈撤宗は、仏教は「相対性を基底にした宗教」であること、釈尊の瞑想方法は「理性的で分析的なもの」であったことなどを指摘しながら、また「釈尊による説法の作法」として、つぎのように(文章の注記で)書いている。
釈尊は誰にでも同じ話をしたわけではないようです。対機説法(相手の状況や能力や傾向に合わせて教えを説く)、次第説法(相手のレベルに合わせて教えを説き、だんだんレベルアップさせていく)、といった手法を使ったといわれています。いわば、めざす山の頂点は同じでも、いろんな登り方やルートがある、といった感じでしょうか。ですから、仏教は、異端や正統という区別には鈍感です。いや、寛容か。
内田樹・釈撤宗『いきなりはじめる仏教入門』(角川ソフィア文庫、2012年)
「相手の状況や能力や傾向に合わせて教えを説く」方法(対機説法)や「相手のレベルに合わせて教えを説き、だんだんレベルアップさせていく」方法(次第説法)は、現代においても、コンサルティングなどの方法に通じるところがある。
別に、コンサルティング的なことに限定しなくても、たとえば、映画「スター・ウォーズ」におけるヨーダの対話作法でもあるだろう。
なお、「対機説法」については、中村元も、著作のなかで、つぎのように書いている。
原始仏教には体系的な教説というより、いろいろな人、いろいろな立場の人との対話が数多く載せられております。ブッダに教えを乞いにきた人にたいして、まずその人が思っていることをいわせてみて、それに応じて諄々と説法していくという場合が多く見られます。これは仏教の特徴ともいえるでしょうが、いわゆる対機説法といって相手に応じて違った言い方で自在に応じるということになります。
相手を頭から否定してしまったり、争ったりということを固く戒めております。このことが、後世に仏教が大きく発展していく要因となったのでありましょう。
中村元『ブッダ伝 生涯と思想』(角川ソフィア文庫)
中村元はここで、「仏教」というぜんたい(仏教の特徴や発展)から遡ってブッダの作法を語っていて、ブッダの「方法」が伝えられ、制度化されてゆく道すじの一端を教えてくれているけれども、ぼくにとっては、ただシンプルに、ブッダがそのような対話の作法をとっていたことに興味をひかれるのである。
そして、「教え」ということについても、なにかが「わかった」と思ったところで、ふたたび、その「わかったこと」を懐疑してゆくという、「相対性」でもって立ち向かい、「理性的かつ分析的」にかんがえる作法は、ぼくもふだんのなかで配慮している方法のひとつである。
いやはや、いろいろと興味をひかれ、いろいろとかんがえさせられるのである。
「人間は自由か、運命・宿命に導かれているか?」の問い。- 内田樹が解釈する武術家甲野善紀のことば。
武術家の甲野善紀(こうのよしのり)。
武術家の甲野善紀(こうのよしのり)。
アジアを旅し、ニュージーランドに住んだのちに、「身体論」ということに関心をもちはじめていた2000年頃に、ぼくは武術家甲野善紀の名前を知り、著作を手に取った。
武道や武術をするわけでもないぼくは、それでも「身体」ということにひかれ、甲野善紀にたどりついたのであった。
名前をどなたかの著作で知り甲野善紀の本を取ったのか、あるいは著作を手に取って甲野善紀の名前を知ったのかは、正確には覚えていない。
また、どの著作を最初に手に取ったのかもよく覚えていないけれども、養老孟司と甲野善紀の対談の本(『自分の頭と身体で考える』)を手に取ったことを、ぼくは覚えている。
いずれにしろ、ことばのなかに、探求者であり、芯の通った、凛とした響きを感じたものだ。
甲野善紀を尊敬する思想家・武道家の内田樹は、甲野善紀『武術の新・人間学』の文庫版解説(「ご縁の人・甲野先生」)を書いていることを他の著作で知り、そこで語られることばに、ぼくは惹かれる。
甲野善紀の武術稽古の始まりには、「人間は自由か、それとも宿命に操られているか」という問いがあったことに、内田樹は照明をあてながら、つぎのように書いている。
人間は自由なのか、それとも宿命の糸に導かれているのか?
それについて甲野先生がたどりついた答えは『人間は自由であるときにこそ、その宿命を知る』ということであった。私はこの洞見に深い共感を覚えるものである。
自由と宿命は『矛盾するもの』ではなく、むしろ『位相の違うもの』である。ほんとうに自由な人間だけが、おのれの宿命を知ることができる。私はそのように考えている。
内田樹・釈撤宗『いきなりはじめる仏教入門』(角川ソフィア文庫、2012年)
「人間は自由か、それとも宿命に操られているか」という問いは、古今東西、さまざまに問われ、回答が試みられてきたものである。
しかし、問いそのものの違和感と回答の歯切れのわるさのようなものを感じることがよくあり、ぼくはそもそもの問いの立て方に無理があるように思ったりしていた。
そのことを、『位相の違うもの』として捉える内田樹の思考に、ぼくも同じことを考えつつ、「ほんとうに自由な人間だけが、おのれの宿命を知ることができる」ということばに慧眼を見る。
なお「自由」などということばは、とかく観念論の深みにはまっていってしまいがちなのだが、武術や武道という「身体」というものが、ある種のストッパーとして、観念の罠から距離をつくっているように思う。
内田樹は、さらに、つぎのように書いている。
…自由であるというのは、ひとことで言えば、人生のさまざまな分岐点において決断を下すとき、誰の命令にも従わず、自分ひとりで判断し、決定の全責任を一人で負う、ということに尽くされる。
他人の言葉に右往左往する人間、他人の決断の基準を訊ねる人間、それは自由とは何かを知らない人間である。そのような人は、ついにおのれの宿命について知ることがないだろう。
おそらく甲野先生が『運命の定・不定』の問題についてたどりついた答えは、そのような決定的に単独であることを引き受けた人間にだけ、宿命は開示されるということではないか、と私は解釈している。…
内田樹・釈撤宗『いきなりはじめる仏教入門』(角川ソフィア文庫、2012年)
この文章はこれにつづいて「ご縁」ということにつなげられてゆくのだけれども、その手前のところで、「自由」ということばを具体化することにより、「ほんとうに自由な人間だけが、おのれの宿命を知ることができる」ということの意味をいっそう鮮明にしてくれる。
なお、この文章は宗教学者の釈撤宗に宛てられたものであり、のちに、釈から内田樹に返信された文章にあるように、別のことなる光をいろいろな角度からあててゆくこともできる(が、ここではこれ以上立ち入らないことにする)。
自由と運命・宿命という関係性は、だれも(おそらく)「正しい」回答を提示できるものではないし、だれも(おそらく)それぞれの論拠を「証明」できるものでもない。
それでも、人にとって、自由だとか、運命・宿命だとかの「位相」は、生きる道ゆきのなかで、とても「切実なこと」として現れてきたりするのであって、それら「切実さ」に寄り添いながら、じぶんのものとして、じぶんの「生きかた」のなかに獲得してゆくことばであるように思う。
甲野善紀のことば、内田樹のことばから、そのようなことを学び、かんがえさせられる。
「ご縁」ということ。- 「私がまさにそのときに会うべき人がちゃんと私を待っている」(内田樹)。
思想家・武道家の内田樹が、「私の「ご縁」論」という文章(宗教学者である釈撤宗宛ての文章)で、「ご縁」についての自身の考えを書いている。
思想家・武道家の内田樹が、「私の「ご縁」論」という文章(宗教学者である釈撤宗宛ての文章)で、「ご縁」についての自身の考えを書いている。
生きている間にすれ違うすべての人と知り合いになるわけではなくて、言葉をかわすのはそのうちのほんとうにわずかな人とだけですし、ましていっしょに仕事をするようになる人というのは、そのうちでもさらに希少な数ですから、そこにはなにかしらの「偏り」があるはずです。
私はその「偏り」のことを「ご縁」と呼んでいます。
内田樹・釈撤宗『いきなりはじめる仏教入門』(角川ソフィア文庫、2012年)
「偏り」というふうに考え、感覚することは興味深いところだと思いながら、この文章を読みながら、ぼくは、うんうんとうなずいてしまう。
生きている間に言葉をかわすのは「ほんとうにわずかな人だけ」だし、「いっしょに仕事をするようになる人」は「さらに希少な数」であることを、ぼくは思う。
もちろん、「数」は相対的なもので、人によって桁数の違いはあるだろうけれども、それでも、たとえば「すれ違うすべての人」の数との比という観点で見れば、人による違いは大差ないものであろう。
言葉をかわす人たちやいっしょに仕事をする人たちとうまくいかないこともあるけれど、このような「偏り」の視点から見ると、「ご縁」ということの不思議さとありがたさを感じるのである。
この文章につづけて、内田樹は、つぎのように書く。
若い頃は、人生は主体的に切り開くものであり、100%の自由と自己決定のみが私の主体性を基礎づけるものである、と単純に信じておりましたが、齢不惑を超えるあたりから、なかなかそういうものではなくて、「神の見えざる手」によって(「仏の手」?)、人生の分岐点のところどころに、私がまさにそのときに会うべき人がちゃんと私を待っている、ということが実感できるようになりました。…
内田樹・釈撤宗『いきなりはじめる仏教入門』(角川ソフィア文庫、2012年)
もっと「若い頃」にこの文章を読んでいたら、さらっと流してしまうかもしれないけれど、ぼく自身が齢不惑を超えるあたりにいるからだろうか、読みながら、つい立ち止まってしまう。
「私がまさにそのときに会うべき人がちゃんと私を待っている」
心をうつ言葉だ。
「会うべき人がちゃんと私を待っている」と思うのは「私」だから、「私」がじぶんの物語のなかで、そのような物語をつくりだしたのだと言うこともできる。
けれども、人生の分岐点のところどころに、ぼくたちは、そのように思うほかはない仕方で、「会うべき人」に出会うのだ。
と、書きながら、「出会う」という言い方は、「主体的に切り開く」ほうに軸足を置いている言い方かもしれないと思ってしまう。
だから、内田樹の書くように、「ぼくが…出会う」というより、「…会うべき人がちゃんと私を待っている」のだという感覚のほうが、ここでは、論理的だ。
それは、(主体的の反対としての)受動的な生きかたということではなく、主体的/受動的という「私」の小さい思考が解き放たれ、他者たちにひらかれた生きかたである。
「私がまさにそのときに会うべき人がちゃんと私を待っている」
それは、偏りとしての「ご縁」を、より鮮烈に感覚する契機だ。
「書く」ための<儀式>。- James Altucherとレヴィ=ストロースの、書く前の習慣。
じぶんがしていることを何らかの仕方でよくしたいと思うのは、程度や方法に差こそあれ、だれもが思うところである。
じぶんがしていることを何らかの仕方でよくしたいと思うのは、程度や方法に差こそあれ、だれもが思うところである。
上手くいかないことを上手くいくようにしたいと思うこともあるし、また、今やっていることをさらに次元を上げていきたいと思うこともある。
「書く」ということも、そのような対象のひとつである。
書くことを日常としていると、やはり、書けなくなったり、じぶんの納得のいく仕方で書けなかったり、あるいはもう一段レベルを上げていきたかったりと、いろいろと思うのがふつうだ。
だから、そのようなことを書いたり、語ったりしているのを読むとき、ぼくの関心はそこにひっぱられるのである。
たとえば、作家・起業家のJames Altucherは、サイト「Writing Routines」のインタビューに応えて、自身の「書く前の儀式や習慣 pre-writing rituals or habits」について、つぎのように語っている。
…私はだいたい朝の5時頃に起き、2杯か3杯のコーヒーを飲みます。それから2時間、とにかく読んで読んで読むのです。インスピレーションを得るために質の高い文芸小説、また学ぶために惹かれるトピックについての質の高いノンフィクションを読みます。インスピレーションに充ちた、あるいはスピリチュアルなものを読んで、そのなかにある特別な何かを感じます。また、しばしば、私はゲームを学ぶことに時間を使います。
それから、文芸小説をさらに読むかもしれません。ある時点において、私は本を脇に置く衝動、あるいはうずうずする気持ちを覚えます。私はコンピューターのところに行き、書き始めるのです。…
“How (and Why) James Altucher Writes 3,000 Words Every Single Day”、 Webサイト『Writing Routines』 ※日本語訳はブログ著者
James Altucherの、この「儀式・習慣」は、他のところでも読んでいて、なるほどと思いながら、ぼくも少し形は違いながらも、同じようなことをしているなと思ったものだ。
ただぼくは、<書く前に読む>ということを儀式・習慣にまでは方法化していなかったから、その方法をより意識化することができた。
その「意識」が、他の本を読んでいるときにも役に立って、あの人類学者レヴィ=ストロースも、論文を書く前に、あの大家の作品を読んでいたという情報に、敏感に反応したのである。
思想家・武道家の内田樹が、つぎのように、レヴィ=ストロースのことを教えてくれている。
これは人類学者のクロード・レヴィ=ストロースがどこかで書いていたことですけれど、レヴィ=ストロースは論文を書き始める前に、必ず書棚からマルクスの本を取り出して、ぱらぱらと任意の数頁を読むのだそうです。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』なんかが特にお気に入りらしいんですけれど、マルクスを何頁か読むと、頭の中の霧が晴れるような気がする、と。
ぼくにもこの感じはよくわかります。マルクスを数頁読むだけで、頭の中を一陣の涼風が吹き抜けるような気がする。…
内田樹・石川康宏『若者よ、マルクスを読もう』(角川ソフィア文庫、2013年)
そうして、じぶんを振り返ってみると、ぼくはやはり、見田宗介=真木悠介の本を取り出して、ぱらぱらと任意の数頁を読むことを、「必ず」ではないけれど「ときに」している。
それはなんでだろうかと、かんがえてみる。
ひとつには、そこでは、根源的な思考と直截的なことばで、人間と社会と自然、またそれらの未来が、肯定的に語られていることが挙げられる。
ことばは、「虚構の言説」ではなく、これらのことの本質をつかみながら、また、文体それ自体に、人の精神や身体を解き放つようなものが備わっている。
そのような文章を読んでいると、「大切なもの」が浮かびあがってくるように感じるのだ。
<書く前に読む>ということそれ自体を、方法のひとつとすることができる。
レヴィ=ストロースのようにこれまでにも、そしてJames Altucherのように今も、<書く前に読む>ことを、方法のひとつとしてきた人たち/方法のひとつとしている人たちがいる。
それは方法としてだけでなく、それ自体楽しみであり、その歓びの源泉から「書く」ことにつながる道ゆきができるのだと、ぼくは自身の経験から思う。
「視点」を変えれば、「世界」の見え方は変わる。- 「構造主義」という考え方(に絡めとられるぼくの考え方)。
「視点」を変えれば、見え方は変わる。
「視点」を変えれば、見え方は変わる。
「世界」で生きてゆくために、ぼくが心得にしているこの「考え方」そのものが、歴史的/地理的に条件づけられている。
思想家・武道家の内田樹は、このような考え方を「構造主義」と呼ばれる考え方として、平易に、しかし切れ味するどく説明している。
世界の見え方は、視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と主張することは論理的には基礎づけられない。私たちはいまではそう考えるようになっています。このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれたのは構造主義であり、それが「常識」に登録されたのは四十年ほど前、1960年代のことです。
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書、2004年)
「構造主義」という考え方は、『寝ながら学べる構造主義』のなかでも取り上げられている、構造主義の「四銃士」、社会史のフーコー、記号論のロラン・バルト、文化人類学のレヴィ=ストロース、精神分析のジャック・ラカンの業績が大きいと言われる。
大学のときにそれなりにきっちりと学んでおこうと思いながら、レヴィー=ストロースの『野生の思考』などをかじりながら、あれよあれよと時間が経過し、20年以上が経過してしまった。
けれども、この約20年、その大半を海外で生活しながら、「視点が変われば見え方は変わる」ということが、よりぼくのなかの深いところに、経験として刻印されてきたのだと思う。
そのことが、構造主義を学ぶことの土台をさらに強固にしてくれたようだ。
内田樹は、「構造主義」という考え方について、「ひとことで言ってしまえば」と、つぎのように書いている。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。
内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書、2004年)
この考え方は、日本、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それからここ香港で生活してきたぼくにとって、むしろ自明のことであるけれども、そのように考えること自体が、すでに「構造主義」の考え方の内にある。
つまり、ぼくの見方や感じ方や考え方は、歴史的/地理的な条件によって、基本的なところで決定されている。
ぼくの生きるという経験において、このタイミングで「構造主義」がやってきたことは、それなりに根拠と理由があるようだ。
それにしても、内田樹の著書『寝ながら学べる構造主義』は、「まえがき」に記されるように、「知らないこと」を軸に編成され、より根源的な問いに出会う確率が高いと内田樹が位置づける「入門書」のとおり、とてもよい入門書だ。
平易で理解しやすい文章と根源的な問いによって、書かれていることが、普段の生活(見ること、感じること、考えること)に接合しやすいように、ぼくは思う。
そして、この本を読んでいると、構造主義に関連する「原典」が無性に読みたくなるのだ。
ジェイソン・ムラーズ(Jason Mraz)の曲「Making It Up」に見る<生き方>。- 「life is but a dream.」の生き方。
音楽家のジェイソン・ムラーズ(Jason Mraz)の新作のアルバム『Know.』は、すてきなジャケットデザインと共に、すてきな曲たちに彩られている。
音楽家のジェイソン・ムラーズ(Jason Mraz)の新作のアルバム『Know.』は、すてきなジャケットデザインと共に、すてきな曲たちに彩られている。
そのなかに「Making It Up」という作品がある。
軽快なリズムの曲だけれども(あるいは軽快なリズムに意図的にのせる仕方で)、その歌詞は、ときに、とても深い次元をすすんでゆく。
曲はつぎのような歌詞にはじまる。
Yeah, well, I may go
Through this life
Never known” who I am
And why I’m here
And why I’m doin’ what I’m doin’
Jason Mraz “Making It Up” 『Know.』 *Apple Musicより。
「じぶんが誰なのかわからないままに、ぼくは人生をくぐりぬけてゆくんだ」と歌詞は、軽快なリズムと軽快な歌声とともに、はじまる。
「ぼくはなぜここにいるのだろう。ぼくはじぶんがしていることをなぜしているのだろう」という具合だ。
それでも、歌詞の軸は、「ぼくと君」がここにいるから人生は大丈夫なんだと、軽快さを保つのである。
ぼくを捉えるのは、終盤に近づくにつれて、つぎのような歌詞が現れるところである。
Well, there’s more to this life
More than what you see
It’s true what they say
That life is but a dream
So row your boat gently
Gently down the stream
And keep dreaming’ your dream
Jason Mraz “Making It Up” 『Know.』 *Apple Musicより。
「この人生には見えるもの以上のものがあるんだ」という言葉につづき、「life is but a dream」、つまり「人生は夢にすぎない」ことがほんとうなんだと、ジェイソン・ムラーズは歌う。
「だから、舟をゆっくりと漕ごう」ということなのだが、これは、英語の古い漕ぎ歌、「Row, Row, Row Your Boat」という民謡から来ていると考えられる。
この漕ぎ歌は、つぎのようにはじまる。
Row, row, row your boat
Gently down the stream
Merrily, merrily, merrily, merrily
Life is but a dream
「Row, Row, Row Your Boat」*Wikipedia “Row, Row, Row Your Boat”より。
「人生は夢にすぎない」という確信のもとに、それだから<なんの意味もないんだ>という方向にはではなく、舟をゆっくり漕ごう、そして、<夢を見つづけるんだ>という方向へと、この歌の「ぼくと君」は、軽やかに、あゆんでゆく。
社会学者の真木悠介は、上述の(と思われる)イギリスの古い漕ぎ歌に、インドの舟人ゴータマ・シッダルタの歌う歌を重ねあわせながら、つぎのような詞を人生に鳴り響かせながら、また著作『旅のノートから』(岩波書店、1994年)の扉においている。
life is but a dream.
dream is, but, a life.
真木悠介『旅のノートから』(岩波書店、1994年)
「人生は夢にすぎないけれども、この夢こそが人生がなんだ」という<生き方>。
ジェイソン・ムラーズの「ぼくと君」も、この<生き方>に共振するように、この今の時代を、軽快に、そしてゆっくりと、あゆんでゆく。
ぼくたちひとりひとりの「自己幻想」、また「ぼくと君」とがいだく「共同幻想」、それらをそのものとしながら、その幻想(夢)を見つづける方向に、ぼくたちはじぶんたちの生を豊かにしてゆくことができる。
この認識は、人生の行き止まりではなく、ひとつの解き放たれた「世界」である。
それにしても、イギリスの古い漕ぎ歌「Row, Row, Row Your Boat」の世界はすごいものだ。
あの短いなかに、ある意味で、<生きることの思想>が端的に、そして真実をつくように語られている。
本で学ぶことと経験から学ぶこと。- 本だけではないし、経験だけでもない。
ぼくが本をみずから手にとって読むようになったのは、20歳頃のことである。
ぼくが本をみずから手にとって読むようになったのは、20歳頃のことである。
ニュージーランド、とくにオークランドに住んでいたときが、「転機」のひとつであったと、そのときのことを思い起こす。
そのときの記憶のいくつかは、例えば、ニュージーランドに住んでいるとき、日本食レストランでのアルバイトが休みの日に、オークランドの図書館に行って本を手にとってみたこと。
あるいは、オークランドの古本屋で、歴史家エドワード・カーの『The Twenty Year’s Crisis』を購入し、また(確か)シドニー・シェルダンの作品を手に取ったのもこの同じ古本屋であったと思う。
これまで住んでいた日本の環境を離れてみて、空いた時間の「空隙」に、本がそっとあらわれてきたようだ。
手に取ったのが「英語」の作品群であったことも、ぼくが本を好きになったことを後押ししたのだと思う。
英語をきっちりと学びたかったことと共に、英語の本の世界を通じて、ぼくは<いつもとは違う場所>に思考と想像をはばたかせることができたのかもしれない。
本を読むようになる前には、本など読まなくても、日々の経験が大切でまたその経験を通してかんがえていくんだというスタンスであった。
今思えば、勝手な言い分だし、未熟な考え方であったように思う。
今は、それらのどちらかではなく、どちらもが大切であると思う。
経験だけではなかなかじぶんの「殻」を出るのがむずかしいし、また経験を通してかんがえることはもちろん大切だけれども、それをまるで「じぶんだけの発見」のように語るのも、ひどく狭い視野である。
これまでに、そして今も、同じことを思考し、それらをさらに先に進めようとしている人たちが存在している。
20代前半にあまり(ほとんど)理解できなかったミシェル・フーコーの(素敵な装丁の)著書『言葉と物』において、近代の「人間」を定義したのはカントであると、フーコーは書いている。
そのことが、吉川浩満『理不尽な進化』(朝日出版社、2014年)のなかで簡潔にまとめられている。
カントこそ近代の「人間」を定義してみせた人物だと、二十世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコーはいう。フーコーはカントによって定義された人間を「経験的=先験的二重体」と名づけた…。経験的とは文字どおり経験によって、つまり感官を通して知ることができるものをいう。そして先験的とは、論理や数字のように、あらゆる経験から独立に物事を認識する能力である。つまり経験的=先験的二重体である人間とは、世界に存在するモノの一部であると同時に、モノをモノとして認識して世界に位置づけることができる知性的存在ということだ。…近代科学の発展は、このような経験的=先験的二重体によって可能になったといえる。
吉川浩満『理不尽な進化』朝日出版社、2014年
ぼくが漠然と(先験的に)かんがえていたことは、すでにその深度をもって、いろいろな知性たちによって追求され、語られている。
本は、そのようなことを教えてくれる。
そして、それは「何かのため」という効用の次元だけでなく、それ自体で「楽しい」ものである。
こんなことを書きながら、20年ぶりに、ミシェル・フーコー『言葉と物』を読みたくなる。
読んでもまったくわからないものが(少しは)わかるようになる。- 内田樹を経由するレヴィナスの哲学。
2000年前後の頃、中国語を専攻する大学生であったぼくは、ようやく本を読むようになって、その「世界」に次第にひきこまれ、哲学書にまで手をひろげていった。
2000年前後の頃、中国語を専攻する大学生であったぼくは、ようやく本を読むようになって、その「世界」に次第にひきこまれ、哲学書にまで手をひろげていった。
経済発展の著しい中国を見据えて中国語を学び、また「国際関係論」という領域にも踏み込みながら、実務・実践とは離れたところに、ぼくの興味関心はどうしてもひかれてゆくのであった。
だからといって、思想や哲学にどっぷりとつかったわけでもなく、デリダやレヴィナスなどに触れようと試みては、さまざまに書かれている入門書の段階でつまずいていた。
簡易に書かれているはずの入門書を読んでもまったくわからず、入門の門さえもくぐれないような状況であった。
だから、思想や哲学などのぜんたいには惹かれながら、個別にはなかなか入っていけなかった。
そんな折、ぼくはぼくにとっての「師」、見田宗介=真木悠介先生の著作群に出会ったことから、ぼくにとっての学びの風景が一変してゆくことになった。
その後も、見田宗介=真木悠介先生の著作群を導きの糸としながら、そこで言及される思想家や哲学者などに触れてきたのだが、彼ら・彼女たちの文章は、見田宗介=真木悠介を経由する仕方で、ぼくは理解していったのであった。
そのような状況が変化してゆくのを、ここのところ、内田樹『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫、2011年)を読みながら感じることになる。
内田樹の読解を通じてではあるけれども、あの、入門書でさえまったく理解できなかったレヴィナスの哲学を、ぼくなりに理解できるようになったことである。
「ぼくなり」というのは、「今のぼく」が読解できる深度において、という意味である。
リトアニア生まれで、ホロコーストを生き残ったフランス国籍のユダヤ人哲学者であるエマニュエル・レヴィナス。
20年近く前読もうとしたレヴィナスは、ぼくの未熟な経験と浅い読解力からは、はるかに遠くにあるような存在であった。
内田樹という思想家・武道家の「導き」によって、ぼくはそのはるか先に存在した稜線に少しは近づいたようだ。
「導き」によっているとしても、その「導き」でさえ、以前のぼくであればまったくわからなかっただろうと思う。
それでは、このおよそ20年に、ぼくは何を「通過」してきたのだろうか。
理由としては、大きくはつぎのように分けられるものと思う。
- 経験
- 読解力
二つ目の「読解力」は、さらには、論理と語彙のそれぞれの力に分けられる。
実際に生きるという経験のなかで生き方の幅をひろげながら切実な問題をふくらませ、またさまざまな本にふれるという経験のなかで、いろいろな視点にふれ、読み方を学び、語彙を知る。
未熟な経験とうまくいかない状況の経験の重なりのなかで、生きる経験の地層が厚くなってゆく。
今でも未熟さをいっぱいにもちながら、それでも(それだからこそ)、生きる経験の地層ができてゆく。
レヴィナスが読めなかったじぶんと、ようやくその入門の門にさしかかることのできるじぶんとの「あいだ」には、そのような歩みがあったのだろうと、ぼくは考えてみる。
そんなことを考えていたら、この本の「文庫版あとがき」で、内田樹がおもしろいことを書いているのを見つける。
レヴィナスを読む市井の、ふつうの人たちは、レヴィナス翻訳者の内田樹に対して、みんなが、「何が書いてあるのかよくわからないんだけれど、これは私が読まなくちゃいけないものだということは切実にわかった」のだと言ったのだという。
これに対して、内田樹は自身の経験に接続させながら、つぎのように書いている。
でも、そういうことってあると僕は思うんです。僕自身がそうでしたから。
先生の本をはじめて読んだとき、今から30年も前のことですけれど、僕には何が書いてあるかぜんぜん理解できなかった。けれども、「ここには私が早急に理解すべき人間的叡智が書き込まれている。人として理解しなければならないことが書き込まれている。これが理解できないうちは、私はちゃんとした人間にはなれない。」
そう直感的に思ったんです。
内田樹『レヴィナスと愛の現象学』文春文庫、2011年
「ちゃんとした人間」がどのような人間なのかは今でもよくわからないとしながら、他の西洋の思想家、たとえばマルクスやフロイトやニーチェなどを読んだときには、そこまで思ったことはなかったと、内田樹はつづけて書いている。
そして、読み始めてから30年のあいだに、多少なりとも人間的な「成熟」があったのだろうとしながら、その成熟もまた、レヴィナス先生のおかげであったと書いている。
レヴィナスの哲学を学ぶ道筋は、学ぶものが「未熟さ」を知るところから始まることに、他の哲学とは異なる特徴があるのだという。
本文を読んだあとに、このような「あとがき」を読みながら、ぼくはまたうなされてしまったわけである。
そして、このような内田樹に導かれることで、レヴィナスの入門の門に触れることができたのかもしれないと、やはり思ってしまうのである。
それにしても、20年ほど前にレヴィナスにはじめてふれたとき、なぜだか、ぼくも「ここに大切なことが書き込まれている」ように思ったことだけは、今でも覚えている。
書かれていることは、さっぱりわからなかったのだけれども。
人生を駆動するのは「Love or Fear」か。- ジム・キャリー(Jim Carrey)の「大学卒業式における訓示」に魅かれて。
「大学卒業式における訓示(Commencement Address)」としては、よく取り上げられるスティーブ・ジョブズの訓示があったりするけれども、ぼくがとりわけ好きな訓示は、ジム・キャリー(Jim Carrey)の訓示である。
「大学卒業式における訓示(Commencement Address)」としては、よく取り上げられるスティーブ・ジョブズの訓示があったりするけれども、ぼくがとりわけ好きな訓示は、ジム・キャリー(Jim Carrey)の訓示である。
マハリシ大学の2014年度卒業式における訓示(Commencement Address)は、いわば「名作」である。
ジム・キャリーのあの表情とユーモアとそれによる雰囲気づくり、言葉の選び方からスピーチのリズム、スピーチ全体の物語性、会場に用意されたジム・キャリーの絵画、そしてスピーチのメッセージ性と深さなど、どこから見ても、とても魅力的なスピーチである。
「名作」であるものとして、そのスピーチが届けられた大学の卒業生だけでなく、観る者/聴く者たちの印象に深く残るものとなっている。
大学によってYouTubeでその全スピーチが公開されているので、動画(英語等サブタイトル付き)で、ぼくたちはそれを見ることができる。
ジム・キャリーのことを少しブログ(「ジム・キャリー(Jim Carrey)の生と言葉を「導きの糸」にして。- 「しあわせ」ということのメモ。」)で書き、ふと、この訓示を再び見たくなって見ていたら、ちょうど、そのブログとも交差することが語られていたことを発見する。
別のブログで取り上げたのは、「I think everybody should get rich and famous and do everything they ever dreamed of so they can see that it’s not the answer.」(「誰もがお金持ちになり、有名になって、夢見たことをすべてすべきだとぼくは思う。そうすれば、それが答えではないということがわかるから」)という、ジム・キャリーの言葉であった。
このことについてよく語ってきたこととし、ジム・キャリーは訓示の中で、つぎのように語っている。
…I’ve often said that I wish people could realize all their dreams in wealth and fame so that they could see that it’s not where you’re going to find your sense of completion.
Jim Carrey “Full Speech: Jim Carrey’s Commencement Address at the 2014 MUM Graduation”
「私はよく言ってきたのですが、人びとが富と名声におけるすべての夢を現実化できるのを願っていると。そうすれば彼/彼女らは、そこが自分の達成感を見つけるところではないということがわかるだろうから」と。
前述における「それが答えではない」ということが、「そこは達成感を見つける場所ではない」と言い換えられている。
ところで、「それが答えではない」という表現に導かれて、ぼくは音楽家のジェイソン・ムラーズ(Jason Mraz)の新作の最後の曲に、「Love Is Still the Answer」という素敵な曲の、その曲名に目が行ったのであった。
言葉の表現を介した、ジム・キャリーからジェイソン・ムラーズへの、その「飛躍」は、まったくもって、ぼくの頭の中での出来事であった。
けれども、ジム・キャリーの訓示を聴いていたら、「Love or Fear」(愛か怖れか)が、全体を貫くテーマとして選びとられていたことを知る。
例えば、ジム・キャリーはこんなふうに語る。
…Now fear is going to be a player in your life. You get to decide how much you could spend your whole life imagining ghosts, worrying about the pathway to the future but all there will ever be is what’s happening here in the decisions we make in this moment which are based in either love or fear. So many of us choose our path out of fear disguised as practicality. …
「さて、怖れはあなたの人生のプレイヤーになるでしょう。あなたは決めなければいけない。自分の人生のどのくらいを、ゴーストを想像し、未来につづく道を心配しながら過ごすのかということを。けれども、これから起きることのすべては、この瞬間におけるわたしたちの決断の中に起きていることなのです。つまり、愛に基礎をおく決断なのか、あるいは怖れに基礎をおく決断なのか。わたしたちの多くは、実用・実際(practicality)という姿に粉飾した怖れから、自分たちの道を選んでいるのです。」
Jim Carrey “Full Speech: Jim Carrey’s Commencement Address at the 2014 MUM Graduation” ※日本語訳はブログ著者
瞬間瞬間の決断が「愛からなのか、怖れからなのか」、ぼくたちは、その都度、自分に問うことができる。
じぶんの決断が、じぶんの抱く「怖れ」から来ていないか。
とてもシンプルな問いだけれども、それは日々のさまざまな決断の「歪み」に光をあてる問いでもある。
そして、ジム・キャリーは、訓示の最後を、つぎのようにとじている。
…You are ready and able to do beautiful things in this world and after you walk through those doors today, you will only ever have two choices: Love or Fear. Choose love and don’t ever let fear turn you against your playful heart.
「あなたたちはこの世界で美しいことをする準備ができているし、そうすることができるのです。今日そこのドアを通り歩いて出ていったあと、あなたたちには二つの選択肢があるだけなのです。愛か、怖れか。愛を選ぶこと、そして怖れでもって遊び好きな心に対峙しないでください。」
Jim Carrey “Full Speech: Jim Carrey’s Commencement Address at the 2014 MUM Graduation” ※日本語訳はブログ著者
だいぶ前に観た/聴いたときには飛ばしてしまっていた箇所が、今のぼくに届いてくる。
ジム・キャリー(Jim Carrey)の生と言葉を「導きの糸」にして。- 「しあわせ」ということのメモ。
「チキンスープ」と呼ばれる著作シリーズで有名なジャック・キャンフィールド(Jack Canfield)は、「成功原則」をまとめた著作(『The Success Principles』)のなかで、コメディ俳優であるジム・キャリー(Jim Carrey)の「成功秘話」を取り上げている。
「チキンスープ」と呼ばれる著作シリーズで有名なジャック・キャンフィールド(Jack Canfield)は、「成功原則」をまとめた著作(『The Success Principles』)のなかで、コメディ俳優であるジム・キャリー(Jim Carrey)の「成功秘話」を取り上げている。
1990年頃、ジム・キャリーがカナダの売れない若いコメディアンで、ロサンゼルスに向かっていたときのこと、彼は古いトヨタ車を運転して、Mulholland通りに行った。そこに座って、下にひろがる都会を前に自分の将来を夢見ながら、彼は1,000万ドルの小切手を自分自身に書いたのであった。その小切手は1995年の感謝祭の日付が入れられ、「演技に対して」という注記が付けられた。その日から彼は、この小切手を自分の財布の中に入れて持ち歩いたのであった。残りは、言われるように、歴史である。…
Jack Canfield『The Success Principles』HarperCollins, 2005 ※日本語訳はブログ著者
歴史だと言われるように、ジム・キャリーは、1995年までに2,000万ドルまでに自分の演技の価値を上げることになる。
また、父親が1994年に亡くなったときは、彼の棺の中に1,000万ドルの小切手を置いたという。
ジャック・キャンフィールドは、ジム・キャリーの実話をもとに、「WRITE YOURSELF A CHECK」(自分自身に小切手を書く)というタイトルのもとに、「目標」を立てそれを達成するための方法のひとつを取り出している。
「成功原則」としてここで終わるのもひとつだけれども、ジム・キャリーの人生は、そこで止まるものではなかった。
のちに、彼は、つぎのように語っている。
I think everybody should get rich and famous and do everything they ever dreamed of so they can see that it’s not the answer.
- Jim Carrey
「誰もがお金持ちになり、有名になって、夢見たことをすべてすべきだとぼくは思う。そうすれば、それが答えではないということがわかるから」と、ジム・キャリーは語る。
どのような場所で、誰に向けられて、どのように語られたのか、ぼくはわからない。
けれども、あの、ジム・キャリーだからこそ、この言葉を聞く者にひびく何かがあるようにも思う。
それが答えではないんだ、と。
そんな折に、シンガーソングライターのジェイソン・ムラーズ(Jason Mraz)の新しいアルバム『Know.』を聴いていたら、その最後の曲がつぎのような曲名であった。
「Love Is Still the Answer」
とても暖かい曲たちがつまった、この新しいアルバムの最後に、「愛がそれでも答えなんだ」とジェイソン・ムラーズは置いている。
「それでも(Still)」と。
もちろん、ジム・キャリーが語るところと文脈は異なるのだけれども、それは、ぼくの中で、あくまでもぼくの中で、ひとつのつながりを描く。
ジム・キャリーが語るのは、おそらく、「しあわせ」ということの答えはそこにはないんだということである。
「しあわせ」というものを外に外に向けて探していっても、それはどこかで、果ててしまうのだということでもある。
「しあわせ」は、見田宗介が<幸福感受性>と書くように、それを<感受する力>を、じぶんの内に、透明に、高めてゆくことのなかに、ただ自然に現出するように、ぼくは思う。
「人間の成熟」ということ。- 谷川俊太郎と河合隼雄の「対話」が生みだす<ことば>。
詩人の谷川俊太郎は、1970年代後半、心理学者・心理療法家である河合隼雄との「対話」のなかで、<人間の成熟>ということの考え方をつぎのように語り、河合隼雄に聞いている。
詩人の谷川俊太郎は、1970年代後半、心理学者・心理療法家である河合隼雄との「対話」のなかで、<人間の成熟>ということの考え方をつぎのように語り、河合隼雄に聞いている。
…たとえば人間が成熟していくということは、無限に本来の自己に接近していくと考えたほうがいいということですね。
しかし、昔ながらの一種の精神修養や修身的な発想でいくと、人間というのは人格をつくり上げていくものだというふうにとらえることがありますね。ぼくはそういうふうに人格がつくり上げることのできるものかどうかというとやや疑問で、むしろ自分をラッキョウの皮をむくみたいにむいていって見えてくるもののほうが、成熟という言葉には近いんじゃないかと思うんですけれども、そういうふうに考えてもいいんでしょうか。
河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫、1993年。もとの作品は1979年に刊行
河合隼雄と谷川俊太郎との、この「対話」が収められた本『魂にメスはいらない ユング心理学講義』。
20年ほど前に、河合隼雄と谷川俊太郎という、ぼくの好きなお二方の対話ということで、文庫版を手に入れて読んだのだけれど、ぼくの側に、対話で交わされている言葉とそれらの余白の<ことば>を受け入れる素地ができていなかったからか、おそらく途中で読むのをやめてしまっていた本であった。
この「20年ほど」のなかで、西アフリカのシエラレオネ・東ティモール・香港で生きてきた経験と、また(たとえば)「自我・自己」ということをかんがえてきたこととが、ぼくの心と思考の素地に雨を降らし、陽光をあて、そこに芽を生成させてきたからか、ふたたびこの本の対話にふれると、ことばがぼくの深いところで共鳴するように感じる。
冒頭のように谷川俊太郎が語る「節」のタイトルは、<人は自分をハダカにしながら成熟していく>とつけられていて、そのことは今のぼくであるから、見えてくるようなところがある。
「人間が成熟していくということは、無限に本来の自己に接近していくと考えたほうがいいということですね」と再確認する谷川俊太郎の語りの前に、河合隼雄は、「私」というもの/ことについて、ユング心理学を土台にして説明を加えている。
…「私」というのを普通の意味の私と本来的な私とに分けているんです。ユングはそれを「エゴ」と「セルフ」と呼んでいるんです。ぼくはほかに適当な訳語が見つからないんで「自我」と「自己」と訳しているんですが、自我というのは“説明可能な私”で、それは本来的な私とちょっとずれている。特にソーシャルな場面に入っていくほど、お世辞も言わんといかんことがあったりしますが、その底のほうに本来的な自己というのがあるとぼくらは思っているんです。
河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫、1993年
この「本来的な自己」を、河合隼雄は、「字では書けないもの」という絶妙な定義を加え、せっかくそういう本来的な自己(=字では書けないもの)を持って生まれてきたのだから、できる限り生かそうじゃないかと、自分の考え方を提示している。
谷川俊太郎の「質問」は、この「字では書けないもの」により接近してゆくように、「自分自身を変革するということも可能なような自己なんですか」という表現になって、河合隼雄に投げかけられてゆく。
河合隼雄も、その質問に導かれながら、つぎのように絶妙な仕方で応答する。
自我というのは変革できるが、自己というのは変革もくそもないわけで、何も名前のつかないようなもの、いわば無限の可能性みたいなものです。
河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫、1993年
こうして、「対話」は、冒頭の谷川俊太郎の言葉、「人間が成熟していくということは、無限に本来の自己に接近していくと考えたほうがいいということですね」に、つながってゆくことになる。
そこから繰り出される谷川俊太郎の質問、「むしろ自分をラッキョウの皮をむくみたいにむいていって見えてくるもののほうが、成熟という言葉には近いんじゃないかと思うんですけれども、そういうふうに考えてもいいんでしょうか」に対して、河合隼雄はつぎのように応えることになる。
ぼくもそういうふうに思います。ただその場合、むくのも自分ですので、それができるだけの力も蓄えねばいけない。
河合隼雄・谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫、1993年
「自我・自己」ということが、追求され、展開され、深められてゆくこの「対話」が、ぼくは好きである。
そう、河合隼雄が言うように、ラッキョウの皮をむくために、それが<できるだけの力を蓄える>ことが必要である。
真木悠介は、「詩人」とは<自分と世界との境目がはっきりしない人間>だと定義している(『自我の起原』岩波書店)(*ブログ:「詩人」とは?「詩という現象」とは?。- 真木悠介による定義の明晰さ。)。
谷川俊太郎という詩人も、その「詩人」の定義に適合するように、ぼくには見える。
この本の最後には、そんな谷川俊太郎の詩のいくつかを、河合隼雄が「解釈」を加えるという試みがなされている。
<自我と自己との境目を行き来する人間>ともいうことのできる河合隼雄ならではの試みである。
<生ききる>ということについて。- 生きる、生ききる、ただ生きる、生きつくす。
<生ききる>ということを、かんがえる。
<生ききる>ということを、かんがえる。
つぎのような、ぼくの「ライフ・ミッション」に書いた言葉である。
「子供も大人も、どんな人たちも、目を輝かせて、生をカラフルに、そして感動的に生ききることのできる世界(関係性)をクリエイティブにつくっていくこと。」
この「ライフ・ミッション」の最初のドラフトをつくっているときには、「生ききる」ではなく、「生きる」としていた。
「生きる」から「生ききる」になった背景と経緯について、以前のブログでつぎのように書いた。
ーーーーー
「生きる」から「生ききる」へ。
自分の「ライフ・ミッション」を書き直しているとき、その中のことばの一つとして、「生きる」、とはじめに書いた。
それから、「生きる」に「き」の一文字を加えて「生ききる」とした。この加えた「き」は、英語で言えば、「fully」の意味を宿す。
Liveだけでなく、Live fully。生ききること。
人によっては「重く」聞こえるかもしれないけれど、今のぼくには、しっくりくる。
<ただ生きること>の奇跡を土台としてもちながら、この生を<生ききること>。
「一文字」に、気持ち・感覚(と、さらには生き方)を込める仕方を、ぼくは、宮沢賢治に学んだ。
宮沢賢治が、1931年11月3日に、手帳に書き込んだ、有名なことば。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダをモチ…
宮沢賢治
宮沢賢治が書き付けた「直筆」を見ると、ことばの間隙から、宮沢賢治の「声」が聞こえてくる。
直筆から見ると、最初の「原型」はこのような、ことばであった。
雨ニマケズ
風ニマケズ
雪ニモ夏ニモ…
宮沢賢治は、「雨ニ」と「風ニ」のそれぞれの後ろの横に、若干小さい文字で「モ」を加えている。
このこと(と直筆を見る面白さ)を、名著『宮沢賢治』(岩波書店)の著者、見田宗介から学んだ。
見田宗介は宮沢賢治生誕100年を迎えた1996年に、宮沢賢治研究者である天沢退二郎などとの座談会で、このことに触れている(「可能態としての宮澤賢治」雑誌『文学』岩波書店)。
宮沢賢治が、この「一文字」に込めたものに、ぼくは心が動かされた。
その記憶をたよりに、自分の「ライフ・ミッション」を手書きで書きつけながら、ぼくは「生きる」に「き」を加える。
「生ききる」
ことばを、ぼくの身体に重ねてみて感覚を確かめる。
そうして、ぼくの身体とそのリズムがことばに「Yes」と言う。
たったの「一文字」が、世界の見方や生き方を変えることがあることに、気づかされた。
ーーーーー
このように生成してきた言葉とライフ・ミッションであるが、<生ききる>は、上述のように、人によって、あるいは文脈によって、「重く」感じられることもある。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」の語感がどこか重さを背負ってしまっているように感じるのと同様である。
それは、人類の歴史において、<近代>という時代を駆動してきた精神、例えば、「時間を無駄にしてはならない、時間は金なり」というようなイメージがすりこまれているように、聞こえるからである。
どんな些細な時間も、将来の「何かのため」に、すみからすみまで活用されねければならない、というようにかんがえる人もいる。
でも、ぼくの「生ききる」は、別に、ゆっくりするのもいいし、またとことん行動してもよい。
<生ききる>ことにおいて、ぼくにとって、肝要なことは、
- <現在を生きる>ということ、
- <じぶんの生>を実現してゆくということ、
である。
これらを基礎としながら、<生ききる>と<ただ生きる>は対立していない。
「生ききる」は行動に充ちた生、<ただ生きる>は行動に欠ける生といったように、逆に聞こえるけれども、それは、前述のような、近代の精神における「思考の癖」のようなものだ。
そんなことが、シャワーに浴びる直前に、ぼくの脳裡に、ふと現れ、少しかんがえさせられた。
また、「生ききる」の代わりとして、<生きつくす>という言葉もよいなと、真木悠介(=見田宗介)の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)の「最後の一文」を思い出す。
「生のあり方」を考察する最後の節で、真木悠介はつぎのように書いて、この本(の本文)を書き終えている。
人類の歴史はたとえみじかいとはいえ、一億や二億の年月はおそらく生きつづけるであろうし、その最初の百分の一ほどの歴史のなかに解答を見出せなかったからといって、われわれの想像力をその貧寒なカタログのうちにとじこめてしまってはならないだろう。
われわれとしてはただ綽々と、過程のいっさいの苦悩を豊饒に享受しながら、つかのまの陽光のようにきらめくわれわれの「時」を生きつくすのみである。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
そう、ぼくたちは、「つかのまの陽光のようにきらめく」生を、<生きつくす>のみである。
ひきだされてゆく才能たち。- TV番組『America's Got Talent』の見方(楽しみ方)。
TV番組『America's Got Talent(アメリカズ・ゴット・タレント)』(略称:AGT)は、公開オーディションの形で才能を競い合うTV番組。
TV番組『America's Got Talent(アメリカズ・ゴット・タレント)』(略称:AGT)は、公開オーディションの形で才能を競い合うTV番組。
歌手(歌を歌う人)、ダンサー、マジシャン、曲芸者、コメディアンなどなど、年齢も出身もさまざまな人たちがオーディションで競い合う。
現在はすでに「Season 13」を迎え、今回も、さまざまな人たちが、才能や創造性を披露している。
YouTubeでも公式アカウントがあり、オーディションやその背景を切り取ったものがアップロードされ、だれでも見ることができる。
ふつうただ見るだけでも面白く、またときに、見せてくれる芸に感動させられる。
さらに、ぼくの「見方」(楽しみ方)のひとつは、オーディションを通過し勝ち上がってゆくプロセスでの「成長度合い」である。
たとえば、1回目のオーディションよりも、2回目のオーディションの方がはるかに、よくなっていたりする。
緊張が和らいだという側面もあるかもしれないけれど、それ以上に、パフォーマンスを披露する人のなかで「何か」がはじけたような、あるいは解き放たれたような、そのようなパフォーマンスを見ることができることがある。
この番組のクリエイターであり、審査員でもサイモン・コーウェル(Simon Cowell)は、審査員として芸を披露した参加者にコメントするときに、ときおり、このことを参加者に直接に伝えることがある。
また、「成長度合い」が、1回のオーディションの中で、引き上がるようなこともある。
サイモン・コーウェル(Simon Cowell)は、歌を披露している人たちのオーディションを「途中で止める」ことがある(「Season 13」でも何回か見られる)。
歌の選曲が、その人の才能を充分に引き出していないと感じ、躊躇なく、途中で止める。
サイモン・コーウェルの提案にしたがって、曲を変え、再度仕切り直しで歌う参加者から、より生命感を感じさせる歌声が放たれる。
1回のオーディションのなかで、才能がひきだされ、ぼくたちは、その場面を目の当たりにすることができる。
ぼくは、そのような場面を、楽しく、心を動かされながら、観ている。
それにしても、番組は、当たり前だけれど、世の中の動きとも呼応していて、「多様性」が、ますます反映されてきている。
世界中からの参加も増えているように見受けられるし(人種の多様性)、また参加者が生きてきた背景(例えば、障害をもつ人、いじめられた経験をもつ人)なども多様だ。
合唱団の構成自体が、年齢や人種や性などの多様性に充ちていたりする。
「芸」だけでなく、その人やグループの背景、あるいは個人史やグループ史の「物語」というもののぜんたいが、観る人たちの「評価」に影響している。
多様性に充ちた参加者たちの生が、このオーディションで交差し、それぞれに花をひらかせようとする(ほんとうは<花>はすでにひらかれている)。
そして、ぼくたちは、日々、いろいろな場所で、いろいろな才能に充ちた人たちと交差している。
「はたらき方」の語られ方で、見逃されているもの。- 糸井重里が光をあてる「よく見たらおもしろい例」。
このブログでもときおり取り上げている、コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)の「今日のダーリン」。
このブログでもときおり取り上げている、コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)の「今日のダーリン」。
「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」であり、ぼくも「ほぼ毎日」ブログを書いていることから、ぼくは(勝手に)一緒にマラソンを走っているような気持ちになることがある。
その「今日のダーリン」の、2018年7月25日号では、「はたらき方」の語られ方について、書かれている。
より厳密には、「語られ方」として、<見逃してしまっている語り>のことである。
見逃されているのは、「よく見たらおもしろい例なんか」である。
こうして、糸井重里は、「事業として農業をやっている人」へと、視野を広げてゆくことで、「はたらき方」の語られ方について、面白い視点を投じている。
挙げられているのは、「ほぼ日刊イトイ新聞」のショップでも売られているトマト(ジュース)をつくっている、北海道余市の中野さん一家の「よく見たらおもしろい例」。
「並大抵でない工夫と手間をかけている」トマトづくりについて、糸井重里ら一行が取材に行ったときに、トマトづくりに加え、糸井重里はつぎのような問答を展開したという。
…ふと、余計なこととは思いながら、「トマトって、冬の間は雪で仕事になりませんよね?」と、当然といえば当然すぎるようなことを訊きました。「はい。なんにもやることはないですが、わたしたちは、冬がたのしみなんですよ」と思わぬ答え。「あ、そうですか。別の仕事が待ってるとか?」「いやぁ、ほら、冬はスキーですよ。あちこち行きます。あとは、温泉めぐりです。たのしいんです、冬は」つまり、遊んでいるということです。
…だれに文句を言われる筋合いもないですよね。会社員には、そういうことは無理だとか言われても、みんながみんな会社員じゃないんだし、みんながみんが一年中、毎日のように平均的に仕事をしているという義務もいらないんですよね。…はたらくということは、食える分ほしい分だけ稼いだら、あとは休もうが遊ぼうが自由に決められるはすですよね。中野さんとの会話、ずっと忘れてないんですよ、ぼくは。
糸井重里「今日のダーリン」2018年7月25日『ほぼ日刊イトイ新聞』
確かに、忘れられないような会話だし、「よく見たらおもしろい例」である。
「はたらき方」の議論は、往々にしてその議論の視野と前提を狭めてなされていることを、このような例を鏡とすることで、逆に見せてくれるようなところがある。
もちろん、見田宗介の言うように、貨幣経済と都市の原理の、社会への全面化を<近代>とする見方においては、「都市」における企業の会社員の「はたらき方」が「問題」として浮上し、中心的なこととして語られることは、けっして根拠のないことではない。
忘れられない、中野さんとの会話が示してくれるのは、「はたらく」ということにおいても、あるいは「生きる」ということにおいても、もっと自由に決めることのできる可能性の空間があることの予感である。
このような可能性の空間は、「事業として農業をやっている人」だけでなく、それは、たとえば、日本の外に視野をひろげてゆくことで見えることもある。
バックパッカーでアジアを旅していたとき、ニュージーランドに住んでいたとき、西アフリカのシエラレオネや東ティモールで支援活動をしていたときにぼくが出会った人たちは、生きてきた個人史のぜんたいが「ふつう」ではなく、はたらくことの経歴や仕方も「おもしろい例」であった。
そのような人たちに、そのような「おもしろい例」にいつも触れることは、「はたらく」ことにおいても、「生きる」ことにおいても、もっと可能性の空間はひらかれているのだとかんがえる経験的な根拠をぼくに与えてくれた。
75億とおりの「はたらき方」や「生き方」があってもよいのだということ。
画一化される時代は面白くないし、それはすでに崩れはじめている。
「一般市民→地域→組織→個人」への関心。- 「テーマ」をとことん追い求めていると、つぎのテーマが現れる。
日本でのコーチングの第一人者である榎本英剛氏の著作『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』(春秋社、2017年)に、ついつい引き込まれながら読んでいたら、気がつけば、本の、もう終わりの方にさしかかっていた。
日本でのコーチングの第一人者である榎本英剛氏の著作『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』(春秋社、2017年)に、ついつい引き込まれながら読んでいたら、気がつけば、本の、もう終わりの方にさしかかっていた。
榎本英剛自身の半生を追う仕方で「8つのキーメッセージ」が語られているなかで、それらの言葉のもとに、ぼく自身が生きるという経験に光をあててゆく。
読書は、ぼくにとって、読むということと共に、著者の言葉との出会いに思考し、内的な議論を展開し、じぶんを見直し、じぶんの行動をつくりだしてゆくものでもある。
そんなふうに読みながら、本の終わりの方にさしかかって、あるところでぼくは「立ち止まって」かんがえる。
ぼくの経験に照らしあわせてゆくなかで面白く感じたのは、コーチングという仕事から入った榎本英剛の人生は、「個人」と向き合うことから、やがて「組織」、「地域」、「一般市民」という仕方で開かれていったこと、そしてぼくの仕事と関心は、それとは逆の仕方で、「一般市民」と「地域」、やがて「組織」、それから関心としの「個人」というように焦点をしぼってきていることである。
もちろん、それぞれの対象は相互につながっているものであり、例えば組織に向かっているときも、個人や地域や一般市民のこともかかわっている。
けれども、なにはともあれ、この箇所を読みながら、ぼくは「生きる」ということの興味深さを感じたのだ。
榎本英剛は、自身の活動をあとから振り返ったとき、展開してきたそれぞれの活動(コーチング、トランジションおよびチェンジ・ザ・ドリーム=チェンドリと呼ばれる市民運動)の共通点として、「エンパワー」という目的を見て取っている。
コーチングの場合、エンパワーする対象は「個人」であり、トランジションの場合は「地域」であり、チェンドリの場合は「一般市民」であるといった具合に、対象がそれぞれの活動で異なるだけでエンパワーするという目的においては皆、同じ線上にあるものだったのです。
ここで大事なことは、これらのことを私が順を追って計画的にやってきたわけではなく、ただただ自分の内なる声に従ってやってきた結果、あとで振り返った時に、そこに一本のまっすぐな道ができていた、という事実です。
榎本英剛『本当の自分を生きるー人生の新しい可能性をひらく8つのメッセージ』春秋社、2017年
「あとで振り返ったとき」の「一本のまっすぐな道」は、スティーブ・ジョブズがかつて語った「connecting the dots」と通じる見方である。
過去のいろいろなことが「現在」という地点において、意味づけされ、ときに個人の「物語」として立ち上がってくる。
そのように、榎本英剛の「生きる」は、<個人→地域→一般市民>というように展開され、ひろがり、そしてそれぞれの活動に厚みと深さが加えられていった。
なお、榎本英剛はコーチングをはじめた後、それほど時を経ずしてアメリカに留学し、そこで「組織論」を学んでいるから、そのことを考慮すれば、前述の流れは、<個人→組織→地域→一般市民>というように、書き換えることができる(※なお、榎本英剛氏はその後「よく生きる研究所」を立ち上げていて、それはこれら全体を包括するようなものなのかもしれない)。
ぼくにおいては、それはちょうど逆の仕方、つまり<一般市民/地域→組織→個人>というように展開され、焦点を変えてきた。
研究対象としては「途上国と人びとの発展」から入り、NGO職員として仕事をすることで日本それから実際に西アフリカのシエラレオネと東ティモールで活動をする。
「途上国」という領域において、またNGOという活動で<一般市民>(あるいは市民社会)ということにコミットし、また、シエラレオネでは村々での井戸掘りなど、東ティモールでは一地域のコーヒー生産者支援など<地域>というところにコミットしていた。
それから、香港にうつったぼくは、NGOの活動中ずっと、実践しかんがえつづけてきた<人と組織>ということを焦点に、人事労務コンサルタントとして仕事をしてきた。
そして現在、「生きる」ということにおいて<個人>にまで降り立っている。
繰り返しになるけれど、<個人>にまで降り立つことで、組織や地域や一般市民をかんがえないということではない。
むしろ、組織や地域や一般市民ということを<通過する>ことで、「個人」ということをかんがえるときに、いつもそれらが念頭されている。
より正確に言えば、一般市民・地域・組織・個人など、いずれかの領域に深く入ってゆけばゆくほどに、他の領域がどうしても対象として「出てきてしまう」ところに、ぼくの経験はあった。
それは、榎本英剛の書くように「順を追って計画的にやってきたわけではなく」、ひらかれるようにして、現出した経験である。
どんなテーマも、それをほんとうに追い求めてゆくと、そのテーマを超えていってしまうように、ぼくは思う。
ところで、榎本英剛にとっての「エンパワー」という、仕事と関心を貫く共通目的は、ぼくにとってはなんであろうかと、かんがえる。
それは、「目的」ではないけれど、ぼくにとっては<問い>である。
どのようにしたら、歓びに満ちた生を生きてゆくことができるのか。
この移り変わりゆく世界、人間の歴史の「第二の曲がり角」(見田宗介)にさしかかっているなかで、どのように生き、可能性を開いてゆくことができるか。
個人と個人(たち)の「関係」として、組織があり、地域があり、市民社会がある。
そしてまた、そこには「家族」という層も考慮されている。
ここではぼくは欲張りで、それらのいずれにもかかわっていきたいと、思う。
「時間」から解き放たれること。- 個人的な経験と試みの、メモ風の走り書き。
「時間」というものが、じぶんの生活においてとても切迫するものとして、あるいはじぶんを束縛するものとして立ち現れる。
「時間」というものが、じぶんの生活においてとても切迫するものとして、あるいはじぶんを束縛するものとして立ち現れる。
あるいは、とても長く感じたり、とても短く感じたりと不思議な時間感覚を生きたりするなかで、「時間」が、まるで人格化されたもののように、あるいは全知全能なものであるように、現象したりする。
そのような日々の感覚のなかで、どうすることもできず、時間にコントロールされるように生き、ときに息苦しくなる。
だから、身体を時間で束縛するような「腕時計」というものが好きになれずにいた。
そのような「時間」という不思議なもの/現象から、ぼくが「距離」をおき、関係をとりもどしてきた、個人の経験のことを少し書こうと思う。
そんなこと読者の方が聞いてもなんの役にも立たないかもしれないけれど、世界には、じぶんと同じように世界を感覚し、悩み、かんがえている人が一人くらいはいるかもしれないという、勝手な前提を立てて、ぼくは書く。
1.世界(異なる「時空間」)を旅し、生きること
「時間」というものが、ある意味で<絶対的なもの>のようにぼくの前に現れていたのが、いくぶん、その姿がほどかれはじめた契機のひとつは、「日本の外」に出たことであった。
それまですっぽりと、そのなかにはまっていた「日本」という社会から出てみることで、<時間はいろいろあるんだ>という感覚がぼくのなかに浸潤してくる。
「日本という社会」は、あるひとつのシステムとして、その内的な時間を共有する時空間であると言える。
18歳ではじめて上海から中国を旅し、20歳のときにはニュージーランドに住み、26歳のときには西アフリカのシエラレオネにいた。
そのように「移動する身体」としてのぼくは、「日本という社会」の「時間」から離れ、それぞれの社会の時間感覚のなかで生きることで、「絶対的なるものとしての時間」から距離をおくことができたように、思う。
2.時間を「時間」として<知る>こと
世界の異なる時空間を旅し、生きることと並行して、とても大切であったのは、<知>として、時間を知ることである。
真木悠介(見田宗介)という知性と生に出逢ったことは、偶然であり、偶然ではなかった。
真木悠介の名著に『時間の比較社会学』(岩波書店)があり、「時間」を、社会科学の主題として正面から、そしてきわめて明晰に論じた本である。
哲学や文学などの「時間論」は楽しいものだけれど、ぼくはいっそう、「時間」の迷宮に迷い込むだけであった。
だから、「時間」を、比較社会という方法のもとに、人類の歴史における社会の変遷のなかで捉える、この名著に、ぼくはすっかり目を見開かせられたのだ。
もちろん、真木悠介が書くように、この本は「時間の問題」を解決するものではないけれども、生きることの「道を照らす」という仕方で、ぼくの「時間の問題」に光を射すものであった。
3.日々の実践、たとえば「Apple Watch」というアシスタントツール
実践的なところで言うと、「Apple Watch」の存在は、「腕時計」という概念を転回させるものであったことが挙げられる。
上記の1と2と直接なつながりはないけれども、「時間」というものがある程度、感覚として、そして知として、ぼくのなかで客観化されてゆくなかで、このような「ツール」が生きてくるようなことはあると思う。
「Apple Watch」は、第一に、「時計」を超えたものであったこと、また第二に、「時計」を超えるものとしてぼくのアシスタントツールであること、において、勝手に抱いていた「腕時計」による時間の呪縛からぼくを解き放つものであった。
「時計」を超えたものであるとは、字義通り、機能として「時計」に限定されず、むしろ時計の機能が「周縁」であることである。
時計の機能を「周縁化」した他の機能たち(SNSや電話通知、ヘルスサポートなど)が、ぼくの「アシスタント」的なツールとして動いてくれることは、ぼくにとって、束縛という感覚を解きほどいてくれるものであった。
世界で異なる「時間」感覚を生き、知でそのことを知り、そして実践的に日常を解体し生成させる。
これは、あくまでも、ぼくの個人的な経験と試みであり、また、ここに書いたこと以外にも、いろいろな試みを日々の実践のなかで生きてきた。
それでも、ときに時間は、あの「時間」として<絶対的なもの>の顔を、ふいと見せることもある。
けれども、ぼくはその顔を見るときに、以前とは違った仕方で、見るだけである。
ルソーの考えていた「人間の自由」。- 『孤独な散歩者の夢想』におけるルソーの、思いがけない言葉。
東ティモールで心を揺さぶられた「挨拶」について書いたブログで触れた本、竹内敏晴『「からだ」と「ことば」のレッスン』。
東ティモールで心を揺さぶられた「挨拶」について書いたブログで触れた本、竹内敏晴『「からだ」と「ことば」のレッスン』(講談社現代新書、1990年)。
この本を読んでいて、竹内敏晴(1925-2009)自身が「ぎょっ」となったように、ぼくも「ぎょっ」とした。
それは、ルソーの晩年の作品『孤独な散歩者の夢想』における、つぎの箇所を読んだときのことである。
竹内敏晴はその箇所を読んでいて「ぎょっ」としたと書いていて、ぼくも「ぎょっ」として、すぐさま『孤独な散歩者の夢想』の本をひらいて、その箇所を読み返してしまった。
…人間の自由は、自分の欲することをなすことにあるなどと、僕は一度も思ったことはない。ただ、自分の欲しないことをなさないことにあると思っている。
ルソー『孤独な散歩者の夢想』青柳瑞穂訳(新潮文庫)
「したいことをすること」に人間の自由があるんじゃないかと思っていた竹内敏晴と同じように、ぼくも漠然と、「自由」という近代を導く理念が、この理念の生成に多少なりとも影響を与えたであろうであろう人物によって、「したいことをすること」の方向に(も)語られていたのだと思っていた。
「自由論」ということを研究していたときがぼくにはあって、その記憶では、西洋的な歴史の文脈においては、たしかに「~からの自由」、いわゆる「消極的な自由」が表舞台に出てきていた側面がある。
「~への自由」という「積極的な自由」は、ときに危険なものとしてかんがえられたりしてきた。
ルソーは、自由という言葉が観念論におちいる手前のところで、そのことを、実際の「関係」のなかで、たとえばじぶんが社会から放逐されたという状況のなかで語っている。
孤独な散歩者の夢想として。
…この自由のために、僕は同時代人から最もはなはだしく誹謗を受けもしたのである。つまり、活動的で、撹乱的で、野心的な彼らとしては、他人のうちに自由を憎み、自分自身に対しても自由を欲することなく…一生涯、窮屈を忍んでも自分のいやなことをなし、命令するためには、どんな卑屈なことも辞さなかったのである。だから、彼らの過誤は、僕を無益な一員として社会から遠ざけたことでなくて、有害な一員として社会から放逐したことだったのだ。
ルソー『孤独な散歩者の夢想』青柳瑞穂訳(新潮文庫)
このような文脈のなかに、ルソーは、人間の自由は、「自分の欲しないことをなさないことにある」と語っている。
消極的自由(~からの自由)は、たとえば政府や制度や他人から干渉されない自由であり、ルソーの語る「人間の自由」は、他者たちからの自由に加えて、<じぶん自身からの自由>とでも呼ぶべき自由を含んでいる。
そのことは上にとりあげたルソーの文章において、ルソーと対置されている「彼ら」の特徴と比較することで見えてくる。
「彼ら」は、「他人のうちに自由を憎み、自分自身に対しても自由を欲することなく…一生涯、窮屈を忍んでも自分のいやなことをなし、命令するためには、どんな卑屈なことも辞さなかった」ような人たちである。
ここで「彼ら」は、じぶん自身を押さえ込み、抑制・抑圧していくものたちである。
ルソーの視点からは「人間の自由」がないもの、つまり「欲しないことをする」ものたちである。
そういう「彼ら」が、「他人のうちに自由を憎み、…命令をするためには、どんな卑屈なことも辞さなかった」という描写は、現代にも通じることを語っているように見える。
養老孟司が、インタビューの中で語っていた言葉が、ぼくのなかで重なってくる。
…日本は律儀な社会です。それが裏返って気持ち悪いことになるのです。自分が我慢してやっている人は他人にも我慢させる。それが怖いんです。…この強制が日本の場合、一番キツいですね。
養老孟司インタビュー「煮詰まった時代をひらく」『現代思想』2018年1月号
「近代」の創世記にルソーによって語られていた「人間の自由」のことが、「近代」の原理が成熟してきた現代という時代においても、あるいは現代という時代だからこそ、その「意味」が表出されるようなところにきている。
ところで、冒頭の竹内敏晴がルソーの言葉に「ぎょっ」として出会って、「からだ」と「ことば」という次元において「自分の欲しないことをなさないこと」のことばをかんがえつづけたなかで、どこに「方向性」を見出したのか、このことは別のブログで書こうと思う。